週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】60年代

特集「作曲家Jack Kellerの系譜」

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シンプルな楽曲が
豊かな世界を見せる


 3回にわたったニール・セダカ特集から派生して、先週はハワード・グリーンフィールドを取り上げましたが、今週はさらにハワードから派生して作曲家ジャック・ケラーを取り上げてみたいと思います。

 ジャック・ケラー、めちゃくちゃ好きなんですよね。60年代に活躍した作曲家のなかでは、エリー・グリニッチと並んで気に入っている作家です(いかんせん地味ですが)。

 1936年、NYブルックリンで生まれたジャックは、父がバンドマンという音楽一家で育ちました。50年代半ばからブリル・ビルディングに出入りし始め、<Lollipop>で知られる女性ボーカルグループのコーデッツや、大御所ペリー・コモらに曲を提供します。59年には新興の音楽出版社アルドン・ミュージックと契約し、ニール・セダカやハワード・グリーンフィールドとともに同社の第1期スタッフライターになります。

 この時期の作曲家の多くが、特定の作詞家とコンビを組んで活動をしていましたが、ジャックは例外で、そのときどきでさまざまな作詞家と仕事をしました。ただ、そのなかで結果的に多くコンビを組んだのが、前回取り上げたハワード・グリーンフィールドです。60年代初頭、ニール・セダカが歌手活動を本格化しはじめると、余裕ができてしまった相棒ハワードは、たびたびジャックとコンビを組むことになるのです。

 前回紹介したように、このコンビからはコニー・フランシス<Everybody's Somebody's Fool>(60年4月)と<My Heart Has a Mind of Its Own>(60年7月)という、2作連続全米1位という大ヒット曲が生まれています。このコンビの楽曲で僕が好きなのは、ジミー・クラントンが62年に出した<Venus In Blue Jeans>松田聖子<風立ちぬ>の元曲といわれる美しい曲で、全米7位まで上りました。


 この時代に、ハワードと並んでジャックがよくコンビを組んだ作詞家が、ジェリー・ゴフィンです。このコンビも名曲が多いですね。エヴァリー・ブラザーズやクッキーズなどいろいろいますが、僕が好きなのは全米2位のヒットとなったボビー・ヴィー<Run To Him>(61年)。


 ここまで挙げてきた楽曲を聴くと分かる通り、ジャックの楽曲の特徴は、極めてシンプルなところです。ほとんどの楽曲がヴァース&コーラスという基本の二部構成を踏襲しており、一つの楽曲で使われるコードも非常に少ない。前述の<Everybody's Somebody's Fool>なんて、コードは実質3つしか出てきません。にもかかわらず、映る風景を次々に切り替え、ドラマ性を感じさせるメロディを作れるところが、作曲家ジャック・ケラーのすごいところだと僕は思っています。


 さて、63年にアルドン・ミュージックがコロンビアに売却されると、ジャックは『奥さまは魔女』をはじめとするTVシリーズの音楽制作にも携わるようになります。この映像音楽への進出が背景となって生まれた、ジャックにとって60年代後半最大のヒット作が、モンキーズです。アルドンの元オーナーであるドン・カーシュナーの主導で企画されたモンキーズという一大プロジェクトで、ジャックはアルバムのプロデューサーの一人に名を連ねたほか、作曲家としても楽曲をいくつか書き下ろします。


 上に挙げた<Your Auntie Grizelda>の共作者ダイアン・ヒルデブランドはこの時期にジャックがよく組んでいたソングライターで、後にこのコンビからはボビー・シャーマン<Easy Come, Easy Go>という全米9位のヒット曲が生まれています。


 80年代に入るとジャックは拠点をナッシュヴィルに移して、地元のカントリー系の歌手と仕事をするようになります。この時期に彼が作った楽曲は詳細がよくわからないのですが、彼はナッシュヴィルの環境が気に入ったようで、2005年に白血病で亡くなるまで同地に住み続けます。

 ジャックが最終的にカントリーに腰を落ち着けたというのは、とても納得できます。というのも、彼のメロディの大きな特徴は、コニー・フランシスの楽曲に典型的なように、カントリー色が強いところだから。別の言い方をすれば、ロックンロールに近づきすぎなかったところで、この時代の作曲家のなかでは珍しいといえます。

 それを象徴するようなエピソードがWikipediaに載っていました。2013年にリリースされ、当時このブログでも取り上げたビートルズの『On Air - Live at the BBC volume2』に、まったくの未発表音源として<Beautiful Dreamer>が収録されました。この曲の原作者は言わずもがな、スティーヴン・フォスターですが、実はビートルズによるこの曲のカバーには「お手本」があったそうです。

 それが、62年にジャックがジェリー・ゴフィンとのコンビでトニー・オーランドのシングルとして書き下ろした<Beautiful Dreamer>。この曲がリリースされると、ビートルズはすぐさまレパートリーに加えたそうです(へえ、そうだったんだ)。ジャック・ケラーを、白人ポピュラー音楽の父ともいうべきスティーヴン・フォスターの系譜に置いてみると、パズルのピースが次々にはまっていくような納得感があります

 そういえば、大滝詠一もジャック・ケラーを大好きだと言っていました。スティーヴン・フォスター、ジャック・ケラー、さらにそこに大滝詠一を加えてみるのも、面白い風景が見えてきそうです。







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特集「作詞家Howard Greenfieldの粘っこい世界」

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ただの「流行歌」が
60年後の今も胸を打つ


 先週まで3回にわたってニール・セダカの話を書いてきました。そこでもふれましたが、ニールがポップス向きの曲を作り始めるきっかけを作ったのが、近所に住む3歳上の詩人の卵、ハワード・グリーンフィールドとの出会いでした。彼らは作曲家と作詞家としてコンビを組み、やがてアルドン・ミュージックと契約し、コニー・フランシスをはじめ、たくさんの歌手にヒット曲を提供していきます。

 当時、売れっ子作詞家はたくさんいましたが、そのなかでハワードはどちらかというと地味なほうだと思います。ジェリー・ゴフィンのような直截さはないし(「Breaking Up Is Hard To Do」とかなんかちょっとまどろっこしいですよね)、ドク・ポーマスのような年齢からくる渋いレトリックみたいなものもない。でも、僕ハワードの歌詞って大好きなんですよね。いくつか紹介したいと思います。

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<My Heart Has a Mind of Its Own>
Connie Francis



 1960年に、ハワードがジャック・ケラーと組んでコニー・フランシスに提供した曲で、全米1位をとったシングルなんですけど、日本人的な感覚からすると、まずタイトルがスッと頭に入ってこない感じしますよね。でも、この回りくどい感覚こそが、ハワードの売りなのです。実際に歌詞を見てみましょう。

I told this heart of mine
Our love could never be
But then I hear your voice
And something stirs inside of me

Somehow I can't dismiss
The memory of your kiss
Guess my heart has a mind of its own

 どうです。なんだか粘っこいでしょう。要は「別れたあなたのことが忘れられない」というだけの内容なんですけど、それを「私のハートは私とは別の生き物なのだ」と表現するこのセンス。今の感覚からすると、あまりにダイナミックなレトリックですが、僕は嫌いじゃないです。さらに歌詞はこう続きます。

No matter what I do
No matter what I say
No matter how I try
I just can't turn the other way

When I'm with someone new
I always think of you
Guess my heart has a mind of its own

 この「No matter〜」の繰り返しなんてさらに粘っこいですよね。しかもF#→C#→B#と落ちていくメロディーを、コニー・フランシスが情感たっぷりに歌うので、余計に「ああ、辛いんだなあ」と感じてしまいます。


<Everybody's Somebody's Fool>
Connie Francis



 続いてもジャック・ケラーとのコンビでコニー・フランシスに提供した曲。この曲も全米1位をとりました。しかも、この<Everybody's Somebody's Fool>(60年4月)の次のシングルが前述の<My Heart Has a Mind of Its Own>(60年7月)だったので、2作連続の1位ということになります。この時期のコニー、ジャック、ハワードというトリオは非常に勢いがあったんですね。

 が、曲の内容はやっぱり粘っこい系。歌詞を見てみます。

The tears I cried for you could fill an ocean,
But you don't care how many tears I cry
And though you only lead me on and hurt me,
I couldn't bring myself to say goodbye

'Cause everybody's somebody's fool
Everybody's somebody's plaything
And there are no exceptions to the rule
Yes, everybody's somebody's fool

「あなたは私を傷つけることしかしない。私はただ泣くだけ。なのに私はあなたにさよならできない。だって誰かを好きになったが最後、人は誰しも愚か者になるものだから」といったような意味ですが、「頭で分かっていても心がいうこと聞かないの!」という点では<My Heart Has a Mind of Its Own>と通じている気がします。

 ただ、この曲は最後にガラッと風景が変わります。1番、2番は「私」の視点で歌われるのですが、3番になると「あなた」に視点が変わるのです。

Someday you'll find someone you really care for
And if her love should prove to be untrue,
You'll know how much this heart of my is breakin'
You'll cry for her the way I cried for you

Yes, everybody's somebody's fool
Everybody's somebody's plaything
And there are no exceptions to the rule
Yes, everybody's somebody's fool

 さんざん私を傷つけてきた「あなた」も、いつか愛する誰かと出会い、その誰かとの愛が成就しなければ、きっと今の私と同じように泣くでしょう…と歌ってもう一度サビのフレーズを繰り返すわけですが、最後に「あなた」が主人公になることで、「愚か者」であるのは決して「私」だけではなくみんなそうなんだ(everybody's somebody's fool)ということがわかるという仕掛けになっているのです。

 僕、最初にこの歌詞を読んだときに、仏教的な無常感すら感じました。3コードで進むカントリー調のシンプルなメロディで、コニーも実にカラッと軽く歌うのですが、その淡々とした感じが逆に人生の真理めいていてゾッとしちゃうんですよね。名曲です。


<Crying In The Rain>
The Everly Brothers



 1962年に全米6位のヒットとなった曲で、作曲はキャロル・キング。ハワードとキャロルが組んだ唯一の曲です。ちなみに、ハワードとキャロル、そしてジャック・ケラーはみんなアルドンの同期でした。

 タイトルに「Crying」とあることからもわかるように、この曲もまた悲しい曲です。

I'll never let you see
The way my broken heart is hurtin' me
I've got my pride and I know how to hide
All my sorrow and pain

I'll do my cryin' in the rain

 ああ、もう読んでるだけで泣きそう。「君と別れた悲しさに胸が張り裂けそうだけど、君に悲しんでいる姿を見せたくないから雨の中で泣こう」という曲。前述の2曲はどちらかというとヒネったところがありましたが、この曲はもっとシンプルでストレートです。これ、メロディも本当にいいんだよなあ。

 一番グッとくるのはブリッジ。

Rain drops fallin' from Heaven
Could never wash away my misery
But since we're not together
I look for stormy weather
To hide these tears I hope you'll never see

 悲しみを流すためではなく、ただこの涙を隠すために、僕はずっと嵐が来るのを待っている―。ああもうつらいつらい。聴いているだけでつらすぎる。雨をモチーフにした失恋ソングってたくさんあるけど、間違いなく屈指の名曲だと思います。

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 以上、3曲を選んでみました。ハワードが手掛けた楽曲は、もちろん他にたくさんあります。代表曲は60年代が多いですが、70年代以降も活動は衰えませんでした。73年には、盟友ニール・セダカとのコンビで<Love Will Keep Us Together>を発表し、後にカバー版が全米1位になります。亡くなったのは86年。50歳を目前にした早すぎる死でした。

 これはハワードに限らずですが、この時代(60年代前半)の歌詞って、非常にシンプルだったんだなあと改めて感じます。不要なレトリックはなく常に明快で、僕のように特別英語ができるわけじゃない外国人でさえ意味がつかめる。

 おそらくこれは、当時のポップソングが、アートであるよりも前に、10〜20代の若いリスナーに流通することを目的とした「商品」だったからでしょう(ポップソングが芸術たりうると認識され始めるのはもうちょっと後の話)。いっときの流行歌として生まれたはずのポップソングが、半世紀以上経った今の時代にも通用する普遍的な感動をもっていること、しかもそれが当時20歳そこそこの若いライター達によって作られていたことを思うと、なんだかとても熱い気持ちがこみ上げてきます。






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特集「Beverly Warrenという生きざま」

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華やかなスポットライトを
浴び続けられなくても


 以前、作曲家エリー・グリニッチが夫のジェフ・バリーと共に結成したコーラスグループ、レインドロップスについて取り上げたことがあります。レインドロップスのレコードはエリーとジェフの多重録音によって作られており、もう一人のメンバーであるエリーの妹ローラは、レコーディングには関わっていませんでした。ローラはコンサートや撮影など、グループとして露出するときにだけ参加する、いわば「形だけのメンバー」という存在だった・・・という話まではふれました。

 実は、このローラには「影武者」がいました。そもそもローラ自身が影武者みたいな存在なのに、さらにそこに影武者がいたなんてややこしすぎるのですが、長いツアーなどを回る際はこの影武者がローラとして帯同したそうです(ちなみにジェフにも影武者がいる)。

 ただし、この「影武者」はローラと違い、歌が歌えました。なぜなら本物の歌手だったから。この「影武者」が、今回取り上げるビヴァリー・ウォーレンです。

 ビヴァリーは1962年、ブレントウッズというコーラスグループのメンバーとして活動するところからキャリアをスタートさせます。当時14歳でした。やがてブレントウッズが解散すると、今度はリッキー&ホールマークスというグループの一員になります。

 リッキー&ホールマークスはBell Records傘下のAmy Recordsから1枚だけシングルをリリースするのですが、大して売れずにグループは解散。しかしこのときにエリー・グリニッチと知り合ったビヴァリーは、彼女の作った<It Was Me Yesterday>でUnited Artistsからソロ歌手としてデビューします。ちなみに僕が最初にビヴァリーを知ったのは、エリーのコンピに入っていたこの曲でした。



 結局、このシングルも大して売れなかったのですが、このときのエリーとの縁が、レインドロップスの「影武者」としての活動につながっていきます。その後、65年にはゴフィン&キングスキーター・デイヴィスに作った<Let Me Get Close To You>をカバーしてLaurie Records傘下のRustからリリースするのですが、こちらも大して売れなかったもよう。



 72年には(この時点でまだ20代前半)、<It Hurts To Be Sixteen(なみだの16歳)>で知られるアンドレア・キャロルとB.T. Puppy Recordsから『Side By Side』というタイトルのスプリットLPを出します。A面がアンドレアでB面がビヴァリー。ここではシフォンズが63年にNo.1ヒットをさせた<He’s So Fine>を、本家シフォンズをコーラスに迎えてカバーしたりしています。

 ちなみに、このアルバムのリリース元であるB.T. Puppy Recordsは<ライオンは寝ている>で有名なトーケンズが設立したレーベルで、ビヴァリーが吹き込んだ<A Few Casual Words>と<Papa Bill Is Home>を作曲したポール・カハンはトーケンズの楽曲を手掛ける作曲家。この頃のビヴァリーはトーケンズの周辺で仕事をしていたようです(ちなみにアンドレアの<It Hurts To Be Sixteen>を作ったのはトーケンズのオリジナルメンバーであるニール・セダカ)。

 その後、ビヴァリーはカントリーバンド、ヴィンス・ヴァンス&ヴァリアンツやリッキー&ホールマークスの元メンバーが作ったブレンドエアーズ、ドゥーワップグループのティーンコーズといったグループを渡り歩きながらキャリアを重ねていきます。還暦を迎えても現役バリバリで、08年時点ではNYのターセルズというコーラスグループで活動していたそうです。

※2011年の映像


 さて、ここまで延々と、ビヴァリー・ウォーレンという一人の女性歌手のキャリアを紹介してきました。彼女はお世辞にも有名とはいえません。むしろ「ど」がつくほどマイナーなアーティストです。けれど10代の前半からずっと、途切れることなくアメリカの音楽業界のなかで生きてきました

 彼女のキャリアの特徴は、グループの一員として出てきて、途中ソロ歌手として活動をするも、再びグループの一員に戻っていくところです。このときに、自分がリーダーとなるのではなく、既存のグループに途中から加わり、「お手伝いさん」の位置に甘んじ続けるのは、何かを悟って諦めた結果なのか、それとも本心では忸怩たるものがあったのか。いずれにせよ、長いバックコーラス稼業を経てソロになり、世界的なヒット映画『ホーム・アローン2』の主題歌を歌ったり、さらには自身をモデルにした映画が作られたりするダーレン・ラブとはまったく異なります。

 ビヴァリーの50年以上に及ぶキャリアは傍目には低空飛行に映るかもしれません。でもね、僕は声を大にしていいたいんだけど、彼女は素晴らしい歌手です。前述のようにエリー・グリニッチのコンピに入っていた<It Was Me Yesterday>で初めて聴いたんだけど、あまりの声の良さに一瞬時が止まったような気さえしました。

 そこから夢中で彼女の情報を追い求めて、なんとか入手できたのが、2008年にリリースされた彼女の唯一のアルバムであり、キャリアのほぼすべてを網羅したベスト盤『The Secret’s Out』。私、手違いでこれ2枚持ってます。日本はおろか、世界中を探してもこのアルバムを2枚所有している人ってレーベルと本人以外他にいないんじゃないか

 さっき「低空飛行」と書いたけど、音楽業界には華やかなスポットライトが当たり続ける人だけじゃなく、彼女のような存在もたくさんいるんですよね。でもそれってよく考えてみたら現実も一緒で、「100点の人生」を夢見ても、ほとんどの人が「62点」とか「45点」しか取れず、その中途半端な点数と自分の満足感とを折り合い付けながら生きているはずです。

 そう考えると、彼女のキャリアの重ね方っていうのは、大スターの華やかな経歴よりもかえってシンパシーが湧く気がします。そして、淡々とキャリアを積んで確かな実力があれば、いつかこういう形(ベストアルバム)でギフトがもらえるってところも、なんか勇気をもらえます。








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特集「The Shangri-LasとThe Goodies〜光と影の双生児」

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歴史の闇にひっそりと消えた
「もう一つ」のシャングリラス


 こちらをじっと見つめる美しい金髪の少女と、「なぜここに?」という違和感を放つ謎のバイク。そして、バーンと大きくプリントされた、それ自体がキャッチコピーであるようなグループ名「Shangri-Las」の赤い文字―。

 シャングリラスを最初に知ったきっかけは、曲でもプロフィールでもなく、アルバムのジャケットでした。中古レコード屋でたまたま見つけた彼女たちの1stアルバム『Leader Of The Pack』のジャケットに、「これは好きに違いない」という直感を覚えて、その場でジャケ買いしたのです。果たしてその直感は当たりでした。

 1963年に、NYの同じハイスクールに通っていたベティとメアリーのワイス姉妹と、メリーアンとマージのガンザー姉妹の4人で結成されたシャングリラス。Smashからリリースしたデビューシングルは鳴かず飛ばずじまいでしたが、64年にRed Birdに移籍し、プロデューサーのシャドウ・モートンと出会ったことで運命が変わります。

 まず、シャドウの手による<Remember (Walking in the Sand)>で全米5位に入ると、続く<Leader Of The Pack>(シャドウが書いた元曲をエリー・グリニッチとジェフ・バリーが仕上げた楽曲)で全米1位を獲得。彼女たちの人気の高まりを受けて、レーベルは急きょ1stアルバムをこしらえます。それが、僕が見かけた『Leader Of The Pack』。ジャケットのセンターに映る金髪の美少女メアリー・ワイスは、当時まだ15歳でした。



 翌65年になってもシャングリラスの人気は衰えず、<Give Us Your Blessings>、<I Can Never Go Home Anymore>などヒットを出し続けます。そこでレーベルは、またも彼女たちの既発曲をひとまとめにしてアルバムに仕立てることにします。それが『Shangri-Las-65!』。タイトルもコンセプトも「在庫一掃セール!」という感じでミもフタもないですが、個人的には1stよりもこの2ndのほうが、より彼女たちのイメージに近い楽曲が揃っているような気がします。



…と、ここまでが実は前置きでした。今日の本当の主人公はシャングリラスではなく、彼女たちの陰でひっそりと歴史の闇に消えてしまったあるガールズグループなのです。その名はグッディーズ(The Goodies)。

 アルバム『Shangri-Las-65!』のなかに<Sophisticated Boom Boom><The Dum Dum Ditty>という2つの曲があります。この2曲のオリジナルを歌っているのがグッディーズです。

 グッディーズは63年、NYに住んでいたマリアン・ジェスムンド、スーザン・ゲルバー、ダイアンとモーリーンのライリング姉妹の4人で結成されました。結成された年も住んでる地域も4人の関係も(姉妹が含まれている点も含めて)、シャングリラスに驚くほど似ています

 そして、あるショーに出演したのをきっかけに、当時バニーズ(The Bunnies)と名乗っていた彼女たちは、シャングリラスのプロデューサーであるシャドウ・モートンと出会います。ちょうどシャングリラスが<Remember (Walking in the Sand)>で最初のヒットを出した直後でした。

 バニーズ(グッディーズ)を見込んだシャドウは早速、彼女たちとデモテープづくりを始めます。その曲のタイトルは<Leader Of The Pack>。そうなのです、後にシャングリラスのシングルとして全米1位を獲得するこの曲は、元はバニーズのシングルになるはずだったのです

 ところが、できたばかりの<Leader Of The Pack>のデモテープを聴いたRed Birdは(シャドウの話によるとジェリー・リーバーだったそうですが)、どこの馬の骨かもわからないバニーズではなく、既にヒットを出しているシャングリラスのシングルにこの曲をあてることを決めてしまうのです。

 デビューシングル、しかも全米1位を獲った曲を奪われたバニーズは、泣く泣く次のデモをつくることにします。同じくシャドウが用意した<Give Him A Great Big Kiss>でした。ところが、なんとこの曲もシャングリラスに奪われるのです。<Give Him A Great Big Kiss>はシャングリラスのRed Birdからの3枚目のシングルとしてリリースされ、全米18位まで上がりました。

 芽が出ないどころか種さえ植えられていない状態のバニーズでしたが、65年になってようやくチャンスが回ってきます。Red Birdの姉妹レーベルBlue Catから、ついにシングルを出せることになったのです。それが<The Dum Dum Ditty>でした(B面が<Sophisticated Boom Boom>)。

 ところが、ここでもミソがついてしまうのです。レコーディングが終わり、パブリシティも用意していよいよデビュー!となったタイミングで、「Bunnies」という商標が既に登録されており、そのままのグループ名ではデビューできないことがわかります。

 レーベルは急きょ「The Goodies」というグループ名をひねり出して、刷ってしまったチラシやポスターには新しい名前のステッカーを上から貼るという強引な手を施し、とにかく力ずくでデビューさせてしまうのです。まさにドタバタ。ちなみに、グループ名を変えることについて、レーベルはメンバーたちに一切事前の告知はしなかったそうです。ブラックすぎる…。

 さらに(まだあるのかよ!)、彼女たちが待ち望んだオリジナル曲として世に出た<The Dum Dum Ditty>と<Sophisticated Boom Boom>ですが、結局はまたしてもシャングリラスに奪われることになるのです。それが前述の、2nd『Shangri-Las-65!』に収録された2曲です。グッディーズの方が先に出したので、厳密には「奪われた」という表現は間違いですが、でもこれで結局「グッディーズしか歌っていないオリジナル曲」というのは1曲もなくなったことになります。

 グッディーズの<The Dum Dum Ditty>は東海岸のローカルチャートではそれなりに健闘したようですが、全国チャートにはまったく引っかかりませんでした。レーベルから満足のいくサポートは受けられず、ようやく実現したデビューシングルも結果が出せなかったグッディーズは、メンバーの進学や引っ越しなどが重なったこともあり、そのまま解散してしまうのでした



 ということで、グッディーズとしての公式な音源として残っているのは<The Dum Dum Ditty>と<Sophisticated Boom Boom>のたった2曲のみ。<Dum Dum〜>のほうはRed Bird関連のコンピ盤に、<Sophisticated〜>のほうはシャドウ・モートンのコンピ盤に収録されているのを把握しています。ちなみにサブスクリプションで「The Goodies」を検索すると、70年代のイギリスのコメディグループがヒットします(後から出てきた同名グループのほうが知られている点も、なんとも悲しい)

 この2曲、どちらも僕は好きなんですよね。<The Dum Dum Ditty>は最初に聴いたとき、てっきりエリー・グリニッチの曲だと思いました。そう勘違いするくらいの、クリスタルズ<Then He Kissed Me>ぷり。でも実は、トミー・ボイスボビー・ハートという、後にモンキーズの作家になる2人が書いています(他に、グループのマネージャーであるラリー・マータイアなどさらに2人が参加)。優れた作曲家が本気でモノマネをすると、本物と勘違いするほど完成度の高いスペクターサウンドが出来上がるんだという証拠のような曲です

 もう一つの<Sophisticated Boom Boom>は台詞あり、ドラマチックな展開ありで、いかにも「シャドウ・モートン節」な曲。話はそれますが、この曲を聴くと、シャングリラスやグッディーズを受け入れられるかどうかは、結局シャドウ・モートンという人のキャラクターを受け入れられるかどうかなんだと感じます。

 どちらの曲もシャングリラス版とほとんどアレンジは一緒ですが、僕はグッディーズのほうがよりワイルドで「はすっぱ」な印象を受けます。シャドウ・モートンが目指した世界観により近かったのは、実はグッディーズの方だったのでは?という「if」を想像してしまいます。もし、バニーズがシャドウに出会うのがほんの少し早かったら、バニーズがシャングリラスになっていた可能性は十分あると思います。そのくらい、両者は似ています。でも、実際の歴史は、両者の運命を大きく隔てました。

 ただ、グッディーズは、こうして音源が残っているぶん、まだいいのかもしれません。きっと歴史の闇の彼方には、ほんの一部の人しか知らないまま、誰かの陰になって消えていったアーティストが大勢いるんだろうなあと想像します(『あまちゃん』の天野春子のように)。

 最後に、グッディーズの後日談を。2000年代に入ってグッディーズのメンバーは子供や共通の友人を介して再会を果たします。そして、オールディーズのガールズポップを特集したイベントで、彼女たちはもう一度ステージに立って歌う機会を得るのです。そのステージを見つめる観客の一人に、シャングリラスのメアリー・ワイスもいました。両者はその日、どんな会話を交わしたのだろうと想像します。












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The Exciters『Tell Him』

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さよならニューヨーク
さよならガールズポップ


「いつまでも聴いていたい歌声」というものがあるなら、僕にとってのそれはまずなんといってもコニー・フランシスなんですが、次点を挙げるとするなら、真っ先に頭に浮かぶ名前の一人がエキサイターズブレンダ・リードです。

 思春期の声変わりのようなブレンダのハスキーボイスには、パワーと同時に瑞々しさがあり、聴いているとなんともいえないスカッとした感じがあります。レコーディングのせいなのか、彼女のボーカルには常に自然なエコーがかかっていて、それがまた声の良さを引き立たせています。家に帰ったらブレンダ・リードがいて、一晩中何かしら歌を歌ってくれたらどんなに楽しいだろう。

 エキサイターズは1961年、NYのクイーンズで当時高校生だったブレンダを中心に結成されました。「The Masterettes」という名義で1枚レコードを作ったあと、メンバーを入れ替えてリーバー&ストーラーのオーディションを受けます。その結果、後にブレンダの夫となるハーブ・ルーニーが加入し、グループ名も「The Exciters」に改名して、リーバー&ストーラーのプロデュースのもと、デビューシングルをUnited Artistsから発売します。それが<Tell Him>

 かっこいいですよね。マイナーコード主体の陰りのある序盤から「Tell Him That…」のコーラスまで、うねるように移動しながら、気づいたらいつの間にか見晴らしのいい場所に来ていた…といったような、美しくもダイナミックな展開。この曲は全米4位まで上がりました。

 曲の作者はバート・バーンズドリフターズの<Under The Boardwalk>やゼムの<Here Comes The Night>(のちにエキサイターズもカバー)の作曲家として知られていますが、彼のNo.1は間違いなくこの<Tell Him>だと思います。そして、この<Tell Him>のヒットを受けて、同じくUnited Artistsから翌年リリースされたのが、同名タイトルの1stアルバム。

 エキサイターズを語るとき、このデビューアルバムのことはほとんど話題に上らないのですが、いやー、めちゃくちゃいいアルバムだと思います。曲がどれもよくてポップアルバムとして素晴らしいのはもちろんなのですが、同時期のNY周辺のガールズグループと比べると、ぐっとソウルフルな感覚を秘めているのが大きな特徴。

 アレンジも素晴らしく、<Get Him Alone>や<I Dreamed>に使われる、跳ねるようなストリングスやグロッケン(かな?)とか、どこかビッグバンドっぽいんですよね。そこらへんも他のグループよりも黒っぽく感じる所以かもしれません。


 アルバムのアレンジを一手に引き受けているのはティーチョ・ウィルシア。この人は、元々はジャズのピアニスト出身なので、ビッグバンドっぽく感じるのはそれが理由なのかも。アレンジャーとしてはコースターズやドリフターズなど、リーバー&ストーラー周辺のアーティストの楽曲に参加しています。

 が、ティーチョ・ウィルシアの代表曲はなんといってもアイズレー・ブラザーズの<Twist And Shout>。この曲は、実はバート・バーンズもバート・ラッセル名義で共作者の一人に名を連ねているので、つまりオリジナルの<Twist And Shout>を作った2人が、エキサイターズを通じて久々に揃ったと見ることもできます。

 ちなみに、アルバム『Tell Him』の1曲目に入ってるのは、エリー・グリニッチ作曲の<He's Got The Power>という曲なんですが、僕が最初にエキサイターズを知ったきっかけが、この曲のビデオでした。なんで覚えているかというと、このビデオがあまりに低予算&素人臭くてインパクト大だったから。ちょっと見てみてください。


「なぜここで撮ったんだ?」と突っ込まざるをえない微妙なロケーション。これどう見たってただの「藪」でしょう。この曲は「私は言いたくないのに、彼の手にかかるとその言葉を口にしてしまう。きっと彼には力(=Power)があるに違いない」というちょっとひねったラブソングなんですけど、歌詞の内容と風景が1ミリもかすっていない。そして「なぜこの日に撮ったんだ?」と突っ込まざるをえない、鉛色をした重たい曇り空。「もうちょっと何かこう、あるだろう!」というイラついた義侠心が煮えたぎってくる気がします。こんなビデオ、忘れられるわけがない

 さて、先ほど「エキサイターズはソウルフル」という話をしました。「モータウンに対するNYからの回答」などとも評される彼女たちですが、個人的にはモータウンよりももっと南部寄りの印象を受けます。エキサイターズはマンフレッド・マンが大ヒットさせた<Do-Wah-Diddy>のオリジナルを歌ったことで有名ですが、マンフレッド・マン版とエキサイターズ版とを比べると、彼女たちの特徴がよく感じられます。




 エキサイターズはこの後Rouletteに移籍して66年にセルフタイトルの2ndアルバムを出すのですが、非常にかっこよく泥臭い作品になっており、いわゆる「ガールズポップ」からは完全に脱皮しています。アレサ・フランクリンの『Lady Soul』は68年ですが、その2年も前の時点で、あの名盤に近いアーシーなフィーリングをレコーディングしちゃってるのは、何気にすごいと思う。

 結局、セールス的なピークはデビュー曲の<Tell Him>で、彼女たちは最後までそれを超えることはできませんでした。ですが、同時期のガールズグループの多くが、同じ場所・同じ路線を維持し続けたのに対し(もちろん、それはそれで素晴らしいけど)、エキサイターズは変化することを恐れず次へ次へと進んでいったという点で、とてもユニークなグループだと思います。








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特集「Ellie Greenwich」〜The Raindrops編

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60年代ポップスにおける
最高の「自作自演」


 シンガーソングライターとして大成功を収めたキャロル・キングと比べるとどうしても知名度は落ちますが、エリー・グリニッチも間違いなく1960年代前半の米ポップスを彩ったブリル・ビルディングサウンドの立役者の一人です。

 ロネッツの<Be My Baby>、クリスタルズの<Da Doo Ron Ron>、ボブ・B・ソックス&ブルージーンズの<Not Too Young To Get Married>、シャングリラスの<Leader Of The Packs>、マンフレッド・マンのカバー版が有名な<Do Wah Diddy Diddy>…。思いつくまま挙げてくだけで、そのまま「60sポップスベスト」が出来上がりそうです。

 個人的に思い入れがあるのはロネッツの<I Can Hear Music>。これ、最初はビーチボーイズのカバー版の方を先に知ったんですよね。てっきりブライアン・ウィルソンの曲だと思ってたところ、調べてみたらエリー・グリニッチと彼女の夫ジェフ・バリーの曲だった。長らく僕にとって歴史の最奥部だったビーチボーイズの、そのさらに後ろにキラキラと輝く鉱脈が眠っていることを最初に気づかせてくれた1曲でした。



 さて、そのエリー・グリニッチですが、実はキャロル・キング同様に自身も歌手として活動していました。1963年、前年に結婚した夫ジェフ・バリーと共作した<What A Guy>をThe Sensationsというドゥーワップグループに書き下ろし、自分とジェフの声でデモ音源を吹き込んだところ、レーベルはなんとそのデモのほうをシングルとして発売することを決めるのです

 そうしてにわかに急造されたグループがThe Raindrops。グループといっても、実際にはエリーとジェフの2人で多重録音し、あたかもグループっぽく見せていた、人気ソングライターによる一種の覆面グループでした。ステージでは(ライブをやることが驚きですが)エリーの妹のローラに衣装を着せて、歌に合わせて口パクさせてグループっぽく見せていたそうです。ローラはアーティスト写真にも「メンバー」として顔を出しています。

 しかし、エリーとジェフが作り出した数々の大ヒット曲たちに比べると、彼女たち自身が歌うThe Raindropsは大したヒット曲を残せませんでした。数枚のシングルとアルバム『The Raindrops』をリリースした後、65年には活動を休止。ちょうどその頃エリーとジェフは離婚をするので、ちょうど彼女たちが夫婦だった時期がグループの活動期と重なることになります。こうしてThe Raindropsという名前は、一部のポップスファンの記憶の中でのみ生き続けてきたのです…。

 …というキャリアについて知ったのは、実はThe Raindropsの音楽を聴いてしばらく経った後のこと。初めて聴いたとき、それがエリー・グリニッチ自身の声だとも知らず、僕は「むちゃくちゃいいな!何このグループ!」と思ったのでした。

 気に入った理由はシンプルで、ボーカルは女性なのに曲はドゥーワップという点がとても新鮮だったからです。<I Can Hear Music>をきっかけにブリル・ビルディングサウンドに傾倒していた同じころ、僕は同時代を代表するもう一つのスタイル、ドゥーワップにもハマっていました(その結果シャネルズに行きつくわけです)。The Raindropsは、その2つの音楽スタイルがハイブリッドされた、僕にとっては夢のようなグループに思えたのです。

 このハイブリッド感は、前述の通りデビューのきっかけがドゥーワップグループに提供した曲で、デモ音源を作るためにハーモニー部分はエリーが多重録音せざるをえなかったという、言ってみれば「たまたま」にすぎません。けれど、60年代前半を代表する2つのスタイルが、縁の下で支えていた2人のソングライター自身の声で混ぜ合わされたという事実は、圧倒的後追い世代である身からすると、とてもドラマチックに思えるのです。









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Hal Blaine追悼特集

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「ドッドドン、ダン!」の
系譜について


 今年3月、ドラマーのハル・ブレインが亡くなりました。アメリカ西海岸の腕利きミュージシャン集団「レッキング・クルー」の中心人物として、ビーチボーイズサイモン&ガーファンクルをはじめ数々の名曲/名盤のレコーディングに参加し、彼の叩くドラムが録音された曲は35,000曲を超えると言われる、現代のポップミュージックを代表する名ドラマーです。「彼の名前は知らなくても、彼がドラムを叩いた曲は知っている」という、セッションミュージシャンの鑑のような人でした。

 とにかく膨大な録音を残した人ですので、全ての曲を把握するなんて無理なのですが、拙い知識のなかで1曲だけ選べと言われたら、ベタベタなんですけど、やはりロネッツの<Be My Baby>を選びます。


 なんといっても、イントロの「ドッドドン、ダン!」っていうリズムですよね。最初に聴いたのがいつだったのかもう覚えてないですけど、何度聴いてもうっとりとした気持ちになります。ドラムだけでなんでこんなにも雄弁なフレーズが作れるんでしょう。

 もちろん、この曲はアレンジも声もメロディも全てが素晴らしいのですが、やはりあのイントロを抜きにしては語れません。女性ボーカルもののポップミュージックを、ジュディ・ガーランドとかアンドリュー・シスターズとかの時代から順々に聴いていくと、ロネッツにたどりついた瞬間に「あ、完成した」という”これ以上はない”感みたいなものがあります。単にドラムだけを根拠にしたのではなく、楽曲の果たした歴史的役割みたいなものから逆算して、この曲を「ハル・ブレインのベストドラム」に選びました。

 さて、そのように歴史的名演であるがゆえに、この「ドッドドン、ダン!」のフレーズは以降さまざまな楽曲でカバーされてきました。そのなかの数曲を以下に挙げてみたいと思います。既にいろんなメディアで取り上げられてきたテーマではあるのですが、自分なりの視点で選んでみました。

<Just Like Honey>
The Jesus And Mary Chain
(1985年)

 やっぱり何を置いてもこの曲を挙げないと始まらないでしょう。<Just Like Honey>自体がロック史に残る名曲ですが、そのイントロが<Be My Baby>というのが面白いというか、歴史が受け継がれていくのを強く感じますね。

 余談ですが、僕はこの曲を聴くとソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』を思い出して毎回泣いてしまいます。


<Gentle Sons>
The Pains Of Being Pure At Heart
(2009年)

 愛するペインズにも「ドッドドン、ダン!」がありました。もっともこの曲は<Be My Baby>というよりも、ジザメリの系譜といった方がよさそう。実際ペインズが登場したときはシューゲイザーという文脈で語られましたが、眩暈のなかで眠りに落ちていくようなこの曲のダル重い感覚は、<Just Like Honey>に近いと思います。そういう意味では、<Be My Baby>の「孫」といえるかもしれません。


<Ghost Mouth>
Girls
(09年)

 ペインズと同じく09年に発表されたのがこの曲。NMEやPitchforkをはじめ音楽誌で軒並み高評価をたたき出した、その年を代表する1枚となったガールズの1stに収録されています。

 バンドの中心人物であるクリストファー・オーウェンズは、以前このブログでも取り上げたことがありますが、明らかにフィル・スペクター→ブライアン・ウィルソンの系譜を継ぐ作家なので言わずもがな、です。


<Time’s Passing By>
Lia Pamina & Dario Persi
(18年)

 今回選んだ曲のなかでもっとも新しいのがこれ。スペインのSSWリア・パミナと、イタリアのパワーポップバンド、レディオ・デイズのボーカルであるダリオ・パーシがコラボした4曲入りEPが昨年リリースされたのですが、そのラストに収録されているのがこの曲。

 リアはElefant Records所属のアーティストで、最新のアルバムではレーベルメイトであるヤーニングジョー・ムーアがプロデュースしており、このEPもElefantから出ています。ここまで「状況証拠」が揃ったのだから、この曲のリズムパターンは間違いなく「クロ」でしょう。


<You May Dream>
シーナ&ザ・ロケッツ
(79年)

 続いて邦楽編です。まず筆頭に挙げなければならないのはこれでしょう。打ち込みで見えにくくなっていますが、間違いなく「ドッドドン、ダン!」が隠れています。しかもこのフレーズ叩いてるのは高橋幸宏ですよね?

 昨年NHK福岡放送局で制作された、若き日のシーナと鮎川誠を描いたドラマ『You May Dream』で、鮎川誠と出会う前のシーナ(石橋静河)が部屋で聴いていたLPがまさにロネッツの1stで、なかなかグッときました


<一千一秒物語>
松田聖子
(81年)

 個人的には、この曲が世界中の<Be My Baby>インスパイア楽曲の頂点だと思っています大滝詠一松田聖子というトップアイドルを得て、「時はきた!」と伝家の宝刀を抜いたのがこの曲。あのドラムパターンが聴こえた瞬間に「いよいよやるんだな!」ってことがこっちにもわかります。ヴァース冒頭はコード進行まで揃えるという徹底ぶり。本家に引けを取らない美しい曲です。ちなみにブリッジにはクリスタルズの<Then He Kissed Me>が出てきますね。

 この曲が収録されたアルバム『風立ちぬ』については去年こちらで書きました。


<ハートせつなく>
原由子
(91年)
※YouTubeなし!Fuck!

 作詞作曲は桑田佳祐。イントロが<Be My Baby>で、そこからブライアン・ウィルソンに変化していくという、必殺コンボが炸裂するイントロ。好きな人にはたまりません。大滝詠一といい桑田佳祐といい、どうも男性作曲家は「これだ!」という女性歌手を得ると<Be My Baby>をやりたくなるんでしょうね


<世界中の誰よりきっと>
中山美穂&WANDS
(92年)

 邦楽史上もっとも売れた「ドッドドン、ダン!」です。僕も小6のときにシングル買いました。

 作曲は織田哲郎、アレンジは葉山たけしという、ビーイングのシングル制作における鉄壁コンビ。「イントロはロネッツでいこう!」と言い出したのはどっちなんでしょうね。でもどっちであっても、これも「男性作曲家はここぞというときに<Be My Baby>をやりたがる理論」を実証する楽曲といえそうです。

 こうして見ると、海外は現在もなお<Be My Baby>の系譜が生き続けているのに対し、日本は30年近くも絶えてしまっているように見えます(もちろん、僕が知らないだけって可能性もありますが)。日本と海外の本質的な違いの一端を示唆する差のように思える…のは気のせいでしょうか。

----------
 最後に、ハル・ブレインが参加した日本のアーティストの楽曲を1曲紹介。島倉千代子の<愛のさざなみ>(68年)です。録音はロスだったらしく、そこにハル・ブレインが参加したそうです。確かにこの曲はサウンドが全然違いますね(やっぱり浜口庫之助は海外のサウンドと相性がいい)。しかしハル・ブレイン、本当になんでもやってるんですね。








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Aretha Franklin『Aretha: With The Ray Bryant Combo』

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「自由に生きていい」と
彼女は歌っていた


 先月『村上RADIO』のなかで、村上春樹が「僕はシナトラの<My Way>は嫌いなんだけど、アレサ・フランクリンのカバーした<My Way>を聴いたら『なんていい曲なんだろう』と思った」というようなことを話していました。まさか、あの数日後にアレサ・フランクリンが亡くなるとは。

 亡くなったというニュースを聞いて思ったのは、悲しみや喪失感というよりも、彼女と同じ時間の空気を吸えたことへの感謝でした(僕はわずか2か月の差でジョン・レノンと同じ時代に生きられなかったので)。それくらい、彼女の存在は生前から既に「生きる歴史」だったし、その大きさは別格中の別格でした。

 彼女の代表作『Lady Soul』を初めて聴いたのは、20代の後半でした。めちゃくちゃ衝撃でした。あの「チェンチェンチェーィン…」という、ぬたぁーっと始まるゾクゾクするオープニング。当時ガレージとかパンクばかり聴いていてソウルミュージックには馴染みがなかったんですけど、このアルバムはパンクと同じ地平にあるような気がして、すげえかっこいいなと思いました

 このアルバムのなかで彼女はゴフィン&キングによる<Feel Like A Natural Woman>を歌っています。後年、『つづれおり』でキャロル・キングがこの曲をセルフカバーをしてますが、僕は圧倒的にアレサ版の方が好きだなあ。<People Get Ready>もオリジナルよりもアレサの方が好き。あの猛烈にエモーショナルなボーカルは、有無を言わさぬ説得力があります。

 アレサ・フランクリンというとこの『Lady Soul』をはじめアトランティック時代のイメージが強いですが、亡くなったのを機に、その前のコロンビア時代のアルバムも聴いてみました。その中でも特に印象に残ったのが、コロンビアと契約して最初のアルバム『Aretha: With The Ray Bryant Combo』

 ジャケット見てもわかる通り、若い!当時若干18歳です。笑ってるんだけどどこか緊張して見えるのが可愛らしいですね。でも歌はやっぱり圧倒的。後年の円熟味はありませんが、そのかわり瑞々しい躍動感があって、アトランティック以降を聴いていた耳にはとても新鮮です。

 プロデューサーはベニー・グッドマンやビリー・ホリデイといった「歴史上の人物」と仕事をしてきた大ベテラン、ジョン・ハモンド。タイトルからもわかるとおり、このアルバムで彼はピアニストのレイ・ブライアントをアレサにぶつけています。そのことによる緊張感がバンドのアンサンブルを引き立てていて、若いアレサの声ともマッチしています。

 収録曲は全てカバーなのですが、その中には彼女のルーツでもあるゴスペルだけでなく、ジャズやブルース、映画音楽まで含まれています。2曲目で『オズの魔法使い』の主題歌<虹のかなたに>を歌ってるんですけど、こういうモロに白人音楽な雰囲気の曲を、(少なくとも僕の印象では)黒っぽくなく歌い切ってしまうのがすごい。


 レイ・チャールズナット・キング・コールを聴くと、特定のジャンルに捉われないボーダレスなところに感動するのですが、アレサはその女性版というようなイメージを持ちました。「ソウルの女王」という彼女の異名が、実は一面的なものでしかないことがこのアルバムを聴くとわかります。

 まるで実際に飛び跳ねながら歌ってるんじゃないかと思うようなエネルギーで、どんな曲も伸び伸びと歌い切ってしまう18歳のアレサの声を聴いていると、「私は自由に生きていいんだ」「どこへでも行けるんだ」というような思いが湧いてきます。言葉に直すと陳腐だけど、そういう気分を純粋に音楽だけでリスナーに抱かせてしまうところが本当にすごい

 オバマ前米大統領はアレサの訃報に「彼女の声の中にアメリカの歴史を見ることができた」とコメントしました。「きっとそうなんだろうなあ」と想像します。








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Bob Dylan『Bringing It All Back Home』

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風景と音楽の組み合わせが
「自分だけの映画」を生む


 先月TOKYO-FMで、村上春樹が初めてラジオDJを務めた番組『村上RADIO』が放送されました。

 本人も番組の冒頭で「僕の声を初めて聴く人もいるかもしれません」と言ってましたが、確かに非常にレアな機会だったと思います。僕も、彼がまとまった量の日本語を、それもカジュアルな口調で喋るのを耳にしたのは初めてでした。意外だったのは、イメージよりも声が若かったこと。あと、村上春樹も普通に笑うんだってこと(当たり前か)。

 番組は、村上春樹がランニング中に聴く音楽(1000〜2000曲入っているiPodを7台ほど持っているらしい)から本人がセレクトしたいくつかの曲を紹介するというもの。ジャズからポップ、ロックまでジャンルはいろいろでしたが、本人曰くランニングに向いている音楽は「なるべくリズムが一定で、できれば勇気を奮い立たせてくれるようなもの」ということで、軽快で元気なナンバーが多かったですね。

 興味深いのはカバー曲が多いことでした。Zachariasの<Light My Fire>とかBen Sidranの<Knockin’ On Heaven’s Door>とか。ジョージ・ハリスンもカバー曲でした。しかしなかでも驚いたのはJoey Ramoneの<What A Wonderful World>。村上春樹、ラモーンズなんて聴くんだ!でもこの曲は確かにランニングにはすごい合いそう。

 そういえば、以前エッセイで、「ビートルズはもう山ほど聴いたから、今はもっぱらカバーしか聴かない」みたいなことを書いてましたね。その気持ちは分かる気がする。
(YouTube)

 僕もランニングをするけど、音楽は聴きません。走り始めた当初はiPodを必ず携帯してたんですが、2、3か月もすると聴かなくなりました。

 理由は2つあって、1つは汗が流れ込んでイヤホンを1本ダメにしてしまったこと。もう1つは、音楽が邪魔に感じるようになったこと。音楽を聴いていたのは走る間の退屈対策だったのですが、2、3か月経って徐々に身体がランニングに慣れてくると、走ること自体が楽しくなってくるので、音楽はむしろ余計だと感じるようになったのです。以来、一度も音楽を聴きながら走ったことはありません。

 だけど1つだけ、ランニング中に聴いていた音楽で忘れられない記憶があります。

 ランニングを始めて最初の冬のことでした。12月の頭、よく晴れた土曜日の早朝に、いつも走っていた近所の都立公園へ行くと、例年よりも長く枝にしがみついていた銀杏の葉が一斉に散り始めていました。まるで絨毯のように真っ黄色に染まった地面を走り始めたとき、イヤホンから流れてきたのは、ボブ・ディラン『Bringing It All Back Home』でした。

 1曲目の<Subterranean Homesick Blues>の乾いたギターの音、2曲目<She Belongs To Me>のディランの繊細な声と優しいメロディ。それらが、黄色い地面と青い空、冬のキンとした空気にピタリとハマりました。

 走りながら、まるで映画を見ているような錯覚に陥りました。風景と音楽が、僕のなかで宿命的なほど完璧に溶け合いました。あまりの美しさに「生きててよかった!!」と心の中でガッツポーズをとったのを、はっきりと覚えています。1965年にリリースされたこのアルバムは、ディラン初のエレクトリックアルバムとして知られる名盤中の名盤ですが、あの日以来、僕は聴くたびに12月の早朝の公園を思い出すのです。

 僕は村上春樹にとってのランニング音楽のように、行動(アクション)と音楽が結びついた経験はあまりないんですけど、そのかわりに、ボブ・ディランのときのような、風景と音楽が結びついた経験はたくさんあります。

 一番多いのは電車に乗ってるときで、たまたまイヤホンから流れてきた音楽によって、見慣れたはずの車窓の風景が物語のワンシーンのように見えることは、日常的によくあります。こないだも夕方の東横線に乗っていて、遠くに三軒茶屋のキャロットタワーが見えたんですけど、その瞬間ホムカミの2ndが流れて、「ああ、あの場所に行きたいなあ」というようなくらくらするほどの切なさを感じました。なんだったんだろう、あれは。

 こういうのって狙って味わおうとしてもダメで、ある風景とある音楽、さらにはそのときの自分の心理状態なんかも含めて偶然生まれるものなんですよね。そして、偶然だからこそ、この「自分だけの映画」を見られることにはある種の快感があります。僕が電車に乗るときに必ず音楽を聴く理由は、退屈対策もあるけど、それ以上にこの不思議な快感への期待が大きいかもしれない。さらにいえば、僕がずっと劇団で選曲をやってきたのも、「風景(シーン)と音楽の組み合わせ」への好奇心が、形を変えて表れた結果なんじゃないかという気がしてきました。

 …というようなことを『村上RADIO』を聴き終ってから考えていました。なんだか、自分の音楽遍歴をひもとくキーワードが、思いもかけず見つかったような気分です。番組の趣旨とはだいぶずれるけど、これもある意味では「風景と音楽」と同じ、偶然が生んだ何かに違いありません。

『村上RADIO』は10月に第2回が放送されるそうです。








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『Rock And Roll Music』 Chuck Berry etc.

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「ありそうでなかった」という
盲点を突いたビートルズ・アイテム


 ちょっと変わったビートルズ関連アイテム。タイトルは「Rock And Roll Music」、アーティスト名にも「Chuck Berry」とあるので、一見するとビートルズとは何の関係もないアルバムに見えますが、実はこれ、ビートルズが演奏してきた「カバー曲」の、そのオリジナル版だけを集めた企画アルバムなのです。2013年の11月に発売されました。

 まず「オリジナル版を集めた」というコンセプトが素晴らしいです。これまで、「ビートルズ“を”カバーした」という企画アルバムはあっても、「ビートルズ“が”カバーした」という視点で作られたアルバムは(今考えると不思議なほど)ありませんでした。そのため、オリジナルを聞きたいと思ってもYouTubeで検索するか、あるいは、わざわざ目当ての1曲のために異なるアーティストのアルバムを買うという、「回り道」を選択するしか方法はなかったのです。

 そういった意味でこの『Rock And Roll Music』のアイデアは、「ありそうでなかった」という、まさに盲点を突いたもの。実現してくれたユニヴァーサル・ミュージックに感謝です。

 本作に収録されたのは計28曲。タイトル曲になっているチャック・ベリー<Rock And Roll Music>、<u>リトル・リチャード<Long Tall Sally>、バディ・ホリーの<Words Of Love>など、ビートルズがカバーした楽曲のオリジナルがほぼ全て収録されています。さらに、ベン・E・キングの<Stand By Me>やエディ・コクランの<Twenty Flight Rock>といった、ジョンとポールがソロになってからカバーした楽曲にも触れており、かなり網羅的な一枚になっています(<Twenty〜>はポールがジョンと初めて会った時にあいさつ代わりに弾いた曲として知られています)。

 また、ビートルズがカバーしていないにも関わらず、ビル・ヘイリーの<Rock Around The Clock>が本作のラストを締めくくっているのは、ロックンロールの原点の1曲として、リスペクトを込めて収録されているのでしょうか。蛇足という批判もあるかもしれませんが、僕はこの演出はなかなかニクイなあと思いました。

 それにしても、オリジナル楽曲“だけ”を横断的に聴いていくというのは、想像していた以上に新鮮な体験でした。好きなアーティストがどんな楽曲を好み、どんな人たちに影響を受けてきたのかについて歴史を遡っていくことは、隠れた鉱脈を探し当てるような驚きと発見があります(だから、冒頭「回り道」と書きましたが、実はけっこうそれが楽しかったりもする)。

 特にロックは、先人からの影響というものを積み重ねながら発展してきた音楽なので、ルーツを辿ることで頭の中に「物語」を作り上げていくという行為自体が、ロックの楽しみでもあります。もちろんビートルズも例外ではなく、むしろ絶対的な座標であるビートルズだからこそ、カバーしたアーティストを一堂に集め、彼らのルーツを露わにすることで、「歴史の中のビートルズ」という相対的な捉え方ができるようになる気がしました。

 同じ企画をビートルズ以外でもやって欲しいですね。ストーンズなんかカバー超多いからすごいことになりそう。

 今回、この『Rock And Roll Music』を聴いていて思ったんですけど、例えばチャック・ベリーやバディ・ホリーなんかは、ビートルズもストーンズも双方がカバーしてますが、ストーンズはさらにそこから遡ってマディ・ウォーターズやジミー・リードといった、ロック史の最初期に属するアーティストにも傾倒していったのに対し、ビートルズはどちらかといえば比較的新しいアーティストを好んでいたことが読み取れます。リトル・リチャードにしてもラリー・ウィリアムズにしても<Twist And Shout>のアイズリー・ブラザーズにしても、みんな50年代以降のアーティストばかりです。

 分かりやすく分類すれば、「原理主義的」なストーンズと「流行もの好き」なビートルズ、といったところでしょうか。実際の好みは別にしても、少なくともカバーとして残した楽曲の傾向からすれば、彼らが自分たちの音楽的資質をどう捉えていたかが見えてくるような気がして面白いですね。

 んで、最後に(ファンなのでどうしても)ビートルズを褒めて終わってしまうんですけども、やっぱりオリジナルを聴いていて思ってしまうのが、「ビートルズ、歌上手ぇ。」ということです。歌だけでなく、そもそも元の楽曲をアレンジしてしまう「消化能力」が優れていると言えばいいのかもしれませんが、例えば<Please Mr. Postman>なんかは、マーヴェレッツには申し訳ないけど、掛け合いのノリにしても「Wait A Minute〜…」の情感にしても、圧倒的にビートルズ版の方が素晴らしい。同じことを『ON AIR』でも書きましたが、オリジナルを完全に「食ってる」と感じる曲がほとんどです。<Twist And Shout>なんて、もうほとんど「ビートルズの曲」という感すらあります(その点、やはりチャック・ベリーとリトル・リチャードの御大2人のオリジナル感は圧倒的なものがあります)。

 そういう意味でこの『Rock And Roll Music』というアルバムは、先人に影響を受けた歴史の中の存在という相対的なビートルズと、クオリティという点で空前絶後な絶対的なビートルズという、相反する二つのビートルズを同時に感じられる作品と呼べるかもしれません。








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『A Christmas Gift For You From Phil Spector』

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ウォール・オブ・サウンドは
クリスマスソングでこそ輝く


クリスマスアルバムが好きで毎年ちょくちょく買い足しているのですが、
(過去最大のヒットが「ザ・ビートマス(ビートルズ×クリスマス)」)
今年また新たなアイテムが増えました。

フィレスレコードが1963年にリリースしたコンピ、
『A Christmas Gift For You From Phil Spector』です。
フィレスレコードというのは、
1961年に音楽プロデューサーのフィル・スペクターが設立したレーベル。
当時フィレスレコードに所属していた、
クリスタルズダーレン・ラブボブ・B・ソックス・アンド・ザ・ブルージーンズ
そしてロネッツという人気アーティストたちが、
このアルバムでは一堂に会しています。

ロネッツは当時<Be My Baby>をリリースしたばかり。
それまでの看板アーティストだったクリスタルズと、
ちょうどこの後から人気をバトンタッチするので、
このアルバムはフィレスの絶頂期に作られたといえます。

僕としては、バックボーカル稼業の多い、
どちらかというと日陰の存在的イメージの強かったダーレン・ラブが、
一曲目の<White Christmas>で貫禄たっぷりな歌声を聴かせ、
レーベルの重鎮的存在感を放っているのが意外でした。

ですが、このアルバムの一番の聴きどころは、
参加してるアーティストのメンツよりも、
<Frosty The Snowman>や<Winter Wonderland>といった定番のクリスマスソングが、
「ウォール・オブ・サウンド」でアレンジされているという、音そのものでしょう。

クリスタルズの<Santa Claus Is Coming To Town>なんて、
原曲以上にこのバージョンのメロディの方がすっかり定番化してしまいました。
ロネッツの歌う<Sleigh Ride>の、
「Ring Ring…」という印象的なコーラスが、
どんどん転調していくあの展開とか、ホント最高。
ウォール・オブ・サウンドってこってりしてるからたまにお腹いっぱいになるけど、
クリスマスソングと組み合わせたらこの上ない食べ合わせで、
鬼に金棒、餃子にビール感がすごいです。




フィル・スペクターはこのアルバムを、単なるクリスマスソングの寄せ集めではなく、
一枚のトータルアルバムに仕上げたかった
という意味のことを語っています。

多くのクリスマスコンピアルバムが、ある種ベストアルバム的な無色無害さを持つ中で、
確かにこのアルバムには、強い「自己主張」があります。
印象的な効果音の多用や、<White Christmas>のリズムを強調した逆張り的アレンジ、
さらにラストの<Silent Night>では彼自身の「喋り」が入るなど、
当時まだ20代だったフィル・スペクターの強い自負心や、
才気走った様子を濃厚に感じます。

フィル・スペクターという人は、
ビートルズ好きな僕にとっては非常に複雑な、
というかハッキリ言えば嫌いな人物なのですが、
ラモーンズの『End Of The Century』という例もあった)
ブライアン・ウィルソン大滝詠一なども僕は好きで、
彼らの音楽を聴きこもうとすると、フィル・スペクターという名は避けては通れません。

特にここ最近、僕はバブルガムポップというジャンルをよく聴いているのですが、
その源流をたどろうとすると、
古いアメリカンポップスという水源に行き着き(まださらに先はありそうですが)、
そしてその水源池にはフィル・スペクターという大魚が待ち構えているのです。
というような経緯もあり、
徐々に彼に対する気持ちが変わってきていたところでした。

そこへきての、この『A Christmas Gift For You〜』だったので、
クリスマスアルバムのコレクションの新入りというだけでなく、
出会うべくして出会った1枚というような気がしてます。










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Them 『The Complete Them 1964-1967』

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スピーカーから飛び出てきて
耳をかじり取られそう


ヴァン・モリソンの1968年のアルバム『Astral Weeks』を初めて聴いたのは、
もう10年近く前のことですが、そのとき感じた「何だコレ?!」という衝撃は、よく覚えています。
フォークのようなブルースのようなカントリーのような。
そのうえジャズっぽくもあるし、さらにケルト音楽っぽくも聴こえる…。



正直そのときは世間が「大名盤!」というほどの真価は分からなかったのですが、
とりあえず「なんかすげえ個性強い」ということは十分すぎるほど分かりました。
僕の中ではジョニ・ミッチェルの『逃避行』の音が近いなあって印象なんですが、
リリースは『Astral Weeks』の方が10年近くも早いんですよね。
その後、同じく代表作の『Tupelo Honey』(71年)も聴いて、
僕の中でのヴァン・モリソン像は、独特すぎる人という印象をいよいよ深めたのでした。

そんなヴァン・モリソンが在籍していた時代のThemの、
公式・未発表問わず、全ての音源を収録(しかもリマスター)したボックスセット、
その名も『The Complete Them 1964-1967』が昨年末にリリースされました。

Themの音源ってずいぶん前から探してるけど、どこにもないんですよね。
ブートレグっぽいのなら何枚か見たことあるけど、スタジオアルバムは皆無。
アナログ盤でも見かけたことない気がするなあ。
なので、今回のボックスは大チャンスだったので即、予約しました。

 ちなみに、某大手レコードチェーンでネット予約したのですが、
 発売日を過ぎても届かず、2〜3週間した後になんと「入荷の見通し立たず」でキャンセルされました。
 慌てて某Amazonで探してGETできたから良かったものの、
 入荷しないなら予約受付なんかすんじゃねえよ!


収録されたのは全部で69曲。全3枚組です。
なんとなくディスク1がブルース、ディスク2がソウル、という印象。
(ディスク3はデモテイクなどの未発表音源集)

僕の手元にあるThemの音源は、
映画『17歳のカルテ』のサントラに入ってる<It's All Over Now Baby Blue>だけなので、
これまではぼんやりと「メロウな音を鳴らすグループ」という印象だったのですが、
実際にはもっと泥臭いバンドなんですね。
ジャッキー・マッコーレィの鳴らすキーボードが汚らしくてすごくいい感じです。

にしてもヴァン・モリソン、(想像通りではあるけれど)吠えてます
なんかもう、スピーカーから飛び出してきて耳をかじり取られそうな勢いです。
この吠え声を69曲分聴き続けるとさすがにグッタリする(休み休みですが1度だけやりました)。

繰り返しになりますが、ここまでエネルギッシュで爆走感のあるバンドだったことが驚きでした。
ブルースバンドと聞いてましたが、ガレージロックバンドと認識を改めた方が良さそうです。

ただ、同時に、これをさらにもう100曲、200曲と続けても、
大して変化はないだろうなあという気もします。
Themというバンド自体はその後も続きますが、
ヴァン・モリソンが早々とバンドを去って独自の道へと進んだのは、
彼にとっても音楽界にとっても正しい判断だったのかなと思います。
まあ、だとしても、ここからあの『Astral Weeks』まで(間に1枚挟んでますが)
一気にジャンプアップする感性は、とても同じ人物とは思えないですが。

あるアーティストをフォローするときに、時系列に沿って作品を聴くのが僕は好きなんですが、
ようやく今回Them時代の音源にまでさかのぼることができたので、
これで心おきなくヴァン・モリソンについても(10年ぶりに)続きに手を出せそうです。










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「Desert Trip」にとってもモヤモヤしてる

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これはもしかしたら
「やってはいけないこと」だったんじゃないか


今年の10月、コーチェラフェスが行われるのと同じ米LAのエンパイア・ポロ・フィールドで、
ポール・マッカートニーローリング・ストーンズザ・フー
ニール・ヤング、ロジャー・ウォーターズ、そしてボブ・ディランという、
レジェンド級の大スターが一堂に会す空前絶後のすさまじいフェス「Desert Trip」が開催されます。

このニュースが最初に報じられたのは今年の3月だったと思います。
噂を耳にした時は僕も興奮したのですが、
日程や告知映像なんかが続々と公開され、噂が徐々に現実味を増していくのにつれて、
実は、当初の興奮は急速に冷めていきました

いや、確かにね、僕はポールもストーンズもディランも来日公演は全て行ったし、涙流したし、
無人島に持っていくなら?と聞かれてニール・ヤングの『Harvest』って答えてたし、
ロンドン五輪閉会式でザ・フーが<My Generation>を演奏してる真っ最中に
NHKが中継をぶった切った時は猛抗議しました
そういう僕からすれば、まるで夢のようなフェスですよ。
口から泡吹いて悶死するくらいの顔合わせですよ。

でもね…なんていうんだろう、これは「やっちゃいけないこと」だった気がする。
ワンマンだったら、そのアーティストが好きで行くわけだから別にいい。
反対に、普通のフェスのイチ出演者ということであれば、
例えばポールやストーンズを若いアーティストと並べて見ることで、
彼らレジェンドも相対化されるから、これもまた別にいい。

でも、レジェンド“だけ”集めたフェスというのは、どうなんだろう。
いってもみんなピークを下がりに下がりきった、70代の爺さん達ですよ。
そんな爺さん達を担ぎ出して、それが「フェス」として成立し、
しかもチケットが3時間で即完するほど熱狂的に受け入れられ、ニュースバリューを持つ。
そんな状況を、果たして手放しで喜んでいいのでしょうか。

みんなで<Satisfaction>と<Yesterday>と<風に吹かれて>を大合唱する。
それって、ただの壮大な「思い出の懐メロカラオケ大会」なんじゃないか。
「ロックはもうこれ以上の展開はありません」と白旗を上げたのと同じなんじゃないか。
そういうモヤモヤが拭いきれないのです。

いえね、僕自身ははっきりと50〜60年代こそ至上とする、
かなり保守的で原理主義的なリスナーです。
新しいアーティストに対しては決してフレンドリーではなく、基本的にまずは懐疑的な姿勢から入ります。
レディオヘッドの『KID A』は未だに理解不能だし、
「エレクトロ」と名の付くものは眉に唾つけて聴きます。
でも、そういう自分の嗜好が偏ってることに自覚的でいようとは思っていて、
古いアーティストと新しいアーティストがいたら、
(たとえ自分が気に入らなくても)後者が評価された方がいいと思っています。

5月にストーン・ローゼズが20年ぶりとなるシングルをリリースしたときも思いました。
あの<All For One>という曲は、よくも悪くも期待通りすぎて、
「おおお!これはまさにあのローゼズだ!」と興奮させられた一方、
「結局盛り上がるのは旧来の中年ファンだけなのでは?」という気になりました。
僕自身はヘビロテで聴くし、制作中と言われる3rdアルバムが出たら予約して買うし、
キャンセルになってしまった来日公演ももちろんチケット押さえてたけど(早くもっかい来い!)、
本当は「おじさんバンドがのこのこ出てきて20年前と同じことやってるよ」
シーンから笑われるくらいの方が健全なんだろうなあと思います。


だから、Desert Tripが「昔を懐かしみましょう」というスタンスであるならいいんだけど、
「これぞロックだ!」「彼らこそがロックなんだ!」みたいな扱われ方をしたら、
あるいは、このフェスが動員記録的な何かを塗り替えでもしたら、だいぶヤバイと思うのです。

…まあ、お金と時間があったら、間違いなく見に行くんですけどね。
見に行くんですけど、このフェスをどう飲みこんでいいのかわからなくて、モヤモヤします。


※この告知動画見ると「あ〜…」という感じです。





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『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』 中山康樹

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「老いたロッカー」たちは
今、何を歌うのか?


今年の1月28日、音楽評論家の中山康樹さんが亡くなりました。
元々はジャズ専門誌『スイング・ジャーナル』の編集長でしたが、
ロックにも造詣が深く、以前このブログでも紹介した『ビートルズの謎』をはじめ、
ビートルズビーチボーイズ、ディラン、ストーンズなど、
主に60年代のロック・アーティストに関する書籍を数多く執筆してきました。

多作の人だったので(Amazonで検索するたびに新刊が出ていた印象がある)、
僕はまだすべての著書を読んだわけではないのですが、
自分の音楽観、音楽歴史観を育む上で、この人の影響は少なくありませんでした。
中山さんの書籍を読んだことで「音楽との付き合い方」は間違いなく幅が広がったし、
また、キッパリとした物言いは崩さないものの、
この音楽を精一杯肯定しよう」という愛情に満ちた姿勢も、とてもリスペクトしていました。
これからも末永く付き合っていきたいと思っていただけに、残念でなりません。


僕がこれまで読んだ中山さんの著書の中で、特に印象に残っているのがこれ。
『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』

ミック・ジャガー71歳、ポール・マッカートニー72歳、ボブ・ディラン73歳
ブライアン・ウィルソン72歳……(全て2015年4月現在)
60年代というロックミュージックの草創期を支えたアーティスト達も、
今や続々と古希を迎えています。
本書の主役は、そんな「老いたロッカー」たちです。

全盛期のような曲はもう書けない。歌声も衰えてしまった。
それでも彼らは、今でも精力的に新譜を出し、
ホールやライブハウスに会場をスケールダウンしながら、ステージに立ち続けています。
ザ・フーロジャー・ダルトリーは、71歳を迎えた今も、
Hope I die, before get old(老いる前に死にたいぜ)」(<My Generation>)と歌っています。

ロックという音楽は、まだせいぜい60年やそこらの歴史しかありません。
つまり、ロックにとって「老い」というものは、これまで未知の領域だったのです。
だからこそ、「老いたロッカー」たちの歌に耳を傾けることは、
ロックの行く末や可能性を知るためのヒントになると、中山さんは言います。

この本の最大のポイントは、老いたロッカーたちの「」に焦点を当てている点でしょう。
エリック・バードンロジャー・マッギンなんていう人たちが今何をしているのかなんて、
よほどのファンか、音楽ニュースを相当丹念に読む人でなければ知らないはずです。
60〜70年代のバンドを取り上げた雑誌や書籍のほとんどが彼らの全盛期、
つまり「過去」にしか焦点を当てようとしない中で、
ここまで丁寧にスターたちの「今」を追跡した本は珍しいのではないでしょうか。


本書を最初に読んだのは今から4〜5年前でした。
当時も「老いたロック」という切り口の斬新さに驚いたのですが、
一昨年から去年にかけて、そんな老いたロッカーたちが立て続けに来日したことで、
僕は彼らの姿を生で見る機会に恵まれました。
(過去記事)
KISS
ポール・マッカートニー
ローリング・ストーンズ
ボブ・ディラン
ウィルコ・ジョンソン

彼らの姿を実際に見て思ったのは、「老いたロッカー」のあり方は、大きく2つに分かれるということ。
一つは、かつての自分のヒット曲をひたすら繰り返し演奏し続ける「懐メロ派」。
もう一つは、今でも精力的に新曲を作り続け、己の音楽を追求し続ける「求道派」。
KISSやストーンズやウィルコは前者。
ディランは間違いなく後者。まだ生で見てませんが、ブライアン・ウィルソンも後者でしょう。
ポールは中間、やや前者寄りでしょうか。

上に挙げた中で最も圧倒されたのは、ディランです。
新曲を作り続けることで、自らの創造力の変遷や興味の移ろいを、
(たとえそれが往年のファンには受け入れられないとしても)
克明にドキュメントし続ける姿勢そのものに、強烈な「凄み」を感じました。

一方の懐メロ派にも、大いに感情移入するところがありました。
KISSやストーンズのように、「同じことをひたすらやり続ける」という
愚直とも呼べるスタイルには、ある意味では求道派以上のストイックさを感じたし、
ポールのように「老いたからこそ歌えるビートルズ」を提示するのも、
一つのあり方だと納得させられるものがありました。
特にポールのステージには、「次世代にビートルズを伝えなきゃ」という、
老いから来る使命感のようなものがあったのが印象的でした。

ただ、どちらのタイプにも共通して言えるのは、
前述のように、ロックが「老い」という領域に足を踏み入れてから日が浅いので(変な言い方だな)、
ミックもポールもディランも、まだ「老いたロック」を模索している最中だということです。
(パイオニアというのは年老いてもまだ「開拓」しなければならない運命なんですね…)
そして当然のことながら、リスナーも「老いたロック」を聴くのは初めてなので、
僕ら自身も彼らの音楽をどう消化していくかを模索する必要があるとも言えます。

僕が思うのは、ロックが「老い」という領域に入ったことで、
ロックという音楽は「ロールモデル」になりつつあるのではないかということ。
最盛期を過ぎ、衰え、さまざまな人生の波を乗り越えながら音楽を続ける。
かつてのロックレジェンドたちがそうした姿を晒すことで、
ロックという音楽は、一過性のファッションやスタイルではなく、
より普遍的でより具体的な、生き方のサンプルになるんじゃないかと思うのです。
社会的にも高齢化が進んでいるこのタイミングで、
彼らレジェンドたちが老いていく姿を見られるというのは、
なんかちょっと不思議な符号という気がします。

中山康樹さんの著書のなかに『愛と勇気のロック50』という本があります。
ディスクレビュー本なんですが、取り上げられているのは「老いたロッカー」たちの最新盤。
つまり、年老いてから作ったアルバムだけを取り上げたレビュー本なのです。
(当然、取り上げられているほとんどのアルバムを知りませんでした)
ちょうど本書の姉妹編のような内容なので、併せて読むと面白いと思います。








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The Rolling Stones 『Aftermath』

258

「ストーンズのリズム」は
ここから生まれた


ストーンズ熱、まだまだ続いています。
今回の来日公演を見て強く感じたのは、
ストーンズはやはり「リズム」のグループだということ。
音がステージからではなく、地面の底から突き上げるよう鳴り、思わず腰が動いてしまう感覚。
耳で聴くのではなく身体全体で音楽を聴いているようなあの感覚は、
ストーンズならではのものだなあと感じました。
(特に<Midnight Rambler>はドームが回転しているかのようで本当に凄かった!)
昨年、同じ東京ドームで聴いたポール・マッカートニーのライヴが、
みんなで一緒に歌う「Sing Along」なものだったので、とても対照的だなあと思いました。
(このあたりがビートルズとストーンズの本質的な違いですね)。

以前、ストーンズのファーストアルバムを紹介したときにも書いたように、
彼らはアメリカの黒人のブルースやロックンロールをストイックに追求するバンドとしてキャリアを始めました。
このことが、ストーンズがリズムやノリといったものに対する鋭敏な感覚を育てたのでしょう。
しかし、彼らが作り上げた「ストーンズのリズム」というものは、決して黒人のノリそのものではありません。
より民族的というか土俗的というか、酒場的というかディスコ的というか、
とにかくもっとハイブリッドなもの、つまりは黒人でも白人でもない「ストーンズ的」としか言いようのないものです。
この、他者が到底真似のできない圧倒的オリジナルな「武器」を手にしたからこそ、
彼らは何十年にもわたって人気を獲得できたのだろうと思います。
そして、ストーンズが「ストーンズのリズム」を獲得するのに非常に大きな役割を果たしたのが、
チャーリー・ワッツ(Dr)と脱退したビル・ワイマン(Ba)、
そして亡くなった初代リーダー、ブライアン・ジョーンズ(Gt)でした。

生で見たチャーリーのドラムは本当に素晴らしかったです。
キースとロンという、年々勝手気ままになっていく2人のギタリストを抱えながら曲が成り立っているのは、
ひとえにチャーリーのドラムが支えているからだということが、よく分かりました。
あの柔和な風貌とあいまって、チャーリーはバンドを包む巨大な「風呂敷」のようでした。
同じような感想を見かけたことはないのですが、
僕にはチャーリーのドラムは「ドダダダッ」と地を這うような音に聴こえます。
しかも、単に重いというのではなく、むしろ軽い。
なのにそれが地面スレスレを進んでいるように聴こえるのがなんとも不思議です。
元々は(というか今も)ジャズドラマーという珍しい出自が関係しているのか、
ファンキーでもなければブリティッシュ・ビートというわけでもないというチャーリーのドラムが、
バンドに与えた影響は大きかったはずです。

ビル・ワイマンの存在感がいかに大きかったかは、
彼の脱退前と後の音源やライヴを聴き比べると分かります。
「ここだ」と指して説明できないのですが、何かが絶対に違う。
なんかこう、「バンド」っぽさが決定的に欠けてしまった気がします。
何かの本で読んだのですが、かのボブ・ディランも、
「ストーンズはビル・ワイマンが抜けてつまらなくなった」というような発言をしていたそうです。
彼の脱退後はダリル・ジョーンズという黒人のベーシストがずっとストーンズのサポートについていますが、
個人的にはビルよりも圧倒的にファンキーなダリルが加入したことで、
「黒でも白でもない」というストーンズのバランスが崩れてしまったように感じます。
テクニシャン!という感じではないのですが、ビル独特の「ネバ〜ッ」としたベースの音は、
やはりストーンズが独自のリズムを作り上げていく上での大きな要素だったと思います。

話はいったん脱線するのですが、ストーンズが1966年にリリースした、
『Aftermath』というアルバムがあります。
僕、ストーンズのアルバムの中でこの作品が一番好きなんですよねえ。
確かに、『Beggars Banquet』(68年)や『Let It Bleed』(69年)、『Sticky Fingers』(71年)といった
一般的にも評価の高い作品と比べると、確かに『Aftermath』は一段落ちます。
初めての全曲オリジナルというせいか、微妙な曲もあるし、全体的に「こなれて」いません。

しかし、冒頭から書いてきた「ストーンズのリズム」の出発点は、
このアルバムにあるんじゃないかと僕は思います。
<Mother’s Little Helper>や<Out Of Time>といった曲に見られるヘロヘロ感やダークでバラけた感じは、
それ以前のストーンズにはなかったものです。
これらの曲にははっきりとオリジナルなフィーリングがあり、
それはそのまま<Happy>や<Gimme Shelter>といった後年の代表曲に直線で繋がります。

そして、同時にこの作品には、「何かを掴みかけたんだけどまだ完ぺきじゃない」という荒削りなところを、
勢いでカバーしてしまおうという熱さがあるのです。
つまり初期の若さと後期のオリジナリティの両方が混ざっているという、分水嶺的なアルバムだと思うのです。
そこが、60年代終盤から70年代前半にかけてのストーンズ黄金期の名盤にはない、
『Aftermath』だけの魅力です。

このアルバムで1曲選べと言えば、間違いなく<Under My Thumb>です。
僕、ストーンズで一番かっこいいのはこの曲だと思います。
全体にピンと張りつめた緊張感。なのに漂ってくる悲哀。素晴らしいです。
そして、この曲を名曲足らしめているマリンバの音を弾いているのが、
他でもないブライアン・ジョーンズです。

彼が「ブルース」というストーンズの出発点を作った人物であることは以前書いた通りですが、
さらに彼はシタールをはじめとする「非バンド楽器」を持ち込んで、
実際にそれをプレイしてみせるというマルチプレーヤー的、アレンジャー的な役割を果たしました。
一体どこから「マリンバ」なんていう楽器を思いついたのでしょうか。
もし<Under My Thumb>にあの哀しげなマリンバの音が欠けていたなら、
この曲はこんなにも胸を打つことはなかったでしょう。
(実際、マリンバ抜きでこの曲を演奏する映像を見たことがありますが、似て非なるものでした)
ブライアンの既存の枠に捉われない楽器選びのセンスやアレンジの発想は、
後にバンドが<無情の世界>や<悪魔を憐れむ歌>といったスケールの大きな楽曲を作る上で、
間違いなく影響を与えていたんじゃないかと思います。

ミック、キースというバンドの「顔」の2人に比べると、
地味な印象を与えるチャーリー、ビル、ブライアンですが、
しかし、彼らのライヴを見て感じたことは、この3人の存在感でした。
特にステージにいないはずのビルとブライアンを感じたというのは、
「52年」という彼らのキャリアの重みなのかもしれません。


<Under My Thumb>
)




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