週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】海外のロック

The Aislers Set 『How I Learned To Write Backwards』

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「ポップはどこまで成立するのか」を
身体を張って実験する


 メロディはポップで可愛らしいのに、奇妙な楽器の取り合わせや明らかに温度感が異なるリフやリズムを組み合わせ、本来の可愛らしさを隠そうとするのは、単なる照れ隠しなのか、それとも「きれいにまとまろうとすること」への反抗なのか。The Aislers Set(ジ・アイスラーズ・セット)を聴くと、毎回その奇抜なアイデアの豊富さにドキドキします。

 アイスラーズは1997年、Henry's Dressなどのインディーバンドで活動していたエイミー・リントンを中心にサンフランシスコで結成された6ピースバンド。メンバーの一人は日本人のようです。6人という人数の多さが、どんなアイデアでも実現してしまうこのバンドの実行力の背景にもなっています。

 彼らはこれまで『Terrible Things Happen』(98年)、『The Last Match』(2000年)、『How I Learned To Write Backwards』(03年)という3枚のアルバムを発表しています。ここ10年以上新作はリリースしていませんが、バンドは解散してはおらず、14年には初期2作のアルバムが当時と同じレーベル、Slumber Recordsからリイシューされ、久々に人前で演奏もしたそうです。

「奇妙」「不思議」「わけがわからない」という点ではどのアルバムも甲乙つけがたいのですが、僕は3枚目の『How I Learned To Write Backwards』がもっとも、彼らの才能のすごさを表していると思います。

 1枚目2枚目はかろうじてC86あるいはガレージポップというような括り方ができそうなのですが、この3枚目はもはやジャンルのごった煮状態なのです。パンクからバブルガムポップにゴシック、60sポップスやスペクター風サウンドまであり、どこまでも腑分けできそうなマトリョーシカ的わけのわからなさ

 でも、この3枚目に彼らの個性が出ていると感じる一番の根拠は、冒頭に書いた、ポップなメロディと、そのメロディにぶつかっていくような音楽的アイデアとの、組み合わせのエグさです。本作がジャンルレスに聴こえるのも、結局はその表れに過ぎません。

 絵本から飛び出してきたように楽しげなメロディなのに、まるで天国から落ちていくような背徳的な匂いを感じさせる<Catherine Says>。<Emotional Levy>の民族音楽のようなフィーリング。<Paint It Black>を連想させる<Mission Bells>の性急さ。メロディの美しさとは裏腹に、不穏な重低音が絶えず鳴り続ける<Sara's Song>。<Through The Swells>の不規則なドラム。そしてなんといっても、硬いブラスのリフの陰にシュープリームス<I Hear a Symphony>が隠れてる<Melody Not Malaise>。この曲を最初に聴いたときに「うおお!」と叫びそうになりました。

 例えばメロディが「陽」の性質をもっていたら、組み合わされるアレンジは「陰」というように、一つの楽曲のなかに異なる質をもった複数の要素が、時に巧妙に、時に強引に、混ぜこまれています。

 その結果、必然的に楽曲は多面的な表情を持つことになります。イントロを聴いて「優しげな曲だな」という印象を持ったとしても、すぐにその印象を打ち消すような仕掛けが飛び出てきて、イメージが固定されることを頑なに拒否してきます。しかも、こうした「異なる要素のぶつかり合い」は、曲の中だけでなく、曲と曲というレベルでも起きるので、30分強のボリュームにもかかわらず、非常に重層的で情報過多なアルバムです。

 冒頭に「アイスラーズを聴くとドキドキする」と書きました。おそらくそのドキドキとは、彼らの音楽が、ポップと非ポップの境界線ギリギリを攻め続けているせいだと思います。いつガードレールを突き破って、崖の下に落ちてしまうかわからない。しかし、普通なら「ここまで」と線を引いてしまうところを、軽々と乗り越えてもっとギリギリのところまでいってしまうところは、時として常人の目には「自由」と映ります。リリースは少なく、コマーシャル的にも決して成功したとはいえないバンドでありながら、アイスラーズがリスペクトを集めるのは、そういうところなんだろうと思います。








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Spice Girls『Spiceworld』

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「グループだからみんな同じ」ではなく
「グループだけどみんな違う」


 スパイスガールズは今年、再結成ツアーを行うことを発表しています。昨年11月にこのニュースが流れて以来、たびたびスパイスガールズを聴きなおしています。実は僕、アルバム全部持ってるんです。ファンには不評だった3rd『Forever』も含めて。

 スパイスガールズのデビューは1996年で、僕はわりと直撃世代(当時15歳)なんですが、当時はほとんど無視していました。アルバムを買い揃えたのは、確か2000年とかそこらだったので、活動休止するかしないかといった頃だったはずです。なぜそのタイミングでハマったのか、まったく記憶がないのですが、世間より数年遅れで彼女たちの曲を聴きまくっていました。

 なので、15年ぶりとかそのくらいになるのでしょうか。今聴きなおすと、いろいろ発見があって面白かったです。まずなんといっても唸るのは、ど真ん中のポップスマーケットで大成功したガールズグループ(しかもイギリス!)が、彼女たち以降出ていないこと

 60年代は違いましたよね。ロネッツがいたし、シュープリームスもいました。でも、その後はほとんど見当たらない気がします(僕、ノーランズけっこう好きなんですけど)。ソロ歌手だとたくさんいるけど、グループってなると極端に少ないんですよね。なので、デビューから20年以上経った今聴いても、その存在の珍しさは未だに新鮮です。

 あとは、やっぱり曲がいいと思いました。良いというか、強い。<Wannabe>なんか一度聴いたら絶対忘れられないし、なんとなく歌うことすらできちゃいますよね。好きか嫌いかは別として、それだけの強度をもつ曲ってやっぱり名曲なんだと思う。

 僕が一番好きだったのは2ndに収録された<Stop>。彼女たちの曲の中ではトラディショナルなタイプの曲で、どこか60年代のガールズグループを模倣しているような曲ですが、今自分がブリルビルディングサウンドなんかをたくさん聴いていることを思うと、ある意味当時からブレてないのかも。



 一方で、聴きなおしていて意外だったのは、記憶にあるよりもブラックミュージックの比率が高かったこと。<Naked>とか<If U Can’t Dance>とか。当時は無視していたなあ。なんとなく1st、2ndはベタベタなポップスで、3rdで脱皮を図ろうとR&Bに振り切ったようなイメージを持っていたのですが、実は初期の頃から楽曲のバラエティはカラフルだったんですね

 カラフルということで気づいたのですが、普通グループだと衣装や髪形を揃えたりして、メンバーの個性は消していくパターンが多いですが、スパイスガールズは最初から5人の衣装もキャラクターもバラバラで売っていましたよね。「スポーティ」とか「ベイビー」とか、それぞれの個性に合わせてあだ名をつけたりして。これってかなり珍しいんじゃないでしょうか。

 そういう意味で、僕がスパイスガールズの最高傑作だと思うのは、2ndのリード曲<Spice Up Your Life>。セクシーなイントロ、声質の違いをそのまま残したドタバタのAメロ、コール&レスポンスのBメロ、そしてすさまじい音圧のサビ。個々のシークエンスのバラバラっぷりと、それをたたみかけるようなテンポでつなぎ合わせていく怒涛の勢いに圧倒されます。ラテンというセレクトも媚びてなくてかっこいい。グループのカラフルなイメージを最も体現した曲が、この曲じゃないかと思います

「グループだからみんな同じ」ではなく「グループだけどみんな違う」という姿勢は、(どこまで本人たちがそこに意味を込めていたかは別として)個人的にはとても好きです。あれから20年以上経ちましたが、今の世界を覆うムードを見ると、彼女たちの姿勢は当時よりも重要な意味をもっている気がします。








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Pale Waves『My Mind Makes Noises』

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見た目とサウンドの
「ギャップ」がすごい


 英4ピースPale Wavesが昨年9月リリースした1stアルバム『My Mind Makes Noises』は、まさに「満を持して」という感じで登場した作品でした。

 2017年にレーベルDirty Hitから、レーベルメイトであるThe 1975マシュー・ヒーリーによるプロデュースでデビューシングル<There’s A Honey>をリリースして以来、立て続けにシングルを発表しヒットを記録。BBC Sound of 2018にセレクトされたときは「今更?」と思ったくらいでした。

 18年が明けて、いよいよアルバムかと思いきや2月にリリースされたのは4曲入りEPで、そこからは再びシングルの量産体制に。結局、アルバムが形になったのはそこから約半年経った18年9月でした。

 個人的には、アルバムではなくシングルやEPを積極的に切っていくというサブスクリプション時代のマーケティングを、彼らほど実感させられたアーティストはいなかったのですが、ボーカル/ギターのヘザー・バロン・グレイシーは以前から「アルバムでチャート1位を獲りたい」と語るなど、アルバムというパッケージに強いこだわりを見せていました。その宣言通り、1stアルバムはUKインディーチャートで1位を記録(総合でも8位)。フィジカルのセールスでも強さを見せたのでした。



 なぜPale Wavesはこんなにも人気を獲得したのか。僕は、このバンドには王道と異端の両極端の魅力があり、それが同居していることが、彼女たちがリスナーを惹きつける理由なんじゃないかと考えています

 まず「王道」は、サウンドです。低音をカットして高音部を強調し、さらにシンセとビートを利かせた音作りは、清潔な印象を与えると同時に誰もが高揚感を味わえる中毒性をもっています。キャッチーなメロディを作る能力にも長けており、The 1975やWolf Aliceなどトレンドの最前線にいるアーティストを多く擁するDirty Hitのなかでも、もっともスタジアムバンドに近いグループではないでしょうか。

 特筆すべきは、一歩間違えれば「ベタ」に陥りそうなところを、ギリギリのラインで上品さをキープする彼女たちのバランス感覚です。「ベタ」に足を踏み入れてしまえば玄人層からはそっぽを向かれるし、かといって逆方向に振れてしまうとライト層に届かない。どちらにも偏りすぎない、綱渡りのように絶妙なバランス感覚があるからこそ、幅広い支持を集めたのだろうと思います。

 次に「異端」について。これは彼女たちの出で立ちです。僕は彼女たちを知ったとき、最初に思ったのは「見た目と音のギャップがすげえ」ということでした。ヘザーとドラムのキアラのゴスメイクにばかり注目が集まりがちですが、ヒューゴ(Gt)とチャーリー(Ba)の男性2人の存在感も利いています。ゴスメイクした女性2人に、端正な容貌をもつ男性2人がアンドロイドのように無機質な雰囲気で侍るという構図は、ただのゴスメイクだけのグループよりもインパクトが強いはず。

 ビジュアルはものすごくアンダーグラウンドなんだけど、鳴らす音がオーバーグラウンドだから、そのギャップがすごいんですね。見た目怖いけど、話しかけてみると仲良くなれる、みたいな。ゴスメイクという、ある意味レトロなスタイルを忠実に模倣しつつ、サウンドはあくまで「今風」なことで、クラシックとモダンをつなぐという文脈でも捉えられるグループなのかもしれません。

 このバンド、次はどこに行くんでしょうか。今のスタイルは、もはやこのアルバムで完成されちゃったように思います。何かと比較されることの多いThe 1975は1stから2nd、そして大名盤の3rdと着実に変化を続けていますが、Pale Wavesの場合はストライクゾーンをさらに広めにとっている分、この先の変化が予測できません。個人的にはシンセポップではなく、4人の本来のフォーマットに戻ってギターメインの楽曲とか聴いてみたい気がします

 来年2月には初の単独来日公演が行われます。もちろんチケット取りました。








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Say Sue Me『Where We Were Together』

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近づきたいのに
決して近づけない


 インパクトという点では先週紹介したHoney Hahsですが、総合点でいえば2018年のNo.1はこのアルバムでした。韓国の釜山出身の4人組、Say Sue Meの2ndアルバムです。

 曲はもちろんいいし、紅一点のボーカル、チェ・スミの声も素晴らしい。<Let It Begin><But L Like You><Old Town>という冒頭3曲の展開は、何度聴いても心を持っていかれます。<B Lover>のようなフィジカルを感じさせる衝動的な音を出せるところも、このバンドのポテンシャルの高さを感じさせてゾクゾクします。

 しかし、このアルバムで好きなところを一つだけ挙げろと言われたら、僕は音の肌触りと答えます。「音像」と言い換えてもいいでしょう。このアルバムの曲は、どんなタイプのものであっても、特有の色や匂い、感触があります。それが、僕にはとてもフィットするのです。

 では、そのフィーリングは具体的にどういうものなのか。1曲目の<Let It Begin>にもっとも顕著に表れているのですが、街のネオンを窓越しに眺めているような遠さというか、古い8mmフィルムの映像のような温かさというか、そういった温かさと寂しさが同居したような感覚です。「サーフミュージックをルーツにした」「釜山の気候を感じさせる明るくてのどかな」など、陽性なイメージで紹介されることの多いSay Sue Meですが、少なくともこの2ndに関しては、音の核となっているのはもっとパセティックな何かだと思う。



 この、近づきたいけど決して近づけない距離感のようなものは何なんだろうと思っていたのですが、ライナーノーツを読んで納得しました。

 実はこのアルバムの制作前に、初代ドラマーのガン・セミンが転落事故で重い怪我を負い、一時的にバンドを離脱せざるをえなくなったそうです(現在は2代目ドラマーが加入)。そのため、このアルバムは、セミンの不在が大きなテーマになりました。なるほど、『Where We Were Together』というタイトルの意味はそういうことだったのか。

 このような経緯を踏まえると、例えば<Funny And Cute>の「そこに居てはだめ、君の場所じゃない」「寒くなる頃には君を待っているよ 場所はわかるよね 居心地のいいわたしたちのバー」といったフレーズなど、メンバーがセミンへ向けたメッセージとも取れる歌詞が端々にあることに気づきます。

 前述の<Let It Begin>がもそう。締めの「Let it begin Let it all begin Let it all begin again」というフレーズが、決してかなわないと分かっていながら、時間を巻き戻したいと願う祈りの言葉に聴こえてきます。1曲目から「全てをやり直そう、もう一度」というメッセージで始めるのって、考えようによってはなかなか重たい。

 ただ、このアルバムの素晴らしいところは、バンドに起きた出来事を知って歌詞の意味が深まるところではなく、むしろそうした背景を知らなくても、バンドが抱いている感情を、音を通じて共有できるところにあります。もちろん、厳密にいえば彼らの感情そのものであるわけはないのですが、それまでは凪の状態だった聴き手の心の水面を、音だけでブクブクと泡立たせてしまうことがシンプルにすごい。

 特にこのバンドの場合は、映像的に音を聴かせる力に長けていると思います。僕自身も先ほど「ネオン」「8mmフィルム」といった表現を使いましたが、聴いていると頭の中で自分だけの架空のMVが再生し始めるんですよね。その架空のMVのなかには、Say Sue Meのメンバーも離脱したセミンも映りませんが、その代わりに僕自身の痛みが映っているのです

 ちなみにこのアルバム、発売元はイギリスのDamnably Records(おとぼけビ〜バ〜や少年ナイフも所属するレーベル)ですが、日本盤はTugboat Recordsから出ています。このレーベルには昨年、Tashaki MiyakiFazerdazeHazel EnglishThe Drumsとお世話にになりまくったのですが、今年もやっぱりお世話になりました。








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Honey Hahs『Dear Someone, Happy Something』

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ふやけた耳を叩きのめす
「未完成」という名のカウンターパンチ


 2018年最大の衝撃作が、このアルバムでした。南ロンドン出身の3ピース、Honey Hahsのデビュー作『Dear Someone, Happy Something』です。

 Honey Hahsは、ギターとピアノを担当するローワン、ベースのロビン、ドラムのシルヴィーという3姉妹からなるファミリーバンド。ローワンから順に16歳、13歳、11歳の、平均年齢わずか13歳という超若年バンドです。若いというよりも「幼い」といったほうがいいような年齢にもかかわらず、彼女たちは自分たちでオリジナル曲を書くばかりか、名門中の名門レーベル、ラフ・トレードと契約するという偉業を成し遂げました(ちなみに、ラフトレと契約したとき、一番下のシルヴィーはわずか9歳だったそうです)

 ただし、僕が衝撃を受けたのは、彼女たちの年齢ではなく、あくまで音楽です。その魅力をひとことでいうと、異物感。聴き始めこそ「仲のよい少女たちが歌うフォークソング」といった牧歌的な印象をもちますが。耳を傾けるうちに「おや、なにかおかしいぞ」と気づくはずです。何かが決定的に欠けているような、これまでの常識では解釈しきれないような、そんな不穏な空気が漂いだし、胸がざわつき始めるのです



 なぜHoney Hahsの音楽は「ざわつく」のか?ポイントは2つあります。

 1つはコーラスワーク。CDの帯には「姉妹ならではの息の合ったコーラス」というような文句が載っていましたが、僕はむしろ彼女たちのコーラスには、どこか舌足らずで調子が外れた印象を受けます。つまり、ある種の危うさをもっているわけですが、1曲目<Forever>に見られるように、その危うさがなんともいえない緊張感や寂寥感を生みだすのです。

 もう1つはアレンジです。彼女たちの楽曲は、アコースティックギターとベースとドラムのみという、音数を絞ったシンプルなスタイルが基本。ですが、ところどころに他の楽器が顔を出します。<A Way>や<I Know You Know>で入ってくるトランペット。<River>の後ろで鳴ってるグロッケン。<Rain Falls Down>のドラムマシーンなど。こうした楽器のセレクトと使い方が、非常に洗練されています

 危ういコーラスとあか抜けたアレンジ。この2つの組み合わせが、「整っているのにどこかアンバランス」という、ちぐはぐさを曲全体にもたらしています。これが、呑み込めそうに見えて容易には呑み込めない異物感の正体なんだろうと思うのです。僕はアルバムを聴きながら、何度も「ロックの名曲をカラオケで歌ってる」というイメージを思い浮かべました。



 フランク・ザッパやカート・コバーンが評価していたことで有名なThe Shaggs(シャッグス)というアメリカのバンドがいます。Honey Hahsの異物感について考えるとき、僕が連想したのはThe Shaggsでした(そういえばあのバンドもファミリーバンドだ)。

 The Shaggsは、楽器未経験者ばかりのメンバーでいきなりレコーディングをしたという伝説のバンドで、できあがったアルバムは当然、演奏も曲も強烈に下手くそな代物だったのですが、産業化したロックに嫌気を覚えていた人たちには、逆にそれが音楽の原点を感じさせる純粋で貴重なものに映りました。

 いかに効率的に聴衆を興奮させ、快感を与えるかだけに特化した、即効薬のような音に馴染んだ耳に「そうじゃねえだろ」と食らわせる強烈なカウンターパンチ。Honey Hahsの異物感もまた、The Shaggsと同じ一種のアンチテーゼとしてのインパクトがあると思うのです。

 ただし、異物感はあっても彼女たち自身は決して異端ではありません。なぜなら、ロックとは本来アンチテーゼだったはずだから。Honey Hahsの3人は確かに若く、それゆえ未完成で未熟ですが、彼女たちのスタイルは既に完成されているのです。








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The Vaccines『Combat Sports』

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このバンドの「聴き方」が
初めてわかった気がした


 The Vaccinesが前作から3年ぶりとなる4枚目のアルバム『Combat Sports』をリリースしたのは今年3月のこと。「原点回帰!」「これぞヴァクシーンズ!」といった言葉をあちこちで見かけましたが、僕は正直そこまでポジティブな評価はできませんでした。

 確かに、<NightClub>や<I Can’t Quit>、<Put It On A T-Shirt>といった曲は伝説的な1stや2ndの頃のような爆発力のあるナンバーでしたが、一方で<Out On The Street>や<Your Love Is My Favorite Band>、<Take It Easy>あたりは、明らかに3rdを経由した音で、デビュー当時の彼らこそ至上のものと考えている僕には弱っちい曲に映ったのです。

 ところが、この印象がガラリと変わる出来事がありました。それが、つい先週行われた1ステージ限りの来日公演。

 生でThe Vaccinesを見るのは初めてだったのですが、とりあえず、めちゃくちゃ体育会系のバンドでした。サポートアクトのLuby Sparksを3列目あたりでそこそこゆったりと見ていたのですが、The Vaccinesが登場した瞬間、後ろから「ワアッ!」という感じで一気に圧がかかり、そっから1時間強、ずっともみくちゃでした。

 そもそもこのバンドが基本的にガレージパンクってこともあるんですが、それに加え、フロントマンのジャスティン・ヤングがとにかく煽る。YouTubeでライブは何本か見たことあったけど、彼があんなに愉快なキャラクターだったとは思わなかった。折り目正しさとイっちゃってる感じが同居していて「放課後にハメを外す熱血体育教師」みたいな感じがして面白かったです(ということを他にもTwitterで呟いている人がいました。やっぱそうだよね)。



 んで、何が素晴らしかったかというと、ジャスティンのはっちゃけたキャラクターも含めて、バンドの演奏のエネルギーがすさまじかったこと。そこには「2nd以前」「3rd以降」という境目はまったくありませんでした。<If You Wanna>は大合唱せずにはいられないけど、<Your Love Is My Favorite Band>にだって同じように会場全体を歌わせる力がありました。





 僕はずっと「ギターじゃないとヴァクシーンズじゃねえ」と思っていたわけですが、ライヴを見てつくづく感じたのは、ギターかシンセかというのは表層的な問題にすぎなくて、このバンドがさらにその内側に持っていた「核」の存在でした。それは何かというと、前述のとおり、あらゆる曲を観客に大声で歌わせてしまうこと。すなわち、ものすごい強度を誇るメロディこそがThe Vaccinesの核だったのです。変な言い方ですが、初めてこのバンドの聴き方が分かったような思いがしました。

 最近の作品に対して距離を感じていたけど、ライヴを見たらそれがただの勘違いだったことに気づかされる。このパターンは、今年1月にペインズでも体験したことです。やっぱり「ライヴに行く」ということは大事ですね。

 以前も紹介した彼らの1stアルバム『What Did You Expected from The Vaccines?』を手に入れたとき、僕は1か月くらいにわたって、このアルバムしか聴きませんでした。今回の来日公演が終わったその日の夜、Spotifyにセットリストを再現したプレイリストが公開されたのですが、今度はこのリストを何度も繰り返し聴いています。The Vaccinesというバンドの持つ中毒性を改めて味わっているところです。








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Aretha Franklin『Aretha: With The Ray Bryant Combo』

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「自由に生きていい」と
彼女は歌っていた


 先月『村上RADIO』のなかで、村上春樹が「僕はシナトラの<My Way>は嫌いなんだけど、アレサ・フランクリンのカバーした<My Way>を聴いたら『なんていい曲なんだろう』と思った」というようなことを話していました。まさか、あの数日後にアレサ・フランクリンが亡くなるとは。

 亡くなったというニュースを聞いて思ったのは、悲しみや喪失感というよりも、彼女と同じ時間の空気を吸えたことへの感謝でした(僕はわずか2か月の差でジョン・レノンと同じ時代に生きられなかったので)。それくらい、彼女の存在は生前から既に「生きる歴史」だったし、その大きさは別格中の別格でした。

 彼女の代表作『Lady Soul』を初めて聴いたのは、20代の後半でした。めちゃくちゃ衝撃でした。あの「チェンチェンチェーィン…」という、ぬたぁーっと始まるゾクゾクするオープニング。当時ガレージとかパンクばかり聴いていてソウルミュージックには馴染みがなかったんですけど、このアルバムはパンクと同じ地平にあるような気がして、すげえかっこいいなと思いました

 このアルバムのなかで彼女はゴフィン&キングによる<Feel Like A Natural Woman>を歌っています。後年、『つづれおり』でキャロル・キングがこの曲をセルフカバーをしてますが、僕は圧倒的にアレサ版の方が好きだなあ。<People Get Ready>もオリジナルよりもアレサの方が好き。あの猛烈にエモーショナルなボーカルは、有無を言わさぬ説得力があります。

 アレサ・フランクリンというとこの『Lady Soul』をはじめアトランティック時代のイメージが強いですが、亡くなったのを機に、その前のコロンビア時代のアルバムも聴いてみました。その中でも特に印象に残ったのが、コロンビアと契約して最初のアルバム『Aretha: With The Ray Bryant Combo』

 ジャケット見てもわかる通り、若い!当時若干18歳です。笑ってるんだけどどこか緊張して見えるのが可愛らしいですね。でも歌はやっぱり圧倒的。後年の円熟味はありませんが、そのかわり瑞々しい躍動感があって、アトランティック以降を聴いていた耳にはとても新鮮です。

 プロデューサーはベニー・グッドマンやビリー・ホリデイといった「歴史上の人物」と仕事をしてきた大ベテラン、ジョン・ハモンド。タイトルからもわかるとおり、このアルバムで彼はピアニストのレイ・ブライアントをアレサにぶつけています。そのことによる緊張感がバンドのアンサンブルを引き立てていて、若いアレサの声ともマッチしています。

 収録曲は全てカバーなのですが、その中には彼女のルーツでもあるゴスペルだけでなく、ジャズやブルース、映画音楽まで含まれています。2曲目で『オズの魔法使い』の主題歌<虹のかなたに>を歌ってるんですけど、こういうモロに白人音楽な雰囲気の曲を、(少なくとも僕の印象では)黒っぽくなく歌い切ってしまうのがすごい。


 レイ・チャールズナット・キング・コールを聴くと、特定のジャンルに捉われないボーダレスなところに感動するのですが、アレサはその女性版というようなイメージを持ちました。「ソウルの女王」という彼女の異名が、実は一面的なものでしかないことがこのアルバムを聴くとわかります。

 まるで実際に飛び跳ねながら歌ってるんじゃないかと思うようなエネルギーで、どんな曲も伸び伸びと歌い切ってしまう18歳のアレサの声を聴いていると、「私は自由に生きていいんだ」「どこへでも行けるんだ」というような思いが湧いてきます。言葉に直すと陳腐だけど、そういう気分を純粋に音楽だけでリスナーに抱かせてしまうところが本当にすごい

 オバマ前米大統領はアレサの訃報に「彼女の声の中にアメリカの歴史を見ることができた」とコメントしました。「きっとそうなんだろうなあ」と想像します。








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Bob Dylan『Bringing It All Back Home』

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風景と音楽の組み合わせが
「自分だけの映画」を生む


 先月TOKYO-FMで、村上春樹が初めてラジオDJを務めた番組『村上RADIO』が放送されました。

 本人も番組の冒頭で「僕の声を初めて聴く人もいるかもしれません」と言ってましたが、確かに非常にレアな機会だったと思います。僕も、彼がまとまった量の日本語を、それもカジュアルな口調で喋るのを耳にしたのは初めてでした。意外だったのは、イメージよりも声が若かったこと。あと、村上春樹も普通に笑うんだってこと(当たり前か)。

 番組は、村上春樹がランニング中に聴く音楽(1000〜2000曲入っているiPodを7台ほど持っているらしい)から本人がセレクトしたいくつかの曲を紹介するというもの。ジャズからポップ、ロックまでジャンルはいろいろでしたが、本人曰くランニングに向いている音楽は「なるべくリズムが一定で、できれば勇気を奮い立たせてくれるようなもの」ということで、軽快で元気なナンバーが多かったですね。

 興味深いのはカバー曲が多いことでした。Zachariasの<Light My Fire>とかBen Sidranの<Knockin’ On Heaven’s Door>とか。ジョージ・ハリスンもカバー曲でした。しかしなかでも驚いたのはJoey Ramoneの<What A Wonderful World>。村上春樹、ラモーンズなんて聴くんだ!でもこの曲は確かにランニングにはすごい合いそう。

 そういえば、以前エッセイで、「ビートルズはもう山ほど聴いたから、今はもっぱらカバーしか聴かない」みたいなことを書いてましたね。その気持ちは分かる気がする。
(YouTube)

 僕もランニングをするけど、音楽は聴きません。走り始めた当初はiPodを必ず携帯してたんですが、2、3か月もすると聴かなくなりました。

 理由は2つあって、1つは汗が流れ込んでイヤホンを1本ダメにしてしまったこと。もう1つは、音楽が邪魔に感じるようになったこと。音楽を聴いていたのは走る間の退屈対策だったのですが、2、3か月経って徐々に身体がランニングに慣れてくると、走ること自体が楽しくなってくるので、音楽はむしろ余計だと感じるようになったのです。以来、一度も音楽を聴きながら走ったことはありません。

 だけど1つだけ、ランニング中に聴いていた音楽で忘れられない記憶があります。

 ランニングを始めて最初の冬のことでした。12月の頭、よく晴れた土曜日の早朝に、いつも走っていた近所の都立公園へ行くと、例年よりも長く枝にしがみついていた銀杏の葉が一斉に散り始めていました。まるで絨毯のように真っ黄色に染まった地面を走り始めたとき、イヤホンから流れてきたのは、ボブ・ディラン『Bringing It All Back Home』でした。

 1曲目の<Subterranean Homesick Blues>の乾いたギターの音、2曲目<She Belongs To Me>のディランの繊細な声と優しいメロディ。それらが、黄色い地面と青い空、冬のキンとした空気にピタリとハマりました。

 走りながら、まるで映画を見ているような錯覚に陥りました。風景と音楽が、僕のなかで宿命的なほど完璧に溶け合いました。あまりの美しさに「生きててよかった!!」と心の中でガッツポーズをとったのを、はっきりと覚えています。1965年にリリースされたこのアルバムは、ディラン初のエレクトリックアルバムとして知られる名盤中の名盤ですが、あの日以来、僕は聴くたびに12月の早朝の公園を思い出すのです。

 僕は村上春樹にとってのランニング音楽のように、行動(アクション)と音楽が結びついた経験はあまりないんですけど、そのかわりに、ボブ・ディランのときのような、風景と音楽が結びついた経験はたくさんあります。

 一番多いのは電車に乗ってるときで、たまたまイヤホンから流れてきた音楽によって、見慣れたはずの車窓の風景が物語のワンシーンのように見えることは、日常的によくあります。こないだも夕方の東横線に乗っていて、遠くに三軒茶屋のキャロットタワーが見えたんですけど、その瞬間ホムカミの2ndが流れて、「ああ、あの場所に行きたいなあ」というようなくらくらするほどの切なさを感じました。なんだったんだろう、あれは。

 こういうのって狙って味わおうとしてもダメで、ある風景とある音楽、さらにはそのときの自分の心理状態なんかも含めて偶然生まれるものなんですよね。そして、偶然だからこそ、この「自分だけの映画」を見られることにはある種の快感があります。僕が電車に乗るときに必ず音楽を聴く理由は、退屈対策もあるけど、それ以上にこの不思議な快感への期待が大きいかもしれない。さらにいえば、僕がずっと劇団で選曲をやってきたのも、「風景(シーン)と音楽の組み合わせ」への好奇心が、形を変えて表れた結果なんじゃないかという気がしてきました。

 …というようなことを『村上RADIO』を聴き終ってから考えていました。なんだか、自分の音楽遍歴をひもとくキーワードが、思いもかけず見つかったような気分です。番組の趣旨とはだいぶずれるけど、これもある意味では「風景と音楽」と同じ、偶然が生んだ何かに違いありません。

『村上RADIO』は10月に第2回が放送されるそうです。








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V.A.『Gold Collection〜Oldies Best Artist 22』

「愛すべき孤独」を教えてくれた
正体不明の1枚


 先週、コニー・フランシスの話を書きました。彼女がもっとも人気を博したのは1950年代後半から60年代前半。今から60年近くも前になります。

「60年前の音楽を聴く」というと、一般的にはどう受け取られるだろう。やっぱり「マニア」「好事家」と思われちゃうんでしょうか。確かに、ただでさえ音楽を聴く人は(30代も後半になると特に)少ないのに、その中でもあえて昔の音楽にまで手を出すなんて、よほどのきっかけでもない限りはありえないのかもしれません。

 僕が50年代や60年代の音楽を聴き始めたのは20歳のときでした(10代の頃、自覚的に聴いていたのはビートルズサイモン&ガーファンクルくらいでした)。きっかけは、あるコンピ盤でした。『Gold Collection』というありがちすぎなタイトルに、マンハッタンの夕景(国際貿易センタービルがまだある時代です…)という雰囲気だけのジャケット写真。早い話が何の変哲もないコンピだったのですが、この1枚が、大げさに言えばその後の僕の音楽人生を大きく変えたのです。理由は収録曲。以下がその一覧です。

#1 Unchained Melody/The Righteous Brothers
#2 Only You/The Platters
#3 California Dreamin'/The Mamas And Papas
#4 A Whiter Shade Of Pale/Procol Harum
#5 The Sound Of Silence/Simon & Garfunkel
#6 Rhythm Of The Rain/The Cascades
#7 My Girl/The Temptations
#8 I Can't Stop Loving You/Ray Charles
#9 Stop! In The Name Of Love/Diana Ross & The Supremes
#10 Moon River/Andy Williams
#11 Can't Help Falling In Love/Elvis Presley
#12 Save The Last Dance For Me/The Drifters
#13 Stand By Me/Ben E. King
#14 San Francisco/Scott McKenzie
#15 Yesterday/The Beatles
#16 When A Man Loves A Woman/Percy Sledge
#17 The Green Green Glass Of Home/Tom Jones
#18 Una Lacrima Sul Viso/Bobby Solo
#19 Mona Lisa/Nat King Cole
#20 Only The Lonely/Roy Orbison
#21 Mr. Lonely/Bobby Vinton
#22 What A Wonderful World/Louis Armstrong

 伝わるでしょうか、この網羅性。Amazonのミュージックカテゴリで、「オールディーズ」で検索をかけると500件以上がヒットします。そのくらいオールディーズのコンピ盤ってたくさんありますが、複数枚組のものを除けば、1枚でこれほど幅広く有名曲をカバーしているアイテムは、ほとんどないはずです

 具体的に挙げるなら、まず#5、#8、#13、#15、#22。このあたりはビッグネームすぎてコンピには滅多に入りません。#9もかなりレア。シュープリームスがこういうコンピに顔を出すのも珍しいです。

 また、わずか22曲でありながら時代が広いのも特徴です。多くのオールディーズコンピが「50s」「60s」とディケイド区切りなのに、このアルバムには#1(55年)から#3(66年)までと、両方の時代をまたいでいます。その結果、映画音楽(#10)にジャズ(#22)、フォーク(#5)にロック(#4)にソウル(#8)と、ジャンルが異様に幅広くなっています。

 改めて曲目リストを見ると、感慨深いです。プロコル・ハルムドリフターズテンプテーションズ、このブログでも書いたカスケーズなどは全部このコンピで知りました。以前、劇団での選曲のことを書きましたが#6#12はまさにこのアルバムから流しています。ドリフターズはドゥーワップを聴きなおす流れでこの1年くらいで再燃しているし、ナット・キング・コールもちょうど春から聴きなおしているところ。未だに僕はこの身元不明のコンピ盤から影響を受けているのです。数あるオールディーズコンピから最初にこの1枚に出会ったことは、僕のこれまでの音楽人生における最大のラッキーだったかもしれません。



 再び「なぜ古い音楽を聴くようになったのか」という冒頭の話題に戻ってみるのですが、今思い出してみると、古い音楽=今は流行ってない音楽=自分しか聴いてない音楽、という優越感みたいなものはあった気がします。自分だけが知っているという文字通りの優越感だけでなく、流行や同世代性といったものを気にせず、一人でとことんその音楽に没入できるという、自分だけが独り占めできている安心感もありました。もしかしたら、音楽がもたらしてくれる「愛すべき孤独」を最初に教えてくれたのが、オールディーズだったのかもしれません。

 SpotifyやApple Musicで、ネット上に公開されている大量のライブラリから自由にプレイリストを作れるようになったいま、コンピ盤はもはや衰退していく運命でしょう。だから僕の娘とか、これから音楽を聴く世代には、僕がこの『Gold Collection』との出会いを「奇跡だ!」「ラッキーだ!」と言ってることが理解できないのかもしれないなあ。

 実はこのアルバム、長い間データでしか持ってなかったのです。なので先日、ふと思い立ってCDを買い直したところでした。アマゾンでもタワレコでもブックオフでも見つからず(というかタイトルすらうろ覚えだったので、収録曲とかで検索してました)諦めかけてたところ、ヤフオクに出品されてたのを偶然発見しました(ジャケットの写真が決め手でした)。しかも、まさにその日が出品初日。ここでも「奇跡」が起きたのでした。






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Connie Francis 『Rock 'n' Roll Million Sellers/Country & Western Golden Hits』

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比喩ではなく事実として
僕は彼女に「人生を変えられた」


 コニー・フランシスのどこにそんなに惹かれるのかと聞かれたら、やはりあの「声」という答えになると思います。少女の初々しさと大人の女性の色気。その両方を併せ持ち、強く前向きな意志を感じさせると同時に、その裏にある不安や怯えもにじませる。コニーの声には、世俗性と神秘性の両方がなぜだか同居してしまう、不思議な寛容さがあります

 最初に聴いたのは、映画『青春デンデケデケデケ』で流れた<Where The Boys Are(邦題:ボーイハント)>でした。あの切なく狂おしく歌い上げるコーラスを聴いて、中学生だった僕は「演歌みたいだなー」と思いました。でも、演歌はまったくピンとこないけど、この曲は「なんかいいな。なんか懐かしい感じがするな」と思ったのです(日本の演歌よりもアメリカのオールディーズに「懐かしい」と感じるのも不思議ですが)。だいぶ後になって、この曲を録音した当時、彼女はまだ20歳そこそこだったと知って驚きました。

 1938年生まれ。レコードデビューは1955年で17歳のとき。しばらくは鳴かず飛ばずでしたが1958年にシングル<Who’s Sorry Now?>がチャート4位に上るヒットとなって、コニー・フランシスは人気歌手の仲間入りをします。

 ヒットシングルが出たことでレコード会社(MGM)も彼女のアルバムを作り始めるのですが、記録を見るとその制作ペースはすさまじいものがあります。58年からMGMを移籍する69年までの12年間で、彼女が制作したアルバムは50枚を超えます。もっともすごいのは59年で、1年間になんと8枚ものアルバムを作りました。日本の80年代アイドルは「一つの季節に1枚のシングル=1年に4枚」というペースが慣例だったそうですが(これでさえ今の感覚からすると多いなと思いますが)、コニーはその倍のリリース量を、しかもシングルでなくアルバムでこなしてたわけですから、その怒涛っぷり、レコード会社のえげつなさっぷりがわかります。

 彼女が残したアルバムのうち、半分以上はカバーアルバムです(既存の曲を流用したからこそ、驚異的なペースでの制作が可能だったともいえます)。最初に作られたのは59年の『Connie Francis Sings Italian Favorites』で、その名の通り<帰れソレントへ>や<サンタ・ルチア>といったイタリアの伝統歌を歌っています。この「ご当地もの」はシリーズ化して、その後『Spanish & Latin American Favorites』、『Jewish Favorites』、『Irish Favorites』、『German Favorites』などが作られます。

 当時のコニー・フランシスは、あくまで流行歌を歌うポップス歌手でした。今でいうアイドル歌手です。その彼女が各地の伝統歌をレパートリーにもつところに、当時の歌手に求められていた資質がどういうものだったかがうかがえます

 一方で、彼女は同時代のヒット曲をカバーしたアルバムもたくさん作っています。中でも僕が好きなのは59年11月にリリースされた2枚のアルバム(繰り返すようですが、ひと月の間に2枚のアルバムがリリースされるということがすごい)、『Rock 'n' Roll Million Sellers』『Country & Western ? Golden Hits』

『Rock 'n' Roll Million Sellers』はエルヴィスの<Heartbreak Hotel>や<Don’t Be Cruel>、ファッツ・ドミノの<Ain't That a Shame>といったロックンロール最初期のナンバーをカバーしたアルバム。今見ると「オールディーズベスト」みたいな印象になっちゃいますが、当時はどれもリアルタイムのヒット曲です。タイトルに「ロックンロール」とついていますが、多分この言葉が生まれてすぐの頃だったはずです。

 このアルバムで唯一のオリジナル曲が、<Lipstick on Your Collar(邦題:カラーに口紅)>大滝詠一ラッツ&スターに書いた<Tシャツに口紅>のタイトル元ネタですね。僕はコニー・フランシスの中ではこの曲が一番好き。この曲はなんといってもイントロです。あの「Yeah Yeah Yeah・・・」っていう声、今聴くとものすごいパンクだと思いませんか

 作者はエドナ・ルイス(詞)とジョージ・ゴーリング(曲)。ジョージ・ゴーリングはこの曲のほかに<Robot Man>という曲をコニーに提供していますが、エドナ・ルイスは<Lipstick on Your Collar>1曲だけのよう。コニー・フランシスというと<Vacation>や<Stupid Cupid>、前述の<Where The Boys Are>でニール・セダカのイメージが強いですが、もうあと数曲だけでもこの2人のチームを起用してくれてたら印象が変わっていたんじゃないかという気がします。



 さて、もう1枚の『Country & Western Golden Hits』のほうですが、こちらもカバーしているのはハンク・ウィリアムスやエヴァリー・ブラザーズなど、同時代の人気歌手のナンバー。このアルバムと『Rock 'n' Roll Million Sellers』とを並べてみて、収録曲の違いやこの2枚が同時期に発売されることなどをあれこれ考えると、当時のポップス界の雰囲気が想像できるような気がします。

 こっちのアルバムにコニーのオリジナル曲はありません。ですが、なんといってもこっちには<Tennessee Waltz>が入っています。何人ものアーティストがカバーしている名曲中の名曲ですが、もっともヒットしたパティ・ペイジ版(1950年)と比べても、このコニーのバージョンのほうが素晴らしいと思う。夜空に浮かぶ月のように静かな彼女の歌い方には、かつての悲しい出来事を乗り越えてようやく平穏を取り戻せたという過去との距離が表れています。しかし優しさすら感じさせる歌声には、だからこそそこにいたるまでのを苦しみや葛藤も想像させます。ものすごく人生の重みを感じさせる歌声です。この曲を歌ったとき、彼女は若干21歳でした。



 とりとめもなくコニー・フランシスについて書いてきました。なんのかんので、この1年くらいで一番聴いているのは、実は彼女の曲かもしれません。それくらい好き。彼女と、そして同時代のドゥーワップが、とりあえず現時点での僕の「ゴール」っていう感じすらあります。そして彼女に関しては、単に好きというだけでなく、「生活スタイルを変えられる」という極めて物理的現実的な影響も受けています。

 SNSやニュースサイト、個人のブログなどを利用してインターネットに広く網を張り、新しいアーティストの新しい曲をできる限りフォローして、気になればアルバムを買って聴く。そういう生活を10年近く続けてきました。ネットのサービスはどんどん進化しているので情報収集の効率は上がり、ここ数年は1年で買うアルバムが100枚を超えるようになりました。単純計算で1週間に2枚は新作が手元に届いていることになります。

 次から次へと新しい音楽を聴くことをずっと楽しんでいたのですが、実はここ1年ほどは、疲れを感じることのほうが多くなりました。気に入ったアルバムが見つかったら本当は1週間でも1か月でも繰り返しリピートしたいし、たとえ初めは気に入らなくても、じっくり聴きこめば好きになることがあるかもしれない。だけど、新作が続々と届くので1枚のアルバムにかけられる時間は削られていく。音楽を「聴く」というよりも「消化する」と表現したほうがいいような接し方をしていることに、嫌気がさしてきたのです。

 そんなときに手に取ったのがコニー・フランシスでした。なぜ彼女だったのかはよく覚えてません。多分、どこかで彼女の名前を見たか音楽を耳にするかして、久々に(というか腰を据えて聴くのはほぼ初めて)手に取ったのです。新作がどんどん届くから、彼女だけを聴いている時間なんてないのに、なぜか来る日も来る日も彼女の音楽を聴いていました。

 正直、それがめちゃくちゃ楽しかった。「やっぱ音楽は、いかにたくさん聴くかではなく、いかに深く聴くかだよなあ」と思いました。気に入った曲を、骨までしゃぶりつくすように何度も繰り返し聴いていた10代の頃に戻ったようでした。このことをきっかけに、僕はそれまでの「質より量」「ストックよりフロー」な生活を改めて、「好きな曲を好きなだけ聴く」というシンプルなスタイルに戻すことにしたのです。

 これが今年の年明けのこと。なので、もう半年以上が経ちました。実は、その後に読書という僕のもう一つの趣味についても似たようなスタイルの見直しをしたので、今の僕の生活はものすごくスローです。新しい情報には疎くなったけど、今のところそれで困ったことはありません。(現時点では)という但し書きつきではあるものの、一つの作品にかけられる時間が増えたぶん、今のスタイルの方が楽しいです。

 比喩ではなく事実として、僕はコニー・フランシスに人生を変えられたのです








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Alvvays『Antisocialites』

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あなたがあなたであることで
困る人は誰もいない


 カナダのトロント出身のバンド、Alvvaysの2ndアルバム。2017年9月のリリースなので超がつくほど今更なんですけど、いやー、あの衝撃的な1stアルバムと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上の大名盤です。大好き。何度言っても足りないくらい大好き。

 もはやこのバンドのトレードマークになった、夏の陽炎のように輪郭の淡い音像モリー・ランキンのボーカルも変わらず瑞々しく繊細ですが、1stの頃よりも声の伸びが良くなった印象を受けます。

 そしてなんといっても歌メロが相変わらず素晴らしい。確か最初にこのアルバムから公開されたのは、<Dreams Tonite>だったと思うのですが、最初に聴いた瞬間に「あ〜、これこれ!」と思った記憶があります。



 ただ、今回のアルバムで特にいいなあと思ったのは、実はサウンドよりも歌詞の方でした。例えば前述の<Dreams Tonite>のコーラス部分の歌詞。
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight?
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight, tonight?

 ある意味ではとてもありふれたフレーズなのに、モリーの声やメロディの効果もあって、とても映像的に響きます。


 この曲と並ぶリード曲<In Undertow>も好き。
"What's left for you and me?"
I ask that question rhetorically
Can't buy into astrology, and won't rely on the moon for anything

No turning
There's no turning
There's no turning back after what's been said
No turning
There's no turning
There's no turning back

 この曲が試聴開始された日は、1日中Spotifyで聴いてた気がする。この「There’s no〜」の繰り返しが本当に切ない。繰り返されることで、心の内で自分に言い聞かせている様子が伝わってくる気がします。

 両方の曲に共通するのは、ある人との間に横たわる深い溝の存在です。その溝は、かつてはまったくなかったのに、いつの間にか生まれてしまったことがうかがえます。本当はその人と近づきたいのに、なぜかすれ違ってしまってばかりで、本心と現実とのギャップに主人公たちは途方に暮れています。

 アルバムタイトルの“Antisocialites”は、実は造語。“socialites”(社交的な人、社交術に長けた人)の“Anti-”(反対)ということで、「引っ込み思案な人」「人づきあいが不器用な人」というような意味になるでしょうか。思い切って声をかけて本心を話せば済みそうなものを、一人心の中で逡巡しているだけだった歌の主人公たちは、まさに「Antisocialites」といえます。

 自分で自分のことを「社交的な人間だ」と思える人は、あまり多くはないはずです。こないだ、会社の同僚で周囲の誰もから「社交的な人」と思われている人が、ポツリと「俺ももっと社交的にならないとダメだな」と呟いているのを聞いて「この人のレベルでもそう感じるのか」とのけぞったことがありました。「社交的でなければならない」という強迫観念と、その「社交的」が要求するレベルには常に届かないというジレンマは、現代人が普遍的に抱えるものなのかもしれません。

 ただ、このアルバムのテーマは決して「Antisocialites」であることを否定したり、克服しようとしたりすることではなく、「Antisocialites」としての悩みや悲しさ、喜びといったものを示しながら、寄り添い共感しようとするところにあります。

 僕が一番いいなと思ったのは、9曲目<Saved by a Waif>のコーラス直前にサラッと歌われるこのフレーズ。
Stay where you are
State what you are
Stay where you are
And no one gets hurt

 最後の「And no one gets hurt」というのがとてもいいですね。これ、日本盤の訳詞だと「誰も傷つけないように」とその前の”stay”と”state”の動機を説明している句になってるんだけど、僕は「あなたがあなたであることで、困る人は誰もいない」という単独の一節だと読みました。「Antisocialites」だけでなく、例えばLGBTQなども含めて、社会に生きるみんなに投げかけてるメッセージのようで、僕は自分の誤読のほうがしっくりくるんだよなあ。

 今年の11月、ついに初の単独来日公演が実現します。絶対に行きます。








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Liam Gallagher『As You Were』

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一周まわって頭をもたげた
太古の「恐竜」


「最初のロック体験」というものが誰にもあるのだとすれば、僕にとってのそれはオアシスの<Morning Glory>だったろうと思います。具体的に言えば、イントロのあの粘つくようなチョーキングであり、リアム・ギャラガーの死んだ魚のような瞳であり、そして彼のしゃがれた声でした。それは「髪の毛を逆立てた人が派手な照明を浴びながら大声で叫ぶもの」としか理解していなかった僕のロック観を根底から覆すのに、十分な衝撃でした。

 あれから四半世紀経っても、未だにリアムの新譜を追い続け、SNSをフォローし、(ゴシップ含めて)関連記事にもひと通り目を通しているのは、ひとえに彼が僕にとってただ一人の「リアルタイムで出会ったロックスター」だからです(ノエルではなくリアムに惹かれ続けるのは、最初の出会いの衝撃が、主にリアムの出で立ちや声によるものだったからでしょう)。

 ただ、それはあくまで僕にとっての話。いい年して(もう彼も40半ばですよ)Twitterでノエルに噛みつきまくるのも、自らを「ロックンロールの救世主」と信じて疑わない言動も、僕には「相変わらずだなあ」と微笑ましいけど、今の10代20代からすれば「だたのイタい中年」に映ってるんじゃないかとヒヤヒヤします

 ある海外のフェスで、リアムのステージは確かにめちゃくちゃ盛り上がってるんだけど、現地にいた人によれば観客の大半は40代のおじさんだった…という話をネットで読んだとき、僕は悲しいというよりも「そりゃそうだよな」と納得してしまいました

 だから、17年秋にリリースされたリアムにとっての初のソロアルバム『As You Were』が、本国チャートで1位を獲得し、特にアナログでは過去最高のセールスをたたき出すなど非常に高い評価を得ているのも、それを支えているのは結局往年のファンなんじゃないかとまだ疑っています(もちろん、そうだとしてもそれ自体は悪いことじゃないし、「往年のファン」といっても彼の場合は数百万人単位ではある)。

 とはいえ、アルバムは確かにいいです。僕はBeady Eyeをかなり応援してたので、解散してソロでアルバム出すっていったときはちょっと複雑だったんですが、実際聴いてみるとBeady Eye時代の2枚のアルバムよりも確かに良いですね。

 どう良いかというと、多くの人が指摘していることではありますが、徹底的に「リアムの魅力を余すところなく表現しきる」という点に焦点を絞っているところ。その最大の仕掛けが、アデルの『Hello』、SIAの一連の作品で知られるグレッグ・カースティンや、ヴァクシーンズやサーカ・ウェーヴスのプロデューサーでもあるダン・グレッグ・マーグエラットなど、多様なソングライター陣の参加。なかでもアンドリュー・ワイアットの作った<Chinatown>は、リアムの枯れた魅力が発揮された、今までなかったタイプの曲だと思います。



 リアムの最大の魅力は、14歳の僕がショックを受けたように、やはりあの強烈なキャラクターを持った声でしょう。そしてその声の強さが発揮されるためには、メロディにも同じだけの強度が必要でした。若手の才能あるソングライターを招集したのは、リアムの声に見合うメロディを作り出すためには必要な作戦でした(今回のアルバムの成功は、ある意味では逆説的にノエル・ギャラガーという人物の存在感をより一層強めたともいえます)。

 ハードロック的な高音シャウト系ではない歌い方で数万人規模のスタジアムを歌わせられるという点で、僕自身の個人的思い入れを抜きにしても、やはりリアムの歴史的インパクトはデカいと思います。それは、彼を凌ぐスタジアムボーカリストが、結局今に至っても現れていないことを見ても明らかです(ジョージ・エズラとかかなり可能性ありそうなんですけど)。

 そう考えると、今の若い子には、リアムの存在はかえって新鮮なのかもしれません。恐竜がロマンを誘うのは、今はもう滅んでしまったという前提があるからこそですが、いつでもどこでもコートを脱がずビッグマウスを叩くリアムのキャラクターも、もしかしたら若い子の目には恐竜のように映っているのかも。

 まあ、これは全て「若い世代がリアムに注目していたら」と仮定した上での想像ですが。ただそのうえで僕がいいなと思うのは、一周まわって過去を参照しようという気分が盛り上がったときに、それに応えられる存在が手に届くメジャーな場所に常に存在しているという、イギリスの文化的豊かさです。

 今年の9月にソロ名義では初の単独来日公演が予定されています。もちろんチケット取りました。








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The Yearning『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』

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「音楽は魔法」という言葉を
たまには信じてもいいじゃないか


 スペインのマドリードを拠点とするElefant Records(エレファント・レコード)は、世界中で僕がもっとも愛するレコードレーベルの一つです。そして、エレファントの所属アーティストのうち、レーベルの精神をもっとも色濃く体現している(と僕が感じる)のが、以前紹介したThe Schoolと、今回紹介するThe Yearning(ザ・ヤーニング)です。

 The Yearningはイギリスの2人組ユニット。シンガーソングライター、プロデューサーとして活動していたジョー・ムーアが、ボーカリストのマディー・ドビーをフィーチャーする形で2011年に結成されました。当時、マディーは若干14歳でした。

 ジョー・ムーアの作る音楽は、ブリル・ビルディング勢やブライアン・ウィルソンモータウンなど、50年代終わりから60年代前半あたりの遺伝子をダイレクトに受け継いだ、王道でキラキラしたポップス。それをそのままやると単に懐古主義的で暑苦しいだけになってしまいますが、マディーがその透き通るような歌声で、普遍的な響きをもつ「現代の音楽」へと中和しています。この「レトロなんだけどアップデートされている」というバランス感が、僕が思うエレファントのイメージそのものなのです。


 そんな彼らのエッセンスが凝縮されているのが、『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』(17年)。彼らの音源で最初にCD化されたのは、14年の1stアルバム『Dreamboat & Lemonade』なのですが、実はそれ以前にも配信限定でリリースした2枚のEPや、レーベルのコンピ盤への提供曲など、既発曲がたくさんありました。それらの初期音源をまとめてCD化したのがこの『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』です。

 初期音源だけあって、結果的にジョー・ムーアのやりたいことがもっとも端的に表れたアルバムになっています。モロにビーチボーイズな<Why’s She Making Those Eyes At You>やフィル・スペクターとモータウンのハイブリッドのような<Don’t Call Me Baby>(タイトルからして最高です)など、一つひとつの楽曲の純度が高い。ノーランズのカバー<Gotta Pull Myself Together>も名演です。オリジナルとはまったく違う仕上がりですが、この曲を選んだ着眼点やその料理の仕方にThe Yearningの個性を強く感じます。

 彼らは2ndアルバム『Evening Souvenirs』(16年)や、現時点での最新音源であるEP『Take Me All Over The World』(18年)で、フォークやボサノヴァ、映画音楽などのジャンルを開拓しています。いわば「レトロ職人」のような独自の進化を遂げつつあるのですが、その原点は間違いなくこの1枚に詰まっているのです。


 さて、そんなThe Yearningですが、今年4月に初来日が実現しました。東名阪の3か所をめぐるツアーで、僕は最終日の東京公演に行ってきました。

 今回来日したのはジョーとマディー、そしてここ数作品のレコーディングに参加しているギタリストのマーク・キフの3人。ジョーは奥さんと3人の子供たちも連れてきていて、家族と一緒にオープニングアクトの演奏を聴いたり、ジョーが演奏しているのに途中で子供が疲れて寝ちゃったりと、ライブというよりもホームパーティのような雰囲気でした
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 子供たちが遊んでいて、僕ら観客もソファに座りながらお酒を飲んでいて、そのくつろいだ空間のなかで音楽を楽しむ。僕は何度も「ここは天国なんじゃないか」と思いました。生の演奏を聴けたのは感激だったし、特にドビーの歌声は音源以上に透明感があって素晴らしかったのですが、何よりよかったのは、会場のあの雰囲気を体験できたことかもしれません。「音楽は魔法」という言葉が陳腐ではなくリアルだと感じてしまうようなあの空間と時間こそ、The Yearningの音楽そのもののようでした。








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The Pains Of Being Pure At Heart 『The Echo Of Pleasure』

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ペインズは今も変わらず
「そこ」にいた


 NYブルックリン出身のバンド、The Pains Of Being Pure At Heartを初めて聴いたときの衝撃は今でもはっきりと覚えています。2009年にリリースされたセルフタイトルの1stアルバムでした。

 最初はYouTubeでした。曲は確か<Young Adult Friction>だった気がします。いや、<Contender>か<Come Saturday>だったかもしれない。いずれにせよ、聴いた瞬間に僕にははっきりと分かりました。これこそが「聴きたかった音」だと

 深く歪んだギターの音とか男女混声ボーカルとかメロディとか、いろいろ挙げることはできるのですが、そうした個々のパーツで好きだと判断したのではなく、あくまでトータルとして「これこそが聴きたかった音楽だったんだ」と直感的に思いました。言葉で説明される前に第一印象で全てを納得できちゃったような感じ。それくらい、僕にはパーフェクトだったのです。

 ペインズとの出会いをはっきり覚えているのには、もう一つ理由があります。それは、当時の僕の生活と関係があります。09年、僕はちょうど体調を崩していて仕事をしていない時期でした。体力維持のために毎日午前中に散歩に出かけることだけが唯一の「予定」で、それが終わると狭いアパートに帰り、机に座って目の前の窓から見える外の景色をただボーッと眺めるだけの毎日を過ごしていました。

「この先自分はどうなるんだろうか」という不安と、自分だけが社会から取り残されていくような孤立感。ペインズとの出会いは、そんなネガティブな状況で起きた出来事でした。ペインズを聴くと僕は今でも、のっぺりとした時間のなかで来る日も来る日も眺めていたあの窓の外の景色を思い出します。クランベリーズの<You And Me>がそうだったように、ペインズの1stもまた、僕にとっては印象深い体験と結びついた人生の一部なのです。



 さて、前回の続きです。

 3rd『Days Of Abandon』以降、ペインズはキップ・バーマンのソロプロジェクトになりますが、初期の頃のバンドサウンドが忘れられない僕は、東京の現役大学生5ピースLuby Sparksに「ペインズという名の夢の続き」を見出します。そして、両者の共演が実現した今年1月のペインズ来日公演で、サポートアクトであるLuby Sparksのステージを見終えた僕はすっかり「世代交代」「バトンタッチ」という詠嘆的感慨に浸っていたのですが、わずか10分後、そんな気分はきれいに吹っ飛ばされたのでした。

 なぜなら、ステージに現れたペインズは、紛れもなく「バンド」だったからです。確かに、今回のツアーがサポートメンバー4人を加えたバンド編成によるものでした。しかし僕が驚いたのは、当時とはメンバーがガラッと変わったのに、彼らの鳴らす音が、09年に部屋の窓の外を眺めながら聴いた「あの頃のペインズ」そのものだったからです。

 特に驚いたのは、昨年リリースされた4枚目『The Echo Of Pleasure』の曲です。実質キップのソロになって以降、ペインズの楽曲は自己完結性が強くなり、アンサンブルがもたらすある種の矛盾や崩れみたいなものがなくなりました。特に最新の4枚目は良くも悪くもさらにあか抜けて、陶器の表面をなでるようなツルッとした印象の楽曲が増えました。

 ところが、この日聴いた<Anymore><Falling Apart So Slow>も、ツルッとしてるどころか、鼓膜をガリガリ引っ掻いてくるような、荒々しいエネルギーに満ちていました。<When I Dance With You>のコーラス部分の掛け合いのところなんて、<Young Adult Friction>に負けないくらいの高揚感がありました。この日の演奏がそのまま1stに入っていても、何の違和感もないはずです。

 僕はずっと「あの頃のペインズはもういないんだ」と思ってました。でも、それはただの勘違いでした。ペインズは変わってなんかいませんでした。僕の愛したペインズは、今も変わらずそこにいたのです








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CRX 『New Skin』

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バンドとの間に
緊張感を孕んだソロワーク


 メンバーのソロ活動が盛んなストロークスの中で、ただ一人ソロを行ってなかったニック・ヴァレンシ(Gt.)が、ついに自身のバンドを組んでデビューをしました。それがCRXの『New Skin』

 まず(やっぱりというべきか)ギターの音がとてもいいです。エッジの利いたシャープな音なんだけど、ニックのクセのあるフレージングが中和していて、攻撃的というよりも、むしろまろやかな感じ。<Ways To Fake It>とか<Unnatural>の、妙に愛嬌のあるフレーズとか、「コレだよコレ!」みたいになります。

 あと意外だったのが、ニックの声の良さ。渋くていい声してます。デビューして15年以上ずっとギター一本だったニックにとって、初めてのボーカリスト体験は想像以上にしんどかったらしく、インタビューでは「ジュリアンが本当にすごいんだなってわかった」と語ってました。

 あと、僕がいいなあと思ったのは本作のジャケット。凶暴さと可愛さとがあって、僕このジャケすごい好きだなあ。色使いもポップだけど、線の感じとかは日本の漫画っぽくもあります。ストロークスでは絶対やらないデザインでしょうね。

 ただ、アルバムとしての評価としては、せいぜい星3つというところ。どうも全体的に行儀がよすぎるというか、楽曲のバラエティはあるものの、どれもパンチが足りません。こっちとしてはもっとグイグイきてほしいのに、あと一歩、何かがこっちに届かない不完全燃焼感が残るのです。

 ということで、月並みですが次に期待。ニックには「やりきった!」みたいにはなってほしくないなあ。せっかく声がいいんだし、アコースティックなアルバムなんてどうだろう。すごくいい予感がするんだけど。



 一方で、僕が本作を聴いてて面白いなあと思ったのは、ストロークスの5人のソロワークは、みんな不思議とバンド本体と同心円上にいるということ。

 ソロってバンド本体の音楽性から離れるケースの方が多いと思うんだけど(それがソロの意義だし)、彼らの場合、音楽性は確かに5人ともバラバラなんだけど、目指しているゴールは結局みんな同じなように感じるのです。出発点もたどるルートもバラバラで、その選択の違いに個性が表れるんだけど、登ろうとしている山はみんな同じ、みたいな。ニコライのSummer Moonにしても、アルバートの『Momentary Masters』にしても、『Comedown Machine』から昨年の『Futer Present Past EP』と驚くほど同期してますよね(ファブのLittle Joyだけはちょい微妙だけど)。

 パズルのように、5人のソロを合わせるとちょうどストロークスになる気がするし、それぞれのソロを聴くことで、「<Under Cover Of Darkness>はニコライのカラーだな」とか、「<12:51>はアルバートが主導したんじゃないか」なんていう風に、バンドの曲が生まれる様子にも想像が膨らみます。

 バンドから完全に切り離されたソロというものもいいけれど、ストロークスの5人のように、バンドとの間に、一種の緊張感を持ちながら(つまり連続性をもちながら)展開するソロというのも、ファンとしては物語を妄想できるから楽しいです。








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