週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【本】小説

『国銅』 帚木蓬生 (新潮文庫)

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無数の命を吸い取った
「奈良の大仏」造立の物語


奈良の大仏さまの高さ(座高)は14.98メートル。
スカイツリーやヒルズを見慣れた目には、
造られた当時の人びとの感覚を想像するのは難しいですが、
それでもやはりいざ東大寺の大仏殿に入り大仏さまを目の前にすると、
「うおおお〜…」と圧倒されてしまいます。

大仏さまと大仏殿が完成し、開眼供養が行われたのは752年。
聖武天皇が大仏造立の詔を出したのが743年(建築が始まったのは745年)ですから、
工事は10年近くにも及んだことになります。
その間に動員されたのは、なんとのべ260万人。
まさに、当時の一大国家事業でした。


この、奈良の大仏造立をテーマに描いた小説が、
帚木蓬生(ははきぎほうせい)が書いた『国銅』(こくどう)です。
寝る間も惜しんでかじりつくように一気読みしました。
「読み終えるのがもったいない!」と感じたのは久しぶり。
つい最近読み終えたから印象が新鮮であるという点を差し引いても、
今年読んだ小説の中では一番かもしれません。

まず、舞台が奈良時代というところがマニアックというか、ニクイです。
日本人一般の歴史観って(特に根拠はないんですが)せいぜい平安時代くらいまでで、
奈良時代になると一気にボヤッとするところがないでしょうか。
感覚的にはほとんど「古代」というか、どこか外国の歴史を聞いているようにすら感じます。
そんなおとぎ話的な時代について、想像力の扉を開いてくれるという点を、
この作品の素晴らしさとしてまずは挙げなければならないでしょう。

とはいえ、戦国や幕末に比べれば圧倒的に少ないものの、
奈良時代について書かれた小説はこれまでにもありました。
しかし、その多くは皇族や貴族など、権力者の目線で語られたものでした。
『国銅』の面白いところは、主人公が権力者ではなく、
奈良の大仏造立に従事した名も無き人足(=現場作業者)であるという点です。

主人公の名は、国人(くにと)。
国人は物心ついたときから長門(現在の山口県)の銅山・奈良登りで、
一日に何度も重たい璞石(はく=銅の含まれた石)を背負って狭い坑道を行き来するという、
過酷な労働に従事していました。
大仏造立の詔が出され、全国有数の銅山である奈良登りでは、
大仏の表面を鋳造する銅を産出するため、何人もの人足が昼夜となく働いていたのです。
懸命に働く国人は、長ずるにつれ璞石から銅を精製する鍛冶場の仕事を覚え、
やがては奈良の都へ行き、大仏建造に直接従事する仕事に就くことになります。
物語は、国人の少年時代から、都へ行き大仏の完成を見届け、
やがて再び故郷の長門へ帰ってくる青年時代までのおよそ10年の歳月を描いています。

この小説には国人をはじめ、何人もの人足たちが登場します。
しかし、国人の兄・広国をはじめそのほとんどが、
過酷な仕事の中でケガをしたり病気をしたりして命を落としてしまいます。
前述のように、大仏造立に関わった人はのべ260万人といわれていますが、
果たしてそのうち何割が最後まで仕事を全うできたのかわかりません。
大仏は、まさにそうした無数の命を吸い取るようにして完成したといえます。
冒頭、「国家事業」と書きましたが、
それは時の最高権力者が直接号令を下したからというわけではなく、
国中から国人のような人々が集められ、
彼ら一人ひとりの人生の上に大仏が造られているという「重さ」にあります。

大仏は、木で骨組みを作りそれを土で塗り固めて形を整えた後、
それを「型」にして銅で鋳造されて完成します。
最終的には表面は金箔が塗られ、光り輝く黄金の仏像になるのですが、
しかし国人は、金の大仏よりも銅の大仏の方がいい、と語ります。
それは、自分や仲間たちの生きた証を、銅の放つ鈍い赤光の中にこそ感じたからでした。

国人は仕事は一切手を抜かず一生懸命働き、休みの日には病人のために薬草探しに奔走し、
読んでいて風に洗われるかのような見事な好青年なのですが、
何より彼のユニークなところは、奈良登り時代に僧・景信から「文字」を習ったことでした。
彼は独学で本を読み、都では詩を書くようになります。
仏の教えについて、都の生活について、仲間との別れについて、
国人は木の枝で砂に文字を書きながら、さまざまな感情を誰に読ませるでもなく詩に綴るのです。
その豊かな感受性は、過酷な労働の中で彼自身を大いに支えてくれることになります。
それ自体は余技、あるいは鑑賞物に過ぎない文化や芸術が、
生活者の心と呼応すると、現実に意味づけをし、
それまでとはまるで違う物の見方や価値観を宿してくれる。
この「芸術と現実」「アートと生活」ということについてさらりと、しかし明快かつ深く触れているところは、
奈良の大仏とはまるで関係のないテーマながらも、この小説の非常に重要な読みどころになっています。

国人はその豊かな感性で、大仏という存在に、その大仏を覆う銅の鈍色の光の中に、
亡くなっていった者たちの生きた証を見出したのです。
しかし同時に彼の胸に去来したのは、
命をまるで使い捨てるようにして造られたこの巨大な建造物に対する、やるかたない空しさでした。
その光と影の両方とを感じさせる哀しいラストを読み終えた瞬間、
『国銅』というタイトルの重みが、衝撃となって全身を震わせます。








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『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹 (文藝春秋)

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君の感じた気持ちは
幻なんかじゃない


村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を早速読みました。
これから読む人もいると思うので、
できるだけネタバレはしないように、なるべく感想だけを書こうと思います。

僕は今回の作品、かなり好きだと思います。
「思います」と中途半端な物言いなのは、
読み終えて間もないので、読後の余韻にどっぷり浸っていて、
まだ冷静ではないから。
でも、今回の余韻はしばらく残りそうです。
それは、中編サイズの、決して長いとは言えない物語にも関わらず、
読んでいる間に次から次へといろんな感情が奔流となって出てきたからです。
村上春樹の本はいつも似たような心地になるのですが、
今回は特にそれが強かったように感じました。
「余韻の量」だけを比較すれば、
僕は前作『1Q84』よりも今回の『色彩を持たない〜』の方が多(強)かったかもしれません。
(もちろん、読んだばかりというバイアスはかかっていますが)

ネットなどでいろんな感想を見ていると、
今回は「わかりやすかった」と感じている人が多いようです。
そのことに、長年のファンの中にはある種のさみしさを感じた人もいるようです。
確かに、『1Q84』や『ねじまき鳥』などの長編のように、
ラストに向かうにつれて、物語が収束するよりもむしろ加速し、
異次元に向かって拡散するようにして終わる作品と比べれば、
今回の『色彩を持たない〜』は物語がしっかりと着地するような感覚があり、
しかもその着地点も比較的輪郭がとらえやすかったと思います。

しかし、そんなこととは関係なく、
僕は読んでいる最中も読み終えた後も、いろんな感情が渦巻くのを感じました。
中でも思い出されたのが、僕が20代の、まだ前半頃のこと。
物語の冒頭で主人公多崎つくるが過去の出来事を回想するのに呼応するかのようにして、
僕自身が当時抱えていた人間関係とか不安で退廃的な気持ちとかが、
泡のように意識の水面に浮かんできました。

普段は忘れている(忘れようと努めている)、
けれど今の自分を作る重要な要素であるヒリヒリした気持ちが、
ボロボロと掘り起こされていくような感覚。
こういう、「感情の棚卸」のような感覚は、
村上春樹を読むと必ずと言っていいほど味わえる感覚です。
(過去記事:『1Q84』村上春樹
特に今回の『色彩を持たない〜』は作品の世界が小さく、身近だったことで、
「棚卸」の感覚がむしろ強まったのかもしれません。
(同じく舞台が身近な『アフターダーク』も、特に好きな一冊に挙げられます)
その意味で、この先、読後の余韻が消えた後でも、
この作品は僕にとって「最も親密な一冊」として残るでしょう。



棚卸ということでいえば、今回の物語そのものが、
それと近いテーマを抱えています。

「記憶に蓋をすることはできる。でも歴史を隠すことはできない」
今作で何度か語られるフレーズです。

いくら忘れようと努めても、過去の事実は決して消えず、
あるとき、その事実と向き合わなければいけない瞬間がくる。
自分の人生から切り分けたはずの記憶を、
再び自分の中に組み入れなければならない瞬間がくる。
だから、16年前に蓋をした「ある記憶」と再び向き合っていく多崎つくるの戦いは、
ヒリヒリした気持ちが否応なしに蘇る僕自身の感覚と相まって、
読んでいてとてもしんどいものがありました。

でも、人生への警句、教訓としての響きをもつ上記のフレーズは、
物語の最後に、希望の言葉としても語られます。
ネタバレになるので具体的には書きませんが、その場面が本当に良かった。
すごく勇気が出ました。



村上春樹の作品は、感想を言葉に直すのがとても難しいですね。
語れるのはせいぜい読後の「気分」であり、
作品を通して味わった本当の気持ちは、なかなか言葉に直せません。
これまでも村上春樹を読むたびに、
「自分の気持ちなのに自分の言葉で語れない」という、妙なストレスを感じてきました。

でも、本当は、これは自然なことなんじゃないかと思います。
言葉に直せない何かがあるからこそ、
作家は物語という形を借りてその「何か」を紡ぐのであり、
だとしたら、受け取り手である読者もまた、
はっきりと手で触れる手ごたえや目に見える形として
その「何か」を感じられるはずはない。
だから、感想をうまく言葉に表せなくても、
それは日本語を知らないとか口下手だとかそんなことではなく、
むしろ極めてまっとうなことなんじゃないかと思うのです。

考えてみれば当たり前のことですが、
日常生活の中でさえ、怒りにしろ悲しみにしろ喜びにしろ、
僕らが感じる深い感情は、到底言葉では追いつけません。
だけど、言葉が溢れ、自在に言葉を扱える人こそが「頭がいい」と思われる
(もちろん、そういう人は実際に「頭のいい人」なんですが)世間では、
「言葉に直せない」「「うまく喋れない」ということは、何かと不利に働いたり、
愚鈍な印象を持たれたりします(というか、そういう自意識が働きます)。
「すべらない話」のように、面白おかしく話ができる友人の陰で、
本当は言いたいことがたくさんあるのに何一つ口に出せず、
劣等感だけを積み重ねていた10代の頃から、
僕にとっては「なんでもかんでも言葉に直さなきゃいけない」ということが、
切実で巨大なプレッシャーでした。
20歳の頃には、「言葉に直せないなら、その感情はウソ(幻)なんじゃないか」という
極端な考えにまで至ったこともあります。

その強迫観念から解放してくれたのが、村上春樹でした。
彼の物語は僕に、
「本当に大事なものは、言葉に直せない(こともある)」ということを教えてくれました。
いくつもの「言葉に直せない気持ち」を抱え、
それらをまるで「負債」のように感じていた僕は、
彼の物語を読むことで、ようやく自分を肯定できるようになったんだと思います。
「言葉(形)に残らなくても、君が感じている気持ちは幻なんかじゃないんだよ」と。
偶然ですがそれは、今回の作品のラストで提示された希望の形と、
どこか似ているような気がします。






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「ダメ人間」の死に様、生き様

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『海も暮れきる』
吉村昭

(講談社文庫)

 明治から大正にかけて生きた俳人、尾崎放哉。教科書にも名前が載っている有名な人物です。ただし、俳人と言っても、放哉の句はいわゆる「俳句」とは少し異なります。

「咳をしても一人」
「足のうら洗えば白くなる」

 どの句もこんな具合で、五・七・五という基本フォーマットすらありません。季語もありません。「自由律」というのですが、放哉はこの自由律俳句の第一人者として有名な人物です。その放哉の晩年を描いた小説が、吉村昭の『海も暮れきる』。

 尾崎放哉、本名尾崎秀雄は、実はものすごいエリートサラリーマンでした。東大を卒業した後、東洋生命という保険会社に就職し、東京本社の契約課長にまで出世します。在職中から俳句雑誌などに寄稿するなど、俳人としての活動も盛んに行っていました。

 なかなか華々しい経歴ですが、実は放哉には大きな性格的欠点がありました。彼は極度の酒乱だったのです。酒を飲むと誰彼かまわず暴言を吐き、トラブルが絶えませんでした。結局、酒が原因で会社を退職することになります。

 彼はその後、流浪の旅に出ます。あちこちの寺に住み込みながら、俳句を詠んで暮らします。しかし、その間に病を患い、死に場所を求めて小豆島の小さな庵に流れ着きます。『海も暮れきる』は、放哉が小豆島にやってきてから死ぬまでの約1年間を描いています。

 病気が徐々に悪化し、体が弱り、やがて死んでしまう。このような物語が明るいはずがありません。とにかくこの小説は読んでいて苦しいです。日を追うごとに衰えていく放哉の様子もさることながら、それ以上に彼の内面の葛藤が読んでいて辛くなります。

 酒乱の放哉は、島に来ても相変わらずその悪い癖が抜けません。自分自身も酒癖の悪さをわかっているくせに、ついつい酒を口に入れてしまい、島の人々に罵詈雑言を吐きまくる。一晩明けて、「やってしまった」と後悔し、もう飲まないと誓うも、結局その禁を自ら破ってしまう。その繰り返しです。

 放哉はお酒が好きでした。特に病気になってからは、自分の体のことを束の間忘れさせてくれるものとして、単なる嗜好品という以上に酒に救いを求めるようになります。しかし、自分は酒癖が悪い。そのことも痛感している放哉は、「飲んでも不幸、飲まなくても不幸」というような心理に追い込まれていきます。徐々に卑屈になっていく放哉の葛藤が、読んでいて辛い。

 ちなみに、放哉はお金を持っていませんでした。そのため、生活費のほとんどを俳句仲間や近所の寺の住職などから恵んでもらっていました。しかし、そのお金さえもお酒に消えてしまい、結局またお金を無心する始末。

 この破滅的なところはなんとなく太宰っぽいですが、しかし太宰のそのデカダンスな佇まいは、それ自体が一つの「美学」として完結しているのに対し、放哉のそれはただただしょーもない、「ダメ人間」の醜態でしかありません。しかし、ここが不思議なところなのですが、物語が進むにつれて、そんな放哉にどんどん惹かれていくのです。

 他人の情けにすがらなければ生きていけない卑屈さを酒で紛らわしたり、別れた妻への未練が断ち切れず手紙を出すかどうかで激しく逡巡したり、死を目前にしながらもなお「生」に執着する放哉の姿は、あまりにカッコ悪く、けれどそのカッコ悪さにこそ「人間」というものを見出すような気がします。

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『四百年後の東京』正岡子規(『飯待つ間』より)

僕の肩に乗るもの
新たな「日常」に向けて


 正岡子規の残した小説(というよりも書きなぐったメモという方が近いのだが)に『四百年後の東京』という作品がある。タイトル通り、未来の東京を描いたSF小説(?)なのだが、例えば400年後の御茶ノ水は日本一の歓楽街になっていて(なぜ御茶ノ水なのかはよくわからない)、地上よりもむしろアリの巣のように発達した地下街に飲み屋や娯楽施設が並んでいると書かれている。また、東京湾には大小何百もの船が停泊していて、中には青物船や洗濯船、蒸気風呂船、外科医船など船員たちを相手にした“生活サービス船”もあり、それらが行き交い海の上に一つの街を作っている、などとも書かれている。

 なんてことはない、子規の妄想をただ書きなぐったメモのような小品だ。だが、なんだか面白くて惹かれる。子規というと「俳句」だが、僕は彼の自由闊達な散文の方が好きだ。そして、彼の文章には深い日本への愛が感じられる。

 『四百年後の東京』にしても、今読めばそのイメージは決して目新しいものではないし、現実の東京は400年どころかわずか100年でこの小説の世界よりも発展した。だが、この小説には、日本土着の、なんともいえない、湿気混じりの猥雑な空気感がある。そして猥雑なくせにどこか品があるのだ。おそらくその品は、彼の綴る日本語のリズムの美しさが大いに関係していると僕は思っている。短文詩研究の第一人者だからなのか、散文の律動の美しさについても、品と色気があるのだ。

 この1ヶ月の間、何度となく思い出す言葉がある。
「国が滅ぶということは、その国の文化が滅ぶということだ。連綿と築かれてきた歴史が無に帰するということだ。それは絶対にあってはならないことなんだ」
 これは正岡子規の言葉である。と言っても、実際に本人が残した言葉ではない。一昨年から放送を続けているNHKドラマ『坂の上の雲』の台詞だ。日露開戦前夜、出征する秋山真之に向けて、病床の子規がこの台詞を口にする。

 正岡子規は俳句や和歌などの日本古来の定型詩に、自然主義的な方法論を持ち込んで、「描写」という新たなスタイルを作り上げた人物である。だが、彼自身が生涯のテーマとして掲げていたのは、単に句法を練り上げることではなく、日本の短文詩を研究することで、日本の文化そのものを捉え直すことにあった。日本が急速に近代化を遂げていく中で、産業や軍事力だけでなく、自国の文化も世界照準で考えていかなくてはならないと考えたところに、近代人・正岡子規の凄さがある。

 その子規が病床で、帝国ロシアとの国の存亡をかけた戦いに向かう真之に、ほとんど哀願するような勢いで言うのが上記の台詞である。子規を演じる香川照之の壮絶な演技と相まって、この台詞は脳裏に刻みつけられた。そしてこれは、子規と同じく「日本とは何か」をテーマに作品を書き続けた原作者・司馬遼太郎自身の思いでもあるように感じられた。この言葉が3月11日以来、何度となく頭に浮かぶ。

 今まで僕は、日本のことを、どちらかと言えば嫌いな方だったと思う。細かく言えば「嫌い」とハッキリ書くほどでもなく、「興味がない」「どうなってもいい」みたいな、取り立ててこれといった感情を抱くことすらない、突き放した感覚を持っていた。

 僕らの世代はバブルが弾けた後に思春期を迎え、日本全体に徐々に停滞感が漂ってきたのを肌に感じながら育った。「いい大学に入っていい会社に入って…」という従来のスタンダードは崩壊したものの、それに代わる新たな幸福のスタンダードは誰も見出せてはいなくて、将来について悩む僕らに対し、学校やマスコミは「やりたいことをやるのが一番」というあまりに無責任な言葉で突き放した。

 僕が10代の頃にブームになった松本大洋の『ピンポン』に、「人生は死ぬまでの暇潰し」という台詞が出てくる。日本がなんとなく年老いていく空気に侵されていく一方で、携帯やコンビニやインターネットなんかが急速に普及するという享楽的な雰囲気のなか、その『ピンポン』の台詞は強烈なリアリティがあった。日本という国に興味など、ましてや誇りなど、持ちようがなかったのだ。

 そのような鈍い退廃感の中で成人し、仕事をするようになり、そして、3月11日が来た。

 電車が止まり、物が無くなった。さらには放射能被爆するかもしれないという、予想だにしなかった恐怖に晒された。テレビやネットでは、次々と悲惨なニュースが流れた。自分の生まれた国が瀕死の重傷を負った姿を目にしながら、僕は初めて、自分が日本人であるという自覚を持った。

 それまでは、「日本」という国と「僕」という個人との間には、大きな隔たりがあった。もちろん、日本の社会保障制度なんかが自分の将来設計に少なからず影響を与える事実は認識していたし、選挙だって一応は毎回投票に足を運んできた。でも、例えば何らかの事情で急に外国籍を取ることになっても、僕は多分躊躇しなかったと思う。「日本」と「僕」との間に精神的なつながりはまるでなかった。

 だが、今回の震災で、日本という国の、その責任の一端を、僕も背負っているのだということを、俄かに知らされた。それまでは観客の一人だと思いこんでいたのに、いきなりスポットライトを浴びせられて、登場人物の一人になってしまったような気分だ。

 日本への情。それは僕の場合、日本の歴史や文化への愛情である。もちろん、今回の震災が、日露戦争のような国家そのものが滅びるような危機に晒されるわけでは(多分)ない。そういう意味では、上記の正岡子規の言葉がリフレインしている僕は、単なる誇大妄想の自意識過剰なのかもしれない。

 ただ、僕は初めて、自分が歴史の外にいるわけではなく、歴史の一部なのだと感じている。正岡子規や先人たちが受け継いできたものは、教科書や小説を通じて享受するものではなく、実際に僕の肩の上にも乗っているのだということを、ぼんやりと、だが確かに感じる。そうやって僕は、なんとなくではあるけれど、自分が日本人であることを感じているのだ。

 長かったような、あっという間だったような、時間感覚のおかしい1ヶ月だった。首都圏では電車のダイヤはほぼ元に戻り、コンビニの店頭にも徐々に品物が並び始めた。しかしその一方で、被災地では未だに行方がわからない人が1万人を超す。福島第一原発の事故も出口が見えない状態が続いている。放射線の検出量は基準値の周辺を行ったり来たりしている。

 そして、もはやテレビやネットを見なくても、日本が今危機的な状況にあることを身体が覚えてしまっている。東京に住む僕の生活は、一見震災前と変わらない。だが、身体の奥深くに根を張った危機感が、絶え間なく緊張を強いてくる。

 いつか原発の事故処理が終息し、放射能の脅威が去り、電力が復旧したとしても、決して“元通り”になどならないだろう。異常と正常の両極に引っ張られ、奇妙に捻じ曲げられた今のこの状態が、僕の新たな「日常」なのだという気がする。

 1ヶ月ぶりのブログである。正直、何を書いていいのかわからなくて、ずっと書けなかった。今もわからずに書いている。でも、混乱しながらでもいいから、「とりあえず」でもいいから、書いていかなきゃいけないと思っている。書くことで、考えていかなきゃいけないと思っている。

『希望の国のエクソダス』 村上龍 (文春文庫)

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僕は僕のいる場所で
あなたはあなたのいる場所で


 まるで映画を見ているとしか思えないような毎日が続いている。被災地の状況や刻々と増える犠牲者の数、計画停電で混乱を極める都市生活に、未だ好転しない原発の問題。映画であってほしいけど、これは紛れもなく現実で、その証拠に毎日胸が痛む。

 ある日突然、それまでの生活が奪われた人たちの無念というのは、一体どれほどのものかと思う。亡くなった方たちの冥福を祈ると同時に、被災者の方たち、そして福島第一原発で必死の作業を続けている方たちに対し、力いっぱいのエールを送りたい。

 地震が起きた当日、僕は東京駅の近くにいた。あの日、おそらく何百万人にも上ったであろう“帰宅難民”に僕もなり、4時間かけて約20キロ離れた自宅まで歩いて帰ることになった。そして靴擦れだらけになって帰ってみると、部屋の中は本棚やCDが全てひっくり返っており、元通りに直すのに翌日いっぱいまでかかった。

 もちろん、東北の方たちに比べれば取るに足らない被害だ。だが、生まれてこの方大きな災害に見舞われたことのなかった僕にとっては、強烈な体験だった。

 阪神大震災の時には、子供だったのと、距離的にも離れていたことで、心の中ではどこか自分とは関係のないことだと思っていた。だが、今回は違う。自分も被災したという意識もあり、「一体自分には何ができるのか」をずっと考えている。

 まず、僕は徹底的に節電に協力しようと思う。今この文章も携帯を使って書いている。エアコンが使えなかろうが、電車が止まって歩いて帰ることになろうが、それが最終的に被災者の支援と日本の復興につながるのであれば、いくらでも協力する。そして積極的な募金である。

 今、具体的にできることは限られている。そして個人が一人で発揮できる力というのは、悲しいほどに小さい。けれど、今は自分の頑張りが、やがては大きな力の一部になることを信じて、できることをやるしかないと思う。

 しかし、時間が経って、被害の全容が明らかになり、原発も安全が確認され、電気の供給が元に戻ったとしても、被災地の復興はもっとずっと長くかかるだろう。もちろん、日本全体の回復も。今は目に見えてピンチだから関心も高いし支援への動きも活発だが、1年後、2年後、もっと先まで今回の震災を記憶し、関心を持ち続けることも、僕らに課せられた使命だと思う。

 そう考えると、何より僕らが被災者とその復興のためにやらなければならないのは、きちんと生きることだと思う。

 ちゃんと食べてちゃんと寝て、満員電車に揺られて一生懸命働いて、家庭を築いて子供を産んで育てて。そういう風に毎日をただひたすら生きていくことが、とても大事なことだと思う。

 政治や経済において、これからどんどん悪いニュースが流れることになるだろう。確かに今回のダメージから被災地や日本全体が回復していく中で、政治や経済が果たす役割は小さくない。でも、日本の復興の本当の主役は僕らのはずである。僕たちが、それぞれの場所で、ピンチをはねのけ、ささやかでもいいから幸せを掴もうとすること。今いる場所がたとえ自分が望んだ場所じゃなくても、一人ひとりが今日を一生懸命生きることでしか日本の復興は遂げられないし、それこそが亡くなった方や今も避難所で暮らしている方たちに対する誠意だと、自戒も込めて、僕は思う。

 今日、NYタイムズに載った村上龍の文章を読んだ。僕はとても感動した。英文だけれどそんなに難しくないので、良かったら読んでみてください。

http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html?_r=2

『イン・ザ・プール』 奥田英朗 (文春文庫)

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勝手気ままに
動き始める人たち


 先々週からテレビ朝日で『Dr.伊良部一郎』というドラマが始まった。日曜深夜という放映時間のせいか何なのか、はっきり言ってあまり話題になっていないのだが、この作品の主人公「伊良部一郎」は、知る人ぞ知る“有名人”である。

 元々は、奥田英朗の小説『イン・ザ・プール』から生まれたキャラクターである。職業は神経科(ドラマでは心療内科)の医師。彼の元にはさまざまな心の悩みを抱えた人たちが訪れる。だがこの伊良部、医師というイメージとは遠くかけ離れた人物なのだ。

 子供のようにワガママで、傍若無人。患者をまるで“都合のいいカモ”だと言わんばかりに、診察そっちのけで自分の話ばかりを繰り広げ、得体の知れない注射を打ちまくる無茶苦茶な医者なのである。おまけに髪は薄く、腹はでっぷりと出ていて、見た目もいかにも胡散臭い。当然、訪れた患者は真っ先に“引く”のだが、知らず知らずのうちに伊良部のペースに巻き込まれ、いつの間にか症状が回復している、というのが毎回のストーリーである。

 『イン・ザ・プール』で初登場したこの強烈なキャラクターは、さらに『空中ブランコ』、『町長選挙』という続編を生み、「伊良部シリーズ」と呼ばれる人気シリーズとなっている。映像や舞台にもなっており、ドラマ化されたのも今回が初めてのことではない。ちなみに、奥田英朗は『空中ブランコ』で直木賞を受賞している。シリーズものの2作目、しかも連作というスタイルの小説が直木賞をとるのも珍しい。

 「キャラクター」というものは、程度の差こそあれ、作為的な存在である。作者はキャラクターを、作品の意図やテーマを自身の代わりに語る拠り代として、あるいは物語を然るべき方向へ導くための人工的な装置として、練り上げるのである。

 しかし、ごく稀に、作者の意思と関係なく生まれるキャラクターというものがある。まるで独立した生命を持っているかのように、そのキャラクターは勝手に動き回り、勝手に発言し始めるのである。作者とキャラクターの主従の関係は逆転し、作者は彼、あるいは彼女の行き先を追いかけるようにしてペンを走らせるしかなくなる。

 ・・・というような話を以前、漫画家のハロルド作石が語っていた。『BECK』の名物キャラクター「斉藤さん」は、紙の上にペンを置くだけで勝手に“動き”始めてしまうらしい。確かに斉藤さんという、ひょっとしたらあの作品の中で一番生き生きしているかもしれない人物のことを思うと、それも納得できる。

 不遜を怖れず言えば、僕にも似たような体験はある。例えば昨年上演した『バースデー』で言うと、オカマのヒロミや、レストラン従業員の谷川さんは、まさに僕の意思を超えて勝手に動き始めるキャラクターだった。執筆中に一度だけ、谷川さんの台詞に僕自身が笑ってしまったことがある。

 こういう場合、作者である僕はとにかく必死である。なにせ頭の中でひたすらヒロミや谷川さんが喋っているので、とにかく手を動かして彼らの言葉を文字に書き起こさなくてはならない。テープ起こしを延々とやっているようなものなのだ。そして当然の結果、彼らの台詞の量は異様に多くなり、後々削ったり切り離したりといった、本来であればあまり必要ではないパズル的な作業が発生してしまう。

 だが、そういう勝手なキャラクターの方が、作者が意図的に作り上げたキャラクターよりも魅力的な場合が多い。それは一言で言えば「生命力の有無」である。たとえそのキャラクターが、主人公を導いたり大事なテーマを語ったりといった、作品の核心に触れる存在でなくても、生命力が躍動する人物には自然と目が行き、問答無用のインパクトとリアリティを与えるものである。そういうキャラクターをなるべく多く生み出したいと思うけれど、なかなか意図してできるものではない。難しいところである。

 今回紹介した「伊良部一郎」も、ひょっとしたら奥田英朗の意思を超えたキャラクターだったのではないかという気がする。伊良部のあのワガママな性格は、「設定」というよりも、彼自身の自己主張の強さのように思えてしまうのだ。しかも、それに対して作者が半分匙を投げてしまっているようにさえ見え、そこがまた面白い。「こんな奴いるはずねえよ」と思いながらも、「どこかにいたら面白いな」と思ってしまうのである。

2010年4月の5冊

4月はいつにも増して吉村昭をやたら読んだ一ヶ月でした。


『桜田門外ノ変』 吉村昭 (新潮文庫)

 この小説は今年、大沢たかお主演で映画化されるそうです。吉村作品の映画化は珍しいと思い、予習のために読んでみた。
 桜田門外のテロがどのようにして起きたのか。その経緯を事件の3年前から描く、上下巻の長い作品。事件の前段、前々段を描く前半は正直ちょっと退屈。だが前水戸藩主の徳川斉昭が井伊直弼の手によって失脚させられ、藩の有力者たちも次々と粛清され、いよいよこれは井伊を斬るしかないと水戸藩士たちが追い詰められていく中盤以降、一気に面白くなる。
 とても興味深かったのは、事件に加わった者たちのその後が描かれていたことである。当然、幕府の大老を白昼堂々斬ったのだから彼らは天下の重罪人であり、逃亡生活を余儀なくされる。ある意味事件そのものよりも、その後の方が緊迫している。幕府の追捕の輪に徐々に囲い込まれながら、皆次々と理念に殉じて散っていく様は泣ける。


『雪の花』 吉村昭 (新潮文庫)
 
 日本で最初に天然痘治療に取り組んだ医者、笠原良策の物語。
 時代は江戸時代後期。当時の日本には天然痘の治療法はなく、一度流行すると医者はなす術がなかった。福井藩医の良策はある日、西洋には天然痘にかかった牛の膿を人の皮膚に埋め込むことで天然痘を予防する方法があることを耳にする。漢方医だった良策は一大決意をして蘭方医学を学び、牛痘苗の確保に奔走する。
 動物の身体の一部を植え込むことに激しい恐怖心を抱く庶民。怠惰な藩の役人たち。そういった周囲の無理解に負けることなく、私財を投げ打ってまで天然痘と戦う良策の姿にひたすら感動する。そして、文句を言うどころか「誇り高い夫を持って幸せ」と精一杯彼を支える妻にも感動。日本人の「公」という精神性を見ることのできる、とても爽快な一冊。


『冬の鷹』 吉村昭 (新潮文庫)

 日本で初めての翻訳解剖書『解体新書』を訳述した前野良沢の物語。
 同書の訳者として広く知られるのは杉田玄白の方だが、実際に中心となって翻訳作業を進めたのは良沢の方らしい。玄白はあくまで訳文を整理したり、スケジュールを管理したりといった裏方作業を担当していた。
 それがなぜ今日、玄白の名ばかりが知られるようになったかというと、『解体新書』を出版する際に、良沢は自分の名前を載せないように玄白に言ったからだった。翻訳は決して完璧なものではなく、意味を類推しながら意訳をした部分も多々あり、そのような半端な状態で世に出すことに良沢は反対だったのである。
 学究肌で頑固で、どこまでもストイックな男、良沢。結局、語学者として評価される機会を自ら捨てた彼は、『解体新書』出版後も狭い部屋で蝋燭一本を灯しながら黙々と訳述に没頭し、人嫌いな性格もあり、孤独な余生を送ることになる。
 一方の玄白は元来の社交家で、『解体新書』出版により名声を得たことで家族、弟子、富に恵まれた幸福な老年生活を過ごす(当時の玄白の年収なんかが記されていておもしろい)。非常に対照的な2人だが、やはり男として惚れるのは良沢の方だろう。信念を曲げず、自らが決めた道をただひたすらまっすぐ進む姿にグッとくる。


『夜明けの雷鳴』 吉村昭 (文春文庫)

 こちらも前野良沢に負けず劣らず、信念に生きた男の物語。
 医師、高松凌雲。江戸末期にパリに留学した彼は、当時の世界最先端の医療を学ぶと同時に、貧民のための無償病院の存在を知り感銘を受ける。幕府瓦解後に帰国した彼は、旧幕臣榎本武揚とともに函館へ軍医として従軍するも、戦場では敵味方の区別なく治療にあたった。
 明治になり、彼はパリ留学以来の夢であった、貧民病院の開設に奔走する。渋沢栄一や福地源一郎、松本順(良順)といった当時の名士たちの協力を得て、明治14年、ついに日本初の民間救護団体、同愛社を設立する。
 「医者は患者を区別しない」と言って敵方の兵士であっても丁寧に治療を施したり、逆にたとえ肉親であっても特別扱いをしなかったり、病院が戦火に巻き込まれるのを避けるために敵の士官と交渉したりと、この凌雲という男はどこまでも信念と正義を通すひたすら強い男である。また、良い条件の仕事を断ってまで旧主徳川慶喜の匙医を勤めるという、義に熱い部分も持ち合わせている。
 『雪の花』、『冬の鷹』、そしてこの『夜明けの雷鳴』。この3冊を読めば間違いなく感動でお腹一杯になります。


『1Q84 Book3』 村上春樹 (新潮社)

 今月、吉村昭以外に読んだのはこれだけ。でもこれだけで充分である。
 小説を読むことにこれほどドキドキしたのはいつぶりだろう、と思う。ほぼ1年を置いての続編刊行。当初は村上春樹の意図がわからなかったし、事実読み終わった今も突っ込みたいところがないではないのだが、ただこのBook3を読み終わってみて、確かに“たどり着いた”という感じはある。村上作品はいつも「どこに連れて行かれるのだろう」というドキドキ(決してワクワクではない)があり、この独特の緊張感はなかなか他の小説では味わえない。
 今回の『1Q84』は、これまで以上に現実に寄り添った、現在の社会にコミットした作品であるように思った。それは、例えばオウム真理教を彷彿とさせる新興宗教団体が出てくるとかそういう表層的ことではなく、物語が常に「現実」を着地点に見据え、これまで以上に「How To Live?」を語ろうとしているからである。天吾くんも青豆さんも生を渇望しているし、物語は彼らに試練を与え、現実を生き抜くための知恵を授けようとしている。だから、ラストに“たどり着いた”といっても、そこから見える地平は生々しく、カタルシスは重い。
 これを機に、過去の村上春樹の長編を読み返すことにした。まだ『1973年のピンボール』。先は長い。

『蜜蜂乱舞』 吉村昭 (新潮文庫)

蜜蜂乱舞
蜜を吸い、冬を越し、子を残す
ただそれを繰り返すだけ


 「養蜂家」を題材にした小説など、この本以外に果たしてあるのだろうか。

 養蜂家、通称「蜂屋」はその名の通り、蜂を巣箱で飼育し、蜂たちが花から集めてくる蜜を売って暮らす職業のことだ。日本の蜂蜜の歴史は飛鳥時代にまでさかのぼるという。その上質な甘さと栄養価の高さから、古くから貴族などの間で親しまれてきた。だが、当時は天然の巣を見つけては叩き壊して蜜を得る以外に採取する方法はなく、能動的に蜂を飼育する養蜂という職業の出現は、江戸時代末期にまでくだる。

 養蜂家は旅の職業である。桜や梅などを見てもわかるように、花の開花期は南から北へと順にずれながらピークを迎える。そのため養蜂家は春から晩秋にかけて、九州の菜種、日本アルプスのツツジ、北海道のシナノキと、満開の花を追って蜂たちとともに旅をするのである。

 ただし、毎年同じ場所に花が咲くとは限らない。天候不良や害虫の発生などでつぼみをつけることなく枯れてしまうこともある。蜂蜜の採取量は花の開花量に左右されるため、養蜂家は旅をしながらその年ごとに花の咲く場所を探さなければならない。また、移動にも細心の注意を要する。蜂は特に熱に弱く、夏場の移動などは絶えず風を送り込んだり、定期的に水をかけたりしなければすぐに全滅してしまうのだ。

 蜂蜜を採って暮らすというと一見のどかな仕事のように思えるが、実際には1年の半分は旅の空の下で過ごさねばならない浮草稼業であり、自然を相手にしているという点では一種賭けに近い、理不尽で過酷な仕事である。だが裏を返せば、養蜂家は実に小説的なヒントに満ちた職業であるとも言える。吉村昭のセンスと着眼点はすごい。

 この『蜜蜂乱舞』を執筆する際に吉村昭が取材した養蜂家の話というのが、沢木耕太郎のエッセイに出てくる。沢木耕太郎が仕事の取材で訪れた養蜂家が、たまたま吉村昭が訪ねた家と同じだったらしい。その養蜂家は「『蜜蜂乱舞』に出てくる記述は、本物の蜂屋が書いたとしか思えない」と感想を洩らしたという。吉村作品に共通する、綿密で繊細な取材がここでも発揮され、養蜂家というマイナーな仕事をつぶさに知ることのできる、一種のドキュメンタリーのような仕上がりになっている。

 だがこの本はあくまでも小説だ。ストーリーがある。主人公は、鹿児島県に住む50代のベテラン養蜂家。森林開発の影響などで全国的に花の量が減少し、養蜂が徐々に斜陽化するなかで、細々と仕事を続けている。その彼の元へ、数年来音信不通だった息子が、嫁を連れて帰ってくる。憤りと喜びとが交錯するなかで、彼は妻と息子夫婦を連れ、蜂とともにまた今年も旅に出る。

 物語は実に静かに進む。途中、嫁の兄が刑務所に収監され、間もなく刑期を終了する身であることがわかる。その兄が後々一家の前に姿を現して騒動が起きるのかな、などと予想していたのだが・・・そんな展開はない。一家に同行する弟子や、旅先で出会う養蜂家を廃業した男など、いろいろな人物が登場するのだが・・・やっぱり何も起きない。

 物語の淡々とした足取りは終始変わることはなく、そのままラストを迎える。旅は終わり、家族は家路に着く。旅の暮らしは過酷だが、当人たちにとってはそれが当たり前の生活なのであり、人生なのだ。

 蜂たちは花を探して蜜を貯め、冬を越し、子を生み、死んでゆく。短い人生は決まりきった1つのパターンしかない。それを何世代にもわたって綿々と繰り返していくである。だが、その変わらない営みのなかにこそ、命の力強さがある。蜂という存在が、日常というものの重さと美しさを照らし出す。

 自然を題材にした小説は、吉村作品のなかでも重要な柱の一つだ。なかでも『海馬(とど)』や『鯨の絵巻』は短編集ながらも、『蜜蜂乱舞』に負けず劣らず非常におもしろい。『海馬』のなかには、以前紹介した『羆嵐』の続編ともいうべき物語が出てきます。

2010年2月の5冊

 2月に読んだ本をいくつか紹介します。

『半島を出よ』 村上龍 (幻冬舎)

 ずいぶん前に買ったきり、膨大なボリュームに尻込みして本棚に放置していたのだが、先月『空港にて』を読んだのをきっかけに手に取った。
 北朝鮮の特殊部隊が福岡を制圧し、それを自衛隊も在日米軍でもなく、日本の社会からドロップアウトした元少年犯罪者たちが迎え撃つ、というストーリー。一見荒唐無稽だが、膨大な量の取材を糧に生み出された細部の設定や描写はとてもリアル。村上龍はこれまで日本の終末感について数多くの作品を通じて語ってきたが、今回はいつになくキナ臭い。「物語のラストが知りたい」という欲求よりも、「同じことが現実に起こりうるかも」という生々しい切迫感がページをめくらせる。結局読み終えるのに1週間もかからなかった。


『黒いスイス』 福原直樹 (新潮新書)
 
 雪を頂いたアルプスの山々に、透明な水を湛えた湖と森。永世中立を国是に定め、治安の良さは世界有数。「住んでみたい国」をアンケートに取れば常に上位。そんな誰もが一度は憧れる平和国家スイスの“裏の顔”を暴く、かなり衝撃的な内容の本。
 一時期スイスは、政府の援助のもとにロマ族(ジプシー)の子供を次々と誘拐していた。外国人がスイス国籍を取得する場合、住民投票にかけられる。スイスはかつて、広島型原爆の6倍の規模の核爆弾を作ることを計画し、アルプス山中深くに核実験施設を建設した。・・・これ全て事実なのだそうである。今まで思い描いていたスイスのイメージが音を立てて崩れていく。
 だが暴露することが目的の週刊誌的な本ではなく、あくまで正確な情報を伝えることで、読者のスイス認識の中立性を促そうという姿勢で書かれている。「他人のふり見て我がふり直せ」じゃないけど、日本にも同じような黒歴史があり、それを繰り返さないための自戒が本書の延長線上にはある。
 

『漂流』 吉村昭 (新潮文庫)

 ここ半年ほど吉村昭の小説ばかり読んでいる。多分2冊に1冊は彼の小説を読んでいる。
 吉村作品には歴史や戦争、自然(動物)など、いくつかのジャンルがあるが、そのうちの一つに漂流民を題材にした作品群がある。『大黒屋光太夫』や『破船』『アメリカ彦蔵』などがそれだが、その代表作が本書。その名もズバリの『漂流』である。
 内容もタイトルを裏切らない。主人公が無人島に流れ着きそこで生き抜くという、文字通りの漂流なのである。しかもこの無人島というのが、水も湧かない、木も生えていない火山島で、唯一の食料が島を訪れる渡り鳥。当然冬季になると鳥たちはいなくなるので、夏の間に鳥肉の干物を作り、飲料水は鳥の卵を器にして貯めた雨水だけ。過酷極まりない。
 他の作品には、例えば大黒屋光太夫がロシアを旅したり、彦蔵がアメリカを旅したりするように、漂流といってもそこに冒険というニュアンスが含まれているが、この『漂流』にはそういうロマンは欠片もない。生か死か、ただそれだけの乾ききったハードな物語である。
 なお、他の吉村作品の例に漏れず、本書もほぼ事実を題材にしている。こんな人がいたのか、とただただ感動するばかり。


『お坊さんが困る仏教の話』 村井幸三 (新潮新書)

 「あの世はあるのか」「戒名は本当に必要なのか」などなど、生活者の視点から仏教にまつわるさまざまな質問・疑問について考察する本。宗派ごとの戒名のランク、値段の相場など、いわばお坊さんの「企業秘密」のような内容に触れていることからこのタイトルになったのだろう。ちなみに筆者は仏教関係者ではなく、ただ趣味で仏教を学んでいるという元テレビマン。
 お釈迦様が何をしたかに始まり、日本への仏教伝来から今日までの仏教史をわかりやすく噛み砕いて説明してくれるので、仏教入門書としては最適である。日本に伝わった仏教は歴史の中で徐々に土着の祖霊信仰と結びつき、葬式仏教へと発展した。日本社会で生き延びるために本来の仏教とは異なる概念を積極的にブレンドしていったのである。悪く言えばいい加減、良く言えば懐が深い。仏教の持つなんともいえないこの柔らかさ、おおらかさに僕は惹かれる。


『昆虫―驚異の微小脳』 水波誠 (中公新書)

 昆虫の脳みその大きさはわずか1立方ミリメートル。だがそのミクロな脳のなかに、人間に勝るとも劣らない優れた神経交感システムが構築されている。
 例えばミツバチ。形や色を認識できるであろうことはなんとなく予想できるが、よくよく実験をしてみると彼らの認識能力というのはもっと高度で、例えば対称・非対称の区別なんかは朝飯前らしい。また、単に形を覚えるだけではなく、「同じものを選ぶ」「違うものを選ぶ」といった形状の同一性や非同一性も理解できるんだそうである。
 文章自体は平易なのだがどうしても学術用語が多く、読むのはけっこう大変。だけどかなりの知的興奮が味わえる良書。昆虫に対する認識が改まります。

2010年1月の5冊

 今月読んだ本のなかから、特に印象的だった5冊を紹介します。

『夢枕獏の奇想家列伝』 夢枕獏 (文春新書)

 時代の流れや当時の常識に抗い、知的好奇心の赴くままに巨大な行動を起こした人――“奇想家”の功績とその生涯を、作家夢枕獏が案内人となって紹介する本。
 選ばれたのは玄奘三蔵、空海、安倍晴明、阿倍仲麻呂、カナン、河口慧海、平賀源内の計7人。アヤしさと謎に満ちたこのラインナップは、なんとも夢枕獏らしい。文章はいたって平易なのでスラスラと読めてしまうが、一人ひとりに対して深く突っ込んだ考察と物語作家らしいユーモアのある洞察がなされていて読み応えはたっぷり。


『アポロ13号 奇跡の生還』 H・J・クーパー (新潮文庫)

 映画『アポロ13』では、事故発生から帰還への一連の経緯は、2時間の尺に収まるようサラッと描かれていたが、実際の現場は、当然のことながら映画とは比較にならないほど過酷なものだった。
 前例のない予想外の事故だったため、準備されていた事故対応マニュアルは役に立たず、クルーと管制官たちは限られた時間と物資のなかから、地球へ帰還するためのアイディアをひねり出さなければならなかった。それも、ミスが即クルーの死につながるというプレッシャーのなかで、である。
 訳者の立花隆は、「アポロ11号を月に着陸させたことよりも、アポロ13号を無事に地球に帰したことの方が、真に偉大な功績である」と、この本の前書きで述べている。その現場で行われていた作業を事細かに記した、迫真のドキュメンタリー本。


『日露戦争 もうひとつの「物語」』 長山靖生 (新潮新書)

 明治時代、日本社会に空前の出版ブームが起きる。近代化の波に乗り、新聞や雑誌が相次いで創刊されたのだ。
 そんななかで日露戦争は勃発する。新聞はこぞって最新の戦局を報道し、雑誌は戦争を題材にした小説を掲載した。そして、それを読んだ人々は、内地にいながらも戦争への参画意識を高めていった。
 日露戦争は、「情報」というものが世論形成や国家のイメージ戦略に大きく関わったという点で、極めて現代的な戦争だったのである。この本は、報道や出版という切り口から日露戦争下の日本社会を捉えたユニークな論文。当時の活気ある社会の様子が手に取るように伝わってくるとともに、昭和期に入り日本に正気を失わせたのは決して一部の軍人だけではなく、社会心理にも原因があったことを示唆している。知的興奮に満ちた本。


『旧皇族が語る天皇の日本史』 竹田恒泰 (PHP新書)

 筆者は明治天皇の玄孫(孫の孫)にあたる旧皇族。タイトルはまるで暴露本のようだが、中身は日本史の全通史を、天皇と皇族に焦点を当てながら追うという、至って硬派なもの。
 天孫降臨から始まり、謎の多い古代の大和王権を経て、飛鳥から平安という天皇にとって華やかな時代があり、武家政権が誕生すると一転天皇家は受難の時代に突入、そして明治維新で近代国家の統治者としての時代に入る。というように、改めて見ると天皇の歴史には実にいろいろなドラマがある。常に時代に翻弄され続けてきたわけだが、それが今日に至るまで絶えることなく血統が続いていることに感動を新たにする。「天皇は日本国の象徴」という憲法第一条の文句が、この本を読むと俄かに実感が湧いてくる。
 巻末に付録された、著者と鄂痢覆箸發劼函某堂Δ箸梁价未本編以上に刺激的!


『空港にて』 村上龍 (文春文庫)

 村上龍が2003年に発表した短編集。コンビニや居酒屋、カラオケ、空港など、日本のどこにでもある場所を舞台に、人生に行き詰まりを感じている登場人物たちが、閉塞感を打破しようと新天地を求めて今いる場所から脱出する様を描いている。
 『希望の国のエクソダス』において、村上龍が登場人物の中学生の口を借りて語った「この国には何でもある。ただ、希望だけがない」という一節は、当時20歳前後だった僕にとって非常に衝撃的だった。
 60、70年代の日本は、今よりもはるかにモノも情報も乏しかったけれど、「将来はきっと今よりも良いものになる」という思いを皆が共有していた。だが、高度成長を遂げて暮らしが豊かになると、逆に希望がぽっかりと消え失せた。誰も飲んだことのないようなヴィンテージ・ワインや、高級家具、ブランド品といったもので、人は自らの満足感を得るしか方法がなくなったのである。
 この国に欠如した希望というものを、現代日本文学は考え、提出していかなければならないと村上龍はいう。そしてその創作姿勢を具体的に作品化したのがこの『空港にて』である。非常にシンプルな素志をもった小説。
 村上龍を読むのはおそらく5,6年ぶりだったのだが、久々に読んだのがこの本でよかった。

『空海の風景』 司馬遼太郎 (中公文庫)

kukai
縦横無尽の文体で
「空海」の実像に迫る


 ずいぶん前に空海直筆の書、というものを見たことがある。たしか『風信帖』だった。空海といえば嵯峨天皇、橘逸勢と並んで三筆の一人に列せられているだけに、その筆跡を目の当たりにしたときは、「これが!」と興奮したのを覚えている。だが今振り返ってみれば、その興奮は結局「史上有名な人物の生きた痕跡を見た」という、単なる体験としてのショックでしかなく、あのとき僕のなかに空海に関する知識なり興味なりがあれば、もっと深く眺めることができただろうにと悔やまれる。

 空海。彼について知ることといえば、遣唐使で唐に渡ったこと、そこで密教を学んで日本に持ち帰り真言宗を開いたこと、高野山、東寺、『性霊集』・・・その程度だ。要は学校で習う、通り一遍の知識しかないわけである。

 彼はかなり多筆の人だったらしく、同時代の人物と比べると史料は残っている方なのだが、その大部分は仕事(仏教)に関するものであり、空海が人としてどういう風合いの人物だったのかを知るには限りがあるようだ。個人的な書簡などが多数書かれた形跡はあるが、書簡そのものは1千年の間に紛失したり、焼失したりしている。残した仕事量の大きさに対して、当人の人生について知るところがあまりに少ないという点では、空海ほど謎に満ちた人物はいないかもしれない。

 史料に限りがあるとすれば、あとは想像力で埋めるしかない。つまり小説の出番である。空海を描いた小説は決して多くはないのだが、あることはある。その筆頭に挙げられるのが、司馬遼太郎の『空海の風景』だ。

 もっとも、この本は一般的な意味での「小説」というカテゴリーには含まれない。なぜなら1本のストーリーとしては成立していないからだ。

 空海の人生には空白の期間が多い。どの史料からも彼の姿が忽然と消えてしまった時期というものが、あちこちに存在する。空海の人生をストーリーとして、伝記的に描くには自ずと空想に頼る部分が増えることになるが、それでは空海の実像から離れた、ただの「フィクション」になってしまう。そう考えた司馬は、「半小説・半エッセイ」のようなハイブリッドな文体で空海を追うことにした。

 例えば文中、空海の台詞を「」で記す小説的部分もあれば、当時の国際情勢の解説や司馬自身の探訪記が続くこともある。「以下の部分は空想である」などと断ってから小説風に場面を描くことさえある。内容よりもまず、その開き直った文体が読んでいて面白い。

 以前、『翔ぶが如く』を紹介した際に、司馬作品は全て“紀行文”である、と書いたが、この『空海の風景』における縦横無尽の語り口は、その最たるものである。この本は空海を描いた小説というよりも、「空海」という名の長大な旅程を、時に地を歩き、時に空から見下ろすようにして描いた紀行文なのである。

 それにしても、「宗教」というのはよくわからない!

 「人間は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、そして天上という六趣の世界を輪廻する」とか、「弥勒は釈迦の没後56億7,000万年後に地上に生まれ出る仏のことで、そのときに弥勒が救う人類の数は、第1回に96億人、第2回に94億人、第3回に92億人である」などと、お経にはこの世界のあらあしについて事細かに書かれているわけだけれど、それは信心の足りない僕などからすると、単なる一編の“物語”としか思えないのである。

 「弥勒」とか「菩薩」とか、「欲界」とか「兜率天」とか、そういうキーワードは知識としては理解できる。だが、それらが「ガンダム」とか「ヱヴァンゲリヲン」とか、「宇宙世紀」とか「第三新東京市」などという言葉とどう本質的に異なるかがわからない。つまり宗教というものに対して、「壮大なフィクションと、それを真実として信じる人たち」という以上の理解が、今のところ僕にはできないのである。

 だがもちろんのこと、それは僕の見方が浅いせいなのだろう。どの宗教にも長い歴史があるわけで、歴史があるということは何がしかのリアリティを人々に与えてきたわけで、決してバーチャルなものではないはずだ。『空海の風景』を読んで一番に感じたのは、自分の理解が追いつかないことへの苛立ちである。今年はちょっと腰を据えて、宗教について学んでみようかなと思った。

『羆嵐』 吉村昭 (新潮文庫)

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ホラー小説よりも怖い!
史上最悪の獣害事件のドキュメント


 「くまあらし」と読む。羆嵐とは、ヒグマが狩猟されると突如として天候が荒れ嵐が吹くという、狩人たちに古くから伝わる言い伝えのこと。

 この本は大正4年(1915年)の12月に北海道天塩山麓の六線沢で起きた、日本史上最悪の獣害事件といわれるヒグマ被害を題材にしている。

 雪深い原生林に生息していた一頭のヒグマが、冬眠の時期を逸し、飢えを満たすために突如人家を襲い始める。体長2.7メートル、体重383キロ。灯りはおろか火さえも恐れない獰猛な巨大生物は、わずか2日の間に6人の人間を食い殺した。

 警察は住人と協力して200名に及ぶ捜索隊を組織するものの、被害のあまりのすさまじさに恐慌状態に陥り、ヒグマを追い詰めるどころか、現場から遺体を回収することすらままならない。やがてヒグマはさらなる餌(つまり人)を求めて山を下りようとする。万策尽きた住人たちは一縷の望みを胸に、一人の老練な猟師に助けを求める。

 この本はとにかく怖い!ホラー小説でも何でもないのに、ひたすら怖い。巻末の解説で、脚本家の倉本聡がこの本を読んだ直後に電気の通わない富良野の山小屋で一晩を過ごす羽目になり、その晩はあまりに怖くて一睡もできなかったと書いていたけれど、よくわかる。僕などは蛍光灯のつく自宅で読んでいても怖かったもの。読み終わった日の夜は、絶対にありえないのに、窓ガラスを割ってヒグマが入ってきたらどうしようなどと考えて身震いしてしまった。

 恐怖の源は、これが実際に起きた事件であるという事実だ。さらに、出来事一つひとつを淡々と語る吉村昭独特のドライな文体が逆に臨場感を煽る。怖さを狙っていないからこそ、余計に怖いのである。

 吉村昭の作品は徹底した取材を基に書かれたドキュメンタリーでありながらも、しっかりとエンターテイメントとして成立しているところがすごい。例えば本ブログで以前紹介したこともある『破獄』は、一人の無期刑囚の収監と脱獄の記録をひたすら時系列に沿って詳細に書き留めたものだ。そこには感情描写も作者の主観もストイックなまでに削ぎ落とされている。それなのにページをめくる手は止まらないし、フィクションよりもむしろ感情移入してしまう。

 この『羆嵐』にしてもそうだ。記録の積み重ねに過ぎないものが、なぜこうもおもしろいのだろう。この本には自然小説、冒険譚、サスペンス、そして人間ドラマ。あらゆるエンターテイメントの、しかも上質の部分がぎっしりと詰まっている。こんなに贅沢でいいのだろか、という感じ。

 この本映画化しないかなあ。若い世代には受けないんだろうけど、絶対面白いと思うんだけどなあ。

遠藤周作 『王国への道』(新潮文庫)

万里の波濤の果てに
「王国」を手にしようとした男


 よほど日本史が好きな人か、あるいは大学受験などで集中的に日本史を勉強した人でなければ、山田長政の名前すら聞いたことがないだろう。17世紀初頭、単身アユタヤに密航し、そこで日本人町の頭領となり、さらにはリゴール地方の太守となった人物である。その山田長政が、この『王国への道』の主人公である。

 時代は江戸幕府が成立して間もない頃のこと。戦乱の世は終わりを告げ、身分秩序と幕藩体制という、全国的な社会基盤が徐々に出来上がり始める。だが、社会の安定化は、足軽などの下級武士にとっては立身出世の機会を失うことを意味していた。戦がなければ手柄を立てることもできない。「一国一城の主」など夢のまた夢である。百姓になるか職人になるか、いずれにせよ小規模な人生のまま一生を終えるしかなくなるのだ。

 藤蔵(後の長政)はそんな日本に見切りをつけて、一か八か、外国で一旗挙げようと決意する。彼は江戸幕府による切支丹禁制により国外に追放される切支丹信者に混じって、密出国をするのである。

 マカオを経て、さらに船旅を重ねて藤蔵がたどり着いたのはアユタヤ(現在のタイに栄えていた王朝国家)だった。当時アユタヤには、主君を失い流浪してきた戦国武士などを中心に日本人町が形成されており、隣国ビルマとの戦争の折になど、日本人は傭兵としてアユタヤ王朝に出仕していたのである。藤蔵は持ち前の機転と胆力を武器に、徐々に頭角を表し始める。


 まず「山田長政」という、神秘的なベールに包まれた人物の半生が描かれているという時点で、日本史好きにはたまらない。長政についてはほとんど資料が残されていないそうだが、それもそのはずで、アユタヤなんていう国が世界にあるなどということを、当時の日本人のほとんどは知らなかった。だからこそ、山田長政という人物のスケールのでかさに圧倒される。現代の日本人が外国で起業する、なんていうのとは訳が違う。

 前半は、長政が野望の赴くままにアユタヤで着実に権力を得ていく様子が描かれる。その姿は、「ビッグになる」という、日本の侍にとって永遠の、そしてもはや失われてしまった夢を、単身外国で追い求めているかのようでロマンを感じる。

 アユタヤ王朝は、権力にすがる者たちが張り巡らす讒言虚言の罠だらけ。ちょっと可笑しくなってしまうくらいに、胆に一物を抱えた“悪い奴”がたくさん登場する。そのなかで、自身も策謀の限りを尽くして、日本人傭兵軍団の長となった長政だったが、やがてそういった権力の争いに空しさを覚え始める。そこから、この物語のテーマが徐々に見え始めるのである。

 実は『王国の道』にはもう一人の主人公とも言うべき人物がいる。日本を追われた日本人の切支丹信者、ペドロ岐部である。岐部と藤蔵は、国外退去(藤蔵にとっては密出国)の際に、同じ船に乗り合わせた仲だった。岐部は日本国内に残った信者を救うため、捕縛され極刑に処せられるのも厭わぬ覚悟で、日本への帰国を果たすのである。

 長政が夢描いた、富と力に満ちた「地上の王国」と、岐部が追い求めた、神に殉じる「天上の王国」。この二つの王国の対比が物語のテーマをあぶり出す。


※次回更新は8月10日(月)予定です

『おろしや国酔夢譚』 井上靖 (徳間文庫)

oroshiya
電車も車もない時代
シベリアを横断した日本人がいた


 「おろしやこくすいむたん」と読む。発音するときには、「おろしやこく」と「すいむたん」で呼吸を分けて読むのが正しい。「おろしや国」とはつまりロシアのことである。

 この本の主人公は、江戸時代後期の船頭、大黒屋光太夫とその仲間たち。実在の人物である。1782年、彼らは船で江戸へ向かう途中に遭難し、そのまま流されてアリューシャン列島へと流れ着き、その後ロシアを延々と漂泊することになる。『おろしや国酔夢譚』は、そんな光太夫たちの数奇な運命と壮大な冒険を描いた物語だ。

 彼らがどういう足どりを辿ったかを書いてみる。大黒屋光太夫以下17人の船乗りを乗せた海上輸送船、神昌丸が伊勢の白子(今の三重県)を出港したのが前述の通り1782年。だがほどなく嵐に見舞われ、舵を折られた神昌丸は漂流する。漂流生活は8ヶ月間。この間に水夫1人が死ぬ。

 8ヶ月後、潮に乗るままに船が辿り着いたのはアリューシャン列島に浮かぶアムチトカ島。光太夫たちは荒涼としたこの北の最果ての島で、4年もの歳月を過ごす。この間、7人もの仲間が飢えと病で死ぬ。残された9人は、流木を材料になんと自分たちの手で船を作って島を脱出する。

 ここからが長い。アムチトカを離れた彼らはカムチャッカ半島のニジネカムチャツクに上陸する。ここにはロシア政府の出先機関があった。日本の方角すら定かではない光太夫たちは、ロシア政府に日本送還用の船を出してもらえるよう、援助を求めるしかなかったのだ。

 だが、固陋な官僚組織に阻まれて彼らの願いは一向に聞き届けられない。このニジネカムチャツクで、さらに3人が死んでしまう。待っていても埒があかないと考えた光太夫一行は、より強い決定権を持つ政府高官に訴えるべく、ロシア内陸への旅を決意する。

 カムチャッカから海を渡りオホーツクへ、そしてヤクーツク、イルクーツクと、極寒のシベリア内陸部を彼らは進んだ。「極寒」と簡単に書いたが、冬の最低気温が零下70度なんていう、地球上でもっともすさまじい土地を、馬とそりで何ヶ月も旅するのである。文字通り死を覚悟した旅である。

 一行は決死の旅程を経てイルクーツクの総督府へ訴え出たものの、依然として事態は進展しない。光太夫は、一縷の望みを賭けて、時の女帝エカチェリーナ2世に帰国の願いを直訴しようと、帝都ペテルブルグにまで足を延ばすのだった。ペテルブルグはバルト海にほど近い、地図で言えばほぼヨーロッパといっていい西の果ての都だ。つまり光太夫は、馬とそりと徒歩だけでシベリア大陸を横断したことになる。
 

 その後光太夫がどうなったのかは、是非小説を読んで確かめてもらいたい。ただとにかく強調したいのは、これがファンタジーではなく事実であるということだ。

 彼が辿った道のりはおよそ4万キロ。地球一周分である。距離というものは交通手段の速度と快適さによってその認識が変わるものだ。飛行機も列車もない200年前に身体一つでシベリアを横断したという事実は、到底現代のスケールで計ることはできない。さらにロシア語を難なく話せるまでに習得した知性、最高権力者との謁見にまで漕ぎつける胆力、そして何度も挫折しそうになりながらも希望を捨てなかった意志と勇気。光太夫の姿からは過酷な運命に負けない人間の力強さというものを、殴られたような衝撃でもって感じさせられる。

 この『おろしや国酔夢譚』は1992年に映画化されている。ちなみに上の画像はそのDVDの表紙。ストーリーは大幅に省略され、またキャラクターもデフォルメされているが、少しも面白さは損なわれていない。緒形拳演じる知的で清廉な大黒屋光太夫は、原作のイメージ以上である。

『1Q84』 村上春樹 (新潮社)

1Q84
バッグのなかには
いつも彼の小説があった


 僕は19歳のとき、大学1年生の夏に高校時代の仲間と劇団を旗揚げした。特に芝居に深い根拠があったわけではない。大学のどこにも居場所が見つけられなかったからだ。

 1年間の浪人生活を経て意気揚々と入学した大学に、僕はまったく馴染むことができなかった。同級生の交わす会話は、週末の飲み会とバイトの時給の話題しかなかった。教授は生徒が私語をしようが眠ろうがそんなことを気にも留めず、難解な話を独り言のようにボソボソと呟き、教室には空疎な時間だけが延々と流れていた。僕は大学というものに何一つ共通点を見出すことができなかった。その失望と不満とさみしさのはけ口を、僕は大学の外に求めたのである。

 劇団を旗揚げして2年目に、僕は初めて台本を書き、演出をすることになった。これについても、創作に対して特別情熱があったわけではない。今思えば、大学という本来いるべき場所からドロップアウトして、いわば緊急避難用のシェルターとして作った劇団を、オリジナルの作品を上演することで少しでも胸の張れる場所にできるようにしたかったのだと思う。「何もかも自分たちで作ってるんだ、すごいだろ」と、大学に対して見返してやりたかったのだ。そうすることで、「大学から逃げた」という罪悪感を消したかったのだ。

 オリジナル作品への挑戦はとても楽しいものだった。劇団のメンバー全員が「世界にたった一つしかないもの」を作ることにずっと興奮していた。だが、このことは同時に、僕と他のメンバーとの関係を大きく変えた。僕が台本を書き、演出を担当したことで、単なる友人同士として、いわば全員が横並びで始まった関係が、指示する人間と指示を受ける人間に分かれたのである。僕らは友人という関係から、「演出家」と「役者・スタッフ」という関係に変わった。

 最初からこの立場で劇団を始めていたら違っただろう。だがそのときの僕はこの関係の変化に戸惑った。多分他のメンバーも同じだったと思う。僕は次第に劇団の活動以外ではメンバーと会わなくなり、メンバーも僕を持て余すようになった。

 その頃、メンバーの多くが大学3、4年生になり、就職や進学で各自が徐々に劇団と距離を取り始めていた。でも、大学を捨ててきた僕に戻れる場所は残されていない。僕には劇団しかなかった。僕は誰からも認められる優れた芝居を書こうと焦っていた。しかし、そんなものは一向に書けなかった。大学で感じた孤独を埋めようと劇団を作ったのに、僕はさらに孤独になり、そして無力だった。

 ちょうどその頃、僕のバッグのなかにはいつも村上春樹の本が入っていた。

 彼の作品が気持ちを癒してくれたとか、何か爽快感を与えてくれたとか、そういうことじゃない。『1973年のピンボール』も『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も、ページをめくるたびに僕は痛みを感じた。彼の全ての作品に漂う、世界の輪郭がゆっくりと失われ、自分一人が暗闇に取り残されていくような不安と孤独。そのどれもが僕自身の不安と孤独だった。村上春樹の作品は僕にとって、いわば鏡だったのだ。僕は来る日も来る日も彼の作品ばかりを読み、そしてそこに映る自分の姿を確認しては、「まだ生きている」「まだ大丈夫だ」と、千切れてしまいそうな心をなんとかつなぎとめていた。

 それからだいぶ時間が経った。劇団はまだ続いているし、当時のように暗くて辛くて惨めな気持ちになることは、少しずつ減ってきている。だがそれは、不安と孤独が消えたわけではない。ただそういう感情から目をそらし、やり過ごし、上手く付き合う方法を知っただけだ。僕は何も変わっていない。

 村上春樹を読むことは、心の奥にしまってある不安や孤独を、封を開けて一つひとつ取り出してみる、棚卸しのような作業である。時にそれは痛みを伴い、気持ちを深い闇のなかへと沈ませる。だが、僕は彼の作品を読むことで、自分自身を更新しなおしているのだと思う。好きだから、おもしろいから、ということではなく、僕にとって村上春樹は、大げさに言えば「読まなくてはならないもの」であり、とてもとてもパーソナルな作家なのである。
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