週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】海外のロック

特集「作曲家Jack Kellerの系譜」

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シンプルな楽曲が
豊かな世界を見せる


 3回にわたったニール・セダカ特集から派生して、先週はハワード・グリーンフィールドを取り上げましたが、今週はさらにハワードから派生して作曲家ジャック・ケラーを取り上げてみたいと思います。

 ジャック・ケラー、めちゃくちゃ好きなんですよね。60年代に活躍した作曲家のなかでは、エリー・グリニッチと並んで気に入っている作家です(いかんせん地味ですが)。

 1936年、NYブルックリンで生まれたジャックは、父がバンドマンという音楽一家で育ちました。50年代半ばからブリル・ビルディングに出入りし始め、<Lollipop>で知られる女性ボーカルグループのコーデッツや、大御所ペリー・コモらに曲を提供します。59年には新興の音楽出版社アルドン・ミュージックと契約し、ニール・セダカやハワード・グリーンフィールドとともに同社の第1期スタッフライターになります。

 この時期の作曲家の多くが、特定の作詞家とコンビを組んで活動をしていましたが、ジャックは例外で、そのときどきでさまざまな作詞家と仕事をしました。ただ、そのなかで結果的に多くコンビを組んだのが、前回取り上げたハワード・グリーンフィールドです。60年代初頭、ニール・セダカが歌手活動を本格化しはじめると、余裕ができてしまった相棒ハワードは、たびたびジャックとコンビを組むことになるのです。

 前回紹介したように、このコンビからはコニー・フランシス<Everybody's Somebody's Fool>(60年4月)と<My Heart Has a Mind of Its Own>(60年7月)という、2作連続全米1位という大ヒット曲が生まれています。このコンビの楽曲で僕が好きなのは、ジミー・クラントンが62年に出した<Venus In Blue Jeans>松田聖子<風立ちぬ>の元曲といわれる美しい曲で、全米7位まで上りました。


 この時代に、ハワードと並んでジャックがよくコンビを組んだ作詞家が、ジェリー・ゴフィンです。このコンビも名曲が多いですね。エヴァリー・ブラザーズやクッキーズなどいろいろいますが、僕が好きなのは全米2位のヒットとなったボビー・ヴィー<Run To Him>(61年)。


 ここまで挙げてきた楽曲を聴くと分かる通り、ジャックの楽曲の特徴は、極めてシンプルなところです。ほとんどの楽曲がヴァース&コーラスという基本の二部構成を踏襲しており、一つの楽曲で使われるコードも非常に少ない。前述の<Everybody's Somebody's Fool>なんて、コードは実質3つしか出てきません。にもかかわらず、映る風景を次々に切り替え、ドラマ性を感じさせるメロディを作れるところが、作曲家ジャック・ケラーのすごいところだと僕は思っています。


 さて、63年にアルドン・ミュージックがコロンビアに売却されると、ジャックは『奥さまは魔女』をはじめとするTVシリーズの音楽制作にも携わるようになります。この映像音楽への進出が背景となって生まれた、ジャックにとって60年代後半最大のヒット作が、モンキーズです。アルドンの元オーナーであるドン・カーシュナーの主導で企画されたモンキーズという一大プロジェクトで、ジャックはアルバムのプロデューサーの一人に名を連ねたほか、作曲家としても楽曲をいくつか書き下ろします。


 上に挙げた<Your Auntie Grizelda>の共作者ダイアン・ヒルデブランドはこの時期にジャックがよく組んでいたソングライターで、後にこのコンビからはボビー・シャーマン<Easy Come, Easy Go>という全米9位のヒット曲が生まれています。


 80年代に入るとジャックは拠点をナッシュヴィルに移して、地元のカントリー系の歌手と仕事をするようになります。この時期に彼が作った楽曲は詳細がよくわからないのですが、彼はナッシュヴィルの環境が気に入ったようで、2005年に白血病で亡くなるまで同地に住み続けます。

 ジャックが最終的にカントリーに腰を落ち着けたというのは、とても納得できます。というのも、彼のメロディの大きな特徴は、コニー・フランシスの楽曲に典型的なように、カントリー色が強いところだから。別の言い方をすれば、ロックンロールに近づきすぎなかったところで、この時代の作曲家のなかでは珍しいといえます。

 それを象徴するようなエピソードがWikipediaに載っていました。2013年にリリースされ、当時このブログでも取り上げたビートルズの『On Air - Live at the BBC volume2』に、まったくの未発表音源として<Beautiful Dreamer>が収録されました。この曲の原作者は言わずもがな、スティーヴン・フォスターですが、実はビートルズによるこの曲のカバーには「お手本」があったそうです。

 それが、62年にジャックがジェリー・ゴフィンとのコンビでトニー・オーランドのシングルとして書き下ろした<Beautiful Dreamer>。この曲がリリースされると、ビートルズはすぐさまレパートリーに加えたそうです(へえ、そうだったんだ)。ジャック・ケラーを、白人ポピュラー音楽の父ともいうべきスティーヴン・フォスターの系譜に置いてみると、パズルのピースが次々にはまっていくような納得感があります

 そういえば、大滝詠一もジャック・ケラーを大好きだと言っていました。スティーヴン・フォスター、ジャック・ケラー、さらにそこに大滝詠一を加えてみるのも、面白い風景が見えてきそうです。







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特集「作詞家Howard Greenfieldの粘っこい世界」

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ただの「流行歌」が
60年後の今も胸を打つ


 先週まで3回にわたってニール・セダカの話を書いてきました。そこでもふれましたが、ニールがポップス向きの曲を作り始めるきっかけを作ったのが、近所に住む3歳上の詩人の卵、ハワード・グリーンフィールドとの出会いでした。彼らは作曲家と作詞家としてコンビを組み、やがてアルドン・ミュージックと契約し、コニー・フランシスをはじめ、たくさんの歌手にヒット曲を提供していきます。

 当時、売れっ子作詞家はたくさんいましたが、そのなかでハワードはどちらかというと地味なほうだと思います。ジェリー・ゴフィンのような直截さはないし(「Breaking Up Is Hard To Do」とかなんかちょっとまどろっこしいですよね)、ドク・ポーマスのような年齢からくる渋いレトリックみたいなものもない。でも、僕ハワードの歌詞って大好きなんですよね。いくつか紹介したいと思います。

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<My Heart Has a Mind of Its Own>
Connie Francis



 1960年に、ハワードがジャック・ケラーと組んでコニー・フランシスに提供した曲で、全米1位をとったシングルなんですけど、日本人的な感覚からすると、まずタイトルがスッと頭に入ってこない感じしますよね。でも、この回りくどい感覚こそが、ハワードの売りなのです。実際に歌詞を見てみましょう。

I told this heart of mine
Our love could never be
But then I hear your voice
And something stirs inside of me

Somehow I can't dismiss
The memory of your kiss
Guess my heart has a mind of its own

 どうです。なんだか粘っこいでしょう。要は「別れたあなたのことが忘れられない」というだけの内容なんですけど、それを「私のハートは私とは別の生き物なのだ」と表現するこのセンス。今の感覚からすると、あまりにダイナミックなレトリックですが、僕は嫌いじゃないです。さらに歌詞はこう続きます。

No matter what I do
No matter what I say
No matter how I try
I just can't turn the other way

When I'm with someone new
I always think of you
Guess my heart has a mind of its own

 この「No matter〜」の繰り返しなんてさらに粘っこいですよね。しかもF#→C#→B#と落ちていくメロディーを、コニー・フランシスが情感たっぷりに歌うので、余計に「ああ、辛いんだなあ」と感じてしまいます。


<Everybody's Somebody's Fool>
Connie Francis



 続いてもジャック・ケラーとのコンビでコニー・フランシスに提供した曲。この曲も全米1位をとりました。しかも、この<Everybody's Somebody's Fool>(60年4月)の次のシングルが前述の<My Heart Has a Mind of Its Own>(60年7月)だったので、2作連続の1位ということになります。この時期のコニー、ジャック、ハワードというトリオは非常に勢いがあったんですね。

 が、曲の内容はやっぱり粘っこい系。歌詞を見てみます。

The tears I cried for you could fill an ocean,
But you don't care how many tears I cry
And though you only lead me on and hurt me,
I couldn't bring myself to say goodbye

'Cause everybody's somebody's fool
Everybody's somebody's plaything
And there are no exceptions to the rule
Yes, everybody's somebody's fool

「あなたは私を傷つけることしかしない。私はただ泣くだけ。なのに私はあなたにさよならできない。だって誰かを好きになったが最後、人は誰しも愚か者になるものだから」といったような意味ですが、「頭で分かっていても心がいうこと聞かないの!」という点では<My Heart Has a Mind of Its Own>と通じている気がします。

 ただ、この曲は最後にガラッと風景が変わります。1番、2番は「私」の視点で歌われるのですが、3番になると「あなた」に視点が変わるのです。

Someday you'll find someone you really care for
And if her love should prove to be untrue,
You'll know how much this heart of my is breakin'
You'll cry for her the way I cried for you

Yes, everybody's somebody's fool
Everybody's somebody's plaything
And there are no exceptions to the rule
Yes, everybody's somebody's fool

 さんざん私を傷つけてきた「あなた」も、いつか愛する誰かと出会い、その誰かとの愛が成就しなければ、きっと今の私と同じように泣くでしょう…と歌ってもう一度サビのフレーズを繰り返すわけですが、最後に「あなた」が主人公になることで、「愚か者」であるのは決して「私」だけではなくみんなそうなんだ(everybody's somebody's fool)ということがわかるという仕掛けになっているのです。

 僕、最初にこの歌詞を読んだときに、仏教的な無常感すら感じました。3コードで進むカントリー調のシンプルなメロディで、コニーも実にカラッと軽く歌うのですが、その淡々とした感じが逆に人生の真理めいていてゾッとしちゃうんですよね。名曲です。


<Crying In The Rain>
The Everly Brothers



 1962年に全米6位のヒットとなった曲で、作曲はキャロル・キング。ハワードとキャロルが組んだ唯一の曲です。ちなみに、ハワードとキャロル、そしてジャック・ケラーはみんなアルドンの同期でした。

 タイトルに「Crying」とあることからもわかるように、この曲もまた悲しい曲です。

I'll never let you see
The way my broken heart is hurtin' me
I've got my pride and I know how to hide
All my sorrow and pain

I'll do my cryin' in the rain

 ああ、もう読んでるだけで泣きそう。「君と別れた悲しさに胸が張り裂けそうだけど、君に悲しんでいる姿を見せたくないから雨の中で泣こう」という曲。前述の2曲はどちらかというとヒネったところがありましたが、この曲はもっとシンプルでストレートです。これ、メロディも本当にいいんだよなあ。

 一番グッとくるのはブリッジ。

Rain drops fallin' from Heaven
Could never wash away my misery
But since we're not together
I look for stormy weather
To hide these tears I hope you'll never see

 悲しみを流すためではなく、ただこの涙を隠すために、僕はずっと嵐が来るのを待っている―。ああもうつらいつらい。聴いているだけでつらすぎる。雨をモチーフにした失恋ソングってたくさんあるけど、間違いなく屈指の名曲だと思います。

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 以上、3曲を選んでみました。ハワードが手掛けた楽曲は、もちろん他にたくさんあります。代表曲は60年代が多いですが、70年代以降も活動は衰えませんでした。73年には、盟友ニール・セダカとのコンビで<Love Will Keep Us Together>を発表し、後にカバー版が全米1位になります。亡くなったのは86年。50歳を目前にした早すぎる死でした。

 これはハワードに限らずですが、この時代(60年代前半)の歌詞って、非常にシンプルだったんだなあと改めて感じます。不要なレトリックはなく常に明快で、僕のように特別英語ができるわけじゃない外国人でさえ意味がつかめる。

 おそらくこれは、当時のポップソングが、アートであるよりも前に、10〜20代の若いリスナーに流通することを目的とした「商品」だったからでしょう(ポップソングが芸術たりうると認識され始めるのはもうちょっと後の話)。いっときの流行歌として生まれたはずのポップソングが、半世紀以上経った今の時代にも通用する普遍的な感動をもっていること、しかもそれが当時20歳そこそこの若いライター達によって作られていたことを思うと、なんだかとても熱い気持ちがこみ上げてきます。






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特集「Neil Sedakaという不思議」〜最終回〜

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「日本のブリル・ビルディング」に
“刻をこえて”転生する


 なんのかんので3回目に突入してしまったニール・セダカの話。今回が最終回です。
#第1回
#第2回

 先週までは“音楽出版社”や“職業作曲家”、“自作自演歌手”といった、時代を反映したキーワードを軸にニールのキャリアを見てきましたが、肝心の、彼の音楽の話にほとんどふれてませんでした。ということで、最後は彼の音楽について書いてみたいと思います。といっても、一般的に知られる60年代の楽曲ではなく、70年代以降の楽曲をとりあげてみます。

 1962年に<Breaking Up Is Hard To Do>が全米1位を獲得したニールですが、彼の時代が本格的に訪れるかと思いきや、意外なことにそこからみるみる人気が低下してしまいます。63年の<Bad Girl>を最後にトップ50から遠ざかり、シングルを出してもチャート入りしないことすら珍しくなくなります。

 ビートルズのアメリカ上陸が64年の頭なので、ちょうど時代の潮目だったのかもしれません。前回、ニールは旧来の音楽出版社主導の時代と新しい自作自演歌手主導の時代の二つを内包していると書きましたが、ビートルズの登場とロックの誕生による時代の変化のいわば第2波には、乗り切れなかったのです。66年にはデビュー以来契約を続けてきたRCAからも離れることを余儀なくされ、レコード会社を転々とする不遇の時代を過ごすことになります。

 復活は74年。エルトン・ジョンが設立したRocket Recordsからリリースしたシングル<Laughter in the Rain>が全米1位に上り詰めます。翌75年にはエルトン自身も参加した<Bad Blood>で再び1位を獲得。その後も70年代の後半にかけてコンスタントにヒット曲を発表し、ニールは見事に第2の黄金期を迎えるのです。チャートアクションだけ見たら、60年代よりも70年代のほうがむしろ絶頂期といえます。


 劇的なカムバックへの伏線は大きく3つあったと思います。まず一つは、50年代からの盟友ともいうべきドン・カーシュナー(アルドン・ミュージックのオーナー)が、自身のレーベルからニールのアルバムを出してくれたこと。それが71年の『Emergence』と72年の『Solitaire』。いつの時代も人とのつながりって大事だなあと思わせてくれるエピソードです。

 二つめは、その時に出した2作目のアルバム『Solitaire』で優れたバックバンドと組んだこと。メンバーの名前はグレアム・グールドマン、エリック・スチュアート、ケヴィン・ゴドレイ、そしてロル・クレーム。つまりは後の10ccです

 レコーディングを行ったイギリスのストロベリー・スタジオの人脈でこの人選になったのだと思うのですが、演奏はタイトでキレがあり、コーラスも素晴らしく、彼らの力によって60年代のニールとはまったく違う音像が作り上げられました。ひと言でいえば「イギリスの音」になり、実際このアルバムからのシングルはアメリカよりもイギリスでヒットをします。このアルバムがなければ、後にエルトン・ジョンと接近することもなかったでしょう。ちなみに、このアルバムの表題曲は後にカーペンターズがカバーしてヒットをします(僕はカーペンターズ版のほうを先に知っていた)

 最後の3つめは、70年代に入り、シンガーソングライターの時代が訪れたことです。特にエルトン・ジョンやニールの元カノであるキャロル・キングなど、ピアノで弾き語るアコースティックスタイルのアーティストが登場したことは、その先駆者ともいうべきニール・セダカに再び追い風を吹かせる力になったと思います。そういえば、ベン・フォールズもニールへのリスペクトを公言していますが、ニール・セダカをピアノSSWの系譜の祖とする見方は面白そうな気がします


 最後に、ちょっとこじつけ混じりなのですが、もう一度職業作曲家としてのニールの話をしたいと思います。

 彼の歌を聴いたことはなくても、「ニール・セダカ」という名前はアニメファンなら一度は目にしたことがあるはずです。あまりに有名なのでもったいぶるまでもないのですが、答えは85年のアニメ『機動戦士Zガンダム』ですね。このアニメの前期OP<Z・刻をこえて>、後記OP<水の星へ愛をこめて>、そしてED<星空のBelieve>という3曲は、全てニールが作曲しています。

<Z・刻をこえて>は『Solitaire』に収録された<Better Days Are Coming>が、<星空のBelieve>は76年のアルバム『Steppin' Out』の<Bad And Beautiful>が原曲。そして<水の星へ愛をこめて>は、なんとZガンダムのための書き下ろしです。<水の星へ〜>は2018年にNHKの番組で行われた「全ガンダム大投票」のガンダムソング部門で1位を獲りました。僕も人生で最初に聴いたガンダムソングはこれでしたね。

 タネとしては、富野由悠季監督がニールの大ファンで、アメリカまでいって直接オファーしたからという、わりと普通なものなんですが、それがわかっていても、ガンダムとニール・セダカという組み合わせの不思議さには何度でも唸ってしまいます。



 んで、ここからは半分僕の妄想です。ニールがキャリアをスタートした50年代のように若い職業作曲家が同じく若いリスナーに向けてポップスを量産していた時代が日本にもあったとすれば、それは松田聖子中森明菜をはじめとする80年代のアイドルポップだったと僕は考えているのですが、そこに準じるのが同じく80年代のアニメソングシーンじゃないかと思うのです

 加藤和彦と安井かずみが手がけた、映画版『超時空要塞マクロス』(84年)の主題歌<愛・おぼえていますか>。松本隆と細野晴臣というはっぴいえんどコンビが作った『風の谷のナウシカ』(84年)の主題歌。そして、森雪之丞と玉置浩二による『めぞん一刻』の初代OP<悲しみよこんにちは>。いずれも、当時第一線でヒット曲を連発していた作家陣ばかりです(安田成美や斉藤由貴など、アニメソングの歌い手をそもそもアイドルたちが担っていたという背景はあるとは思います)。

 そうした日本のブリル・ビルディング期たる80年代アニメソングシーンの、それもガンダムシリーズというど真ん中の作品に、元祖ブリル・ビルディング期の中心的作家だったニール・セダカが乗り込んできたということに、なんとも因縁めいたものを感じる・・・と書いたらこじつけが過ぎると言われてしまうでしょうか。







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特集「Neil Sedakaという不思議」〜第2回〜

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「2つの時代」を
同時に抱える不思議


 先週に続きニール・セダカの話です。

 前回は、職業作曲家が音楽出版社を通じて曲を提供し、歌手はもっぱらそれを歌うだけという長く続いてきた分業体制が、1950年代から歌手自身が作詞作曲する自作自演が増えてきたことで崩れ始めた、という話を書きました。そして、白人ポップスの分野でもっとも初期に登場した自作自演歌手の一人としてニール・セダカの名前を挙げました

 1939年にNYブルックリンで生まれたニール・セダカは、高校在学中に仲間とコーラスグループを結成。「トーケンズ」という名前でレコードデビューを果たしますが、後にニールは脱退し、57年にRCAからソロ歌手としてデビューします(トーケンズは後に<The Lion Sleeps Tonight>で全米1位を獲得する、あのトーケンズです)。

 ソロデビューしたもののしばらくはヒットに恵まれませんでしたが、58年秋に<The Diary>が全米14位を記録。59年に<Oh!Carol>(9位)、61年に<Calendar Girl>(4位)と着実に人気を広げ、62年の<Breaking Up Is Hard To Do>でついに全米1位を獲得し、人気の絶頂を迎えます。これらの楽曲は全てニール自身が作曲を手掛けました。もしシンガーソングライター(SSW)という言葉が、既に当時存在していれば、その呼び名で呼ばれた最初期の一人になっていたでしょう。

 しかし、SSW(便宜上この言葉を使います)というのはあくまでニールの一面でしかありません。実は彼にはもう一つ、他の歌手に曲を提供する職業作家としての一面があるのです。というよりも、むしろ彼の音楽家としてのキャリアは職業作家のほうから始まります。

 ニールは幼少期からクラシックピアノの英才教育を受けていましたが(後にジュリアード音楽院に進学)、13歳のとき、近所に住む3つ年上の詩人の卵、ハワード・グリーンフィールドと出会い2人で曲を作り始めます。2人はやがて新興の音楽出版社アルドン・ミュージックと契約を結び、キャロル・キングジャック・ケラーと並んで同社の第1号ライターチームの一組となります。

 作曲ニール、作詞ハワードというこのコンビの最初のヒット作は、58年夏にリリースされ、全米14位に上ったコニー・フランシス<Stupid Cupid>。ニール自身の最初のヒット曲<The Diary>が58年の秋だったので、彼自身の名前が最初に世間に認知されたのは、歌手としてではなく作曲家としてだったということになります。当時若干19歳でした

 前述の通り、ニール自身の歌手としての人気もこの頃から急上昇していくのですが、同時並行でハワードとのソングライターチームもたくさんのヒット曲を連発し始めます。ラヴァーン・ベイカーの<I Waited Too Long>(59年)やジミー・クラントンの<Another Sleepless Night>(60年)、そしてなんといってもコニー・フランシスの<Where The Boys Are>(61年)。全米4位の大ヒットとなり彼女の代表曲になりました。僕が最初に聴いたコニーの歌もこの曲でした。

 このように、ニール・セダカというアーティストは、自作自演歌手でありながら音楽出版社と契約した職業作曲家でもあるという2つの面を併せ持っていました。自作自演歌手が一般的になるにつれて、それまで業界の重要なプレイヤーだった音楽出版社は徐々にその存在感が薄くなっていったと書きましたが、そういう意味ではニールという一人のアーティストのなかに、既存のシステムとそれを壊す新しい波とが同居していたわけです。ニールのキャリアが面白いと書く根拠は、まさにこの矛盾にあります。

 さて、2週にわたってニール・セダカについて書いてきましたが、肝心の音楽の話にふれてませんでした。ということで来週もう1回ニール・セダカやります。

 ちなみに、ニール・セダカの名前で音源やCDを検索すると基本的にはほとんどニール自身が歌う作品しかヒットしません。職業作曲家としての彼の作品がまとまったものは、ハワード・グリーンフィールドと組んでいた60年代の楽曲を集めた『Where The Boys Are: The Songs Of Neil Sedaka And Howard Greenfield』が僕の知る限りは唯一です。







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特集「Neil Sedakaという不思議」〜第1回〜

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「シンガーソングライター」
という呼び名がなかった頃の話


 オールディーズを聴きこんでいくと、途中でぶち当たる壁の一つが「音楽出版社」という存在です。「音楽の出版」ってどういうこと?レコード会社とは違うの?

 1960年代の半ばまで、曲を作る人とそれを歌う/演奏する人とは、別々であるのが一般的でした。歌手はもっぱら与えられた歌を吹き込むのが仕事で、彼らが歌う曲を作るのは大勢の専門的な職業作曲家たちでした。そして、歌手がレコード会社に所属して自分のレコードを世に出すのと同じように、職業作曲家が自身の曲を売るためにエージェント契約を結ぶのが、音楽出版社でした。

 レコードが普及する以前、音楽は楽譜の形で流通していました(シートミュージックと呼ばれます)。音楽出版社はこの時代に、楽譜を販売する文字通りの出版社としてスタートします。彼らは優れた作曲家を抱え込み、ピアノと机を与えて次から次へと曲を書かせました。音楽出版社が集まるNYの通りが、四六時中ピアノが鳴り響き、まるで鍋や釜を叩いているように騒々しかったところから「ティン・パン・アレー」と名付けられたのは有名な話。やがてレコードが一般的になると、歌手や演奏家が録音する曲(今風にいえばコンテンツ)をレコード会社に向けて売る業態にシフトしていきます。

 例えばScepter Recordsが、出戻りガールズグループのシュレルズでシングルを1曲作ろうと思ったとします。するとディレクターは(ひょっとしたらプロデューサーのルーサー・ディクソンも)まず、音楽出版社を片っ端から訪ねて、カタログを眺めながらシュレルズに合う曲を探します。

 やがて、新興の音楽出版社アルドン・ミュージックのカタログで、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングという若いソングライターが作った<Will You Love Me Tomorrow>が目に留まります。レーベルはアルドンに既定の使用料を払ってこの曲を録音する権利を買い、スタジオに戻る…というのがおそらく一般的なパターンだったろうと想像します。当時は音楽出版社が、音楽業界の重要なプレイヤーであり、ヒットのカギを握る存在でした。


 エルヴィスのようなスーパースター歌手が登場すると、レコード会社がカタログのなかから既存の曲を選ぶのではなく、音楽出版社のほうから「この曲をエルヴィスに歌わせませんか?」と営業をかけるようになるのですが、60年代に入るとさらに一歩進んで、レコード会社が「今度Aというアーティストが●●っていうテーマでシングル出すんだけど、いい曲ない?」と今でいうコンペのようなやり方で音楽出版社から曲を募るようになります(このやり方を最初にやり始めたのは、かのフィル・スペクターだそうです)。

 ちなみに、日本にもシンコーミュージックとか音楽之友社とか歴史の古い音楽出版社はありますが、アメリカのそれとはだいぶ立ち位置が異なります。日本の場合は作曲家や作詞家もレコード会社が契約で囲い込んで、自社に所属する歌手だけに曲を書かせる「専属制度」とよばれる仕組みが一般的だったので、音楽出版社は音楽書籍や楽譜の出版を事業の核としていました。

 音楽学者の輪島裕介が著書『作られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』で指摘していますが、アメリカでは曲を提供する側と録音する側が切り分けられていたことで、同じ曲を異なるアーティストがカバーすることが可能になり、その結果時代を超えて愛聴される「スタンダードナンバー」が数多く生まれたのに対し、作曲家が自社以外の歌手には曲を提供できない日本の「専属制度」のもとでは、スタンダードナンバーやカバー文化が生まれにくかったという側面がありました。


 ただし、アメリカでも60年代が終わる頃には音楽出版社の存在感はぐっと小さなものになります。理由は単純で、歌手自身が曲を作る自作自演が一般的になったから。歌手が自分で歌を作ってそれがヒットするのであれば職業作曲家は相対的に減少し、必然的に「職業作曲家のエージェント」としての音楽出版社も力を失います。

 自作自演の歌手は50年代から増え始めます。当時はまだ「シンガーソングライター」なんていう言葉はありませんでした。レイ・チャールズサム・クック、やや時代がくだってチャック・ベリーリトル・リチャードなど、R&Bにおいて活躍が顕著でしたが、50年代後半からはポップスでも自作自演歌手がちらほら登場し始めます。その代表格がポール・アンカデル・シャノン、そしてニール・セダカでした。

 ようやく出てきました、今回の主人公ニール・セダカ。なぜニール・セダカの話を始めるのに音楽出版社の話を枕にしたのかは・・・次回書きます!







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特集「Beverly Warrenという生きざま」

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華やかなスポットライトを
浴び続けられなくても


 以前、作曲家エリー・グリニッチが夫のジェフ・バリーと共に結成したコーラスグループ、レインドロップスについて取り上げたことがあります。レインドロップスのレコードはエリーとジェフの多重録音によって作られており、もう一人のメンバーであるエリーの妹ローラは、レコーディングには関わっていませんでした。ローラはコンサートや撮影など、グループとして露出するときにだけ参加する、いわば「形だけのメンバー」という存在だった・・・という話まではふれました。

 実は、このローラには「影武者」がいました。そもそもローラ自身が影武者みたいな存在なのに、さらにそこに影武者がいたなんてややこしすぎるのですが、長いツアーなどを回る際はこの影武者がローラとして帯同したそうです(ちなみにジェフにも影武者がいる)。

 ただし、この「影武者」はローラと違い、歌が歌えました。なぜなら本物の歌手だったから。この「影武者」が、今回取り上げるビヴァリー・ウォーレンです。

 ビヴァリーは1962年、ブレントウッズというコーラスグループのメンバーとして活動するところからキャリアをスタートさせます。当時14歳でした。やがてブレントウッズが解散すると、今度はリッキー&ホールマークスというグループの一員になります。

 リッキー&ホールマークスはBell Records傘下のAmy Recordsから1枚だけシングルをリリースするのですが、大して売れずにグループは解散。しかしこのときにエリー・グリニッチと知り合ったビヴァリーは、彼女の作った<It Was Me Yesterday>でUnited Artistsからソロ歌手としてデビューします。ちなみに僕が最初にビヴァリーを知ったのは、エリーのコンピに入っていたこの曲でした。



 結局、このシングルも大して売れなかったのですが、このときのエリーとの縁が、レインドロップスの「影武者」としての活動につながっていきます。その後、65年にはゴフィン&キングスキーター・デイヴィスに作った<Let Me Get Close To You>をカバーしてLaurie Records傘下のRustからリリースするのですが、こちらも大して売れなかったもよう。



 72年には(この時点でまだ20代前半)、<It Hurts To Be Sixteen(なみだの16歳)>で知られるアンドレア・キャロルとB.T. Puppy Recordsから『Side By Side』というタイトルのスプリットLPを出します。A面がアンドレアでB面がビヴァリー。ここではシフォンズが63年にNo.1ヒットをさせた<He’s So Fine>を、本家シフォンズをコーラスに迎えてカバーしたりしています。

 ちなみに、このアルバムのリリース元であるB.T. Puppy Recordsは<ライオンは寝ている>で有名なトーケンズが設立したレーベルで、ビヴァリーが吹き込んだ<A Few Casual Words>と<Papa Bill Is Home>を作曲したポール・カハンはトーケンズの楽曲を手掛ける作曲家。この頃のビヴァリーはトーケンズの周辺で仕事をしていたようです(ちなみにアンドレアの<It Hurts To Be Sixteen>を作ったのはトーケンズのオリジナルメンバーであるニール・セダカ)。

 その後、ビヴァリーはカントリーバンド、ヴィンス・ヴァンス&ヴァリアンツやリッキー&ホールマークスの元メンバーが作ったブレンドエアーズ、ドゥーワップグループのティーンコーズといったグループを渡り歩きながらキャリアを重ねていきます。還暦を迎えても現役バリバリで、08年時点ではNYのターセルズというコーラスグループで活動していたそうです。

※2011年の映像


 さて、ここまで延々と、ビヴァリー・ウォーレンという一人の女性歌手のキャリアを紹介してきました。彼女はお世辞にも有名とはいえません。むしろ「ど」がつくほどマイナーなアーティストです。けれど10代の前半からずっと、途切れることなくアメリカの音楽業界のなかで生きてきました

 彼女のキャリアの特徴は、グループの一員として出てきて、途中ソロ歌手として活動をするも、再びグループの一員に戻っていくところです。このときに、自分がリーダーとなるのではなく、既存のグループに途中から加わり、「お手伝いさん」の位置に甘んじ続けるのは、何かを悟って諦めた結果なのか、それとも本心では忸怩たるものがあったのか。いずれにせよ、長いバックコーラス稼業を経てソロになり、世界的なヒット映画『ホーム・アローン2』の主題歌を歌ったり、さらには自身をモデルにした映画が作られたりするダーレン・ラブとはまったく異なります。

 ビヴァリーの50年以上に及ぶキャリアは傍目には低空飛行に映るかもしれません。でもね、僕は声を大にしていいたいんだけど、彼女は素晴らしい歌手です。前述のようにエリー・グリニッチのコンピに入っていた<It Was Me Yesterday>で初めて聴いたんだけど、あまりの声の良さに一瞬時が止まったような気さえしました。

 そこから夢中で彼女の情報を追い求めて、なんとか入手できたのが、2008年にリリースされた彼女の唯一のアルバムであり、キャリアのほぼすべてを網羅したベスト盤『The Secret’s Out』。私、手違いでこれ2枚持ってます。日本はおろか、世界中を探してもこのアルバムを2枚所有している人ってレーベルと本人以外他にいないんじゃないか

 さっき「低空飛行」と書いたけど、音楽業界には華やかなスポットライトが当たり続ける人だけじゃなく、彼女のような存在もたくさんいるんですよね。でもそれってよく考えてみたら現実も一緒で、「100点の人生」を夢見ても、ほとんどの人が「62点」とか「45点」しか取れず、その中途半端な点数と自分の満足感とを折り合い付けながら生きているはずです。

 そう考えると、彼女のキャリアの重ね方っていうのは、大スターの華やかな経歴よりもかえってシンパシーが湧く気がします。そして、淡々とキャリアを積んで確かな実力があれば、いつかこういう形(ベストアルバム)でギフトがもらえるってところも、なんか勇気をもらえます。








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Vampire Weekend『Father Of The Bride』

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黒と白のように、昼と夜のように
僕らは一緒にやっていこう


 あるアーティストを追い続けていると、新作が出るたびに以前の作品から何がどう変わったか(変わってないのか)に敏感になってしまうものですが、ヴァンパイア・ウィークエンドが今年5月にリリースした新作『Father Of The Bride』も、前作『Modern Vampire of the City』(2013年)から6年のあいだに起きた変化を如実に反映したアルバムとなりました。

 一つは、トランプ政権の誕生。多くのアーティストが、「トランプ以降」の世界について、作品を通じて何らかのアティチュードを表明していますが、ヴァンパイア・ウィークエンドも例外ではありませんでした。<Harmony Hall><This Life>は、明らかにトランプ政権下のアメリカを視野に入れた曲だと思います。<This Life>の下記の歌詞なんて、思わずハッとしました。

Baby, I know hate is always waiting at the gate
I just thought we locked the gate when we left in the morning
And I was told that war is how we landed on these shores
I just thought the drums of war beat louder warnings



 しかし、バンドにとってこの6年間に起きたもっとも大きな変化は、なんといってもロスタム・バトマングリの脱退でした。

 ロスタムの脱退は、単に1人のプレイヤーがバンドから抜けたというだけに留まらなかったはずです。なぜなら、過去3作のプロデューサーを務めたのは他でもないロスタムであり、彼こそがヴァンパイア・ウィークエンドというバンドのサウンドの核を担っていたからです。

 なので、今回の『Father Of The Bride』は、ロスタムがこれまでバンドのなかで果たしていた役割を、逆説的に証明するような作品になっています。

 まず、音数がぐっと減りました。特にロスタムが主に担っていたシンセ系の音が減り、必然的にギター主体のサウンドに変わっています。ビートルズ<Blackbird>を思わせるギター弾き語りの<Hold You Now>を1曲目に配置しているところに、僕はなにか「宣言」めいたものを感じました。

 もう一つ、「これがロスタムの個性だったんだなあ」と感じたのはビートに対する感覚です。今回のアルバムを聴くと、過去3作がいかにビートを強調していたかがよく分かります。デビュー作の頃、よくヴァンパイア・ウィークエンドは「アフロビート」というような形容をされましたが、そのキャラクターを作っていたのはロスタムだったんですね。

 では逆に、ロスタムが抜けてバンドに残ったものは何か。僕はエズラ・クーニグの「メロディ」と「声」だと思います。やはりというか、エズラのメロディは絶対的な「華」のようなものがあり、さらにそれを歌う彼自身の声にも心を揺さぶる力があります(決して美声というわけではないのに、不思議ですね)。

 このことは、ロスタムがバンド脱退後リリースした最初のソロアルバム『Half-Light』が(これもまた逆説的に)証明していました。この1stソロを聴いたとき、サウンドはまんまヴァンパイア・ウィークエンドだったのですが、決定的に欠けていたのがメロディと、エズラのあの声だったのです。

 このように、『Father Of The Bride』というアルバムは、「変わったもの」と「変わらないもの」とがせめぎあっている作品です。18曲というボリュームと、それをメドレー的につなぎ合わせた構成は、「ポスト・ロスタム」の葛藤と混沌の表れのようであり、いくつかのメディアが指摘するように、確かにこのアルバムはビートルズの『ホワイト・アルバム』を彷彿とさせます。

 ただ、『ホワイト・アルバム』はメンバー4人それぞれが曲を持ち寄っていたのに対し、『Father Of The Bride』のコンポーザーは、基本的にエズラ一人だけ。残る二人のメンバー、クリス・バイオとクリス・トムソンはレコーディング自体に参加していない曲なんかもあって、ヴァンパイア・ウィークエンドは徐々にエズラの個人プロジェクトになっていくのかもしれません

 TVに出演してる映像なんかを見ると、サポートミュージシャンを大量に入れていて、以前よりもアンサンブル感は強まっています。一人の作曲者の頭のなかで鳴っている音を、何人ものミュージシャンで再現し、増幅していくというあり方に、僕はブライアン・ウィルソンに近いものを感じました。



 脱退したロスタムですが、実はこのアルバムにも一部の曲でプロデューサーとして参加しています。関係は切れてないんですね。よかったよかった。そのうちの1曲は前述の<Harmony Hall>で、実はアルバムを最初に聴いたときに「おっ、これいいじゃん!」と思ったのがこの曲でした。後で調べてロスタムが関わっているとわかり納得。

 そしてもう1曲が、<We Belong Together>。この曲でロスタムはプロデュースだけでなく、エズラとともに作曲者としても名を連ねています。タイトルからしてウルッときてしまいますが、歌詞も「僕らはずっと名コンビとしてやってきた。でも、それは二人が似ていたからではなくて、むしろ僕らは常に真逆だった。真逆のまま、これからも一緒に歩いていこう」というような内容で、なんて美しく前向きな友情の描き方だろうと、激しく感動しちゃいました。








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特集「The Shangri-LasとThe Goodies〜光と影の双生児」

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歴史の闇にひっそりと消えた
「もう一つ」のシャングリラス


 こちらをじっと見つめる美しい金髪の少女と、「なぜここに?」という違和感を放つ謎のバイク。そして、バーンと大きくプリントされた、それ自体がキャッチコピーであるようなグループ名「Shangri-Las」の赤い文字―。

 シャングリラスを最初に知ったきっかけは、曲でもプロフィールでもなく、アルバムのジャケットでした。中古レコード屋でたまたま見つけた彼女たちの1stアルバム『Leader Of The Pack』のジャケットに、「これは好きに違いない」という直感を覚えて、その場でジャケ買いしたのです。果たしてその直感は当たりでした。

 1963年に、NYの同じハイスクールに通っていたベティとメアリーのワイス姉妹と、メリーアンとマージのガンザー姉妹の4人で結成されたシャングリラス。Smashからリリースしたデビューシングルは鳴かず飛ばずじまいでしたが、64年にRed Birdに移籍し、プロデューサーのシャドウ・モートンと出会ったことで運命が変わります。

 まず、シャドウの手による<Remember (Walking in the Sand)>で全米5位に入ると、続く<Leader Of The Pack>(シャドウが書いた元曲をエリー・グリニッチとジェフ・バリーが仕上げた楽曲)で全米1位を獲得。彼女たちの人気の高まりを受けて、レーベルは急きょ1stアルバムをこしらえます。それが、僕が見かけた『Leader Of The Pack』。ジャケットのセンターに映る金髪の美少女メアリー・ワイスは、当時まだ15歳でした。



 翌65年になってもシャングリラスの人気は衰えず、<Give Us Your Blessings>、<I Can Never Go Home Anymore>などヒットを出し続けます。そこでレーベルは、またも彼女たちの既発曲をひとまとめにしてアルバムに仕立てることにします。それが『Shangri-Las-65!』。タイトルもコンセプトも「在庫一掃セール!」という感じでミもフタもないですが、個人的には1stよりもこの2ndのほうが、より彼女たちのイメージに近い楽曲が揃っているような気がします。



…と、ここまでが実は前置きでした。今日の本当の主人公はシャングリラスではなく、彼女たちの陰でひっそりと歴史の闇に消えてしまったあるガールズグループなのです。その名はグッディーズ(The Goodies)。

 アルバム『Shangri-Las-65!』のなかに<Sophisticated Boom Boom><The Dum Dum Ditty>という2つの曲があります。この2曲のオリジナルを歌っているのがグッディーズです。

 グッディーズは63年、NYに住んでいたマリアン・ジェスムンド、スーザン・ゲルバー、ダイアンとモーリーンのライリング姉妹の4人で結成されました。結成された年も住んでる地域も4人の関係も(姉妹が含まれている点も含めて)、シャングリラスに驚くほど似ています

 そして、あるショーに出演したのをきっかけに、当時バニーズ(The Bunnies)と名乗っていた彼女たちは、シャングリラスのプロデューサーであるシャドウ・モートンと出会います。ちょうどシャングリラスが<Remember (Walking in the Sand)>で最初のヒットを出した直後でした。

 バニーズ(グッディーズ)を見込んだシャドウは早速、彼女たちとデモテープづくりを始めます。その曲のタイトルは<Leader Of The Pack>。そうなのです、後にシャングリラスのシングルとして全米1位を獲得するこの曲は、元はバニーズのシングルになるはずだったのです

 ところが、できたばかりの<Leader Of The Pack>のデモテープを聴いたRed Birdは(シャドウの話によるとジェリー・リーバーだったそうですが)、どこの馬の骨かもわからないバニーズではなく、既にヒットを出しているシャングリラスのシングルにこの曲をあてることを決めてしまうのです。

 デビューシングル、しかも全米1位を獲った曲を奪われたバニーズは、泣く泣く次のデモをつくることにします。同じくシャドウが用意した<Give Him A Great Big Kiss>でした。ところが、なんとこの曲もシャングリラスに奪われるのです。<Give Him A Great Big Kiss>はシャングリラスのRed Birdからの3枚目のシングルとしてリリースされ、全米18位まで上がりました。

 芽が出ないどころか種さえ植えられていない状態のバニーズでしたが、65年になってようやくチャンスが回ってきます。Red Birdの姉妹レーベルBlue Catから、ついにシングルを出せることになったのです。それが<The Dum Dum Ditty>でした(B面が<Sophisticated Boom Boom>)。

 ところが、ここでもミソがついてしまうのです。レコーディングが終わり、パブリシティも用意していよいよデビュー!となったタイミングで、「Bunnies」という商標が既に登録されており、そのままのグループ名ではデビューできないことがわかります。

 レーベルは急きょ「The Goodies」というグループ名をひねり出して、刷ってしまったチラシやポスターには新しい名前のステッカーを上から貼るという強引な手を施し、とにかく力ずくでデビューさせてしまうのです。まさにドタバタ。ちなみに、グループ名を変えることについて、レーベルはメンバーたちに一切事前の告知はしなかったそうです。ブラックすぎる…。

 さらに(まだあるのかよ!)、彼女たちが待ち望んだオリジナル曲として世に出た<The Dum Dum Ditty>と<Sophisticated Boom Boom>ですが、結局はまたしてもシャングリラスに奪われることになるのです。それが前述の、2nd『Shangri-Las-65!』に収録された2曲です。グッディーズの方が先に出したので、厳密には「奪われた」という表現は間違いですが、でもこれで結局「グッディーズしか歌っていないオリジナル曲」というのは1曲もなくなったことになります。

 グッディーズの<The Dum Dum Ditty>は東海岸のローカルチャートではそれなりに健闘したようですが、全国チャートにはまったく引っかかりませんでした。レーベルから満足のいくサポートは受けられず、ようやく実現したデビューシングルも結果が出せなかったグッディーズは、メンバーの進学や引っ越しなどが重なったこともあり、そのまま解散してしまうのでした



 ということで、グッディーズとしての公式な音源として残っているのは<The Dum Dum Ditty>と<Sophisticated Boom Boom>のたった2曲のみ。<Dum Dum〜>のほうはRed Bird関連のコンピ盤に、<Sophisticated〜>のほうはシャドウ・モートンのコンピ盤に収録されているのを把握しています。ちなみにサブスクリプションで「The Goodies」を検索すると、70年代のイギリスのコメディグループがヒットします(後から出てきた同名グループのほうが知られている点も、なんとも悲しい)

 この2曲、どちらも僕は好きなんですよね。<The Dum Dum Ditty>は最初に聴いたとき、てっきりエリー・グリニッチの曲だと思いました。そう勘違いするくらいの、クリスタルズ<Then He Kissed Me>ぷり。でも実は、トミー・ボイスボビー・ハートという、後にモンキーズの作家になる2人が書いています(他に、グループのマネージャーであるラリー・マータイアなどさらに2人が参加)。優れた作曲家が本気でモノマネをすると、本物と勘違いするほど完成度の高いスペクターサウンドが出来上がるんだという証拠のような曲です

 もう一つの<Sophisticated Boom Boom>は台詞あり、ドラマチックな展開ありで、いかにも「シャドウ・モートン節」な曲。話はそれますが、この曲を聴くと、シャングリラスやグッディーズを受け入れられるかどうかは、結局シャドウ・モートンという人のキャラクターを受け入れられるかどうかなんだと感じます。

 どちらの曲もシャングリラス版とほとんどアレンジは一緒ですが、僕はグッディーズのほうがよりワイルドで「はすっぱ」な印象を受けます。シャドウ・モートンが目指した世界観により近かったのは、実はグッディーズの方だったのでは?という「if」を想像してしまいます。もし、バニーズがシャドウに出会うのがほんの少し早かったら、バニーズがシャングリラスになっていた可能性は十分あると思います。そのくらい、両者は似ています。でも、実際の歴史は、両者の運命を大きく隔てました。

 ただ、グッディーズは、こうして音源が残っているぶん、まだいいのかもしれません。きっと歴史の闇の彼方には、ほんの一部の人しか知らないまま、誰かの陰になって消えていったアーティストが大勢いるんだろうなあと想像します(『あまちゃん』の天野春子のように)。

 最後に、グッディーズの後日談を。2000年代に入ってグッディーズのメンバーは子供や共通の友人を介して再会を果たします。そして、オールディーズのガールズポップを特集したイベントで、彼女たちはもう一度ステージに立って歌う機会を得るのです。そのステージを見つめる観客の一人に、シャングリラスのメアリー・ワイスもいました。両者はその日、どんな会話を交わしたのだろうと想像します。












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The Exciters『Tell Him』

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さよならニューヨーク
さよならガールズポップ


「いつまでも聴いていたい歌声」というものがあるなら、僕にとってのそれはまずなんといってもコニー・フランシスなんですが、次点を挙げるとするなら、真っ先に頭に浮かぶ名前の一人がエキサイターズブレンダ・リードです。

 思春期の声変わりのようなブレンダのハスキーボイスには、パワーと同時に瑞々しさがあり、聴いているとなんともいえないスカッとした感じがあります。レコーディングのせいなのか、彼女のボーカルには常に自然なエコーがかかっていて、それがまた声の良さを引き立たせています。家に帰ったらブレンダ・リードがいて、一晩中何かしら歌を歌ってくれたらどんなに楽しいだろう。

 エキサイターズは1961年、NYのクイーンズで当時高校生だったブレンダを中心に結成されました。「The Masterettes」という名義で1枚レコードを作ったあと、メンバーを入れ替えてリーバー&ストーラーのオーディションを受けます。その結果、後にブレンダの夫となるハーブ・ルーニーが加入し、グループ名も「The Exciters」に改名して、リーバー&ストーラーのプロデュースのもと、デビューシングルをUnited Artistsから発売します。それが<Tell Him>

 かっこいいですよね。マイナーコード主体の陰りのある序盤から「Tell Him That…」のコーラスまで、うねるように移動しながら、気づいたらいつの間にか見晴らしのいい場所に来ていた…といったような、美しくもダイナミックな展開。この曲は全米4位まで上がりました。

 曲の作者はバート・バーンズドリフターズの<Under The Boardwalk>やゼムの<Here Comes The Night>(のちにエキサイターズもカバー)の作曲家として知られていますが、彼のNo.1は間違いなくこの<Tell Him>だと思います。そして、この<Tell Him>のヒットを受けて、同じくUnited Artistsから翌年リリースされたのが、同名タイトルの1stアルバム。

 エキサイターズを語るとき、このデビューアルバムのことはほとんど話題に上らないのですが、いやー、めちゃくちゃいいアルバムだと思います。曲がどれもよくてポップアルバムとして素晴らしいのはもちろんなのですが、同時期のNY周辺のガールズグループと比べると、ぐっとソウルフルな感覚を秘めているのが大きな特徴。

 アレンジも素晴らしく、<Get Him Alone>や<I Dreamed>に使われる、跳ねるようなストリングスやグロッケン(かな?)とか、どこかビッグバンドっぽいんですよね。そこらへんも他のグループよりも黒っぽく感じる所以かもしれません。


 アルバムのアレンジを一手に引き受けているのはティーチョ・ウィルシア。この人は、元々はジャズのピアニスト出身なので、ビッグバンドっぽく感じるのはそれが理由なのかも。アレンジャーとしてはコースターズやドリフターズなど、リーバー&ストーラー周辺のアーティストの楽曲に参加しています。

 が、ティーチョ・ウィルシアの代表曲はなんといってもアイズレー・ブラザーズの<Twist And Shout>。この曲は、実はバート・バーンズもバート・ラッセル名義で共作者の一人に名を連ねているので、つまりオリジナルの<Twist And Shout>を作った2人が、エキサイターズを通じて久々に揃ったと見ることもできます。

 ちなみに、アルバム『Tell Him』の1曲目に入ってるのは、エリー・グリニッチ作曲の<He's Got The Power>という曲なんですが、僕が最初にエキサイターズを知ったきっかけが、この曲のビデオでした。なんで覚えているかというと、このビデオがあまりに低予算&素人臭くてインパクト大だったから。ちょっと見てみてください。


「なぜここで撮ったんだ?」と突っ込まざるをえない微妙なロケーション。これどう見たってただの「藪」でしょう。この曲は「私は言いたくないのに、彼の手にかかるとその言葉を口にしてしまう。きっと彼には力(=Power)があるに違いない」というちょっとひねったラブソングなんですけど、歌詞の内容と風景が1ミリもかすっていない。そして「なぜこの日に撮ったんだ?」と突っ込まざるをえない、鉛色をした重たい曇り空。「もうちょっと何かこう、あるだろう!」というイラついた義侠心が煮えたぎってくる気がします。こんなビデオ、忘れられるわけがない

 さて、先ほど「エキサイターズはソウルフル」という話をしました。「モータウンに対するNYからの回答」などとも評される彼女たちですが、個人的にはモータウンよりももっと南部寄りの印象を受けます。エキサイターズはマンフレッド・マンが大ヒットさせた<Do-Wah-Diddy>のオリジナルを歌ったことで有名ですが、マンフレッド・マン版とエキサイターズ版とを比べると、彼女たちの特徴がよく感じられます。




 エキサイターズはこの後Rouletteに移籍して66年にセルフタイトルの2ndアルバムを出すのですが、非常にかっこよく泥臭い作品になっており、いわゆる「ガールズポップ」からは完全に脱皮しています。アレサ・フランクリンの『Lady Soul』は68年ですが、その2年も前の時点で、あの名盤に近いアーシーなフィーリングをレコーディングしちゃってるのは、何気にすごいと思う。

 結局、セールス的なピークはデビュー曲の<Tell Him>で、彼女たちは最後までそれを超えることはできませんでした。ですが、同時期のガールズグループの多くが、同じ場所・同じ路線を維持し続けたのに対し(もちろん、それはそれで素晴らしいけど)、エキサイターズは変化することを恐れず次へ次へと進んでいったという点で、とてもユニークなグループだと思います。








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特集「Ellie Greenwich」〜The Raindrops編

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60年代ポップスにおける
最高の「自作自演」


 シンガーソングライターとして大成功を収めたキャロル・キングと比べるとどうしても知名度は落ちますが、エリー・グリニッチも間違いなく1960年代前半の米ポップスを彩ったブリル・ビルディングサウンドの立役者の一人です。

 ロネッツの<Be My Baby>、クリスタルズの<Da Doo Ron Ron>、ボブ・B・ソックス&ブルージーンズの<Not Too Young To Get Married>、シャングリラスの<Leader Of The Packs>、マンフレッド・マンのカバー版が有名な<Do Wah Diddy Diddy>…。思いつくまま挙げてくだけで、そのまま「60sポップスベスト」が出来上がりそうです。

 個人的に思い入れがあるのはロネッツの<I Can Hear Music>。これ、最初はビーチボーイズのカバー版の方を先に知ったんですよね。てっきりブライアン・ウィルソンの曲だと思ってたところ、調べてみたらエリー・グリニッチと彼女の夫ジェフ・バリーの曲だった。長らく僕にとって歴史の最奥部だったビーチボーイズの、そのさらに後ろにキラキラと輝く鉱脈が眠っていることを最初に気づかせてくれた1曲でした。



 さて、そのエリー・グリニッチですが、実はキャロル・キング同様に自身も歌手として活動していました。1963年、前年に結婚した夫ジェフ・バリーと共作した<What A Guy>をThe Sensationsというドゥーワップグループに書き下ろし、自分とジェフの声でデモ音源を吹き込んだところ、レーベルはなんとそのデモのほうをシングルとして発売することを決めるのです

 そうしてにわかに急造されたグループがThe Raindrops。グループといっても、実際にはエリーとジェフの2人で多重録音し、あたかもグループっぽく見せていた、人気ソングライターによる一種の覆面グループでした。ステージでは(ライブをやることが驚きですが)エリーの妹のローラに衣装を着せて、歌に合わせて口パクさせてグループっぽく見せていたそうです。ローラはアーティスト写真にも「メンバー」として顔を出しています。

 しかし、エリーとジェフが作り出した数々の大ヒット曲たちに比べると、彼女たち自身が歌うThe Raindropsは大したヒット曲を残せませんでした。数枚のシングルとアルバム『The Raindrops』をリリースした後、65年には活動を休止。ちょうどその頃エリーとジェフは離婚をするので、ちょうど彼女たちが夫婦だった時期がグループの活動期と重なることになります。こうしてThe Raindropsという名前は、一部のポップスファンの記憶の中でのみ生き続けてきたのです…。

 …というキャリアについて知ったのは、実はThe Raindropsの音楽を聴いてしばらく経った後のこと。初めて聴いたとき、それがエリー・グリニッチ自身の声だとも知らず、僕は「むちゃくちゃいいな!何このグループ!」と思ったのでした。

 気に入った理由はシンプルで、ボーカルは女性なのに曲はドゥーワップという点がとても新鮮だったからです。<I Can Hear Music>をきっかけにブリル・ビルディングサウンドに傾倒していた同じころ、僕は同時代を代表するもう一つのスタイル、ドゥーワップにもハマっていました(その結果シャネルズに行きつくわけです)。The Raindropsは、その2つの音楽スタイルがハイブリッドされた、僕にとっては夢のようなグループに思えたのです。

 このハイブリッド感は、前述の通りデビューのきっかけがドゥーワップグループに提供した曲で、デモ音源を作るためにハーモニー部分はエリーが多重録音せざるをえなかったという、言ってみれば「たまたま」にすぎません。けれど、60年代前半を代表する2つのスタイルが、縁の下で支えていた2人のソングライター自身の声で混ぜ合わされたという事実は、圧倒的後追い世代である身からすると、とてもドラマチックに思えるのです。









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Hal Blaine追悼特集

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「ドッドドン、ダン!」の
系譜について


 今年3月、ドラマーのハル・ブレインが亡くなりました。アメリカ西海岸の腕利きミュージシャン集団「レッキング・クルー」の中心人物として、ビーチボーイズサイモン&ガーファンクルをはじめ数々の名曲/名盤のレコーディングに参加し、彼の叩くドラムが録音された曲は35,000曲を超えると言われる、現代のポップミュージックを代表する名ドラマーです。「彼の名前は知らなくても、彼がドラムを叩いた曲は知っている」という、セッションミュージシャンの鑑のような人でした。

 とにかく膨大な録音を残した人ですので、全ての曲を把握するなんて無理なのですが、拙い知識のなかで1曲だけ選べと言われたら、ベタベタなんですけど、やはりロネッツの<Be My Baby>を選びます。


 なんといっても、イントロの「ドッドドン、ダン!」っていうリズムですよね。最初に聴いたのがいつだったのかもう覚えてないですけど、何度聴いてもうっとりとした気持ちになります。ドラムだけでなんでこんなにも雄弁なフレーズが作れるんでしょう。

 もちろん、この曲はアレンジも声もメロディも全てが素晴らしいのですが、やはりあのイントロを抜きにしては語れません。女性ボーカルもののポップミュージックを、ジュディ・ガーランドとかアンドリュー・シスターズとかの時代から順々に聴いていくと、ロネッツにたどりついた瞬間に「あ、完成した」という”これ以上はない”感みたいなものがあります。単にドラムだけを根拠にしたのではなく、楽曲の果たした歴史的役割みたいなものから逆算して、この曲を「ハル・ブレインのベストドラム」に選びました。

 さて、そのように歴史的名演であるがゆえに、この「ドッドドン、ダン!」のフレーズは以降さまざまな楽曲でカバーされてきました。そのなかの数曲を以下に挙げてみたいと思います。既にいろんなメディアで取り上げられてきたテーマではあるのですが、自分なりの視点で選んでみました。

<Just Like Honey>
The Jesus And Mary Chain
(1985年)

 やっぱり何を置いてもこの曲を挙げないと始まらないでしょう。<Just Like Honey>自体がロック史に残る名曲ですが、そのイントロが<Be My Baby>というのが面白いというか、歴史が受け継がれていくのを強く感じますね。

 余談ですが、僕はこの曲を聴くとソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』を思い出して毎回泣いてしまいます。


<Gentle Sons>
The Pains Of Being Pure At Heart
(2009年)

 愛するペインズにも「ドッドドン、ダン!」がありました。もっともこの曲は<Be My Baby>というよりも、ジザメリの系譜といった方がよさそう。実際ペインズが登場したときはシューゲイザーという文脈で語られましたが、眩暈のなかで眠りに落ちていくようなこの曲のダル重い感覚は、<Just Like Honey>に近いと思います。そういう意味では、<Be My Baby>の「孫」といえるかもしれません。


<Ghost Mouth>
Girls
(09年)

 ペインズと同じく09年に発表されたのがこの曲。NMEやPitchforkをはじめ音楽誌で軒並み高評価をたたき出した、その年を代表する1枚となったガールズの1stに収録されています。

 バンドの中心人物であるクリストファー・オーウェンズは、以前このブログでも取り上げたことがありますが、明らかにフィル・スペクター→ブライアン・ウィルソンの系譜を継ぐ作家なので言わずもがな、です。


<Time’s Passing By>
Lia Pamina & Dario Persi
(18年)

 今回選んだ曲のなかでもっとも新しいのがこれ。スペインのSSWリア・パミナと、イタリアのパワーポップバンド、レディオ・デイズのボーカルであるダリオ・パーシがコラボした4曲入りEPが昨年リリースされたのですが、そのラストに収録されているのがこの曲。

 リアはElefant Records所属のアーティストで、最新のアルバムではレーベルメイトであるヤーニングジョー・ムーアがプロデュースしており、このEPもElefantから出ています。ここまで「状況証拠」が揃ったのだから、この曲のリズムパターンは間違いなく「クロ」でしょう。


<You May Dream>
シーナ&ザ・ロケッツ
(79年)

 続いて邦楽編です。まず筆頭に挙げなければならないのはこれでしょう。打ち込みで見えにくくなっていますが、間違いなく「ドッドドン、ダン!」が隠れています。しかもこのフレーズ叩いてるのは高橋幸宏ですよね?

 昨年NHK福岡放送局で制作された、若き日のシーナと鮎川誠を描いたドラマ『You May Dream』で、鮎川誠と出会う前のシーナ(石橋静河)が部屋で聴いていたLPがまさにロネッツの1stで、なかなかグッときました


<一千一秒物語>
松田聖子
(81年)

 個人的には、この曲が世界中の<Be My Baby>インスパイア楽曲の頂点だと思っています大滝詠一松田聖子というトップアイドルを得て、「時はきた!」と伝家の宝刀を抜いたのがこの曲。あのドラムパターンが聴こえた瞬間に「いよいよやるんだな!」ってことがこっちにもわかります。ヴァース冒頭はコード進行まで揃えるという徹底ぶり。本家に引けを取らない美しい曲です。ちなみにブリッジにはクリスタルズの<Then He Kissed Me>が出てきますね。

 この曲が収録されたアルバム『風立ちぬ』については去年こちらで書きました。


<ハートせつなく>
原由子
(91年)
※YouTubeなし!Fuck!

 作詞作曲は桑田佳祐。イントロが<Be My Baby>で、そこからブライアン・ウィルソンに変化していくという、必殺コンボが炸裂するイントロ。好きな人にはたまりません。大滝詠一といい桑田佳祐といい、どうも男性作曲家は「これだ!」という女性歌手を得ると<Be My Baby>をやりたくなるんでしょうね


<世界中の誰よりきっと>
中山美穂&WANDS
(92年)

 邦楽史上もっとも売れた「ドッドドン、ダン!」です。僕も小6のときにシングル買いました。

 作曲は織田哲郎、アレンジは葉山たけしという、ビーイングのシングル制作における鉄壁コンビ。「イントロはロネッツでいこう!」と言い出したのはどっちなんでしょうね。でもどっちであっても、これも「男性作曲家はここぞというときに<Be My Baby>をやりたがる理論」を実証する楽曲といえそうです。

 こうして見ると、海外は現在もなお<Be My Baby>の系譜が生き続けているのに対し、日本は30年近くも絶えてしまっているように見えます(もちろん、僕が知らないだけって可能性もありますが)。日本と海外の本質的な違いの一端を示唆する差のように思える…のは気のせいでしょうか。

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 最後に、ハル・ブレインが参加した日本のアーティストの楽曲を1曲紹介。島倉千代子の<愛のさざなみ>(68年)です。録音はロスだったらしく、そこにハル・ブレインが参加したそうです。確かにこの曲はサウンドが全然違いますね(やっぱり浜口庫之助は海外のサウンドと相性がいい)。しかしハル・ブレイン、本当になんでもやってるんですね。








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The Aislers Set 『How I Learned To Write Backwards』

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「ポップはどこまで成立するのか」を
身体を張って実験する


 メロディはポップで可愛らしいのに、奇妙な楽器の取り合わせや明らかに温度感が異なるリフやリズムを組み合わせ、本来の可愛らしさを隠そうとするのは、単なる照れ隠しなのか、それとも「きれいにまとまろうとすること」への反抗なのか。The Aislers Set(ジ・アイスラーズ・セット)を聴くと、毎回その奇抜なアイデアの豊富さにドキドキします。

 アイスラーズは1997年、Henry's Dressなどのインディーバンドで活動していたエイミー・リントンを中心にサンフランシスコで結成された6ピースバンド。メンバーの一人は日本人のようです。6人という人数の多さが、どんなアイデアでも実現してしまうこのバンドの実行力の背景にもなっています。

 彼らはこれまで『Terrible Things Happen』(98年)、『The Last Match』(2000年)、『How I Learned To Write Backwards』(03年)という3枚のアルバムを発表しています。ここ10年以上新作はリリースしていませんが、バンドは解散してはおらず、14年には初期2作のアルバムが当時と同じレーベル、Slumber Recordsからリイシューされ、久々に人前で演奏もしたそうです。

「奇妙」「不思議」「わけがわからない」という点ではどのアルバムも甲乙つけがたいのですが、僕は3枚目の『How I Learned To Write Backwards』がもっとも、彼らの才能のすごさを表していると思います。

 1枚目2枚目はかろうじてC86あるいはガレージポップというような括り方ができそうなのですが、この3枚目はもはやジャンルのごった煮状態なのです。パンクからバブルガムポップにゴシック、60sポップスやスペクター風サウンドまであり、どこまでも腑分けできそうなマトリョーシカ的わけのわからなさ

 でも、この3枚目に彼らの個性が出ていると感じる一番の根拠は、冒頭に書いた、ポップなメロディと、そのメロディにぶつかっていくような音楽的アイデアとの、組み合わせのエグさです。本作がジャンルレスに聴こえるのも、結局はその表れに過ぎません。

 絵本から飛び出してきたように楽しげなメロディなのに、まるで天国から落ちていくような背徳的な匂いを感じさせる<Catherine Says>。<Emotional Levy>の民族音楽のようなフィーリング。<Paint It Black>を連想させる<Mission Bells>の性急さ。メロディの美しさとは裏腹に、不穏な重低音が絶えず鳴り続ける<Sara's Song>。<Through The Swells>の不規則なドラム。そしてなんといっても、硬いブラスのリフの陰にシュープリームス<I Hear a Symphony>が隠れてる<Melody Not Malaise>。この曲を最初に聴いたときに「うおお!」と叫びそうになりました。

 例えばメロディが「陽」の性質をもっていたら、組み合わされるアレンジは「陰」というように、一つの楽曲のなかに異なる質をもった複数の要素が、時に巧妙に、時に強引に、混ぜこまれています。

 その結果、必然的に楽曲は多面的な表情を持つことになります。イントロを聴いて「優しげな曲だな」という印象を持ったとしても、すぐにその印象を打ち消すような仕掛けが飛び出てきて、イメージが固定されることを頑なに拒否してきます。しかも、こうした「異なる要素のぶつかり合い」は、曲の中だけでなく、曲と曲というレベルでも起きるので、30分強のボリュームにもかかわらず、非常に重層的で情報過多なアルバムです。

 冒頭に「アイスラーズを聴くとドキドキする」と書きました。おそらくそのドキドキとは、彼らの音楽が、ポップと非ポップの境界線ギリギリを攻め続けているせいだと思います。いつガードレールを突き破って、崖の下に落ちてしまうかわからない。しかし、普通なら「ここまで」と線を引いてしまうところを、軽々と乗り越えてもっとギリギリのところまでいってしまうところは、時として常人の目には「自由」と映ります。リリースは少なく、コマーシャル的にも決して成功したとはいえないバンドでありながら、アイスラーズがリスペクトを集めるのは、そういうところなんだろうと思います。








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Spice Girls『Spiceworld』

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「グループだからみんな同じ」ではなく
「グループだけどみんな違う」


 スパイスガールズは今年、再結成ツアーを行うことを発表しています。昨年11月にこのニュースが流れて以来、たびたびスパイスガールズを聴きなおしています。実は僕、アルバム全部持ってるんです。ファンには不評だった3rd『Forever』も含めて。

 スパイスガールズのデビューは1996年で、僕はわりと直撃世代(当時15歳)なんですが、当時はほとんど無視していました。アルバムを買い揃えたのは、確か2000年とかそこらだったので、活動休止するかしないかといった頃だったはずです。なぜそのタイミングでハマったのか、まったく記憶がないのですが、世間より数年遅れで彼女たちの曲を聴きまくっていました。

 なので、15年ぶりとかそのくらいになるのでしょうか。今聴きなおすと、いろいろ発見があって面白かったです。まずなんといっても唸るのは、ど真ん中のポップスマーケットで大成功したガールズグループ(しかもイギリス!)が、彼女たち以降出ていないこと

 60年代は違いましたよね。ロネッツがいたし、シュープリームスもいました。でも、その後はほとんど見当たらない気がします(僕、ノーランズけっこう好きなんですけど)。ソロ歌手だとたくさんいるけど、グループってなると極端に少ないんですよね。なので、デビューから20年以上経った今聴いても、その存在の珍しさは未だに新鮮です。

 あとは、やっぱり曲がいいと思いました。良いというか、強い。<Wannabe>なんか一度聴いたら絶対忘れられないし、なんとなく歌うことすらできちゃいますよね。好きか嫌いかは別として、それだけの強度をもつ曲ってやっぱり名曲なんだと思う。

 僕が一番好きだったのは2ndに収録された<Stop>。彼女たちの曲の中ではトラディショナルなタイプの曲で、どこか60年代のガールズグループを模倣しているような曲ですが、今自分がブリルビルディングサウンドなんかをたくさん聴いていることを思うと、ある意味当時からブレてないのかも。



 一方で、聴きなおしていて意外だったのは、記憶にあるよりもブラックミュージックの比率が高かったこと。<Naked>とか<If U Can’t Dance>とか。当時は無視していたなあ。なんとなく1st、2ndはベタベタなポップスで、3rdで脱皮を図ろうとR&Bに振り切ったようなイメージを持っていたのですが、実は初期の頃から楽曲のバラエティはカラフルだったんですね

 カラフルということで気づいたのですが、普通グループだと衣装や髪形を揃えたりして、メンバーの個性は消していくパターンが多いですが、スパイスガールズは最初から5人の衣装もキャラクターもバラバラで売っていましたよね。「スポーティ」とか「ベイビー」とか、それぞれの個性に合わせてあだ名をつけたりして。これってかなり珍しいんじゃないでしょうか。

 そういう意味で、僕がスパイスガールズの最高傑作だと思うのは、2ndのリード曲<Spice Up Your Life>。セクシーなイントロ、声質の違いをそのまま残したドタバタのAメロ、コール&レスポンスのBメロ、そしてすさまじい音圧のサビ。個々のシークエンスのバラバラっぷりと、それをたたみかけるようなテンポでつなぎ合わせていく怒涛の勢いに圧倒されます。ラテンというセレクトも媚びてなくてかっこいい。グループのカラフルなイメージを最も体現した曲が、この曲じゃないかと思います

「グループだからみんな同じ」ではなく「グループだけどみんな違う」という姿勢は、(どこまで本人たちがそこに意味を込めていたかは別として)個人的にはとても好きです。あれから20年以上経ちましたが、今の世界を覆うムードを見ると、彼女たちの姿勢は当時よりも重要な意味をもっている気がします。








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Pale Waves『My Mind Makes Noises』

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見た目とサウンドの
「ギャップ」がすごい


 英4ピースPale Wavesが昨年9月リリースした1stアルバム『My Mind Makes Noises』は、まさに「満を持して」という感じで登場した作品でした。

 2017年にレーベルDirty Hitから、レーベルメイトであるThe 1975マシュー・ヒーリーによるプロデュースでデビューシングル<There’s A Honey>をリリースして以来、立て続けにシングルを発表しヒットを記録。BBC Sound of 2018にセレクトされたときは「今更?」と思ったくらいでした。

 18年が明けて、いよいよアルバムかと思いきや2月にリリースされたのは4曲入りEPで、そこからは再びシングルの量産体制に。結局、アルバムが形になったのはそこから約半年経った18年9月でした。

 個人的には、アルバムではなくシングルやEPを積極的に切っていくというサブスクリプション時代のマーケティングを、彼らほど実感させられたアーティストはいなかったのですが、ボーカル/ギターのヘザー・バロン・グレイシーは以前から「アルバムでチャート1位を獲りたい」と語るなど、アルバムというパッケージに強いこだわりを見せていました。その宣言通り、1stアルバムはUKインディーチャートで1位を記録(総合でも8位)。フィジカルのセールスでも強さを見せたのでした。



 なぜPale Wavesはこんなにも人気を獲得したのか。僕は、このバンドには王道と異端の両極端の魅力があり、それが同居していることが、彼女たちがリスナーを惹きつける理由なんじゃないかと考えています

 まず「王道」は、サウンドです。低音をカットして高音部を強調し、さらにシンセとビートを利かせた音作りは、清潔な印象を与えると同時に誰もが高揚感を味わえる中毒性をもっています。キャッチーなメロディを作る能力にも長けており、The 1975やWolf Aliceなどトレンドの最前線にいるアーティストを多く擁するDirty Hitのなかでも、もっともスタジアムバンドに近いグループではないでしょうか。

 特筆すべきは、一歩間違えれば「ベタ」に陥りそうなところを、ギリギリのラインで上品さをキープする彼女たちのバランス感覚です。「ベタ」に足を踏み入れてしまえば玄人層からはそっぽを向かれるし、かといって逆方向に振れてしまうとライト層に届かない。どちらにも偏りすぎない、綱渡りのように絶妙なバランス感覚があるからこそ、幅広い支持を集めたのだろうと思います。

 次に「異端」について。これは彼女たちの出で立ちです。僕は彼女たちを知ったとき、最初に思ったのは「見た目と音のギャップがすげえ」ということでした。ヘザーとドラムのキアラのゴスメイクにばかり注目が集まりがちですが、ヒューゴ(Gt)とチャーリー(Ba)の男性2人の存在感も利いています。ゴスメイクした女性2人に、端正な容貌をもつ男性2人がアンドロイドのように無機質な雰囲気で侍るという構図は、ただのゴスメイクだけのグループよりもインパクトが強いはず。

 ビジュアルはものすごくアンダーグラウンドなんだけど、鳴らす音がオーバーグラウンドだから、そのギャップがすごいんですね。見た目怖いけど、話しかけてみると仲良くなれる、みたいな。ゴスメイクという、ある意味レトロなスタイルを忠実に模倣しつつ、サウンドはあくまで「今風」なことで、クラシックとモダンをつなぐという文脈でも捉えられるグループなのかもしれません。

 このバンド、次はどこに行くんでしょうか。今のスタイルは、もはやこのアルバムで完成されちゃったように思います。何かと比較されることの多いThe 1975は1stから2nd、そして大名盤の3rdと着実に変化を続けていますが、Pale Wavesの場合はストライクゾーンをさらに広めにとっている分、この先の変化が予測できません。個人的にはシンセポップではなく、4人の本来のフォーマットに戻ってギターメインの楽曲とか聴いてみたい気がします

 来年2月には初の単独来日公演が行われます。もちろんチケット取りました。








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Say Sue Me『Where We Were Together』

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近づきたいのに
決して近づけない


 インパクトという点では先週紹介したHoney Hahsですが、総合点でいえば2018年のNo.1はこのアルバムでした。韓国の釜山出身の4人組、Say Sue Meの2ndアルバムです。

 曲はもちろんいいし、紅一点のボーカル、チェ・スミの声も素晴らしい。<Let It Begin><But L Like You><Old Town>という冒頭3曲の展開は、何度聴いても心を持っていかれます。<B Lover>のようなフィジカルを感じさせる衝動的な音を出せるところも、このバンドのポテンシャルの高さを感じさせてゾクゾクします。

 しかし、このアルバムで好きなところを一つだけ挙げろと言われたら、僕は音の肌触りと答えます。「音像」と言い換えてもいいでしょう。このアルバムの曲は、どんなタイプのものであっても、特有の色や匂い、感触があります。それが、僕にはとてもフィットするのです。

 では、そのフィーリングは具体的にどういうものなのか。1曲目の<Let It Begin>にもっとも顕著に表れているのですが、街のネオンを窓越しに眺めているような遠さというか、古い8mmフィルムの映像のような温かさというか、そういった温かさと寂しさが同居したような感覚です。「サーフミュージックをルーツにした」「釜山の気候を感じさせる明るくてのどかな」など、陽性なイメージで紹介されることの多いSay Sue Meですが、少なくともこの2ndに関しては、音の核となっているのはもっとパセティックな何かだと思う。



 この、近づきたいけど決して近づけない距離感のようなものは何なんだろうと思っていたのですが、ライナーノーツを読んで納得しました。

 実はこのアルバムの制作前に、初代ドラマーのガン・セミンが転落事故で重い怪我を負い、一時的にバンドを離脱せざるをえなくなったそうです(現在は2代目ドラマーが加入)。そのため、このアルバムは、セミンの不在が大きなテーマになりました。なるほど、『Where We Were Together』というタイトルの意味はそういうことだったのか。

 このような経緯を踏まえると、例えば<Funny And Cute>の「そこに居てはだめ、君の場所じゃない」「寒くなる頃には君を待っているよ 場所はわかるよね 居心地のいいわたしたちのバー」といったフレーズなど、メンバーがセミンへ向けたメッセージとも取れる歌詞が端々にあることに気づきます。

 前述の<Let It Begin>がもそう。締めの「Let it begin Let it all begin Let it all begin again」というフレーズが、決してかなわないと分かっていながら、時間を巻き戻したいと願う祈りの言葉に聴こえてきます。1曲目から「全てをやり直そう、もう一度」というメッセージで始めるのって、考えようによってはなかなか重たい。

 ただ、このアルバムの素晴らしいところは、バンドに起きた出来事を知って歌詞の意味が深まるところではなく、むしろそうした背景を知らなくても、バンドが抱いている感情を、音を通じて共有できるところにあります。もちろん、厳密にいえば彼らの感情そのものであるわけはないのですが、それまでは凪の状態だった聴き手の心の水面を、音だけでブクブクと泡立たせてしまうことがシンプルにすごい。

 特にこのバンドの場合は、映像的に音を聴かせる力に長けていると思います。僕自身も先ほど「ネオン」「8mmフィルム」といった表現を使いましたが、聴いていると頭の中で自分だけの架空のMVが再生し始めるんですよね。その架空のMVのなかには、Say Sue Meのメンバーも離脱したセミンも映りませんが、その代わりに僕自身の痛みが映っているのです

 ちなみにこのアルバム、発売元はイギリスのDamnably Records(おとぼけビ〜バ〜や少年ナイフも所属するレーベル)ですが、日本盤はTugboat Recordsから出ています。このレーベルには昨年、Tashaki MiyakiFazerdazeHazel EnglishThe Drumsとお世話にになりまくったのですが、今年もやっぱりお世話になりました。








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