ランニングは運動ではなく
「哲学」である
この9月でランニングを始めてから丸5年になります。
この5年の間に転職があり、結婚があり、子供が生まれと、
大きなイベントがいくつもあったのですが(あ、劇団の公演も2回あった)、
その間、ひたすらずっと走り続けてきました。
もちろん、長い距離を連続して踏めるような調子のいいときばかりではなく、
走る気力が湧かずに短い距離でごまかしたり、風邪やケガで一時的に走れないときもありました。
それでも、一度として「やめる」ということは考えませんでした。
最初に走り始めたときは500mで息が上がりました。
でも、それがだんだんと(本当にだんだんと)息が続くようになり、
10km、20kmと走れる距離が延びていきました。
かつて学年で一番足が遅く、持久走の授業では何度も「オエエッ!」とえづいていたことを思うと、
こんなに長い距離を走れるようになったことも、一度もやめようと思わないほど走り続けられていることも、
我ながら(5年経ってもいまだに)つくづく驚いてしまいます。
ランニングの記録用にいつも使っているのが、「Runkeeper」というスマホアプリです。
確か走り始めて2回目とか3回目とか、とにかく間もない頃から、
このアプリで毎回記録をとっています。
今は日本語版がローンチされてるんですが、当時は英語版しかありませんでした。
Runkeeperによると、2011年9月から16年8月までに走った回数は767回、
総走行距離は8194kmだそうです。
単純計算で2.38日に1回、1回平均10.6kmを走ってることになります。
ちなみに、これまでに消費した総カロリー数は623,656kcal。
体重1kg減らすのに必要なカロリーはざっくり7000kcalだから、
おお、これまで体重89kg分走ったことになるのか。
そして、これまで1回のランニングで走った最長距離や時間、最速ペースなんかも見ることができます。
一部を見てみると、
■一番長く走った距離:40.5km
42.195kmは超えてた気がしたのですが、ギリギリ足りなかったみたいです。
調べてみると、2013年の9月、横浜から池袋まで走ったときのことでした。
国道15号線をひたすら20km北上して、目黒川にぶつかったらそのまま川沿いを上流へ走り、
新宿から明治通りを走る、というコースでした。
9月だったのでまだ気温が暑くて、めちゃくちゃキツかったのは覚えてます。
早稲田あたりで雑司が谷の崖の向こうに池袋サンシャインが見えたときは、
「おおおお…」と声が漏れました。
■一番高く上った標高:1129m
これ、ブログに以前書きました。
東海道ラン4日目に、小田原から三島まで、つまり箱根の山越えをしたときのことです。
(そのときの記事はこちら)
実際には石畳が急すぎて半分以上は歩きだったんですが、
それでも1000m以上のぼって30km以上の距離を、しかも真夏の昼間に走るなんて、
我ながら正気の沙汰じゃないですね。
でも、記事にも書いたけど、藪をかき分けながら道なき道を走る「冒険」のようなルートは、
今でも一番楽しかったランとして記憶に残っています。
ちなみにスタートからゴールまで5時間19分という時間も過去最長でした。
(1km平均9:57という、早歩き程度のスピード)
■一番速かったペース:???
キロ3:18という記録がデータ上は残っているのですが、
これは明らかにGPSの不具合。
そんなに速いペースでは走れません。
5年経ってもキロ5分を切れるかな…くらいがせいぜいです。
ランニングは「足を前へ出す」という、たった一つの行為の繰り返しです。
走るという言葉を、そのまま「繰り返す」という言葉に置き換えても成立する気がする。
その半永久的な反復性こそが、ランニングの本質です。
(それが「退屈」だと感じる人の気持ちも、まあわかる)
でも、僕にはこの「ただ繰り返すだけ」ということが、思いのほか肌に合っていたようです。
レースに出て記録を狙うわけでもなく、仲間と一緒にワイワイ走るでもなく、
ただ半永久的な反復性の中に身を置くこと自体が僕には快感であり、走ることの醍醐味なのです。
もちろん、走っている時間が全部で10だとしたら、
気持ちいい時間なんて、せいぜい1か2です。
残りは全部しんどい。
そもそも気持ちいいなんて一度も思えずに、キツイまま走り終わることの方が多いかもしれません。
でも、そういうあてのない一種の探究の時間を、生活の中にコンスタントに設けることは、
実は最高の贅沢なんじゃないかと思うことがあります。
ランニングに向く/向かないを分けるのは、
体力があるかとか、運動が好きかとかではなく、性格なんだと思います。
それがどういう性格なのかといわれると難しいんだけど、とにかく僕は走ることに向いていた。
東海道ランのように旧道を探して歩いたり、東京中の暗渠を探して走ったりと、
歴史や地図、地形といった元々の趣味とランニングとが結びつくという、意外な展開もありました。
そう考えると、あのとき何の気なしに走り始めて、本当にラッキーだったと思います。
走ってるというとよく「ストイックだね」といわれますが、
少なくとも僕はストイックじゃないし、追い込んでもいない。
誰かと一緒に走ったりもしないし、レースにも出ないし、目標もない。
むしろ、「他人との競争」とか「自分の目標」なんていう煩わしいものから、
できるだけ自由になりたくて走っているのだから、
ただ自分の好きな場所を、好きなスピードで、好きな距離だけ走るというのが
唯一の僕のポリシーです。
そのために必要な走力と時間さえあれば、他には何も要らない。
僕にとってランニングとは運動ではなく、哲学なのだなあと思います。

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