週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】80年代

TM Network 『CAROL』

88-carol

あの頃僕は
「ヒマ」でした


音楽を聴いて、耳だけで和音を割り出したりメロディを譜面に起こす、
いわゆる「耳コピ」というものができるようになったのは、高校時代のことでした。
中学でギターを始めて、何度か挫折をしつつもなんとかひと通りコードを覚えると、
今度は家にあったピアノに向かい、
ギターコードの1音1音を分解しながら「ドレミファソラシド」に置き換えて、
ギターで覚えた曲をピアノで弾くようになりました。

やがてレパートリーが尽きると、
ヒット曲のコードだけが載ってる雑誌(今も売ってるんだろうか)を買ってきて片っ端から弾きました。
さらにそれすらもあらかた覚えてしまうと、
しまいには学校の音楽の教科書を開いて、
<野ばら>とか<グリーングリーン>なんていう曲にまで手を伸ばしました。
そんなことを繰り返しているうちに、なんとなく和音のパターンみたいなものが分かるようになり、
その結果、簡単な曲なら楽譜が無くても和音とメロディを起こせるようになったのです。

なぜ僕はそんなことをしていたのか。
理由はただ一つ。
猛烈に、圧倒的に、ヒマだったからです。
漂流者並みに何もやることがなかったので、
仕方なく僕はギターとピアノを弾いていたのです。
そしたらいつの間にか耳コピができるようになっていたのです。

中学時代、「学年で一人だけ運動部じゃない男子」という絶望的にイケてなかった僕が、
たった一度だけ「おれイケてるかも!」と錯覚したのがバンドでした
ところが高校に入ると、自分から「バンド組もうよ」と言い出せないプライドの高さや、
自分よりギターが上手い奴の前ではビビって逃げる肝っ玉の小ささが邪魔をして、
結局バンドは組めませんでした

「このままだとイケてない人間に逆戻りだ」という焦りから、
一念発起して運動部に入部するも、練習のキツさに半年ももたずに逃げ出しました
こうして、高校1年の夏休みが終わるころには、
早くも僕には何もすることがなくなってしまったのです。

その、膨大に余りまくった時間を吸収したのが、音楽とアニメでした。
昼間はギターとピアノを弾いて、夜になるとアニメを見て、
その主題歌やBGMが耳に残ったりするとその曲を朝まで耳コピする。
そんな具合に、音楽とアニメはがっちりと手を組んで、
僕の生活のサイクルを回していました。

音楽とアニメの何がそんなに良かったかというと、
絶対に僕が傷つかない世界」というものを提供してくれる点でした。
一心不乱に楽器と向き合う時間と、テレビの前でアニメに集中している時間だけは、
何もかも忘れて、安心しきることができました。
僕は外から帰ると、疲れて眠るまで、
自分で築き上げた甘美なフィクションの世界に逃げ込んでいたのです。



話は突然変わります。
邦楽の名盤を、当時のマスターテープを聴きながら、
アーティストやエンジニアが制作の裏側を語るドキュメンタリー番組が、
NHKのBSプレミアムで放映されているのをご存知でしょうか。
放送ペースは不定期で、番組名も特にないみたいなんですが、僕は今のところ、
井上陽水の『氷の世界』佐野元春の『VISITORS』、はっぴいえんどの『風街ろまん』の回を見たことがあります。
そして先日、その最新回が放映されました。
取り上げられたのは、TM Network『CAROL』

1988年にリリースされたこの作品は、
アルバム全体が「異世界に迷い込んだ少女キャロルの冒険」という
一つのストーリーに沿って作られています。
似たような試みは既にデヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』などの先行例がありますが、
『CAROL』の場合、メンバー自身が物語の登場人物に扮した演劇仕立てのライブや、
木根尚登による同名小説の刊行など、CD以外のメディアにも展開していったのが特徴です。
「コンセプトアルバム」というあり方自体を大きく進化させた、
当時としてはかなり画期的で野心的な作品だったんじゃないかと思います。

んで、高校時代、僕があまりにヒマで耳コピを習得していた時の、
一種の「教本」のような存在が、この『CAROL』でした。
当時(90年代半ば)はいわゆる「小室ブーム」の最盛期でしたが、
僕はtrfや安室奈美恵にはあまり興味を持てなくて、
既に解散していたTMの方を、時間を遡りながら聴いていました。
(今思うと、より「バンドらしい」TMの方が好みに合っていたんだと思います)

中でも特に聴きこんでいたのが、『CAROL』でした。
「音楽で物語を表現する」というこのアルバムの試みは、
コンセプトアルバムなんていう言葉すら知らなかった当時の僕にはとても新鮮でした。
ファンタジックな物語も、アニメ好きな僕にはとても親和性が高かった。
何より、収録されている曲がどれも魅力的でした。
壮大な始まりを予感させる<A Day In The Girl's Life>やスリリングな<In The Forest>
そして今聴いても美しさが色褪せない<Still Love Her>
Bm→G→A→DB♭→E♭→Fなんていうコードパターンとか、それから転調の仕組みとか、
このアルバムをコピーすることで覚えたものはたくさんあります。



ただ、そんな風にして耳コピができるようになったり、楽器が上手くなったりしても、
結局一人だったから、それを生かす機会というものはありませんでした。
それは正直、すごくさみしいことでした。
本当はバンドをやってみたかったし、
音楽やアニメのことを同じ熱量で語り合える「仲間」が欲しかった。

友達はいました。
でもそれは、「1人でお昼ごはんを食べなくて済むための誰か」であり、
カラオケで一緒にブルーハーツを歌って『俺、青春してる』と錯覚するための誰か」であり、
要するに、さみしさや惨めさを一時的に紛らわすための存在、
いわば「装置」としての友達でした。
学校の行事やクラスのイベントに一生懸命参加していたのも、
今にして思うと、それはみんなでワイワイやることが好きというよりも、
ワイワイやれてる俺、イケてる
仲間いる俺、イケてる
という錯覚に酔いたかったからです。
部屋で1人、悶々と性欲と自己顕示欲をたぎらせていた反動に過ぎなかったのです。

久々に(それこそもしかしたら当時以来に)『CAROL』を聴いたら、
そんな記憶が鮮明に蘇ってきました。
ここまでビビッドに思い出したのは初めてかも、というくらいに。
ただ、記憶が蘇ってきたのはいいのですが、
問題は、番組放映から2週間以上が経った今も、
その蘇った記憶がフェイドアウトせずに頭の片隅を占拠していることです。

なんか、けっこうショックを受けてます。
記憶の中身や、記憶を忘れていた(美化していた)ことがショックなのではありません。
僕がショックなのは、20年近くも前のことなのに、
10代のわずか数年間の出来事に対して、僕が未だにこだわっているという事実です。
「そんなこともあったね〜」と笑い飛ばすことも、
「あの頃があったからこそ今があるんだ」と適当に茶化すこともできず、
当時の記憶に引っ張られて、わりと本気でズーンとした気持ちになっている。
どうでもいいはずのことを、未だに自分が消化できていないことが、ショックなのです。

facebookなんかを見てると、高校時代の写真が投稿されて、
それに対して「いいね!」がさく裂したり、「青春だね!」なんていうコメントがついたり、
「久々に飲もうよ!」なんていう流れになっちゃう光景を、しばしば目にします。
僕は高校時代に撮った写真も卒業アルバムすらも全部捨ててしまったというのに、
すぐ隣にはああいう、「青春という名のファッション」を謳歌していた人たちがいたのかと思うと、
なんかもう脱力感しかないっす。






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andymori 『ファンファーレと熱狂』

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「80年代生まれ」の
原風景と熱狂


昨年5月に解散を発表した邦ロックバンド、andymori(アンディモリ)。
以前、アルバム『革命』(2011年)を紹介した時にも書いたように、
僕はここ数年、日本の若手バンドを聴く機会が減ってしまっていたのですが、
数少ない例外の一つが、andymoriでした。
ひと昔前のフォークソングのような温かみを感じさせると同時に、
抜き身のナイフのような危うさを併せ持つという、歪んだ魅力に溢れるバンドでした。
ただし、新譜が出たら必ず発売日に買い求めるほど僕が彼らを熱心に聴き続けた理由は、
単なる音楽的な魅力だけではなく、
ソングライター小山田壮平(Vo/Gt)の綴る歌詞に、強い「同世代感」を覚えたからでした。

僕が初めてandymoriを聴いた、彼らの2枚目のアルバム『ファンファーレと熱狂』(10年)。
その1曲目に収録されている<1984>という曲で、
何度も繰り返し歌われるフレーズがあります。

ファンファーレと熱狂 赤い太陽
5時のサイレン 6時の一番星


このフレーズを聴くたびに、僕は胸をかきむしりたくなるくらい、
強烈な懐かしさを覚えます。
まだ小学生に上がるか上がらないかの頃に、
近所の公園にあったジャングルジムのてっぺんから見た、カクテル色の夕焼け空。
半そでシャツから伸びた腕を伝う、夏の終わりの涼しい風。
そしてそこに重なる5時のチャイム。
そんな景色が瞼の裏にハッキリと浮かぶのです。

後から知ったのですが、小山田壮平はこの曲で、
僕らの世代の原風景を歌いたかった」とインタビューで語っていました。
小山田壮平は1984年生まれ。僕は81年生まれ。
公園から見た夕焼けの景色など、年齢に関係なく誰もが一度は目にした景色でしょう。
にもかかわらず、小山田壮平が歌に描いた景色と、
僕の瞼の裏に浮かぶ景色とは同じものなんじゃないかと、なぜか確信するのです。
それは、小山田壮平がインタビューで語ったように、
彼と僕とが「80年代生まれ」という同じ世代にいることが無縁ではないと思うのです。

前述のフレーズは、以下のように続きます。

1984 花に囲まれて生まれた
疑うことばかり覚えたのは戦争映画の見すぎか
親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた
か弱い僕もきっとその後に続いたんだ


80年代の日本って、戦争もないし、経済はなんのかんの言いながら依然右肩上がりだったし、
まさに「花に囲まれ」た時代だったと思います。
少なくとも僕は、明日の食べ物に困ったこともないし、
目に見えるような社会的抑圧を受けたこともありません。

しかし、では、僕は(「僕ら」と同世代全員を括ってしまうのは抵抗があるので、あくまで「僕」は)、
そうした平和な時代に生まれたことを誇りに思っているかというと、すごく微妙だと言わざるをえません。
そんなことを言うと、上の世代から「平和ボケ」だのなんだのと怒られそうだし、
実際ボケているんだろうと思うのですが、どうしても頭の中から拭えない「モヤモヤ」があるのです。
生まれたことを呪うような積極的否定ではないものの、純粋に肯定もできないという、落ち着かなさ。
多分、小山田壮平も同じような感覚を持っているのではないかと想像します。
なぜなら、上記のフレーズに対し、小山田は驚くほど淡々と突き放したように歌うからです。

なぜ、こんなに「モヤモヤ」するのか。

疑うことばかり覚えたのは戦争映画の見すぎか」という歌詞の通り、
現実の暴力とは無縁に育った僕らが負の感情を学んだのは、
学校や家庭ではなく、マンガやアニメや映画といったフィクションでした。
「トラウマ」というと大げさですが、
例えばジブリの『火垂るの墓』に出てきた包帯ぐるぐる巻きのお母さんの映像とか、
ドラゴンボール』のピッコロ編でクリリンや亀仙人らがバッサバッサ殺されていく場面とか、
そういったフィクションによるイメージが、
リアルの体験以上の強烈さで、未だに脳裏に残像を焼きつけています。

そして、「親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた」という歌詞の通り、
何らかのムーブメントというのは、ことごとく僕が生まれたときには時代の彼方に去ってしまっていて、
ウッドストックもパンクも、学生運動もバブル(←生まれてはいましたが年齢的に直接体験はしていない)も、
僕にとっては本やテレビやCDの中の世界のこと(フィクション)で、
仕方なくそういうものの昔話を見たり聞いたりしながら、熱狂の残滓をすするしかありませんでした。

全てが「疑似的」で「後追い」である。
これがおそらく、80年代以降に生まれたことの宿命なのだと思います。
それを不幸であるとは考えたことはありません。
それに、全ての原因を世代に帰結できるとも思っていません(当然、個人の資質という原因だってあるから)。
ただ、何度も言うように、どうしても「おれ(たち)、これでいいのかな?」という
モヤモヤとした自己不信感が拭えないのです。

強烈なリアルな体験も、熱狂的ムーブメントも持たなかったことで、
80年代以降に生まれた世代というのは、
いわばみんなが自然と一緒に熱を注いだ「共通のアウトプット」がありません。
例えば、放映翌日はクラス全員が話題にするテレビ番組や、
昼休みに誰もが参加する人気のスポーツもありませんでした。
いえ、本当はあったのかもしれないのですが、
そもそも、みんなが自然と一緒に何かをするという基盤を持っていないので、
そうした「みんなの熱狂」があったとしても、
それを「自分の熱狂」に落とし込む以外に知らないのです。

いずれにせよ、共通する熱狂の対象を持たなかったことで、
僕も、そしておそらく多くの同世代たちも、
「熱狂の対象は自分で見つけるもの」ということがマナーとして刷り込まれています。
その結果として、同世代同士というのが徹底的にバラバラです。
奇妙な言い方ですが「バラバラである」ということが、共通の世代観なのかもしれません。

そして、「みんなの熱狂」を何一つ持てなかった僕らが
たった一つだけ共有できるものがあるとすれば、
それは、それぞれが自分のいる家や公園から見上げた赤い太陽と、
5時のサイレンと6時の一番星という、
他愛もない風景」なのかもしれないと思うのです。
小山田壮平は、「みんなで一緒に」帰れる原風景として、
<1984>のあの光景を歌っているように思うのです。

繰り返しますが、僕は80年代に生まれたことを不幸だとは思っていません。
同世代同士の連帯感みたいなものが薄いことをさみしいと感じたことはないし、
(僕自身の資質として、そういうものを求めていないということもあります)
過去のいろいろなムーブメントに対しても、憧れこそすれ、
コンプレックスに感じたことはありません。

ただ、事実として、80年代という時代に生まれたことが、
僕の人生、とりわけ感性に対して少なからぬ影響を与えているとは思います。
一方で、そういうことについて誰かと口頭の会話で共有するのは、
話題が深層心理に関わることであるがゆえ、難しい。

そんなときに、andymoriというバンドは、
音楽を介してなんとなく「ああ、そうだよね」という世代的共感を得ることのできる、
「友達」のような存在として僕の前に現れました。
一方的に僕が妄想を押し付けているだけなのだとしても、
他のバンドとはちょっと違う付き合い方ができる存在だっただけに、
未だに解散したことが残念でなりません。

1984


CITY LIGHTS







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The Smiths 『The World Won’t Listen』

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僕らは「優しさ」で
世界と対峙する


前回に続き今回も80年代の英国を代表するバンド、
ザ・スミスの話です。
※前回はこちら
今回は前回よりもさらに主観的で個人的な思いについて書いてみたいと思います。

昨年の4月に英国の元首相サッチャーが亡くなったとき、
わずか1日後にモリッシーは以下の記事のようなコメントを発表しました。
■モリッシーが寄稿した他界したサッチャー元英首相についてのコメント全文訳(アールオーロック)

なお、上記記事は公開直後に、
実はサッチャーの生前に収録されたモリッシーのインタビューの抜粋だったことが、
彼自身のコメントで明らかにされました。
しかし、その際に添えられた(今度こそリアルタイムの)サッチャーに対するコメントも、
やはり相変わらずの辛辣さに満ちていました。
■モリッシー、新たに故サッチャー元首相へのコメントを発表。その全文訳(アールオーロック)
■モリッシー、再びサッチャー元首相の死をめぐる英国の報道について寄稿(アールオーロック)

※執拗なまでに2回ものコメントを発表しています

英国の伝統産業だった炭鉱の閉鎖や国営企業の民営化など、進歩的な政策を次々と打ち出し、
「強い英国」を再び築き上げたサッチャーはその半面、
社会に弱肉強食を強いた冷徹な政治家でもありました。
サッチャーが振りかざした「強者の論理」の陰で、
排斥されるしかなかった弱者(=若年世代)の一人が、
モリッシーでありジョニー・マーであり、
そして当時のスミスの人気を支えたファンたちでした。

スミスの音楽が過去のルーツから隔絶された「孤立した音楽」であり、
そしてそれらが熱狂的に支持された背景には、
モリッシーやマー、そして彼らのフォロワーたちに共有されていた
「どこにも属さない」「帰るべき場所を持たない(持てない)」という孤独感と、
深く関わりがあるように思います。

自分と世界との間に横たわる深い溝」というのは、
スミス以前にもロックが抱えていた重要なテーマです。
しかし、スミスが特徴的なのは、世界との隔絶を、
パンクのような暴力的な手法や、ニューウェイブのような退廃的な手法ではなく、
美しいメロディと洗練されたビートで表現したところにあります。
僕にはそれが、
「いくら虐げられてもおれたちは(サッチャーのようには)優しさを失わないぜ」という、
健気な心意気に見えるのです。

実は、ちょうど同時期のアメリカに、
スミスと似たようなバンドが登場しています。
R.E.M.です。

当時、レーガノミックスが吹き荒れていたアメリカで、
そのしわ寄せを受け始めていた大学生たちを中心に支持を拡大したR.E.M.もまた、
ロックに怒りではなく「優しさ」を持ち込んだ新しいタイプのバンドでした。
(余談ですが、僕はジョニー・マーのギターを初めて聞いた時、
R.E.M.のピーター・バックに似ていると感じたのを覚えています)
大西洋を挟んで、似たようなメンタリティを感じさせるバンドがほぼ同時期に出現し、
しかもそれが共に多くの支持を集めたというのは、
とても面白い偶然だと思います。

スミスやR.E.M.のように、
怒りの感情をそのまま声高に叫ぶのではなく、
優しさや憂いや悲しさといった感情に形を変えてアウトプットする感性について、
僕はとても世代的なシンパシーを感じます。
「世代的な」というには厳密には僕はずっと後世代なのですが、
しかし、ある音楽を聴いて、
(それが好きか嫌いかという話ではなく)「なんとなくわかる」的な連帯感を覚えるのは、
実はスミスやR.E.M.が僕にとってはちょうど分水嶺になります。

「輝かしい未来が待っている」と信じられるほど楽観的にはなれず、
「社会を自分たちの力で変革しよう」というほど熱狂的にもなれず、
かといって「今さえ楽しければそれで良い」と思えるほど享楽的にもなれない、
そんな、いずれのムーブメントにも乗り遅れた時代に生まれた僕にとって、
優しさをもって世界に対峙する」という感覚は、
すんなりと受け入れられるものがあります。
どんなに強く惹かれても、時代の気分を共有できず永遠に「憧れ」止まりである60年代の音楽とは、
そこに明確な差があるのです。


さて、最後にスミスの具体的な作品について書きたいと思います。
彼らはわずか5年という短い活動期間の中で、
オリジナルアルバム4枚、ライブアルバム1枚と、多くの音源を残しました。
どの楽曲も非常に洗練されていて質が高いだけでなく、
ライブ盤も含めて一つひとつの作品がトータルアルバムとして固有の世界観を持っています。
従って、「これがオススメ」とどれか1枚を捻出するのは難しく、
「全部聴いてみて!」と言わざるをえない、というのが正直なところです。

強いて選ぶとするならば、前回の記事でタイトルに挙げた3枚目のアルバム
Queen Is Dead』が僕は好きです。
彼らのアルバムの中では最もポップで、
なおかつスミス特有の「美しい退廃」が漂っているように感じます。

ただ、いきなりオリジナルアルバムの、それも半端な3枚目から入るのは抵抗があるという場合は、
(ちょっと卑怯ですが)ベスト盤から入るのもいいかもしれません。
スミスのベスト盤はいくつかあるのですが、
The World Won’t Listen』(すげえタイトル!)がいいですね。
シングル全てが網羅されているということもあるんですが、
<Panic>〜<Ask>とつながる冒頭の展開は鳥肌ものです。

Panic


Ask







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The Smiths 『The Queen Is Dead』

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「再結成しないこと」で
物語は続いていく


ストーン・ローゼズが再結成した今、
「最も復活が望まれるバンド」の筆頭に挙げられるのが、彼らでしょう。

ザ・スミス
実質的な活動期間は1983年〜87年とわずか5年間という短さにも関わらず、
ロックシーンに与えたインパクトは絶大で、
特に母国イギリスでは、ノエル・ギャラガーアレックス・ターナー(若いのに!)らが
熱心なリスナーであったことを公言するなど、
後進たちに多大な影響を与えました。

このように伝説的な人気を博したバンドでありながら、
スミスは、半世紀以上にわたるロックの歴史から見れば、
特異な位置にいるバンドです。
より実感に沿って言えば、「ロックの歴史から孤立している」と
言った方がいいかもしれません。
スミスの音楽は、彼ら登場以前のロックの様式や流行、
あるいはその反動といった「文脈」が欠落しているように感じるからです。
ロックンロールもブルースもパンクもニューウェイブも、
ルーツと呼べるものがほとんど嗅ぎとれません。
にもかかわらず、スミスの音楽には紛れもなく「ロック」としての興奮や感動があります。
この不思議な、けれども強烈なオリジナリティは、
30年近くたった今でも未だに新鮮で色あせません。

スミスは、1982年に当時19歳だったジョニー・マー(Gt)が、
近所に住んでいた4歳年上の青年モリッシー(Vo)に、
バンド結成を持ちかけたところから歴史が始まります。
2人は部屋で向かい合い、モリッシーが歌詞の一節を書くと、
それにマーがギターを弾きながらメロディをつけるという、
レノン/マッカートニーのような共作スタイルで曲を作り始めました。

「元祖引きこもり」と呼ばれるほど内向的だった彼の性格を反映してか、
モリッシーの綴る歌詞はジメジメと陰鬱で、
(万引きとストーカーと自殺とマザコンの歌なんて彼以外に誰が書けるでしょう)
スミスの音楽を大きく特徴づけています。

しかし、真に注目すべきは、彼の詞よりもまず、彼の「声」です。
彼の、低くいい声で朗々と歌うというスタイルは、
ロックボーカリストというよりも、
アンディ・ウィリアムスフランク・シナトラのような、
50年代のポップシンガーを彷彿とさせます。
彼の綴る陰鬱な歌詞が、ただの「ケツの青さ」で終わらず
アートにまで昇華されているのは、何より彼のあの声で歌われるからでしょう。

そして、モリッシーの低く響く歌声と好対照を成すのが、
ジョニー・マーの鳴らす、澄み渡ったギターの音色です。
歪みより響きを重視したマーのギターも、
それまでのロック文脈からは大きく外れたものでした。
パワーコードでひたすら押していくのではなく、
アルペジオでボーカル以上にメロディアスな音を奏でるマーによって、
「ギタリスト」というイメージは大きく更新されました。

しかし、モリッシーの歌詞の裏にはそれを支えている彼の声があるように、
ジョニー・マーのプレイスタイルの裏にもまた、
彼の独特なメロディセンスという注目すべき才能があります。
スミスが従来のロックから大きく孤立している大きな理由の一つが、
マーの作る、異様なまでに高低差のあるメロディです。
作為的なまでに抑揚を利かせ、ドラマチックにうねるような歌メロは、
従来のロックやポップスよりも、
オペラやミュージカルに共通点を見いだせるかもしれません。

モリッシーとジョニー・マー。
従来のロック概念からは異なる才能を持った二人が、
一つのバンドを組んだというのは、
奇跡と呼んでいいことだと思います。

けれども、2人の蜜月期間は長くは続かず、
87年にマーがモリッシーの元を離れることを決め、
そのままバンドは解散することになりました。

今では2人の交流は再開されたようですが、
スミスの再結成については、
噂が持ち上がるたびに2人とも頑としてそれを否定しています。
実際、オファーは何度もあり、多額のギャランティが提示されたということですが、
モリッシーは「やらないよ。金じゃないんだ」と一蹴したそうです。

こうした高潔さこそ、まさにスミスの美しい音楽のイメージそのままであり、
2人は「再結成しない」という姿勢を貫くことで、
スミスの音楽を守っているのかなと思います。
ファンとしては、そこにスミスという物語の永続性を感じると同時に、
やっぱり少しだけさみしくもあるという、
ちょっと複雑な気持ちですね。


スミスの曲の中で僕はこれが一番好き。
うねるような歌メロがクセになります。
Big Mouth Strikes Again


これも好きな曲。スミスの音楽的な奥行きの深さが伺える面白い曲でもあります。
Frankly Mr. Shankly







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映画 『Film No Damage』

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まばゆい熱の放射と
雨の日の静けさと


佐野元春の1982〜83年の全国ツアーを記録した映画、
『Film No Damage』がデジタルリマスター化され、期間限定で映画館で公開されています。
初日に見に行ってきました。

佐野元春というと、ひょっとしたら今の10代くらいの子たちには、
・NHK『SONGWRITERS』の司会者の人
・ドラマ『spec』の当麻(戸田恵梨香)のお父さん
・『ガキの使い』の名物企画「500のこと」に登場した天然のおじさん
なんて風にしか思われてないかもしれませんが、
1980年代の佐野元春は、まさにロックスター。
なんてったって、雑誌『Rockin’On Japan』の創刊号(1986年10月)の表紙を飾ったのが、
誰あろう佐野元春でした。

とはいえ、僕自身もリアルタイム世代ではありません。
小学生の時に<約束の橋>で認識したのが初めて。
でも、その後いろんな日本のバンドやアーティストを聴くにつれ、
彼らの多くが「影響を受けたアーティスト」「自分のルーツ」として佐野元春の名前を挙げていたり、
また、彼の音楽が若い頃の自分にいかに影響を与えたかを熱く語る、
40代以上のファンのブログなども何度か目にしたことで、
「いつかは聴かなければいけない人」と思っていました。
今回映画館に足を運んだのは、その熱狂の一端を知りたいと思ったからでした。

『Film No Damage』は90分足らずの短いドキュメンタリーです。
メインはライヴシーンですが、本編はそれだけで構成されているわけではありません。
舞台裏の映像や、彼の新譜のビデオクリップ(CM?)の撮影風景、
佐野本人がジョン・レノンに扮し、有名な「ベッドイン」パフォーマンスを真似ているシーン。
ライヴシーンにおいても、ステージでの演奏を流しながら映像は別の風景を映しているという、
ビデオクリップのような絵画的なシーンも挿入されます。

このように、さまざまなシークエンスがガチャガチャとつなぎ合わされているのですが、
不思議とうるさくなく、むしろ詩的な静けさに包まれています。
ステージは眩しいくらいにエネルギッシュなのに、全体を通して見ると静か。
この、両者の共存というか、ある意味でのアンバランスさは、
僕が思う「佐野元春の音楽」というイメージにピタリとハマります。

その話をする前に、ライヴ本編に触れておくと、ただただ「圧巻」の一言でした。
フェンダーのジャズマスターを手に、細身のスーツを汗に染めながら、
所狭しとステージの上をリズムに合わせて激しく動き回る、27歳の佐野元春。
曲と曲とを細切れにせず、その間を長いインプロでつなぐ高度に練られた構成。
随所でキメてくる、演奏・照明と呼吸を一つにしたアクション(キメポーズ)。
「70年代の日本のロックに対する返歌として、僕は何よりも『パッション』を重視した」と語る佐野元春自身の言葉通り、
そのパフォーマンスは演劇的な刺激と、圧倒的な緊張感に満ちています。
こりゃ確かに人気があるわけだわ!と即座に納得。

また、彼のキャリアを10年以上にわたって支えたバックバンド、
ザ・ハートランドの演奏が素晴らしいです。
佐野元春の特徴である、ピアノやホーンが主体になった都会的で洗練されたサウンドは、
ハートランドのメンバーが彼の元に集まったから成立したものなのでしょう。
佐野本人も、バンドのメンバーも、そしてさらにステージを支える裏方のスタッフたちも、
見たところ皆20代からせいぜい30代中盤くらいと、とても若いチームであることが印象的でした。
観客も含め、ステージ全体が若い人たちだけで作られているということが、
佐野元春が単なるスターという以上に、
当時の時代の空気と呼応した存在だったことの証明であるように思いました。

さて、佐野元春の音楽について「都会的」と書きました。
それは決してサウンドのイメージのことだけでなく、
例えば<SOMEDAY>のイントロのように、車のクラクションや人の足音という具体的な音が入るケースや、
<ガラスのジェネレーション>の「Hello, City Lights」のように、
歌詞の中に都市の光景を映すフレーズが含まれている場合もあり、
彼の(特に初期の)歌には、都市生活者の気配がいつも強く感じられます。

しかし、実際に曲を聴いて感じるのは、都会の喧騒やエネルギーではなく、
そこに暮らす人の愛や葛藤や希望といった内的な世界です。
街のスタイリッシュさや騒がしさが表層にあるからこそ、
その対比で、都市生活者の内面にフォーカスが当たり、
曲全体が雨の日のような静けさをまとうことになります。
このギャップみたいなものが、そのまま映画『Film No Damage』の空気にも当てはまるのです。

この映画で、佐野元春はステージ以外では一言も言葉を発しません。
だからでしょうか。
ステージでは華やかにスポットライトを浴び、激しいパフォーマンスを見せるのに、
そしてまた、さまざまなシーンが組み合わさることで映画自体が一つの「喧騒」に見えるのに、
全体を通して見ると、主人公である佐野元春は寡黙に、孤独に見えてくるのです。
まるで、彼自身が曲の主人公であるかのように。

佐野元春は80年代前半期の自身の音楽について、
「70年代は個人的感情を吐露する私小説的な歌詞が多かった。
 でも僕は、街で起きている彼や彼女の『ストーリー』を歌いたかった」と語っています。
自分自身の感情は一度脇に置いて、どこかにいるはずの誰かの物語を語る、という発想はとても面白いですね。
その言葉を踏まえてみると、
この映画に映る「佐野元春」という人物も、実は曲で歌われている「彼」や「彼女」の一人という、
ある種のフィクショナルな存在であるとも言えます。
そういう、ちょっとイタズラ的で、つかみどころのない存在感は、
実は佐野元春以前も以降も、彼1人にしかなし得ていないものかもしれません。
やっぱり、ものすごく洗練されています。

映画は9/20まで公開されています。
おすすめです。

作品情報

<予告編>





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過去と未来の交差点

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THE STONE ROSES
『THE STONE ROSES』


 最近、毎朝のように電車の中で聞いているのがこの、ストーン・ローゼズのファースト。1989年のアルバムです。

 ストーン・ローゼズはイギリスのバンドです。もう解散してしまっています。日本ではどの程度知られているのでしょうか。ロックファンなら間違いなく知っていますが、一般的にはあまりメジャーではないのかもしれません。しかし、イギリスのロック史を語る上で決して外せない、「伝説」と呼ぶに相応しいバンドです。彼らがいなければ、90年代のブリットポップブームはもっと違った形になっていたでしょう。オアシスやヴァーブといったブームの立役者たちの中には、間違いなくローゼズの遺伝子が息づいています。

 彼らはたった2枚しかオリジナルアルバムを残していません。しかも、ファーストとセカンドではガラッと違うので、「これがストーン・ローゼズの音楽」と正確に語ることは困難です。もっとも、彼らのパブリックイメージの9割5分はこのファーストの音でしょう。すなわち、エコーがかったトリッピーなギターと、ロックには珍しいジャングリーなドラム。その上に乗っかった、美しいメロディとハーモニー。セカンドは一転して、重い、大作感に満ちた音に変わるのですが、少なくともこのファーストは、シンプルかつオーセンティックなアルバムだと思います。

 ローゼズは決して“目新しい”バンドではありません(20年前のバンドに対しこう言うのも変ですが)。彼らの音楽からは、ビートルズやジャム、スミスといったかつてのブリティッシュロックの匂いを嗅ぎ取ることができます。しかし同時に、決して古いとも感じない。オアシスや初期レディオヘッド、さらにはカサビアンあたりにまでもつながっていくその後の道筋が、耳の中で描けるからです。彼らの音楽には、イギリスのロックの過去と未来が両方詰まっています。ローゼズはよく、それ以前と以降のロックを分ける分水嶺という言われ方をしますが、僕はむしろ、過去と未来をつなぐ「交差点」のようなバンドだと思います。

 関東は昨年より17日も早く梅雨入りして、ここ数日はやけに肌寒い日が続いています。こういうどんよりした空気の日には、威勢のいい曲で無理にテンションを上げようとするよりも、ローゼズのような、ふんわりと気だるい曲を聞く方が合ってるような気がします。うん。 


代表曲の一つ。<Waterfall>


ボーカルのイアン・ブラウンは、最近ではソロでもローゼズの曲を歌うようです。代表曲<I Wanna Be Adored>。観客の合唱がすさまじいですね。まさに「アンセム」。それにしても、かつては理系学部の学生みたいだったイアンの変貌ぶりがすごい!

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Cyndi Lauper 『She’s So Unusual』

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「可愛い」という一言に尽きる

前回、2010年に出たアルバムのベストワンとしてヌードルスの『Explorer』を紹介したけど、
括りを洋楽に限定するのであれば、ヴァンパイア・ウィークエンド『CONTRA』と、
アーケード・ファイアの『The Suberbs』が真っ先に挙がる。

ヴァンパイア・ウィークエンドは去年のちょうど今頃リリースされたんだけど、いやあ、聴き倒しました。
リピート回数なら間違いなく去年のNo.1。
昨年10月の劇団公演『バースデー』でもいくつか流しました。

アーケード・ファイアの方は3年ぶりの新作だったけど、今までで一番好みの作品だった。
何度もリピートする、というよりは、じっくり時間をかけて聴くアルバムでした。
でもこの『The Suberbs』、紙ジャケットでディスクもむき出しのまま入ってるから
出し入れにいちいち緊張するんだよなあ。

2011年も早くも楽しみな新作のリリースラッシュ。
まず1/26にピロウズの新作『HORN AGAIN』が出る。
コンスタントにアルバムをリリースする彼らが1年以上間を空けての新作なので純粋に楽しみ。

2/22にはリアム・ギャラガー率いる新バンド、ビーディ・アイのデビューアルバムがリリース予定。
ロック界の今年最初の目玉でしょう。
YouTubeでPVを何度も見たり、リアムのインタビュー記事を読んだり、個人的にもかなり盛り上がっている。
先行シングルがとてもかっこよかったのでアルバムも楽しみだ。
同じ日には桑田佳祐の復帰後初音源となるソロアルバム『MUSICMAN』も出るのでこちらもチェックしたい。

そして3/9にはR.E.M.の新作が出る!
『COLLAPSE INTO NOW』という、相変わらず意味深で不穏な空気を漂わすタイトル。
しばらくスパンが空いて、「そろそろ聴きたい」と思ってた頃だったので、うまく期待を煽られています。

しかし何といっても今年前半もっとも楽しみなのはストロークスの4枚目
5年ぶりの新作である。
リリースは「3月予定」とだけ発表されているので、まだどうなるかわからないけど、
何せ“あの”ストロークスなのだから否が応にも期待が高まる。

・・・そんななか、2/9にひっそりとリリースされるのがシンディ・ローパーの新作『Memphis Blues』
ブルースのクラシックナンバーのカバーアルバム、とのこと。
タイトルの通りブルースの聖地メンフィスでレコーディングされ、
B.B.キングをはじめ超大御所ゲストが多数参加しているそう。
シンディ・ローパーとブルースという組み合わせは意外なようだが、
彼女は以前からブルースを歌いたかったらしく、今回その念願が叶った形だ。

ベテランの作る趣味盤」というとまるで揶揄しているようだが、
こういうコンセプトのアルバムってけっこう僕は好きだ。
最近では、去年フィル・コリンズが出したモータウンのカバーアルバム『Going Back』がとても良かった。
趣味だからこそ歌は練りこまれているし、何より好きなアーティストのルーツを辿るのはそれだけで嬉しい。
ビーディ・アイやストロークスに比べたら、きっと話題には上らないんだろうけど、
僕はこの『Memphis Blues』、リリースされたら一度聴いてみようと思ってる。

シンディ・ローパーを最初に聴いたのは、確か映画『グーニーズ』だったと思う。
当時小学生だったんだけど、主題歌の<The Goonies’R’Good Enough>がえらくかっこよかったのだ。
本格的に聴き始めたのはもっとずっと後になってからだし、
その頃は既にシンディのキャリアの最盛期は過ぎていたんだけど、
懐メロとしてではなく、ちゃんとマジで聴き込んだ。

一般的にはセカンドの『True Colors』が彼女の代表作と認識されているようだけど、
僕はデビューアルバムの『She’s So Unusual』の方が好き。
シンディの代名詞ともいうべき曲<Girls Just Wanna Have Fun>をはじめ、
<All Through The Night><She Bop>、そして名曲<Time After Time>など、
とにかく収録曲がどれも素晴らしい。
プリンスのカバー<When You Were Mine>なんかも収録されていて、
マルチ方向に広がる彼女の魅力がすでにこの1枚目の時点で余すところなく詰まっている感じがする。

そして、このアルバムは何といってもシンディの可愛さが爆発している。
彼女の持つ可愛さは、異性に訴えかける武器としての可愛さとは違い、
彼女のキャラクターが持つ天然のチャーミングさである。
だからこそ、おばさんになった今でもその可愛さは少しも失われていない。

80年代にシンディと人気を二分した女性アーティスト、マドンナとの違いはそのあたりにある。
マドンナはその後、「美の冷凍保存」とも言うべきストイックな道へ進み、
50歳を超えた今もなおトップに君臨しているが、僕はシンディの方が好きだなあ。
マドンナはすごいと思うけど、なんか怖いんだもん。

現在57歳のシンディ・ローパー、3月には来日するそうです。








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RCサクセション 『GOLDEN BEST 〜UNIVERSAL EDITION〜』

RC best





ぼくもロックで
大人になったんだ


一昨日(28日)の深夜にNHKで忌野清志郎の特集番組をやっていたんだけど、
見た人いますか?
そろそろ寝ようかなという時間で、見たのも途中からだったんだけど、
結局夜中の2時半までテレビにかじりついてしまいました。

タイトルは『ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵画~』。
忌野清志郎の生涯を、音楽、そして彼が描いてきた絵画と絡めて振り返るドキュメンタリー番組である。
彼は元々絵を描くのが好きで、高校時代は美術部に所属していたほど。
その時の顧問が「僕の好きな先生」のモデルになった小林先生である。
ミュージシャンとしてデビューしてからも折に触れて描き続け、膨大な枚数の絵を残した。
絵は音楽と同じくらい、清志郎の人生にとって重要なファクターだったようである。

デビュー前の、まだ将来を模索していた頃に書かれた自画像。
RCサクセションの絶頂期に殴り描いたマンガ。
2人の子供を描いた絵。
闘病中の自画像・・・。
どの絵にもその当時の心情や葛藤が透けているようで、
人間・忌野清志郎の横顔を垣間見たような気がした。

絵をあまり積極的には描かなかった時代もあるようだ。
デビューして数年後、バンドの人気が低迷し仕事がない、清志郎20代前半の頃。
絵を描くかわりに、彼は当時こまめに日記をつけていた。
どん底時代であるから、当然内容は明るいものであるはずがない。
先の見えない不安や理解を得られないことへの苛立ち、それでも夢を信じ抜こうとする強い意志。
様々な感情がノートを混沌と埋めていた。

当時の清志郎にとって大きな心の拠り所だったのが、フィンセント・ファン・ゴッホだった。
曰く、「ゴッホは永遠のロックスター」。
ゴッホはその生涯でたった一枚しか絵が売れなかった。
あの激しいタッチと色使いには、不遇な状況に対する怨嗟の声のようにも見える。
不屈の画家ゴッホには、確かにロックに通じるものがあるかもしれない。

ゴッホの絵。
清志郎の絵。
それらの絵画を眺めながら、僕はロックのことを考えていた。
清志郎の日記を読んでロックを考え、清志郎のインタビュー映像を見ながら、僕はロックを考えていた。
「ロックってやっぱいいなあ」と考えていた。
そんなこと、もう100億回くらい考えてるんだけど、性懲りもなくまた泣けてきた。

ロックは僕を支えてくれる。不完全だからこそ支えてくれる。
ロックは愛を歌う。でもその裏には傷ついた心がある。
孤独を怖れるなと叫ぶ一方で、寂しさに軋む心がある。
高貴な精神を持つ一方で、足元には俗物根性が転がっている。
優しさがあり、同時に暴力がある。
ロックは矛盾だらけで、あちこちひび割れている。
でも、だからこそ僕はそこから勇気を得ることができる。
気持ちを癒し、鼓舞することができる。
清志郎もきっとそうだったんじゃないかなあ、なんて思う。

2010年は僕にとって20代最後の年だったんだけど、
ロックを聴く量は明らかに昔よりも増えている。
大人になったらクラシックやジャズに移るのかと思ってたけど、少なくとも僕は違ったみたいだ。
もうすぐ30歳というのに、ロックを欲してやまない気持ちは、まだ当分消えそうもない。





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Yellow Magic Orchestra 『PUBLIC PRESSURE』

public





YMOの“裏の顔”が体感できる
傑作ライヴアルバム


YMO1980年の作品。
前年に行われた第1回ワールド・ツアーの演奏を収録した、彼らにとって初のライヴアルバム。
YMOは最初に海外で人気に火がつき、その後逆輸入される形で日本で認知された。
そのきっかけとなったのが、この第1回ワールドツアーである。
『PUBLIC PRESSURE』にはその内、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルスの3ヶ所でのテイクが収録された。

YMOはシンセサイザーやコンピュータを駆使した音作りで、
国内に「テクノ」という言葉を普及させた立役者となった。
「ピコピコ」「キュンキュン」といったゲームのような音や、何重にもエフェクトのかかったコーラスなど、
彼らは“生っぽさ”を排除することで、
「仮面性」「虚構性」とも言うべき一段洗練された音楽のおもしろさを提供した。

彼らは自らの表現衝動を拠り所として音楽を作るグループというよりも、
最初にコンセプト、あるいは世界観があり、メンバー3人はそれを構築するために集められた、
いわば建築機械のような存在だ。
人ではなくコンセプトが主導するという点において彼らは従来にはなかったタイプのグループなのである。

だがこのように知的でユーモラスなグループYMOが、
ライヴでは一転、興奮と刺激に満ちた肉体的な演奏を見せることは驚きであり、
このちぐはぐさがより一層彼らのつかみどころのなさを助長させ、そこがまたおもしろい。
この『PUBLIC PRESSURE』の最大の聴きどころは、
そんなYMOの裏の顔とも言うべき“ロックバンド”としての彼らが体感できるところである。

メンバーの演奏はスタジオ音源よりも伸びやかであり、熱さを感じさせる。
オーディエンスのクリアな歓声や手拍子などと相まって、30年近くの時間の隔たりを感じさせない。
今まさに目の前で演奏されているかのような濃い臨場感が詰まっている。

特に高橋幸宏のドラムが素晴らしい。
元々サディスティック・ミカ・バンドでドラムを叩いていた高橋だが、
一打一打の鮮やかさ、重さという点ではむしろYMOでのドラミングの方がロックを感じさせる。
彼のドラムが頑丈な背骨となって緊張感を漲らせ、
同時に強力なエンジンの役目を果たすことで疾走感を失わせない。
そして細野晴臣のベースがそれにねっとりと絡みつき、
全体としてかなりファンキーなノリを生んでいるところが意外な発見である。

収録されたのはトータル9曲とボリュームはやや少なめだが、
<RYDEEN>や<SOLID STATE SURVIVOR>、<TONG POO>、
<LA FEMME CHINOISE>などの代表曲が押さえられていて、初期YMOのベスト盤としても楽しめる。

アルバムのハイライトは4曲目<THE END OF ASIA>。
元は坂本龍一のソロデビューアルバム『千のナイフ』に収録されている曲だが、
これを大幅にバンドアレンジに変えて演奏している。
クールでヘヴィなドラムの上に、
シンセサイザーが不穏なメロディを何重にも重ねながら進行する1コーラス目は本当に素晴らしい。
この曲は日本の小劇場演劇における伝説的作品、第三舞台『朝日のような夕日をつれて』のテーマ曲でもある。

2000年代に入って以降、
「HASYMO」などに名義を変えたりしながら何度か単発的に再結成をしているYMOだが、
最近の3人の音楽性を反映してか、
かつての曲をアンビエント・ミュージック風にアレンジを変えて演奏する傾向があるため、
ファンとしてはどこか寂しいと言うか、不完全燃焼感がある。
3人とももういい年齢なので、再びこのアルバムのような演奏をするのはキツイのかもしれないが、
やはり多くのファンはオリジナルのアレンジで、
なおかつこのアルバムのような熱っぽい演奏を期待しているはずだ。











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MICHAEL JACKSON 『BAD』

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最高の、そしておそらく最後の
「スーパースター」


マイケル・ジャクソンが亡くなってしまった。
本当にショックだ。
今年から世界ツアーを始めるというアナウンスが本人から発せられたばかりだっただけに、
余計に悲しい(最初のロンドン公演が急遽延期になるというお騒がせも相変わらずだった)。
兄思いの妹ジャネットは今何を思っているのだろうと考えると胸が痛い。

多分、僕が人生で最初に出会った洋楽アーティストは彼だ。
「多分」と書いたのは、本当に幼い頃なので記憶が曖昧なのだ。
小学校に上がったくらいだろうか、とにかくまだ10歳にもなってなかった頃のことだ。

僕は<BAD>が好きだった。
しかし歌詞の意味が理解できていたはずはない。
「“BAD”ってナアニ?」と親に聞いていたくらいだ。

じゃあ何が好きだったかと言えば、ダンスである。
僕はレコードではなくPVが好きだった。
廃ビルみたいな地下鉄の駅構内みたいな、
とにかく薄汚れた場所でマイケルとダンサーたちが踊りまくるアレである。
やたらと細かくて素早い動き、独創的な振付。とにかくあのダンスに夢中になった。
僕にとってマイケルは「聴く」ものではなく「観る」ものだったのだ。

なんだか僕が異様にマセていたように見えるが、
現在20代後半から30代前半くらいの人にとっては決して珍しいことじゃないはずだ。
当時の小学生は小学生なりに、マイケルに洗礼を受けたのである。



YouTubeでPVを見て改めて思う。
マイケルのダンスはやっぱりすごい。
何年か前に、あるセレモニーのステージでマイケルとN’SYNCが共演したのを観たことがあるけれど、
当時ボーイズ・グループのなかでは飛び抜けてダンスが上手かったN‘SYNCも、
マイケルの存在感には叶わなかった。

彼のダンスは他人にはコピーできない。
ただ、それは単純な肉体の修練度の差だけではないと思う。
彼のダンスはいわゆる「ダンス」というよりも、ビートと肉体が密接に絡みついた、
ある意味洗練されていない原初的な身体表現なのではないか。
マイケルのダンスは彼の感性の塊であり、
他人の声や顔を真似ることができないのと同じように
彼以外にあのダンスは生み出せないのである。


個人的な思い出をもう一つ。
僕は小学2年生の時にアメリカに引っ越して、現地の学校に転入した。
アメリカ社会というのは、とにかく自分から発言し、自分の意思を明確に相手に伝えることを要求される。
小学生であってもそれは同じで、
黙っていても近くの席同士でなんとなく友達になれる日本とはクラス事情が決定的に異なるのである。
だから“shy”である人間はアメリカでは疎まれる。
日本で「あいつはシャイだ」というと、ちょっとした愛嬌と親しみのこもった表現になるが、
アメリカでは相手をバカにした表現なのだ。

僕は明らかに“shy”な生徒だった。
日本語でさえ上手く話すことが苦手なのに、
言葉が通じない人間たちに囲まれればどうしたって“shy”になってしまう。
英語が徐々に話せるようになるまで、僕は“shy”であることにじっと耐えなければならなかった。
う〜ん、よく登校拒否にならなかったものだ。

で、ちょうどその頃のことなのだが、ある時テレビでマイケルのインタビューを観た。
マイケルの喋っている姿を見たことがある人はわかると思うんだけど、
彼はいつも恥ずかしそうにはにかみながら、ポツポツと小さな声で喋る。
そんな彼に対し、インタビュアーが「君はshyだね」と言ったのである。
それはバカにした言い方ではなく、とても好意的な一言だった。
ステージ上の姿とのギャップに親しみを覚えたのかもしれない。

ある人間が同性愛であることをカミングアウトして、
それが他の同性愛者に勇気を与えるように、と言ったら大げさなのはわかっている。
だが、僕はあのマイケル(とそのコメント)に、ちょっとだけ救われたような気持ちになったのだ。
「そうか、マイケルもshyなのか。マイケル・ジャクソンがshyなら、僕もshyでいいんじゃないか」と。
同じ「shy村」出身だと知って以来、僕はマイケルに対してなんとなく親近感を感じてきたのだった。


最後に作品について。
僕がマイケルの作品で好きなのは『オフ・ザ・ウォール』(‘79)からこの『BAD』(’87)までの3作だ。
すなわちクインシー・ジョーンズが関わった作品である。
マイケルとクインシーは二人三脚で、
ポップなディスコチューンでありながらもブラックな棘をさりげなくちりばめた、
素人にも玄人にも波及性のある楽曲を量産し、
スーパースター「マイケル・ジャクソン」の黄金期を作り上げた。
あえて3作の特徴を分ければ『オフ・ザ・ウォール』はスイート、『スリラー』はポップ、
そして『BAD』はワイルド、という感じだろうか。
個人的な思い入れから今回は『BAD』を挙げているけれど、この3枚全てが必聴盤である。








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R.E.M. 『MUR MUR』

murmur





一人ぼっちなのは、
君だけじゃないんだ。


昨年後半にもっとも聴いたのが、先週紹介したザ・フー。
そして今年に入ってから僕が一番聴いているのがR.E.M.(アール・イー・エム)だ。
この『マー・マー』は彼らのデビューアルバムである。

R.E.M.は1980年にアメリカ南部、ジョージア州で結成された4人組のバンド。
現在は一人抜けて3人だが、四半世紀以上経った今もバリバリの現役であり、
2007年にはロックの殿堂入りを果たした。
特に評論家やミュージシャンからの評価が高く、
カート・コバーンやトム・ヨーク、デーモン・アルバーンなどをはじめ、
多くの後進たちがR.E.M.へのリスペクトを口にしている。
かの村上春樹もこのR.E.M.がお気に入りらしい。

とはいえ日本では、ニルヴァーナやレディオヘッド、ブラーたちに比べて、
どうもあまり浸透していない気がするのだが、それはファンのひがみだろうか。

確かにあまりキャッチーなバンドではない。
音が身体の奥底にまで沁み込むには、時間がかかるタイプのバンドだ。
だが、一歩その世界に踏み込むことができれば、
彼らの音楽はずっと一緒に寄り添える存在になりうるだろう。

R.E.M.はアルバムをリリースするたびに音楽性を明確に変えるので、人に勧める時には非常に迷うのだが、
一貫して共通しているのが、どこか静かに漂う優しさだ。
鼓舞するわけでもなく、かと言って安っぽく絶望を叫ぶわけでもなく、
傷跡にそっと触れるような、極めてパーソナルな部分をギュッと抱きとめる包容力に満ちている。

この『マー・マー』がリリースされたのは1983年。
前年にはあの『スリラー』が世界を席巻し、
同年にはカルチャー・クラブの『カラー・バイ・ナンバーズ』がヴィジュアルカルチャーの到来を告げ、
さらに翌年にはヴァン・ヘイレンが<ジャンプ>を収録した『1984』をリリースする。
本来サブカルチャーであったロックが大衆娯楽へと変わっていくのが、ちょうどこの80年代前半だ。
そんなエンターテイメント化するロックに馴染むことができず、
その隙間にポツンと取り残されるしかなかったのが、このR.E.M.である。

シンプルなメロディラインやドラムとベースの早いビート感などに見られるパンクの影響と、
米南部という土地柄なのか、カントリーミュージック的なアコースティックさが混ざり合ったR.E.M.の音楽は、
奇妙で独特で、上記のような同時代のアルバムと聴き比べると、いかに彼らが異端であるかがわかる。

マイケル・スタイプの歌声は、
英語圏の人でさえ歌詞が聞き取れないと言われるほどボソボソとして投げやりだ。
それは当時の音楽シーンのどこにも居場所が見つけられないという孤独と怒りの表れであり、
だからこそ自分の好きな音楽で自分の場所を手に入れたいという、ひたむきな祈りでもある。
彼らの奏でる不安と憂鬱さは、だからこそ澄んだように優しく響く。

音楽シーンの隆盛から一定の距離を置き、アンダーグラウンドなロックを切り開いたR.E.M.。
彼らの独自の進化の道は、やがて90年代初頭にニルヴァーナやレディオヘッドを生む
「オルタナ」への扉をこじ開ける。


R.E.M.が初めてテレビに出演した時の映像。演奏しているのはデビュー曲<ラジオ・フリー・ヨーロッパ>。
現在はスキンヘッドのマイケル・スタイプだが、まだこの時は髪の毛がフサフサしていて若々しい。

THE VASELINES 『THE WAY OF THE VASELINES ・ A COMPLETE HISTORY』

vaselines





男女ツインボーカルが織り成す“ゆるい”世界
ザ・ヴァセリンズの全曲集


イギリス・スコットランドのバンド、ヴァセリンズの全発表曲に
未発表の3曲を加えたコンプリート・ディスク。

ヴァセリンズの活動時期は1986年から89年にかけてだから、もう20年以上も前のバンドになる。
短いキャリアの中で残したスタジオアルバムはわずかに1枚しかない。
なので、シングル曲を含めて全音源を収録しても、このように1枚に収まってしまうのだ。

バンドの中心はユージン・ケリー(ボーカル/ギター、男性)と
フランシス・マッキー(ボーカル/ギター、女性)の2人。
男女のツインボーカルだ。
ユージンの独り言のようなボソボソした声と、フランシスの気だるいフワフワした声とが、
付かず離れずのゆるい距離感で絡み合う。
アンダーグラウンドな雰囲気と、60年代ポップスのような素朴さが同居している、
とてもユニークな味わいのあるバンドだ。

イギリス地方都市グラスゴー生まれの、キャリアも短いヴァセリンズが、
多くの人に認知されるようになったのは、ニルヴァーナの影響が大きい。
カート・コバーンは「生涯最高のバンド」としてヴァセリンズを挙げており、
実際に<SON OF A GUN><MOLLY’S LIPS>といった曲をカバーしている。
僕自身もニルヴァーナ経由でヴァセリンズと出会った一人だ。


ニルヴァーナに触れたことで話をちょっと脱線。

世の中にはロックの歴史に名を刻む、いわゆる「ロックの名盤」と呼ばれるものがたくさんあるけれど、
ザ・フーの『マイ・ジェネレイション』にしてもツェッペリンのファーストにしても、
そのほとんどは僕が生まれる前に発表されたものばかりで、
できればリアルタイムで聴いてみたかったな、と夢想することが多い。
洋楽雑誌とかで「『サージェント・ペッパー』で歴史が変わった!」なんていう記述を目にすると、
「ケッ、どうせ俺は生まれてねえよ」と悔しくなる。

そういった意味で言うとニルヴァーナの『NEVER MIND』(’91)は間違いなく、
僕がリアルタイムで聴けるロックの名盤だった・・・はずだった。
僕は当時、このアルバムを完璧に“スルー”したのだ。

以前オアシスの項で触れたように、当時まだ洋楽を聴き始めたばかりの僕は、
ポップメタルバンドに目を奪われていて、ニルヴァーナのガーガーした感じが好きになれなかった。
だから、みんながギターで<Smells Like Teen Spirit>のイントロのリフを弾いている横で、
僕はボン・ジョヴィの<Livin’ On A Prayer>を練習していたのだ。

問題は、
「好きにはなれないのだけれど、ボン・ジョヴィよりもニルヴァーナの方がカッコイイのはなんとなくわかる」
ということだった。
アイツはイヤな奴だけど俺よりモテるのは認めよう、みたいな切ない敗北感は、
その後もしばらく尾を引いた。
では、どうしてこの「ニルヴァーナ・コンプレックス」が解消されたかと言うと、きっかけはヴァセリンズだった。

カート・コバーンは自身のルーツとしてヴァセリンズを挙げているけれど、
実はこの2つのバンドはあまり似ていない。
ヴァセリンズの楽曲はオーソドックスなギターポップであり、
せいぜい割れたギターサウンドに、多少ニルヴァーナとの共通点がうかがえる程度だ。

だが、ヴァセリンズを聴いた後に改めてニルヴァーナを聴いたら、思わず心の中で叫んでしまった。
「なんだこれ、メチャクチャかっこいいじゃないか!」。
ヴァセリンズを聴いたことで、ニルヴァーナのローファイなサウンドに隠れていた、
実はメロディアスな一面であったり、カートの歌声の独特な味わいであったり、
とにかくそれまで気付かなかった魅力が瞬く間に全身に鳴り響いたのだ。

なんだかこう書いていると、まるでヴァセリンズが、
ニルヴァーナを知るためのツールに過ぎないかのようだが(きっかけは確かにそうだったけど)、
もちろんそんなことはない。
ニルヴァーナを聴いた後、再度ヴァセリンズへ戻ると、
これはこれで以前よりも奥行きをもって聴こえるから不思議である。
あえて言えば、僕はポップでゆるく、どこかメランコリーなヴァセリンズの方が耳にフィットする。

違うバンドや別のアルバムを聴くと、相対的にこれまで気付かなかった側面に光が当たって、
新たな魅力を感じ取れるようになったり、双方がますます好きになったりする。
音楽はこういうことがあるからおもしろい、と思う。




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the sugarcubes 『life’s too good』

life's





ビョークという「楽器」を取り込んだ
洗練されたロックバンド


かつてビョークが10代の頃に組んでいたバンドkukl
2枚のアルバムを出して活動を休止した後、
同じメンバーが母体となって結成されたのがthe sugarcubesだ。
1988年にリリースされた『life’s too good』は彼らのファーストアルバムである。
 
聴いてすぐに驚く。
あのkuklとはまったく違って、ものすごくポップなのだ。
『life’s too good』というアルバムタイトルもなんだかとても前向きだし、
そもそもバンド名からしてポップでかわいらしい。
これが本当にあのkuklと同じ人たちなのか?とにわかには信じがたい。

全体としては、まずギターサウンドが前面に出されたことで、ロックさが増したことが目立つ。
独特の無国籍なグルーヴは健在だ。
相変わらずさまざまな楽器、民族的なフレーズも使われている。
だが、kuklではそれらを破壊的なまでに多用していたのに対し、
sugarcubesではあくまで楽曲を構成するツールのひとつとして、実に垢抜けた使い方をしている。
sugarcubesは、kuklの持っていた呪術性を神秘性へと昇華させた、
洗練されたオルタナティブロックバンドなのだ。


このアルバムは全17曲入り。
そのなかで1曲を選ぶなら、僕は3曲目に収録された、
このバンドのデビューシングルでもある<Birthday>を挙げたい。すばらしい曲だ。

バラードのようにも聴こえるし、ライブでは必ず盛り上がるロックチューンにも聴こえる。
重低音をきかせたドラムのシャッフルに、不思議な音色をした管楽器が乗って、何ともいえない浮遊感がある。
そして、ビョークのボーカルだ。
ささやくように優しく、泣き叫ぶように切なく、魂を揺さぶる。
もし僕に耳がなかったとしても、彼女の歌は聴くことができる気がする。

なんて魅力的で不可思議なアーティストなのだろう。
ビョークは単なるボーカルという概念を超越している。
彼女の歌声は、巧拙という次元を超越した、地上でただ一つしか存在しない楽器のようだ。


アルバムには他に、モッズっぽい<motorcrash>やハードロックな<coldsweat>
ニューエイジっぽい<I want…>など、ロックという大枠のなかでも奥行きがある。
ボーダレスなところは、『Debut』以降のビョークにも見られるが、その質は少し違う。
sugarcubesはやはり「バンド」なのだ。

2006年11月、sugarcubesは一晩だけ再結成をした。
この<Birthday>リリース20周年を記念して、まさにBirthdayを祝福すべく、
ビョークはじめ当時のメンバーが、故郷であるアイスランドのライブハウスに集った。

You Tubeにアップされているその時の映像を見ると、
sugarcubesがビョーク+他のミュージシャンなどではなく、一つのバンドであることが感じられる。

現在の彼女が持つボーダレスさ、縦横無尽さはソロという身軽さが可能にしていることだ。
だがバンドとなればフットワークは鈍る。
彼女の歌声をバンド全体で解釈し、一つの楽器として取り込んでいかなければならないからだ。
しかしその試行錯誤が、ソロでは味わえないビョークの魅力を引き出していることは確かだ。

もし、現在のビョークしか聴いたことがないのなら、このsugarcubesをぜひ一度試していただきたい。








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kukl『The Eye』

The Eye





一度聴いたら呪われる
恐怖のサウンド


kuklと書いてクークルと読む。
『The Eye』はkuklのファーストアルバム。リリースは1984年。

このバンド、ご存知だろうか。
あのビョークが10代の頃に組んでいたバンドだ。
kuklは同年に2枚目のアルバム『Holiday In Europe』を出して活動を休止する。
ビョークはその後、kuklを母体としてthe sugarcubesというバンドを結成。
数年間活動した後、93年にソロ名義で『DEBUT』をリリースする。
※厳密に言えばこのアルバムはソロデビュー作ではない。
 彼女はわずか11歳のときに、すでにソロ名義で『bjork』というアルバムをリリースしている。
その後の活動は周知の通りだ。

ビョークは実にさまざまなジャンルの曲を歌う。
だが、どんなタイプの曲を歌おうが、印象が雑多になったり、存在感が薄まることはない。
逆に、どんなジャンルの音楽も彼女の歌声にかかれば「ビョーク」になってしまうのが、
彼女のすさまじいところだ。

sugarcubes、そしてkuklはそんなビョークのルーツであり、彼女のファンならずとも必聴
・・・と言いたいところだが、このkuklに関しては人に勧めるのを躊躇ってしまう。


この『The Eye』を聴いた時の衝撃をどんな言葉で形容できるのか。

「革新的」「アバンギャルド」などといった評価があることはすでに知ってはいた。
が、そんな“生易しい”言葉で足りるだろうか。
僕のなかにあった「革新的」という水準、「アバンギャルド」という概念をはるかに超えて衝撃的だった。

とにかくまず、何と言うか、呪術的なのだ。
曲という曲に、太鼓や笛といった民族楽器が多用されている。
子供の頃、アフリカやアマゾン奥地の民族、
あるいは日本の地方土着の祭礼を見て、恐れを感じたことはないだろうか。
kuklの霊的な民族楽器の音色は、あの類の本能的な恐怖心を掻き立てる。
さらにそこへドラムやベース、ギター(当然ながら奇妙な音に加工されている)が加わることで、
リズムは混迷し、フレーズは溶け、およそ譜面化できそうもない音楽となる。
一体どうやってこんな曲を作るのだろうか。

さらにこのkukl、メインボーカルはビョークなのだけれど、
もう1人、スキャットともラップとも呼べない、狂言回しのようにリリックを喋る男性ボーカル、アイナーがいる。
ビョークとアイナーの掛け合いが随所に出てくるのだが、とにかくまあ2人が絶叫する。
シャウトではなく、「絶叫」だ。
kuklを聴いた後だと「アナーキー・イン・ザ・UK」なんてちっともアナーキーに聴こえない。
これぞまさにアナーキー。まさにカオス。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』を思い出す。

アルバム全体に漂う呪術性と民族性。
それでいて特定の文化や民族、地域をイメージできない無国籍性。
こんな、独特すぎるほど独特な音楽が、25年以上も前にあったなんてことを、どう解釈すればよいのだろう。

ただ、このkuklという音楽性が、そしてビョークというアーティストが、
アメリカでもイギリスでもなく、アイスランドで生まれたのは納得できるかもしれない。
彼らの音楽には、マジョリティのカルチャーの中からは決して生まれ出ることのない、
マイノリティゆえのアイデンティティの強さが感じられる。

興味ある方は(覚悟のうえで)一聴を。








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