週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】ビートルズ

『Sgt. Pepper's』の新旧ミックスを全曲聴き比べてみた 〜B面編〜

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残りの全アルバムも
リミックスしてくれたらいいのに


 前回から引き続き、ビートルズ『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』の50周年記念盤のステレオリミックスとオリジナルのモノラルミックスの聴き比べ。
※前回の記事:『Sgt. Pepper’s』の新旧ミックスを全曲聴き比べてみた 〜A面〜

 今回はアナログ盤でいうとB面にあたる後半の6曲を取り上げます。前回同様、09年のモノラルリマスターと、今回のステレオリミックスを聴き比べます。文中ではモノラルを【オリジナル】、ステレオを【リミックス】と呼びます。
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#8 Within You Without You

 この曲は意外にも勝敗つけるのが難しかったです(【リミックス】の圧勝だろうと思ってた)。
 イントロのタンブーラやシタールの響きがフワーッと広がっていくところは、確かに【リミックス】で聴くと「おおお〜」と声を上げそうになります。けれど、空間の広がりを意識したミックスという点では、前曲の#7<Being For The Benefit Of Mr. Kite!>も同じ。2曲連続で空間系ミックスを聴くと、少々うるさく感じてしまいます
 アナログ盤であれば前曲との間に「盤をひっくり返す」というワンクッションが入るので、問題ないかもしれません。でも「次世代が聴くビートルズ」というこの企画の基準を考えると、アナログは前提にはできないので勝ちは【オリジナル】ということになります。
 ここで終わると、なんだか<Mr. Kite!>のとばっちりで【リミックス】が負けたってだけになるので少しだけフォローすると、【モノラル】の方が音が少しくたびれたような風合いになり、オリエンタルなこの曲にはそもそもこっちの方が合っていると思います。


#9 When I'm Sixty-Four

 この曲の「味の決め手」になっているのは古いジャズ風のクラリネットとピアノ。「古い」ということで【オリジナル】に軍配が上がりそうですが、僕はこの曲のクラリネットとピアノの本質をレトロではなく「ユーモア」だと捉えています。
 「僕が64歳になっても君は僕を必要としてくれるかな」という、他愛もないっちゃないラブソングですが、この曲がなんでこうも楽しく聴こえるかというと、「64歳」という絶妙な年齢と、そしてこのとぼけたようなクラリネット&ピアノの効果でしょう。両楽器の音がボーカルなどとひと塊になって聴こえるよりも、ボーカルと分かれて配置された方がバックグラウンド化されて、その効果をより発揮する気がします。ということで【リミックス】の勝ち


#10 Lovely Rita

 この曲について僕は#4<Getting Better>の姉妹編のようなイメージを持ってるんですけど、みなさんいかがですか?どちらの曲も、ポールのボーカルとジョン、ジョージのコーラス、そして楽器とが互いに追いかけっこをしてるように聴こえるところが面白いし、いかにもビートルズだなあと感じます。
 そうした三者の動きや距離感がつかみやすいのは【リミックス】の方です。<Getting Better>はリミックスの方針が空回りしてうるさくなってしまったので【オリジナル】の勝ちだったのですが、あの曲も本来はステレオミックスで聴きたい曲です。


#11 Good Morning Good Morning

 概していうなら、モノラルは音がごちゃっとくっつき合っているため、個々の音の境界線は曖昧で聴き取りやすさは落ちますが、ひとかたまりになっているぶん、疾走感やグルーヴ感は強く出ます。
 反対にステレオは、一つひとつの音を手に取って眺められそうなほどはっきり分かれていますが、聴き取りやすいぶん、目の前で手品の種明かしをされたような興醒め感があります。
 単なる印象なのですが、ジョンの作る曲はモノラル向きな気がします。ついでにいえば、ジョンの声もモノラルがいい
 この曲の場合も、シュールでわけのわからない正体不明な感じが、【リミックス】だと消えてしまってつまらないように感じます。ジョンの声も【リミックス】は迫力が足りない。【オリジナル】を聴いていると、「グッモーニン!」という叫びをスピーカーから垂れ流す得体の知れないトラックが目の前を駆け抜けていくような感じがします。


#12 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)

 難しいです。#1と同じように、やはり#12もこの曲をどう捉えるかによって変わります。
 ただ、捉えるポイントは異なります。#1は、アルバムの幕開けということで、コンセプトである「ライブショー」に聴き比べるポイントがありました。一方、この#12はタイトルにもある「Reprise(=くり返し、もう一回)」をどう解釈するかが鍵になります。
 僕の解釈では、この曲はいわばカーテンコールで、作品の最後に置かれた「おまけ」のような位置付けです。ドリフの全員集合でいうところの<いい湯だな>ですね。
 そう考えると、【リミックス】よりも【オリジナル】の方が、遠くから響いてくる感じがあり、「これでおしまいですよ〜」という雰囲気をより醸し出してる気がします。
 ただ、そういう文脈を無視して1つの独立した曲として考えるなら、【リミックス】の方がよいです。迫力が違うし、ジョンとポールの声のバランスもよいです。先日のポールの来日ツアーでもこの曲やりましたが、【リミックス】のイメージの方が近かったですね。ジョンの曲はモノラル向きなのとは反対に、ポールの曲はステレオの方が良く感じるのは面白い対比です。


#13 A Day In The Life

 この曲はオーケストラのスケール感や深遠な物語世界を思わせるサウンドで神格化されがちですが、実態はジョン、ポール、再びジョンという、このバンドの必勝パターンである2人の歌のバトン交換です。
 1:30過ぎからの、ジョンからポールへのボーカルの受け渡しに生じる微妙な揺らぎは、【オリジナル】の圧勝です。
 また、オーケストラやピアノがメインを張っていますが、ピアノのリフはあくまでロック的だし、そもそもこの曲を前々へと運んでいるのは、他ならぬリンゴのドラムです。このような点を考えても、カタマリ感、疾走感のある【オリジナル】に軍配が上がります
 聴き比べる前はなんとなく【リミックス】の圧勝かなと思っていたのですが、曲の「核」にあたる部分がはっきりと【オリジナル】で聴かれることを求めていました。

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 全13曲の聴き比べが終わりました。結果は、7勝6敗で【オリジナル】の勝ち。10曲目の<Lovely Rita>が終わった段階では6勝4敗で【リミックス】が押してたのですが、ラスト3曲で【オリジナル】が一気に逆転しました。

 んで、やった本人が書くのもナンなんですが、意外な結果です。なぜなら【リミックス】の圧勝だと思ってたから。そのくらい、今回の50周年盤はインパクトありました。正直「今まで何を聴いてたんだ?!」って愕然としたくらいです。ジャイルズのバランス感覚は素晴らしく、ものすごい集中力で自分の個性を押さえながら、「ビートルズがもしステレオを前提にリミックスしてたら」という仮定に対して説得力のある音源を作りだしています。

 このアルバムに関して、僕は今後旧ステレオミックスを聴くことはもうないでしょう。なので、「21世紀に残すに相応しいビートルズ音源」という当初ジャイルズが立てた目標は、十分に達成できていると僕は思います。

 一方で、今回のようにモノラルとステレオという軸で聴き比べると、まだまだ議論の余地はありそうです。また、個々の楽曲で聴き比べた結果とアルバム全体で比べた結果が、必ずしも一致しないというのも興味深いです。こうなってくると、『Let It Be』『Abbey Road』のモノラルミックスというのも聴いてみたい。

 ジャイルズには、マジでこのまま全作品のリミックスをやってほしいです。『ホワイトアルバム』については既に計画があるという噂ですが、いやいや、そのまま全オリジナルと『Past Masters』の2作品までやっちゃってください








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『Sgt. Pepper's』の新旧ミックスを全曲聴き比べてみた 〜A面編〜

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音がクリアで聴き取りやすい
VS 聴き取りやすけりゃいいってもんじゃない


 ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のリリースから、今年でちょうど50年ということで、アニバーサリー・エディションが発売されました。

 同時期にレコーディングされていた<Penny Lane>などを含む、多数の未公開テイクの収録も話題になりましたが、目玉はなんといってもステレオ音源のリミックスです。過去に『Let It Be Naked…』のような例はありましたが、オリジナルのスタジオアルバムで、当時と同じカタログ、同じタイトルでビートルズの音源がリミックスされるのはこれが初めてではないでしょうか。

 リミックスを担当したのは、オリジナルのプロデューサー、ジョージ・マーティンの息子であり、『Live At The Hollywood Bowl』のリマスターも担当した、ジャイルズ・マーティン

 『Mono Masters』のときにも書きましたが、ビートルズの4人は当時、ステレオ音源よりもモノラル音源の方を重視していました。ステレオのリミックスは、いわば「おまけ」のようなもの。しかし、CD時代になりステレオが主流になると、その「おまけ」で作られたステレオミックスの方が「ビートルズの音」として、長らく世界中に流通することになりました。

 今回ジャイルズが目指したのは、「当時の4人がステレオを前提にミックスしたら」という想像のもとでリミックスを施し、「次世代へ引き継ぐにふさわしいビートルズの音源」を作り直すことにありました。

 そこで今回は、かつて4人とジョージ・マーティンが、「これぞビートルズの音だ!」とこだわりぬいたモノラルミックスと、ジャイルズが「これぞ新しいビートルズだ!」と気合いを入れて作り直したステレオリミックスとを聴き比べ「どっちのビートルズが次世代に聴いてもらうに相応しいか」という観点で、全ての曲について勝敗をつけてみたいと思います

 当初はモノラルミックスではなく旧ステレオミックスと聴き比べをしようかと考えてました。同じステレオ同士で聴き比べた方が、より客観的で読みやすい比較ができると思ったからです。しかし、「何分何秒に鳴るギターの音が左から右に変わった」といった重箱の隅をつつくような話に終始しそうな予感もしました。

 であれば、50年前と現在とでそれぞれに「これぞビートルズ!」と自負している音源があるのなら、モノラルとステレオの違いなんて無視してその2つを聴き比べて「どっちが『本当のビートルズ』か?」という、思い切り主観的な観点から語った方が(僕が)楽しそうです。また、両方の音源についての物理的な違いを挙げることよりも、「どちらが好きか?」という態度を示すことの方が、「次世代のためのビートルズ音源」を目指したジャイルズと、将来、たまたまこの記事を見かけた「次世代」の誰かに対する誠意だとも思います。

 というわけで、前置きが長くなりましたが、聴き比べたのは、09年のモノラルリマスターと、今回のステレオリミックス。これを、「次世代」が音源を聴く環境に近いだろうという根拠で、スピーカーではなく、iPhoneに取り込んだものをイヤホン経由で聴きました。文中ではモノラルの方を【オリジナル】、今回の音源を【リミックス】と書きます。

 今回は、アナログ盤でいうとA面にあたる前半の7曲について書きます。
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#1 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

 いきなり逃げ口上を打つようでアレなんですが、この曲をどう捉えるかによって勝敗は変わります。
 【オリジナル】と【リミックス】の違いは、ごく簡単に言えば前者は全ての音がギュッと塊になったような凝縮感が強く、後者は左右に広がる分、空間的立体的な聴こえ方になります。
 んで、この曲を(というかこのアルバムを)ポールが立てたコンセプトの通り「架空のバンドによるライブショー」と捉えるのであれば、どちらがより「ライブ感」「臨場感」が強いかという点で【リミックス】の勝ち。逆に、一つの独立した曲として聴くのであれば、塊になっている【オリジナル】の方が力強く迫力があります。
 んでんで、幕開けでタイトル曲でもあるこの曲をアルバムと切り離して聴くわけにはいかないし、そもそも今回のリミックス自体が『サージェント』という「企画」に紐づいたものなので、あくまでアルバムの一部=アルバムのコンセプトを重視することにします。ということで【リミックス】の勝ち。センターにいるポールと、ポールと距離をとってワイドに配置されたジョンとジョージのコーラス、そして時に後ろから聞こえてくるようにも感じる観客の歓声という、全方位に広がった声の距離感が「ライブショー」の臨場感を生んでいます。


#2 With A Little Help From My Friends

 #1からつながって始まるこの曲も引き続き設定はライブショー。ということは当然この曲も【リミックス】の勝ち…と思いきや、迷ってしまいます。確かにリンゴと3人との掛け合いだけに焦点を当てれば【リミックス】の方が格段に良いです。しかし、メインボーカルであるリンゴの味のある声には、【オリジナル】のごちゃっと重なった音の方が合ってる気がするのです
 モノラルからステレオ、そしてステレオのリミックスという流れは、基本的には音と音の境界線を明確にしていくことと同義でした。難しいのは、一つひとつの音を区別できるようになると、新たな発見がある一方で、なんというか、身もふたもない感じにもなるということです(おまけにそのさじ加減は曲によって異なる)。この曲は、はまさにそのパターン。
 #1と#2で早くも顕著になったように、【オリジナル】と【リミックス】の戦いは、「音と音の分離が良くて聴き取りやすい」(リミックス)ということと「なんでもかんでも音を分ければいいってもんじゃない」(オリジナル)ということとの戦いという様相を呈してきました。


#3 Lucy In The Sky With Diamonds

 これはもう即断です。【リミックス】の勝ち
 イントロのハモンドオルガン(ハープシコードに聞こえるけどこれハモンドオルガンらしいよ)が、一音ずつ左右にバラされてるのを聴いた時「うわーやられた!」と思いました。リミックスとはどういうことかを、このアルバムでもっともわかりやすく示しているのは、この部分かもしれません。1枚、また1枚と、何層にも音が重なっていく様子が目に見えるようで、「<Lucy〜>ってこういう曲だったんだなあ」と今更ながら発見したような気がしました。


#4 Getting Better

 これは【オリジナル】の方がいい。というよりも【リミックス】が“やりすぎ”てしまった感じ。イントロの「チャッ、チャッ…」というギターの音からして角が立ちすぎだし、全体的にハイハットの音も耳障り。ジョンとジョージのコーラスもあそこまで生々しくない方がいいと思います。
 コーラスについて言えば、ビートルズの3人の場合、声質はバラバラなのに、合わさるとひとりの人の声に(というのは言い過ぎなんですが、印象としては)聴こえるという不思議な特徴があります。しかしこれも、#2で書いたように、3人の声をバラバラに離して置いてしまうと、妙によそよそしい感じに聴こえてしまうのです(といいつつ#1のように離した方が臨場感が出る場合もあるので厄介)。


#5 Fixing A Hole

 この曲は【リミックス】の勝ちですね。
 【オリジナル】との大きな違いの一つが、ハープシコードとエレキギターとがきっちりと区別されたこと。2つの音が交互に顔を出す喜劇的な動きが見えるようになり、それが「雨漏りしてる穴を塞ごう」というユーモラスなこの曲の世界観と合っています。ポールのボーカルに対するエコーのかかり方が強い点も良い。
 ここまで聴いてきてようやく自分でも気づいたのですが、どうやら僕が聴き比べで重視しているのは「どちらの音がその曲の世界観に近いか」というポイントにあるようです。もちろん「その曲の世界観」というのは、あくまで「僕が考える」という注釈つきですが。


#6 She's Leaving Home

 これは間違いなく【オリジナル】です
 理由はポールのボーカル。【オリジナル】の方が、声が遠いのです。森の向こうからややくぐもって聴こえるような声の雰囲気が、この曲には合ってるように思います。それに比べると【リミックス】はポールの声が前面に出てきすぎてしまって、Too Muchです。
 レナード・バーンスタインをして「シューベルトやヘンデルよりも上」と言わしめたとかなんだとかいわれるほど美しいメロディをもったこの曲も、耳元で生のまま歌われると、美しいがゆえにかえって身もふたもなくなってしまう感じがします。


#7 Being For The Benefit Of Mr. Kite!

 【リミックス】の勝ち
 この曲の魅力は、夜の公園に突然現れた移動遊園地の中に迷い込んでしまったような、ユーモラスなんだけど、同時に妖しくてちょっと怖い予感を感じさせるところです。『チャーリーとチョコレート工場』のようなイメージでしょうか。ポールが毎回ライブで披露するこの曲の演出も、ちょうどそんな雰囲気でした。つまり全方位から音が鳴っているような、空間的な広がりが肝になります。空間を表現するなら、ステレオに軍配が上がるのは自明でしょう。

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次回はB面の6曲を取り上げます。








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Paul McCartney 「One On One Japan Tour 2017」

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今回ポールが覚えた日本語:
「ゴォルデンウィークゥゥ!」


ポールのライブについては過去に2回も書いてるので、
#Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」
#Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」
もう書くことなんてないだろうと我ながら思うのですが、
それでも何かを書きたくさせるのがポールです。

ということで、4月末に行われた、
ポール・マッカートニーの来日公演を見に行ってきました。

前回の来日が2015年のちょうど同じ時期でしたから、
ぴったり2年ぶりという短いスパンでの再来日です。
しかし今回は、16年から始まった新しいツアー、
「One On Oneツアー」としての日本初上陸になります。

メンバー的にもタイミング的にも、
前回の「Out Thereツアー」から地続きで始まっているツアーなので、
今までと大きく印象が変わったわけではありません。
まあ、あのクラスになると観客が聴きたい曲もだいたい決まってるから、
ある程度パッケージ化された内容にせざるをえないんでしょうけど。

その中で、主にセットリストの面で、
「One On Oneツアー」について僕がグッときたことを3つ、挙げてみました。

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■<In Spite of All the Danger>にグッときた
ライブ前半、バンドをアコースティック編成に変えたポールが、
「ビートルズが初めてレコーディングした曲をやるよ」と言って披露したのがこの曲。

録音されたのは1958年。
ジョンもポールもジョージもみんな10代で、
まだビートルズがクオリーメンと名乗ってた時代の、とにかくめちゃくちゃ古い曲です。
『アンソロジー1』に収録されてますが、まさかこんな曲を選んでくるとは。
ちなみに、ビートルズの歴史上、唯一ポールとジョージの2人で書いた曲でもあります。


リバプール郊外に暮らす無名の10代の少年2人が作った曲を、
60年近く経って、アジアの島国で何万人もの観客が歌ってる。
ううむ。うなるしかない光景です。

選曲の意外さもさることながら、
アコースティック編成のアレンジもよかったです。
同じ編成のまま<You Won’t See Me>、そして<Love Me Do>と続く、
Early Daysな一連のセクションはうっとりするものがありました。


■新曲<FourFiveSeconds>がフツーに良かった
「一番新しい曲をやるよ」といって突然披露したのがこの曲。
発売されてないから歌詞をバックスクリーンに映しながら演奏してました。
この曲、良かったですねえ
いかにもポールらしい、サラッと5分くらいで書いたような「小曲」ですが、
バンド向けにアレンジしていく中で凝ったような形跡もあり、早く音源として聴いてみたい。
いまアルバム作ってるって話ですが、そこに収録されるんでしょうか。

それにしても、「新曲をライブで初めて聴く」というのはよくあることですけど、
まさかそれをもうすぐ75歳になる人のライブで体験するとは思いませんでした。
しかもその新曲と60年近く前(!)の<In Spite of All the Danger>とが同じセットリストに入るって…。
つくづくポールのキャリアの長さを感じます。


■ついに<Get Back>を生で聴けた
いや〜、これは嬉しかった。
ライブに行くたびに毎回期待してたんだけど、
滅多に演奏しない曲なので、なかなか巡り会えませんでした。
今回も、武道館含め全4回のステージのうち、
この曲を演奏したのは東京ドームの最終日だけ。

ドーム2日目が終わった時点で「あ〜今回もやらないんだな」と、
最終日は期待すらしてなかったんですが、そこにきてのあのイントロ!
さすがに泣きました、これは
とにかく全部歌ってやろうと思って、
ギターソロのメロディとかまで「ティロリロ」言いながら歌いました

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以上の3曲が、今回のツアーのセットリストで特にグッときたのですが、
一方で、リイシューされたばかりの『Flowers In The Dirt』からは1曲も演奏してくれなかったとか、
おいおい<My Valentine>いつまで歌うんだよ?とか、
不満というか期待というか、突っ込みどころもあります。
それに、前述の通り、半分以上は「いつも演奏する曲」で占められているので、
総じていえば「新鮮味」はありません。

けれど、やっぱり<Ob-La-Di, Ob-La-Da>はワクワクするし、
<Band On The Run>は毎回「うおおおおぅ!」と叫んじゃうし、、
<Carry That Weight>は歌ってるとジワッときます。
何より「ポールがそこにいる」という空間はいつだって楽しくスペシャルです。

ということで、今回のツアーで、結局のところ一番強く感じたのは、
「ポールのライブは何度見ても超楽しい」ということでした。
そろそろ飽きるかな〜と思ったけど、全然飽きねえ!!

前回の「Out Thereツアー」では1つのツアーで2度の来日を果たしました。
そう考えると、今回の「One On Oneツアー」でも、もう1回来てくれるかも。
来てくれてもいいんじゃないか。
来てくれ頼むよポール






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The Beatles 『Live At The Hollywood Bowl』

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「ビートルズは下手だった」って
言ってたのはどこのどいつだ?


ビートルズは1964年と翌65年の世界ツアー中、
米ロサンゼルスのハリウッドボウルで計3回のライブを行い、
そのときの演奏は録音されました。
もちろん、あとでライブアルバムを作るためです。
ところが、あまりに大きな観客の歓声や、
そもそもの録音環境の悪さによって音源化は見送られました。
(ポールのマイクが音を拾えてなかったという事故(ミス?)もあったそうです)

その後、この録音テープは紛失されるも10年後に発見され、
77年にジョージ・マーティンの手で一度はLP化されたのですが、
しばらくして廃盤になってしまいました。
つまり、ビートルズがそのキャリアの中で残した唯一の公式ライブアルバムだった
『Live At The Hollywood Bowl』(77年邦題『ビートルズ・スーパー・ライブ』)は、
長い間にわたりCDとしては聴けない状態にあったのです。

それが今年になり、にわかにCD化されることになりました。
先週紹介したロン・ハワード監督のドキュメンタリー映画『Eight Days A Week』の公開と、
タイミングを合わせたものでしょう。
リミックスとリマスターを担当したのがジョージ・マーティンの息子、
ジャイルズ・マーティンという点も因縁めいています。
このCD版はリリース後オリコンデイリーランキングで1位、
週間チャートでも3位にランクインしました。

ただ、今回のCD化で初収録の3曲があるとはいえ、
『Live At The Hollywood Bowl』という作品自体は、
前述のとおりLP盤としては既に流通していました。
廃盤になったとはいえ、中古レコードショップでは比較的容易に入手できます。
現に僕も持っています。

ということで、今回のCD版『Hollywood Bowl』の僕にとっての主眼は、
おのずと「LP盤とどっちがいいか?」という聴き比べになりました。



結論からいうと、僕はアナログ盤の方が好き

今回のCD化に伴うリミックスとリマスターによって、
LPに比べるとノイズ(観客の歓声)ははるかに抑えられました。
しかし、ライブアルバム=ライブの追体験と捉えるならば、
ノイズの多さはむしろ臨場感があって良いと感じます。
特に僕のような後追い世代にとっては、
いかに当時の雰囲気がパッケージされているかが、音質よりも大事です。
音質や聴きやすさを求めるなら、
既に『Live At The BBC』というシリーズがあるわけだし、そっちを聴けばいい。
もっとも、これはジャイルズのリミックスの方針云々というより、
単にアナログ盤の音圧によるものかもしれませんが。

ただ、CD化によって露わになったことがあります。
それはビートルズの演奏の上手さ
ノイズの低減により彼らの演奏と歌がよりクリアに聴けるようになりましたが、
自分たちの音はアンプからの直聴き、
ドラムにいたっては生音という当時の演奏環境と、
さらに観客の歓声によってそれすらも聴こえなかったという事実を考慮すると、
「なぜここまでピッチが狂わずリズムもバシッと決まるんだ?!」
という素朴な驚きがあります。

リンゴは本気で前の3人の音が聴こえなくて、
今どのあたりを演奏してるかわからないから、
仕方なく3人の動きを見ながら「ああ、このへんだな」と
見当をつけながら叩いていたと証言しています。
実際、映画『Eight Days A Week』では、
リンゴが他のメンバーとアイコンタクトしながら演奏している様子が映っています。

「僕らはアマチュア時代からありとあらゆる場所で演奏してたから大丈夫なんだよ」と
ポールはこともなげに答えてますが、そういう問題なのでしょうか。
リアルなライブの環境でもこのレベルの演奏ができるのだから、
観客なしのラジオ本番一発録りという「疑似ライブ」だった『Live At The BBC』が、
ほぼCDと変わらないクオリティであることが、今更ながら納得できます。
映画『Eight Days A Week』と併せて、
この作品は巷間言われる「ビートルズは演奏が下手だった」という評判に対し、
一石を投じる役割を果たしたといえそうです。

僕が好きなのは中盤の<Roll Over Beethoven><Boys>
<Roll Over Beethoven>のスピード感と
終盤のバースでボーカル→リフ→ボーカル→リフと繰り返すあたりの一体感や、
<Boys>におけるリンゴのブチ切れてるボーカルと、
それをさらに盛り上げるポール&ジョージの痛快なコーラスの掛け合いは、
まさにライブだからこそ聴ける興奮だと思います。








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映画 『Eight Days A Week』

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そして彼らは
「大人」になっていく


『アポロ13』や『ダヴィンチ・コード』で知られる映画監督ロン・ハワードによる、
ビートルズのドキュメンタリー映画『Eight Days A Week』を見てきました。
主にキャリアの前半期、特に63年から66年までの、
殺人的なスケジュールでツアーを回っていた時代のビートルズが取り上げられています。

ビートルズのドキュメンタリーというと、
アップルが95年に制作したTVシリーズ『アンソロジー』があります。
ちなみに『Eight Days A Week』もアップル作品で、
『アンソロジー』以来21年ぶりのビートルズ公式ドキュメンタリーに作品になります

結成前から解散までの全キャリアを取り上げ、
総収録時間10時間超という『アンソロジー』を「通史」とすると、
今回の『Eight Days A Week』は「テーマ史」というような位置づけです。
そのテーマとは「ビートルズはなぜツアーをやめたのか」

もっとも「なぜ」といっても既にあちこちでいわれている通り、
「あまりの人気の過熱ぶり(に伴うさまざまなストレス)にうんざりしたから」が
その理由なのですが、映画を見ると、
単に知識として知る以上の納得感が得られます。

滞在先のホテルには大勢のファンが四六時中詰めかけるから、
外に一歩も出られずライブ会場と往復するだけの缶詰め状態。
オーストラリアでは、空港からホテルまでの沿道に25万人集まったといいますが、
増え続ける観客を収容するため、ライブ会場はどんどん大きくなっていくけど、
音響環境は今とは比較にならないくらいチープだから、
観客に音が届かないどころか、自分たちの演奏する音すら聞こえない。
なのに続々と柵を乗り越えてステージに駆け寄るファンが続出するから、
ますます警備は厳重になり、ライブが終わると囚人護送車のような車に押し込まれる。
こんなのがほぼ毎日のように(30日間で25都市回るとか)続くわけです。
「そりゃあツアーやめるよ。これじゃあ仕方ねえよ。」としみじみ感じます。

4人を追い回すファンやライブ会場での観客の熱狂する姿を映した断片的な映像から、
僕のような後追い世代はビートルズの人気のすごさについて、
なんとなく漠然とでしか想像できないところがありますが、
この映画を見ていたら、彼らほどの人気者はそれ以前には存在しなかった、
つまり、「スター」という存在自体が人々にとっても初めて経験するもの
だったんだなあという気がしました。

んで、僕がもう一つ深く納得したのが、
4人がツアーにうんざりし始めた背景として、
それぞれが「ビートルズ以外の生活を持ち始めたこと」が挙げられていた点でした。
ジョンは息子が生まれ、リンゴは映画俳優として活動し始め、
ジョージはインド音楽に傾倒し、ポールは映画音楽を手掛けるようになり…などなど。

それぞれが個人としての人生を築き始めた結果、デビュー初期のように、
もてるエネルギーの全てをバンドに注ぐわけにはいかなくなったというのです。
(こうした時期に例の「ブッチャーズカバー」が撮影されたのは非常に象徴的です)
そして、そうした段階に進んだ彼らが、
バンドの目的から最も遠いものになってしまったライブ活動(ジョン曰く「サーカスの見世物」)を
真っ先に切ったのは必然でした。

まるでメンバー全員で一つの人格を共有していたかのように一枚岩だった集団が、
時間が経つにつれて、「個人」という名の溝を抱えるようになる。
これはどんな集団でも(若いころに組んだ集団は特に)避けては通れない宿命です。
僕自身も劇団という集団にいたから、身をもってわかる。

「溝」という表現をしましたが、集団が個人と個人の集まりである以上、
これは当たり前の、ごく自然の流れです。
ファンは(時には当事者であるメンバー自身も)変わらないことを望むけど、
もし実際に注ぐエネルギーも関心の高さも変わらないなんてことがあるとしたら、
思い出にしがみついているか、強権的な力で「個」を抹殺しているかのどちらかしかありません。
余談ですが、ビートルズ解散の理由について、僕が最も納得したのは、
リンゴがインタビューに答えた一言「大人になったから」でした。

もし仮に、当時の音響設備が格段に良くてツアー日程も余裕があって、
プライバシーも守られているような環境だったとしても、
遅かれ早かれビートルズはああいう形でのツアー活動は、
いずれ止めていたんじゃないかなあと、映画を見ながら考えてました。


最後に、映画の良かったところについてもう3点だけ。

一つは、64年のフロリダ州ジャクソンビルでの公演で、
当初会場の座席が黒人と白人に分けられていたのを、
それを聞いたビートルズの4人が、
「黒人も白人も一緒の席じゃなければ公演はやらない」と、
観客の人種差別的待遇を断固拒否したという事実。
これ、初めて知りました。
当時の時代状況と4人の年齢(20歳そこそこ)を考えると、
その根性のある姿勢に素直に感動しました。

もう一つは、ウーピー・ゴールドバーグのインタビュー。
少女時代、ビートルズの大ファンだったウーピーは、
地元NYのシェイスタジアムで彼らがライブを行うと聞き、
「どうしても行きたい!」と母親にお願いするのですが、
「お金がないの」と断られてしまいます。
ところがお母さんはウーピーに内緒でお金を工面し、なんとかチケットを2枚手に入れます
そしてライブ当日、何も知らないウーピーに「出かけるわよ」とだけ告げて、
シェイスタジアムの前まで連れて行き、そこで初めてチケットを彼女の前に差し出すのです。

最後の一つは、ポールのインタビュー。
彼は14歳のころ、既に作曲を始めていたのですが、
友人に「作曲が趣味なんだ」と言っても、
「ふうん。そんなことよりサッカーはどう?」と、
まるで興味をもってくれなかったそうです。

そんな彼に初めて「僕も作曲をしている」と言った少年がいました。
彼の名はジョン・レノン。
「ジョンは僕にとって初めて出会った同じ趣味の友達なんだ」という言葉は、
なんかとても泣けました。

以前、リバプールに行ったときの記事でも書きましたが、
ビートルズというのはイギリス中のエリートが集まって結成されたわけではなく、
偶然近所に住んでいた友達同士で組んだというだけの、
どこにでもいる普通のバンドだったのです。

この映画に収められたのは、
そんなリバプール郊外の少年たちが、
世界中を席巻し、やがて大人になっていく瞬間だといえます。








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Stackridge 『The Man In The Bowler Hat』

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「田舎のビートルズ」と
呼ばれる所以


英国ブリストル出身のバンド、Stackridge(スタックリッジ)。
70年代初期に活躍したものの、2010年代の現在にあってはお世辞にも有名バンドとは言えません。
そんな、知る人ぞ知るコアなバンドStackridgeを僕が知ったのは、ビートルズがきっかけでした。
実は彼ら、「田舎のビートルズ」という異名をもっているのです。

僕が持っているのは、彼らが74年に出した3枚目のアルバム『The Man In The Bowler Hat』
邦題『山高帽の男』
評価的にもセールス的にもStackridgeの最高傑作と呼ばれる作品です。

確かに、ストーリー性の強いメロディラインや自由闊達なアレンジなどは極めてビートルズ的、
特に中期から後期にかけてのポールを彷彿とさせます。
聴いていると、田園を駆け抜ける乾いた風や、おじいちゃんの家へと続く夕暮れの道。
そうした、憧憬を誘う穏やかな風景がよく似合います。
こうしたところが、彼らが「田舎のビートルズ」と呼ばれる所以でしょう。



本人たちは自分たちをプログレッシブ・ロックのバンドであると自任していたようですが、
ピンク・フロイドやキング・クリムゾンといった「いわゆるプログレッシブっぽさ」はあまり感じません。
ただ、そこが逆に、
もしビートルズが70年代に入っても活動を続けてプログレッシブ・ロックにアプローチしていたら?
という想像をかき立てるともいえます。
(主導していたであろうポールが極端にプログレッシブに走るとも思えず、“ほどほど”だったのではないか)

と、ここまでStackridgeを「ビートルズの継承者」という
(本人たちにはずいぶんと失礼な)文脈で語ってきましたが、
実は、彼らの音楽がなんとなくビートルズに似ていることだけが理由ではありません。
彼らの音楽をビートルズになぞらえる、決定的な理由があるのです。
それは、この『The Man In The Bowler Hat/山高帽の男』のプロデューサーを、
他でもないジョージ・マーティンが務めているからなのです。

今月8日、90歳で亡くなったジョージ・マーティン。
言わずもがな、ビートルズのほぼ全ての作品のプロデューサーを務めた人物です。
単なるレコーディングのバックアップだけでなく、
メンバーに作曲を教え、ピアノを教え、時にプレイヤーとしてレコーディングにも参加しました。
クラシックに素養があり、またパーロフォン入社後はコメディレコードの仕事をしていたジョージの経験は、
ビートルズが「ビートルズ」になっていく上で、すさまじく大きな影響を与えました。

僕が最初に「ビートルズすげえいいな!」と思ったのは<In My Life>で、
中でも中盤に出てくるオルガンのソロに惹かれたのですが、
あれ弾いてたのビートルズのメンバーじゃなくて、ジョージ・マーティンだったんですよね。

ずっと後になって、アビーロードスタジオでの当時の写真を見たときに、
1人だけビシッとビジネスマンのような身なりをしているジョージ・マーティンは、
明らかにビートルズの4人よりも迫力があって(しかも彼だけ背が高いので)、
メンバーよりもインパクトがあったのを覚えています。

彼の死後、ポールがFacebookで、
「“5人目のビートルズ”という称号は、ジョージ・マーティンこそ相応しい」
と書いていて、思わずウルッとしました。

先日のデヴィッド・ボウイもそうですが、一人また一人と歴史的な、
そして個人的に思い入れの深い人が亡くなっていくのは、やはり辛いですね。
(そういえば、同じく“5人目のビートルズ”と呼ばれたアンディ・ホワイトも昨年亡くなりました)
ビートルズの作品よりも、ジョージ・マーティンをより強く感じられるような気がして、
彼が亡くなった日は、僕はずっとこの『The Man In The Bowler Hat/山高帽の男』を聴いてました。








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Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」

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中学生の男の子が
全曲完璧に歌ってたという事実


先週、「老いたロッカー」の話を書いた直後、
その代表格の一人のステージを生で見ることができました。
ポール・マッカートニーの「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」です。

前回の同名ツアーから2年ぶり。
短いスパンで再来日を果たしたのは、
昨年、ポールにとっては日本初の野外ライブとなるはずだった、
解体前の国立競技場(大阪はヤンマースタジアム長居)公演を、
体調不良によって急きょキャンセルしてしまったことへのリベンジということなのでしょう。
(東京2日目、MCで「(すぐにまた来ると)ヤクソクシタネ。ユウゲンジッコウ(有言実行)!」と言ってました)

同じツアーということで、セットリストも演出も前回とほぼ同じ。
ですが、僕にとっての意味合いは前回と今回とで大きく異なります。

前回の来日公演は僕にとって初めて見る生のポールでした。
「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」の記事はこちら
ドームの3階席だったのでポールは豆粒にしか見えなかったのですが、
今、この場で、ポール本人が歌ってる」という事実が信じられなさ過ぎて、ほぼずっと泣いていました。

そして、その夜のステージがあまりに素晴らしすぎたので、
次の日に旅行代理店に飛び込み、
ビートルズの故郷である英国リバプールへの飛行機とホテルをその場で予約しました。
リバプール滞在レポートはこちら

あの日、ポールのライブを見なければ、
もしかしたらリバプールなんて一生行かなかったかもしれません。
そして、もしリバプールに行かなければ、
ビートルズとの付き合い方も今とはだいぶ違っていたと思います。
キャヴァーン・クラブやストロベリー・フィールズはもちろん、
メンバーの住んでた家や通ってた学校や生まれた病院にまで行ったことで、
彼らは僕の中で「友達」といってもいいくらいの距離にまでリアルな存在になりました。
ポール?知ってるよ。アイツはね…」みたいな。

それに、リバプール旅行は僕にとっては新婚旅行でもありました。
もし全く違う場所を旅行先に選んでいたら、妻との関係も今とは違っていたかもと思います。
このように、2013年のポールの公演は、
具体的かつ物理的なレベルで僕の人生を変えたのです。
だから、2年前に比べるとはるかに身近な存在として、ポールを見ることになりました。


今回、僕は東京ドーム3日間に全て足を運びました(武道館は仕事で泣く泣くあきらめました)。
初日(4/23)は序盤こそキーが辛そうで「大丈夫か?」と心配したものの、
(1曲目に<Magical Mystery Tour>なんていう喉に負担がかかりそうな曲を選ぶから…)
中盤以降は2年前よりもむしろ若々しくエネルギッシュな歌を聞かせてくれました。
2日目はアリーナの7列目というかなり前の席が取れたので、
ポールの表情までを肉眼で見ることができたので感激しました。

個人的にはビートルズ時代の曲よりもウイングスやソロの曲の方が良かったです。
特に『Band On The Run』に収録されている<Nineteen Hundred And Eighty-Five>は、
あのキレ味のあるピアノのリフに何度もゾクゾクしました。


また、最新作『NEW』収録の<Queenie Eye>もすごく良かったですねえ。
2年前にも聴いたはずなのに、今回は「え?こんな曲だったっけ?」と帰ってからCDを聴き直しました。


あ、それと一番新しい曲である<Hope For The Future>
iTunesでDLして聴いたときはイマイチだったのに、生で聴いたらめちゃくちゃ良かったです。


こうした新しい曲が古い曲に負けてないというのは、ポールのキャリアを考えると驚異的です。



確かに、総じて言えば、ポールのライブは基本的には「同窓会」です。
音楽的な斬新さがあるわけではないし、
ライブの空気は既に長年のファンとの間で共有され尽くしているものです。

しかし、そのような「甘さ」を差し引いても、
やっぱり「これらの曲の全部をこの人(とこの人のグループ)が作ったんだ」という
歴史的感動は間違いなくあります。
なんてったって、アンコールでフラッと出てきて、
ギター1本で無造作に歌い始めたのが<Yesterday>なんですから!

そして、たとえ「打率」は下がってしまったとしても、
<New>や<Queenie Eye>のようなかつてと比べても遜色のない曲を書いたり、
<Hope For The Future>のような新たなチャレンジ(ゲーム音楽)をしたりして、
それらをちゃんと最新のライブに含めるポールの姿勢に、僕は好感を持ちます。


初日のことなんですが、僕の斜め前に、兄弟と思しき2人の男の子がいました。
お兄ちゃんはせいぜい中学生、弟はもしかしたら小学生でした。
2人とも『Revolver』と『Yellow Submarine』のかっこいいTシャツを着てました。
横の席でユニオンジャックを掲げてた、いかにも年季の入ったファンの男性がおそらくお父さんなので、
きっとお父さんの影響で2人ともビートルズを聴いていたんだと思います。

とはいえ、2人はお父さんに連れられて嫌々ついてきたというわけではなく、
むしろ時にお父さん以上に歓声を上げるほど、ライブに夢中な様子でした。
2人ともほぼ全ての曲の歌詞を完璧に覚えていて、
<Golden Slumbers>なんていう渋い曲まで歌ってました(僕でさえ歌詞微妙なのに!)。

その光景は、「ポール・マッカートニー」という存在を端的に表しているように、
僕には思えました。







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The Beatmas 『XMAS!』

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もしもビートルズが
定番のクリスマスソングを歌ったら


去年のクリスマス、街中で不思議な音楽を耳にしました。
サンタが街にやってくる」や「ホワイト・クリスマス」といったごく定番のクリスマスソングなのですが、
なぜかバックに流れている音が「ビートルズ」なのです。

たとえば、イントロは<I Saw Her Standing There>なのに
歌は<Rockin' Around The Christmas Tree>だったり、
同じようにイントロは<Ticket To Ride>なのに<White Christmas>だったりと、
ビートルズで始まったはずの曲が、いつの間にかクリスマスソングに“すり替わって”いるのです。

2つのサウンドのつながりがあまりに自然なので、最初は聴き間違いかと思ったのですが、
立ち止まって耳をすませてみると、やっぱりビートルズ+クリスマスソング。
当然、僕は思いました。
これ、誰?

いろいろ調べて分かりました。
正体は、The Beatmas(ザ・ビートマス)というバンドの、『XMAS!』というアルバム。
当然、バンド名はビートルズ+クリスマス。
ジャケットの写真で一目瞭然ですが、タイトルの元ネタは『HELP!』です。
この、正体不明ながら超ナイスなアルバムは、発売されたのは10年以上前にもかかわらず、
未だに人気があるらしくて、Amazonでは品薄状態が続いているようです。

CDのインナースリーヴによれば、
彼ら「ビートマス」の正体はデンマーク出身のRUBBER BAND(ラバー・バンド)という名のバンド。
元々「スカンジナビアを代表するビートルズのカバーバンド」といわれるほど有名なバンドで、
毎年クリスマスになるとバンド名を「ビートマス」に変えて、
ビートルズ風にアレンジしたクリスマスソングを演奏しているんだそうです。

んで、肝心の曲です。
これはもう聴いてもらったほうが早い。

まずは<Please Please Me>とくっついた<Jingle Bell Rock>


これもよくできてる!
<Lucy In The Sky With The Diamonds>からの<Silent Night>


完成度が高すぎて思わず笑っちゃいました。
すごくないですか?

彼らの素晴らしいところは、
どのビートルズソングとどのクリスマスソングをくっつけると面白いのかという「選択眼」です。
僕が一番すごいなあと思ったのはこれ。

<赤鼻のトナカイ>に、よりもよって<Taxman>をくっつけるという発想に唸ります。

アルバムにはまだまだほかにもたくさん曲があるのですが、
どれもちゃんと「ビートルズの音」になっているのがすごいです。
<Jingle Bell Rock>のドラムなんて、めちゃくちゃ「リンゴ感」溢れてるし、
つなぎのギターの音やコーラスなんかも「いかにも!」という感じ。
だから聴いていてビートルズのどの曲が元ネタになっているかがちゃんと分かる。

当たり前ですが、相当センスと実力がないとダメなはずです。
だってビートルズの曲じゃないのにビートルズになっているんだもの。
ここまでいくと一種の「芸の極み」という気がします。

ライブ映像があった!







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【ビートルズ探訪記 6】リバプール:ビートルズ・ストーリー

ビートルズの故郷、英国リバプールの旅行記を長らく書いてきましたが、今回がついにラストです。
最終回は、ビートルズに関する博物館であり資料館であり体験型アトラクションという究極的施設、
「ビートルズ・ストーリー」について書きます。
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#第1回「マシュー・ストリート」
#第2回「ジョンとスチュと学生街」
#第3回「マジカルミステリーツアー」
#第4回「キャヴァーン・クラブ」
#第5回「ハードデイズナイト・ホテル」
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■港の跡地に建つビートルズ・ストーリー
メンバーの生家とか聖地キャヴァーンとかをさんざん回ってきて、
「いまさら“博物館”はないだろう」と思うかもしれませんが(僕も正直期待はしていなかったのですが)、
いざ行ってみたら予想外に面白かったです、「ビートルズ・ストーリー」。

まず場所について。
リバプールの港「アルバート・ドック」の一角にあります。

より大きな地図で The Beatles Story を表示
黄色:ハードデイズナイト・ホテル
:ビートルズ・ストーリー

第3回で書いた「マジカルミステリーツアー」の出発点もここ、アルバート・ドックでした。
元は一大港湾施設でしたが、
今はレストランやお店が並ぶおしゃれな商業施設に生まれ変わっています。
どことなく横浜の赤レンガ倉庫のような雰囲気です。
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なんと、イエロー・サブマリンが停泊していました。
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ありました。これが「ビートルズ・ストーリー」の入り口。
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地下に潜っていくという造りはどこかキャヴァーン・クラブを彷彿とさせます。



■博物館というより「アトラクション」
『地球の歩き方』はビートルズ・ストーリーについて、
「ビートルズファンもそうでない人もここは訪れておきたい」と書いています。
誰でも楽しめるという敷居の低さのせいか、
この施設のことは他の一般向けのガイドブックにも情報が掲載されています。
ただ、「博物館」といったり、「資料館」、「常設展示場」といったり、
紹介の仕方はものによってバラバラです。
一体、ビートルズ・ストーリーとはどんなところなのか。
中に入ってみます。
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↑上の写真は、ビートルズが1面を飾った地元の音楽誌『MERSEY BEAT』(マージービート)のオリジナル。
まだレコードデビューを果たす前、ピート・ベストが在籍していた時代の貴重な写真です。


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このように、バンドの結成から解散、ソロ時代まで、
当時の写真や資料が時系列に沿って展示されています。
順路に沿って進めば、ビートルズの歴史を詳しく知ることができる、というつくり。
希望すれば音声ガイド(日本語にも対応)をレンタルすることもできます。
このあたりは一般的な博物館や美術館と同じスタイルですね。
特に、レコードデビュー前の時代の史料が豊富に展示されているところは、地元の強みを感じます。

しかし、実は写真や資料よりも目立ち、なおかつ楽しめるものがあるのです。
それが、「再現ジオラマ」。
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↑上の写真は『MERSEY BEAT』の編集部のジオラマ。
電話をかけているのはおそらく編集長のビル・ハリーでしょう。
ビル・ハリーは当時まだ地元のバンドの一組に過ぎなかったビートルズに目をつけ、
創刊2号にジョンが書いた、恐ろしく風刺と毒の利いた「ビートルズの伝記」を掲載しました。

こちらは、アビィ・ロードスタジオで行われた、
デビューアルバム『PLEASE PLEASE ME』の録音風景。
10曲をたった1日で録りきったという伝説のレコーディングの様子です。
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ジオラマというと、滅多に客が来ない地方の郷土資料館にポツンと展示された、
「冬の間に草鞋を編むおじいさんの人形」とか、
「畑で採れたわずかな野菜をぬかに漬けるおばあさんの人形」とか、
なんかこう全体的に切ない代物を思い浮かべてしまいますが、
ビートルズ・ストーリーのジオラマはまるで正反対で、非常に楽しめます。
というのも、ゲストがジオラマに直接手を触れられたり、
実際にその中を歩いてみたりできるから。

例えばこちらは、忠実に再現されたキャヴァーン・クラブ
客席の椅子に座って、キャヴァーンの映像を見ながら疑似ライブ体験ができます。
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こちらは、1964年の初のアメリカ進出をテーマにした部屋。
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左に椅子が見えるでしょうか。
部屋の一角が、ビートルズが乗った飛行機の座席になっていて、
ゲストはそこに座りながら写真を眺めたり音声ガイドを聴くことができます。

他にも『Sgt. Pepper〜』の実寸大(?)ジャケット写真や、
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エリナー・リグビーの墓」なんてのもあります。
※右奥にはストロベリー・フィールズの門が見えます
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中でも面白かったのがこちら。
実際に中を歩くことができるイエロー・サブマリン
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別に中に何があるってわけじゃないので、「だからなんだ」と聞かれると困るのですが、
僕はこれ一番楽しかったな。

ビートルズ・ストーリーの面白さは、
普段は「見る」か「聴く」かしかビートルズへの接し方がないところに、
「遊ぶ」あるいは「追体験する」という楽しみ方を与えてくれるところでしょう。
だからとても新鮮。
ガイドブックに載っていたように、
確かに博物館や資料館、常設展示場という呼び方は間違いではありません。
しかし僕は「アトラクション」という呼び方こそ、ビートルズ・ストーリーには相応しいと思いました。

なお、ビートルズ・ストーリーについてガイドブックでは「所要時間1時間程度」と書いてありますが、
全ての展示物をしっかり見て、なおかつ音声ガイド(←これは本当に良かったです)をちゃんと聞こうとすると、
おそらく最低でも2時間はかかると思います。

順路のラストは、ダコタハウスのジョンの部屋。
美しいけど悲しさも感じさせる部屋ですね。
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■世界でたった一つの「ビートルズのスタバ」
ビートルズ・ストーリーにはギフトショップ「Fab 4 Store」が併設されています。
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マシュー・ストリート界隈にもいくつかギフトショップはあるのですが、
品揃えという点ではこのお店が一番充実していました。

そしてショップの地下には、BGMも内装も全てビートルズという、
(おそらく)世界にたった1店舗しかない「ビートルズをテーマにしたスターバックス」があります。
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ちなみに、「Fab 4 Store」もビートルズのスタバも、
ビートルズ・ストーリーを利用していなくても入店することができます。



■さらばカモメの鳴く街
というわけで、全6回にわたって書いてきた『ビートルズ探訪記』も今回で終わりです。
帰国して1カ月以上が経ちますが、こうして文章を書いたり写真を選んだりしていると、
まるで今でもリバプールの旅が続いているような気がして、とても幸せでした。

ブログを書きながら、僕の耳の中でいつも鳴っていた、ある音があります。
ここでキャヴァーンの音楽、などと言うと美しく締まるのですが、残念ながらそうではなく、
実は、「カモメの鳴き声」なんです。
海が近いリバプールは、街のどこにいても絶えずカモメの鳴き声が聞こえました。
リバプールのどの風景を頭に浮かべても、そこには必ずセットになって、
けたたましいカモメの鳴き声が耳に蘇るのです。

第2回で書いたように、リバプールは「斜陽の街」です。
19世紀から20世紀初頭にかけてはイギリス有数の港湾都市として栄えましたが、
海運業が廃れるとともに街の景気は急速に悪化し、
ビートルズがいた頃は、既に政府から支援を受けなければならないほどの「不良都市」と化していました。
その状況は根本的には今も変わってはおらず、街の建物にも行き交う人にも、疲れた空気が漂っていました。

灰色の街とカモメの鳴き声は、とても対照的でした。
それは、カモメが生き生きとしていたとかそういうことではなく、
カモメの鳴き声が、強烈な旅情を誘うからです。
街に漂う閉塞感と、カモメの鳴き声に感じる「ここではないどこか」への予感が、対照的だったのです。

ジョンは、ポールは、ジョージは、リンゴは、
スチュアート・サトクリフは、ピート・ベストは、ブライアン・エプスタインは、
リバプールという街の中で、どんな思いでカモメの鳴き声を聞いていたのだろうと思います。
もし、彼らが「何者かになりたい」という欲求を人一倍強く抱えていたとしたら、
あるいは、先行きのない街の中で自分の将来に早々と見切りをつけていたとしたら、
旅情誘うカモメの声は、強烈なフラストレーションを植え付けたのではないかと思います。

もっとも、こうした想像をめぐらせるようになったのは、日本に帰ってきた後のことです。
実際にリバプールの街を歩いている最中は、想像よりも感激が勝っていました。
ただ、今にして思うのは、今回の旅で得た一番の収穫は、
単にキャヴァーンへ行った、ペニー・レインを歩いたという体験ではなく、
それらの場所をめぐったことで「生身の人間としてのビートルズ」を初めて意識できたことでした。

だから、月並みですが、やはりもう一度僕はリバプールに行きたい。
そして次は、バスや地下鉄に乗って買い物に行き、
何でもない地元の店で食事をするような、「生活」を送ってみたい。
そんな風に、今度はもう少し静かに過ごしながら、
ビートルズはあの街でどんな風に過ごしていたのかを、
僕が愛する人たちはあの街でどんなことを考えていたのかを、もっと想像してみたいと思います。
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※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。






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【ビートルズ探訪記 5】リバプール:ハードデイズナイト・ホテル

ビートルズの故郷、英国リバプール探訪記の5回目。
今回はキャヴァーン・クラブの裏に建つ「ハードデイズナイト・ホテル」について。
客室の内装もレストランのBGMも全てがビートルズという、
ファンにとっては夢のようなホテルです。
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#第1回「マシュー・ストリート」
#第2回「ジョンとスチュと学生街」
#第3回「マジカルミステリーツアー」
#第4回「キャヴァーン・クラブ」
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■高級だけど「割安」
このホテルの存在を知ったのはテレビがきっかけでした。
名前は忘れてしまいましたが、確か旅番組だったと思います。
とにかく全てがビートルズ」というコンセプトに感動し、
その時以来、いつか行かなければと思っていました。
今回、リバプール行きが決まった際に最初にしたことは、このホテルを予約することでした。

いきなりお金の話をするのもアレですが、
僕が泊まったのはデラックスタイプの部屋(40〜50平米)で、1泊朝食付でひと部屋17500円。(2014年1月時点)
グレードの割には値段は低めの、なかなか割安なホテルかなと思います。
もっとも、リバプールのホテルの相場は大体どこもこのくらいだそうです(H.I.S.談)。
ロンドンなんかだと、同じ値段で部屋の大きさは半分以下ですからね。
ちなみに、『地球の歩き方』によるとこのホテルのグレードは「高級」となっています。
実際、普通のホテルとして見ても、サービスも設備(Wi-Fi入ります)も食事も僕は満足でした。


■場所はキャヴァーンの“真裏”
さて、まず「ハードデイズナイト・ホテル」の場所ですが、ここにあります。

より大きな地図で Hard Days Night Hotel を表示
黄色:ハードデイズナイト・ホテル
ピンク:キャヴァーン・クラブ
マシュー・ストリートのすぐ脇、キャヴァーン・クラブのほぼ真裏にあることが分かると思います。

外観を正面から。窓に4人の写真が飾られているのがわかるでしょうか。
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本当は建物の全景を撮りたかったのですが、大きすぎて向かいの歩道からは入りきりませんでした。
ちなみに客室は全部で110室もあります。

斜めから撮ったところ。
2階部分の壁に、メンバーの彫像が付いているのが分かるでしょうか。
こっちを向いているのはポールかな?
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建物の奥に曲がり角が見えるでしょうか。
あそこを曲がれば、そこがもうマシュー・ストリート。
あの角に立てば、ほんの50メートルほど先の右手に「Cavern」の看板が見えるはずです。



■ジョンが見つめるロビー
正面玄関から入るとすぐにロビー。
ジョンが出迎えてくれます。
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奥がラウンジになってます。
右奥の壁にポールの写真が飾られているのが見えるでしょうか。

エレベーターホールに飾られていた、ホテルによくある世界各国の現在時刻が分かる時計。
「ハードデイズナイト・ホテル」では、なぜかリバプール、ニューヨークと並んで「TOKYO」が。
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なんか嬉しい!



■ビートルズに“溺れる”レストラン
客室へ行く前にレストランを紹介します。
ホテル内にはレストランが1つ、他にバーが2つ、ラウンジが1つあります。
このうちレストランは朝食を食べられる関係で、泊まれば必ず足を運ぶところ。
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とてもきれいで都会的なレストランなんだけど・・・・写真は全部ビートルズ!
デザートを取るときだって、振り向けばビートルズ!
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写真だけじゃなくて、こんなニクい小物も飾ってあります。
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ちなみに当然のことながら、店内のBGMはずっとビートルズです。
レストランだけじゃなくて、ロビーもラウンジも各階のエレベーターホールも、
朝から晩まで24時間ビートルズしか流れません。
このホテルに泊まったゲストは、
ノイローゼになるくらい、窒息しそうになるくらい、ひたすらビートルズを全身に浴びるのです。

なお、ホテルの朝食はこんな感じ。
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この他にトーストだとかクロワッサンだとかシリアルだとかを選べます。
けっこうガッツリなのですが、イギリスの朝ごはんってどこもこんな感じみたいですね。
エディンバラでもロンドンでも、移動中の高速列車の中でも、
ほぼ同じメニューが出てきました。

余談ですが、よく「イギリスは食事が不味い」と聞きますけど、
僕の体験に限って言えば、全くそんなことはなかったです。
多少ハズレたかな、ということはあっても(マシュー・ストリートの「グレイプス」みたいに)、概ね満足できました。
特にパンとコーヒー、紅茶の美味しさは素晴らしかったです。
あ、それとビールも。



■ジョージのいる客室
いよいよ客室へ向かいます。
階段には一面ビートルズの写真。
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ソロ時代のポールの写真も飾ってあります。カバーしてる範囲がなかなか広い。
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そしていよいよ客室へ。
入ってみると・・・・・




ジョージがいました。
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ジョージ、すごいこっちを見てきます。
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このジョージは『マジカル・ミステリー・ツアー』の時のものですね。
ハードデイズナイト・ホテルでは、
各客室がジョン、ポール、ジョージ、リンゴという4つのテーマに分かれているそうです。

実は滞在中、一度部屋を移ることになりました。
エアコンの工事をしているとかで、騒音を気にしてくれたホテルが静かな別の部屋を用意してくれたのです。
「2つの部屋を体験できるなんてラッキー!」と思っていざ移動してみると・・・・・





やっぱりジョージでした!
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これはバングラデシュ・コンサートの時の写真かな?
というわけで、ジョージとの縁を強く感じたハードデイズナイト・ホテル滞在でした。

なお、期待していたアメニティグッズは、残念ながらどれも非ビートルズ品。
ただ、ドアノブにかける「Don't Disturb」の札が、このホテルでは「Let It Be」になっていたり、
客室アンケートの表紙に「Tell Me Why」や「Form Me To You」なんていうフレーズが載っていたりと、
分かる人には分かるシャレがあって面白かったです。

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ハードデイズナイト・ホテルの公式HP
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※次回はいよいよ最終回。ビートルズの博物館「ビートルズ・ストーリー」について書きます

※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





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【ビートルズ探訪記 4】リバプール:キャヴァーン・クラブ

ビートルズの故郷、英国リバプールを訪ねた記録の4回目。
今回は伝説のライヴハウス「キャヴァーン・クラブ」について。
ビートルズ旅行でリバプールを訪ねたなら、絶対に外せないのがこの場所です。
第1回のマシュー・ストリート編では前を通り過ぎただけだったので、
ついに今回は中に足を踏み入れます。
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#第1回「マシュー・ストリート」はこちら
#第2回「ジョンとスチュと学生街」はこちら
#第3回「マジカルミステリーツアー」はこちら
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■再建された「2代目キャヴァーン」
ノース・ジョン・ストリート側からマシュー・ストリートに入ると、
すぐに目に飛び込んでくるのがこの看板。
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この場所こそが、ビートルズが1961年から63年にかけて、
計272回もステージに立ったライヴハウス「キャヴァーン・クラブ」です。
レコードデビュー前のホームグラウンドとして彼らの人気を支えたのも、
ブライアン・エプスタインとの出会いの場になったのも、全てはこの場所でした。
リバプール時代のビートルズの象徴と言ってもいい、まさに「聖地」です。
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キャヴァーン・クラブは1957年、元は地下の果物倉庫だった場所にオープンしました。
当初はジャズクラブとしてスタートしましたが、
その後ロックンロールを演奏するバンドにも門戸を開くようになり、
やがてリバプール中のバンドがこぞって出演するようになります。
(その中にはリンゴがビートルズ加入前に在籍していたロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズもいました)
そして、ビートルズが有名になると、
キャヴァーン・クラブは世界中のロックバンドにとって憧れの場所となったのです。
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第1回でも書いたように、これまで1800組以上のバンドがキャヴァーンのステージに立ちました。
入り口へと降りる階段の壁のあちこちには、
過去にキャヴァーンに出演したバンドの写真が貼られています。
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実は現在のキャヴァーンは、再建された2代目
ビートルズが出演していたオリジナルのキャヴァーンは、
1973年に地下に換気口を建設するために取り壊されてしまいました。
その後、83年にかつてのキャヴァーンがあった場所の隣に、
当時と全く同じ設計で再建されたのが、現在の2代目キャヴァーン・クラブなのです。



■ビートルズの「音」を吸ったレンガ
いよいよ中に足を踏み入れます。
P1030414

思っていたよりも狭い!
ステージもものすごく小さいです。4人も乗ったらかなりギュウギュウになりそう。
ちゃんとVOX社のアンプが置いてある!
IMG_0993

キャヴァーンの狭さというと思い出すのが、まだ僕が小学生の頃(だったと思うのですが)に、
たまたまテレビで見たビートルズのドキュメンタリー番組。
その中で、レンガ造りの暗くて狭い空間で演奏するビートルズの映像が流れました。
モノクロの粗い映像と相まって、「有名なバンドのくせにずいぶん汚いところで演奏するんだなあ」と
やけに印象に残ったのを覚えています。
「キャヴァーン」という名前は、僕のビートルズ体験の中でも最も初期に脳裏に刻まれたキーワードになりました。

店内にはビートルズが使ってた楽器一式が飾ってありました。
IMG_0994

本当ならば震えるように感激するべき物のはずですが、
「キャヴァーンにいる」という事実自体がすごすぎて、ほとんどスルーしました。
P1030416

天井が低く、アーチ型になっているのは、かつて倉庫だったことの名残でしょう。
前述のように、2代目キャヴァーンが再建される際には、
初代キャヴァーンの設計が忠実に再現されたと書きました。
実はその際、壁のレンガには初代キャヴァーンの壁に使われていたものが再利用されたのです。
(土の中に眠っていたのを掘り起こしたそうです)
つまり、店内のレンガの一つひとつは、かつて本物のビートルズの音を吸い込んだものなのです。
僕がひたすら撫でまわしたのは言うまでもありません。

ちょっと面白かったので撮っておいたのが、この画像。
IMG_0984

キャヴァーン内はフリーのWi-Fiが利用できるので(!)、試しにiPhoneで接続したところ。
こんなレアなWi-Fiに接続できるチャンスなんて滅多にないだろうと、
記念に画面を撮影しちゃいました。



■ビートルズと子供たち
ここで、この日僕が見た、ある感動的な光景について書きたいと思います。

2代目となったキャヴァーンですが、
今でも週末の夜になるとライヴが行われています。
ジェイク・バグやアークティック・モンキーズら、
10〜20代の若いアーティストによって、かつての熱狂が今も受け継がれているようです。

また、昼間は地元のコピーバンド(アーティスト)によるステージが行われています。
出演者は日替わりで、僕は2日間通ったので2人のステージを見たのですが、
2人ともギター1本の弾き語りにもかかわらずめちゃくちゃ上手かったです。
僕が最初にキャヴァーンを訪れた日は、
ジョン・レノンのそっくりさん(?)のステージでした。
IMG_0982

昼間からビール飲みながら、あのキャヴァーンでビートルズの歌を聴くだなんて、
なんていうかもう夢のような時間です。

ただ、僕が見た「感動的な光景」というのは、このことではないのです。

ジョンさんのステージが始まって2〜3曲歌い終わった頃でしょうか。
突如店内に、大勢の小学生が入ってきたのです。
IMG_0985

先生らしき大人が引率し、「RESERVED」の札がある席についたところを見ると、
どうやら日本で言うところの遠足、もしくは社会科見学のようです。
まだ陽のある時間ではあるものの、仮にもここはアルコールを出す店ですから、
そんな場所に小学生を連れてくるなんて、学校もずい分度量が広いなあと感心していました。

どうやらジョンさんも今日は小学生が見に来ることを承知していたようで、
「ステージの前に来なよ!」と子供たちに呼びかけます。
P1030438

こういうときに女の子の方が積極的なのは日本もイギリスも変わらないようです。
しかしやがて、壁の方でモジモジしていた男の子たちも集まってきました。

んで、何に感動したかというと、みんなビートルズの歌を歌えるんです、普通に。
Please Please Me>ではちゃんとサビの「カモン!」で掛け合いをするし、
Strawberry Fields Forever>なんていう難しい歌までちゃんと歌える。
みんな10歳とかそこらですよ?
どの歌も自分が生まれる半世紀近くも前のものなのに、
みんな当然のように歌詞を知っていて、演奏に合わせて楽しそうに歌っている。
「音楽ってすげえ!」とか、「ちゃんと下の世代に受け継がせようとするイギリスの大人すげえ!」とか、
とにかくいろんな思いが涙と一緒にこみ上げました。

ちなみに、子供たちが一番盛り上がったのは、この曲でした。
動画を撮影しておいたので、現場の雰囲気が伝わるといいな。

なお、この日のラストの1曲が秀逸でした。
ジョンさんが子どもたちへのステージの締めに選んだのは、<Money>。
「僕が欲しいのはお金だけ」と連呼するという曲をあえて子どもたちに向けて歌うあたり、
やはり彼は「ジョン」さんでした。



■キャヴァーン・パブへ
キャヴァーン・クラブの向かいにある「キャヴァーン・パブ」にも足を運んでみました。
P1030461

キャヴァーン・クラブが1994年にオープンした姉妹店で、
こちらはクラブの方とは異なり食事をすることができます。
P1030457

この店の特徴は、過去にキャヴァーンに出演したアーティストの楽器やサインが豊富に展示されている点です。
下の写真の右側に見えるのは、ドノヴァンのギターとアークティック・モンキーズのギター。
そして左側のディスプレイに飾ってあるのは、なんとマイケル・ジャクソンのジャケット。
P1030458

店内にはステージもあり、生演奏を聴くこともできるようです。
IMG_0997

店内には延々とロックが流れています。
僕がいたときは、リバティーンズオアシスストーン・ローゼズといった、
イギリスのロックが爆音でかかっていました。

ビールとロック。
これほど幸せなシチュエーションが他にあるのでしょうか。
P1030450

---------------------------------------------------

※次回は、ロビーもレストランも客室も全てがビートルズという夢のようなホテル、
「ハードデイズナイト・ホテル」について書きます。


(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『Somewhere In The Beatles』福岡耕造(ピエ・ブックス)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





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【ビートルズ探訪記 3】リバプール:マジカルミステリーツアー

2014年1月に、ビートルズの故郷、英国リバプールを訪ねてきたので、
そのときの記録を何回かに分けてアップしています。
第3回となる今回は、ビートルズの名所をめぐるバスツアー、
その名も、「マジカルミステリーツアー」について書きました。
いよいよペニー・レイン、そしてストロベリー・フィールズへ赴きます。
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#第1回「マシュー・ストリート」はこちら
#第2回「ジョンとスチュと学生街」はこちら
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これまでは活動初期、そして結成前夜のビートルズの足跡をたどって、
リバプールの街の中を回ってきました。
しかし、さらに時間をさかのぼって4人の子ども時代を振り返るとなると、
郊外へ足を伸ばさなくてはなりません。

市街の中であれば徒歩でも十分回れるのですが、郊外となると交通手段が問題です。
バスは煩雑だし、タクシーは高い。時間が読めないところも面倒です。
そんな悩みを全て解決してくれるのが、ビートルズファンのためのバスツアー、
その名も「マジカルミステリーツアー」です。

あのキャヴァーン・クラブが企画・運営しているツアーで、
毎日2回、1回2時間の行程で、郊外の代表的なビートルズスポットを回ってくれます。
場所によってはバスから降りて写真撮影をする時間も作ってくれるという、
初めてリバプールを訪れたファンにとってはとても便利なツアー。

オンラインでの予約が可能なので(便利!)、僕は渡英前に自宅から予約しました。
※予約ページはこちら
ちなみに、マジカルミステリーツアーのチケットを持ってキャヴァーン・クラブに行くと記念品がもらえ、
さらに併設のキャヴァーン・パブでは飲食代が10%OFFになります。

乗客の集合場所は、リバプールで最も大きな港、アルバート・ドック
乗るのはもちろん、このバスです!
P1030355



■ジョンが育った「メンディップス」
まずは4人が子ども時代に過ごした家を回ります。
最初は、ジョンが育った家「メンディップス」。
P1030389

ジョンはわずか1歳半の時に、母親ジュリアから彼女の姉ミミの元に預けられ、
このメンディップスに引っ越してきます。
以来、結果的にシンシアと結婚するまで約20年もこの家で暮らしました。

ジョンの部屋は2階の左端。
あの窓の中で、少年ジョンは少年ポールと共に曲を作り始めたのかと思うと、震えてきそうです。

この家は何度か他人の手に渡ったのですが、
2002年に売りに出された際にオノ・ヨーコが購入(速攻で買ったそうです)。
そしてメンテナンスをしたのち、ナショナル・トラストに寄付されました。
現在はナショナル・トラスト主催のツアーでのみ中を見ることができます。

ちなみに、有名な話ですが、かのボブ・ディランは、
ナショナル・トラストツアーに参加してジョンの家を見に行ったことがあるそう。
1人の一般客として参加したそうですが、誰もディランだと気付かなかったそうです。



■今も人が住むジョージの生家
続いて訪れたのはジョージの生家。
狭い路地を進んでいった一角、右側の奥から4軒目です。
P1030373

真ん中の、ドアに「12」と書かれた家が、ジョージが生まれた家。
P1030375

周りの家は、もちろん普通に住人がいます。
それどころか、ジョージの生家も今でも人が住んでいます(年配の女性が一人で住んでいるそう)。
ここはバスを降りて家の目の前まで行ったのですが、
ガイドさんには「普通に人が住んでるからくれぐれも静かに」と言われました。
玄関脇に出された古紙の束に生活感が溢れてます。
IMG_0968

「ジョージの家に住む」ってどういう気分なんでしょうか。
僕にとってみれば立派な「史跡」ですが、ビートルズに興味が無い人にとってみればただの家ですもんねえ。
そう考えれば、例えば奈良とかで、古墳の横に普通に人が住んでいるのと同じだよなあ。
なんていうことを考えました。



■少年リンゴの思い出の場所「エンプレス・パブ」
続いて訪れたのは、リンゴの母エルシーが働いていた「エンプレス・パブ」。
P1030363

リンゴが3歳の時に夫と離婚したエルシーは、この店で働きながら息子を育てました。
1970年、リンゴは初のソロアルバム『センチメンタル・ジャーニー』を作るにあたって、
このエンプレス・パブをジャケット写真に選んでいます。

実はこのエンプレス・パブの横の路地沿いに、リンゴが暮らしていた家があります。
バスの中から撮ったので分かりづらいのですが、写真に映るテラスハウス(長屋)の、
真ん中あたりの白い家がリンゴの家。
※写真左端に見切れている建物がエンプレス・パブ
P1030362

このあたりはリバプールの労働者階級の住宅地の中でも特に貧しい地区で、
今もその雰囲気は変わっていません。
明らかにこの周辺だけ家は狭く、道路も荒れていて、
夜中に1人で歩くのはできれば避けたいような雰囲気です。

しかしリンゴは5歳の時からビートルズでデビューしてロンドンに引っ越すまで、
約20年間もこの家で過ごしました。
※ちなみにリンゴの生家もほんの1ブロックほど歩いた場所にあります。
リンゴの青春時代の全てはこの街の、この狭い家に詰まっているのです。



■ポールが育った「フォースリン・ロード20」
続いてポールの家。
ポールはリバプールの中で何度も引っ越しているのですが、
その中で最も長く暮らしたのが、フォースリン・ロードという閑静な住宅街にあるこの家。
P1030396

ポールはこの家に13歳からロンドンに移る21歳の時まで暮らします。
玄関の上の小さな窓の部屋がポールの部屋だったそうです。
小さいながらも庭があって、リンゴの家とはえらい違いです。
72歳の今でもどこか青年っぽくて、育ちの良さを感じさせるポールですが、
この家を見てなんとなく納得できた気がしました。

現在この家は、ジョンのメンディップスと同様にナショナル・トラストに指定されており、
中を見るにはツアーを予約しなければいけません(3〜11月)。
IMG_0976

なので、現在は誰も住んではいないのですが、両隣の家はやっぱり普通に人が住んでいます。
何度も言いますけど、「壁一枚向こうはポールの家」って一体どういう気分なんでしょうかね。



■セント・ピーターズ教会
残念ながらバスの窓からちらっと見るだけだったのですが、
今回の旅で最も見たかった場所の一つがここ。
ジョンとポールが初めて出会った、セント・ピーターズ教会です。

1957年7月6日
友人に連れられてセント・ピーターズ教会のパーティーに参加した15歳の少年ポールは、
教会の庭のステージで、バンジョーを弾きながら歌っていた16歳の少年ジョンと出会います。
正確には、その時はポールが一方的にジョンを見ただけで、
2人が初めて会話を交わしたのはその夜、
教会の向かいにあるホールでのことでした。
既にギターを弾くようになっていたポールはジョンのために<Twenty Flight Rock>を披露。
2人は意気投合し、ジョンはポールを自身のバンド、クオリーメンに引き入れるのです。

この日、この2人が出会わなければ、ビートルズというバンドはこの世に存在せず、
<We Can't Work It Out>も<In My Life>も、他のどの曲も生まれていなかったのです。
「ビートルズの歴史の中で最も重要な1日を選べと言われたら、間違いなく1957年の7月6日だ」
バスガイドさんも、そう熱く語っていました。
奥に立つ建物が、ジョンとポールが初めて会話を交わしたホール。
P1030379

まさに歴史の転換点となった1日。
その舞台が、このセント・ピーターズ教会なのです。



■ペニー・レイン
やって来ました。「ペニー・レイン」です。
ペニー・レインとは、リバプール市街の南東を走る2つの幹線道路、
スミスダウン・ロード(アラートン・ロード)とグリーンバンク・ロードの間を走る道の名前です。
これは南側の端、グリーンバンク・ロード側にあるペニー・レインの標識。
P1030368

ビートルズの歌のタイトルで世界的に有名になりましたが、
道そのものは片側一車線の何の変哲もない道。距離も1km足らずしかありません。

ペニー・レインの北側(上の写真の反対側)の端には環状交差点があり、
たくさんのお店が並ぶスミスダウン・ロードと交わります。
この交差点にはバスターミナルがあり、
学校への通学に毎日バスを使っていたポールは、ここから見た景色を<Penny Lane>の歌詞に綴りました。
その中の一節「On the corner is a banker with a motor car」に出てくる「bank」がこれ。
IMG_0963

ちなみにこの銀行の向かいには、「BISTRO SGT. PEPPERS」というお店があります。
P1030371

世界中からやってくるビートルズファンを見込んだのでしょう。他にもこの手のお店が何軒かありました。
ペニー・レインの住人達はなかなか逞しいです。

ちなみに、この交差点からアラートン・ロードを西側へ(ジョンの家の方へ)進んだところに、
イギリスのメジャーなコーヒーチェーン「COSTA」があります。
滞在中に毎晩COSTAに通っていた僕は(Flat Whiteが美味い!)、
「ここにもCOSTAがあるんだなあ」とバスの窓から眺めていたのですが、
バスガイドさんが言うにはなんと、
「ここはCOSTAができる前からコーヒーハウスで、ジョンの最初の妻シンシア・パウエルがアルバイトしていたんだ」
とのこと!
どこに行っても何かしらのエピソードに遭遇する、まさに歴史の宝庫ともいうべきエリアです。



■ストロベリー・フィールズ
そして、「ストロベリー・フィールズ」です。
P1030383

ジョンの家メンディップス、そしてポールと最初に出会ったセント・ピーターズ教会からは目と鼻の先。
この門の向こうには孤児院があり、少年時代のジョンは何度もこの庭に忍び込んでは空想に耽ったそうです。
ジョンは自分だけのこの場所を、門の赤色のイメージから「ストロベリー・フィールド」と名付けました。
P1030384

今もこの場所には孤児院があり、1979年に建物が建て替えられたときにはジョンが寄付をしたそうです。
この赤い門も今では使われてはいませんが、外から見える草が生い茂った庭には、
ジョンも感じたであろう秘密めいた雰囲気の名残を感じます。

耳をすませば、<Strawberry Fields Forever>の、あのメロトロンの音色が聞こえてくるようです。
心の中で僕は、「ついにここまで来たんだ」と叫びました。

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今回のツアーで回った場所を大まかに地図上に表示してみます。

まずはリバプール全体。ピンクのポイントがライム・ストリート駅です。
ツアーで回った場所のうち、リンゴの家を除けば大体の場所は青の枠の中に入ります(リンゴごめん)。
tour1

拡大してみます。

より大きな地図で リバプール郊外 を表示
:ジョンの家「メンディップス」
黄色:セント・ピーターズ教会
ピンク:ストロベリー・フィールズ
:ジョージの生家
水色:ペニー・レイン
:ポールの家

今回のツアーでは回らなかったのですが、
他にもバンドの前身「クオリーメン」が結成されたジョンの母校「クオリー・バンク・グラマー・スクール」や、
ジョンとジョージが通っていたダブデイル小学校なども上の地図のエリア内にあります。
つくづくみんな「ご近所さん」であることがわかります。

ビートルズという名前はあまりに世界的すぎるのでつい忘れがちなのですが、
この人たちは、元を正せばただの「地元の仲間で組んだバンド」なんですよね。
オーディションによって才能を見極められて組んだわけでも(リンゴだけはやや例外ですが)、
あるいは音楽学校のような素地的な環境がベースになって集まったわけでもありません。
本当に、たまたま、近くに住んでいた単なる音楽好き同士が集まって、
「お前ギター弾けるのか。じゃ一緒にやろう」みたいなノリで始まったバンドに過ぎません。
このことを、実際に回ってみてつくづく実感しました。

だから、ビートルズのことを「天才集団」とする評価は、微妙に的外れであると僕は思います。
確かに4人に才能があったことは事実でしょう。
しかし、彼らはバンドを組む前は、どこにでもいる単なるロックファンであり、
最初から天才性を発揮していたわけではありません。
彼らの才能は、バンド活動を続けていく中で開花していったと言うべきです。
4人は各自各様に天才になったのではなく、「ビートルズ」によって天才に育ったのです。
だから、ビートルズというバンドでまず評価すべきは4人の個々の才能ではなく、
ビートルズという集団そのものなのです。
バンドというものの面白さ、集団というものの面白さを、
これほど感じさせてくれる存在はなかなかいません。

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※次回はマシュー・ストリートに戻り、“聖地”キャヴァーン・クラブの中に入ります。

(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『Somewhere In The Beatles』福岡耕造(ピエ・ブックス)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





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【ビートルズ探訪記 2】リバプール:ジョンとスチュと学生街

2014年1月。
僕はビートルズの故郷、英国のリバプールを訪ねました。
「ビートルズ探訪記」と題して、何回かに分けてその時の様子をアップします。

前回はマシュー・ストリートと周辺エリアを紹介しましたが、
2回目となる今回はリバプール市街の、主に南側のエリアの「ビートルズ・スポット」を紹介します。
メンバーが通っていた学校やパブなど、無名時代の彼らの足跡をたどります。
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#第1回「マシュー・ストリート編」はこちら
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かつて海運と造船が盛んだった時代はイギリス有数の港町として栄えたリバプール。
しかし20世紀後半に入り海運業が廃れると途端に不況に陥り、
以来、街に代わりとなる産業は生まれず、今に至るまで状況は大きくは変わっていません。

僕はスコットランドのエディンバラからリバプールに入ったのですが、
街そのものが世界遺産という観光都市であり、長い歴史の中で洗練されてきたエディンバラと比べると、
リバプールの建物や道は薄汚れていて、歩いている人の表情もどこか険しく、
街全体に疲労感が滲んでいるような印象を受けました。
そんなリバプールにとって数少ない「目玉」が、
プレミアリーグの強豪リバプールFCと、そしてビートルズなのです。

実際、前回紹介したマシュー・ストリートを中心に観光地化が進んでいるし、
後日紹介しますが、ジョンやポールの家はナショナル・トラスト(歴史的建造物)に指定されています。
街を歩いていても、例えば下の写真のように、HMVは壁一面をビートルズで飾っていたりと、
至る所で“ビートルズ推し”が目立ちました。
P1030344


ただ、今回紹介するのは、そういった観光地化されたスポットではなく、
案内板も何もない、街の中にひっそりと隠れている「ビートルズ史跡」です。



■ジョンが生まれた病院跡
ライム・ストリート駅の南側に伸びる、オックスフォード・ストリート(マウント・プレザント)という通りを西へ進むと、
ほんの5分ほどで右側に、ジョンが生まれた病院の跡があります。
P1030472

現在はLiverpool Medical Institutionという医療研究機関の建物がある場所に、
かつて「オックスフォード・ストリート産院」という病院がありました。
1940年10月9日、ジョン・レノンはこのオックスフォード・ストリート産院で産声を上げたのです。



■リンゴがドラムを覚えた場所
続いても病院つながり。
メンバーの中で最も病院と縁が深かったのは、リンゴでした。
6歳の時、盲腸から腹膜炎を併発したリンゴは、
リバプール市内の「ロイヤル・リバプール小児病院」に入院します。
治っては悪化を繰り返し、結局リンゴは約1年間もこの病院で過ごすことになりました。
ちなみにリンゴは13歳の時、今度は結核を患い、再びこの病院に担ぎ込まれたそうです。

病院には長期入院している子どものために勉強を教えてくれる病院内学級のようなものがありました。
その中の音楽の授業で、少年リンゴはドラムと出会います。
入院という体験がなければ、リンゴはドラマーになっていなかったのかもしれません。

「ロイヤル・リバプール小児病院」は、今はもうありません。
現在はThe City of Liverpool Collegeという大学の敷地になっています。
P1030480




■ポールとジョージの母校
上の2つの病院跡を見ても分かるように、
ライム・ストリート駅の南側一帯は大学や研究機関が多く、学生街になっています。
マシュー・ストリート近辺と比べるとぐっと静かで落ち着いた雰囲気。
そして、ポールとジョージの母校「リバプール・インスティテュート」も、
この学生街の中にありました。
P1030493

1825年設立という長い歴史をもつ、
街一番のグラマー・スクール(中等教育校)だったリバプール・インスティテュート。
教育に熱心な親たちは皆、子どもをこの学校に入学させたかったといいますから、
ポールとジョージが実はそこそこ「お利口さん」だったことが分かります。
もっとも、2人は勉強よりもバンドに夢中になって途中で退学することになるのですが。
自宅も近所だったポールとジョージは、毎朝同じバスを使って学校に通っていました
年齢は1歳半の違いがありましたが、音楽という共通の趣味があったことで一気に仲良くなったのです。

リバプール・インスティテュートは1985年、街の人口減少に伴って廃校することになってしまいました。
しかし、1996年1月、ある人物の呼びかけによって、
旧リバプール・インスティテュートは音楽や演劇、ダンスなどを学べる芸術大学として生まれ変わります。

その人物こそ、他でもないポール・マッカートニーでした。
生まれ変わった「リバプール・インスティテュート・フォー・パフォーミング・アーツ(LIPA)」では、
ポール自らが教壇に立つこともあるそう。
※「ポール先生」の写真↓(ビートルズ博物館「ビートルズ・ストーリー」蔵)
P1030557


さて、LIPAの前を走るマウント・ストリートのちょっとした広場には、
不思議なオブジェがあります。
(奥に見えるのがLIPAのエントランス)
P1030498

大小たくさんのカバンの彫刻が並んでいます。
P1030501

ギターケースもあります。
よく見ると、「Paul McCartney」という銘板が。
P1030502

実はこれ、リバプール出身の著名人が使っていた(という設定の)カバンを並べることで街の歴史を表現しようと、
LIPAが企画して作ったオブジェなのです。
もちろんビートルズの4人のカバンもあります。
ちなみに、上の写真では上下に二つのギターケースが重なっていますが、
上がポールのもので、下のケースはビートルズの初代ベーシスト、スチュアート・サトクリフのもの。
スチュの話は次の項に続きます。



■ジョンとスチュが通ったアートスクール
上で紹介したポールとジョージの母校(現LIPA)の隣には、
また別の学校が建っていました。
それが、「リバプール・カレッジ・オブ・アート」。
ジョンの母校です。
P1030508

現在はここもLIPAの校舎の一つになっているようですが、
要するにジョンの学校とポール、ジョージの通っていた学校というのは、
全くの隣同士だったわけです。
※前項の写真を再掲。左側奥の建物がLIPAで手前がカレッジ・オブ・アートです
P1030498

ジョンはこの学校で、無二の親友スチュアート・サトクリフと出会います。
画家の卵だったスチュは若き日のジョンにとって大きな影響を受ける存在であり、
2人は共同生活を始めるほど仲の良いライバルになりました。
やがてポールやジョージと共にバンドを始めたジョンは、
ベーシストとしてスチュを引き入れます。
ポールやジョージは、大好きなジョンを取られてしまったと思って、
当時はスチュに嫉妬したと語っています。

1960年、スチュはビートルズとしてドイツのハンブルグに巡業に行った際に、
写真家のアストリッド・キルヒヘルと恋に落ち、そのまま婚約。
翌年、画家としての道を進むためにスチュはビートルズを辞めることになりました。
ポールがベースに転向したのはこのときです。
しかしその2年後、ハンブルグでアストリッドと暮らしていたスチュは突然脳出血を発症し、亡くなってしまうのです。
ビートルズがレコード・デビューを果たす半年前のことでした。

スチュがバンドに在籍したのはわずか1年程度のことでした。
しかし、現在でも使われている「B」と「T」が縦に長い「THE BEATLES」のロゴや、
(「B」と「T」を目立たせたデザインは「BEAT」という言葉を強調させよういう狙いだそう)
初期ビートルズのトレードマークだったマッシュルームカットは、
いずれもスチュが造った(始めた)ことと言われています。
また、恋人のアストリッドも、デビュー前のビートルズの写真を多く撮影し、
それらは『Anthology 1』のブックレットなどで見ることができます。
ビートルズがスターになっていく姿を見ることなくこの世を去ったスチュアート・サトクリフですが、
彼の残した足跡は今もなおビートルズの歴史に残っているのです。

2人が共同生活を送ったアパートは、学校からほんの1ブロック歩いた場所にありました。
写真に映る3階建ての建物が、2人のアパートがあった場所。
現在の建物が当時のアパートそのものかどうかは不明です。
P1030514




■学生時代のジョンの行きつけのパブ
アート・カレッジ時代のジョンやスチュがよく通っていたのが、
学校から通りを1本隔てた場所にあるパブ「イー・クラック」。
P1030486

ジョンはこの店のブラック・ベルベット(黒ビールと果実酒のカクテル)を好んだそうです。
最初の妻シンシア・パウエルを誘ったのもこのお店だったんだとか。
※漫画『僕はビートルズ』でもこのお店が出てきますね。

今でも営業していますが、訪れたときは営業時間外だったので中には入れず。
目の前は細い路地で、住宅街の中にポツンと建つ、素敵な佇まいのお店でした。
P1030489


そしてもう一軒。
ジョンたちのたまり場として、イー・クラックと共に知られるのが「フィルハーモニック・パブ」。
P1030474

庶民的なイー・クラックに比べると、フィルハーモニック・パブはかなりダイナミックな建物です。
こちらも現在も営業しています。
P1030475




■最初のホームグラウンド「ジャカランダ・クラブ」
ビートルズがキャヴァーン・クラブに出演するようになる前にホームグラウンドとしていたのが、
学生街の西側エリアのスレーター・ストリート沿いにある「ジャカランダ・クラブ」です。
P1030526

現在も「THE JACARANDA」という看板は出ているものの、
中は工事中で営業していない様子でした。
オリジナルのジャカランダ・クラブは既に潰れているので、
キャヴァーンと同じように誰かが復活させたのかもしれません。

ビートルズの長編ドキュメンタリー「Anthology」には、
当時のジャカランダの中の様子が映っていますが、
曲がりなりにもステージと客席があるキャヴァーンとは異なり、
狭苦しくてかなり汚い場所だったようです。

しかし、ビートルズ(当時は「シルバー・ビートルズ」)はこのクラブに出演し、
経営者のアラン・ウィリアムズに見込まれたことでハンブルグ巡業のチャンスを手に入れ、
キャヴァーンへの道を切り開くことになるのです。



■リバプール大聖堂
最後に、リバプールのランドマークである「リバプール大聖堂」を紹介。
P1030513

イギリス国教会に属する大聖堂で、タワーの高さは101メートルもあり、イギリス最大の規模を誇ります。
1991年、ポールが作曲したクラシック作品『リバプール・オラトリオ』の初演会場として選ばれたのが、
このリバプール大聖堂だったそうです。

タワーの上からは、リバプールの街を一望できます。
向こうに見えるのがマージー河。
観覧車のあるところがかつての港湾施設で、
現在は再開発によって商業施設やレストランが並ぶ「アルバート・ドック」です。
P1030521

こちらはもう少し北側を向いたところ。
P1030522

中央やや右側に見えるタワーは、中心街に立つ「ラジオ・シティ・タワー」。
写真で言うと、タワーの左下あたりにマシュー・ストリートがあります。

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ビートルズのメンバーは、この街のことをどう思っていたのでしょうか。
彼らがスターになったことで、出身地であるリバプールも注目されましたが、
当の本人たちは、本当はこの街のことは好きじゃなかったんじゃないかと思います。
その証拠に、4人ともリバプールを出てから誰一人として、
再びこの街に住もうとはしませんでした。
リバプール・インスティテュートを再興するなど、ただ一人郷土愛を見せているポールでさえも。

本校の最後にリバプール大聖堂を紹介しましたが、
実はこの街には「大聖堂」と名の付く場所は2つあります。
一つがイギリス国教会に属するリバプール大聖堂。
そしてもう一つがカトリックのメトロポリタン大聖堂。
両者はホープ・ストリートという道1本によってつながっており、
距離は1kmと離れていません。

イギリス国内で、国教会とカトリックの大聖堂が隣接するような距離で並び、
しかも同じような規模を誇る都市は、リバプール以外にはないそうです。
圧倒的に国教会(≒プロテスタント)人口が多いイギリスで、
なぜリバプールだけは伝統的なカトリックの大聖堂が威容を誇っているのか。
それは、この街にはカトリック信者が大半を占めるアイルランド系移民が多く住んでいるからです。

しかし、リバプール社会におけるアイルランド系移民の地位というものは、決して高くはありません。
その多くは港湾労働者や臨時労働者として、下積み仕事を強いられてきました。
もちろん、裕福ではありません。
そしてそこに、冒頭述べた海運業の衰退という時勢が追い打ちをかけました。
リバプールの盛衰を最も敏感に感じてきたのが、アイルランド系の住民たちだったのです。

そして、ビートルズのメンバーのうち、ジョン、ポール、ジョージの3人は、
両親、もしくは片方の親がアイルランド出身者です。
リンゴはスコットランド系。
4人ともマイノリティに属する家系の出なのです。
彼らの音楽にかける情熱というものの背景には、
街の未来に対する閉塞感や、自分自身の将来に対する切実な不安があったのではないかという気がします。

実際に街を歩いてみると、リバプールの状況というのは、
かつてビートルズがいた時代からあまり変化していないように感じました。
あちこちで再開発が進み、見た目はきれいに生まれ変わっているものの、
冒頭述べたように、街にはどこか疲れた空気が漂っていました。
その中でビートルズが「街の目玉」として担がれている事実を、もし若き日のメンバーが知れば、
複雑な思いを抱くことになるのかもしれません。

★MAP★

より大きな地図で リバプール市内 を表示
:ライム・ストリート駅
:旧オックスフォード・ストリート産院
ピンク:旧ロイヤル・リバプール小児病院
水色:フィルハーモニック・パブ
:ジャカランダ・クラブ


より大きな地図で リバプール市内 を表示
:旧リバプール・インスティテュート(現LIPA)
水色:旧リバプール・カレッジ・オブ・アート
:ジョンとスチュの家
:イー・クラック
ピンク:リヴァプール大聖堂

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※次回はリバプール郊外に足を伸ばし、メンバーの子ども時代をたどります。
いよいよストロベリー・フィールズとペニー・レインが出てきます。


(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『二つの大聖堂のある町』高橋哲雄(ちくま学芸文庫)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





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【ビートルズ探訪記 1】リバプール:マシュー・ストリート

2014年1月。
イギリスに1週間ほど滞在する機会を得たので、
リバプールを訪ねてきました。
そう、ビートルズの故郷です。
今回から数回に分けて、その時のことをレポートします。

1回目は、リバプール市街の中心にある細い路地、マシュー・ストリート。
ビートルズがホームグラウンドとしたライヴハウス「キャヴァーン」や
メンバーが通ったパブなどが並ぶ、ビートルズ初期の歴史が詰まった場所です。

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まず初めに、そもそもリバプールという街がイギリスのどこにあるのかを確認。

より大きな地図で 英国リバプール を表示

ロンドンから北西に約300km。
アイリッシュ湾に面した港湾都市で、アイルランドとの玄関口であることから、
イギリスの中でもアイリッシュ系の住民が多い街です。

リバプールの街は、マージー川の河口の東岸沿いに広がっています。
liverpool city map

実際歩いてみた印象だと、上の地図の青線で括ったエリアがいわゆる市街地。
せいぜい2〜3km四方に収まるくらいなので、「大都市」という感じではありません。

今回紹介するマシュー・ストリートとその周辺のエリアは、
下の地図の赤い丸で囲ったあたり。
リバプール市街の中でも特に人通りの多い繁華街です。
mathew street map

ピンクのポイントは、ライム・ストリート駅
200年近くに及ぶ歴史を持つ、街で一番大きな鉄道の駅で、
ビートルズのメンバーもロンドンやハンブルグへ移動する際には利用したはずです。
僕もリバプールへは飛行機ではなくあえて鉄道を使いました。

ついにやってきた!
気分はまさに「聖地巡礼」です。
IMG_0946


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■レコードショップ「NEMS」跡
まず最初に訪れたのは、ここ。
P1030336

チャーチ・ストリート(ロード・ストリート)とホワイトチャペルの2つの大きな通りが交わる、
繁華街エリアの中心にある交差点です。
上の写真に映る白いビル。
この場所に、かつてレコードショップ「NEMS」がありました。
ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタインが、まだビートルズと出会う前に経営していたお店です。
正式名称は「North End Music Store」。

1961年、レイモンド・ジョーンズという少年がNEMSにやってきて、
「ビート・ブラザーズ(ビートルズのこと)の『マイ・ボニー』というレコードはありますか?」
と尋ねたことが、ブライアンがビートルズを知るきっかけになり、全てはそこから始まった
・・・という、ビートルズ・ヒストリーの代表的な「伝説」の舞台です。
※詳しくはこちらの記事→『ビートルズの謎』 中山康樹 (講談社現代新書)

NEMSはかなり大きなお店だったそうです。
写真のように、今はFOREVER21の大型店舗になっていて当時の面影はありませんが、
現代消費社会の最前線を行くような立地条件が逆に、
かつてのNEMSの人気の高さを物語っている気がします。



■楽器屋「Hessy's」跡
NEMS跡から少し進むと、「WONGS」という宝石店とホテルが並ぶ一角があります。
P1030333

ここにはかつて、ビートルズのメンバーが楽器を買った「Hessy's(ヘシーズ)」という店があったそうです。
リッケンバッカーもヘフナーも、みんなここで買ったんでしょうか。
なぜメンバーはこの店を選んだかというと、
リバプールの楽器屋の中で「Hessy's」だけは“ツケ”がOKだったんだそうです。
ブライアン・エプスタインがマネジャーに就任してまず初めにやった仕事は、
溜まりに溜まったHessy'sのツケを支払うことだったとか。



■「エリナー・リグビー」像
さらに進むと、ベンチに座った女の子の彫刻が。
P1030324

「エリナー・リグビー」像です。
P1030327

アルバム『リボルバー』に収録された<エリナー・リグビー>にちなんで、
歌の主人公の女の子をモデルに作られたブロンズ像です。
1982年に作られました。
像の後ろの銘板には「All The Lonely People(全ての孤独な人に捧ぐ)」という、
歌詞の一節が刻まれています。

そして、通りを挟んだ向かいにはこんなホテルがありました。
P1030329

エリナー・リグビー・ホテル」。
営業してんのかな…。



■いよいよマシュー・ストリートへ
そして、エリナー・リグビー像のある角を曲がれば、
いよいよそこが「マシュー・ストリート」です。
「The Beatles」の幕が張られています。
P1030323

思ったよりも細く、そしてゴチャッとした通りです。
ストリートというよりも「路地」というニュアンスが近い。
そして、いたるところにビートルズを見つけることができます。
IMG_0956

P1030285

P1030289

こんなお店もありました。オイスター・バー「RUBBER SOUL」。
P1030320




■ジョン・レノン像と「キャヴァーン・クラブ」
さらに進んでいくと、ジョン・レノンの彫像が立っていました。
P1030312

地元のアーティスト、アーサー・ドーリーによって作られたそうです。
よく見ると、ジョンがもたれかかっているレンガの一つひとつにバンドの名前が彫られています。
これはキャヴァーン・クラブに出演した計1801組のバンド名なんだそうです。
中にはローリング・ストーンズクイーンの名前もあるそう。

まるでジョンがマシュー・ストリートを見守っているようにも見えます。
・・・と、向こうに「Cavern」の文字が!
P1030315

ついに発見。伝説のライヴハウス、キャヴァーン・クラブです。
P1030301

おおお・・・。
「ついにここまで来たんだ」という感動が湧いてきます。
ちょっと涙出そう。
※キャヴァーンのレポートはまた改めて書きます。



■パブ「ザ・グレイプス」
キャヴァーン・クラブのはす向かいにある老舗のパブ「ザ・グレイプス」。
P1030298

ここは別名「ビートルズのパブ」と呼ばれている店で、
キャヴァーンのステージを終えたメンバーが足しげく通ったんだそうです。

せっかくなんで入ってみました。
IMG_0952

いわゆる「地元の飲み屋」で、中にいたのは近所のおじさんばかり。
ビートルズファンにとっては聖地のような場所にもかかわらず、
全く観光地化されてないのが感動的です。
でもその分店員さんの対応はものすごく素っ気ないです…。

半端じゃないリバプール訛りの店員さんとなんとか会話して注文しました。
P1030295

フィッシュアンドチップスとサラダとマッシュポテト(&得体の知れないソース)。
味は、ハッキリ言って、不味いです。
(1週間のイギリス滞在で一番不味かったのがこのグレイプスでした…)
しかし、この味をビートルズのメンバーも味わったのかと思えば、
味の良し悪しを超えた感動というものがあります。

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実際に歩いてみたマシュー・ストリートは、
予想していたよりも「暗い」通りでした。
それは、狭い道幅ギリギリにまで建物が迫り、
日が暮れると急に暗くなるという物理的な理由もあるのですが、
ストリート全体の雰囲気がそう感じさせるような気がしました。

イメージ的には、歌舞伎町あたりの裏路地といえばいいでしょうか。
一本隣は写真にもあったような都会的で人通りの多い華やかな通りなのですが、
マシュー・ストリートは、今にも飲んだくれた船乗りが出てきそうな暗く湿った空気が漂っていて、
まるでそこだけ時間が止まっているようでした。
観光地化された今でさえそうなのだから、
ビートルズがいた50年前はきっとさらに猥雑でアンダーグラウンドなエリアだったのでしょう。
そこに、“アイドル”でも“アーティスト”でもない、
一介の若者だったビートルズの生々しい息遣いを感じた思いでした。

★MAP★

より大きな地図で マシュー・ストリート を表示
パープル:NEMS跡
水色:楽器屋Hessy's跡
:エリナー・リグビー像
ピンク:ジョン・レノン像
:ザ・グレイプス

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※次回は、リバプール市街の他のエリアにあるビートルズゆかりの地について書きます。

(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『Somewhere In The Beatles』福岡耕造(ピエ・ブックス)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
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Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」

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ビートルズも僕らの夢も
「The End」では終わらない


さて、何から話せばいいか……。

ポール・マッカートニーの11年ぶりとなる来日公演「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」の、
東京ドーム公演2日目に参加してきました。
今年は1月にリンゴの来日公演も見たので、
1年間で生存している「ビートル」全員に会えたことになります。


これまで何度も書いてきましたが、
ビートルズは僕にとって「北極星」でした。
北天で微動だにしないその星が、船乗りにとって最も頼れる道しるべとなったように、
僕にはビートルズこそが音楽という世界を歩く上での地図であり、
そしてアートと自分の人生との間に橋を架けてくれた、最初の存在でした。
落ち込んだ時も、悲しみに身を焦がされそうな時も、
ビートルズの歌を聞けば、真っ暗に塞がっていく心の中にひと筋の光が射し込むようでした。
ビートルズを知らなかったら生きてはいない、
とまでは言わないまでも、
多分、今よりもずっとモノトーンな人生を送っていたんじゃないかと思います。

そんなビートルズ本人をこの目で見られる。
それだけでなく、歌をこの耳で直に聞くことができる。
それは大袈裟ではなく、僕にとっては革命的な出来事でした。

ましてやポールはビートルズのメインコンポーザー。
リンゴよりもさらにビートルズ時代の「持ち歌」を持っています。
ポールが目の前でこの曲を歌ってくれたら、あの曲を歌ってくれたら…。
僕は何日も前から想像だけでウルウルしていました。


1曲目は<Eight Days A Week>から始まりました。
正直、始まった瞬間はドキドキがピークに達していて、
ただ「ワーワー!」と叫んでいるだけでした。

その後、ソロ新作『NEW』の<Save Us>を挟んで<All My Loving>が始まった瞬間、
僕の涙腺は決壊しました。
大好きな歌だから一緒に歌いたかったのに、涙が止まらなくて歌えませんでした。
後はもう、泣き止んでは歌い、また忘れた頃に涙が溢れ、という繰り返しでした。

ポールが目の前でヘフナーのバイオリンベースを弾いている。弾きながら歌っている。
<I Saw Her Standing There>を、<Eleanor Rigby>を、<Lovely Rita>を歌っている。
それはもうなんというか、昔のマンガみたいにほっぺたをつねってみたくなるような、
まさに夢のような時間でした。


でも、トータルで感想を言えば、
「泣いた」「感動した」というよりも、
「楽しかった」という言葉の方が相応しい気がします。

ポールは御年71歳。
にもかかわらず、3時間近くほぼ休憩なしで、
それも初めの2時間は一滴もドリンクを飲まず、
さらには(多分)全て原曲と同じキーで歌い切ったのです。
ビートルズ時代だけでなく、ウイングス時代、ソロ時代、
そして新譜『NEW』の曲をバランスよく配置したセットリストや、
片言の日本語を交えながら一人ひとりに語りかけるようなMC。
彼のプロ精神、半世紀にわたって磨き上げられたショーマンシップには、
ビートルズを聞けたという感激は与えても、
過去を思い出して涙させるような湿っぽさはありません。
だから僕も、時折自分の中の思い入れによって泣くことはあっても、
それよりも「せっかくだからポールと一緒に歌おう!」「楽しもう!」と感じた瞬間の方が
圧倒的に多かったです。


もう一つ、僕が今回良かったなと感じたのは、
ポールの、「ビートルズとしての現在」が見られたことでした。
これまで僕はポールについて、
新譜をコンスタントに発表してあくまで現役ミュージシャンとして活動してはいるものの、
ことライブに関しては、「ビートルズの伝道師」という役割を受け入れ、
一種の懐メロバンドとしてステージに上がっていると思っていました。
(もちろん、だからこそ僕らはエンジョイできるわけですが)
それは世界で今やポールにしかできない役割だし、
ポールもそれを理解しているんだろうなあと思うものの、
精力的に新曲を作りつづける彼の旺盛なクリエイティビティと、
半世紀近く前の曲をプレイし続けることとを、
どう折り合いをつけているのだろうと思っていました。

その答えの一端を、僕は<Blackbird>を歌っている時に、なんとなく想像できた気がしました。
いくら若々しく見えるポールでも、
ギター一本で静かに歌うこの曲では年齢を隠すことはできません。
かつては伸びやかな歌声で歌っていたこの曲を、
ポールはしわがれた「おじいちゃん」の声で歌いました。

しかし、じゃあそれがダメかというと、そんなことはないのです。
むしろ、「今の」ポールの声だからこそ感じる何かがあります。
特にラストのリフレイン部分の歌詞は、
※「You were only waiting for this moment to arise.」
 (ただ立ち上がる時を待っていたんだ)

ホワイトアルバムのオリジナル版と印象がまるで違いました。
オリジナル版では、ポールはこの部分をわりと淡々と歌います。
そのため、「立ち上がる時」を待っていたのはポール以外の誰かで、
その誰かに向けた淡い優しさが前面に出ています。

しかし、今のポールのしわがれた声で歌うと、
「立ち上がる時」を待ち続けたのはポール自身であるように聞こえました。
待ち続け、待ち続け、いつしかこんなにも年を取ってしまった…。
そのような悲哀が漂い、オリジナル版とはまるで違う曲に聞こえたのです。
<Blackbird>ってこういう曲だったのか、という驚きと発見。
これはまさに、今のポールでなければ味わえなかったことです。

ポールはビートルズを「更新」していると僕は思いました。
ポールは決して「あの頃の再現」を目指しているのではなく、
あくまで「今の声で歌うビートルズ」をやろうとしているんだと思いました。
それは、「元ビートルズ」として単に懐メロをプレイするのとは微妙に異なります。
ポールが目指しているのは、いわば「今のビートルズ」なのです。
彼自身も、僕らファンとともに「もしビートルズが今でも活動していたら」という永遠の夢を、
追いかけているのかもしれません。


今回の公演で、一番嬉しかったのは(強いて挙げれば)、
最後の最後に演奏した<Golden Slumbers>〜<Carry That Weight>〜<The End>という、
ラストアルバム『Abbey Road』のエンディングを完全再現してくれたことでした。
ビートルズの歴史を締めくくったこのメドレーを、まさか生で聴けるとは思っていませんでした。

しかし、音楽評論家の中山康樹氏が、著書『ビートルズの謎』で述べているように、
「ビートルズ最後のアルバム『Abbey Road』は、<The End>という曲で“終わらない”」のです。
(その後に約20秒のラストトラック<Her Majesty>が入っているから)
ビートルズの歴史が<The End>で終わらないように、
今回のライヴでも、ポールはこの曲を演奏して舞台を去る際に、
なんと「マタ会イマショウ!」と言ってくれました。

本当に?
今回がきっと最後だと思ってたけど、
そんなこと言うと、信じて待っちゃうよ、ポール?


「OUT THERE TOUR」トレーラー映像







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