週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】2010年代

Alvvays『Antisocialites』

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あなたがあなたであることで
困る人は誰もいない


 カナダのトロント出身のバンド、Alvvaysの2ndアルバム。2017年9月のリリースなので超がつくほど今更なんですけど、いやー、あの衝撃的な1stアルバムと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上の大名盤です。大好き。何度言っても足りないくらい大好き。

 もはやこのバンドのトレードマークになった、夏の陽炎のように輪郭の淡い音像モリー・ランキンのボーカルも変わらず瑞々しく繊細ですが、1stの頃よりも声の伸びが良くなった印象を受けます。

 そしてなんといっても歌メロが相変わらず素晴らしい。確か最初にこのアルバムから公開されたのは、<Dreams Tonite>だったと思うのですが、最初に聴いた瞬間に「あ〜、これこれ!」と思った記憶があります。



 ただ、今回のアルバムで特にいいなあと思ったのは、実はサウンドよりも歌詞の方でした。例えば前述の<Dreams Tonite>のコーラス部分の歌詞。
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight?
If I saw you on the street, would I have you in my dreams tonight, tonight?

 ある意味ではとてもありふれたフレーズなのに、モリーの声やメロディの効果もあって、とても映像的に響きます。


 この曲と並ぶリード曲<In Undertow>も好き。
"What's left for you and me?"
I ask that question rhetorically
Can't buy into astrology, and won't rely on the moon for anything

No turning
There's no turning
There's no turning back after what's been said
No turning
There's no turning
There's no turning back

 この曲が試聴開始された日は、1日中Spotifyで聴いてた気がする。この「There’s no〜」の繰り返しが本当に切ない。繰り返されることで、心の内で自分に言い聞かせている様子が伝わってくる気がします。

 両方の曲に共通するのは、ある人との間に横たわる深い溝の存在です。その溝は、かつてはまったくなかったのに、いつの間にか生まれてしまったことがうかがえます。本当はその人と近づきたいのに、なぜかすれ違ってしまってばかりで、本心と現実とのギャップに主人公たちは途方に暮れています。

 アルバムタイトルの“Antisocialites”は、実は造語。“socialites”(社交的な人、社交術に長けた人)の“Anti-”(反対)ということで、「引っ込み思案な人」「人づきあいが不器用な人」というような意味になるでしょうか。思い切って声をかけて本心を話せば済みそうなものを、一人心の中で逡巡しているだけだった歌の主人公たちは、まさに「Antisocialites」といえます。

 自分で自分のことを「社交的な人間だ」と思える人は、あまり多くはないはずです。こないだ、会社の同僚で周囲の誰もから「社交的な人」と思われている人が、ポツリと「俺ももっと社交的にならないとダメだな」と呟いているのを聞いて「この人のレベルでもそう感じるのか」とのけぞったことがありました。「社交的でなければならない」という強迫観念と、その「社交的」が要求するレベルには常に届かないというジレンマは、現代人が普遍的に抱えるものなのかもしれません。

 ただ、このアルバムのテーマは決して「Antisocialites」であることを否定したり、克服しようとしたりすることではなく、「Antisocialites」としての悩みや悲しさ、喜びといったものを示しながら、寄り添い共感しようとするところにあります。

 僕が一番いいなと思ったのは、9曲目<Saved by a Waif>のコーラス直前にサラッと歌われるこのフレーズ。
Stay where you are
State what you are
Stay where you are
And no one gets hurt

 最後の「And no one gets hurt」というのがとてもいいですね。これ、日本盤の訳詞だと「誰も傷つけないように」とその前の”stay”と”state”の動機を説明している句になってるんだけど、僕は「あなたがあなたであることで、困る人は誰もいない」という単独の一節だと読みました。「Antisocialites」だけでなく、例えばLGBTQなども含めて、社会に生きるみんなに投げかけてるメッセージのようで、僕は自分の誤読のほうがしっくりくるんだよなあ。

 今年の11月、ついに初の単独来日公演が実現します。絶対に行きます。








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Liam Gallagher『As You Were』

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一周まわって頭をもたげた
太古の「恐竜」


「最初のロック体験」というものが誰にもあるのだとすれば、僕にとってのそれはオアシスの<Morning Glory>だったろうと思います。具体的に言えば、イントロのあの粘つくようなチョーキングであり、リアム・ギャラガーの死んだ魚のような瞳であり、そして彼のしゃがれた声でした。それは「髪の毛を逆立てた人が派手な照明を浴びながら大声で叫ぶもの」としか理解していなかった僕のロック観を根底から覆すのに、十分な衝撃でした。

 あれから四半世紀経っても、未だにリアムの新譜を追い続け、SNSをフォローし、(ゴシップ含めて)関連記事にもひと通り目を通しているのは、ひとえに彼が僕にとってただ一人の「リアルタイムで出会ったロックスター」だからです(ノエルではなくリアムに惹かれ続けるのは、最初の出会いの衝撃が、主にリアムの出で立ちや声によるものだったからでしょう)。

 ただ、それはあくまで僕にとっての話。いい年して(もう彼も40半ばですよ)Twitterでノエルに噛みつきまくるのも、自らを「ロックンロールの救世主」と信じて疑わない言動も、僕には「相変わらずだなあ」と微笑ましいけど、今の10代20代からすれば「だたのイタい中年」に映ってるんじゃないかとヒヤヒヤします

 ある海外のフェスで、リアムのステージは確かにめちゃくちゃ盛り上がってるんだけど、現地にいた人によれば観客の大半は40代のおじさんだった…という話をネットで読んだとき、僕は悲しいというよりも「そりゃそうだよな」と納得してしまいました

 だから、17年秋にリリースされたリアムにとっての初のソロアルバム『As You Were』が、本国チャートで1位を獲得し、特にアナログでは過去最高のセールスをたたき出すなど非常に高い評価を得ているのも、それを支えているのは結局往年のファンなんじゃないかとまだ疑っています(もちろん、そうだとしてもそれ自体は悪いことじゃないし、「往年のファン」といっても彼の場合は数百万人単位ではある)。

 とはいえ、アルバムは確かにいいです。僕はBeady Eyeをかなり応援してたので、解散してソロでアルバム出すっていったときはちょっと複雑だったんですが、実際聴いてみるとBeady Eye時代の2枚のアルバムよりも確かに良いですね。

 どう良いかというと、多くの人が指摘していることではありますが、徹底的に「リアムの魅力を余すところなく表現しきる」という点に焦点を絞っているところ。その最大の仕掛けが、アデルの『Hello』、SIAの一連の作品で知られるグレッグ・カースティンや、ヴァクシーンズやサーカ・ウェーヴスのプロデューサーでもあるダン・グレッグ・マーグエラットなど、多様なソングライター陣の参加。なかでもアンドリュー・ワイアットの作った<Chinatown>は、リアムの枯れた魅力が発揮された、今までなかったタイプの曲だと思います。



 リアムの最大の魅力は、14歳の僕がショックを受けたように、やはりあの強烈なキャラクターを持った声でしょう。そしてその声の強さが発揮されるためには、メロディにも同じだけの強度が必要でした。若手の才能あるソングライターを招集したのは、リアムの声に見合うメロディを作り出すためには必要な作戦でした(今回のアルバムの成功は、ある意味では逆説的にノエル・ギャラガーという人物の存在感をより一層強めたともいえます)。

 ハードロック的な高音シャウト系ではない歌い方で数万人規模のスタジアムを歌わせられるという点で、僕自身の個人的思い入れを抜きにしても、やはりリアムの歴史的インパクトはデカいと思います。それは、彼を凌ぐスタジアムボーカリストが、結局今に至っても現れていないことを見ても明らかです(ジョージ・エズラとかかなり可能性ありそうなんですけど)。

 そう考えると、今の若い子には、リアムの存在はかえって新鮮なのかもしれません。恐竜がロマンを誘うのは、今はもう滅んでしまったという前提があるからこそですが、いつでもどこでもコートを脱がずビッグマウスを叩くリアムのキャラクターも、もしかしたら若い子の目には恐竜のように映っているのかも。

 まあ、これは全て「若い世代がリアムに注目していたら」と仮定した上での想像ですが。ただそのうえで僕がいいなと思うのは、一周まわって過去を参照しようという気分が盛り上がったときに、それに応えられる存在が手に届くメジャーな場所に常に存在しているという、イギリスの文化的豊かさです。

 今年の9月にソロ名義では初の単独来日公演が予定されています。もちろんチケット取りました。








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SOLEIL『My Name Is SOLEIL』

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ポップミュージックが
まだ「14歳」だった頃


 先週紹介したThe Yearningは、50〜60年代ポップスの影響を色濃く感じさせる、レトロなスピリットにあふれたグループでした。日本でもつい最近、似たコンセプトをもったグループがデビューアルバムをリリースしました。男性ベテランミュージシャン2人と14歳の現役女子中学生という異色の顔合わせによる3ピースバンド、SOLEIL(ソレイユ)です。

 メンバーは、「ネオGS」と呼ばれたザ・ファントムギフトのベーシスト、サリー久保田。ヒックスヴィルやましまろで活動するギタリスト、中森泰弘。そして、女子中学生ポップデュオ「たんきゅんデモクラシー」の元メンバー、それいゆの3人。2017年9月に1stシングル『Pinky Fluffy』、そして今年3月に初のフルアルバム『My Name Is SOLEIL』をリリースしました。

 このバンドのコンセプトは「1962年」。ガールズポップが全盛期を迎え、マージービートがいよいよステージ中央に躍り出ようとしていた時代の音楽的意匠がふんだんにこらされたサウンドです。アルバムには真島昌利や近田春夫、カジヒデキ、かせきさいだぁといった濃い面子が曲を提供しているのですが、彼らの作家性よりも「1962年サウンド」の方が前面に出ているので、バラバラ感はありません。全曲モノラル録音というラディカルぶりも相まって、非常にコンセプチュアルな作品という印象を受けます。



 The Yearningが、ジョー・ムーアというコンポーザーの考える世界観がまずあって、それを体現するためのいわば「出演者」としてボーカルのマディー・ドビーが存在していたように、SOLEILのサリー久保田とそれいゆの関係もまた演出家と役者のように見えます。結成当時のマディーとそれいゆが共に14歳というのも不思議な符合。

 サリー久保田はインタビューで「13歳だとまだ子供だけど、15歳だともう大人の感じが出てくる。14歳という年齢はそのどちらでもないから面白い」と語っています。

 一つのカラーに染まりきっていない。アンバランス。狭間。そのような意味でいうと、両者が志向している50年代末から60年代初頭の音楽もまた、混沌とした時期であるともいえます。50年代中盤はロックンロール誕生のムーブメントがあり、60年代も半ばになるとビートルズが現れてポップスの重心がロックへと傾倒し始めます。そのために従来は、この50年代末〜60年代初頭は音楽的には見るべきもののない退屈な時代と見られていました。

 確かに爆発的なムーブメントや誰もが知る天才的なアーティストは、この時期に見当たらないかもしれません。けれど実際には、ツイストやファンクなど新しいリズムの発明やフォークミュージックの誕生、黒人歌手や女性歌手のメインストリームへの登場など、後の音楽シーンに決定的な影響を与える出来事が起きたのはまさにこの50年代末〜60年代初頭だった…というのは大和田俊之『アメリカ音楽史』の論ですが、この時期の音楽にはそうしたプリミティブな魅力にあふれています。

 この時期のポップスをよく「キラキラした」と表現することがあります。僕もそのように実感することがあるのですが、この「キラキラ」は、あか抜けて洗練されたことによる輝きというよりも、ありったけのアイディアや生まれたてのエネルギーが詰まった、未成熟という名の眩しさなんじゃないかと思います。そう考えると、The YearningのマディーとSOLEILのそれいゆが共に「14歳」という年齢であることが、とても面白い偶然に思えてくるのです








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The Yearning『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』

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「音楽は魔法」という言葉を
たまには信じてもいいじゃないか


 スペインのマドリードを拠点とするElefant Records(エレファント・レコード)は、世界中で僕がもっとも愛するレコードレーベルの一つです。そして、エレファントの所属アーティストのうち、レーベルの精神をもっとも色濃く体現している(と僕が感じる)のが、以前紹介したThe Schoolと、今回紹介するThe Yearning(ザ・ヤーニング)です。

 The Yearningはイギリスの2人組ユニット。シンガーソングライター、プロデューサーとして活動していたジョー・ムーアが、ボーカリストのマディー・ドビーをフィーチャーする形で2011年に結成されました。当時、マディーは若干14歳でした。

 ジョー・ムーアの作る音楽は、ブリル・ビルディング勢やブライアン・ウィルソンモータウンなど、50年代終わりから60年代前半あたりの遺伝子をダイレクトに受け継いだ、王道でキラキラしたポップス。それをそのままやると単に懐古主義的で暑苦しいだけになってしまいますが、マディーがその透き通るような歌声で、普遍的な響きをもつ「現代の音楽」へと中和しています。この「レトロなんだけどアップデートされている」というバランス感が、僕が思うエレファントのイメージそのものなのです。


 そんな彼らのエッセンスが凝縮されているのが、『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』(17年)。彼らの音源で最初にCD化されたのは、14年の1stアルバム『Dreamboat & Lemonade』なのですが、実はそれ以前にも配信限定でリリースした2枚のEPや、レーベルのコンピ盤への提供曲など、既発曲がたくさんありました。それらの初期音源をまとめてCD化したのがこの『From Dawn Till Dusk (2011-2014)』です。

 初期音源だけあって、結果的にジョー・ムーアのやりたいことがもっとも端的に表れたアルバムになっています。モロにビーチボーイズな<Why’s She Making Those Eyes At You>やフィル・スペクターとモータウンのハイブリッドのような<Don’t Call Me Baby>(タイトルからして最高です)など、一つひとつの楽曲の純度が高い。ノーランズのカバー<Gotta Pull Myself Together>も名演です。オリジナルとはまったく違う仕上がりですが、この曲を選んだ着眼点やその料理の仕方にThe Yearningの個性を強く感じます。

 彼らは2ndアルバム『Evening Souvenirs』(16年)や、現時点での最新音源であるEP『Take Me All Over The World』(18年)で、フォークやボサノヴァ、映画音楽などのジャンルを開拓しています。いわば「レトロ職人」のような独自の進化を遂げつつあるのですが、その原点は間違いなくこの1枚に詰まっているのです。


 さて、そんなThe Yearningですが、今年4月に初来日が実現しました。東名阪の3か所をめぐるツアーで、僕は最終日の東京公演に行ってきました。

 今回来日したのはジョーとマディー、そしてここ数作品のレコーディングに参加しているギタリストのマーク・キフの3人。ジョーは奥さんと3人の子供たちも連れてきていて、家族と一緒にオープニングアクトの演奏を聴いたり、ジョーが演奏しているのに途中で子供が疲れて寝ちゃったりと、ライブというよりもホームパーティのような雰囲気でした
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 子供たちが遊んでいて、僕ら観客もソファに座りながらお酒を飲んでいて、そのくつろいだ空間のなかで音楽を楽しむ。僕は何度も「ここは天国なんじゃないか」と思いました。生の演奏を聴けたのは感激だったし、特にドビーの歌声は音源以上に透明感があって素晴らしかったのですが、何よりよかったのは、会場のあの雰囲気を体験できたことかもしれません。「音楽は魔法」という言葉が陳腐ではなくリアルだと感じてしまうようなあの空間と時間こそ、The Yearningの音楽そのもののようでした。








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For Tracy Hyde『he(r)art』

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「明けない夜はない」という
儚さと希望と


 村上春樹の小説で一番好きなのは『羊をめぐる冒険』でも『ノルウェイの森』でもなく、実は『アフターダーク』なんですが、For Tracy Hyde(フォトハイ)の2ndアルバム『he(r)art』の印象は、この小説を初めて読んだときのそれと重なりました。

 どちらも舞台は東京で、時間帯は夜。『アフターダーク』は東京の渋谷のレストランやラブホテルで起きたある一晩の出来事を、深夜から日が昇るまで時系列を追って描いた作品ですが、『he(r)art』のほうも、明示はされていないものの、ある夜に東京のあちこちで起きるドラマを1曲1曲にしてつなげた、連作小説的なアルバムです

 ただ、僕が両者を似ていると感じたのは、単に作品の構成や舞台設定だけが理由ではありません。

 夜の電車に乗ると、オフィスやマンションから洩れる無数の光が次から次へと窓の外に流れていきます。その一つひとつの光のなかに誰かの人生とそれに伴うドラマがあって、しかもそのほとんどはお互いに関わり合うことがなく別々に存在しているんだと思うと、密度の濃さみたいなものに思わず眩暈がしそうになります。そして、無数に輝く星も太陽が昇れば消えてしまうように、東京の窓の明かりも朝が来ると全て消えて、夜の間にその明かりのなかで起きたさまざまなドラマなんてまるでなかったかのように、また1日が始まる。

 永遠に続けばいいのにと思うような夜も、朝日が昇れば瞬く間に消えてしまうのは、残酷で虚しいことかもしれません。でも、逆に言えばどんなに悲しい出来事があっても、朝が来ればとりあえず一旦リセットすることができるわけで、その意味では夜の終わりはある種の救いでもあります。儚いけれど、その儚さの中にこそ希望がある。『アフターダーク』と『he(r)art』が似ているのは、都会の夜がもつそうした二面性が、作品のなかに封じ込められているからです。



 先ほど「連作小説的」と表現しました。EP『Born To Be Breathtaken』のときにも書いたように、このバンドの楽曲はフィクショナルで情景描写的なところが大きな特徴ですが、今回のアルバムはその強みと作品のコンセプトの親和性が過去の作品以上に高かったと思います。

 彼らのそうしたストーリーテラー性について、これまでは歌詞がファクターとして大きいと思ってたのですが、今回の作品を聴いていると、メロディの影響も大きいのではないかと思うようになりました。理由は「Bメロ」

 フォトハイの楽曲は元々Bメロが多いのですが、今回のアルバムの楽曲ではそのBメロが非常に効いているなあという印象があります。ヴァース(Aメロ)とコーラス(サビ)をダイレクトにつなぐのではなく、その間に別種のメロディを置くことでサビへと向かう緊張感が生まれ、楽曲のドラマ性を強めるのがBメロの効果だとすれば、<Echo Park>や<Leica Daydream>はその見本のようです。これらの楽曲の、サビに入ったときに視界がバッと開けるようなドラマチックさは、直前のBメロがまるでサビへのジャンプ台のような役割を果たしているからでしょう

 蛇足ながら、欧米のポップソングはヴァース(Aメロ)からいきなりコーラス(サビ)へと移るのが圧倒的に多いので、Bメロは日本のポップソングの大きな特徴だともいえますが、フォトハイが「J-POPのお作法と海外インディーの感性との邂逅」とよく言われる理由は、実はこの「Bメロ」にあるんじゃないかと思ったりもします。



 最後にもう一度「東京の夜」に話題を戻します。

 僕がこのアルバムを聴いて最初に東京の夜と『アフターダーク』を思い出したのは、6曲目の<Dedication>でした。どちらかというと地味で、アルバム全体からみるとつなぎのような(まさにBメロ的な)ポジションの楽曲ですが、僕はこの<Dedication>が一番好き。

 他の曲がいずれも特定の誰かや場所にフォーカスしながら一人称的視点で作られているのに対し、この曲だけは三人称的で、淡くゆったりとしたサウンドとも相まって、まるで雲の上から街全体を見下ろしているような感覚があります。東京という街そのものが端的に表れているのは、実は控えめな存在のこの曲だと思うのです。

 eurekaのボーカルも非常に効いています。前代のボーカルであるラブリーサマーちゃんが、不完全さや傷つきやすさをさらけ出す人間臭いボーカルだったのに対し、eurekaの声は中性的で俯瞰的で、適度な距離感をとりながら、歌全体を俯瞰してみてるような響きをもっています。まるで都会の夜に生きる無数の主人公たちを空から見守る天使のような彼女の声は、<Dedication>のみならず、アルバムのコンセプト自体と非常にマッチしていると思います。

「シティポップ」というと先鋭的で享楽的なサウンドの代名詞のように捉えらがちですが、字義どおりに「都市」というものをテーマに据えた音楽と解釈するのであれば、このアルバムのような音楽こそ「シティポップ」と呼ぶべきでしょう








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The Pains Of Being Pure At Heart 『The Echo Of Pleasure』

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ペインズは今も変わらず
「そこ」にいた


 NYブルックリン出身のバンド、The Pains Of Being Pure At Heartを初めて聴いたときの衝撃は今でもはっきりと覚えています。2009年にリリースされたセルフタイトルの1stアルバムでした。

 最初はYouTubeでした。曲は確か<Young Adult Friction>だった気がします。いや、<Contender>か<Come Saturday>だったかもしれない。いずれにせよ、聴いた瞬間に僕にははっきりと分かりました。これこそが「聴きたかった音」だと

 深く歪んだギターの音とか男女混声ボーカルとかメロディとか、いろいろ挙げることはできるのですが、そうした個々のパーツで好きだと判断したのではなく、あくまでトータルとして「これこそが聴きたかった音楽だったんだ」と直感的に思いました。言葉で説明される前に第一印象で全てを納得できちゃったような感じ。それくらい、僕にはパーフェクトだったのです。

 ペインズとの出会いをはっきり覚えているのには、もう一つ理由があります。それは、当時の僕の生活と関係があります。09年、僕はちょうど体調を崩していて仕事をしていない時期でした。体力維持のために毎日午前中に散歩に出かけることだけが唯一の「予定」で、それが終わると狭いアパートに帰り、机に座って目の前の窓から見える外の景色をただボーッと眺めるだけの毎日を過ごしていました。

「この先自分はどうなるんだろうか」という不安と、自分だけが社会から取り残されていくような孤立感。ペインズとの出会いは、そんなネガティブな状況で起きた出来事でした。ペインズを聴くと僕は今でも、のっぺりとした時間のなかで来る日も来る日も眺めていたあの窓の外の景色を思い出します。クランベリーズの<You And Me>がそうだったように、ペインズの1stもまた、僕にとっては印象深い体験と結びついた人生の一部なのです。



 さて、前回の続きです。

 3rd『Days Of Abandon』以降、ペインズはキップ・バーマンのソロプロジェクトになりますが、初期の頃のバンドサウンドが忘れられない僕は、東京の現役大学生5ピースLuby Sparksに「ペインズという名の夢の続き」を見出します。そして、両者の共演が実現した今年1月のペインズ来日公演で、サポートアクトであるLuby Sparksのステージを見終えた僕はすっかり「世代交代」「バトンタッチ」という詠嘆的感慨に浸っていたのですが、わずか10分後、そんな気分はきれいに吹っ飛ばされたのでした。

 なぜなら、ステージに現れたペインズは、紛れもなく「バンド」だったからです。確かに、今回のツアーがサポートメンバー4人を加えたバンド編成によるものでした。しかし僕が驚いたのは、当時とはメンバーがガラッと変わったのに、彼らの鳴らす音が、09年に部屋の窓の外を眺めながら聴いた「あの頃のペインズ」そのものだったからです。

 特に驚いたのは、昨年リリースされた4枚目『The Echo Of Pleasure』の曲です。実質キップのソロになって以降、ペインズの楽曲は自己完結性が強くなり、アンサンブルがもたらすある種の矛盾や崩れみたいなものがなくなりました。特に最新の4枚目は良くも悪くもさらにあか抜けて、陶器の表面をなでるようなツルッとした印象の楽曲が増えました。

 ところが、この日聴いた<Anymore><Falling Apart So Slow>も、ツルッとしてるどころか、鼓膜をガリガリ引っ掻いてくるような、荒々しいエネルギーに満ちていました。<When I Dance With You>のコーラス部分の掛け合いのところなんて、<Young Adult Friction>に負けないくらいの高揚感がありました。この日の演奏がそのまま1stに入っていても、何の違和感もないはずです。

 僕はずっと「あの頃のペインズはもういないんだ」と思ってました。でも、それはただの勘違いでした。ペインズは変わってなんかいませんでした。僕の愛したペインズは、今も変わらずそこにいたのです








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Luby Sparks 『Luby Sparks』

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「ペインズ」という名の
夢の続き


 当初は、昨年の秋に出ると言われていた1stアルバムですが、2度ほどの発売延期を経て、ようやくこの1月にリリースされました。東京出身の5ピース、Luby Sparks。2016年に、現役の大学生男女5人で結成されたバンドで、僕にとってはフルアルバムのリリースをもっとも心待ちにしていたアーティストの一組でした。

 最初に聴いたのは、確かSoundCloudにアップされた<Hateful Summer>だったと思います。

 光の乱反射のようにキラキラしたギターのノイズ、細い糸を縫うような繊細なメロディ、遠くから聴こえてくる蜃気楼のような男女混声ボーカル。全ての要素が僕のハートを鷲掴みにして完璧なキムラロックを決めたのでした。そしてこの完璧ぶりに対して、僕は心の中でこう呟きました。「ペインズはここにいたのか」と。

 NYブルックリン出身のバンド、The Pains Of Being Pure At Heart。09年に出たセルフタイトルのデビューアルバムは、ひと言でいうなら「100点満点」のアルバムでした。この10年でもっとも影響を受けたアルバムを1枚選べと言われたら、僕はおそらくペインズの1stを選ぶと思います。特にここ数年は、自分が音楽を選ぶ基準に対し、ペインズの影響がいかに大きかったかを自覚する機会が増えました。And Summer ClubHomecomingsも、AlvvaysThe History Of Apple Pieも、ペインズがいなきゃ聴いてなかったと思います。

 ただし、ここでいうペインズは、あくまで2nd『Belong』まで。僕は何よりもバンドとしてのペインズのサウンドが好きだったので、フロントマンであるキップ・バーマンの実質ソロプロジェクトになった3rd『Days Of Abandon』以降は、少し距離を置いて眺めていました。(今思うと3rdがリリースされたのと同じ14年に、ホムカミ『Homecoming With Me?』とAlvvaysの1stと出会っているのは象徴的だなあ)

 僕はある意味では、ペインズ(の1stと2nd)という名の夢の続きをずっと探していたのだと思います。そして、1stから10年近く経ってようやく見つけた「夢の続き」が、Luby Sparksだったのです(他のアーティストに重ねあわせられるのは、本人たちにとっては不本意なことかもしれませんが、僕にとっては最大級の賛辞のつもり)。

 今回リリースされた1stは、想像に反してとてもフレッシュな印象のアルバムでした。というのも、これまでの音源から、僕は彼らに対してセピア色で、晴れよりも曇り空が似合うようなイメージを持っていたからです(Camera Obscureをカバーしてたのも理由の一つ)。ところが今回のアルバムは瑞々しい躍動感があってバンドの印象が変わりました。

 1曲だけ挙げるなら、10曲目の<Teenage Squash>。ガラス細工のようなヴァースと一気に加速するコーラスとを繰り返す激しい二面性を持つこの曲は、その構成自体が若い頃の気持ちのありようを表しているようです。世界の美しさに涙する心と、その美しさの前で自分はなんて醜いんだという激しい怒り。聴いていると、胸が引き裂かれそうな気持ちになります。

 実はこの曲、最初に聴いたのはアルバムではなく、ライブでした。そのライブというのは、1月末に行われた、他ならぬペインズの来日公演。Luby Sparksは東京のステージでサポートアクトに選ばれたのです。サポートアクトはチケット発売時には発表されてなかったので「Luby Sparksだといいなあ」とは思っていたんですが、まさか本当に実現するとは。

 ペインズということで元々チケットを押さえてはいたものの、そこにLuby Sparksが登場したことで、僕の中ではこの日のステージが世代交代の象徴になるのではという予感が湧いてきました。事実、当日のLuby Sparksのステージは「09年の頃のペインズはきっとこうだったんじゃないか」と思わせる繊細さと緊張感がありました。「貴重なバトンタッチの儀式を見たなあ」と、ペインズが登場する前の時点ですでに僕は何かを見終えたような気分になっていたのです。

…ところが、その10分後、実際にはまったく「世代交代」でも「バトンタッチ」でもなかったことを僕は目撃するのですが、その話は次回。








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JINTANA & Emeralds 『Destiny』

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心にいつも「横浜」を

 スティールギタリストのJINTANAが、シンガーの一十三十一(ひとみとい)やギタリストのKashiffらとともに結成した6人組のドリームチーム的グループ、JINTANA&Emeralds。2014年にリリースされた彼らの1stアルバム『Destiny』は、ミュージックマガジンの2014年歌謡曲/J-POP部門で1位を獲得したばかりか、同誌の選ぶ2010年代の邦楽ベストアルバム部門でも7位を獲得するなど、非常に評価の高い作品です。

「ネオ・ドゥーワップ」と呼ばれる彼らの音楽は、その濃いビジュアルからもなんとなく想像つく通り、50年代のアメリカンポップスからフィル・スペクター大滝詠一までつながる、濃厚且つ涼やかなレイドバックサウンド。<Emerald Lover>なんて、イントロを聴いただけで僕はムフムフしてしまいました。買ってからだいぶ経つのですが、未だにかなりの頻度で聴き返すアルバムです。



 ただ、僕がこのアルバムをヘビロテする理由は、サウンドが好みというだけはありません。もう一つ、サウンド以上に重要な、そして個人的な理由があります。



 朝、自宅の最寄り駅から会社とは逆方向の電車に乗り込んで、1日だけの現実逃避を楽しむ―。世にいう「逆向き列車」というやつですが、僕の場合、この逆向き列車に乗って行きたい場所ベスト3に常にランクインする不動の「ザ・現実逃避な場所」が、横浜です。

 横浜というと、一般的には都心に近い観光地というような位置付けなのでしょうか。しかし、神奈川県南部で育った僕からすると、横浜は観光地というよりもまず「都会」というイメージになります。神奈川の南から都会へ向かおうとすると(だいたい東海道線です)、東京にたどり着く前にデーンと控えているのが横浜なのです。

 高いビルもあるし駅は大きい。もちろん人もたくさんいる。迷子になりそうな複雑さと規模感は、子供の頃の僕にとってはまさに「都会」のイメージそのものでした。中華街や元町といった、おそらく他の地域の人からするとザ・観光地に見えるであろう特別な景観も、僕には「都会はやっぱりいろんな場所があるんだな」と、都会であることの証明として見ていました。

 街が巨大であるがゆえの迫力や多様さ、大人の世界を垣間見るようなドキドキ感。そのようなものを最初に体験したのが、横浜だったのです。

 普通なら大人になるにつれて、かつては巨大に感じていた街も、訪れるごとに身の丈に合っていくはずですが、僕の場合は自分でお金を稼ぐようになったときにはすでに東京に出てきていたので、横浜の街をきちんと(というのも変ですが)体験しないまま今日まで来てしまいました。その中途半端さが逆に良かったのか、すっかり日常の風景になってしまった「地元・東京」に比べて、横浜は今でも僕の目には「非日常な大都会」として映っているのです(だからこそ逆向き列車の行先として魅力的なのです)。



 ここでようやく話はJINTANA & Emeraldsに戻ります。僕が彼らに惹かれる一番の理由は、彼らの音楽が、横浜を強烈にイメージさせるからなのです。

 彼らの音楽が醸し出すレイドバック感が、横浜のレトロできらびやかな様子を思い起こさせるから。もちろんそれもあります。しかしそれ以上に決め手になったのは、彼らの所属するレーベルが、Pan Pacific Playaという横浜のレーベルだったことでした。

「横浜のレーベルの音楽だから、聴いていると横浜の風景が浮かんでくる」だなんて、単純すぎるというか、ほとんど「思い込み」「気のせい」のレベルですが、浮かんでくるんだからしかたない。

 夜中に埠頭に忍び込んで眺めた対岸のみなとみらいや、元町から外人墓地へ向かう急な坂道、ビルや高速道路の間から覗くように見上げた横浜駅前の空。JINTANA & Emeraldsを聴いていると、記憶の片隅に引っかかっていた景色が次々と蘇り、胸の奥を締めつけてきます。彼らの音楽と横浜との連想が気のせいだとしても、この切なくもうっとりとしたこの感じは、紛れもなくリアルです

 所属レーベルの所在地という、音楽の本質とは関係のないはずの「周辺情報」が、作品の受け取り方を左右すること。人によってはそれを邪道と感じるのかもしれませんが、僕はむしろそういうところが面白いと肯定的に見ています。逆向き列車にはそうそう頻繁には乗れないぶん、その代わりにJINTANA & Emeraldsを聴いて、積極的に「気のせい」に身を委ねてやろうと思います。








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CRX 『New Skin』

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バンドとの間に
緊張感を孕んだソロワーク


 メンバーのソロ活動が盛んなストロークスの中で、ただ一人ソロを行ってなかったニック・ヴァレンシ(Gt.)が、ついに自身のバンドを組んでデビューをしました。それがCRXの『New Skin』

 まず(やっぱりというべきか)ギターの音がとてもいいです。エッジの利いたシャープな音なんだけど、ニックのクセのあるフレージングが中和していて、攻撃的というよりも、むしろまろやかな感じ。<Ways To Fake It>とか<Unnatural>の、妙に愛嬌のあるフレーズとか、「コレだよコレ!」みたいになります。

 あと意外だったのが、ニックの声の良さ。渋くていい声してます。デビューして15年以上ずっとギター一本だったニックにとって、初めてのボーカリスト体験は想像以上にしんどかったらしく、インタビューでは「ジュリアンが本当にすごいんだなってわかった」と語ってました。

 あと、僕がいいなあと思ったのは本作のジャケット。凶暴さと可愛さとがあって、僕このジャケすごい好きだなあ。色使いもポップだけど、線の感じとかは日本の漫画っぽくもあります。ストロークスでは絶対やらないデザインでしょうね。

 ただ、アルバムとしての評価としては、せいぜい星3つというところ。どうも全体的に行儀がよすぎるというか、楽曲のバラエティはあるものの、どれもパンチが足りません。こっちとしてはもっとグイグイきてほしいのに、あと一歩、何かがこっちに届かない不完全燃焼感が残るのです。

 ということで、月並みですが次に期待。ニックには「やりきった!」みたいにはなってほしくないなあ。せっかく声がいいんだし、アコースティックなアルバムなんてどうだろう。すごくいい予感がするんだけど。



 一方で、僕が本作を聴いてて面白いなあと思ったのは、ストロークスの5人のソロワークは、みんな不思議とバンド本体と同心円上にいるということ。

 ソロってバンド本体の音楽性から離れるケースの方が多いと思うんだけど(それがソロの意義だし)、彼らの場合、音楽性は確かに5人ともバラバラなんだけど、目指しているゴールは結局みんな同じなように感じるのです。出発点もたどるルートもバラバラで、その選択の違いに個性が表れるんだけど、登ろうとしている山はみんな同じ、みたいな。ニコライのSummer Moonにしても、アルバートの『Momentary Masters』にしても、『Comedown Machine』から昨年の『Futer Present Past EP』と驚くほど同期してますよね(ファブのLittle Joyだけはちょい微妙だけど)。

 パズルのように、5人のソロを合わせるとちょうどストロークスになる気がするし、それぞれのソロを聴くことで、「<Under Cover Of Darkness>はニコライのカラーだな」とか、「<12:51>はアルバートが主導したんじゃないか」なんていう風に、バンドの曲が生まれる様子にも想像が膨らみます。

 バンドから完全に切り離されたソロというものもいいけれど、ストロークスの5人のように、バンドとの間に、一種の緊張感を持ちながら(つまり連続性をもちながら)展開するソロというのも、ファンとしては物語を妄想できるから楽しいです。








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ハラフロムヘル 『みのほど』

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ナンセンスから神話まで

 2011年に千葉で結成された5ピース、ハラフロムヘル。名前からしてなかなか強烈ですが、サウンドの方も名前に負けず相当に個性的です。16年末にリリースされたフルアルバム『みのほど』は、ファーストアルバムに相応しく、彼らのキャラクターがこれでもかと詰め込まれた名刺代わりの1枚です。

 このアルバムについて語るために、話を3つのポイントに分けて進めます。歌詞メロディ、そして紅一点のボーカル、タテジマヨーコの声です。

 まずは歌詞から。これは読んでもらった方が早い。
横目いっぱい君の生存確認
星のマークをつけてきたんだ
うって変わってアマゾンデビュー
死んだと思った兄がいきてた映画
みたいな展開が続くのかい

<食べる人>

宝くじを買いましょう
3億円当てましょう ねえ3億円だよ?
3億円あったらどうする?

<宝くじ高い>

 特にインパクトの強い部分だけを引っ張ってきましたが、基本的にはどの曲の歌詞もこういう具合にシュールでナンセンス。「作者の言いたいことを述べなさい」という問題が出されたら、採点者も回答者もみんなが頭を抱えるでしょう。この独特な世界観が、ハラフロムヘルの個性の一つめです。

 次にメロディです。メロディは非常にドラマチックです。ヴァース、ブリッジ、コーラスと各パーツの境界線は明確で、それぞれがフックの強いメロディを持っているため、先へ先へと展開していく前進力があります。彼らの音楽が「ミュージカルのようだ」といわれる所以がここにあります。

 同時に、80年代から90年代はじめあたりのJ-POPに見られる、職業作曲家の手によるメロディのような情感もあって、僕なんかには懐かしい感じもします。玉置浩二の、日本っぽいんだけどカラッとしてる感じとか近いと思う。

 最後に、ボーカル・タテジマヨーコです。このバンドの一番の「顔」は、間違いなく彼女の声です。声量があって線が太い彼女の声は、最近のバンドの女性ボーカルでは珍しいタイプで、それゆえ非常にインパクトがあります。僕はCoccoとか安藤裕子とか、ナチュラル系SSWの系譜を継ぐボーカルだと見ているのですが、そんな彼女のオーガニックな声を手数の多いバンドの音で聴けることに、僕は「お得感」を感じます。

 んで。

 シュールな歌詞とドラマチックなメロディ、そしてタテジマヨーコの声が合わさると、結果としてどうなるのか。

 例えば前述の<宝くじ高い>のようなナンセンスな歌詞が、異様に高低差のあるメロディに乗っかり、さらにタテジマヨーコの声量で歌われると、まるで何らかの人生の真理を歌っているかのように思えてくるのです。「みんな当たり前のように口にしているが、宝くじって一体なんだ。俺は本当の宝くじを知っているんだろうか」と。

 シュールな歌詞が意味を持ち始めるということ自体がシュールで、まるで「シュールの入れ子」「メタシュール」みたいになってきて頭がおかしくなってくるのですが、一方で<パンツヒル>や<れない>といった抒情詩については、メロディとボーカルが言葉の抽象性を何倍にも増幅し、リスナーがどのようにも解釈できる余地を与えており、特に<パンツヒル>なんて、知らない国の神話かと錯覚してしまいそうなスケール感です。

 このように、メロディは物語性を、タテジマヨーコの声は説得力をもたらしているのですが、組み合わされる歌詞が抽象的でクセが強いぶん、シュールになったり神話のようなスケールになったりと、予測不能な化け方をします。自分たちの個性をそのままアウトプットするとそれぞれが化学反応を起こして、不安定でカオスになるというのは、ある種の宿業といえますが、同時にそれ自体がものすごい個性だなあとも思います。

 ただ、個性が強烈なぶん、それを余すところなく出した『みのほど』は、ある意味では最高到達点であり、このまま同じやり方で2枚目3枚目を作っても陳腐になっていく可能性を孕んでいます。ハラフロムヘルは「次の作品に向けたバンドの再構築のために制作期間をもうけること」を理由に、17年3月いっぱいでライブ活動を休止しているのですが、僕はこの判断をリスペクトするし、休止するからこそ次回作への期待も高まりました。








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CHAI 『PINK』

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「ガールズバンド」
という括りはもう古い


 揃いのピンクのステージ衣装をまとった強烈なビジュアル(90年代育ちにはオ○ム真理教を彷彿としてしまうのでよけいに強烈)、歌とラップを自由自在に行き来するフリーダムなマナとカナのボーカル、「どこの腕利きおっさんミュージシャンだよ?」と突っ込みたくなるような、ユウキとユナの2人によるエッジ利きまくりのグルーヴ(これは本当にすごい)。

 このバンドは一つひとつのキャラクターがとにかく濃厚で、一発で依存症になるような猛烈な中毒性があります。このアルバム聴いた直後は、頭の中で「YOU!ARE!SO!CUTE!NICE!FACE!COME ON YEAH!」ってコーラスがずーっと鳴り響いてました。

 いやー、すごすぎてため息が出ますね、CHAI『PINK』。リリースされたのは去年の秋ですし、既にあちこちで激賞されているので今更ではあるのですが、僕も彼女たちのこの1stアルバムには、めまいを起こしそうなほどの衝撃を食らいました。

 正直CHAIを聴いてしまうと、他のガールズバンドが急に「過去のもの」に見えてきてしまうのを否定できません。もちろん、冒頭に挙げた彼女たちの強烈なキャラクターもその理由の一つではあるのですが、CHAIと他のガールズバンドと決定的に違うのは、彼女たちのスタイルや楽曲には「男の存在」が欠けていることです

 例えば<ボーイズ・セコ・メン>という曲で、「わたしはあなたを守りぬくわ」というフレーズが出てきます。ここでいう「あなた」は男性なんだけど、そこに恋とか愛とかいう文脈はありません。あるのは「私の方が強いからあなたを守ってあげる」という、純粋に物理的な力関係だけです

 もちろん、女性が男性を守るという歌詞は過去にもたくさんあるんだけど、程度の差こそあれ、そのほとんどは「本来は男性が女性を守るべきところを女性の私の方が男性を守る」というような、男性の存在を前提にしたうえでの価値観がベースにあったと思います。でもCHAIには「男性だから」という前提も、「女性だけど」という気負いもありません。「私の方が強いから守る」という、ただそれだけなのです。

 CHAIは「NEOかわいい」(NEOはニュー・エキサイト・オンナバンドの略)という造語をバンドのテーマに掲げていますが、ここで使われている「かわいい」も、「男性から見てかわいい」でもなければ、その反発としての「男性の価値観なんかに縛らない、女性自身が評価するかわいい」でもありません(後者も結局は男性が出発点であることは変わりがないから)。

 CHAIのいう「かわいい」は、<sayonara complex>で「どんなにファンデーションを塗ってもムダ毛を処理してもコンプレックスはなくならないよ(だから受け入れていこう)」と歌っていることに表れているように、「その人が本来持つ性質こそが一番かわいい」という意味なのでしょう。

 そういう意味では、CHAIのいう「かわいい」は男性にも当てはまります。つまり、「男性(女性)から見た女性(男性)」であれ「男性(女性)の存在から自由な女性(男性)」であれ、今まで歌われてきたのがそうした「異性との対比の中で位置づけられる相対的な女性(男性)」だとしたら、CHAIが歌っているのは性別という属性と分離された、純粋な「個人」だといえます

 そしてさらに言えば、冒頭に述べたような、いわゆる(従来的な意味での)「女性らしさ」とは一線を画すあの衣装も、あまりにフリーダムな音楽性も、そのようなCHAIの姿勢の表れだと僕には思えます(狙ってやってるわけではないでしょうが)。

 だから、本当は他のガールズバンドと比べることがおかしいし、そもそも「ガールズバンド(男じゃないバンド)」という括り方も実はおかしいんだと思わざるをえません。男性社会的な文脈や価値観を、ラディカルな形ではなくあくまでポップな音楽で軽やかに超えていくCHAI。どんなに誉めても足りないくらいめちゃくちゃ眩しいし、めちゃくちゃ素敵です。







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DYGL 『Say Goodbye To Memory Den』

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あえて今の時代に
「ギターロック」を選ぶ痛快さ


 先週に続いて今週も2017年の良かったアルバム(17年が終わってから紹介するのも間の抜けた話なのですが)。DYGLの1stアルバム『Say Goodbye To Memory Den』です。

 DYGLと書いて「デイグロー」と読みます。メンバーは4人。日本のバンドです。

 が、僕は最初、海外のバンドだと勘違いしました。元スーパーカーのナカコー(中村弘二)が以前、「最初の1音だけで日本のアーティストか海外のアーティストかわかる(それくらい明確な違いがある)」というようなことを呟いていましたが、僕はDYGLがロンドンのバンドと言われても信じちゃうと思う。そのくらい、サウンドにも英語の発音にも日本人ぽさが感じられません

 着古してあちこちほつれたり色が落ちたりした洋服なのに、その無造作感や自然さが新品の服よりもむしろ素敵に映ることがありますが、DYGLの音楽にもそれと同じような魅力を感じます。2本のギターの絡み方や、タイトなんだけど荒々しく聴こえるドラム、ボーカルとコーラスの重なり方。僕はかつてのリバティーンズを思い出しました。

 レコーディングの技なのかミックスの妙なのか僕にはわからないんですが、全体が1枚の薄皮に包まれてるようなデッド感のある音(イヤホンで聴くと強く感じます)もかっこいい。そう、このバンドに関してはとにかく「かっこいい」という言葉しか出てきません。こういうシンプルかつピュアな「これぞギターロック!」と呼びたいバンドが日本から出てきたことがめちゃくちゃ嬉しいです。

 実はDYGLのメンバー4人のうち、3人はYkiki Beatという別のバンドにも在籍していました(Ykikiは16年に活動休止)。Ykikiの結成が10年でDYGLが13年なので、丸3年は両方の活動が被ってたってことになります。

 ちなみに、ボーカル/ギターの秋山信樹とベースの加地洋太朗はどちらのバンドでも担当楽器は同じなのですが、嘉本康平はYkikiではギター、DYGLではドラムと担当が異なります。初期のDYGLではメンバーの担当楽器は流動的だったそうなので、その名残なんでしょうが、それにしても器用すぎてすげえ

 Ykiki Beatはどういうバンドだったかというと、シンセ担当のメンバーがいることに表れているように、カラフルで都会的でダンサブルで、一言でいえば「陽」な音楽を鳴らすバンドでした。僕はYkikiの方は前から知ってたのですが、DYGLはあまりにサウンドが違うので、まさか同じメンバーだとは思いませんでした。

 んで、僕が面白いなあと思うのは、地上波テレビのEDテーマに選ばれるほど「今風」なYkikiから、今や「古典的」といってもいいほどクラシックなスタイルとなった4ピースのギターロックまでカバーする、彼らの懐の深さ、レンジの広さです。偏見かもしれないですけど、今の時代ギターロックをやろうとする人間って、保守的で固陋なイメージないですか?

 個人的には、Ykikiのようなところから、オーソドックスなガレージやパンクの匂いを感じさせるDYGLへと、まるで時代と逆行するように変化した彼らの意志が頼もしく感じます。その一方で、Ykikiがなくなったことで「Ykiki的な何か」が今後DYGLにもフィードバックされてスタイルが変化するとしても、それはそれで楽しみ。

 彼らは日本と海外を行き来しながら活動を続けてるらしいので、そんな感じで国内シーンと適度に距離を取りながら、屹立した存在として今後も突っ走ってほしいですね。

 最後に、音楽とは全然関係ないんだけど、DYGLのボーカルの秋山信樹って、菅田将暉に似てません?『直虎』見ながらずっと頭にDYGLがちらついて仕方なかった…。







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Flyte 『The Loved Ones』

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オシャレをしない
「普段着」の新世代


「ノームコア」という言葉を知っていますか?元々はファッションから生まれた言葉で、「normal」を意味する“ノーム”に、「hardcore」などで使われる“コア”をくっつけた、「究極の普通」「筋金入りの普通」などと訳される造語です。

 ノームコアファッションのアイコンとされるのがスティーブ・ジョブズで、彼はいつでも黒のセーターにジーンズ、白いスニーカーという超普通なスタイルを崩しませんでした。ノームコアとは、着飾ったり他人と違うことを主張しようとするのではなく、「普通であること」を意識的に選択したスタイルのことなのだそうです。
参考記事:ノームコアとは?シンプルでもおしゃれな装いのヒント(+CLAP Men)

 ただ、僕が初めて「ノームコア」という言葉を知ったのは、ファッションの言葉としてではなく、実はあるバンドのことを形容する言葉としてでした。ロンドン出身の4ピース、Flyteです。

 結成は2013年。僕が最初に聴いたのは確か14〜15年あたりだったと思います。当時何枚かのシングルをコンスタントに発表していて、好みにバシッとハマったのでした。すぐにアルバムも出すのかなと思ったのですが、意外に待たされて、ようやくリリースされたのは17年の夏のことでした。それが『The Loved One』Tashaki MiyakiCharly BlissHazel Englishと並んで、彼らFlyteも17年に1stアルバムを心待ちにしていた一組でした。

 んで、彼らがなぜノームコアと呼ばれるのか。確かに4人とも地味なシャツやジーンズばかり着ています。でも、そんなアーティストだったら他にいくらでもいます。彼らをノームコアと呼ぶ理由は、彼らのファッションではなく、音楽にあるんじゃないかと僕は思っています。

 たとえばアルバム1曲目の<Faithless>。鍵盤をたたきつけるような、迫力あるピアノのフレーズがいきなり聴こえてきたかと思えば、ボーカルが入るとフッと火が消えるように抑えた曲調に変わり、ほぼベースの音だけで曲が進むという、落差のある展開を見せる曲です。

 続く<Victoria Falls>は一転して疾走感のある曲ですが、不思議なエコーのかかったスネアが奇妙なパターンのリズムを鳴らすことで、夜の都会を低空飛行する鳥のような、静かだけれどもどこか生々しいザラつきをもたらしています。

 他にも、例えば序盤のアコースティックなテイストからは想像つかないような展開を見せる<Cathy Come Home>や、異なるリズムの重なりが強烈な上昇気流を生み出す<Little White Lies>など、とにかくこのバンドは曲の展開やアレンジが多彩です

 ただ、実践してるアイデア自体は個性的で一風変わってるものの、そもそもこうした「何かやらずにはいられないスピリット」というものは、むしろ僕はイギリスの王道だと感じます。なぜなら、アレンジや展開に凝るのは、曲という名の「物語」をいかにすればもっとも効果的に伝えられるかという「ストーリーテラー」としての性分だからです。

 もう一つ、Flyteの個性として特筆すべき点が「コーラス」です。このバンド、4人全員が歌えるのです。なので、前述の<Faithless>にしても<Victoria Falls>にしても、一番盛り上がるサビになると4人によるコーラスに切り替わるというまさかの展開を見せます。

 極めつけはアルバムラストに収録されたAlvvaysのカバー<Archie, Marry Me>でしょう。これ、めちゃくちゃ好きな曲だからFlyteがカバーしたと聞いて楽しみにしてたんですけど、まさか「アカペラ」とは。最後をアカペラで締めるなんて、ある意味オルタナの極致といえます。

 Flyteはシンセを多用したり、ドラムなんかにしてもわりと無機質なパターンを好んだりして、けっこうエレクトロっぽいアプローチが多いのですが、曲の中の最も肝心なところに「4人のハモリ」を選ぶところに、結局このバンドが「歌」のグループであることを感じます。

 曲を音の集合体ではなく「歌(=言葉とセットで物語るもの)」と捉え、さらにその一番の盛り上がりの部分をハーモニーという極めてアナログで人間的な手法で表現する。それはビートルズであり、クイーンであり、オアシスであり、イギリスの王道的な感性だと僕は感じます。

 そして、肝心なことは、Flyteの4人はそうしたいわばイギリスの伝統的感性を、極めて自然に体現していることです。オアシスが60年代をはじめ過去のバンドの音を再解釈しようとしたり、反対にレディオヘッドがそうした呪縛から離れさらに音楽的な進化を遂げようとしたりと、ひと世代前のアーティストたちは、継承するにせよ否定するにせよ、イギリスの王道的感性と向き合い葛藤するというプロセスがありました。

 ところがFlyteにはそのようなプロセスを経た形跡が見られません。もはや自分の一部として初めから受け入れているような天然っぷり、あるいは遺伝形質として元から備わっていたかのようなナチュラルさだけがあります。彼らが「ノームコア」と呼ばれる理由は、こうした屈託のなさと、あえてそれを自分の個性として主張しない(主張するまでもない)ところにあるのでしょう。

 ですがその結果、音楽そのものは全然似てないのに、ビートルズやクイーンが間違いなく音の中に存在していることを、むしろ過去のバンド以上に強く感じるのが不思議です。「新世代」という言葉を思わず使いたくなるバンドです。







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Chuck Berry 『Chuck』

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「納豆とご飯とみそ汁」
さえあればいい


 大林宣彦監督の映画『青春デンデケデケデケ』(1992年)のラストで、林泰文演じる主人公のちっくんが、文化祭のステージで最後に演奏する曲をこう紹介します。
世界のロックのなかで、1つだけ挙げてみぃ言われたら…。それではみなさん、感謝の気持ちを込めて精一杯歌います。<ジョニー・B・グッド>。

 14、5歳の頃だったと思います。この映画のこのセリフで、僕は人生で初めて「チャック・ベリー」という人の存在を認識しました。

 2017年最後の投稿は、今年の3月に亡くなったチャック・ベリーの遺作『Chuck』です。スタジオアルバムとしては1979年の『Rock It』以来、なんと38年ぶりとなる作品です。

 元々、昨年のチャックの90歳の誕生日に「17年には新作を出す」と発表されていたのですが、チャックが亡くなったことで、計画が白紙になることが危ぶまれました。しかし、チャックが生涯で200回以上ステージに上がったセントルイスのクラブ、ブルーベリー・ヒルの経営者であるジョー・エドワーズと、チャックの家族たちの支援によって、なんとか今年の6月、無事にリリースされました。

 経緯を細かく書いたのは、このアルバムが、アーティストの死後に生前に残した未発表曲を編集して作られた、よくある追悼盤ではなく、チャック自身が作ることを望み、実際に作業を行っていた、正真正銘の「新作」だったことを強調したいからです。

 ということで、このアルバムの価値について真っ先に語らなければならないのは、内容よりも何よりも「アルバムが出た」という事実そのものです。まさか僕の人生に、「チャック・ベリーの“新作”を買う日」が訪れるとは思ってもいなかった。そんな夢のような体験をさせてくれただけでもこの作品に感謝です。

 音楽評論家の故中山康樹の著書に、年老いたロックミュージシャン達はピークを越えた今、どんな音楽をやってるのか?という視点で、レイ・デイヴィスアート・ガーファンクルの最新作なんていう誰も見向きもしないアルバムばかりを集めた『愛と勇気のロック50』という異色のディスクガイドがあります。もし今中山がこの本を書くとしたら、『Chuck』は間違いなく目玉として収録され、そして高く評価されたんじゃないでしょうか。

 そうなのです。この『Chuck』、普通にいいアルバムなんです。「普通にいい」って言っちゃうのもあれですが、いっても90歳のじいさんが(80年代に作っていた曲なんかもあるとはいえ)作ったアルバムですから、正直「記念」以上の何かを期待はしないじゃないですか。「出してくれるだけでいい」「死に水を取る」とばかり思っていたのですが、どっこい、じっくり聴けるしガンガンにノれるアルバムだったのです。

 特に後半がいいです。攻めてます。ギターよりもピアノを利かせた超モダンな<She Still Loves You>、リズムが楽しい<Jamaican Moon>(<Havana Moon>のアンサーソングなんでしょうね)、ほぼワンコードで押し続けるじっとりとしたブルース<Dutchman>、そしてラストを締めくくるにはあまりに渋すぎる<Eyes Of Man>。「ドッツ、ドッツ…」というブルースの基本フレーズだけが鳴り、そこに語るような調子で、「男はいつも女に救われてきた」というような、自虐的でユーモラスな詩が乗っかります。

 このように、「いわゆるチャック・ベリー」を外してくる姿勢(そもそも、よくよく聴くとこのアルバムに「いわゆるチャック・ベリー」は半分もない)、すごくかっこいいです。

 あとやっぱり声がいいですね。チャックというともちろんギターの人なんですけど、僕は実は彼の「声」が好きなんです。カラッとしているのに色気があって、1曲目の<Wonderful Woman>の声なんてホント最高。彼のあの声を、現代の録音環境で音源化してくれたってことも、このアルバムの価値といえます。



 当然ながら、僕はチャック・ベリーに直接影響を受けた世代ではありません。僕が最初に「ロック的な体験」を受けたのは、チャックの4世代くらい下のオアシスでしたし、その後ビートルズストーンズを聴くようになっても、そのさらに上の世代であるチャックとなると距離があまりに遠すぎて、しばらくその姿は茫洋としていました。でも、その後、古今東西のいろんなロックをたくさん聴いていたら、いつの間にか僕はチャック・ベリーのことが大好きになっていました。

 チャック・ベリーの音楽を聴くと、落ち着くというかホッとするというか「ああこれこれ」という、理屈を超えた納得感があります。どんな有名レストランの料理を食べても、「結局、納豆とご飯とみそ汁が一番」と感じるみたいに。何かこう、プリミティブなものを思い出せる気がします。

 映画『青春デンデケデケデケ』を初めて見たとき、なぜでちっくんが「ロックの中で一番好きな曲」として<アイ・フィール・ファイン>でも<ロング・トール・サリー>でもなく<ジョニー・B・グッド>を挙げたのか、僕はわかりませんでした。でも、今なら心の底からわかります。僕も間違いなく、数えきれないほどいる彼の子供の一人だってわかっているから。

 ありがとう!チャック・ベリー!








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Sia 『Everyday Is Christmas』

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現代のオリジナルクリスマスソングは
「クラシックナンバー」たりうるか


 今年買ったクリスマスアルバムは3枚。

 1枚目はエルヴィス・プレスリー『Christmas With Elvis And The Royal Philharmonic Orchestra』。タイトルの通り、エルヴィスがクリスマススタンダードを歌い、そのバックをロンドンのロイヤルフィルが務めたアルバムです。

 実際に両者が共演したわけではなく、エルヴィスが50年代に作ったクリスマスアルバムのボーカルに、後からロイヤルフィルの演奏を重ねた、一種の企画アルバムです。エルヴィスのボーカルをステージで流しながら、それに合わせてロイヤルフィルが生で演奏をするという「ライブ」は既に00年代から行われていて、同じ趣旨でそれを音源化したのが今回のアルバム。

 残されたエルヴィスのボーカルに、ある意味では無理やりオーケストラが合わせているので、例えば1曲目に収録されたブルーステイストな<サンタが街に来る>など、「なぜこのボーカルトラックを選んだ?」みたいな曲もあったりします。

 ですが、エルヴィスの甘い声で歌われるクリスマススタンダードは問答無用に素晴らしく、特に後半の<アデステ・フィデレス>、<ファースト・ノエル>という2曲のクラシックにおけるエルヴィスのボーカルは、ただただ圧倒的です。


 2枚目はビーチボーイズ『Ultimate Christmas』。1964年にリリースされた『The Beach Boys Christmas Album』に、70年代半ばにお蔵入りになった幻のアルバム『Merry Christmas From The Beach Boys』の収録曲やシングル版の<Little Saint Nick>など、ビーチボーイズのクリスマス関連トラックのほぼ全てをまとめた企画盤です。

 64年の『Christmas Album』はクリスマスソングをただ集めた総花的なアルバムではなく、一貫した意思のもと、あくまで「ビーチボーイズのアルバム」として作られているのがわかります。ブライアンは明らかに、この前年にリリースされたフィル・スペクターの『A Christmas Gift For You From Phil Spector』を意識していたと思います。

 ただ、ブライアンがフィル・スペクターよりもさらにチャレンジングなのは、アルバムの半分をオリジナル曲にしたことでした。前半がオリジナル、後半がカバーという構成なのですが、うっかりすると前半も既存のスタンダードナンバーだと勘違いするくらい、ブライアンのオリジナル曲は「クリスマスソングらしさ」をもっています。

 後半の『Merry Christmas From』の方は、70年代の「ポスト・ブライアン期」の、ある意味百花繚乱的な雰囲気がそのまま反映されています。その中ではデニスが作曲した<Morning Christmas>が素晴らしい。ほぼアカペラのスローな曲で、他の収録曲の中でこれだけ異質です。しかし、こうした敬虔な気持ちになる静かな曲こそクリスマスアルバムには不可欠だと個人的には考えているので、実はアルバムを通じてもっとも印象に残ったのは、この<Morning Christmas>でした。


 そして最後の1枚が、オーストラリア出身の女性SSW、Sia『Everyday Is Christmas』。このアルバムは本当に素晴らしかった。今年のクリスマスは結局このアルバムばかり聴いてる気がします。

 まず驚かされるのが、11曲すべてがオリジナルという点です。クリスマスアルバムは世の中に数多くあれど、全曲オリジナルというのはかなり珍しいのではないでしょうか。前述の通り、少なくともブライアン・ウィルソンでさえ半分はカバーだったのですから。

 そして何より素晴らしいのは、オリジナルにもかかわらず、どの曲も昔からあるスタンダードナンバーのような輝きと風格を持っていることです。


 さまざまなベルの音色や鍵盤主体(ギターが非主体)の楽器構成、そしてシャッフルリズム。このアルバムを聴いていると、クリスマスソングには「お作法」があるんだなあということがよくわかります。

 上に挙げた<Candy Cane Lane>や<Sunshine>は、王道のシャッフルソングだし、<Snowman>の3連符のピアノのアルペジオもクラシックの<O Holy Night>を彷彿とさせます。一方で<Underneath The Mistletoe>や<Underneath The Christmas Lights>のような聖歌的でトラッドな雰囲気をもつ曲もあり、単なるパーティーアルバムではなく、静謐で宗教的な部分も含めた、トータルなクリスマスアルバムに仕上がっています。


 現代のポップソングから世界的なスタンダード曲になった例って、マライア・キャリーの<All I Want For Christmas Is You>以降出てきてないと思うのですが、あれももう20年以上前です(1994年)。そろそろ「リリース即クラシック」なナンバーが出てきてもいい頃かもしれません。

 何度も書いちゃいますが、僕はクリスマスというのは楽しいパーティーというだけでなく、暖炉の中で薪がはぜる音とか、教会のろうそくのきらめきとか、朝カーテンを開けると灰色の空から静かに雪が舞い落ちてくる光景とか、人を謙虚な気持ちにさせる、パーティーとは真逆の側面もあると思っているので、マライアのオラついたノリよりも、Siaの粘っこくてどこか陰のある曲の方が僕が描くクリスマスにはフィットします。<Ho Ho Ho>のシャッフルなんだけどちょっと悲し切ない感じとか最高なんだけどな。







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