週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】日本のロック

Hi-STANDARD 『The Gift』

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「裏切ったやつら」に
もう一度会いたくなった


 少し前の話ですが、Ken Yokoyamaがアルバム『Sentimental Trash』をリリースした頃(15年)、横山健のメディア露出が急激に増えました。かつては「TVに出たら魂を売ったと思ってくれていい」とまで言っていた彼が、『ミュージック・ステーション』をはじめ、地上波の音楽番組に顔を見せました。

 その背景には、「ロックがこのまま廃れてしまうのを、ただ黙って見ていていいのか」という危機感と、そしてコアなロックほどメディアを忌避し、それが結果として一般リスナー層離れを生んでしまったことの一因が、「TVには出ない」と言い切ったかつての自分自身にあるのかもしれないという責任感があったと、横山健自身は語っています。
『横山健の別に危なくないコラム』Vol.89

 そういえば、これも少し前のことですが、こんなニュースもありました。
音楽離れは「有料の音楽」離れに限らず「音楽そのものから距離を置く」と共に

 確かに、僕自身の実感に即してみても、積極的に音楽を聴く人なんて、10人に1人もいない気がします。20人に1人いればいいくらいじゃないだろうか。

 僕が中学高校の頃は音楽、とりわけロックはまだクラスの話題の中心にいました。イエモンはいたしジュディマリはいたしミッシェルはいたし、もちろん、ハイスタもいました。でも、今クラスで音楽が話題に上ったとしても、バンドの名前なんて一つも上がらないんじゃないでしょうか。てゆうか、そもそも「音楽が話題に上る」なんてこと自体が起きえないのかもしれません。

 でも、同時にこうも思います。実は、「音楽を聴く人」なんて、当時からほんの一握りしかいなかったんじゃないかと。僕も含めクラスのみんなが追いかけていたのは、音楽ではなくただの「流行」であり、音楽ソフトの売上が減っているのは、単に「流行を追いかける層」が音楽以外のところへ去ってしまったからで、「音楽を聴く人」の割合は、昔も今も変わらないんじゃないかと。

 もちろん、たとえ20人に1人だとしても、そうしたコアなファンを若い世代に確保し続けなければ、そのジャンルはいずれ滅びてしまいます。そして、そうしたコアなファンは「流行を追いかける層」の中から生まれるのも確かなことです。フジロックが中高年おひとり様だらけだった、なんて記事がありましたが、ロックのレコード売上が初めてR&Bの総売り上げに負けたことでも明らかなように、若い世代におけるロックの存在感は薄れつつあるのは確かなのでしょう。だから、もう一度「流行」を呼び込もうとする横山健のチャレンジは、とても大事だとは思います。

 ただ、その一方で、CDが100万枚売れたからといって、「音楽を好きな人」が100万人いるわけではないし、CDが売れなくなったからといって、音楽へのニーズ自体が減ったわけでもないだろうとも思うのです。

 高校時代、文化祭でハイスタをコピーしてた知人は、今ではK-POPしか聴かなくなりました。自分の携帯アドレスに「music」「love」と付けてる知人が最後にCDを買ったのは、10年近くも前だそうです。

 もちろん、流行を追うのも何かに飽きるのも、個人の自由です。K-POPだって歴とした音楽です。昔のCDだけを繰り返し聴くことだって悪いことじゃない。それが彼なりの「music love」なのだから。

 でも、それら全部をわかったうえで、どうして僕は彼らを「許せない」と感じるのか。「裏切り者」と感じるのか。彼らがハイスタ18年ぶりのアルバム『The Gift』を聴いて「やっぱハイスタだよな〜」などと言おうものなら、この18年の間に活動してた全てのアーティストに土下座しろ!と言いたくなってしまうのか。

(僕はいったい何が書きたいんだろうと思いながらずっと書いています)

 峯田和伸が銀杏BOYZを始める前に出演し、彼の俳優デビュー作となった『アイデン&ティティ』(2004年)という映画があるんですが、その中で、首がもげるくらいにうなずきながら「わかる!わかるぞ!!」と激しく同意したシーンがあります。

 峯田演じる売れないミュージシャンの中島が、大学時代のバンド仲間で、今は就職して働いている友人と飲み屋で飲んでるシーンです。「今どんな音楽を聴いてるか」という話題になったところで、かつてのバンド仲間の一人がこう言い放ちます。「やっぱベスト盤だよね!女口説くならベスト盤が一番だろ!」と。

 これ、伝わるでしょうか。「え?こないだまで一緒に夢見てたじゃん。一緒に熱狂してたじゃん。なんでそんなにあっさり割り切れちゃうの?なんでそんなにすぐ醒めちゃうえるの?あの熱狂は嘘だったの?」という怒りと悔しさ。そして、未だに同じ場所にいる自分が、まるで一人で道化を演じてるかのように思えてきてしまう恥ずかしさ。このとき中島が感じたであろう気持ちが、僕にはすっごいわかる気がして、僕は画面の中に飛び込んで彼を全力で抱きしめたくなりました。

 それがいくら一方的な思い込みであると分かっていても、あいつが自分と同じように熱狂していないと分かったときに「裏切られた」と感じたり、相変わらず熱狂している自分がたまらなく恥ずかしいと感じたりしてしまうのはなぜなのか。

 きっとそれは、さみしいからなんじゃないかと思います『シン・ゴジラ』の記事でも書いたように、僕は「何かを好きになるということは、孤独になるということだ」と考えています。だから、僕は基本的には音楽が好きなことも芝居をやってることも他人に話しません。それが人付き合いのマナーだとすら思ってきました。でも本当は、他人と一緒に何かに夢中になることや、一瞬でも誰かと「つながった!」と実感できることを求めてるのかもしれません。

 10月に『The Gift』を初めて聴いたとき、僕の中には「裏切っていった奴ら」への怒りが、身がよじれるくらいの勢いで湧いてきました。ロックを聴かなくなったあいつらが、久しぶりにハイスタを手に取るのは許しがたいと思いました。でもこの文章を書き終えた今は、なんとなく彼らに久しぶりに会いたいと思い始めています。








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HAPPY 『Stone Free』

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成長や進化なんていう
能天気な言葉は使いたくない


 京都出身の5人組、HAPPYの1stフルアルバム『Hello』は、僕にとっては100点満点といっていいアルバムでした。リリース時にこのブログでもがっつりと書きましたが、「この人たちは僕のために曲を書いてるんじゃないか?」と感じるくらいに、全ての音がピタッとハマりました。その快感といってもいい感覚は、3年経った今聴き直してみても変わりません。

 そうなのです、もう3年も前なのです。『Hello』が2014年。その次のリリースが翌15年の春に出したEP『To The Next EP』。ライブハウスもどんどん大きくなってきていたし、露出も増えていたし、そこからメジャーレーベルに移籍するという噂もありました(実際そういう話はあったそうです)。ところが彼らは、そこから突如長い沈黙の期間に入りました

 16年1月に<Count Your Memory>、同年6月に<Mellow Fellow>と、SoundCloudやYouTubeに新曲が公開されたことはありましたが、いずれも単発のみ。ライブ活動も、メンバーが個々にソロで出演することが増えてきて、「バンドとしてはこのまま終わるのかなあ」なんて思ってました。

 なので今年7月、CDリリースとしてはおよそ2年ぶりとなるミニアルバム『Stone Free』が発表されると聞いたとき、真っ先に感じたのは「嬉しい」というよりも「安心した」という気持ちでした。販売はHPからの注文とライブ会場の物販のみで、レコード店や通販サイトでは取扱いなし。かつてよりもさらにDIYでインディーなスタイルですが、手貼りの宛名シールの封筒で彼らの事務所から直接CDが届くのは、なんか温かみがあって、久々のリリースとしてはむしろ理想的な配布形態だった気がします。

 んで、『Stone Free』です。素晴らしいアルバムでした。めちゃくちゃ良かった。曲が良いっていうのはもちろんなんですが、アルバム全体からHAPPYというバンドが新しいステップに進んだことが強く伝わってきました

 それがもっとも端的に表れているのが、1曲目の表題曲<Stone Free>

 まず一つは、かつてよりも生音が重視されていること。冒頭いきなり聴こえてくるのがサックスの音という時点で、早くも『Hello』との違いに驚くはずです。彼らの代名詞だったキーボードも使われているのですが、その音の響き方はかつてよりもずっとくすんでいます。エレクトロポップ色が強かった前作までを思うと、まさか「ローファイ」という印象をこのバンドに対して抱くことになるとは

 もう一つは、BPMが遅いこと。これは16年の<Count Your Memory>や<Mellow Fellow>の時点から始まっていた変化ですが、<Stone Free>の放つ粘っこいグルーヴは、それがたまたまではなく意図的なものであったことを証明しています。

 遅いっていうだけならこれまでも<To The Next>や<Color>といった曲がありましたが、どちらもバラードであり、当時のHAPPYのなかではあくまで亜流でありアクセント的な存在でした。しかし、<Stone Free>がリードトラックであり表題曲であることに表れているとおり、今作では遅い曲をポップチューンに昇華させているところがこれまでと大きく違います

 これら2つの大きな変化によって、アルバムはトータルとして、『Hello』よりもグッと重たく、サイケデリックな印象を与えます。試しに『To The Next EP』のリードトラック<R.A.D.I.O.>と<Stone Free>を聴き比べてみると、まるで華奢で髪もサラサラだった高校生の少年が、いつの間にか汗の匂いを漂わせる大人の男に変わっていたような、親戚のおじさん気分を味わえます。


 んで、僕は彼らの変化を、ものすごく肯定しています。理由は2つ。

 一つは、15年の『To The Next EP』の時点で、僕は正直、これ以上このバンドがエレクトロポップ路線に走っていくとついていけないかもなあと危惧していたこと。なので、今回の変化は僕にとって歓迎すべきものだったし、おそらくバンド自身も、もうエレクトロポップ路線はないだろうと考えてたんじゃないかと想像します。

 もう一つは、確かにサウンドは大きく変わりましたが、ちゃんと(というのも変ですが)<Lucy>や<Lift This Weight>のような素晴らしいメロディセンスや愛嬌のあるポップネスが感じられるところ。おそらくこれこそがHAPPYというバンドの変わらない個性なんだろうと思います。そういう意味でいえば、僕にとってHAPPYは「変わってない」のです。

 Stone Freeという言葉には「束縛やしがらみ(=Stone)からの解放(=Free)」といった意味があるそうです。そして、アルバムのタイトルがこの言葉になった背景には、メジャーレーベルからの誘いがあったものの「このままメジャーへ行っても自分たちがなりたいバンドになれないんじゃないか?」という疑問(おそらく前述の、飽和気味だったエレクトロポップ路線を期待されていたという意味なんじゃないかと想像してます)がありました。

 この作品はいろんな真理を示唆しているように思います。自分の思ったとおりの自分になるためには、誰かの力はあてにできないこと。自分だけの力による、長い時間の地道な努力が必要なこと

 僕は、「成長」や「進化」なんていう言葉をこの作品に対して使いたくない。成長や進化という言葉には、結果のみを見て、「全てのものは良くなるはずだ」という能天気な前提で作られたストーリーにあてはめようとする浅はかさがあるからです。成長した、進化したという評価には、その過程にある痛みが抜け落ちているように思います。だから僕は、やはりタイトルにならって、HAPPYが前よりも「自由」になった作品と呼びたい。彼らが誰の力も借りずに、実際に自分たちの足で歩くことで、「自分たちはこういう場所にもいけるんだ」ってことを示して見せた作品だと思います



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Satellite Young 『Satellite Young』

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90年代生まれによる
「80年代」の再発見


 日本の3人組ポップユニット、Satellite Young。彼らが今年5月にリリースしたセルフタイトルの1stアルバムが、めちゃくちゃ面白いです。

 いい!でも感動した!でもなく「面白い」と表現したのはなぜなのか。その理由は、彼らの音源を聴いてもらえば一発で理解してもらえるはずです。

 キッパリハッキリしたメロディに、気恥ずかしくなるくらいにギラギラしたビート。この匂いは…そう、80年代です。80年代以外にありえません。Satellite Youngは「80年代アイドル歌謡」をコンセプトに活動するグループなのです。

 僕はサウンドもさることながら、歌詞に激しく惹かれます。「胸さわぎとまらない午前零時 通知がきてるわ エメラルドのアイコン」<ジャック同士>なんてたまりません。アルバムにはほかにも、<ブレイク ブレイク ティクタク><卒業しないで、先輩!>なんていう、タイトルからしてたまらない曲もあります。

 ちっともおしゃれじゃないガリ勉(これも死語だな)タイプのボーイフレンドを歌った<Geeky Boyfriend>も、いかにも80年代センスでいいですね。でも、80年代当時は「ギーク」なんて言葉は使われてなかったので、あくまで視点は2017年の今ということがうかがえます。こうした、80年代テイストに隠れた現代の感覚を探すことも、Satellite Youngを聴く楽しさの一つです。

 僕は81年生まれなので、リアルタイムで80年代カルチャーを味わった世代よりは、少し下になります。にもかかわらずSatellite Youngを「懐かしい」と感じるのは、子供だったぶん、アニメをたくさん見ていたからです。当時のアニメ番組の主題歌はアイドル歌謡の主戦場だったので、メイン視聴者層だった僕らは、アニメを見る一環でアイドル歌謡の雰囲気も味わっていたのです。Satellite Youngを聴いていて頭に浮かんだのも、<悲しみよこんにちは>(斉藤由貴)とか<水の星へ愛をこめて>(森口博子)とかでした。<Sniper Rouge>なんて、『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』の主題歌<愛はブーメラン>にそっくりです。

 んで、Satellite Youngを最初に聴いたとき、僕はてっきり80年代をリアルに経験してきた人たちが、「青春をもう一度」的に始めたグループなんだろうと思ってました。でも、だとしたら、メンバーは最低でも40代後半でないと辻褄が合いません。なのに、Satellite Youngのメンバーの見た目はせいぜい30代。後から調べたら、ボーカルの草野絵美は90年生まれで、80年代生まれですらありませんでした。つまりSatellite Youngが描いている「80年代」は、実際には80年代をまったく経験していない人たちの手によるものだったのです。僕はこれがすごい面白いなあと思いました。

 ものすごく当たり前の話ですが、元々「80年代」という言葉は、音楽のジャンルやコンセプトを指す言葉ではありません。にもかかわらず、80年代の音楽って、ジャンルを問わず、なんかこう同じ匂いがします。知らない曲でも「あーこれ80年代だな」となんとなくわかる。

 洋楽に目を向けてみても、80年代のポップスってやっぱり独特です。<Girls Just Wanna Have Fun>のMVで見せたシンディ・ローパー派手なメイクと、オリビア・ニュートン・ジョンの<Physical>のあのチカチカしたMV、あとデュラン・デュランの<Reflex>でステージの上から滝が落ちてくる、今でいうAR映像みたいないやつ。80年代の洋楽と言われて僕がパッと思い浮かぶのはこのあたりなんですが、日本とは多少趣きが違うとはいえ、ギラギラとしたバイタリティに溢れているところは共通しています。

 80年代って、今振り返ってみると、テクノロジーに対する信頼がもっとも厚かった時代という気がします。音楽業界ではそれがシンセやリズムマシーンといった電子サウンドの一般化と、映像との結びつきの強化によるド派手化ショー化になって表れたのかなあと。80年代の音楽が共通してもつ匂いは、そのような「未来に対する無邪気な憧れ」なのかもしれません。90年代のグランジの登場やオアシスのような「古典派」の復権は、享楽的な80年代からの揺り戻しという文脈で捉えられる気もしてきます。

 Satellite Youngを聴いていて、キッパリハッキリとニュアンスを出す80年代的思い切りの良さが、「あか抜けない」ではなく「眩しい」と映るのは、それが(大げさに言えば)未来を信じているがゆえのものだからです。そして、未来を信じていることが「眩しい」と感じるのは、何かとキナ臭い2017年の日本社会に僕が生きているからです。

 この点で、Satellite Youngがやっていることは、単なる80年代サウンドのリバイバルではなく、新たな文脈に基づいた「再発見」と呼ぶべきものだと思います。








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Car10 『Car10』

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大きくなった彼らの背中を
僕は呆然と見送るだけ


 大滝詠一の長年の盟友である音楽家・井上鑑は、初めて『A Long Vacation』のデモを聴いたとき、「曲が“上等”になったな」と感じたそうです。今年6月にリリースされたCar10(カーテン)の新作アルバムを聴いて、僕の頭にパッと浮かんだのも、まさに「上等」という言葉でした。3枚目にして初めてバンド名をタイトルに冠したこの作品は、セルフタイトルに相応しい彼らの最高傑作だと断言できます

 ただし、このアルバムは、2枚目『Rush To The Funspot』(2015年)やEP『Best Space』(16年)の、単なる延長線上にはありません。このことは1曲目<くらい夜に>を聴けばすぐにわかります。

 まずは、この曲が「日本語詞」であること。これまでこのバンドには日本語の曲が圧倒的に少なかったことを思えば、プレイボタンを押すといきなり日本語詞が聴こえてくること自体が意外です。アルバム全体でみても、英語詞と半々くらいのバランスにまで、日本語詞の曲が増えています。新曲は全て日本語詞じゃないでしょうか。

 重要なのは数が増えたことではなく、日本語詞の曲の「存在感」が強くなったことです。<くらい夜に>や2曲目の<マチフェス>といった曲では、メロディへの言葉の載せ方や言葉自体の選び方が過去の日本語詞の曲とはまったく異なります。特に<マチフェス>は川田晋也の脱力ボーカルともかみ合って、相当にユニークな世界観を生んでいます。これまではCar10のことを「英語詞のバンド」と認識している人が多かったと思うのですが、今作を機に「日本語詞のバンド」にパブリックイメージが変わるんじゃないでしょうか

 そして、<くらい夜に>で日本語詞以上に驚くのは、この曲の展開です。サビに入り、これまでならギターがガツン!と鳴って全力疾走し始めるところを、この曲の場合はゆったりしたシャッフルリズムに切り替わるのです。しかも、ビーチボーイズのようなコーラス付きで。

 似たような印象を受けるのはアルバムラストの<Block Party>で、こちらは<くらい夜に>よりもさらにめまぐるしくテンポが変わります。コーラスもやはりビーチボーイズ風。これらの曲に見られる今までになかったアレンジには、完全に意表を突かれます。特にコーラスなんて、絶叫系の「ギャングコーラス」こそ彼らの代名詞だったわけですから。

 ちなみに、インタビューを読んで後で知ったのですが、川田晋也はこのアルバムの制作前に映画『ラブ・アンド・マーシー』を見て、ブライアン・ウィルソン(そしてそこからの大滝詠一)を聴きこんでいたそうです。なので「ビーチボーイズ風」と書いたのは。あながち間違いではなかったらしい。そういわれると<Block Party>の、さまざまなシークエンスをつなぎ合わせながら曲が進んでいく感じは、どことなく<Heroes And Villains>っぽいです。

 んで、話を戻して、結局これまでの作品とアルバム『Car10』は何が違うのか。日本語詞の増加と楽曲のバリエーションが広がったことの2つのポイントで書いてきましたが、それらは単なる「現象」にすぎません。それらの現象の結果として、このアルバムからトータルで受ける印象は、彼らが「大人になった」という言い方が一番しっくりきます。

 今作で最初に公開された楽曲は<マチフェス>でしたが、この曲は過去の楽曲とは明らかに次元が違っています。パンクやインディーの世界を飛び越えて、もっとメジャーでライトな層までをも捉える射程の広さを備えています。僕が冒頭に述べた「上等」という表現で指したのは、この射程の広さのことです。

 彼らがそれだけの器量をもつバンドであることは、例えば『Best Space』の<ミルクティー>などで明らかでしたし、この作品でこれまで以上に人気が広がっていったとしても、それは正当な評価だと思います。ただ、自分自身で勝手だなあと思うのですが、こうなると逆に『Rush To The Funspot』の頃の、あの青さが途端に懐かしくなってきてしまう気持ちもあるのです。一度も後ろを振り返らずに遮二無二前へと突っ込んでいくようなエネルギーが。

 成熟していくことは喜ばしいことなのに、もう二度と元には戻れないことに寂しさも覚えてしまう。そういう感覚を表現すると「大人になる」という言葉が、僕にはもっともしっくりくるのです。

 ただ、最高傑作であることは間違いありません。いつのまにか自分よりも背が高くなった少年の顔を仰ぎ見るような、そんな気持ちにさせられるアルバムです。








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ザ・クロマニヨンズ 『ACE ROCKER』

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「大好きなものがあると
人生は楽しくなる」ということ


 活動してきた全てのバンドのアルバムを持ってるし、本や雑誌のインタビューも大事にとってあるし、自分で作った芝居でも何度も曲を流したし、多分、日本のアーティストで一番多く歌を知ってるのも彼らだと思います。

 にもかかわらず、これまで一度も彼らのことをブログで取り上げなかったのは、受けた影響の大きさを、とてもじゃないけど言葉に言い表せられないと思ったから。それに、この人たちの魅力は既にみんな十分すぎるほどわかってるから、今更僕なんかが語ることなんてないし、そもそも、彼らの音楽を言葉に直すことほど野暮なこともないと思ってました。

 甲本ヒロトと真島昌利。ヒロトとマーシー。

 この2人のことを、多くの人が「変わらない」といいます。確かに、ブルーハーツハイロウズという伝説的なバンドを経て、今なおクロマニヨンズで歌を歌い、ギターを弾き続けてる2人の姿は、「海」とか「山」とかと同じレベルで、いつ見ても変わらない風景という感じがします。あの2人の姿をたまにTVとかで見かけると、「本当に30年以上経ったのかな?」とさえ思います。

 でも、あえて言うけど、僕は、バンドごとに彼らは変わってきたと感じているし、バンドごとに異なる微妙なキャラクターの違いを楽しんでいます。

 ブルーハーツは3つのバンドの中で一番、世の中にコミットしようとしてるバンド。その分だけ、感情が一番爆発してるバンドでもあります。いつか僕がよぼよぼの老人になっても、ひとたびブルーハーツを聴けば、きっと一発でアドレナリンがぶわーっ溢れてきて、胸がいっぱいになるんだろうなあ。

 ハイロウズは、ブルーハーツの反動か、ちょっと世捨て人になった感じ。でも、その分3つのバンドの中でもっとも情緒に溢れ、一番キラキラしてます。音楽的にももっともバラエティに富んでいて、楽しさでいえば僕はハイロウズがNo.1だと思う。

 そしてクロマニヨンズは、ブルーハーツ、ハイロウズに比べると、よりサウンド先行型のバンド。<ギリギリガガンガン>とか<ニャオニャオニャー>とか、曲のタイトルを見てもわかる通り、言葉すらも音とイメージだけで紡ぐようになりました。ひたすら心地よい音とリズムを追求し、そのためには歌詞の意味やメッセージすらも、余分なものとしてそぎ落とす。極限まで肉体を絞り込んだボクサーのようなバンドです。

 ただ、クロマニヨンズの近年の作品では、歌詞にも変化が見られます。例えば、15年のアルバム『JUNGLE 9』に収録された<エルビス(仮)>。この曲の歌詞には、忘れられて朽ち果てていく者の哀れさやいじらしさがあります。聴き終えた後にカタルシスではなく、疲労感にも似た苦い後味が残るなんて、それまでにはなかったことです。


 契機となったのは、12年のアルバム『ACE ROCKER』だと思います。<他には何も><ハル><バニシングポイント>そして<欲望ジャック>という幕開けの4曲には、それまでの作品にはなかったシリアスさがありました。

やらずにいられない ことがあります
やらずにいられない ことをやるだけなんだ
ただ それだけ
他には何も 他には何も 何も何も何も

<他には何も>

 ここには、ブルーハーツのような感情の爆発や、ハイロウズのような詩情ではなく、透明になるまで研ぎ澄まされた、求道者のような姿勢があります。それはまさに、クロマニヨンズというバンドの姿勢そのものです。

 言葉すらも音とみなすという点で、それまでの歌詞は、サウンドとはいわば主従関係にありました。ところが彼らはこの作品でついに、歌詞までもをサウンドと同じストイックな領域に踏み込ませたんだと思います。僕は『ACE ROCKER』でむしろクロマニヨンズが好きになりました。


 ヒロトとマーシー。2人のことを、多くの人が「変わらない」といいます。何が変わらないのか。
50歳を過ぎてもパンクを続けてるのがすごいという人もいれば、それを永遠の初期衝動という言葉で表現する人もいます。2人の体型と答える人もいるかもしれません(あれは本当にすごい)。

 以前、ヒロトがある雑誌のインタビューで、「なんでそんなに長く続けられるんですか?」という記者の質問に対し、こんな風に答えていました。
「よく聞かれるんだけどさ、続けようと思って続けてるわけじゃないの。ロックンロールがすごすぎるんだよ。だってこんだけ続けててもまだ飽きないんだもん。だから長く続ける秘訣を聞きたいならロックンロールに聞いてくれって思うよ」と。

 この言葉を思い出すと、彼らの中でもっとも「変わらないもの」は、「音楽が好き」という気持ちなんじゃないかという気がしてきます。30年以上も音楽が好きで、ロックが好きで、おじさんになってもなお、「僕はこれが好きなんだ」と大声で言い続けてる。僕が彼らの音楽から教わった一番のこと。それは「大好きなものがあると、人生は楽しくなる」ということです。

 クロマニヨンズは結成以来、(ほぼ)毎年1枚アルバムをリリースし続けていますが、今年もまた10/11にニューアルバム『ラッキー&ヘブン』をリリースします。










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Theピーズ30周年日本武道館

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武道館らしくないバンドの
もっとも「武道館らしい」ライブ


この数年、「ベテランバンドの初武道館」がすっかり恒例化しました。
怒髪天(2014年、結成30年目)、フラワーカンパニーズ(15年、結成26年)、
そしてつい先日のコレクターズ(17年、結成30年)。
※思えば09年のピロウズ(09年、結成20年)がその嚆矢だった気がします
そしてつい先日、過去のどのバンドよりも武道館らしくないバンド
ある意味「真打」が、あの八角形の屋根のあるステージに上がりました。

Theピーズです。
6/9、結成30周年で初となる武道館ライブを見に行ってきました。

ベテランバンドの初武道館って、
「苦節何年、ついに光の当たる場所に出てきました…」みたいな
涙の「物語」とどうしてもセットになりがちです。
でもこの日のステージは、3人のキャラクターもあって、
まったく湿っぽくならず、終始笑いの絶えない「お祝い会」といった雰囲気でした。

「物語」はもう十分みんなの中で醸成されているんだから、
それをあえて口に出すのは野暮ってもんだろう。
そういう大人の信頼関係ができあがっていることに、
30年という時間の重さを感じました。

「物語」を明示しないもう一つの理由は、
必要な言葉や気持ちは、楽曲の中で既に語られているからです。
例えば、アルバム版よりもテンポを遅くして演奏された<鉄道6号>
いつも通り、本気と冗談の境界線がわからないゆるいキャラのままのハルが、
やっとこんないいとこまで たどりついてしまった
ああお疲れさんだよ

という冒頭のフレーズを歌ったときの、あのグッとくる感じは、
たとえメンバーが涙を流しながら感動的なMCをしたとしても生まれないでしょう。

そういえば<鉄道6号>だけでなく、
<線香花火大会>や<ドロ舟>、<実験4号>といった、
Theピーズの作品の中でも最も苦いアルバム『リハビリ中断』の楽曲が、
あの場で歌われるとハッピーで楽しい曲に聴こえたことも象徴的でした。



もう一つ、とても印象的だったのは、
「ピーズというバンドは、実は武道館がよく似合う」ということでした。
そうなのです、冒頭にも書いたように、
見る前は「武道館らしくないバンド」とばかり思ってたのですが
実際に見てみたら、武道館の雰囲気が心地よくハマッていたのです。
僕はかなり前の方で見てたのですが、2階席の人も似たようなことを言ってたので、
ステージとの距離の問題ではないようです。

では何が理由なのか。
高音が割れるギリギリ手前のつんざくような雑な感じの音は武道館らしくなくてよかったし、
曲のスケール感も武道館の大きさにまったく負けていませんでした。
特に<バカになったのに>、<底なし>、ラストの<グライダー>はすごい迫力だった。
その一方で、3人のMCは普段通りだから、心理的な距離感は普段と変わらない。
でも僕は、一番の理由は、ピーズだけがもつ客席の熱気なんじゃないかと思います。

終演後、出口に向かう人波の中で、近くにいた男性が、
「ピーズ聴いてる人、こんなにいたんだな」と呟いたのを聞きました。
多分ほとんどの人が同じ気持ちだったと思います。
僕だって、これまで出会った人の中で、
ピーズが好きという人なんて片手で数えられますから。

ピーズは、入口は誰の目にもわかりやすい場所にはないけれど、
一度入り込めばどこまでも奥にズブズブと入り込んでしまうバンドです。
僕が出会ったことのあるピーズが好きな人たちも、
一度口を開いたら、延々とピーズのことを話し続けるような人ばかりでした。

「自分だけがピーズを知っている」という誇りと、
「自分しかピーズを知らない」というさみしさ。
ピーズのファンは、おそらく他のどのアーティストのファンよりも、
「この気持ちを共有したい」という欲求に飢えてたんじゃないでしょうか。

30年分溜まったその欲求を、これまでで一番大きな規模で叶えられるとしたら。
その場所はやはり、武道館という聖地しかなかったと思います。
そういう意味で、僕は今回のピーズのステージこそ、
もっとも「武道館らしい」武道館ライブだったと思います。

今では、「ブレイク前夜」レベルの認知度でも
勢いがある若手アーティストであれば武道館でライブを行います。
武道館は今や到達点ではなく通過点に過ぎないのかもしれません。
そういう時代に「ベテランバンドの初武道館」という物語は、
若い人にはきっと時代遅れに映るでしょう。

でも、たとえ時代遅れだとしても、
僕はピーズのライブのような「武道館」が好きだなあ。






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YUKI 『まばたき』

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わたしは何度でも
「わたし」を歌う


YUKIの通算8枚目のアルバム『まばたき』が3月にリリースされました。

前作『FLY』が非バンドサウンドを中心だったのに対し、
今作は再びバンドサウンド回帰。
YUKIの声はやっぱバンドだろ!と思ってる僕にとっては、うれしい変化でした。

なので、サウンド的には前々作『megaphonic』の路線と基本的には同じ。
曲数も同じだし、曲のタイプのバリエーションも大体一緒。
ところが、アルバム全体を通して聴くと、
聴き心地は過去の作品とはかなり異なります。

それはおそらく、歌詞の変化によるものだろうと思います。

1曲目<暴れたがっている>の一言目は、
「あがいてたら振り出しに戻ってた」
このフレーズでアルバム全体が幕を開けることに象徴されるように、
この作品は、原点回帰や初期衝動といったテーマに貫かれています。

<こんにちはニューワールド>では、函館にいた10代の頃や、
東京に出てきた20代はじめの頃をイメージさせるエピソードが登場し、
終盤「思い出は雨音に紛れ 消えた これからは 私次第」と歌われます。

<私は誰だ>という、タイトルからしてとても若い楽曲では、
「私はあまりいい人間(ひと)じゃない だから地獄に堕ちるかもしれない 時間がない」
「『生きてたい』より『生きたい』」

と、若いがゆえに感じがちな人生の残り時間に対する焦燥感が歌われます。

アルバムを聴いた後でいくつかインタビューを読んでいたら、
やはりYUKI自身も今作のキーワードとして「思春期」という言葉を挙げていました。
「思春期は10代特有のものだと思ってたけど、本当は人生に何度でも起きる」と、
今再び反骨心や自己主張の欲求が芽生えてきたんだそうです。

んで、これがなぜ「変化」なのかというと、
(このブログでフォローし始めた)2010年『うれしくって抱き合うよ』から『FLY』まで、
YUKIの歌のモチーフは基本的には「他者」でした。
家族だったり友人だったり、自分の大切な人への目線がどこかにあったし、
自分を主人公にしている歌でも、それは他者が感情移入し、
自己を投影するための「鏡」としての自分だったように思います。
それが、今作では「自分」をモチーフにした歌を歌うようになったのです。

ソロデビュー15周年というアニバーサリーイヤーゆえの原点回帰、
という面もあるのかもしれません。
歌詞のボキャブラリーはいたってソフトなのですが、
アルバム全体から受ける印象は、青臭いといってもいいほどに若く、
それゆえにどこか不器用でザラついたものです。


「ソロデビュー15周年」と書きました。
それってつまり、ジュディマリ解散の年に生まれた子が、今年高校生になるってことです。
信じられねえ。てゆうか信じたくねえ。

『まばたき』がリリースされるということもあり、
先日SpotifyでJudy And Maryの全アルバムを順番に聴き返しました。
今更ですけど、ジュディマリがメジャーで活動してたのって10年もないんですね。
それなのに『J.A.M』(1994年)から『WARP』(2001年)にいたる猛烈な振れ幅と濃密感。
「ビートルズみてえじゃん!」と思いました。

YUKIはバンド時代から歌詞を書いていましたが、
ソロ時代と比べて聴くと、雰囲気が違うのがわかります。
バンド時代の歌詞は記号的で遊戯的でフィクショナル(<くじら12号>や<そばかす>)、
一方ソロ時代は、今作『まばたき』がまさにそうであるように、
より平易な言葉を好むようになり、リアルさを重視する傾向があります。

僕は個人的には、今こそジュディマリ時代のような、
キャラクター性の強い、フィクショナルな歌詞の方が聴きたい。
ジュディマリが全盛だった10代の頃は今とは逆で、
YUKIの歌詞なんて、ウソ臭くて「軽い」と思ってました。
むしろ、今のYUKIが書くような、生な言葉をストレートにぶつけてくる曲の方が
なんとなく「本物っぽい」と感じていたのです。
皮肉だなあっていうか、「俺ってずれてるなあ」とつくづく思います。

YUKIについては、『うれしくって〜』以来ずっと、
新作が出るたびにこのブログで何かしら書いてきました。
めちゃくちゃ気合い入れてフォローしてるってわけでもないのに、
何かしら言いたくなる、どこかしら気になるアーティストなのです。
それは数少ない、リアルタイムで変化を目撃しているアーティストだからかもしれません。








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The Collectors 『Roll Up The Collectors』

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ファンタジックな未来を語る
「ストーリーテラー」としてのコレクターズ


先週に続きコレクターズの話。
コレクターズは今年結成30周年で、3/1には初の武道館公演を開催しました。
行きたかったなあ。

武道館公演の1か月くらい前だったかな?
彼らがNHK BSの『The Covers』に出演してたのをたまたま見たのですが、
そこで披露した新曲<悪の天使と正義の悪魔>があまりにかっこよくて、
すぐにアルバム『Roll Up The Collectors』を買いました。

いやー、すごい。
キャリア30年でなんでこんなにもフレッシュで、
まるでベスト盤のようなテンションのアルバムを作れるのか。
この作品を聴き終えたときの感想は「圧倒された」という一言に尽きます。

大滝詠一の執筆した原稿や、インタビューや対談での発言をまとめた、
『大滝詠一Writing & Talking』という本があるのですが、
その中でポップソングのメロディには「ドライ」と「ウェット」の2種類がある、
というような言葉があります。
ざっくり言うと、欧米のポップソングのメロディは「ドライ」で、
日本の歌謡曲のメロディは「ウェット」という分類になります。
僕は、前者はクラシック発祥で後者は民謡発祥、という風におおざっぱに理解しています。

んで、この表現を使うのであれば、
僕は以前からコレクターズの加藤さん(どうしてか加藤ひさしは「さん」付けになる)は、
日本では少数派の「ドライ」なメロディの書き手だなあと思ってたのです。
ただ、大滝詠一のドライをアメリカンポップス的とするならば、
加藤さんのドライはイギリス的と呼びたくなります(そんなのがあるのか?)。

イギリス的というのは、アメリカにくらべるとより情緒的でドラマチックで、
もっといえば青臭い感じ(アメリカはもっと産業的で理性的でシステマチック)。
僕は特に、ピート・タウンゼントのメロディとの間に共通するものを感じます。
フーキンクスといったモッズバンドを聴きこんでいた頃は、
どっぷり浸かりすぎて逆に気付けなかったのですが、
両者とも、オープンDコードをジャーンと弾く!みたいな衒いのなさと、
妙に生真面目で物語性の強いところがそっくりな気がする。

一方で、僕は『Roll Up The Collectors』を聴いて、コレクターズの中にある、
レトロでクラシックなモッズというスタイルとは真逆のキャラクターも感じています。
それは、歌詞にみられる「近未来的な世界観」です。

例えば<ロマンチック・プラネット>では宇宙人が登場します。
<That’s Great Future>はタイトルからして既に「未来」ですが、
前後左右にも動くエレベーターやレストランで食事を運ぶドローンといった光景が歌われます。
こういった、近未来をイメージさせるアイテムが、
コレクターズの歌詞の中にはちょいちょい登場します。

過去に目を向けても、タイムマシーンが登場する<僕の時間機械>などの曲もそうですし、
そもそもデビュー曲<僕はコレクター>の「コレクター」という概念からして非常に未来的です。

重要なのは、これらのアイテムは歌詞の中で近未来そのものを描くためではなく、
「恋人と過ごしていたあの頃に時間を戻してほしい」と歌われる<僕の時間機械>のように、
あくまで普遍的で素朴な感覚を歌うメタファーとして使われていることです。
PerfumeやかつてのTM Networkが体現するのが、
先端的なテクノロジーに彩られた「ありえそうな未来」だとしたら、
コレクターズの描くのは「ファンタジーとしての未来」といえるかもしれません。

何らかの感情を表現する際にどんなものに例えるかによって、
そのアーティストの個性が表れるとすれば、近未来的アイテムを選ぶ感性は、
少なくとも僕がこれまでなんとなくとらえていた「コレクターズ像」からすると意外なものです。
ですが、この「ファンタジーとしての未来」を軸にすると、
おしゃれすぎるモッズファッションも、
加藤さんのキッパリハッキリしたボーカルも、
実は元々「ファンタジーとしての未来」を物語るための仕掛けだったようにも思えてきます。
つまりコレクターズが、デヴィッド・ボウイにも通じるような、
演劇的な感覚に満ちたストーリーテラーのように見えてくるのです。

前述の『The Covers』で、コレクターズは「同期のバンド」としてブルーハーツを挙げ、
<リンダリンダ>をカバーしました。
僕がブルーハーツの<リンダリンダ>に「おおお!」となったのはまだ10代の頃でした。
それに比べ、コレクターズの音楽にハッ!としたのは20代の終わりになった頃。
「同期」でありながらこのようなタイムラグが起きたのは、
コレクターズの方は、彼らの代名詞でもあるモッズのファッションや音楽スタイルが、
実はストーリーテラーとしての衣装であり仕掛けにすぎないという、
目に見えるものとその内側とに微妙なギャップがあり、
それを(少なくとも僕は)大人になるまでわからなかったからじゃないかという気がします。








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The Collectors 『The Rock'n'roll Culture School 〜ロック教室〜』

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「楽曲提供」という
不思議なトリビュートの形


スタイルもジャンルも異なるアーティストが一堂に会し、
あるアーティストの楽曲をそれぞれの歌い方、
それぞれのアレンジでカバーすることで、
元々の楽曲の新しい見え方が提示され、そのアーティストへの理解や思いが一段と深くなる。
そして同時に、カバーする側の個々のアーティストにも興味が湧いてくる――。

それがトリビュートアルバムの意義であるとしたら、
昨年12月にリリースされた銀杏BOYZのトリビュート『きれいなひとりぼっちたち』は、
本当に素晴らしいトリビュートアルバムでした。
トリビュートって、少なくとも僕は継続的に聴く作品ではないのですが、
『きれいなひとりぼっちたち』に関しては、
リリースから3か月経つ今も頻繁に聴き続けています。

麻生久美子の<夢で逢えたら>も、クボタタケシRemixの<ぽあだむ>も、
Going Under Groundの<ナイトライダー>も本当に最高。
ミツメの<駆け抜けて性春>なんて「卑怯だ!」とすら思います。
聴くたびに「ああ…銀杏は最高だなあ」という思いを改めて噛みしめると同時に、
食わず嫌いだったクリープハイプにも興味が湧いてきます。




ただ、世の中には「カバー」という形ではなく、
まったく別のスタイルでアーティストへのトリビュートを示したアルバムもあります。
その一つが、『きれいなひとりぼっちたち』にも参加しているコレクターズのトリビュートアルバム、
『The Rock'n'roll Culture School 〜ロック教室〜』

2006年にリリースされたこのアルバムは、
他のアーティストがコレクターズをカバーするのではなく、
コレクターズのために曲を書き下ろし、それをコレクターズ自身が歌う
という形をとっています。

楽曲を提供したアーティストは、
奥田民生、真島昌利、山口隆、曽我部恵一、ヒダカトオルスネオヘアーなど、
記名性の高い楽曲を書く、“濃い”メンツばかり。

山中さわお曰く、みんなコレクターズが大好きなので、
ぞれぞれが一番出来のいい楽曲を用意してきたらしく、
さながらトリビュートする側の意地の張り合いのようなところがあったそうです。
実際、例えば松本素生の書いた<19>などは、
「なぜ自分のバンドでやらないんだ?」と思うくらいの超絶名曲。
ヒダカトオルの<LAST DANCE>なんかもめちゃくちゃかっこいい。

しかも、コレクターズのために書き下ろしたとはいえ、
それぞれの楽曲には各アーティストの個性が発揮されているので、
コレクターズがGoingやビークルをカバーしているようにも聴こえてきて不思議です。

ただ、結局何よりすごいのは、
バラバラの色をもった楽曲を全て受けて立って、さも当然のように歌い倒す、
当のコレクターズ自身です。
だって、このアルバムを聴き終わって何が一番印象に残るかといえば、
結局加藤ひさしの声なんだもの。
トリビュートアルバムは基本的にVarious Artistsのコンピレーションですが、
このアルバムについては、間違いなく「コレクターズの作品」になっています。

各ソングライターの個性を感じられる一方で、
コレクターズの作品という説得力もある。
なんとも言えない、不思議な味わいが残る作品です。






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最終少女ひかさ 『グッドバイ』

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愛に対して誠実だからこそ
愛に対してブチ切れる


かっこいいものからウケ狙いの外したものまで、
世の中にはいろんなバンドの名前がありますが、
「ヘンな名前」という点では彼らは相当上位に食い込むと思います。
2013年結成の5人組、最終少女ひかさ

最終少女ってなんだよ。ひかさって誰だよ

そして、名は体をあらわすといいますが、
彼らの音楽も、その強烈に胡散臭いバンド名に負けず劣らず、
かなりエッジが利いています。


なんかもう自由すぎる。
だいたい<いぎありわっしょい>ってタイトルはなんだ。
ほかにも<すし喰いたい><かつき>なんていう、
それだけで濃厚にアクの強さが漂ってくる曲のタイトルとか、
BPM速めで踊れる風なのに合いの手とかが入って「音頭」みたいになっちゃうところとか、
紅一点ラモネスの鳴らす妙にオリエンタルなシンセとか、
このバンドの放つ「異物感」はなかなか強烈です。

いかにも関西出身のバンドっぽいのですが、
実は北海道の札幌発というのも面白い。
彼らのキャラクターはブッチャーズピロウズではなく、
村八分ミドリと同じ土壌から出てきたと言われたほうが納得できる。

そして、このバンドのキャラクターを最も体現しているのが、ボーカルの但野正和です。
メロディに載せない、歌と喋りの中間くらいのスタイルにしても、
わざと投げやりに言葉を放ってくるところにしても、今時珍しいくらいに反抗的です。
4つ打ちの性急さとここまでマッチした言語感覚は彼以外に知らないかも。
4畳半アパートとか飲み屋横丁とか、そういう昭和っぽいロケーションが似合いそうな
但野のアングラ詩人のような退廃的な佇まいも、時代に逆行している感じで痛快です。

ただ、表面上は退廃的で投げやりでも、
彼の真意は真逆な場所にあります。

たとえば先ほどの<いぎありわっしょい>。
「愛とか恋とか分かってますから、私もう歌いませんから」
これ、「歌いませんから」と口では言いながらも、
世の中に流れる愛や恋の歌なんて全部偽物で、自分だけがそれを歌えるんだ!という、
バカ真面目さと自負心が透けて見えます。

この後にくるフレーズもそう。
「愛の始まりはまずセックスから」
これも「セックスすりゃいいんだよ」という反モラル的なことを歌いたいのではなく、
セックスが先になって愛が生まれることもある。
愛の結果がセックスだとばかり思ってたのに、その逆が成立してしまうなんて、
俺はこの先何を「愛」と信じればいいのだろう。
そんな「愛に対して誠実であるがゆえの愛への怒り」みたいなものを感じます。

このバンドって、ほかの曲を聴いても常に何かしらに対して激しく憤ってるのですが、
全てその裏側には誠実さや優しさが見え隠れしています。

最初から最後まで怒りまくって、タイトルに「グッドバイ」とつけて、
ジャケットにはビルの屋上から飛び降りた写真を載せる。
こんな1stアルバムを作ってしまって、彼らはこの先どういう道へ進むのでしょうか。
そんな後先のことなんて考えてないんだろうなあと思わせる向こう見ずなところが、
とても愛しく、そして頼もしく感じさせるバンドです。

最終少女ひかさは3月22日に、
久々の音源となる1stミニアルバム『最期のゲージュツ』をリリースします。








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Num Contena 『Smile When You're Dead』

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「熱狂に代わる何か」を見つけるまで
僕は彼らの音楽を携えていくだろう


先日唐突に、以前劇団の芝居で作ったセットのことを思い出しました。
舞台の上手と下手に一本ずつ、「木」を立てることになったのですが、
僕らはそれを全て手作りで作ろうとしました。
「木」ということはつまり幹があって枝があり、その枝の先には「葉っぱ」があります。
必要な葉っぱの枚数は、2本合わせて数千枚という量でした。
そして僕らはその数千枚もの葉っぱを、本当に手作りで作ってしまったのでした。

客席から見える最小限の部分だけ作るとか、
お金を払って業者に頼むとかすればいいものを、
愚直さとエネルギーだけがあり余っていた(お金はなかった)学生だった当時の僕らは、
「全部手作り」という選択肢以外考えませんでした。
結果、ただでさえ朝から晩まで稽古をしているのに、
稽古が終わってから集まって徹夜でチョキチョキ葉っぱを作るという無茶苦茶な毎日を、
数週間にわたって送ることになったのです。

今だったらやりません。
時間がないというのが一番の理由ですが、多分、時間があったとしてもやらないと思います。
それは、「数千枚の葉っぱを手作りで作る」ということに、もう高揚できないからです。
当時は、そういう意味不明な作業に(意味不明であればあるほど)熱中できたし、
それを仲間と一緒にやるということも楽しかった。
でも、今は多分、(少なくとも僕は)楽しめない気がします。



福岡を中心に活動する4ピース、Num Contena
昨年12月にリリースした1stフルアルバム『Smile When You’re Dead』
「ギターロックの金字塔」などといった鼻息の荒い宣伝文句とは裏腹に、
実際の中身はReal Estateなどを彷彿とさせる、
クリーンギターを基調としたミドルテンポ&良質メロディの柔らかなタッチの楽曲ばかり。
落ち着いた声質のボーカルとマッチすることで、アコースティックな印象すらあります。

Dead Funny Recordsの所属ということもあって(僕このレーベル大好きなんです)、
聴く前から絶対好きだろうなあと思ってたのですが、
聴いてみたら期待以上でした。



この『Smile When You’re Dead』というアルバムに収められた楽曲は、
そのどれもが「僕」「今はここにいない(どこかへ行ってしまった)君」の物語です。
かつての恋人を歌っているラブソング、というのが素直な解釈かもしれません。
けれど僕は、この「君」という存在は必ずしも異性とは限らない、
もっと違う解釈があるんじゃないかという気がします。

僕たちはいつも探している 君のことを
今は何も分からない 天気さえも
(中略)
僕たちは相変わらず探している 僕のことを
きっとずっと分からない 僕の目の前にいる何かのことを

<Follow Me Not Forget>

君のことは忘れていた 忙しくしてた
楽しい日々 バンドもある 仲間もいる
でもふとした瞬間 君のことがよぎる
スミスが天国で 僕に優しく笑う

<Smile When You’re Dead>

1曲目の<Follow Me Not Forget>は、最初は「君のことを探している」と言いながらも、
最後は「僕のことを探している」と問題が深く掘り下げられます。
何より主語が「僕たち」であることに、単純なラブソングに収まらない複雑さと深刻さがあります。

2曲目の表題曲も、「君のことは忘れていたけどたまに思い出す」というフレーズはラブソング的ですが、
その後の「スミスが」のくだりが入ることで、歌われているのは「君との思い出」などではなく、
「バンドもいるし仲間もいるのに満たされない自分」のように僕には思えるのです。

僕は、このアルバムで歌われている「君」を、
「かつての自分」と解釈しながら聴きました。
いつの間にか自分は「かつての自分」とは別の人間になってしまった。
そのことに対する鈍い痛みと、
それでも前を向こう(向く以外ない)とする姿勢との間で揺れ動く心のさまを歌った、
「永遠の喪失の物語」だと僕は感じるのです。


先週、For Tracy Hydeの記事の中で、
「16年の後半は自分の中の何かが失われてしまったことを痛感した」と書きました。
Num Contenaを聴いたのも、ちょうどフォトハイと同じ時期でした。
(そういえば『Smile When You’re Dead』のジャケットも青い)
僕が彼らの曲の「君」を「かつての自分」だと解釈したのは、
僕の心境がそういう状態だったからです。

数千枚の葉っぱを手作りすることに、いつの間にか熱狂できなくなっている。
そのことに気づいたとき、
僕は、人生の大半が既に過ぎ去ってしまったような錯覚に陥りました。
何を大げさな、と思われるかもしれませんが、
このまま何に対しても熱狂できずにいるとしたら、
それはもう「余生」以外の何物でもありません。

とはいえ、いくら努力したところで、
あの頃の自分が戻ってくることはありえない。
「あの頃」は文字通り「過ぎ去ったもの」であり、どんなに足掻いたところで、
再び数千枚の葉っぱを手作りすることに熱狂していた自分は戻ってこないし、
数千枚の葉っぱを手作りしてでも成し遂げたかった「何か」は永久にわかりません。
今の僕がすべきなのは、以前の自分を取り戻そうとすることではなく、
年々深くなる喪失感や虚無感を淡々と受け入れていくことなのでしょう。
(…ということに気づくまで、かなり長い時間がかかりました)

その先に「熱狂に代わる何か」が見つかるまで、
フォトハイやNum Contenaやその他の多くの音楽を、
僕は自分の「テーマ音楽」として携えていくのだろうと思います。








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For Tracy Hyde 『Film Bleu』

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僕にとっての「青」は
喪失の色だった


東京で活動する5ピース、For Tracy Hyde(フォトハイ)が、
昨年12月にリリースした『Film Bleu』
フルアルバムとしてはこれが初になります。

以前もこのブログで取り上げたEP『Born To Be Breathtaken』などの
過去の楽曲と新しい曲とがほぼ同じ量盛り込まれていて、
収録曲の顔ぶれでいえば、現時点での彼らのベストアルバム的な作品。
ただ、バンドとしては『Born To Be Breathtaken』リリース後、
ボーカルのラブリーサマーちゃんが脱退し、
新ボーカルeurekaが加入するという大きな変化がありました。
今回の『Film Bleu』に収録された過去の曲もeurekaボーカルで録りなおされているので、
「知ってる曲なのに新しい」という、不思議な感覚を味わえるアルバムでもあります。

ラブリーサマーちゃんが思い出だけを残して転校していった淡く儚い少女だとすれば、
新ボーカルeurekaは少年のひたむきさやあどけなさを併せ持つ、中性的な存在。
「僕」という一人称や、その相手(異性)としての二人称「君」という歌詞は、
彼女の方がよりなじむ感じがします。
既発曲はどうしても他人の服を着せられてるような落ち着かなさは正直あるのですが、
<Shady Lane Sherbet>はeureka版の方がいい!)
eurekaを念頭に作られたであろう新曲は
「おお、これが今のフォトハイか!」というような納得感があります。



このアルバムで、彼らは「青」をキーカラーにしています。
10代の記憶を思い起こさせる夏の日の空や、「未完成」「未熟」というような青に結びつくイメージは、
元々フォトハイが描いてきた世界観でしたし、1stフルアルバムにこの色を持ってきたのを知った時は、
「やる気だな!」「ついに刀を抜いたな!」と思いました。

でも、ふと周りを見れば、例えばラブリーサマーちゃんのメジャー1st『LSC』も青でしたし、
『Film Bleu』と同日発売だったローリングストーンズの新作も、『Blue & Lonsome』でした。
そういえばビートルズの『Live At The Hollywood Bowl』もやはりジャケットは青でした。
ストーンズは原点回帰のブルースカバーアルバムに「青」を選んでいますし、
ビートルズのライブアルバムも、彼らの青春時代の終わりを記録したものでした。
16年後半はそうした若さや純粋さの象徴としての「青」を、
やたらと目にする機会が多かったのです。

そういうたくさんの「青」を見るたびに僕は、実はイヤ〜な気持ちになっていました
なぜなら、「青」という色に込められたさまざまな感情や思いを、
僕自身はもう失ってしまったことを痛感してしまうからでした。
「何かをやりたい!」という情熱や、未知のものに対する興味、
あるいは「自分を良く見せよう」という虚栄心や異性に対する憧れ。
そういったものが以前に比べて(元々多い方ではないけど)はるかに少なくなって、
ひたすら内へ内へとこもるようになっていることに気付いたのが、まさに16年の後半でした。

単調な仕事によって何かが摩耗してしまったのか、
子供が産まれたことによる意識の変化なのか、
それらをひっくるめて単に「年を取った」ということなのか。
いずれにせよ、そんなときに目にする「青」は、僕にとっては喪失の色でしかなかったのです。
逆に言えば、僕はまだそんな自分を「俺も年取ったな〜」と茶化せるほどには、
大人にはなりきれていないのです。

『Film Bleu』のラストに収録された<渚にて>の中に
「この休暇を終えたら、ちゃんと大人になろうね。」という歌詞があります。
このフレーズを聴くたびに、
「そんな簡単に大人になれねえぞ」と歌に対して説教を垂れつつ、
「僕は休暇を終えたことは間違いない。でも、大人になれたのだろうか」と、
僕はぼんやりと途方に暮れてしまうのです。








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L⇔R 『Singles & More』

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14歳の頃よりも
今のほうが彼の音楽が好き


中学2年で初めてギターというものを手に入れたとき、僕にはまだ、
「ギターという楽器はコードをジャカジャカかき鳴らすか、
指を魔術のようにくねらせながらティロリロ弾くもの」

という程度のイメージしかありませんでした。

そのイメージを最初に変えたのが、L⇔Rでした。
彼らの代名詞となったミリオンセラーシングル、
<Knockin' On Your Door>のバンドスコアを開いてみると、
そこにはコードをひたすら弾く単純なものでもなく、
かといって、記号だらけで見るからに「無理!」と投げ出したくなるようなものでもない、
単音をベースとしたシンプルな譜面がありました。

当時の僕の知識といえばフォークギターの教本(のサワリ)しかなかったので、
コードを弾くときはピック、単音を弾くときは指という思い込みがありました。
なので、「単音をピックで弾く」ということ自体が新鮮でした。

そしてさらに衝撃的だったのは、CDを聴いても、
この譜面に書かれているはずの音が聞き分けられなかったことでした。
「エレキギターの音はギュイイインと歪んでるはず」という(これまた)思い込みがあったので、
まさかこのクリアーに澄んだ音がギターの音だとは予想していなかったのです。

じゃあ最初からその音や弾き方に夢中になったかというと、実はそういうわけでもなく、
「目立たないし地味だし、ギターのくせになんか弱っちいな」という半信半疑な気持ちのまま、
なんとなくCDに合わせて弾いていたのでした。
ただ、単音のアルペジオは当時の僕には練習しやすくて、
<GAME>も<BYE>も、その頃のシングル曲はだいたいスコアを買って弾いていました。
<DAY BY DAY>は、曲を聴くよりも先に楽譜を買って歌メロを自分で弾いて、
それを後から実際のCDで確認する、なんてことをしました。

とにかく、僕がギターを通じて音楽を吸収し始めた最初期の頃に、
「メロディは好き」「ギターはよくわかんない」という不思議な距離感のまま、
知らない世界を開いてくれたアーティストが、L⇔Rだったのです。


昨年12月に黒沢健一が亡くなって、僕は20年ぶりくらいにL⇔Rを聴きました。
懐かしさを感じるかと思いきや、むしろ新鮮で、
初めて本当にL⇔Rを聴いたかのような驚きがありました。
<Lime Light>の分厚いドラムとベースには鳥肌が立ち、
<Nice To Meet You>のイントロのシタールには思わずニヤリとしました。
「えっ?俺は昔こんなにかっこいい音楽を聴いていたのか?」と、
今現在の僕の感覚としてL⇔Rの音楽に興奮したのです。

でも、本当に驚いたのは、彼らがブレイクする前の曲にまでさかのぼって聴いたときのことでした。
彼らは一度レコード会社を移籍しています。
一般に知られる彼らの楽曲は、1994年にポニーキャニオンに移籍して以降のもの。
僕が今回聴いたのはその前の、ポリスター在籍時の楽曲を集めたベスト盤『Singles & More』です。

ポニーキャニオン時代の曲でさえも、
今聴けば彼らがものすごく(古い)洋楽志向の強いバンドだったことがわかりますが、
ポリスター時代の曲はさらに振り切っています。

<Bye Bye Popsicle>の12弦ギターや、
モロにフィル・スペクター<Now That Summer Is Here>
(この曲、一瞬<Good Vibrations>のフレーズが流れますよね?)
<Lazy Girl><(I Wanna)Be With You>なんて、
メロディの感じとかファルセットとかめちゃくちゃビーチボーイズじゃないですか。


「60年代ポップスの体現」という点でいえば、
黒沢健一こそ大滝詠一の後継者だったのでは?と思っちゃいます。
実際、このベスト盤の前半の曲がそのまま『EACH TIME』に入ってても違和感なさそう
音楽的バックグラウンドをそのまま自分流にアレンジして再現できるだけでなく、
それを自分自身の声で表現できるシンガーであるという点も、両者は似ています。

黒沢健一はL⇔Rの活動休止後も音楽活動を続けていました。
You Tubeで何曲か聴いたけど、どれも素晴らしかったです。

※この曲なんてポール・マッカートニーの生まれ変わりか?という感じ


元Spiral Lifeの石田ショーキチやスピッツの田村明浩らと組んだバンドMotorworksもかっこよかった。
なんで僕は20年も彼のことを無視していたのでしょう。
後悔しても遅すぎるのはわかっていますが、悔しいです。


14歳の頃、僕はL⇔Rの音楽がどういうバックグラウンドを持っているかまではわかりませんでした。
彼らの音楽を好きだったとはいえ、それは「なんとなく」という括弧つきのものであり、
正確には「好き」というよりも「気になる」というような距離感だったと思います。
だけど、当時聴いていた他の音楽はほとんど忘れてしまった中で、
L⇔Rの音楽はなぜか今でも歌えるし、今でもギターで弾けます
その理由を、20年経って改めて聴いた今、納得しています。

僕は当時よりも今の方が、L⇔Rが好きです








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And Summer Club 『Heavy Hawaii Punk』

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鳴ってる音のすべてが
僕の音楽遍歴そのもの


YouTubeやSoundCloudのおかげで、
「自分の知らない曲」を毎日手軽に聴けるようになりました。
もちろん、隅から隅までなんて到底聴けないので、
(各種のWebサービスが作り手に発表の場を広げたことで、日々の音楽の供給量は天文学的です)
僕が1日に聴く「新曲」は、多くてもせいぜい10曲程度。
それでも年間通せば3000曲以上の未知の曲を聴いてることになります。

んで、曲を聴くたびに「最高!」とか「ピンとこないな」とかいろいろ反応するわけですが、
ひたすらそれを繰り返していると「自分がどういう音楽を好きなのか」という、
好みの傾向みたいなものを自覚するようになります。
自覚することで、自分が好きそうな音楽をより効率的に嗅ぎ分けられるようになったり、
逆に、感性の硬直化に危機感を覚えたりします。

面白いのは、好みを自覚することで、
その好みの直接のルーツがどこ(誰)なのかが分かったりすることです。
そして、その「どこ(誰)」が、必ずしも「聴いてきた時間の総量」や「思い入れ」に比例しないことです。

例えば僕の場合、以前も書いたように20代前半にどっぷりとthe pillowsを聴いていました。
聴いた量的にも、のめり込んだ深さ的にも、おそらく彼らが一番です。
ところが、今の僕の「好み」というものは、
決してthe pillowsのような音楽そのものではありません。
むしろ、the pillowsきっかけで聴くようになったストロークスや、
ストロークスがきっかけとなって聴いたさらに別のバンドの方が近かったりします。
自分の好みを自覚することの面白さは、
そういう自分のルーツに対する意外な発見ができることです。

なんで延々こんな話を書いているかというと、
実は2016年は僕にとって、音楽の好みのルーツというものについて、
発見をしたり考えたりする機会が、いつにも増して多い1年だったからです。

今年ブログに書いたアーティストだと、例えばThe LemonsThe School
この2組は最初に聴いた瞬間から「ど」が付くほどハマったのですが、
そのことで「自分は黒人音楽よりも白人ポップスの方にシンパシーを感じるんだな」と、
大げさに言えば「発見」をしました。

この「発見」によって、
サイモン&ガーファンクルとか、50〜60年代のアメリカンポップスとか、
主に僕が20代前半の頃に聴いていた音楽を改めて聴き直したり、
ビーチボーイズ(ブライアン・ウィルソン)を「白人ポップス」という文脈で聴くようになったり。
さらには、新しい音源を買い求めてルーツをさらに掘り下げてみたりと、
普段の音楽の聴き方に新たな「テーマ」をもたらしました。

そして、「好みのルーツを発見した」という点で、
今年聴いたアーティストの中で最も影響が大きかったのが、
大阪出身の4ピース、And Summer Club(アンサマ)でした。



文字通り「どハマり」でした。
今年7月に出た1stアルバム『Heavy Hawaii Punk』は一体何回聴いたでしょう。
今年の夏はアンサマに始まりアンサマに終わった気さえします。
遠くから聞こえてくる、控えめで朴訥とした男女ボーカル。
シンプルな歌メロと、それに絡みつく力の抜けたギター。
アルバムタイトルの3つのキーワード(Heavy、Hawaii、Punk)に表される、
スカスカでチープな音像と前へ前へとつんのめる疾走感の不思議な同居は、
強烈な中毒性があります。

でも、音楽そのもの以上に衝撃だったのは、アンサマを聴いたことで、
「あ、俺ものすごくThe Pains Of Being Pure At Heart好きなんだ」とか、
「だから俺The Vaccinesにハマッたんだ」とか、
「そう考えるとOgre You Assholeとの出会いはめちゃくちゃ大きかったんだな」とか、
過去に聴いてきた音楽たちが、樹形図のようにつながっていったことでした。
まるで、バラバラの星と星を結んで星座ができていくみたいにして、
自分の音楽遍歴というものにストーリーが見えた気がしたのです。

なので、アンサマの音楽はもちろん大好きなんだけど、
彼らがいかにすごいかとか、他のアーティストに比べてどう優れているとか、
そういうことが僕にとって大事なわけではありません。
『Heavy Hawaii Punk』というアルバムは、
そこで鳴っているすべてのサウンドが僕の感性そのものであり、
これまで聴いてきた音楽とこれから聴くであろう音楽との間に挟まれた、
本のしおりのような存在のような気がするのです。








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ラブリーサマーちゃん 『LSC』

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大人になる一歩手前の
「憂い」と「揺らぎ」


毎日顔を合わせていたクラスメイトの女の子が、
実は某国のお姫様だった。

あるいは、

いつまでも子供だと思っていた近所の女の子が、
ふと気づいたらいつの間にか大人の女性に変身し、
手の届かないところへ羽ばたいていってしまった。

…みたいな例えをアラフォー男がブログに書くのは、
本当にキモいって分かってはいるんだけど、
ラブリーサマーちゃんのメジャーデビューアルバム『LSC』
最初に聴いたときの感想は、まさにそんな感じだったのです。
いや〜、「衝撃」と表現してもいいくらい、素晴らしいアルバムでした。

僕がラブリーサマーちゃんをフォローするようになったのは、
彼女がFor Tracy Hydeに加入する前だったので、2年以上前になると思います。
フォトハイはもちろん、『よしよしサマー』以降、
彼女のソロ音源も熱心に買っていたのですが、
それはなんというか、「面白そう」「なんか気になる」というような気持ち、
要するに興味や好奇心からでした。
それが、今回のアルバムではっきりと「好き」になったような気がします。

何がそんなに良かったのか。

まず、ソングライターとしてすげえ
という点が挙げられます。

これまでの彼女の楽曲は、いい意味でも悪い意味でも、まだどこか垢抜けない、
「アングラさ」があったと思います。
ところが今回の『LSC』では、
(おそらく以前からストックしていたのだろうけど)一気に洗練されました。

個々の楽曲のポップさもさることながら、
特筆すべきは楽曲のバラエティの広さです。
<青い瞬きの途中で>オアシスを彷彿とさせる90年代ブリットポップ、
<202>はソフトなR&B、
そして<PART-TIME ROBOT>はヒップホップと、
「これマジで1人の人が書いたの?」という感じ。
アコースティックなバラード<わたしのうた>なんて、
音の中に沈んでいくようでホントに好きだなあ。
<天国はまだ遠い>の寒々しいギターの音なんかもすごくいい。
(あと<私の好きなもの>にこんなに長く付き合うことになるとも思ってなかった)



そしてもう一つ。
こっちが冒頭述べた“例え”につながるんだけど、
ラブリーサマーちゃんの声は、これまでとは明らかに変わった気がします。

これまではやくしまるえつこにも似た、
幼さや拙さが残る「ロリ声」だったのが、
このアルバムでは大人になる一歩手前のような、
「憂い」や「揺らぎ」のある声になりました。
再録された<ベッドルームの夢>なんて、かつてのep版とはまるで別の曲です。
そういう意味では本作のジャケットが、これまでのような可愛いイラストではなく、
青一色であることは象徴的です。

これはどういう変化なんだろう。
年齢に伴う自然な変化なのであれば、ドキュメンタリーを目撃したようなドキドキがあるし、
意図的な変化だったとしても、それはそれで彼女の底なしの才能を見た気がして身ぶるいします。
少なくとも、この声の変化によって、歌える歌の幅は格段に増したはずだし、
前述の楽曲のバラエティとも無縁ではないはず。
彼女はthe brilliant greenが好きだと公言してるけど、
川瀬智子の声に似てきた気がします。

メジャーデビューすると聞いたときは、
正直「やっていけるのだろうか」とちょっと懐疑的だったのですが、
現実の『LSC』は、そんな僕の「上から目線」をひねり潰すような、
素晴らしいアルバムでした。
(死語ですが)セルアウトだと言い出す人はいるんだろうなあ。
でもこういうアルバムこそ売れないで何がポップスだよと僕は思います。








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