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シンプルな楽曲が
豊かな世界を見せる


 3回にわたったニール・セダカ特集から派生して、先週はハワード・グリーンフィールドを取り上げましたが、今週はさらにハワードから派生して作曲家ジャック・ケラーを取り上げてみたいと思います。

 ジャック・ケラー、めちゃくちゃ好きなんですよね。60年代に活躍した作曲家のなかでは、エリー・グリニッチと並んで気に入っている作家です(いかんせん地味ですが)。

 1936年、NYブルックリンで生まれたジャックは、父がバンドマンという音楽一家で育ちました。50年代半ばからブリル・ビルディングに出入りし始め、<Lollipop>で知られる女性ボーカルグループのコーデッツや、大御所ペリー・コモらに曲を提供します。59年には新興の音楽出版社アルドン・ミュージックと契約し、ニール・セダカやハワード・グリーンフィールドとともに同社の第1期スタッフライターになります。

 この時期の作曲家の多くが、特定の作詞家とコンビを組んで活動をしていましたが、ジャックは例外で、そのときどきでさまざまな作詞家と仕事をしました。ただ、そのなかで結果的に多くコンビを組んだのが、前回取り上げたハワード・グリーンフィールドです。60年代初頭、ニール・セダカが歌手活動を本格化しはじめると、余裕ができてしまった相棒ハワードは、たびたびジャックとコンビを組むことになるのです。

 前回紹介したように、このコンビからはコニー・フランシス<Everybody's Somebody's Fool>(60年4月)と<My Heart Has a Mind of Its Own>(60年7月)という、2作連続全米1位という大ヒット曲が生まれています。このコンビの楽曲で僕が好きなのは、ジミー・クラントンが62年に出した<Venus In Blue Jeans>松田聖子<風立ちぬ>の元曲といわれる美しい曲で、全米7位まで上りました。


 この時代に、ハワードと並んでジャックがよくコンビを組んだ作詞家が、ジェリー・ゴフィンです。このコンビも名曲が多いですね。エヴァリー・ブラザーズやクッキーズなどいろいろいますが、僕が好きなのは全米2位のヒットとなったボビー・ヴィー<Run To Him>(61年)。


 ここまで挙げてきた楽曲を聴くと分かる通り、ジャックの楽曲の特徴は、極めてシンプルなところです。ほとんどの楽曲がヴァース&コーラスという基本の二部構成を踏襲しており、一つの楽曲で使われるコードも非常に少ない。前述の<Everybody's Somebody's Fool>なんて、コードは実質3つしか出てきません。にもかかわらず、映る風景を次々に切り替え、ドラマ性を感じさせるメロディを作れるところが、作曲家ジャック・ケラーのすごいところだと僕は思っています。


 さて、63年にアルドン・ミュージックがコロンビアに売却されると、ジャックは『奥さまは魔女』をはじめとするTVシリーズの音楽制作にも携わるようになります。この映像音楽への進出が背景となって生まれた、ジャックにとって60年代後半最大のヒット作が、モンキーズです。アルドンの元オーナーであるドン・カーシュナーの主導で企画されたモンキーズという一大プロジェクトで、ジャックはアルバムのプロデューサーの一人に名を連ねたほか、作曲家としても楽曲をいくつか書き下ろします。


 上に挙げた<Your Auntie Grizelda>の共作者ダイアン・ヒルデブランドはこの時期にジャックがよく組んでいたソングライターで、後にこのコンビからはボビー・シャーマン<Easy Come, Easy Go>という全米9位のヒット曲が生まれています。


 80年代に入るとジャックは拠点をナッシュヴィルに移して、地元のカントリー系の歌手と仕事をするようになります。この時期に彼が作った楽曲は詳細がよくわからないのですが、彼はナッシュヴィルの環境が気に入ったようで、2005年に白血病で亡くなるまで同地に住み続けます。

 ジャックが最終的にカントリーに腰を落ち着けたというのは、とても納得できます。というのも、彼のメロディの大きな特徴は、コニー・フランシスの楽曲に典型的なように、カントリー色が強いところだから。別の言い方をすれば、ロックンロールに近づきすぎなかったところで、この時代の作曲家のなかでは珍しいといえます。

 それを象徴するようなエピソードがWikipediaに載っていました。2013年にリリースされ、当時このブログでも取り上げたビートルズの『On Air - Live at the BBC volume2』に、まったくの未発表音源として<Beautiful Dreamer>が収録されました。この曲の原作者は言わずもがな、スティーヴン・フォスターですが、実はビートルズによるこの曲のカバーには「お手本」があったそうです。

 それが、62年にジャックがジェリー・ゴフィンとのコンビでトニー・オーランドのシングルとして書き下ろした<Beautiful Dreamer>。この曲がリリースされると、ビートルズはすぐさまレパートリーに加えたそうです(へえ、そうだったんだ)。ジャック・ケラーを、白人ポピュラー音楽の父ともいうべきスティーヴン・フォスターの系譜に置いてみると、パズルのピースが次々にはまっていくような納得感があります

 そういえば、大滝詠一もジャック・ケラーを大好きだと言っていました。スティーヴン・フォスター、ジャック・ケラー、さらにそこに大滝詠一を加えてみるのも、面白い風景が見えてきそうです。







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