週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】80年代

佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』

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リスナーが待ち望んでいたものが
すべて「そこ」にある


 すげえライブアルバムと出会ってしまいました。佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』です。

 映画『No Damage』に映ってたのが、まさにこのときのライブですよね、たしか。映画を見たときも「かっけえなあ」と思ったんですけど、映像が無い分、かえってこっちのアルバムの方がライブのすさまじさを端的に伝えてくる気がしました。

 じゃあ何がすごいのか。大きく2つあります。

 まずは演奏のエネルギー。佐野元春とザ・ハートランドって、都会的で洗練されてて、汗なんかかきそうにないイメージがありますよね。でもこのライブの彼らはまるで暴走列車。猛烈なエネルギーとスピード感は、ほとんどパンクです。10分超の壮大な<ロックンロールナイト>を終えてからの<悲しきRADIO>の高速イントロは、なんかもう涙が出そうでした。

 ライブ盤の醍醐味の一つに、スタジオ音源とは異なるアレンジやニュアンスを聴くことで、アーティストのその曲に対する解釈や音楽的バックグラウンドを知ることが挙げられます。そういう意味でいうと、このアルバムから感じる佐野元春(とハートランド)は、非常にビートを重視するアーティストだということ。

 ビート、つまりリズムでありリフです。彼の場合は、それをギターではなくピアノとサックスで表現しようとしたところに独自性がありました。日本語ロックのイノベーターとして歌詞が注目される佐野元春ですが、実はその前提として、言葉を乗せるビートへのリテラシーが極めて高い人なんだということを、このアルバムは証明しています。佐野元春とほぼ同時代に、同じく日本語ロックのブレイクスルーを果たした桑田佳祐と初期サザンが、同じく「リズムのグループ」であったことは、必然的な符合なのでしょう。

 もう一つのすごいところは、観客の熱狂です。観客の熱狂と、それを受ける佐野元春とが生み出す会場全体の空気、みたいな風に表現したほうがいいかもしれません。なんていうんでしょう。どんな曲を演奏しても、そのすべてが観客が待ち望んでいたサウンドや歌詞にぴったりとはまるような、無敵の全曲アンセム感

 時代と呼吸してるっていうんでしょうか。メディアによる作られた流行なんかじゃなくて、街のストリートから押し上げられてきた「俺の」「私の」ムーブメントって感じがするんですよね。リスナーと深くコミットしてるからこそのアンセム感だってことがわかるから、余計にグッときます。

 歌詞のところどころには、今の感覚からすると正直古いなって感じるワーディングはあるし、MCのあの話し方なんて何度聞いても笑っちゃいます。そういう意味では、83年当時を生きていた世代だけのテンポラリーなムーブメントではあるわけです。

 にもかかかわらず、2018年の今聴いてもこのアルバムの佐野元春を「かっこいい」と感じることは、改めて考えると不思議です。ライブアルバムって瞬間を切り取るものですが、同時にその場の熱気やアーティストの体温すらも封じ込めるから、かえってスタジオ音源よりも古びないのかもしれません

 でも、このアルバムを聴いてちょっと悲しくなるのは、ロックというフォーマットが今ではもう現実とコミットする力を失い、趣味的で享楽的な音楽に変わってきていることが、逆説的に分かるからです。もちろん、それはアーティストだけの責任ではなく、声を上げなかったリスナーにも責任があるのかもしれません。そういうのをひっくるめて、ロックの役割は終わったといえるのかもしれません。感動が深い分、最後に苦い気持ちになるアルバムでした。








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『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』(KADOKAWA)

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来たるべき「90年代ブーム」では
何が語られるのか


 宮藤官九郎『あまちゃん』で80年代カルチャーネタをふんだんに盛り込んだように、当時を青春時代として過ごした世代が働き盛りに突入したことで、一種の80年代リバイバルが起きています。その一つの典型が、「おじさんたちが青春を過ごした80年代の音楽を語り合う」というコンセプトの番組『ザ・カセットテープ・ミュージック』(BS TwellV、金曜深夜、10月からはゴールデンに移動)。

 マキタスポーツスージー鈴木という、80年代に青春時代を過ごしたおじさん2人による音楽トークは、ひたすら独断と偏見と過剰な思い込みに満ちていて最高です。ポカンとしているカセットガールに対し、おじさん2人が「仕方ねえな」という感じでコードや歌詞や時代背景を熱く説明するんだけど、実はカセットガールがおじさん2人を「かまってあげている」という構図も、自分の将来を見るようでたまりません。

 僕は第1回から全て見ているのですが、最高だったのは「春の名曲フェア〜マキタの春〜」という回。「意気揚々と上京してきたマキタスポーツが大学デビューに失敗して、部屋で悶々としながら聴いた曲」なんていう個人史すぎる曲ばかりを紹介するのですが、「知らねーよ!」と突っ込みながらもめちゃくちゃ面白かったです。スージー鈴木の著書を紹介した時にも書いたことですが、そういう主観的で個人的で偏った文脈とともに知った音楽のほうが、客観的な分析や解釈とともに知った音楽よりも、むしろ「聴いてみたい」と思ったりするんですよね。音楽評論というと「上から目線のシニカルな分析」や「文脈でっち上げて煽る提灯解説」ばかりが目につく昨今、徹底的に個人の思い入れを切り口にして音楽を語るこの番組はマジで希望です

 実際、この番組にはかなり影響を受けてます。松田聖子薬師丸ひろ子を本腰入れて聴くようになったのも、そこから派生して『松田聖子と中森明菜』や『角川映画1976-1986』といった本に食指を伸ばしていったのも、この番組が大きなきっかけでした。考えてみれば、そのように複数のメディアにわたって80年代関連コンテンツを延々とハシゴできること自体が、世間に「80年代リバイバル」があることの証だといえるかもしれません。

 なぜ僕は80年代に惹かれるのか。僕は81年生まれなので、主体的に80年代コンテンツを消費していた世代ではありません。でも、TVでチラ見した映像や耳にした曲、それらが醸し出す匂いは記憶にあります。そのおぼろげな記憶は、当然ながら僕の感性に大きな影響を与えているはずです。そういう意味でこの番組は、僕自身の感性の源流を紐解いてくれるような存在なのです。

 6月に発売された『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲解放区』は、この番組の書籍版。清水ミチコとの対談など、書籍オリジナルのコンテンツはあるものの、メインは過去の放送の文字起こしです。DVDやブルーレイではなく書籍というところに、なんとなく深夜のBS放送っぽさを感じなくもないのですが、なにせとんでもなく情報量の多い番組なので、映像化よりも書籍化はむしろファンとしてはありがたい対応でした。

 さて、消費者層の加齢に伴ってリバイバルが起きるなら、あと10年もすれば「90年代ブーム」が起きるはずです。そこでは一体何が語られるのでしょうか。80年代は僕にとっては「歴史」の範疇でした。しかし90年代は、僕が当事者として過ごした時代です。「90年代ブーム」で何が語られれば、当事者として納得できるのか。80年代の話を楽しそうにするおじさん2人を見ていると、果たして自分はそこまで90年代の音楽に思い入れをもって接していただろうかと、期待半分・不安半分の複雑な気分になります。






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松田聖子『Candy』

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「古くない」という感覚の理由は
“彼”の存在にあるのではないか


 前回、まったくといっていいほど興味がなかった(どちらかというとネガティブな印象すらもっていた)松田聖子を、大滝詠一というハブ(結節点)を経由することで聴くようになったという話を書きました。

 大滝詠一が松田聖子に書き下ろした曲は他に2曲あります。それが1982年にリリースされた6枚目のアルバム『Candy』に収録された<四月のラブレター>と<Rock’n’Roll Good-bye>。どちらも『風立ちぬ』A面に負けず劣らずナイアガラサウンドで、あえてなぞらえるなら<四月のラブレターは>は<A面で恋をして>、<Rock’n’Roll Good-bye>は<恋のナックルボール>…でしょうか。<Rock’n’Roll Good-bye>の間奏で<むすんでひらいて>のメロディがチラッと載ってくるところなんかはいかにも大滝詠一っぽいなあと感じます。

 しかし『風立ちぬ』というアルバムは、僕の中で大滝詠一が手掛けたA面だけで完結しているのに対し、『Candy』というアルバムは大滝楽曲以外の8曲のほうにこそハイライトがありました

 理由は大村雅朗。このアルバムで大滝詠一の2曲以外の全ての曲でアレンジを手掛けたのが大村です。彼の名前は知ってはいたけど、本当にすさまじいアレンジャーだったということを、僕はこのアルバムでまざまざと知りました。

 例えば<星空のドライブ>におけるあのリフ。イントロからサビ、アウトロまで音色を変えながら繰り返されるあのリフは、メロディや歌詞以上にこの曲の「顔」になっています。<黄色いカーディガン>のあのイントロもそう。この曲の力強さと繊細さの両方を併せ持つ見事な幕開けは、2年後の大沢誉志幸<そして僕は途方に暮れる>を予言しているかのようです。そしてアルバムラストには、大村雅朗自身の作曲による<真冬の恋人たち>という、大村と松田聖子の両者にとっての代表曲となった<Sweet Memories>の姉妹編ともいえる名曲が控えています。

 中でも僕がうなったのは3曲目<未来の花嫁>です。友人たちが結婚していくなかで自分だけが取り残されている。隣にいる彼はプロポーズしてくれる気配もない。あなたの未来の花嫁はここにいるのに…。歌詞だけを取り出してみると、結婚を人生のゴールと捉えているこの曲の女性像は、正直2018年の今聴くとかなり古臭く感じます。

 しかし完成された曲として聴くと、決して古臭いという印象は抱きません。なぜなら、大村雅朗が仕立てたファンキーで軽快なアレンジによって、この歌の主役の女性は、口では「結婚したい」といいつつも、「それならそれでいい」「結婚なんて選択肢の一つだもんね」と、どこか今の自分の状況を楽しんでさえいるような、たくましい人物像へと変わるからです

 そこには松田聖子の、情緒を後ろに残さないカラッと乾いた歌い方の効果もあると思います。このアルバムを聴く限り、松田聖子のもつキャラクターと相性がよかったのは、松本隆よりも大村雅朗であると感じます。



 このアルバムにおける大村雅朗の何が素晴らしいかといえば、彼のアレンジがアルバム全体のカラーを決定している点です。『風立ちぬ』は「大滝詠一のアルバム」ではないけれど、『Candy』は「大村雅朗のアルバム」といっていいと思います。そのくらい、この作品における彼の寄与度は高い。

『作編曲家・大村雅朗の軌跡』を読むと、彼の仕事の姿勢はあくまで「アーティスト(レコード会社)がどうしたいか」を重視する職業編曲家だったと語られています。しかし、『Candy』を聴く限り、彼は「このアルバムはこう聴いてほしい」「このアルバムを通じてアーティストのこういう面を出したい」といったプロデューサー的な視点を持っていたことは明らかです。そうした姿勢は、彼が晩年、フリーからレーベル所属となって、宣伝や育成まで含めたトータルのプロデューサーを目指していたことにも端的に表れています。同書のなかで「もし存命なら今頃誰と組んでいたか?」というインタビュアーの質問に対し、生前の彼を知る多くの人が「宇多田ヒカル」と答えていたのはゾクッとしました。



 にしても、これまでにもR.E.M.スミスなど、自分のなかの「古い/古くない」の分水嶺に位置するアーティストについて考える機会がありましたが、まさかそこに、30年近く「懐メロ歌手」「過去の人」と感じていた松田聖子が加わることになるとは思いもよりませんでした。








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松田聖子『風立ちぬ』

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81年生まれが感じる
「こちら側」の声


 まず初めに言っておくと、僕は松田聖子というアーティストに特別興味はありません。僕がテレビの音楽番組やヒットチャートを見るようになったのは1990年代初頭でした。松田聖子が歌手デビューしたのは80年ですので、その時点で10年ほどのキャリアがあったことになります。アーティスト寿命が長寿化した現在では、10年選手などせいぜい中堅扱いですが、当時はベテラン歌手の一人といった印象でした。なので、(当時バリバリ新曲を出していて第2の全盛期を迎えようとしていましたが)僕の中では「懐メロ歌手」「大人が聴くもの」といったネガティブなイメージしか持てませんでした。そのまま今に至っています。

 それなのに、なぜ今僕は松田聖子の『風立ちぬ』を聴いているのか。理由は単純。大滝詠一です。81年10月にリリースされたこの4枚目のアルバムは、表題曲含むA面5曲全てを大滝詠一が作曲・編曲を担当しているのです。

 大滝詠一がアルバム『A Long Vacation』をリリースしたのは81年3月ですが、時期的な面だけでなく、サウンドから受ける印象という面でも、『風立ちぬ』はまるで『ロンバケ』の姉妹編のようです。実際、大滝詠一本人も「“女性版ナイアガラ”を意識した」と語っています。曰く、<冬の妖精>=<君は天然色>、<ガラスの入江>=<雨のウェンズデイ>、<千秒一秒物語>=<恋するカレン>、<いちご畑でつかまえて>=<FUN×4>、<風立ちぬ>=<カナリア諸島にて>。

 ナイアガラサウンドというと音の分厚さやゴージャスさ、スケールの大きさがよく語られますが、僕はそれらのアレンジがメロディと高次元で結びついているところこそが最大の聴きどころだと思っています。<千秒一秒物語>のあのセンチメンタルさ、<いちご畑でつかまえて>のつかみどころのなさ、そして<風立ちぬ>の大河の流れのような官能性。メロディが先にあったのか、それともアレンジが先にあってメロディが生まれたのか、まったくわからないほどに両者は同じ方向を向き、曲の中で自然に溶け合っています。そういう曲としての密度の濃さみたいなものに、僕はナイアガラを感じます。



 んで、大滝詠一という軸でこのアルバムを何度もリピートしていたのですが、しばらくするうちにあることに気づきました。かつて「古臭いもの」と思い込んでいた松田聖子が、実際には決して古くなどないということに

 このアルバムを聴く直前、僕は山口百恵を聴いていました。実は山口百恵は「古い」と感じたのです。でも、松田聖子は古くはなかった。ちなみに「古い」というのは「嫌い」という意味ではありません。わかる/わからない、近い/遠いといった、好悪とは別なところで感じる直感的な距離感のようなものです。

 正確に言えば、松田聖子でも<青い珊瑚礁>は古いと感じます。じゃあ境目はどこなのか。アルバムでいえば、まさに『風立ちぬ』がそれにあたります。

 じゃあ『風立ちぬ』と3枚目『シルエット』とは何が違うのか。それは、松本隆が登板しているところです。厳密には彼は『シルエット』期から参加してますが、当時はまだレコード会社に指名され、純粋に職業作詞家としてかかわったにすぎませんでした。それが、プロデューサー的な立ち位置で、より能動的に松田聖子というプロジェクトに関わり始めた最初のアルバムが『風立ちぬ』だったのです。そして、彼が自分の人脈から引っ張ってきた最初のメロディメーカーが、かつてのバンドメンバーである大滝詠一でした。…というのは知っている人には今更すぎるネタではあります。

 初期の三浦徳子・小田裕一郎時代は、僕には古いと感じます。どこか70年代の時代がかったアイドル像を引きずってる気がするのです。でも、大滝詠一や南佳孝、財津和夫、来生たかお、そして呉田軽穂(松任谷由実)。このあたりの、当時の言葉でいえばニューミュージック出身の作曲家たちが参加し始めた以降の曲はまったく古さを感じません。完全に「こちら側」という感じがします。

 実は、三浦徳子も小田裕一郎も古い作家ではありません。世代としてはニューミュージック勢と変わらない。でも、三浦・小田ペアがどこか70年代に規定された「アイドル」という枠の中で仕事をしていた(職業作家として仕事をしていた)のに対し、その枠を壊してアイドル像というものを80年代型へとアップデートしようとしたのが松本隆だったのではないかと思います

 ただ、ここで一つ強調したいのは、僕が「古くない」と感じる根拠は松本隆の歌詞ではない、ということです。むしろ、言葉の意味や使われ方は時代の影響をモロに受けるので、ニューミュージック勢の作るメロディに比べて当の松本隆の歌詞は(距離感ではなく、文字通り「今の時代とは違う」という意味で)古いと感じます。

 では何が「古くない」のか。中川右介は著書で、松本隆の功績の一つに、日本の歌謡曲から「情緒」や「説明」を排除したことを挙げています。そうした志向をもっていた彼が松田聖子を選んだのは、彼女の圧倒的な声量とカラッと乾いた声質なら、それができると考えたからでした。松田聖子の歌の上手さに注目した人はそれまでにもたくさんいましたが、彼女の声に時代を見出して、それを歌詞という方法でプロデュースしようとしたのは松本隆が初めてだったんだろうと思います。つまり、僕が松田聖子を「古くない」と感じた一番の理由は、彼女の「声」だったのです

 彼女の声に時代の変化を見出した松本隆。その彼が積極的にイニシアチブを取り始めた『風立ちぬ』プロジェクト。そこに、81年生まれの僕が「古い」「古くない」の分水嶺を感じることは、決して偶然ではないと思います。








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シャネルズ『ダンス!ダンス!ダンス!』

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「カバーに寄せたオリジナル曲」で
最後にルーツ愛をもう一度


 先週に続いてシャネルズです。

 前回、シャネルズとラッツ&スターの違いを「ルーツへのこだわり」と書きました。そしてルーツであるドゥーワップやR&Bへの愛が爆発した作品として、1981年の『Live At "Wisky A Go Go"』を紹介しました。ただ、もしシンプルに「シャネルズとしての最高傑作は何か」と聞かれたら、僕は82年にリリースされた6th『ダンス!ダンス!ダンス!』と答えます。

 このアルバムは半分がカバー曲です。2nd『Heart & Soul』以降、スタジオアルバムは全曲オリジナルで統一していたので、久しぶりにカバーを取り入れた形です。とはいえ、オリジナルとカバーをA面、B面で区切った1st『Mr.ブラック』や、ほぼ全曲カバーといっていい『Live At "Wisky A Go Go"』とこのアルバムは大きく異なります。

 それは、カバー曲よりもむしろオリジナル曲の方に注目するとわかります。例えば2曲目の<週末ダイナマイト>。アルバムの実質的な幕開けを飾る派手なナンバーですが、この曲を流して聴いていると「あれっ?」と思うはずです。理由は、いつの間にか次の3曲目<Peppermint Twist>に移っているから。曲間が極端に短く、サウンドの感触も似ているのでじっと聴いていないと、曲が切り替わった瞬間がわからないのです。

 もっと顕著なのは、4曲目の表題曲<ダンス!ダンス!ダンス!>。この曲は明らかに5曲目の<Boogie Woogie Teenage>と、「つなげて1曲に聴こえるように」という意図をもって作られています。

<Peppermint Twist>も<Boogie Woogie Teenage>もカバー曲です(前者のオリジナルはJoey Lee & The Starliters、後者はDon Julian & The Meadowlarks)。つなげる2曲のうち片方がカバー曲ということはつまり、オリジナルの方をそのカバー曲に寄せて(合わせて)意識的に作っているということです

 このアルバムではほかにも、<Do You Wanna Dance>(オリジナルはBobby Freeman)に対する<Yeah!Yeah!Yeah!>や、<Lovers Never Say Good-bye>(オリジナルはThe Flamingos)に対する<星くずのダンス・ホール>など、1つ隣のカバー曲に寄せたと思われるオリジナル曲が見受けられます。

 オリジナルすらもカバー曲に合わせて作られている、いわば支配下にあるという点において、このアルバムは実質的には全曲カバーアルバムといえます。単にカバーするだけではなく、そのカバーに合わせて自分たちのオリジナル曲を作って組み合わせることで、カバーとオリジナルの垣根をなくす。この創造性とドラスティックさが、『Mr.ブラック』や『Live At "Wisky A Go Go"』との違いです(繰り返しますが、このような曲作りができる田代まさしと鈴木雅之のソングライティングチームはもっと評価されるべきだと思います)。



 ただ、一方で興味深いのは<ダンス!ダンス!ダンス!>の冒頭にあるコント(?)では、メンバーは明らかに黒人をパロディ化している点です。鈴木雅之らが演じる黒人のモノマネを聴く限り、彼らは決して原理主義的ではなく、盗むのはあくまで音楽だけというような割り切ったスタンスが垣間見えます。

 時系列で見ると、1つ前のアルバム『Soul Shadows』でシャネルズは「ドゥーワップの雰囲気を残しつつポップミュージックの一般性も追求する」という試みに一定の成果を上げました。<憧れのスレンダー・ガール>や<もしかしてI Love You>、<渚のスーベニール>といった楽曲は、ラッツ&スターの音楽スタイルのヒントになったはずです。

 そして、『Soul Shadows』で次のステップに進める自信を得たシャネルズが、その前にもう一度だけ原点である黒人音楽に向き合って、「過去の名曲に合わせてオリジナルを作る」という方法論で自分たちなりのリスペクトを示したのが『ダンス!ダンス!ダンス!』だったのではないか…というのが僕の想像なのです。

 このアルバムでは鈴木雅之だけでなく、田代まさし、佐藤善雄、久保木博之、桑野信義、新保清孝という、グループの全ボーカリストがリードをとる曲が収録されています。6人全員のリード曲が1枚に収録されているのはこのアルバムだけです

 特に素晴らしいのは田代まさし。<Peppermint Twist>の鼻にかかったボーカルを聴かせ、<Boogie Woogie Teenage>で後半から入ってくるところなどは、グループの誰よりも色気があります。もちろん作品全体のポイントを締めるのは鈴木雅之なのですが、他のボーカリストの活躍により、このアルバムでは彼の存在感は相対的に後ろに下がっています。この「全員参加」なところも、グループとしての総決算であることを感じさせます。









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シャネルズ『Live At "Wisky A Go Go"』

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豊かな「カバー文化」が
かつて日本にもあったんだ


 最近どっぷりと聴いているのがシャネルズです。ご存知、鈴木雅之や田代まさし、桑野信義らを擁する、主に1980年代に活動していたグループですね。

 なんで今更シャネルズなのかという理由を一言で説明するのは難しいのですが、例えば去年からゴフィン&キングをはじめとする50年代後半〜60年代初頭のソングライターたちを横断的に聴いていて、そこからリーバー&ストーラー→コースターズ/ドリフターズというドゥーワップへの流れがあったり、一方で数年来続く大滝詠一への傾倒があったり、とにかく自分の中では必然的な帰結としてシャネルズがあったのです。

 ちなみに僕が聴いているのは基本的にはラッツ&スターに改名した後期の時代ではなく、前期のシャネルズ名義の時代。何が違うかっていうと、ルーツへのこだわりです。多様なジャンルを取り込んで最大公約数的なポップスを歌うようになったラッツ時代に比べ、シャネルズ時代はグループのルーツであるドゥーワップやR&Bへの強いこだわりが感じられます。

 ある意味ラッツはプロフェッショナルで、シャネルズはアマチュアともいえるかもしれません。「お前らもドゥーワップばっかりやってないでそろそろこういう大人な曲を歌え」という意味を込めて大滝詠一が<Tシャツに口紅>を書き下ろし、そのままラッツ名義での最初のアルバム『Soul Vacation』をプロデュースしたって話は象徴的な気がします。

 ただ、僕はあくまでドゥーワップという文脈で入った身なので(それはもちろん、ああいう古い音楽が好きだからなので)、頑なに原点に固執するシャネルズの方にシンパシーを覚えます。そして、ある意味武骨とすらいえるようなシャネルズのルーツ愛がもっとも爆発しているのが、81年7月にリリースされたアルバム『Live At "Wisky A Go Go"』です。

 タイトルのとおり、米LAにあるライブハウス「Whisky A Go Go」にシャネルズが出演したときのステージを収録したライブアルバム。出演日の情報がないのですが、YouTubeに残ってる映像を信じるのであれば、81年の5月28日のようです(だとするとわずか1か月でアルバム化して発売したってことになりますが)。いくらデビューシングル<Runaway>が大ヒットし、1st、2ndアルバムがともにオリコン1位を獲得していたとはいえ、デビューしてわずか1年の、それも日本から来た無名のアーティストが「Whisky A Go Go」のステージに立てるのは、80年代日本のオラついたエネルギッシュさゆえなのでしょうか。

 それはさておき、名門ライブハウスへの出演、しかもゲストには超大物コースターズということで、シャネルズの面々の気合の入りっぷりは、ありありとアルバムから伝わってきます

 収録曲のうちオリジナル曲は<Runaway>と<Hurricane>のみ(しかも前者は英語詞)であとは全部カバー。ドリフターズの<Fools Fallin’ Love>(桑野信義のボーカルが素晴らしい)やヴェルヴェッツの<Tonight (Could Be The Night)>、ジャクソン5の<Going Back To Indiana>といった真っ黒な名曲を、猛烈な熱量で演奏しまくります。名門ライブハウスにオリジナル曲ではなく、あくまで古いアメリカンポップスで臨むところに、シャネルズというグループがなんたるかが端的に表れているように思います。



 シャネルズは1stアルバム『Mr.ブラック』でB面全曲カバー、この3枚目で9割近くがカバーという荒業をやってのけます。そしてシャネルズ名義として最後のアルバムである6枚目『ダンス!ダンス!ダンス!』では、オリジナルとカバーを(ほぼ)交互に挟みつつ、カバーとつなげて違和感がないように“カバーっぽいオリジナル”を量産して「実質的には完全なカバーアルバム」をつくり、グループのもつアマチュアリズムの総決算を図りました(そういう曲作りができる田代まさしと鈴木雅之のソングライティングチームはもっと評価されるべきだと思います)。

 驚くべきは、最初の3枚のアルバムが全てオリコン1位を獲得している点です。繰り返しますが、1枚目はB面全部がカバー、3枚目は9割がカバー(しかもライブ盤)です。なんていい時代なんでしょうか。シャネルズももちろんすごいですが、それを受け入れていた世の中の感性もすごい。

 伊福部昭の『音楽入門』のなかに、15世紀前後のフランダース(フランドル)楽派の時代には、作曲家とは実質的には「編曲家」を指し、音楽において素材(=曲)に芸術的価値が置かれなかった、という話がありました。僕がこれを読んで連想したのは、50年代や60年代の欧米ポップスの「カバー文化」でした

 プレスリーの<Hound Dog>とかビートルズの<Please Mr. Postman>とか、かつてのポップスシーンにはオリジナルよりもカバーのほうが有名になったケースが山ほどあります。そこでは、いかにオリジナルよりもインパクトを与えるかというアーティストやアレンジャーの試行錯誤があり、同時にリスナーとしてはオリジナルを辿ったり他のカバーを探したりすること自体が一つの楽しみになります。

 伊福部昭は「音楽を単なる技巧と見なしている」として、フランダース楽派時代のマインドを批判的な立場で書いているのですが、これを欧米の「カバー文化」に置き換えて考えてみると、僕は意外と本質を捉えているんじゃないかという気になりました

 今の日本の音楽シーンでは、カバーというともっぱら、一番CDがバカ売れしてた90年代のヒット曲を今のアーティストにカバーさせて30代40代の中年にもう一度CD買わせようぜ!というような、マーケティング的発想で作られたものを指します。しかし、そういう“プロ目線”ではなく、「ドゥーワップってかっこ良くない?」「俺たちR&B大好きなんだけど、君も聴いてみない?」というようなアマチュアリズムを感じるカバー文化がもうちょっとあってもいいのにと、シャネルズを聴いてて思わずにはいられませんでした。






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TM Network 『CAROL』

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あの頃僕は
「ヒマ」でした


音楽を聴いて、耳だけで和音を割り出したりメロディを譜面に起こす、
いわゆる「耳コピ」というものができるようになったのは、高校時代のことでした。
中学でギターを始めて、何度か挫折をしつつもなんとかひと通りコードを覚えると、
今度は家にあったピアノに向かい、
ギターコードの1音1音を分解しながら「ドレミファソラシド」に置き換えて、
ギターで覚えた曲をピアノで弾くようになりました。

やがてレパートリーが尽きると、
ヒット曲のコードだけが載ってる雑誌(今も売ってるんだろうか)を買ってきて片っ端から弾きました。
さらにそれすらもあらかた覚えてしまうと、
しまいには学校の音楽の教科書を開いて、
<野ばら>とか<グリーングリーン>なんていう曲にまで手を伸ばしました。
そんなことを繰り返しているうちに、なんとなく和音のパターンみたいなものが分かるようになり、
その結果、簡単な曲なら楽譜が無くても和音とメロディを起こせるようになったのです。

なぜ僕はそんなことをしていたのか。
理由はただ一つ。
猛烈に、圧倒的に、ヒマだったからです。
漂流者並みに何もやることがなかったので、
仕方なく僕はギターとピアノを弾いていたのです。
そしたらいつの間にか耳コピができるようになっていたのです。

中学時代、「学年で一人だけ運動部じゃない男子」という絶望的にイケてなかった僕が、
たった一度だけ「おれイケてるかも!」と錯覚したのがバンドでした
ところが高校に入ると、自分から「バンド組もうよ」と言い出せないプライドの高さや、
自分よりギターが上手い奴の前ではビビって逃げる肝っ玉の小ささが邪魔をして、
結局バンドは組めませんでした

「このままだとイケてない人間に逆戻りだ」という焦りから、
一念発起して運動部に入部するも、練習のキツさに半年ももたずに逃げ出しました
こうして、高校1年の夏休みが終わるころには、
早くも僕には何もすることがなくなってしまったのです。

その、膨大に余りまくった時間を吸収したのが、音楽とアニメでした。
昼間はギターとピアノを弾いて、夜になるとアニメを見て、
その主題歌やBGMが耳に残ったりするとその曲を朝まで耳コピする。
そんな具合に、音楽とアニメはがっちりと手を組んで、
僕の生活のサイクルを回していました。

音楽とアニメの何がそんなに良かったかというと、
絶対に僕が傷つかない世界」というものを提供してくれる点でした。
一心不乱に楽器と向き合う時間と、テレビの前でアニメに集中している時間だけは、
何もかも忘れて、安心しきることができました。
僕は外から帰ると、疲れて眠るまで、
自分で築き上げた甘美なフィクションの世界に逃げ込んでいたのです。



話は突然変わります。
邦楽の名盤を、当時のマスターテープを聴きながら、
アーティストやエンジニアが制作の裏側を語るドキュメンタリー番組が、
NHKのBSプレミアムで放映されているのをご存知でしょうか。
放送ペースは不定期で、番組名も特にないみたいなんですが、僕は今のところ、
井上陽水の『氷の世界』佐野元春の『VISITORS』、はっぴいえんどの『風街ろまん』の回を見たことがあります。
そして先日、その最新回が放映されました。
取り上げられたのは、TM Network『CAROL』

1988年にリリースされたこの作品は、
アルバム全体が「異世界に迷い込んだ少女キャロルの冒険」という
一つのストーリーに沿って作られています。
似たような試みは既にデヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』などの先行例がありますが、
『CAROL』の場合、メンバー自身が物語の登場人物に扮した演劇仕立てのライブや、
木根尚登による同名小説の刊行など、CD以外のメディアにも展開していったのが特徴です。
「コンセプトアルバム」というあり方自体を大きく進化させた、
当時としてはかなり画期的で野心的な作品だったんじゃないかと思います。

んで、高校時代、僕があまりにヒマで耳コピを習得していた時の、
一種の「教本」のような存在が、この『CAROL』でした。
当時(90年代半ば)はいわゆる「小室ブーム」の最盛期でしたが、
僕はtrfや安室奈美恵にはあまり興味を持てなくて、
既に解散していたTMの方を、時間を遡りながら聴いていました。
(今思うと、より「バンドらしい」TMの方が好みに合っていたんだと思います)

中でも特に聴きこんでいたのが、『CAROL』でした。
「音楽で物語を表現する」というこのアルバムの試みは、
コンセプトアルバムなんていう言葉すら知らなかった当時の僕にはとても新鮮でした。
ファンタジックな物語も、アニメ好きな僕にはとても親和性が高かった。
何より、収録されている曲がどれも魅力的でした。
壮大な始まりを予感させる<A Day In The Girl's Life>やスリリングな<In The Forest>
そして今聴いても美しさが色褪せない<Still Love Her>
Bm→G→A→DB♭→E♭→Fなんていうコードパターンとか、それから転調の仕組みとか、
このアルバムをコピーすることで覚えたものはたくさんあります。



ただ、そんな風にして耳コピができるようになったり、楽器が上手くなったりしても、
結局一人だったから、それを生かす機会というものはありませんでした。
それは正直、すごくさみしいことでした。
本当はバンドをやってみたかったし、
音楽やアニメのことを同じ熱量で語り合える「仲間」が欲しかった。

友達はいました。
でもそれは、「1人でお昼ごはんを食べなくて済むための誰か」であり、
カラオケで一緒にブルーハーツを歌って『俺、青春してる』と錯覚するための誰か」であり、
要するに、さみしさや惨めさを一時的に紛らわすための存在、
いわば「装置」としての友達でした。
学校の行事やクラスのイベントに一生懸命参加していたのも、
今にして思うと、それはみんなでワイワイやることが好きというよりも、
ワイワイやれてる俺、イケてる
仲間いる俺、イケてる
という錯覚に酔いたかったからです。
部屋で1人、悶々と性欲と自己顕示欲をたぎらせていた反動に過ぎなかったのです。

久々に(それこそもしかしたら当時以来に)『CAROL』を聴いたら、
そんな記憶が鮮明に蘇ってきました。
ここまでビビッドに思い出したのは初めてかも、というくらいに。
ただ、記憶が蘇ってきたのはいいのですが、
問題は、番組放映から2週間以上が経った今も、
その蘇った記憶がフェイドアウトせずに頭の片隅を占拠していることです。

なんか、けっこうショックを受けてます。
記憶の中身や、記憶を忘れていた(美化していた)ことがショックなのではありません。
僕がショックなのは、20年近くも前のことなのに、
10代のわずか数年間の出来事に対して、僕が未だにこだわっているという事実です。
「そんなこともあったね〜」と笑い飛ばすことも、
「あの頃があったからこそ今があるんだ」と適当に茶化すこともできず、
当時の記憶に引っ張られて、わりと本気でズーンとした気持ちになっている。
どうでもいいはずのことを、未だに自分が消化できていないことが、ショックなのです。

facebookなんかを見てると、高校時代の写真が投稿されて、
それに対して「いいね!」がさく裂したり、「青春だね!」なんていうコメントがついたり、
「久々に飲もうよ!」なんていう流れになっちゃう光景を、しばしば目にします。
僕は高校時代に撮った写真も卒業アルバムすらも全部捨ててしまったというのに、
すぐ隣にはああいう、「青春という名のファッション」を謳歌していた人たちがいたのかと思うと、
なんかもう脱力感しかないっす。






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andymori 『ファンファーレと熱狂』

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「80年代生まれ」の
原風景と熱狂


昨年5月に解散を発表した邦ロックバンド、andymori(アンディモリ)。
以前、アルバム『革命』(2011年)を紹介した時にも書いたように、
僕はここ数年、日本の若手バンドを聴く機会が減ってしまっていたのですが、
数少ない例外の一つが、andymoriでした。
ひと昔前のフォークソングのような温かみを感じさせると同時に、
抜き身のナイフのような危うさを併せ持つという、歪んだ魅力に溢れるバンドでした。
ただし、新譜が出たら必ず発売日に買い求めるほど僕が彼らを熱心に聴き続けた理由は、
単なる音楽的な魅力だけではなく、
ソングライター小山田壮平(Vo/Gt)の綴る歌詞に、強い「同世代感」を覚えたからでした。

僕が初めてandymoriを聴いた、彼らの2枚目のアルバム『ファンファーレと熱狂』(10年)。
その1曲目に収録されている<1984>という曲で、
何度も繰り返し歌われるフレーズがあります。

ファンファーレと熱狂 赤い太陽
5時のサイレン 6時の一番星


このフレーズを聴くたびに、僕は胸をかきむしりたくなるくらい、
強烈な懐かしさを覚えます。
まだ小学生に上がるか上がらないかの頃に、
近所の公園にあったジャングルジムのてっぺんから見た、カクテル色の夕焼け空。
半そでシャツから伸びた腕を伝う、夏の終わりの涼しい風。
そしてそこに重なる5時のチャイム。
そんな景色が瞼の裏にハッキリと浮かぶのです。

後から知ったのですが、小山田壮平はこの曲で、
僕らの世代の原風景を歌いたかった」とインタビューで語っていました。
小山田壮平は1984年生まれ。僕は81年生まれ。
公園から見た夕焼けの景色など、年齢に関係なく誰もが一度は目にした景色でしょう。
にもかかわらず、小山田壮平が歌に描いた景色と、
僕の瞼の裏に浮かぶ景色とは同じものなんじゃないかと、なぜか確信するのです。
それは、小山田壮平がインタビューで語ったように、
彼と僕とが「80年代生まれ」という同じ世代にいることが無縁ではないと思うのです。

前述のフレーズは、以下のように続きます。

1984 花に囲まれて生まれた
疑うことばかり覚えたのは戦争映画の見すぎか
親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた
か弱い僕もきっとその後に続いたんだ


80年代の日本って、戦争もないし、経済はなんのかんの言いながら依然右肩上がりだったし、
まさに「花に囲まれ」た時代だったと思います。
少なくとも僕は、明日の食べ物に困ったこともないし、
目に見えるような社会的抑圧を受けたこともありません。

しかし、では、僕は(「僕ら」と同世代全員を括ってしまうのは抵抗があるので、あくまで「僕」は)、
そうした平和な時代に生まれたことを誇りに思っているかというと、すごく微妙だと言わざるをえません。
そんなことを言うと、上の世代から「平和ボケ」だのなんだのと怒られそうだし、
実際ボケているんだろうと思うのですが、どうしても頭の中から拭えない「モヤモヤ」があるのです。
生まれたことを呪うような積極的否定ではないものの、純粋に肯定もできないという、落ち着かなさ。
多分、小山田壮平も同じような感覚を持っているのではないかと想像します。
なぜなら、上記のフレーズに対し、小山田は驚くほど淡々と突き放したように歌うからです。

なぜ、こんなに「モヤモヤ」するのか。

疑うことばかり覚えたのは戦争映画の見すぎか」という歌詞の通り、
現実の暴力とは無縁に育った僕らが負の感情を学んだのは、
学校や家庭ではなく、マンガやアニメや映画といったフィクションでした。
「トラウマ」というと大げさですが、
例えばジブリの『火垂るの墓』に出てきた包帯ぐるぐる巻きのお母さんの映像とか、
ドラゴンボール』のピッコロ編でクリリンや亀仙人らがバッサバッサ殺されていく場面とか、
そういったフィクションによるイメージが、
リアルの体験以上の強烈さで、未だに脳裏に残像を焼きつけています。

そして、「親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた」という歌詞の通り、
何らかのムーブメントというのは、ことごとく僕が生まれたときには時代の彼方に去ってしまっていて、
ウッドストックもパンクも、学生運動もバブル(←生まれてはいましたが年齢的に直接体験はしていない)も、
僕にとっては本やテレビやCDの中の世界のこと(フィクション)で、
仕方なくそういうものの昔話を見たり聞いたりしながら、熱狂の残滓をすするしかありませんでした。

全てが「疑似的」で「後追い」である。
これがおそらく、80年代以降に生まれたことの宿命なのだと思います。
それを不幸であるとは考えたことはありません。
それに、全ての原因を世代に帰結できるとも思っていません(当然、個人の資質という原因だってあるから)。
ただ、何度も言うように、どうしても「おれ(たち)、これでいいのかな?」という
モヤモヤとした自己不信感が拭えないのです。

強烈なリアルな体験も、熱狂的ムーブメントも持たなかったことで、
80年代以降に生まれた世代というのは、
いわばみんなが自然と一緒に熱を注いだ「共通のアウトプット」がありません。
例えば、放映翌日はクラス全員が話題にするテレビ番組や、
昼休みに誰もが参加する人気のスポーツもありませんでした。
いえ、本当はあったのかもしれないのですが、
そもそも、みんなが自然と一緒に何かをするという基盤を持っていないので、
そうした「みんなの熱狂」があったとしても、
それを「自分の熱狂」に落とし込む以外に知らないのです。

いずれにせよ、共通する熱狂の対象を持たなかったことで、
僕も、そしておそらく多くの同世代たちも、
「熱狂の対象は自分で見つけるもの」ということがマナーとして刷り込まれています。
その結果として、同世代同士というのが徹底的にバラバラです。
奇妙な言い方ですが「バラバラである」ということが、共通の世代観なのかもしれません。

そして、「みんなの熱狂」を何一つ持てなかった僕らが
たった一つだけ共有できるものがあるとすれば、
それは、それぞれが自分のいる家や公園から見上げた赤い太陽と、
5時のサイレンと6時の一番星という、
他愛もない風景」なのかもしれないと思うのです。
小山田壮平は、「みんなで一緒に」帰れる原風景として、
<1984>のあの光景を歌っているように思うのです。

繰り返しますが、僕は80年代に生まれたことを不幸だとは思っていません。
同世代同士の連帯感みたいなものが薄いことをさみしいと感じたことはないし、
(僕自身の資質として、そういうものを求めていないということもあります)
過去のいろいろなムーブメントに対しても、憧れこそすれ、
コンプレックスに感じたことはありません。

ただ、事実として、80年代という時代に生まれたことが、
僕の人生、とりわけ感性に対して少なからぬ影響を与えているとは思います。
一方で、そういうことについて誰かと口頭の会話で共有するのは、
話題が深層心理に関わることであるがゆえ、難しい。

そんなときに、andymoriというバンドは、
音楽を介してなんとなく「ああ、そうだよね」という世代的共感を得ることのできる、
「友達」のような存在として僕の前に現れました。
一方的に僕が妄想を押し付けているだけなのだとしても、
他のバンドとはちょっと違う付き合い方ができる存在だっただけに、
未だに解散したことが残念でなりません。

1984


CITY LIGHTS







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The Smiths 『The World Won’t Listen』

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僕らは「優しさ」で
世界と対峙する


前回に続き今回も80年代の英国を代表するバンド、
ザ・スミスの話です。
※前回はこちら
今回は前回よりもさらに主観的で個人的な思いについて書いてみたいと思います。

昨年の4月に英国の元首相サッチャーが亡くなったとき、
わずか1日後にモリッシーは以下の記事のようなコメントを発表しました。
■モリッシーが寄稿した他界したサッチャー元英首相についてのコメント全文訳(アールオーロック)

なお、上記記事は公開直後に、
実はサッチャーの生前に収録されたモリッシーのインタビューの抜粋だったことが、
彼自身のコメントで明らかにされました。
しかし、その際に添えられた(今度こそリアルタイムの)サッチャーに対するコメントも、
やはり相変わらずの辛辣さに満ちていました。
■モリッシー、新たに故サッチャー元首相へのコメントを発表。その全文訳(アールオーロック)
■モリッシー、再びサッチャー元首相の死をめぐる英国の報道について寄稿(アールオーロック)

※執拗なまでに2回ものコメントを発表しています

英国の伝統産業だった炭鉱の閉鎖や国営企業の民営化など、進歩的な政策を次々と打ち出し、
「強い英国」を再び築き上げたサッチャーはその半面、
社会に弱肉強食を強いた冷徹な政治家でもありました。
サッチャーが振りかざした「強者の論理」の陰で、
排斥されるしかなかった弱者(=若年世代)の一人が、
モリッシーでありジョニー・マーであり、
そして当時のスミスの人気を支えたファンたちでした。

スミスの音楽が過去のルーツから隔絶された「孤立した音楽」であり、
そしてそれらが熱狂的に支持された背景には、
モリッシーやマー、そして彼らのフォロワーたちに共有されていた
「どこにも属さない」「帰るべき場所を持たない(持てない)」という孤独感と、
深く関わりがあるように思います。

自分と世界との間に横たわる深い溝」というのは、
スミス以前にもロックが抱えていた重要なテーマです。
しかし、スミスが特徴的なのは、世界との隔絶を、
パンクのような暴力的な手法や、ニューウェイブのような退廃的な手法ではなく、
美しいメロディと洗練されたビートで表現したところにあります。
僕にはそれが、
「いくら虐げられてもおれたちは(サッチャーのようには)優しさを失わないぜ」という、
健気な心意気に見えるのです。

実は、ちょうど同時期のアメリカに、
スミスと似たようなバンドが登場しています。
R.E.M.です。

当時、レーガノミックスが吹き荒れていたアメリカで、
そのしわ寄せを受け始めていた大学生たちを中心に支持を拡大したR.E.M.もまた、
ロックに怒りではなく「優しさ」を持ち込んだ新しいタイプのバンドでした。
(余談ですが、僕はジョニー・マーのギターを初めて聞いた時、
R.E.M.のピーター・バックに似ていると感じたのを覚えています)
大西洋を挟んで、似たようなメンタリティを感じさせるバンドがほぼ同時期に出現し、
しかもそれが共に多くの支持を集めたというのは、
とても面白い偶然だと思います。

スミスやR.E.M.のように、
怒りの感情をそのまま声高に叫ぶのではなく、
優しさや憂いや悲しさといった感情に形を変えてアウトプットする感性について、
僕はとても世代的なシンパシーを感じます。
「世代的な」というには厳密には僕はずっと後世代なのですが、
しかし、ある音楽を聴いて、
(それが好きか嫌いかという話ではなく)「なんとなくわかる」的な連帯感を覚えるのは、
実はスミスやR.E.M.が僕にとってはちょうど分水嶺になります。

「輝かしい未来が待っている」と信じられるほど楽観的にはなれず、
「社会を自分たちの力で変革しよう」というほど熱狂的にもなれず、
かといって「今さえ楽しければそれで良い」と思えるほど享楽的にもなれない、
そんな、いずれのムーブメントにも乗り遅れた時代に生まれた僕にとって、
優しさをもって世界に対峙する」という感覚は、
すんなりと受け入れられるものがあります。
どんなに強く惹かれても、時代の気分を共有できず永遠に「憧れ」止まりである60年代の音楽とは、
そこに明確な差があるのです。


さて、最後にスミスの具体的な作品について書きたいと思います。
彼らはわずか5年という短い活動期間の中で、
オリジナルアルバム4枚、ライブアルバム1枚と、多くの音源を残しました。
どの楽曲も非常に洗練されていて質が高いだけでなく、
ライブ盤も含めて一つひとつの作品がトータルアルバムとして固有の世界観を持っています。
従って、「これがオススメ」とどれか1枚を捻出するのは難しく、
「全部聴いてみて!」と言わざるをえない、というのが正直なところです。

強いて選ぶとするならば、前回の記事でタイトルに挙げた3枚目のアルバム
Queen Is Dead』が僕は好きです。
彼らのアルバムの中では最もポップで、
なおかつスミス特有の「美しい退廃」が漂っているように感じます。

ただ、いきなりオリジナルアルバムの、それも半端な3枚目から入るのは抵抗があるという場合は、
(ちょっと卑怯ですが)ベスト盤から入るのもいいかもしれません。
スミスのベスト盤はいくつかあるのですが、
The World Won’t Listen』(すげえタイトル!)がいいですね。
シングル全てが網羅されているということもあるんですが、
<Panic>〜<Ask>とつながる冒頭の展開は鳥肌ものです。

Panic


Ask







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The Smiths 『The Queen Is Dead』

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「再結成しないこと」で
物語は続いていく


ストーン・ローゼズが再結成した今、
「最も復活が望まれるバンド」の筆頭に挙げられるのが、彼らでしょう。

ザ・スミス
実質的な活動期間は1983年〜87年とわずか5年間という短さにも関わらず、
ロックシーンに与えたインパクトは絶大で、
特に母国イギリスでは、ノエル・ギャラガーアレックス・ターナー(若いのに!)らが
熱心なリスナーであったことを公言するなど、
後進たちに多大な影響を与えました。

このように伝説的な人気を博したバンドでありながら、
スミスは、半世紀以上にわたるロックの歴史から見れば、
特異な位置にいるバンドです。
より実感に沿って言えば、「ロックの歴史から孤立している」と
言った方がいいかもしれません。
スミスの音楽は、彼ら登場以前のロックの様式や流行、
あるいはその反動といった「文脈」が欠落しているように感じるからです。
ロックンロールもブルースもパンクもニューウェイブも、
ルーツと呼べるものがほとんど嗅ぎとれません。
にもかかわらず、スミスの音楽には紛れもなく「ロック」としての興奮や感動があります。
この不思議な、けれども強烈なオリジナリティは、
30年近くたった今でも未だに新鮮で色あせません。

スミスは、1982年に当時19歳だったジョニー・マー(Gt)が、
近所に住んでいた4歳年上の青年モリッシー(Vo)に、
バンド結成を持ちかけたところから歴史が始まります。
2人は部屋で向かい合い、モリッシーが歌詞の一節を書くと、
それにマーがギターを弾きながらメロディをつけるという、
レノン/マッカートニーのような共作スタイルで曲を作り始めました。

「元祖引きこもり」と呼ばれるほど内向的だった彼の性格を反映してか、
モリッシーの綴る歌詞はジメジメと陰鬱で、
(万引きとストーカーと自殺とマザコンの歌なんて彼以外に誰が書けるでしょう)
スミスの音楽を大きく特徴づけています。

しかし、真に注目すべきは、彼の詞よりもまず、彼の「声」です。
彼の、低くいい声で朗々と歌うというスタイルは、
ロックボーカリストというよりも、
アンディ・ウィリアムスフランク・シナトラのような、
50年代のポップシンガーを彷彿とさせます。
彼の綴る陰鬱な歌詞が、ただの「ケツの青さ」で終わらず
アートにまで昇華されているのは、何より彼のあの声で歌われるからでしょう。

そして、モリッシーの低く響く歌声と好対照を成すのが、
ジョニー・マーの鳴らす、澄み渡ったギターの音色です。
歪みより響きを重視したマーのギターも、
それまでのロック文脈からは大きく外れたものでした。
パワーコードでひたすら押していくのではなく、
アルペジオでボーカル以上にメロディアスな音を奏でるマーによって、
「ギタリスト」というイメージは大きく更新されました。

しかし、モリッシーの歌詞の裏にはそれを支えている彼の声があるように、
ジョニー・マーのプレイスタイルの裏にもまた、
彼の独特なメロディセンスという注目すべき才能があります。
スミスが従来のロックから大きく孤立している大きな理由の一つが、
マーの作る、異様なまでに高低差のあるメロディです。
作為的なまでに抑揚を利かせ、ドラマチックにうねるような歌メロは、
従来のロックやポップスよりも、
オペラやミュージカルに共通点を見いだせるかもしれません。

モリッシーとジョニー・マー。
従来のロック概念からは異なる才能を持った二人が、
一つのバンドを組んだというのは、
奇跡と呼んでいいことだと思います。

けれども、2人の蜜月期間は長くは続かず、
87年にマーがモリッシーの元を離れることを決め、
そのままバンドは解散することになりました。

今では2人の交流は再開されたようですが、
スミスの再結成については、
噂が持ち上がるたびに2人とも頑としてそれを否定しています。
実際、オファーは何度もあり、多額のギャランティが提示されたということですが、
モリッシーは「やらないよ。金じゃないんだ」と一蹴したそうです。

こうした高潔さこそ、まさにスミスの美しい音楽のイメージそのままであり、
2人は「再結成しない」という姿勢を貫くことで、
スミスの音楽を守っているのかなと思います。
ファンとしては、そこにスミスという物語の永続性を感じると同時に、
やっぱり少しだけさみしくもあるという、
ちょっと複雑な気持ちですね。


スミスの曲の中で僕はこれが一番好き。
うねるような歌メロがクセになります。
Big Mouth Strikes Again


これも好きな曲。スミスの音楽的な奥行きの深さが伺える面白い曲でもあります。
Frankly Mr. Shankly







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映画 『Film No Damage』

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まばゆい熱の放射と
雨の日の静けさと


佐野元春の1982〜83年の全国ツアーを記録した映画、
『Film No Damage』がデジタルリマスター化され、期間限定で映画館で公開されています。
初日に見に行ってきました。

佐野元春というと、ひょっとしたら今の10代くらいの子たちには、
・NHK『SONGWRITERS』の司会者の人
・ドラマ『spec』の当麻(戸田恵梨香)のお父さん
・『ガキの使い』の名物企画「500のこと」に登場した天然のおじさん
なんて風にしか思われてないかもしれませんが、
1980年代の佐野元春は、まさにロックスター。
なんてったって、雑誌『Rockin’On Japan』の創刊号(1986年10月)の表紙を飾ったのが、
誰あろう佐野元春でした。

とはいえ、僕自身もリアルタイム世代ではありません。
小学生の時に<約束の橋>で認識したのが初めて。
でも、その後いろんな日本のバンドやアーティストを聴くにつれ、
彼らの多くが「影響を受けたアーティスト」「自分のルーツ」として佐野元春の名前を挙げていたり、
また、彼の音楽が若い頃の自分にいかに影響を与えたかを熱く語る、
40代以上のファンのブログなども何度か目にしたことで、
「いつかは聴かなければいけない人」と思っていました。
今回映画館に足を運んだのは、その熱狂の一端を知りたいと思ったからでした。

『Film No Damage』は90分足らずの短いドキュメンタリーです。
メインはライヴシーンですが、本編はそれだけで構成されているわけではありません。
舞台裏の映像や、彼の新譜のビデオクリップ(CM?)の撮影風景、
佐野本人がジョン・レノンに扮し、有名な「ベッドイン」パフォーマンスを真似ているシーン。
ライヴシーンにおいても、ステージでの演奏を流しながら映像は別の風景を映しているという、
ビデオクリップのような絵画的なシーンも挿入されます。

このように、さまざまなシークエンスがガチャガチャとつなぎ合わされているのですが、
不思議とうるさくなく、むしろ詩的な静けさに包まれています。
ステージは眩しいくらいにエネルギッシュなのに、全体を通して見ると静か。
この、両者の共存というか、ある意味でのアンバランスさは、
僕が思う「佐野元春の音楽」というイメージにピタリとハマります。

その話をする前に、ライヴ本編に触れておくと、ただただ「圧巻」の一言でした。
フェンダーのジャズマスターを手に、細身のスーツを汗に染めながら、
所狭しとステージの上をリズムに合わせて激しく動き回る、27歳の佐野元春。
曲と曲とを細切れにせず、その間を長いインプロでつなぐ高度に練られた構成。
随所でキメてくる、演奏・照明と呼吸を一つにしたアクション(キメポーズ)。
「70年代の日本のロックに対する返歌として、僕は何よりも『パッション』を重視した」と語る佐野元春自身の言葉通り、
そのパフォーマンスは演劇的な刺激と、圧倒的な緊張感に満ちています。
こりゃ確かに人気があるわけだわ!と即座に納得。

また、彼のキャリアを10年以上にわたって支えたバックバンド、
ザ・ハートランドの演奏が素晴らしいです。
佐野元春の特徴である、ピアノやホーンが主体になった都会的で洗練されたサウンドは、
ハートランドのメンバーが彼の元に集まったから成立したものなのでしょう。
佐野本人も、バンドのメンバーも、そしてさらにステージを支える裏方のスタッフたちも、
見たところ皆20代からせいぜい30代中盤くらいと、とても若いチームであることが印象的でした。
観客も含め、ステージ全体が若い人たちだけで作られているということが、
佐野元春が単なるスターという以上に、
当時の時代の空気と呼応した存在だったことの証明であるように思いました。

さて、佐野元春の音楽について「都会的」と書きました。
それは決してサウンドのイメージのことだけでなく、
例えば<SOMEDAY>のイントロのように、車のクラクションや人の足音という具体的な音が入るケースや、
<ガラスのジェネレーション>の「Hello, City Lights」のように、
歌詞の中に都市の光景を映すフレーズが含まれている場合もあり、
彼の(特に初期の)歌には、都市生活者の気配がいつも強く感じられます。

しかし、実際に曲を聴いて感じるのは、都会の喧騒やエネルギーではなく、
そこに暮らす人の愛や葛藤や希望といった内的な世界です。
街のスタイリッシュさや騒がしさが表層にあるからこそ、
その対比で、都市生活者の内面にフォーカスが当たり、
曲全体が雨の日のような静けさをまとうことになります。
このギャップみたいなものが、そのまま映画『Film No Damage』の空気にも当てはまるのです。

この映画で、佐野元春はステージ以外では一言も言葉を発しません。
だからでしょうか。
ステージでは華やかにスポットライトを浴び、激しいパフォーマンスを見せるのに、
そしてまた、さまざまなシーンが組み合わさることで映画自体が一つの「喧騒」に見えるのに、
全体を通して見ると、主人公である佐野元春は寡黙に、孤独に見えてくるのです。
まるで、彼自身が曲の主人公であるかのように。

佐野元春は80年代前半期の自身の音楽について、
「70年代は個人的感情を吐露する私小説的な歌詞が多かった。
 でも僕は、街で起きている彼や彼女の『ストーリー』を歌いたかった」と語っています。
自分自身の感情は一度脇に置いて、どこかにいるはずの誰かの物語を語る、という発想はとても面白いですね。
その言葉を踏まえてみると、
この映画に映る「佐野元春」という人物も、実は曲で歌われている「彼」や「彼女」の一人という、
ある種のフィクショナルな存在であるとも言えます。
そういう、ちょっとイタズラ的で、つかみどころのない存在感は、
実は佐野元春以前も以降も、彼1人にしかなし得ていないものかもしれません。
やっぱり、ものすごく洗練されています。

映画は9/20まで公開されています。
おすすめです。

作品情報

<予告編>





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過去と未来の交差点

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THE STONE ROSES
『THE STONE ROSES』


 最近、毎朝のように電車の中で聞いているのがこの、ストーン・ローゼズのファースト。1989年のアルバムです。

 ストーン・ローゼズはイギリスのバンドです。もう解散してしまっています。日本ではどの程度知られているのでしょうか。ロックファンなら間違いなく知っていますが、一般的にはあまりメジャーではないのかもしれません。しかし、イギリスのロック史を語る上で決して外せない、「伝説」と呼ぶに相応しいバンドです。彼らがいなければ、90年代のブリットポップブームはもっと違った形になっていたでしょう。オアシスやヴァーブといったブームの立役者たちの中には、間違いなくローゼズの遺伝子が息づいています。

 彼らはたった2枚しかオリジナルアルバムを残していません。しかも、ファーストとセカンドではガラッと違うので、「これがストーン・ローゼズの音楽」と正確に語ることは困難です。もっとも、彼らのパブリックイメージの9割5分はこのファーストの音でしょう。すなわち、エコーがかったトリッピーなギターと、ロックには珍しいジャングリーなドラム。その上に乗っかった、美しいメロディとハーモニー。セカンドは一転して、重い、大作感に満ちた音に変わるのですが、少なくともこのファーストは、シンプルかつオーセンティックなアルバムだと思います。

 ローゼズは決して“目新しい”バンドではありません(20年前のバンドに対しこう言うのも変ですが)。彼らの音楽からは、ビートルズやジャム、スミスといったかつてのブリティッシュロックの匂いを嗅ぎ取ることができます。しかし同時に、決して古いとも感じない。オアシスや初期レディオヘッド、さらにはカサビアンあたりにまでもつながっていくその後の道筋が、耳の中で描けるからです。彼らの音楽には、イギリスのロックの過去と未来が両方詰まっています。ローゼズはよく、それ以前と以降のロックを分ける分水嶺という言われ方をしますが、僕はむしろ、過去と未来をつなぐ「交差点」のようなバンドだと思います。

 関東は昨年より17日も早く梅雨入りして、ここ数日はやけに肌寒い日が続いています。こういうどんよりした空気の日には、威勢のいい曲で無理にテンションを上げようとするよりも、ローゼズのような、ふんわりと気だるい曲を聞く方が合ってるような気がします。うん。 


代表曲の一つ。<Waterfall>


ボーカルのイアン・ブラウンは、最近ではソロでもローゼズの曲を歌うようです。代表曲<I Wanna Be Adored>。観客の合唱がすさまじいですね。まさに「アンセム」。それにしても、かつては理系学部の学生みたいだったイアンの変貌ぶりがすごい!

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Cyndi Lauper 『She’s So Unusual』

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「可愛い」という一言に尽きる

前回、2010年に出たアルバムのベストワンとしてヌードルスの『Explorer』を紹介したけど、
括りを洋楽に限定するのであれば、ヴァンパイア・ウィークエンド『CONTRA』と、
アーケード・ファイアの『The Suberbs』が真っ先に挙がる。

ヴァンパイア・ウィークエンドは去年のちょうど今頃リリースされたんだけど、いやあ、聴き倒しました。
リピート回数なら間違いなく去年のNo.1。
昨年10月の劇団公演『バースデー』でもいくつか流しました。

アーケード・ファイアの方は3年ぶりの新作だったけど、今までで一番好みの作品だった。
何度もリピートする、というよりは、じっくり時間をかけて聴くアルバムでした。
でもこの『The Suberbs』、紙ジャケットでディスクもむき出しのまま入ってるから
出し入れにいちいち緊張するんだよなあ。

2011年も早くも楽しみな新作のリリースラッシュ。
まず1/26にピロウズの新作『HORN AGAIN』が出る。
コンスタントにアルバムをリリースする彼らが1年以上間を空けての新作なので純粋に楽しみ。

2/22にはリアム・ギャラガー率いる新バンド、ビーディ・アイのデビューアルバムがリリース予定。
ロック界の今年最初の目玉でしょう。
YouTubeでPVを何度も見たり、リアムのインタビュー記事を読んだり、個人的にもかなり盛り上がっている。
先行シングルがとてもかっこよかったのでアルバムも楽しみだ。
同じ日には桑田佳祐の復帰後初音源となるソロアルバム『MUSICMAN』も出るのでこちらもチェックしたい。

そして3/9にはR.E.M.の新作が出る!
『COLLAPSE INTO NOW』という、相変わらず意味深で不穏な空気を漂わすタイトル。
しばらくスパンが空いて、「そろそろ聴きたい」と思ってた頃だったので、うまく期待を煽られています。

しかし何といっても今年前半もっとも楽しみなのはストロークスの4枚目
5年ぶりの新作である。
リリースは「3月予定」とだけ発表されているので、まだどうなるかわからないけど、
何せ“あの”ストロークスなのだから否が応にも期待が高まる。

・・・そんななか、2/9にひっそりとリリースされるのがシンディ・ローパーの新作『Memphis Blues』
ブルースのクラシックナンバーのカバーアルバム、とのこと。
タイトルの通りブルースの聖地メンフィスでレコーディングされ、
B.B.キングをはじめ超大御所ゲストが多数参加しているそう。
シンディ・ローパーとブルースという組み合わせは意外なようだが、
彼女は以前からブルースを歌いたかったらしく、今回その念願が叶った形だ。

ベテランの作る趣味盤」というとまるで揶揄しているようだが、
こういうコンセプトのアルバムってけっこう僕は好きだ。
最近では、去年フィル・コリンズが出したモータウンのカバーアルバム『Going Back』がとても良かった。
趣味だからこそ歌は練りこまれているし、何より好きなアーティストのルーツを辿るのはそれだけで嬉しい。
ビーディ・アイやストロークスに比べたら、きっと話題には上らないんだろうけど、
僕はこの『Memphis Blues』、リリースされたら一度聴いてみようと思ってる。

シンディ・ローパーを最初に聴いたのは、確か映画『グーニーズ』だったと思う。
当時小学生だったんだけど、主題歌の<The Goonies’R’Good Enough>がえらくかっこよかったのだ。
本格的に聴き始めたのはもっとずっと後になってからだし、
その頃は既にシンディのキャリアの最盛期は過ぎていたんだけど、
懐メロとしてではなく、ちゃんとマジで聴き込んだ。

一般的にはセカンドの『True Colors』が彼女の代表作と認識されているようだけど、
僕はデビューアルバムの『She’s So Unusual』の方が好き。
シンディの代名詞ともいうべき曲<Girls Just Wanna Have Fun>をはじめ、
<All Through The Night><She Bop>、そして名曲<Time After Time>など、
とにかく収録曲がどれも素晴らしい。
プリンスのカバー<When You Were Mine>なんかも収録されていて、
マルチ方向に広がる彼女の魅力がすでにこの1枚目の時点で余すところなく詰まっている感じがする。

そして、このアルバムは何といってもシンディの可愛さが爆発している。
彼女の持つ可愛さは、異性に訴えかける武器としての可愛さとは違い、
彼女のキャラクターが持つ天然のチャーミングさである。
だからこそ、おばさんになった今でもその可愛さは少しも失われていない。

80年代にシンディと人気を二分した女性アーティスト、マドンナとの違いはそのあたりにある。
マドンナはその後、「美の冷凍保存」とも言うべきストイックな道へ進み、
50歳を超えた今もなおトップに君臨しているが、僕はシンディの方が好きだなあ。
マドンナはすごいと思うけど、なんか怖いんだもん。

現在57歳のシンディ・ローパー、3月には来日するそうです。








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RCサクセション 『GOLDEN BEST 〜UNIVERSAL EDITION〜』

RC best





ぼくもロックで
大人になったんだ


一昨日(28日)の深夜にNHKで忌野清志郎の特集番組をやっていたんだけど、
見た人いますか?
そろそろ寝ようかなという時間で、見たのも途中からだったんだけど、
結局夜中の2時半までテレビにかじりついてしまいました。

タイトルは『ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵画~』。
忌野清志郎の生涯を、音楽、そして彼が描いてきた絵画と絡めて振り返るドキュメンタリー番組である。
彼は元々絵を描くのが好きで、高校時代は美術部に所属していたほど。
その時の顧問が「僕の好きな先生」のモデルになった小林先生である。
ミュージシャンとしてデビューしてからも折に触れて描き続け、膨大な枚数の絵を残した。
絵は音楽と同じくらい、清志郎の人生にとって重要なファクターだったようである。

デビュー前の、まだ将来を模索していた頃に書かれた自画像。
RCサクセションの絶頂期に殴り描いたマンガ。
2人の子供を描いた絵。
闘病中の自画像・・・。
どの絵にもその当時の心情や葛藤が透けているようで、
人間・忌野清志郎の横顔を垣間見たような気がした。

絵をあまり積極的には描かなかった時代もあるようだ。
デビューして数年後、バンドの人気が低迷し仕事がない、清志郎20代前半の頃。
絵を描くかわりに、彼は当時こまめに日記をつけていた。
どん底時代であるから、当然内容は明るいものであるはずがない。
先の見えない不安や理解を得られないことへの苛立ち、それでも夢を信じ抜こうとする強い意志。
様々な感情がノートを混沌と埋めていた。

当時の清志郎にとって大きな心の拠り所だったのが、フィンセント・ファン・ゴッホだった。
曰く、「ゴッホは永遠のロックスター」。
ゴッホはその生涯でたった一枚しか絵が売れなかった。
あの激しいタッチと色使いには、不遇な状況に対する怨嗟の声のようにも見える。
不屈の画家ゴッホには、確かにロックに通じるものがあるかもしれない。

ゴッホの絵。
清志郎の絵。
それらの絵画を眺めながら、僕はロックのことを考えていた。
清志郎の日記を読んでロックを考え、清志郎のインタビュー映像を見ながら、僕はロックを考えていた。
「ロックってやっぱいいなあ」と考えていた。
そんなこと、もう100億回くらい考えてるんだけど、性懲りもなくまた泣けてきた。

ロックは僕を支えてくれる。不完全だからこそ支えてくれる。
ロックは愛を歌う。でもその裏には傷ついた心がある。
孤独を怖れるなと叫ぶ一方で、寂しさに軋む心がある。
高貴な精神を持つ一方で、足元には俗物根性が転がっている。
優しさがあり、同時に暴力がある。
ロックは矛盾だらけで、あちこちひび割れている。
でも、だからこそ僕はそこから勇気を得ることができる。
気持ちを癒し、鼓舞することができる。
清志郎もきっとそうだったんじゃないかなあ、なんて思う。

2010年は僕にとって20代最後の年だったんだけど、
ロックを聴く量は明らかに昔よりも増えている。
大人になったらクラシックやジャズに移るのかと思ってたけど、少なくとも僕は違ったみたいだ。
もうすぐ30歳というのに、ロックを欲してやまない気持ちは、まだ当分消えそうもない。





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Yellow Magic Orchestra 『PUBLIC PRESSURE』

public





YMOの“裏の顔”が体感できる
傑作ライヴアルバム


YMO1980年の作品。
前年に行われた第1回ワールド・ツアーの演奏を収録した、彼らにとって初のライヴアルバム。
YMOは最初に海外で人気に火がつき、その後逆輸入される形で日本で認知された。
そのきっかけとなったのが、この第1回ワールドツアーである。
『PUBLIC PRESSURE』にはその内、ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルスの3ヶ所でのテイクが収録された。

YMOはシンセサイザーやコンピュータを駆使した音作りで、
国内に「テクノ」という言葉を普及させた立役者となった。
「ピコピコ」「キュンキュン」といったゲームのような音や、何重にもエフェクトのかかったコーラスなど、
彼らは“生っぽさ”を排除することで、
「仮面性」「虚構性」とも言うべき一段洗練された音楽のおもしろさを提供した。

彼らは自らの表現衝動を拠り所として音楽を作るグループというよりも、
最初にコンセプト、あるいは世界観があり、メンバー3人はそれを構築するために集められた、
いわば建築機械のような存在だ。
人ではなくコンセプトが主導するという点において彼らは従来にはなかったタイプのグループなのである。

だがこのように知的でユーモラスなグループYMOが、
ライヴでは一転、興奮と刺激に満ちた肉体的な演奏を見せることは驚きであり、
このちぐはぐさがより一層彼らのつかみどころのなさを助長させ、そこがまたおもしろい。
この『PUBLIC PRESSURE』の最大の聴きどころは、
そんなYMOの裏の顔とも言うべき“ロックバンド”としての彼らが体感できるところである。

メンバーの演奏はスタジオ音源よりも伸びやかであり、熱さを感じさせる。
オーディエンスのクリアな歓声や手拍子などと相まって、30年近くの時間の隔たりを感じさせない。
今まさに目の前で演奏されているかのような濃い臨場感が詰まっている。

特に高橋幸宏のドラムが素晴らしい。
元々サディスティック・ミカ・バンドでドラムを叩いていた高橋だが、
一打一打の鮮やかさ、重さという点ではむしろYMOでのドラミングの方がロックを感じさせる。
彼のドラムが頑丈な背骨となって緊張感を漲らせ、
同時に強力なエンジンの役目を果たすことで疾走感を失わせない。
そして細野晴臣のベースがそれにねっとりと絡みつき、
全体としてかなりファンキーなノリを生んでいるところが意外な発見である。

収録されたのはトータル9曲とボリュームはやや少なめだが、
<RYDEEN>や<SOLID STATE SURVIVOR>、<TONG POO>、
<LA FEMME CHINOISE>などの代表曲が押さえられていて、初期YMOのベスト盤としても楽しめる。

アルバムのハイライトは4曲目<THE END OF ASIA>。
元は坂本龍一のソロデビューアルバム『千のナイフ』に収録されている曲だが、
これを大幅にバンドアレンジに変えて演奏している。
クールでヘヴィなドラムの上に、
シンセサイザーが不穏なメロディを何重にも重ねながら進行する1コーラス目は本当に素晴らしい。
この曲は日本の小劇場演劇における伝説的作品、第三舞台『朝日のような夕日をつれて』のテーマ曲でもある。

2000年代に入って以降、
「HASYMO」などに名義を変えたりしながら何度か単発的に再結成をしているYMOだが、
最近の3人の音楽性を反映してか、
かつての曲をアンビエント・ミュージック風にアレンジを変えて演奏する傾向があるため、
ファンとしてはどこか寂しいと言うか、不完全燃焼感がある。
3人とももういい年齢なので、再びこのアルバムのような演奏をするのはキツイのかもしれないが、
やはり多くのファンはオリジナルのアレンジで、
なおかつこのアルバムのような熱っぽい演奏を期待しているはずだ。











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