週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】2010年代

Vampire Weekend『Father Of The Bride』

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黒と白のように、昼と夜のように
僕らは一緒にやっていこう


 あるアーティストを追い続けていると、新作が出るたびに以前の作品から何がどう変わったか(変わってないのか)に敏感になってしまうものですが、ヴァンパイア・ウィークエンドが今年5月にリリースした新作『Father Of The Bride』も、前作『Modern Vampire of the City』(2013年)から6年のあいだに起きた変化を如実に反映したアルバムとなりました。

 一つは、トランプ政権の誕生。多くのアーティストが、「トランプ以降」の世界について、作品を通じて何らかのアティチュードを表明していますが、ヴァンパイア・ウィークエンドも例外ではありませんでした。<Harmony Hall><This Life>は、明らかにトランプ政権下のアメリカを視野に入れた曲だと思います。<This Life>の下記の歌詞なんて、思わずハッとしました。

Baby, I know hate is always waiting at the gate
I just thought we locked the gate when we left in the morning
And I was told that war is how we landed on these shores
I just thought the drums of war beat louder warnings



 しかし、バンドにとってこの6年間に起きたもっとも大きな変化は、なんといってもロスタム・バトマングリの脱退でした。

 ロスタムの脱退は、単に1人のプレイヤーがバンドから抜けたというだけに留まらなかったはずです。なぜなら、過去3作のプロデューサーを務めたのは他でもないロスタムであり、彼こそがヴァンパイア・ウィークエンドというバンドのサウンドの核を担っていたからです。

 なので、今回の『Father Of The Bride』は、ロスタムがこれまでバンドのなかで果たしていた役割を、逆説的に証明するような作品になっています。

 まず、音数がぐっと減りました。特にロスタムが主に担っていたシンセ系の音が減り、必然的にギター主体のサウンドに変わっています。ビートルズ<Blackbird>を思わせるギター弾き語りの<Hold You Now>を1曲目に配置しているところに、僕はなにか「宣言」めいたものを感じました。

 もう一つ、「これがロスタムの個性だったんだなあ」と感じたのはビートに対する感覚です。今回のアルバムを聴くと、過去3作がいかにビートを強調していたかがよく分かります。デビュー作の頃、よくヴァンパイア・ウィークエンドは「アフロビート」というような形容をされましたが、そのキャラクターを作っていたのはロスタムだったんですね。

 では逆に、ロスタムが抜けてバンドに残ったものは何か。僕はエズラ・クーニグの「メロディ」と「声」だと思います。やはりというか、エズラのメロディは絶対的な「華」のようなものがあり、さらにそれを歌う彼自身の声にも心を揺さぶる力があります(決して美声というわけではないのに、不思議ですね)。

 このことは、ロスタムがバンド脱退後リリースした最初のソロアルバム『Half-Light』が(これもまた逆説的に)証明していました。この1stソロを聴いたとき、サウンドはまんまヴァンパイア・ウィークエンドだったのですが、決定的に欠けていたのがメロディと、エズラのあの声だったのです。

 このように、『Father Of The Bride』というアルバムは、「変わったもの」と「変わらないもの」とがせめぎあっている作品です。18曲というボリュームと、それをメドレー的につなぎ合わせた構成は、「ポスト・ロスタム」の葛藤と混沌の表れのようであり、いくつかのメディアが指摘するように、確かにこのアルバムはビートルズの『ホワイト・アルバム』を彷彿とさせます。

 ただ、『ホワイト・アルバム』はメンバー4人それぞれが曲を持ち寄っていたのに対し、『Father Of The Bride』のコンポーザーは、基本的にエズラ一人だけ。残る二人のメンバー、クリス・バイオとクリス・トムソンはレコーディング自体に参加していない曲なんかもあって、ヴァンパイア・ウィークエンドは徐々にエズラの個人プロジェクトになっていくのかもしれません

 TVに出演してる映像なんかを見ると、サポートミュージシャンを大量に入れていて、以前よりもアンサンブル感は強まっています。一人の作曲者の頭のなかで鳴っている音を、何人ものミュージシャンで再現し、増幅していくというあり方に、僕はブライアン・ウィルソンに近いものを感じました。



 脱退したロスタムですが、実はこのアルバムにも一部の曲でプロデューサーとして参加しています。関係は切れてないんですね。よかったよかった。そのうちの1曲は前述の<Harmony Hall>で、実はアルバムを最初に聴いたときに「おっ、これいいじゃん!」と思ったのがこの曲でした。後で調べてロスタムが関わっているとわかり納得。

 そしてもう1曲が、<We Belong Together>。この曲でロスタムはプロデュースだけでなく、エズラとともに作曲者としても名を連ねています。タイトルからしてウルッときてしまいますが、歌詞も「僕らはずっと名コンビとしてやってきた。でも、それは二人が似ていたからではなくて、むしろ僕らは常に真逆だった。真逆のまま、これからも一緒に歩いていこう」というような内容で、なんて美しく前向きな友情の描き方だろうと、激しく感動しちゃいました。








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Family Basik『A False Dawn And Posthumous Notoriety』

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秘密の場所で作り続けた
自分だけの「最終兵器」


 10代の頃、僕にはいくつかの「好きなもの」がありました。ギターだったり、アニメだったり、特撮だったり、そのときどきで対象は変わったのですが、共通していたのは、どれも「一人で楽しむもの」だった点でした、クラスには他にもアニメが好きな友達はいたし、バンドを組んだりもしたけど、その対象に情熱を注いでいる時間の大半は、一人でした。

 だから、僕が世界で一番好きな場所は、学校でも放課後の街でもなく、自分の部屋でした。家に帰って部屋に入りドアを閉めた瞬間が、楽園の時間の始まりでした。エヴァの第13話『使徒侵入』を1日に何回も繰り返し見たり、マクロスの<愛・おぼえていますか>を流しながら朝までギターとキーボードで耳コピしたり、部屋は僕にとってまさに秘密基地であり、どこまでも自由な場所でした。

 加藤遊加藤りまによる兄妹デュオFamily Basikが、2014年にリリースした1stアルバム『A False Dawn And Posthumous Notoriety』を聴いて最初に思い浮かんだのは、一人部屋で過ごしたそんな時間のことでした。

 古ぼけたラジオから記憶のトンネルをくぐりぬけて聴こえてくるような遠い音。誰にも向けられていない独り言のようなボーカル。自己主張が少ない、パステルカラーのように淡いメロディ。このアルバムにはどこにも「他者」の存在が感じられません。そのような閉鎖性と、閉じているからこその甘美さが、部屋で過ごしていた時間にそっくりなのです。

 メインコンポーザーは兄の加藤遊ですが、妹りまが以前組んでいたフォークデュオ、ストロオズや、後にソロで出したアルバム『Faintly Lit』(←素晴らしいアルバムです)を聴いていると、彼女の影響も非常に大きいように感じます。ちなみに、2人の父親は村八分でベースを弾いていた加藤義明だそうです。サウンドの表層はだいぶ違いますが、インディースピリットみたいなものは父子でそっくりですね。

 Family Basikは18年に2枚目のアルバム『Golem Effect』をリリースしましたが、世界から隔絶された場所で誰にも知られずに作っていた最終兵器のような1stに比べると、2ndは外の世界に開かれた作品になっています。僕は断然1stのほうが好き。

 でも、僕が1stのほうに惹きつけられるのは、「ベッドルームポップ」という言葉の極致のような閉鎖性(とそこから生まれる甘美さ)だけではありません。その甘美さと背中合わせで、「孤独」や「さみしさ」といった感情も一緒に含まれているからです

 誰にも干渉されない自分だけの世界。誰も知らない自分だけの秘密の楽しみ。それは裏を返せば、誰とも共有できないということでもあります。「好き」を追求すればするほど、誰かとその「好き」を分かち合うことからはどんどん離れていきました。そういう痛みの感覚もまた、このアルバムの音には込められているように思います。

 いま大人になってみると、そんなほろ苦さをひっくるめて、すべてを懐かしく感じます。「ほろ苦い」などと使い古された表現で茶化してしまえるほど、今の自分はさみしさや孤独といったものに鈍くなってしまいました。いま、僕が痛みを感じるとしたら、10代の頃からずいぶんと遠いところまできてしまった、その距離に対してかもしれません。








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『The Beach Boys With The Royal Philharmonic Orchestra』

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オーケストラによる
オリジナルの「アップデート」


 買うまいと思ってたけど、結局CD買っちゃいました、『The Beach Boys With The Royal Philharmonic Orchestra』。その名の通り、ビーチボーイズのオリジナルのボーカル音源に、ロンドンのロイヤルフィルによる演奏をミックスした企画盤です。以前、同企画のエルヴィス・プレスリー版について触れたことがありますが、そのシリーズの最新作ですね。

 正直、そこまで期待してませんでした。最初に公開されたプロモーション映像を見たときもピンとこなかったし、「またぞろレコード会社がオールディーズ引っ張り出して、シニア層向けに商売始めやがったな」くらいに思ってました。なので、Spotifyで全曲視聴が始まったときも、半信半疑のまま一度だけのつもりで聴いてみたのですが…予想に反してめちゃくちゃ良かったのです!

 プレスリー版は、音のバランスもアレンジも主役はオーケストラで、プレスリーのボーカルはあくまでモチーフの一つに過ぎませんでした。それゆえ、プレスリーのアイテムとしては企画盤の域を出ない、どこか中途半端な代物でした。

 しかし今回のビーチボーイズ版は、オリジナルの音源を生かすことに重点が置かれており、オーケストラの音はとても控えめです。リアレンジは最小限にとどめられており、オリジナルのアレンジをオーケストラの音に置き換えるという、とてもシンプルな方針でまとめられています。

 その結果どうなったかというと、オリジナルのフィーリングはそのままに、音がよりクリアで分厚くなったのです。特に(意外なことに)リズムが強調された感があり、オリジナルにはなかった迫力が加わりました。楽器編成はクラシックでありながら音源はオリジナルよりもむしろロックっぽいという、面白い逆転現象が起きています。つまり、印象的にはオリジナルの楽器の音を現代の音質・音圧に入れ替える作業が行われており、結果としてこのアルバムは「ビーチボーイズのアップデート」を実現しているのです。


 ブライアン・ウィルソンの「60年代当時から僕らの音楽はオーケストラに合うと思ってたんだ」という言葉が本気なのか後付けのリップサービスなのかはさておき、ビーチボーイズとオーケストラとの親和性が高いのは間違いありません。流麗なメロディやアレンジの妙、そして美しいコーラス。彼らの音楽の核となる要素はどれも、オーケストラと混ざると一層際立ちます。

 逆に言えば、ギターやドラムといったいわゆるロック的なファクターへの依存度が高いバンドであれば、たとえ同じコンセプトでオーケストラと共演しても、「アップデート」にはならなかったはずです。そういう意味で、ビーチボーイズはこのロイヤルフィルシリーズの大本命だったのではないでしょうか。

 それにしても、やっぱビーチボーイズのコーラスは本当にきれいです。今回の作品のボーカル音源はオリジナルのマスターテープにまで遡ってミックスされたため、コーラスの音質が非常にとても良いのですが、このアルバムの最大の聴きどころでありもっともインパクトのあるアップデートは、実は彼らのコーラスワークが高音質で聴けるところかもしれません。

 以前、ビーチボーイズの音楽は演奏者の入れ替えが可能な「型」としたうえで、オリジナルメンバーの存在意義は「コーラスという必殺の武器をブライアンに授けた点にある」と書きましたが、今回のアルバムでは改めてその意を強くしました。








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Pale Waves『My Mind Makes Noises』

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見た目とサウンドの
「ギャップ」がすごい


 英4ピースPale Wavesが昨年9月リリースした1stアルバム『My Mind Makes Noises』は、まさに「満を持して」という感じで登場した作品でした。

 2017年にレーベルDirty Hitから、レーベルメイトであるThe 1975マシュー・ヒーリーによるプロデュースでデビューシングル<There’s A Honey>をリリースして以来、立て続けにシングルを発表しヒットを記録。BBC Sound of 2018にセレクトされたときは「今更?」と思ったくらいでした。

 18年が明けて、いよいよアルバムかと思いきや2月にリリースされたのは4曲入りEPで、そこからは再びシングルの量産体制に。結局、アルバムが形になったのはそこから約半年経った18年9月でした。

 個人的には、アルバムではなくシングルやEPを積極的に切っていくというサブスクリプション時代のマーケティングを、彼らほど実感させられたアーティストはいなかったのですが、ボーカル/ギターのヘザー・バロン・グレイシーは以前から「アルバムでチャート1位を獲りたい」と語るなど、アルバムというパッケージに強いこだわりを見せていました。その宣言通り、1stアルバムはUKインディーチャートで1位を記録(総合でも8位)。フィジカルのセールスでも強さを見せたのでした。



 なぜPale Wavesはこんなにも人気を獲得したのか。僕は、このバンドには王道と異端の両極端の魅力があり、それが同居していることが、彼女たちがリスナーを惹きつける理由なんじゃないかと考えています

 まず「王道」は、サウンドです。低音をカットして高音部を強調し、さらにシンセとビートを利かせた音作りは、清潔な印象を与えると同時に誰もが高揚感を味わえる中毒性をもっています。キャッチーなメロディを作る能力にも長けており、The 1975やWolf Aliceなどトレンドの最前線にいるアーティストを多く擁するDirty Hitのなかでも、もっともスタジアムバンドに近いグループではないでしょうか。

 特筆すべきは、一歩間違えれば「ベタ」に陥りそうなところを、ギリギリのラインで上品さをキープする彼女たちのバランス感覚です。「ベタ」に足を踏み入れてしまえば玄人層からはそっぽを向かれるし、かといって逆方向に振れてしまうとライト層に届かない。どちらにも偏りすぎない、綱渡りのように絶妙なバランス感覚があるからこそ、幅広い支持を集めたのだろうと思います。

 次に「異端」について。これは彼女たちの出で立ちです。僕は彼女たちを知ったとき、最初に思ったのは「見た目と音のギャップがすげえ」ということでした。ヘザーとドラムのキアラのゴスメイクにばかり注目が集まりがちですが、ヒューゴ(Gt)とチャーリー(Ba)の男性2人の存在感も利いています。ゴスメイクした女性2人に、端正な容貌をもつ男性2人がアンドロイドのように無機質な雰囲気で侍るという構図は、ただのゴスメイクだけのグループよりもインパクトが強いはず。

 ビジュアルはものすごくアンダーグラウンドなんだけど、鳴らす音がオーバーグラウンドだから、そのギャップがすごいんですね。見た目怖いけど、話しかけてみると仲良くなれる、みたいな。ゴスメイクという、ある意味レトロなスタイルを忠実に模倣しつつ、サウンドはあくまで「今風」なことで、クラシックとモダンをつなぐという文脈でも捉えられるグループなのかもしれません。

 このバンド、次はどこに行くんでしょうか。今のスタイルは、もはやこのアルバムで完成されちゃったように思います。何かと比較されることの多いThe 1975は1stから2nd、そして大名盤の3rdと着実に変化を続けていますが、Pale Wavesの場合はストライクゾーンをさらに広めにとっている分、この先の変化が予測できません。個人的にはシンセポップではなく、4人の本来のフォーマットに戻ってギターメインの楽曲とか聴いてみたい気がします

 来年2月には初の単独来日公演が行われます。もちろんチケット取りました。








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Say Sue Me『Where We Were Together』

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近づきたいのに
決して近づけない


 インパクトという点では先週紹介したHoney Hahsですが、総合点でいえば2018年のNo.1はこのアルバムでした。韓国の釜山出身の4人組、Say Sue Meの2ndアルバムです。

 曲はもちろんいいし、紅一点のボーカル、チェ・スミの声も素晴らしい。<Let It Begin><But L Like You><Old Town>という冒頭3曲の展開は、何度聴いても心を持っていかれます。<B Lover>のようなフィジカルを感じさせる衝動的な音を出せるところも、このバンドのポテンシャルの高さを感じさせてゾクゾクします。

 しかし、このアルバムで好きなところを一つだけ挙げろと言われたら、僕は音の肌触りと答えます。「音像」と言い換えてもいいでしょう。このアルバムの曲は、どんなタイプのものであっても、特有の色や匂い、感触があります。それが、僕にはとてもフィットするのです。

 では、そのフィーリングは具体的にどういうものなのか。1曲目の<Let It Begin>にもっとも顕著に表れているのですが、街のネオンを窓越しに眺めているような遠さというか、古い8mmフィルムの映像のような温かさというか、そういった温かさと寂しさが同居したような感覚です。「サーフミュージックをルーツにした」「釜山の気候を感じさせる明るくてのどかな」など、陽性なイメージで紹介されることの多いSay Sue Meですが、少なくともこの2ndに関しては、音の核となっているのはもっとパセティックな何かだと思う。



 この、近づきたいけど決して近づけない距離感のようなものは何なんだろうと思っていたのですが、ライナーノーツを読んで納得しました。

 実はこのアルバムの制作前に、初代ドラマーのガン・セミンが転落事故で重い怪我を負い、一時的にバンドを離脱せざるをえなくなったそうです(現在は2代目ドラマーが加入)。そのため、このアルバムは、セミンの不在が大きなテーマになりました。なるほど、『Where We Were Together』というタイトルの意味はそういうことだったのか。

 このような経緯を踏まえると、例えば<Funny And Cute>の「そこに居てはだめ、君の場所じゃない」「寒くなる頃には君を待っているよ 場所はわかるよね 居心地のいいわたしたちのバー」といったフレーズなど、メンバーがセミンへ向けたメッセージとも取れる歌詞が端々にあることに気づきます。

 前述の<Let It Begin>がもそう。締めの「Let it begin Let it all begin Let it all begin again」というフレーズが、決してかなわないと分かっていながら、時間を巻き戻したいと願う祈りの言葉に聴こえてきます。1曲目から「全てをやり直そう、もう一度」というメッセージで始めるのって、考えようによってはなかなか重たい。

 ただ、このアルバムの素晴らしいところは、バンドに起きた出来事を知って歌詞の意味が深まるところではなく、むしろそうした背景を知らなくても、バンドが抱いている感情を、音を通じて共有できるところにあります。もちろん、厳密にいえば彼らの感情そのものであるわけはないのですが、それまでは凪の状態だった聴き手の心の水面を、音だけでブクブクと泡立たせてしまうことがシンプルにすごい。

 特にこのバンドの場合は、映像的に音を聴かせる力に長けていると思います。僕自身も先ほど「ネオン」「8mmフィルム」といった表現を使いましたが、聴いていると頭の中で自分だけの架空のMVが再生し始めるんですよね。その架空のMVのなかには、Say Sue Meのメンバーも離脱したセミンも映りませんが、その代わりに僕自身の痛みが映っているのです

 ちなみにこのアルバム、発売元はイギリスのDamnably Records(おとぼけビ〜バ〜や少年ナイフも所属するレーベル)ですが、日本盤はTugboat Recordsから出ています。このレーベルには昨年、Tashaki MiyakiFazerdazeHazel EnglishThe Drumsとお世話にになりまくったのですが、今年もやっぱりお世話になりました。








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Honey Hahs『Dear Someone, Happy Something』

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ふやけた耳を叩きのめす
「未完成」という名のカウンターパンチ


 2018年最大の衝撃作が、このアルバムでした。南ロンドン出身の3ピース、Honey Hahsのデビュー作『Dear Someone, Happy Something』です。

 Honey Hahsは、ギターとピアノを担当するローワン、ベースのロビン、ドラムのシルヴィーという3姉妹からなるファミリーバンド。ローワンから順に16歳、13歳、11歳の、平均年齢わずか13歳という超若年バンドです。若いというよりも「幼い」といったほうがいいような年齢にもかかわらず、彼女たちは自分たちでオリジナル曲を書くばかりか、名門中の名門レーベル、ラフ・トレードと契約するという偉業を成し遂げました(ちなみに、ラフトレと契約したとき、一番下のシルヴィーはわずか9歳だったそうです)

 ただし、僕が衝撃を受けたのは、彼女たちの年齢ではなく、あくまで音楽です。その魅力をひとことでいうと、異物感。聴き始めこそ「仲のよい少女たちが歌うフォークソング」といった牧歌的な印象をもちますが。耳を傾けるうちに「おや、なにかおかしいぞ」と気づくはずです。何かが決定的に欠けているような、これまでの常識では解釈しきれないような、そんな不穏な空気が漂いだし、胸がざわつき始めるのです



 なぜHoney Hahsの音楽は「ざわつく」のか?ポイントは2つあります。

 1つはコーラスワーク。CDの帯には「姉妹ならではの息の合ったコーラス」というような文句が載っていましたが、僕はむしろ彼女たちのコーラスには、どこか舌足らずで調子が外れた印象を受けます。つまり、ある種の危うさをもっているわけですが、1曲目<Forever>に見られるように、その危うさがなんともいえない緊張感や寂寥感を生みだすのです。

 もう1つはアレンジです。彼女たちの楽曲は、アコースティックギターとベースとドラムのみという、音数を絞ったシンプルなスタイルが基本。ですが、ところどころに他の楽器が顔を出します。<A Way>や<I Know You Know>で入ってくるトランペット。<River>の後ろで鳴ってるグロッケン。<Rain Falls Down>のドラムマシーンなど。こうした楽器のセレクトと使い方が、非常に洗練されています

 危ういコーラスとあか抜けたアレンジ。この2つの組み合わせが、「整っているのにどこかアンバランス」という、ちぐはぐさを曲全体にもたらしています。これが、呑み込めそうに見えて容易には呑み込めない異物感の正体なんだろうと思うのです。僕はアルバムを聴きながら、何度も「ロックの名曲をカラオケで歌ってる」というイメージを思い浮かべました。



 フランク・ザッパやカート・コバーンが評価していたことで有名なThe Shaggs(シャッグス)というアメリカのバンドがいます。Honey Hahsの異物感について考えるとき、僕が連想したのはThe Shaggsでした(そういえばあのバンドもファミリーバンドだ)。

 The Shaggsは、楽器未経験者ばかりのメンバーでいきなりレコーディングをしたという伝説のバンドで、できあがったアルバムは当然、演奏も曲も強烈に下手くそな代物だったのですが、産業化したロックに嫌気を覚えていた人たちには、逆にそれが音楽の原点を感じさせる純粋で貴重なものに映りました。

 いかに効率的に聴衆を興奮させ、快感を与えるかだけに特化した、即効薬のような音に馴染んだ耳に「そうじゃねえだろ」と食らわせる強烈なカウンターパンチ。Honey Hahsの異物感もまた、The Shaggsと同じ一種のアンチテーゼとしてのインパクトがあると思うのです。

 ただし、異物感はあっても彼女たち自身は決して異端ではありません。なぜなら、ロックとは本来アンチテーゼだったはずだから。Honey Hahsの3人は確かに若く、それゆえ未完成で未熟ですが、彼女たちのスタイルは既に完成されているのです。








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The Vaccines『Combat Sports』

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このバンドの「聴き方」が
初めてわかった気がした


 The Vaccinesが前作から3年ぶりとなる4枚目のアルバム『Combat Sports』をリリースしたのは今年3月のこと。「原点回帰!」「これぞヴァクシーンズ!」といった言葉をあちこちで見かけましたが、僕は正直そこまでポジティブな評価はできませんでした。

 確かに、<NightClub>や<I Can’t Quit>、<Put It On A T-Shirt>といった曲は伝説的な1stや2ndの頃のような爆発力のあるナンバーでしたが、一方で<Out On The Street>や<Your Love Is My Favorite Band>、<Take It Easy>あたりは、明らかに3rdを経由した音で、デビュー当時の彼らこそ至上のものと考えている僕には弱っちい曲に映ったのです。

 ところが、この印象がガラリと変わる出来事がありました。それが、つい先週行われた1ステージ限りの来日公演。

 生でThe Vaccinesを見るのは初めてだったのですが、とりあえず、めちゃくちゃ体育会系のバンドでした。サポートアクトのLuby Sparksを3列目あたりでそこそこゆったりと見ていたのですが、The Vaccinesが登場した瞬間、後ろから「ワアッ!」という感じで一気に圧がかかり、そっから1時間強、ずっともみくちゃでした。

 そもそもこのバンドが基本的にガレージパンクってこともあるんですが、それに加え、フロントマンのジャスティン・ヤングがとにかく煽る。YouTubeでライブは何本か見たことあったけど、彼があんなに愉快なキャラクターだったとは思わなかった。折り目正しさとイっちゃってる感じが同居していて「放課後にハメを外す熱血体育教師」みたいな感じがして面白かったです(ということを他にもTwitterで呟いている人がいました。やっぱそうだよね)。



 んで、何が素晴らしかったかというと、ジャスティンのはっちゃけたキャラクターも含めて、バンドの演奏のエネルギーがすさまじかったこと。そこには「2nd以前」「3rd以降」という境目はまったくありませんでした。<If You Wanna>は大合唱せずにはいられないけど、<Your Love Is My Favorite Band>にだって同じように会場全体を歌わせる力がありました。





 僕はずっと「ギターじゃないとヴァクシーンズじゃねえ」と思っていたわけですが、ライヴを見てつくづく感じたのは、ギターかシンセかというのは表層的な問題にすぎなくて、このバンドがさらにその内側に持っていた「核」の存在でした。それは何かというと、前述のとおり、あらゆる曲を観客に大声で歌わせてしまうこと。すなわち、ものすごい強度を誇るメロディこそがThe Vaccinesの核だったのです。変な言い方ですが、初めてこのバンドの聴き方が分かったような思いがしました。

 最近の作品に対して距離を感じていたけど、ライヴを見たらそれがただの勘違いだったことに気づかされる。このパターンは、今年1月にペインズでも体験したことです。やっぱり「ライヴに行く」ということは大事ですね。

 以前も紹介した彼らの1stアルバム『What Did You Expected from The Vaccines?』を手に入れたとき、僕は1か月くらいにわたって、このアルバムしか聴きませんでした。今回の来日公演が終わったその日の夜、Spotifyにセットリストを再現したプレイリストが公開されたのですが、今度はこのリストを何度も繰り返し聴いています。The Vaccinesというバンドの持つ中毒性を改めて味わっているところです。








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薬師丸ひろ子『Best Songs 1981-2017〜Live in 春日大社〜』

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一緒に年を取るという
「器」のあり方


 80年代アイドルの歌、それもデビュー曲やキャリア初期の歌を2018年の今聴きなおしてみると、あまりの「アイドル然」「女の子然」とした世界観に気恥ずかしさを覚えることがあります。そのなかにあって、薬師丸ひろ子<セーラー服と機関銃>は異質な響きをもっています。別れを予感させる歌詞とシリアスな曲調、当時17歳の瑞々しく生硬な彼女の声は、アイドルという瞬間性を真空パックした存在とは真逆の、普遍的な何かを感じさせます。

 多くのアイドルがオーディションなどを通じて、あくまで歌手としてデビューしたのに対し、薬師丸ひろ子は映画女優としてキャリアをスタートしました。歌手デビューした後もしばらくの間は、シングルは全て自身が主演する映画の主題歌でした。それらの歌に投影されるのは薬師丸ひろ子自身ではなく、彼女が演じる役であり映画の世界観でした。いってみれば、薬師丸ひろ子は歌という水を注ぐための「器」に徹していたのです

 実際、彼女自身も「歌を歌うときは、リスナーの記憶や作り手の思いをできるだけ損なわないように、なるべく当時のまま歌いたい」と語っています。歌が歌手のキャラクターとは切り離され、独立を守っているところがアイドルとしては異質であり、だからこそ、今聴いてもハッとする普遍性をもっているんだろうと思います。

 2016年に奈良の春日大社で行われた初の野外ライブを収録した『Best Songs 1981-2017〜Live in 春日大社〜』というアルバムがあります。実はこのアルバム、ライブ本編で歌われた曲順のままではなく、<セーラー服と機関銃>から、ほぼリリース順に沿って曲を並べ直して収録されています。つまり、当時を知る人は思い出をトレースできるような仕掛けになっているわけです。これは間違いなく「リスナーの記憶を大事にする」という彼女の意向なんだろうと思います。

 じゃあ肝心の歌は「当時のまま」なのか。もちろん、そんなことはありません。(多分)キーは当時と同じですが、声質はそれなりに年齢の変化を感じさせ幾分低くなった印象です。一方で、30年以上のキャリアの積み重ねによって、圧倒的に歌は上手くなっています。そして、当然ながら歌い手の変化は、歌そのものの印象も大きく変えます。それがもっとも端的に表れているのが、1stアルバム『古今集』の1曲目であり、竹内まりやのセルフカバーでも有名な<元気を出して>

 薬師丸ひろ子がまだ10代だったオリジナル版は、若い主人公が失恋した同世代の友人を励ますという、まさに歌詞の通りの、牧歌的で他愛のない「励ましソング」でした。ところが、50代半ばを迎えた現在の彼女の声には、かつてはなかった母性的な包容力や一つひとつの言葉への説得力があります。そのためこの曲は、失恋だけでなくあらゆる悲しみを射程に捉えた「人生の励ましソング」に聴こえます。


 2曲目の<探偵物語>も、オリジナルとは印象ががらりと変わった曲です。例えば2コーラス目サビ前の「昨日からはみ出した私がいる」という部分。これ、オリジナルだと少女から大人へ一歩を踏み出した心情を歌っているように聴こえますが、現在の薬師丸ひろ子が歌うと「戻れない一線を越えてしまった」という、道ならぬ恋への抗いがたい情熱を表現しているように感じるのです(それでもいやらしさをまったく感じさせない彼女の透明感がすごい)。

 以前、70歳を超えたポール・マッカートニーが歌う<Blackbird>について書いたことがあります。歌い手の変化とともに歌そのものも変化し、それまでとはまったく違う世界が見られるようになること。それはまるで、終わったと思っていた物語にまだ続きがあることを発見したような気分になります。

 そしてもう一つ、今回このライブ盤を聴いて思ったのは、歌が「年をとる」ことで、その変化のなかに聴き手は自分自身の人生の経過をも重ねあわせられるということ。<元気を出して>のなかに「人生はあなたが思うほど悪くない」というフレーズがありますが、このアルバムで聴くと、なんだか自分のこれまでの人生を肯定されたような気持ちになるんですよね。言うまでもなくこれは、現在の薬師丸ひろ子の声で、しかも僕自身も大人になった今(初めてこの曲を聴いたのは確か中学生の頃でした)聴くからこその感慨です。

 時間の経過を感じさせない「当時のまま」のパフォーマンス(たとえばマドンナのような)もいいけれど、歌い手が年齢を重ね、それに伴って歌の聴こえ方も変わり、その聴こえ方の変化のなかにリスナー自身の物語も重なること。いわば、歌手と歌とリスナーがみんなで一緒に年をとっていくこと。それはそれで、とても素敵なことじゃないかと思います。そして、それもまた「器」の一つのあり方なんじゃないかとも思います。








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The Full Teenz 『ハローとグッバイのマーチ』

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「あの頃の自分の声」を
ハァハァせずには聞き返せない


 HomecomingsだったりHAPPYだったりAnd Summer ClubだったりHearsaysだったり、最近だとNum Contenaだったり、そのあたりの、つながってるんだかいないんだかよくわからない西日本のインディシーンを、ここ数年僕はよく聴いているのですが、その中で「この人たちは毛色が違うな」と感じるバンドがいます。京都の3ピース、The Full Teenzです。

 彼らの楽曲を聴いてまず真っ先に思ったのは、「この人たちの曲を『嫌い』っていう人いるのかな?」ということ。最初に音源化されたEPは非常に実験的だったそうですが、少なくとも2016年にリリースされた彼らの1stアルバム、『ハローとグッバイのマーチ』に詰まっているのは超陽性のメロディに平易な言葉で綴られる歌詞、バンド名のteen=10代の甘酸っぱさをそのまま封じ込めたような普遍的世界観。とにかく、このバンドのポップネスというのは、こちらが思わず恥ずかしくなってしまうくらいの“ど”ポップです。



 レーベル(Second Royal)メイトであるHomecomingsや、メンバーがMV出演しているAnd Summer Clubももちろんポップですが、彼らが英語詞であるのに対してThe Full Teenzは日本語詞である点に象徴されるように、どこかツウ好みっぽさを残すホムカミ、アンサマに比べると、The Full Teenzはごく一般のリスナー層にまで届きそうな波及性を備えています。一体どこからこのバンドは紛れ込んできたのでしょうか。

 ただし、サウンドは決して軽くはありません。僕が彼らを知ったのも、Second Royal経由ではなく、Kili Kili Villa所属のCAR 10NOT WONKといったパンクバンド経由でした。そういったバンドに通じるハードなサウンドと、彼ら自身のキャラクターや青臭いほどにポップな世界観とが不思議と融合しているのが、The Full Teenzというバンドの大きな個性になっています。

 でも、このバンドの魅力として僕が一番に挙げたいのは、ボーカル伊藤祐樹の声です。

 伝わるかどうかわからないんですけど、10代の頃、僕の頭の中に響いていた僕自身の声は、多分彼の声だった気がするのです。「生きる意味とはなんだ?」という哲学という名の遊びに耽り、「●●とキスしてええ!(←だいぶソフトに表現しています)」と性欲をたぎらせる。そんな脂臭い脳内ボイスに、もしアフレコするのであれば、それは僕自身の声よりも、伊藤祐樹の声の方が近いような感じがするのです。

 そしてさらにいえば、伊藤とボーカルを分け合う(時にメインボーカルを務める)ドラムの佐生千夏の声もまた、10代の頃に脳内プレイしていた「好きな子」の声だった気がするのです(この点についてはラブリーサマーちゃんもホムカミ畳野彩加もみんなそうですけど)。要するに、彼らの声を耳にするだけで、僕は10代の頃にタイムスリップするような気がしてハァハァしてくるのです。

 アルバムラストに収録された<ビートハプニング>の、「自分が誰かに影響するなんて思ってもいなかった」という歌詞なんて、最高ですね。ちょっと舌足らずで、日本語としてあか抜けない言い回しが逆にリアル。価値がないと思い込んでた自分が、思いがけず誰かの役に立った。そのときのうれしいような恥ずかしいような気持ちが蘇ってくるようで、このフレーズを聴くたびにくすぐったくなります。

 でも、この「あか抜けないフィーリング」を、楽曲という「あか抜けた表現」へと昇華させていくのって、めちゃくちゃすごいことなんじゃないかと思います。








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Alvvays『Antisocialites』

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あなたがあなたであることで
困る人は誰もいない


 カナダのトロント出身のバンド、Alvvaysの2ndアルバム。2017年9月のリリースなので超がつくほど今更なんですけど、いやー、あの衝撃的な1stアルバムと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上の大名盤です。大好き。何度言っても足りないくらい大好き。

 もはやこのバンドのトレードマークになった、夏の陽炎のように輪郭の淡い音像モリー・ランキンのボーカルも変わらず瑞々しく繊細ですが、1stの頃よりも声の伸びが良くなった印象を受けます。

 そしてなんといっても歌メロが相変わらず素晴らしい。確か最初にこのアルバムから公開されたのは、<Dreams Tonite>だったと思うのですが、最初に聴いた瞬間に「あ〜、これこれ!」と思った記憶があります。



 ただ、今回のアルバムで特にいいなあと思ったのは、実はサウンドよりも歌詞の方でした。例えば前述の<Dreams Tonite>のコーラス部分の歌詞。
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight?
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight, tonight?

 ある意味ではとてもありふれたフレーズなのに、モリーの声やメロディの効果もあって、とても映像的に響きます。


 この曲と並ぶリード曲<In Undertow>も好き。
"What's left for you and me?"
I ask that question rhetorically
Can't buy into astrology, and won't rely on the moon for anything

No turning
There's no turning
There's no turning back after what's been said
No turning
There's no turning
There's no turning back

 この曲が試聴開始された日は、1日中Spotifyで聴いてた気がする。この「There’s no〜」の繰り返しが本当に切ない。繰り返されることで、心の内で自分に言い聞かせている様子が伝わってくる気がします。

 両方の曲に共通するのは、ある人との間に横たわる深い溝の存在です。その溝は、かつてはまったくなかったのに、いつの間にか生まれてしまったことがうかがえます。本当はその人と近づきたいのに、なぜかすれ違ってしまってばかりで、本心と現実とのギャップに主人公たちは途方に暮れています。

 アルバムタイトルの“Antisocialites”は、実は造語。“socialites”(社交的な人、社交術に長けた人)の“Anti-”(反対)ということで、「引っ込み思案な人」「人づきあいが不器用な人」というような意味になるでしょうか。思い切って声をかけて本心を話せば済みそうなものを、一人心の中で逡巡しているだけだった歌の主人公たちは、まさに「Antisocialites」といえます。

 自分で自分のことを「社交的な人間だ」と思える人は、あまり多くはないはずです。こないだ、会社の同僚で周囲の誰もから「社交的な人」と思われている人が、ポツリと「俺ももっと社交的にならないとダメだな」と呟いているのを聞いて「この人のレベルでもそう感じるのか」とのけぞったことがありました。「社交的でなければならない」という強迫観念と、その「社交的」が要求するレベルには常に届かないというジレンマは、現代人が普遍的に抱えるものなのかもしれません。

 ただ、このアルバムのテーマは決して「Antisocialites」であることを否定したり、克服しようとしたりすることではなく、「Antisocialites」としての悩みや悲しさ、喜びといったものを示しながら、寄り添い共感しようとするところにあります。

 僕が一番いいなと思ったのは、9曲目<Saved by a Waif>のコーラス直前にサラッと歌われるこのフレーズ。
Stay where you are
State what you are
Stay where you are
And no one gets hurt

 最後の「And no one gets hurt」というのがとてもいいですね。これ、日本盤の訳詞だと「誰も傷つけないように」とその前の”stay”と”state”の動機を説明している句になってるんだけど、僕は「あなたがあなたであることで、困る人は誰もいない」という単独の一節だと読みました。「Antisocialites」だけでなく、例えばLGBTQなども含めて、社会に生きるみんなに投げかけてるメッセージのようで、僕は自分の誤読のほうがしっくりくるんだよなあ。

 今年の11月、ついに初の単独来日公演が実現します。絶対に行きます。








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Liam Gallagher『As You Were』

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一周まわって頭をもたげた
太古の「恐竜」


「最初のロック体験」というものが誰にもあるのだとすれば、僕にとってのそれはオアシスの<Morning Glory>だったろうと思います。具体的に言えば、イントロのあの粘つくようなチョーキングであり、リアム・ギャラガーの死んだ魚のような瞳であり、そして彼のしゃがれた声でした。それは「髪の毛を逆立てた人が派手な照明を浴びながら大声で叫ぶもの」としか理解していなかった僕のロック観を根底から覆すのに、十分な衝撃でした。

 あれから四半世紀経っても、未だにリアムの新譜を追い続け、SNSをフォローし、(ゴシップ含めて)関連記事にもひと通り目を通しているのは、ひとえに彼が僕にとってただ一人の「リアルタイムで出会ったロックスター」だからです(ノエルではなくリアムに惹かれ続けるのは、最初の出会いの衝撃が、主にリアムの出で立ちや声によるものだったからでしょう)。

 ただ、それはあくまで僕にとっての話。いい年して(もう彼も40半ばですよ)Twitterでノエルに噛みつきまくるのも、自らを「ロックンロールの救世主」と信じて疑わない言動も、僕には「相変わらずだなあ」と微笑ましいけど、今の10代20代からすれば「だたのイタい中年」に映ってるんじゃないかとヒヤヒヤします

 ある海外のフェスで、リアムのステージは確かにめちゃくちゃ盛り上がってるんだけど、現地にいた人によれば観客の大半は40代のおじさんだった…という話をネットで読んだとき、僕は悲しいというよりも「そりゃそうだよな」と納得してしまいました

 だから、17年秋にリリースされたリアムにとっての初のソロアルバム『As You Were』が、本国チャートで1位を獲得し、特にアナログでは過去最高のセールスをたたき出すなど非常に高い評価を得ているのも、それを支えているのは結局往年のファンなんじゃないかとまだ疑っています(もちろん、そうだとしてもそれ自体は悪いことじゃないし、「往年のファン」といっても彼の場合は数百万人単位ではある)。

 とはいえ、アルバムは確かにいいです。僕はBeady Eyeをかなり応援してたので、解散してソロでアルバム出すっていったときはちょっと複雑だったんですが、実際聴いてみるとBeady Eye時代の2枚のアルバムよりも確かに良いですね。

 どう良いかというと、多くの人が指摘していることではありますが、徹底的に「リアムの魅力を余すところなく表現しきる」という点に焦点を絞っているところ。その最大の仕掛けが、アデルの『Hello』、SIAの一連の作品で知られるグレッグ・カースティンや、ヴァクシーンズやサーカ・ウェーヴスのプロデューサーでもあるダン・グレッグ・マーグエラットなど、多様なソングライター陣の参加。なかでもアンドリュー・ワイアットの作った<Chinatown>は、リアムの枯れた魅力が発揮された、今までなかったタイプの曲だと思います。



 リアムの最大の魅力は、14歳の僕がショックを受けたように、やはりあの強烈なキャラクターを持った声でしょう。そしてその声の強さが発揮されるためには、メロディにも同じだけの強度が必要でした。若手の才能あるソングライターを招集したのは、リアムの声に見合うメロディを作り出すためには必要な作戦でした(今回のアルバムの成功は、ある意味では逆説的にノエル・ギャラガーという人物の存在感をより一層強めたともいえます)。

 ハードロック的な高音シャウト系ではない歌い方で数万人規模のスタジアムを歌わせられるという点で、僕自身の個人的思い入れを抜きにしても、やはりリアムの歴史的インパクトはデカいと思います。それは、彼を凌ぐスタジアムボーカリストが、結局今に至っても現れていないことを見ても明らかです(ジョージ・エズラとかかなり可能性ありそうなんですけど)。

 そう考えると、今の若い子には、リアムの存在はかえって新鮮なのかもしれません。恐竜がロマンを誘うのは、今はもう滅んでしまったという前提があるからこそですが、いつでもどこでもコートを脱がずビッグマウスを叩くリアムのキャラクターも、もしかしたら若い子の目には恐竜のように映っているのかも。

 まあ、これは全て「若い世代がリアムに注目していたら」と仮定した上での想像ですが。ただそのうえで僕がいいなと思うのは、一周まわって過去を参照しようという気分が盛り上がったときに、それに応えられる存在が手に届くメジャーな場所に常に存在しているという、イギリスの文化的豊かさです。

 今年の9月にソロ名義では初の単独来日公演が予定されています。もちろんチケット取りました。








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SOLEIL『My Name Is SOLEIL』

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ポップミュージックが
まだ「14歳」だった頃


 先週紹介したThe Yearningは、50〜60年代ポップスの影響を色濃く感じさせる、レトロなスピリットにあふれたグループでした。日本でもつい最近、似たコンセプトをもったグループがデビューアルバムをリリースしました。男性ベテランミュージシャン2人と14歳の現役女子中学生という異色の顔合わせによる3ピースバンド、SOLEIL(ソレイユ)です。

 メンバーは、「ネオGS」と呼ばれたザ・ファントムギフトのベーシスト、サリー久保田。ヒックスヴィルやましまろで活動するギタリスト、中森泰弘。そして、女子中学生ポップデュオ「たんきゅんデモクラシー」の元メンバー、それいゆの3人。2017年9月に1stシングル『Pinky Fluffy』、そして今年3月に初のフルアルバム『My Name Is SOLEIL』をリリースしました。

 このバンドのコンセプトは「1962年」。ガールズポップが全盛期を迎え、マージービートがいよいよステージ中央に躍り出ようとしていた時代の音楽的意匠がふんだんにこらされたサウンドです。アルバムには真島昌利や近田春夫、カジヒデキ、かせきさいだぁといった濃い面子が曲を提供しているのですが、彼らの作家性よりも「1962年サウンド」の方が前面に出ているので、バラバラ感はありません。全曲モノラル録音というラディカルぶりも相まって、非常にコンセプチュアルな作品という印象を受けます。



 The Yearningが、ジョー・ムーアというコンポーザーの考える世界観がまずあって、それを体現するためのいわば「出演者」としてボーカルのマディー・ドビーが存在していたように、SOLEILのサリー久保田とそれいゆの関係もまた演出家と役者のように見えます。結成当時のマディーとそれいゆが共に14歳というのも不思議な符合。

 サリー久保田はインタビューで「13歳だとまだ子供だけど、15歳だともう大人の感じが出てくる。14歳という年齢はそのどちらでもないから面白い」と語っています。

 一つのカラーに染まりきっていない。アンバランス。狭間。そのような意味でいうと、両者が志向している50年代末から60年代初頭の音楽もまた、混沌とした時期であるともいえます。50年代中盤はロックンロール誕生のムーブメントがあり、60年代も半ばになるとビートルズが現れてポップスの重心がロックへと傾倒し始めます。そのために従来は、この50年代末〜60年代初頭は音楽的には見るべきもののない退屈な時代と見られていました。

 確かに爆発的なムーブメントや誰もが知る天才的なアーティストは、この時期に見当たらないかもしれません。けれど実際には、ツイストやファンクなど新しいリズムの発明やフォークミュージックの誕生、黒人歌手や女性歌手のメインストリームへの登場など、後の音楽シーンに決定的な影響を与える出来事が起きたのはまさにこの50年代末〜60年代初頭だった…というのは大和田俊之『アメリカ音楽史』の論ですが、この時期の音楽にはそうしたプリミティブな魅力にあふれています。

 この時期のポップスをよく「キラキラした」と表現することがあります。僕もそのように実感することがあるのですが、この「キラキラ」は、あか抜けて洗練されたことによる輝きというよりも、ありったけのアイディアや生まれたてのエネルギーが詰まった、未成熟という名の眩しさなんじゃないかと思います。そう考えると、The YearningのマディーとSOLEILのそれいゆが共に「14歳」という年齢であることが、とても面白い偶然に思えてくるのです








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The Yearning『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』

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「音楽は魔法」という言葉を
たまには信じてもいいじゃないか


 スペインのマドリードを拠点とするElefant Records(エレファント・レコード)は、世界中で僕がもっとも愛するレコードレーベルの一つです。そして、エレファントの所属アーティストのうち、レーベルの精神をもっとも色濃く体現している(と僕が感じる)のが、以前紹介したThe Schoolと、今回紹介するThe Yearning(ザ・ヤーニング)です。

 The Yearningはイギリスの2人組ユニット。シンガーソングライター、プロデューサーとして活動していたジョー・ムーアが、ボーカリストのマディー・ドビーをフィーチャーする形で2011年に結成されました。当時、マディーは若干14歳でした。

 ジョー・ムーアの作る音楽は、ブリル・ビルディング勢やブライアン・ウィルソンモータウンなど、50年代終わりから60年代前半あたりの遺伝子をダイレクトに受け継いだ、王道でキラキラしたポップス。それをそのままやると単に懐古主義的で暑苦しいだけになってしまいますが、マディーがその透き通るような歌声で、普遍的な響きをもつ「現代の音楽」へと中和しています。この「レトロなんだけどアップデートされている」というバランス感が、僕が思うエレファントのイメージそのものなのです。


 そんな彼らのエッセンスが凝縮されているのが、『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』(17年)。彼らの音源で最初にCD化されたのは、14年の1stアルバム『Dreamboat & Lemonade』なのですが、実はそれ以前にも配信限定でリリースした2枚のEPや、レーベルのコンピ盤への提供曲など、既発曲がたくさんありました。それらの初期音源をまとめてCD化したのがこの『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』です。

 初期音源だけあって、結果的にジョー・ムーアのやりたいことがもっとも端的に表れたアルバムになっています。モロにビーチボーイズな<Why’s She Making Those Eyes At You>やフィル・スペクターとモータウンのハイブリッドのような<Don’t Call Me Baby>(タイトルからして最高です)など、一つひとつの楽曲の純度が高い。ノーランズのカバー<Gotta Pull Myself Together>も名演です。オリジナルとはまったく違う仕上がりですが、この曲を選んだ着眼点やその料理の仕方にThe Yearningの個性を強く感じます。

 彼らは2ndアルバム『Evening Souvenirs』(16年)や、現時点での最新音源であるEP『Take Me All Over The World』(18年)で、フォークやボサノヴァ、映画音楽などのジャンルを開拓しています。いわば「レトロ職人」のような独自の進化を遂げつつあるのですが、その原点は間違いなくこの1枚に詰まっているのです。


 さて、そんなThe Yearningですが、今年4月に初来日が実現しました。東名阪の3か所をめぐるツアーで、僕は最終日の東京公演に行ってきました。

 今回来日したのはジョーとマディー、そしてここ数作品のレコーディングに参加しているギタリストのマーク・キフの3人。ジョーは奥さんと3人の子供たちも連れてきていて、家族と一緒にオープニングアクトの演奏を聴いたり、ジョーが演奏しているのに途中で子供が疲れて寝ちゃったりと、ライブというよりもホームパーティのような雰囲気でした
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 子供たちが遊んでいて、僕ら観客もソファに座りながらお酒を飲んでいて、そのくつろいだ空間のなかで音楽を楽しむ。僕は何度も「ここは天国なんじゃないか」と思いました。生の演奏を聴けたのは感激だったし、特にドビーの歌声は音源以上に透明感があって素晴らしかったのですが、何よりよかったのは、会場のあの雰囲気を体験できたことかもしれません。「音楽は魔法」という言葉が陳腐ではなくリアルだと感じてしまうようなあの空間と時間こそ、The Yearningの音楽そのもののようでした。








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For Tracy Hyde『he(r)art』

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「明けない夜はない」という
儚さと希望と


 村上春樹の小説で一番好きなのは『羊をめぐる冒険』でも『ノルウェイの森』でもなく、実は『アフターダーク』なんですが、For Tracy Hyde(フォトハイ)の2ndアルバム『he(r)art』の印象は、この小説を初めて読んだときのそれと重なりました。

 どちらも舞台は東京で、時間帯は夜。『アフターダーク』は東京の渋谷のレストランやラブホテルで起きたある一晩の出来事を、深夜から日が昇るまで時系列を追って描いた作品ですが、『he(r)art』のほうも、明示はされていないものの、ある夜に東京のあちこちで起きるドラマを1曲1曲にしてつなげた、連作小説的なアルバムです

 ただ、僕が両者を似ていると感じたのは、単に作品の構成や舞台設定だけが理由ではありません。

 夜の電車に乗ると、オフィスやマンションから洩れる無数の光が次から次へと窓の外に流れていきます。その一つひとつの光のなかに誰かの人生とそれに伴うドラマがあって、しかもそのほとんどはお互いに関わり合うことがなく別々に存在しているんだと思うと、密度の濃さみたいなものに思わず眩暈がしそうになります。そして、無数に輝く星も太陽が昇れば消えてしまうように、東京の窓の明かりも朝が来ると全て消えて、夜の間にその明かりのなかで起きたさまざまなドラマなんてまるでなかったかのように、また1日が始まる。

 永遠に続けばいいのにと思うような夜も、朝日が昇れば瞬く間に消えてしまうのは、残酷で虚しいことかもしれません。でも、逆に言えばどんなに悲しい出来事があっても、朝が来ればとりあえず一旦リセットすることができるわけで、その意味では夜の終わりはある種の救いでもあります。儚いけれど、その儚さの中にこそ希望がある。『アフターダーク』と『he(r)art』が似ているのは、都会の夜がもつそうした二面性が、作品のなかに封じ込められているからです。



 先ほど「連作小説的」と表現しました。EP『Born To Be Breathtaken』のときにも書いたように、このバンドの楽曲はフィクショナルで情景描写的なところが大きな特徴ですが、今回のアルバムはその強みと作品のコンセプトの親和性が過去の作品以上に高かったと思います。

 彼らのそうしたストーリーテラー性について、これまでは歌詞がファクターとして大きいと思ってたのですが、今回の作品を聴いていると、メロディの影響も大きいのではないかと思うようになりました。理由は「Bメロ」

 フォトハイの楽曲は元々Bメロが多いのですが、今回のアルバムの楽曲ではそのBメロが非常に効いているなあという印象があります。ヴァース(Aメロ)とコーラス(サビ)をダイレクトにつなぐのではなく、その間に別種のメロディを置くことでサビへと向かう緊張感が生まれ、楽曲のドラマ性を強めるのがBメロの効果だとすれば、<Echo Park>や<Leica Daydream>はその見本のようです。これらの楽曲の、サビに入ったときに視界がバッと開けるようなドラマチックさは、直前のBメロがまるでサビへのジャンプ台のような役割を果たしているからでしょう

 蛇足ながら、欧米のポップソングはヴァース(Aメロ)からいきなりコーラス(サビ)へと移るのが圧倒的に多いので、Bメロは日本のポップソングの大きな特徴だともいえますが、フォトハイが「J-POPのお作法と海外インディーの感性との邂逅」とよく言われる理由は、実はこの「Bメロ」にあるんじゃないかと思ったりもします。



 最後にもう一度「東京の夜」に話題を戻します。

 僕がこのアルバムを聴いて最初に東京の夜と『アフターダーク』を思い出したのは、6曲目の<Dedication>でした。どちらかというと地味で、アルバム全体からみるとつなぎのような(まさにBメロ的な)ポジションの楽曲ですが、僕はこの<Dedication>が一番好き。

 他の曲がいずれも特定の誰かや場所にフォーカスしながら一人称的視点で作られているのに対し、この曲だけは三人称的で、淡くゆったりとしたサウンドとも相まって、まるで雲の上から街全体を見下ろしているような感覚があります。東京という街そのものが端的に表れているのは、実は控えめな存在のこの曲だと思うのです。

 eurekaのボーカルも非常に効いています。前代のボーカルであるラブリーサマーちゃんが、不完全さや傷つきやすさをさらけ出す人間臭いボーカルだったのに対し、eurekaの声は中性的で俯瞰的で、適度な距離感をとりながら、歌全体を俯瞰してみてるような響きをもっています。まるで都会の夜に生きる無数の主人公たちを空から見守る天使のような彼女の声は、<Dedication>のみならず、アルバムのコンセプト自体と非常にマッチしていると思います。

「シティポップ」というと先鋭的で享楽的なサウンドの代名詞のように捉えらがちですが、字義どおりに「都市」というものをテーマに据えた音楽と解釈するのであれば、このアルバムのような音楽こそ「シティポップ」と呼ぶべきでしょう








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The Pains Of Being Pure At Heart 『The Echo Of Pleasure』

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ペインズは今も変わらず
「そこ」にいた


 NYブルックリン出身のバンド、The Pains Of Being Pure At Heartを初めて聴いたときの衝撃は今でもはっきりと覚えています。2009年にリリースされたセルフタイトルの1stアルバムでした。

 最初はYouTubeでした。曲は確か<Young Adult Friction>だった気がします。いや、<Contender>か<Come Saturday>だったかもしれない。いずれにせよ、聴いた瞬間に僕にははっきりと分かりました。これこそが「聴きたかった音」だと

 深く歪んだギターの音とか男女混声ボーカルとかメロディとか、いろいろ挙げることはできるのですが、そうした個々のパーツで好きだと判断したのではなく、あくまでトータルとして「これこそが聴きたかった音楽だったんだ」と直感的に思いました。言葉で説明される前に第一印象で全てを納得できちゃったような感じ。それくらい、僕にはパーフェクトだったのです。

 ペインズとの出会いをはっきり覚えているのには、もう一つ理由があります。それは、当時の僕の生活と関係があります。09年、僕はちょうど体調を崩していて仕事をしていない時期でした。体力維持のために毎日午前中に散歩に出かけることだけが唯一の「予定」で、それが終わると狭いアパートに帰り、机に座って目の前の窓から見える外の景色をただボーッと眺めるだけの毎日を過ごしていました。

「この先自分はどうなるんだろうか」という不安と、自分だけが社会から取り残されていくような孤立感。ペインズとの出会いは、そんなネガティブな状況で起きた出来事でした。ペインズを聴くと僕は今でも、のっぺりとした時間のなかで来る日も来る日も眺めていたあの窓の外の景色を思い出します。クランベリーズの<You And Me>がそうだったように、ペインズの1stもまた、僕にとっては印象深い体験と結びついた人生の一部なのです。



 さて、前回の続きです。

 3rd『Days Of Abandon』以降、ペインズはキップ・バーマンのソロプロジェクトになりますが、初期の頃のバンドサウンドが忘れられない僕は、東京の現役大学生5ピースLuby Sparksに「ペインズという名の夢の続き」を見出します。そして、両者の共演が実現した今年1月のペインズ来日公演で、サポートアクトであるLuby Sparksのステージを見終えた僕はすっかり「世代交代」「バトンタッチ」という詠嘆的感慨に浸っていたのですが、わずか10分後、そんな気分はきれいに吹っ飛ばされたのでした。

 なぜなら、ステージに現れたペインズは、紛れもなく「バンド」だったからです。確かに、今回のツアーがサポートメンバー4人を加えたバンド編成によるものでした。しかし僕が驚いたのは、当時とはメンバーがガラッと変わったのに、彼らの鳴らす音が、09年に部屋の窓の外を眺めながら聴いた「あの頃のペインズ」そのものだったからです。

 特に驚いたのは、昨年リリースされた4枚目『The Echo Of Pleasure』の曲です。実質キップのソロになって以降、ペインズの楽曲は自己完結性が強くなり、アンサンブルがもたらすある種の矛盾や崩れみたいなものがなくなりました。特に最新の4枚目は良くも悪くもさらにあか抜けて、陶器の表面をなでるようなツルッとした印象の楽曲が増えました。

 ところが、この日聴いた<Anymore><Falling Apart So Slow>も、ツルッとしてるどころか、鼓膜をガリガリ引っ掻いてくるような、荒々しいエネルギーに満ちていました。<When I Dance With You>のコーラス部分の掛け合いのところなんて、<Young Adult Friction>に負けないくらいの高揚感がありました。この日の演奏がそのまま1stに入っていても、何の違和感もないはずです。

 僕はずっと「あの頃のペインズはもういないんだ」と思ってました。でも、それはただの勘違いでした。ペインズは変わってなんかいませんでした。僕の愛したペインズは、今も変わらずそこにいたのです








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