週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【本】科学・SF

2010年2月の5冊

 2月に読んだ本をいくつか紹介します。

『半島を出よ』 村上龍 (幻冬舎)

 ずいぶん前に買ったきり、膨大なボリュームに尻込みして本棚に放置していたのだが、先月『空港にて』を読んだのをきっかけに手に取った。
 北朝鮮の特殊部隊が福岡を制圧し、それを自衛隊も在日米軍でもなく、日本の社会からドロップアウトした元少年犯罪者たちが迎え撃つ、というストーリー。一見荒唐無稽だが、膨大な量の取材を糧に生み出された細部の設定や描写はとてもリアル。村上龍はこれまで日本の終末感について数多くの作品を通じて語ってきたが、今回はいつになくキナ臭い。「物語のラストが知りたい」という欲求よりも、「同じことが現実に起こりうるかも」という生々しい切迫感がページをめくらせる。結局読み終えるのに1週間もかからなかった。


『黒いスイス』 福原直樹 (新潮新書)
 
 雪を頂いたアルプスの山々に、透明な水を湛えた湖と森。永世中立を国是に定め、治安の良さは世界有数。「住んでみたい国」をアンケートに取れば常に上位。そんな誰もが一度は憧れる平和国家スイスの“裏の顔”を暴く、かなり衝撃的な内容の本。
 一時期スイスは、政府の援助のもとにロマ族(ジプシー)の子供を次々と誘拐していた。外国人がスイス国籍を取得する場合、住民投票にかけられる。スイスはかつて、広島型原爆の6倍の規模の核爆弾を作ることを計画し、アルプス山中深くに核実験施設を建設した。・・・これ全て事実なのだそうである。今まで思い描いていたスイスのイメージが音を立てて崩れていく。
 だが暴露することが目的の週刊誌的な本ではなく、あくまで正確な情報を伝えることで、読者のスイス認識の中立性を促そうという姿勢で書かれている。「他人のふり見て我がふり直せ」じゃないけど、日本にも同じような黒歴史があり、それを繰り返さないための自戒が本書の延長線上にはある。
 

『漂流』 吉村昭 (新潮文庫)

 ここ半年ほど吉村昭の小説ばかり読んでいる。多分2冊に1冊は彼の小説を読んでいる。
 吉村作品には歴史や戦争、自然(動物)など、いくつかのジャンルがあるが、そのうちの一つに漂流民を題材にした作品群がある。『大黒屋光太夫』や『破船』『アメリカ彦蔵』などがそれだが、その代表作が本書。その名もズバリの『漂流』である。
 内容もタイトルを裏切らない。主人公が無人島に流れ着きそこで生き抜くという、文字通りの漂流なのである。しかもこの無人島というのが、水も湧かない、木も生えていない火山島で、唯一の食料が島を訪れる渡り鳥。当然冬季になると鳥たちはいなくなるので、夏の間に鳥肉の干物を作り、飲料水は鳥の卵を器にして貯めた雨水だけ。過酷極まりない。
 他の作品には、例えば大黒屋光太夫がロシアを旅したり、彦蔵がアメリカを旅したりするように、漂流といってもそこに冒険というニュアンスが含まれているが、この『漂流』にはそういうロマンは欠片もない。生か死か、ただそれだけの乾ききったハードな物語である。
 なお、他の吉村作品の例に漏れず、本書もほぼ事実を題材にしている。こんな人がいたのか、とただただ感動するばかり。


『お坊さんが困る仏教の話』 村井幸三 (新潮新書)

 「あの世はあるのか」「戒名は本当に必要なのか」などなど、生活者の視点から仏教にまつわるさまざまな質問・疑問について考察する本。宗派ごとの戒名のランク、値段の相場など、いわばお坊さんの「企業秘密」のような内容に触れていることからこのタイトルになったのだろう。ちなみに筆者は仏教関係者ではなく、ただ趣味で仏教を学んでいるという元テレビマン。
 お釈迦様が何をしたかに始まり、日本への仏教伝来から今日までの仏教史をわかりやすく噛み砕いて説明してくれるので、仏教入門書としては最適である。日本に伝わった仏教は歴史の中で徐々に土着の祖霊信仰と結びつき、葬式仏教へと発展した。日本社会で生き延びるために本来の仏教とは異なる概念を積極的にブレンドしていったのである。悪く言えばいい加減、良く言えば懐が深い。仏教の持つなんともいえないこの柔らかさ、おおらかさに僕は惹かれる。


『昆虫―驚異の微小脳』 水波誠 (中公新書)

 昆虫の脳みその大きさはわずか1立方ミリメートル。だがそのミクロな脳のなかに、人間に勝るとも劣らない優れた神経交感システムが構築されている。
 例えばミツバチ。形や色を認識できるであろうことはなんとなく予想できるが、よくよく実験をしてみると彼らの認識能力というのはもっと高度で、例えば対称・非対称の区別なんかは朝飯前らしい。また、単に形を覚えるだけではなく、「同じものを選ぶ」「違うものを選ぶ」といった形状の同一性や非同一性も理解できるんだそうである。
 文章自体は平易なのだがどうしても学術用語が多く、読むのはけっこう大変。だけどかなりの知的興奮が味わえる良書。昆虫に対する認識が改まります。

『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』 福井晴敏 (角川書店)

gundam uc






懐かしく、そして新しい
「ガンダム、行きまーす!」


2007年2月から今年の8月までガンダム専門誌『ガンダムエース』にて連載されていた小説
『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン)』。
『終戦のローレライ』や『亡国のイージス』で有名な福井晴敏が執筆を担当し、
来年春にはアニメ化も決まるなど、このガンダムシリーズ最新作は話題に事欠かない。

だが、なんといっても特筆すべきはその内容だ。
物語の舞台は宇宙世紀0096。
これは映画『逆襲のシャア』で描かれた第2次ネオ・ジオン抗争から、わずか3年後にあたる。
これまで語られてこなかった時代だ。

物語はミステリー仕立てで進行する。
アナハイム・エレクトロニクスの実質的オーナーであり、
地球圏の陰の支配者<ビスト財団>が長年秘匿し続けてきた「ラプラスの箱」。
この謎に満ちたアイテムをめぐって、ネオ・ジオンの残党が出てくる。
ロンド・ベルが出てくる。ブライトさんが登場する。
カイやベルトーチカ、ハサン先生なんていうニクいゲストが登場する。
それだけじゃない、なんとミネバ・ザビが登場する。

このスケール感はどうだろう。
かつて『ポケットの中の戦争』や『第08MS小隊』といった
宇宙世紀シリーズの番外編が作られたことはあったが、
この作品はそれらとは根本的に違う。
『ガンダムUC』とは宇宙世紀本編の物語であり、
それも、アムロとシャアの息遣いが色濃く残る「ガンダム第1サーガ」の正統なる続編なのだ。

これは『スターウォーズ』で言うなら、
エピソード7〜9が映像化されるくらいにすごいことである。
つまり、もはや作られることはないだろうと諦めていた物語の作品化が実現したのだ。

しかも、ストーリーは最終的に
宇宙世紀の始まりと地球連邦政府創設の秘密にまで迫っていくのである。
鮮やかに塗り替えられる世界観。
ガンダム第1サーガはこの『ガンダムUC』をもって完結すると言える。
シリーズ最新作は、同時にシリーズ史上最大の問題作でもあったのだ。

ニュータイプ論に真っ向から切り込んでいる点でも本作は続編と呼ぶに相応しい。
主人公バナージ・リンクスは、宇宙世紀の時間軸的に言えば
アムロ、カミーユ、ジュドーに続く第1世代直系のニュータイプ。
バナージが「行きます!」といってカタパルトから飛び立つ場面などは、
感慨深くて涙が出そうになる。

思えば『機動武闘伝Gガンダム』以降、
ガンダムシリーズの主流は宇宙世紀とは別種の世界観を設定した作品群に取って代わられた。
ガンダムの名を冠するものの、宇宙世紀という世界観は継承せずに、
1本1本が独立したパラレルワールドとして描かれてきたのである。
だが、それら“分家”はことごとく、“本家”である宇宙世紀シリーズを超えることができなかった。

例えば「戦争と人」、「人類の革新(成長)」というテーマ。
これら“本家”ガンダムが取り組んできた命題は“分家”シリーズでも受け継がれた。
受け継がざるをえなかった、といった方が正しいかもしれない。
なぜならこれらのテーマこそがガンダムが「ガンダム」たる所以だったからだ。

“分家”独自のものと言えば、たとえばガンダムWなどに見られる機体デザインの変化や、
キャラクターデザインがより女性ファン層向けのものになったといった、
マイナーチェンジでしかなかった。

つまり“分家”は世界観は異なるのに、物語の骨格自体は常に“本家”をどう踏襲するか、
あるいはどう壊すかの二択でしか作られてこなかったのである。
皮肉なことに、原作者である富野由悠季自身が関わった
『∀ガンダム』や『Zガンダム』のリメイクですら、
2次的解釈を施した派生品にしかならなかった。

90年代以降、ガンダムシリーズは明らかに長い停滞期にあった。
もっともその責任は決して作り手側だけに問われるものではなく、
我々ファンも負うべきものである。
ファーストから『逆襲のシャア』までの第1サーガ以外に「ガンダム」のあり方はないとする
ファンの保守性が、作り手の足を引っ張ってきた部分は少なくないだろう。

だが今回の『ガンダムUC』は、その行き詰まり感に風穴を開けることができるかもしれない。
それは、原作者の富野以外に踏み込むことがタブー視されてきた宇宙世紀第1サーガに、
初めて富野ではない人間が手を入れたからだ。

福井晴敏の手によるガンダムは、僕としては充分に「ガンダム」として、
それも“本家”の作品として受け入れられた。
ランバ・ラルを髣髴とさせる叩き挙げの軍人ジンネマン。
職務を全うすることに命を燃やす連邦の特殊部隊隊長ダグザ。
参謀本部と乗組員の板ばさみに喘ぎながらも、
次第に能力を開眼させる<ネェル・アーガマ>の艦長オットー。

己の使命と信念に突き進む大人たちがかっこよく描かれる一方で、
彼らもまた組織や国家というオールドタイプの概念に捉われているというジレンマの構造。
そして、そんな大人たちを軽蔑する少年の目。
ガンダムが描き続けてきた世界がまさにここにある。
富野由悠季の手を離れたにもかかわらず、この『ガンダムUC』は、正真正銘“本家”ガンダムだ。

この作品が前例となり、
今後富野以外の人間による宇宙世紀シリーズが制作される道が開けるはずだ。
(安彦良和の『GUNDAM THE ORIGIN』も一役買っているだろう)
これはシリーズ全体にとって極めて大きな意味を持つことではないだろうか。

来年春より1話50分、全6巻のOVAという形でアニメ化が開始される。
原作のボリュームは到底収まりきらないだろうから、かなり省略されることが予想される。
なので、まずはこの小説から入ることがおすすめ。
ハードカバー全10巻という量は長そうに見えて、
一度ページを開いたらラストまで一気に読み通せるはず。

アニメ版公式サイト
「SPECIAL」というコンテンツでは最新のプロモーション映像を視聴可能。感涙です。




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『蚊學ノ書』 椎名誠・編著 (集英社文庫)

kagakunosho
読んでるだけでカユクなる!
「蚊」でいっぱいの珍書


 きっかけは、ある一夜に起きた恐怖の体験だった。三重県の神島という小さな島にキャンプに行った椎名誠。仲間たちと焚火をしながら大いに酒を飲み、さてそろそろ寝るかとテントにもぐりこんで、今度は満天の星空の下で幸福な眠りを貪ろうとしていた矢先、事件は起きたのである。

 テントの中の暗闇に、ざわざわという音が鳴っている。そしてなんだか全身が猛烈に痒い。仲間たちも皆モゾモゾし始めた。慌ててヘッドランプを付けると、灯りの中にはおびただしい数の蚊が、文字通り渦を巻いていたという。

 パニックに陥るテント内。声を出そうにもうかつに口を開けると蚊を食べてしまう。慌てて大量の蚊取り線香に火を付け、バチバチと手の平で蚊を退治していく椎名たち。テント内はつぶした蚊の残骸と吸われた大量の血が飛沫となってあちこちに飛散する。

 そして、彼らは「ザザザッ」という奇妙な音を耳にする。まるでテントに大量の砂粒が当たっているような音。それは、今彼らを襲っている蚊の、その何倍もの大群が、ヒッチコックの映画『鳥』のごとくテントにザザザッと当たっている音だった。

 そんな恐怖の体験から、椎名誠は突如として「蚊」に猛烈なる興味を抱く。世界にはどんな蚊がいるのかという博物学的探究から、果ては蚊取り線香の造形に関する国際比較まで、一夜にして「蚊學」に目覚めた椎名は“向学心”の赴くまま、蚊に関するさまざまなエッセイや体験談、データなどをまとめて一冊の本にまとめる。それがこの『蚊學ノ書』という一大珍書なのである。

 とにかくこの本には、徹頭徹尾「蚊」しかいない。椎名自身が書いた蚊に関するエッセイ(「近ごろの蚊」なんていうタイトルのものも)や短編小説にはじまり、C.W.ニコルをはじめ椎名の“蚊友”たちによる衝撃的な蚊の体験談(題して「蚊激な発言」)に、蚊を題材にした江戸時代の川柳を品評するという「蚊談会」。さらには「蚊の付く地名一覧」「蚊の付く人名一覧」「蚊のことわざ」なんてものまで。マラリア蚊の対策とその薬の副作用が詳しく綴られたハードな手記なんかも収録されている。

 もっとも強烈だったのは体験談。カナダやアラスカにはトンボ大の蚊がいるというし、アマゾンではあまりに大量の蚊が人にまとわりつくから蚊柱が人の形をしていて、遠くからだと巨人が歩いているように見えるという、「本当かよ!」というような話が載っている。

 驚きなのは北極にも蚊がいる、という事実。しかも寒いところにいる蚊は獰猛で、ジーパンぐらい突き通してしまうほど屈強な針を持っているらしい。専用の装備(!)をしなければ死んでしまう可能性もあるんだって。世界は広い。

 読んでるだけでなんだか痒くなる。しまいにはあの「プーン」という羽音が聞こえてくるような気にさえなってくる。だが、怖いもの見たさというか、不快なところがまた快感、というか、ムズムズしながらもぐいぐいと読んでしまう本。
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