hqdefault

演劇は稼ごうと思っても
原理的に限界がある


 前回の続きです。

 演劇集団キャラメルボックスが運営会社の倒産により活動休止を発表したのと同じ週に、人生で初めて劇団四季を見てきたことで、「演劇で食う」ことは可能だけど「劇団で食う」ことは不可能だと考えた、という話です。

 最初に断っておくと、これから書こうとしている話は、多分「何を当たり前のこと言ってんだ」という内容だろうという気がします。ただ、演劇に関わったことのある人間として、どうもこの話は無視できないので、たとえ結論は自明なものだとしても、考えを整理するために一つひとつ順を追いながら書いてみます。

 まず、演劇は売り上げの上限というものが存在するメディアです。上限はすなわち<チケット料金×劇場の座席数×総ステージ数>です。音楽や映画であれば、フィジカルにせよストリーミングにせよ、物理的な限界というものはないので、原理的にはどこまでも売り上げを伸ばすことができます。演劇だけが、「どれだけ売れてもここまで」という上限が引かれているのです。これが生(LIVE)=再生産できないことの、興業という面における最大の弱点です。

 劇団四季がすごいのは、ずばりこの弱点を乗り越えているところです。「再生産できない」のはつまり「生身の人が演じるから」ですが、四季は前回書いた「役者を交換可能にする仕組み」に徹することでこの制約を乗り越え、さらに専用劇場をもつことで「総ステージ数」の上限も外しました。これにより、劇団四季は本来演劇がもっていた「どんなに売れても限界がある」という弱点を克服し、「劇団で食う」を成し遂げたのです。

 しかし、全ての劇団が「役者を交換可能にする仕組み」を採用できるわけではありません。バックアップの人間を用意しておくということは、その分コストがかかることを意味しているからです(舞台に出ていない役者を一定数確保しておけるのは、そもそも劇団が「食える」ほど稼げているからであるともいえます)。

 それに、一般的に劇団の魅力とは、所属している役者の魅力です。劇団を作品と言い換えてもいいでしょう。観客にとって「誰が出演しているか」は、ときに「どんな作品をやるか」以上に重要です。過去に何万回と上演され、誰もがストーリーを知っている『ロミオとジュリエット』が、なぜ未だに観客を呼び続けているかといえば、「誰が2人を演じるのか」にみんなが興味をもっているからです。現に、一定規模以上の演劇興行において、チラシなどの宣伝媒体でもっとも大きくスペースを割いているのは、出演者の情報です。

 もちろん、これは映画やTVでも同じことがいえるでしょう。しかし、演劇は観客の目の前に役者が直に肉体をさらすぶん、その人自身のパーソナリティが露呈してしまうメディアです。映像であれば、たまたまかっこよく映った画だけを切り取ってつなげることもできますが、演劇はそれができません。その人が力を抜いている瞬間も、取り繕おうとしている瞬間も、全部が目撃されます。それゆえに演劇は「その役者である必然」がもっとも問われるメディアであり、役者の魅力が作品の魅力を凌駕するのです(だからこそ、その常識を覆しながら観客を呼び続けている劇団四季に僕は「すげえええ!」と思ったのです)。

 話が横にそれてしまいました。「演劇は稼ごうと思っても原理的に限界がある」という話です。

 では、劇団で食おうと思ったら、他にどんな選択肢があるのか。作品的にも興行的にも役者を交換可能にしてロングラン公演を打つのが難しいのであれば、作品数を増やすしかありません。

 最盛期のキャラメルボックスがとっていたのが、まさにこの方法でした。総ステージ数は1〜2か月に収まる程度に抑えて、そのかわりに何本も公演を打つのです。そうすれば、役と役者を固定したうえで(つまり「その役者である必然」を担保したうえで)、なおかつ劇団全体としてのステージ数をギリギリまで増やすことができます。確か、当時のキャラメルは年間6本くらい公演を打っていたんじゃないでしょうか。

 ただし、この方法には大きく2つの問題があります。

 1つは、リソースの問題。1〜2か月の公演を年に6本やるとしたら、単純計算でほとんど毎日稼働することになります。これでは結局のところ体力的な問題をクリアできないし、そもそも次の作品の準備ができません。

 そのため、最低でも劇団員を2チームに分けて、片方がある作品を上演しているあいだに、もう片方のチームが稽古場で次の作品の準備をする、というようなサイクルで回していく必要があります。当然、そのためには2チーム組めるだけの人数を確保しなくてはなりません。これは、レベルの高い人材をどうやって確保するかという問題もセットになります。

 もう1つの問題は、作品の確保です。仮に年に6本の公演ができるとしても、それだけの数の作品をどうやって供給し続けるのか。一人の作家が、質を落とさずに年に6本も新作を書くのは(断言しますが)不可能です。これもある意味ではリソースの問題ですね。

 では、キャラメルボックスはこれらの問題にどう対処していたのか。僕の考えでは、前者の人材確保については定期的なオーディション開催が、後者の作品確保については過去の人気作の再利用(=いわゆる再演)という手法が、その対策でした。90年代後半から00年代初頭あたりは、このシステムは非常にうまく回っていたと思います。

 しかし、10年20年という中長期的な視点でみたときに、つまり「劇団で食う」という前提で考えたときに、これらの手法は、実は不十分だったのではないかと思うのです。ようやく本題に近づいたのですが、すいません、長くなってしまったので次回に続きます。




sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ