週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】2010年代

Beverly 『The Blue Swell』

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「軽くなった」は
褒め言葉である


元Vivian Girlsのフランキー・ローズ
Pains Of Being Pure At Heartのキーボード、ドリュー・シトロン
この2人が組んだギターロックデュオ、Beverlyを最初に知ったのは、
確か彼女たちが1stアルバムを出す前だったと思うので、もう2年以上前になるはずです。

重たい轟音ギターによる、靄のかかった深い森のような陰鬱さと、
その森に差し込む朝日のように荘厳な、フランキーとドリューのコーラス。
一見、正統派グランジ系オルタナバンドのようなのに、
教会の讃美歌のようにも聴こえるという不思議な音の風合いは、めちゃくちゃインパクトがありました。

1stアルバム『Careers』がリリースされた2014年というと、
ホムカミHAPPYフォトハイといったバンドの名前が真っ先に浮かぶのですが、
その次に名前を挙げろと言われれば、Beverlyがその筆頭だったろうと思います。


あれから2年、彼女たちの2枚目のアルバム『The Blue Swell』が昨年5月にリリースされました。
この2年の間にフランキーは脱退し、代わりにギタリストのスコット・ローゼンタールが加入。
Beverlyは女性2人のデュオから男女のデュオへと装いがガラリと変わりました。
しかし、変わったのはグループの構成だけではありません。

アルバムから先行して発表された曲は<Victoria>
ドリューとPainsのキップ・バーマンとの共作曲だそうです。


ポップはポップでも、1stの質感と比べると軽やかに聴こえるのは、キップの個性でしょうか。
彼女たちのSoud Cloudでは、その後も続々と新作の音源が公開されていったのですが、
この<Victoria>に代表されるように、1stに比べるとどの曲も相対的に軽くなった印象でした。

「軽い」と書くと、ネガティブな表現になる場合もありますが、Beverlyの2ndについては逆。
「洗練された」という意味に近いです。
例えば<Bulldozer><Lake House>なんかを聴いていると、
(僕の好きな)シューゲイザーっぽい展開を予感させられます。

あるアーティストの1stアルバムがめちゃくちゃ良かったのに、
2ndアルバムを聴いてみたら、あまりに前作の延長線そのままで、
その変わり映えのなさにがっかりしてしまった、という経験があります。
片や、ラモーンズに対しては「変わらないところがいい!」とか言ってるし、
我ながら勝手だなあと思うのですが、一般論でいえば、
やっぱり(程度の大小はあっても)何らか前作と違うところを見たいというのが、
多くのリスナーの思いであり、アーティスト側もきっと思いは同じでしょう。

Beverlyについては、確かに1stの頃の「モワァッ…」とした重たい煙たい感じも捨てがたいんですが、
2作連続で「モワァッ…」とされるよりも、
こういう新しい展開のあるアルバムの方が聴きごたえがあるし、
次の作品に対する期待がグンッと上がります。








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Jens Lekman 『Life Will See You Now』

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「30歳」からはじまる
ポップネス


最近、娘(1歳)が星野源の音楽に興味を示しています。
Perfumeとかベビメタには見向きもしないのに、
星野源のMVは手をたたきながら楽しそうに見てます。
なのでパパは『Yellow Dancer』を買ってしまいました。

宇多田ヒカル『Fantome』に続いて、
自分一人だったらおそらく買わなかったであろうアルバムです。
でも、聴いてみたらめちゃめちゃいいですね。
評判が良いのは知ってましたが、超納得。


んで、娘はこういうファンキーなノリのシティポップが好きなのかなー、
でもそういうアルバムなんて持ってないなー、
なんて思ってたところ、たまたま出会ったのが、
スウェーデン出身のシンガーソングライター、イェンス・レークマンでした。

今年の2月にアルバム『Life Will See You Now』をリリースしたばかりで、
そのレビュー記事をネットで見かけて知りました。
このアルバムが4枚目になるそうですが、僕が聴くのは今回が初めて。

まるで流れる水のようにサラサラと進む美しいメロディと、
それを取り囲むように配置されたいろんな楽器の音。
めちゃくちゃ垢抜けてるな〜!という第一印象でした。
本人はギタリストでもあるそうですが、
このアルバムではピアノの音がもっとも効いています。

全体にどこかソウルのフィーリングが漂っているので、
いわゆる「スウェディッシュポップ」のイメージとは違うのですが、
華やかでありながらも決して押しつけがましくないところは、
やっぱり他の北欧勢と似ているなあと僕は感じます。
ソウルのノリとポップネス、そしてイェンスのバリトンボイスは、
どこか星野源に通じるものを感じさせます。



でも、ほかのアルバムを聴いてみたところ、
今のスタイルが出来上がったのは2012年の3枚目『I Know What Love Isn’t』で、
1、2枚目のアルバムは今とは雰囲気が違います。
2枚目『Night Falls Over Kortedala』(2007年)は評価が高いそうですが、
僕は今のほうが好きだなあ。

Wikipedia見てみたら、彼は僕と同い年でした。
それどころか誕生日もわずか4日違いという近さ。
おそらく世界で最も「同世代」と呼ぶに相応しいアーティストなんじゃないでしょうか。
「自分と同じだけの時間を生きてきた人」の鳴らす音や綴る歌詞だと思うと、
なんだか聴き方が変わってくる気がします。

1枚目と2枚目は今と比べるとより実験的で、その分内省的です。
雑な言い方をすると、すごく「暗い」。
キャリアが長くなるにつれて、
ポップからアバンギャルドな方向へ舵を切るアーティストはたくさんいますが、
イェンスの場合は逆だったわけです。
そして彼の場合、その境界線は20代以前と30代以降に引けます。

前者を、いかに自分自身を探究するか、
いかに「個性」を出すかに執心していた時期、
後者を、自分探しなんかよりも社会とコミットしていこうとする時期とするならば、
僕もおそらく20代と30代との間に大きな境界線を引けます。
現在のイェンスの音楽が、ハッピーで華やかなものであることは、
同い年として(全ては僕の一方的な想像だけど)とても納得できるし、
なんだか誇らしい気持ちになります。








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YUKI 『まばたき』

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わたしは何度でも
「わたし」を歌う


YUKIの通算8枚目のアルバム『まばたき』が3月にリリースされました。

前作『FLY』が非バンドサウンドを中心だったのに対し、
今作は再びバンドサウンド回帰。
YUKIの声はやっぱバンドだろ!と思ってる僕にとっては、うれしい変化でした。

なので、サウンド的には前々作『megaphonic』の路線と基本的には同じ。
曲数も同じだし、曲のタイプのバリエーションも大体一緒。
ところが、アルバム全体を通して聴くと、
聴き心地は過去の作品とはかなり異なります。

それはおそらく、歌詞の変化によるものだろうと思います。

1曲目<暴れたがっている>の一言目は、
「あがいてたら振り出しに戻ってた」
このフレーズでアルバム全体が幕を開けることに象徴されるように、
この作品は、原点回帰や初期衝動といったテーマに貫かれています。

<こんにちはニューワールド>では、函館にいた10代の頃や、
東京に出てきた20代はじめの頃をイメージさせるエピソードが登場し、
終盤「思い出は雨音に紛れ 消えた これからは 私次第」と歌われます。

<私は誰だ>という、タイトルからしてとても若い楽曲では、
「私はあまりいい人間(ひと)じゃない だから地獄に堕ちるかもしれない 時間がない」
「『生きてたい』より『生きたい』」

と、若いがゆえに感じがちな人生の残り時間に対する焦燥感が歌われます。

アルバムを聴いた後でいくつかインタビューを読んでいたら、
やはりYUKI自身も今作のキーワードとして「思春期」という言葉を挙げていました。
「思春期は10代特有のものだと思ってたけど、本当は人生に何度でも起きる」と、
今再び反骨心や自己主張の欲求が芽生えてきたんだそうです。

んで、これがなぜ「変化」なのかというと、
(このブログでフォローし始めた)2010年『うれしくって抱き合うよ』から『FLY』まで、
YUKIの歌のモチーフは基本的には「他者」でした。
家族だったり友人だったり、自分の大切な人への目線がどこかにあったし、
自分を主人公にしている歌でも、それは他者が感情移入し、
自己を投影するための「鏡」としての自分だったように思います。
それが、今作では「自分」をモチーフにした歌を歌うようになったのです。

ソロデビュー15周年というアニバーサリーイヤーゆえの原点回帰、
という面もあるのかもしれません。
歌詞のボキャブラリーはいたってソフトなのですが、
アルバム全体から受ける印象は、青臭いといってもいいほどに若く、
それゆえにどこか不器用でザラついたものです。


「ソロデビュー15周年」と書きました。
それってつまり、ジュディマリ解散の年に生まれた子が、今年高校生になるってことです。
信じられねえ。てゆうか信じたくねえ。

『まばたき』がリリースされるということもあり、
先日SpotifyでJudy And Maryの全アルバムを順番に聴き返しました。
今更ですけど、ジュディマリがメジャーで活動してたのって10年もないんですね。
それなのに『J.A.M』(1994年)から『WARP』(2001年)にいたる猛烈な振れ幅と濃密感。
「ビートルズみてえじゃん!」と思いました。

YUKIはバンド時代から歌詞を書いていましたが、
ソロ時代と比べて聴くと、雰囲気が違うのがわかります。
バンド時代の歌詞は記号的で遊戯的でフィクショナル(<くじら12号>や<そばかす>)、
一方ソロ時代は、今作『まばたき』がまさにそうであるように、
より平易な言葉を好むようになり、リアルさを重視する傾向があります。

僕は個人的には、今こそジュディマリ時代のような、
キャラクター性の強い、フィクショナルな歌詞の方が聴きたい。
ジュディマリが全盛だった10代の頃は今とは逆で、
YUKIの歌詞なんて、ウソ臭くて「軽い」と思ってました。
むしろ、今のYUKIが書くような、生な言葉をストレートにぶつけてくる曲の方が
なんとなく「本物っぽい」と感じていたのです。
皮肉だなあっていうか、「俺ってずれてるなあ」とつくづく思います。

YUKIについては、『うれしくって〜』以来ずっと、
新作が出るたびにこのブログで何かしら書いてきました。
めちゃくちゃ気合い入れてフォローしてるってわけでもないのに、
何かしら言いたくなる、どこかしら気になるアーティストなのです。
それは数少ない、リアルタイムで変化を目撃しているアーティストだからかもしれません。








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The Collectors 『Roll Up The Collectors』

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ファンタジックな未来を語る
「ストーリーテラー」としてのコレクターズ


先週に続きコレクターズの話。
コレクターズは今年結成30周年で、3/1には初の武道館公演を開催しました。
行きたかったなあ。

武道館公演の1か月くらい前だったかな?
彼らがNHK BSの『The Covers』に出演してたのをたまたま見たのですが、
そこで披露した新曲<悪の天使と正義の悪魔>があまりにかっこよくて、
すぐにアルバム『Roll Up The Collectors』を買いました。

いやー、すごい。
キャリア30年でなんでこんなにもフレッシュで、
まるでベスト盤のようなテンションのアルバムを作れるのか。
この作品を聴き終えたときの感想は「圧倒された」という一言に尽きます。

大滝詠一の執筆した原稿や、インタビューや対談での発言をまとめた、
『大滝詠一Writing & Talking』という本があるのですが、
その中でポップソングのメロディには「ドライ」と「ウェット」の2種類がある、
というような言葉があります。
ざっくり言うと、欧米のポップソングのメロディは「ドライ」で、
日本の歌謡曲のメロディは「ウェット」という分類になります。
僕は、前者はクラシック発祥で後者は民謡発祥、という風におおざっぱに理解しています。

んで、この表現を使うのであれば、
僕は以前からコレクターズの加藤さん(どうしてか加藤ひさしは「さん」付けになる)は、
日本では少数派の「ドライ」なメロディの書き手だなあと思ってたのです。
ただ、大滝詠一のドライをアメリカンポップス的とするならば、
加藤さんのドライはイギリス的と呼びたくなります(そんなのがあるのか?)。

イギリス的というのは、アメリカにくらべるとより情緒的でドラマチックで、
もっといえば青臭い感じ(アメリカはもっと産業的で理性的でシステマチック)。
僕は特に、ピート・タウンゼントのメロディとの間に共通するものを感じます。
フーキンクスといったモッズバンドを聴きこんでいた頃は、
どっぷり浸かりすぎて逆に気付けなかったのですが、
両者とも、オープンDコードをジャーンと弾く!みたいな衒いのなさと、
妙に生真面目で物語性の強いところがそっくりな気がする。

一方で、僕は『Roll Up The Collectors』を聴いて、コレクターズの中にある、
レトロでクラシックなモッズというスタイルとは真逆のキャラクターも感じています。
それは、歌詞にみられる「近未来的な世界観」です。

例えば<ロマンチック・プラネット>では宇宙人が登場します。
<That’s Great Future>はタイトルからして既に「未来」ですが、
前後左右にも動くエレベーターやレストランで食事を運ぶドローンといった光景が歌われます。
こういった、近未来をイメージさせるアイテムが、
コレクターズの歌詞の中にはちょいちょい登場します。

過去に目を向けても、タイムマシーンが登場する<僕の時間機械>などの曲もそうですし、
そもそもデビュー曲<僕はコレクター>の「コレクター」という概念からして非常に未来的です。

重要なのは、これらのアイテムは歌詞の中で近未来そのものを描くためではなく、
「恋人と過ごしていたあの頃に時間を戻してほしい」と歌われる<僕の時間機械>のように、
あくまで普遍的で素朴な感覚を歌うメタファーとして使われていることです。
PerfumeやかつてのTM Networkが体現するのが、
先端的なテクノロジーに彩られた「ありえそうな未来」だとしたら、
コレクターズの描くのは「ファンタジーとしての未来」といえるかもしれません。

何らかの感情を表現する際にどんなものに例えるかによって、
そのアーティストの個性が表れるとすれば、近未来的アイテムを選ぶ感性は、
少なくとも僕がこれまでなんとなくとらえていた「コレクターズ像」からすると意外なものです。
ですが、この「ファンタジーとしての未来」を軸にすると、
おしゃれすぎるモッズファッションも、
加藤さんのキッパリハッキリしたボーカルも、
実は元々「ファンタジーとしての未来」を物語るための仕掛けだったようにも思えてきます。
つまりコレクターズが、デヴィッド・ボウイにも通じるような、
演劇的な感覚に満ちたストーリーテラーのように見えてくるのです。

前述の『The Covers』で、コレクターズは「同期のバンド」としてブルーハーツを挙げ、
<リンダリンダ>をカバーしました。
僕がブルーハーツの<リンダリンダ>に「おおお!」となったのはまだ10代の頃でした。
それに比べ、コレクターズの音楽にハッ!としたのは20代の終わりになった頃。
「同期」でありながらこのようなタイムラグが起きたのは、
コレクターズの方は、彼らの代名詞でもあるモッズのファッションや音楽スタイルが、
実はストーリーテラーとしての衣装であり仕掛けにすぎないという、
目に見えるものとその内側とに微妙なギャップがあり、
それを(少なくとも僕は)大人になるまでわからなかったからじゃないかという気がします。








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Skaters 『Manhattan』

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陰ってるし、湿ってる

2012年に米NYで結成された4ピース、Skaters
いかにもパンク/ガレージをイメージさせる名前の通り、
このバンドの音楽のベースにあるのは、ノイズの強いギターと疾走感です。
14年に1stアルバム『Manhattan』をリリースしたときは、
同じNYのバンドということで「ストロークス直系」なんて紹介もされたようです。

でも、ひと筋縄でいかないのがこのバンドの面白いところ。

確かにアルバム1曲目<One Of Us>などは
いかにもNYパンク的なバラけた疾走感がありますが、
続く<Miss Teen Masachusets>はグランジ的な重たいヴァースと哀切なコーラスとが
交互に繰り返すドラマチックな1曲。

<Deadbolt>は打って変わって、不穏な浮遊感溢れるギターが、
パンクというよりもさらに一歩進んでニューウェーブに足を踏み入れた感じだし、
<Bnad Breaker>にいたっては、なんとレゲエです。

要するに「パンク」「ガレージ」という言葉では括りきれないほど、
このSkatersという4人組は雑食性の強いバンドなのです。


実は、NYで結成されたといってもメンバーの出身地はバラバラです。
ボーカルのマイケル・イアン・カミングスはボストンだし、ドラムのノア・ルビンはLA。
ギターのヨシュアはロンドンなので国も違います。
ボストンとLAとロンドンの音楽的土壌って、全く重ならないんじゃないでしょうか。
バンドの音楽的雑食性は、メンバーの異なるバックグラウンドによるものかもしれません。

「マンハッタン」というと、よく人種のるつぼなどと言われますが、
Skatersの音楽的な多様性やメンバーのバラバラな出自を、
彼らの活動拠点であるこの街の名前に引っかけてるのかも、と思いました。


と、いろいろ書いてますが、僕がskatersに惹かれる本当の理由は、
実はこんなところじゃないんです。
完全に僕の個人的感覚なんですけど、彼らの楽曲って、どこか「哀しい」のです。

<Miss Teen Masachusets>のイントロの、揺れ動く心の葛藤のようなギターとか、
<I Wanna Dance (But I Don't Know How)>の足元にすがりついてくるような歌声とか、
何かと引っかかりスンナリ流れていってくれません。
首筋にまとわりつく真夏の湿気のように、モワッとしたものが耳に残るのです。

<Band Breaker>なんて、「モテモテあの娘がバンドを壊しちまった」という他愛のない内容だし、
MVも、いかにも「キッズ!」という感じの享楽的なものです。
なのに、聴いていると、つながりなんてものはいつか必ず壊れるんだ、
そして壊された側は常に無力なんだという、
なんかもう根本的圧倒的敗北的虚無感が静かに湧きあがってくる気がするのです。

彼らの音楽はどこか陰ってるし、湿ってる。
僕にはそう映ります。
その原因を、メロディとかマイケルの声とか歌詞とか、細部に求めてもしっくりきません。
「バンドそのもののメンタリティ」としか言えないんじゃないかなと思います。
そういう意味で言うと、僕は彼らの音楽が好きというよりも、
「ウマが合う」と表現した方がいいのかもしれません。

Skatersは3/24、3年ぶりとなる2枚目のアルバムをリリースします。
『Rock and Roll Bye Bye』という、やたらと挑発的なタイトルの作品です。








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最終少女ひかさ 『グッドバイ』

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愛に対して誠実だからこそ
愛に対してブチ切れる


かっこいいものからウケ狙いの外したものまで、
世の中にはいろんなバンドの名前がありますが、
「ヘンな名前」という点では彼らは相当上位に食い込むと思います。
2013年結成の5人組、最終少女ひかさ

最終少女ってなんだよ。ひかさって誰だよ

そして、名は体をあらわすといいますが、
彼らの音楽も、その強烈に胡散臭いバンド名に負けず劣らず、
かなりエッジが利いています。


なんかもう自由すぎる。
だいたい<いぎありわっしょい>ってタイトルはなんだ。
ほかにも<すし喰いたい><かつき>なんていう、
それだけで濃厚にアクの強さが漂ってくる曲のタイトルとか、
BPM速めで踊れる風なのに合いの手とかが入って「音頭」みたいになっちゃうところとか、
紅一点ラモネスの鳴らす妙にオリエンタルなシンセとか、
このバンドの放つ「異物感」はなかなか強烈です。

いかにも関西出身のバンドっぽいのですが、
実は北海道の札幌発というのも面白い。
彼らのキャラクターはブッチャーズピロウズではなく、
村八分ミドリと同じ土壌から出てきたと言われたほうが納得できる。

そして、このバンドのキャラクターを最も体現しているのが、ボーカルの但野正和です。
メロディに載せない、歌と喋りの中間くらいのスタイルにしても、
わざと投げやりに言葉を放ってくるところにしても、今時珍しいくらいに反抗的です。
4つ打ちの性急さとここまでマッチした言語感覚は彼以外に知らないかも。
4畳半アパートとか飲み屋横丁とか、そういう昭和っぽいロケーションが似合いそうな
但野のアングラ詩人のような退廃的な佇まいも、時代に逆行している感じで痛快です。

ただ、表面上は退廃的で投げやりでも、
彼の真意は真逆な場所にあります。

たとえば先ほどの<いぎありわっしょい>。
「愛とか恋とか分かってますから、私もう歌いませんから」
これ、「歌いませんから」と口では言いながらも、
世の中に流れる愛や恋の歌なんて全部偽物で、自分だけがそれを歌えるんだ!という、
バカ真面目さと自負心が透けて見えます。

この後にくるフレーズもそう。
「愛の始まりはまずセックスから」
これも「セックスすりゃいいんだよ」という反モラル的なことを歌いたいのではなく、
セックスが先になって愛が生まれることもある。
愛の結果がセックスだとばかり思ってたのに、その逆が成立してしまうなんて、
俺はこの先何を「愛」と信じればいいのだろう。
そんな「愛に対して誠実であるがゆえの愛への怒り」みたいなものを感じます。

このバンドって、ほかの曲を聴いても常に何かしらに対して激しく憤ってるのですが、
全てその裏側には誠実さや優しさが見え隠れしています。

最初から最後まで怒りまくって、タイトルに「グッドバイ」とつけて、
ジャケットにはビルの屋上から飛び降りた写真を載せる。
こんな1stアルバムを作ってしまって、彼らはこの先どういう道へ進むのでしょうか。
そんな後先のことなんて考えてないんだろうなあと思わせる向こう見ずなところが、
とても愛しく、そして頼もしく感じさせるバンドです。

最終少女ひかさは3月22日に、
久々の音源となる1stミニアルバム『最期のゲージュツ』をリリースします。








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Num Contena 『Smile When You're Dead』

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「熱狂に代わる何か」を見つけるまで
僕は彼らの音楽を携えていくだろう


先日唐突に、以前劇団の芝居で作ったセットのことを思い出しました。
舞台の上手と下手に一本ずつ、「木」を立てることになったのですが、
僕らはそれを全て手作りで作ろうとしました。
「木」ということはつまり幹があって枝があり、その枝の先には「葉っぱ」があります。
必要な葉っぱの枚数は、2本合わせて数千枚という量でした。
そして僕らはその数千枚もの葉っぱを、本当に手作りで作ってしまったのでした。

客席から見える最小限の部分だけ作るとか、
お金を払って業者に頼むとかすればいいものを、
愚直さとエネルギーだけがあり余っていた(お金はなかった)学生だった当時の僕らは、
「全部手作り」という選択肢以外考えませんでした。
結果、ただでさえ朝から晩まで稽古をしているのに、
稽古が終わってから集まって徹夜でチョキチョキ葉っぱを作るという無茶苦茶な毎日を、
数週間にわたって送ることになったのです。

今だったらやりません。
時間がないというのが一番の理由ですが、多分、時間があったとしてもやらないと思います。
それは、「数千枚の葉っぱを手作りで作る」ということに、もう高揚できないからです。
当時は、そういう意味不明な作業に(意味不明であればあるほど)熱中できたし、
それを仲間と一緒にやるということも楽しかった。
でも、今は多分、(少なくとも僕は)楽しめない気がします。



福岡を中心に活動する4ピース、Num Contena
昨年12月にリリースした1stフルアルバム『Smile When You’re Dead』
「ギターロックの金字塔」などといった鼻息の荒い宣伝文句とは裏腹に、
実際の中身はReal Estateなどを彷彿とさせる、
クリーンギターを基調としたミドルテンポ&良質メロディの柔らかなタッチの楽曲ばかり。
落ち着いた声質のボーカルとマッチすることで、アコースティックな印象すらあります。

Dead Funny Recordsの所属ということもあって(僕このレーベル大好きなんです)、
聴く前から絶対好きだろうなあと思ってたのですが、
聴いてみたら期待以上でした。



この『Smile When You’re Dead』というアルバムに収められた楽曲は、
そのどれもが「僕」「今はここにいない(どこかへ行ってしまった)君」の物語です。
かつての恋人を歌っているラブソング、というのが素直な解釈かもしれません。
けれど僕は、この「君」という存在は必ずしも異性とは限らない、
もっと違う解釈があるんじゃないかという気がします。

僕たちはいつも探している 君のことを
今は何も分からない 天気さえも
(中略)
僕たちは相変わらず探している 僕のことを
きっとずっと分からない 僕の目の前にいる何かのことを

<Follow Me Not Forget>

君のことは忘れていた 忙しくしてた
楽しい日々 バンドもある 仲間もいる
でもふとした瞬間 君のことがよぎる
スミスが天国で 僕に優しく笑う

<Smile When You’re Dead>

1曲目の<Follow Me Not Forget>は、最初は「君のことを探している」と言いながらも、
最後は「僕のことを探している」と問題が深く掘り下げられます。
何より主語が「僕たち」であることに、単純なラブソングに収まらない複雑さと深刻さがあります。

2曲目の表題曲も、「君のことは忘れていたけどたまに思い出す」というフレーズはラブソング的ですが、
その後の「スミスが」のくだりが入ることで、歌われているのは「君との思い出」などではなく、
「バンドもいるし仲間もいるのに満たされない自分」のように僕には思えるのです。

僕は、このアルバムで歌われている「君」を、
「かつての自分」と解釈しながら聴きました。
いつの間にか自分は「かつての自分」とは別の人間になってしまった。
そのことに対する鈍い痛みと、
それでも前を向こう(向く以外ない)とする姿勢との間で揺れ動く心のさまを歌った、
「永遠の喪失の物語」だと僕は感じるのです。


先週、For Tracy Hydeの記事の中で、
「16年の後半は自分の中の何かが失われてしまったことを痛感した」と書きました。
Num Contenaを聴いたのも、ちょうどフォトハイと同じ時期でした。
(そういえば『Smile When You’re Dead』のジャケットも青い)
僕が彼らの曲の「君」を「かつての自分」だと解釈したのは、
僕の心境がそういう状態だったからです。

数千枚の葉っぱを手作りすることに、いつの間にか熱狂できなくなっている。
そのことに気づいたとき、
僕は、人生の大半が既に過ぎ去ってしまったような錯覚に陥りました。
何を大げさな、と思われるかもしれませんが、
このまま何に対しても熱狂できずにいるとしたら、
それはもう「余生」以外の何物でもありません。

とはいえ、いくら努力したところで、
あの頃の自分が戻ってくることはありえない。
「あの頃」は文字通り「過ぎ去ったもの」であり、どんなに足掻いたところで、
再び数千枚の葉っぱを手作りすることに熱狂していた自分は戻ってこないし、
数千枚の葉っぱを手作りしてでも成し遂げたかった「何か」は永久にわかりません。
今の僕がすべきなのは、以前の自分を取り戻そうとすることではなく、
年々深くなる喪失感や虚無感を淡々と受け入れていくことなのでしょう。
(…ということに気づくまで、かなり長い時間がかかりました)

その先に「熱狂に代わる何か」が見つかるまで、
フォトハイやNum Contenaやその他の多くの音楽を、
僕は自分の「テーマ音楽」として携えていくのだろうと思います。








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For Tracy Hyde 『Film Bleu』

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僕にとっての「青」は
喪失の色だった


東京で活動する5ピース、For Tracy Hyde(フォトハイ)が、
昨年12月にリリースした『Film Bleu』
フルアルバムとしてはこれが初になります。

以前もこのブログで取り上げたEP『Born To Be Breathtaken』などの
過去の楽曲と新しい曲とがほぼ同じ量盛り込まれていて、
収録曲の顔ぶれでいえば、現時点での彼らのベストアルバム的な作品。
ただ、バンドとしては『Born To Be Breathtaken』リリース後、
ボーカルのラブリーサマーちゃんが脱退し、
新ボーカルeurekaが加入するという大きな変化がありました。
今回の『Film Bleu』に収録された過去の曲もeurekaボーカルで録りなおされているので、
「知ってる曲なのに新しい」という、不思議な感覚を味わえるアルバムでもあります。

ラブリーサマーちゃんが思い出だけを残して転校していった淡く儚い少女だとすれば、
新ボーカルeurekaは少年のひたむきさやあどけなさを併せ持つ、中性的な存在。
「僕」という一人称や、その相手(異性)としての二人称「君」という歌詞は、
彼女の方がよりなじむ感じがします。
既発曲はどうしても他人の服を着せられてるような落ち着かなさは正直あるのですが、
<Shady Lane Sherbet>はeureka版の方がいい!)
eurekaを念頭に作られたであろう新曲は
「おお、これが今のフォトハイか!」というような納得感があります。



このアルバムで、彼らは「青」をキーカラーにしています。
10代の記憶を思い起こさせる夏の日の空や、「未完成」「未熟」というような青に結びつくイメージは、
元々フォトハイが描いてきた世界観でしたし、1stフルアルバムにこの色を持ってきたのを知った時は、
「やる気だな!」「ついに刀を抜いたな!」と思いました。

でも、ふと周りを見れば、例えばラブリーサマーちゃんのメジャー1st『LSC』も青でしたし、
『Film Bleu』と同日発売だったローリングストーンズの新作も、『Blue & Lonsome』でした。
そういえばビートルズの『Live At The Hollywood Bowl』もやはりジャケットは青でした。
ストーンズは原点回帰のブルースカバーアルバムに「青」を選んでいますし、
ビートルズのライブアルバムも、彼らの青春時代の終わりを記録したものでした。
16年後半はそうした若さや純粋さの象徴としての「青」を、
やたらと目にする機会が多かったのです。

そういうたくさんの「青」を見るたびに僕は、実はイヤ〜な気持ちになっていました
なぜなら、「青」という色に込められたさまざまな感情や思いを、
僕自身はもう失ってしまったことを痛感してしまうからでした。
「何かをやりたい!」という情熱や、未知のものに対する興味、
あるいは「自分を良く見せよう」という虚栄心や異性に対する憧れ。
そういったものが以前に比べて(元々多い方ではないけど)はるかに少なくなって、
ひたすら内へ内へとこもるようになっていることに気付いたのが、まさに16年の後半でした。

単調な仕事によって何かが摩耗してしまったのか、
子供が産まれたことによる意識の変化なのか、
それらをひっくるめて単に「年を取った」ということなのか。
いずれにせよ、そんなときに目にする「青」は、僕にとっては喪失の色でしかなかったのです。
逆に言えば、僕はまだそんな自分を「俺も年取ったな〜」と茶化せるほどには、
大人にはなりきれていないのです。

『Film Bleu』のラストに収録された<渚にて>の中に
「この休暇を終えたら、ちゃんと大人になろうね。」という歌詞があります。
このフレーズを聴くたびに、
「そんな簡単に大人になれねえぞ」と歌に対して説教を垂れつつ、
「僕は休暇を終えたことは間違いない。でも、大人になれたのだろうか」と、
僕はぼんやりと途方に暮れてしまうのです。








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And Summer Club 『Heavy Hawaii Punk』

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鳴ってる音のすべてが
僕の音楽遍歴そのもの


YouTubeやSoundCloudのおかげで、
「自分の知らない曲」を毎日手軽に聴けるようになりました。
もちろん、隅から隅までなんて到底聴けないので、
(各種のWebサービスが作り手に発表の場を広げたことで、日々の音楽の供給量は天文学的です)
僕が1日に聴く「新曲」は、多くてもせいぜい10曲程度。
それでも年間通せば3000曲以上の未知の曲を聴いてることになります。

んで、曲を聴くたびに「最高!」とか「ピンとこないな」とかいろいろ反応するわけですが、
ひたすらそれを繰り返していると「自分がどういう音楽を好きなのか」という、
好みの傾向みたいなものを自覚するようになります。
自覚することで、自分が好きそうな音楽をより効率的に嗅ぎ分けられるようになったり、
逆に、感性の硬直化に危機感を覚えたりします。

面白いのは、好みを自覚することで、
その好みの直接のルーツがどこ(誰)なのかが分かったりすることです。
そして、その「どこ(誰)」が、必ずしも「聴いてきた時間の総量」や「思い入れ」に比例しないことです。

例えば僕の場合、以前も書いたように20代前半にどっぷりとthe pillowsを聴いていました。
聴いた量的にも、のめり込んだ深さ的にも、おそらく彼らが一番です。
ところが、今の僕の「好み」というものは、
決してthe pillowsのような音楽そのものではありません。
むしろ、the pillowsきっかけで聴くようになったストロークスや、
ストロークスがきっかけとなって聴いたさらに別のバンドの方が近かったりします。
自分の好みを自覚することの面白さは、
そういう自分のルーツに対する意外な発見ができることです。

なんで延々こんな話を書いているかというと、
実は2016年は僕にとって、音楽の好みのルーツというものについて、
発見をしたり考えたりする機会が、いつにも増して多い1年だったからです。

今年ブログに書いたアーティストだと、例えばThe LemonsThe School
この2組は最初に聴いた瞬間から「ど」が付くほどハマったのですが、
そのことで「自分は黒人音楽よりも白人ポップスの方にシンパシーを感じるんだな」と、
大げさに言えば「発見」をしました。

この「発見」によって、
サイモン&ガーファンクルとか、50〜60年代のアメリカンポップスとか、
主に僕が20代前半の頃に聴いていた音楽を改めて聴き直したり、
ビーチボーイズ(ブライアン・ウィルソン)を「白人ポップス」という文脈で聴くようになったり。
さらには、新しい音源を買い求めてルーツをさらに掘り下げてみたりと、
普段の音楽の聴き方に新たな「テーマ」をもたらしました。

そして、「好みのルーツを発見した」という点で、
今年聴いたアーティストの中で最も影響が大きかったのが、
大阪出身の4ピース、And Summer Club(アンサマ)でした。



文字通り「どハマり」でした。
今年7月に出た1stアルバム『Heavy Hawaii Punk』は一体何回聴いたでしょう。
今年の夏はアンサマに始まりアンサマに終わった気さえします。
遠くから聞こえてくる、控えめで朴訥とした男女ボーカル。
シンプルな歌メロと、それに絡みつく力の抜けたギター。
アルバムタイトルの3つのキーワード(Heavy、Hawaii、Punk)に表される、
スカスカでチープな音像と前へ前へとつんのめる疾走感の不思議な同居は、
強烈な中毒性があります。

でも、音楽そのもの以上に衝撃だったのは、アンサマを聴いたことで、
「あ、俺ものすごくThe Pains Of Being Pure At Heart好きなんだ」とか、
「だから俺The Vaccinesにハマッたんだ」とか、
「そう考えるとOgre You Assholeとの出会いはめちゃくちゃ大きかったんだな」とか、
過去に聴いてきた音楽たちが、樹形図のようにつながっていったことでした。
まるで、バラバラの星と星を結んで星座ができていくみたいにして、
自分の音楽遍歴というものにストーリーが見えた気がしたのです。

なので、アンサマの音楽はもちろん大好きなんだけど、
彼らがいかにすごいかとか、他のアーティストに比べてどう優れているとか、
そういうことが僕にとって大事なわけではありません。
『Heavy Hawaii Punk』というアルバムは、
そこで鳴っているすべてのサウンドが僕の感性そのものであり、
これまで聴いてきた音楽とこれから聴くであろう音楽との間に挟まれた、
本のしおりのような存在のような気がするのです。








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ラブリーサマーちゃん 『LSC』

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大人になる一歩手前の
「憂い」と「揺らぎ」


毎日顔を合わせていたクラスメイトの女の子が、
実は某国のお姫様だった。

あるいは、

いつまでも子供だと思っていた近所の女の子が、
ふと気づいたらいつの間にか大人の女性に変身し、
手の届かないところへ羽ばたいていってしまった。

…みたいな例えをアラフォー男がブログに書くのは、
本当にキモいって分かってはいるんだけど、
ラブリーサマーちゃんのメジャーデビューアルバム『LSC』
最初に聴いたときの感想は、まさにそんな感じだったのです。
いや〜、「衝撃」と表現してもいいくらい、素晴らしいアルバムでした。

僕がラブリーサマーちゃんをフォローするようになったのは、
彼女がFor Tracy Hydeに加入する前だったので、2年以上前になると思います。
フォトハイはもちろん、『よしよしサマー』以降、
彼女のソロ音源も熱心に買っていたのですが、
それはなんというか、「面白そう」「なんか気になる」というような気持ち、
要するに興味や好奇心からでした。
それが、今回のアルバムではっきりと「好き」になったような気がします。

何がそんなに良かったのか。

まず、ソングライターとしてすげえ
という点が挙げられます。

これまでの彼女の楽曲は、いい意味でも悪い意味でも、まだどこか垢抜けない、
「アングラさ」があったと思います。
ところが今回の『LSC』では、
(おそらく以前からストックしていたのだろうけど)一気に洗練されました。

個々の楽曲のポップさもさることながら、
特筆すべきは楽曲のバラエティの広さです。
<青い瞬きの途中で>オアシスを彷彿とさせる90年代ブリットポップ、
<202>はソフトなR&B、
そして<PART-TIME ROBOT>はヒップホップと、
「これマジで1人の人が書いたの?」という感じ。
アコースティックなバラード<わたしのうた>なんて、
音の中に沈んでいくようでホントに好きだなあ。
<天国はまだ遠い>の寒々しいギターの音なんかもすごくいい。
(あと<私の好きなもの>にこんなに長く付き合うことになるとも思ってなかった)



そしてもう一つ。
こっちが冒頭述べた“例え”につながるんだけど、
ラブリーサマーちゃんの声は、これまでとは明らかに変わった気がします。

これまではやくしまるえつこにも似た、
幼さや拙さが残る「ロリ声」だったのが、
このアルバムでは大人になる一歩手前のような、
「憂い」や「揺らぎ」のある声になりました。
再録された<ベッドルームの夢>なんて、かつてのep版とはまるで別の曲です。
そういう意味では本作のジャケットが、これまでのような可愛いイラストではなく、
青一色であることは象徴的です。

これはどういう変化なんだろう。
年齢に伴う自然な変化なのであれば、ドキュメンタリーを目撃したようなドキドキがあるし、
意図的な変化だったとしても、それはそれで彼女の底なしの才能を見た気がして身ぶるいします。
少なくとも、この声の変化によって、歌える歌の幅は格段に増したはずだし、
前述の楽曲のバラエティとも無縁ではないはず。
彼女はthe brilliant greenが好きだと公言してるけど、
川瀬智子の声に似てきた気がします。

メジャーデビューすると聞いたときは、
正直「やっていけるのだろうか」とちょっと懐疑的だったのですが、
現実の『LSC』は、そんな僕の「上から目線」をひねり潰すような、
素晴らしいアルバムでした。
(死語ですが)セルアウトだと言い出す人はいるんだろうなあ。
でもこういうアルバムこそ売れないで何がポップスだよと僕は思います。








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The School 『Wasting Away And Wondering』

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ありがとう50年代、60年代の
アメリカンポップスたち


英国ウェールズの首都カーディフ出身のバンド、The School
今年に入ってから激ハマリしているバンドです。
現時点での最新作が、2015年にリリースした3枚目『Wasting Away And Wondering』

まずなんといってもジャケットがいいですね。
セピアがかった写真のトーンもいいし、
古いマーケットのようなレコードショップというロケーションも素敵。
このレコード屋行ってみたいなあ。

写真の中でレコードを選んでいるのが、ボーカル/キーボードのリズ
The Schoolは彼女が中心になって2007年に結成されました。
彼女の他にドラム、ギター、ベース、さらにヴァイオリン2人にトランペット1人の
計7人という大所帯バンドです。(2ndの頃は8人いました)

カーディフ出身の大所帯バンドというとLos Campesinos!がパッと頭に浮かびますが、
北欧ポップとパンクを混ぜたような先鋭的なロスキャンとは対照的に、
The Schoolの音楽は50〜60年代のアメリカンポップスの匂いを感じさせる、
ノスタルジックでありながらもエターナルな響きをもっています。
セピア色のレコードショップ」というジャケット写真には、
彼女たちの音楽性が端的に表れているといえるでしょう。



もう…本当に最高です。たまんないです。
The SupremesThe Shangri-las、The Ronettes、The shirelles、そしてブライアン・ウィルソン
リズがフェイバリットとして挙げたアーティスト、全部僕もツボなんですけど。
そりゃあ合うはずだよなあ。

そして、中でも僕が「ああ!」と納得してしまったのは、
リズが現代のバンドの中で好きなアーティストとして、
先週紹介したThe Primitivesを挙げていたこと。
しかも調べてみたら、レーベル(スペインのElephant Records)まで一緒でした。
うおお、つながるなあ。

今年はThe Lemonsを聴いたのを機に、
自分の好みのルーツというものを意識することが多くなりました。
そして、そのルーツというのが50〜60年代のアメリカンポップスにあるんじゃないかと気づく
(好きであることは自覚してたけど、ルーツとしてより強くそれを意識する)
きっかけを与えてくれたのが、The Schoolだったのです。

まあ、生まれていない時代を「ルーツ」と呼ぶのはヘンかもしれませんが、
でも生まれてない時代の音楽に強烈なノスタルジーを抱くのも事実。
そして、リズをはじめ、僕よりも若く、生まれ育った国も違う人たちが、
50’s、60’sに対して(きっと)同じように憧れを持っていることが、
今さらながら不思議な気がします。








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The Primitives 『Spin-O-Rama』

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「王道」という名の希少種

英国コヴェントリー出身のバンド、The Primitives
3年ほど前に初めて知って、あまりに好みにドンピシャだったので聴きまくっているのですが、
バンドの結成は1985年という、実は超がつくほどのベテランバンドです。

85年の結成後、何度かのメンバーチェンジを経て、
88年に発表したアルバム『Lovely』とシングル『Clash』が全英チャートの6位を記録。
当時、The SmithsのモリッシーがThe PrimitivesのTシャツを着ていたというエピソードもあるほど、
高い人気を集めたそうです。



しかし、その後2枚のアルバムを発表した後、92年に一度活動を休止します。
そして、17年もの休止期間を経て2009年に突如復活。
(短期間活動して長期間休止して突然復活するという経緯はThe Vaselinesと似てますね)

活動再開後、音源としては12年にカバーアルバムを1枚出したきりだったのですが、
14年になってついにオリジナルアルバム(23年ぶり!)『Spin-O-Rama』をリリースしました。
この新作、最初は日本での発売が未定で表題曲だけiTunesで配信されていたのですが、
その後日本盤が正式にリリースされました。
僕が初めてこのバンドを聴いたのが13年だったので、とてもいいタイミングで出会ったことになります。



バンドの中心は紅一点のボーカル、トレイシー・トレイシー(彼女はオーストラリア人)と、
ギターとコーラス(たまにメインボーカル)のポール・コート
トレイシーの美貌から、デビュー当時はアイドルバンドだと見られたこともあったそうです。

ただ、聴いてもらえばわかるように、
彼女たちの魅力はトレイシーの美貌などではなく(いや確かにめちゃくちゃキレイだけども)、
間違いなくその素晴らしいサウンドにあります。
ラモーンズを彷彿とさせるポップなメロディと疾走感のあるシンプルなアレンジ。
特にポールが手掛けるメロディは、頭の中でリピートしてしまう強いフックと中毒性があります。

そして、ほとんどの曲が3分以内に収まってしまうパンク的なスピード感がある一方で、
ギターの揺らぎ方やトレイシーの声のエコーの利かせ方には、
彼らの少し前にデビューしたThe Jesus & Mary Chainをはじめとする、
英国シューゲイザーバンドからの影響も感じられます。
また、ポールのアルペジオ主体のギターは、どこかジョニー・マーっぽくもある。
(そういえばジョニーは最近のライブで<Clash>をカバーしてました)
そういう意味では、すごく「80年代イギリス」を感じさせるバンドかもしれません。

で、肝心の新作『Spin-O-Rama』ですが、これが驚くほど80年代の頃と変わらない。
トレイシーの声も全く変わってないし、まるで休止していた17年間、
ずっと冷凍真空パックされていたかのようです。
多分、初期の頃の曲とシャッフルしてかけても、
どっちが古くてどっちが新しいか分からないんじゃないかな。

僕自身の感覚では、The Primitivesの音楽はものすごくストレート
それも、王道のど真ん中のサウンドという気がしています。
そして、だからこそ60年代、70年代のバンドよりも、彼女たちの方がレトロだと感じます。
2010年代の後半に入った今、このバンドのような「王道」は、逆に新鮮に映ります。








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Car10 『BEST SPACE』

car10 - Best Space

「地方」「食えない」を
軽やかに飛び越えて


3ピースバンド、Car10(カーテン)を最初に聴いたとき、
「あ、イギリスのバンドだな」と思ったんだけど、
調べてみたら日本の、それも栃木県足利市を拠点に活動する地方のバンドで驚きました。
そのくらいこのバンドはスケールがデカく、日本的な匂いを感じさせません。

猛烈なスピード感と潰れたギターの音は最高にかっこよく、
英語と日本語がごくナチュラルに入り混じった歌詞のセンスも素敵。
何より、彼らの「声」が素晴らしいなあと感じます。
思わず笑ってしまうくらいに絶曲するコーラス(ギャングコーラスというらしい)と、
「お前やる気あんのか!」とユッサユッサしたくなるような、脱力しきった川田晋也のボーカル。

ぶっ壊れてるパンクバンドってたくさんいるけど、
Car10はすきま風がビュービュー吹くあばら家のように、かなり徹底的にボロボロです。
でも、逆にそこに昔のマッチョ系パンクバンドにはない繊細さや軽やかさを感じます。

2008年に結成して14年にレコードデビュー。
15年にリリースした2ndアルバム『Rush To The Funspot』からは、
銀杏BOYZ安孫子真哉が主宰するレーベル、KiliKiliVillaに所属しています。
そして今年6月、5曲入りで収録時間10分という(彼らの曲はほとんど2分以下なのです)、
暴風のような爆速EP『BEST SPACE』をリリースしました。

※2ndアルバムより<Bustard Blues>


いやしかし、こういうかっこいいバンドが、
栃木県足利市という「ド」がつくほどローカルな場所から出てきたことが、
一番素晴らしいことなのかも。

このブログでも地方出身のバンドってたくさん紹介してきたけど、
なんだかんだ言っても県庁所在地級の規模の都市だったり、
そうでない場合も拠点を大都市に移していたりするケースがほとんどでした。
ところが、Car10の場合は今でも活動拠点は足利のままです。
ちなみに栃木県足利市の人口はわずか15万人(2010年)。

インタビュー記事を読むと、彼らは地方で活動を続けることに、
決意や信念が特別あるわけではないようですが、
そういう気負ってないところが逆に頼もしく見えます。

気負ってないといえば、彼らは昼間は普通に働いてます
会社員なのかアルバイトなのかはわからないですけど、
とにかく昼間は音楽以外の仕事をしながらバンド活動を続けているようです。
そういえば、レーベルオーナーのあびちゃん(安孫子真哉)も、
こないだ地元の牛乳屋さんに就職したそうです。

全国流通盤をリリースして、大手レコード店にCDが置かれているようなバンドでも、
昼間はバンド以外の仕事をしているケースは、決して珍しいわけではありません。
ひと昔前なら、そういう「食えない」状態は「恥」と思われてたところがありました。
でも、Car10のように昼間働いてることを(本人たちの目標はあくまで「食う」ことかもしれませんが)
あっけらかんとオープンにすることは、僕としてはとても素敵だなと思う。


よく「プロとアマチュアの違いは『食える』か『食えない』か」
というような言い方をする人がいます。
僕も芝居をやっていたので、こういう言い方を何度か耳にしたことがあります。
芝居だろうが音楽だろうが、あくまで一つの「仕事」なんだから、
それ一本で生活できるかどうかをバロメーターにすべきだ。
こういう割り切り方は、一見クールでかっこいいかもしれません。

でも、じゃあCar10やあびちゃんは「アマチュア」なのでしょうか。
そして、TVに出てるあのクソみたいなバンドは「プロ」なのでしょうか。
1万人以上動員してるけど公演費用がかかるからバイトしてる食えない劇団員は「アマチュア」で、
芝居はロクに作らずカルチャースクールの講師だけで食える劇団員は「プロ」なのでしょうか。

以前、この記事でも似たようなことを書きましたが、
僕の結論としては「どうでもいい」です。
僕はCar10がプロだから聴いてるわけでもアマチュアだから聴いてるわけでもなく、
単純に彼らの音楽が好きだから聴いてるわけで、それ以上でもそれ以下でもありません。

たしかに、一度は日本のバンド界の頂点を極めたといっていいあびちゃんが、
今は音楽とは関係ない仕事をしているのは、少なからずショックではあります。
ですが、そんなことはそもそも他人の僕が心配するような問題ではなく、
僕は彼が送り出す音楽に興味があるからフォローするわけで、
彼が昼間何をしているのかは、本質的に関係のないことです。
あびちゃんが何をしてようが、彼が作る音楽が良ければ聴くし、そうでなければ聴かないだけ

だから、少なくとも僕には「食える食えない理論」はまったく本質を突いていないので、
それを口にする人とはなるべく関わり合いにならないようにしてきました。
まあ、「食える食えない理論」って大体、その世界でギリギリ食えてる人が、
食えてない人を威圧させて優越感を味わうために振りかざすケースが多いんですけど。

とはいえ、実は僕も偉そうなことはあんま言えません。
20代の頃は「本当に創作に打ち込むためには仕事なんかしてちゃダメだ!」
「他の人が仕事してる時間も創作をしないといいものなんて作れない!」
なんてことを大マジで議論してました。
Car10の爪の垢でも煎じて飲ませてそのまま蟹工船にでも押し込んでやりたくなります。

でも、だからこそ、地方で働きながら、かっこいい音楽を作り続けている彼らのような存在は、
本気でリスペクトするしめちゃくちゃ応援したいです。








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宇多田ヒカル 『Fantome』

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「母になった私」ではなく
「母と私」を歌う


娘(0歳)が毎朝『とと姉ちゃん』を見てたら、
主題歌の<花束を君に>に反応を示すようになったので、
父さんは宇多田ヒカルの新作『Fantome』を買ってしまいましたよ。

宇多田ヒカルが『Automatic』でデビューしたのは、僕が高校3年生のときでした。
彼女とは2歳差なのでほぼ同世代です。
『Fantome』の発売前に超久々に『First Love』を引っ張り出して聴いてみたら、
一瞬で心が17歳の頃にワープしました。

僕が彼女をちゃんとフォローしてたのは2nd『Distance』までで、
決して熱心なリスナーというわけではなかったのですが、
今回、彼女が母親になって初めての作品を、
僕自身も親になったタイミングで聴くことになったり、
彼女が33歳になったと聞いて「俺も年を取ったな」と思ったりして、
同世代としての連帯意識みたいなものを感じました。

んで、『Fantome』です。
1曲目の印象的なイントロで一気に持っていかれるし、
<ともだち>椎名林檎とのコラボ曲<二時間だけのバカンス>なんて、
「さすがだな〜」「相変わらずかっこいいな〜」と思わず息がもれそうになるし、
最初に聴いたときは「ものすごく上質のポップアルバム」という印象。
買った初日、帰りの電車で夜の東京を眺めながらこのアルバムを聴いていたのですが、
椎名林檎のコメントにもあったとおり、
確かに彼女の音楽は東京の街によくフィットする気がします。

ただ、二度三度と聴き返しながら歌詞に耳を傾けるようになると、
<花束を君に><真夏の通り雨>そして<道>の3曲が気になるようになりました。

世界中が雨の日も
君の笑顔が僕の太陽だったよ
今は伝わらなくても
真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に

<花束を君に>


誰かに手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて

<真夏の通り雨>


私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった

<道>


上記の歌詞に見られるとおり、
この3曲は明らかに、母・藤圭子のことを歌っています。
さよならさえも告げずに去っていった母への怒りがあり、
その葛藤を乗り越えて「始まりはあなただった」と言える心境になるまでの過程が、
かなり生々しく吐露されています。

デビュー当時の宇多田ヒカルは、
14歳という年齢と、その若さに似つかわしくない圧倒的な「本格派」オーラ、
そしてTVに出ないという当時の常識の逆をいく神秘さから、
「本当にこんな人がいるのか?」というようなフィクショナルな存在でした。
その印象を未だに強くもっている僕には、
今作の彼女の生々しさはとても衝撃的でした。
まるで宇多田ヒカルが初めて「人間」になったみたいに。

自身が母になって初めて作るアルバムで、
「母になった私」ではなく「母と私」を歌うところに、
僕は彼女の葛藤の深さを感じます。
※もちろん、彼女が母との葛藤を乗り越えていく中で、
 彼女自身が母になったことが少なからず影響しているはずであり、
 間接的に「母としての自分」が歌われているとも言えますが。


でも、だからこそ響くんだと思います。
自分も親になってみてつくづく感じるのですが、
人は親になったからといって、
聖人君子になるわけでも悩みがなくなるわけでもないんですよね。

だから、もしこのアルバムが、
子供への愛情だったり母性的なテーマを歌ったりして、
「母になった私」を全肯定するような内容だったら、多分僕は引いてたと思います。
そうではなく、「さよならの前に私を抱きしめてほしかった」と満たされない思いがくすぶる、
「母なのに不完全な私」をさらけ出すからこそ、
僕はぬくもりをもったシンパシーを感じるのです。

僕にとっての宇多田ヒカルはやはり
一人のアーティストというよりも、
仲間意識のもてる一人の同世代の人間という位置づけなんだなあと、
今回のアルバムで改めて感じました。
同じように感じてる僕ら世代の人、少なくないんじゃないかなと思います。









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The History Of Apple Pie 『Out Of View』

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「天気」が好みを
変えることもある


現役バンドのうち、「ヘンなバンド名」の日本代表が最終少女ひかさだとしたら
イギリス代表は彼らでしょう。
ロンドン発の5人組、The History Of Apple Pie

「アップルパイの歴史」って、一体何なんでしょう。
そもそも語れるほどの歴史があるんでしょうか(ありそうではある)。
「パイ生地の厚みの変遷」とか「カスタードを入れ始めたのはいつからか」とか。
それとも、イギリスの昔のことわざにこういうフレーズでもあるんでしょうか。
「一切れのアップルパイにも歴史はある=一寸の虫にも五分の魂」的な。

ただ、シュールなバンド名とは裏腹に、
サウンドのほうはとても爽快且つキュートです。
インディーポップ&シューゲイザーという王道の組み合わせ。
その上に、ステファニー・ミンの、ささやくようなセンチメンタルボイスが乗っかります。

訥々としてちょっと舌足らずにも思えるステファニーのボーカルは、
彼女がアジア系イギリス人だからなのか、
NoodlesのYokoフルカワミキら日本の女性ボーカリストにも近い気がして、
日本人リスナーにはシンパシーを感じられるかもしれません。



The History Of Apple Pieはボーカルのステファニーと
ギターのジェロームが中心になって2010年に結成されました。
11年にデビューシングル<You're So Cool>をリリース。
その後アルバム制作に入って12年にはいったん完成したものの、
メンバーが出来を気に入らず、再度イチから作り直して翌13年にリリースしました。
そのアルバムが『Out Of View』
UKレコードストアチャートで2位にまで上ったそうです。

苦心作であったことなど少しもうかがえないほど、
気持ちのいいスカッとしたアルバムです。
彼女たちは間髪いれずに14年に『Feel Something』という2ndアルバムも出しているのですが、
僕は1stの方がメロディもサウンドも思い切りがいいと思う


…とほめまくっていますが、先週書いたレッチリやBECKと同じように、
実はこのThe History Of Apple Pieも僕にとっては、
「今は大好きだけど初めて聴いたときはイマイチだったバンド」でした。
まあ、確かに取り立てて特徴があるバンドではないんですよね。
なので、最初に聴いたときは「なんか物足りないバンドだな」と感じたのです。

印象が変わったきっかけは、実は「天気」でした。
その日は5月のめちゃくちゃ気持ちよく晴れた日で、
朝の通勤列車で外を見ながらたまたまこのアルバムをかけてみたら、
日の光で眩しい外の風景と音楽とが映画のようにマッチしたのです。
多分、聴いたのが雨の日だったら、印象はひっくり返らなかったと思う。

もちろん、その日の心境とか体調とかも影響するし、
一概に天気や季節だけで決まるわけじゃないんですけど、
こうした偶然のきっかけで音楽への印象が変わることってあるんだなあと、
(一応知ってはいたけど)30半ばにして実感してしまいました。








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