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「日本のブリル・ビルディング」に
“刻をこえて”転生する


 なんのかんので3回目に突入してしまったニール・セダカの話。今回が最終回です。
#第1回
#第2回

 先週までは“音楽出版社”や“職業作曲家”、“自作自演歌手”といった、時代を反映したキーワードを軸にニールのキャリアを見てきましたが、肝心の、彼の音楽の話にほとんどふれてませんでした。ということで、最後は彼の音楽について書いてみたいと思います。といっても、一般的に知られる60年代の楽曲ではなく、70年代以降の楽曲をとりあげてみます。

 1962年に<Breaking Up Is Hard To Do>が全米1位を獲得したニールですが、彼の時代が本格的に訪れるかと思いきや、意外なことにそこからみるみる人気が低下してしまいます。63年の<Bad Girl>を最後にトップ50から遠ざかり、シングルを出してもチャート入りしないことすら珍しくなくなります。

 ビートルズのアメリカ上陸が64年の頭なので、ちょうど時代の潮目だったのかもしれません。前回、ニールは旧来の音楽出版社主導の時代と新しい自作自演歌手主導の時代の二つを内包していると書きましたが、ビートルズの登場とロックの誕生による時代の変化のいわば第2波には、乗り切れなかったのです。66年にはデビュー以来契約を続けてきたRCAからも離れることを余儀なくされ、レコード会社を転々とする不遇の時代を過ごすことになります。

 復活は74年。エルトン・ジョンが設立したRocket Recordsからリリースしたシングル<Laughter in the Rain>が全米1位に上り詰めます。翌75年にはエルトン自身も参加した<Bad Blood>で再び1位を獲得。その後も70年代の後半にかけてコンスタントにヒット曲を発表し、ニールは見事に第2の黄金期を迎えるのです。チャートアクションだけ見たら、60年代よりも70年代のほうがむしろ絶頂期といえます。


 劇的なカムバックへの伏線は大きく3つあったと思います。まず一つは、50年代からの盟友ともいうべきドン・カーシュナー(アルドン・ミュージックのオーナー)が、自身のレーベルからニールのアルバムを出してくれたこと。それが71年の『Emergence』と72年の『Solitaire』。いつの時代も人とのつながりって大事だなあと思わせてくれるエピソードです。

 二つめは、その時に出した2作目のアルバム『Solitaire』で優れたバックバンドと組んだこと。メンバーの名前はグレアム・グールドマン、エリック・スチュアート、ケヴィン・ゴドレイ、そしてロル・クレーム。つまりは後の10ccです

 レコーディングを行ったイギリスのストロベリー・スタジオの人脈でこの人選になったのだと思うのですが、演奏はタイトでキレがあり、コーラスも素晴らしく、彼らの力によって60年代のニールとはまったく違う音像が作り上げられました。ひと言でいえば「イギリスの音」になり、実際このアルバムからのシングルはアメリカよりもイギリスでヒットをします。このアルバムがなければ、後にエルトン・ジョンと接近することもなかったでしょう。ちなみに、このアルバムの表題曲は後にカーペンターズがカバーしてヒットをします(僕はカーペンターズ版のほうを先に知っていた)

 最後の3つめは、70年代に入り、シンガーソングライターの時代が訪れたことです。特にエルトン・ジョンやニールの元カノであるキャロル・キングなど、ピアノで弾き語るアコースティックスタイルのアーティストが登場したことは、その先駆者ともいうべきニール・セダカに再び追い風を吹かせる力になったと思います。そういえば、ベン・フォールズもニールへのリスペクトを公言していますが、ニール・セダカをピアノSSWの系譜の祖とする見方は面白そうな気がします


 最後に、ちょっとこじつけ混じりなのですが、もう一度職業作曲家としてのニールの話をしたいと思います。

 彼の歌を聴いたことはなくても、「ニール・セダカ」という名前はアニメファンなら一度は目にしたことがあるはずです。あまりに有名なのでもったいぶるまでもないのですが、答えは85年のアニメ『機動戦士Zガンダム』ですね。このアニメの前期OP<Z・刻をこえて>、後記OP<水の星へ愛をこめて>、そしてED<星空のBelieve>という3曲は、全てニールが作曲しています。

<Z・刻をこえて>は『Solitaire』に収録された<Better Days Are Coming>が、<星空のBelieve>は76年のアルバム『Steppin' Out』の<Bad And Beautiful>が原曲。そして<水の星へ愛をこめて>は、なんとZガンダムのための書き下ろしです。<水の星へ〜>は2018年にNHKの番組で行われた「全ガンダム大投票」のガンダムソング部門で1位を獲りました。僕も人生で最初に聴いたガンダムソングはこれでしたね。

 タネとしては、富野由悠季監督がニールの大ファンで、アメリカまでいって直接オファーしたからという、わりと普通なものなんですが、それがわかっていても、ガンダムとニール・セダカという組み合わせの不思議さには何度でも唸ってしまいます。



 んで、ここからは半分僕の妄想です。ニールがキャリアをスタートした50年代のように若い職業作曲家が同じく若いリスナーに向けてポップスを量産していた時代が日本にもあったとすれば、それは松田聖子中森明菜をはじめとする80年代のアイドルポップだったと僕は考えているのですが、そこに準じるのが同じく80年代のアニメソングシーンじゃないかと思うのです

 加藤和彦と安井かずみが手がけた、映画版『超時空要塞マクロス』(84年)の主題歌<愛・おぼえていますか>。松本隆と細野晴臣というはっぴいえんどコンビが作った『風の谷のナウシカ』(84年)の主題歌。そして、森雪之丞と玉置浩二による『めぞん一刻』の初代OP<悲しみよこんにちは>。いずれも、当時第一線でヒット曲を連発していた作家陣ばかりです(安田成美や斉藤由貴など、アニメソングの歌い手をそもそもアイドルたちが担っていたという背景はあるとは思います)。

 そうした日本のブリル・ビルディング期たる80年代アニメソングシーンの、それもガンダムシリーズというど真ん中の作品に、元祖ブリル・ビルディング期の中心的作家だったニール・セダカが乗り込んできたということに、なんとも因縁めいたものを感じる・・・と書いたらこじつけが過ぎると言われてしまうでしょうか。







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