週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】60年代

『A Christmas Gift For You From Phil Spector』

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ウォール・オブ・サウンドは
クリスマスソングでこそ輝く


クリスマスアルバムが好きで毎年ちょくちょく買い足しているのですが、
(過去最大のヒットが「ザ・ビートマス(ビートルズ×クリスマス)」)
今年また新たなアイテムが増えました。

フィレスレコードが1963年にリリースしたコンピ、
『A Christmas Gift For You From Phil Spector』です。
フィレスレコードというのは、
1961年に音楽プロデューサーのフィル・スペクターが設立したレーベル。
当時フィレスレコードに所属していた、
クリスタルズダーレン・ラブボブ・B・ソックス・アンド・ザ・ブルージーンズ
そしてロネッツという人気アーティストたちが、
このアルバムでは一堂に会しています。

ロネッツは当時<Be My Baby>をリリースしたばかり。
それまでの看板アーティストだったクリスタルズと、
ちょうどこの後から人気をバトンタッチするので、
このアルバムはフィレスの絶頂期に作られたといえます。

僕としては、バックボーカル稼業の多い、
どちらかというと日陰の存在的イメージの強かったダーレン・ラブが、
一曲目の<White Christmas>で貫禄たっぷりな歌声を聴かせ、
レーベルの重鎮的存在感を放っているのが意外でした。

ですが、このアルバムの一番の聴きどころは、
参加してるアーティストのメンツよりも、
<Frosty The Snowman>や<Winter Wonderland>といった定番のクリスマスソングが、
「ウォール・オブ・サウンド」でアレンジされているという、音そのものでしょう。

クリスタルズの<Santa Claus Is Coming To Town>なんて、
原曲以上にこのバージョンのメロディの方がすっかり定番化してしまいました。
ロネッツの歌う<Sleigh Ride>の、
「Ring Ring…」という印象的なコーラスが、
どんどん転調していくあの展開とか、ホント最高。
ウォール・オブ・サウンドってこってりしてるからたまにお腹いっぱいになるけど、
クリスマスソングと組み合わせたらこの上ない食べ合わせで、
鬼に金棒、餃子にビール感がすごいです。




フィル・スペクターはこのアルバムを、単なるクリスマスソングの寄せ集めではなく、
一枚のトータルアルバムに仕上げたかった
という意味のことを語っています。

多くのクリスマスコンピアルバムが、ある種ベストアルバム的な無色無害さを持つ中で、
確かにこのアルバムには、強い「自己主張」があります。
印象的な効果音の多用や、<White Christmas>のリズムを強調した逆張り的アレンジ、
さらにラストの<Silent Night>では彼自身の「喋り」が入るなど、
当時まだ20代だったフィル・スペクターの強い自負心や、
才気走った様子を濃厚に感じます。

フィル・スペクターという人は、
ビートルズ好きな僕にとっては非常に複雑な、
というかハッキリ言えば嫌いな人物なのですが、
ラモーンズの『End Of The Century』という例もあった)
ブライアン・ウィルソン大滝詠一なども僕は好きで、
彼らの音楽を聴きこもうとすると、フィル・スペクターという名は避けては通れません。

特にここ最近、僕はバブルガムポップというジャンルをよく聴いているのですが、
その源流をたどろうとすると、
古いアメリカンポップスという水源に行き着き(まださらに先はありそうですが)、
そしてその水源池にはフィル・スペクターという大魚が待ち構えているのです。
というような経緯もあり、
徐々に彼に対する気持ちが変わってきていたところでした。

そこへきての、この『A Christmas Gift For You〜』だったので、
クリスマスアルバムのコレクションの新入りというだけでなく、
出会うべくして出会った1枚というような気がしてます。










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Them 『The Complete Them 1964-1967』

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スピーカーから飛び出てきて
耳をかじり取られそう


ヴァン・モリソンの1968年のアルバム『Astral Weeks』を初めて聴いたのは、
もう10年近く前のことですが、そのとき感じた「何だコレ?!」という衝撃は、よく覚えています。
フォークのようなブルースのようなカントリーのような。
そのうえジャズっぽくもあるし、さらにケルト音楽っぽくも聴こえる…。



正直そのときは世間が「大名盤!」というほどの真価は分からなかったのですが、
とりあえず「なんかすげえ個性強い」ということは十分すぎるほど分かりました。
僕の中ではジョニ・ミッチェルの『逃避行』の音が近いなあって印象なんですが、
リリースは『Astral Weeks』の方が10年近くも早いんですよね。
その後、同じく代表作の『Tupelo Honey』(71年)も聴いて、
僕の中でのヴァン・モリソン像は、独特すぎる人という印象をいよいよ深めたのでした。

そんなヴァン・モリソンが在籍していた時代のThemの、
公式・未発表問わず、全ての音源を収録(しかもリマスター)したボックスセット、
その名も『The Complete Them 1964-1967』が昨年末にリリースされました。

Themの音源ってずいぶん前から探してるけど、どこにもないんですよね。
ブートレグっぽいのなら何枚か見たことあるけど、スタジオアルバムは皆無。
アナログ盤でも見かけたことない気がするなあ。
なので、今回のボックスは大チャンスだったので即、予約しました。

 ちなみに、某大手レコードチェーンでネット予約したのですが、
 発売日を過ぎても届かず、2〜3週間した後になんと「入荷の見通し立たず」でキャンセルされました。
 慌てて某Amazonで探してGETできたから良かったものの、
 入荷しないなら予約受付なんかすんじゃねえよ!


収録されたのは全部で69曲。全3枚組です。
なんとなくディスク1がブルース、ディスク2がソウル、という印象。
(ディスク3はデモテイクなどの未発表音源集)

僕の手元にあるThemの音源は、
映画『17歳のカルテ』のサントラに入ってる<It's All Over Now Baby Blue>だけなので、
これまではぼんやりと「メロウな音を鳴らすグループ」という印象だったのですが、
実際にはもっと泥臭いバンドなんですね。
ジャッキー・マッコーレィの鳴らすキーボードが汚らしくてすごくいい感じです。

にしてもヴァン・モリソン、(想像通りではあるけれど)吠えてます
なんかもう、スピーカーから飛び出してきて耳をかじり取られそうな勢いです。
この吠え声を69曲分聴き続けるとさすがにグッタリする(休み休みですが1度だけやりました)。

繰り返しになりますが、ここまでエネルギッシュで爆走感のあるバンドだったことが驚きでした。
ブルースバンドと聞いてましたが、ガレージロックバンドと認識を改めた方が良さそうです。

ただ、同時に、これをさらにもう100曲、200曲と続けても、
大して変化はないだろうなあという気もします。
Themというバンド自体はその後も続きますが、
ヴァン・モリソンが早々とバンドを去って独自の道へと進んだのは、
彼にとっても音楽界にとっても正しい判断だったのかなと思います。
まあ、だとしても、ここからあの『Astral Weeks』まで(間に1枚挟んでますが)
一気にジャンプアップする感性は、とても同じ人物とは思えないですが。

あるアーティストをフォローするときに、時系列に沿って作品を聴くのが僕は好きなんですが、
ようやく今回Them時代の音源にまでさかのぼることができたので、
これで心おきなくヴァン・モリソンについても(10年ぶりに)続きに手を出せそうです。










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「Desert Trip」にとってもモヤモヤしてる

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これはもしかしたら
「やってはいけないこと」だったんじゃないか


今年の10月、コーチェラフェスが行われるのと同じ米LAのエンパイア・ポロ・フィールドで、
ポール・マッカートニーローリング・ストーンズザ・フー
ニール・ヤング、ロジャー・ウォーターズ、そしてボブ・ディランという、
レジェンド級の大スターが一堂に会す空前絶後のすさまじいフェス「Desert Trip」が開催されます。

このニュースが最初に報じられたのは今年の3月だったと思います。
噂を耳にした時は僕も興奮したのですが、
日程や告知映像なんかが続々と公開され、噂が徐々に現実味を増していくのにつれて、
実は、当初の興奮は急速に冷めていきました

いや、確かにね、僕はポールもストーンズもディランも来日公演は全て行ったし、涙流したし、
無人島に持っていくなら?と聞かれてニール・ヤングの『Harvest』って答えてたし、
ロンドン五輪閉会式でザ・フーが<My Generation>を演奏してる真っ最中に
NHKが中継をぶった切った時は猛抗議しました
そういう僕からすれば、まるで夢のようなフェスですよ。
口から泡吹いて悶死するくらいの顔合わせですよ。

でもね…なんていうんだろう、これは「やっちゃいけないこと」だった気がする。
ワンマンだったら、そのアーティストが好きで行くわけだから別にいい。
反対に、普通のフェスのイチ出演者ということであれば、
例えばポールやストーンズを若いアーティストと並べて見ることで、
彼らレジェンドも相対化されるから、これもまた別にいい。

でも、レジェンド“だけ”集めたフェスというのは、どうなんだろう。
いってもみんなピークを下がりに下がりきった、70代の爺さん達ですよ。
そんな爺さん達を担ぎ出して、それが「フェス」として成立し、
しかもチケットが3時間で即完するほど熱狂的に受け入れられ、ニュースバリューを持つ。
そんな状況を、果たして手放しで喜んでいいのでしょうか。

みんなで<Satisfaction>と<Yesterday>と<風に吹かれて>を大合唱する。
それって、ただの壮大な「思い出の懐メロカラオケ大会」なんじゃないか。
「ロックはもうこれ以上の展開はありません」と白旗を上げたのと同じなんじゃないか。
そういうモヤモヤが拭いきれないのです。

いえね、僕自身ははっきりと50〜60年代こそ至上とする、
かなり保守的で原理主義的なリスナーです。
新しいアーティストに対しては決してフレンドリーではなく、基本的にまずは懐疑的な姿勢から入ります。
レディオヘッドの『KID A』は未だに理解不能だし、
「エレクトロ」と名の付くものは眉に唾つけて聴きます。
でも、そういう自分の嗜好が偏ってることに自覚的でいようとは思っていて、
古いアーティストと新しいアーティストがいたら、
(たとえ自分が気に入らなくても)後者が評価された方がいいと思っています。

5月にストーン・ローゼズが20年ぶりとなるシングルをリリースしたときも思いました。
あの<All For One>という曲は、よくも悪くも期待通りすぎて、
「おおお!これはまさにあのローゼズだ!」と興奮させられた一方、
「結局盛り上がるのは旧来の中年ファンだけなのでは?」という気になりました。
僕自身はヘビロテで聴くし、制作中と言われる3rdアルバムが出たら予約して買うし、
キャンセルになってしまった来日公演ももちろんチケット押さえてたけど(早くもっかい来い!)、
本当は「おじさんバンドがのこのこ出てきて20年前と同じことやってるよ」
シーンから笑われるくらいの方が健全なんだろうなあと思います。


だから、Desert Tripが「昔を懐かしみましょう」というスタンスであるならいいんだけど、
「これぞロックだ!」「彼らこそがロックなんだ!」みたいな扱われ方をしたら、
あるいは、このフェスが動員記録的な何かを塗り替えでもしたら、だいぶヤバイと思うのです。

…まあ、お金と時間があったら、間違いなく見に行くんですけどね。
見に行くんですけど、このフェスをどう飲みこんでいいのかわからなくて、モヤモヤします。


※この告知動画見ると「あ〜…」という感じです。





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『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』 中山康樹

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「老いたロッカー」たちは
今、何を歌うのか?


今年の1月28日、音楽評論家の中山康樹さんが亡くなりました。
元々はジャズ専門誌『スイング・ジャーナル』の編集長でしたが、
ロックにも造詣が深く、以前このブログでも紹介した『ビートルズの謎』をはじめ、
ビートルズビーチボーイズ、ディラン、ストーンズなど、
主に60年代のロック・アーティストに関する書籍を数多く執筆してきました。

多作の人だったので(Amazonで検索するたびに新刊が出ていた印象がある)、
僕はまだすべての著書を読んだわけではないのですが、
自分の音楽観、音楽歴史観を育む上で、この人の影響は少なくありませんでした。
中山さんの書籍を読んだことで「音楽との付き合い方」は間違いなく幅が広がったし、
また、キッパリとした物言いは崩さないものの、
この音楽を精一杯肯定しよう」という愛情に満ちた姿勢も、とてもリスペクトしていました。
これからも末永く付き合っていきたいと思っていただけに、残念でなりません。


僕がこれまで読んだ中山さんの著書の中で、特に印象に残っているのがこれ。
『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』

ミック・ジャガー71歳、ポール・マッカートニー72歳、ボブ・ディラン73歳
ブライアン・ウィルソン72歳……(全て2015年4月現在)
60年代というロックミュージックの草創期を支えたアーティスト達も、
今や続々と古希を迎えています。
本書の主役は、そんな「老いたロッカー」たちです。

全盛期のような曲はもう書けない。歌声も衰えてしまった。
それでも彼らは、今でも精力的に新譜を出し、
ホールやライブハウスに会場をスケールダウンしながら、ステージに立ち続けています。
ザ・フーロジャー・ダルトリーは、71歳を迎えた今も、
Hope I die, before get old(老いる前に死にたいぜ)」(<My Generation>)と歌っています。

ロックという音楽は、まだせいぜい60年やそこらの歴史しかありません。
つまり、ロックにとって「老い」というものは、これまで未知の領域だったのです。
だからこそ、「老いたロッカー」たちの歌に耳を傾けることは、
ロックの行く末や可能性を知るためのヒントになると、中山さんは言います。

この本の最大のポイントは、老いたロッカーたちの「」に焦点を当てている点でしょう。
エリック・バードンロジャー・マッギンなんていう人たちが今何をしているのかなんて、
よほどのファンか、音楽ニュースを相当丹念に読む人でなければ知らないはずです。
60〜70年代のバンドを取り上げた雑誌や書籍のほとんどが彼らの全盛期、
つまり「過去」にしか焦点を当てようとしない中で、
ここまで丁寧にスターたちの「今」を追跡した本は珍しいのではないでしょうか。


本書を最初に読んだのは今から4〜5年前でした。
当時も「老いたロック」という切り口の斬新さに驚いたのですが、
一昨年から去年にかけて、そんな老いたロッカーたちが立て続けに来日したことで、
僕は彼らの姿を生で見る機会に恵まれました。
(過去記事)
KISS
ポール・マッカートニー
ローリング・ストーンズ
ボブ・ディラン
ウィルコ・ジョンソン

彼らの姿を実際に見て思ったのは、「老いたロッカー」のあり方は、大きく2つに分かれるということ。
一つは、かつての自分のヒット曲をひたすら繰り返し演奏し続ける「懐メロ派」。
もう一つは、今でも精力的に新曲を作り続け、己の音楽を追求し続ける「求道派」。
KISSやストーンズやウィルコは前者。
ディランは間違いなく後者。まだ生で見てませんが、ブライアン・ウィルソンも後者でしょう。
ポールは中間、やや前者寄りでしょうか。

上に挙げた中で最も圧倒されたのは、ディランです。
新曲を作り続けることで、自らの創造力の変遷や興味の移ろいを、
(たとえそれが往年のファンには受け入れられないとしても)
克明にドキュメントし続ける姿勢そのものに、強烈な「凄み」を感じました。

一方の懐メロ派にも、大いに感情移入するところがありました。
KISSやストーンズのように、「同じことをひたすらやり続ける」という
愚直とも呼べるスタイルには、ある意味では求道派以上のストイックさを感じたし、
ポールのように「老いたからこそ歌えるビートルズ」を提示するのも、
一つのあり方だと納得させられるものがありました。
特にポールのステージには、「次世代にビートルズを伝えなきゃ」という、
老いから来る使命感のようなものがあったのが印象的でした。

ただ、どちらのタイプにも共通して言えるのは、
前述のように、ロックが「老い」という領域に足を踏み入れてから日が浅いので(変な言い方だな)、
ミックもポールもディランも、まだ「老いたロック」を模索している最中だということです。
(パイオニアというのは年老いてもまだ「開拓」しなければならない運命なんですね…)
そして当然のことながら、リスナーも「老いたロック」を聴くのは初めてなので、
僕ら自身も彼らの音楽をどう消化していくかを模索する必要があるとも言えます。

僕が思うのは、ロックが「老い」という領域に入ったことで、
ロックという音楽は「ロールモデル」になりつつあるのではないかということ。
最盛期を過ぎ、衰え、さまざまな人生の波を乗り越えながら音楽を続ける。
かつてのロックレジェンドたちがそうした姿を晒すことで、
ロックという音楽は、一過性のファッションやスタイルではなく、
より普遍的でより具体的な、生き方のサンプルになるんじゃないかと思うのです。
社会的にも高齢化が進んでいるこのタイミングで、
彼らレジェンドたちが老いていく姿を見られるというのは、
なんかちょっと不思議な符号という気がします。

中山康樹さんの著書のなかに『愛と勇気のロック50』という本があります。
ディスクレビュー本なんですが、取り上げられているのは「老いたロッカー」たちの最新盤。
つまり、年老いてから作ったアルバムだけを取り上げたレビュー本なのです。
(当然、取り上げられているほとんどのアルバムを知りませんでした)
ちょうど本書の姉妹編のような内容なので、併せて読むと面白いと思います。








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The Rolling Stones 『Aftermath』

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「ストーンズのリズム」は
ここから生まれた


ストーンズ熱、まだまだ続いています。
今回の来日公演を見て強く感じたのは、
ストーンズはやはり「リズム」のグループだということ。
音がステージからではなく、地面の底から突き上げるよう鳴り、思わず腰が動いてしまう感覚。
耳で聴くのではなく身体全体で音楽を聴いているようなあの感覚は、
ストーンズならではのものだなあと感じました。
(特に<Midnight Rambler>はドームが回転しているかのようで本当に凄かった!)
昨年、同じ東京ドームで聴いたポール・マッカートニーのライヴが、
みんなで一緒に歌う「Sing Along」なものだったので、とても対照的だなあと思いました。
(このあたりがビートルズとストーンズの本質的な違いですね)。

以前、ストーンズのファーストアルバムを紹介したときにも書いたように、
彼らはアメリカの黒人のブルースやロックンロールをストイックに追求するバンドとしてキャリアを始めました。
このことが、ストーンズがリズムやノリといったものに対する鋭敏な感覚を育てたのでしょう。
しかし、彼らが作り上げた「ストーンズのリズム」というものは、決して黒人のノリそのものではありません。
より民族的というか土俗的というか、酒場的というかディスコ的というか、
とにかくもっとハイブリッドなもの、つまりは黒人でも白人でもない「ストーンズ的」としか言いようのないものです。
この、他者が到底真似のできない圧倒的オリジナルな「武器」を手にしたからこそ、
彼らは何十年にもわたって人気を獲得できたのだろうと思います。
そして、ストーンズが「ストーンズのリズム」を獲得するのに非常に大きな役割を果たしたのが、
チャーリー・ワッツ(Dr)と脱退したビル・ワイマン(Ba)、
そして亡くなった初代リーダー、ブライアン・ジョーンズ(Gt)でした。

生で見たチャーリーのドラムは本当に素晴らしかったです。
キースとロンという、年々勝手気ままになっていく2人のギタリストを抱えながら曲が成り立っているのは、
ひとえにチャーリーのドラムが支えているからだということが、よく分かりました。
あの柔和な風貌とあいまって、チャーリーはバンドを包む巨大な「風呂敷」のようでした。
同じような感想を見かけたことはないのですが、
僕にはチャーリーのドラムは「ドダダダッ」と地を這うような音に聴こえます。
しかも、単に重いというのではなく、むしろ軽い。
なのにそれが地面スレスレを進んでいるように聴こえるのがなんとも不思議です。
元々は(というか今も)ジャズドラマーという珍しい出自が関係しているのか、
ファンキーでもなければブリティッシュ・ビートというわけでもないというチャーリーのドラムが、
バンドに与えた影響は大きかったはずです。

ビル・ワイマンの存在感がいかに大きかったかは、
彼の脱退前と後の音源やライヴを聴き比べると分かります。
「ここだ」と指して説明できないのですが、何かが絶対に違う。
なんかこう、「バンド」っぽさが決定的に欠けてしまった気がします。
何かの本で読んだのですが、かのボブ・ディランも、
「ストーンズはビル・ワイマンが抜けてつまらなくなった」というような発言をしていたそうです。
彼の脱退後はダリル・ジョーンズという黒人のベーシストがずっとストーンズのサポートについていますが、
個人的にはビルよりも圧倒的にファンキーなダリルが加入したことで、
「黒でも白でもない」というストーンズのバランスが崩れてしまったように感じます。
テクニシャン!という感じではないのですが、ビル独特の「ネバ〜ッ」としたベースの音は、
やはりストーンズが独自のリズムを作り上げていく上での大きな要素だったと思います。

話はいったん脱線するのですが、ストーンズが1966年にリリースした、
『Aftermath』というアルバムがあります。
僕、ストーンズのアルバムの中でこの作品が一番好きなんですよねえ。
確かに、『Beggars Banquet』(68年)や『Let It Bleed』(69年)、『Sticky Fingers』(71年)といった
一般的にも評価の高い作品と比べると、確かに『Aftermath』は一段落ちます。
初めての全曲オリジナルというせいか、微妙な曲もあるし、全体的に「こなれて」いません。

しかし、冒頭から書いてきた「ストーンズのリズム」の出発点は、
このアルバムにあるんじゃないかと僕は思います。
<Mother’s Little Helper>や<Out Of Time>といった曲に見られるヘロヘロ感やダークでバラけた感じは、
それ以前のストーンズにはなかったものです。
これらの曲にははっきりとオリジナルなフィーリングがあり、
それはそのまま<Happy>や<Gimme Shelter>といった後年の代表曲に直線で繋がります。

そして、同時にこの作品には、「何かを掴みかけたんだけどまだ完ぺきじゃない」という荒削りなところを、
勢いでカバーしてしまおうという熱さがあるのです。
つまり初期の若さと後期のオリジナリティの両方が混ざっているという、分水嶺的なアルバムだと思うのです。
そこが、60年代終盤から70年代前半にかけてのストーンズ黄金期の名盤にはない、
『Aftermath』だけの魅力です。

このアルバムで1曲選べと言えば、間違いなく<Under My Thumb>です。
僕、ストーンズで一番かっこいいのはこの曲だと思います。
全体にピンと張りつめた緊張感。なのに漂ってくる悲哀。素晴らしいです。
そして、この曲を名曲足らしめているマリンバの音を弾いているのが、
他でもないブライアン・ジョーンズです。

彼が「ブルース」というストーンズの出発点を作った人物であることは以前書いた通りですが、
さらに彼はシタールをはじめとする「非バンド楽器」を持ち込んで、
実際にそれをプレイしてみせるというマルチプレーヤー的、アレンジャー的な役割を果たしました。
一体どこから「マリンバ」なんていう楽器を思いついたのでしょうか。
もし<Under My Thumb>にあの哀しげなマリンバの音が欠けていたなら、
この曲はこんなにも胸を打つことはなかったでしょう。
(実際、マリンバ抜きでこの曲を演奏する映像を見たことがありますが、似て非なるものでした)
ブライアンの既存の枠に捉われない楽器選びのセンスやアレンジの発想は、
後にバンドが<無情の世界>や<悪魔を憐れむ歌>といったスケールの大きな楽曲を作る上で、
間違いなく影響を与えていたんじゃないかと思います。

ミック、キースというバンドの「顔」の2人に比べると、
地味な印象を与えるチャーリー、ビル、ブライアンですが、
しかし、彼らのライヴを見て感じたことは、この3人の存在感でした。
特にステージにいないはずのビルとブライアンを感じたというのは、
「52年」という彼らのキャリアの重みなのかもしれません。


<Under My Thumb>
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The Cascades 『悲しき雨音(Rhythm Of The Rain)』

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「昔の音楽は良かった」のは
なぜなのか


『60年代ベスト』とか『オールディーズ・セレクション』みたいなコンピレーションアルバムに、
必ずと言っていいほど収録される名曲中の名曲<悲しき雨音(Rhythm Of The Rain)>。
しかし、曲の有名さに比べると、演奏している「The Cascades(ザ・カスケーズ)」というバンドについては、
ほとんど知られていないんじゃないでしょうか。
少なくとも僕は、<悲しき雨音>以外のカスケーズの曲を知らないし、
メンバーの名前も、そもそも何人編成のバンドなのかさえも知りません。

そんなカスケーズのファーストアルバム(アルバム出してたんだ!)が、
リマスタリングされて8月に再発されたので、聴いてみました。
<悲しき雨音>を含み、同曲をアルバムタイトルにも冠したこのアルバムのオリジナルは1963年リリース。
(ちょうど50周年なのでリイューされたのな?)

聴いてみると、<悲しき雨音>においても顕著なように、
コーラスを重視したグループだということがわかります。
また、これも<悲しき雨音>でも聴けるように、
楽器の中で鍵盤(ビブラフォン、オルガン)が利いているところも大きな特徴です。
パッと聴いただけだと、一瞬ビーチボーイズと間違えそうになります。
そういえば、ほとんどブルースの匂いがないところも、両者は共通していると言えそうです。

ただし、メロディは良く言えばシンプル、悪く言えばワンパターンで、
「さっきもこの曲流れなかった?」というような既視感にとらわれることが、
わずか12曲30分の間にけっこうあります。
そして、その既視感はことごとく<悲しき雨音>に還流します。
少なくともこのアルバムを聴く限りでは、
カスケーズの曲というのは<悲しき雨音>の何らかの要素を薄めた、
あるいは引き延ばしたものに過ぎません。

アルバム収録曲がどういう順番で作られたのか分かりませんが、
もし<悲しき雨音>が先に作られたのであれば、
他の曲は明らかに<悲しき雨音>の強力な「磁力」に引っ張られたのだろうし、
逆に<悲しき雨音>が後に作られたのであれば、
バンドにとって<悲しき雨音>は(1stアルバムにもかかわらず)創作活動のゴールになったでしょう。
いずれにせよ、名曲であるがゆえにバンド自身を束縛したのではないかと想像します。
それほどの力を持った名曲を作ったことが、
果たしてバンドにとって幸福だったのか不幸だったのか、評価が分かれるところかもしれません。



話はまるで変わるのですが、
よく「昔の音楽は良かった」という言葉を耳にします。
というか、実際に僕も90年代や80年代の音楽を聴いて、同じ言葉を口にしたことがあります。

それに対して、「いつの時代も同じことが言われるんだよ」という反論があります。
ある一定以上の年齢の人にとって「今の音楽」というのは、
自身の若い頃の音楽体験と照らし合わせると「異物」でしかありません。
だから、「今の音楽」は必ず一定以上の人から批判に晒されるものだし、
その「今の音楽」を受け入れている現在の10代20代も、10年も経てばきっと、
その時点での「今の音楽」を批判し、かつての音楽を懐かしむ。
この理屈はよくわかります。

何が言いたいかというと、
じゃあ50年代や60年代の音楽に感じる懐かしさは一体何なの? ということなのです。
<悲しき雨音>なんて、まさにその典型です。
あのイントロを聴くだけで、ブワーッと胸の内に広がる何かがある。
洋楽だけじゃありません。日本の昭和のポップスにも、心を揺さぶられます。
こないだ『あまちゃん』に橋幸夫が出てて<いつでも夢を>を歌ってましたけど、
つくづく「ああ、いい曲だなあ」と感じました。

これらの曲がヒットしていた時代、僕はまだ生まれてもいません。
だから、本当は「懐かしい」という言葉(感覚)は当てはまらないはずなのです。
けれど、これらの曲を聴いてホッとする感覚はやっぱり「懐かしい」という表現が最も近いし、
目に浮かぶのは大体が子供の頃に目にした景色ばかりです。

そして、さらに言ってしまえば、
現在ゴールデンタイムの歌番組で流れているような「今売れている曲」が、
やがて時の洗礼を受けたとしても、
僕は<悲しき雨音>や<いつでも夢を>に感じるようなこの懐かしさや胸苦しさを覚えるとは、
どうしても思えないのです。
僕は最初、<悲しき雨音>や<いつでも夢を>は単純に古い曲だから、
そのレトロっぽさが懐かしさを喚起するのではないかと思いました。
(つまり、その時代を知らないからこそ「幻の懐かしさ」を喚起しやすいのではないかと)
しかし上記のように、「今の音楽」のことを考えると、
単に時間が経てば懐かしさが湧いてくるというもんでもないような気がするのです。

思うに、懐かしさには、「当時を思い出す」という文字通りの懐かしさのほかに、
年齢や国籍の別なくジワッとくる「普遍的な懐かしさ」があって、
<悲しき雨音>や<いつでも夢を>には
後者の「普遍的な懐かしさ」を喚起させる力があるんじゃないかという気がします。
僕は昔から、どうして<コンドルは飛んでいく>を聴いて「懐かしい」と感じるのかを不思議に思っていました。
それはおそらく、<コンドルは飛んでいく>には、
南米という土地に限定されない、普遍的懐かしさを感じさせる何かがあるということなのでしょう。

なんだかそれってものすごいことだなあと思います。
「音楽は国境を超える」という言葉が、身をもって実感できます。
10年以上前、ある学生劇団の公演のチラシに、
「『面白い作品』とは何か。それは『ノスタルジィ』を感じる作品だ」というような言葉を見たことがあります。
(そういう作品をおれたちが提供するから期待して見に来い!という主旨でした)
当時は、「懐かしさイコール面白さなんて、そんな過去ばかり振り返る後ろ向きな作品はクソだ!」と、
激しく馬鹿にしていたのですが、
今になってみると、意外と本質を突いているんじゃないかという気がします。

問題は、じゃあ、なぜ「今の音楽」は「普遍的な懐かしさ」には結びつかないのかということです。
リスナーの嗜好の細分化に合わせて楽曲がニッチ化し、
かつてのようなマス層全てをカバーする曲が生まれなくなったとか、
音楽を聴く層が低年齢化しているからだとか、
いや、そもそも売れてる楽曲のレベルが下がった結果だとか、
もっともらしい理由は浮かぶのですが、どれもいまいちピンとこない。
もっと簡潔かつ根本的な背景があるんじゃないかという気がします。

まあ、全ての曲が「普遍的な懐かしさ」を持っていればいいという問題でもないし、
そもそも「普遍的懐かしさ」なんてものは
個人の資質(フィーリング)によるものだと言われれば、それまでなんですけどね。
ただ、(僕のフィーリングで述べるとすれば)アメリカやイギリスには、
例えばアデルとかマムフォード&サンズのように、
「今の音楽でありながら古典」というべき楽曲が生まれています。
そして、それらがきっちりと評価されている。
そういう元気で成熟した音楽マーケットを見ると(もちろん英米にも「?」という曲は山ほどありますが)、
羨ましくて「むむぅ…」と唸りたくなるのです。はい。


甘いハーモニーが素敵な1曲。<Shy Girl>


これはいつのライヴなのでしょう。見た感じ、わりと最近の映像ぽいです。
ジョン・ガモーの声が驚くほど若い時のまま!
<悲しき雨音(Rhytm Of The Rain)>







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The Doors 『The Doors』

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地下世界へと誘う
甘くて妖しい鍵盤の音色


ドアーズのキーボーディスト、
レイ・マンザレクが今月20日に亡くなりました。
74歳でした。

「The Doors」。
このバンドの名前には、
山々が連なる景色の中でたった一つだけ、
どの山とも峰を交わさずにそびえ立つ独立峰を見るような、
屹立とした響きがあります。

彼らと同じアメリカ西海岸出身のビーチ・ボーイズのような陽性のポップでもなく、
同じく西海岸を中心とした華やかなサイケデリック・ミュージックとも相いれず、
かといってストーンズや初期ツェッペリンのようなハードなブルースというわけでもない。

光の射す地上の世界に背を向けて、
情念と欲望が渦巻く地下世界へと沈み込むような、
甘美で重たいドアーズの音楽は、
60年代半ばから70年代初めにかけてのどのようなムーブメントにも属さずに、
圧倒的な個性を放ち続けました。

ドアーズの創造性と人気を支えたのは、
言わずもがな、ジム・モリソンという巨大な才能です。
しかし、モリソンの世界観を具現化するためには、
レイ・マンザレクという相棒の存在は必要不可欠なものだったと思います。
もし<ハートに火をつけて>にレイの弾くキーボードが欠けていたら、
あの曲は今日に至るまで「不朽の名曲」として聴かれ続けたでしょうか。

レイの、魔術的でどこか退廃的なキーボードの音色は、
ドアーズというバンドの代名詞と言っても過言ではありません。
僕自身も、ドアーズを最初に聴いたときは、
モリソンの歌詞よりもまず(聞いてすぐに理解できるほど英語に堪能ではないので…)、
レイのキーボードとジョン・デンズモアのドラムにインパクトを受けた記憶があります。

アルバム『The Doors』(邦題:ハートに火をつけて)は、
1967年にリリースされた彼らのファーストアルバム。
「ドアーズ」というバンドの個性がより露わになるのは、
同年にリリースされたセカンドの『Strange Days』(邦題:まぼろしの世界)の方ですが、
曲のポップさやアルバム全体から感じる爆発力という点では、やはりファーストでしょう。
ロビー・クリーガーのギターこそ、セカンドに比べればハジけ切っていない印象ですが、
レイのキーボードとジョンのドラムに関しては、
今聞いても圧倒的な「異物感」を感じます。
まるで、得体の知れない甘い薬を無理矢理飲まされたかのような、
淫靡で妖しい感触に包まれるアルバムです。

最後に、すごく下らないんですが、
僕はレイ・マンザレクに対して、
同じ「レイ」という名前を持っているという点で、
勝手にシンパシーというか、「マイ・ヒーロー」的な憧れを持っていました。
(同じ理由でキンクスのレイ・デイヴィスもマイ・ヒーローです)
そんなこともあって、彼が亡くなったことに、
自分でも思いのほかショックを受けています。
レイの冥福を祈ります。


<Break On Through (To The Other Side)>


<ハートに火をつけて>







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こういう「ボブ・ディラン」も、けっこういいと思う

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Bob Dylan
『Nashville Skyline』


ディランの数あるアルバムの中で、『ナッシュヴィル・スカイライン』が一番好きだという人は
多分ほとんどいないんじゃないかと思います。
でも僕はこのアルバム、けっこう好きです。
一番好きかどうかと聞かれると、確かに迷うけど、でもかなり好きなアルバムです。
ではなぜ、この作品を推す人が少ないのか?
まず、上にあるジャケット写真を見てください。

何も知らずにこのジャケットを見て、
映っている男の人があのボブ・ディランだと気付く人は、果たして何人いるでしょうか。
僕はこの写真で、初めてディランの笑顔を見ました。
彼も(当たり前ですが)笑うんですね。
このジャケット写真に、『ナッシュヴィル・スカイライン』というアルバムが端的に表れています。
すなわち「意外」ということ。

「ボブ・ディラン」といえばフォーク、あるいはロックのアイコン的存在です。
しかしこの作品は、実はカントリーのアルバムなのです。
ジョニー・キャッシュという、もう亡くなってしまいましたが、カントリー界の大スターがいました。
このアルバムでは、そのジョニー・キャッシュとコラボしたりしています。

ちなみにこのアルバムがリリースされたのは1969年。
69年と言えば、ウッドストックに代表される、ロックの歴史の中で最も華々しい年だったわけですから、
このアルバムの意外さ、異端さがわかります。

それまでにもディランはフォークからロックへ大きく方向を変えたことがありました。
しかし、その変化は、少なくとも今聞いていみると、極めてナチュラルなものです。
そこには目には見えないけれど、しっかりしたロジックのようなものを感じます。
しかし、さすがに「カントリー」という展開は、当時のファンも読めなかったのではないでしょうか。
全てが意外。それがこの『ナッシュヴィル・スカイライン』なのです。

カントリーというのはアメリカの伝統音楽。少し意地の悪い言い方をすれば、“懐メロ”です。
その分、それまでのディランの曲のような毒気や渇いた感じは、このアルバムにはありません。
しかし、逆にそれまでの作品にはなかった彼の人間臭さが感じられます。
非常に特徴的なのはディランの歌声で、
それまでの、あの特徴的なしわがれ声ではなくなり、とても澄み切った声に変わっています。
一瞬「別人?」と思うほど、伸びのいい声で歌うディランは、
なんだかいつになく生き生きとしていて、親近感が湧きます。
「ボブ・ディラン」というのはやはり偉人であり、もっと言ってしまえば雲の上の神様なので、
それゆえいくら音楽を聞いていても「絶対に縮まらない距離」みたいなものを感じるわけですが、
そんな中で唯一、ディランを身近に感じられるのがこのアルバムです。

確かに歴史に残るような名盤ではないし、
作品の凄みみたいなものは『ブロンド・オン・ブロンド』とか『フリー・ホイーリン』に完全に負けますが、
なんとなく、ついつい聞いてしまう一枚です。





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ストーンズよりもフーよりも「ワイルド」

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The Kinks
『singles collection』


「英国4大バンド」というのを知っていますか?
誰が言い出したのかわかりませんが、ロック関係の本やネットの記事で何度も見かけたことがあるので、
多分一般的なものなんだと思います。

肝心の4バンドは何か。
まずはビートルズ。次にローリング・ストーンズ。3つめがフー。
フーあたりになるとロックファン以外には怪しくなってきます。
ちなみにここまでの3バンドで「英国3大バンド」と括ることもあるそうです。

そして最後にくるのが、キンクスです。
順番からもわかるように、日本での知名度は残念ながら一番低い。
しかし楽曲の素晴らしさ、オリジナリティ、後進に与えた影響は他の3バンドに引けを取りません。
数々のトリビュートアルバムも作られていて、
日本でもコレクターズやチバユウスケが参加したアルバムが作られています。
僕の知り合いのイギリス人(僕と同年代)も「キンクスが一番好きだ」と言っていました。

キンクスの魅力は、ジャリッと砂を噛んだような、ワイルドなサウンドです。
彼らのデビュー曲は、リトル・リチャードの<Long Tall Sally>。
ビートルズのカバーが有名ですが、ビートルズ版と聞き比べると、キンクスのキャラクターがよくわかります。
ポール・マッカートニーのようにシャウトはせず、
ボーカルのレイ・デイヴィスはいかにも適当な感じで歌っています。
テンポもビートルズに比べるとだいぶ遅い。
まるで紙くずをゴミ箱に放り投げるような雑な感じがとてもクールです。

ストーンズやフーも相当にワイルドですが、
サウンドだけを見れば、僕はキンクスが一番不良っぽいと思います。
ウソかホントかわからない(ロックにありがちな)「伝説」ですが、
デビュー当時、キンクスはギターの音を歪ませるために、アンプをカミソリでズタズタに切り裂いたそうです。
アンプを切り裂くと本当に音が歪むのか、真偽はさておき、
確かに彼らのロックには、そういうジャリジャリっとした“苦さ”のようなものを感じます。

しかし、彼らの不思議なところは、
そういうデカダンス的なところがありながら、なぜか「品」があるところです。
彼らはキャリアの中期以降、相当に凝ったコンセプチュアルなアルバムばかりを作るようになります。
彼らは音楽的な探究心よりも、シュールな物語やペーソスをいかに音楽に盛り込むかという、
知的な好奇心に満ちたバンドでした。
ワイルドと書きましたが、彼らの場合はマッチョ的なそれではなく、
「毒」「風刺」といったクールなワイルドさです。
4大バンドの中で、僕ら日本人が持つ「イギリス人」というイメージに一番近いのがキンクスかもしれません。

キンクスはアルバム単位で見るとかなりムラがあるので、
最初に聞くならベスト盤から入るのがおすすめです。
中期以降のコンセプトアルバムを最初に聞くと、かなり面食らうかもしれません。
2008年、60年代のシングル曲を全部集めたベスト盤『singles collection』がリリースされました。
レイ・デイヴィス自身がプロデュースをしています。
キンクスの絶頂期の楽曲が20曲以上収録されているというかなりお得な一枚で、
僕はこのアルバムから入りました。


キンクスといえばこれ!
なぜスタジオにコックさんがいるのか(笑)
<You Really Got Me>


こちらも代名詞的な一曲
キンクスは本当にスーツが似合います
<All Day And All Of The Night>


60年代後半の代表曲
素晴らしいメロディセンスです
<Lola>

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BOB DYLAN 『Highway 61 Revisited』

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ティーンエイジとボブ・ディラン

先日、みうらじゅん原作・田口トモロヲ監督の映画『色即ぜねれいしょん』を見た。
みうら・田口タッグが以前に撮った『アイデン&ティティ』もそうだったように、
『色即ぜねれいしょん』でもボブ・ディランの曲が劇中至るところで使われていた。

主人公の男子高校生は、ディランを聞いてロックに目覚め、夢を描き、
彼の音楽から人生に関するヒントと愛にまつわる洞察を得る。
主演の渡辺大知(黒猫チェルシー)は、
ピュアで危うい「少年以上青年未満」な感じを絶妙なバランスで演じていて、素晴らしい存在感を放っていた。
だがそれ以上に、作品全体から原作者みうらじゅんの“ディラン愛”が感じられて、
僕としてはそっちの方がジーンときたかもしれない。
見終わった後、無性にボブ・ディランが聞きたくなって、久しぶりに『追憶のハイウェイ61』をかけた。
1965年のアルバムである。

1曲目が<Like A Rolling Stone>。
僕はこの曲を最初に知ったのは、オリジナルではなくて、ローリングストーンズのカヴァーの方だった。
中学生の頃だったと思う。
僕はてっきりストーンズの曲だと勘違いして(だって“Rolling Stone”だし)、
ディランのオリジナルを聞いたのはずっと後になってからだった。
ちなみにストーンズ版は、「やはり」というか「さすが」というか、ものすごくかっこよく、
僕は未だに<Like A Rolling Stone>というとストーンズの方を思い浮かべてしまう。

いずれにせよ、巨大な曲である。
何度聞いても心の中に何かを残していく。
映画『アイデン&ティティ』ではこの曲がラストを飾っていた。
ただ、判官贔屓というわけではないが、僕としてはこの音楽史に残る1曲目よりも、
その陰に隠れた残りの8曲の方を推したい。
<悲しみは果てしなく>や<廃墟の街>などは、ディランの優しさが沁みるいい曲だ。
表題曲の<追憶のハイウェイ61>もかっこいい。
アルバムとしてトータルで見ると、この時期のディランの作品の中では、
個人的には『Bringing It All Back Home』や『Blonde on Blonde』の方が洗練されていて好きなのだが、
本作のジャリッとした苦さも捨てがたい。

しかし、なぜボブ・ディランは“ロック”なのか。
本作がリリースされた60年代中盤、ディランはフォークギターをエレキギターに持ち替え、
バンドスタイルへと移行し、サウンド面でのロック色を強めていった。
だがそれ以前からすでに、彼の音楽は紛れもなく「ロック」だった。
フォークギターとハーモニカだけの弾き語りだった初期の頃からずっと。

ディランの“ロック”とは、僕が思うに、彼の放つ言葉の力である。
彼の綴る歌詞には、ハードロックのサウンドに負けないほどの強さがある。
独自のボキャブラリー、独自のメタファー。彼にしか紡げない文体があり、
彼の目を通すことでしか見られない世界がある。
ディランの歌詞は、たとえ音楽がなくても言葉だけで自立することができるのだ。
彼が歌手であると同時に「詩人」と呼ばれる所以である。

だが、詩であるがゆえに、ディランの言葉を受け止めるには、
それ相応の感性や教養というものが必要なのではないか、とも思う。
少なくとも10代の頃の僕は、
『色即ぜねれいしょん』の主人公のようにはディランの音楽を愛せてはいなかった。
ビートルズの方がずっと近い存在だった。

実は大人になった今でも、ボブ・ディランとビートルズとを比べると、
同じ「好き」でも質的に大きな違いがある。
ビートルズは文字通り「好き」なのだ。
彼らの音楽と僕の自我は、もはや境界線がないくらいに混ざり合っており、
聞いていると安心して思わず眠くなる。

一方、ディランは「憧れ」なのである。
彼のスタイル、とりわけあの詩には、一度触れたら影響を受けずにはいられないインパクトがある。
真似してみたくなるのだ。
ディランの音楽は、安心などではなく、むしろある種の緊張感を与えてくる。
ビートルズが家だとしたら、ディランはその家の窓から見える、遥か彼方にそびえ立つ山の頂だ。
「いつか自分も登って、その頂上から見える景色を、この目で見てみたい」と思わせる山なのである。
 

ローリング・ストーンズによる<Like A Rolling Stone>

The Beatles 『ABBEY ROAD』

abbey road
長い夢から
醒めたように


 ビートルズの実質的ラストアルバムがこの『ABBEY ROAD』。リリース順では『LET IT BE』が最後になるが、4人がレコーディングしたのは『ABBEY ROAD』の方が後。レコーディング順とリリース順が入れ替わってしまったのは、『LET IT BE』とその前身にあたる「GET BACKセッション」にまつわる複雑な事情のせいだ。

 『ホワイト・アルバム』の時点で4人がグループとしての機能を失っていることは露呈していたが、それが「GET BACKセッション」の頓挫で決定的になってしまった(その時にレコーディングされたまま放置されていたテープが、後に手を加えられて『LET IT BE』になる)。しかし、もう一度だけ4人で集まり、ビートルズが「ビートルズ」であることを見せつけてやろうということで『ABBEY ROAD』のレコーディングが始められるのである。

 呼びかけたのはポール。ポール自身が実際に「最後」という言葉を口にしたかどうかはわからないが、メンバーの中にはおそらく似たような認識があったに違いない(と思う)。そう言い切れるほどに『ABBEY ROAD』はテンションが高く、本当に完璧なアルバム。「有終の美」という言葉がこれほど相応しいものは他にない。

 アルバムは前半後半と大きく2部に分かれている。前半は4人それぞれの作った単体の曲で占められ、後半はメドレーである。

 まず前半だが、ジョンの<Come Together>にポールの<OH!DARLING>、さらにリンゴの<OCTOPUS’S GARDEN>といった、ギュッと筋肉の締まったビートルズならではの完成度の高い曲が目白押しだ。前半でもっとも存在感を放つのはジョージで、<SOMETHING><HERE COMES THE SUN>という超絶名曲を披露している。

 すでに前半だけで相当“お腹一杯”なのだが、『ABBEY ROAD』の聴きどころはやはり後半のメドレー。ジョンとポール、2人のメイン・ソングライターそれぞれが曲の断片を持ち寄り、それを一つにつなげた。曲が足りなくて困った挙句に、単に未完成の曲を寄せ集めたわけではもちろんない。初めからビートルズはこのメドレーを自分たちのキャリアのラストのラストに持ってこようと意識して作っていた。

 そして、何と言っても曲を書いているのはジョンとポールなのだ。こんな豪華な「断片」はない。コーラスの曲、ライヴ感覚な曲、アレンジに意匠を凝らした曲に“泣き”の曲。いくつもの「ビートルズ」なフレーズがそこかしこに待ち構えている。

 曲の断片、短いフレーズをひとつなぎにする。このたたみかけるような構成は、やがて来る“終わりの瞬間”への期待と緊張感を否が応にも高める。ハイペースで押し寄せる波が、感情を上下左右へと激しく揉む。メドレーのラストはその名も<THE END>。そしておまけの<HER MAJESTY>が入って、本当に全てが終わる。巨大ななにかが胸の中を通過していったような余韻と、夢から醒めた時のような寂寞を残して。

 先月発売されたデジタル・リマスター盤のボックスセットでは『LET IT BE』をラストに置いていたが、ビートルズの歴史を締め括るのはこの『ABBEY ROAD』以外にはない。彼らの音楽を聴けば聴くほど、好きになればなるほど、それに比例して『ABBEY ROAD』というアルバムはより重く、より深くなる。間違いなくビートルズの最高傑作だ。


 ・・・というわけで、結局この1ヶ月ビートルズの話しかしていません。書いても書いても、話しても話しても、飽きるどころかむしろどんどん楽しくなっています。

 話は変わるのですが、8月以降、本ブログの更新ペースが従来の半分に落ちていたのには理由があります。theatre project BRIDGEの最新公演『七人のロッカー』、夏前から始まったこの芝居の準備がとても大変だったのです。「だったのです」と過去形ですが、本番は来月。現在も稽古や打ち合わせ、細かい準備に追われています。

 ただし、忙しさのピークはそろそろ越えそうです。劇団というのは本番が近づくにつれて加速度的に忙しくなると思われがちですが、実はそうでもありません。衣装や小道具、あるいはチラシやパンフレット、あらゆるものの準備と制作が大変なのはむしろ本番1ヵ月前のちょうど今くらいの時期で、少なくとも演出家である僕自身は逆に本番が近づくにしたがって時間が空く傾向があります。もっとも時間が空いた分だけ、それまで感じずに済んできた緊張や焦りが一気に押し寄せるので、気持ちの方はクタクタになりますが・・・。

 さて、その『七人のロッカー』。11月21日(土)から始まります。すでにみなさんのお手元にはチラシが届いている頃だと思います。ご覧になりましたか?(まだ見ていないという方はホームページをご覧ください)

 そうなんです。このチラシ写真の元ネタは言うまでもなく、ビートルズの『ABBEY ROAD』。実はこのプランは前回公演『アイラビュー』の稽古段階、まだストーリーも何も決まっていない段階からすでに考えていて、一年間早く撮りたくて仕方ありませんでした。

 撮影したのは8月の上旬。ちょうど全国的に雨ばかり降っていた時期で、天気予報を頻繁にチェックしながら雨間のチャンスを狙っての撮影になりました。

 7人の役者が横断歩道の真ん中でポーズを取り、カメラマンがシャッターを切る。OKカットが出るまで延々とそれを繰り返します(蚊に悩まされながら)。その光景を見ながら、僕はずっとニヤニヤしていました。自分たちは今ビートルズと同じことをしている。人数を4人から7人に変えて、僕なりのオマージュをビートルズに捧げている。それがなんだかとても嬉しく、誇らしかったのです。ビートルズに限りなく近づけたような、そんな充実した時間でした。

 『七人のロッカー』、楽しみにしていてください。


変り種の動画を2つ
ジョージとポール・サイモンの2人による<HERE COMES THE SUN>。この顔合わせを見たときは興奮して叫びました。他にもサイモン&ガーファンクル<Homeward Bound>を2人で歌っています。


サザンオールスターズの1999年大晦日カウントダウンライヴ(ちなみにこれが6人による最後の大晦日ライヴ)より<THE END>。この日のライヴで自身のヒット曲をメドレーにして演奏したサザンは、その中盤で<THE END>を演奏。「粋だなあ」と思いました。他にも<IN MY LIFE>のピアノソロを原由子が弾いて、それをきっかけに<Ya-Ya>に入っていくところとかもあって、桑田佳祐のビートルズ愛が伝わるライヴでした。そういえば以前『音楽寅さん』で桑田佳祐は『ABBEY ROAD』の“全曲空耳バージョン”というのをやっていました。

The Beatles 『BEATLES FOR SALE』

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“RE-MASTER”ではなく
“RE-BIRTH”と呼ぶべき!


 更新ペースが滞りがちですが、ビートルズの話、まだまだ続いています。

 前回の記事の冒頭で、先月発売されたデジタル・リマスター盤が売れている、と書いたけれど、その後調べてみたら発売後わずか1週間で出荷枚数は計200万枚に達していたそうである。ちなみにこれは日本国内だけの話。

 CD不況といわれるなかで、しかも解散後40年経ったグループが、これほどの人気を集めているのは驚異的の一語に尽きる。発売後1ヶ月経った今、どこまで記録が伸びているのかはわからないが、今回のリマスター化が30代以下の若い世代、「ビートルズを聴いてみたかったけどきっかけがなかった」、そんな“潜在的リスナー”を掘り起こしているのは間違いないだろう。50代以上のビートルズ・リアルタイム世代だけではこれほど人気が広がらないはずだ。実際、僕の身の回りにも徐々にリマスター盤購入者が現れ始めた気がする。

 そんな嬉しい兆しを受けてこうしてビートルズの話を延々と続けているわけだが、実を言うと僕は今回のデジタル・リマスター化そのものに関しては消極的というか、関心が薄かった。「デジタル」「リマスター」、大仰な枕詞をつけたところで、それほど差はないだろうというのが本音だった。雑誌やネットではかなり前から熱のこもった報道がされていたけれど、僕にとってはビートルズ関連の一つのイベント、というくらいの認識でしかなかったのだ。

 「実際に聴いてみるまではわからない」。ちょっとした猜疑心を抱いたまま迎えた発売初日の9月9日。重い曇天の下、僕はレコードショップに足を運び、試聴コーナーのヘッドフォンを耳に当てた。

 「・・・・・・」

 絶句、である。僕が聴いたのは<I saw her standing there>、<HELP!>、そして<TAXMAN>の3曲。だがどれも僕の知っているビートルズではない。まるで別の曲だ。何だこの“近さ”は!目を閉じれば、手が届きそうなほどの近さで4人の姿が像を結ぶ。試聴コーナーの前で僕はただただ言葉を失って、固まってしまった。

 どこがどう違うのかと問われれば、音の分離がよくなった、低音部がよりクリアになった、そのような細部の違いを挙げるしかない。だがそのような物理的な変化をいくら指摘しても意味はない。トータルとして違うのだ。これはもう新しい曲、新しいビートルズだ。

 何を大袈裟なことを、と思われるかもしれない。だが機会があれば旧盤とリマスター盤を聴き比べてもらいたい。<HELP!>冒頭の3声コーラス部分「ヘォプ!」だけでも聴けば僕の言う意味がわかってもらえるはずだ。結局僕はその日、試しに店頭を覗いてみるだけのつもりだったのに、気付けば大枚をはたいてステレオボックスを購入してしまった。「それほど差はないだろう」などと嘯いていた気持ちはどこへやら、なのである。

 もっとも、いくら「違う!新しい!」と言ったところで、今回初めてビートルズを買う人にとってはどうでもいいことだろう。旧盤を聴き込んでいるかそうでないかによって、リマスター盤の持つ意味は変わってくるはずだ。

 今回のリマスターによって音質は格段に向上した。楽器の音一つひとつ、ボーカルの一声ひと声がよりクリアになった。特に初期4枚に関しては初めてステレオになったことで、空間の広がりと音の厚みはこれまでとは全く異なっている。

 しかし、繰り返しになるが、そういった細部の変化をもって「違う」と言っているわけではない。

 以前も書いたように、ビートルズの最大の魅力は一曲一曲に込められた音楽性の豊かさだ。もう少し平たく言えば、例えばコーラスの美しさであったり、ギター・ベース・ドラムに止まらない多彩な楽器の使用であったりといった、アバンギャルドな実験精神と絶妙なアレンジワークである。

 そういったビートルズの業と才能の数々が、リマスターされたことでこれまでよりもはっきりとわかるようになったのである。単なる音質の向上を超えていると書いたのはこの点だ。リンゴの愛嬌たっぷりの手クセ、ジョンの艶のある声とジョージのねっとりと絡みつくコーラス、ポールの異様にメロディアスなベース。一つひとつの音の輪郭が鮮やかに磨き抜かれた結果、4人が内包していた才能がいかに巨大であったかが、改めて眼前に提示されたのである。

 デジタル・リマスター盤の最大の目玉は、前述の初期4枚(『PLEASE PLEASE ME』〜『BEATLES FOR SALE』)の初のステレオ化だろう。<IT WON’T BE LONG>、<PLEASE MR.POSTMAN>、<YOU CAN’T DO THAT>。挙げたらキリがないが、ジョン・ポール・ジョージの声が全方位から(本当は左右2箇所だけど)迫り来るかのような広がりと重さは、単にひと塊だった音が左右に振り分けられたという以上の充実感がある。

 そして、ステレオになったことで音の分離がシャープになり、その結果(信じられないことだが)今まで聴こえていなかった楽器の存在に気付くという、新たな発見もあった。

 例えば4枚目『BEATLES FOR SALE』の1曲目<No Reply>。1分3秒過ぎから始まるコーラス部分のバックに、リズムを刻むピアノの音が入っている。僕はステレオ版を聴くまでここにピアノが入っていることになど気が付かなかった。改めてモノラル版を聴いてみると確かにピアノの音は確認できるのだが、おそらくステレオ(リマスター)を聴かなければ気付かなかっただろう。

 強調したいのは、これは何も見つけようとして見つけたマニア的発見ではなく、ボーッと聴いていたら気付いたものだということだ。もっと細かいものまで含めればこのような新発見はいくらでもあるし、おそらくまだ気付いていないものもあるだろう。

 デジタル・リマスターという作業は音質の改良というレベルを超えて、ビートルズの音の世界に眠っていた新たな鉱脈を呼び起こしたようだ。僕らファンは聴くごとに何かしら新たな発見を見出すことができるし、そのたびに曲が隠し持っていた表情が開陳されるのである。旧盤とリマスター盤がトータルとして違うということが、なんとなく伝わるだろうか。だから僕は“RE-MASTER”ではなく、“RE-BIRTH”と呼ぶのが相応しいんじゃないかと思う。


聴き比べてみてください。コーラス部分のバックに入るピアノの音にも注目。
旧盤の<No Reply>


リマスターされた<No Reply>



※次回更新は10月12日(月)予定です

The Beatles 『MAGICAL MYSTERY TOUR』

magical






無駄なく矛盾なく効率的に
最短距離でビートルズを好きになる方法


今月9日に発売されたビートルズのデジタル・リマスター盤が売れに売れている。
驚いたのは全アルバムを梱包したボックスセットが一番売れているということ。
値段はステレオボックスが35,800円、モノボックスが39,800円とかなりの高額。
にもかかわらず、タワーレコードの洋楽ウィークリーチャートではモノボックスが1位、
ステレオボックスが2位を記録した。
両セットともに、現在ではすでに店頭から姿を消してしまっている。
モノボックスにいたっては初回限定生産なので、ほぼ入手不可能といっていい。

購買層は当初は50代が多かったが、日が経つにつれて20,30代が増えてきたそうだ。
これを機にビートルズを聴いてみようという“後追い世代”が続々と買い求めているようである。
おそらく、まだ買ってはいないけれどいずれ買いたいと考えている“潜在的リスナー”を含めれば、
その数は相当数に上るはずだ。

さて、話は前回の続きである。
「一体どのアルバムから聴けばよいのか」。
ボックスセットを買った(これから買う)人であれば、腰をすえて年代順に聴くこともできるし、
手当たり次第に聴きながら好きな曲を横断的に見つけていくこともできる。
だがバラ売りを一枚ずつ買っていこうと考えている人には、
入口をどこに設定するかは切実かつ難しい問題である。

まず最初に言えることは、どのアルバムから聴いてもいいのである。
アルバム一枚一枚が異なる魅力を持っているのがビートルズだ。
もちろん作品によってキャッチーさ、ポップさに違いはある。
そういった点で、前回書いたように『THE BEATLES(ホワイト・アルバム)』や
『ABBEY ROAD』は“どんなリスナーの耳にも届く聴きやすさ”のある作品ではないように思う。

だが、その一点だけをもって「ビートルズはダメだ」と判断するのは早計だ。
あまりにもったいない。
両作品ともにいずれ出会う作品、時が来ればいずれ“愛する”作品なのである。
大事なのは、出会う前にで投げ出してしまわないことだ。これも前回書いたことだが、
ビートルズを聴く際の最大の障壁は、
「ビートルズだから聴きやすい、ビートルズだからスゴイ」という勝手な期待なのである。

ということを踏まえたうえで、以下の提案を読んでもらいたい。
僕の考える、ビートルズを楽しく聴けるアルバム順である。

 RUBBER SOUL』(6枚目)
◆REVOLVER』(7枚目)、『HELP!』(5枚目)
『SGT. PEPPER’S〜』(8枚目)、『BEATLES FOR SALE』(4枚目)
ぁMAGICAL MYSTERY TOUR』(9枚目)、『A HARD DAYS NIGHT』(3枚目)
ァTHE BEATLES』(10枚目)、『WITH THE BEATLES』(2枚目)
ΑLET IT BE』(13枚目)、『PAST MASTERS』
АABBEY ROAD』(12枚目)、『PLEASE PLEASE ME』(1枚目)


『RUBBER SOUL』を基点にして一方は年代順に、もう一方は遡りながら、
2つの方向でアルバムを追っていくという聴き方である。

なぜ『RUBBER SOUL』なのか。
それは『RUBBER SOUL』がビートルズの最大の分岐点、
その歴史に折り返し点を付けるとしたら間違いなくこのアルバムだからである
(詳しくはこちら)。

つまり、前期ビートルズの総決算であり、
同時に後期ビートルズへの第一歩を刻んだ作品、それが『RUBBER SOUL』なのだ。
このアルバムから始めることで、
5,4枚目と遡れば若くキラキラと輝いた前期ビートルズに新鮮な気持ちで出会うことができ、
そのまま7,8枚目と時間に沿って聴けば、
豊かな音楽性を身に付けながらアート集団へと進化していく後期ビートルズを
矛盾なく追うことができるのである。

転換期の作品という点でいえば、『HELP!』あるいは『REVOLVER』を基点にしてもかまわないのだが、
アルバム1枚に込められた多様性、1曲1曲の洗練度とポップネス、
そういった総合的な観点においてやはり『RUBBER SOUL』がもっとも優れているように思える。
少なくともこのアルバムを最初に聴いて「ダメだ!」と感じる人はいないはずだ。

もっとも、この聴き方にも難点がないわけではない。
前回も書いたようにビートルズの素晴らしさの一つは、
アルバムを追うごとに進化する音楽性である。
その振幅の大きさと豊かさは本当に圧倒的であり
、全作品を通して「THE BEATLES」という名の壮大な物語を体験できる。
だが、『RUBBER SOUL』からスタートすることで、
そういった物語のダイナミズムみたいなものは感じづらくなってしまう。
あくまで僕の提案した聴き方は、もっとも無駄と矛盾を抑えて、
効率的にビートルズを好きになる最短距離なのである。

なお、『YELLOW SUBMARINE』を省略してあるが、
これはビートルズのオリジナル曲が6曲しか収録されていない、
オリジナルアルバムというよりもサントラ的性格のもののためである。
最後に回しても問題はない。
また、『LET IT BE』よりも『ABBEY ROAD』を後にしているのは、
アルバムのリリース順ではなく、ビートルズが録音した順番にこだわっているからである。
ビートルズ・サーガのラストを飾るのは『LET IT BE』ではなく『ABBEY ROAD』であり、逆はありえない。

この順番の中で唯一迷ったのが『MAGICAL MYSTERY TOUR』の置き所だった。
話がどんどんマニアックになっていくのだが、
これはポールが中心となって企画した同名テレビ映画のサントラで、
元々本国イギリスではアルバムとして発売されたものではなく、わずか6曲入りのEPに過ぎなかった。
しかし米国レコード会社キャピトルは6曲だけではボリュームが不十分で売れないと判断し、
同時期に発売されていたシングル5曲を独断で加え、
アルバムという体裁にしてリリースしたのである。
(このアルバムのみ盤面に「Capitol」と書かれているのはそのせい)

そのような海賊盤的経緯で発売された『MAGICAL MYSTERY TOUR』が、
なぜオリジナルアルバムとして数えられるようになったかというと、
わかりやすく言えば加えられた5曲のシングル曲がいずれもキラーチューンだったからである。
なにせ<HELLO GOODBYE>、<Strawberry Fields Forever>、
<PENNY LANE>、<All You Need Is Love>が収録されたのだ。

そのため、このアルバムは一種、中〜後期のベスト盤的な性格を持っている。
仮に後期ビートルズだけをピンポイントで聴き進めたいのであれば、
『RUBBER SOUL』ではなくこの『MAGICAL MYSTERY TOUR』から入るのも一つの手である。

・・・なぜこうも延々とビートルズの話を続けているのかというと、
それはもう偏にビートルズ・リスナーを一人でも多く増やしたいからである。

ビートルズというのは、リスナーと非リスナーとの間が真っ二つに割れているように思う。
少なくとも日本に住む僕ら20代はそうだ。
聴く人は聴くし、聴かない人は見向きもしない。
まるでクラシック音楽のようである。
J-POPに耳が慣れている一般リスナーには敷居が高いように見えるのかもしれない。
それゆえ、これまでビートルズ好きを告白するたびに
「こいつはスノッブで鼻持ちならない奴だ」という風に誤解されてきた(被害妄想だけど)。

僕は密かに期待しているのである。
今回のデジタル・リマスター盤発売を機に身の回りにビートルマニアが増えて、
「やっぱ<Hey Bulldog>だよね」とか、
「<IF I FELL>のコーラスってどうなってるの?」なんていう会話が日常的にできることを。
一刻も早くそういう日が来ないかなと願っているのだ。
だって、ビートルズが大好きなんだもの。

ビートルズの話、次回以降もまだまだ続きます。


『MAGICAL MYSTERY TOUR』に収録されている<The Fool On The Hill>。2003年冬にtheatre project BRIDGEが上演した『眠りの森の、ケモノ』のクライマックスで流しました。深夜のファミリーレストランでそのシーンの台本を書いているときに偶然店内でこの曲がかかり、それがピタリとハマッていて即座に使うことを決めたという、僕にとって小さな運命を感じた一曲。

The Beach Boys 『Pet Sounds』

pet sounds





ゾッとするほど美しい
悲しくなるほど美しい


音楽紙のバックナンバーをパラパラとめくっていると、
「ロックの名盤ランキング」的な企画を目にすることがある。
どんなアルバムがランクインしているのだろうと見てみれば、
やはりビートルズの作品群が上位を独占していたり、
ストーンズやジミヘン、ボブ・ディランなどのレジェンドが名を連ねていたり、
80年代以降の作品では『スリラー』や『NEVER MIND』がトップ10に食い込んでいたりしていて、
雑誌によって若干の差こそあれ、上位を占めているのは錚々たる顔ぶれである。
これまでそういったランキングを眺めては、
この中のうち自分のCD棚には何枚あるだろうと数えて密かにほくそ笑んだり、
その結果あまりにカブっていて自分のミーハー具合にヘコんだりしてきた。

しかし、そんな名作群のなかにビーチ・ボーイズの名前を見つけた時はずい分と首をひねってしまった。
彼らが66年に発表した作品『ペット・サウンズ』。
このアルバムはランキングの常連であるどころか、各紙で軒並みトップ3以内に食い込んでいて、
僕の首のひねりはますます急角度になった。

ビーチ・ボーイズのオリジナルメンバーは、
ブライアン、カール、デニスのウィルソン3兄弟に、マイク・ラブとアル・ジャーディンの5人。
メンバー全員参加の卓越したコーラスワークと明るくポップなメロディ、
そして<サーフィンU.S.A.>に代表される、
「海」「太陽」「女の子」といった底抜けに明るいキーワードを綴った歌で人気を獲得した。
60年代前半から中盤、アメリカのバンド達は
ビートルズやストーンズはじめとするブリティッシュ勢力に押され気味だったが、
そんな中で唯一英国勢に対抗できる人気を誇っていたのがビーチ・ボーイズだった。

だが如何せん彼らは同世代のグループと比べると、
ロックバンドというよりも大衆的なアイドルグループというべき立ち位置であり、
多分に享楽的なイメージが強すぎて、
そんな波乗りの片手間にギターを弾いているような輩に
「ロックの名盤」という称号を与えるなどどうかしている!というのが、僕の正直な気持ちだったわけである。

・・・実際にこの『ペット・サウンズ』を聴き、その世界に触れた今となっては、
単なるイメージだけで斜に構えていた自分がとても恥ずかしい。
前置きがずい分と長くなってしまったが、この作品、今では是非とも人に薦めたい一枚なのである。

全13曲、計37分、ここに詰まっている世界はとにかく美しい。
ポップミュージックがこれほどまでに圧倒的な美しさを描けるのかという一つの頂点と言えるのではないか。

だが、この「美しさ」の質が問題である。
『ペット・サウンズ』が持つ美しさ、それは自然の風景のような温かな美しさではなく、
たとえば研ぎ澄まされた刃のような冷たい美しさである。
純然たる白が愛よりもむしろ狂気をイメージさせるように、
このアルバムの美しさには人の心の中にある深い暗部を覗き込ませるような緊張感がある。
磨き抜かれたメロディライン、高純度のハーモニー、そのどれもが涙が出そうになるほど優しく、
背筋が凍るほどにゾッとするのだ。

このアルバムの制作にもっともエネルギーを注いだのはリーダーのブライアン・ウィルソンである。
というよりもほとんど彼のソロ作というに近い。
当時ビーチ・ボーイズはツアー班とスタジオ班とに完全な分業体制を布いていて、
ツアーにはブライアン以外の4人が回り、
『ペット・サウンズ』はブライアンと彼の選んだスタジオミュージシャンだけでほとんど作られているのだ。
彼はこのアルバムで、ビーチ・ボーイズをそれまでのアイドル的な路線から、
成熟した音楽的グループへとジャンプアップさせたかったようだ。

その意志がもっとも顕著に現れているのは歌詞で、
それまでのような陽気なキーワードはまったく使われず、
代わりに心の中の呟きを延々と綴ったような、よく言えば内省的、悪く言えば陰気なものである。
また楽器にしてもホーンやハープシコード、テルミンなどにまで手を広げて、かなり実験的なことをやっている。

これは有名なエピソードだが、
ブライアンはビートルズの『ラバー・ソウル』を聴いて『ペット・サウンズ』を作り、
そしてポール・マッカートニーはこの『ペット・サウンズ』を聴いて
『サージェント・ペッパー〜』を着想したそうである。
英米を代表するグループがほぼ同時期にアイドルからの転機作を制作し、
しかもそれを相互に影響し合って作っていたことは非常におもしろい。

だが、ビートルズが見事に次なるステージへと進んでいったのに対し、
ビーチ・ボーイズはその後苦しい時期に突入する。
それまでのイメージを覆した『ペット・サウンズ』にリスナーは衝撃を受け、困惑をする。
ブライアンは早々に次作『スマイル』の制作に着手するが、
その制作中にビートルズの『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』を聴いてショックを受け、
『スマイル』の作業を中止することを決める。
そのショックと挫折から彼は立ち直れずに精神を病み、
長い間アルコールとドラッグに苦しみ続けることになるのである。

一人の人間が青春の終わりに直面したとき、
その人がピュアであればあるほど、そこに生じる悲しみは深く、苦しみは大きい。
そしてだからこそそこから発せられる祈りはどこまでも澄み渡り、
時にはそれが狂気にも映るのである。
『ペット・サウンズ』の美しさとは、きっとそういうことなのだと思う。

アルバム7曲目<Sloop John B>のPV







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THE ROLLING STONES 『ENGLAND’S NEWEST HIT MAKERS』

newest hitmakers






モンスター級超大型エンジンに
最初に火をつけた男


3年前の夏のこと。
僕はある映画を観に近所のシネマコンプレックスのレイトショーへ足を運んだ。
その日はお盆の真っ只中で、深夜にもかかわらず館内はかなり混雑していた。
だが、僕が観た映画だけは例外で、
200人はゆうに入れる客席に観客は僕を含めて5,6人しかいなかった。

映画のタイトルは『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男(原題:STONED)』。
ローリング・ストーンズのオリジナルメンバー、ブライアン・ジョーンズの生涯を描いた映画である。

ストーンズ関連の映画というと、昨年末にマーティン・スコセッシが監督した
ドキュメンタリーフィルム『Shine A Light』が公開されて話題になったが、
それに比べるとこの『ブライアン・ジョーンズ〜』はちっとも注目されずに、
本当にひっそりと公開されていたような印象がある。

確かに「ローリング・ストーンズ」と聞いて、
まずブライアン・ジョーンズの名前を挙げる人はほとんどいないだろう。
だが、ストーンズの音楽を腰を据えて聴こうと思ったら、ブライアン・ジョーンズは絶対に外せない存在だ。
最初期の60年代にストーンズのリーダーだったのはブライアン・ジョーンズであり、
そもそもストーンズというバンド自体が、
ブライアンがミック・ジャガーキース・リチャーズに出会って結成されたものだった。

ブライアンはスライドギターの名手で、ブルースハープもものすごく上手いし、
他にも鍵盤だろうがサックスだろうがパーカッションだろうが、
何でもかんでも演奏できてしまうという多才なミュージシャンだった。
彼のクリエイティビティが初期のストーンズを牽引していたのである。

だが音楽性の相違から次第にバンド内で孤立し、ドラッグに溺れ、やがてバンドを去ることになる。
そして脱退直後、自宅のプールで謎の死を遂げてしまう。27歳という若さだった。

今回紹介する『ENGLAND’S NEWEST HIT MAKERS』は、
1964年にリリースされた、ローリング・ストーンズの記念すべきファーストアルバム。
正確に言えば、これは本国イギリス盤の1ヵ月後にリリースされた米国盤で、
(タイトルにわざわざ「ENGLAND’S」と入っているのはそのため)
オリジナルとは収録曲が1曲だけ異なる。

当時のバンドのデビューアルバムというのは今とは事情が異なり、全曲オリジナルというケースは稀で、
数曲のカヴァー曲を織り交ぜて制作されるのが通例だった。
ビートルズでさえ、全曲オリジナルになるのは3枚目『A Hard Days Night』からである。
当時のリスナーもレコード会社も、どこの誰だかわからない新人バンドのオリジナル曲より、
一定の質を保証してくれるカヴァー曲を求めていたからなのかもしれない。

もちろんストーンズも例外ではない。
それどころか、このデビューアルバムは、全12曲中オリジナルはたった1曲だけ。
ほとんどが黒人R&Bのカヴァーで占められている。

ロック草創期のバンドたちは一様に黒人音楽に憧れて音楽を始めているが、
ストーンズが他のバンドに比べて際立っているのは、R&Bを白人好みのポップミュージックに消化せず、
ブラックなグルーヴそのものをストイックなまでに再現しようとしていたところにある。
そして、そんな初期ストーンズの精神をもっとも担っていたのがブライアン・ジョーンズだった。

彼は本当にブルースが好きだったみたいで、
白人に本場のブルースを知ってもらいたくてストーンズを結成したのだった。
ストーンズの初期のアルバムを聴いていると、スライドギターを弾きまくりブルースハープを吹きまくりと、
夢が叶った少年のように楽しそうに演奏している彼の姿が目に浮かぶ。

だが、白人がいくら黒人音楽を追求し、精度の高い演奏をしても、
所詮は「物真似」「コピー」のそしりを免れ得ない。
ストーンズはキャリアを積んでいくなかで、黒人音楽を解体し、
自分たちオリジナルのフォーマットへと再構築する必要があった。
やがてミックとキースはオリジナル曲を量産し始め、次第にこの2人がバンドのイニシアチブを取り始める。
反対にブライアンの存在感は徐々に薄まり、69年バンドを脱退。そして死を迎えるのである。

実のところこのデビューアルバムは、「ストーンズの1枚目」という以外には語るべきところは少ない。
カヴァー曲ばかりなのもあるが、全体に粗く、まとまりのようなものに欠けている。

だがこのアルバムを聴くことで、彼らが、才能だけで突っ走る天才集団ではなく、
黒人音楽と格闘し試行錯誤を繰り返しながら自らの音楽的センスを磨いてきた、
非常に泥臭い努力家たちであることがわかる。
そのタフネスがあるからこそ半世紀(!)近くもの間現役を貫き通していられるのかもしれない。
そして、この「ローリング・ストーンズ」という名の超大型エンジンを最初に設計し、火を点したのは、
今は亡きブライアン・ジョーンズだったのである。


<NOT FADE AWAY>他2曲を演奏するローリング・ストーンズ。ブルースハープを演奏しているのがブライアン・ジョーンズ

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