週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】90年代

ザ・キングトーンズ『Soul Mates』

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「口当たりの良さ」にこそ
彼らの歴史が表れている


 今年2月、ザ・キングトーンズのリーダーでありメインボーカルの内田正人が亡くなりました。82歳でした。

 キングトーンズといえば<グッドナイト・ベイビー>ですが、僕にとって<グッドナイト・ベイビー>というと真っ先に思い出すのは第三舞台の『朝日のような夕日をつれて』です。あの作品の序盤で、第5のキャラクター「少年」が登場するときに流れるのが、この曲でした。

 派手な衣装を着た役者が振付つきで歌うという演出のインパクトもあって、僕はこの曲のことを長らくムード歌謡の一つとしか見ていませんでした。グループとしてのキングトーンズ、そして彼らのキャリアのなかでの<グッドナイト・ベイビー>というものを自分なりに解釈できるようになるのは、ドゥーワップを聴くようになってからのことでした。



 日本では現代にいたるまで、海外で最新の音楽スタイルが生まれると、耳の早いアーティストやミュージシャンが輸入してきて、カバーしたり自作曲に取り入れたりしながら、あの手この手で日本のマーケットに浸透させる、というパターンがあります。ドゥーワップに関しては、間違いなくキングトーンズがその「輸入業者」の代表格でした

 結成は1960年(母体となるグループは58年)。内田正人は「プラターズの<Only You>をカバーしたい」という動機でグループを作ったと語っていますが、<Only You>のリリースって1955年なので、当時の情報伝達速度を考えると、かなり早いリアクションだったのではないでしょうか。

 今聴くと「<グッドナイト・ベイビー>のどこがドゥーワップ?」と感じるかもしれません。しかし50年も前に、本場のフィーリングをそのまま持ってきて受け入れてくれるリスナーが、果たしてどれだけいたかは疑問です。あくまで演歌や歌謡曲をベースにしつつ、ファルセットやコーラスといったエッセンスをまぶしながら、徐々にリスナーを啓蒙し、開拓していくしかなかったわけで、<グッドナイト・ベイビー>のもつ昭和歌謡とドゥーワップが混じりあったような不思議な味わいには、そんなパイオニアの苦闘が表れています。(実際、彼らのレコードデビューが69年にまでずれこんだのは、歌謡曲化してしまうことを躊躇したからといわれています)

 シングル<グッドナイト・ベイビー>のB面は<捨てられた仔犬のように>という曲なんですが、メンバーの加生スミオが書いただけあって、グループの個性をそのまま出したような黒っぽい曲になっています。A面の取っつきやすさとB面の個性というメリハリもまた、彼らなりの折り合いの付け方のように見えます。



 そんなキングトーンズの代表的なアルバムといえば、なんといっても81年の『Doo-Wop! STATION』なのですが、僕はあえて『Soul Mates』(95年)を選びたい。グループ結成35年周年の記念盤で、高野寛や大沢誉志幸、上田正樹、佐野元春といった多彩な作家が曲を提供しています。

 スタンダードナンバーを中心に選曲された、ドゥーワップグループの面目躍如ともいうべき『Doo-Wop! STATION』に比べると、作家陣書き下ろしの新曲が中心の『Soul Mates』は、よりレンジの広い「ポップスアルバム」といった仕上がりです。けれど、この口当たりの良さと消化力の高さにこそ、キングトーンズというグループの歴史が表れているように思うのです

 白眉はなんといっても、1曲目に収録された、作曲山下達郎、作詞伊藤銀次の<Down Town>。僕はシュガーベイブ版しか知らなかったのですが、実は元々、75年前後に山下・伊藤コンビがキングトーンズの15周年記念盤への提供曲として作った曲だったのです(紆余曲折を経て当時はお蔵入り)。20年の時間を経て、本来歌うはずだったキングトーンズの元へ曲が帰ってきたことになります。

 キングトーンズ版の<Down Town>は見つからなかったので、カバーを2曲貼ります。なんてすばらしい歌声。








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Spice Girls『Spiceworld』

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「グループだからみんな同じ」ではなく
「グループだけどみんな違う」


 スパイスガールズは今年、再結成ツアーを行うことを発表しています。昨年11月にこのニュースが流れて以来、たびたびスパイスガールズを聴きなおしています。実は僕、アルバム全部持ってるんです。ファンには不評だった3rd『Forever』も含めて。

 スパイスガールズのデビューは1996年で、僕はわりと直撃世代(当時15歳)なんですが、当時はほとんど無視していました。アルバムを買い揃えたのは、確か2000年とかそこらだったので、活動休止するかしないかといった頃だったはずです。なぜそのタイミングでハマったのか、まったく記憶がないのですが、世間より数年遅れで彼女たちの曲を聴きまくっていました。

 なので、15年ぶりとかそのくらいになるのでしょうか。今聴きなおすと、いろいろ発見があって面白かったです。まずなんといっても唸るのは、ど真ん中のポップスマーケットで大成功したガールズグループ(しかもイギリス!)が、彼女たち以降出ていないこと

 60年代は違いましたよね。ロネッツがいたし、シュープリームスもいました。でも、その後はほとんど見当たらない気がします(僕、ノーランズけっこう好きなんですけど)。ソロ歌手だとたくさんいるけど、グループってなると極端に少ないんですよね。なので、デビューから20年以上経った今聴いても、その存在の珍しさは未だに新鮮です。

 あとは、やっぱり曲がいいと思いました。良いというか、強い。<Wannabe>なんか一度聴いたら絶対忘れられないし、なんとなく歌うことすらできちゃいますよね。好きか嫌いかは別として、それだけの強度をもつ曲ってやっぱり名曲なんだと思う。

 僕が一番好きだったのは2ndに収録された<Stop>。彼女たちの曲の中ではトラディショナルなタイプの曲で、どこか60年代のガールズグループを模倣しているような曲ですが、今自分がブリルビルディングサウンドなんかをたくさん聴いていることを思うと、ある意味当時からブレてないのかも。



 一方で、聴きなおしていて意外だったのは、記憶にあるよりもブラックミュージックの比率が高かったこと。<Naked>とか<If U Can’t Dance>とか。当時は無視していたなあ。なんとなく1st、2ndはベタベタなポップスで、3rdで脱皮を図ろうとR&Bに振り切ったようなイメージを持っていたのですが、実は初期の頃から楽曲のバラエティはカラフルだったんですね

 カラフルということで気づいたのですが、普通グループだと衣装や髪形を揃えたりして、メンバーの個性は消していくパターンが多いですが、スパイスガールズは最初から5人の衣装もキャラクターもバラバラで売っていましたよね。「スポーティ」とか「ベイビー」とか、それぞれの個性に合わせてあだ名をつけたりして。これってかなり珍しいんじゃないでしょうか。

 そういう意味で、僕がスパイスガールズの最高傑作だと思うのは、2ndのリード曲<Spice Up Your Life>。セクシーなイントロ、声質の違いをそのまま残したドタバタのAメロ、コール&レスポンスのBメロ、そしてすさまじい音圧のサビ。個々のシークエンスのバラバラっぷりと、それをたたみかけるようなテンポでつなぎ合わせていく怒涛の勢いに圧倒されます。ラテンというセレクトも媚びてなくてかっこいい。グループのカラフルなイメージを最も体現した曲が、この曲じゃないかと思います

「グループだからみんな同じ」ではなく「グループだけどみんな違う」という姿勢は、(どこまで本人たちがそこに意味を込めていたかは別として)個人的にはとても好きです。あれから20年以上経ちましたが、今の世界を覆うムードを見ると、彼女たちの姿勢は当時よりも重要な意味をもっている気がします。








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平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜最終回:「音楽とはメロディだ」と信じられていた時代〜

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これまでの話
#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る
#第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<前編>〜
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<後編>

 年明けから延々書いてきたZARDの話も、今回でようやく最終回です。とはいっても、元々書こうと思ってた話は前回で終わっているので、今回は余談的な内容。「なぜ今ZARDのことを書いたのか?」です。

90年代に「思い入れが薄い」

 きっかけは、大きく二つあります。

 ひとつは、以前書いた『カセットテープ少年時代』の話に遡ります。あの記事で僕は「80年代ブームが過ぎればその次に90年代ブームがくるはず。80年代と違って90年代は自分が当事者として過ごした時代。ブームが到来したとき、自分は当事者として、何がそこで語られれば納得できるのだろう」と書きました。

 実は、あのときにはうまく書ききれなかったことがあります。それは、「当事者」と書いたものの、こと音楽に関して言えば、実は90年代に対して僕自身はそこまで思い入れが持てていない、ということでした。先日、たまたま自宅にあるCDを60年代、70年代、というふうにリリース年別に分類していたのですが、一番少なかったのが90年代でした。自分が青春時代を過ごし、世の中的にもCDがもっとも売れた時代だったにもかかわらず。

 そういう自分に、90年代という時代について納得できるものや、ましてや語れるものって何があるんだろうかという疑問が、折しも新元号への改元に伴い「平成の総括」が流行り始めたこともあって、むくむくと大きくなってきたのです。ちなみに、去年の暮れにサザンについて書いたときに、70〜80年代ではなく、あえて90年代の曲を取り上げたのも、実はこのことが頭にあったからでした。

 一方で、ここ数年「洋楽邦楽問わず、最近の曲って、メロディがあまり重視されてないんじゃないか」という感覚を抱くようになったことも背景の一つにありました。漠然とした言い方になりますが、「曲というものが歌(メロディ)ではなくグルーヴによって作られるようになった」「メロディは歌ではなくグルーヴの一要素になった」、そんな感覚です。

 音楽そのもののトレンドがグルーヴ重視になったのかもしれないし、アーティスト自身が曲を作って歌う自作自演が当たり前になり、メロディは他人に提供するものから自分で消化するものに変わったことで、アーティストのメロディに対する意識が相対的に低くなったといえるのかもしれません。ポップスにおけるメロディの位置づけの変化自体は歴史の自然な流れとしても、僕個人としては職業作曲家の手によってメロディが今よりも“立って”いた時代の音楽のほうに愛着があります。

 そう感じるようになったのは、ここ数年よく聴いている1950年代後半から60年代前半にかけて、リーバー&ストーラーやゴフィン&キングといった職業作曲家が活躍した時代のアメリカンポップス、俗に「ブリル・ビルディング・サウンド」とよばれる音楽からの影響があります、また、その日本版といってもいい松田聖子薬師丸ひろ子といった80年代アイドルの音楽からの影響もあります。

 以上に挙げた「90年代とは?」と「メロディはどこへいった?」という2つの関心のベクトルが、僕の中でちょうど交わったところにいたのが、ZARDだったのです。

「3つの時代」に分かれる90年代

 ところで、当時の空気を実際に吸ったひとりとして90年代という時代を振り返ってみて思うのは、音楽に関しては大きく3つの時期に分かれていたということです。

 まず前期は91年から94年の夏まで。米米CLUBの<君がいるだけで>が爆発的にヒットし、B’zがハードロック路線を定着させ、CHAGE&ASKAが怒涛の快進撃を見せ、ミリオンセラーが急速に日常化した時代です。僕らの世代の大半は、この時期にCDを初めて買ってるはずです(僕の年齢だとチャゲアスの<SAY YES>が定番でした)。ZARDもこの時期に含まれます。

 この時代に主力となって活躍したアーティストは、ほとんどが80年代にデビューした人たちでした。なので、90年代に入ったといっても楽曲のもつ雰囲気はどこか80年代の余韻が残っていたように思います。

 中期は94年夏から97年いっぱいまで。この時期はなんといっても小室哲哉です。94年の夏に出た篠原涼子<恋しさとせつなさと心強さと>とtrfの<Boy Meets Girl>が、まさに時代の幕開けを告げる号砲でした。ここから始まるえげつないまでの「小室時代」については周知の通り。

 小室哲哉自身は80年代から活動していましたが、彼がこの時代に手がけたアーティストはどれも新人ばかりでした。音楽的にもそれまでの邦楽にはないほどダンスミュージックに傾倒していて、実質的な「90年代」の始まりはこの時期だったと思います

 一方で、Mr. ChildrenやJudy And Mary、The Yellow Monkeyといった90年代に入ってからデビューしたバンドが人気を獲得します。これらのバンドは80年代のHR/HMの流れからは切り離された「90年代のバンド」と呼ぶべき一群で、彼らが認知されていくことで、ZARDをはじめとする80年代の流れを汲んだビーイング勢は徐々にその役割を終えていきます。

 よく覚えているのが、織田哲郎のプロデュースでデビューした相川七瀬です(95年)。当初2〜3枚のシングルは大ヒットしたし、未だに僕ら世代の女性はカラオケ行くとかなりの確率で彼女の曲を歌いますが、個人的にはああいう「ロック=不良」みたいなイメージ戦略は、当時の時点ですでに古臭く映っていました

 そして、後期は98年以降の時代。98年に何があったかというと、まず2月にMISIAが<つつみ込むように…>でデビューします。続いて5月に椎名林檎が<幸福論>でデビュー。そしてなんといっても宇多田ヒカルの登場です。彼女が12月に<Automatic>でデビューします。

 宇多田ヒカルのデビューを小室哲哉自身が「自分の時代の終わりがきたと感じた」と語っているように、彼女たちのように豊かな音楽的バックボーンをもち、訓練された技術をもつ本格派SSWがデビュー当初から一気に支持を集めたのは、オーディションで選ばれた素人を歌手デビューさせて稼ぐ小室時代的スタイルに対する「そういうのはもういいよ」の表れだったと思いますハイスタミッシェルというモロに海外と直結したグループがこの時期に前後して人気を拡大したのも、やはり大きくはこの文脈だったんじゃないかと思います。

 個人的にインパクトが強く残っているのはMISIAです。当時僕が知るレベルをはるかに超えた歌の上手さでした。上手いというか、声の質も曲調も何もかもが、それまで聴いていた日本の音楽とは根本的に違っているように感じました。余談ですが、今から10年ほど前にMISIAの歌を生で聴く機会があったのですが、本当にすごかったです。CDよりも上手いと思いました。僕が生で歌を聴いたことのある歌手のなかでは、いまだにMISIAがNo.1です。

「職業作曲家」はどこへいった

 話を元に戻します。

 職業作曲家は、レコード会社や音楽出版社から依頼を受けて曲を作ります。そこで重視されるのは、曲を通じて作曲家自身が自己表現をすることではなく、いかにクライアントのニーズを満たすか、そしていかにターゲット層に聴いてもらえるかです。そのようにして作られるメロディは、必然的に狙いが明確で形がハッキリしたものになるはずです。僕が「メロディが重視されなくなった」と感じるのは、職業作曲家の減少と無縁ではないと思うのです

 90年代の中期から後期への流れを今振り返ってみて、つくづく悔しいな〜と思うのは、小室哲哉やつんくによって「プロデューサー」という職業が脚光を浴びたものの、それが音楽を聴く際の切り口の一つとしては根付かずに、「有名タレントがプロデュースした●●」みたいな形でしか発展しなかったことです。「プロデューサー」が宣伝文句の一つに矮小化され、その反動として椎名林檎や宇多田ヒカルといったSSWが一挙に人気を集めたことが、結果的には「職業作曲家離れ」を加速させたんじゃないかという気がします。

 そういう意味でZARDは、職業作曲家が裏方に徹していて、なおかつヒットを放っていた最後の時代に位置するアーティストの一人でした第1回でZARDの所属レーベルであるビーイングをフィレス・レコードに例えたのは、単に音楽の生産システムだけを指していたわけではなく、音楽そのものも僕には似ているように映っていたからでした。

 先ほど僕は実質的な90年代の始まりは、小室時代が幕を開ける中期からと書きましたが、僕個人の好みとしては90年代前期がもっともフィットするので、中期以降の「90年代の音楽」に思い入れが持てないのはそのへんが関係しているのかもしれません。

「意外なところ」に息づいていた遺伝子

 と、なんとなくネガティブなトーンで話は終わりそうなんですが、実はつい最近、(僕が個人的に考える)職業作曲家の空気を、ある人の楽曲に発見しました。誰あろう、米津玄師です。

 彼が作詞作曲した<パプリカ>という曲が、娘とよく見るEテレの番組で流れるのですが、この曲が不思議と耳に残るんですね。いい意味でサラッと聞き流せないというか、お風呂でついつい口ずさんじゃうようなフックがあって、娘もこの曲が流れると必ずTVをじっと見つめます。ということでパパはこの曲のコード進行を調べてみたんですが、とても面白い構成をしていたんですね。

<パプリカ>コード進行

 AメロはAで始まり、BメロはF#m(つまり平行調)に変わります。本来であればBメロラストでF#mもしくはAのドミナントのEとかに持っていくところですが、実際にはF#に切り替わって、そこから長2度上がってサビでBに転調するのです。つまり、BメロのF#mの同主調であるF#にまず移行して一瞬の「揺らぎ」を表現し、さらにそのF#をドミナントに利用してBに転調しているのです。



 非常にロジカルで、ロジカルだからこそとてもシンプルで、見ているだけで楽しいコード進行です。ちょうどブログを書いていたタイミングだったのもあり、織田哲郎栗林誠一郎がZARD楽曲でたびたび見せてきた職人芸の数々と<パプリカ>には重なるものを感じました。

 娘といえば、日曜朝9時にテレ東で放映している少女向け特撮ドラマ『マジマジョピュアーズ』では、今やあまり聴かなくなった「大サビ半音上げ盛り上げ転調」がガンガン使われていて、これも驚きでした。

 職業作曲家って減ったなあと勝手に思っていたけど、子供向けのプログラムにはちゃんと息づいていて、その職人技はちゃんと若いリスナーの耳に向けて発揮されているんですね。そのことを自分の娘から教えてもらったことにしみじみとしたのでした。はい。






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平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜第5回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<後編>〜

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これまでの話
#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る
#第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD
#第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<前編>

 前回の続きです。ZARD史上最高傑作『OH MY LOVE』の、その最高傑作たるゆえんが、ラスト2曲。9曲目<来年の夏も>(#9)、と10曲目<あなたに帰りたい>(#10)です。

『OH MY LOVE』収録曲
#1 Oh my love
#2 Top Secret
#3 きっと忘れない
#4 もう少し あと少し…
#5 雨に濡れて
#6 この愛に泳ぎ疲れても
#7 I still remember
#8 If you gimme smile
#9 来年の夏も
#10 あなたに帰りたい

「強がり」と「本音」の間で揺れ動く

 #9は「来年の夏も大好きなあなたと一緒にいたい」というシンプルなテーマのラブソング。耳触りのよいボサノヴァ調のアコースティックギターもあって、ようやく平穏が訪れたかのように思うのですが、引っかかるところが2つ。

 ひとつは、冒頭の歌詞「同じ血液型同士ってうまくいかないというけど 私達例外ね 今も2年前の気持ちと変わらない」に出てくる「2年」という数字が、#7で出てきた数字とピタリと重なること。#7では、付き合ったけど結局別れてしまう(その悲しみはちっとも癒えない)までの時間として「2年」が出てきたので、不気味な符合です。

 そしてもうひとつは、この曲の異様な構成です。最初はボサノヴァ調で始まるこの曲は、中盤でハードロックに変化、ブリッジを経た大サビからさらにギアが上がり、最後は40秒以上にも及ぶ壮大なピアノソロになだれ込むという怒涛の展開を見せます。もはやプログレのような、異様なまでのハイテンション。

 僕はこのアルバムを初めて聴いたとき、最後に「ジャンジャジャンッ!」とピアノが締めた瞬間、「これでエンディングだな」と思いました。アルバムのストーリーとしても演奏のテンションとしても、「もうこれ以上はないだろう」と納得させるなにかがあるように感じました。

 ところが、これで終わらないのです。ラテン風の乾いたギターの音とともに#10が始まります。そしてギターがひとしきりフレーズを弾き終わると、今度はピアノが入り、なんとも寂寥感のあるメロディを奏で始めます。この曲のイントロは90秒。ZARDの全ての曲のなかで最長級です。

 そして歌が始まります。最初のフレーズは「泣いてばかりいた あなたと別れてからずっと」。そうなのです、なんとここで再び別れの曲になるのです。ただし、#5#7のように別れの直後ではなく、「もうすぐ桜の咲く頃 この頃変わりました」とあるとおり、別れてから一定の時間が過ぎたタイミングに視点が設定されています。

 そしてサビ。「髪を切って明るい服を着て 目立たなかったあの日の私にgood-bye」と、悲しみを乗り越えるためにあえてそれまでの自分とは違った外見になったことが綴られ、もし街であなたに「今度会っても そう気付かないでしょう」と続きます。そして締めのフレーズが「そしてもう一度 あなたに帰りたい」

「私に気付かない」ことが、なぜ「もう一度あなたに帰りたい」につながるのか。それは、気付かれないことで「あなた」との最後の繋がりが断たれ、その瞬間に私の中の未練も無くなる。そうなって初めてあなたのことが思い出に変わる。つまり「あなたに帰りたい」というのは、「復縁したい」という意味ではなく「あなたを乗り越えたい」という意味のレトリックなのだ。そう考えれば、痛々しさには満ちているけれど、とても力強く前向きな響きがあります。

 ところが、です(今回何度「ところが」「しかし」と書いただろう)。2コーラス目、そして大サビになるとこの肝心の部分の歌詞が変わるのです。「今度会ったら私に気付いてね そしてもう一度悲しい思い出にgood-bye(大サビは”そしてもう一度 あなたに帰りたい”

 やっぱり気付いて欲しいのかーい! いや、もちろん気持ちはわかる。むしろ「気付いて欲しい」と思うほうが自然だと思う。でも、「きっとあなたは気付かない(=それでいい)」で締めていれば美しかったのに、あえて「やっぱり気付いて欲しい」という本音をその後に持ってくるのは、良くいえば正直、悪くいえば身もふたもない。

 でも、強がりと本音の間で揺れ動くさまは、実はアルバム全体を通じて何度も繰り返されてきたことでした#1、#2と来て#3で落とすのも、直後の#4で歌われる情念も、#6のシリアスさの後で#7の身もふたもなさがくるのも、結局は人と人が愛し合うことの綺麗ごとだけではすまないリアルさを表しているように思うのです(ここまでくれば、前述の#7#9との「2年」の符合は意図的と考えるべきでしょう)。

 そして、それがもっとも凝縮されているのが#9#10の2曲でした。もっと言ってしまえば#9のアウトロから#10のイントロ終わりまでの2分強。歌詞こそないものの、終わった!と思っても終わらないというあの展開そのものに、今作のテーマが端的に表れています。この2分強こそ、ZARDというアーティストの創造性が、全キャリアを通じてもっとも発揮された瞬間だったと思います

「落差」をコントロールする職人芸

 それにしても、なぜこの『OH MY LOVE』というアルバムは前作『揺れる想い』とは真逆と言ってもいいトーンに変わったのでしょうか。しかも、明らかにコンセプチュアルな意思のもとに。

 まず挙げられるのは、第1回でも書いたように、プロデューサーの長戸大幸はじめビーイングのクリエイターの多くがロック畑出身で、トータルアルバム志向が自明のものとして共有されていたからだろうという点です。坂井和泉によるセルフプロデュースに切り替わった『Today Is Another Day』以降、ベストアルバム的内容に変わったことが、それを逆に証明しています。ビーイングのスタッフたちは、商売人として売れるシングルをガンガン切りながらも、一方でアルバムにはポップさを残しつつシングルとは異なる創造性を追求していた。個人的には、なんとなくそういうロマンを見たくなります。

 ただ、そのうえで、このアルバムを支えた重要なファクターとして挙げたい人物が3人。

 ひとりはアレンジャーの明石昌夫。実はこのアルバム、収録曲全てが彼のアレンジです。ZARDでアルバム1枚が丸々ひとりのアレンジャーに投げられたのは、後にも先にもこの1作のみ。前期ZARDのアレンジャーというと明石昌夫と池田大介、葉山たけしのトリオですが、明石昌夫が3人のなかでもっともロック寄りです。別の言い方をすれば、派手で、重たく、ケレン味が強い。前述の#9アウトロ〜#10イントロなんかはまさにこの「ケレン」の部分が生きています。全編、明石昌夫のトーンで統一されていたということが、このアルバムの世界観をより強固にしていると思います。

 ふたり目は、他ならぬ坂井和泉です。第1回からここまで、ほとんど彼女について触れてきませんでした。しかしZARDとは言わずもがな坂井和泉そのものであり、ここまでたびたび書いてきた「透明感」「さわやか」といったZARDのパブリックイメージも、つまりは坂井和泉のイメージということです。

 そのイメージの根拠となっているのは、彼女のビジュアル以上に、彼女の作る歌詞の力が大きいのではないかと僕は思っています。たとえば「負けないで」「揺れる想い」「きっと忘れない」のように、シンプルだけどインパクトのあるパワーワードをサビの頭にぶつけて、しかもそれを曲タイトルにまでしてしまうという、ある種キャッチコピーのような歌詞の作り方は、ZARDの都会的で清潔感のあるイメージを大きく支えていました。

 しかしここまで見てきたように、『OH MY LOVE』の歌詞には、個々の曲を1つのシーンとしながら、それをつなげることで大きなストーリーを作ろうという意図が見えます。しかも、新しい恋人のことを想像して「きっと私より素敵な人に違いない」と自虐的になったり、不倫相手の生まれた家を訪ねるというエキセントリックな行動を取ったり、あるいは「乗り越えた」と口にはするものの、やっぱりあなたのことが忘れられないと告白したりと、J-POPというよりも演歌に近いような情念的な世界で統一しようとしているところも、従来にはほとんどなかったことです。

 コピーライター的な歌詞が、一瞬のインパクトで鮮烈なイメージを残そうとする絵画的な手法だとしたら、『OH MY LOVE』の歌詞の作り方は、アルバムという長い時間軸のなかで統一された世界を作ろうとする映画や小説の手法です。坂井和泉のこうした作家性は、この作品を「トータルアルバム」にするうえでは不可欠なものだったはずです。余談ながら、僕は坂井和泉の評価すべきポイントは何よりも作詞家としての彼女だと思っています。

 そして、最後のひとりが栗林誠一郎です。このアルバムでは10曲中6曲が彼の作曲。1枚のアルバムに占めるひとりの作曲家の曲数としては、ZARD史上最多です。そして、前作『揺れる想い』は織田哲郎カラーに寄せていたと書きましたが、このアルバムでは栗林本来のテイストがふんだんに発揮されています。それは前回も書いた通り、コードでいうと「マイナーコード」のトーンで、#4#6にとても顕著に表れています。

 ただ、僕がもっとも「栗林誠一郎すげえ」と思ったのは、(しつこくてすいません)#9#10です。前述の通り、この2曲は連続することでアルバムのなかで最大の「落差」を作っており、それを演出しているのが明石昌夫のハイテンションなアレンジであり、坂井和泉による真逆の歌詞だったわけですが、実はそれを裏で支えていたのが彼の絶妙なコード進行でした

 2つの曲の、サビの部分のコード進行を比較してみます。

#9<来年の夏も>
E♭M7 F Gm7 
来年の 夏も
E♭M7 F B♭M7
となりに いるのが
E♭M7 D7 Gm7
どうか あなたで
Cm7 Dm7 Gsus4G
ありますように


#10<あなたに帰りたい>
B♭ C   Dm    F C  Dm
髪 を切って 明るい服を着て
B♭  C   Dm     Gm7 Am7   Dm
目立たなかった あの日の私 に good-bye
B♭ C   Dm     F  C    Dm
今度会っても そう気付かないでしょう
B♭   C   Dm     Gm7 Am7 D7sus4 D7
そして もう一度 あなたに帰 りたい

 楽器やっている人ならすぐに気付くと思います。実はこの2曲のサビのコード進行は、キーこそ異なるものの、IV(とその平行調)→V(とその平行調)→I(とその平行調)という同じ構造をしているのです

 明石昌夫と坂井和泉が#9から#10にかけて「落差」を作りました。しかし、2つの曲が「ただ違う」というだけなら、それは落差にはならず単なる「異物感」で終わったはずです。2曲のつながりが異物感ではなく、狙ったとおりの「落差」を演出できるように、裏にいる栗林誠一郎がコード進行を揃えるという手法で最低限の統一感が維持されるようコントロールしていたのではないでしょうか。なんという職人芸。書いていて震えてきます。

----------------

 延々と書いてきた『OH MY LOVE』の話もこれでようやく終わりです。ZARDのことを書こうと決めたときに、まず触れなければいけないと思ったのが、このアルバムのことでした。

 このアルバムがリリースされた当時、僕は中学生でした。1枚3,000円もするアルバムは、中学生には何枚も買えるものではなくて、ZARDに限らず音楽に触れるメディアは必然的にシングルが主流でした。確かこのアルバムも、最初は友達に借りて聴いた気がします。

 しかし、ここでも繰り返し書いたように、アルバムを聴いた最初の印象は、それまでシングルを通じて思い描いていたものとだいぶ違ったものでした。そういう意味では、僕にとって初めて「アルバム」という概念に触れた最初期の1枚でした

 コード進行のことや、細かい歌詞のつながりなどは今回書くうえで改めて聴きなおしていて気付いたことです。その作業は、自分が四半世紀近く前に抱いた漠然としたイメージを、焦点を絞ったり余計な埃を払ったりしながら、鮮明な像にブラッシュアップしていくかのようで、とても面白かったです。

 ZARDの話はほぼこれでおしまい。次回はほとんど余談です。






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平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜第4回:OH MY LOVEという名の「惨劇」<前編>〜

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甘いオープニングは
一気に落とすための「罠」である


 まだまだ続いてます、ZARDの話。

#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る
#第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD

 前回は、ZARDの「アルバムアーティスト」という側面について書きました。今回はそのなかから5thアルバム『OH MY LOVE』を取り上げて、なぜこの作品がZARD史上最高傑作なのかについて書きます。長くなったので今回は前編です。

このアルバムについて、僕は前回、春夏秋冬の”秋”に例えました。空気は冷え、木々の葉は散り、終わりに向かってゆっくりと坂を下り始める季節のように、この『OH MY LOVE』というアルバムは前作『揺れる想い』とは打って変わり、悲しさや切なさに溢れた作品となっています

1曲目から順番に見ていきましょう。

#1 Oh my love
#2 Top Secret
#3 きっと忘れない
#4 もう少し あと少し…
#5 雨に濡れて
#6 この愛に泳ぎ疲れても
#7 I still remember
#8 If you gimme smile
#9 来年の夏も
#10 あなたに帰りたい

 #1「もう友達のエリアはみ出した」「あなたといるときの自分が一番好き」など、恋の始まりを瑞々しく歌った曲。#2は、同棲を始めたものの恋人が忙しくて一緒にいる時間が少ないことを不満に感じている女性が、思わず「昔の彼に電話」してしまうんだけど、結局最後は「やっぱりね、あなた(=今の恋人)の方がいい」と、聴いてて思わず赤面してしまうくらいにのろける曲。

 そうなのです。実は幕開けの2曲は悲しさなんて微塵も感じさせない、底抜けに甘いラブソングなのです。サウンド面で見ても、#1のイントロが清潔感のあるピアノと60年代ぽいコーラスで始まるように、聴き始めた瞬間は『揺れる想い』よりもむしろ明るい印象すら抱くほどです。実はこの2曲が、この後に襲いかかる悲劇に向けて仕掛けられた巧妙な罠だとも知らずに

 続く#3も非常にポップなナンバー。織田哲郎の手によるシングルカットもされた曲で(ただしアレンジはアルバムとシングルで微妙に異なる)、個人的にはZARD楽曲の最高傑作はこの曲だと思っています。なんてシンプルな歌詞とメロディ。

 しかしこの曲、よくよく聴くと「別れの曲」です。しかも「every day every night 泣いたりしたけど 誰にも話せなくて(中略)暮れゆく都会 あふれる人波 今にも笑顔であなたが現れそうで」などとあり、単なる失恋などではなく、恋人はもうこの世にいないことを匂わせます

 #3を単独で聴いたときはそこまで気にならないでしょう。しかし、#1、2からの流れで聴くと、#3なんて残酷な歌だろうと感じざるをえません。恋の始まりの甘酸っぱさや、恋が愛へと変わっていく模様が歌われた直後に、いきなりその恋人が死んでしまうわけですから、あまりの落差に呆然とします。というか、この落差を表現したいためにわざと#1、2にああいう曲を配置したようにも思えます。その証拠に#3以降、このアルバムはひたすら重く、苦しく、悲しみに満ちた展開を見せるからです。いよいよこのアルバムの正体が姿を現します

 #4は、ZARDでは珍しい不倫をテーマにした曲。「想い出の神戸の街」「あなたへの手紙をしたため」、その手紙の末尾に「追伸: あなたの生まれた家を見てきました」と書くなど、歌の端々から主人公の怨念めいた感情が見えてきます。『揺れる想い』にはありえなかった湿度の高さです

 続く#5は再び別れの曲。「今日で二人は他人同志だから別々に帰ろう」「雨に濡れて想い出ごと流して あなたのこと忘れられたら」と、リアルでなんとも悲しいフレーズが連発します。

 作曲は栗林誠一郎。第2回でも触れたとおりこの曲はカノン進行がベースになっているのですが、同じく栗林カノン進行である名曲<サヨナラは今もこの胸に居ます>を先取りしたような、哀切感のある楽曲です。織田哲郎のカノン進行楽曲と比べると対照的で、2人の資質の違いを端的に表しているようで面白いですね。Wikipediaによるとこの曲のドラムは青山純が叩いているらしい。そうなのか。

 ここで折り返しですが、まだまだこのダウナー系の流れは続きます。

 #6は別れの歌ではないものの、非常にしんどい恋愛の歌。「傷ついてもいい、愛したい」「もうひき返せないふたつの足跡」「失くすものなんて 思う程ないから」などと、明確には歌われていないもののこの曲も#4と同じく不倫を歌っているようにも読み取れます。曲調がシリアスなのこともあって、ZARDのシングルのなかでは1、2を争うくらい重たい曲なんじゃないでしょうか。

 #7は三たび別れの曲。ピアノをメインにしたアコースティックなアレンジでパッと見、温かな印象を受けますが、「無言で切った電話に私だと気付くわ そう願いをかけてあなたの連絡どこかで待ってた」「今頃あなたの横には私よりやさしい彼女がいると想像が先走る」「出合って2年の月日は長くて短かった 終わってしまえば花火のようね」など、実はこのアルバムのなかでもっともウジウジしている曲です。タイトルも、なんともストレート。

 続く#8で、ついに少しだけ光が射します。「なんてちっぽけな夢だったの 恋なんて季節のボーダーライン」「しがらみ捨てて明日を探そう」「恋はルーレット 巡りめぐる 気のいい家族が恋しい」と、別れの悲しさを乗り越えて前へ進もうとする姿が歌われます。

 さて、ここまで8曲分を見てきました。#1、2でバラ色の未来を想像させておいて#3で地獄に叩き落とし、そこから延々と辛く悲しい曲が続き、ようやく#8で道が開けたかも?というのがここまでの流れでした。残すところあと2曲#8の勢いで、再び#1、2のような明るい未来が訪れるのでしょうか。

 残念ながらそんなことはありません。むしろこのアルバムの真骨頂はここから。これまでの8曲は、最後の2曲に向けての伏線でしかなかったのです。

(後編へ続く)







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平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜第3回:「アルバムアーティスト」としてのZARD〜

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「春夏秋冬」で見る
前期アルバム4作品


 ここまですでに2回も書いてきたZARDの話ですが、まだ終わりません。

#第1回:ビーイングという名の「工場」
#第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る

 第3回の今回はタイトルの通り、アルバムアーティストとしてのZARDについて書いてみます。

 ZARDをアルバムアーティストとして見たことがある人って、ほとんどいないんじゃないでしょうか。シングルとベスト盤しか知らないっていう人の方が圧倒的に多いと思います。

 でも、実は1990年代の前半から中盤にかけて、ZARDは年に1枚のペースでオリジナルアルバムをリリースしていました。各作品にはシングルとは異なるカラーをもったアルバムオリジナル曲が数多く収録され、明らかにそこには一つひとつのアルバムを、あるコンセプトやトーンで統一しようというトータルアルバム的思想がありました。誰もが知ってるシングルのヒット曲は、あくまでZARDの一面でしかない!ということが今回の記事のテーマになります。

 ただ、ZARDはキャリアを通じて全部で11枚のアルバムをリリースしていますが、「アルバムアーティスト」としての全盛期は、先ほど書いたとおり90年代の前半から中盤にかけてです。具体的には3rd『HOLD ME』(’92)から6th『forever you』(’95)まで。7th『Today Is Another Day』以降は既発曲やストックの流用が収録曲の半分以上を占めるようになるため、純粋な意味での「オリジナルアルバム」からは遠ざかります。また1st『Good-bye My Loneliness』と2nd『もう探さない』(共に’91)は収録曲数・時間が少なく、僕が個人的に考えるアルバムの定義から外れるため除外しました。

 ということで『HOLD ME』、『揺れる想い』、『OH MY LOVE』、『forever you』の4枚ということになるのですが、シングルでいえば4th<眠れない夜を抱いて>から14th<Just believe in love>までになり、もっともZARDが売れていた全盛期と重なります。ZARDと言われて多くの人が名前を挙げるであろう代表曲を連発していたその裏で、作品ごとに異なるカラーをもったアルバムをコンスタントに作っていたというそのギャップがまずはすごい。

 では具体的にどう異なっていたのかという話ですが、この4枚のアルバムはちょうど「春夏秋冬」のイメージで説明することができます。

 まず”春”の3rd『HOLD ME』は、花があちこちで咲き始める季節のごとく、一言でいえば「カラフル」。背景には作曲家のバランスのよさがあり、織田哲郎、栗林誠一郎、川島だりあ、和泉一弥、望月衛介の5人ものクリエイターが参加しています。前回<眠れない夜を抱いて>の話で織田哲郎について書きましたが、実は彼がこのアルバムに提供したのはこの1曲しかありません。

 反対に存在感を発揮しているのが川島だりあ。栗林誠一郎と並んで11曲中4曲も提供していますが、川島だりあの4曲はすべてアルバムオリジナル曲です(栗林は内2曲がシングルB面)。

 織田、栗林、川島というZARD前期を代表する作曲家3人のなかでもっとも「洋楽ハードロックの匂い」を感じさせるのが川島だりあだと僕は思っているのですが、そういう彼女のトーンがそのままアルバムのカラーになっています。ラストの<So Together>なんていかにもって感じですね。第1回で「ZARDは元々メタルだった」と書きましたが、そのコンセプトがギリギリ残っているのがこのアルバムです。

 続いて4th『揺れる想い』。大ヒットした同名シングルをアルバムのタイトルにももってくる(しかも1曲目に)なんて、よほど自信があるんだなあと当時(中学生)から思っていましたが、ポカリスエットのCMソングだった表題曲のイメージどおり、スカッと突き抜けるようにポップな曲が連続する、まさに”夏”なアルバムです。おそらくZARDのパブリックイメージにもっとも近いのがこの作品

 次の『OH MY LOVE』は、タイトル通りラブソングが多いアルバムなのですが、『揺れる想い』に比べると別れや恋愛のしんどさを感じさせる歌詞が目立つ作品です。ポップさでは『揺れる想い』に比肩しますが、全体のトーンは淡いセピア色の雰囲気で、例える季節としては間違いなく”秋”です。

 最後の『forever you』は、再び前向きなラブソングに戻ってくるのですが、明らかに「1周回ってきた」感があります。

 それが端的に表れているのが、1曲目の<今すぐ会いに来て>と表題曲<Forever you>。<今すぐ〜>はシャッフルリズム、<Forever〜>はアコースティックと、どちらもZARDではかなり珍しいアレンジの楽曲です。ラストに収録されたDEENのセルフカバー<瞳そらさないで>もアコースティックアレンジで、全体的にオーガニックな温かさが目立つアルバムです。

 そういう意味で”冬”なのですが、ハードなギターサウンドが中心だったかつてを思えば、音楽的にも季節が一巡したことを感じさせます。この後7枚目から、既発曲が大半を占める実質的なベストアルバムへと変わっていくのは、自然な流れだったのかもしれません。

 ここまで4枚のアルバムをざっと紹介しました。「春夏秋冬」というのは僕の例えですが、少なくともそれぞれが異なった色をもっている、すなわち一つひとつのアルバムが異なるコンセプトによって作られていることがなんとなくわかってもらえたかと思います。特に『揺れる想い』からの3作は1枚ごとにガラリと変わるので、その変化自体が聴きどころであり、シングルだけではわからないZARDの一面を見ることができます。

 そして、このアルバムごとの変化の立役者となったのが織田哲郎と並ぶもう一人のメインコンポーザー、栗林誠一郎でした。

 前回、織田哲郎はシングル曲を多く作ったと書きましたが、実はアルバムオリジナル曲は栗林誠一郎の方が多いのです。実際、ここに挙げた4作品で栗林は常に提供曲数がもっとも多い作曲家であり、『揺れる想い』からの3作に関しては、どれも半数以上を彼の楽曲が占めています。シングルは織田、アルバムは栗林という意図的な役割分担があったのでしょう(したがってZARDに書いた曲数は栗林の方が多い)。必然的に、アルバムのカラーを演出する役割は彼が背負っていました。

 それを象徴するのが4th『揺れる想い』。前述の通り、このアルバムは表題曲のもつ「さわやか」「透明感」なイメージをそのまま拡大したアルバムなのですが、言い換えればそれは「織田哲郎っぽいアルバム」なわけです。しかし実際に収録された織田曲は3曲(しかも内2曲は既発シングル)のみで、一方の栗林曲は全体の半分に及ぶ5曲。

 本来この2人の作風は正反対と言っていいくらい違うのですが、それでもこのアルバムが「織田哲郎っぽい」と感じるのは、(実際そこまであからさまだったかは置いといて)栗林が織田哲郎の作風に寄せているということです。正直に言うと、僕は今回この記事を書くためにクレジットを確認するまで<Season>、<君がいない>、<あなたを好きだけど>の3曲は織田哲郎の曲だと思ってました。この僕の長年の勘違いこそ、栗林のアルバムへの貢献度合いを逆に証明しています。

 しかし、栗林誠一郎の本来の持ち味は、前回触れたとおり「マイナー調」。織田哲郎が心を湧き立たせるメジャー調の世界だとしたら、栗林は心をギュッと締め付ける淡く切ないモノトーンの世界です。

 そして、その魅力が大爆発しているアルバムが、5枚目のアルバム『OH MY LOVE』。僕はこのアルバムがZARDの最高傑作だと思います。思いますが、長くなってきたのでこのアルバムの話は次回。やべえ。マジで終わらねえ。








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平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜第2回:カノン進行職人「織田哲郎」現る〜

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短3度転調のドラマ性と
マイナーコードの胸の痛み


 先週から書き始めたZARDの話。

#第1回:ビーイングという名の「工場」

 第1回は、所属レーベルであるビーイングについて書きました。第2回はいよいよZARDの曲の話に踏み込んでいきます。

 前回軽く触れたとおり、ZARDがブレイクするきっかけとなったのは4枚目のシングル<眠れない夜を抱いて>(1992年)でした。オリコンランキングで過去最高位となる8位にランクインし、初のテレビ出演も果たします。

 しかし、具体的に<眠れない夜を抱いて>のどこがそんなにも支持されたのでしょうか。実はこの曲は、後にZARDの人気を不動のものとした、ある「必勝パターン」の原型が隠されています。それをひも解くために、まず下の一覧を見てください。

<不思議ね>(‘91)★
<眠れない夜を抱いて>(‘92)★
<あの微笑みを忘れないで>(〃)
<負けないで>(‘93)★
<雨に濡れて>(〃)
<サヨナラは今もこの胸に居ます>(‘95)
<マイフレンド>(‘96)★
<心を開いて>(〃)★
<DAN DAN 心魅かれてく>(〃)★

 これは、ZARDの全盛期であるデビューから7枚目のアルバム『Today Is Another Day』期までの楽曲のうち(なぜこの時期までを「全盛期」と呼ぶのかという話は次回)、ある共通点をもつものを時系列に並べた一覧です。

 その共通点とはズバリ「カノン進行」。

 上記に挙げた9曲のうち、シングルカットされたのは6曲にのぼります。<心を開いて>が18枚目のシングルなので、実に3割以上のシングルがカノン進行をベースにした楽曲だったことになります。ZARD最大のヒットとなった<負けないで>が含まれていることから見ても、カノン進行はZARDが人気を獲得する大きな起爆剤の一つであり、「顔」だったともいえます

 そして、その多くを手掛けた作曲家が織田哲郎でした。上記の一覧で「★」マークがついているのが、織田哲郎が作った楽曲です。なんと9曲中6曲。しかも、セルフカバーの<DAN DAN〜>も元はFIELD OF VIEWのシングルであることを考えれば、全てがシングルカットされた曲ということになります。織田哲郎はまさに、ZARDの人気を中心になって支えたクリエイターでした。

 んで、話は<眠れない夜を抱いて>に戻ります。先ほどこの曲を「ZARDの必勝パターンの原型」と書きましたが、前掲の一覧を見てもらうとわかるとおり、カノン進行としては<不思議ね>の方が先です。しかし、2つのポイントにおいて、<眠れない〜>の方がZARDの歴史により重要な役割を果たしました。

 一つは転調。この曲はAメロからカノン進行に入り、サビで再びカノン進行を繰り返すという、かなり純度の高いカノン進行楽曲になっていますが、単調に聴こえないのは途中で入るBメジャー→Dメジャーという短3度の転調が利いているからです

 絶妙なのは転調する位置。Bメロで短3度上がってサビで戻るというパターンはポップスでは比較的多い手法ですが、この曲の場合はAメロの途中で転調するのです。これは歌詞と連動しています。まず「ざわめく都会(まち)の景色が止まる あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影」という冒頭部分がBメジャー。ここは言ってみればプロローグで、歌詞は情景描写に徹しており、これからどんなドラマが起きるのかはまだ分かりません。

 転調するのはこの後。Aメロはまだ続いていて、この後もう一度同じメロディを繰り返すのですが、キーはBからDに変わります。歌詞はこう続きます。「もしもあの時出逢わなければ 傷つけ合うことを知らなかった」。我々はここで初めてこの曲が別れの歌だと気付くわけですが、このタイミングで転調することで客観から主観へと曲調の面においても視点が劇的に変わり、一気に気持ちを奪われるのです

 やや専門的な話になりますが、肝なのは「短3度の転調」という点です。よくある半音もしくは全音上がる盛り上げ系の転調とは異なり、短3度の転調は平行調の同主調への転調なので、スムーズに変化しつつも視点や風景を変える効果があります(有名なところだとビートルズの<Here, There, And Everywhere>)。この「Aメロ途中での短3度転調」によって生み出されたドラマ性は、同じカノン進行の先行曲<不思議ね>よりも一段深い奥行きを与えています。

 もう一つのポイントは、要所で挟まれるマイナーコードです。ここまで<眠れない夜を抱いて>をカノン進行と言ってきましたが、正確には「カノン進行をベースにした」というべきであり、実は細かいところでいわゆるカノン進行とは異なる和音が混じります。この「異なる和音」がミソなのです。

 例えば、先ほども紹介したAメロ冒頭のフレーズ「ざわめく都会(まち)の景色が止まる あの日見たデ・ジャ・ヴと重なる影」を見てみます。

「ざわめく」から「止まる」までの前半のコードは、B→F#→G#m→D#mで、ここまでは普通のカノン進行。問題は後半です。いわゆるカノン進行であればE→B→E→F#なのですが、実際にはE→Bと来た後にG#m→C#mと2つのマイナーコードを挟んでからF#に行きます

 これと似たパターンはサビのカノン進行部分にも登場します。「眠れない夜を抱いて 不思議な世界へと行く」の後半部分。ここでもE→Bと来てEではなくC#mを挟んでからF#にいきます

 共通するのは、どちらもメジャーコードを使うべきところをマイナーコードに切り替えていること。マイナーコードを挟むことで、明るい光沢を放っていたそれまでの世界に一瞬だけ陰影が生まれます。まるで、忘れたと思ってもふとした瞬間に別れの痛みが蘇って胸を刺すかのように。これらの「カノン進行にはないマイナーコード」は、使われているのは一瞬なものの、この曲のテーマを考えると、実は極めて重要な存在なのです。

 このように<眠れない夜を抱いて>にはさまざまな演出や仕掛けが施されており、そのために単なるカノン進行とは一枚も二枚も違う新鮮さがあります。使い古されたはずのカノン進行で、繰り返しヒット曲を放った織田哲郎の「カノン進行職人」たる所以がこの曲に詰まっているのです。さらに言えば、この曲に関しては明石昌夫・池田大介両巨頭によるアレンジも素晴らしく(特にイントロのマリンバのようなあの音)、あらゆる面で後のヒット曲の原型を見ることができます。

 ちなみに、最後にマイナーコードの話に触れましたが、ZARDというと一般的には「さわやか」「透明感」「キラキラしてる」といった、コードでいうとメジャーのイメージが強いと思います。しかし、ZARDのリリース履歴を見てみると、<もう少しあと少し>、<この愛に泳ぎ疲れても>、<Just Believe In Love>など、意外とマイナー調の曲も頻繁にシングルを切っていることがわかります

 考えてみれば当たり前の話で、ずっと同じような調子の楽曲ばかりでは早々に飽きられてしまいます。ZARDが長らく人気を誇ったのは、カノン進行をはじめとするメジャーコード楽曲の裏でマイナー調の楽曲がうまくコントラストをつけていたからでした。<負けないで>があそこまでの爆発的ヒットを記録したのも、<眠れない夜を抱いて>からの連続リリースではなく、その間に<In My Arms Tonight>というワンクッションを挟んだからこそだったのです。そういう意味では、ZARDのイメージを支えていたのは、むしろマイナーコードの楽曲の方だったともいえます。

 そして、ZARDのマイナー調の楽曲を一手に手掛けていたのが、織田哲郎と並ぶもう一人のメインコンポーザー、栗林誠一郎でした。次回は栗林誠一郎に触れつつ、アルバムアーティストとしてのZARDについて書いてみます(マジでいつ終わるんだろう)。








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平成が終わる前に「ZARD」を語ろう〜第1回:ビーイングという名の「工場」〜

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元をただせば
実は「メタル」だった


 新年1回目は「ZARD」です。そう、あの<負けないで>で有名な、坂井和泉のZARDです。今週から何回かにわたってZARDについて書きたいと思います。これまで散々インディーロックについて書いてきた後でなぜZARD?と訝しむ方もいそうですが、理由は追々説明していきます。

 第1回はZARDの所属レーベル「ビーイング」を切り口に語ってみます。

 僕は1981年生まれなので、10代というもっとも音楽を聴く時期とZARDの全盛期とがちょうど重なっている世代なのですが、こないだたまたま同い年の人と当時の音楽の話をしたところ、その人はビーイングという名前を知りませんでした。

 レーベルの名前こそ一般的じゃないのかもしれませんが、手掛けたアーティストは錚々たる面子です。ZARDをはじめT-BOLAN、大黒摩季、WANDS、FIELD OF VIEWなど、90年代前半のJ-POPを代表する名前ばかり。所属アーティストのCD売上枚数を合計したら、軽く3,000万枚は超えるはずです。まさに一時代を築いたレーベルでした。

 ヒット曲の量産を可能にしたのは、ビーイングの特殊な音楽生産システムでした。それはどういったものかというと、オーディションで別々に集めたボーカルやミュージシャンでその場でバンドを組ませ、お抱えの作曲家とアレンジャーに曲を書かせ、ビジュアルからメディア露出までレーベルが主導し管理するという、徹底的なトップダウンの手法でした。ひとつのアーティストを、あちこちから部品を集めて組み立てて、いわば工業製品のように売り出すわけです。ちなみに、日本最大のヒットグループの一つであるB’zは、ビーイングのこの手法で生まれたユニットがそもそものはじまりでした。

 仲間とのサクセスストーリーも情緒もへったくれもないわけで、保守的な音楽ファンは鼻白みそうですが、ある意味では究極に音楽主義的ともいえます。なかでも、明石昌夫池田大介、春畑道哉、川島だりあいった作曲家・アレンジャーたちの仕事は素晴らしかった。単にメロディがキャッチーでアレンジにフックがあってというだけではなく、アーティストをまたいで「ビーイングの音」として認知されるような共通のサウンドを、彼ら腕利きの職人集団が作り上げていました

 ところで、話はそれるのですが、アメリカだとこういう風に一つのレーベルがお抱えのクリエイターやミュージシャンを駆使してブランド感のあるサウンドを作り上げ、所属する大勢のアーティストを通じて世の中に供給するっていうスタイルはわりとよく見ます。フィレス・レコードなんていうのはまさにそうですよね。モータウンもそう。

 ところが日本だとそういう例は見当たりません。90年代半ばに小室哲哉が出てきますが、彼の場合はほとんど一人でコントロールしているので、集団でサウンドをマネージしていたフィレスやモータウンとは違います。そういう意味で中田ヤスタカもちょっと違いますね。

 ベビメタは複数のクリエイターをチーム制で回していますが、複数のアーティストに曲を提供しているわけじゃないので、これも該当しない。なので、フィレスやモータウンスタイルの、日本における唯一にして最大の成功例がビーイングなんじゃないかと僕は思うんですね。

 話を戻します。

 では、その「ビーイングの音」というのは具体的にどういったものか。ひと言でいえば「ハードロック」です。それも、80年代のLAメタルを継承した、歪み系よりも空間系を強調されたエレキギターを中心に据えたサウンドです。これはマーケティングによるものというよりも、プロデューサーでありレーベルトップの長戸大幸をはじめ上記の腕利きクリエイターたちの多くがロック畑出身で、且つ80年代から活動していたからということの自然ななりゆきのような気がするんですけど、どうでしょう。

 んで、ZARDも例外じゃないんですね。ZARDとメタルってイメージは結びつきづらいと思うんですけど、実は初期の頃の曲ってよくよく聴くとエレキギターがめちゃくちゃ強い。イントロなどでフレーズを奏でるのは大体ソリッドなギターの音だし、メタル色が顕著です。

 デビュー当初のZARDが「バンド」だったということはよく知られていますが、当時の曲を改めて聴いてみると、最初はビーイングももっとゴリゴリのロックバンドとして彼女たちを売り出したかったんだろうなあと感じます。2ndアルバムの『もう探さない』なんて、後年のさわやかなイメージが想像つかないほど暗くて重い。ジャケットもアルバムタイトルもえらいダークですよね。




 ただ、残念ながらこのハードな路線のZARDは売れませんでした。多分、この路線をそのまま突き進んだら、今我々の知るZARDはなかったでしょう。そのような状況を打破したのが92年8月に出た4枚目のシングル<眠れない夜を抱いて>でした。ZARDはこの曲でオリコンランキングのトップ10内に入り、ブレイクのきっかけをつかみます。

 ではこの曲の何が良かったのか。ここには、後にZARDとヒット曲を量産し、90年代を代表する大作曲家となる織田哲郎の素晴らしい職人芸が発揮されているのですが、長くなってきたのでこの話は次回。ちなみにこのあと、織田哲郎の話、アルバムアーティストとしてのZARDの話、そして「90年代」という話にまでいこうと思ってるんですが、おお、一体何回書けば終わるんだろう。






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Low『Christmas』

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華やかなだけが
クリスマスじゃない


 The Beatmasや昨年のSIAなど、これまでこのブログでは何枚かクリスマスアルバムを紹介してきました。徐々に量がたまってきたので、新しくクリスマスのカテゴリを追加しました。

 我が家のクリスマスアルバムコレクションには今年も続々と新しいカタログが増えています。今年出会ったなかで、もっともインパクトが大きかったのがこれ。米ダルース出身の3ピースバンド、Lowが1999年にリリースした『Chrismas』という8曲入りのミニアルバム。我が家のコレクションのなかでも特にユニークなクリスマスアルバムです。

 どこがそんなにユニークなのか。ポイントは二つあります。

 一つは、本作が「USオルタナ風アレンジのクリスマスアルバム」であること。ローファイでかさかさに乾いていて、重たい頭痛のような陰鬱さが漂うこのアルバムのサウンドは、今や懐かしくなってしまった90年代USオルタナのイメージとぴたりと重なります。

 ジャズ風だったりブルース風だったり、クリスマスソングをちょっと変わったアレンジに仕立てた作品はたくさんありますが、「USオルタナ風」なアルバムはなかなか見かけません。白眉は3曲目に収録された、鳴りっぱなしのノイズのなかで歌われる<Little Drummer Boy>。同曲の数あるカバーのなかでも屈指の名アレンジだと思います。

 ちなみに、Lowというバンド自体は、いわゆるUSオルタナとは距離をとったグループだと理解しています。Lowはもっとドラスティックというか、曲のテンポを極端に遅くしたり、メロディから抑揚を抜いたりと、かなりハードコアなバンドです。そんな彼らが珍しくポップネスに歩み寄った作品という意味でも、このアルバムは貴重です。



 もう一つのポイントは、個人的で主観的な話になります。一見レアで、文字通り亜流(オルタナ)な代物に見えるこのアルバム。ですが僕は、このアルバムこそ実は本来のクリスマスソングのフィーリングに近いのではないかと感じるのです。

 僕のクリスマス観は、子供の頃に過ごした米ボストンでの体験が基になっています。

 東京でも12月になると、表参道や六本木、新宿あたりでクリスマスのイルミネーションが飾り付けられます。これらの日本のクリスマスとボストンのクリスマスは、まるで違います。一番の違いは、ボストンのクリスマスの方がずっと地味であること。確かに街のいたるところにツリーや電飾が飾り付けられますが、光の量は控えめで、日本のような目が痛いほどのギラギラした感じはまったくありません。

 ボストンのクリスマスは、もっとずっと静かでアットホームです。イブの夜、街のメインストリートへ行ってみると、そこには住民全員が集まったのではないかと思うほど大勢の人たちが集まって、聖歌隊の歌やバンドの生演奏を聴きながらお祝いをしていました。僕も家族や同級生たちとその輪に入って音楽を聴いたり、サンタクロースからお菓子をもらったりしました。もう30年も前のことですが、僕は今でも昨日のことのようにそのときの光景を思い出せます。

 ボストンのクリスマスには、華やかさだけでなく、宗教イベントとしての厳粛さのようなものがあった気がします。飾り付けや人々の服装にいたるまで、はしゃぎつつも節度があり、クリスマスツリーや電飾で飾り付けられた郊外の家の庭にさえも、「お祝いをする」という宗教的な裏付けがありました。

 だから、クリスマスソングというと華やかで心が浮き立つようなアレンジのものだけをイメージしがちですが、実はそれははあくまでクリスマスというイベントの一面でしかなく、孤独の寒々しさを思わせる曲や、ある種の陰鬱さを感じさせる曲もまた、クリスマスには欠かせないと僕は思っているのです。

 前述の<Little Drummer Boy>にしても、ストイックな巡礼者のように重たい<Long Way Around the Sea>にしても、孤島の崖に立つ教会のような<If You Were Born Today>にしても、「いわゆるクリスマスソング」ではないかもしれません。でも僕は、このアルバムが単に風変わりなだけのアイテムだとは思いません。むしろ、「いわゆるクリスマスソング」よりもこの作品のほうが、30年前のボストンのクリスマスの記憶を鮮やかに蘇らせるのです。








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サザンオールスターズ『愛の言霊〜Spiritual Message〜』

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「意味はないけどノリはある」
それでいいじゃないか


 今の若い子たちにとっては、サザンというとやはり<TSUNAMI>のイメージなんでしょうか。

 僕はあの曲がバカ売れしたとき、苦々しい気持ちになりました。確かに<TSUNAMI>は”いい曲”だけど、この曲によってサザンそのものが「”いい曲”を歌うバンド」とだけ印象付けられたらもったいない。サザンと桑田佳祐はもっと奥深いし面白いのに、と思ったのです。

 前回、<涙のキッス>よりも<シュラバ★ラ★バンバ>に惹かれた理由として、意味で理解する音楽よりも、フィジカルで理解する音楽の方がグッとくるから、と書きました。実はこのことをさらに確信させるきっかけになった曲がありました。それが1996年のシングル<愛の言霊〜Spiritual Message〜>です。

 有名な曲なので今更ですが、この曲のサビ部分の歌詞を以下に抜粋します。
生まれく抒情詩(セリフ)とは
蒼き地球(ほし)の挿話
夏の旋律(しらべ)とは
愛の言霊(ことだま)

 小学生の頃はサザンの話ができる同級生はいなかったけど、中学に上がるとT君というサザン好きな友達ができました。そのT君が、<愛の言霊>がリリースされた直後、歌詞についてこんなことを言っていました。「サビの歌詞のお尻が『とわ』『そわ(挿話)』『とわ』って音になってるでしょ。これはフランス語の詩でよく使われる韻の踏み方なんだよ」と。

 T君の話を聞いて僕は「うおお、やっぱ桑田佳祐はすげえなあ!」と興奮したのですが、同時にこうも思いました。「なぜフランス語なの?」と。だって、<愛の言霊>はフランス的なテーマをもつ歌ではありません。むしろ東南アジアとかそっちのほうの雰囲気です。

 でも、この韻が利いているのは間違いありません。「とわ」「そわ」「とわ」という音のハネは、夕闇に炎がポッと上がるようで、「言霊」というスピリチュアルな言葉のもつムードを具現化しています。

 逆に、例えばサビの歌詞を「夏を楽しむ恋人たちが交わす愛の言葉は、この地球が誕生してから絶えず繰り返されてきた一種の叙事詩のようなものだろう」と書き換えたらどうなるか。確かに意味は通るかもしれないけど、はっきり言って陳腐です。この曲のムードはまるで生まれません。この歌はあくまで「生まれく抒情詩とは蒼き地球の挿話」という言葉のつなぎ方で、「とわ」「そわ」とセットで歌われなければいけないのです。そういう意味では、このフランス語の韻こそが曲の顔だともいえます

 結局僕の出した結論は「どーでもいい」でした。なぜフランスなのかという問いに答えはなく、この曲の前ではそんな問いなど実につまらないことのように思えました。「意味はないけどノリはある」、結局それで何の問題もないじゃないかと。

 前回、僕はサザンを聴いて初めて音楽を意味ではなくフィジカルで理解することを知った、と書きました。ここでいう「意味」とは、歌詞を文章として理解し、そこに明確なストーリーやテーマを見出せるということです。ところが桑田佳祐が示したのは、意味よりも音(=フィジカル)を優先するという手法で、結果として意味で伝えるよりもはるかに豊かなイメージを聴き手に想起させられるという事実でした。

 このような趣旨の話は、さまざまな場所で「桑田論」として語り尽くされていることではあります。1978年当時、日本の音楽ファンが<勝手にシンドバッド>で味わった衝撃は、まさに上記のような衝撃だったのだろうと想像します。僕の場合は<シュラバ★ラ★バンバ>と<愛の言霊>でそれを追体験したということでしょう。

 しかし、今振り返ってみてもっとも驚くのは、当時受けた衝撃そのものよりも、サザンという名のインパクトが、デビューから15年以上経っていた当時も10代半ばの田舎の少年にさえ有効だったという、その持続性と絶倫ぶりです。<TSUNAMI>も<涙のキッス>も<いとしのエリー>もいいけれど、サザンというグループさの普遍的な魅力をより表しているのは、一般には刹那的と(平たく言えば「名曲度が低い」と)思われている<勝手にシンドバッド>や<シュラバ★ラ★バンバ>、<愛の言霊>といった曲の方だと僕は改めて確信するのです。




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サザンオールスターズ『シュラバ★ラ★バンバ』

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音楽は「カラダ」で聴け!と
サザンが教えてくれた


 今年はサザンオールスターズの結成40周年でした。

 僕が人生で初めて自分のお金で買ったCDはサザンです。小学校6年生のときに買った、シングルの<シュラバ★ラ★バンバ>でした。

 まだ短冊形の8cmシングルの時代で、確か930円だった気がする。真っ白なジャケットに凹凸が掘られていて、斜めにすると光の加減で「Southern All Stars」の文字が見えるデザインでした。1992年なので、当時サザンはまだ結成15年にもなってない時代だったんですね。桑田佳祐はちょうど今の僕と同じくらいの年齢だったことになるのか

 その頃クラスでは、みんなが歌番組やヒットチャートに興味を持ち始め、お小遣いで好きなアーティストのCDを買うことが流行りだしていました。でも、<シュラバ★ラ★バンバ>が好きだという同級生や、ましてやシングルを買ったという友達は一人もいませんでした。

 サザンを知っている友達は何人かいましたが、みんな<シュラバ〜>と同時発売だった<涙のキッス>のほうが好きだと言っていました。実際、<涙のキッス>は年間のシングル売上で5位に入りましたが、<シュラバ〜>は13位に留まりました。でも僕は、子供ながらに確信をもって、<涙のキッス>よりも断然<シュラバ〜>の方がいいと思っていました

 どうしてそんなに<シュラバ〜>に惹かれたのか。

 この曲はドコモのCMソングでした。そのCMはメンバー自身が出演するPV風のもので、桑田佳祐が白バックでこの曲のサビを歌っていました。祖父母の家の居間で初めてこのCMを見たことを今でも覚えています。そして僕は、その場で家族にたずねました。「これは誰?」と。

 何がそんなに衝撃だったのかというと、まず歌詞がまったく聞き取れないこと。僕は、少なくとも日本語じゃないと思いました。でも何語かはわかりませんでした。そして、決して美声ではなく、ハンサムというわけでもなく、わざとくぐもったような声でがなるように歌うボーカルが衝撃でした。このボーカルの男の人が意味不明な言葉を、さらに意味不明にしているかのように見えました。

 しかし、一番衝撃だったのは、そのような意味不明な曲を「かっこいい」と感じる僕自身の反応でした。92年というと、米米CLUBの<君がいるだけで>や大事MANブラザーズバンドの<それが大事>、浜田省吾の<悲しみは雪のように>なんかがめちゃくちゃ売れた年だったのですが、それらとは真逆といってもいいこの曲の方に、僕はなぜか惹かれました。

 僕はそれまで「歌を好きになる」ということは、「歌詞を好きになる」ということなんだと漠然と思っていました。歌詞は共感されるためにあり、メロディも「失恋の歌は悲しい調子」「元気づける曲は明るい調子」といった具合に、歌詞の情景やテーマを説明するためにある。つまり僕は、歌は「意味」で理解するものなんだと思っていたのです。

 ところが<シュラバ★ラ★バンバ>の歌詞は、意味を理解するどころか、そもそも言葉を聞き取ることすらできませんでした(シングルを買って歌詞カードを見て、サビは「修羅場穴場女子浮遊」と歌ってるんだとわかっても、やっぱり意味はちんぷんかんぷんでした)。

 でも、意味はわからなくても、「シュラバナバジョージピユー」という言葉の「音」そのもののおもしろさや、その後に「アイノーブラーバダンスモユー」というこれまた正体不明の言葉を続けて畳み掛ける「スピード感」「韻」の心地よさといった、意味がわかる/わからないという次元とはまったく別のおもしろさが、この曲にはありました。

 実はこの後、僕は実家にあった伝説の4枚組ベストアルバム『すいか』に手を伸ばしたのですが(今思うとなんて恵まれた環境だったんだろう)、そのなかで最初に好きになった曲が<思い過ごしも恋のうち>でした。

 この曲の中盤に出てくる「どいつもこいつも話の中身はどうなれこうなれ気持ちも知らずに」という一節を、早口言葉のようなスピードで畳み掛けるところが面白くて何度も巻き戻して聴いてました。あれなんて、当時の歌謡界の文脈では(そしておそらく今でもなお)完全にギャグなんだけど、あのとんでもないスピードでまくしたてるデタラメ感を、僕は「なんかいいな」と思ったんですね。

 今になってみるとわかるのですが、僕はサザンで初めて音楽を、意味ではなくフィジカルで理解したんだと思います。そして、意味でしか理解できない音楽よりも、フィジカルで感じられる音楽のほうが、おもしろさやかっこよさがよりダイレクトに伝わってくる、平たく言えば「グッとくる」ことにぼんやりと気付いたのです。だからこそ僕は<涙のキッス>ではなく、<シュラバ★ラ★バンバ>のほうに惹かれたんだと思うのです。

 このことを思い出すたびに「小6の俺、なかなかやるな」という気持ちになります。自分の音楽遍歴が<涙のキッス>ではなく<シュラバ★ラ★バンバ>から始まっていることを、僕はひそかに誇りに思っているのです。





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The Cranberries 『Bury The Hatchet』

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さようなら、
僕の「17年前の記憶」


 アイルランドの4人組、クランベリーズが1999年にリリースしたアルバム『Bury The Hatchet』のなかに<You And Me>という曲があります。以前このブログで、劇団での「選曲」の話を書いたことがありますが、僕が劇団で初めてオリジナルの戯曲を書いた作品で、物語のクライマックスで流したのが、この<You And Me>でした。今からもう17年近くも前になります。

 初めて自分の手で物語を書いて、それを大勢の人に見てもらうという体験は、まるで素っ裸になって人前に立つような気分で、恥ずかしくて仕方ありませんでした。だから、本番の上演中は、僕は客席にいるのがいたたまれなくて、ずっと劇場のロビーにいました。寒くなり始めた12月の初旬だったのですが、当時使っていた劇場は母校の高校のホールだったのでロビーに暖房設備がなく、僕はコートを着込んでマフラーを巻きながら、劇場のドア越しに聞こえてくるセリフや音楽に耳を澄ませていたのです。

 クランベリーズの<You And Me>を聴くと、17年経った今も昨日のことのように、僕はあの寒々とした劇場ロビーを思い出します。恥ずかしさと、初めてオリジナルを作った誇らしさ。そして、ラストシーンが終わってしまえばセットも客席も跡形もなく撤去され、すべては夢のように消えてしまうというさみしさ。あのとき感じたいろんな気持ちが、音楽を聴くだけで蘇るのです。


 この<You And Me>が収録されたアルバム『Bury The Hatchet』は、クランベリーズにとって4枚目のアルバムです。僕はなぜだかずっと「彼らの作品の中でもっともオルタナに振り切った暗くて陰鬱なアルバム」という印象をもっていたのですが、久しぶりに聴いてみたらまったく違っていました。

 冒頭の<Animal Instinct>、<Loud And Clear>、<Promises>という3曲は確かにシリアスですが、それ以上にポップだし、<Just My Imagination>、<Shattered>、<Desperate Andy>の中盤の3曲は、今改めて聴くとオルタナというよりもネオアコからの血脈を感じます。暗くて陰鬱どころか、むしろ明るく激しくて、このバンドのルーツのようなものを感じられるぶん、ど真ん中ストレートなアルバムという印象すら抱きます。なにせ、最後に聴いたのは10年以上前だからなあ。

 ただ、昔も今も印象が変わらないのは8曲目<Saving Grace>とラストの<Dying In The Sun>。「あなたは私の悲しみを消してくれるほんの小さな希望」と繰り返す<Saving Grace>はあまりに切なく、<Dying In The Sun>はあまりに美しい。特に<Dying In The Sun>は、過去への後悔や未来への不安を感じさせる歌詞なのに、ドロドロとはせず、むしろ透明感をともなって祈りのような敬虔さを感じさせます。

 この2曲に共通しているのは、ドロレス・オリオーダンのボーカルの、他の曲とは違った一面が見られることです。<Dreams>や<Linger>、<Zombie>といった代表曲でのドロレスのボーカルを「動」とすれば、この2曲は「静」。圧倒的な声量をあえて抑えた彼女の声は、まるで10歳にも満たない少女のようです。<Dying In The Sun>はドロレスが第1子を妊娠したときに、母になることの喜びと再び音楽に向き合えなくなるのではないかという不安との葛藤のなかで書かれた曲です。彼女の少女の声はその葛藤をそのまま包み込んでいて、聴いていると心細さと温かさの両方を同時に感じます


 先週1/15、ドロレス・オリオーダンは亡くなりました。46歳でした。久々に『Bury The Hatchet』を聴いたのも、このことがあったから。そして、今ではもうクランベリーズを聴くことなんてほとんどなくなったのに、ドロレスの訃報には自分でも意外なほどショックを受けました。

 17年前の体験と分かちがたく溶け合った<You And Me>は、もはや僕の人生の一部です。その声の主がいないことを想像すると、単に有名ミュージャンが亡くなったときとは異なる喪失感が襲ってきます。彼女の死によって、僕の17年前の記憶もまた、さらに遠くへと離れてしまったような気がするのです。






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The Trash Can Sinatras 『Cake』

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The SmithsとThe Stone Roses
その「隙間」


「トラッシュキャン・シナトラズ」というバンド名だけを聞くと、いかにもひねくれ者っぽい風変わりな音楽を鳴らしそうですが、実際には情緒あふれるメロディと粒だったギターを特徴とした、とても繊細で優しい印象を与えるバンドです。イギリスのバンドですが、ロンドンやマンチェスター、グラスゴーといった都会ではなく、スコットランドの沿岸部の町、アーヴァインという出身地の風土が、(勝手なイメージですが)その音の中に込められているような気もします。

 彼らの結成は1986年。まさにどんぴしゃの「C86」世代なわけですが、彼らのデビューアルバム『Cake』を聴くと、当時のネオアコ勢特有の「不健康そう」「日光を浴びてなさそう」といったイメージはなく、むしろ<Obscurity Knocks>のイントロのリフにみられる「踊れるノリ」からは、マッドチェスターを経たフィジカルさを感じてしまいます。

 実際、この『Cake』というアルバムがリリースされたのは、マッドチェスター全盛期ともいえる90年。Wikipediaによると、彼らは結成1年後の87年に早くもポール・ウェラーやラーズらを擁するレーベルGO!DISCと契約するのですが、契約の前払い金が入ると彼らは自分たちのスタジオを購入し(なんて堅実なんだ)、そこでじっくり3年もの時間をかけて、1枚目のアルバムに取り組んだそうです。

 結果、本作はC86とマッドチェスターの両方の時代の空気を吸った作品になりました。そういう意味で、僕の中でトラッシュキャン・シナトラズというバンドは、スミスストーンローゼズという2つの大好きなバンドの隙間を埋めるような存在なのです。

 ストーン・ローゼズと書きました。シナトラズをなぜ今さらで聴いていたかというと、ローゼズ来日に合わせて彼らの周辺の音楽をいろいろ聴いていたからでした。

「ローゼズ」という文脈で聴いたので、例えば<Maybe I Should Drive>が<Waterfall>に重なったし、<Circling The Circumference>が<She Bangs The Drums>に重なったりしました。ただ、ローゼズが日本を去って熱が冷めた今、改めてシナトラズを聴いていると、僕の頭に浮かんできたのは、遠く離れたアメリカのバンド、R.E.M.でした。

 以前も書いたように、僕の中でスミスとR.E.M.は似た印象を持つバンドなので、シナトラズとスミスの近さを思えば、その流れでR.E.M.が連想されても不思議じゃありません。そしてこの連想によって僕は、以前スミスの記事で書いたことを、改めて感じることになりました。

 それは、音楽との「好き」「嫌い」を超えたゆるい連帯感です。

 ある音楽を初めて聴いたときに「自分のもの」と感じるか「他人のもの」と感じるか、あるいは「近い」と感じるか「遠い」と感じるか、その大きな分水嶺が、僕にとってはまさにこのあたりの、80年代半ばから90年にかけての音楽にあるんだなあと感じるのです。

 スミスの記事では、僕は「優しさ」という表現を使いました。シナトラズについても、僕は冒頭「優しい」と書きました。ですが、C86にしてもカレッジ発オルタナミュージックにしても、
その定義が「優しさ」だったわけではありません。これは、あくまで僕個人の感じ方です。

「モテないから勉強しかすることなかったガリ勉」という、悲しい少年時代の性か、僕はこれまで、音楽を聴くときでさえも、例えばその作品のリリース年と当時の時代背景や、ポップス史におけるその作品の位置付けといった「正しい知識」と絡めないと、どうも落ち着かないところがありました。

 でも、そんな聴き方をして、何が楽しいんだろうと最近しみじみ思うのです。シナトラズやR.E.M.を「優しい」と感じ、80年代半ば〜90年に分水嶺がある、そういう、「正しい知識」と切り離された、僕だけの音楽世界を描くことの方が、ずっと大事だよなあと30半ばを過ぎて感じています。はい。

 ちなみにシナトラズは現在までに計5枚のアルバムを発表していますが、僕としては断トツでこの1stが好きです。








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L⇔R 『Singles & More』

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14歳の頃よりも
今のほうが彼の音楽が好き


中学2年で初めてギターというものを手に入れたとき、僕にはまだ、
「ギターという楽器はコードをジャカジャカかき鳴らすか、
指を魔術のようにくねらせながらティロリロ弾くもの」

という程度のイメージしかありませんでした。

そのイメージを最初に変えたのが、L⇔Rでした。
彼らの代名詞となったミリオンセラーシングル、
<Knockin' On Your Door>のバンドスコアを開いてみると、
そこにはコードをひたすら弾く単純なものでもなく、
かといって、記号だらけで見るからに「無理!」と投げ出したくなるようなものでもない、
単音をベースとしたシンプルな譜面がありました。

当時の僕の知識といえばフォークギターの教本(のサワリ)しかなかったので、
コードを弾くときはピック、単音を弾くときは指という思い込みがありました。
なので、「単音をピックで弾く」ということ自体が新鮮でした。

そしてさらに衝撃的だったのは、CDを聴いても、
この譜面に書かれているはずの音が聞き分けられなかったことでした。
「エレキギターの音はギュイイインと歪んでるはず」という(これまた)思い込みがあったので、
まさかこのクリアーに澄んだ音がギターの音だとは予想していなかったのです。

じゃあ最初からその音や弾き方に夢中になったかというと、実はそういうわけでもなく、
「目立たないし地味だし、ギターのくせになんか弱っちいな」という半信半疑な気持ちのまま、
なんとなくCDに合わせて弾いていたのでした。
ただ、単音のアルペジオは当時の僕には練習しやすくて、
<GAME>も<BYE>も、その頃のシングル曲はだいたいスコアを買って弾いていました。
<DAY BY DAY>は、曲を聴くよりも先に楽譜を買って歌メロを自分で弾いて、
それを後から実際のCDで確認する、なんてことをしました。

とにかく、僕がギターを通じて音楽を吸収し始めた最初期の頃に、
「メロディは好き」「ギターはよくわかんない」という不思議な距離感のまま、
知らない世界を開いてくれたアーティストが、L⇔Rだったのです。


昨年12月に黒沢健一が亡くなって、僕は20年ぶりくらいにL⇔Rを聴きました。
懐かしさを感じるかと思いきや、むしろ新鮮で、
初めて本当にL⇔Rを聴いたかのような驚きがありました。
<Lime Light>の分厚いドラムとベースには鳥肌が立ち、
<Nice To Meet You>のイントロのシタールには思わずニヤリとしました。
「えっ?俺は昔こんなにかっこいい音楽を聴いていたのか?」と、
今現在の僕の感覚としてL⇔Rの音楽に興奮したのです。

でも、本当に驚いたのは、彼らがブレイクする前の曲にまでさかのぼって聴いたときのことでした。
彼らは一度レコード会社を移籍しています。
一般に知られる彼らの楽曲は、1994年にポニーキャニオンに移籍して以降のもの。
僕が今回聴いたのはその前の、ポリスター在籍時の楽曲を集めたベスト盤『Singles & More』です。

ポニーキャニオン時代の曲でさえも、
今聴けば彼らがものすごく(古い)洋楽志向の強いバンドだったことがわかりますが、
ポリスター時代の曲はさらに振り切っています。

<Bye Bye Popsicle>の12弦ギターや、
モロにフィル・スペクター<Now That Summer Is Here>
(この曲、一瞬<Good Vibrations>のフレーズが流れますよね?)
<Lazy Girl><(I Wanna)Be With You>なんて、
メロディの感じとかファルセットとかめちゃくちゃビーチボーイズじゃないですか。


「60年代ポップスの体現」という点でいえば、
黒沢健一こそ大滝詠一の後継者だったのでは?と思っちゃいます。
実際、このベスト盤の前半の曲がそのまま『EACH TIME』に入ってても違和感なさそう
音楽的バックグラウンドをそのまま自分流にアレンジして再現できるだけでなく、
それを自分自身の声で表現できるシンガーであるという点も、両者は似ています。

黒沢健一はL⇔Rの活動休止後も音楽活動を続けていました。
You Tubeで何曲か聴いたけど、どれも素晴らしかったです。

※この曲なんてポール・マッカートニーの生まれ変わりか?という感じ


元Spiral Lifeの石田ショーキチやスピッツの田村明浩らと組んだバンドMotorworksもかっこよかった。
なんで僕は20年も彼のことを無視していたのでしょう。
後悔しても遅すぎるのはわかっていますが、悔しいです。


14歳の頃、僕はL⇔Rの音楽がどういうバックグラウンドを持っているかまではわかりませんでした。
彼らの音楽を好きだったとはいえ、それは「なんとなく」という括弧つきのものであり、
正確には「好き」というよりも「気になる」というような距離感だったと思います。
だけど、当時聴いていた他の音楽はほとんど忘れてしまった中で、
L⇔Rの音楽はなぜか今でも歌えるし、今でもギターで弾けます
その理由を、20年経って改めて聴いた今、納得しています。

僕は当時よりも今の方が、L⇔Rが好きです








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RAMONES 『Adios Amigos』

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「大人」になんか、なるもんか

セックス・ピストルズもいいけど、クラッシュもいいけど、ダムドも最高だけど、
でも、数あるパンクバンドの中で結局誰が一番好きなのかと聞かれれば、
僕は迷わず「ラモーンズ」と答えます。

1974年ニューヨークで結成。
全員が「ラモーン」というステージネームを名乗るこの4人組は、
アメリカ国内のみならず、ピストルズやクラッシュなどイギリスの後進たちにも影響を与え、
その後の世界的なパンク・ムーブメントの礎を築きました。

ラモーンズの魅力は、なんといってもそのシンプルなスタイルです。
ドラムのリズムは基本的に全部8ビートで、ギターもダウンピッキングオンリー。
難しいことは一切なしです。
多分、楽器初心者でも彼らの曲なら1週間くらいで弾けるようになるでしょう。

それに、どの曲も3コードが基本で、多くても5つか6つくらい。
構成する和音が限られてるということは、どうしたって似たような曲ばかりになるということですが、
ラモーンズはそんなこともおかまいなし!
もうどれがどの曲なんだかCD聞いててもたまにわからなくなるのですが、そんなところも彼らの魅力。
ファンは彼らのことを敬意を込めて「偉大なる金太郎飴」と呼びます。

さらに、どの曲も超がつくほどの高速テンポ。
ニューヨークパンクの震源地となった伝説的ライブハウス「CBGB」にラモーンズが初めて出演したとき、
彼らは16分という持ち時間の間に、なんと12曲も演奏したそうです(12分で16曲という説もある)。

彼らが登場した70年代半ばは、プログレッシブ・ロックや初期メタルといった、
重厚長大で演奏難度が異様に高い音楽の隆盛期でした。

そこへ現れたラモーンズ。
セリフをあてるとすれば、「難しいこと考えずにガーッとやりゃいいんだよ!」というような感じでしょうか。
実際、ギターのジョニー・ラモーンは
「誰でもすぐに演奏できるようなロックが作りたかった」
という趣旨の発言をしています。
かのシド・ヴィシャスは、ラモーンズのレコードを聞いてベースを練習したというエピソードも残っています。
ロックが技巧化、産業化し、
アーティストとリスナーとが見えない敷居で分かたれるようになってしまった時代に、
ラモーンズは文字通り風穴を開けたのでした。


ラモーンズはホントいいですねえ。どう言えばいいのかわからないくらい、好きです。
なんというか、ロックの一番楽しい部分を体現する、そんなバンドだと思います。
彼らのさらに素晴らしいところは、上記のような「ザ・初期衝動」とも呼ぶべき荒々しいスタイルを、
最後の最後まで貫いたところです。

彼らの最後のスタジオ収録盤は95年リリースの『Adios Amigos』。
95年という時代にラモーンズがまだ現役を張っていたという事実にも驚きですが、
その音楽自体もデビュー作『ラモーンズの激情』の頃から何ら変わっていません。
相変わらずうるさいし、相変わらず速い!このブレなさに僕は圧倒的信頼を寄せます。

この『Adios Amigos』の1曲目に<I Don't Want To Grow Up>という曲が入っています。
元はトム・ウェイツの曲なのですが、まるでラモーンズのために書かれたかのように、見事にハマっています。
何と言ってもタイトルがいいです。
「大人になりたくない」。
これはまさにラモーンズの生き様そのものを表しているように感じます。



<I Don't Want To Grow Up>Video







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