週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】2000年代

The Aislers Set 『How I Learned To Write Backwards』

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「ポップはどこまで成立するのか」を
身体を張って実験する


 メロディはポップで可愛らしいのに、奇妙な楽器の取り合わせや明らかに温度感が異なるリフやリズムを組み合わせ、本来の可愛らしさを隠そうとするのは、単なる照れ隠しなのか、それとも「きれいにまとまろうとすること」への反抗なのか。The Aislers Set(ジ・アイスラーズ・セット)を聴くと、毎回その奇抜なアイデアの豊富さにドキドキします。

 アイスラーズは1997年、Henry's Dressなどのインディーバンドで活動していたエイミー・リントンを中心にサンフランシスコで結成された6ピースバンド。メンバーの一人は日本人のようです。6人という人数の多さが、どんなアイデアでも実現してしまうこのバンドの実行力の背景にもなっています。

 彼らはこれまで『Terrible Things Happen』(98年)、『The Last Match』(2000年)、『How I Learned To Write Backwards』(03年)という3枚のアルバムを発表しています。ここ10年以上新作はリリースしていませんが、バンドは解散してはおらず、14年には初期2作のアルバムが当時と同じレーベル、Slumber Recordsからリイシューされ、久々に人前で演奏もしたそうです。

「奇妙」「不思議」「わけがわからない」という点ではどのアルバムも甲乙つけがたいのですが、僕は3枚目の『How I Learned To Write Backwards』がもっとも、彼らの才能のすごさを表していると思います。

 1枚目2枚目はかろうじてC86あるいはガレージポップというような括り方ができそうなのですが、この3枚目はもはやジャンルのごった煮状態なのです。パンクからバブルガムポップにゴシック、60sポップスやスペクター風サウンドまであり、どこまでも腑分けできそうなマトリョーシカ的わけのわからなさ

 でも、この3枚目に彼らの個性が出ていると感じる一番の根拠は、冒頭に書いた、ポップなメロディと、そのメロディにぶつかっていくような音楽的アイデアとの、組み合わせのエグさです。本作がジャンルレスに聴こえるのも、結局はその表れに過ぎません。

 絵本から飛び出してきたように楽しげなメロディなのに、まるで天国から落ちていくような背徳的な匂いを感じさせる<Catherine Says>。<Emotional Levy>の民族音楽のようなフィーリング。<Paint It Black>を連想させる<Mission Bells>の性急さ。メロディの美しさとは裏腹に、不穏な重低音が絶えず鳴り続ける<Sara's Song>。<Through The Swells>の不規則なドラム。そしてなんといっても、硬いブラスのリフの陰にシュープリームス<I Hear a Symphony>が隠れてる<Melody Not Malaise>。この曲を最初に聴いたときに「うおお!」と叫びそうになりました。

 例えばメロディが「陽」の性質をもっていたら、組み合わされるアレンジは「陰」というように、一つの楽曲のなかに異なる質をもった複数の要素が、時に巧妙に、時に強引に、混ぜこまれています。

 その結果、必然的に楽曲は多面的な表情を持つことになります。イントロを聴いて「優しげな曲だな」という印象を持ったとしても、すぐにその印象を打ち消すような仕掛けが飛び出てきて、イメージが固定されることを頑なに拒否してきます。しかも、こうした「異なる要素のぶつかり合い」は、曲の中だけでなく、曲と曲というレベルでも起きるので、30分強のボリュームにもかかわらず、非常に重層的で情報過多なアルバムです。

 冒頭に「アイスラーズを聴くとドキドキする」と書きました。おそらくそのドキドキとは、彼らの音楽が、ポップと非ポップの境界線ギリギリを攻め続けているせいだと思います。いつガードレールを突き破って、崖の下に落ちてしまうかわからない。しかし、普通なら「ここまで」と線を引いてしまうところを、軽々と乗り越えてもっとギリギリのところまでいってしまうところは、時として常人の目には「自由」と映ります。リリースは少なく、コマーシャル的にも決して成功したとはいえないバンドでありながら、アイスラーズがリスペクトを集めるのは、そういうところなんだろうと思います。








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The Collectors 『The Rock'n'roll Culture School 〜ロック教室〜』

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「楽曲提供」という
不思議なトリビュートの形


スタイルもジャンルも異なるアーティストが一堂に会し、
あるアーティストの楽曲をそれぞれの歌い方、
それぞれのアレンジでカバーすることで、
元々の楽曲の新しい見え方が提示され、そのアーティストへの理解や思いが一段と深くなる。
そして同時に、カバーする側の個々のアーティストにも興味が湧いてくる――。

それがトリビュートアルバムの意義であるとしたら、
昨年12月にリリースされた銀杏BOYZのトリビュート『きれいなひとりぼっちたち』は、
本当に素晴らしいトリビュートアルバムでした。
トリビュートって、少なくとも僕は継続的に聴く作品ではないのですが、
『きれいなひとりぼっちたち』に関しては、
リリースから3か月経つ今も頻繁に聴き続けています。

麻生久美子の<夢で逢えたら>も、クボタタケシRemixの<ぽあだむ>も、
Going Under Groundの<ナイトライダー>も本当に最高。
ミツメの<駆け抜けて性春>なんて「卑怯だ!」とすら思います。
聴くたびに「ああ…銀杏は最高だなあ」という思いを改めて噛みしめると同時に、
食わず嫌いだったクリープハイプにも興味が湧いてきます。




ただ、世の中には「カバー」という形ではなく、
まったく別のスタイルでアーティストへのトリビュートを示したアルバムもあります。
その一つが、『きれいなひとりぼっちたち』にも参加しているコレクターズのトリビュートアルバム、
『The Rock'n'roll Culture School 〜ロック教室〜』

2006年にリリースされたこのアルバムは、
他のアーティストがコレクターズをカバーするのではなく、
コレクターズのために曲を書き下ろし、それをコレクターズ自身が歌う
という形をとっています。

楽曲を提供したアーティストは、
奥田民生、真島昌利、山口隆、曽我部恵一、ヒダカトオルスネオヘアーなど、
記名性の高い楽曲を書く、“濃い”メンツばかり。

山中さわお曰く、みんなコレクターズが大好きなので、
ぞれぞれが一番出来のいい楽曲を用意してきたらしく、
さながらトリビュートする側の意地の張り合いのようなところがあったそうです。
実際、例えば松本素生の書いた<19>などは、
「なぜ自分のバンドでやらないんだ?」と思うくらいの超絶名曲。
ヒダカトオルの<LAST DANCE>なんかもめちゃくちゃかっこいい。

しかも、コレクターズのために書き下ろしたとはいえ、
それぞれの楽曲には各アーティストの個性が発揮されているので、
コレクターズがGoingやビークルをカバーしているようにも聴こえてきて不思議です。

ただ、結局何よりすごいのは、
バラバラの色をもった楽曲を全て受けて立って、さも当然のように歌い倒す、
当のコレクターズ自身です。
だって、このアルバムを聴き終わって何が一番印象に残るかといえば、
結局加藤ひさしの声なんだもの。
トリビュートアルバムは基本的にVarious Artistsのコンピレーションですが、
このアルバムについては、間違いなく「コレクターズの作品」になっています。

各ソングライターの個性を感じられる一方で、
コレクターズの作品という説得力もある。
なんとも言えない、不思議な味わいが残る作品です。






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僕の「ロック・アイドル」

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The Pains Of Being Pure At Heart
『Belong』


ニューヨークはブルックリン発の男女混成バンド、ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハート。
めちゃくちゃ長い上に一度聞いただけでは覚えられないバンド名ですが、
今や彼らの名前は世界的に知られるようになっています。
2009年にリリースしたセルフタイトルのアルバムは、
デビュー作にもかかわらずNME等で年間ベスト・アルバムの1位に選出され、
瞬く間にロック界のアイドル的な存在になりました。

2009年は本当に彼らの話題で持ちきりでした。
世界中のロックファンが彼らのことを好きになったんじゃないかいうような盛り上がりでしたね。
未だにレコード屋に行くと「第2のペインズはコイツらだ」みたいなポップが
新人バンドのコーナーに飾られてたりします。
もちろん、僕も彼らの音楽に一目ぼれした一人です。

彼らの音楽を語るとき、「シューゲイザー」というのが一つのキーワードになります。
シューゲイザーというのは、1990年前後にイギリスを中心に登場した、
ギターのノイズ音が特徴的なバンド群のことです。
古くはジーザス・アンド・ザ・メリーチェインやマイ・ブラッディ・バレンタイン、
あとライドなんかも代表的なシューゲイザーバンドです。
日本ではスーパーカーが有名ですね。

ただ、シューゲイザーという音楽はコアなファンを生んだもののムーブメントとしては短命で、
90年代後半にはもうほとんど新たなバンドは生まれなくなっていました。
そして10年以上が経ち、突如彼らペインズが登場したのです。
ギターのノイズ音を多用した特徴的な音作りは、まさにシューゲイザー直系と呼ぶべきもの。
しかしペインズが優れていたのは、単にシューゲイザーサウンドに回帰するのではなく、
そこに「ポップ」という波及性を食い込ませた点にあります。

シューゲイザーというのは「ノイズ」という、本来は耳触りの悪いものを敢えて中心に据えるという、
退廃的な、あるいはそれゆえに耽美的な感覚を持っていました。
ペインズはそこに、シンプルで美しいメロディと男女混声ボーカルによる独特の浮遊感をかけ合わせることで、
暴力とポップとが混在する、新しい感覚のロックをつくったのです。
懐かしいと同時に新鮮でもある。
そんな不思議な体験を、ペインズは与えてくれます。

面白いのは、彼らはデビューするまでほとんど楽器演奏に関して素人だったという事実です。
実際、ライブとかを見ると、あまり上手くはありません。
逆に言えば、彼らは音楽に対するアイディアや創造性だけで支持を勝ち取ったことになります。
そこらへんもロックファンの支持を集めた理由かもしれません。

ちなみに、ニューヨークのブルックリンという街はこの2〜3年、
ロック界の「台風の目」的な存在になっています。
ヴァンパイア・ウィークエンドを筆頭に、MGMTやドラムス、ダーティ・プロジェクターズなどなど、
一癖も二癖もある、非常にオリジナリティの高いバンドがブルックリンから輩出されているのです。
さらにそこへペインズというスターが登場したことで、
一時期タワーレコードではブルックリン出身のバンドのCDだけを集めたコーナーができるなど、
かなり盛り上がっています。

アルバム『ビロング』は、今年の3月にリリースされたペインズのセカンドアルバムです。
話題を集めたデビュー作から約2年、プレッシャーも相当あったと思うのですが、
それを押しのけて前作よりもさらに磨きがかかった、かっこいいアルバムに仕上げてきました。
「ノイズとポップ」という方向性に対し、彼ら自身がより自覚的に取り組んでいることがよくわかり、
その姿勢にとても好感がもてます。
今、最も人に勧めたいバンドの一つですね。




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「Let It Be」への回帰

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The Beatles
『Let It Be...Naked』


 1970年リリースのアルバム『レット・イット・ビー』。ビートルズ最後のアルバムとして知られるこの作品は、同時にビートルズの歴史上最も「いわく」のついた作品でもあります。

 まず「最後のアルバム」という点に説明が必要です。このアルバムのレコーディングが行われたのは1969年初頭。ドキュメンタリーフィルムとして準備されていた「ゲット・バック・セッション」の中で制作された曲がベースになっています。

 しかし、この計画は途中で頓挫(後に編集され映画『レット・イット・ビー』として公開)。当時、ビートルズはアップル社の財政問題やブライアン・エプスタインに代わるマネージャーの人事問題など面倒な問題をたくさん抱えていました。また、4人はそれぞれ家庭を持つようになり、音楽家として、一人の人間として、別々な方向に目を向け始めていました。それらの問題が複雑に重なって、結局「ゲット・バック・セッション」は形として結実するには至らなかったのです。作られた曲は一旦お蔵入りになりました。

 その後、ビートルズの4人は「もうこれで最後」と決めて、真のラストアルバムを作り始めます。それが69年の9月にリリースされた『アビィ・ロード』。このアルバムのレコーディングをもって、ビートルズはグループとしての活動を終えました。

 しかし翌70年、音楽プロデューサーのフィル・スペクターが1年前にお蔵入りとなった「ゲット・バック・セッション」のテープをひっぱり出してきて、1枚のアルバムとしてまとめてリリースします。それが『レット・イット・ビー』。つまり、グループとしての歴史、あるいは4人の意識に寄り添って考えるならば、真のラストアルバムは『アビィ・ロード』になるのですが、発売順でいうと『レット・イット・ビー』の方が後に来るために、公式にはこのアルバムが“ラストアルバム”ということになっているわけです。

 非常にややこしいわけですが、さらにこのアルバムに「いわく」をつけているのが、当の4人、とりわけポールがこのアルバムのアレンジを全く気に入ってなかったという事実です。特に<ロング・アンド・ワインディング・ロード>のストリングスの激甘サウンドには激怒したと言われています。実際、それまでのサウンドのフィーリングからすると、確かにこの曲のアレンジには違和感を覚えます。かくして『レット・イット・ビー』は、ビートルズの歴史における「喉に刺さった小骨」のような存在として、長い間ファンの議論の的となってきたのです。

 そして、時代は下って2003年。デジタル技術が進んだことで、アルバム『レット・イット・ビー』から余分な音を取り除き、個々の楽曲が元々目指していたサウンドを蘇らせ、“本来の”『レット・イット・ビー』を作ろうということになりました。それが『レット・イット・ビー...ネイキッド』です。発表当時、全国紙に15段広告がバンバン出て、相当話題になりました。まあフィル・スペクターは相当ムカついたでしょうね、この企画(笑)。

 肝心の中身はというと、実はオリジナル版とそこまで大きな違い(何を持って「違う」のかという話になるとまた議論が必要ですが)はありません。トータルな印象における一番の違いは、オケの音量が増して、よりバンド感、「ロック」感が強くなったところでしょうか。元々軽量級だった選手が筋肉を厚くして重量級になった、みたいな感じです。要は、体重が変わっただけで人そのものが変わったわけではないのです(当たり前なんですけど、聞く前はわりとそのくらいのレベルの違いを期待しました)。

 もちろん、細かい加工が入っている痕跡はありますし、<レット・イット・ビー>や<アクロス・ザ・ユニヴァース>のように、オリジナルとは別テイク、あるいは別アレンジのボーカルを使用している曲なんかはかなり新鮮です。しかし、なんというのでしょう、これはこれで69年1月当初に4人がイメージしていたサウンドとは微妙に違うんじゃないか、という感覚が拭えません。別に根拠はないんですが、結局のところまだ「ネイキッド」ではない気がするんですね。フィル・スペクターでもない代わりに、ジョージ・マーティンでもない。また別の第三者の「意図」というものがどうしても見え隠れします。

 ではこの『ネイキッド』に全く価値はないのかというと、そうではありません。『ネイキッド』の絶対的に素晴らしい点、それは曲順です。オリジナルではラストに入っていた<ゲット・バック>が、『ネイキッド』では冒頭に配置されており、逆に<アクロス・ザ・ユニヴァース>や<アイ・ミー・マイン>など、オリジナルでは前半にあった曲が後半に置かれているなど、かなり大胆に入れ替わっています。構成も<ディグ・イット>と<マギー・メイ>が外されて、<ドント・レット・ミー・ダウン>(!)が収録されています。そして、ラストは<レット・イット・ビー>。

 <ゲット・バック>で始まり<レット・イット・ビー>で終わる。「かつていた場所へ戻ろう」という宣言から始まり「流れのまま、あるがままに」という無常観へと帰結する。この一連の流れには、ビートルズの歴史の終焉に秘められたドラマが詰まっています。この曲順によって掻き立てられるイメージこそ、『レット・イット・ビー』というアルバムが本来持つはずだった意味、すなわち「ネイキッド」なのではないかと思います。


聞き比べてみてください
<The Long And Winding Road>

オリジナルバージョン


こちらが「Naked」バージョン

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僕は彼女を「ロックスター」と呼びたい

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Amy Winehouse
『Back To Black』


 ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズジャニス・ジョプリン、そしてカート・コバーン。彼らには2つの共通点があります。1つは、独特且つ強烈な音楽的個性の持ち主であること。そしてもう1つは、全員27歳で亡くなっていること。先週、このメンバーの中に、不幸にも新たに加わってしまったミュージシャンがいます。イギリスの女性歌手、エイミー・ワインハウスです。

 彼女の死をニュースで知った時、僕が真っ先に思ったのは(他の多くの音楽ファンもおそらくそうであったように)、上記の「27歳のジンクス」でした。もちろん、彼らが揃って27歳で亡くなったのはただの偶然に過ぎません。しかし、もし他の凡百のミュージシャンが亡くなっても、僕はこのジンクスのことを考えはしなかったでしょう。エイミー・ワインハウスだからこそ、ジミヘンやジャニスら、早世のパイオニアたちとの相似を考えたのです。

 エイミー・ワインハウスという歌手は、ごく控えめに言っても天才でした。特に、数々の音楽賞を獲得した2枚目のアルバム『バック・トゥ・ブラック』は、文句なしの名盤でした。

 シンガーとして、あるいはソングライターとして優れていることはもちろんですが、彼女の存在を周囲から際立たせていたのは、その音楽性です。

 50年代のジャズや60年代のソウルという、古いレコードに閉じ込められていた音楽を、21世紀の感覚で蘇らせた功績は計り知れません。そして、「リズム」というものを非常に重視していたことから、従来のブラックミュージックファンよりも、ブラックミュージックに疎かったロックファンに対して強い訴求力がありました。僕自身も、普段は黒人音楽をあまり聞かないのですが、エイミー・ワインハウスの音楽に対しては何の違和感もなく、むしろ普段聞いているロックと地続きのものとして受け入れていた気がします。

 当時、エイミー・ワインハウスはまだ20代の前半でした。にもかかわらず、その音楽には圧倒的な素養と、古典に対する深い愛がありました。しかしその一方で、彼女自身の生活はドラッグとアルコールにまみれ、破滅的な匂いに満ちていました。彼女の歌声には、暗く湿った(まさにジム・モリソンのような)粘っこさがあります。その退廃的で切羽詰った感じは、まさにパンクであり、音楽が産業化していく中で、徐々に失われてしまったものです。

 スキャンダラスで、堕落的で、刹那的。しかし、そこからしか生まれない感動があるという事実を、エイミー・ワインハウスというアーティストはまざまざと見せつけました。自分の人生を食いつぶすようにして生きていたからこそ、彼女の歌には強烈なフックがあったのだと思います。

 新作が出たら間違いなく初日に買いに行っていたであろうほど、すごく好きでした。残念です。


アルバム1曲目<Rehab>


アルバム表題曲<Back To Black>


以前紹介したズートンズのカバー<Valerie>

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「37年間」の孤独な戦い

Smile

Brian Wilson
『SMILE』


世の中には“天才”と呼ばれるミュージシャンが数多くいますが、
「作曲」というテーマに的を絞って言えば、
ポール・マッカートニーは間違いなくその筆頭に挙げられるでしょう。
他にも優れたメロディメーカーは何人もいますが、
ポールの才能というのはちょっと次元が違います。
おそらく彼がいなかったら、
その後のポップ・ロックシーンは今とはまったく違うものになっていたのではないでしょうか。
メロディメイクのノウハウやコード展開のバリエーションは、
ほとんど彼(ら)が発明したと言っても過言ではありません。
そういう意味では、ポールと他のミュージシャンとはそもそも比べられないとさえ思います。

しかし僕はあえてもう一人、ポールと同じくらい圧倒的な才能を持った作曲家を挙げたいと思います。
――ブライアン・ウィルソン。
以前『ペット・サウンズ』(1966)について書いたときに少し紹介しました。
ビーチボーイズの元リーダーにしてメイン・コンポーザー。
残念ながら知名度はポールに負けますが、作曲家としての才能は引けを取りません。

彼ら2人のメロディに共通しているのは、
“作られたもの”という痕跡が一切ないところです。
初めから決まっていたかのように宿命的な音階、
独創的でありながら作為を微塵も感じさせない和音の流れ。
あまりに自然なので、初めて聴く曲でもずっと前から知っていたかのような錯覚に陥ります。
「神様」という表現は安っぽいかもしれませんが、
僕は彼らのメロディに、そのような人の手の及ばない何かを感じます。

しかし、2人はタイプとしては全く異なります。
ポールは感覚的で、頭に浮かんだメロディをポンッと形にして終わり、みたいな
気分一発な(まさに天才肌な)ところがあります。
一方ブライアンは、陶芸家が焼き上げた皿を何枚も割りながら究極の一枚を作り上げるように、
徹底的に自分のイメージを追い求める頑固一徹な芸術家、といったところでしょうか。
ビートルズのコーラスがいかにも適当な感じでバラけている
(それが絶妙に合っているのがスゴイのですが)のに対し、
ビーチボーイズのコーラスが一分の狂いもなくピチッと整理されているあたりが、
2人のタイプの違いを物語っているように思えます。

ビーチボーイズの音楽的なピークは、
前述の『ペット・サウンズ』とシングル「グッド・バイブレーションズ」をリリースした1966年と言われています。
特に『ペット・サウンズ』は、ビートルズを『サージェント・ペパーズ』制作へと駆り立てる大きな契機ともなった、
ロック史における一つの記念碑的なアルバムです。
ちなみにブライアンはこの時弱冠24歳。いかに早熟だったかがわかります。

しかし、ポールの傍らにはジョンという強烈なライバルがいたのに対して、ブライアンは孤独でした。
楽曲の制作を一手に引き受け、レコーディングではプロデューサー的な役割まで背負っていました。
そのようなプレッシャーと、度重なるツアーの疲労から、
ブライアンは『ペット・サウンズ』を作る段階で既にかなり深刻に精神を病んでいました。
そのためビーチボーイズは、ブライアンとスタジオ・ミュージシャンによる「制作班」と、
他のメンバーによる「ツアー班」とに分かれて活動していました。
明るいパブリックイメージとは裏腹に、
ビーチボーイズの実態はかなり異様なものだったのです。

『ペット・サウンズ』をリリースしたブライアンは、すぐさま次のアルバムの制作に取りかかりました。
実際に何曲かはレコーディングも行われました。
タイトルも決まっていました。――『スマイル』。
それが新作のタイトルでした。
しかし、結局この『スマイル』がリリースされることはありませんでした。

原因はいくつかあるようですが、最大の理由はブライアンの精神状態が極度に悪化したからでした。
彼は重度のドラッグ中毒に冒され、肉体は160キロもの巨体に膨れ上がりました。
彼はスタジオワークからも離れ、廃人同様の生活に迷い込んでしまうのです。

しかし一方で、その“作られるはずだったアルバム”『スマイル』は世間の注目を集めました。
『ペット・サウンズ』の評価が上がるにつれて、
リスナーは「ビーチボーイズ(ブライアン)は次に一体どんなアルバムを作ろうとしていたのか」と
想像を膨らませました。
また、次作に収録予定だった曲の一部が、シングルや海賊盤で出回り、
しかもそれらのレベルがとても高かったことから、
「もし『スマイル』が予定通り出来上がっていたら、一体どれほどの完成度だったのだろう」と
ファンの期待を煽りました。

とはいえ、ブライアンは依然として出口の見えない療養生活を送っており、
バンドもメンバーの死などがあって、70年代の終わりには実質的には解散状態になりました。
こうして『スマイル』は、「ロック史上もっとも有名な未発表アルバム」と呼ばれ、
伝説の一部になったのでした。

・・・ところが、なんと2004年、幻だったはずのアルバム『スマイル』は、現実のものとなるのです。
ブライアンは懸命にリハビリをし、ビーチボーイズを離れ、80年代から細々と音楽活動を再開していました。
そして、当初の予定から37年(!)遅れて、
彼は自らの人生に深く刺さった楔である『スマイル』を完成させたのです。

このことは僕に2つのことを考えさせました。
一つは、伝説は「伝説」であるから良い、ということ。
幻であるからこそ、僕らはその空白を想像力で埋めることができます。
伝説が「伝説」である限り、イメージはどこまでも膨らませることができます。
リスナーとしての勝手な立場から言えば、伝説が現実になった瞬間に、
その際限のない空想は終わってしまうのです。
そして、さらに言ってしまえば、
伝説や幻や「実現不可能」といったものごとが、いざ本当に目の前に現れると、
往々にしてガッカリしてしまうものです。
再結成したバンドのほとんどが、当時の熱さを失ってしまっているように。

この『スマイル』を最初に聴いたときも、軽い失望感があったのは事実です。
個々の楽曲は素晴らしいです。
ブライアンの中に眠る泉は、60歳を超えてもなお枯れてはいないと思いました。
しかし、やはり“僕のイメージしていた『スマイル』”には及ばないのです。
現実の『スマイル』は、僕が想像していたよりもやや冗長気味で、
メロディの美しさは相変わらずな反面、トータルで見るとどこかダイナミズムに欠けていました。
もっとも『ペット・サウンズ』を最初に聴いたときも「なんだこれは?」と思ったので、
今後『スマイル』に対する印象も変化する可能性はありますが。
いずれにせよ、『スマイル』の完成は、ある種の「夢の終わり」ではあったのです。

僕が考えたもう一つのこととは、
ブライアンが『スマイル』を完成させたという事実そのものに対する素直な感動です。
ファンが期待していること。そして『スマイル』を作り上げることで、
逆にその期待を裏切る結果になるかもしれないこと。
すべてブライアンはわかっていたと思います。
それでも彼は挑戦し、作った。そのこと自体がとても感動的です。

下に、ライブの映像を載せてありますが、
それを見てもわかるように、彼はずっとキーボードの前に座ったままです。
他のライブでも、彼が立って歌うことはまずありません。
村上春樹も(彼は筋金入りのビーチボーイズ・マニアです)以前どこかで書いていましたが、
おそらくブライアンの肉体にはかつてのダメージが残っていて、
もはや思うようには動かせないのではないかと思います。
また、ボーカルにしても、彼のトレードマークであったハイトーンがもう出ないんですね。
高音はすぐにかすれてしまう。張りもありません。

そういった“みっともない姿”を晒すことがわかっていながらも、なお自分自身と向き合い、
因縁深い『スマイル』と決着をつけようとするブライアンの姿には、
音楽的なレベルを超えたところで、心を揺さぶられます。
彼は40年近くもずっと戦い続けていたのです。
そしてなおも前へ進もうとしているのです。
完成したアルバム『スマイル』は、一つの夢を終わらせたかわりに、
より大きな何かを僕らに語りかけてくれます。


※つい先日、こんなニュースが発表されました
「元ビーチ・ボーイズ、ブライアン・ウィルソンの半生が映画化」
(映画.com)



 
ライヴ映像。アルバム『スマイル』はこの曲で幕を開けます。
<Heroes And Villains>


同じライヴだと思われます。僕はブライアンの曲のなかでこの曲が一番好きかもしれません。
<Surf’s Up>









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チャットモンチー 『生命力』

seimeiryoku





見た目は「森ガール」
なのに音はロックンロール


徳島出身のスリーピースバンド、チャットモンチー
メンバーの橋本絵莉子(ボーカル/ギター)、福岡晃子(ベース)、高橋久美子(ドラム)の3人は、
バンドよりも下北沢のカフェとかが似合いそうな女の子。
華奢で大人しそうで、およそロックには結びつきそうにないこの3人が、
なんでこうもタイトで重い音を出しちゃうのか。
デビューしてすでに5年経つけれど、僕は未だに彼女たちの見た目と音とのギャップが新鮮だ。
かっこいい。
すでに全国的な知名度を得ているチャットモンチーだが、もっともっと評価されていいと僕は思う。

『生命力』は2007年にリリースされた2枚目のアルバム。
まずこのジャケットが素敵。
きっぱりとしたブルーと陰影だけで描かれた3人の顔のイラストが、
可愛いけれど迎合していない彼女たち自身の姿勢をよく表している。

このアルバムを聴いていて毎回感じるのは、冒頭4曲のすさまじいキラーチューンぶり。
<親知らず><Make Up! Make Up!>とたたみかけ、<シャングリラ>で意表を突き、
濃厚なミドルチューン<世界が終わる夜に>へとなだれ込むという展開に、
4曲だけで早くもカタルシスを感じてしまう。
他のアルバムを聴いても思うのだが、チャットモンチーはアルバム序盤の組み立て方が上手い。

彼女たちは『生命力』の後、1年ほどして3枚目のアルバム『告白』をリリースしている。
現時点での最新のオリジナルアルバムはこの『告白』。
彼女たちの現在の人気を決定付けたアルバムであり、メディアの評価も高かった作品なのだが、
僕は2枚目の『生命力』の方が好きだ。
『告白』というアルバムはちょっと僕には“可愛すぎる”。
好きな男性に振り向いて欲しくて云々という世界観は、男としてはなかなかもう一歩踏み込みづらいのである。

それに対して『生命力』は、確かに恋をモチーフにした歌が大半を占めているものの、
テーマは恋を通り越して「自立」「孤独」といった普遍的なものへ手を伸ばしている。
希望なんてない」「愛という名のお守りは結局空っぽだったんだ」なんていう、
けっこう痛々しいフレーズも散見される。
『告白』のような垢抜けた感じはないのだが、その分粗い砂粒を噛んだような苦さがあり、
僕はそこに惹かれるのだ。

だがとにかく何を置いても彼女たちの最大の魅力は冒頭述べたパワフルなサウンド。
スリーピースでありながら音はぶ厚くて重い。
ギターとベースとドラム以外の楽器に(ほぼ)手を出さない姿勢もかっこいい。
彼女たちの現在の人気を担保にした歌モノとしてのキャッチーさだが、
本来のチャットモンチーは「音で味わう」バンドだと思う。
この『生命力』がリリースされた1ヵ月後に上演したtheatre project BRIDGEの『クワイエットライフ』では、
早速<Make Up! Make Up!>を開場BGMとして流した。






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THE HUSSY’S 『WE EXPECTED』

we expected
ロックマニアのおじさんと幼い声の女の子
愛嬌たっぷりの直球ギターポップ


 初めて聴いた時、「ギターポップ」という言葉のまさに典型のようなバンドだなと思った。なんだか好きなのか嫌いなのかよくわからない言い方だが、もちろんめちゃくちゃ好きってこと。比較的最近知ったバンドなのだが、「こういうのが聴きたかった!」と一目ぼれしてしまった。

 スコットランドのグラスゴー発のハッシーズ。この『ウィ・エクスペクテッド』は彼らが2005年から06年にかけてリリースした初期3枚のシングルを基に編集した8曲入りミニアルバム。1曲1曲の洗練具合もさることながら、楽曲のバリエーションの多さに驚かされる。パンクからレゲエ調、ボードヴィルまでと実に幅広い。

 メンバーは「この曲はスミスっぽいでしょ」「この曲はポリスにインスピレーションを受けて作った」などと、あっけらかんと楽曲のルーツを語っていて、ロックマニアが自分のレコードコレクションを披露するような、そういう趣味的なところが、なんというか心地いい。楽曲のバリエーションの幅広さは、マニア心が発揮された結果なのだろう。

 ハッシーズのメンバーは6人(その後入れ替わりがあり現在は5人体制)。中心はボーカルのフィリ・オルークと、ギターのジェームス・マッコール。ハッシーズはこの2人によって作られた。フィリは結成当時21歳で、本格的なバンドはハッシーズが初めてだったらしい。一方ジェームスはすでにスーパナチュラルズというバンド活動していた(このバンドも素敵!)歴としたプロのバンドマンで、他のメンバーも彼のツテで加入した熟練のミュージシャンばかりだった。まるで、ロックファンのおじさん達のところに女の子が一人迷い込んだよう。だが、おじさん達が作る60年代、70年代の匂い薫るレトロな曲を、女の子フィリが幼さの残る声で歌うという、この微妙に“合ってない”感じが、ハッシーズのおもしろさでなのである。

 ただし、冒頭述べた「ギターポップの典型」という形容は、このちぐはぐなキャラクターを指して言っているわけではない。ハッシーズの持つポップネス、それは彼らの曲が持つ「歌」としての存在感である。1度聴けばもう口ずさめてしまうような、いやもっと言ってしまえば初めて聴いてもその場でハミングできてしまうような気にさせる、非常にシンプル且つハッキリした歌メロ。そしてその強いメロディを乗っける、これまたシンプルなギターとベースとドラムと鍵盤。フィリの声とレトロなサウンドとのズレが生きるのも、メロディとアレンジ双方の輪郭がくっきりしているからだ。目新しさはどこにもないけれど、そのかわり全てのギターバンドのもっともプリミティブな姿がここにあるのだ。

 何を「ポップ」と感じるかは主観的なもので、定義づけたり意味を説明したりすることはできないのだけれども、僕個人はビートルズを父に、サイモン&ガーファンクルを母にして育った人間なので、メロディの立った、歌としての志向性のある楽曲にポップネスを感じるのである。

 ハッシーズは本作リリース後、08年にはファーストオリジナルアルバム『スーパー・プロ・プラス』をリリース。これもかなりおすすめです。


<ウィ・エクスペクテッド>

<タイガー>

THE BEATLES 『THE BEATLES IN MONO』

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ステレオは真横から音が来る
モノラルは正面から音が迫る


 今更!ようやく!ビートルズのモノラル・ボックスを聴きました!

 これは、昨年9月9日に発売されたステレオ・リマスター盤と同時リリースされたもので、『PLEASE PLEASE ME』から『THE BEATLES(ホワイト・アルバム)』までの10枚のオリジナルアルバムと『MONO MASTERS』(『PAST MASTERS』のモノラル版)、つまりビートルズの楽曲のうちモノラルミックスが施されている音源が全て収録されている(『LET IT BE』と『ABBEY ROAD』の2枚はステレオミックスしか存在しない)。もちろん、全てリマスターされている。

 ビートルズのメンバーはモノラルのミックス作業には立ち会ったが、ステレオのそれはほとんどプロデューサーのジョージ・マーティンに任せっきりだったことから、メンバーの意志が反映されている音、つまり“ビートルズ自身が思い描いていた音”はモノラル音源にこそあると言われており、昨年9月の発売当初からファンの間ではステレオ・ボックスよりもこのモノ・ボックスを買い求める向きが強かった。モノ・ボックスのみバラ売りなしの初回限定生産だったこともファンを煽った(結局その後海外版モノ・ボックスの輸入盤というのが登場し、実質的には「初回限定」ではなくなったことでファンからはヒンシュクを買ったのだが)。

 僕はというと、当初から初期4枚の初ステレオ化というトピックの方に注目しており、元々旧盤からステレオを主体に聴いていたこともあって、迷わずにステレオ・ボックスを購入した(ステレオ・ボックスに関しては昨年載せた『ANTHOLOGY 1』『MAGICAL MYSTERY TOUR』『BEATLES FOR SALE』をご覧ください)。「音が生まれ変わった」と呼ぶべきステレオ・リマスター盤を僕は十二分に堪能していたのだが、その後ネットで飛び交うファンのレビューなどを見るにつれて、モノラル・リマスターの方も気になってはいたのである。

 で、実際に聴いてみた感想はというと・・・モノラルの方が良い(笑)。いやー、正直ステレオ主流のこの時代にモノラルなんて保守的な懐古趣味だと思っていたのだが、浅はかでした。

 まず、音のぶ厚さが全然違う。ステレオは音が真横からくる感じだが、モノラルは音が真正面からカタマリになって押し寄せてくる。また、楽器の音もモノラルの方がより質感がある。なめらかで柔らかで、ステレオのシャープな音と比べると耳ざわりが温かだ。特にギターの音は圧倒的にモノラルの方が良い。

 このモノ・ボックスを聴いて、少なくとも「ステレオ=新しい」「モノラル=古い」という認識は改めなければいけないと思った。リマスターとはごく簡単に言って汚い音をキレイにする作業だが、ステレオ音源とモノラル音源をそれぞれ旧盤とリマスター盤で聴き比べたときに、より落差がある(キレイになったと感じる)のはモノラルの方だった。

 ただ、「モノラルの方が良い」と感じるのは、おそらく「より生っぽい音で聴きたい」という僕のファン心理が多分に影響しているのだろう。厳密かつ冷静に聴き比べれば、ステレオがいいかモノラルがいいかは、アルバム・曲によるんじゃないだろうか。たとえば『Sgt. Pepper〜』から『ホワイト・アルバム』にかけての中期〜後期のアルバムはモノラルがいいし、反対に『HELP!』『RUBBER SOUL』にはステレオ映えする曲が多いと思った。また初期4枚は、やはり初のステレオ化というショックがあるので、ついついモノラルよりもステレオで聴きたくなる。コーラスワークなのかライヴ感なのか、その曲をどう聴きたいのかという各自が求める理想の音像(なんだかすごい話になってきた)によって、ステレオとモノラルどちらを選ぶかは異なるだろう。

 ステレオ・リマスター盤とモノラル・リマスター盤、両者の違いは自動車のオートマとマニュアルの違いに似ているように思う。一つひとつの音をわかりやすく区別し丁寧に配置したステレオ盤は、車で言うところのオートマ車である。手軽で実用的な反面、あっさりしていて時に物足りない。一方のモノラル盤はマニュアル車。ある程度の慣れが必要になるものの、両手両足をフルに使った運転には車を操ることの楽しさがある。だが、その楽しさもオートマを知っていればこそで、マニュアルしか知らなければただ煩雑に感じるだけだろう。モノラル盤の“味”も(少なくとも僕は)、ステレオ・リマスター盤を聴き込んでいたからこそ感じられたものなんだろうなあとは思うのである。

 つまりはステレオ・ボックスもモノラル・ボックスも両方持っているのが理想的なのであるという、う〜んなんだかあまり面白くない結論になってしまった。しかしそもそもの、そして最大の問題は両ボックス合わせて70,000円というコストである。高い!


聴き比べてみてください。どちらが好きですか?(ヘッドホンやイヤホンで聴くと違いがよくわかります)

<HELP!>ステレオ・リマスター

<HELP!>モノラル・リマスター

LAST DAYS OF APRIL 『MIGHT AS WELL LIVE』

might as well live
一人きりになっても「バンド」
その意地と誇りがかっこいい


 スウェーデン出身のバンド、ラスト・デイズ・オブ・エイプリル(LDOA)の2007年発表のアルバム。去年だったか一昨年だったか、本屋で洋楽雑誌のバックナンバーをパラパラめくっていたら偶然彼らのインタビューを目にして、そこで初めて知った。なんとなく僕の好みに合っていそうな匂いを感じ、あえて試聴も何もせずに買ってみたら見事にストライクゾーンど真ん中にハマった。以来、しょっちゅう聴いている。

 だが、このバンドのことはあまり詳しく知らない。持っているのはこの『マイト・アズ・ウェル・リヴ』1枚だけだし、おまけに輸入盤を買ったのでインナースリーヴに訳詞も解説も載ってはおらず、LDOAについての情報源は手元にないのである。ネットで調べてみても、どうやら公式サイトは日本には設けられていないようだ。おかげで、一体このアルバムが彼らの何枚目のアルバムかさえわからないという心もとない状態でこれを書いている。

 ただ、数少ないネットの情報でわかったのだが、まずこのバンドの中心人物はボーカル/ギターのカール・ラーソンという人らしい。写真を見るとまだ若そうだ(もっともそれは声で予想していたけど)。だが90年代後半にはすでにデビューしているので、相当若い頃、多分10代の頃からこのバンドで活動していたんじゃないだろうか。

 それからもうひとつ、バンドとはいうものの、現在LDOAのメンバーはカール1人しかいないらしい。ちょうどこのアルバムを制作する直前に、もう1人いたメンバーが抜けたそうだ。僕が読んだインタビュー記事の写真には確か2人写っていたので、あの片方の人が抜けてしまったということなのだろう。一人きりになっても解散せずにバンド名義で活動を続けているあたり、カールのLDOAに対する愛着や誇り、意地のようなものが感じられてかっこいいなあと思う。

 と、LDOAについて知っていることはこのくらいのものなのだが、しかしまあ本当は、周辺情報なんていくら知ってたって関係ないのである。切なく美しいメロディーはグッとくるし、カールのボーカルはすごくピュアな感じで優しいし、ギターの音も最高だ。メロディー、ボーカル、アレンジ(特にギター)の組み合わさり方とそのバランスが、「こういうのが聴きたかったんだよ!」という感じで僕にはものすごくフィットするのである。居心地の良さに満足して、理屈だとかなんだとかまで考えないのだ。

 曲が気に入れば、それを演奏している人たちの来歴や使っている楽器、プロデューサーは誰か、なんていう音楽以外の情報が自然と気になってくる。さらにはその前後の音源も聴いて「このアルバムはパワーポップからオルタナへのちょうど過渡期の作品なのだな」などと、より深く理解したくもなる。音楽以外の部分も含めたトータルなところから、そのバンドやアーティストの「物語」を想像するというのが、ロックならではの楽しみ方である。むしろ僕はこういう聴き方が断然多いので、1枚聴いただけで満足しているLDOAのようなケースはレアだ。

 だが、まあ常に自分のなかでの葛藤なんだけれども、そうやって周辺情報を仕入れながらコツコツ物語を紡いでいく聴き方より、「好きなんだからそれでいい」というLDOAへのようなざっくりとした聴き方の方が、より“ロック”なんじゃないかなあとも思うのである。この『マイト・アズ・ウェル・リヴ』を聴きながら、ふとそんな、他人から見たらとことんどうでもいいような反省をしてしまった。


<Who’s On The Phone?>PV
なんか可愛いビデオです

<Hanging High>PV
こちらもカラフルで可愛い

THE ZUTONS 『TIRED OF HANGING AROUND』

zutons 2nd
このバンド・・・
なんかヘン!!


 英リヴァプール出身の5人組、ズートンズ。とても個性的なバンドで僕は大好きなのだが、彼らの魅力を余すところなく言葉で説明するのはとても難しい(もっともそれはズートンズに限ったことではないけれど)。とりあえず、文末にリンクを貼った3曲のPVを観ていただきたい。

 この3曲に限らず、ズートンズのPVはどれもおもしろい。おもしろいというか、なんかヘン。すごくヘンなのではなく「なんかヘン」。突っ込みたいのに一体どこに突っ込めばよいのかわからず、振り上げた拳を引っ込めざるをえないような、妙にイライラする感じ。このフワフワとした「なんかヘン」なところがズートンズなのである。

 大体このバンドは5人の楽器構成からして一風変わっている。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、とここまでは普通。ここでもう一人加えるとするならセカンド・ギターか鍵盤、というのがロックバンドのトラディショナルだが、彼らの場合はサックスとなる。ゲストという形でサックス奏者が加わることはよくあるが、オリジナルのメンバーとして、それもトロンボーンやトランペットと一緒にではなくサックス単体が在籍しているロックバンドはなかなかいないだろう。音楽的な面でも、最初に聴いてパッとわかるズートンズの特徴はサックスの音で、ギターのリフばりにドスを利かせた金管音が強いアクセントとなっている。

 ちなみに、サックスを担当しているのはアビィ・ハーディングというバンド唯一の女性メンバーなのだが、このアビィがモデルのような美女で、ヒゲ面のむさ苦しい男メンバーと一緒に彼女が並んでいるという画自体が、なんかヘン。

 さらにもう一つ、ズートンズは歌の内容もなんかヘン。というかこれに関しては「相当」ヘンで、「君を縛り付ける。僕の物にする。地下に閉じ込める。虫だらけの部屋でネズミの毛を食べさせる」とか「する、しない。やる、やらない。やると言っても、どうせやらない」とか、もう訳詞を読んでいるだけでもおもしろい。基本的にどの歌詞もシュールでダークでぶっ飛んでいるのだが、彼らの場合、それを大マジメに歌い上げるので、こちらとしてはどう反応すればよいのか毎回わからない。ただ、この行き場のない感じをズートンズは確信犯でやっているわけで、その感性の鋭さはすごいと思う。

 とにかく、このズートンズというバンドは「そのまま」が嫌いらしい。ヒネられていたり倒錯していたり、何かとひと手間加えたがる。変化球ばかり投げるのだ。だが、そのさじ加減は絶妙で、個性的な味付けをしつつもギリギリ下品にはなっていない。彼らは2004年にデビュー後、現在までに3枚のアルバムをリリースしているが、初期の頃より一貫してブラック・ミュージックへの傾倒を見せており、よくよく聴けば彼らの音楽的変遷は、ソウルやファンクのノリをいかに自分たちなりに解釈して取り込むかの試行錯誤であることがわかる。そういう意味では、むしろ古典的なロジックを持ったバンドなのだ。

 この『TIRED OF HANGING AROUND』は06年リリースの、彼らの2枚目のアルバム。エイミー・ワインハウスがカバーした<VALERIE>を含む、大量のヒット・シングルが収録され、デビュー作に比べよりポップなアルバムに仕上がっているので、最初にズートンズを聴くのにおすすめな1枚。だが、デビュー作はダーク、この2枚目はポップ、3枚目はゴージャスと、それぞれ異なる色合いを持っているので、彼らのことが気に入ったらぜひ3枚とも聴いて欲しい。現在ズートンズは新作のレコーディング中。今年あたり4枚目が聴けるかも。ストレートなギター・ロックばかり聴いていると、時折彼らの「なんかヘン」なロックが無性に恋しくなるのだ。
 

<IT’S THE LITTLE THINGS WE DO>

<WHY WON’T YOU GIVE ME YOUR LOVE?>

最後に、これは本作には収録されていない曲なのだが、どうしても紹介したいオモシロPV
<WHAT’S YOUR PROBLEM>

elbow 『THE SELDOM SEEN KID』

seldom seen kid
このメロディーの美しさは
ベテランの意地とプライド


 エルボーという、ちょっと変わった名前のこのバンドは、1990年に英マンチェスターで結成された。キャリアは20年にも及ぶベテランだが、最初の10年間はなかなかメジャー・レーベルとの契約が決まらず、インディーで細々と活動していたそうで、かなりの苦労人ならぬ苦労バンドである。2001年にメジャーデビュー。08年リリースのこの『THE SELDOM SEEN KID』は彼らの4枚目のアルバムにあたる。

 以上のプロフィールは後から知ったことで、このアルバムに出会うまで、僕は彼らのことを知らなかった。先日立ち寄ったレコードショップで、有名音楽紙が選出した09年度のベストアルバムを、各雑誌のランキングごとに試聴できるコーナーが設けられていたのだが、そこで軒並み上位に食い込んでいたのがこの『THE SELDOM SEEN KID』だったのだ(リリースと選出の間になぜ1年のタイムラグがあるのかはよくわからない)。

 軽い気持ちで試聴したのだが、冒頭3曲を聴いただけで購入を即決した。こんな良いバンドを知らずにいた自分はなんてモグリだったのだろうと恥じ入ってしまった。とういわけで、これは本当に文句なしの名盤。おすすめです。

 エルボーは5人組のバンドで、楽器編成はボーカル・ギター・ベース・キーボード・ドラム、となる。だが各楽器が実にさまざまな音色を出すので、実際に聴こえる音はクレジットの表記以上に多彩な印象を受ける。さらには曲によって担当楽器が複数になったり、ゲストミュージシャンを入れたりしていて、まずその音のぶ厚さ、交響楽のような壮大さに圧倒される。

 曲の構成も、ポップ・ミュージックというよりもクラシックに近いというか、瞬間的な快感ではなく展開の美しさに重きを置いていて、とてもダイナミックである。「聴かせる」というよりも、「物語る」というような作りだ。抒情詩のような歌詞と相まって、幻想的な音の世界を築いている。

 このようなダイナミズムに溢れた構成や、時にはフルオーケストラまで導入する貪欲な食欲が、プログレ的な大仰さや単なる安っぽさに陥ることなく、むしろ圧倒的な透明感へと収束していくのは、曲の背骨となるメロディーがひたすらシンプルで美しいからである。波間に漂う小船のごとく旋律が揺れては戻りを繰り返す<THE BONES OF YOU>や、ボーカルとストリングスとのかけ合いが祝祭のような昂奮を生む<ONE DAY LIKE THIS>など、このバンドの作り出すメロディーには恍惚感すら覚える。

 ポスト・ロック的文法を用いながらも、エルボーの音楽が紛れもなくポピュラー・ミュージックであるという確信を抱かせるのは、このずば抜けた作曲センスによるものであり、それは、メロディーの弱さを実験的な音作りで応急処置をして済まそうとする多くのポスト・ロック勢に対する痛烈な返答でもある。ソフィスティケイトされながらもメロディー志向、すなわち「ポップ」であろうとする彼らの姿勢は、キャリア20年のベテランとしての頑固さのように見えて好感を抱く。

 それにしても、こういう予期せぬ出会いがあるから“試聴”というのはやめられません。


文中で触れた2曲を紹介。両方ともアビー・ロード・スタジオでの演奏風景です。
<THE BONES OF YOU>


<ONE DAY LIKE THIS>

CAT POWER 『THE GREATEST』

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振り向かずにはいられない
不思議な「いい声」


 ウォン・カーウァイ監督の映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を観たときに、ある挿入歌が気になった。その曲は予告編でも印象的に使われていて、僕はてっきり主演のノラ・ジョーンズの曲だとばかり思っていたのだが、調べてみたらキャット・パワーというアーティストの<THE GREATEST>という曲だった。

 女性シンガー・ソングライター、ショーン・マーシャルのソロ名義、それがキャット・パワー。米アトランタ生まれの人で、90年代初めからニューヨークで活動を始めた。デビューは1995年だから、すでに中堅どころのアーティストである。初期にはソニック・ユースのレーベルからアルバムを出すなど、オルタナ・ミュージック界では早々から知られた存在だったらしい。

 僕が気になった歌<THE GREATEST>をタイトルに冠したこのアルバムは、2006年リリースの、キャット・パワー通算7枚目のアルバムにあたる。「GREATEST」と付いているが、ベスト盤ではなくオリジナル・アルバムである。

 内容は、素朴なアコースティックテイストのもので、カントリーやフォーク、ソウルが混ざり合い、とても聴き心地が良い。なかでもソウルの比重が大きいところが特徴。どの曲も淡いセピア色をしていて、そのシュールなアーティストネームからすると、ちょっと意外な印象を受ける。

 一方、歌の中身はというと、セピア色どころか限りなく黒に近い灰色である。「私は空っぽの殻だけになってしまった」「あなたが恋しい」と、去っていった恋人への想いを切々と綴った挙句、「あなたなんか要らない」「もう欲しくない」と未練を怒りに変えて締めくくる<Empty Shell>や、「自分のことが大嫌い。もう死んでしまいたい」と、ミもフタもない<Hate>など、激情が出口を求めてのた打ち回っている。ラストに救いの予感が訪れる歌もあるが、基本的にはどの歌詞にも深い喪失感が漂っていて、サウンドのライトなノリとは似ても似つかない。このギャップもまた聴きどころといえるかもしれない。

 だが、キャット・パワーことショーン・マーシャルというアーティストの魅力を一言で語るなら、それは彼女の声ということになるだろう。『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を観て気になったのも、その独特の声が耳に引っかかったからだ。

 喉の奥でくぐもったように彼女の歌声はひどくか細い。なのに聴く者の心を瞬時に貫く強さがある。彼女の歌を聴くのが仮に街の雑踏のなかだとしても、瞬く間に自分ひとりだけの世界が切り取られてしまうようだ。孤独の底にあるような歌詞も、彼女が歌えばそれは透明な祈りへと変わる。痛みのなかにも優しさがあり、孤独感のなかにも奇妙な安心感がある。

 歌詞や楽器の音色よりも雄弁に語り、なおかつ説得力を持つ声。それを単に「いい声」と表現してしまってはあまりに雑な気がするが、ここには、そんな名状しがたい天性の魅力的な声がある。


<THE GREATEST>。映画の映像とともに。





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OGRE YOU ASSHOLE 『アルファベータvs.ラムダ』

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ギターが歌う
ボーカルよりも歌う


長野で結成され、現在は名古屋を中心に活動中のオウガ・ユー・アスホールが、
2007年にリリースしたアルバム。
前回紹介したヴァンパイア・ウィークエンドと同様に、
このオウガも一聴してすぐにそれとわかる、相当にユニークな音を出すバンド。
昨年、洋楽でもっともよく聴いたのがストロークスなら、邦楽はこのオウガ・ユー・アスホールだ。
一度ハマると病み付きになるサウンドで、僕はめちゃくちゃ大好きです。

メンバーは4人で、ボーカル/ギター、ギター、ベース、ドラムと、編成は極々普通のものながら、
どの楽器も一般的なロックバンドとは1,2枚位相のずれた音を鳴らしている。

まず2本のギターの絡み方が目を(耳を)引く。
和音でリズムを刻むのではなく、ギター自体が独自の旋律を追いまくる。
歌メロ以上にメロディアスなギターの音が2本合わさり、
しかも時にはそれにベースも加わり、それが歌っている最中も鳴っていて、
なんともいえない浮遊感を生み出している。

そしてボーカル。
出戸学の超ハイトーン・ヴォイスは、最初は素っ頓狂に聴こえ、
でも次第に何ともいえない愛らしさを感じるようになる。
壊れたおもちゃのようにピュアでさみしげな声は、このバンドのもっとも重要なキャラクターだ。

全体的にスキマだらけのサウンドなのだが、
そこにこちらの感情や想像力を喚起させる叙情性があり、
一見スカスカなその表面をめくってみれば、そこには実にタフな素顔が隠れているのである。
それにしても前回のヴァンパイア・ウィークエンドといい、
ハイトーンなボーカルとヘロヘロなギターサウンドの組み合わせというのが僕は好きみたいだ。

オウガ・ユー・アスホールは昨年からVAPレコードに移籍して、
シングルとアルバムを1枚ずつ発表している。
彼らの個性はいかにもインディーだなあと思っていたので、メジャーに移ったのは意外だった。

だが、メジャー1枚目となったアルバム『フォグランプ』よりも、
その前作にあたるこの『アルファベータvs.ラムダ』の方が完成度としては高いように思う。
全8曲と、ミニアルバムと呼んだほうが良いようなボリュームだが、
1曲目<コインランドリー>に始まり、うねるように登りつめる全体の構成と内容の濃さは聴き応え充分。
このバンドを聴く最初の1枚を選ぶなら断然このアルバムがおすすめだ。

余談ながら、僕はずっと彼らの曲を芝居のテーマ曲に使いたいなあと考えているんだけど、
未だ実現できていない。
(実際には『フォグランプ』の1曲目<クラッカー>という曲を前回公演でほんの少しだけ流しました)
この「フワフワ」「ヘロヘロ」サウンドを、いつか劇場の大出力スピーカーで聴いてみたいと思う。


まずはビデオ。曲は<フラッグ>


こちらはライヴ。曲は<コインランドリー>と<サカサマ>の2曲。4人の立ち位置がおもしろい。

Vampire Weekend 『Vampire Weekend』

vampire weekend





ロックのくせに
かわいいヤツ


いよいよ来週13(水)にVampire Weekendのセカンド・アルバムがリリースされる。
今年1発目の期待作です。

2006年にニューヨークの大学生4人で結成されたVampire Weekend。
ニューヨーク・タイムズ紙が「もっとも印象的なデビュー」と評したり、
あのデヴィッド・バーンが「初期のトーキング・ヘッズのようだ」とコメントしたりと、
当初から話題沸騰の注目新人だった。
実際、2008年にリリースされたこのセルフタイトルのデビュー作は、
その年の新人バンドのなかでもっとも売れたアルバムになる。

では彼らのサウンドが一体どんなものかというと、これが実にユニークでおもしろい!
ギターはヘロヘロでボーカルはスカスカ。
全体的にビート寄りなのは今時の感じだが、いわゆるダンスビートではなく、
南米やアフリカあたりの土俗的なアフロビートを感じさせるところが大きな特徴。

軽くて、陽気で、だけど歌詞にさりげなく毒を挟み込むようなウィットにも富んでいる。
「ヴァンパイア」なんていう名前だから、僕はてっきりゴス系の暗いロックなんだと思っていたのだけど、
聴いてみたら正反対だった。
脱力した感じがなんだか小憎たらしくて、とってもキュート。ロックのくせに“可愛い”のだ。

クラクソンズカサビアン、以前紹介したザ・ティン・ティンズなど、
2000年代後半のポップ・ミュージックを語るうえで、
踊れる」というのは大きなキーワードになっている。
Vampire Weekendがそういうトレンドをどこまで意識していたのかはわからないけれど、
「踊れる」バンドたちの多くがダンサブルなビートを自身の表現欲に衝動的に直結していたのに対し、
彼らVampire Weekendはビートを1つの素材として客体化し、
自覚的且つ理性的に扱っているのがわかる。
彼らのサウンドが、メチャクチャなように見えてどこか柔らかな印象を与えるのは、
精巧な計算によって全体のバランスが均されているからだ。
相当クレバーなバンドなのである(ちなみにメンバーは全員コロンビア大学出身)。

このようにサウンドのユニークさが目立つと、
かえってどの曲を聴いても同じに感じてしまう“金太郎飴”状態に陥りがちだが、
全13曲入り(1曲はボーナストラック)のこの『Vampire Weekend』は、
デビュー作にもかかわらず聴き応えがある。
これは、彼らが何よりもまずソングライターとして優れていることを示している。
飽きが来ないのはサウンドの斬新さというよりも、基礎土台となるメロディがそもそも魅力的だからだ。

来週リリースのセカンド・アルバムのタイトルは『CONTRA(コントラ)』。いや〜、楽しみ!







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