週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

■劇団のこと

しばらく不定期更新になります。

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できるだけ高い場所にのぼって
そこからジャンプする


 タイトルのとおりなのですが、本ブログはしばらくのあいだ、更新が不定期になります。

 理由は、劇団です。2015年以来お休みをしていたtheatre project BRIDGEですが、次の公演に向けて準備を始めることにしました。まだ長い長い道のりの入口に立ったばかりで、もしかしたら途中で「やーめた!」となる可能性も十分あるのですが、とりあえずしばらくは劇団のほうに集中したいと思います。

 これまでにも何度か劇団の活動が理由でブログの更新が滞ったことがありました。たかがブログなのですが、台本を書いたり、稽古を始めたりすると、どうしても気持ちが「ブログを更新しよう」という方向に向かなくなってしまうのです。今回もおそらく同じ結果になるので、あらかじめお知らせしておくことにしました。

 これからですが、僕がまずやらなきゃいけないのは、台本を作ることです。僕の場合、1本の芝居(2時間程度)の台本を書くのに、準備も含めてだいたい半年近くかかります。次の作品は、いつもとは少し違う作り方をする予定なので、もっと時間がかかるかもしれません。

 台本が無事に書き終ったら次は稽古です。なにせ5年ぶりの公演なので、ブランクを考慮して今回は最低でも半年間は稽古をすると思います。その他もろもろの準備なんかを考慮すると、完成までに少なくとも1年はかかる見込み。1年後どころか1か月先の生活さえ読めないサラリーマン&子育て真っ盛り集団が、本当に劇場までたどりつけるのか、ぶっちゃけ自信は半分もありません

 ただ、それはそれとして、物語に取り掛かろうとする瞬間というのは、何度経験してもわくわくします。

 作家の高橋源一郎が「小説は1文字目を書き始めようと机の前に向かった瞬間が一番楽しい」というようなことを、以前Twitterで呟いていたことがありました。宇宙を旅することも、太古の時代にタイムスリップすることもできるし、底抜けのお人好しだろうが極悪人だろうが、どんな人にだって会いに行ける。白紙の原稿用紙を前にした究極の自由さに興奮する気持ちは、僕にもわかります。

 一方で僕は、1文字でも書いてしまえば、その瞬間に物語を作るという行為は、不自由との戦いになるようにも感じています。最初に「晴れた日」と書いたとすれば、それは雨や曇りの天気から物語を始める可能性を捨てるという風に言い換えられます。一度ビッグバンが起きてしまえば、世界は物理法則にしたがって粛然と形を固めていくしかないように、物語も最初の1行、最初の1文字によって運命は決まってしまうのです。

 書けば書くほど目減りしていく「自由」というものを、いかに最後まで多くとっておけるかが、面白い物語を作ることの肝なんじゃないかとさえ思います。一度飛び立ってしまえば風や重力に従って飛ぶしかないハングライダーが、できるだけ遠くまで飛ぼうと思ったら、少しでも高いところまで移動して、そこからジャンプするしかありません。だとしたら僕も、「自由」がある今のうちにたくさん夢を膨らませておいて、その力でめいっぱい高い場所からジャンプしてみようと思います。

 ということで、(ものすごく)うまくいけば、2020年の暮れあたりに劇場でお会いできるかもしれません




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劇団からのお知らせ〜2018年公演できません〜

一度でも演劇を「作る側」を体験すると
「見る側」には戻ってこれない


 前回、日本の小劇場のガラパゴス的悪習と、それを自明のものとしている不毛さについて書きました。書きましたが、実は同時にこうも思っていました。僕が書いた批判なんて、おそらくほとんどの小劇場関係者が十分すぎるくらいに分かっているはずだと。分かったうえで、それでも彼らは芝居をやっているんじゃないかと。

 では、自分の人生を食いつぶされながら、芽が出ない可能性の方が圧倒的に高いことを分かったうえで(小劇場の舞台俳優にとって“ゴール”はどこかというのもまたディープな問題です)、それでもなお彼や彼女が演劇を続けるのはなぜなのでしょうか。そこまでしても「やりたい」と思わせる芝居の魅力とは、いったい何なのでしょうか

 このことを考えるときにいつも思い出すのは、大学にもロクに行かず芝居ばっかりやってる僕に対して、高校時代の先生がしみじみといった一言です。「芝居っていうのは、一度『作る側』を体験しちゃうと『見る側』には戻ってこれないんだよなあ」。もう15年以上前に言われた言葉ですが、今改めて思い出してみると、演劇の魔力というものを端的に表しているなあという納得感があります。

 ただ見ているよりも、参加する方が楽しい。これってつまりは「祭り」と同じです。実際、演劇はかつては神々との交信を目的とした儀礼の一種だった時代がありますが、そうした歴史をわざわざ紐解かなくても、本番に向けて募る高揚感やそこで生まれる仲間との一体感、終わった後のさみしさなど、演劇と祭りとは極めて似ています。映画とか音楽のライブとか、演劇に近いメディアもありますが、「そのときその場限りのもの」という一回性や、準備期間の負荷の高さとそれに比例して醸成される高揚感という点で、演劇よりも祭りに近いアートはないんじゃないでしょうか。

 人々が演劇に惹かれる理由が、祝祭がもつ「ハレ」というプリミティブな感覚によるものだとしたら、一度ハマったら容易に抜け出せないのも当然かもしれません。少なくとも、高校の文化祭の延長で劇団を始めた僕自身にとって演劇は何よりも祭りであり、今日まで演劇を続けてきたのも、この「ハレ」の感覚がずっと忘れられなかったからなのは間違いありません。

…と、「今日までずっと」と書いてしまいましたが、実際には僕のいる劇団theatre project BRIDGEは現在活動休止中です。最後に公演をしたのはもう3年も前。「演劇を続けている」などと書くことは、正直かなりためらわれます。

 実は今年2018年には公演を打ちたいと思っていたのです。でも、無理でした

 理由は「忙しいから」という、いたってシンプルなものです。メンバーの大半がアラフォーにさしかかり、仕事や子育てでもういっぱいいっぱいでした。僕個人でいえば、仕事に関してはなんとかやりくりできるのですが、子育てのインパクトが想像以上にでかかった。会社に勤めつつ2歳児抱えながら台本書くなんて、僕にはとてもじゃないけどできそうにない。

 僕らは学生劇団としてスタートしたので、メンバーが大学を卒業して就職をするときに、一時的に活動を休止したことがあります。でもありったけの情熱を注いだ自分たちだけの場所が、就職というもののためになくなるのはどうにも納得できなかったので、苦肉の策でひねり出したのが「社会人劇団」というスタイルだった…というのは以前この記事で書いたことです。
「音楽で食わずに、音楽と生きる」ことについて僕も考えた

 そういう意味では今は2度目のピンチ。しかし、1度目のときは「会社」「就職」といった自分以外のものによる都合が原因だったのに対し、今回の(少なくとも僕にとっての)原因は子育てという自分自身の問題です。世の中のシステムに負けない「個」を作る試みが社会人劇団だったのに、いつの間にか問題は「個」そのもの移っていました

 サラリーマンやりながらでも劇団はできるんだってことを証明するために、徹夜して台本書いたりスーツ着たまま稽古に行ったりしてた20代の僕から見れば、より巨大なシステムに負けたならいざ知らず、他でもない自分自身の問題で芝居から遠ざかっているなんて、ダサいと思われてしまうかもしれません。

 でも「ダサくなった」と自覚できるのも、劇団という一つの場所に居続けたことで「容易に比較できる過去」があるからではあります。そして、ダサかろうが恥ずかしかろうが、人生のあらゆる瞬間を絶えずシェアしてきた場所があることは、写真がたくさん詰まったアルバムなんかよりも、ずっと貴重なんだろうなあと思います。「ハレ」の感覚以外に僕が劇団を続ける理由があるとすれば、過ぎ去っていった時間への愛おしさや未練なのかもしれません。

 劇団は2020年に結成20周年を迎えます。そのときにはなんとか公演を打ちたいと思っています。




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僕はこんな音楽を「選んで」きた 2015年編

久しぶりの更新です。
10月の頭に劇団の公演が終わってから約2か月、ひたすら休んでました。
久々にPCを立ち上げたら溜まっていたWindows Updateが一斉に始まって、
3時間待機したあとでようやく今このブログを書いています。

…ということで、今更過ぎるのですが、
theatre project BRIDGE vol.14『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』にご来場くださった皆さま、
本当にありがとうございました。

今回は3年ぶりの公演でした。
2012年に行った前回公演『スターマイン』で「次は3年後にやります」と宣言したときは、
ずい分先の話だなあと思っていたのに、気づけばあっという間でした。

とはいえ、以前と比べるとはるかに時間や体力はねん出しづらくなってきたし、
技術や感性は著しく鈍ってしまったし(元々低いんだけど)、
3年というブランクの重みを稽古のたびに痛感しました。
劇中の台詞じゃないですが、
次回に向けての課題がこれまでで最も多く浮き彫りになった公演でした。

うかうかしてると、またあっという間に次の準備期間が始まってしまいそうですが、
とりあえずしばらくの間は電源をOFF。
普通のサラリーマンに戻ります。

さて、前回の記事(といっても2か月も前ですが)まで3回にわたり、
劇団の過去公演で使用した劇中曲のリストを紹介してきました。
#第1回はコチラ
#第2回はコチラ
#第3回はコチラ

せっかくなので『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』の曲目リストも公開してみようと思います。

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vol.14 『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』(2015年10月)

#1 出直しブルース(憂歌団)
#2 Diane Young(Vampire Weekend)
#3 それはぼくぢゃないよ(大滝泳一)
#4 Satisfaction(DEVO)
#5 Talking Backward(Real Estate)
#6 Cut Dead(The Jesus and Mary Chain)
#7 スパイラル(andymori)
#8 CIDER '73 '74 '75(大滝泳一)
#9 Feed Me Jack(Albert Hammond, Jr.)
#10 バンホーテン(Hi, how are you?)
#11 Good Dreams(The Roosters)
#12 Panic(The Smiths)
#13 Lightning Express(Billie Joe + Norah)
#14 Janie Jones(The Clash)
#15 魔法のことば(Lucky Old Sun)
#16 The Saddest Story Ever Told(Homecomings)
#17 FAKE L.A. part2(SISTER JET)
#18 Ghost World(Homecomings)

#1<出直しブルース>はオープニングとエンディングで使った、いわばこの芝居のテーマ曲。
そしてまたイチから出直し」という頭のフレーズが気分にバシッとハマりました。
1991年に公開された岡本喜八監督の傑作『大誘拐』と同じ幕開けという、
実に畏れ多い選曲です。


#2は序盤のニュース番組「おはよう日本」のシーン、
#3はその後の「タクラマカンX」のシーンで使った曲。
この2曲は#1から連続してかかるので、シートの相性よりも、
3曲の組み合わせと流れを重視して選んでいます。

大滝詠一は今回の芝居で数少ない、複数曲を使用したアーティストです。(#3、#8
#3はソロ第1作の『大滝詠一』から、
#8はナイアガラレーベル第1弾の『NIAGARA MOON』から選びました。

余談ですが、アルバム『大滝詠一』に収録されている<恋の汽車ぽっぽ>は、
第5回公演『500万年ララバイ』(2003年)で候補に挙げながらも結局使えなかった曲です。
(使おうとしていたのはシングル版の方)
大滝詠一は当時からどこかで使いたいと思っていたのですが、
10年以上経ってようやく実現しました。

Vampire Weekendは2公演ぶり、2回目の選曲ですが、
あまりに好きすぎるので、なんかもうずっと使っているような気がします。


#4、#7、#10の3曲は今回の公演ならではの選曲です。
今回は5分にも満たないショートストーリーを30本近くつなげるという
テンポの早いオムニバス形式だったので、
お客さんが途中で疲れないために、シーンとシーンのつなぎ目に1分ほどの間、
照明を暗くしてただ音楽だけが流れる「休憩シーン」をもうけました。
休憩シーンは計3か所あり、そこで流したのがこの3曲だったのです。

ただ、「何もないシーンの選曲」なんてやったことないので、
実はめちゃくちゃ選ぶのが難しかったです。
だって、どんな曲を流したっていいんだもの。


#5は好評をいただいた「逆向き列車」のシーンの冒頭で流した曲。
アメリカのインディーロックの良心(だと僕は信じてる)、
Real Estateの最新アルバムから使わせてもらいました。


#6は大名盤『Psycho Candy』から。
「松岡修造が降ってくる」という設定の天気予報の場面で薄く流れてたのがこの曲です。
実はこの芝居のオープニングとして当初用意していたのは、
何を隠そう<Just Like Honey>でした(やはり畏れ多い)。
そういえば『Psycho Candy』の完全再現ライヴって中止になっちゃったんですよね。


#11、#12は「フンドシ男」のシーンとその後の反省会のシーンで連続して流れます。
この2曲、当初は違う曲を予定していました。
本当は#11ではKinks<Death Of A Clown>を、
#12andymori<Everything Is My Guitar>をかけたかったんですが、
曲の尺の関係で断念せざるをえませんでした。
断念した結果、ルースターズからスミスという節操のない流れになっています。
尺という絶対的物理的制約でかけたい曲がかけられないことがままあるのが、
芝居の選曲の切ないところです。


#15は現役大学生の男女デュオ、Lucky Old Sunの曲。
彼女たちは今年の夏に初のフルアルバムを出してくれたので、
早速そこから使いました。


この曲をオープニングにして始まる「ラブの宅急便」は、
女の子が主役の、しかも今回の芝居唯一のストーリーのある長いシーンだったので、
ナナの素朴なボーカルがとてもよくマッチしました。

Homecomingsを使ったのを同じ理由。
ホムカミは大滝詠一と共に今回2曲を使用しています。

そして、個人的には今回の芝居の陰のテーマ曲だと思っているのが#17
劇中でも流しましたが、実は開場BGMのラスト、
つまり客席の照明が落ちて真っ暗になっていよいよ本編が始まる…
というタイミングでも同じ曲をかけています(気付いた人はいるでしょうか?)。

※この曲の出だし「福生行きの切符を買って」は大滝詠一オマージュですね。

実は今回の開場中のBGMは全て、
#17を演奏しているSISTER JETの曲で統一しています。

元々は開場中はLa SeraThe Aquadollsといった、
海外インディーの女性ボーカルものでいこうと考えていたのですが、
本番1か月前を切ってから「やばい。芝居に合わない。」と気づき、
慌ててiPhoneをシャッフルしまくって見つけたのが、SISTER JETでした。

ワタルSの、人を小馬鹿にしたような甘ったるいボーカルと粘着質なギター、
そして何より、よくよく聴くとブルースの匂いが漂っているところが、
今回の作品への「助走」としては理想的でした。
だから、その象徴でもある#17は、僕の中では陰のテーマ曲と呼ぶべき1曲なのです。

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こうしてみると、半分以上のアーティストを既にこのブログで取り上げていますね。
「その時聴いている曲から選ぶ」というここ最近の選曲スタイルを、今回も踏襲した形です。
よかったら各アーティストについて個別に紹介した記事も読んでみてください。

Vampire Weekend 『Modern Vampires of the City』
andymori 『ファンファーレと熱狂』
「京都のバンド」がやたらと素敵な件(Hi, how are you?)
The Roosters 『eating house』
The Smiths 『The World Won’t Listen』
Billie Joe + Norah 『Foreverly』
Lucky Old Sun 『I'm So Sorry Mom』
Homecomings 『Somehow, Somewhere』





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僕はこんな音楽を「選んで」きた 第3回

僕が所属する劇団theatre project BRIDGEの3年ぶりとなる公演、
『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』の本番まで、ついに2週間を切りました。
詳細はコチラ ※PDFが開きます

先々週から、僕が劇団の旗揚げ以来担当している劇中使用曲の「選曲」について、
全公演の曲目リストとともに振り返っています。
#第1回はコチラ
#第2回はコチラ

最終回となる今回は、
2008年に上演した第10回公演『アイラビュー』からです。


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vol.10 『アイラビュー』(2008年11月)

#1 熱帯夜(Rip Slyme)
#2 PINZORO(東京スカパラダイスオーケストラ)
#3 The Power Of Love(Huey Lewis & The News)
#4 Hot Chocolate(Rip Slyme)
#5 ふがいないや(YUKI)
#6 Beautiful(SOPHIA)
#7 キラーチューン(東京事変)
#8 今日の歌(369)
#9 Dandelion(Rip Slyme)
#10 チョコレイト・ディスコ(Perfume)
#11 唐人物語(サザンオールスターズ)
#12 ハズムリズム(PUFFY)
#13 Present(Rip Slyme)
#14 愛して愛して愛しちゃったのよ(サザンオールスターズ)
#15 忘れじのレイドバッグ(サザンオールスターズ)
#16 ラヴぃ(Rip Slyme)

この公演から「この作品にはこのアーティスト」といった感じで、
芝居のキーとなる音楽を曲単位ではなくアーティスト単位で選ぶようになりました。
全体の統一感を図るというのが大きな理由なのですが、
それが可能だったのも、この作品が(タイトルからもわかる通り)ラブストーリーという、
非常に明快なテーマを持っていたからでした。

この公演で選んだアーティストは、RIP SLYMEでした。
#1、#4、#9、#13、#16と、なんと5曲も使っています。
幕末の女郎屋が舞台だったのですが、
そこに現代的な音楽であるヒップホップを載せるという組み合わせも面白かったし、
彼らの、ポップで享楽的でちょっとエッチなところが物語にハマりました。


その他にも、YUKI#5)や東京事変#7)、さらにperfume#10)などを流し、
過去の芝居と比べると一気にポップさが増しました。
ちょうど前作『クワイエットライフ』から物語をコメディ路線へと舵を切ったことで、
選曲もその影響を受けた形です。
全ての曲が日本語詞というのも、この芝居が初めてでした。


客入れの最後(物語が始まる直前)の音楽は、エディット・ピアフ<愛の賛歌>でした。
そして、情熱的な<愛の賛歌>が終わるのに合わせてゆっくりと明かりが落ちていくと、
客席頭上のミラーボールが回り始め、間髪を空けずにRIP SLYMEの<熱帯夜>#1)がかかり、
女郎たちがワラワラと出てくる、という幕開けでした。
自分で言うのもナンですが、なかなかいい演出だったと思います。




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vol.11 『七人のロッカー』(2009年11月)

#1 借金大王(ウルフルズ)
#2 歌舞伎町の女王(椎名林檎)
#3 listen to the libertines(noodles)
#4 僕の時間機械(ザ・コレクターズ)
#5 残酷な天使のテーゼ(高橋洋子)
#6 雨あがりの夜空に(RCサクセション)
#7 紅(X)
#8 Silent Jelousy(X)
#9 Saturday Night(Bay City Rollers)
#10 エヴリデイ・エヴリナイ(フィッシュマンズ)
#11 Rock And Roll Music(The Beatles)
#12 クラッカー(Ogre You Asshole)
#13 Endless Rain(X)
#14 sleep, sleep, sleep(the telephones)
#15 Lightning Runaway(the pillows & Ben Kweller)
#16 Little Wing(Jimi Hendrix)
#17 ずっと前(フィッシュマンズ)
#18 Piggies(The Beatles)
#19 I Will(The Beatles)
#20 トランジスタ・ラジオ(RCサクセション)
#21 Rusty Nail(X JAPAN)
#22 Dahlia(X JAPAN)
#23 Blackbird(The Beatles)
#24 All Together Now(The Beatles)

#25 You're Going To Lose That Girl(The Beatles)
#26 Act Naturally(The Beatles)
#27 Baby's In Black(The Beatles)
#28 Thank You Girl(The Beatles)
#29 Do You Want To Know A Secret(The Beatles)
#30 Baby It's You(The Beatles)
#31 I'll Get You(The Beatles)
#32 Rain(The Beatles)
#33 I Need You(The Beatles)
#34 Here, There And Everywhere(The Beatles)

旗揚げ以来、音楽というものはずっと僕にとって芝居の重要なファクターでした。
しかし、ついにこの公演では音楽そのものが芝居のテーマになります。
タイトルからも分かる通り、初めて「ロック」を正面切って取り上げることになったのです。

選曲も当然、ロックが中心です。
そして、前作『アイラビュー』におけるRIP SLYMEのような、
芝居のキーとなるアーティストとして選んだのが、ビートルズでした。
実はちょうどこの年、ビートルズのリマスター盤が発売されて、
僕の中でビートルズ熱が猛烈に再燃したんですね。
#過去記事:THE BEATLES 『THE BEATLES IN MONO』

物語上の空間に実際にビートルズが流れているという設定で、
舞台上にラジカセを置いてそこから流したり、
また、役者が舞台上で楽器を演奏するシーンがあったので、
そこでも<Rock And Roll Music>を演奏したりしました。


さらには、開場中の音楽は『Abbey Road』を(ほぼ)フルで流し、
<The End>が終わるのに合わせて明かりが落ちてそのまま物語が始まるなど、
前作のRIP SLYME以上に、この芝居ではビートルズがキーになりました。

とはいえ、全体の選曲としては、前作の『アイラビュー』に続いて、
基本的に日本のアーティストに絞っています。
Ogre You Asshole#12)はちょうど公演の直前にメジャー1枚目を出したばかり。
2015年いっぱいで活動を休止することを発表したthe telephones#14)は、
当時まだインディーズだったんじゃなかったかな?


また、ロックをテーマにした芝居ということで、
この作品の準備期間中に、古今東西のロックを大量に聴きまくりました。
多分、人生で一番ロックを聴いたと思います。
芝居作りのためではあったものの、結果としてはこのときの経験によって、
僕の中で「ロックの体系化」が『眠りの森の、ケモノ』のときからさらに進められ、
それが現在でも、ロックを聴く上での基礎になっています。




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vol.12 『バースデー』(2010年11月)

#1 Oxford Comma(Vampire Weekend)
#2 Galaxy Halo(noodles)
#3 反応ゼロ(The ピーズ)
#4 故郷の海よ(ザ・50回転ズ)
#5 愛まで20マイル(ザ・コレクターズ)
#6 SANGANICHI(トクマルシューゴ)
#7 Anarchy In The U.K.(Sex Pistols)
#8 トークバック(ザ・コレクターズ)
#9 底なし(The ピーズ)
#10 心に花を咲かせましょう(つじあやの)
#11 雨天決行(東京事変)
#12 チキンハートをけとばして(つじあやの)
#13 スキップ(スネオヘアー)
#14 とび魚のバタフライ(チャットモンチー)
#15 くちびるモーション(PUFFY)
#16 月が泣いてる(つじあやの)
#17 涙風にたくして(つじあやの)
#18 White sky(Vampire Weekend)
#19 Taxi Cab(Vampire Weekend)
#20 Cape Cod Kwassa Kwassa(Vampire Weekend)
#21 In a Silent Way(Nine Miles)
#22 Changes(Nine Miles)
#23 Birthday(山中さわお)
#24 鉄カブト(ザ・クロマニヨンズ)
#25 White Riot(The Clash)
#26 Blitzkreig Bop(The Ramones)
#27 恋の季節(ピンキーとキラーズ)
#28 ヒーロー(麻倉未稀)
#29 スピードとナイフ(ザ・クロマニヨンズ)
#30 Primer Beat(the pillows)

劇団の結成10周年記念公演です。
1人の少年の旅を軸に、全体が4つの短編に分かれるという構成だったので、
音楽も短編ごとにキーアーティストを変えて臨みました。

具体的には、1編目がTheピーズ#3、9)、2編目がつじあやの#10、12、16、17)、
3編目がVampire Weekend#18、19、20)、
そして最後の4編目がザ・クロマニヨンズ#24、29)でした。
リストを見ると、この4組のアーティスト以外の曲もたくさん含まれているのですが、
僕の意識の中ではこの4組がその短編の「軸」でした。
中でも、2編目のつじあやのから3編目のVampire Weekendという流れは、
意表を突いた展開で、気に入った選曲です。


実はこの少し前、おそらく『アイラビュー』の頃から徐々にだと思うのですが、
芝居にセレクトする音楽と僕個人がリアルタイムで聴いている音楽とが、
ほとんど重なるくらいに近づき始めました。
『クワイエットライフ』あたりまでは、芝居の選曲のためにライブラリを棚卸して、
極端に言えば過去に聴いた全ての曲を総ざらいするようなやり方だったのが、
この頃になると、僕個人がそのとき聴いてる音楽から選ぶようになったのです。

『アイラビュー』でRIP SLYMEやPerfumeを選んだのも、
『七人のロッカー』でコレクターズやOgre You Assholeを選んだのも、
当時の僕が彼らをどっぷりと聴いていたことが背景にあります。
そしてこの『バースデー』でいえば、おそらく8割くらいの楽曲が、
当時の僕が日常的にヘビーローテーションしていたものです。
つまりほとんどの曲を「その場」で選んでしまっているわけです。

選曲そのものに対する慣れが(今さら)生まれてきたということもありますが、
根本的な理由としては、10年活動してきたことで、
「芝居を作る自分」というものが非日常ではなくなり、
普段の生活の中に溶け込んでしまったからだと思います。
その結果として、聴いている音楽と物語との間に、
あまりギャップが生まれなくなったのではないかという気がします。

まあ、だいぶかっこよく言ってしまっていますが、
逆に「その時聴いている音楽に作品が左右される」とも言えるわけで、
これはこれでコントロールが難しいところはあります。

この芝居で使った曲数は30曲。
数の上では前作『七人のロッカー』の34曲が最多ですが、
『七人〜』はかなりの曲を舞台上のラジカセで流すBGMとして使っていたので、
劇場のスピーカーから流す、演出としての「劇中曲」としては、この『バースデー』が最多です。
旗揚げ公演の劇中使用曲はわずか8曲であったことを考えるとしみじみします。




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vol.13 『スターマイン』(2012年10月)

#1 バームクーヘン(ザ・ハイロウズ)
#2 未来は僕等の手の中(ザ・ブルーハーツ)
#3 少年の詩(ザ・ブルーハーツ)
#4 パーティー(ザ・ブルーハーツ)
#5 ツイスト(ザ・ハイロウズ)
#6 夢をあきらめないで(岡村孝子)
#7 風船爆弾(ザ・ブルーハーツ)
#8 夏の地図(ザ・ハイロウズ)
#9 オレメカ(ザ・ハイロウズ)
#10 Decisive Battle(鷺巣詩郎)
#11 Log Off(川井憲次)
#12 迷路(ザ・ハイロウズ)

現時点での最新の公演です。
10周年記念公演という区切りを迎えた後、1年間のお休みを空けて、
2012年に上演しました。

この芝居のキーアーティストとして選んだのが、
ブルーハーツ、ハイロウズ、そしてクロマニヨンズ。
つまり、甲本ヒロトと真島昌利の2人です。

『リボルバー』、『クワイエットライフ』でのブルーハーツや、
前作『バースデー』でのクロマニヨンズなど、
これまでもなにかと選曲ではこの2人に頼ってきたのですが、
ここにきてついに全曲ヒロト&マーシーという芝居を作りました。

『スターマイン』では、仲でもハイロウズの比重を大きくしました。
3組の中でも特にカラフルでポップで、ヒロトのキーも一番高いハイロウズが、
芝居に最もフィットするように感じました。
特に中盤のダンス曲だった<ツイスト>#5)や、
クライマックスで流した<夏の地図>#8)などは、
気持ちいいくらいに物語にハマった選曲でした。


余談ですが、この『スターマイン』のように、
(ほぼ)全ての劇中曲を1組のアーティストに揃える「全曲○○」という選曲は、
実はこれからも機会があればやってみたい目標の一つです。
そのためには、音源化された楽曲が豊富にあり、
しかもある程度曲がバラエティに富んでいて、
なおかつ僕自身がそのアーティストのことを大好きでなければならないという、
いくつかの条件はあるものの、
1組に絞ることにより、音楽が「背骨」のように芝居を支えることができるので、
「そういうアーティストはいないかな」と虎視眈々と狙っているところです。



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これで全公演分終了です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
過去15年間で自分が選んできた曲を、しかも時系列に沿って振り返るというのは、
とても面白い体験でした。

かつては音楽を「聴くこと」と「選ぶこと」の間には、明確な隔たりがありました。
前者は日常であり、後者は非日常でした。
しかし、『バースデー』の項でも書いたように、
今では「選ぶこと」の非日常性は薄れ、両者の距離は限りなく近くなってきています。
2週間後に上演する最新作『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』も、
やはり僕がこの1年ほどの間に聴きこんだ曲が多く選ばれています。

芝居の選曲にはその時々の僕の好みが反映され、
そして逆に、芝居の選曲が普段聴く音楽にもフィードバックされる。
今回、全リストを振り返ったことで、
僕の音楽遍歴そのものが「選曲」に大きな影響を受けていることを改めて実感しました。

まあ、その分選曲のコンセプトが安定しないとか、作品の印象がコロコロ変わるとか、
芝居側からするともしかしたら難点があるのかもしれませんが、
少なくとも1人の音楽リスナーとして考えると、
「芝居の選曲」という特殊なインプット先を持っていることは、
間違いなく財産であり、そしてちょっと誇らしいなあと思います。

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L&W

theatre project BRIDGE vol.14
『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』
シアターグリーン BOX in BOX THEATER
※重要なお知らせ※
10/11(日)19:00の公演は、都合により中止させていただきます。
その他の公演は予定通り行いますので、みなさまのご来場を心よりお待ちしております。

10/10(土)14:00 / 19:00
10/11(日)14:00 / 19:00
中止
10/12(月祝)14:00
※開場は開演の30分前です
http://www.t-p-b.com/




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僕はこんな音楽を「選んで」きた 第2回

僕が所属する劇団theatre project BRIDGEの3年ぶりとなる公演、
『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』の本番まで、残り3週間。

詳細はコチラ ※PDFが開きます

前回から、僕が劇団の旗揚げ以来担当している劇中使用曲の「選曲」について、
全公演の曲目リストとともに振り返っています。
#第1回はコチラ

2回目となる今回は、
2003年に上演した第5回公演『500万年ララバイ』からです。

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vol.5 『500万年ララバイ』(2003年8月)

#1 Fly Me To The Moon(Frank Sinatra)
#2 NAI NAI 16(シブがき隊)
#3 Physical(Olivia Newton-John)
#4 Yawn(Air)
#5 Hold On(Kansas)
#6 April Come She Will(Simon & Garfunkel)
#7 Good Morning Good News(the pillows)

前作の第4回公演『PATRICIA』で、
シーンの雰囲気や登場人物の気持ちに合わせた音楽ではなく、
芝居とぶつかり「ズレ」を生むような音楽を選ぶという、
新たな選曲の方法を知ったと書きました。
この第5回公演は、それを実践した2度目の公演です。

印象に残っているのは#3オリビア・ニュートン・ジョン
人間に進化する前のサルの少年たちが「天正遣欧少年使節」を結成し、
長い船旅の果てにたどりついたローマの街で、
地元の人たちと盆踊りを踊るという場面で流しました。
(毎回突っ込みますけど、一体どんな芝居だよ!)
振付は日本の盆踊りなのに曲は<Physical>という組み合わせは、
かなりカオスな空気を醸し出していて、我ながらけっこういい選曲だったと思います。


懐かしいなあと思うのはAirでしょうか。(#4
Airは高校の時によく聴いてました。
<Yawn>は今聴いても鳥肌が立ちます。


あと、リスト見てて意外、というか謎だったのがKansas。(#5
なぜKansas?!
これまでの人生で彼らにハマった記憶はないのですが、なぜ使ったのだろう??
試しにこの<Hold On>という曲を聴いてみたら、確かに流した覚えはある。
(てゆうかちゃんとCDも持ってる)
でも、そもそもどこから選択肢に上がってきたのか、今となってはまるで分かりません…。



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vol.6 『眠りの森の、ケモノ』(2003年12月)

#1 20th Century Boy(T.REX)
#2 A Visiting Card(Wim Mertens)
#3 Red Turtle(Uma Uma)
#4 All Along The Watchtower(Bob Dylan)
#5 結婚しようよ(吉田拓郎)
#6 Raindrops Keep Falling On My Head(B.J. Thomas)
#7 The Fool On The Hill(The Beatles)
#8 It’s Only Rock N’ Roll(The Rolling Stones)
#9 The Weight(The Band)
#10 Across The Universe(The Beatles)

学生劇団としての実質的な最後の公演です。
自由に時間が使えるのも最後だから、いっちょ派手なことをやろうということで、
初めて時代劇に挑戦しました。
室町末期の荒れ果てた村を舞台に、村人と森にすむ半獣半人のケモノとの交流を描いた、
ダークファンタジーでした。
(おお、こう書くとなかなか面白そうな響きだ)

リストを見てもらえるとわかるように、
ビートルズ#7、10)やストーンズ#8)、ディラン#4)といった、
60〜70年代の洋楽ロックを意識的に使いました。
時代劇に洋楽ロック」という組み合わせの意外さを狙ったものだったのですが、
想像していた以上にバシッとハマった記憶があります。
特に#9The Band<The Weight>はクライマックスの立ち回りで流したのですが、
凄惨なシーンなのに物悲しくて、とても印象に残っています。


この作品のために集中的にロックを聴いたことで、
結果的に僕の頭の中では「ロックの体系化」が行われました。
(それまではビートルズもオアシスも、イギリスもアメリカも一緒くたに聴いてたのです)
僕個人の音楽遍歴としても、このときの体験は大きな財産になりました。

メインテーマは#1<20th Century Boy>
これはオープニングとラストで、物語をサンドイッチする形で使いました。
今でも鮮明に覚えているのですが、
車を運転してる時にたまたまこの曲が流れてきて「これだ!」と即決しました。

この頃になると、稽古場でCDを何枚も聴きながら曲を選ぶというやり方ではなく、
車の中や街中でたまたま耳にした音楽をそのまま使っちゃうという、
「偶然性」によって選曲するというやり方に移行していました。
それは、「選ぼう」というある種の作為の基で聴く曲よりも、
稽古や台本から離れた場所で偶然出会った曲の方が、
(かっこよく言えば)自分の想像を超えた選曲ができると考えたからなのですが、
車というのはそのための環境として最適だったのです。

で、何が言いたいかというと、今そういうことをやろうとしたら、
iPodやiPhoneでシャッフル再生すれば済むのですが、
当時(と言ってもわずか10年ちょっと前)は携帯音楽プレーヤーなんてなかったんですよね。
なので、当時はわざわざ「選曲のためのドライブ」なんてことをやってました。

何十枚もCDを持ち運ぶ必要もなくなり、
今では選曲作業もiPhone一つあれば事足りるようになりました。
芝居そのものは今も昔もアナログなメディアですが、
周囲の環境はやっぱり変わったなあと思わざるをえません。




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vol.7 『リボルバー』(2006年1月)

#1 ばらの花(くるり)
#2 RUNNERS HIGH(the pillows)
#3 放課後の決闘(田中公平)
#4 初めての出撃(田中公平)
#5 悲哀(田中公平)
#6 Peace(George Winston)
#7 To Be(Montreux)
#8 チャンピオン(アリス)
#9 夕暮れ(ザ・ブルーハーツ)
#10 旅人(ザ・ブルーハーツ)
#11 My Foot(the pillows)

前作から約2年のブランクを空けて、
初めて「社会人劇団」を名乗った公演です。
劇場も、地元神奈川から東京へと場所を移しました。
メンバーもかなりの数が入れ替わり、
劇団にとって再スタート的な公演に位置づけられます。

選曲で思い出深いのはthe pillows<My Foot>です。(#11
第2回公演以来、劇中曲の中でも特に物語のキーとなる場面で流してきたthe pillowsですが、
この<My Foot>が実質的な最後になりました。
実際には以降も何度か使ってはいるのですが、
「テーマを背負った曲」として使ったのは、これがラストになります。
この曲が収録されたアルバム『MY FOOT』がリリースされたのは、本番のわずか1週間前でした。
多分、この曲を使った世界で最初の劇団だったはずです。


劇団の再スタートということもあり、実はかなり前から、
the pillowsに代わってテーマを担ってくれる新たなアーティストを探していました。
#1くるりは、そうしたトライアルの一環で出会ったバンドの一つです。
他にも、結局使わずじまいでしたが、スピッツの曲はかなり本気で検討した覚えがあります。


しかし、結局最終的に落ち着いたのは、ブルーハーツ#9、10)でした。
これは正直、選んだというよりも「頼った」という感じです。
ブルーハーツは流せば必ずハマるのが分かりきってる(それだけどの曲も素晴らしい)だけに、
使う方からすると、ちょっと卑怯な気がして、できれば避けたい存在でした。
なので、正直に言えばこの選曲はちょっと悔しい思い出があります。

ただ、このときブルーハーツを使ったことがきっかけで、
ハイロウズ、そしてクロマニヨンズ(当時はまだ結成されてませんでしたね)と、
それまでなんとなく聴いていたヒロト&マーシーの曲を真剣に聴くようになり、
2012年に行った最新の公演では、全曲彼らの曲に統一するなど、
結果としては劇団の歴史になくてはならない存在になりました。




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vol.8 『Lucky Bang Horror』(2006年12月)

#1 天井裏から愛をこめて(アンジー)
#2 Silent Betty(Uma Uma)
#3 水面に浮かぶ金魚鉢(DEPAPEPE)
#4 Mid Day Moon(Cosmic Village)
#5 Perfect Emotion(Cosmic Village)
#6 Earthrise(Cosmic Village)
#7 Shenandoah(Eric Tingstad, Nancy Rumbel)
#8 You & I(the brilliant green)
#9 Skeleton Liar(the pillows)
#10 A Carved Stone(坂本龍一)
#11 The End Of The World(Skeeter Davis)
#12 照れるような光(小谷美紗子)

初めて選曲にiPodを導入したのがこの公演でした。
当時最大容量の30GBモデルを買ったのですが、
やはり数千曲が片手に収まるというインパクトはすさまじいものがありました。

ただ、期待していた「偶然性の選曲」(上述)は、思ったほど効果が上がりませんでした。
やはり意図的に偶然性を狙っても、それはもはや必然なんですよね(って当たり前か)。

逆に利点になったのは、プレイリスト機能によって、
今は使わないけどいつか使いたい曲」を効率的にストックできるようになったこと。
当時すでにそうした「気になる曲」は100曲単位に膨れ上がっていたので、
それを整理して、なおかつどこでもすぐに再生できるというのは、
この後の公演での選曲に威力を発揮しました。

そんな「気になる曲リスト」から選んだのが、#1アンジーでした。
たしか、2003年の『眠りの森の、ケモノ』のときには既に脳内リストには入っていて、
いつか使いたいとストックしておいた曲でした。


この頃になると(結成して6年目)、音楽を聴くときは、
これを芝居で使ったらどうだろう」とか、
この曲から始まる芝居を作るとしたら、どんな物語になるだろう」なんてことを、
常に頭の片隅で考えるようになっていました。
音楽を聴くという行為が、僕の中では芝居と不可分なものになり、
iPodの登場でその結びつきがさらに強まりました。




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vol.9 『クワイエットライフ』(2007年11月)

#1 BAD(Michael Jackson)
#2 キスしてほしい(ザ・ブルーハーツ)
#3 夢(ザ・ブルーハーツ)
#4 学園のスカーレット(光宗信吉)
#5 サイレント(羽田健太郎)
#6 la peggi(石野卓球)
#7 CHAOS WEST(石野卓球)
#8 IN YER MEMORY(石野卓球)
#9 Ride On Shooting star(the pillows)
#10 Penny Lane(The Beatles)
#11 In My Life(The Beatles)
#12 As Time Goes By(Bill Evans)
#13 Darn That Dream(Bill Evans)
#14 ええねん(ウルフルズ)
#15 星降る夜に(東京スカパラダイスオーケストラ)

この芝居は、学生時代からの友人同士である男女4人を主人公に、
前半1時間が7年前の4人を、後半1時間が現在の4人を描くという
2部構成の形をとっていました。
演じる役者も過去と現在とを別々の役者が演じるという「2人1役」スタイル。
ですから選曲も、過去と現在とでテイストを変えて、
7年間の時間経過を表現したいと考えていました。

ここで再び登板してきたのがブルーハーツです。
使ったのは2曲だけ(#2、3)でしたが、
位置づけとしては前半の、青春時代の4人のテーマソングでした。
青春時代といえばブルーハーツという発想は、世代なんだろうなあと思います。
そして、芝居のラストの曲として、
同じ甲本ヒロトボーカルでも、スカパラとのコラボ曲である#15を流したのは、
青春時代からの時間の変化を狙ったものでした。

反対に後半の、大人になった現在の4人のシーンでは、
なるべく曲をかけない」という選択をしました。
#12、13Bill Evans(これまでの選曲からするとかなり唐突…)は、
後半シーンで使った曲ですが、
登場人物が実際にその場で流しているという設定で、
薄く流れているBGMとして使っただけ。
「曲をかけない」という選曲もあるんだなあと、しみじみ思った記憶があります。

芝居のテーマが「過去と現在」というようなものだったので、
稽古期間中は、家で聴く音楽も自然と過去のいろんなことを思い出させるような、
ちょっとセンチメンタルな曲にばかり手が伸びました。
そして、開演前の客席に流す音楽(僕らはそれを「客入れ」と呼んでいます)も、
そうした曲の中から選びました。

リストは残ってないので記憶頼りなのですが、
確かチャットモンチー<Make Up! Make Up! >と、
桑田佳祐<悲しい気持ち>は流した記憶があります。
どちらも僕自身の青春時代からは少しずれているのですが、
なんとなくこういった曲が僕の気分と、
そして『クワイエットライフ』という作品にフィットするような気がしていたのです。


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※次回は第10回公演『アイラビュー』から最新の第13回公演『スターマイン』までを取り上げます。

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『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』
シアターグリーン BOX in BOX THEATER

10/10(土)14:00 / 19:00
10/11(日)14:00 / 19:00
10/12(月祝)14:00
※開場は開演の30分前です

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僕はこんな音楽を「選んで」きた 第1回

来月、僕が所属する劇団の3年ぶりとなる公演があります。

詳細はコチラ ※PDFが開きます

今回が14回目の公演になるのですが、
実は僕には第1回の旗揚げ以来ずっと担当している、ある「仕事」があります。

それが、選曲
芝居の本編で流れる音楽はもちろん、開場中や閉幕後の客席に流れる音楽も、
基本的にはずっと僕が一人で選んできました。
作・演出をやるようになったのは2回目の公演からなので、
僕が劇団で最も長く担当している仕事は、実はこの「選曲」だということになります。

そこで、これから計3回にわたり、これまでの公演で使用した選曲リストを公開しつつ、
自分がどういう音楽を選んできたのかを振り返ってみたいと思います。

過去の全ての劇中使用曲をリストアップするというのは、実はほぼ初めて
初期の頃はもう記録がどこかにいってしまったので、
記憶を手繰り寄せながらなんとかリストにしました。

芝居のために選んだ曲とはいえ、
当然ながら僕自身の音楽の好みの変遷を反映しています。
中には「こんなの聴いていたのか!」みたいな発見もあって、我ながら面白い作業でした。

というわけで第1回は、旗揚げ公演『八月のシャハラザード』から第4回公演『PATRICIA』までです。
※公演タイトルをクリックすると劇団HPに飛べます。

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vol.1 『八月のシャハラザード』(2000年12月)

#1 Affirmation(Savage Garden)
#2 Forgiven Not Forgotten(The Corrs)
#3 Ain't Talkin' 'Bout Love(Van Halen)
#4 Because It's There(Michael Hedges)
#5 Two Step(Dave Matthews Band)
#6 Through The Woods(Metamora)
#7 Toss The Feathers(The Corrs)
#8 Self Portrait(坂本龍一)

記念すべき旗揚げ公演。もちろん、選曲なんてことをするのも初めて。
たしか「CDをたくさん持っていそうだから」とかそんな理由で僕が選曲担当になったのですが、
オリジナル台本ではなかったということもあり、とりあえずシーンの雰囲気に合わせて、
「なんとなく悲しい曲」「なんとなく緊張感のある曲」といった具合に、
とりあえず「なんとなく」で音楽を選ぶことしかできませんでした。

ただ、唯一コンセプトらしきものとして、
曲は全て洋楽、もしくはインストに絞る」というのはありました。
台詞が日本語なんだから、そこに日本語詞の曲をかけたら台詞が聞き取れないだろうという理由でした。

しかし(早速ですが)懐かしい…。

#4#6Windham Hillというニューエイジ系のレーベルから出てる曲ですね。
この頃はWindham HillとかNaradaとか、ニューエイジ系の音楽をたくさん聴いてました。
そういえば、以前このブログで紹介したBill Douglasと出会ったのもこの頃。
タワレコ渋谷店の5Fに足しげく通って、片っ端から試聴してました。
もう何年もこのあたりのジャンルはご無沙汰になってます。
#1Savage Gardenなんかも懐かしい。ずい分前に解散しちゃいましたね。

芝居のオープニングで流した#2は、アイルランドのバンド、The Corrsの曲。
ただThe Corrsも、当時はロックとしてではなく、
ワールドミュージック(アイリッシュ)という文脈で聴いてました。

#8はラストシーンに流した曲。
坂本龍一も当時よく聴いてました。
高校の友人の影響で、YMOよりもソロ作品の方を聴くことが多かったです。
ラストシーンは確か、主人公が天国に向かって旅立つという場面だったと思うのですが、
センチメンタルなんだけど軽快な#8は、雰囲気にとても合っていました。







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vol.2 『Goodbye, Christmas Eve』(2001年12月)

#1 Come All Ya Shepherds(Barbara Higbie)
#2 I Want You(Savage Garden)
#3 New Year’s Day(U2)
#4 Hark, The Herald Angels Sing(Eric Tingstad)
#5 Blues Drive Monster(the pillows)
#6 You And Me(The Cranberries)
#7 One Life(the pillows)

これが初めてのオリジナル作品です。
自分でストーリーを書いたんだから音楽も選びやすいだろうと思いきや、
旗揚げのときとあまり変わらなかった気がする。
やっぱりCDを片っ端から聴く「ローラー作戦」でした。

旗揚げではWindham Hillの曲を使いましたが、
今作でも#1#4といった、同じくニューエイジ系レーベルのNARADAの曲を使いました。
クリスマス作品だったので、クリスマスや冬をテーマにしたコンピから選んでます。
U2#3)を選んでいるのが意外。当時聴いていた記憶はないんだけど。

この作品で初めて日本語詞の曲を使いました。
the pillowsです。(#5#7
日本語の台詞とバッティングするんじゃないかという懸念から、
旗揚げ公演の音楽は英語詞&インストのみに絞っていましたが、
いざ日本語詞のthe pillowsを流してみると、日本語なだけに登場人物の心情をうまく補完したり、
場面の空気を盛り上げたりしてくれる効果があって、むしろハマりました

ただ、そういった演出上のメリットもさることながら、
the pillowsというバンドと出会ったことそのものの方が、大きかったかもしれません。
彼らの曲を選んだのは、僕個人が好きだったからという背景はあるものの、
当時の劇団全体の雰囲気や勢いみたいなものに、
不思議なほど彼らの曲がフィットしました。
そういう「自分たちのテーマソング」と出会えたことは、僕らにとって大きな自信になったと思います。
以降、the pillowsはたびたび芝居のテーマを背負った音楽として使われることになりました。







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vol.3 『あの夏のMessenger』(2002年8月)

#1 Rush(the pillows)
#2 Fire Cracker(Yellow Magic Orchestra)
#3 Gravity(Cosmic Village)
#4 Frangenti(George Winston)
#5 Runners High(the pillows)
#6 Woman At The Well(Tim Story)

初めて夏に行った公演です(それまでの2回はどちらも12月)。
前作で、the pillowsという初の日本語詞の曲を使ってみたわけですが、
この第3回公演は、初めから彼らの曲を使うことを前提に台本を書いた、
the pillowsありき」の公演でした。
#1は作品全体のテーマ曲として、#5はダンスシーンの曲として、
どちらも劇中で複数回流しています。
全6曲と曲数がこれまでより少なくなっているのは、上記2曲を何度も使っているからです。

the pillows以外の曲はどれもインスト曲(#3は英語詞のボーカルが少しだけ入ってる)。
やっぱりインスト曲多めという傾向は健在です。
書いていていろいろ思い出してきたのですが、
インスト曲を多く選んでいたのは前述のように「台詞とのバッティング」を避けるためだったのですが、
それ以前に、そもそも当時の僕のライブラリにインスト曲が多かったという根本的な理由があります。

例えばケン・イシイUnderworld電気グルーヴCosmic Villageなどのテクノ/ダンス系、
(そういえばビョークのソロ1stはこの頃にテクノ/ダンス系という文脈で出会ったんだった)
そして坂本龍一(YMO)やワールドミュージック、ニューエイジ系(ENIGMAとかたくさん持ってる!)などなど、
10代の終わりから20歳くらいにかけては普段聞く音楽の中に占めるインスト曲の割合が、
今よりもはるかに大きかったのです。

そういう、学校で流行ってるものからちょっと外れたものを聴くようになったのは、
当時僕の周囲に猛烈な嵐を巻き起こしていたハイスタとミッシェルに対する
反抗(「流行りモノはダサい」という典型的な天邪鬼)的な動機からでした。
(本当はハイスタもミッシェルも隠れて聴いてたけど)
だから、テクノにしてもニューエイジ系にしても、
聴き始めた当初はかなり背伸びしてたんですが、次第に耳に馴染むようになりました。
Underworldの<Push Upstairs>とか、めちゃくちゃ懐かしいなあ。







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vol.4 『PATRICIA』(2002年12月)

#1 すばらしい日々(ユニコーン)
#2 運命船サラバ号出発(ザ・コブラツイスターズ)
#3 The Mirage(Cosmic Village)
#4 To Be(Montreux)
#5 ありがとう(井上陽水奥田民生)
#6 With A Little Help From My Friend(The Beatles)
#7 Come Around(Ephemera)
#8 Khaotic Khaen(ケン・イシイ)
#9 Nowhere Man(The Beatles)
#10 Rhythm Of The Rain(The Cascades)
#11 Save The Last Dance For Me(The Drifters)
#12 Every Breath You Take(The Police)

選曲という点では、この第4回公演は大きな転換点となった作品でした。
日本語ボーカルのthe pillowsの曲をちょいちょい使うようになっていたとはいえ、
全体として見ると前作までは、英語詞もしくはインスト曲が大半を占めていました。

繰り返し書いているように、「台詞とのバッティング」を気にしていたのが理由なのですが、
それは言い換えれば、当時の僕は劇中で使う音楽を、
登場人物の心情を補完するもの、あるいはシーンの意味をかみ砕いて説明するもの、
つまりあくまで物語に従属する「BGM(Back Ground Music)」であると考えていたからでした。
悲しいシーンには悲しい曲を、楽しいシーンには楽しい曲をかけるのが、
当時の僕の「選曲観」であり、the pillowsにしてもそれは例外ではありませんでした。

ところが、この第4回公演からは、
それまで守ってきた物語と音楽の主従関係を意図的に崩し始めました。
悲しいシーンに楽しい曲を、逆に楽しいシーンに悲しい曲を選ぶようになったのです。
例えば#9#11は、一般的には美しくロマンチックなイメージの曲だと思いますが、
前者は登場人物の一人が狂うシーンで、後者にいたっては全員が死ぬシーンで流しました。
(自分で書いてて自分で突っ込みますが、一体どんな芝居だよ)

きっかけは当時熱心に見ていた第三舞台つかこうへいでした。
彼らの芝居では、音楽は物語の従属物ではなく、
物語と真っ向からケンカするような音楽が盛んに流れていました。

悲しいシーンに悲しい曲をかけるよりも、悲しいシーンに楽しい曲を流した方が、
むしろ悲しさが際立つことがある。
「BGM」が生む感情は、しょせん「予想可能な感情」でしかないのに対して、
物語とズレた音楽は、そのズレによって作者でさえ予測できない巨大な感情の渦が生まれることがある。
(もちろん、その分だけ失敗する可能性もある)
そういう選曲手法があるんだということを、彼らの芝居をきっかけに発見し、
自分でもやってみようとしたのが、この第4回公演だったのです。

前作までと比べて使用曲数が格段に増えているのはそういった理由から。
そして「BGM」としての選曲を止めたことで自ずとインスト曲が減り、
逆にそれまで避けていた日本語詞の曲が一気に増えました。

もっとも、初めての試みだったので、
正直今思い出してみると、この公演の選曲は逆に狙いすぎだなとも思うのですが、
選曲という仕事に対する基本的なポリシーみたいなものは、この第4回公演で作られた気がします。





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※次回は第5回公演『500万年ララバイ』から第9回公演『クワイエットライフ』までを取り上げます。

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3年ぶりに「芝居」やります。

「秋のない世界」をこじらせて

20代の10年間、僕の生活には「秋」という季節はありませんでした。
なぜかというと、毎年この季節、僕は芝居の稽古をしていたからです。

僕が所属する劇団theatre project BRIDGEは当時、
毎年11月下旬から12月中旬に公演を打っていました。
公演の稽古は、早ければ8月の終わりから、遅くとも9月の頭には始まります。
稽古が始まるときはTシャツ短パンだったのに、公演が終わるころには厚手のコートを羽織っていました。
ですから当時は、その間にあるはずの秋という季節を、
まるで意識することなく生活していたのです。

2010年に結成10周年となる節目の公演『バースデー』が終わり、
活動のペースがゆるやかになると、僕の生活に久々に秋が「復活」しました。
ところがいざ芝居のない秋を迎えてみると、
どこか物足りないというか、なんだか落ち着かないというか、
結局、澄み切った秋の青空も紅葉もいまいち楽しめずに終わってしまったのを覚えています。

そして今年、僕は再び「秋のない1年」を過ごそうとしています。
そうなのです。久しぶりに今年は劇団の公演があるのです。
前回の公演『スターマイン』からちょうど3年ぶり。
10月の3連休に『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』という作品を上演します。
今まさに稽古の真っ最中です。


今回はタイトルの通り「労働」「働くこと」をテーマにした作品です。
実は今回初めて「共作」というスタイルで台本を書きました。
僕含めて3人でネタを持ち寄って1本につなげたという、オムニバス形式の作品です。

社会人劇団が「労働」をテーマに芝居を作るなんて、
リアルすぎて逆に恥ずかしいのですが、幸か不幸かネタには事欠きません。
上演時間90分で約30本のショートストーリーをやります。
数が多すぎて、本番1か月前というのにシーンの順番を誰も把握できてません。

把握できないといえば、今回はやけに役者の台詞覚えが悪い。
台詞だけじゃなくて、例えばどっちから舞台に上がってどっちに去るか、みたいな段取りを、
演出の僕含めて誰も覚えられない。
覚えられないからみんなでメモるんだけど、1週間後にはメモの意味すら忘れてしまって、
もう一度はじめから段取りを付けたりしてます。
おかげで、おそろしく稽古が進みません。

なのに、全員が「どうにかなるだろう」とタカをくくっている。
記憶力と緊張感の著しい低下。
これがアラフォーを迎えた社会人劇団のリアルです。


今年で結成してから丸15年になります。
月並みですが、旗揚げした当初はまさかこんなに続くとは思っていませんでした。

「15年続けている」というと、大抵「すごいね」と感心されます。
学生から社会人になり、転職をし、結婚し、さらには子供が産まれ…と、
環境がめまぐるしく変わる中で延々と芝居を続けていることは、
確かに簡単なことではないのかもしれません。

しかし、「続けている」ことを評価されるのは、決して本意ではありません。
「劇団」と名乗る以上、やはり作品で評価されたいというのが本音であり、矜持でもあります。
未だに高校の同級生同士で集まって、バーベキューやら旅行やらで、
ワイワイ遊んでる写真なんかをSNSで見かけることがありますが、
そういう集団と僕の劇団とを同列で理解されたりすると(わりとよくあるんです)、
大人げもなくムキになって全力で否定したくなります。
「おれたちは死んでもあんな風にはならねえぞ!」と。

とはいえ、全員30代の会社員という状況では、
「続けること」で既にいっぱいいっぱいなのも事実で、
理想と現実とのギャップは、20代の頃とはまた違った意味で、
相変わらず僕の目の前に横たわっています。



15年も続けてこられたのは、
別に仲が良いからでも、芝居が特別好きだからというわけでもなく、
単なる「意地」だったと思います。

このブログでも何度も書いてきましたが、
僕は大学1年の時に、クラスにもサークルにもどこにも居場所がなかったから、
とりあえずの逃避先として劇団を作りました。
元々が現実逃避だったから、その罪悪感を打ち消すために、
一生懸命に芝居に打ち込みました。

周りの同世代の学生劇団が次々と「卒業」していく姿を見ながら、
僕は彼らを「負け犬」と蔑んでいました。
けれど本当は、僕は彼らが羨ましかったんだと思います。
だって、大学を辞め、あてもなくフリーターになっていた当時の僕には、
「卒業」する先はなかったから。
だから、そんな自分を正当化するために、僕は意地になって劇団を続けてきたのです。
そうやってこじらせてきた結果が、15年という歳月なのです。



土日にフルに稽古をした翌月曜の朝、会社に向かう通勤電車の中で、
僕はいつも「世界を移動する」感覚に捉われます。
非日常から日常へ。
物語から現実へ。
自分だけが知っている秘密の世界から、元いた世界へと帰っていく感覚です。

2つの世界を移動するのは、正直ものすごくしんどいです。
よくもまあこんなことを何年も続けていたものだと呆れます。
けれど同時に、このしんどさによって僕は思い出すのです。
形だけサラリーマンになっても、家庭を持って一人前を気取っていても、
結局自分は15年前に逃げ出した頃のまま、何も変わっていないということを。

ストイックなわけでも、マゾヒストなわけでもありません。
ただ、僕はこの「秋のない世界」からは、そこからだけは逃げないと決めているのです。
こじらせていようが自意識過剰だろうが、
もう少しだけ僕は意地を張ろうと思います。

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舞台 『演劇企画フジサワパンチ シーン&シーン 〜2015・春 10周年大感謝祭〜』

ttl1009

同じストーリー・同じ台詞なのに
作品が「変化する」ということ


先日見に行ってきた芝居のレビューを書きます。
が、おそらくこの作品のことを知っている人はいないでしょう。
なぜなら客席には僕を含め8人しかいなかったからです。
したがってレビューというものも、これが世界唯一だと思います。

その作品とは、演劇企画フジサワパンチの『シーン&シーン 〜2015・春 10周年大感謝祭〜』。
「演劇企画フジサワパンチ」という、この風変わりな名前の劇団(?)は、
その名も「フジサワパンチ」というステージネームで活動する俳優の、1人ユニットです。
サブタイトルにもある通り、今年の春で活動開始からちょうど10年を迎えました。
10年間、高円寺のライブハウス「ALONE」を拠点としながら、
延々とひたすら一人芝居を続けてきたのです。

実は、彼と僕とは劇団仲間で、15年以上一緒に芝居をやってきました。
ですので、形としてはまず劇団があって、
その後に彼が個人的にフジサワパンチというユニットを始めたということになります。
しかし、気付けば劇団よりもフジサワパンチの方が圧倒的に公演回数を回数を重ねていて、
「本体とサイドプロジェクト」のような関係は、今ではすっかり逆転してしまいました。

最近のフジサワパンチは、「シーン&シーン」と銘打って、
毎回7〜8人の異なるキャラクターを演じるというオムニバス形式をとっています。
今回は10周年ということで、これまで彼が演じてきたキャラクターのベスト版のような構成でした。
なので、感想も今回上演された8つのシーンについてそれぞれ書いてみます。

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■ コンタクトのアイランド
「コンタクトのチラシ配り」という生産性ゼロなアルバイトに、
異常な勤勉さと向上意欲を発揮する不器用な青年の物語。
フジサワパンチの定番ネタの一つで、僕が見に行くときはほぼ毎回見てる気がします。

最初にこのネタを見たのは僕がまだ20代の頃だったと思うのですが、
不思議なもので、当時は主人公の青年に対して、
「不器用だけど頑張れ!頑張ってればいつか正社員になれる!」みたいな、
のほほんとした牧歌的な空気を感じていたのですが、
30代半ばになった今見ると、
一体彼はいくつまでコンタクトのチラシ配りを続けるのか?」という、
こっちがハラハラするような悲壮感じみたものを感じるようになりました。
50歳くらいになっても彼がまだコンタクトのチラシ配りをしていたらどうしよう。

台本は変わらないのに、演じる側・見る側の年齢の変化でキャラクターが違って見える。
このことは、10年続けてきたからこその到達点かもしれません。


■ プロのトラ
初見でした。
「トラ」というのはドラマのエキストラのこと。
何十回とエキストラを経験して、
現場で出る弁当のメニューから助監督さんの性格にまで精通し、
いつの間にか業界人のようになってしまった「プロのエキストラ」のお話。

ただのエキストラのくせに俳優よりも俳優っぽくふるまう「プロのトラ」は、
ひとことで言えば「イタい」んだけど、前述『コンタクトのアイランド』と同様に、
考えようによってはものすごい悲哀を感じるお話でもあります。


■ 全力工事現場
建設会社で長年経理をしてきた中年社員が、
たまには現場の雰囲気を感じようと工事現場の歩道で誘導員をやってみたら、
トラックが出る時も歩行者が通る時も、
全身全霊の猛烈なハイテンションで誘導役をしてしまう、というお話。

台詞中心の芝居が多いフジサワパンチの中では、珍しく肉体系の芝居です。
アクションはキレキレでそれ自体は面白いんだけど、
30代のフジサワパンチが普通に全力でやってしまうから、
「経理畑の中年社員」という肝心のキャラ設定さえも吹っ飛んでしまうのが惜しい。


■ ノー・キャント・ロッカー
これも初見。
今回、実は一番笑ったのはこれでした。
自称シンガーソングライターの「りゅうぞう」がステージで喋って歌うという、
会場が実際のライブハウスであることを生かした芝居。

りゅうぞうはギターの弾き語りスタイルなんだけど、
小道具は使わずに、ギターを構えた状態(マイム)で芝居をしてるから、
僕はてっきり「ギターを持っているという設定」なんだと思ってたら、
後半、りゅうぞうは実際にギターを「持ってない(弾けないのでエアギター)」ということが分かります。

特にオチもないし、途中本当に自作曲(けっこう長め、しかもちょっといい歌風)を歌ったり、
つかみどころがなくてかなりシュールなんだけど、
りゅうぞうのキャラクターが本当に高円寺界隈にいそうな雰囲気があって、僕は好きでした。


■ バーバー市橋
墨田区の下町で昔から営業している床屋の親父が、
お店で彼の友人と延々くだらない話を喋っている、というお話。
ベースのネタは何回か見たことがあるんだけど、会話の内容が毎回変わります。
今回は「花見したいけどまだ桜が咲いてないから、
友人の頭を桜に見立てて店で花見をする」というもの。

これまではいつも肝心の会話の内容がイマイチで、
強引に親父のキャラクターで持っていくようなところがあったんだけど、
今回は親父たちの話の内容が練られていて面白くて、初めて笑いました。


■ マー君
『コンタクトのアイランド』と並ぶフジサワパンチの定番ネタ。
久々に実家に帰ってきたヤンキーが母親と一緒にカレーの材料を買いに行く、というお話。

ストーリーの流れはわりとよくあるもので、
これもまた、以前はキャラクターで強引にもってくようなところがあったけど、
数年ぶりに見たら、台詞の間とか視線のちょっとした動きとか、
技術的な面が大きく改善されていて、オチが分かってるのにクスリとしてしまいました。


■ 富岩くんのお花見大作戦
基本的にフジサワパンチという俳優は、
何かを付け足す、加えるという「足し算」で役作りをする傾向があります。
『コンタクトのアイランド』や『マー君』、『バーバー市橋』といった古いネタが、
「キャラクターありき」で作られているのはそのせいだと僕は見ています。

ところがこの「富岩くん」というネタは、珍しく「引き算」で作られています。
台詞は少なく、ほとんど独り言で、しかもものすごく小声なんだけど、
その「主張しないこと」によって観客の注意を引き込ませています。
もうちょっと長い尺でもできるかどうか、見てみたい。


■ 近所の中畑さん
これもだいぶ前からやっているネタで、
OPが『コンタクトのアイランド』、ラストが『近所の中畑さん』というのが定番の流れ。
(つまりラモーンズでいうところの<Durango 95><Pinhead>だ)
フジサワパンチ演じる中畑さんという初老の職人が、
近所に住む若者に向かって他愛もない世間話や軽い人生訓を垂れるという会話劇です。

何回も見ているのですが、実はこれまでは毎回「良くないなあ」と思ってました。
理由は単純で、年齢が明らかにミスマッチだから。
20代で還暦の人を演じるのはさすがに相当難しい。
しかもこのネタ、かなりしっとりとした会話劇なのでごまかしも利きません。
なので、僕はずっと「なぜこのネタをやるのか」と思ってました。

ところが、演じるフジサワパンチが30代半ばになった今、
彼が中畑さんを演じる違和感は、だいぶ小さくなりました
もちろんまだ無理があるのですが、おそらくこれからさらに溝は縮むでしょう。
前述『マー君』が、年齢をとるごとに演じるのがキツくなっていくであろうこととは反対に、
この『近所の中畑さん』はこれからしっくりくるネタなんだろうなあと思いました。

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同じ劇団の仲間ということで、
「身内のひいき目」が無いと言ったらウソになるでしょう。
それに、身内の芝居のレビューをぬけぬけと書いてしまう、
僕の良識もどうなんだという突っ込みもあるかもしれません。
それでも何かしら感想を書きたいと思ったのは、
ひいき目を差し引い(たつもり)ても、今回の舞台が面白かったからです。

それは、『コンタクトのアイランド』や『バーバー市橋』、『近所の中畑さん』のように、
演じる側・見る側の年齢の変化によって、
芝居の印象が如実に変化することを実感できたからでした。
同じ物語、同じ台詞であっても、環境の変化によって絶えず作品がアップデートされるのは、
生の舞台にのみ与えられた特権です。
まさに、10年続けてきたことの成果といっていいでしょう。

ただ、同時に、そうした変化を共有できるのは、
フジサワパンチが何年も同じキャラクターを演じ続けているからでもあります。
それは、比較的フットワークの軽い一人芝居というスタイルだからこそできることです。
僕らの劇団のように、数年に一回しか公演を打てない状況では、
やはりまずは「新作をやろう」ということになるので、なかなか実現は難しい。
そういう意味で、彼のスタイルがうらやましいとも感じます。

そしてホームページもSNSのアカウントももたず、告知はごく限られた知人のみという、
時代に逆行するかのようにクローズドな活動を続けるフジサワパンチなので、
(だからこそ客席が8人なのです)
僕も次の公演予定とかまったく知らないのですが、
分かったらお知らせします。




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舞台 『朝日のような夕日をつれて 2014』

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「ひとりで立ち続ける」は
僕自身の言葉になった


劇作家・演出家の鴻上尚史が主宰するKOKAMI@networkの舞台、
『朝日のような夕日をつれて 2014』を見てきました。
鴻上さんがかつて率いた伝説の劇団「第三舞台」の出世作であり、
これまで計6回も再演を繰り返してきた代表作です。
第三舞台は2011年に解散してしまいましたが、
大高洋夫小須田康人という劇団時代からの役者2人を含めたプロデュース公演という形で、
実に17年ぶりに再演されることになりました。

17年前に上演された(つまり前回の)『朝日のような夕日をつれて 97』は、
僕が初めて見た第三舞台の作品でした。
正確に言えば僕が見たのは生の舞台ではなく、ビデオでした。
ビデオでしたが、僕にとっては未だにあの『朝日 97』に勝る演劇体験はありません。

起承転結はおろか、「誰がああしてこうして」というストーリーの体裁すらとっていない物語。
マシンガンのように放たれる洪水のようなセリフ(しかもそのほとんどはギャグ)と、
そこに何の脈絡もなく挿入される大音量の音楽とダンス。
当時僕が知っていた「演劇」というもののセオリーをことごとく打ち砕くような作品だったのに、
なぜだかものすごく面白かったのです。

わからないのに面白い」という体験そのものが衝撃でしたし、
そしてその面白さは、単に「笑える」という表層の面白さだけではなく、
「こんなにもわけがわからないのに、言葉や役者の表情の一つ一つがグサグサ刺さる」という、
内面的な意味での面白さであることが、また衝撃でした。
あの作品を見る前と後とでは、僕の感性や思考の配列はガラリと変わったという実感があります。
そのくらい、僕にとっては強烈な体験をもたらした作品でした。

ただ、正直に言えば、僕は今回の『朝日 2014』にはそこまで期待はしていませんでした。
というのは、この作品が「男5人による延々と終わらない遊び」という、
役者(&スタッフ)同士の濃密な関係性を前提とした構造をしているため、
1回限りのアンサンブルであるプロデュース公演という形では、
限界があるだろうと思っていたからです。

例えば、長年連れ添った夫婦が「言葉を発しなくても成立する間」をもっていたり、
古い付き合いの友人グループが「グループ独特のノリ」をもっていたりするように、
『朝日』という芝居の面白さの核になっているのは、個々の役者の演技力というよりも、
劇団という濃厚な集団だけがもつ「非言語的な何か」でした。
だからこそ、出演者の半数以上を第三舞台以外の役者が占める今回の『朝日』では、
かつてのような面白さは期待できないんじゃないかと思っていたのです。
僕は、第三舞台が解散した今になって『朝日』が見られることに喜びを感じる半面、
実は内心では半信半疑な気持ちをもっていました。

で、実際に生で見たわけなのですが、結論から言うと、想像していたよりずっと面白かったです。
…ってなんかすごいイヤな言い方になっちゃってますけど、
でもホント、事前の心配が吹っ飛ぶくらい楽しめました。
楽しめた理由は単純。
半信半疑だった「第三舞台以外の役者」3人(藤井隆・伊礼彼方・玉置玲央)が、すごく良かったからです。

藤井隆のゴドー1は、歴代の中で初めて「ちょっと弱そうなゴドー」になったという点で新鮮でした。
(歴代ゴドーは全員体育会系だったところに初めて生まれた文化系のゴドーでした)
彼にしかない味が出てたと思います。
伊礼彼方のゴドー2はセリフ回しがすごく堂々としてて良かったです。
パワフルだし、賢そうにもアホそうにも見える幅広さがあるし、
将来的には彼がゴドー1を務める可能性もあるんじゃないかと感じました。
玉置玲央の少年も素晴らしかったです。ハイテンションなあの役に負けてなかったですね。

ただ残念だったのは(というか過去作を見てる人はほとんどそうだったと思うんだけど)、
舞台を見ている間ずっと、頭の中で「かつての『朝日』」と比べてしまったことです。
大高さんと小須田さんが目の前にいるのに、
僕は2人の芝居と頭の中の映像とが合っているかずれているのかの「確認」に追われてばかりでした。
もちろん、これは作品の出来が原因ではなく、
僕の思い入れ、あるいは「生の『朝日』を見るのが初めて」という個人の事情によるものです。
なので、今回の『朝日』がどうだったのかという感想については、ちゃんとは語れません。
「今回の『朝日』」を味わうためにも、もう一度見たいというのが今の正直な思いです。



……というのが見終わった直後の率直な気持ちだったのですが、
実は家に帰ってから、ふつふつと考えたことがあります。
それはこの芝居のテーマの一つでもある「ひとりで立ち続ける」ということについて。
ちょっと長いけど、オープニングとエンディングで登場人物全員が群唱する、
この作品のキーとなる一節を引用します。

朝日のような夕日を連れて
僕は立ち続ける
つなぎあうこともなく
流れあうこともなく
きらめく恒星のように
立ち続けることは苦しいから
立ち続けることは楽しいから
朝日のような夕日をつれて
ぼくはひとり
ひとりでは耐えられないから
ひとりでは何もできないから
ひとりであることを認めあうことは
たくさんの人と手をつなぐことだから
たくさんの人と手をつなぐことは
とても悲しいことだから
朝日のような夕日をつれて
冬空の流星のように
ぼくは ひとり


初めて『朝日』を見た19歳のとき、僕はこの「立ち続ける」というフレーズに強く憧れました。
誰にも寄りかからずに、何物にもすがらずに、ひとりで立ち続ける。
それは、強い意志や自負心とは裏腹に、親の庇護を受けなければならなかったり、
さみしさに負けてその場限りの連帯に逃げ込んでばかりいた当時の僕にとって、
目指すべき指標であり、ある意味では耳の痛いフレーズでした。

で、14年経って久々にこのフレーズを耳にして(今でもそらで言える!)思ったのは、
『ひとりで立ち続ける』なんて不可能じゃないか?」ということ。
さみしさを紛らわすために何かに依存することをやめたり、
「自分が何者でもない」ということから目を背けるためにどこかに所属することを一切拒否したり、
そんな鋼鉄のような心の持ち主は、果たして世の中にどれだけいるのでしょうか。
少なくとも僕はムリだし、この先も多分そうはなれないような気がします。

14年前に初めて『朝日』を見たのは、ちょうど僕が仲間と一緒に劇団を立ち上げた直後でした。
大学のくだらない人間関係ゲームを断ち切って、何物の庇護も受けずに自分の好きなことをやる。
そういう思いが、「ひとりで立ち続ける」というフレーズと重なりました。

しかし、実際の当時の僕自身はというと、大学からドロップアウトしたという負い目を打ち消すために、
劇団という存在にすがっていました。
一生懸命に芝居を作っていた情熱の正体は、なんのことはない、
「何者でもない自分」から逃避するための必死さに過ぎなかったのです。
「ひとりで立ち続ける」というフレーズに憧れていたくせに、
実際にはどんどんそこから遠い場所へと走っていただけだったんですね。

自分がそういう悪循環的な精神状態に陥っていることを自覚し、
そしてそこから抜け出すのに、結局僕は10年かかりました。
抜け出すというのは、「劇団が無くなっても困らない」という状態に自分をもっていくこと。
多分、当時の僕は劇団が無くなったら生きていく支えを失うようなダメージを負ったでしょう。
「依存」ということの見本例のような状態だったのです。

ただ、すごく厄介だなと思うのは、劇団への依存から抜け出すために僕がとった方法は、
新たな依存を作り出す」ということでした。
それは例えば趣味であったり、仕事上の目標であったり、家族だったりしたのですが、
要は「劇団が無くなっても俺には○○がある」という風に自分を作り変えることでした。
一応、既にそのときには「依存」というものへの自覚と警戒心があったので、
あくまで劇団への重たい依存から抜け出すため、バランスを取り戻すための、
「一時的でテクニック的な依存」ではあったのですが、
結局新たな何かにすがらなければ別の何かを捨てられない自分にがく然としたのを覚えています。
だから僕は「ひとりで立ち続ける」というフレーズに対して、
高く分厚い城壁を前にしたような、ほとんど呆然とするような思いを持つのです。

しかし、だからといって『朝日』のこのフレーズが、
今の僕にとって説得力がないかというと、そうではありません。
上掲の一節を改めて読み返してみると、14年前には感じなかったあることが見えてきます。

14年前の僕にとって、「ひとりで立ち続ける」と語っている人物は、「僕以外の誰か」でした。
それは、既に「ひとりで立ち続ける」ことを成し遂げた強く立派な誰かであり、
その誰かが僕に対して指し示す目標が、「朝日のような夕日をつれて僕は立ち続ける」ということでした。
しかし、今の僕にとってこのフレーズを語る人物は、「僕自身」に他なりません。
「ひとりで立ち続ける」ことの成否を問うているのではなく、
「ひとりでは耐えられない」ことを自覚した上で、
それでもひとりで立ち続けようとする「意志」としてこのことを語る、僕自身なのです。

何かにすがって生きることの甘美さを経験し、
同時に何かにすがって生きることの危うさを知り、
けれどその危うさを知ったところで結局(一時的にせよ)何かにすがりつくことをやめられない。
そのことを身をもって知った今の僕にとって「ひとりで立ち続ける」というこのフレーズは、
14年前よりもずっと「自分の言葉」になったのかもしれません。

なんだか、大きな螺旋階段を上って、
結局再びこのフレーズに戻ってきたような、そんな気がしています。


YMOの『Public Pressure』より<The End Of Asia>。
さすがにこの曲を生で聴いたときは鳥肌立ちました。







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「音楽で食わずに、音楽と生きる」ことについて僕も考えた

「仕事or趣味」という二元論は
ナンセンスなんじゃないだろうか


多くの愛読者(僕もその一人)をもつ音楽ブログ「レジーのブログ」で、
3月から『音楽で食わずに、音楽と生きる』という連載企画が始まっています。
昼間は音楽と関係のない仕事をしながら、
それ以外の時間で音楽ライターやバンドスタッフとして活動をしている人たちへのインタビュー企画です。
(これまでのところ、前口上1回、本編3回がアップされています)

前口上
case1 会社員×音楽ライター
case2 会社員×バンドスタッフ
case3 会社員×アーティストメディア編集者

記事を読むと音楽業界の(というほど僕は詳しくないですが)潮流の変化みたいなものを感じます。
きっと、かつてはレコード会社や有名雑誌といった、
いわゆる「業界の人たち」が強かったんだと思うのですが、
最近はそうした既存の枠に捉われない働き方や関わり方も生まれつつあるんだなあと。

ただ、僕がこの『音楽で食わずに、音楽と生きる』という企画で一番刺激を受けたのは、
ここに登場する人たちの「生き方」そのものです。

会社員として勤めながら、別の時間で違う仕事をする。
いわゆる「パラレルキャリア」の一つではあるのですが、この企画に登場する人たちは、
副業として稼いでやろう!とか、あわよくばこれを本職にしてやろう!というような、
ギラギラした目的で(別にそれが悪いってわけじゃないけど)二足のわらじをはいているわけではありません。
「音楽が好きだから」「楽しいから」というシンプルな「思い」によって、
彼らは自分独自の音楽との関わり方を見つけ出したのだと思います。

「音楽と関わる」というと、大抵、「音楽を仕事にする(音楽で食う)」こととイコールにされがちです。
(これ、映画とか演劇とかアート系は大体置き換え可能です)
もちろんそれは間違いではないんだけど、正確に言うなら「仕事にする」というのはしょせん手段であって、
「音楽と関わる」ということの本質は、その人の「思い」であるはずです。
好きな音楽と出会えた喜びであったり、音楽を通した人とのつながりであったり。
もちろん、ミュージシャンやレコード会社の社員や専業の音楽ライターになれれば理想なんでしょうが、
現実には誰もがそれをできるってわけじゃありません。
僕が言いたいのは、じゃあそうした「仕事」という手段を手にすることができないからといって、
「音楽と関わる」という思いまでを捨てる必要はないだろうってことです。

こういうのって「きれいごと」の一言で切り捨てられがちだし、
実際、何らかの事情で諦めざるを得ないケースとかいろいろあるとは思うのですが、
僕はどうしてもこの「きれいごと」(=思いが大事!)にこだわりたい。
というのは、僕自身がかつて劇団でこの問題に直面したからです。

劇団を旗揚げした当初、僕らは大学1,2年生でした。
だから、最初はひたすら芝居作りに没頭してればOKでした。
しかし、やがて大学3,4年生になると「プロを目指すのか、就職してスパッと辞めるのか」という、
おそらく全国の学生劇団が経験するであろう問題に直面することになりました。

当時、メンバーといろいろ議論をしたのですが、僕はこの問題について根本的に違和感がありました。
その頃の僕は寝ても覚めても芝居!というくらいに夢中になっていたので、
どちらかといえば「プロを目指す」派だったのですが、
しかし本心では「仕事か趣味か」とか「プロかアマか」という“括り”など、どうでもいいと思ってました。
というのは、プロを目指そうと趣味として続けようと、それはただの結果論であり、
プロだから本気でやる、趣味だから手を抜くということはないし、
プロだから楽しい、趣味だからつまらないということもないだろうと思っていたからです。
僕にとって大事なのは目の前の作品を一生懸命作ることであって、
会社員やりながらやろうが、フリーターしながらやろうが、
そんなことは大して重要じゃないというのが本音でした。
(もちろん、プロとアマの間には厳然たる違いがあることは重々承知しています。
 才能や努力の尺度としての「プロ」「アマ」というのはあるし、今はそれを棚上げして書いています)

結局、僕らが選んだのは「昼間は仕事をしながら劇団を続ける」というものでした。
この決断の背景には、「自分たちにはプロになれる才能も個性もない」という見切りがありました。
ですが、負け惜しみではなく、僕は「仕事をしながら劇団を続ける」という決断をしてよかったと思っています。
仮に理想を求めてプロを目指していたとしたら、売れないし食えないしで早晩僕らは潰れていたでしょう。
だから、昼間は会社に勤めて生活の基盤を確保した上で芝居を続けるという今のスタイルは、
「芝居を続けたい」という僕自身の希望に適っているし、
結果的にとても合理的な判断だったなあと思うのです。

ただ、前文のように、あくまで「結果的に」というエクスキューズがつきます。
「プロになるか、辞めるか」という二元論はくだらないと思っていたものの、
そのどちらでもない「仕事をしながら劇団を続ける」という選択について、
当時の僕らの身の回りにはロールモデルとなる先輩劇団がほとんどなかったので、
いざその方向へ進むのはけっこう不安がありました。
「プロになる」「辞める」以外の劇団のあり方が、当時の僕ら自身にも、正直イメージはついてませんでした。

でも、“結果的には”僕らはなんとか活動を続けて、それなりに楽しくやれている。
ちょっとイヤらしい言い方になってしまいますが、
同郷で同期の学生劇団には僕ら以上にプロを目指して活動をしている劇団がたくさんいましたが、
僕の知る限り、今でも残っているのは僕らだけです。
「どうだ、すごいだろう」と言いたいのではなく、
いち早く見切りをつけた僕らの方が結果的には長く続いているというのが、
なんというか、「『将来を決める』って難しいなあ」というように思うのです。

僕らは、当時直面していた「プロを目指すのか、就職してスパッと辞めるのか」という二元論の、
そのどちらでもない道を選びました。
多分、連載企画『音楽で食わずに、音楽と生きる』に登場した人たちも、
「仕事or趣味」というような、オール・オア・ナッシング的マインドに捉われなかったんだろうと思います。
中には、かつて専業で音楽関連の仕事に就くことを目指していた人もいるかもしれません。
もちろん、専業で音楽に関われることは素晴らしいことだけれど、
そこにこだわらなくても、兼業バンドスタッフやライター、あるいは音楽ファンが集うブロガーとか、
いろんな道があるんですよね。
そういう「第3の道」を行く彼らの生き方を、僕はすごくポジティブだと思うし、
人生の豊かさみたいなものを感じました。




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『純と愛』最終回を見て考えたこと

現実に「寄り添う」のか
現実を「忘れさせる」のか


NHKの朝ドラ『純と愛』が先週土曜日に最終回を迎えました。
放送中から賛否両論の激しいドラマでしたが、
最終回の終わり方については、
ネットを中心にものすごいたくさんの批判・バッシングが巻き起こりました。

見終わった直後は僕も唖然としました。
「え?これで終わり??」と。
最後の最後まで主人公の純ちゃんは残酷な現実から抜け出せないまま、
ハッピーエンドとはほど遠い結末に、
半年間見続けたことが全て徒労に終わったような、
そんなやるせない気持ちを感じました。

「これじゃ視聴者が怒るのもムリないよなあ」とネットの意見に同意する一方で、
しかし、もし僕がこの物語の脚本を書いていたらどうしただろうかと、
考え込まざるをえない部分もありました。
というのも、好きか嫌いかという感情は別として、
『純と愛』の最終回は、「『物語』をどういう態度で作るか」という、
個人的にすごく重要な問題を突きつけてきたからでした。
うまく書けるかどうかわからないのですが、
この数日間考えたことを備忘録として書き残してみたいと思います。



多分、最終回の最大の焦点は、
「果たして愛くんは目覚めるのかどうか」だったと思います。

勤めていたホテルが外資に乗っ取られたり、
再就職した民宿が火事で全焼したり、
お母さんが若年性アルツハイマーにかかってしまったり、
さらに、それが遠因となってお父さんが亡くなったりと、
半年間の放送のあいだ、主人公の純ちゃんの身にはとんでもない災難と不幸が降り続きました。
そして訪れた、「最愛の人が植物状態になる」という、
最後にして最大の悲劇。

「脳に腫瘍ができたんだから、そう簡単には目覚めないだろう」と冷静に予想する一方で、
「ここまでずっとかわいそうな目にあってきたんだから、
最後に一つくらい奇跡が起きてもいいだろう」という期待もありました。
じゃなきゃあ、あんまりだろうと。
王子様のキスでお姫様が目を覚ますという『ねむり姫』の絵本が、
物語の中でずっとキーになってきたという伏線も、
奇跡を期待する根拠でした。

しかし結局、愛くんは目覚めませんでした。

『純と愛』が、半年間かけてたどり着いた着地点。
それは、『ねむり姫』のような愛の奇跡などではなく、
最終回の、あの5分にも及ぶ純のモノローグで語られた、
「どんな過酷な運命に見舞われても、私は前を向いて生きていく」という、
悲壮なまでの決意だったのです。
確かに、じりじりと這い上るようにして純ちゃんがその決意に至った直後に、
愛くんがやすやすと目覚める場面を描いてしまったら、物語は台無しだったでしょう。

明確な救いもなく、明るい予感さえもなく、あるのはただ強烈な意志のみ。
そこにカタルシスはありません。
ありませんが、納得はできます。それも深いところで。
だって、「キスをすれば最愛の人が目を覚ます」なんていう奇跡が、
現実の人生には起きうるはずがないことを、僕らは知っています。

悲観論とは違います。
ニュースをつければ、いじめられていることを誰にも打ち明けられずに自殺したり、
わけも分からずに通り魔に刺し殺されたりすることは、
ごくありふれた日常として、すぐそこに現実として存在します。
ましてや、つい2年前に、2万人もの人の命とその人たちの生きていた日常が、
まったく唐突に失われるという巨大な絶望を目の当たりにした今、
「どんなに救いがなくても、私は生きていくんだ」というメッセージは、
なんというのでしょう、「それしかないよなあ」と諦めにも似た深い納得感を感じるのです。
『純と愛』は、視聴者にカタルシスを与えなかったのではなく、
「与えられなかった」のだと思います。
突き放すような結末のつけ方は、
あの物語がどこまでも現実にコミットしようとした結果なんじゃないかという気がするのです。



しかし……、
その一方で、こうも思うのです。
「物語は『物語』でいいじゃないか」と。

今回、ネットの感想を見ていて、僕が気になったのは、
「(『純と愛』は)朝から辛い気分になるからイヤだった」という意見がけっこう多いことでした。

「いかに現実が残酷か」ということを、わざわざ物語に教わるまでもない。
そんなことはもう十分わかってるから、
せめて朝の15分くらいは、それを忘れるくらい楽しい気持ちにさせてほしい――。

物語に束の間の「ブレイク」を期待する気持ちは、よくわかります。
というか、ぶっちゃけた話、現実にコミットしたシリアスな話よりも、
底抜けにバカなコメディを見て大笑いした方が、
明日を生きる活力が湧いてきたりするものです。

愛くんが目覚めないことに納得する一方で、
純のキスで愛くんがパッと目覚めるお気楽なハッピーエンドを見て、
「そりゃねえよ〜!」とテレビに向かって突っ込みたいという、
そんな真逆の欲求も僕の中にはあるのです。
そして、物語を作ることを考えたときに、
理屈に合わないそういう欲求は、決して否定すべきじゃないとも思うのです。

現実に「寄り添う」のか、現実を「忘れさせる」のか。
もちろん、これはあまりに極端な二元論であり、
物語を作るにはどちらか片方を選ばなきゃいけない、というわけではありません。
両方を同時に兼ね備えた優れた物語というのも、世の中にはたくさんあります。
完璧に寄り添うのも、完璧に忘れさせるのも幻想で、
要は作り手のバランス感覚なんじゃないかとも思います。

ただ、あえていえば、現時点での僕は後者の立場を取ります。
つまり、僕がもし『純と愛』の脚本を書いていたら、
なんとかして愛くんを目覚めさせるか、
もしくは全く別の展開を用意して、
強引にでも明るい予感を残して物語を終わらせたと思います。

僕は12年間、劇団で戯曲を書いてきましたが、
はじめの6年間は、実は圧倒的に前者の立場でした。
当時(20代前半)の僕にはまだ、
底抜けに明るいコメディを作ることが、現実から目をそむけているようにしか考えられなかったのです。
逆にいえば、ニュースも新聞もネットの掲示板も友人の噂話も、
あらゆる現実を取り込んでそこに切り込むことだけが「物語をつくる」ということなんだと、
当時の僕は思っていたのです。
だから(というのも変ですが)、最初の頃は悲惨で苦しい物語ばかり作ってました。

それが6年間続いた後に、僕は一気に方向転換して、コメディばかり書くようになりました。
その時期は、ちょうど僕やメンバーが社会に出た時期に重なります。
仕事でしんどい思いをしたり、病気をしたり、壮絶な離婚をした友人の話を見たり聞いたりするうちに、
自然と「笑える話」を求めるようになったんだと思います。

ある意味では、現実逃避的な心理だったのかもしれません。
しかし、言い換えればそれは(今にして思えば)、
僕が頭の中でこねくり回した「観念的な悲劇の物語」などよりも、
目の前の現実の方がはるかに複雑でシビアであることを、
身をもって体験したのだと思います。
だから僕は、観念よりも肉体(=ワッハッハと笑うこと)を重視するようになったのです。

だけど、そうは言っても、『純と愛』の最終回で描かれたような、
ああいうミもフタもないようなストレートなメッセージというのも捨てがたい。
捨てがたいというか、やっぱりあそこまで突き詰めていく姿勢が、
物語を作る基本だろうと今でも僕は思っているのです。

ただ、もしできるなら、僕はそれを笑いのオブラートに包んだり、
スカッとするようなカタルシスを担保にした上で、
ああいうストレートなメッセージを成立させたいなあと思います。
…ま、言うのはタダですから(笑)。





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『スターマイン』を応援してくれたみなさまへ

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theatre project BRIDGE vol.13 『スターマイン』が終わってから、
2か月が経ちました。
劇場に足を運んでくれた方に、
また、見には来れなかったけれど応援のメッセージを寄せてくれた方に、
改めてお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

2か月経って、ようやく元の生活に戻ってきました。
公演が終わると、いつも気が抜けてしまうのですが、
今回はいつにも増して公演の「余韻」が尾を引きました。
というのも、今回は久しぶりに、
公演が終わった後に「寂しいなあ」と感じたのです。

作品と別れる寂しさ、
メンバーと会えなくなる寂しさ、
そして何より、一つの大きな熱狂が終わってしまう寂しさ。

こんな気持ちになったのは、
旗揚げの頃以来かもしれません。
どうやら他のメンバーも同じような心境のようです。
今回は2年ぶりの公演だったので、
「芝居をやる」ということが新鮮に感じられたのかもしれません。
結成12年目で、再びこのような若い(?)気持ちになれたことこそが、
個人的には今回の一番の収穫でした。

お知らせしているように、
theatre project BRIDGEはこれから、
「2050年の結成50周年」を目指して
活動し続けていくことを決めました。

2050年にはメンバーの平均年齢は、70歳です。
中には孫がいるメンバーもいるでしょう。
ほぼ寝たきり、みたいなメンバーも出てくるかもしれません。
「おじいちゃんやめなよ!」とか言われながら、
それでも舞台に立って、
ぶっ飛んだコメディとか、めちゃくちゃエッチな話とかやりたいです。
ドラッグ漬けだったローリング・ストーンズでさえ50周年を迎えたのだから、
優良な市民生活を送っている僕らにできないわけはないんです。

旗揚げした当時、学生だった僕らを支えていたのは、
「学校にもバイトにも、どこにも熱狂できるものが無いのなら、
 自分の手で作ってしまえばいい」
という意志でした。
今度はその意志を、人生という器の中で貫くだけです。

次回公演は3年後です。
今回見にきてくれた方も、残念ながら来れなかった方も、
是非また3年後、劇場でお会いしましょう。
次も(次こそは?)天地が引っくり返るような面白い物語を作って、
あなたをお待ちしています。





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最後の稽古でした。

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台風が迫りくる中、昨日は最後の稽古でした。
明日、僕らtheatre project BRIDGEは劇場入りします。
3日間の準備期間を経て、5(金)の夜に『スターマイン』は幕を開けます。

学生劇団だった頃は、
最後の稽古が終わると、「やろうぜ!」「悔いを残すな!」「おれたち最高!」などと、
互いを鼓舞し合う“青春プレイ”に興じていました。

12年目を迎えた今、さすがにそんな雰囲気は露ほどもなく、
各自の作業を淡々とやるのみ、というような、
至ってクールで静かな稽古最終日でした。

かつてのような、無闇に高揚していた頃が少しだけ懐かしくもあったりしますが、
作品にかけるモチベーションは、むしろ今の方が強いです。
誰に命令されたわけでもなく、形ある報酬があるわけでもなく、
それでも集団で何かをゼロから生み出すこと。
そのことの意味を、かつてよりもずっと、強く感じているからでしょう。

『スターマイン』はいよいよ今週末。
劇場で待ってます!


theatre project BRIDGE vol.13
『スターマイン』
シアターグリーン BOX in BOX THEATER

10/5(金)19:30(←満員御礼!)
10/6(土)14:00 / 19:00
10/7(日)14:00 / 19:00
10/8(月祝)14:00
※開場は開演の30分前です

チケット発売中!





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【稽古場日記更新】12年もやってます

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気付けばなんと……本番まで残り1週間!
早ぇぇ!!!

来週の今頃は、ゲネプロを終えて、
後は初日の幕が開くのを待つのみ、という状態(のはず)です。

というわけで、今週も稽古場日記が更新されました。

コチラ

劇団初の「ママ女優」となった役者のワタナベカオリが、
育児をしながら、それでも舞台に立ち続ける決意について書いています。

思えば、19〜20歳の頃に旗揚げして、
それが今では何人ものメンバーが家庭をもつようになったわけですから、
時の流れを感じます。
生活のステージは刻一刻と変化するのに、
「芝居を作る」という、ただ一つのことだけは12年間何も変わっていない。
我ながら不思議な気がします。

お蔭様で10/5(金)のステージは満席となりました。
残りの3日間のステージはまだ余裕があります。
特に6(土)、7(日)の19時のステージは空いているのでおすすめですよ!

みんな、面白いから、見に来てくれよな!


theatre project BRIDGE vol.13
『スターマイン』
シアターグリーン BOX in BOX THEATER

10/5(金)19:30(←満員御礼!)
10/6(土)14:00 / 19:00
10/7(日)14:00 / 19:00
10/8(月祝)14:00
※開場は開演の30分前です

チケット発売中!





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【稽古場日記更新】

今週も稽古場日記が更新されました〜!
今回は役者の鳥居沙菜が担当です。

コチラ

先週の通し稽古のこと、それを踏まえた今週の稽古のこと、
彼女が振付を担当しているダンスのこと、さらにはチケットのことなど、
「これでもか!」というくらい、BRIDGEの最新事情が網羅された内容です。
鳥居の生真面目な性格が窺える稽古場日記ですねえ。

今回の作品は、出演する役者の人数が少ないです。
稽古場日記の写真を見ると一目瞭然。
どの写真を見ても舞台に上がっているのは2〜3人。
どうも静か〜なお芝居に見えてしまいます。

しかし、実際に見たら、きっと真逆の印象を持つでしょう。
何度もお伝えしているように、今回の芝居はとっても「パンク」!
静か動かと問われれば、間違いなく「動」のお芝居なのです。
そして、前回『バースデー』に続き今回もやります「1人複数役」!
登場するキャラクターは役者の人数のわりにはやけに多い作品です。
静かそうに見えて、実はすごくやかましい芝居『スターマイン』。
是非劇場に見に来てね!

さて、日記の中でも触れていますが、
10/5(金)19時半のステージがお陰様で完売になりました。
他のステージも徐々に埋まり始めていますので、
迷われている方、お早めにご連絡ください!
※6(土)19時、7(日)19時のステージが比較的空いています!



theatre project BRIDGE vol.13
『スターマイン』
シアターグリーン BOX in BOX THEATER

10/5(金)19:30(←満員御礼!)
10/6(土)14:00 / 19:00
10/7(日)14:00 / 19:00
10/8(月祝)14:00
※開場は開演の30分前です

チケット発売中!





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