週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】ライヴ盤

銀杏BOYZ日本武道館公演「日本の銀杏好きの集まり」

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「そこにいるマイ・フレンド」は
僕自身のことでした


 アンコールが終わって客席の電気が着くと、僕の席の近くにいた女の子が「こんなに泣くと思わなかった」と呟きました。一緒にライブを見てた妻も「これまでで一番泣いたライブだった」と言いました。そして僕にとっても、初めてポール・マッカートニーを生で見た2013年の東京ドーム公演を超えて、過去一番泣いたライブになりました。

 銀杏BOYZの武道館公演「日本の銀杏好きの集まり」は、初の武道館ワンマンとは思えないほど、雰囲気はいたって淡々としていました。あいにくの雨のせいもあったのかもしれませんが、お祝いムードという点では、6月にあったTheピーズの30周年公演のときのほうが、はるかに「お祭り」的な空気に包まれていたと思います。にもかかわらず泣けて泣けて仕方なかったのです。

 今年の7月、銀杏BOYZがリリースしたシングル<エンジェル・ベイビー>を初めて聴いたとき、僕は駅のホームで文字通り号泣しました。発売前だったのでYouTubeにアップされた粗い音質のラジオ音源だったのですが、いくら我慢しても次から次へと涙があふれてきました。

 その時に僕が思ったのは「これは俺だ」ということでした。ここで歌われているのは僕自身のことで、だからこの曲は「俺の曲」なんだと思いました。そして、俺の曲なんだから何度でも聴かなきゃと思って、家でも電車の中でも歩いているときも、しばらくのあいだは四六時中ずっと、粗い音質の<エンジェル・ベイビー>だけを聴いていました。この曲以外に聴くべき曲なんてないと思いました

 でも、ちょっと観念的な話になっちゃうのですが、ここで僕が言う「僕自身」というのは、会社に毎日おとなしく通って仕事をしたり、家で親としてふるまったりしている「今の僕」というのとは少し違うのです。じゃあどの「僕」なのかというと、毎日「死にたい」「消えたい」とばかり考えていた、20歳前後の頃の僕自身です

 当時からたくさん時間が経って、いつの間にか僕は「死にたい」「消えたい」と考えることは滅多になくなったけど、それは気づかないふりをしたり目をそらしたりするのが上手になっただけで、一枚皮を剥いでしまえば、依然としてそこには当時と何も変わらない、弱くて甘ったれで自分に自信が持てない、クソな僕がいます。<エンジェル・ベイビー>は、まさにその「クソな僕」に向けて歌われていました

 ただ、僕が泣いたのは「クソな僕」が未だに残っていることにショックを受けたからでも、「死にたい」という当時の悲しさが蘇ってきたからでもありません。むしろその逆で、そういうクソな僕でも許されたような、クソな僕でも「生きてていいんだよ」と言われたような、そういう感じがしたからでした。

 僕のちっぽけな青春や、今思うと死ぬほどイタイことやってたなって恥ずかしさや、「自分は特別だ」と思い込んでた自分の平凡さ、そしてそれを思い返して懐かしさを覚えてしまう俗っぽさまで含めて、そんなありきたりな自分というものが、銀杏の歌を聴いていると愛しく思えてくるのです。

 優しいふりをした歌があふれまくってるこの世界で、峯田は「お前はゴキブリだ」「蛆虫だ」と歌ってきます。なんて自分はちっぽけなんだろうと悲しくなります。でもその悲しさでこそ僕は救われる。どこまでもどこまでも自分のことを否定して、もうこれ以上否定しきれない、あとは死ぬだけってときに、最後に自分を肯定してくれる防波堤のような音楽です。

 10/13の武道館、1曲目に<エンジェル・ベイビー>を演奏するとき、峯田は「ハローマイフレンド!そこにいるんだろ!」と叫びました。その「マイフレンド」とは、僕のことでした。<夢で逢えたら>を演奏するとき「夢で会えたぜ!」と叫んだけど、あの瞬間に僕が会えたのは、他ならぬ僕自身でした。僕が武道館で泣けたのは、相変わらず僕がクソだからでした。そして、クソだけど生きていたいと思えたからでした。






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Theピーズ30周年日本武道館

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武道館らしくないバンドの
もっとも「武道館らしい」ライブ


この数年、「ベテランバンドの初武道館」がすっかり恒例化しました。
怒髪天(2014年、結成30年目)、フラワーカンパニーズ(15年、結成26年)、
そしてつい先日のコレクターズ(17年、結成30年)。
※思えば09年のピロウズ(09年、結成20年)がその嚆矢だった気がします
そしてつい先日、過去のどのバンドよりも武道館らしくないバンド
ある意味「真打」が、あの八角形の屋根のあるステージに上がりました。

Theピーズです。
6/9、結成30周年で初となる武道館ライブを見に行ってきました。

ベテランバンドの初武道館って、
「苦節何年、ついに光の当たる場所に出てきました…」みたいな
涙の「物語」とどうしてもセットになりがちです。
でもこの日のステージは、3人のキャラクターもあって、
まったく湿っぽくならず、終始笑いの絶えない「お祝い会」といった雰囲気でした。

「物語」はもう十分みんなの中で醸成されているんだから、
それをあえて口に出すのは野暮ってもんだろう。
そういう大人の信頼関係ができあがっていることに、
30年という時間の重さを感じました。

「物語」を明示しないもう一つの理由は、
必要な言葉や気持ちは、楽曲の中で既に語られているからです。
例えば、アルバム版よりもテンポを遅くして演奏された<鉄道6号>
いつも通り、本気と冗談の境界線がわからないゆるいキャラのままのハルが、
やっとこんないいとこまで たどりついてしまった
ああお疲れさんだよ

という冒頭のフレーズを歌ったときの、あのグッとくる感じは、
たとえメンバーが涙を流しながら感動的なMCをしたとしても生まれないでしょう。

そういえば<鉄道6号>だけでなく、
<線香花火大会>や<ドロ舟>、<実験4号>といった、
Theピーズの作品の中でも最も苦いアルバム『リハビリ中断』の楽曲が、
あの場で歌われるとハッピーで楽しい曲に聴こえたことも象徴的でした。



もう一つ、とても印象的だったのは、
「ピーズというバンドは、実は武道館がよく似合う」ということでした。
そうなのです、冒頭にも書いたように、
見る前は「武道館らしくないバンド」とばかり思ってたのですが
実際に見てみたら、武道館の雰囲気が心地よくハマッていたのです。
僕はかなり前の方で見てたのですが、2階席の人も似たようなことを言ってたので、
ステージとの距離の問題ではないようです。

では何が理由なのか。
高音が割れるギリギリ手前のつんざくような雑な感じの音は武道館らしくなくてよかったし、
曲のスケール感も武道館の大きさにまったく負けていませんでした。
特に<バカになったのに>、<底なし>、ラストの<グライダー>はすごい迫力だった。
その一方で、3人のMCは普段通りだから、心理的な距離感は普段と変わらない。
でも僕は、一番の理由は、ピーズだけがもつ客席の熱気なんじゃないかと思います。

終演後、出口に向かう人波の中で、近くにいた男性が、
「ピーズ聴いてる人、こんなにいたんだな」と呟いたのを聞きました。
多分ほとんどの人が同じ気持ちだったと思います。
僕だって、これまで出会った人の中で、
ピーズが好きという人なんて片手で数えられますから。

ピーズは、入口は誰の目にもわかりやすい場所にはないけれど、
一度入り込めばどこまでも奥にズブズブと入り込んでしまうバンドです。
僕が出会ったことのあるピーズが好きな人たちも、
一度口を開いたら、延々とピーズのことを話し続けるような人ばかりでした。

「自分だけがピーズを知っている」という誇りと、
「自分しかピーズを知らない」というさみしさ。
ピーズのファンは、おそらく他のどのアーティストのファンよりも、
「この気持ちを共有したい」という欲求に飢えてたんじゃないでしょうか。

30年分溜まったその欲求を、これまでで一番大きな規模で叶えられるとしたら。
その場所はやはり、武道館という聖地しかなかったと思います。
そういう意味で、僕は今回のピーズのステージこそ、
もっとも「武道館らしい」武道館ライブだったと思います。

今では、「ブレイク前夜」レベルの認知度でも
勢いがある若手アーティストであれば武道館でライブを行います。
武道館は今や到達点ではなく通過点に過ぎないのかもしれません。
そういう時代に「ベテランバンドの初武道館」という物語は、
若い人にはきっと時代遅れに映るでしょう。

でも、たとえ時代遅れだとしても、
僕はピーズのライブのような「武道館」が好きだなあ。






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Paul McCartney 「One On One Japan Tour 2017」

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今回ポールが覚えた日本語:
「ゴォルデンウィークゥゥ!」


ポールのライブについては過去に2回も書いてるので、
#Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」
#Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」
もう書くことなんてないだろうと我ながら思うのですが、
それでも何かを書きたくさせるのがポールです。

ということで、4月末に行われた、
ポール・マッカートニーの来日公演を見に行ってきました。

前回の来日が2015年のちょうど同じ時期でしたから、
ぴったり2年ぶりという短いスパンでの再来日です。
しかし今回は、16年から始まった新しいツアー、
「One On Oneツアー」としての日本初上陸になります。

メンバー的にもタイミング的にも、
前回の「Out Thereツアー」から地続きで始まっているツアーなので、
今までと大きく印象が変わったわけではありません。
まあ、あのクラスになると観客が聴きたい曲もだいたい決まってるから、
ある程度パッケージ化された内容にせざるをえないんでしょうけど。

その中で、主にセットリストの面で、
「One On Oneツアー」について僕がグッときたことを3つ、挙げてみました。

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■<In Spite of All the Danger>にグッときた
ライブ前半、バンドをアコースティック編成に変えたポールが、
「ビートルズが初めてレコーディングした曲をやるよ」と言って披露したのがこの曲。

録音されたのは1958年。
ジョンもポールもジョージもみんな10代で、
まだビートルズがクオリーメンと名乗ってた時代の、とにかくめちゃくちゃ古い曲です。
『アンソロジー1』に収録されてますが、まさかこんな曲を選んでくるとは。
ちなみに、ビートルズの歴史上、唯一ポールとジョージの2人で書いた曲でもあります。


リバプール郊外に暮らす無名の10代の少年2人が作った曲を、
60年近く経って、アジアの島国で何万人もの観客が歌ってる。
ううむ。うなるしかない光景です。

選曲の意外さもさることながら、
アコースティック編成のアレンジもよかったです。
同じ編成のまま<You Won’t See Me>、そして<Love Me Do>と続く、
Early Daysな一連のセクションはうっとりするものがありました。


■新曲<FourFiveSeconds>がフツーに良かった
「一番新しい曲をやるよ」といって突然披露したのがこの曲。
発売されてないから歌詞をバックスクリーンに映しながら演奏してました。
この曲、良かったですねえ
いかにもポールらしい、サラッと5分くらいで書いたような「小曲」ですが、
バンド向けにアレンジしていく中で凝ったような形跡もあり、早く音源として聴いてみたい。
いまアルバム作ってるって話ですが、そこに収録されるんでしょうか。

それにしても、「新曲をライブで初めて聴く」というのはよくあることですけど、
まさかそれをもうすぐ75歳になる人のライブで体験するとは思いませんでした。
しかもその新曲と60年近く前(!)の<In Spite of All the Danger>とが同じセットリストに入るって…。
つくづくポールのキャリアの長さを感じます。


■ついに<Get Back>を生で聴けた
いや〜、これは嬉しかった。
ライブに行くたびに毎回期待してたんだけど、
滅多に演奏しない曲なので、なかなか巡り会えませんでした。
今回も、武道館含め全4回のステージのうち、
この曲を演奏したのは東京ドームの最終日だけ。

ドーム2日目が終わった時点で「あ〜今回もやらないんだな」と、
最終日は期待すらしてなかったんですが、そこにきてのあのイントロ!
さすがに泣きました、これは
とにかく全部歌ってやろうと思って、
ギターソロのメロディとかまで「ティロリロ」言いながら歌いました

----------

以上の3曲が、今回のツアーのセットリストで特にグッときたのですが、
一方で、リイシューされたばかりの『Flowers In The Dirt』からは1曲も演奏してくれなかったとか、
おいおい<My Valentine>いつまで歌うんだよ?とか、
不満というか期待というか、突っ込みどころもあります。
それに、前述の通り、半分以上は「いつも演奏する曲」で占められているので、
総じていえば「新鮮味」はありません。

けれど、やっぱり<Ob-La-Di, Ob-La-Da>はワクワクするし、
<Band On The Run>は毎回「うおおおおぅ!」と叫んじゃうし、、
<Carry That Weight>は歌ってるとジワッときます。
何より「ポールがそこにいる」という空間はいつだって楽しくスペシャルです。

ということで、今回のツアーで、結局のところ一番強く感じたのは、
「ポールのライブは何度見ても超楽しい」ということでした。
そろそろ飽きるかな〜と思ったけど、全然飽きねえ!!

前回の「Out Thereツアー」では1つのツアーで2度の来日を果たしました。
そう考えると、今回の「One On Oneツアー」でも、もう1回来てくれるかも。
来てくれてもいいんじゃないか。
来てくれ頼むよポール






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The Stone Roses 日本武道館公演

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「This Is The One She Waited For」だなんて
なんかもう出来すぎたドラマのようです


ストーン・ローゼズの武道館公演を見てきました。
来日自体は2013年のソニックマニア以来4年ぶりですが、単独としてはなんと22年ぶり
ロック史に残る気まぐれ&アクシデント続きのバンドなので、
このチャンスを逃したら、もう二度と見られないかもしれません。
だいたい、再結成後初の単独来日だって、
元々は去年予定されていたんですから(レニの骨折によりキャンセル)。

なので、「行かない」という選択肢などハナからなく、
真っ先にチケットを押さえたのですが、
当日を迎えても、武道館の座席についても、
4人が出てきて演奏を始めるまでは安心できないという、
非常に緊張感のあるイベントでした。

んで、肝心のステージの内容ですが、これが期待以上の素晴らしさでした。
いやあ、本当に見に行ってよかった。

どう素晴らしかったかというと、結局「あのローゼズを生で見た」という一言に尽きちゃうんですが、
でもそれは、<I Wanna Be Adored>のあのベースリフをついに大合唱できたとか、
人生でトップ10に入るほど繰り返し聴いた1stアルバムの全収録曲を生で、
しかもフルメンバーによる演奏で聴けたとか、
単に夢のような時間を過ごした感激だけを指してるわけじゃありません。
そうした、頭の中でイメージしてきたことの確認の意味だけでなく、
反対に、生で見たことでそれまでの印象がガラッ変わったという、
まさにライブに行くことでしか得られないものが、少なからずあったからです。

具体的にいうと、初めて見た生のローゼズは、
想像していたよりもはるかにフィジカルなバンドでした。

キレッキレなギターで麻薬的な陶酔感を生み出すジョンと、
ポップなのに挑発的で不穏なベースラインを鳴らすマニ。
(いかにも人の好さそうなおじさんというマニのルックスとのギャップもいい)

そして、僕の目をくぎ付けにしたのは、レニのドラムでした。
15曲前後しか演奏してないのに、レニが叩いたフレーズは軽く200種類はあったんじゃないでしょうか。
「本当に20年近くドラムを叩いてなかったのかよ?」
と突っ込みたくなるくらいに変幻自在。
2階席という利点もあり、途中から僕はずっとレニを見てました。

ジョン、マニ、そしてレニの3人が生み出す、まるで音の洪水を浴びているかのようなグルーヴは、
それまで抱いていた「歌(シング・アロング)のバンド」というイメージを覆すほど強烈でした。
ストーン・ローゼズの核は、あのグルーヴ感なんだなあというのが、生で見た一番の実感。
だから、<Adored>も<Waterfall>ももちろんよかったけど、
それよりも<Fools Gold>や2ndアルバムからの3曲のほうが、ガツン!ときました。
(あ〜、<One Love>やってほしかったなあ。あれだけが心残りだなあ)

じゃあ、一方で「歌(シング・アロング)」を担当するイアンはどうだったかというと、
Twitterでいろんな人が呟いていた通り、音外しまくってました
イアンが音を外すのは有名なので知ってたんですけど、
あんなにド派手に外すとは思ってなかった!
だって<She Bangs The Drums>というキメ曲で、フルコーラス最後まで外してましたからね。
ラストの<I am the Resurrection>もほとんど合ってなかった。
あと、何の曲だったか忘れたけど、歌の入りが遅れてレニが苦笑いしてたときもありました。
あれだけのビッグネームのバンドで「ボーカルが音痴」って逆にすごい。

でもそうすると、前述したようにローゼズの核は、
<I am the Resurrection>のアウトロのような非イアン部分にあるんだから、
「イアン要らないじゃん」って話になっちゃいそうですが、
それでも結局バンドの顔は彼以外にいないと感じるのが不思議です。

どんなに音を外そうが、やっぱりステージ上で一番目を引くのはイアンだし、
あの独特なパフォーマンスをはじめ、
彼にはなぜか人の目を奪ってしまうカリスマ性があります。
音楽的にも、3人のすさまじいグルーヴ感に釣り合うのは、
イアンのあの低体温な声しか考えられません。
だって、ロバート・プラントみたいな絶叫系の熱いボーカリストがあのノリに乗っかってしまったら、
楽曲のもつスペシャルな感じが生まれないばかりか、鬱陶しくて仕方ないもの。

「ジョン・マニ・レニによるローゼズ」という発見だけでなく、
イアンのキャラクターの再確認も、やはり生で見たからこそできたことでした。

ちなみに、この日僕がもっともグッと来た曲は<Sally Cinnamon>
初期のリボルバーレコード時代のシングルで、
ローゼズのキャリアを見ればもっと優れた楽曲は他にいくらでもあるんですが、
<Sally Cinnamon>にはブレイク前夜の緊張感や若さゆえのもろさみたいな、
この曲にしかない何かがあります。
全員50代のおじさんになった4人が演奏した<Sally Cinnamon>は、
不思議なほど当時のきらめきを失っていませんでした






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The Beatles 『Live At The Hollywood Bowl』

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「ビートルズは下手だった」って
言ってたのはどこのどいつだ?


ビートルズは1964年と翌65年の世界ツアー中、
米ロサンゼルスのハリウッドボウルで計3回のライブを行い、
そのときの演奏は録音されました。
もちろん、あとでライブアルバムを作るためです。
ところが、あまりに大きな観客の歓声や、
そもそもの録音環境の悪さによって音源化は見送られました。
(ポールのマイクが音を拾えてなかったという事故(ミス?)もあったそうです)

その後、この録音テープは紛失されるも10年後に発見され、
77年にジョージ・マーティンの手で一度はLP化されたのですが、
しばらくして廃盤になってしまいました。
つまり、ビートルズがそのキャリアの中で残した唯一の公式ライブアルバムだった
『Live At The Hollywood Bowl』(77年邦題『ビートルズ・スーパー・ライブ』)は、
長い間にわたりCDとしては聴けない状態にあったのです。

それが今年になり、にわかにCD化されることになりました。
先週紹介したロン・ハワード監督のドキュメンタリー映画『Eight Days A Week』の公開と、
タイミングを合わせたものでしょう。
リミックスとリマスターを担当したのがジョージ・マーティンの息子、
ジャイルズ・マーティンという点も因縁めいています。
このCD版はリリース後オリコンデイリーランキングで1位、
週間チャートでも3位にランクインしました。

ただ、今回のCD化で初収録の3曲があるとはいえ、
『Live At The Hollywood Bowl』という作品自体は、
前述のとおりLP盤としては既に流通していました。
廃盤になったとはいえ、中古レコードショップでは比較的容易に入手できます。
現に僕も持っています。

ということで、今回のCD版『Hollywood Bowl』の僕にとっての主眼は、
おのずと「LP盤とどっちがいいか?」という聴き比べになりました。



結論からいうと、僕はアナログ盤の方が好き

今回のCD化に伴うリミックスとリマスターによって、
LPに比べるとノイズ(観客の歓声)ははるかに抑えられました。
しかし、ライブアルバム=ライブの追体験と捉えるならば、
ノイズの多さはむしろ臨場感があって良いと感じます。
特に僕のような後追い世代にとっては、
いかに当時の雰囲気がパッケージされているかが、音質よりも大事です。
音質や聴きやすさを求めるなら、
既に『Live At The BBC』というシリーズがあるわけだし、そっちを聴けばいい。
もっとも、これはジャイルズのリミックスの方針云々というより、
単にアナログ盤の音圧によるものかもしれませんが。

ただ、CD化によって露わになったことがあります。
それはビートルズの演奏の上手さ
ノイズの低減により彼らの演奏と歌がよりクリアに聴けるようになりましたが、
自分たちの音はアンプからの直聴き、
ドラムにいたっては生音という当時の演奏環境と、
さらに観客の歓声によってそれすらも聴こえなかったという事実を考慮すると、
「なぜここまでピッチが狂わずリズムもバシッと決まるんだ?!」
という素朴な驚きがあります。

リンゴは本気で前の3人の音が聴こえなくて、
今どのあたりを演奏してるかわからないから、
仕方なく3人の動きを見ながら「ああ、このへんだな」と
見当をつけながら叩いていたと証言しています。
実際、映画『Eight Days A Week』では、
リンゴが他のメンバーとアイコンタクトしながら演奏している様子が映っています。

「僕らはアマチュア時代からありとあらゆる場所で演奏してたから大丈夫なんだよ」と
ポールはこともなげに答えてますが、そういう問題なのでしょうか。
リアルなライブの環境でもこのレベルの演奏ができるのだから、
観客なしのラジオ本番一発録りという「疑似ライブ」だった『Live At The BBC』が、
ほぼCDと変わらないクオリティであることが、今更ながら納得できます。
映画『Eight Days A Week』と併せて、
この作品は巷間言われる「ビートルズは演奏が下手だった」という評判に対し、
一石を投じる役割を果たしたといえそうです。

僕が好きなのは中盤の<Roll Over Beethoven><Boys>
<Roll Over Beethoven>のスピード感と
終盤のバースでボーカル→リフ→ボーカル→リフと繰り返すあたりの一体感や、
<Boys>におけるリンゴのブチ切れてるボーカルと、
それをさらに盛り上げるポール&ジョージの痛快なコーラスの掛け合いは、
まさにライブだからこそ聴ける興奮だと思います。








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Morrissey Japan Tour 2016

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気難しいのではなく
「照れくさい」だけなのでは


9月の終わり、モリッシーの来日公演を見てきました。
来日は4年半ぶりだそうです。
その前は10年空いたというから、(彼にしては)短いスパンでの再来日ということになります。

会場の8割が、
・おじさん
・一人で見に来てる
・友達いなさそう
・なのにスミスとモリッシーについて語り始めたらすんごい勢いで喋りそう
・物販で支払うお金は万単位
・つまりめんどくさそう

という、相当ハードコアと見受けられるファンの中で、
生モリッシー初めての僕は開演前までものすごく憂鬱でした。

わりと本気で「帰りてえ…」と思ってたんですけど、
でも、帰らなくて正解でした。
生モリッシー、本当に素晴らしかった。
想像してたよりも100倍良かったです。

スミス時代の曲は、この日(東京2日目)は<How Soon Is Now>の1曲だけ。
ソロ以降はあまり熱心にフォローしてない僕には半分くらい知らない曲だったんだけど、
それでも素晴らしかったと思えたのは、
この日のライブが「体験」として良かったから。
つまり「生で見ないとわからないこと」という収穫がたくさんあったからです。

まず、モリッシーめちゃくちゃ歌上手かったです。
なんですか、あの声の「伸び」。
声量がありすぎて途中マイクの音が割れたりしてましたよ。
ロックなのに歌声に「崩れ」や「抜け」がないという点で、
やっぱりこの人は特異な存在だなあと思いました。

着てたシャツを脱いで客席に投げたり(その10秒後には替えのシャツ着てた)、
最前列の観客に握手したりプレゼント受け取ったり、
観客と積極的にコミュニケーションをとるのも意外でした。

モリッシーってすごく気難しい孤高の人ってイメージありません?
MCでロイヤルファミリーを揶揄する発言なんかも出たんだけど、
それも批判っていうよりも「ジョーク」というようなニュアンスで、
客席には笑いが起きてました。
イメージと違って、この人はとてもユーモラスな人なんだなあというのも発見。

「気難しそうに見えるけど実はそうじゃない」という点でいえば、
主にスミス時代に顕著だった「他人の顔写真を象徴的に使う」という手法についても、
これまでとはだいぶ違った印象を受けました。

今回のライブでは、ステージ後方のスクリーンに、
モノクロのポートレイト風写真が曲ごとに映写されたのですが、
今まで僕は、スミスのアルバムジャケットから続くこの趣向を、
容易には意図が汲み取れない写真を曲と結びつけることで、
作品の核心をはぐらかし、わざと人を突き放そうとする、
「わかる奴だけわかればいい」というようなモリッシーの一種のスノッブさだと思ってました。

ところが、生モリッシーから伝わってくる彼のキャラクターから考えると、
これは一種の「照れ隠し」じゃないかという気がしてきたのです。
つまり、自分自身を出すのが照れくさいから、
あるいは作品のテーマを直接説明するような写真なりなんなりを提示するのは恥ずかしいから、
(アーティストによっては作品をモロに解説するような映像・写真を使ったりします)
代わりにペルソナに語って(背負って)もらおうとしているんじゃないかと。

もちろん、全て単なる僕の思い込みなのかもしれません。
でも、解釈が合っているかどうかという答え合わせよりも、
「生で見たことで初めて感じた」ということが僕には重要で、
やっぱりライブは行けるときに行っとかないといかんのだなあと改めて思いました。
直後の横浜公演が急きょ中止になったことを考えると特に。

ちなみにアンコールはラモーンズの<Judy Is A Punk>でした。
歌が上手すぎてちょっと笑っちゃったのですが、
「これが俺の原点だ!」という決意表明のようでかっこよかったです。


2曲目でいきなりこのキラーチューンでした







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銀杏BOYZ特別公演「東京の銀杏好きの集まり」

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「大人全滅」と歌うバンドが
いつしか「大人のバンド」になった


お盆の真っただ中、中野サンプラザで行われた銀杏BOYZワンマン
「東京の銀杏好きの集まり」に行ってきました。
スピーカーの真横の席だったので、しばらく耳鳴りが消えませんでした。
でも、耳鳴りが消えてしまうのが名残惜しかったくらい、最高に幸福なライブでした。

銀杏BOYZは6月から、単独では8年ぶりとなる全国ツアー、
「世界平和祈願ツアー2016」を回っていました。
今回のライブはそのファイナルという位置づけ。

この8年の間に銀杏BOYZはオリジナルメンバー3人が一気に脱退し、
メンバーは峯田和伸一人になってしまいました。
一時は、峯田一人による弾き語りスタイルでライブを行っていましたが、
今回のツアーはシングル『生きたい』のレコーディングに参加したメンバー3人
(藤原寛/後藤大樹/山本幹宗)が帯同し、久々の「バンド・銀杏BOYZ」でのステージとなりました。

中でも、藤原寛と後藤大樹の2人は、
長い間同じバンド(元andymori、現AL)のリズム隊を務めているだけあって、
ものすごい安定感&存在感でした。

安定したバンドに支えられて、峯田はいつも以上に「歌」に集中している印象でした。
<べろちゅー>、CDよりもややゆっくりめに演奏された<BABY BABY>
そして「9月11日」という歌詞を「3月11日」に変えて歌われた<夜王子と月の姫>
月並みですけど、曲が沁みてくるというか、
「これってこんな曲だったのか!」と再発見したようでした。

ところどころで挿入された弾き語りの歌もすごく良かった(特に<生きたい>)。
怒鳴ったり声がかすれたり、音を外したりしても、
どれだけ無造作でもその一つひとつが成立していて、ぞくぞくするくらいかっこいい峯田の佇まいは、
まるでボブ・ディランのようでした。

ただ、その一方で、ライブDVD『愛地獄』に収録されたRISING SUNのステージに見られるような、
オリジナルメンバー4人が放つ、何をしでかすかわからない強烈な緊張感はありませんでした。
スピーカーからは耳をつんざくような混沌としたノイズが常に流れていましたが、
それも根底では理性的にコントロールされていた印象です。
僕は、銀杏BOYZという、かつては大人になることを全身で拒絶していた少年達によるバンドが、
「大人の鑑賞にも耐えうるバンド」へと変わったんだと感じました。
(会場が中野サンプラザという「大人のホール」であることも象徴的です)

危険な臭いがプンプン漂っていた当時の銀杏BOYZを知っている人にとっては、
もしかしたら物足りなさを感じたかもしれません。
ただ、僕自身はこの変化をポジティブに受け取っています。
だって、ビートルズがツアーを止めて『Sgt. Pepper’s』を作ったように、
ブライアン・ウィルソンがビーチボーイズ本体から離れて『Pet Sounds』を作ったように、
銀杏BOYZだってずっと『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』『DOOR』のままじゃいられないし、
どこかで次のステップへと進む必要があったと思うから。

音源としてその変化が結実したのが14年の『光のなかに立っていてね』だったけど、
「バンド」として変わったこと(変わらざるをえなかったこと)が示されたのが、
今回のライブだったのかなと思います。
いわばその「お披露目」の場を運よく目撃できたことで、
僕としては改めて彼らをフォローし続けようという気持ちになりました。






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「Desert Trip」にとってもモヤモヤしてる

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これはもしかしたら
「やってはいけないこと」だったんじゃないか


今年の10月、コーチェラフェスが行われるのと同じ米LAのエンパイア・ポロ・フィールドで、
ポール・マッカートニーローリング・ストーンズザ・フー
ニール・ヤング、ロジャー・ウォーターズ、そしてボブ・ディランという、
レジェンド級の大スターが一堂に会す空前絶後のすさまじいフェス「Desert Trip」が開催されます。

このニュースが最初に報じられたのは今年の3月だったと思います。
噂を耳にした時は僕も興奮したのですが、
日程や告知映像なんかが続々と公開され、噂が徐々に現実味を増していくのにつれて、
実は、当初の興奮は急速に冷めていきました

いや、確かにね、僕はポールもストーンズもディランも来日公演は全て行ったし、涙流したし、
無人島に持っていくなら?と聞かれてニール・ヤングの『Harvest』って答えてたし、
ロンドン五輪閉会式でザ・フーが<My Generation>を演奏してる真っ最中に
NHKが中継をぶった切った時は猛抗議しました
そういう僕からすれば、まるで夢のようなフェスですよ。
口から泡吹いて悶死するくらいの顔合わせですよ。

でもね…なんていうんだろう、これは「やっちゃいけないこと」だった気がする。
ワンマンだったら、そのアーティストが好きで行くわけだから別にいい。
反対に、普通のフェスのイチ出演者ということであれば、
例えばポールやストーンズを若いアーティストと並べて見ることで、
彼らレジェンドも相対化されるから、これもまた別にいい。

でも、レジェンド“だけ”集めたフェスというのは、どうなんだろう。
いってもみんなピークを下がりに下がりきった、70代の爺さん達ですよ。
そんな爺さん達を担ぎ出して、それが「フェス」として成立し、
しかもチケットが3時間で即完するほど熱狂的に受け入れられ、ニュースバリューを持つ。
そんな状況を、果たして手放しで喜んでいいのでしょうか。

みんなで<Satisfaction>と<Yesterday>と<風に吹かれて>を大合唱する。
それって、ただの壮大な「思い出の懐メロカラオケ大会」なんじゃないか。
「ロックはもうこれ以上の展開はありません」と白旗を上げたのと同じなんじゃないか。
そういうモヤモヤが拭いきれないのです。

いえね、僕自身ははっきりと50〜60年代こそ至上とする、
かなり保守的で原理主義的なリスナーです。
新しいアーティストに対しては決してフレンドリーではなく、基本的にまずは懐疑的な姿勢から入ります。
レディオヘッドの『KID A』は未だに理解不能だし、
「エレクトロ」と名の付くものは眉に唾つけて聴きます。
でも、そういう自分の嗜好が偏ってることに自覚的でいようとは思っていて、
古いアーティストと新しいアーティストがいたら、
(たとえ自分が気に入らなくても)後者が評価された方がいいと思っています。

5月にストーン・ローゼズが20年ぶりとなるシングルをリリースしたときも思いました。
あの<All For One>という曲は、よくも悪くも期待通りすぎて、
「おおお!これはまさにあのローゼズだ!」と興奮させられた一方、
「結局盛り上がるのは旧来の中年ファンだけなのでは?」という気になりました。
僕自身はヘビロテで聴くし、制作中と言われる3rdアルバムが出たら予約して買うし、
キャンセルになってしまった来日公演ももちろんチケット押さえてたけど(早くもっかい来い!)、
本当は「おじさんバンドがのこのこ出てきて20年前と同じことやってるよ」
シーンから笑われるくらいの方が健全なんだろうなあと思います。


だから、Desert Tripが「昔を懐かしみましょう」というスタンスであるならいいんだけど、
「これぞロックだ!」「彼らこそがロックなんだ!」みたいな扱われ方をしたら、
あるいは、このフェスが動員記録的な何かを塗り替えでもしたら、だいぶヤバイと思うのです。

…まあ、お金と時間があったら、間違いなく見に行くんですけどね。
見に行くんですけど、このフェスをどう飲みこんでいいのかわからなくて、モヤモヤします。


※この告知動画見ると「あ〜…」という感じです。





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Brian Wilson 『Pet Sounds』50周年アニバーサリーツアー

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作曲者でさえも寄せつけない
完璧で静かな世界


ビーチボーイズブライアン・ウィルソンが、
アルバム『Pet Sounds』のリリース50周年を記念した同作の「完全再現ライブツアー」で来日しました。

この作品についてはずい分前にブログに書きました
評価が高すぎるがゆえに、後追い世代からは
「とりあえず褒めとけば“通”ぶることができる」という、逆に不名誉な評価を受けてしまっている『Pet Sounds』。
でも、僕はこのアルバムはやっぱり特別だと思う。
今回の来日公演はもちろん見に行ったんですけど、
眼前で演奏されたこの作品を聴いて、改めてそう感じました。

ライブは前半がビーチボーイズのヒット曲集、後半が『Pet Sounds』の完全再現という2部構成でした。
後半、再現ライブも佳境を迎えたアルバム12曲目の表題曲<Pet Sounds>が始まると、
舞台袖からタンバリンを手にしたブロンディ・チャップリンが出てきました。
1970年代に一時期ビーチボーイズのメンバーに名を連ねたブロンディは今回のツアーに帯同していて、
第1部の終盤で持ち曲の<Wild Honey>などを披露しました。
ブロンディは66年の『Pet Sounds』には参加していないので本来なら第2部は出る必要ないのですが、
おそらくファンサービスの一つのつもりで出てきたのでしょう。

しかしブロンディがステージに現れた瞬間、僕の隣に座っていた女性が呟きました。
「あ〜あ、あの人また出てきちゃったよ」と。
実は、僕も全くの同意だったのですが、
この呟きにこそ『Pet Sounds』の特別さの一端が表れていると思いました。

第1部で登場したブロンディは、わざとメロディを崩して歌ったり、
ノイジーなほど歪ませたギターで長いソロを弾いたりと、
かなり「自由」にパフォーマンスをしていました。
しかし、ビーチボーイズの音楽、とりわけ『Pet Sounds』というのは、
ブライアンの緻密な計算によって作られ、一部の狂いも許されない完璧で静謐な世界です。
このアルバムをライブで「完全再現」するならば、
作品の世界観から少しでもはみ出したプレイヤーや演奏は、途端に邪魔になってしまう
だから、積極的に客席を煽ったり、最前列の観客と握手したりするワイルドなキャラクターのブロンディは、
いわば「不純物」だと映ってしまったのです。

同じ理由で、表題曲<Pet Sounds>の後半でサックスのインプロが延々続いたのも余計でした。
とにかくこの作品を演奏するなら、音源にあるメロディ以外は鳴らすべきではない。
そして、それは作者であるブライアン自身も例外ではありません
彼の、もはやヨボヨボでかすれきったボーカルは、
『Pet Sounds』には不要であるばかりか、足を引っ張ってすらいました。

もちろん、年をとったアーティストが、声の張りやツヤを失った代わりにしわがれた、深みのある声を手にして、
若い頃とは違う何かを表現してくれる、「老いたロッカー」ならではの表現はあります。
例えばポール・マッカートニーが歌う<Black Bird>のように。
しかし、冷凍保存された標本がほんの少しでも外気に触れたら腐ってしまうように、
このアルバムだけは「老い」というものと無縁な場所に置いておかないと、まるで別な作品になってしまうのです。

「老い」が入り込む余地がないこと。
それは、誰か特定の人間の身体性を必要としていない、
つまりブライアンやビーチボーイズという文脈を必要としていないことと言い換えられます。
それほどまでに『Pet Sounds』という作品は、音楽だけで独立してしまっている。
以前にも書いたけれど、要するにそれは属人性を離れた一種の「型」であり、
演奏者を変えながら演奏され続けるクラシック音楽に近いのだと思います。

だから、ブライアン抜きでも『Pet Sounds』は成立します
作品の世界観にさえ合えば、誰が演奏しようが誰が歌おうが構わない。
実際、第1部の<Don't Warry Baby>で素晴らしいボーカルを聴かせてくれたブライアンのプロンプ、
マット・ジャーディン(アル・ジャーディンの息子)が全編通じてボーカルを取ったとしたら、
素晴らしい完全再現ライブになっていたでしょう。
だから、ブライアンやアルがいなくなっても今回と同じコンセプトでライブはできるし、見てみたいと思う。
聴き手はもちろん、奏者も含めて、永遠に新しい世代へ受け継ぐことができる音楽。
それはもしかしたら、究極のエヴァーグリーンということなのかもしれません。



…とここまで書いておいていきなり真逆のことを言うのですが、
完全に「老人」になってしまったブライアンが歌う『Pet Sounds』は、それはそれで納得感がありました。
というのも、前述の通りライブは第1部がヒット曲集、第2部が『Pet Sounds』完全再現だったのですが、
まるで青春を駆け抜けた後に、その終わりをはっきりと見せつけられたような、
「何かが過ぎ去ってしまったこと」を暗示している構成に思えました。
その落差は、ヨボヨボのブライアンだからこそ感じられたものです。

<Surfin' U.S.A.>や<California Girls>を聴いて溌剌とした気持ちになったところに、
年を取りきって、もはや『Pet Sounds』を再現する力を失ってしまった姿をさらすブライアン。
その彼が「I know perfectly well I'm not where I should be」と歌う。
彼の存在自体が一つの物語のようです。

果たして自分はいま何を見ているのだろうか。
『Pet Sounds』という完結された世界なのか。
それともブライアン・ウィルソンという一人の男のさまよえる魂なのか。
ステージを見ながら、僕の頭の中ではせわしなく考えがループし続けていました。


※次回更新は5/12の予定です




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Elvis Presley 『NBC TV Special』

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忘れ去られていた
「キング」の帰還


前回に続いて今回もエルヴィス関連アイテムの紹介。
ライヴアルバム『NBC TV Special』です。

「ライヴ」といっても、ホールを使ったコンサートではありません。
舞台はテレビのスタジオにこの日のためだけに設けられたステージ。
1968年6月。エルヴィスが「歌手」としてステージに立ったのは、
実に7年ぶりのことでした。

前回も書いたように、50年代を華々しく駆け抜けたエルヴィスは、
60年代に入ると一転、活動の場を映画に移していました。
しかし、30本以上の映画に主演したものの、
どれも似たようなストーリーばかりで、ほとんど誰からも評価はされませんでした。
ロックという音楽の主役はビートルズへと移り、
一方のエルヴィスは「歌う俳優」と揶揄されるようになります。
エルヴィス自身も、当初は俳優として演技で勝負をしたいと考えていたものの、
いつまで経っても歌ばかり歌わされる役をあてがわれる状況にうんざりしていました。

そんなとき、彼のもとへ歌手としてのテレビ出演の企画が持ち込まれます。
当初はしり込みをしていたエルヴィスですが、
周囲の説得に応じて、ついに出演を承諾。
長らくステージから離れていたエルヴィスはカンを取り戻すため、、
数週間に及ぶリハーサルによって、試合に向かうボクサーのように、
入念に自らを追い込んだそうです。
そして68年の冬、再びレザーのジャケットに袖を通したエルヴィスは
生放送のカメラの前に立ちました。
この日の放送は、視聴率42%を記録したそうです。
(瞬間最高視聴率はなんと70%)

この日のエルヴィスのボーカルは、圧巻の一言です。
<Trouble>の空気を引き裂くような第一声で幕を開け、
そのまま<Guitar Man>を情熱的に歌いあげ。
さらにその勢いを駆って<Heartbreak Hotel><Hound Dog>といったヒット曲をたたみかけます。
色っぽさとワイルドさを兼ね備えた唯一無比の歌唱力。
誰もが知るヒット曲を惜しげもなく披露するスター性。
笑いを交えたMCで緩急をつける観客との呼吸感。
全てが一級品です。とにかくかっこいい。
「キング」という称号の所以を、開始わずか10分でまざまざと見せつけられます。

とりわけ僕がいいなと思うのは、(何度も言いますが)エルヴィスの声です。
単純な歌の上手さという点では、彼に影響を受けたジョン・レノンの方が上かもしれません。
ジョンの方が若い分、より洗練されている。
ただ、逆にエルヴィスにはジョンにはない「猥雑さ」があります。
エネルギーといってもいい。
中から溢れてくるマグマを力ずくで抑え込んでいるような、
爆発一歩手前の火山のような緊張感が、エルヴィスの声にはあります。
そして驚くべきは、その声の魅力が、
50年代よりも増しているということです。

エルヴィスへの評価というのは、
ほとんどが50年代のエルヴィスに集中している感がありますが、
僕は、彼が亡くなるまで絶えず進化し続けたことこそが、
エルヴィスのすごい点なんじゃないかと思います。
50年代から順々に彼の声を聞いていくと、
どんどん上手くなっていくのがわかる。
そして、彼の歌唱力が最もジャンプアップしたのが、
長いブランクを経た直後の、この『NBC TV Special』なのです。

当時のアメリカでエルヴィスがどういう風に認識されていたのか、
正確なところは分かりませんが、
おそらく多くの人は、今でいう「オワコン」として見ていたと思います。
そうした世間の目を見事に裏切り、
以前よりもパワーアップして帰ってきたエルヴィス。
優れたライヴアルバムとしてだけではなく、
「エルヴィス物語」の大きな転換点という意味でも楽しめるアルバムです。

この後ツアー活動を再開したエルヴィスは、
亡くなる77年までの間に1000回以上もステージに立ちました。
ほとんどがアリーナクラスの会場です。
エルヴィスはその全ての会場において、
チケットをソールドアウトにしました。

ヒット曲を惜しげもなく連発する怒涛のメドレー







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Elvis Presley 『Elvis On Tour』

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この人は紛れもない
「シンガー」だったのだ


エルヴィス・プレスリーの1972年のライヴステージを収録した映像集。
この作品は全米公開され、ゴールデングローブ賞ドキュメンタリー部門を受賞しています。

タイトルに「ON TOUR」とある通り、本作品に収録されたステージ映像は、
当時エルヴィスが回っていた全米ツアーの映像を選りすぐり編集したもの。
60年代、エルヴィスは活動の場を映画に移していましたが、68年に歌手として復帰します。
そこから亡くなる77年まで、エルヴィスは1000回以上もステージを踏みました。
この映像に収められた72年のエルヴィスは、いわば第2の黄金期を迎えていたのです。

当時エルヴィスは37歳。
20代の頃と比べれば明らかに身体のラインは崩れていますが、まだ晩年ほどではありません。
例のギラギラした衣装も定着し、リーゼント時代の若々しい時代からすると、
すっかり大御所歌手のようなオーラを漂わせています。

そういったキャラクターの変化を反映してか、
本作品に収録されている曲も、ぐっと大人っぽい渋めのものばかり。
<監獄ロック><ハートブレイク・ホテル>といった、
若いころのヒット曲は入っていません。
歌うのはブルースやゴスペル、カントリーといった、
彼のルーツに近いオーセンティックな曲がメインです。
僕は半分以上の曲を知りませんでした。
だから、往年のヒット曲ばかりを歌うステージを期待すると、
「あれっ?」と拍子抜けするかもしれません。

しかし、それを補って余りある音楽的なレベルの高さがこのステージにはあります。
エルヴィスの、貫録すら感じさせる表情豊かなステージングや、
バンドとのうねるような一体感。
何より驚かされるのは、純粋な歌い手としての技術の高さです。
エルヴィス、歌上手すぎです。
声量は豊かでピッチは機械のように正確。
歌いこなしてる」感がハンパではないです。

そして、あの声。
甘く伸びやかなエルヴィスの歌声には、日本人の僕が聞いてもなぜか郷愁を誘われます。
若いころのようにシャウトしたり腰をくねらせたりはしませんが、
その分、この当時のエルヴィスの歌には、
<ハウンドドッグ>の時代にはなかった「情感」があります。

シンガーとしてたゆまぬ進化を遂げていること。
そして、若い頃のヒット曲に安住せず、
自身の進化する歌声に合わせたセットリストを貫く姿勢。
やはりこの人は紛れもない「シンガー」だったのだと、まざまざと見せつけられます。

本作品には、ステージ上のエルヴィスだけでなく、
リハーサルや移動する車の中で仲間と一緒に歌ったりする姿も収められています。
これがまた上手い。
リラックスしきった、本人にとっては鼻歌レベルの歌ですら、
この人のもつ圧倒的なオリジナリティーを感じずにはいられません。
多くの時間が収録されているわけではありませんが、
この作品の隠れた見どころになっています。








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Little Richard 『Keep On Rockin'』

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愛とリスペクトを込めて
彼のことは「姐さん」と呼ぼう


少し前のことになりますが、
2013年9月に「リトル・リチャードが現役引退を発表」という記事が報じられました。
#リトル・リチャードが歌手引退を宣言「もうやりきった。何もしたくない」(マイナビニュース)

多分このニュースを見たほとんどの人が、
現役引退云々よりも、リトル・リチャードが生きていたこと自体に驚いたんじゃないでしょうか。
だって、リトル・リチャードといえば、
チャック・ベリーやプレスリーなどと並んで50年代のロック草創期に活動していたという、
ほとんど神話の世界の人物みたいな存在です。
なんてったって、ビートルズがカバーした<Long Tall Sally>のオリジナルを作った人ですから。
そんな超大御所が存命だっただけでなく、
プレスリーもジョン・レノンも亡き現在になってもなお現役を続けていたことに、
僕は驚きを通り越して感動してしまいました。

チャック・ベリーやプレスリーだけでなく、
ボ・ディドリーやジェリー・リー・ルイス、バディ・ホリーなど、
50年代にはまさにキラ星のようなスターが山ほどいます。
その中で誰が一番好きかと聞かれれば、
(散々悩むけど)きっと僕はリトル・リチャードを挙げるでしょう。

1932年生まれ(てことは80過ぎまで現役だったのね!)。
当初はR&Bシンガーとしてデビューするもしばらくは鳴かず飛ばずの時期が続きますが、
55年、R&Bを遊び半分で高速リズムにして録音した
<Tutti Frutti>が大ヒット。
この曲は後に「ロックンロールの最初の1曲」と呼ばれるようになりました。
その後<Rip It Up><Lucille><Jenny Jenny>などのヒット曲を連発し、
生まれて間もないロックンロールに豊かな肉付けを施していきます。

彼の代名詞でもある強烈なシャウト唱法(と呼べばいいのかな)は、
半世紀以上たった今聴いても全く色あせていません。
ポール・マッカートニーが彼の歌い方に強い影響を受けたことは有名ですが、
その後に続くロックボーカルスタイルの源流の一つが、間違いなくここにあります。
立ったままピアノをガンガン叩き、目玉が飛び出るくらいに目をひんむきながら「Hooooo!」と叫ぶ彼の姿は、
ロックが単に曲調やリズムを指すものではなく、
演奏スタイルも含めたトータルなものであるという「原点」を教えてくれる気がします。

また、彼については、そのエネルギッシュすぎるキャラクターもものすごく素敵です。
素敵というか、面白い(笑)。
前回、チャック・ベリーのドキュメンタリー『ヘイル・ヘイル・ロックンロール』を紹介しましたが、
実を言うとこのDVDを見て一番インパクトが強かったのは、
主役のチャック・ベリーよりも、インタビューに登場するリトル・リチャードの方でした。
とにかくよく喋るし、よく笑う!
あまりにエネルギッシュすぎて、対談相手のチャック・ベリーとボ・ディドリーが若干引いてました。

どうエネルギッシュかというと、一言で言えば、「よく喋るおばちゃん」です。
これは、ある意味では比喩ではなく事実で、彼は同性愛者なんですね。
今よりもずっと保守的な価値観が強かった50年代当時、
彼は臆することなく自分が同性愛者であることをカミングアウトし、
素の自分を晒しながら活動を続けました。
だからその強烈なキャラクターには、
彼の強い精神力や、人生をエンジョイする勇気や、
そういうものすごく前向きなパワーがにじみ出ている気がして、
僕はいつも素敵だなあと感じます。

さて、彼の音源については、星の数ほどのブートレグが出ているので、
入手するのにさほど苦労は要りません。
問題は映像の方で(上記のような理由から彼については動く姿で見た方が面白い!)、
調べてみても、現在容易に入手できる映像アイテムはないようです。

僕は唯一、ネットで中古で購入した『Keep On Rockin'』というDVDのみ持っています。
これは1969年に行われたカナダのトロントで行われたライヴを収録したもので、
わずか10曲、計28分という短い内容のため、
正直ボリュームという点では物足りない作品です。
ただ、ピアノの上によじ登って歌ったり、
身に着けていた衣装を客席に投げまくって最後はスラックス一丁になっちゃったりと、
相変わらずエネルギー迸るリトル・リチャードの姿を拝むことはできます。

リトル・リチャードの映像って全盛期の50年代のものを中心に、
かなり残っているはずなんですが(YouTubeにはたくさんアップされてます)、
それらをパッケージした映像集って、本当に無いのかなあ。
一つくらいあっても良さそうなのに。
ファンのためのコレクションというだけでなく、
ロックの歴史史料として、ものすごく価値が高いと思うんですけどね。

オープニング1曲目は<Lucille>


ラストは<Long Tall Sally>。服脱いじゃってます。


後年、モハメド・アリ50歳の誕生日パーティーでのライブ。このキャラ!!







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Chuck Berry 『Hail! Hail! Rock'n'roll』

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「時代は変わったもんだ」と
神様は言った


ジョン・レノンは「彼は僕のスターで、ビートルズは彼から大きな影響を受けた」と語り、
エリック・クラプトンは「彼がロックの法律を作った」と述べ、
ジェリー・リー・ルイスは「神に選ばれた天才だ」と褒め称える、
ロック史上最大の功労者の一人、チャック・ベリー
その彼が1986年、60歳を迎えた記念に地元セントルイスで行ったスペシャルライヴの映像を収めた
『ヘイル・ヘイル・ロックンロール』が、
本編120分に加え、リハーサル映像などの特典映像120分を加えた特別版として再発されました。

この作品、噂には聞いていたのですが、見るのは初めてでした。
いや〜すごかった(笑)。
「(笑)」と書いてしまうのは、チャック・ベリーのキャラクターが(てゆうか出てくる人ほとんどが)、
あまりにステキ且つぶっ飛びすぎていて、何度も声を出して笑ってしまったから。
ライヴの音楽プロデュースを務め、自身もバックバンドの一人として演奏する
キース・リチャーズ(彼の、まるで愛人のような献身的サポートぶりも見どころの一つ)がリハーサル中、
あまりに気まぐれでアドリブを繰り返すチャックに業を煮やして
「ちゃんとやろうぜ。この演奏はおれたちが死んだ後も記録に残るんだから」と言います。
それに対して答えたチャック・ベリーの一言。

おれは死なねえ!!

いやあ、しびれます。まさに「神」。
実際、彼は90歳近くになる今現在も、
月イチでステージに立ってるっていう話ですからね。
(しかも新曲も演っているらしい!)
この映像に収められた、常人離れして生き生きしている彼の姿を見ていると、
マジでこの人は死なないんじゃないか」と思ってしまいます。

クライマックスのライヴ・ステージは、
エリック・クラプトンやリンダ・ロンシュタット、ジュリアン・レノンらがゲストとして駆けつけ、
非常に豪華なものになりますが、
肝心のチャック・ベリー本人はすごく自然体で、
ずっとニコニコして楽しそうに演奏する姿が印象的でした。


本作品には、演奏シーンと同じくらい、たくさんのインタビューが収録されています。

ライヴ当日の昼間、会場となるセントルイスのフォックスシアターで行われたインタビューで、
チャック・ベリーは、「実は若い頃、このホールで『二都物語』を見たことがあるんだ」と語ります。
ヨーロッパ風の建築様式で建てられたフォックスシアターは、
かつては上流階級の白人が出入りする、権威の象徴的な存在でした。
そのステージに今夜、黒人である自分が、それもロックという大衆音楽を引っ提げて上がる。
チャック・ベリーはしみじみとした口調で、「時代は変わったもんだ」と語ります。

本編ではたびたび、チャック・ベリーとボ・ディドリーリトル・リチャードという3名
(すさまじすぎる顔ぶれです)が、ピアノを囲んで語り合うシーンが挿入されます。
その中でしきりに、いかに50年代という時代で
黒人である彼らが評価を受けるのが難しかったかが語られます。
メロディや歌い方を、より白人好みに合うように変えさせられたり、
ひどい場合は、自分の作った曲が白人のミュージシャンが作った曲ということになったり。
「ロックンロール」が生まれた経緯についてはさまざまな説がありますが、
一つには、彼ら草創期の黒人ミュージシャンたちが、自分たちのもつブルースという音楽を、
(売れるためにやむなく)白人マーケットを意識して作り変えたということが、
大きな要素としてあるんじゃないかと思います。

上記の2つのインタビューを見ながらハッとしたことがありました。

50年代のロックンロール草創期を描いたミュージカルで
『ミリオンダラー・カルテット』という作品があります。
これは、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、
そしてジョニー・キャッシュという、スーパースターの4人がたった一晩だけ
セッションをしたという実話に基づいた物語です。
今考えると信じられないような、まさに奇跡的な顔合わせで、
最近エルヴィスをよく聴いていた僕は、
この4人のセッションに憧れにも似た思いを抱いていたのですが、
よくよく考えてみたらこの4人、全員白人なんですよね。

4人が人種差別主義者だったという意味ではありません。
ただ、(彼らが売れていたという点を含め)4人が顔を合わせた「奇跡」には、
50年代の音楽業界を取り囲む、当時の社会状況が影響していたのかなあという気がします。

もっとも、音楽そのものの話においては、当時の白人ミュージシャンたちの多くはこぞって
「黒人のフィーリングを手に入れたい」と試行錯誤を繰り返していました。
エルヴィスだって、「もっとブラックに歌え」とディレクターに指示されて、
やぶれかぶれで歌ったのが<That's All Right>だったのです。

黒人のフィーリングに憧れた白人ミュージシャンたちと、
白人のフィーリングに合わせて自らを変えざるをえなかった黒人ミュージシャンたち。
60年代になれば、両者の融合が純粋な音楽的レベルで結実しますが、
50年代はまだ、人種間の温度差が多分にあったんだろうと想像します。

本編のラストで、チャック・ベリーが誰もいない自宅のリハーサル室で、
一人きりでブルースを演奏しているシーンがあります。
彼の弾くブルースは、驚くほど「乾いて」います。
黒人ミュージシャンが弾くブルース特有の粘り気や湿気が全くと言っていいほど、無いのです。
軽やかなタッチ、切れ目なくつながるメロディアスなフレーズ。
そのフィーリングは、どちらかといえば白人のそれに近い。
その演奏に僕は、彼が歩んできた歴史を見るような思いでした。


※これがまさに還暦ライブの映像。バックにキースやクラプトンの姿が見えます。
 「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」とは、ラストに演奏したこの曲の歌詞から取られてます。







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The Beach Boys 『Live in Concert』

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50年前から
「クラシック」だった


※前々回『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』で触れた
老いたロッカー」の話、まだ続いています。

ビーチボーイズが2012年に行った、
結成50周年記念ツアーのライヴDVD『Live In Concert』を見ました。
以前紹介した、同じく50周年記念アルバム『神の創りしラジオ』が、
既に終わっていたと誰もが思っていたビーチボーイズという「物語」に、
まさかの続編があったことを示した、感涙ものの作品であったのに対し、
この『Live In Concert』は、ビーチボーイズの音楽が結局のところ何であるのかを露わにする、
非常に刺激的な作品でした。

ツアーに参加したのは、『神の創りしラジオ』から引き続き、
ブライアン・ウィルソン、マイク・ラブ、アル・ジャーディンという3人のオリジナルメンバーに、
デイヴィッド・マークスとブルース・ジョンストンの2人を加えた、
現在生存する5人のメンバー全員。
特に、長らく別々に活動していたブライアン、マイク、アルのオリジナル組が
再び同じステージに立っている光景はとても感慨深いものがあります。

とはいえ、なんつっても平均年齢実に70歳(当時)。
まるまる肥えたブライアンとマイクとブルースも、
髪の生え際がずいぶん後退したアルも、
みんないい感じの「ボーイズ」になっています。
しかも、5人とも「普段着かよ!」と突っ込みたくなるようなラフな服装なもんだから、
バンドのステージよりも近所の碁会所とかの方が似合いそうな雰囲気。

そして、5人とも、ほとんど弾かないし、歌わない(笑)。
これはかなり衝撃的です。

いえ、もちろんポイントポイントではしっかりメンバーが歌うし、
デイヴィッドなどは味のあるギターソロを何度も聞かせてくれます。
しかし、演奏の大部分を担当しているのも、
さらに彼らの生命線ともいえるコーラスを支えているのも、
ビーチボーイズではなくバックバンドのメンバーなのです。

元々ビーチボーイズというバンドは、
レコーディングにメンバーが参加しなかったり、
ライヴ時のバックバンドへの依存が比較的大きいバンドではありました。
しかし、このステージでは、
当時よりもさらに、演奏面におけるメンバーの貢献度は下がっています。
もし、その貢献度だけで言うなら、
もはやこのステージは「ビーチボーイズのライヴ」とは言えないかもしれません。

しかし。しかしなのです。
ほとんどメンバーが演奏していないのに、
時にはメインボーカルすらバックバンドが担当することもあるのに、
それでもこの音楽は、紛れもなく「ビーチボーイズ」だと感じるのです。
美しく研ぎ澄まされたメロディと、そのメロディよりも時に前面に出てくるコーラス。
その掛け合いによる楽しさやうっとり感は、ビーチボーイズでしかありえません。
本人たちは演奏も歌すらも片手間なのに、
「ビーチボーイズ」は成立してしまっているのです。

これはどういうことなのか。
僕はふと、ビーチボーイズの音楽というのは、
「誰が演奏するか」という属人性を必要としない、
いわば「」のようなものなんじゃないかと思いました。
仮にオリジナルメンバーが一人もいなくても、
熟練のミュージシャンとシンガーさえ集まれば、
<Good Vibration><Surfin' Safari>も、
オリジナルと同じ感動を生み出せるのかもしれません。

よく考えてみれば、ごく初期を除いて、ビーチボーイズのヒット曲のほとんどは、
ブライアンと彼が選んだスタジオミュージシャンで録音されていました。
では、「ビーチボーイズのメンバー」というものの存在意義(必然性)はどこにあるかというと、
普通のバンドのような演奏における記名性ではなく、
高い歌唱能力によってコーラスというビーチボーイズ最大の「型」を、
ブライアンにインスパイアさせた点にあります。
コーラスのないビーチボーイズは「ビーチボーイズ」ではありません。
そのトレードマークを具現化することに貢献したというその一点において、
ブライアン以外のメンバーの存在は十分に「メンバー」として評価するに足りえます。

オリジナルメンバーがいなくても、ビーチボーイズ足りえること。
このことは、クラシック音楽に似ていると思います。
ある作曲家がいなくなっても、
その作曲家から直々に指揮を受けたであろう初演のオーケストラがいなくなっても、
新たな指揮者と演奏家の手によってコンサートは開かれ、
新しいレコードが録音されています。
あるいはビーチボーイズは、ロック/ポップミュージックにおいて、
初めての「クラシック音楽」になりえるかもしれません。
(これは、同じく50周年を迎えたローリング・ストーンズにはできないことです)

見た目は完ぺきにじいさんですが、
彼らの作りだした音楽は、
永遠に「ボーイズ」なのです。








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Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」

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中学生の男の子が
全曲完璧に歌ってたという事実


先週、「老いたロッカー」の話を書いた直後、
その代表格の一人のステージを生で見ることができました。
ポール・マッカートニーの「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」です。

前回の同名ツアーから2年ぶり。
短いスパンで再来日を果たしたのは、
昨年、ポールにとっては日本初の野外ライブとなるはずだった、
解体前の国立競技場(大阪はヤンマースタジアム長居)公演を、
体調不良によって急きょキャンセルしてしまったことへのリベンジということなのでしょう。
(東京2日目、MCで「(すぐにまた来ると)ヤクソクシタネ。ユウゲンジッコウ(有言実行)!」と言ってました)

同じツアーということで、セットリストも演出も前回とほぼ同じ。
ですが、僕にとっての意味合いは前回と今回とで大きく異なります。

前回の来日公演は僕にとって初めて見る生のポールでした。
「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」の記事はこちら
ドームの3階席だったのでポールは豆粒にしか見えなかったのですが、
今、この場で、ポール本人が歌ってる」という事実が信じられなさ過ぎて、ほぼずっと泣いていました。

そして、その夜のステージがあまりに素晴らしすぎたので、
次の日に旅行代理店に飛び込み、
ビートルズの故郷である英国リバプールへの飛行機とホテルをその場で予約しました。
リバプール滞在レポートはこちら

あの日、ポールのライブを見なければ、
もしかしたらリバプールなんて一生行かなかったかもしれません。
そして、もしリバプールに行かなければ、
ビートルズとの付き合い方も今とはだいぶ違っていたと思います。
キャヴァーン・クラブやストロベリー・フィールズはもちろん、
メンバーの住んでた家や通ってた学校や生まれた病院にまで行ったことで、
彼らは僕の中で「友達」といってもいいくらいの距離にまでリアルな存在になりました。
ポール?知ってるよ。アイツはね…」みたいな。

それに、リバプール旅行は僕にとっては新婚旅行でもありました。
もし全く違う場所を旅行先に選んでいたら、妻との関係も今とは違っていたかもと思います。
このように、2013年のポールの公演は、
具体的かつ物理的なレベルで僕の人生を変えたのです。
だから、2年前に比べるとはるかに身近な存在として、ポールを見ることになりました。


今回、僕は東京ドーム3日間に全て足を運びました(武道館は仕事で泣く泣くあきらめました)。
初日(4/23)は序盤こそキーが辛そうで「大丈夫か?」と心配したものの、
(1曲目に<Magical Mystery Tour>なんていう喉に負担がかかりそうな曲を選ぶから…)
中盤以降は2年前よりもむしろ若々しくエネルギッシュな歌を聞かせてくれました。
2日目はアリーナの7列目というかなり前の席が取れたので、
ポールの表情までを肉眼で見ることができたので感激しました。

個人的にはビートルズ時代の曲よりもウイングスやソロの曲の方が良かったです。
特に『Band On The Run』に収録されている<Nineteen Hundred And Eighty-Five>は、
あのキレ味のあるピアノのリフに何度もゾクゾクしました。


また、最新作『NEW』収録の<Queenie Eye>もすごく良かったですねえ。
2年前にも聴いたはずなのに、今回は「え?こんな曲だったっけ?」と帰ってからCDを聴き直しました。


あ、それと一番新しい曲である<Hope For The Future>
iTunesでDLして聴いたときはイマイチだったのに、生で聴いたらめちゃくちゃ良かったです。


こうした新しい曲が古い曲に負けてないというのは、ポールのキャリアを考えると驚異的です。



確かに、総じて言えば、ポールのライブは基本的には「同窓会」です。
音楽的な斬新さがあるわけではないし、
ライブの空気は既に長年のファンとの間で共有され尽くしているものです。

しかし、そのような「甘さ」を差し引いても、
やっぱり「これらの曲の全部をこの人(とこの人のグループ)が作ったんだ」という
歴史的感動は間違いなくあります。
なんてったって、アンコールでフラッと出てきて、
ギター1本で無造作に歌い始めたのが<Yesterday>なんですから!

そして、たとえ「打率」は下がってしまったとしても、
<New>や<Queenie Eye>のようなかつてと比べても遜色のない曲を書いたり、
<Hope For The Future>のような新たなチャレンジ(ゲーム音楽)をしたりして、
それらをちゃんと最新のライブに含めるポールの姿勢に、僕は好感を持ちます。


初日のことなんですが、僕の斜め前に、兄弟と思しき2人の男の子がいました。
お兄ちゃんはせいぜい中学生、弟はもしかしたら小学生でした。
2人とも『Revolver』と『Yellow Submarine』のかっこいいTシャツを着てました。
横の席でユニオンジャックを掲げてた、いかにも年季の入ったファンの男性がおそらくお父さんなので、
きっとお父さんの影響で2人ともビートルズを聴いていたんだと思います。

とはいえ、2人はお父さんに連れられて嫌々ついてきたというわけではなく、
むしろ時にお父さん以上に歓声を上げるほど、ライブに夢中な様子でした。
2人ともほぼ全ての曲の歌詞を完璧に覚えていて、
<Golden Slumbers>なんていう渋い曲まで歌ってました(僕でさえ歌詞微妙なのに!)。

その光景は、「ポール・マッカートニー」という存在を端的に表しているように、
僕には思えました。







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