週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】海外のロック

Aretha Franklin『Aretha: With The Ray Bryant Combo』

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「自由に生きていい」と
彼女は歌っていた


 先月『村上RADIO』のなかで、村上春樹が「僕はシナトラの<My Way>は嫌いなんだけど、アレサ・フランクリンのカバーした<My Way>を聴いたら『なんていい曲なんだろう』と思った」というようなことを話していました。まさか、あの数日後にアレサ・フランクリンが亡くなるとは。

 亡くなったというニュースを聞いて思ったのは、悲しみや喪失感というよりも、彼女と同じ時間の空気を吸えたことへの感謝でした(僕はわずか2か月の差でジョン・レノンと同じ時代に生きられなかったので)。それくらい、彼女の存在は生前から既に「生きる歴史」だったし、その大きさは別格中の別格でした。

 彼女の代表作『Lady Soul』を初めて聴いたのは、20代の後半でした。めちゃくちゃ衝撃でした。あの「チェンチェンチェーィン…」という、ぬたぁーっと始まるゾクゾクするオープニング。当時ガレージとかパンクばかり聴いていてソウルミュージックには馴染みがなかったんですけど、このアルバムはパンクと同じ地平にあるような気がして、すげえかっこいいなと思いました

 このアルバムのなかで彼女はゴフィン&キングによる<Feel Like A Natural Woman>を歌っています。後年、『つづれおり』でキャロル・キングがこの曲をセルフカバーをしてますが、僕は圧倒的にアレサ版の方が好きだなあ。<People Get Ready>もオリジナルよりもアレサの方が好き。あの猛烈にエモーショナルなボーカルは、有無を言わさぬ説得力があります。

 アレサ・フランクリンというとこの『Lady Soul』をはじめアトランティック時代のイメージが強いですが、亡くなったのを機に、その前のコロンビア時代のアルバムも聴いてみました。その中でも特に印象に残ったのが、コロンビアと契約して最初のアルバム『Aretha: With The Ray Bryant Combo』

 ジャケット見てもわかる通り、若い!当時若干18歳です。笑ってるんだけどどこか緊張して見えるのが可愛らしいですね。でも歌はやっぱり圧倒的。後年の円熟味はありませんが、そのかわり瑞々しい躍動感があって、アトランティック以降を聴いていた耳にはとても新鮮です。

 プロデューサーはベニー・グッドマンやビリー・ホリデイといった「歴史上の人物」と仕事をしてきた大ベテラン、ジョン・ハモンド。タイトルからもわかるとおり、このアルバムで彼はピアニストのレイ・ブライアントをアレサにぶつけています。そのことによる緊張感がバンドのアンサンブルを引き立てていて、若いアレサの声ともマッチしています。

 収録曲は全てカバーなのですが、その中には彼女のルーツでもあるゴスペルだけでなく、ジャズやブルース、映画音楽まで含まれています。2曲目で『オズの魔法使い』の主題歌<虹のかなたに>を歌ってるんですけど、こういうモロに白人音楽な雰囲気の曲を、(少なくとも僕の印象では)黒っぽくなく歌い切ってしまうのがすごい。


 レイ・チャールズナット・キング・コールを聴くと、特定のジャンルに捉われないボーダレスなところに感動するのですが、アレサはその女性版というようなイメージを持ちました。「ソウルの女王」という彼女の異名が、実は一面的なものでしかないことがこのアルバムを聴くとわかります。

 まるで実際に飛び跳ねながら歌ってるんじゃないかと思うようなエネルギーで、どんな曲も伸び伸びと歌い切ってしまう18歳のアレサの声を聴いていると、「私は自由に生きていいんだ」「どこへでも行けるんだ」というような思いが湧いてきます。言葉に直すと陳腐だけど、そういう気分を純粋に音楽だけでリスナーに抱かせてしまうところが本当にすごい

 オバマ前米大統領はアレサの訃報に「彼女の声の中にアメリカの歴史を見ることができた」とコメントしました。「きっとそうなんだろうなあ」と想像します。








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Bob Dylan『Bringing It All Back Home』

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風景と音楽の組み合わせが
「自分だけの映画」を生む


 先月TOKYO-FMで、村上春樹が初めてラジオDJを務めた番組『村上RADIO』が放送されました。

 本人も番組の冒頭で「僕の声を初めて聴く人もいるかもしれません」と言ってましたが、確かに非常にレアな機会だったと思います。僕も、彼がまとまった量の日本語を、それもカジュアルな口調で喋るのを耳にしたのは初めてでした。意外だったのは、イメージよりも声が若かったこと。あと、村上春樹も普通に笑うんだってこと(当たり前か)。

 番組は、村上春樹がランニング中に聴く音楽(1000〜2000曲入っているiPodを7台ほど持っているらしい)から本人がセレクトしたいくつかの曲を紹介するというもの。ジャズからポップ、ロックまでジャンルはいろいろでしたが、本人曰くランニングに向いている音楽は「なるべくリズムが一定で、できれば勇気を奮い立たせてくれるようなもの」ということで、軽快で元気なナンバーが多かったですね。

 興味深いのはカバー曲が多いことでした。Zachariasの<Light My Fire>とかBen Sidranの<Knockin’ On Heaven’s Door>とか。ジョージ・ハリスンもカバー曲でした。しかしなかでも驚いたのはJoey Ramoneの<What A Wonderful World>。村上春樹、ラモーンズなんて聴くんだ!でもこの曲は確かにランニングにはすごい合いそう。

 そういえば、以前エッセイで、「ビートルズはもう山ほど聴いたから、今はもっぱらカバーしか聴かない」みたいなことを書いてましたね。その気持ちは分かる気がする。
(YouTube)

 僕もランニングをするけど、音楽は聴きません。走り始めた当初はiPodを必ず携帯してたんですが、2、3か月もすると聴かなくなりました。

 理由は2つあって、1つは汗が流れ込んでイヤホンを1本ダメにしてしまったこと。もう1つは、音楽が邪魔に感じるようになったこと。音楽を聴いていたのは走る間の退屈対策だったのですが、2、3か月経って徐々に身体がランニングに慣れてくると、走ること自体が楽しくなってくるので、音楽はむしろ余計だと感じるようになったのです。以来、一度も音楽を聴きながら走ったことはありません。

 だけど1つだけ、ランニング中に聴いていた音楽で忘れられない記憶があります。

 ランニングを始めて最初の冬のことでした。12月の頭、よく晴れた土曜日の早朝に、いつも走っていた近所の都立公園へ行くと、例年よりも長く枝にしがみついていた銀杏の葉が一斉に散り始めていました。まるで絨毯のように真っ黄色に染まった地面を走り始めたとき、イヤホンから流れてきたのは、ボブ・ディラン『Bringing It All Back Home』でした。

 1曲目の<Subterranean Homesick Blues>の乾いたギターの音、2曲目<She Belongs To Me>のディランの繊細な声と優しいメロディ。それらが、黄色い地面と青い空、冬のキンとした空気にピタリとハマりました。

 走りながら、まるで映画を見ているような錯覚に陥りました。風景と音楽が、僕のなかで宿命的なほど完璧に溶け合いました。あまりの美しさに「生きててよかった!!」と心の中でガッツポーズをとったのを、はっきりと覚えています。1965年にリリースされたこのアルバムは、ディラン初のエレクトリックアルバムとして知られる名盤中の名盤ですが、あの日以来、僕は聴くたびに12月の早朝の公園を思い出すのです。

 僕は村上春樹にとってのランニング音楽のように、行動(アクション)と音楽が結びついた経験はあまりないんですけど、そのかわりに、ボブ・ディランのときのような、風景と音楽が結びついた経験はたくさんあります。

 一番多いのは電車に乗ってるときで、たまたまイヤホンから流れてきた音楽によって、見慣れたはずの車窓の風景が物語のワンシーンのように見えることは、日常的によくあります。こないだも夕方の東横線に乗っていて、遠くに三軒茶屋のキャロットタワーが見えたんですけど、その瞬間ホムカミの2ndが流れて、「ああ、あの場所に行きたいなあ」というようなくらくらするほどの切なさを感じました。なんだったんだろう、あれは。

 こういうのって狙って味わおうとしてもダメで、ある風景とある音楽、さらにはそのときの自分の心理状態なんかも含めて偶然生まれるものなんですよね。そして、偶然だからこそ、この「自分だけの映画」を見られることにはある種の快感があります。僕が電車に乗るときに必ず音楽を聴く理由は、退屈対策もあるけど、それ以上にこの不思議な快感への期待が大きいかもしれない。さらにいえば、僕がずっと劇団で選曲をやってきたのも、「風景(シーン)と音楽の組み合わせ」への好奇心が、形を変えて表れた結果なんじゃないかという気がしてきました。

 …というようなことを『村上RADIO』を聴き終ってから考えていました。なんだか、自分の音楽遍歴をひもとくキーワードが、思いもかけず見つかったような気分です。番組の趣旨とはだいぶずれるけど、これもある意味では「風景と音楽」と同じ、偶然が生んだ何かに違いありません。

『村上RADIO』は10月に第2回が放送されるそうです。








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V.A.『Gold Collection〜Oldies Best Artist 22』

「愛すべき孤独」を教えてくれた
正体不明の1枚


 先週、コニー・フランシスの話を書きました。彼女がもっとも人気を博したのは1950年代後半から60年代前半。今から60年近くも前になります。

「60年前の音楽を聴く」というと、一般的にはどう受け取られるだろう。やっぱり「マニア」「好事家」と思われちゃうんでしょうか。確かに、ただでさえ音楽を聴く人は(30代も後半になると特に)少ないのに、その中でもあえて昔の音楽にまで手を出すなんて、よほどのきっかけでもない限りはありえないのかもしれません。

 僕が50年代や60年代の音楽を聴き始めたのは20歳のときでした(10代の頃、自覚的に聴いていたのはビートルズサイモン&ガーファンクルくらいでした)。きっかけは、あるコンピ盤でした。『Gold Collection』というありがちすぎなタイトルに、マンハッタンの夕景(国際貿易センタービルがまだある時代です…)という雰囲気だけのジャケット写真。早い話が何の変哲もないコンピだったのですが、この1枚が、大げさに言えばその後の僕の音楽人生を大きく変えたのです。理由は収録曲。以下がその一覧です。

#1 Unchained Melody/The Righteous Brothers
#2 Only You/The Platters
#3 California Dreamin'/The Mamas And Papas
#4 A Whiter Shade Of Pale/Procol Harum
#5 The Sound Of Silence/Simon & Garfunkel
#6 Rhythm Of The Rain/The Cascades
#7 My Girl/The Temptations
#8 I Can't Stop Loving You/Ray Charles
#9 Stop! In The Name Of Love/Diana Ross & The Supremes
#10 Moon River/Andy Williams
#11 Can't Help Falling In Love/Elvis Presley
#12 Save The Last Dance For Me/The Drifters
#13 Stand By Me/Ben E. King
#14 San Francisco/Scott McKenzie
#15 Yesterday/The Beatles
#16 When A Man Loves A Woman/Percy Sledge
#17 The Green Green Glass Of Home/Tom Jones
#18 Una Lacrima Sul Viso/Bobby Solo
#19 Mona Lisa/Nat King Cole
#20 Only The Lonely/Roy Orbison
#21 Mr. Lonely/Bobby Vinton
#22 What A Wonderful World/Louis Armstrong

 伝わるでしょうか、この網羅性。Amazonのミュージックカテゴリで、「オールディーズ」で検索をかけると500件以上がヒットします。そのくらいオールディーズのコンピ盤ってたくさんありますが、複数枚組のものを除けば、1枚でこれほど幅広く有名曲をカバーしているアイテムは、ほとんどないはずです

 具体的に挙げるなら、まず#5、#8、#13、#15、#22。このあたりはビッグネームすぎてコンピには滅多に入りません。#9もかなりレア。シュープリームスがこういうコンピに顔を出すのも珍しいです。

 また、わずか22曲でありながら時代が広いのも特徴です。多くのオールディーズコンピが「50s」「60s」とディケイド区切りなのに、このアルバムには#1(55年)から#3(66年)までと、両方の時代をまたいでいます。その結果、映画音楽(#10)にジャズ(#22)、フォーク(#5)にロック(#4)にソウル(#8)と、ジャンルが異様に幅広くなっています。

 改めて曲目リストを見ると、感慨深いです。プロコル・ハルムドリフターズテンプテーションズ、このブログでも書いたカスケーズなどは全部このコンピで知りました。以前、劇団での選曲のことを書きましたが#6#12はまさにこのアルバムから流しています。ドリフターズはドゥーワップを聴きなおす流れでこの1年くらいで再燃しているし、ナット・キング・コールもちょうど春から聴きなおしているところ。未だに僕はこの身元不明のコンピ盤から影響を受けているのです。数あるオールディーズコンピから最初にこの1枚に出会ったことは、僕のこれまでの音楽人生における最大のラッキーだったかもしれません。



 再び「なぜ古い音楽を聴くようになったのか」という冒頭の話題に戻ってみるのですが、今思い出してみると、古い音楽=今は流行ってない音楽=自分しか聴いてない音楽、という優越感みたいなものはあった気がします。自分だけが知っているという文字通りの優越感だけでなく、流行や同世代性といったものを気にせず、一人でとことんその音楽に没入できるという、自分だけが独り占めできている安心感もありました。もしかしたら、音楽がもたらしてくれる「愛すべき孤独」を最初に教えてくれたのが、オールディーズだったのかもしれません。

 SpotifyやApple Musicで、ネット上に公開されている大量のライブラリから自由にプレイリストを作れるようになったいま、コンピ盤はもはや衰退していく運命でしょう。だから僕の娘とか、これから音楽を聴く世代には、僕がこの『Gold Collection』との出会いを「奇跡だ!」「ラッキーだ!」と言ってることが理解できないのかもしれないなあ。

 実はこのアルバム、長い間データでしか持ってなかったのです。なので先日、ふと思い立ってCDを買い直したところでした。アマゾンでもタワレコでもブックオフでも見つからず(というかタイトルすらうろ覚えだったので、収録曲とかで検索してました)諦めかけてたところ、ヤフオクに出品されてたのを偶然発見しました(ジャケットの写真が決め手でした)。しかも、まさにその日が出品初日。ここでも「奇跡」が起きたのでした。






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Connie Francis 『Rock 'n' Roll Million Sellers/Country & Western Golden Hits』

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比喩ではなく事実として
僕は彼女に「人生を変えられた」


 コニー・フランシスのどこにそんなに惹かれるのかと聞かれたら、やはりあの「声」という答えになると思います。少女の初々しさと大人の女性の色気。その両方を併せ持ち、強く前向きな意志を感じさせると同時に、その裏にある不安や怯えもにじませる。コニーの声には、世俗性と神秘性の両方がなぜだか同居してしまう、不思議な寛容さがあります

 最初に聴いたのは、映画『青春デンデケデケデケ』で流れた<Where The Boys Are(邦題:ボーイハント)>でした。あの切なく狂おしく歌い上げるコーラスを聴いて、中学生だった僕は「演歌みたいだなー」と思いました。でも、演歌はまったくピンとこないけど、この曲は「なんかいいな。なんか懐かしい感じがするな」と思ったのです(日本の演歌よりもアメリカのオールディーズに「懐かしい」と感じるのも不思議ですが)。だいぶ後になって、この曲を録音した当時、彼女はまだ20歳そこそこだったと知って驚きました。

 1938年生まれ。レコードデビューは1955年で17歳のとき。しばらくは鳴かず飛ばずでしたが1958年にシングル<Who’s Sorry Now?>がチャート4位に上るヒットとなって、コニー・フランシスは人気歌手の仲間入りをします。

 ヒットシングルが出たことでレコード会社(MGM)も彼女のアルバムを作り始めるのですが、記録を見るとその制作ペースはすさまじいものがあります。58年からMGMを移籍する69年までの12年間で、彼女が制作したアルバムは50枚を超えます。もっともすごいのは59年で、1年間になんと8枚ものアルバムを作りました。日本の80年代アイドルは「一つの季節に1枚のシングル=1年に4枚」というペースが慣例だったそうですが(これでさえ今の感覚からすると多いなと思いますが)、コニーはその倍のリリース量を、しかもシングルでなくアルバムでこなしてたわけですから、その怒涛っぷり、レコード会社のえげつなさっぷりがわかります。

 彼女が残したアルバムのうち、半分以上はカバーアルバムです(既存の曲を流用したからこそ、驚異的なペースでの制作が可能だったともいえます)。最初に作られたのは59年の『Connie Francis Sings Italian Favorites』で、その名の通り<帰れソレントへ>や<サンタ・ルチア>といったイタリアの伝統歌を歌っています。この「ご当地もの」はシリーズ化して、その後『Spanish & Latin American Favorites』、『Jewish Favorites』、『Irish Favorites』、『German Favorites』などが作られます。

 当時のコニー・フランシスは、あくまで流行歌を歌うポップス歌手でした。今でいうアイドル歌手です。その彼女が各地の伝統歌をレパートリーにもつところに、当時の歌手に求められていた資質がどういうものだったかがうかがえます

 一方で、彼女は同時代のヒット曲をカバーしたアルバムもたくさん作っています。中でも僕が好きなのは59年11月にリリースされた2枚のアルバム(繰り返すようですが、ひと月の間に2枚のアルバムがリリースされるということがすごい)、『Rock 'n' Roll Million Sellers』『Country & Western ? Golden Hits』

『Rock 'n' Roll Million Sellers』はエルヴィスの<Heartbreak Hotel>や<Don’t Be Cruel>、ファッツ・ドミノの<Ain't That a Shame>といったロックンロール最初期のナンバーをカバーしたアルバム。今見ると「オールディーズベスト」みたいな印象になっちゃいますが、当時はどれもリアルタイムのヒット曲です。タイトルに「ロックンロール」とついていますが、多分この言葉が生まれてすぐの頃だったはずです。

 このアルバムで唯一のオリジナル曲が、<Lipstick on Your Collar(邦題:カラーに口紅)>大滝詠一ラッツ&スターに書いた<Tシャツに口紅>のタイトル元ネタですね。僕はコニー・フランシスの中ではこの曲が一番好き。この曲はなんといってもイントロです。あの「Yeah Yeah Yeah・・・」っていう声、今聴くとものすごいパンクだと思いませんか

 作者はエドナ・ルイス(詞)とジョージ・ゴーリング(曲)。ジョージ・ゴーリングはこの曲のほかに<Robot Man>という曲をコニーに提供していますが、エドナ・ルイスは<Lipstick on Your Collar>1曲だけのよう。コニー・フランシスというと<Vacation>や<Stupid Cupid>、前述の<Where The Boys Are>でニール・セダカのイメージが強いですが、もうあと数曲だけでもこの2人のチームを起用してくれてたら印象が変わっていたんじゃないかという気がします。



 さて、もう1枚の『Country & Western Golden Hits』のほうですが、こちらもカバーしているのはハンク・ウィリアムスやエヴァリー・ブラザーズなど、同時代の人気歌手のナンバー。このアルバムと『Rock 'n' Roll Million Sellers』とを並べてみて、収録曲の違いやこの2枚が同時期に発売されることなどをあれこれ考えると、当時のポップス界の雰囲気が想像できるような気がします。

 こっちのアルバムにコニーのオリジナル曲はありません。ですが、なんといってもこっちには<Tennessee Waltz>が入っています。何人ものアーティストがカバーしている名曲中の名曲ですが、もっともヒットしたパティ・ペイジ版(1950年)と比べても、このコニーのバージョンのほうが素晴らしいと思う。夜空に浮かぶ月のように静かな彼女の歌い方には、かつての悲しい出来事を乗り越えてようやく平穏を取り戻せたという過去との距離が表れています。しかし優しさすら感じさせる歌声には、だからこそそこにいたるまでのを苦しみや葛藤も想像させます。ものすごく人生の重みを感じさせる歌声です。この曲を歌ったとき、彼女は若干21歳でした。



 とりとめもなくコニー・フランシスについて書いてきました。なんのかんので、この1年くらいで一番聴いているのは、実は彼女の曲かもしれません。それくらい好き。彼女と、そして同時代のドゥーワップが、とりあえず現時点での僕の「ゴール」っていう感じすらあります。そして彼女に関しては、単に好きというだけでなく、「生活スタイルを変えられる」という極めて物理的現実的な影響も受けています。

 SNSやニュースサイト、個人のブログなどを利用してインターネットに広く網を張り、新しいアーティストの新しい曲をできる限りフォローして、気になればアルバムを買って聴く。そういう生活を10年近く続けてきました。ネットのサービスはどんどん進化しているので情報収集の効率は上がり、ここ数年は1年で買うアルバムが100枚を超えるようになりました。単純計算で1週間に2枚は新作が手元に届いていることになります。

 次から次へと新しい音楽を聴くことをずっと楽しんでいたのですが、実はここ1年ほどは、疲れを感じることのほうが多くなりました。気に入ったアルバムが見つかったら本当は1週間でも1か月でも繰り返しリピートしたいし、たとえ初めは気に入らなくても、じっくり聴きこめば好きになることがあるかもしれない。だけど、新作が続々と届くので1枚のアルバムにかけられる時間は削られていく。音楽を「聴く」というよりも「消化する」と表現したほうがいいような接し方をしていることに、嫌気がさしてきたのです。

 そんなときに手に取ったのがコニー・フランシスでした。なぜ彼女だったのかはよく覚えてません。多分、どこかで彼女の名前を見たか音楽を耳にするかして、久々に(というか腰を据えて聴くのはほぼ初めて)手に取ったのです。新作がどんどん届くから、彼女だけを聴いている時間なんてないのに、なぜか来る日も来る日も彼女の音楽を聴いていました。

 正直、それがめちゃくちゃ楽しかった。「やっぱ音楽は、いかにたくさん聴くかではなく、いかに深く聴くかだよなあ」と思いました。気に入った曲を、骨までしゃぶりつくすように何度も繰り返し聴いていた10代の頃に戻ったようでした。このことをきっかけに、僕はそれまでの「質より量」「ストックよりフロー」な生活を改めて、「好きな曲を好きなだけ聴く」というシンプルなスタイルに戻すことにしたのです。

 これが今年の年明けのこと。なので、もう半年以上が経ちました。実は、その後に読書という僕のもう一つの趣味についても似たようなスタイルの見直しをしたので、今の僕の生活はものすごくスローです。新しい情報には疎くなったけど、今のところそれで困ったことはありません。(現時点では)という但し書きつきではあるものの、一つの作品にかけられる時間が増えたぶん、今のスタイルの方が楽しいです。

 比喩ではなく事実として、僕はコニー・フランシスに人生を変えられたのです








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Alvvays『Antisocialites』

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あなたがあなたであることで
困る人は誰もいない


 カナダのトロント出身のバンド、Alvvaysの2ndアルバム。2017年9月のリリースなので超がつくほど今更なんですけど、いやー、あの衝撃的な1stアルバムと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上の大名盤です。大好き。何度言っても足りないくらい大好き。

 もはやこのバンドのトレードマークになった、夏の陽炎のように輪郭の淡い音像モリー・ランキンのボーカルも変わらず瑞々しく繊細ですが、1stの頃よりも声の伸びが良くなった印象を受けます。

 そしてなんといっても歌メロが相変わらず素晴らしい。確か最初にこのアルバムから公開されたのは、<Dreams Tonite>だったと思うのですが、最初に聴いた瞬間に「あ〜、これこれ!」と思った記憶があります。



 ただ、今回のアルバムで特にいいなあと思ったのは、実はサウンドよりも歌詞の方でした。例えば前述の<Dreams Tonite>のコーラス部分の歌詞。
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight?
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight, tonight?

 ある意味ではとてもありふれたフレーズなのに、モリーの声やメロディの効果もあって、とても映像的に響きます。


 この曲と並ぶリード曲<In Undertow>も好き。
"What's left for you and me?"
I ask that question rhetorically
Can't buy into astrology, and won't rely on the moon for anything

No turning
There's no turning
There's no turning back after what's been said
No turning
There's no turning
There's no turning back

 この曲が試聴開始された日は、1日中Spotifyで聴いてた気がする。この「There’s no〜」の繰り返しが本当に切ない。繰り返されることで、心の内で自分に言い聞かせている様子が伝わってくる気がします。

 両方の曲に共通するのは、ある人との間に横たわる深い溝の存在です。その溝は、かつてはまったくなかったのに、いつの間にか生まれてしまったことがうかがえます。本当はその人と近づきたいのに、なぜかすれ違ってしまってばかりで、本心と現実とのギャップに主人公たちは途方に暮れています。

 アルバムタイトルの“Antisocialites”は、実は造語。“socialites”(社交的な人、社交術に長けた人)の“Anti-”(反対)ということで、「引っ込み思案な人」「人づきあいが不器用な人」というような意味になるでしょうか。思い切って声をかけて本心を話せば済みそうなものを、一人心の中で逡巡しているだけだった歌の主人公たちは、まさに「Antisocialites」といえます。

 自分で自分のことを「社交的な人間だ」と思える人は、あまり多くはないはずです。こないだ、会社の同僚で周囲の誰もから「社交的な人」と思われている人が、ポツリと「俺ももっと社交的にならないとダメだな」と呟いているのを聞いて「この人のレベルでもそう感じるのか」とのけぞったことがありました。「社交的でなければならない」という強迫観念と、その「社交的」が要求するレベルには常に届かないというジレンマは、現代人が普遍的に抱えるものなのかもしれません。

 ただ、このアルバムのテーマは決して「Antisocialites」であることを否定したり、克服しようとしたりすることではなく、「Antisocialites」としての悩みや悲しさ、喜びといったものを示しながら、寄り添い共感しようとするところにあります。

 僕が一番いいなと思ったのは、9曲目<Saved by a Waif>のコーラス直前にサラッと歌われるこのフレーズ。
Stay where you are
State what you are
Stay where you are
And no one gets hurt

 最後の「And no one gets hurt」というのがとてもいいですね。これ、日本盤の訳詞だと「誰も傷つけないように」とその前の”stay”と”state”の動機を説明している句になってるんだけど、僕は「あなたがあなたであることで、困る人は誰もいない」という単独の一節だと読みました。「Antisocialites」だけでなく、例えばLGBTQなども含めて、社会に生きるみんなに投げかけてるメッセージのようで、僕は自分の誤読のほうがしっくりくるんだよなあ。

 今年の11月、ついに初の単独来日公演が実現します。絶対に行きます。








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Liam Gallagher『As You Were』

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一周まわって頭をもたげた
太古の「恐竜」


「最初のロック体験」というものが誰にもあるのだとすれば、僕にとってのそれはオアシスの<Morning Glory>だったろうと思います。具体的に言えば、イントロのあの粘つくようなチョーキングであり、リアム・ギャラガーの死んだ魚のような瞳であり、そして彼のしゃがれた声でした。それは「髪の毛を逆立てた人が派手な照明を浴びながら大声で叫ぶもの」としか理解していなかった僕のロック観を根底から覆すのに、十分な衝撃でした。

 あれから四半世紀経っても、未だにリアムの新譜を追い続け、SNSをフォローし、(ゴシップ含めて)関連記事にもひと通り目を通しているのは、ひとえに彼が僕にとってただ一人の「リアルタイムで出会ったロックスター」だからです(ノエルではなくリアムに惹かれ続けるのは、最初の出会いの衝撃が、主にリアムの出で立ちや声によるものだったからでしょう)。

 ただ、それはあくまで僕にとっての話。いい年して(もう彼も40半ばですよ)Twitterでノエルに噛みつきまくるのも、自らを「ロックンロールの救世主」と信じて疑わない言動も、僕には「相変わらずだなあ」と微笑ましいけど、今の10代20代からすれば「だたのイタい中年」に映ってるんじゃないかとヒヤヒヤします

 ある海外のフェスで、リアムのステージは確かにめちゃくちゃ盛り上がってるんだけど、現地にいた人によれば観客の大半は40代のおじさんだった…という話をネットで読んだとき、僕は悲しいというよりも「そりゃそうだよな」と納得してしまいました

 だから、17年秋にリリースされたリアムにとっての初のソロアルバム『As You Were』が、本国チャートで1位を獲得し、特にアナログでは過去最高のセールスをたたき出すなど非常に高い評価を得ているのも、それを支えているのは結局往年のファンなんじゃないかとまだ疑っています(もちろん、そうだとしてもそれ自体は悪いことじゃないし、「往年のファン」といっても彼の場合は数百万人単位ではある)。

 とはいえ、アルバムは確かにいいです。僕はBeady Eyeをかなり応援してたので、解散してソロでアルバム出すっていったときはちょっと複雑だったんですが、実際聴いてみるとBeady Eye時代の2枚のアルバムよりも確かに良いですね。

 どう良いかというと、多くの人が指摘していることではありますが、徹底的に「リアムの魅力を余すところなく表現しきる」という点に焦点を絞っているところ。その最大の仕掛けが、アデルの『Hello』、SIAの一連の作品で知られるグレッグ・カースティンや、ヴァクシーンズやサーカ・ウェーヴスのプロデューサーでもあるダン・グレッグ・マーグエラットなど、多様なソングライター陣の参加。なかでもアンドリュー・ワイアットの作った<Chinatown>は、リアムの枯れた魅力が発揮された、今までなかったタイプの曲だと思います。



 リアムの最大の魅力は、14歳の僕がショックを受けたように、やはりあの強烈なキャラクターを持った声でしょう。そしてその声の強さが発揮されるためには、メロディにも同じだけの強度が必要でした。若手の才能あるソングライターを招集したのは、リアムの声に見合うメロディを作り出すためには必要な作戦でした(今回のアルバムの成功は、ある意味では逆説的にノエル・ギャラガーという人物の存在感をより一層強めたともいえます)。

 ハードロック的な高音シャウト系ではない歌い方で数万人規模のスタジアムを歌わせられるという点で、僕自身の個人的思い入れを抜きにしても、やはりリアムの歴史的インパクトはデカいと思います。それは、彼を凌ぐスタジアムボーカリストが、結局今に至っても現れていないことを見ても明らかです(ジョージ・エズラとかかなり可能性ありそうなんですけど)。

 そう考えると、今の若い子には、リアムの存在はかえって新鮮なのかもしれません。恐竜がロマンを誘うのは、今はもう滅んでしまったという前提があるからこそですが、いつでもどこでもコートを脱がずビッグマウスを叩くリアムのキャラクターも、もしかしたら若い子の目には恐竜のように映っているのかも。

 まあ、これは全て「若い世代がリアムに注目していたら」と仮定した上での想像ですが。ただそのうえで僕がいいなと思うのは、一周まわって過去を参照しようという気分が盛り上がったときに、それに応えられる存在が手に届くメジャーな場所に常に存在しているという、イギリスの文化的豊かさです。

 今年の9月にソロ名義では初の単独来日公演が予定されています。もちろんチケット取りました。








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The Yearning『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』

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「音楽は魔法」という言葉を
たまには信じてもいいじゃないか


 スペインのマドリードを拠点とするElefant Records(エレファント・レコード)は、世界中で僕がもっとも愛するレコードレーベルの一つです。そして、エレファントの所属アーティストのうち、レーベルの精神をもっとも色濃く体現している(と僕が感じる)のが、以前紹介したThe Schoolと、今回紹介するThe Yearning(ザ・ヤーニング)です。

 The Yearningはイギリスの2人組ユニット。シンガーソングライター、プロデューサーとして活動していたジョー・ムーアが、ボーカリストのマディー・ドビーをフィーチャーする形で2011年に結成されました。当時、マディーは若干14歳でした。

 ジョー・ムーアの作る音楽は、ブリル・ビルディング勢やブライアン・ウィルソンモータウンなど、50年代終わりから60年代前半あたりの遺伝子をダイレクトに受け継いだ、王道でキラキラしたポップス。それをそのままやると単に懐古主義的で暑苦しいだけになってしまいますが、マディーがその透き通るような歌声で、普遍的な響きをもつ「現代の音楽」へと中和しています。この「レトロなんだけどアップデートされている」というバランス感が、僕が思うエレファントのイメージそのものなのです。


 そんな彼らのエッセンスが凝縮されているのが、『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』(17年)。彼らの音源で最初にCD化されたのは、14年の1stアルバム『Dreamboat & Lemonade』なのですが、実はそれ以前にも配信限定でリリースした2枚のEPや、レーベルのコンピ盤への提供曲など、既発曲がたくさんありました。それらの初期音源をまとめてCD化したのがこの『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』です。

 初期音源だけあって、結果的にジョー・ムーアのやりたいことがもっとも端的に表れたアルバムになっています。モロにビーチボーイズな<Why’s She Making Those Eyes At You>やフィル・スペクターとモータウンのハイブリッドのような<Don’t Call Me Baby>(タイトルからして最高です)など、一つひとつの楽曲の純度が高い。ノーランズのカバー<Gotta Pull Myself Together>も名演です。オリジナルとはまったく違う仕上がりですが、この曲を選んだ着眼点やその料理の仕方にThe Yearningの個性を強く感じます。

 彼らは2ndアルバム『Evening Souvenirs』(16年)や、現時点での最新音源であるEP『Take Me All Over The World』(18年)で、フォークやボサノヴァ、映画音楽などのジャンルを開拓しています。いわば「レトロ職人」のような独自の進化を遂げつつあるのですが、その原点は間違いなくこの1枚に詰まっているのです。


 さて、そんなThe Yearningですが、今年4月に初来日が実現しました。東名阪の3か所をめぐるツアーで、僕は最終日の東京公演に行ってきました。

 今回来日したのはジョーとマディー、そしてここ数作品のレコーディングに参加しているギタリストのマーク・キフの3人。ジョーは奥さんと3人の子供たちも連れてきていて、家族と一緒にオープニングアクトの演奏を聴いたり、ジョーが演奏しているのに途中で子供が疲れて寝ちゃったりと、ライブというよりもホームパーティのような雰囲気でした
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 子供たちが遊んでいて、僕ら観客もソファに座りながらお酒を飲んでいて、そのくつろいだ空間のなかで音楽を楽しむ。僕は何度も「ここは天国なんじゃないか」と思いました。生の演奏を聴けたのは感激だったし、特にドビーの歌声は音源以上に透明感があって素晴らしかったのですが、何よりよかったのは、会場のあの雰囲気を体験できたことかもしれません。「音楽は魔法」という言葉が陳腐ではなくリアルだと感じてしまうようなあの空間と時間こそ、The Yearningの音楽そのもののようでした。








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The Pains Of Being Pure At Heart 『The Echo Of Pleasure』

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ペインズは今も変わらず
「そこ」にいた


 NYブルックリン出身のバンド、The Pains Of Being Pure At Heartを初めて聴いたときの衝撃は今でもはっきりと覚えています。2009年にリリースされたセルフタイトルの1stアルバムでした。

 最初はYouTubeでした。曲は確か<Young Adult Friction>だった気がします。いや、<Contender>か<Come Saturday>だったかもしれない。いずれにせよ、聴いた瞬間に僕にははっきりと分かりました。これこそが「聴きたかった音」だと

 深く歪んだギターの音とか男女混声ボーカルとかメロディとか、いろいろ挙げることはできるのですが、そうした個々のパーツで好きだと判断したのではなく、あくまでトータルとして「これこそが聴きたかった音楽だったんだ」と直感的に思いました。言葉で説明される前に第一印象で全てを納得できちゃったような感じ。それくらい、僕にはパーフェクトだったのです。

 ペインズとの出会いをはっきり覚えているのには、もう一つ理由があります。それは、当時の僕の生活と関係があります。09年、僕はちょうど体調を崩していて仕事をしていない時期でした。体力維持のために毎日午前中に散歩に出かけることだけが唯一の「予定」で、それが終わると狭いアパートに帰り、机に座って目の前の窓から見える外の景色をただボーッと眺めるだけの毎日を過ごしていました。

「この先自分はどうなるんだろうか」という不安と、自分だけが社会から取り残されていくような孤立感。ペインズとの出会いは、そんなネガティブな状況で起きた出来事でした。ペインズを聴くと僕は今でも、のっぺりとした時間のなかで来る日も来る日も眺めていたあの窓の外の景色を思い出します。クランベリーズの<You And Me>がそうだったように、ペインズの1stもまた、僕にとっては印象深い体験と結びついた人生の一部なのです。



 さて、前回の続きです。

 3rd『Days Of Abandon』以降、ペインズはキップ・バーマンのソロプロジェクトになりますが、初期の頃のバンドサウンドが忘れられない僕は、東京の現役大学生5ピースLuby Sparksに「ペインズという名の夢の続き」を見出します。そして、両者の共演が実現した今年1月のペインズ来日公演で、サポートアクトであるLuby Sparksのステージを見終えた僕はすっかり「世代交代」「バトンタッチ」という詠嘆的感慨に浸っていたのですが、わずか10分後、そんな気分はきれいに吹っ飛ばされたのでした。

 なぜなら、ステージに現れたペインズは、紛れもなく「バンド」だったからです。確かに、今回のツアーがサポートメンバー4人を加えたバンド編成によるものでした。しかし僕が驚いたのは、当時とはメンバーがガラッと変わったのに、彼らの鳴らす音が、09年に部屋の窓の外を眺めながら聴いた「あの頃のペインズ」そのものだったからです。

 特に驚いたのは、昨年リリースされた4枚目『The Echo Of Pleasure』の曲です。実質キップのソロになって以降、ペインズの楽曲は自己完結性が強くなり、アンサンブルがもたらすある種の矛盾や崩れみたいなものがなくなりました。特に最新の4枚目は良くも悪くもさらにあか抜けて、陶器の表面をなでるようなツルッとした印象の楽曲が増えました。

 ところが、この日聴いた<Anymore><Falling Apart So Slow>も、ツルッとしてるどころか、鼓膜をガリガリ引っ掻いてくるような、荒々しいエネルギーに満ちていました。<When I Dance With You>のコーラス部分の掛け合いのところなんて、<Young Adult Friction>に負けないくらいの高揚感がありました。この日の演奏がそのまま1stに入っていても、何の違和感もないはずです。

 僕はずっと「あの頃のペインズはもういないんだ」と思ってました。でも、それはただの勘違いでした。ペインズは変わってなんかいませんでした。僕の愛したペインズは、今も変わらずそこにいたのです








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CRX 『New Skin』

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バンドとの間に
緊張感を孕んだソロワーク


 メンバーのソロ活動が盛んなストロークスの中で、ただ一人ソロを行ってなかったニック・ヴァレンシ(Gt.)が、ついに自身のバンドを組んでデビューをしました。それがCRXの『New Skin』

 まず(やっぱりというべきか)ギターの音がとてもいいです。エッジの利いたシャープな音なんだけど、ニックのクセのあるフレージングが中和していて、攻撃的というよりも、むしろまろやかな感じ。<Ways To Fake It>とか<Unnatural>の、妙に愛嬌のあるフレーズとか、「コレだよコレ!」みたいになります。

 あと意外だったのが、ニックの声の良さ。渋くていい声してます。デビューして15年以上ずっとギター一本だったニックにとって、初めてのボーカリスト体験は想像以上にしんどかったらしく、インタビューでは「ジュリアンが本当にすごいんだなってわかった」と語ってました。

 あと、僕がいいなあと思ったのは本作のジャケット。凶暴さと可愛さとがあって、僕このジャケすごい好きだなあ。色使いもポップだけど、線の感じとかは日本の漫画っぽくもあります。ストロークスでは絶対やらないデザインでしょうね。

 ただ、アルバムとしての評価としては、せいぜい星3つというところ。どうも全体的に行儀がよすぎるというか、楽曲のバラエティはあるものの、どれもパンチが足りません。こっちとしてはもっとグイグイきてほしいのに、あと一歩、何かがこっちに届かない不完全燃焼感が残るのです。

 ということで、月並みですが次に期待。ニックには「やりきった!」みたいにはなってほしくないなあ。せっかく声がいいんだし、アコースティックなアルバムなんてどうだろう。すごくいい予感がするんだけど。



 一方で、僕が本作を聴いてて面白いなあと思ったのは、ストロークスの5人のソロワークは、みんな不思議とバンド本体と同心円上にいるということ。

 ソロってバンド本体の音楽性から離れるケースの方が多いと思うんだけど(それがソロの意義だし)、彼らの場合、音楽性は確かに5人ともバラバラなんだけど、目指しているゴールは結局みんな同じなように感じるのです。出発点もたどるルートもバラバラで、その選択の違いに個性が表れるんだけど、登ろうとしている山はみんな同じ、みたいな。ニコライのSummer Moonにしても、アルバートの『Momentary Masters』にしても、『Comedown Machine』から昨年の『Futer Present Past EP』と驚くほど同期してますよね(ファブのLittle Joyだけはちょい微妙だけど)。

 パズルのように、5人のソロを合わせるとちょうどストロークスになる気がするし、それぞれのソロを聴くことで、「<Under Cover Of Darkness>はニコライのカラーだな」とか、「<12:51>はアルバートが主導したんじゃないか」なんていう風に、バンドの曲が生まれる様子にも想像が膨らみます。

 バンドから完全に切り離されたソロというものもいいけれど、ストロークスの5人のように、バンドとの間に、一種の緊張感を持ちながら(つまり連続性をもちながら)展開するソロというのも、ファンとしては物語を妄想できるから楽しいです。








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Emitt Rhodes 『エミット・ローズの限りない世界』

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「ポールの双子」が
閉じた世界で育んだ音


 1967年、一人の青年が地元カリフォルニアの仲間と共に、Merry-Go-Roundという名のバンドでレコードデビューを果たします。彼はバンドでボーカル、ギター、そして作曲を担当しました。当時まだ10代だったにもかかわらず、楽曲はバングルズやフェアポート・インベンションにカバーされ、彼の名は優れた作曲家の一人として知られるようになります。

 その後ほどなくしてバンドは解散。すると彼は、実家のガレージに楽器を運び込み、録音機材も揃えて、自分だけのスタジオを作り上げます。彼はそこで自作の曲をレコーディングすべく、全ての楽器を自分で演奏し、さらにエンジニアリングやプロデュースまでも自力で行い、1970年、完全に一人だけで作ったアルバムを完成させました。

 彼はそのAll By Myselfなアルバムに、自分の名前をつけました。『Emitt Rhodes(邦題:エミット・ローズの限りない世界)』。セルフタイトルがこれほど実態を伴ったアルバムはないかもしれません。そして、このアルバムを聴いた人々は、その音楽性、とりわけメロディセンスが、ある人物のそれに酷似していることに驚いて、彼――エミット・ローズをこう呼ぶようになりました。「一人ポール・マッカートニー」。あるいは「ポールの音楽的双生児」と。

 この異名は、エミット自身にとっては面白くないものかもしれません。しかし、そうとしか呼びようのないくらい、エミット・ローズの音楽はポールと瓜二つです。むしろ(おかしい表現ではあるのですが)エミットの方がポールよりも「ポール」らしいとすら言える。2013年のポールの<NEW>を聴いたとき、「エミットに似ているなあ」と逆に再確認したくらいです。


 しかし、決して彼は「モノマネ」をしているわけではありません。メロディの運びもアレンジも、エミット自身の確信みたいなものが満ち満ちています。それに、似ているというのは、声やコードの運びといった表層部分を指してのことではなく、ノリとか発想とか、モノマネだけでは似せられない本質的根っこの部分です。だから、本当にたまたま似ていたと考えるべきなのでしょう。「音楽的双生児」という呼び名は、とても納得するところがあります。

 ただ、この作品を1枚のアルバムとして見たときに特筆すべきなのは、ポールに似てる云々ではなく、前述の「全部一人でやった」という点だと思います。

「音はたくさんあるのに演奏者は1人」というのは究極のDIYですが、見方を変えれば、ある種の不完全さでもあります。その不完全さ、欠落感からくる危うさや脆さは、個々の曲の曲調や歌詞とは関係なく、このアルバム全体を通奏低音のように覆っています。エミットの作るメロディはとても美しくセンシティブなので、むしろそれがよく際立つ。1人だけの閉じた世界がもつ「完全さからくる不完全さ」という点では、ポールよりも、ダニエル・ジョンストンを思い浮かべます。

 エミット・ローズはその後何枚かアルバムを出しますが、1人多重録音スタイルはやめてスタジオミュージシャンを使うようになりました。バンド感はその分増したものの、1枚目のような陰りや危うさは無くなってしまいます。結局、アーティストとしては大きなセールスに恵まれることなく、やがて彼はスタジオ経営者として第二の人生を歩み始めます。こうして、エミット・ローズという名は知る人ぞ知る伝説のミュージシャンとして、時間という巨大な川の流れにゆっくりと流されて消えていく…

 …と思っていたのですが、なんと2016年、まさかの新作アルバムをリリースしたのです。前作からはおそらく40年以上のブランクが空いているはずです。新作云々の前に、まず「生きてたんだ?!」というところから驚きでした。エミット・ローズは当時66歳。ジャケット写真はもう完全におじいちゃんです。


 んで、この最新作『Rainbow Ends』聴きました。残念ながら、やはり1人多重録音スタイルではなかったので1stのあの感じはなかったのですが、メロディは変わらずに瑞々しく、素晴らしいです。彼は一体何を思って再びマイクを手に取ったのでしょうか。音楽としては「良質」という以上のインパクトは残さない代わりに、40年間の物語を想像させるアルバムで、買って良かったと思える1枚でした。








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Flyte 『The Loved Ones』

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オシャレをしない
「普段着」の新世代


「ノームコア」という言葉を知っていますか?元々はファッションから生まれた言葉で、「normal」を意味する“ノーム”に、「hardcore」などで使われる“コア”をくっつけた、「究極の普通」「筋金入りの普通」などと訳される造語です。

 ノームコアファッションのアイコンとされるのがスティーブ・ジョブズで、彼はいつでも黒のセーターにジーンズ、白いスニーカーという超普通なスタイルを崩しませんでした。ノームコアとは、着飾ったり他人と違うことを主張しようとするのではなく、「普通であること」を意識的に選択したスタイルのことなのだそうです。
参考記事:ノームコアとは?シンプルでもおしゃれな装いのヒント(+CLAP Men)

 ただ、僕が初めて「ノームコア」という言葉を知ったのは、ファッションの言葉としてではなく、実はあるバンドのことを形容する言葉としてでした。ロンドン出身の4ピース、Flyteです。

 結成は2013年。僕が最初に聴いたのは確か14〜15年あたりだったと思います。当時何枚かのシングルをコンスタントに発表していて、好みにバシッとハマったのでした。すぐにアルバムも出すのかなと思ったのですが、意外に待たされて、ようやくリリースされたのは17年の夏のことでした。それが『The Loved One』Tashaki MiyakiCharly BlissHazel Englishと並んで、彼らFlyteも17年に1stアルバムを心待ちにしていた一組でした。

 んで、彼らがなぜノームコアと呼ばれるのか。確かに4人とも地味なシャツやジーンズばかり着ています。でも、そんなアーティストだったら他にいくらでもいます。彼らをノームコアと呼ぶ理由は、彼らのファッションではなく、音楽にあるんじゃないかと僕は思っています。

 たとえばアルバム1曲目の<Faithless>。鍵盤をたたきつけるような、迫力あるピアノのフレーズがいきなり聴こえてきたかと思えば、ボーカルが入るとフッと火が消えるように抑えた曲調に変わり、ほぼベースの音だけで曲が進むという、落差のある展開を見せる曲です。

 続く<Victoria Falls>は一転して疾走感のある曲ですが、不思議なエコーのかかったスネアが奇妙なパターンのリズムを鳴らすことで、夜の都会を低空飛行する鳥のような、静かだけれどもどこか生々しいザラつきをもたらしています。

 他にも、例えば序盤のアコースティックなテイストからは想像つかないような展開を見せる<Cathy Come Home>や、異なるリズムの重なりが強烈な上昇気流を生み出す<Little White Lies>など、とにかくこのバンドは曲の展開やアレンジが多彩です

 ただ、実践してるアイデア自体は個性的で一風変わってるものの、そもそもこうした「何かやらずにはいられないスピリット」というものは、むしろ僕はイギリスの王道だと感じます。なぜなら、アレンジや展開に凝るのは、曲という名の「物語」をいかにすればもっとも効果的に伝えられるかという「ストーリーテラー」としての性分だからです。

 もう一つ、Flyteの個性として特筆すべき点が「コーラス」です。このバンド、4人全員が歌えるのです。なので、前述の<Faithless>にしても<Victoria Falls>にしても、一番盛り上がるサビになると4人によるコーラスに切り替わるというまさかの展開を見せます。

 極めつけはアルバムラストに収録されたAlvvaysのカバー<Archie, Marry Me>でしょう。これ、めちゃくちゃ好きな曲だからFlyteがカバーしたと聞いて楽しみにしてたんですけど、まさか「アカペラ」とは。最後をアカペラで締めるなんて、ある意味オルタナの極致といえます。

 Flyteはシンセを多用したり、ドラムなんかにしてもわりと無機質なパターンを好んだりして、けっこうエレクトロっぽいアプローチが多いのですが、曲の中の最も肝心なところに「4人のハモリ」を選ぶところに、結局このバンドが「歌」のグループであることを感じます。

 曲を音の集合体ではなく「歌(=言葉とセットで物語るもの)」と捉え、さらにその一番の盛り上がりの部分をハーモニーという極めてアナログで人間的な手法で表現する。それはビートルズであり、クイーンであり、オアシスであり、イギリスの王道的な感性だと僕は感じます。

 そして、肝心なことは、Flyteの4人はそうしたいわばイギリスの伝統的感性を、極めて自然に体現していることです。オアシスが60年代をはじめ過去のバンドの音を再解釈しようとしたり、反対にレディオヘッドがそうした呪縛から離れさらに音楽的な進化を遂げようとしたりと、ひと世代前のアーティストたちは、継承するにせよ否定するにせよ、イギリスの王道的感性と向き合い葛藤するというプロセスがありました。

 ところがFlyteにはそのようなプロセスを経た形跡が見られません。もはや自分の一部として初めから受け入れているような天然っぷり、あるいは遺伝形質として元から備わっていたかのようなナチュラルさだけがあります。彼らが「ノームコア」と呼ばれる理由は、こうした屈託のなさと、あえてそれを自分の個性として主張しない(主張するまでもない)ところにあるのでしょう。

 ですがその結果、音楽そのものは全然似てないのに、ビートルズやクイーンが間違いなく音の中に存在していることを、むしろ過去のバンド以上に強く感じるのが不思議です。「新世代」という言葉を思わず使いたくなるバンドです。







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The Cranberries 『Bury The Hatchet』

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さようなら、
僕の「17年前の記憶」


 アイルランドの4人組、クランベリーズが1999年にリリースしたアルバム『Bury The Hatchet』のなかに<You And Me>という曲があります。以前このブログで、劇団での「選曲」の話を書いたことがありますが、僕が劇団で初めてオリジナルの戯曲を書いた作品で、物語のクライマックスで流したのが、この<You And Me>でした。今からもう17年近くも前になります。

 初めて自分の手で物語を書いて、それを大勢の人に見てもらうという体験は、まるで素っ裸になって人前に立つような気分で、恥ずかしくて仕方ありませんでした。だから、本番の上演中は、僕は客席にいるのがいたたまれなくて、ずっと劇場のロビーにいました。寒くなり始めた12月の初旬だったのですが、当時使っていた劇場は母校の高校のホールだったのでロビーに暖房設備がなく、僕はコートを着込んでマフラーを巻きながら、劇場のドア越しに聞こえてくるセリフや音楽に耳を澄ませていたのです。

 クランベリーズの<You And Me>を聴くと、17年経った今も昨日のことのように、僕はあの寒々とした劇場ロビーを思い出します。恥ずかしさと、初めてオリジナルを作った誇らしさ。そして、ラストシーンが終わってしまえばセットも客席も跡形もなく撤去され、すべては夢のように消えてしまうというさみしさ。あのとき感じたいろんな気持ちが、音楽を聴くだけで蘇るのです。


 この<You And Me>が収録されたアルバム『Bury The Hatchet』は、クランベリーズにとって4枚目のアルバムです。僕はなぜだかずっと「彼らの作品の中でもっともオルタナに振り切った暗くて陰鬱なアルバム」という印象をもっていたのですが、久しぶりに聴いてみたらまったく違っていました。

 冒頭の<Animal Instinct>、<Loud And Clear>、<Promises>という3曲は確かにシリアスですが、それ以上にポップだし、<Just My Imagination>、<Shattered>、<Desperate Andy>の中盤の3曲は、今改めて聴くとオルタナというよりもネオアコからの血脈を感じます。暗くて陰鬱どころか、むしろ明るく激しくて、このバンドのルーツのようなものを感じられるぶん、ど真ん中ストレートなアルバムという印象すら抱きます。なにせ、最後に聴いたのは10年以上前だからなあ。

 ただ、昔も今も印象が変わらないのは8曲目<Saving Grace>とラストの<Dying In The Sun>。「あなたは私の悲しみを消してくれるほんの小さな希望」と繰り返す<Saving Grace>はあまりに切なく、<Dying In The Sun>はあまりに美しい。特に<Dying In The Sun>は、過去への後悔や未来への不安を感じさせる歌詞なのに、ドロドロとはせず、むしろ透明感をともなって祈りのような敬虔さを感じさせます。

 この2曲に共通しているのは、ドロレス・オリオーダンのボーカルの、他の曲とは違った一面が見られることです。<Dreams>や<Linger>、<Zombie>といった代表曲でのドロレスのボーカルを「動」とすれば、この2曲は「静」。圧倒的な声量をあえて抑えた彼女の声は、まるで10歳にも満たない少女のようです。<Dying In The Sun>はドロレスが第1子を妊娠したときに、母になることの喜びと再び音楽に向き合えなくなるのではないかという不安との葛藤のなかで書かれた曲です。彼女の少女の声はその葛藤をそのまま包み込んでいて、聴いていると心細さと温かさの両方を同時に感じます


 先週1/15、ドロレス・オリオーダンは亡くなりました。46歳でした。久々に『Bury The Hatchet』を聴いたのも、このことがあったから。そして、今ではもうクランベリーズを聴くことなんてほとんどなくなったのに、ドロレスの訃報には自分でも意外なほどショックを受けました。

 17年前の体験と分かちがたく溶け合った<You And Me>は、もはや僕の人生の一部です。その声の主がいないことを想像すると、単に有名ミュージャンが亡くなったときとは異なる喪失感が襲ってきます。彼女の死によって、僕の17年前の記憶もまた、さらに遠くへと離れてしまったような気がするのです。






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Chuck Berry 『Chuck』

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「納豆とご飯とみそ汁」
さえあればいい


 大林宣彦監督の映画『青春デンデケデケデケ』(1992年)のラストで、林泰文演じる主人公のちっくんが、文化祭のステージで最後に演奏する曲をこう紹介します。
世界のロックのなかで、1つだけ挙げてみぃ言われたら…。それではみなさん、感謝の気持ちを込めて精一杯歌います。<ジョニー・B・グッド>。

 14、5歳の頃だったと思います。この映画のこのセリフで、僕は人生で初めて「チャック・ベリー」という人の存在を認識しました。

 2017年最後の投稿は、今年の3月に亡くなったチャック・ベリーの遺作『Chuck』です。スタジオアルバムとしては1979年の『Rock It』以来、なんと38年ぶりとなる作品です。

 元々、昨年のチャックの90歳の誕生日に「17年には新作を出す」と発表されていたのですが、チャックが亡くなったことで、計画が白紙になることが危ぶまれました。しかし、チャックが生涯で200回以上ステージに上がったセントルイスのクラブ、ブルーベリー・ヒルの経営者であるジョー・エドワーズと、チャックの家族たちの支援によって、なんとか今年の6月、無事にリリースされました。

 経緯を細かく書いたのは、このアルバムが、アーティストの死後に生前に残した未発表曲を編集して作られた、よくある追悼盤ではなく、チャック自身が作ることを望み、実際に作業を行っていた、正真正銘の「新作」だったことを強調したいからです。

 ということで、このアルバムの価値について真っ先に語らなければならないのは、内容よりも何よりも「アルバムが出た」という事実そのものです。まさか僕の人生に、「チャック・ベリーの“新作”を買う日」が訪れるとは思ってもいなかった。そんな夢のような体験をさせてくれただけでもこの作品に感謝です。

 音楽評論家の故中山康樹の著書に、年老いたロックミュージシャン達はピークを越えた今、どんな音楽をやってるのか?という視点で、レイ・デイヴィスアート・ガーファンクルの最新作なんていう誰も見向きもしないアルバムばかりを集めた『愛と勇気のロック50』という異色のディスクガイドがあります。もし今中山がこの本を書くとしたら、『Chuck』は間違いなく目玉として収録され、そして高く評価されたんじゃないでしょうか。

 そうなのです。この『Chuck』、普通にいいアルバムなんです。「普通にいい」って言っちゃうのもあれですが、いっても90歳のじいさんが(80年代に作っていた曲なんかもあるとはいえ)作ったアルバムですから、正直「記念」以上の何かを期待はしないじゃないですか。「出してくれるだけでいい」「死に水を取る」とばかり思っていたのですが、どっこい、じっくり聴けるしガンガンにノれるアルバムだったのです。

 特に後半がいいです。攻めてます。ギターよりもピアノを利かせた超モダンな<She Still Loves You>、リズムが楽しい<Jamaican Moon>(<Havana Moon>のアンサーソングなんでしょうね)、ほぼワンコードで押し続けるじっとりとしたブルース<Dutchman>、そしてラストを締めくくるにはあまりに渋すぎる<Eyes Of Man>。「ドッツ、ドッツ…」というブルースの基本フレーズだけが鳴り、そこに語るような調子で、「男はいつも女に救われてきた」というような、自虐的でユーモラスな詩が乗っかります。

 このように、「いわゆるチャック・ベリー」を外してくる姿勢(そもそも、よくよく聴くとこのアルバムに「いわゆるチャック・ベリー」は半分もない)、すごくかっこいいです。

 あとやっぱり声がいいですね。チャックというともちろんギターの人なんですけど、僕は実は彼の「声」が好きなんです。カラッとしているのに色気があって、1曲目の<Wonderful Woman>の声なんてホント最高。彼のあの声を、現代の録音環境で音源化してくれたってことも、このアルバムの価値といえます。



 当然ながら、僕はチャック・ベリーに直接影響を受けた世代ではありません。僕が最初に「ロック的な体験」を受けたのは、チャックの4世代くらい下のオアシスでしたし、その後ビートルズストーンズを聴くようになっても、そのさらに上の世代であるチャックとなると距離があまりに遠すぎて、しばらくその姿は茫洋としていました。でも、その後、古今東西のいろんなロックをたくさん聴いていたら、いつの間にか僕はチャック・ベリーのことが大好きになっていました。

 チャック・ベリーの音楽を聴くと、落ち着くというかホッとするというか「ああこれこれ」という、理屈を超えた納得感があります。どんな有名レストランの料理を食べても、「結局、納豆とご飯とみそ汁が一番」と感じるみたいに。何かこう、プリミティブなものを思い出せる気がします。

 映画『青春デンデケデケデケ』を初めて見たとき、なぜでちっくんが「ロックの中で一番好きな曲」として<アイ・フィール・ファイン>でも<ロング・トール・サリー>でもなく<ジョニー・B・グッド>を挙げたのか、僕はわかりませんでした。でも、今なら心の底からわかります。僕も間違いなく、数えきれないほどいる彼の子供の一人だってわかっているから。

 ありがとう!チャック・ベリー!








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Fazerdaze 『Morningside』

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「一人きり」であることが
パーティーよりも親密さを生むこともある


 ニュージーランドのウェリントンで、ヨーロッパ系の父とインドネシア人の母のもとに生まれたアメリア・マーレイは、14歳のときに両親が離婚したことをきっかけに音楽にのめりこむようになりました。そして19歳のとき、それまで活動していたバンドが解散したのを機に宅録を開始。「Fazerdaze」という名前でソロ活動を始めました。

 17年6月にリリースされた『Morningside』は、Fazerdazeにとって初のフルアルバム。もう半年以上が経ちましたが、未だに強烈な印象が残っている作品です。今年の年間ベストを選べと言われたら、僕の中では確実にベスト3には入ります

 僕がFazerdazeを知ったきっかけは、The Courtneysでした。彼女たちと同じFlying Nun Recordsのレーベルメイトということで認識したのが初めてだったと思います。その後、本作のリードトラックとしてSound Cloudで公開された<Lucky Girl>がめちゃくちゃ良かったので、即アルバムを予約したのでした。



 ただ、いざ聴いてみたアルバム『Morningside』全体の風合いは、疾走感のあるギターポップだった<Lucky Girl>から予想していたものとは、少し違っていました。それは、タイトルの「Morningside」という言葉に込められた意味に表れています。

 Morningsideはニュージーランドのオークランド郊外の小さな町の名前で、Fazerdazeがアルバムを録り終えたのが、まさにこの町でした。この町の名前は、作品にとって記念碑的な響きをもっているのでしょう。しかし同時に彼女は、「Morning」と「Side」とに分けられるこの言葉について、「人生の暗い部分を通り抜け、向こう岸にたどり着いて、それによって強くなるということの象徴」という風にも捉えているそうです。

 ライナーノーツに書かれている彼女のこの言葉が示唆している通り、アルバムはポップなんだけど決して陽気ではなく、むしろ内省的で、どこか陰のある雰囲気に包まれています。メリハリがあってスピード感のある<Last To Sleep>も90sオルタナのような<Friends>も、さらには前述の<Lucky Girl>でさえも、このアルバムの文脈の中で聴くと、静謐な印象を受けます。

 それは歌詞にも表れていて、例えば<Take It Slow>という曲では、何かに夢中になり、囚われ、執着していた時間の終わりが歌われています。
「ずいぶん遠くへ来てしまった。どこへ向かえばいいのかわからないけど、また私たちは旅立つ」
「私たちは慎重に、ゆっくり時間をかけて進んでいく」

 僕がいいなあと思うのは、ここでは何かが終わることの不安や徒労感といったものを「乗り越えるべき障害」や「敵」といった自分の外にあるものとしてではなく、必然的なもの、あるいは人生の一部として描いていることです。そして、そこからの再生も、ドラマチックなものではなく、「慎重に」「ゆっくり」とあくまで淡々としたものです。そうした抑制された筆致に僕は知性を感じるし、共感を覚えます。

 こうした淡くて繊細なトーンは、「ながら聴き」ではキャッチできません。僕はCDが届いて初めの数回は家事をしながら流しっぱなしにしてただけだったので、実はまったくピンときませんでした。ようやくこのアルバムの真価に触れたのは、スピーカーの前に座ってじっと耳を傾けたとき、そして、電車に乗りながらイヤホンでじっくりと聴いたときでした(ちなみにこのアルバムはめちゃくちゃ音がいいので、そういう点からも「ながら」ではなくしっかり耳を傾けて聴くのがおすすめです)。

 Fazerdazeの音楽は、本に似ています。音楽は複数の人間でも楽しめるけど、本は基本的に一人しか読めません。また、「ながら聴き」はできるけど「ながら読み」はできません。本は音楽よりも、受け手に対して厳密に「一人きり」であることを要求します。しかしそのぶんだけ、本は読者との間に、マンツーマンの閉じた世界を作ることに長けています。『Moringside』も、大勢でワイワイやるパーティーで流すようなタイプの音楽ではないけど、部屋の本棚に眠る一冊の本のように、長い時間に渡って親密な関係を結べる極めてパーソナルな作品なのです。



余談ですが、このアルバムが気に入ったら、ぜひFazerdazeがSpotifyで公開しているプレイリスト「alone in ur room」も聴いてみてください。

スマパンの<1979>、The XXの<VCR>、Cat Powerの<The Greatest>などが入っているこのプレイリストは、タイトルからなんとなくイメージできるかもしれませんが、『Morningside』と同じカラーを持っています。僕が唯一お気に入りに登録しているプレイリストでもあります。

おまけ。今年10月の初来日公演にて。
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Christopher Owens 『A New Testament』

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源流をたどって再発見した
「白人アメリカンポップス」の血


 米インディーロックバンド、Girlsが2009年に1st『Album』をリリースしたとき、かなり話題になったし実際に何度か試聴したのですが、そのときはいまいち僕には響きませんでした。09年というと、ちょうどペインズと同期になるわけですが、ある意味「ど」がつくほどシンプルなペインズに比べて、屈折して陰影のあるGirlsには食指が動かなかったのかもしれません。

 とにかく、そんな風に関心が薄かったので、Christopher Owensのアルバム『A New Testament』を聴いても、彼がGirlsのフロントマンであったことなど知る由もなく「誰、この新人!すごくいいじゃん!」と思ってたくらいでした。

 ただ、「すごくいい!」といっても、やたらと斬新だったという意味ではありません。このアルバムに並んでいるのは、カントリー、ソウル、R&Bといったアメリカのオールドスタイルな音楽ばかり。Girlsがアメリカンポップスをベースに独特すぎる新しい音楽を「発明」したのと比べると、この作品はオーセンティックなものを素直にそのまま再現しようとしている印象。

 なので、むしろ古典的といってもいいくらい、レトロな空気に満ちています。例えとして適当かわかんないですけど、カバーアルバムを聴いている感覚に近い。クリストファーの他のソロ作品を聴いてないんですけど、バンド解散後の彼のトレンドはこういう感じなのでしょうか。

 ただ、味付けは素朴で懐かしいものであっても、ギターの音のセレクトや女性コーラスのアレンジなどは、(変な言い方ですが)50年代の音源よりもハマってる感じがします。小気味よく曲を展開していくアルバム全体のリズムの良さも素晴らしい。Girlsとソロとでアプローチは違っていても、やはりこの人は超一流のポップ職人だなあと思います。



 話はとりとめもなく変わるのですが、本作を聴いたことで、かつてはそっぽを向いてたGirlsも今ではよく聴くようになりました。「現代のペット・サウンズ」なんて言われてるそうですが、一度聴いただけでは到底理解しきれないような凝りに凝った世界観は、確かにブライアン・ウィルソンの狂気的創造性を感じます。

 ただ、僕がクリストファー、Girls(そしてブライアン・ウィルソン)を聴いて感じたのは、「白人アメリカンのポップミュージック」とでも呼ぶべきフィーリングでした。明るく華やかで、ノリよりもメロディ重視。強烈なレイドバック感。言い方を変えればそれは“黒っぽさ”と距離を置いた、ある意味ではとてもコンサバな音楽ともいえます(まあ『A New Testament』そのものは黒っぽくもあるのですが)。

 この源流をたどろうとすると、ビーチボーイズがいて、フィル・スペクターがいて、そしてその他多くの50〜60年代のポップスがあるわけですが、21世紀の現在からみると、一部の例外を除いてそれら白人アメリカンポップミュージックのほとんどは、名盤として歴史化・資産化されている“黒っぽい”ロックンロールと異なり、ワゴンセールで980円でたたき売られ、中高年の無聊をかこつだけの存在に成り下がっている有様です。大体、ロックだと60年代の音楽は「名曲」「名盤」と呼ばれるのに、ポップスだと「オールディーズ」と呼ばれるのも変な話です。

 昨年末、And Summer Clubの記事でも書きましたが、16年は自分の音楽に対する「好みのルーツ」が、「白人ポップス」であることを実感した1年でした。そのきっかけとして、記事ではThe LemonsThe Schoolの名前を挙げましたが、実はこの『A New Testament』という作品も大きなヒントでした。

 Girls時代よりもソロ時代の方が長くなったクリストファーですが、なんと最近新しいバンドを組んだらしいです。そのバンドの名前が「Curls」って聞いたときは思わず吹きました。ガールズの後にカールズって!でも曲はめちゃくちゃ素敵です。この記事で音源聴けます。








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