週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【本】歴史・民俗

2017年7月の3冊 〜2人の薩摩藩士のサーガ〜

『九重の雲 闘将 桐野利秋』

「嫌がる西郷隆盛を無理やり担いで暴発した狂犬の親玉」というイメージがあるかと思えば、「いやいや、単なる過激主義者とは違う合理的思考の持ち主で彼もまた下の者に担がれただけの犠牲者だった」という意見もあり、毀誉褒貶激しい人物である桐野利秋
 本書はその桐野を主人公にしているだけあって、基本的には彼を肯定的に描いてはいるのですが、一面的ではありません。たとえば「人斬り」と呼ばれたほどの男であるにもかかわらず、洋式銃の威力を知ると早々と刀に見切りをつけて乗りかえる合理的精神の持ち主として描く一方で、その合理的精神も「西郷」という理屈を超えた存在を前には退化してしまい、西南戦争に突入していく桐野については否定的に描いています。
 職業テロリストの陰惨さと古武士のような颯爽とした色気を併せ持ち、頭では分かっていてもついには近代人への一歩を踏み越えられなかった本書での桐野には、「最後の中世的英雄」というようなイメージを抱きます。





『狙うて候 銃豪村田経芳の生涯』

 村田経芳というと、明治陸軍に制式採用された初の国産洋式銃「村田銃」を発明した人物、としか知識がなかったのですが、タイトルにもある通り、彼は研究者であると同時に優れた射撃手=銃豪でもありました。
 彼の腕前がどのくらい優れていたかというと、幕末期に横浜で開かれた射撃大会に出場して、日本に駐留してた欧米の軍人を圧倒して優勝したほか、明治8年の欧州視察旅行では、イギリス、フランス、ドイツ、スイスと各地の射撃大会や軍人との試合を転戦して全て勝利を収めたほどでした。彼の活躍は欧州各地の新聞に載り、「ヨーロッパで一番の射撃手」と呼ばれたそうです。
 村田の出身地は薩摩です。同郷の友人や兄弟たちが、明治維新と西南戦争で次々と死んでいくなか、彼は天寿を全うして83歳まで生きます。晩年、「なぜあなたは生き延びられたのか」という質問に対して「技術屋に徹していたのがよかった」とした彼の答えには唸るものがありました。
 技術に徹していた=政治には手を出さなかったという意味なのですが、村田が国産様式銃の開発と軍制式化という壮大な夢に向けて突き進んでいる間に、友人たちは次々と非業の死に倒れ、西南戦争では同郷の人間同士が殺し合う(村田自身も参戦)ことになります。村田は「技術に徹していた」という言葉を、誇らしさと後ろめたさの両方を感じながら語っていたような気がします。





『銃士伝』

 関ヶ原の戦いの際、いわゆる「島津の退き口」で島津軍の殿を務め、追撃してくる井伊直政に重傷を負わせた兄弟の銃士や、高杉晋作が香港で買い求め、贈られた坂本竜馬が寺田屋事件の際に捕方に向けて発砲したといわれるリボルバー銃、近藤勇が伏見で狙撃されたときの銃など、日本史のさまざまな事件で登場する「銃」にフォーカスして書かれた話を集めた短編集
 著者の東郷隆(“りゅう”と読みます)は作家になる前、『コンバットマガジン』というガンマニア向けの雑誌の編集をしていました。『九重の雲』の桐野のウェストリー・リチャーズ銃にしても、『狙うて候』の村田銃にしても、この人の作品にやたらと銃が登場し、しかもその描写がめちゃくちゃ細かいのはこの経歴のためでしょう。
 ちなみに、この『銃士伝』にも桐野利秋と村田経芳が登場します。鳥羽伏見の戦いで、幕府軍の銃弾が降り注ぐまっただ中で村田が桐野にウェストリー・リチャーズ銃の撃ち方を教えるというシーンで、この場面は前述の2作品にもそれぞれの視点で描かれています。別々の3作品を読んだはずなのに、結果的には桐野利秋と村田経芳という、薩摩人でありながら明治以降対照的な人生を歩んだ2人のトリロジーを読んだような気分になりました。



 ということで、2年ぶりくらいに歴史小説を読みまくった7月でした。





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2017年6月の3冊 〜川と地形づくし〜

『川はどうしてできるのか』藤岡換太郎

 6月は暗渠の記事を書いたこともあり、川のことをやたらと考えていたので、川や地形関連の本ばかり読んでました。
 まず読んだのが、講談社ブルーバックスの『川はどうしてできるのか』。「山」編、「海」編に続く「どうしてできるのか」シリーズの第3弾です。ナイル川がなんであんなに長いかっていうと、総延長7000kmに及ぶアフリカ大地溝帯に沿って流れてるからだとか、川は海に注いで終わりじゃなくて実は海底にも川の続きとなる「海底谷」があるって話とかは、普段東京23区の川(暗渠)しか考えてない身には実に刺激的。
 中でも、天竜川と信濃川は実は元々一本の川で、日本列島がユーラシア大陸にくっついていた時代は、ロシアのウスリー川と接続し大陸大河を形成していたという話は、スケールでかすぎて頭がクラクラしました。同時に「今は別々の川がかつては1本の川だった」という想像は、先日の暗渠記事で書いた「古石神井川時代、石神井川と藍染川とを結んでいたのは逆川だったのでは?」という思いつきと結びついて、意を強くしました。
 




『東京の自然史』貝塚爽平

 『ブラタモリ』の人気などで、東京の地形や歴史のうんちくを集めた街歩きガイドブックはたくさん出版されています。しかし、数千年、数万年というスケールのでかい時間軸で、海底まで含む東京の自然の歴史について解説した書籍、それも一般向けに書かれた書籍となるとほとんどありません。その中でもっとも有名なのが本書でしょう。
 東京の各台地の細かい違いや地層の分析とそこから読み取れる地殻変動の歴史など、興味がある人には興奮が止まらない(興味がない人には何が面白いかまったくわからない)本です。実は4〜5年前に一度読んでいるので再読なのですが、この間に他の関連本を読んだり、実際にあちこち足を運んできたせいか、納得度と興奮度は前回とは比べ物になりませんでした。中でも、前半に出てくる豊島台と本郷台の地形の違いに関する記述はヤバかった。いや、走ってると藍染川と谷端川の並走具合ってのは何らかの関連があるんだろうなと感じてたところだったのです。
 「川はどこを流れていたのか」を考えるのも超楽しいんですけど、「川はどうしてここを流れているのか」という、もう一つマクロレベルの疑問について考えるのも楽しいです(難しいけど)。





『江戸上水道の歴史』伊藤好一

 自然河川の暗渠をたどっていると、どこへ行っても必ず出くわす紛らわしい“曲者”が上水道です。僕の場合は千川上水だったのですが、どう見ても暗渠なんだけど、道幅がやけに広かったり、場所によっては高所を流れたりしていて、ずいぶんと頭を悩まされました。そんな江戸の町の上水道だけに的を絞って書かれたのが本書。さすが吉川弘文館というべきニッチなテーマ選びです。
 内容はもうすがすがしいくらいにザ・データ集で、江戸の町に引かれていた6つの用水(神田、玉川、青山、三田、亀有、千川)について、いつ誰が開いたのか、どこをどう流れていたのか、水銭(水道料金のこと)はいくらだったのかなど、あらゆる情報がガッツリ詰め込まれています。そして、本書に収録された膨大なデータは、「人の生活がいかに大量の水を消費するか」ということの裏返しでもあります。世界史の授業で「世界の文明は全て大きな川のそばで発生した」と習いましたが、この本読むと納得感ハンパじゃありません。
 江戸の町は家康の入府直後から、神田川を掘って隅田川に流したり、駿河台を崩して日比谷入り江を埋めたり、江戸湾に注いでいた利根川を鹿島灘方向に付け替えたりと、治水工事に力を注ぎました。その一方で、増え続ける人口と追いかけっこをするように上水道の整備を進めてきました。水をいかにコントロールして抑えるかに腐心しながら、同時に水をいかに引っ張ってくるかに躍起になっていたわけです。江戸(東京)の歴史というのはつくづく水の歴史だなあと感じます。






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2017年2月の3冊 〜小池重明とJ-POPの「ヒット曲」と日本人の渡来ルート〜

『真剣師 小池重明』団鬼六

金銭を賭けた将棋で生計を立てる非プロ=アマの棋士「真剣師」。その中でも最強と言われた小池重明の評伝。先月読んだ『赦す人』から、団鬼六つながりで手に取ったんだけど、これはねー、めちゃくちゃ面白かったです。
2年連続アマ名人位を獲得したばかりか、当時将棋連盟の会長を務めていたプロの名人にも完勝してしまうという、無類の将棋の強さ。しかし、棋力とは裏腹に私生活は破滅的。金を盗んで女と逃げること5回(うち3回は人妻)。けれどすぐに生来の酒好きとギャンブル好きが祟って愛想を尽かされる。困り果てた小池を見かねた友人知人が援助の手(金)を差し伸べると、その時は涙を流して「今度こそ生まれ変わる!」というものの、舌の根も乾かないうちに借りた金で再び酒とギャンブルに溺れる…という、読んでて気持ちいいくらいのクズっぷり
将棋の才能がなければ本当にただのダメ人間ですが、しかし小池の破滅っぷりは将棋の才能の代償のようにも見えてきます。すさまじい光はその分深く濃い影を生むように。間違いなく後世にも語り継がれる不世出の天才ですが、本人にとってはあれほどの将棋の才能を持ったことが果たして幸せだったのかはわかりません。一種の寓話のような読後感を味わった一冊でした。




『ヒットの崩壊』柴那典

90年代と違い、今はミリオンセラーの曲といってもほとんどの人がタイトルすら知らない。売上と「流行ってること」がイコールではなくなり、その結果ヒット曲が見えなくなった。じゃあ「今流行ってる音楽」はどこにあるの?というのが本書のあらすじ。今起きている変化を整理して一つひとつ言語化してくれているので「なるほどー」という感じ。いい意味でサラッと読めます。
でも、なんとなく思ったんだけど、みんなが同じ曲を聴いて盛り上がったり、後でその曲を聴いて一緒に懐かしんだりという価値観そのものが今後は消えていくんじゃないかという気がします。個人的にもみんなバラバラの音楽を聴いてる状況の方が好き
本書では、人々の興味が細分化された現代においてもなお「共通体験」になりうるものもの(つまりヒット曲が生まれる基盤)として卒業式や結婚式というイベントを挙げているんだけど、僕は卒業式や結婚式のような極めて個人的なイベントだからこそ、「ヒット曲」なんかに蹂躙されたくないと思う。結婚式に<Butterfly>なんか流されたら、「私だけの大切なイベント」がたちまち他の人と交換可能なありふれたものになっちゃう気がしません?
とりあえず、ヒット曲でもなんでもないのに「これがヒット曲です」というツラをしたり、それが通用しないとなったら過去の(本物の)ヒット曲を引っ張り出して「音楽って素晴らしいですね」と臆面もなく語り始める音楽番組(大晦日のあの番組とかね)とか本当に滅びて欲しいですね




『日本人はどこから来たのか?』海部陽介

タイトルにもなっているこの謎は古典的といってもいいくらいお馴染みのもので、僕もこれまで何冊か同じテーマの本を読んだことがあります。が、その中では本書が最も面白かったです。理由は、とにかくロジカルなこと。国立博物館の博士を務める著者はこの本を書くにあたり「信頼に足る証拠(遺跡や化石)以外は参考にしない」という態度を徹底しています。数ある既存の学説や可能性を、証拠を基に一つひとつ排除していき、最後に残ったのが真実(だろう)という本書の進め方は、推理小説的な興奮があります。なかでも対馬ルートと沖縄ルートがぶつかる奄美大島の石器の話や、井出丸山遺跡(静岡県)から出土した3万7000年前の石器の中から、伊豆七島である神津島産の黒曜石が見つかった話なんかは「おおおう!」と唸りました。人類史や古代史って、一つの発見で簡単に定説が覆るから、歴史時代の研究よりもむしろ日進月歩な分野なんだなあ。
ただ、ひとつ言えるのは、渡来ルートについてはさまざまな説があるにせよ、日本人という民族の大半が大陸から渡ってきたことは明らかです。最近は在日外国人のことを悪く言う人が目立ちますが、日本列島に来たのが早いか遅いかというタイミングの違いがあるだけで、所詮は我々みんな「在日」なわけです。この極めて単純な事実にすら気づかずに聞くに堪えないヘイトをまき散らすああいうアホな輩には心底うんざりします。







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『おんな飛脚人』 出久根達郎 (講談社文庫)

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江戸の町を駆け抜ける
「スピードランナー」たち


先週まで3回にわたって「ランニング小説まとめ」という企画を掲載してきました。
#第1回:ストイック・アスリート編
#第2回:マラソンは人生編
#第3回:変わりダネ編

ですが、1作だけ、どのカテゴリにも入れられなかった、
けれどめっぽう面白かったランニング小説がありました。
それが、出久根達郎の『おんな飛脚人』

タイトルの通り、江戸時代の郵便屋「飛脚」たちを描いた時代小説です。
主人公は、走ること(作中では「駆けっくら」といいます)が得意な元武士の娘・まどか。
彼女が足の速さを生かして、江戸は日本橋瀬戸物町の飛脚問屋「十六屋」に雇われ、
世にも珍しい「女の飛脚人」として活躍する様子が描かれます。

まどかと同期で雇われた青年・清太郎や、
病気の主人に代わって女手一つで店を切り盛りする女将・おふさをはじめ、
無類の人情家ぞろいの十六屋の面々が、
店に舞い込む事件や難題を機転とチームワークで鮮やかに解決していく様がスカッとしていて、
読んでいて気持ちがいいです。

出久根達郎の時代小説というと、江戸城内で将軍家の膨大な蔵書を管理する下級官僚、
「御書物同心」たちを描いたユニークな作品『御書物同心日記』を読んだことがありますが、
決して極悪人が出てこない、最後は必ずハッピーエンドというパターンは、この『おんな飛脚人』も同じ。
山本周五郎のような超個性的なキャラクターや、藤沢周平のようなヒリヒリするドラマ性はありませんが、
その分、読んでいて心置きなくリラックスできるような安心感があります。

んで、肝心の「ランニング」ですが、
飛脚人の話なので、当然走る場面がたくさん出てきます。
十六屋一番の韋駄天であるまどかは、「息をゆっくり吐きながら」「首を思い切り下げて」走るんだそうです。
「息をゆっくり吐きながら」というのは、血圧や心拍を上げないための呼吸法で、
長距離ランナーはみんな実践している基本の技術です。
「首を思い切り下げて」は、前傾姿勢をとることで重力による推進力を得ようとするものでしょう。
これも実に理に適ってます。
どうですかこの、ランナーならではの読み方

ちなみに、東海道を江戸から京・大阪まで走る飛脚の花形「定飛脚(じょうびきゃく)」は、
江戸〜大阪(約550km)を最短3日(64〜66時間)で走ったと言われています。
単純計算で時速8km強。つまり、キロあたり7分〜7分15秒くらい。
ずっと一人で走るわけではなく、およそ30kmごとに交代するリレー形式だったそうです。

30kmをキロ7分で走ればいいだけですから、一見すると楽そうです。
しかし、この数字はあくまで平均値。
途中の箱根の山越えや大井川の渡しのことを考えれば、
実際には平地でキロ6分、あるいはそれを切るスピードで走っていたんだじゃないでしょうか。
それに、当時の日本人の体格(男性で155cm前後)を考えれば、
飛脚人は選び抜かれたスピードランナーといってよさそうです。

ちなみに飛脚は、都市間の長距離輸送業者だけを指すのではなく、
町の中で手紙や荷物を運ぶ、近距離専門の「町飛脚(まちびきゃく)」もいました。
まどかたち十六屋もこの町飛脚に含まれます。
彼ら町飛脚は担いだ棒の先に鈴をつけていたため、
町の人からは「ちりんちりんの町飛脚」と呼ばれていたそうです。
『おんな飛脚人』では、まどかの同僚・清太郎の発案で、
十六屋がいち早く鈴をつけ始めた、という設定になっています。

大名家や幕府役人などの公的機関が利用した定飛脚と異なり、
町飛脚は庶民にとって身近かつ重要な通信手段でした。
そのため、作中では手紙を携えたまどかや清太郎が、
江戸の町のあちこちを走る場面がたくさん出てきます。

実はこの、「江戸を走る場面」というのが、ランナー的には一番興奮したところでした。
例えばこんな場面が出てきます。
京橋を渡ると、すぐ左手に曲った。川沿いに水谷町、金六町を過ぎ、白魚屋敷前を走る。真福寺橋という橋を渡った。南八丁堀である。

こういう場面になって僕が何をしたかというと、まずいったん本を置いて、
本棚から現代の地図帳と古地図をひっぱり出して日本橋あたりのページを開いて、
しかる後に小説に戻って、まどかや清太郎が走ったルートを地図と古地図で実際に追ってみるのです。

なんていうんだろう。
小説の描写の手助けで、まるで江戸の町を走ってるかのような感覚になり、
さらにGoogleのストリートビューなんかまで活用すると、タイムスリップ感も味わえて、
「街ラン」好き、地図好き、歴史好きには、悶絶級の幸せな時間が訪れます。
これ、同じルートを実際に走ってみるとさらに面白いんだろうなあ。

この『おんな飛脚人』ですが、続編として『世直し大明神』が出ていて、
今後もシリーズが続いていくかもしれません。






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『クマにあったらどうするか』 姉崎等 (木楽舎)

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65年間ヒグマと向き合い続けた
「最後のアイヌ狩人」の言葉に震える


吉村昭の『羆嵐』を読んで以来、
「クマ」に惹かれるようになりました。

はじめは単純にクマ、特にヒグマという生き物の凶暴さや獰猛さに、
(彼らは生来凶暴なのではなく、自分の生命を脅かすものに対してのみ力を振るうと後に知るのですが)
怖いもの見たさに似たホラー的魅力を感じていただけだったのですが、
その後、カメラマンの田中康弘が書いた『マタギ 矛盾なき労働と食文化』や、
知床のハンター久保俊治氏が書いた『羆撃ち』(←これは名著!)などの本を読むうちに、
クマそのものだけではなく、マタギをはじめとするクマを狩る人間とその文化にも興味を持つようになりました。

古来、人間は山野でいろんな獣を狩ってきたのに、
クマだけは「特別扱い」をされてきた生き物でした。
例えば、アイヌには有名な「イヨマンテ」(熊送り)という儀式によって、
村を挙げてクマの魂を歓待するという伝統があります。
また、マタギの一大輩出地である秋田県の阿仁では、
クマが獲れるとまずは全員で祈りを捧げ、
その後近隣住民総出で骨一本、腱ひと筋に至るまで丁寧に解体する
「けぼかい」と呼ばれる伝統が今でもあるそうです。

雑誌『ユリイカ』が今年の9月号で「クマ」を特集していたのですが、
その中で人類学者の中沢新一が
「『クマ』と『カミ(神)』は日本語では確実に同じ語源から派生している」
と語っていました。
高タンパクの肉だけでなく、防寒具になる毛皮や薬となる内臓(熊の胆)、生活道具の材料になる骨や腱など、
クマは人間の生活をあらゆる面から支えてくれる貴重な存在でした。
そうした背景から、アイヌやマタギにとってクマは単なる「獲物」ではなく、
人間に恵みをもたらしてくれる神聖なものとして、畏敬の念を抱く存在だったのです。

上っ面だけを見れば「どうして神様なのに殺して食べるんだ」となっちゃうのですが、
アイヌやマタギの文化の中では、決してそれは矛盾していないのです。
実際、彼らは必要以上の乱獲など絶対にしないし、
前述のように獲ったら全身くまなく再利用する技術と知恵を受け継いでいます。
現代の都会に住む身からすれば到底一筋縄で括れない彼らの精神性、自然との関係性に、
僕は蓄積されてきた歴史の深さを感じます。

この数年、クマやマタギやアイヌ関連の本をたくさん読んできたのですが、
その中で今年の1月、究極と呼べる本に出会いました。
それが『クマにあったらどうするか』(木楽舎)。
約1年前に読んだ本ですが、今年は結局最後までこの本以上の衝撃作には出会えませんでした。

著者の姉崎等さんはアイヌ民族の血を受け継ぐ、最後のアイヌの狩人です。
幼い頃からアイヌの集落で暮らして猟を覚え、12歳の時には村田銃(!)を扱う狩人になったそうです。
以来、77歳で引退するまで北海道の千歳を拠点に狩人として暮らし、
その間に獲ったヒグマは単独猟で40頭。集団猟を含めると60頭に上ります。
近年はヒグマ防除の相談役や北海道大学のヒグマ研究のアドバイザーなどを務めてきました。

そんな姉崎さんが、自分の体験を語りつくしたこの本。
なにせ65年間も現役でハンターをやってきた人ですから、
エピソードの一つひとつがハンパじゃない驚きと迫力に満ちています。
「顔を見ればそのクマが大人しいか凶暴か分かります」なんてことをさも当然のように言うのですが、
(ちなみに顔が長くて頭が張っていないクマは「性悪」なんだそうです)
科学的根拠なんかなくても、「多分そうなんだろうなあ」と納得させられてしまうのは、
まさに、誰よりもクマと付き合ってきた経験を持つ者ゆえの説得力でしょう。
「性格のいいクマ」、「昔のクマと今のクマ」、「よそ者グマの不安」など、
目次で見出しを眺めているだけでも充分面白いのですが、
とにかく驚くほど細かくクマの習性や性格について姉崎さんは語りつくします。

面白いのは、姉崎さんも、やっぱり前述のマタギやアイヌと同じように、
クマたちを「敵」だとか「獲物」としては見ておらず、
むしろ長年の友人や家族のことを語るように、終始温かい口調でクマのことを語る点です。
しかし、そんな愛するクマたちも、かつてよりもだいぶ少なくなってしまったと、姉崎さんは危惧します。
それは、行政が北海道の山野に続々と自生種ではない針葉樹を植えてしまったため、
森の植生が根本から崩れてしまったから。
餌を失ったヒグマは急速に姿を消し、残ったヒグマは餌を求めて人里へ出るようになり、
必然的に人に危害を及ぼす被害が増えてしまいました。
ある意味では、乱獲よりも問題は根深いのです。

もちろん、姉崎さん個人の弁なので、異なった視点から検証する余地はありますが、
しかし、結局のところヒグマをはじめ北海道の動植物を最も深く理解しているのは行政でもマスコミでもなく、
姉崎さんのように「歴史の蓄積」を持つ現場の人なんだなあと、当たり前のことを痛感します。
なのに、姉崎さんが営林署やいろんなとこに足を運んで陳情に行っても相手にされなかったりして、
読んでてすごくやるせない気持ちになります。

その姉崎さんですが、今年の10月に亡くなりました。90歳でした。
おそらく、アイヌ狩人としての後継者はもういないでしょう。
仮に何らかの知識や経験を受け継いだ人がいたとしても、
今の時代では姉崎さんのように半生を山で過ごすようなキャリアを積むことは難しいかもしれません。
連綿と続いてきた何かが目の前でプツッと切れたような気がして、
姉崎さん死去のニュースを知った僕は強いショックを受けました。


まあ、ある伝統や文化が失われていくこと自体は仕方がない部分もあります。
そんなこと言い始めたら、世界の歴史は滅んだ文化や民族でいっぱいですし、
「淘汰」というもの自体は、優れた自浄システムなんだと思います。
ただ一方で、いろんなものが画一化・均一化されていく現代では、
ある文化や伝統が淘汰されていくスピードが恐ろしく速くなってるんじゃないかとも思うのです。

書いていてふっと思い出したのですが、僕の実家の近くで毎年夏にやっていた盆踊り大会が、
ある年を境にいきなり中止になりました。
理由は、例の和歌山のヒ素カレー事件でした。同じような事件が起きたらいけない、ってことらしいです。
吹けば飛ぶような小さな盆踊り大会だったのですが、
それでもその地域では間違いなく「夏の風物詩」として根付いていました。
だから、あまりにあっさりとした幕切れに、子ども心ながら空しさを感じたのを覚えています。
「あ〜、こうやって『何か』は終わっていくんだな」と。
昔だったらある程度放置していてもなんとなく続いていた地域のお祭りだとか習俗だとかは、
今では相当意識して「残そう」としないと、あっという間に跡形もなく消え去っちゃうのかもしれません。

※似た内容のことは以前にも書きました。
備忘録として/今日出会った方の話(2012年2月8日の記事)
『オオカミの護符』 小倉美惠子 (新潮社)(2013年1月12日の記事)

んで、歴史や文化といったものの保存や伝承は、金銭的にも意義的にも、
基本的には国や自治体などパブリックな組織が主導してやるべきだと思うのですが、
(実際、地域史編纂事業や地元博物館収蔵品の公開など、各自治体はすごく努力していると思います)
多分、そんな悠長なことは言ってられないんじゃないのかなあという不安はあります。

その一方で、この10年くらいで高年齢層にもネットが普及したこともあり、
趣味で地域史を研究しているおじさんだとか、自分の住む町について戦前の様子を記録していたおじいさんだとかが、
今ものすごい勢いでブログを書いています。
そういう人たちのブログを僕もいくつか読んでいるのですが、
驚くほど細かく且つ正確な史料研究をしていたり、
「あなたは本当に素人なの?」と聞きたくなるほど文章力が豊かだったりする、
すごい人たちがかなりたくさんいます。

例えば僕が定期的に購読しているものをいくつか紹介すると・・・、
GOLUのブログ
昭和一桁生まれの筆者が戦中・戦後の時代の東京の様子や世相について語る史料性の高いブログ
秩父・仙台まほろばの道
秩父や仙台に伝わる伝承や信仰などを紹介。知らないことばかりでいつも驚かされます
杜を訪ねて
関東を中心にありとあらゆる神社をひたすら写真に撮って掲載しているブログ。コンプリート感がすごいです
道にあるちょっと古いもの
トンネルや橋ばかりを紹介するブログ。時には山奥に分け入ってまで取材することも。こちらもコンプリート感がすごい
東京の河川
暗渠、開渠問わず東京中の川・用水路のデータを掲載しているページ。個人でここまでのデータベースを作り上げた熱意に脱帽

ブログは基本的にオープンで、なおかつアーカイブ性に優れているメディアですから、
そこを舞台にして綴られていく無名の有志の手による記録や研究、あるいはつながりというものが、
もしかしたら今後、「歴史」「文化」「保存」などの点において、
とても重要な役割を果たすんじゃないかと期待しているのです。
(もちろん、僕もその一助になりたい)

※以下に僕がこれまで読んできたクマ、マタギ、アイヌ関連書籍でとても面白かったものを紹介します。



















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『国銅』 帚木蓬生 (新潮文庫)

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無数の命を吸い取った
「奈良の大仏」造立の物語


奈良の大仏さまの高さ(座高)は14.98メートル。
スカイツリーやヒルズを見慣れた目には、
造られた当時の人びとの感覚を想像するのは難しいですが、
それでもやはりいざ東大寺の大仏殿に入り大仏さまを目の前にすると、
「うおおお〜…」と圧倒されてしまいます。

大仏さまと大仏殿が完成し、開眼供養が行われたのは752年。
聖武天皇が大仏造立の詔を出したのが743年(建築が始まったのは745年)ですから、
工事は10年近くにも及んだことになります。
その間に動員されたのは、なんとのべ260万人。
まさに、当時の一大国家事業でした。


この、奈良の大仏造立をテーマに描いた小説が、
帚木蓬生(ははきぎほうせい)が書いた『国銅』(こくどう)です。
寝る間も惜しんでかじりつくように一気読みしました。
「読み終えるのがもったいない!」と感じたのは久しぶり。
つい最近読み終えたから印象が新鮮であるという点を差し引いても、
今年読んだ小説の中では一番かもしれません。

まず、舞台が奈良時代というところがマニアックというか、ニクイです。
日本人一般の歴史観って(特に根拠はないんですが)せいぜい平安時代くらいまでで、
奈良時代になると一気にボヤッとするところがないでしょうか。
感覚的にはほとんど「古代」というか、どこか外国の歴史を聞いているようにすら感じます。
そんなおとぎ話的な時代について、想像力の扉を開いてくれるという点を、
この作品の素晴らしさとしてまずは挙げなければならないでしょう。

とはいえ、戦国や幕末に比べれば圧倒的に少ないものの、
奈良時代について書かれた小説はこれまでにもありました。
しかし、その多くは皇族や貴族など、権力者の目線で語られたものでした。
『国銅』の面白いところは、主人公が権力者ではなく、
奈良の大仏造立に従事した名も無き人足(=現場作業者)であるという点です。

主人公の名は、国人(くにと)。
国人は物心ついたときから長門(現在の山口県)の銅山・奈良登りで、
一日に何度も重たい璞石(はく=銅の含まれた石)を背負って狭い坑道を行き来するという、
過酷な労働に従事していました。
大仏造立の詔が出され、全国有数の銅山である奈良登りでは、
大仏の表面を鋳造する銅を産出するため、何人もの人足が昼夜となく働いていたのです。
懸命に働く国人は、長ずるにつれ璞石から銅を精製する鍛冶場の仕事を覚え、
やがては奈良の都へ行き、大仏建造に直接従事する仕事に就くことになります。
物語は、国人の少年時代から、都へ行き大仏の完成を見届け、
やがて再び故郷の長門へ帰ってくる青年時代までのおよそ10年の歳月を描いています。

この小説には国人をはじめ、何人もの人足たちが登場します。
しかし、国人の兄・広国をはじめそのほとんどが、
過酷な仕事の中でケガをしたり病気をしたりして命を落としてしまいます。
前述のように、大仏造立に関わった人はのべ260万人といわれていますが、
果たしてそのうち何割が最後まで仕事を全うできたのかわかりません。
大仏は、まさにそうした無数の命を吸い取るようにして完成したといえます。
冒頭、「国家事業」と書きましたが、
それは時の最高権力者が直接号令を下したからというわけではなく、
国中から国人のような人々が集められ、
彼ら一人ひとりの人生の上に大仏が造られているという「重さ」にあります。

大仏は、木で骨組みを作りそれを土で塗り固めて形を整えた後、
それを「型」にして銅で鋳造されて完成します。
最終的には表面は金箔が塗られ、光り輝く黄金の仏像になるのですが、
しかし国人は、金の大仏よりも銅の大仏の方がいい、と語ります。
それは、自分や仲間たちの生きた証を、銅の放つ鈍い赤光の中にこそ感じたからでした。

国人は仕事は一切手を抜かず一生懸命働き、休みの日には病人のために薬草探しに奔走し、
読んでいて風に洗われるかのような見事な好青年なのですが、
何より彼のユニークなところは、奈良登り時代に僧・景信から「文字」を習ったことでした。
彼は独学で本を読み、都では詩を書くようになります。
仏の教えについて、都の生活について、仲間との別れについて、
国人は木の枝で砂に文字を書きながら、さまざまな感情を誰に読ませるでもなく詩に綴るのです。
その豊かな感受性は、過酷な労働の中で彼自身を大いに支えてくれることになります。
それ自体は余技、あるいは鑑賞物に過ぎない文化や芸術が、
生活者の心と呼応すると、現実に意味づけをし、
それまでとはまるで違う物の見方や価値観を宿してくれる。
この「芸術と現実」「アートと生活」ということについてさらりと、しかし明快かつ深く触れているところは、
奈良の大仏とはまるで関係のないテーマながらも、この小説の非常に重要な読みどころになっています。

国人はその豊かな感性で、大仏という存在に、その大仏を覆う銅の鈍色の光の中に、
亡くなっていった者たちの生きた証を見出したのです。
しかし同時に彼の胸に去来したのは、
命をまるで使い捨てるようにして造られたこの巨大な建造物に対する、やるかたない空しさでした。
その光と影の両方とを感じさせる哀しいラストを読み終えた瞬間、
『国銅』というタイトルの重みが、衝撃となって全身を震わせます。








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『オオカミの護符』 小倉美惠子 (新潮社)

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「小さな歴史」を
見つけに行こう


今年最初の記事は、本の紹介です。
タイトルは『オオカミの護符』。

つい1か月ほど前に読みました。
ですが、今もまだ豊かな余韻が胸の中に残っています。
「2012年に読んだ本の中で最も面白かった1冊は何か」と問われたら、
迷わず本書を挙げるでしょう。
そのくらいに圧倒された1冊です。
 
川崎市宮前区土橋を故郷に持つ著者が、実家で目にした1枚の護符。
そこには、古くから地元に住む住民たちが「オイヌさま」と呼ぶ、
犬のような姿をした不思議な生き物が描かれていました。

この「オイヌさま」は、一体何なのか?
疑問に感じた著者は取材を始めます。
すると、川崎から東京青梅の御嶽山神社へ、さらに秩父山系の奥地へ、
そして遂には関東一円に広がる「オオカミ信仰」へと、
話は思いもかけぬ方向へと話は広がっていきます。

ページをめくるたびに次から次へと現れる、未知の歴史の数々。
川崎という、ごくありふれたベッドタウンの中で、
こんなにも豊かな文化が受け継がれてきたという事実に、
僕はひたすら驚き、感動しました。

著者の小倉さんは冒頭で、
「かつての私は故郷のことを『恥ずかしい』と感じていた」と語っています。
小倉さんは昭和38年生まれ。
当時は50戸ほどの農村だった土橋は、
小倉さんが小学生に上がる頃からマンションや建売住宅が目立つようになり、
同級生にも「都会の子」が増えていきました。
きれいな服を着て都会の言葉を口にする同級生たちを見て、小学生だった小倉さんは、
茅葺屋根の家や野良仕事に精を出す家族が、急に恥ずかしいものに思えたそうです。

しかし小倉さんは、大人になるにつれて、
「故郷のことを何も知らないままではいけないんじゃないか」と考えるようになりました。
かつての土橋の暮らしについて語れる人はもう少ない。
その人たちがいなくなる前に、その人たちの話に触れて、
土橋という土地が元々持っていた歴史や文化を記録しなければいけない。
そして、それをやるのは他でもない、土橋に生まれた自分の役目なんじゃないか……。
そんな思いが、小倉さんを「オイヌさま」の謎へと駆り立てました。
本書の取材を通じて、小倉さんは「故郷の再発見」をしたのだと思います。

本書に書かれているのは、
土橋という、ごく一部の地域の人だけに受け継がれてきた歴史です。
教科書に載るような過去の事件や出来事を「大きな歴史」とするならば、
本書に書かれているのは「小さな歴史」と呼べるでしょう。
こうした「小さな歴史」は本来は、
地域の祭礼で上げられる祝詞を通じて、
あるいは農作業の合間に村のおじいさんやおばあさんが語る物語によって、
受け継がれてきました。

しかし戦後、日本全国で宅地化が進み、
長年受け継がれてきた田や畑は「不動産」という名で売買され、
それまでの地域のつながりや催事は急速になくなっていきました。
都市近郊には大量に人が流入したことで「地縁」が薄まり、
逆に地方は歴史を受け継ぐべき若年層がいなくなりました。
千年単位で蓄積されてきた各土地の「小さな歴史」は、
たった5〜60年の間で、急速に失われているのです。
※ちょうど1年前に話を聞いた、ある建設会社の社長さんの話を思い出しました。


ここで話はいきなり僕の個人的な体験になるのですが、
一昨年からランニングを始めたことで、
今まで見過ごしていた近所の「小さな歴史」を目にする機会が増えました。
いつも歩いている通りを1本奥に入ったところに、怪しい祠があった。
どうもこのあたりは坂が多いなと思ったら、実は昔ここに川が流れていた。などなど。

至って小規模な「発見」ですが、
こういうことに気付いたり、それを後から調べたりするのはけっこう楽しいものです。
些細なことですが、見慣れた風景が違って見えるというか、
自分の住んでいる街が急に身近に感じられます。

「大きな歴史」に比べれば、「小さな歴史」ははっきり言って地味です。
「歴女ブーム」なんてものがありますが、
戦国武将が建てた城や有名な史跡を訪ねる人はいても、
わざわざ地元の図書館に行って地域の歴史を調べようなんていう人(特に若い世代)は、
ほとんどいないと言っていいでしょう。

でも、それはものすごくもったいないことなんじゃないかと僕は思います。
変な例えかもしれませんが、
これは、有名シェフが作ったカレーと、母親が作ったカレーの違いに似ています。
一流洋食店のカレーは確かに美味しい。
母親が市販のルウで作るカレーなどでは、絶対に出せない味です。
でも、母親の作るカレーには、味という範疇では語れない「愛着」がある。
それは、自分だけにしか感じられない、オリジナルな気持ちです。

「大きな歴史」は、ある意味では「他人事」の世界です。
それに対して、「小さな歴史」を知ることは、
小倉さんがそのことで「故郷の再発見」を果たしたように、
「アイデンティティの獲得」につながるのです。
教養でもいい。単なる趣味でもかまわない。
でも、歴史を知ることって本当は、
もっともっと自分自身に関わることとして受け入れられるものなんじゃないか。
そんなことを示唆してくれた一冊でした。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

さて、『オオカミの護符』を読んだから、というわけでもないのですが、
これからは僕も「小さな歴史」を楽しもうと思います。

まずは足元の東京から。

東京に住んでもうすぐ10年も経つのに、
改めて地図を眺めてみると、
訪ねたことのない神社やお寺、史跡がたくさんあることに愕然とします。

僕は、まだ10歳になるかならないかの頃に、
小学館から出てた『漫画日本の歴史』を読んで以来、
ずっと歴史が好きでした。
実家が鎌倉に近かったので、しょっちゅう江ノ電に乗って行っては、
「若宮幕府跡」とか「大江広元の墓」なんていう、
観光客は見向きもしないようなマニアックな史跡を写真に撮って喜んでました。
当時通ってた塾の先生にもらった縄文土器の欠片は、未だに持ってます。

当時の情熱にもう一度火をつけて、
ちょっと今年から本腰入れて東京のいろんな史跡を回ろうかなと思います。
実際に行ったらブログでも紹介しますね。
なので、ブログのタイトルも変えました。
幸いしばらく劇団もお休みだし、
僕は「歴史散歩」を新たなライフワークにします!






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2010年4月の5冊

4月はいつにも増して吉村昭をやたら読んだ一ヶ月でした。


『桜田門外ノ変』 吉村昭 (新潮文庫)

 この小説は今年、大沢たかお主演で映画化されるそうです。吉村作品の映画化は珍しいと思い、予習のために読んでみた。
 桜田門外のテロがどのようにして起きたのか。その経緯を事件の3年前から描く、上下巻の長い作品。事件の前段、前々段を描く前半は正直ちょっと退屈。だが前水戸藩主の徳川斉昭が井伊直弼の手によって失脚させられ、藩の有力者たちも次々と粛清され、いよいよこれは井伊を斬るしかないと水戸藩士たちが追い詰められていく中盤以降、一気に面白くなる。
 とても興味深かったのは、事件に加わった者たちのその後が描かれていたことである。当然、幕府の大老を白昼堂々斬ったのだから彼らは天下の重罪人であり、逃亡生活を余儀なくされる。ある意味事件そのものよりも、その後の方が緊迫している。幕府の追捕の輪に徐々に囲い込まれながら、皆次々と理念に殉じて散っていく様は泣ける。


『雪の花』 吉村昭 (新潮文庫)
 
 日本で最初に天然痘治療に取り組んだ医者、笠原良策の物語。
 時代は江戸時代後期。当時の日本には天然痘の治療法はなく、一度流行すると医者はなす術がなかった。福井藩医の良策はある日、西洋には天然痘にかかった牛の膿を人の皮膚に埋め込むことで天然痘を予防する方法があることを耳にする。漢方医だった良策は一大決意をして蘭方医学を学び、牛痘苗の確保に奔走する。
 動物の身体の一部を植え込むことに激しい恐怖心を抱く庶民。怠惰な藩の役人たち。そういった周囲の無理解に負けることなく、私財を投げ打ってまで天然痘と戦う良策の姿にひたすら感動する。そして、文句を言うどころか「誇り高い夫を持って幸せ」と精一杯彼を支える妻にも感動。日本人の「公」という精神性を見ることのできる、とても爽快な一冊。


『冬の鷹』 吉村昭 (新潮文庫)

 日本で初めての翻訳解剖書『解体新書』を訳述した前野良沢の物語。
 同書の訳者として広く知られるのは杉田玄白の方だが、実際に中心となって翻訳作業を進めたのは良沢の方らしい。玄白はあくまで訳文を整理したり、スケジュールを管理したりといった裏方作業を担当していた。
 それがなぜ今日、玄白の名ばかりが知られるようになったかというと、『解体新書』を出版する際に、良沢は自分の名前を載せないように玄白に言ったからだった。翻訳は決して完璧なものではなく、意味を類推しながら意訳をした部分も多々あり、そのような半端な状態で世に出すことに良沢は反対だったのである。
 学究肌で頑固で、どこまでもストイックな男、良沢。結局、語学者として評価される機会を自ら捨てた彼は、『解体新書』出版後も狭い部屋で蝋燭一本を灯しながら黙々と訳述に没頭し、人嫌いな性格もあり、孤独な余生を送ることになる。
 一方の玄白は元来の社交家で、『解体新書』出版により名声を得たことで家族、弟子、富に恵まれた幸福な老年生活を過ごす(当時の玄白の年収なんかが記されていておもしろい)。非常に対照的な2人だが、やはり男として惚れるのは良沢の方だろう。信念を曲げず、自らが決めた道をただひたすらまっすぐ進む姿にグッとくる。


『夜明けの雷鳴』 吉村昭 (文春文庫)

 こちらも前野良沢に負けず劣らず、信念に生きた男の物語。
 医師、高松凌雲。江戸末期にパリに留学した彼は、当時の世界最先端の医療を学ぶと同時に、貧民のための無償病院の存在を知り感銘を受ける。幕府瓦解後に帰国した彼は、旧幕臣榎本武揚とともに函館へ軍医として従軍するも、戦場では敵味方の区別なく治療にあたった。
 明治になり、彼はパリ留学以来の夢であった、貧民病院の開設に奔走する。渋沢栄一や福地源一郎、松本順(良順)といった当時の名士たちの協力を得て、明治14年、ついに日本初の民間救護団体、同愛社を設立する。
 「医者は患者を区別しない」と言って敵方の兵士であっても丁寧に治療を施したり、逆にたとえ肉親であっても特別扱いをしなかったり、病院が戦火に巻き込まれるのを避けるために敵の士官と交渉したりと、この凌雲という男はどこまでも信念と正義を通すひたすら強い男である。また、良い条件の仕事を断ってまで旧主徳川慶喜の匙医を勤めるという、義に熱い部分も持ち合わせている。
 『雪の花』、『冬の鷹』、そしてこの『夜明けの雷鳴』。この3冊を読めば間違いなく感動でお腹一杯になります。


『1Q84 Book3』 村上春樹 (新潮社)

 今月、吉村昭以外に読んだのはこれだけ。でもこれだけで充分である。
 小説を読むことにこれほどドキドキしたのはいつぶりだろう、と思う。ほぼ1年を置いての続編刊行。当初は村上春樹の意図がわからなかったし、事実読み終わった今も突っ込みたいところがないではないのだが、ただこのBook3を読み終わってみて、確かに“たどり着いた”という感じはある。村上作品はいつも「どこに連れて行かれるのだろう」というドキドキ(決してワクワクではない)があり、この独特の緊張感はなかなか他の小説では味わえない。
 今回の『1Q84』は、これまで以上に現実に寄り添った、現在の社会にコミットした作品であるように思った。それは、例えばオウム真理教を彷彿とさせる新興宗教団体が出てくるとかそういう表層的ことではなく、物語が常に「現実」を着地点に見据え、これまで以上に「How To Live?」を語ろうとしているからである。天吾くんも青豆さんも生を渇望しているし、物語は彼らに試練を与え、現実を生き抜くための知恵を授けようとしている。だから、ラストに“たどり着いた”といっても、そこから見える地平は生々しく、カタルシスは重い。
 これを機に、過去の村上春樹の長編を読み返すことにした。まだ『1973年のピンボール』。先は長い。

『アメリカ彦蔵』 吉村昭 (新潮文庫)

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日米間を漂流し続けた
一人の男の数奇な運命


 先週の土曜日、バンクーバー五輪の開会式を見た。夏季冬季の区別なく僕はオリンピックが好きなので、いつもわりと熱心にテレビを観る。スポーツが好きというよりも、あの巨大なイベント感に魅かれるのだと思う。だから開会式と閉会式は録画してでも欠かさずに観る。特に好きなのは各国選手の入場の場面で、髪の色も肌の色も違う人たちが続々と登場する様は、まるで世界そのものが一ヶ所にギュッと集まってきたように感じられて、否が応にも興奮する。

 それと同時に、世界には色んな国があるのだなあと改めて実感する。名前だけしか知らない国、名前も知らない国が出てくるたびに、地図帳を取り出して調べてみるのが楽しい。特に冬季の場合、それが砂漠の国だったり熱帯諸島の国だったりすると、選手がスタジアムを行進しているだけで強烈なドラマを感じる。

 だがその一方で、国名の書かれたプラカードを何枚も見ていると、国別というこの括り方には果たしてどれほどの意味があるのだろう、とも思う。トラックを行進しているのは選手という個人なわけで、国家が行進しているわけではない。フィギュアの川口悠子のように国籍を変えて出場している選手もたくさんいる。

 北京大会に続いて今回も韓国と北朝鮮の選手は別々に入場した。04年アテネ、06年ソルトレイクと、南北融和政策の進展にともなって両国の選手は合同行進で入場を果たしていたが、その後両国の関係は冷え込み、08年北京からは再び別々での入場に戻った。バンクーバーに出場する韓国、あるいは北朝鮮選手のなかには、当然ながら4年前に互いに手をつないで行進した経験を持つ人間もいるはずであり、それが外交問題がこじれたというだけで“他人”になるというのは、なんだか妙に白々しい。日本という海に隔てられた島国に住んでいるからそう感じるのだろうか。個人と国家との間にある結びつきに必然性というものがあるのだろうかと思う。

 かつて日本の幕末期に、横浜のアメリカ領事館に通訳として勤務していた「ジョセフ・ヒコ」という人物がいた。彼はアメリカに帰化した日本人だった。

 彼は播磨国(現在の兵庫県)に生まれた水夫で、名を彦蔵といった。13歳の時、乗り込んでいた船が大時化に遭い難破する。2ヶ月間太平洋を漂流した後、彼はアメリカの商船に救助され、サンフランシスコに行く。

 当時、鎖国下にあった日本では、一度でも外国に足を踏み入れた人間は、たとえ漂流民といえども重罪に処せられる恐れがあった。そのため彦蔵はすぐには帰国せずアメリカに滞在する。その間、彼は本格的な英語の教育を受け、カトリックの洗礼を受ける。ジョセフ・ヒコ、というのはその際の洗礼名だ。

 やがて、日米修好通商条約が締結され日本は開国し、帰国の道が開ける。だが、彦蔵はカトリックの洗礼を受けてしまっているため、キリシタン禁制を布く日本にそのまま帰国することはできない。そこで彼はアメリカに帰化することを決める。法的にアメリカ人となれば、キリシタンの身であっても問題なく日本に上陸できるからだ。そうしてようやく彼は日本への帰国を果たす。実に9年ぶりの日本だった。

 だが、ここからが彼の苦難の始まりだった。当時の日本では攘夷思想の嵐が吹き荒れており、過激派によって外国人が殺傷される事件が相次いでいた。彦蔵も狙われる。日本人でありながら洋服を着て英語を話す彦蔵は、攘夷志士たちの目には売国奴としか映らなかったのである。身の危険を感じた彼は、やむなくアメリカに戻ることにする。

 しかし、彦蔵が日本に駐在している間にアメリカ本国では南北戦争が勃発し、世情は不安定であった。「やはり自分の故郷は日本しかない」と思いなおし、彼は再度日本に渡る。

 ・・・という、彦蔵の波乱づくめの生涯を描いた小説が『アメリカ彦蔵』である。実は物語はこの後もまだまだ続くのだが、とにかく彦蔵が哀れでならない。日本への帰国を断念してキリシタンとなり、しかし時勢の変化により運よく日本の土を踏めたものの、同じ日本人から命を狙われる憂き目に遭い、やむなくアメリカに戻ったものの南北戦争の影響で再び日本へ赴くことになる。漂流という数奇な運命を辿ってしまったがために、彼は故郷というものを失ってしまったのだ。日本人であり、アメリカ人であり、けれどどちらの国にも安住の地は得られない。まるで彦蔵の人生そのものが長大な漂流行のようである。

 この本を読んでいると、国家という存在の曖昧さと不可思議さについて考えざるをえない。物語のなかで印象的だったのは、彦蔵が出会うアメリカ人たちである。彼らは皆一様に情が深く、彦蔵に対して親身になり、援助を惜しまない。彦蔵自身も彼らと過ごす時間に心の平穏を見出す。そこには国家という枠はなく、あくまで信頼し合う個人と個人の交流があるだけだ。しかし、期せずして両国の言語と文化に習熟したという特異な立場が、否応なく彦蔵に日本、あるいはアメリカという国家を背負わせてしまう。

 彼は結局アメリカに戻ったのか、それとも日本に留まったのか、その後どういう人生を歩んだのかは、是非本を読み、自分の目で確かめていただきたい。

『空海の風景』 司馬遼太郎 (中公文庫)

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縦横無尽の文体で
「空海」の実像に迫る


 ずいぶん前に空海直筆の書、というものを見たことがある。たしか『風信帖』だった。空海といえば嵯峨天皇、橘逸勢と並んで三筆の一人に列せられているだけに、その筆跡を目の当たりにしたときは、「これが!」と興奮したのを覚えている。だが今振り返ってみれば、その興奮は結局「史上有名な人物の生きた痕跡を見た」という、単なる体験としてのショックでしかなく、あのとき僕のなかに空海に関する知識なり興味なりがあれば、もっと深く眺めることができただろうにと悔やまれる。

 空海。彼について知ることといえば、遣唐使で唐に渡ったこと、そこで密教を学んで日本に持ち帰り真言宗を開いたこと、高野山、東寺、『性霊集』・・・その程度だ。要は学校で習う、通り一遍の知識しかないわけである。

 彼はかなり多筆の人だったらしく、同時代の人物と比べると史料は残っている方なのだが、その大部分は仕事(仏教)に関するものであり、空海が人としてどういう風合いの人物だったのかを知るには限りがあるようだ。個人的な書簡などが多数書かれた形跡はあるが、書簡そのものは1千年の間に紛失したり、焼失したりしている。残した仕事量の大きさに対して、当人の人生について知るところがあまりに少ないという点では、空海ほど謎に満ちた人物はいないかもしれない。

 史料に限りがあるとすれば、あとは想像力で埋めるしかない。つまり小説の出番である。空海を描いた小説は決して多くはないのだが、あることはある。その筆頭に挙げられるのが、司馬遼太郎の『空海の風景』だ。

 もっとも、この本は一般的な意味での「小説」というカテゴリーには含まれない。なぜなら1本のストーリーとしては成立していないからだ。

 空海の人生には空白の期間が多い。どの史料からも彼の姿が忽然と消えてしまった時期というものが、あちこちに存在する。空海の人生をストーリーとして、伝記的に描くには自ずと空想に頼る部分が増えることになるが、それでは空海の実像から離れた、ただの「フィクション」になってしまう。そう考えた司馬は、「半小説・半エッセイ」のようなハイブリッドな文体で空海を追うことにした。

 例えば文中、空海の台詞を「」で記す小説的部分もあれば、当時の国際情勢の解説や司馬自身の探訪記が続くこともある。「以下の部分は空想である」などと断ってから小説風に場面を描くことさえある。内容よりもまず、その開き直った文体が読んでいて面白い。

 以前、『翔ぶが如く』を紹介した際に、司馬作品は全て“紀行文”である、と書いたが、この『空海の風景』における縦横無尽の語り口は、その最たるものである。この本は空海を描いた小説というよりも、「空海」という名の長大な旅程を、時に地を歩き、時に空から見下ろすようにして描いた紀行文なのである。

 それにしても、「宗教」というのはよくわからない!

 「人間は地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、そして天上という六趣の世界を輪廻する」とか、「弥勒は釈迦の没後56億7,000万年後に地上に生まれ出る仏のことで、そのときに弥勒が救う人類の数は、第1回に96億人、第2回に94億人、第3回に92億人である」などと、お経にはこの世界のあらあしについて事細かに書かれているわけだけれど、それは信心の足りない僕などからすると、単なる一編の“物語”としか思えないのである。

 「弥勒」とか「菩薩」とか、「欲界」とか「兜率天」とか、そういうキーワードは知識としては理解できる。だが、それらが「ガンダム」とか「ヱヴァンゲリヲン」とか、「宇宙世紀」とか「第三新東京市」などという言葉とどう本質的に異なるかがわからない。つまり宗教というものに対して、「壮大なフィクションと、それを真実として信じる人たち」という以上の理解が、今のところ僕にはできないのである。

 だがもちろんのこと、それは僕の見方が浅いせいなのだろう。どの宗教にも長い歴史があるわけで、歴史があるということは何がしかのリアリティを人々に与えてきたわけで、決してバーチャルなものではないはずだ。『空海の風景』を読んで一番に感じたのは、自分の理解が追いつかないことへの苛立ちである。今年はちょっと腰を据えて、宗教について学んでみようかなと思った。

遠藤周作 『王国への道』(新潮文庫)

万里の波濤の果てに
「王国」を手にしようとした男


 よほど日本史が好きな人か、あるいは大学受験などで集中的に日本史を勉強した人でなければ、山田長政の名前すら聞いたことがないだろう。17世紀初頭、単身アユタヤに密航し、そこで日本人町の頭領となり、さらにはリゴール地方の太守となった人物である。その山田長政が、この『王国への道』の主人公である。

 時代は江戸幕府が成立して間もない頃のこと。戦乱の世は終わりを告げ、身分秩序と幕藩体制という、全国的な社会基盤が徐々に出来上がり始める。だが、社会の安定化は、足軽などの下級武士にとっては立身出世の機会を失うことを意味していた。戦がなければ手柄を立てることもできない。「一国一城の主」など夢のまた夢である。百姓になるか職人になるか、いずれにせよ小規模な人生のまま一生を終えるしかなくなるのだ。

 藤蔵(後の長政)はそんな日本に見切りをつけて、一か八か、外国で一旗挙げようと決意する。彼は江戸幕府による切支丹禁制により国外に追放される切支丹信者に混じって、密出国をするのである。

 マカオを経て、さらに船旅を重ねて藤蔵がたどり着いたのはアユタヤ(現在のタイに栄えていた王朝国家)だった。当時アユタヤには、主君を失い流浪してきた戦国武士などを中心に日本人町が形成されており、隣国ビルマとの戦争の折になど、日本人は傭兵としてアユタヤ王朝に出仕していたのである。藤蔵は持ち前の機転と胆力を武器に、徐々に頭角を表し始める。


 まず「山田長政」という、神秘的なベールに包まれた人物の半生が描かれているという時点で、日本史好きにはたまらない。長政についてはほとんど資料が残されていないそうだが、それもそのはずで、アユタヤなんていう国が世界にあるなどということを、当時の日本人のほとんどは知らなかった。だからこそ、山田長政という人物のスケールのでかさに圧倒される。現代の日本人が外国で起業する、なんていうのとは訳が違う。

 前半は、長政が野望の赴くままにアユタヤで着実に権力を得ていく様子が描かれる。その姿は、「ビッグになる」という、日本の侍にとって永遠の、そしてもはや失われてしまった夢を、単身外国で追い求めているかのようでロマンを感じる。

 アユタヤ王朝は、権力にすがる者たちが張り巡らす讒言虚言の罠だらけ。ちょっと可笑しくなってしまうくらいに、胆に一物を抱えた“悪い奴”がたくさん登場する。そのなかで、自身も策謀の限りを尽くして、日本人傭兵軍団の長となった長政だったが、やがてそういった権力の争いに空しさを覚え始める。そこから、この物語のテーマが徐々に見え始めるのである。

 実は『王国の道』にはもう一人の主人公とも言うべき人物がいる。日本を追われた日本人の切支丹信者、ペドロ岐部である。岐部と藤蔵は、国外退去(藤蔵にとっては密出国)の際に、同じ船に乗り合わせた仲だった。岐部は日本国内に残った信者を救うため、捕縛され極刑に処せられるのも厭わぬ覚悟で、日本への帰国を果たすのである。

 長政が夢描いた、富と力に満ちた「地上の王国」と、岐部が追い求めた、神に殉じる「天上の王国」。この二つの王国の対比が物語のテーマをあぶり出す。


※次回更新は8月10日(月)予定です

『シベリア追跡』 椎名誠 (集英社文庫)

tsuiseki
大黒屋光太夫が辿った道を追跡する
『おろしや国酔夢譚』サブテキスト


 前回『おろしや国酔夢譚』のことを書いたのだけれど、そもそも大黒屋光太夫という人物に興味をもったきっかけは、以前紹介した椎名誠の『蚊學ノ書』だった。

 この本のなかに、シベリアの蚊の話が出てくる。シベリアは冬は一面雪と氷で閉ざされているが、夏になり氷が解けると想像を絶するほどの夥しい蚊が発生する。馬に乗ってタイガと呼ばれる針葉樹林帯を進んでいたら、時に馬も人も霞んで見えなくなるほどの蚊に襲われた、なんていう記述があった。

 実はこのとき、椎名はあるテレビ番組の取材でシベリアを訪れていたのである。これはTBSが企画した『シベリア大紀行』というドキュメンタリーで、『おろしや国酔夢譚』に沿って大黒屋光太夫が漂流した足跡を実際に追ってみる、という内容のもの。飛行機も列車も使わず、わざわざ馬に乗ってタイガに分け入ったのは、当時の移動手段を再現していたからである。

 『蚊學ノ書』を読み終えた後、僕は試しにYouTubeで調べてみた。そしたらなんとこの『シベリア大紀行』が丸々アップロードされていたのである。早速視聴したのだが、これは二部構成総尺4時間超という超大型番組で、全て観るのに2日を要した。

 番組は椎名誠がレポーターになり、アムチトカ島から始まって、カムチャッカ、オホーツク、と本当に一歩一歩光太夫たちが歩いた道と同じルートを辿るという、シンプル且つストレートなドキュメンタリーだった。

 北半球最極寒地域といわれる真冬のヤクーツクの映像は本当に圧巻で、マイナス50度とか60度とかの空気すら凍ってしまう世界で暮らしている人々や動物の姿というものには、粛然とした美しさを感じた。そして、車もエアコンもない200年前に、そのような厳しい世界を踏破した大黒屋光太夫という人物に、僕は猛烈に興味を持ったのである。

 今回紹介する『シベリア追跡』は、椎名誠が番組の取材を通してつぶさに見てきたシベリアの大自然や大黒屋光太夫への思いなどを綴ったエッセイである。番組は『おろしや国酔夢譚』のいわばサブテキストとしての内容を持っているが、この『シベリア追跡』はさらにその番組のサブテキストといった感覚のものだ。つまりサブテキストのサブテキストである。

 番組『シベリア大紀行』はとても古い。放映は1985年である。つまり椎名たちが取材したのはロシアではなく旧ソ連の時代なのである。光太夫が訪れたペテルブルグも、旧ソ連時代の名称「レニングラード」と紹介されているのだ。そのためこの番組は、光太夫の冒険の追跡行という以外に、かつての共産国の街や村や人々の様子を映した記録映像としても観ることができる。

 エッセイ『シベリア追跡』では、番組では放映されなかった旧ソ連独特の出来事、例えば恐ろしくサービスの悪いレストランのことや、取材時に必ず同行し「あれを撮ってはいけない」「ここから先は入ってはいけない」と何かと神経質なKGBのことなどが面白おかしく書かれている。

 今となってはどれもほのぼのと笑ってしまうようなエピソードだが、けれどたかだか20年前のことなんだよなあと思うと、旧ソ連の解体から近年の目覚しい経済的政治的発展に至るこの国のダイナミックな底力に唸ってしまう。

 このときに椎名自身が撮った写真とそのキャプションをまとめた『零下59度の旅』という本がまた別に刊行されていて(つまりサブテキストのサブテキストのサブテキスト)、こちらはシベリアに暮らす人々の日常の風景だけを収めた、とても人情味溢れるフォトエッセイとなっている。椎名誠の旅行記はいつも、その土地に暮らす人々へのユーモア溢れる愛情に満ちていて、読むと自分もその人たちに会いたくなる。


85年制作『シベリア大紀行』。長いけど面白いです

『おろしや国酔夢譚』 井上靖 (徳間文庫)

oroshiya
電車も車もない時代
シベリアを横断した日本人がいた


 「おろしやこくすいむたん」と読む。発音するときには、「おろしやこく」と「すいむたん」で呼吸を分けて読むのが正しい。「おろしや国」とはつまりロシアのことである。

 この本の主人公は、江戸時代後期の船頭、大黒屋光太夫とその仲間たち。実在の人物である。1782年、彼らは船で江戸へ向かう途中に遭難し、そのまま流されてアリューシャン列島へと流れ着き、その後ロシアを延々と漂泊することになる。『おろしや国酔夢譚』は、そんな光太夫たちの数奇な運命と壮大な冒険を描いた物語だ。

 彼らがどういう足どりを辿ったかを書いてみる。大黒屋光太夫以下17人の船乗りを乗せた海上輸送船、神昌丸が伊勢の白子(今の三重県)を出港したのが前述の通り1782年。だがほどなく嵐に見舞われ、舵を折られた神昌丸は漂流する。漂流生活は8ヶ月間。この間に水夫1人が死ぬ。

 8ヶ月後、潮に乗るままに船が辿り着いたのはアリューシャン列島に浮かぶアムチトカ島。光太夫たちは荒涼としたこの北の最果ての島で、4年もの歳月を過ごす。この間、7人もの仲間が飢えと病で死ぬ。残された9人は、流木を材料になんと自分たちの手で船を作って島を脱出する。

 ここからが長い。アムチトカを離れた彼らはカムチャッカ半島のニジネカムチャツクに上陸する。ここにはロシア政府の出先機関があった。日本の方角すら定かではない光太夫たちは、ロシア政府に日本送還用の船を出してもらえるよう、援助を求めるしかなかったのだ。

 だが、固陋な官僚組織に阻まれて彼らの願いは一向に聞き届けられない。このニジネカムチャツクで、さらに3人が死んでしまう。待っていても埒があかないと考えた光太夫一行は、より強い決定権を持つ政府高官に訴えるべく、ロシア内陸への旅を決意する。

 カムチャッカから海を渡りオホーツクへ、そしてヤクーツク、イルクーツクと、極寒のシベリア内陸部を彼らは進んだ。「極寒」と簡単に書いたが、冬の最低気温が零下70度なんていう、地球上でもっともすさまじい土地を、馬とそりで何ヶ月も旅するのである。文字通り死を覚悟した旅である。

 一行は決死の旅程を経てイルクーツクの総督府へ訴え出たものの、依然として事態は進展しない。光太夫は、一縷の望みを賭けて、時の女帝エカチェリーナ2世に帰国の願いを直訴しようと、帝都ペテルブルグにまで足を延ばすのだった。ペテルブルグはバルト海にほど近い、地図で言えばほぼヨーロッパといっていい西の果ての都だ。つまり光太夫は、馬とそりと徒歩だけでシベリア大陸を横断したことになる。
 

 その後光太夫がどうなったのかは、是非小説を読んで確かめてもらいたい。ただとにかく強調したいのは、これがファンタジーではなく事実であるということだ。

 彼が辿った道のりはおよそ4万キロ。地球一周分である。距離というものは交通手段の速度と快適さによってその認識が変わるものだ。飛行機も列車もない200年前に身体一つでシベリアを横断したという事実は、到底現代のスケールで計ることはできない。さらにロシア語を難なく話せるまでに習得した知性、最高権力者との謁見にまで漕ぎつける胆力、そして何度も挫折しそうになりながらも希望を捨てなかった意志と勇気。光太夫の姿からは過酷な運命に負けない人間の力強さというものを、殴られたような衝撃でもって感じさせられる。

 この『おろしや国酔夢譚』は1992年に映画化されている。ちなみに上の画像はそのDVDの表紙。ストーリーは大幅に省略され、またキャラクターもデフォルメされているが、少しも面白さは損なわれていない。緒形拳演じる知的で清廉な大黒屋光太夫は、原作のイメージ以上である。

『翔ぶが如く』 司馬遼太郎 (文春文庫)

tobugagotoku
近代日本の黎明期に何が起きたか
リアリズムで「カタルシスの後」を描いた大作


 久しぶりに本の紹介を。

 「好きな作家は誰?」と聞かれたら、僕は迷うことなく司馬遼太郎、と答える。彼の小説さえあれば一生過ごせるんじゃないか、と思ってしまうほどに僕は彼のことが好き。もうどう言っていいかわからないくらい超愛してる。

 司馬作品の特徴の一つは、小説なのに途中で何の前触れもなく、“筆者は〜”といった具合に司馬自身が登場するという、なんとも自由奔放な作風である。

 彼の書く小説は三人称で書かれているように装って、実は生身の司馬遼太郎自身が物語の語り手を担っている。信長も竜馬も土方歳三も、まるでついさっきまで当人と酒を酌み交わしてきたかのような親密さと気さくさをもって、司馬は歴史上の人物を語る。誤解を恐れず言えば、司馬遼太郎の作品は小説ではなく、紀行文なのだ。

 だから司馬作品を好きか嫌いかの分かれ目は、文体とかモチーフとかの問題ではなく、彼の人格そのものを受け入れられるかどうかの違いだと思う。

 今回紹介する『翔ぶが如く』は、西郷隆盛と大久保利通の2人を中心に、明治維新から西南戦争に至るまでの10年間を描いた作品だ。司馬遼太郎の代表作の一つとして数えられる本作は、彼の作品の中でもっとも長く、そしてまた、もっとも紀行文的、記録文的な小説である。その理由は、描いた時代に由るところが大きい。

 明治維新という革命によって日本は俄かに近代国家となった。だがその実態は、充分な国家歳入がなく、政府の機能も勢威もままならない、かなり不安定な船出だった。大久保利通は強烈なイニシアチブを発揮し、政府主導による国家経営に乗り出すが、在野には特権を奪われたかつての武士たちの不満が渦巻いていた。西郷隆盛はその不満を征韓論という形で吸収しようとするが、大久保との政争に敗れ、故郷鹿児島へ帰る。だが西郷の下野は、はけ口を失った全国の武士の不満を引き寄せることになり、明治10年、鹿児島士族を中心とした反政府勢力は西郷を首領に担ぎ上げ、西南戦争という凄惨な内戦に突入する。

 明治最初の10年は騒擾と混乱に満ちた時代だった。エネルギッシュではあるがカオスであり、そして暗さが漂う。そういった時代を題材に選んだ司馬の苦闘が、文庫本全10巻という長さと、物語というよりもドキュメンタリーに近い筆致として表れたのではないだろうか。

 時代の混迷を示すかのように、物語もあちこちへと数限りない寄り道をしながら進むこととなる。例えば、征韓論に関する記述や、台湾出兵とその後の清との交渉に関する記録的描写は膨大だ。また、第三の主人公ともいうべき宮崎八郎のエピソード、とりわけ中江兆民との交流を基に当時の民権運動を描くくだりは丸々1巻以上が費やされている。その後も萩の乱、秋月の乱、神風連の乱といった西南戦争の前哨戦にも紙面が割かれており、西郷が挙兵していよいよクライマックス、というところまでは、読むのにかなりの根気を要する。

 明治維新は近世を壊し近代をこじ開けた日本史上の革命であり、そして革命とは歴史を物語として読み直すうえでは強いカタルシスを持つ、いわばラストシーンを飾るに相応しい瞬間である。『竜馬がゆく』も『峠』も『花神』も、読後に爽快感が感じられるのは明治維新以降が物語に含まれていないからだ。

 だが僕らは、明治以降の日本がどういった歴史を辿ってきたかを知っている。雄藩連合による俄か普請で作られた新政府は、基盤の弱さを埋めるべく天皇という古代権威を持ち出したことで、大日本帝国憲法に「統帥権」の一語を加えてしまい、結果それが昭和になって陸軍の暴走を合法化させる口実となった。日清・日露の勝利は日本の近代化が諸外国と比肩するまでに至ったことを証明したが、同時に帝国主義を固陋化させ、大正、昭和と時代が進むにつれて、逆に近代的な合理精神を衰退させることになった。明治初期を描くことは、とりもなおさず現代日本がその出発点において何を為してきたかを再定位することである。

 司馬遼太郎の創作の原点は、敗戦時に感じた無力感にあるという。なぜ日本はこんな愚かな国に成り果ててしまったのか、司馬文学には彼が若き日に感じたこの疑問が通底している。彼にとって歴史とはロマンの対象ではなく、徹底したリアリズムで観察すべきものだった。独自の紀行文的文体は、そういった動機から生まれたものでもあったのだろう。

 司馬作品を歴史の流れに沿って置いてみると、もっとも現代に近い時代を描いたのがこの『翔ぶが如く』と、さらにその数年後が舞台となる『坂の上の雲』だ。近代日本がその後に歩んだ道を示唆するかのように長く重たい両作品は、現代に生きる僕らの喉元に突きつけられたナイフである。この2月で司馬遼太郎が亡くなってから13年になったが、彼の作品は僕たちや、さらにもっと後の世代にとって、貴重な財産であると思う。
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