週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】90年代

平成が終わる前に「ZARD」を語る〜第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る〜

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短3度転調のドラマ性と
マイナーコードの胸の痛み


 先週から書き始めたZARDの話。

#第1回:ビーイングという名の「工場」

 第1回は、所属レーベルであるビーイングについて書きました。第2回はいよいよZARDの曲の話に踏み込んでいきます。

 前回軽く触れたとおり、ZARDがブレイクするきっかけとなったのは4枚目のシングル<眠れない夜を抱いて>(1992年)でした。オリコンランキングで過去最高位となる8位にランクインし、初のテレビ出演も果たします。

 しかし、具体的に<眠れない夜を抱いて>のどこがそんなにも支持されたのでしょうか。実はこの曲は、後にZARDの人気を不動のものとした、ある「必勝パターン」の原型が隠されています。それをひも解くために、まず下の一覧を見てください。

<不思議ね>(‘91)★
<眠れない夜を抱いて>(‘92)★
<あの微笑みを忘れないで>(〃)
<負けないで>(‘93)★
<雨に濡れて>(〃)
<サヨナラは今もこの胸に居ます>(‘95)
<マイフレンド>(‘96)★
<心を開いて>(〃)★
<DAN DAN 心魅かれてく>(〃)★

 これは、ZARDの全盛期であるデビューから7枚目のアルバム『Today Is Another Day』期までの楽曲のうち(なぜこの時期までを「全盛期」と呼ぶのかという話は次回)、ある共通点をもつものを時系列に並べた一覧です。

 その共通点とはズバリ「カノン進行」。

 上記に挙げた9曲のうち、シングルカットされたのは6曲にのぼります。<心を開いて>が18枚目のシングルなので、実に3割以上のシングルがカノン進行をベースにした楽曲だったことになります。ZARD最大のヒットとなった<負けないで>が含まれていることから見ても、カノン進行はZARDが人気を獲得する大きな起爆剤の一つであり、「顔」だったともいえます

 そして、その多くを手掛けた作曲家が織田哲郎でした。上記の一覧で「★」マークがついているのが、織田哲郎が作った楽曲です。なんと9曲中6曲。しかも、セルフカバーの<DAN DAN〜>も元はFIELD OF VIEWのシングルであることを考えれば、全てがシングルカットされた曲ということになります。織田哲郎はまさに、ZARDの人気を中心になって支えたクリエイターでした。

 んで、話は<眠れない夜を抱いて>に戻ります。先ほどこの曲を「ZARDの必勝パターンの原型」と書きましたが、前掲の一覧を見てもらうとわかるとおり、カノン進行としては<不思議ね>の方が先です。しかし、2つのポイントにおいて、<眠れない〜>の方がZARDの歴史により重要な役割を果たしました。

 一つは転調。この曲はAメロからカノン進行に入り、サビで再びカノン進行を繰り返すという、かなり純度の高いカノン進行楽曲になっていますが、単調に聴こえないのは途中で入るBメジャー→Dメジャーという短3度の転調が利いているからです

 絶妙なのは転調する位置。Bメロで短3度上がってサビで戻るというパターンはポップスでは比較的多い手法ですが、この曲の場合はAメロの途中で転調するのです。これは歌詞と連動しています。まず「ざわめく都会(まち)の景色が止まる あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影」という冒頭部分がBメジャー。ここは言ってみればプロローグで、歌詞は情景描写に徹しており、これからどんなドラマが起きるのかはまだ分かりません。

 転調するのはこの後。Aメロはまだ続いていて、この後もう一度同じメロディを繰り返すのですが、キーはBからDに変わります。歌詞はこう続きます。「もしもあの時出逢わなければ 傷つけ合うことを知らなかった」。我々はここで初めてこの曲が別れの歌だと気付くわけですが、このタイミングで転調することで客観から主観へと曲調の面においても視点が劇的に変わり、一気に気持ちを奪われるのです

 やや専門的な話になりますが、肝なのは「短3度の転調」という点です。よくある半音もしくは全音上がる盛り上げ系の転調とは異なり、短3度の転調は平行調の同主調への転調なので、スムーズに変化しつつも視点や風景を変える効果があります(有名なところだとビートルズの<Here, There, And Everywhere>)。この「Aメロ途中での短3度転調」によって生み出されたドラマ性は、同じカノン進行の先行曲<不思議ね>よりも一段深い奥行きを与えています。

 もう一つのポイントは、要所で挟まれるマイナーコードです。ここまで<眠れない夜を抱いて>をカノン進行と言ってきましたが、正確には「カノン進行をベースにした」というべきであり、実は細かいところでいわゆるカノン進行とは異なる和音が混じります。この「異なる和音」がミソなのです。

 例えば、先ほども紹介したAメロ冒頭のフレーズ「ざわめく都会(まち)の景色が止まる あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影」を見てみます。

「ざわめく」から「止まる」までの前半のコードは、B→F#→G#m→D#mで、ここまでは普通のカノン進行。問題は後半です。いわゆるカノン進行であればE→B→E→F#なのですが、実際にはE→Bと来た後にG#m→C#mと2つのマイナーコードを挟んでからF#に行きます

 これと似たパターンはサビのカノン進行部分にも登場します。「眠れない夜を抱いて 不思議な世界へと行く」の後半部分。ここでもE→Bと来てEではなくC#mを挟んでからF#にいきます

 共通するのは、どちらもメジャーコードを使うべきところをマイナーコードに切り替えていること。マイナーコードを挟むことで、明るい光沢を放っていたそれまでの世界に一瞬だけ陰影が生まれます。まるで、忘れたと思ってもふとした瞬間に別れの痛みが蘇って胸を刺すかのように。これらの「カノン進行にはないマイナーコード」は、使われているのは一瞬なものの、この曲のテーマを考えると、実は極めて重要な存在なのです。

 このように<眠れない夜を抱いて>にはさまざまな演出や仕掛けが施されており、そのために単なるカノン進行とは一枚も二枚も違う新鮮さがあります。使い古されたはずのカノン進行で、繰り返しヒット曲を放った織田哲郎の「カノン進行職人」たる所以がこの曲に詰まっているのです。さらに言えば、この曲に関しては明石昌夫・池田大介両巨頭によるアレンジも素晴らしく(特にイントロのマリンバのようなあの音)、あらゆる面で後のヒット曲の原型を見ることができます。

 ちなみに、最後にマイナーコードの話に触れましたが、ZARDというと一般的には「さわやか」「透明感」「キラキラしてる」といった、コードでいうとメジャーのイメージが強いと思います。しかし、ZARDのリリース履歴を見てみると、<もう少しあと少し>、<この愛に泳ぎ疲れても>、<Just Believe In Love>など、意外とマイナー調の曲も頻繁にシングルを切っていることがわかります

 考えてみれば当たり前の話で、ずっと同じような調子の楽曲ばかりでは早々に飽きられてしまいます。ZARDが長らく人気を誇ったのは、カノン進行をはじめとするメジャーコード楽曲の裏でマイナー調の楽曲がうまくコントラストをつけていたからでした。<負けないで>があそこまでの爆発的ヒットを記録したのも、<眠れない夜を抱いて>からの連続リリースではなく、その間に<In My Arms Tonight>というワンクッションを挟んだからこそだったのです。そういう意味では、ZARDのイメージを支えていたのは、むしろマイナーコードの楽曲の方だったともいえます。

 そして、ZARDのマイナー調の楽曲を一手に手掛けていたのが、織田哲郎と並ぶもう一人のメインコンポーザー、栗林誠一郎でした。次回は栗林誠一郎に触れつつ、アルバムアーティストとしてのZARDについて書いてみます(マジでいつ終わるんだろう)。








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平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜第1回:ビーイングという名の「工場」〜

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元をただせば
実は「メタル」だった


 新年1回目は「ZARD」です。そう、あの<負けないで>で有名な、坂井和泉のZARDです。今週から何回かにわたってZARDについて書きたいと思います。これまで散々インディーロックについて書いてきた後でなぜZARD?と訝しむ方もいそうですが、理由は追々説明していきます。

 第1回はZARDの所属レーベル「ビーイング」を切り口に語ってみます。

 僕は1981年生まれなので、10代というもっとも音楽を聴く時期とZARDの全盛期とがちょうど重なっている世代なのですが、こないだたまたま同い年の人と当時の音楽の話をしたところ、その人はビーイングという名前を知りませんでした。

 レーベルの名前こそ一般的じゃないのかもしれませんが、手掛けたアーティストは錚々たる面子です。ZARDをはじめT-BOLAN、大黒摩季、WANDS、FIELD OF VIEWなど、90年代前半のJ-POPを代表する名前ばかり。所属アーティストのCD売上枚数を合計したら、軽く3,000万枚は超えるはずです。まさに一時代を築いたレーベルでした。

 ヒット曲の量産を可能にしたのは、ビーイングの特殊な音楽生産システムでした。それはどういったものかというと、オーディションで別々に集めたボーカルやミュージシャンでその場でバンドを組ませ、お抱えの作曲家とアレンジャーに曲を書かせ、ビジュアルからメディア露出までレーベルが主導し管理するという、徹底的なトップダウンの手法でした。ひとつのアーティストを、あちこちから部品を集めて組み立てて、いわば工業製品のように売り出すわけです。ちなみに、日本最大のヒットグループの一つであるB’zは、ビーイングのこの手法で生まれたユニットがそもそものはじまりでした。

 仲間とのサクセスストーリーも情緒もへったくれもないわけで、保守的な音楽ファンは鼻白みそうですが、ある意味では究極に音楽主義的ともいえます。なかでも、明石昌夫池田大介、春畑道哉、川島だりあいった作曲家・アレンジャーたちの仕事は素晴らしかった。単にメロディがキャッチーでアレンジにフックがあってというだけではなく、アーティストをまたいで「ビーイングの音」として認知されるような共通のサウンドを、彼ら腕利きの職人集団が作り上げていました

 ところで、話はそれるのですが、アメリカだとこういう風に一つのレーベルがお抱えのクリエイターやミュージシャンを駆使してブランド感のあるサウンドを作り上げ、所属する大勢のアーティストを通じて世の中に供給するっていうスタイルはわりとよく見ます。フィレス・レコードなんていうのはまさにそうですよね。モータウンもそう。

 ところが日本だとそういう例は見当たりません。90年代半ばに小室哲哉が出てきますが、彼の場合はほとんど一人でコントロールしているので、集団でサウンドをマネージしていたフィレスやモータウンとは違います。そういう意味で中田ヤスタカもちょっと違いますね。

 ベビメタは複数のクリエイターをチーム制で回していますが、複数のアーティストに曲を提供しているわけじゃないので、これも該当しない。なので、フィレスやモータウンスタイルの、日本における唯一にして最大の成功例がビーイングなんじゃないかと僕は思うんですね。

 話を戻します。

 では、その「ビーイングの音」というのは具体的にどういったものか。ひと言でいえば「ハードロック」です。それも、80年代のLAメタルを継承した、歪み系よりも空間系を強調されたエレキギターを中心に据えたサウンドです。これはマーケティングによるものというよりも、プロデューサーでありレーベルトップの長戸大幸をはじめ上記の腕利きクリエイターたちの多くがロック畑出身で、且つ80年代から活動していたからということの自然ななりゆきのような気がするんですけど、どうでしょう。

 んで、ZARDも例外じゃないんですね。ZARDとメタルってイメージは結びつきづらいと思うんですけど、実は初期の頃の曲ってよくよく聴くとエレキギターがめちゃくちゃ強い。イントロなどでフレーズを奏でるのは大体ソリッドなギターの音だし、メタル色が顕著です。

 デビュー当初のZARDが「バンド」だったということはよく知られていますが、当時の曲を改めて聴いてみると、最初はビーイングももっとゴリゴリのロックバンドとして彼女たちを売り出したかったんだろうなあと感じます。2ndアルバムの『もう探さない』なんて、後年のさわやかなイメージが想像つかないほど暗くて重い。ジャケットもアルバムタイトルもえらいダークですよね。




 ただ、残念ながらこのハードな路線のZARDは売れませんでした。多分、この路線をそのまま突き進んだら、今我々の知るZARDはなかったでしょう。そのような状況を打破したのが92年8月に出た4枚目のシングル<眠れない夜を抱いて>でした。ZARDはこの曲でオリコンランキングのトップ10内に入り、ブレイクのきっかけをつかみます。

 ではこの曲の何が良かったのか。ここには、後にZARDとヒット曲を量産し、90年代を代表する大作曲家となる織田哲郎の素晴らしい職人芸が発揮されているのですが、長くなってきたのでこの話は次回。ちなみにこのあと、織田哲郎の話、アルバムアーティストとしてのZARDの話、そして「90年代」という話にまでいこうと思ってるんですが、おお、一体何回書けば終わるんだろう。






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Low『Christmas』

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華やかなだけが
クリスマスじゃない


 The Beatmasや昨年のSIAなど、これまでこのブログでは何枚かクリスマスアルバムを紹介してきました。徐々に量がたまってきたので、新しくクリスマスのカテゴリを追加しました。

 我が家のクリスマスアルバムコレクションには今年も続々と新しいカタログが増えています。今年出会ったなかで、もっともインパクトが大きかったのがこれ。米ダルース出身の3ピースバンド、Lowが1999年にリリースした『Chrismas』という8曲入りのミニアルバム。我が家のコレクションのなかでも特にユニークなクリスマスアルバムです。

 どこがそんなにユニークなのか。ポイントは二つあります。

 一つは、本作が「USオルタナ風アレンジのクリスマスアルバム」であること。ローファイでかさかさに乾いていて、重たい頭痛のような陰鬱さが漂うこのアルバムのサウンドは、今や懐かしくなってしまった90年代USオルタナのイメージとぴたりと重なります。

 ジャズ風だったりブルース風だったり、クリスマスソングをちょっと変わったアレンジに仕立てた作品はたくさんありますが、「USオルタナ風」なアルバムはなかなか見かけません。白眉は3曲目に収録された、鳴りっぱなしのノイズのなかで歌われる<Little Drummer Boy>。同曲の数あるカバーのなかでも屈指の名アレンジだと思います。

 ちなみに、Lowというバンド自体は、いわゆるUSオルタナとは距離をとったグループだと理解しています。Lowはもっとドラスティックというか、曲のテンポを極端に遅くしたり、メロディから抑揚を抜いたりと、かなりハードコアなバンドです。そんな彼らが珍しくポップネスに歩み寄った作品という意味でも、このアルバムは貴重です。



 もう一つのポイントは、個人的で主観的な話になります。一見レアで、文字通り亜流(オルタナ)な代物に見えるこのアルバム。ですが僕は、このアルバムこそ実は本来のクリスマスソングのフィーリングに近いのではないかと感じるのです。

 僕のクリスマス観は、子供の頃に過ごした米ボストンでの体験が基になっています。

 東京でも12月になると、表参道や六本木、新宿あたりでクリスマスのイルミネーションが飾り付けられます。これらの日本のクリスマスとボストンのクリスマスは、まるで違います。一番の違いは、ボストンのクリスマスの方がずっと地味であること。確かに街のいたるところにツリーや電飾が飾り付けられますが、光の量は控えめで、日本のような目が痛いほどのギラギラした感じはまったくありません。

 ボストンのクリスマスは、もっとずっと静かでアットホームです。イブの夜、街のメインストリートへ行ってみると、そこには住民全員が集まったのではないかと思うほど大勢の人たちが集まって、聖歌隊の歌やバンドの生演奏を聴きながらお祝いをしていました。僕も家族や同級生たちとその輪に入って音楽を聴いたり、サンタクロースからお菓子をもらったりしました。もう30年も前のことですが、僕は今でも昨日のことのようにそのときの光景を思い出せます。

 ボストンのクリスマスには、華やかさだけでなく、宗教イベントとしての厳粛さのようなものがあった気がします。飾り付けや人々の服装にいたるまで、はしゃぎつつも節度があり、クリスマスツリーや電飾で飾り付けられた郊外の家の庭にさえも、「お祝いをする」という宗教的な裏付けがありました。

 だから、クリスマスソングというと華やかで心が浮き立つようなアレンジのものだけをイメージしがちですが、実はそれははあくまでクリスマスというイベントの一面でしかなく、孤独の寒々しさを思わせる曲や、ある種の陰鬱さを感じさせる曲もまた、クリスマスには欠かせないと僕は思っているのです。

 前述の<Little Drummer Boy>にしても、ストイックな巡礼者のように重たい<Long Way Around the Sea>にしても、孤島の崖に立つ教会のような<If You Were Born Today>にしても、「いわゆるクリスマスソング」ではないかもしれません。でも僕は、このアルバムが単に風変わりなだけのアイテムだとは思いません。むしろ、「いわゆるクリスマスソング」よりもこの作品のほうが、30年前のボストンのクリスマスの記憶を鮮やかに蘇らせるのです。








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サザンオールスターズ『愛の言霊〜Spiritual Message〜』

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「意味はないけどノリはある」
それでいいじゃないか


 今の若い子たちにとっては、サザンというとやはり<TSUNAMI>のイメージなんでしょうか。

 僕はあの曲がバカ売れしたとき、苦々しい気持ちになりました。確かに<TSUNAMI>は”いい曲”だけど、この曲によってサザンそのものが「”いい曲”を歌うバンド」とだけ印象付けられたらもったいない。サザンと桑田佳祐はもっと奥深いし面白いのに、と思ったのです。

 前回、<涙のキッス>よりも<シュラバ★ラ★バンバ>に惹かれた理由として、意味で理解する音楽よりも、フィジカルで理解する音楽の方がグッとくるから、と書きました。実はこのことをさらに確信させるきっかけになった曲がありました。それが1996年のシングル<愛の言霊〜Spiritual Message〜>です。

 有名な曲なので今更ですが、この曲のサビ部分の歌詞を以下に抜粋します。
生まれく抒情詩(セリフ)とは
蒼き地球(ほし)の挿話
夏の旋律(しらべ)とは
愛の言霊(ことだま)

 小学生の頃はサザンの話ができる同級生はいなかったけど、中学に上がるとT君というサザン好きな友達ができました。そのT君が、<愛の言霊>がリリースされた直後、歌詞についてこんなことを言っていました。「サビの歌詞のお尻が『とわ』『そわ(挿話)』『とわ』って音になってるでしょ。これはフランス語の詩でよく使われる韻の踏み方なんだよ」と。

 T君の話を聞いて僕は「うおお、やっぱ桑田佳祐はすげえなあ!」と興奮したのですが、同時にこうも思いました。「なぜフランス語なの?」と。だって、<愛の言霊>はフランス的なテーマをもつ歌ではありません。むしろ東南アジアとかそっちのほうの雰囲気です。

 でも、この韻が利いているのは間違いありません。「とわ」「そわ」「とわ」という音のハネは、夕闇に炎がポッと上がるようで、「言霊」というスピリチュアルな言葉のもつムードを具現化しています。

 逆に、例えばサビの歌詞を「夏を楽しむ恋人たちが交わす愛の言葉は、この地球が誕生してから絶えず繰り返されてきた一種の叙事詩のようなものだろう」と書き換えたらどうなるか。確かに意味は通るかもしれないけど、はっきり言って陳腐です。この曲のムードはまるで生まれません。この歌はあくまで「生まれく抒情詩とは蒼き地球の挿話」という言葉のつなぎ方で、「とわ」「そわ」とセットで歌われなければいけないのです。そういう意味では、このフランス語の韻こそが曲の顔だともいえます

 結局僕の出した結論は「どーでもいい」でした。なぜフランスなのかという問いに答えはなく、この曲の前ではそんな問いなど実につまらないことのように思えました。「意味はないけどノリはある」、結局それで何の問題もないじゃないかと。

 前回、僕はサザンを聴いて初めて音楽を意味ではなくフィジカルで理解することを知った、と書きました。ここでいう「意味」とは、歌詞を文章として理解し、そこに明確なストーリーやテーマを見出せるということです。ところが桑田佳祐が示したのは、意味よりも音(=フィジカル)を優先するという手法で、結果として意味で伝えるよりもはるかに豊かなイメージを聴き手に想起させられるという事実でした。

 このような趣旨の話は、さまざまな場所で「桑田論」として語り尽くされていることではあります。1978年当時、日本の音楽ファンが<勝手にシンドバッド>で味わった衝撃は、まさに上記のような衝撃だったのだろうと想像します。僕の場合は<シュラバ★ラ★バンバ>と<愛の言霊>でそれを追体験したということでしょう。

 しかし、今振り返ってみてもっとも驚くのは、当時受けた衝撃そのものよりも、サザンという名のインパクトが、デビューから15年以上経っていた当時も10代半ばの田舎の少年にさえ有効だったという、その持続性と絶倫ぶりです。<TSUNAMI>も<涙のキッス>も<いとしのエリー>もいいけれど、サザンというグループさの普遍的な魅力をより表しているのは、一般には刹那的と(平たく言えば「名曲度が低い」と)思われている<勝手にシンドバッド>や<シュラバ★ラ★バンバ>、<愛の言霊>といった曲の方だと僕は改めて確信するのです。




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サザンオールスターズ『シュラバ★ラ★バンバ』

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音楽は「カラダ」で聴け!と
サザンが教えてくれた


 今年はサザンオールスターズの結成40周年でした。

 僕が人生で初めて自分のお金で買ったCDはサザンです。小学校6年生のときに買った、シングルの<シュラバ★ラ★バンバ>でした。

 まだ短冊形の8cmシングルの時代で、確か930円だった気がする。真っ白なジャケットに凹凸が掘られていて、斜めにすると光の加減で「Southern All Stars」の文字が見えるデザインでした。1992年なので、当時サザンはまだ結成15年にもなってない時代だったんですね。桑田佳祐はちょうど今の僕と同じくらいの年齢だったことになるのか

 その頃クラスでは、みんなが歌番組やヒットチャートに興味を持ち始め、お小遣いで好きなアーティストのCDを買うことが流行りだしていました。でも、<シュラバ★ラ★バンバ>が好きだという同級生や、ましてやシングルを買ったという友達は一人もいませんでした。

 サザンを知っている友達は何人かいましたが、みんな<シュラバ〜>と同時発売だった<涙のキッス>のほうが好きだと言っていました。実際、<涙のキッス>は年間のシングル売上で5位に入りましたが、<シュラバ〜>は13位に留まりました。でも僕は、子供ながらに確信をもって、<涙のキッス>よりも断然<シュラバ〜>の方がいいと思っていました

 どうしてそんなに<シュラバ〜>に惹かれたのか。

 この曲はドコモのCMソングでした。そのCMはメンバー自身が出演するPV風のもので、桑田佳祐が白バックでこの曲のサビを歌っていました。祖父母の家の居間で初めてこのCMを見たことを今でも覚えています。そして僕は、その場で家族にたずねました。「これは誰?」と。

 何がそんなに衝撃だったのかというと、まず歌詞がまったく聞き取れないこと。僕は、少なくとも日本語じゃないと思いました。でも何語かはわかりませんでした。そして、決して美声ではなく、ハンサムというわけでもなく、わざとくぐもったような声でがなるように歌うボーカルが衝撃でした。このボーカルの男の人が意味不明な言葉を、さらに意味不明にしているかのように見えました。

 しかし、一番衝撃だったのは、そのような意味不明な曲を「かっこいい」と感じる僕自身の反応でした。92年というと、米米CLUBの<君がいるだけで>や大事MANブラザーズバンドの<それが大事>、浜田省吾の<悲しみは雪のように>なんかがめちゃくちゃ売れた年だったのですが、それらとは真逆といってもいいこの曲の方に、僕はなぜか惹かれました。

 僕はそれまで「歌を好きになる」ということは、「歌詞を好きになる」ということなんだと漠然と思っていました。歌詞は共感されるためにあり、メロディも「失恋の歌は悲しい調子」「元気づける曲は明るい調子」といった具合に、歌詞の情景やテーマを説明するためにある。つまり僕は、歌は「意味」で理解するものなんだと思っていたのです。

 ところが<シュラバ★ラ★バンバ>の歌詞は、意味を理解するどころか、そもそも言葉を聞き取ることすらできませんでした(シングルを買って歌詞カードを見て、サビは「修羅場穴場女子浮遊」と歌ってるんだとわかっても、やっぱり意味はちんぷんかんぷんでした)。

 でも、意味はわからなくても、「シュラバナバジョージピユー」という言葉の「音」そのもののおもしろさや、その後に「アイノーブラーバダンスモユー」というこれまた正体不明の言葉を続けて畳み掛ける「スピード感」「韻」の心地よさといった、意味がわかる/わからないという次元とはまったく別のおもしろさが、この曲にはありました。

 実はこの後、僕は実家にあった伝説の4枚組ベストアルバム『すいか』に手を伸ばしたのですが(今思うとなんて恵まれた環境だったんだろう)、そのなかで最初に好きになった曲が<思い過ごしも恋のうち>でした。

 この曲の中盤に出てくる「どいつもこいつも話の中身はどうなれこうなれ気持ちも知らずに」という一節を、早口言葉のようなスピードで畳み掛けるところが面白くて何度も巻き戻して聴いてました。あれなんて、当時の歌謡界の文脈では(そしておそらく今でもなお)完全にギャグなんだけど、あのとんでもないスピードでまくしたてるデタラメ感を、僕は「なんかいいな」と思ったんですね。

 今になってみるとわかるのですが、僕はサザンで初めて音楽を、意味ではなくフィジカルで理解したんだと思います。そして、意味でしか理解できない音楽よりも、フィジカルで感じられる音楽のほうが、おもしろさやかっこよさがよりダイレクトに伝わってくる、平たく言えば「グッとくる」ことにぼんやりと気付いたのです。だからこそ僕は<涙のキッス>ではなく、<シュラバ★ラ★バンバ>のほうに惹かれたんだと思うのです。

 このことを思い出すたびに「小6の俺、なかなかやるな」という気持ちになります。自分の音楽遍歴が<涙のキッス>ではなく<シュラバ★ラ★バンバ>から始まっていることを、僕はひそかに誇りに思っているのです。





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The Cranberries 『Bury The Hatchet』

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さようなら、
僕の「17年前の記憶」


 アイルランドの4人組、クランベリーズが1999年にリリースしたアルバム『Bury The Hatchet』のなかに<You And Me>という曲があります。以前このブログで、劇団での「選曲」の話を書いたことがありますが、僕が劇団で初めてオリジナルの戯曲を書いた作品で、物語のクライマックスで流したのが、この<You And Me>でした。今からもう17年近くも前になります。

 初めて自分の手で物語を書いて、それを大勢の人に見てもらうという体験は、まるで素っ裸になって人前に立つような気分で、恥ずかしくて仕方ありませんでした。だから、本番の上演中は、僕は客席にいるのがいたたまれなくて、ずっと劇場のロビーにいました。寒くなり始めた12月の初旬だったのですが、当時使っていた劇場は母校の高校のホールだったのでロビーに暖房設備がなく、僕はコートを着込んでマフラーを巻きながら、劇場のドア越しに聞こえてくるセリフや音楽に耳を澄ませていたのです。

 クランベリーズの<You And Me>を聴くと、17年経った今も昨日のことのように、僕はあの寒々とした劇場ロビーを思い出します。恥ずかしさと、初めてオリジナルを作った誇らしさ。そして、ラストシーンが終わってしまえばセットも客席も跡形もなく撤去され、すべては夢のように消えてしまうというさみしさ。あのとき感じたいろんな気持ちが、音楽を聴くだけで蘇るのです。


 この<You And Me>が収録されたアルバム『Bury The Hatchet』は、クランベリーズにとって4枚目のアルバムです。僕はなぜだかずっと「彼らの作品の中でもっともオルタナに振り切った暗くて陰鬱なアルバム」という印象をもっていたのですが、久しぶりに聴いてみたらまったく違っていました。

 冒頭の<Animal Instinct>、<Loud And Clear>、<Promises>という3曲は確かにシリアスですが、それ以上にポップだし、<Just My Imagination>、<Shattered>、<Desperate Andy>の中盤の3曲は、今改めて聴くとオルタナというよりもネオアコからの血脈を感じます。暗くて陰鬱どころか、むしろ明るく激しくて、このバンドのルーツのようなものを感じられるぶん、ど真ん中ストレートなアルバムという印象すら抱きます。なにせ、最後に聴いたのは10年以上前だからなあ。

 ただ、昔も今も印象が変わらないのは8曲目<Saving Grace>とラストの<Dying In The Sun>。「あなたは私の悲しみを消してくれるほんの小さな希望」と繰り返す<Saving Grace>はあまりに切なく、<Dying In The Sun>はあまりに美しい。特に<Dying In The Sun>は、過去への後悔や未来への不安を感じさせる歌詞なのに、ドロドロとはせず、むしろ透明感をともなって祈りのような敬虔さを感じさせます。

 この2曲に共通しているのは、ドロレス・オリオーダンのボーカルの、他の曲とは違った一面が見られることです。<Dreams>や<Linger>、<Zombie>といった代表曲でのドロレスのボーカルを「動」とすれば、この2曲は「静」。圧倒的な声量をあえて抑えた彼女の声は、まるで10歳にも満たない少女のようです。<Dying In The Sun>はドロレスが第1子を妊娠したときに、母になることの喜びと再び音楽に向き合えなくなるのではないかという不安との葛藤のなかで書かれた曲です。彼女の少女の声はその葛藤をそのまま包み込んでいて、聴いていると心細さと温かさの両方を同時に感じます


 先週1/15、ドロレス・オリオーダンは亡くなりました。46歳でした。久々に『Bury The Hatchet』を聴いたのも、このことがあったから。そして、今ではもうクランベリーズを聴くことなんてほとんどなくなったのに、ドロレスの訃報には自分でも意外なほどショックを受けました。

 17年前の体験と分かちがたく溶け合った<You And Me>は、もはや僕の人生の一部です。その声の主がいないことを想像すると、単に有名ミュージャンが亡くなったときとは異なる喪失感が襲ってきます。彼女の死によって、僕の17年前の記憶もまた、さらに遠くへと離れてしまったような気がするのです。






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The Trash Can Sinatras 『Cake』

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The SmithsとThe Stone Roses
その「隙間」


「トラッシュキャン・シナトラズ」というバンド名だけを聞くと、いかにもひねくれ者っぽい風変わりな音楽を鳴らしそうですが、実際には情緒あふれるメロディと粒だったギターを特徴とした、とても繊細で優しい印象を与えるバンドです。イギリスのバンドですが、ロンドンやマンチェスター、グラスゴーといった都会ではなく、スコットランドの沿岸部の町、アーヴァインという出身地の風土が、(勝手なイメージですが)その音の中に込められているような気もします。

 彼らの結成は1986年。まさにどんぴしゃの「C86」世代なわけですが、彼らのデビューアルバム『Cake』を聴くと、当時のネオアコ勢特有の「不健康そう」「日光を浴びてなさそう」といったイメージはなく、むしろ<Obscurity Knocks>のイントロのリフにみられる「踊れるノリ」からは、マッドチェスターを経たフィジカルさを感じてしまいます。

 実際、この『Cake』というアルバムがリリースされたのは、マッドチェスター全盛期ともいえる90年。Wikipediaによると、彼らは結成1年後の87年に早くもポール・ウェラーやラーズらを擁するレーベルGO!DISCと契約するのですが、契約の前払い金が入ると彼らは自分たちのスタジオを購入し(なんて堅実なんだ)、そこでじっくり3年もの時間をかけて、1枚目のアルバムに取り組んだそうです。

 結果、本作はC86とマッドチェスターの両方の時代の空気を吸った作品になりました。そういう意味で、僕の中でトラッシュキャン・シナトラズというバンドは、スミスストーンローゼズという2つの大好きなバンドの隙間を埋めるような存在なのです。

 ストーン・ローゼズと書きました。シナトラズをなぜ今さらで聴いていたかというと、ローゼズ来日に合わせて彼らの周辺の音楽をいろいろ聴いていたからでした。

「ローゼズ」という文脈で聴いたので、例えば<Maybe I Should Drive>が<Waterfall>に重なったし、<Circling The Circumference>が<She Bangs The Drums>に重なったりしました。ただ、ローゼズが日本を去って熱が冷めた今、改めてシナトラズを聴いていると、僕の頭に浮かんできたのは、遠く離れたアメリカのバンド、R.E.M.でした。

 以前も書いたように、僕の中でスミスとR.E.M.は似た印象を持つバンドなので、シナトラズとスミスの近さを思えば、その流れでR.E.M.が連想されても不思議じゃありません。そしてこの連想によって僕は、以前スミスの記事で書いたことを、改めて感じることになりました。

 それは、音楽との「好き」「嫌い」を超えたゆるい連帯感です。

 ある音楽を初めて聴いたときに「自分のもの」と感じるか「他人のもの」と感じるか、あるいは「近い」と感じるか「遠い」と感じるか、その大きな分水嶺が、僕にとってはまさにこのあたりの、80年代半ばから90年にかけての音楽にあるんだなあと感じるのです。

 スミスの記事では、僕は「優しさ」という表現を使いました。シナトラズについても、僕は冒頭「優しい」と書きました。ですが、C86にしてもカレッジ発オルタナミュージックにしても、
その定義が「優しさ」だったわけではありません。これは、あくまで僕個人の感じ方です。

「モテないから勉強しかすることなかったガリ勉」という、悲しい少年時代の性か、僕はこれまで、音楽を聴くときでさえも、例えばその作品のリリース年と当時の時代背景や、ポップス史におけるその作品の位置付けといった「正しい知識」と絡めないと、どうも落ち着かないところがありました。

 でも、そんな聴き方をして、何が楽しいんだろうと最近しみじみ思うのです。シナトラズやR.E.M.を「優しい」と感じ、80年代半ば〜90年に分水嶺がある、そういう、「正しい知識」と切り離された、僕だけの音楽世界を描くことの方が、ずっと大事だよなあと30半ばを過ぎて感じています。はい。

 ちなみにシナトラズは現在までに計5枚のアルバムを発表していますが、僕としては断トツでこの1stが好きです。








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L⇔R 『Singles & More』

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14歳の頃よりも
今のほうが彼の音楽が好き


中学2年で初めてギターというものを手に入れたとき、僕にはまだ、
「ギターという楽器はコードをジャカジャカかき鳴らすか、
指を魔術のようにくねらせながらティロリロ弾くもの」

という程度のイメージしかありませんでした。

そのイメージを最初に変えたのが、L⇔Rでした。
彼らの代名詞となったミリオンセラーシングル、
<Knockin' On Your Door>のバンドスコアを開いてみると、
そこにはコードをひたすら弾く単純なものでもなく、
かといって、記号だらけで見るからに「無理!」と投げ出したくなるようなものでもない、
単音をベースとしたシンプルな譜面がありました。

当時の僕の知識といえばフォークギターの教本(のサワリ)しかなかったので、
コードを弾くときはピック、単音を弾くときは指という思い込みがありました。
なので、「単音をピックで弾く」ということ自体が新鮮でした。

そしてさらに衝撃的だったのは、CDを聴いても、
この譜面に書かれているはずの音が聞き分けられなかったことでした。
「エレキギターの音はギュイイインと歪んでるはず」という(これまた)思い込みがあったので、
まさかこのクリアーに澄んだ音がギターの音だとは予想していなかったのです。

じゃあ最初からその音や弾き方に夢中になったかというと、実はそういうわけでもなく、
「目立たないし地味だし、ギターのくせになんか弱っちいな」という半信半疑な気持ちのまま、
なんとなくCDに合わせて弾いていたのでした。
ただ、単音のアルペジオは当時の僕には練習しやすくて、
<GAME>も<BYE>も、その頃のシングル曲はだいたいスコアを買って弾いていました。
<DAY BY DAY>は、曲を聴くよりも先に楽譜を買って歌メロを自分で弾いて、
それを後から実際のCDで確認する、なんてことをしました。

とにかく、僕がギターを通じて音楽を吸収し始めた最初期の頃に、
「メロディは好き」「ギターはよくわかんない」という不思議な距離感のまま、
知らない世界を開いてくれたアーティストが、L⇔Rだったのです。


昨年12月に黒沢健一が亡くなって、僕は20年ぶりくらいにL⇔Rを聴きました。
懐かしさを感じるかと思いきや、むしろ新鮮で、
初めて本当にL⇔Rを聴いたかのような驚きがありました。
<Lime Light>の分厚いドラムとベースには鳥肌が立ち、
<Nice To Meet You>のイントロのシタールには思わずニヤリとしました。
「えっ?俺は昔こんなにかっこいい音楽を聴いていたのか?」と、
今現在の僕の感覚としてL⇔Rの音楽に興奮したのです。

でも、本当に驚いたのは、彼らがブレイクする前の曲にまでさかのぼって聴いたときのことでした。
彼らは一度レコード会社を移籍しています。
一般に知られる彼らの楽曲は、1994年にポニーキャニオンに移籍して以降のもの。
僕が今回聴いたのはその前の、ポリスター在籍時の楽曲を集めたベスト盤『Singles & More』です。

ポニーキャニオン時代の曲でさえも、
今聴けば彼らがものすごく(古い)洋楽志向の強いバンドだったことがわかりますが、
ポリスター時代の曲はさらに振り切っています。

<Bye Bye Popsicle>の12弦ギターや、
モロにフィル・スペクター<Now That Summer Is Here>
(この曲、一瞬<Good Vibrations>のフレーズが流れますよね?)
<Lazy Girl><(I Wanna)Be With You>なんて、
メロディの感じとかファルセットとかめちゃくちゃビーチボーイズじゃないですか。


「60年代ポップスの体現」という点でいえば、
黒沢健一こそ大滝詠一の後継者だったのでは?と思っちゃいます。
実際、このベスト盤の前半の曲がそのまま『EACH TIME』に入ってても違和感なさそう
音楽的バックグラウンドをそのまま自分流にアレンジして再現できるだけでなく、
それを自分自身の声で表現できるシンガーであるという点も、両者は似ています。

黒沢健一はL⇔Rの活動休止後も音楽活動を続けていました。
You Tubeで何曲か聴いたけど、どれも素晴らしかったです。

※この曲なんてポール・マッカートニーの生まれ変わりか?という感じ


元Spiral Lifeの石田ショーキチやスピッツの田村明浩らと組んだバンドMotorworksもかっこよかった。
なんで僕は20年も彼のことを無視していたのでしょう。
後悔しても遅すぎるのはわかっていますが、悔しいです。


14歳の頃、僕はL⇔Rの音楽がどういうバックグラウンドを持っているかまではわかりませんでした。
彼らの音楽を好きだったとはいえ、それは「なんとなく」という括弧つきのものであり、
正確には「好き」というよりも「気になる」というような距離感だったと思います。
だけど、当時聴いていた他の音楽はほとんど忘れてしまった中で、
L⇔Rの音楽はなぜか今でも歌えるし、今でもギターで弾けます
その理由を、20年経って改めて聴いた今、納得しています。

僕は当時よりも今の方が、L⇔Rが好きです








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RAMONES 『Adios Amigos』

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「大人」になんか、なるもんか

セックス・ピストルズもいいけど、クラッシュもいいけど、ダムドも最高だけど、
でも、数あるパンクバンドの中で結局誰が一番好きなのかと聞かれれば、
僕は迷わず「ラモーンズ」と答えます。

1974年ニューヨークで結成。
全員が「ラモーン」というステージネームを名乗るこの4人組は、
アメリカ国内のみならず、ピストルズやクラッシュなどイギリスの後進たちにも影響を与え、
その後の世界的なパンク・ムーブメントの礎を築きました。

ラモーンズの魅力は、なんといってもそのシンプルなスタイルです。
ドラムのリズムは基本的に全部8ビートで、ギターもダウンピッキングオンリー。
難しいことは一切なしです。
多分、楽器初心者でも彼らの曲なら1週間くらいで弾けるようになるでしょう。

それに、どの曲も3コードが基本で、多くても5つか6つくらい。
構成する和音が限られてるということは、どうしたって似たような曲ばかりになるということですが、
ラモーンズはそんなこともおかまいなし!
もうどれがどの曲なんだかCD聞いててもたまにわからなくなるのですが、そんなところも彼らの魅力。
ファンは彼らのことを敬意を込めて「偉大なる金太郎飴」と呼びます。

さらに、どの曲も超がつくほどの高速テンポ。
ニューヨークパンクの震源地となった伝説的ライブハウス「CBGB」にラモーンズが初めて出演したとき、
彼らは16分という持ち時間の間に、なんと12曲も演奏したそうです(12分で16曲という説もある)。

彼らが登場した70年代半ばは、プログレッシブ・ロックや初期メタルといった、
重厚長大で演奏難度が異様に高い音楽の隆盛期でした。

そこへ現れたラモーンズ。
セリフをあてるとすれば、「難しいこと考えずにガーッとやりゃいいんだよ!」というような感じでしょうか。
実際、ギターのジョニー・ラモーンは
「誰でもすぐに演奏できるようなロックが作りたかった」
という趣旨の発言をしています。
かのシド・ヴィシャスは、ラモーンズのレコードを聞いてベースを練習したというエピソードも残っています。
ロックが技巧化、産業化し、
アーティストとリスナーとが見えない敷居で分かたれるようになってしまった時代に、
ラモーンズは文字通り風穴を開けたのでした。


ラモーンズはホントいいですねえ。どう言えばいいのかわからないくらい、好きです。
なんというか、ロックの一番楽しい部分を体現する、そんなバンドだと思います。
彼らのさらに素晴らしいところは、上記のような「ザ・初期衝動」とも呼ぶべき荒々しいスタイルを、
最後の最後まで貫いたところです。

彼らの最後のスタジオ収録盤は95年リリースの『Adios Amigos』。
95年という時代にラモーンズがまだ現役を張っていたという事実にも驚きですが、
その音楽自体もデビュー作『ラモーンズの激情』の頃から何ら変わっていません。
相変わらずうるさいし、相変わらず速い!このブレなさに僕は圧倒的信頼を寄せます。

この『Adios Amigos』の1曲目に<I Don't Want To Grow Up>という曲が入っています。
元はトム・ウェイツの曲なのですが、まるでラモーンズのために書かれたかのように、見事にハマっています。
何と言ってもタイトルがいいです。
「大人になりたくない」。
これはまさにラモーンズの生き様そのものを表しているように感じます。



<I Don't Want To Grow Up>Video







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Theピーズ 『リハビリ中断』

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どん底で、後ろ向きで、最高のロック

邦ロックバンド、Theピーズ。
キャリアは今年ですでに24年。
その間、大きなヒットには恵まれず、幾度ものメンバーチェンジがあり、活動休止も一度経験している。
かなり“傷だらけ”のバンドだが、彼らのロックは紛れもなく本物だ。

脳ミソが邪魔だ 半分で充分 
見えるもんだけが全てでいいんだ
「とりあえず今日も死んでない」それくらいわかればいい 
脳ミソ半分取っちまいたい


―これはアルバム『どこへも帰らない』(1996)に収録されている
<脳ミソ>という曲の一節である。
投げやりで、どん底で、自虐的。徹底的に後ろ向きなのがピーズの世界だ。
だが、彼らの曲はいつも大事な何かを伝えようとしている。
鋭い言葉のナイフで、虚飾も外聞もない、むき出しの感情が切り取られている。
それを嗅ぎ取るたびに、僕はドキッとするのだ。

曲を書いているのはボーカル/ベースの大木温之(通称ハル)。
ハルの詞は僕にとって、一つの大きな指標である。
常に唯一無二の存在感を示し、不変の位置から「ロック」という広大で茫漠とした世界を照らしている。
前回書いたボブ・ディランと同様に、ハルもまたその影響を受けずにはいられない詩人である。

だが、それにしても、ピーズの魅力を、
その音楽から受ける感覚や感情を、文章で表すのはひどく難しい。
というよりも、そもそもロックという音楽自体、
「それがいかに良いか」ということを誰にでもわかるように説明することは、
ほとんど不可能じゃないかと(開き直るようだが)思う。
これは別に「音楽は言語化できない」という一般論ではなく、
ロックという音楽の本質からくる問題なのだ。

少々カタい話になるが、ロックを含めポピュラーミュージックとは、
現代社会における個人の葛藤や、抑圧からの脱出をテーマに据えた音楽である。
愛や、友情や、不安や、そういった「個」の感情を、音に直していこうという営みが、
半世紀以上にわたってポピュラーミュージックを進化させてきた。
しかし、個の感情(自我)とどう向き合い、どう抽出するかという方法論は、ジャンルによって異なる。
とりわけ、ポピュラーミュージックの双璧であるロックとポップスは対照的だ。

ポップスはその名の通り(popular)、ある感情や人生のワンシーンを、
最大公約数的表現に直す音楽である。
性別や年齢や立場の違いを超えて多くのリスナーをカバーできるが、
その反面、往々にしてリスナーの内面の深いところにまでコミットすることは少ない。
要は、広く浅い。

一方ロックは、狭くて深い。
ロックの主眼は「個」の追究と、どこまでそれをさらけ出せるかに置かれている。
ポップスのように誰にでも当てはまる共通項を抽出するのではなく、
「自分が自分である理由」を追い求め、オンリーワンの表現を目指すことになる。
いわば素数的表現(そんな言葉は無いと思うが)なのである。
別の言い方をすれば、ポップスは情景を歌い、ロックは意志を歌う、ということになるかもしれない。

だからロックは、そこで歌われている「個」に呼応する感性なりバックグラウンドなりが
聴き手にも備わっていなければ、まったく響かない。
感情移入の入口は、全てのリスナーに開かれているわけではないのだ。
逆に言えば、もしピンとくるロックと出会えたならば、
それは偶然などではなく、然るべき縁によって導かれた親友同士の邂逅に他ならない。
とは言え、ただ聴くだけで「個」のあり方が問われる音楽なのだから、
それをさらに他人に説明することなどは至難の業である。
「ロックを説明する」ということは、そのリスナーの(この場合は僕の)感性や、
世界への向き合い方、人生観、そういったものを共有すること無しには本来できないものなのだ。

以上はかなり極端且つ大雑把な論理であるし、例外もたくさんあることは百も承知である。
それに、そもそもアートとは基本的に触れる者の個性に応じて
さまざまに形を変える(人それぞれに受け取り方が変わる)ものである。
だが、ピーズのような、特に言葉に直すのが難しい音楽と出会うと、いつもこういうことを考えるのである。

ピーズにはハルともう一人、安孫子義一(通称アビ)という固定のギタリストがいるのだが、
彼は99年の活動休止の直前にほんの一時期だけバンドを抜けてしまうのである。
オリジナルメンバーはもうハル一人しか残っていない。
そのような時期に作られたアルバムが『リハビリ中断』である。
おそらく喪失感やら敗北感やらでまさにどん底の状態だったのだろう、
このアルバムの曲の歌詞はいつにも増して暗い。
だが僕はこのアルバムが一番好きだ。
一番暗いけど、一番好きだ。


『リハビリ中断』の一作前のアルバム『どこへも帰らない』に収録されている<底なし>。
『バースデー』でも使いました。

oasis 『(What’s The Story) Morning Glory?』

morning glory






出来の悪い兄弟2人
見守るファンはもはや母親気分


たとえば通勤電車の中とか食事中とか夜寝る前とか、
生活のなかで音楽を聴く状況・場面というものが人それぞれあると思うのだが、
僕の場合、料理をするときというのが音楽が欠かせないシチュエーションのひとつなのである。
料理をするときは、まな板と包丁を用意することでも食材を冷蔵庫から取り出すことでもなく、
まずCDを選ぶところから始まるのだ。
・・・というといかにもオシャレ風だが、
作るのは大抵肉じゃがとか野菜炒めとかモロに男の一人暮らしメニューなのであって、
別にショパンを聞きながらビーフシチューをトロトロ煮込むとか、
AC/DCを聴きながら肉を豪快に焼くとか、そういうことではない。

で、こないだ料理中のBGMとして、
久々にオアシスの『モーニング・グローリー』を聴いた。
懐かしい。
1995年のアルバムなので買ったのは僕が中学生のときである。
ずい分前に『ディグ・アウト・ユア・ソウル』を紹介した際に「高校1年生」と書いていたけれど、それは僕の勘違い。
中3です、中3。

だが、衝撃を受けたのは事実。
それまでは少なからず同級生への「見栄」として洋楽を聴いていた僕が、
ちゃんと「音楽」として洋楽、そしてロックを聴き始めるようになった1枚である。
仮に僕の持っている全てのCDを聴いた順、影響を受けた順に樹形図にすると、
このアルバムがおそらく一番てっぺんか、
そうでなくとも極めて上位に位置することになるんじゃないか。

その『モーニング・グローリー』を久々に聴いたのである。玉ねぎを炒めながら。
僕が料理中に音楽を聴くのは完全なる習慣にすぎないのだが、
そうやって適度に音楽以外のものに神経が注がれている方が、
じっくりスピーカーに集中するよりもむしろ深く聴き込めたり、新たな発見があったりして、
これはこれで音楽を聴く条件としてはある意味理想的な部分もある。

今回の場合も、『モーニング・グローリー』の持つ不変のかっこよさに心震えつつも、
以前はその存在感の薄さゆえにあまり気に留めていなかった、
<キャスト・ノー・シャドウ><シーズ・エレクトリック>といった曲の鋭さ、美しさに開眼した。
改めて良いアルバムだなあとしみじみ思った。

先日行われたブリットアワードで、本作は「過去30年間のベストアルバム」に選出された。
オアシスは94年のデビューアルバム『デフィニトリー・メイビー』と本作で、
ビートルズを超えるセールスを叩き出し、
ブラーとともに90年代のブリティッシュカルチャーの旗頭となった。

そして、遠く離れたここ日本でも、オアシスは瞬く間に、そして確実に浸透していった。
直撃をもっとも激しく受けたのが、当時中高生だった僕らの世代である。
僕のようにオアシスでロックに出会った人、
オアシスがきっかけでギターを始めた人、
初めてカラオケで洋楽を歌ったのがオアシスという人、
そして、好きな洋楽バンドは未だに、結局、オアシスという人。
今20代後半から30代前半にはそういう人がめちゃくちゃ多い。
オアシスはイギリスだけでなく、僕らにとってもアンセムなのである。

そんなオアシスもノエルが抜けて解散?活動休止?しちゃいましたね。
しかしノエルの脱退なんてオアシスの歴史を振り返れば珍しくもなんともないことであり、
未だに解散なんて冗談じゃないかと思っているのは僕だけでしょうか。
ただまあ、現時点では最後のアルバムとなってしまった
前述の『ディグ・アウト・ユア・ソウル』がとても良いアルバムだったので、
ファンとしては一応納得はできる。
・・・とはいかないまでも、気持ちはとりあえず慰めることができる。

しかし40歳になっても殴り合いの喧嘩が絶えないギャラガー兄弟は、
しょうもないを通り越してラディカルというか、ぶっ飛んでますね。
ある意味そこさえもロック。
ファンは2人の兄弟喧嘩に時に振り回され、時に「またか」と呆れ、
仕方ねえなあ」と言いながらずっと付き合ってきたのだ。
まるで親の気持ちなのである。
そういう意味でオアシスは、メンバーの過激な言動やスキャンダルとは裏腹に、
とても“家庭的”な匂いのするバンドだと思える。
ステージ上からオーディエンスを、
古代国家の帝王のように睥睨するリアムを見ても、
ファンの多くは「なんだか可愛い」と思ってしまうのである。

ちなみに僕が『モーニング・グローリー』を聴きながら作っていた料理は、ミネストローネでした。
やっぱりロックな料理ではないですね。
でも家庭的な感じはオアシス的、でしょうか。


<She's Electric>







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FOUNTAINS OF WAYNE 『FOUNTAINS OF WAYNE』

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パッと見“地味”だけど
聴けばきっと好きになる


 メガ・セールスを記録したわけでもなく、見た目にインパクトがあるわけでもなく、マイナーというほどではないものの、なまじ知名度があるせいでかえって地味な印象を与えてしまうバンド。そんなファウンテインズ・オブ・ウェイン(以下FOW)が僕は大好きだ。

 FOWはアメリカの4人組ロックバンド。デビューは1996年だが、最初のヒット曲に恵まれたのは2003年で、ようやくというか今更というか、デビュー後7年も経ったこの年にグラミー賞の「最優秀新人賞」にノミネートされる(されてしまう)。こんなトホホなエピソードもあるが、本人たちはいたってマイペースに活動を続けており、今日に至るまで4枚のオリジナル・アルバムと1枚のレア・トラック集を発表している。

 バンド名をタイトルに冠したこのアルバムは、96年リリースの彼らのデビュー作。評価は決して低くない作品なのだが、『オディレイ』(ベック)や『モーニング・グローリー』(オアシス)といった同時期の名盤と比べると、ほとんど忘れ去られているといっていい(先日ワゴンセールのなかに見つけて悲しくなってしまった)。もっとも、それも無理からぬ話で、確かに今聴き直してみても「地味だな〜」と思う。

 ただし、もちろん「地味=質が低い」ということではない。むしろどの曲もデビュー作とは思えないくらいポップに洗練されている。メロディはバラエティに富んでいるし、アレンジだってすごく良い。ただ全体として「大人しい」だけなのだ。クラスに必ず一人はいる「見た目は地味なんだけど、話してみると面白い奴」みたいに、最初の印象に惑わされてしまっては、FOWというバンドを深く味わうことはできない。

 彼らの音楽は、ディストーション・ギターの歪んだ音色とシンプルな歌メロをかけ合わせた、オーソドックスなギター・ロック。パワー・ポップやグランジからの影響はうかがえるものの、アコースティック・ギターや鍵盤を効果的に取り入れていたり、コーラスを細かく使い分けていたりしていて、一通り聴くとむしろビートルズに近いような印象を受ける。

 このファーストは、実質的にはボーカルのクリスとベースのアダムだけでレコーディングされた(残りの2人はレコーディング後に加入)。たった2人という制作体制のせいか、複雑なことには手を出さず、ひたすらメロディとアレンジだけで勝負しているようなところがある。そのあたりが地味に思われてしまう所以なのだが、逆に僕はその手作り感と潔さを猛烈に支持したい。

 前回エルボーでも書いたが、音楽が音階の連続で表現されるものである以上、結局のところ聴く者の心を打つのは、何よりも美しいメロディなのだろう。ビートルズがなぜ時代を超えて聴き継がれているのかといえば、彼らが良いメロディを量産したという一語に尽きるのである。

 インパクトには欠けるし、目新しさもないし(むしろ歌詞なんかちょっと古臭い)、だけど彼らFOWを聴いていて「いいな」と感じるのは、きっとそういうことなのだ。


演奏するFOW。曲は<Sink To The Bottom>

The Beatles 『ANTHOLOGY 1』

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最初に聴いてはいけない?
試行錯誤する4人が記録されたデモ音源集


先週の水曜日、9月9日に全オリジナルアルバムのデジタル・リマスター盤が
世界同時リリースを迎えたビートルズ。
午前0時の発売開始に合わせて店頭に行列ができたり記念イベントが開催されたり、
新たなトリビュート盤が発表されたり特集番組が放映されたりと、
解散後40年近く経ったグループとは思えないような盛り上がりを見せている。

この機会にこれから“The Beatles”を聴いてみよう、という人も多いはず。
だがそうなると難しいのが、「どのアルバムから聴けばよいのか」というシンプル且つ切実な問題である。

当たり障りなく『1962〜1966(赤盤)』『1967〜1970(青盤)』や
『1』あたりのベスト盤から聴くのが妥当なのだろうが、これらはあくまで「サワリ」の部分に過ぎない。
イントロだけを聴いて満足してしまうのはあまりに勿体ないと、
ファンとしては身悶えするように思うのである。

かと言っていきなり『THE BEATLES(ホワイト・アルバム)』や『ABBEY ROAD』から入っていくというのも、
暴挙というと言い過ぎだが、チャレンジングすぎる気がする。
両アルバムはビートルズの軌跡を順に追っていってこそ初めて真価が味わえる作品だ。
お酒を飲んだことのない人にいきなりビンテージもののウイスキーを飲ませても、
味がわかるどころかむしろ拒絶反応を起こしてしまうように、
聴く順番を間違えたことでビートルズそのものを放棄してしまいかねない。
これはこれでやはりファンとしては身悶えする。

ビートルズの素晴らしさ、それはやはり曲の美しさ、曲に込められたアイディアの豊かさである。
そして同時に、アルバムごとに変遷する音楽性の変化とその振れ幅の巨大さ、
つまり「ビートルズ」という名の物語の奥深さである。
200曲以上の公式発表曲一つひとつが異なる輝きを放っており、
そして全てが物語に欠かせないピースなのである。
それゆえベスト盤などは所詮上っ面でしかなく、後期のアルバムから聴いても冗長に感じてしまうのだ。


僕自身も苦い経験がある。
1995年、『アンソロジー1』という2枚組のアルバムがリリースされた。
目玉はジョンの遺したボーカル音源に他の3人が加わって作られた
ビートルズ名義での“新曲”<Free As A Bird>が収録されたことで、
確か本国イギリスでは予約だけで売上記録を塗り替えたかなんだったか、
とにかく鳴り物入りでリリースされたアルバムだ。
当時僕は中学生、「洋楽」そして「ビートルズ」というものへの興味が急速に湧き始めていた頃だったので、
期待に胸を高鳴らせてこの『アンソロジー』をCDプレーヤーにセットしたのである。

だが、いざ聴いてみるとガッカリだったのだ。
なんだか音は汚いし、誰なのかよくわからない人の喋りが入っていたりするし、退屈だったのである。
実は『アンソロジー』というのは活動初期の未発表テイクやレアなライヴ音源ばかりを集めた、
要はマニアは大喜びだけど、ビギナーには退屈極まりないという代物だった。
だが、そんなことは知る由もない僕は、
大人たちがあんなに盛り上がってるビートルズというのはこんなものなのかと急速に熱が冷め、
結局その後数年間にわたってビートルズを投げ出してしまったのだ。

聴く順番を間違った。
それはそうなのだが、それ以前に僕は多分、
実際の音を聴く前から「ビートルズ」というものへの期待や思い込みを
無意識のうちに育てすぎていたのだと思う。
巨大であるがゆえに、肝心の音楽よりも伝説や功績に触れる機会の方が多いのがビートルズだ。
前評判が異様に高ければ、それだけ自分のなかに見当ハズレな幻想が膨らんでしまう。
僕が『アンソロジー』1枚を聴いただけでビートルズそのものを諦めてしまったのは、
期待との落差が激しすぎたからで、アルバムが悪かったからではないのである。

「ビートルズ」という看板の大きさ、そしてそこから生まれる過剰な期待や思い込み。
後発世代の僕らがこれからビートルズを聴こうとするときにもっとも厄介なのは、
聴く順番よりもむしろそういったものなのではないかと思う。
(この文章もそういった期待を煽ることに一役買っているかもしれないと考えると心苦しいのだが)

フォローをするわけではないが、『アンソロジー1』はものすごく面白い。
ビートルズを知った上で聴けば、という条件付になるのだが、めちゃくちゃ面白い。
 
特に目を(耳を)引くのが多数収録されたデモ音源で、
ここにはそれぞれの曲が完成する前の姿、
つまり4人がスタジオで試行錯誤している過程が記録されているのだ。

例えば<Eight Days A Week>のイントロやコーラス、
<No Reply>のアレンジやリズムは、
制作段階のものと公式に音源化されているものとではまったく違っていたことを知ることができる。
さらに、はるか後年『LET IT BE』に収録された<One After 909>がすでに初期の時点で完成していたり、
ジョージの持ち歌<Roll Over Beethoven>をここではジョンが歌っていたりと、
新たな発見に満ちた音源がびっしりと詰まっている。

次回はまた別のビートル・マニア向け音源『Live at the BBC』を紹介しながら、
今回のデジタル・リマスター盤に関するレビューと、
結局のところどのアルバムから聴けばよいのか、について書きたいと思います。


<Free As A Bird>のPV。これはビートルズ解散後にジョンが録音した未発表音源にポール・ジョージ・リンゴが参加して完成させた「ビートルズ」としての新曲。当時通っていた塾の先生が夫婦そろってビートルズファンで、先生は「これはビートルズじゃない!」と言い、奥さんは「これぞビートルズ!」と言っていた。僕は当時よくわからなかったけど、今の耳で聴くと、はっきり言える。これはビートルズ!



※次回更新は9月24日(木)予定です

Fishmans 『Neo Yankees’ Holiday』

neo-yankees holiday
「ただそれだけのこと」に
大人になった僕は救われる


 ヒットチャートの常連になるようなメジャーな存在ではないけれど、好きな人はどうしようもないくらい好きなアーティスト。それをよく「コアな人気」「伝説のバンド」なんていう風に形容するけれど、果たしてフィッシュマンズをその程度の言葉で片付けていいものなのだろうか。彼らが邦ロックシーンに残したインパクトはあまりに巨大だ。

 1987年に結成され、91年にメジャー・デビューを果たしたフィッシュマンズ。ダブやレゲエをベースとした彼らのロックは、当時のメイン・ストリームとは明らかに一線を画している。だが、耳のいいリスナーを中心にアンダーグラウンドで人気を広げ、解散して10年も経った今もなおロックファンに圧倒的な存在感を放っている。

 この『ネオ・ヤンキーズ・ホリデイ』は93年にリリースされた彼らの3枚目のアルバム。<いかれたBaby><エヴリデイ・エヴリナイト><Walkin’>など、その後の彼らのパブリック・イメージを形成した名曲ばかりが収録された、初期フィッシュマンズの傑作と名高い作品である。

 全ての楽曲の作詞作曲を担当するのは、ボーカルの佐藤伸治。フィッシュマンズというバンドは、極論を言えば佐藤のもつ世界を形にするための、いわば専門ミュージシャン集団である。

 佐藤の作る曲には、例えばドラマチックな愛であったり、渾身の人生賛嘆であったりといった“仕掛け”は何もない。ただの日常、何も起きない退屈な日常だけがそこにある。天気のこと、付き合って何年も経つ恋人のこと、大好きなタバコのこと、そういった具合である。

 ただ、それだけのこと。しかし、その「それだけのこと」が、なぜこんなにも優しく響くのだろう。佐藤の、背筋がゾッとするようなハイトーン・ヴォイスと相まって、どの楽曲も地上から数センチ浮いているような奇妙な浮遊感を漂わせている。なのに、歌詞もサウンドもズシンと重く沈み込んでくる。

 僕がまだ10代の頃、自分の未来には、何か大きなドラマが待っていると信じていた。恋愛は素敵で、仕事は興奮に満ちていて、人生とはそういった劇的な出来事を重ねながら、まるでオリジナルの世界地図を作るようにワクワクしたものだと思っていた。

 だが、年を重ねるごとに、現実は必ずしもそうではないと思うようになった。どう足掻いても日常は退屈であり、どこまで進んでも何も起きないし、何も変わらないと、悲観的な気持ちではなく、単に夢から醒めたように僕は僕のリアルを理解した。

 それでも、心の中にはどこか淡い期待があることも否定できない。そして、その期待を満たしてくれるような一瞬の夢が見たくて、本を読み、音楽を聴き、映画を観るのかもしれない、とも思う。だとするならば、「何も起きない、何も変わらない退屈な日常」を歌うフィッシュマンズは、ある意味傷をえぐるように痛いのである。

 だが、痛さがそのまま嫌悪感になるかというと、違う。傷を覆い隠すのではなく、傷に触れることが救われることだってあるのだ。「人生はドラマだ」と言われるよりも、「人生は何も起きない」と言われた方が、元気をもらえることだってあるのだ。フィッシュマンズは僕にとってそういうバンドである。

 99年、佐藤伸治は心不全のため他界し、フィッシュマンズは活動を休止する。佐藤の死後はドラムの茂木欣一(現・東京スカパラダイスオーケストラ)が中心となり、ゲストボーカルを迎えながら、単発のライヴなどを行っている。


<いかれたBaby>を演奏するフィッシュマンズ


そしてこれが、05年のライジング・サン・ロックフェスティバルで演奏された<いかれたBaby>。ゲストボーカルの豪華な顔ぶれから、フィッシュマンズの人気の広さと高さがわかる



※次回更新は8月31日(月)予定です

SOPHIA 『マテリアル』

sophia
“ROCKは詳しいぜ”
甘いマスクがはずされた瞬間


 SOPHIAというセレクトは意外に思われるかもしれない。確かに彼らはなんとなく“チャラい”印象がある。実際初期の頃は、当時のいわゆるビジュアル系ブームに乗っかったアイドルバンドの一つに過ぎなかった。軟派に見られてしまうのは、その頃のインパクトが未だに尾を引いているからだろう。

 だが彼らは1999年にリリースしたこの『マテリアル』で当初のイメージを覆す。煙草、ヒゲ、刺青。インナースリーヴの写真に写った彼らの姿はジャンクで猥雑だ。そこにはビジュアル系という評価や期待を真っ向から拒否するような、ロックバンドとしての姿がある。これは、そのように進歩したというよりも、元々彼らが持っていたロックバンドとしての精神が表れたと見るべきだろう。

 心の内をありのままに綴ったようなセンシティブな歌詞。アナログもデジタルも片っ端から詰め込んだ実験的なサウンド。本作にはまるで、ようやく欲しかったおもちゃを買ってもらった子供のような瑞々しさがあるからだ。

 SOPHIAは実にしたたかだったのである。ビジュアル系ブームをキャリア実現のための手段と割り切り、甘いマスクの下に音楽への野心をじっと隠し続け、そしてこの6枚目のアルバムでついにその本性を露わにしたのだ。

 彼らが初めてさらけ出した本来の姿。それは傷だらけで臆病で、お調子者でずる賢く、そしてそんな自分を自覚してまたさらに傷ついてしまうような、ナイーヴな姿だった。

  「本当に大切なものが何だったのか、僕はもう忘れてしまったよ」と歌う1曲目<大切なもの>。いきなりこういうテンションで始まるあたり、このバンドがそれまで歩んできたポップな路線の真逆を行く展開である。

 その後も、「全てを受け入れるほどタフにはできちゃいないみたいさ」と呟く<せめて未来だけは・・・>や、「誰かこんな僕いりません?」とたずねる<センチメンタリアン・ラプソディ>など、内面をほじくり返したような粗い言葉が続く。

 そして、そのガラス工芸のように繊細な歌詞を、いかに曲として成立させるかという一点に向けて、音が構築されていく。ストリングスから打ち込み、果ては“台詞”に至るまで、さまざまな音を総動員しているのは、単純にカラフルさを狙ったものと言うよりも、メンバーの楽器だけでは世界観を表現できなかったからだろう。音が幾層もかけて言葉をパッケージするように、一つひとつの曲が作られている。

 このアルバムが当時どれほどファンに受け入れられたのか定かでないが、ただそれまでの作品から察するに、おそらく歓迎よりも戸惑いと衝撃の方が多かっただろうと思う。

 だが、愛と友情を無邪気に信じる思春期の幼さを冷凍保存し、それを永久に変奏するのがポップスであるならば、ロックは成長に伴う感性の揺らぎを移ろうままリアルに表現するものである。初めは勢いに任せてポップでキャッチーな作品ばかりを作り、やがてそのエネルギーが失われた後に、今度はレコーディング技術の粋を凝らして内省的な世界を表現するという流れは、ロックバンドとして正統派であることの証である。

 『マテリアル』を作ることはSOPHIAにとって必然だったのだ。この作品は彼らにとっての『ラバー・ソウル』であり、『ペット・サウンズ』なのである。


“ROCKは詳しいぜ”と喧伝する<beautiful>のPV。「いかにも」なケバケバしいメイクは、ビジュアル系と呼ばれることへの皮肉たっぷりなアンサーである。この曲は昨年のtheatre project BRIDGE公演『アイラビュー』で劇中で使いました



※次回更新は8月17日(月)予定です
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