週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

ビートルズ探訪記

【ビートルズ探訪記 6】リバプール:ビートルズ・ストーリー

ビートルズの故郷、英国リバプールの旅行記を長らく書いてきましたが、今回がついにラストです。
最終回は、ビートルズに関する博物館であり資料館であり体験型アトラクションという究極的施設、
「ビートルズ・ストーリー」について書きます。
---------------------------------------------------
#第1回「マシュー・ストリート」
#第2回「ジョンとスチュと学生街」
#第3回「マジカルミステリーツアー」
#第4回「キャヴァーン・クラブ」
#第5回「ハードデイズナイト・ホテル」
---------------------------------------------------
■港の跡地に建つビートルズ・ストーリー
メンバーの生家とか聖地キャヴァーンとかをさんざん回ってきて、
「いまさら“博物館”はないだろう」と思うかもしれませんが(僕も正直期待はしていなかったのですが)、
いざ行ってみたら予想外に面白かったです、「ビートルズ・ストーリー」。

まず場所について。
リバプールの港「アルバート・ドック」の一角にあります。

より大きな地図で The Beatles Story を表示
黄色:ハードデイズナイト・ホテル
:ビートルズ・ストーリー

第3回で書いた「マジカルミステリーツアー」の出発点もここ、アルバート・ドックでした。
元は一大港湾施設でしたが、
今はレストランやお店が並ぶおしゃれな商業施設に生まれ変わっています。
どことなく横浜の赤レンガ倉庫のような雰囲気です。
P1030563

なんと、イエロー・サブマリンが停泊していました。
P1030527

ありました。これが「ビートルズ・ストーリー」の入り口。
P1030347

地下に潜っていくという造りはどこかキャヴァーン・クラブを彷彿とさせます。



■博物館というより「アトラクション」
『地球の歩き方』はビートルズ・ストーリーについて、
「ビートルズファンもそうでない人もここは訪れておきたい」と書いています。
誰でも楽しめるという敷居の低さのせいか、
この施設のことは他の一般向けのガイドブックにも情報が掲載されています。
ただ、「博物館」といったり、「資料館」、「常設展示場」といったり、
紹介の仕方はものによってバラバラです。
一体、ビートルズ・ストーリーとはどんなところなのか。
中に入ってみます。
P1030538

↑上の写真は、ビートルズが1面を飾った地元の音楽誌『MERSEY BEAT』(マージービート)のオリジナル。
まだレコードデビューを果たす前、ピート・ベストが在籍していた時代の貴重な写真です。


IMG_1010

P1030545

IMG_1017

このように、バンドの結成から解散、ソロ時代まで、
当時の写真や資料が時系列に沿って展示されています。
順路に沿って進めば、ビートルズの歴史を詳しく知ることができる、というつくり。
希望すれば音声ガイド(日本語にも対応)をレンタルすることもできます。
このあたりは一般的な博物館や美術館と同じスタイルですね。
特に、レコードデビュー前の時代の史料が豊富に展示されているところは、地元の強みを感じます。

しかし、実は写真や資料よりも目立ち、なおかつ楽しめるものがあるのです。
それが、「再現ジオラマ」。
P1030534

↑上の写真は『MERSEY BEAT』の編集部のジオラマ。
電話をかけているのはおそらく編集長のビル・ハリーでしょう。
ビル・ハリーは当時まだ地元のバンドの一組に過ぎなかったビートルズに目をつけ、
創刊2号にジョンが書いた、恐ろしく風刺と毒の利いた「ビートルズの伝記」を掲載しました。

こちらは、アビィ・ロードスタジオで行われた、
デビューアルバム『PLEASE PLEASE ME』の録音風景。
10曲をたった1日で録りきったという伝説のレコーディングの様子です。
P1030546

ジオラマというと、滅多に客が来ない地方の郷土資料館にポツンと展示された、
「冬の間に草鞋を編むおじいさんの人形」とか、
「畑で採れたわずかな野菜をぬかに漬けるおばあさんの人形」とか、
なんかこう全体的に切ない代物を思い浮かべてしまいますが、
ビートルズ・ストーリーのジオラマはまるで正反対で、非常に楽しめます。
というのも、ゲストがジオラマに直接手を触れられたり、
実際にその中を歩いてみたりできるから。

例えばこちらは、忠実に再現されたキャヴァーン・クラブ
客席の椅子に座って、キャヴァーンの映像を見ながら疑似ライブ体験ができます。
P1030541

こちらは、1964年の初のアメリカ進出をテーマにした部屋。
P1030548

左に椅子が見えるでしょうか。
部屋の一角が、ビートルズが乗った飛行機の座席になっていて、
ゲストはそこに座りながら写真を眺めたり音声ガイドを聴くことができます。

他にも『Sgt. Pepper〜』の実寸大(?)ジャケット写真や、
P1030551

エリナー・リグビーの墓」なんてのもあります。
※右奥にはストロベリー・フィールズの門が見えます
P1030549

中でも面白かったのがこちら。
実際に中を歩くことができるイエロー・サブマリン
P1030553

P1030556

別に中に何があるってわけじゃないので、「だからなんだ」と聞かれると困るのですが、
僕はこれ一番楽しかったな。

ビートルズ・ストーリーの面白さは、
普段は「見る」か「聴く」かしかビートルズへの接し方がないところに、
「遊ぶ」あるいは「追体験する」という楽しみ方を与えてくれるところでしょう。
だからとても新鮮。
ガイドブックに載っていたように、
確かに博物館や資料館、常設展示場という呼び方は間違いではありません。
しかし僕は「アトラクション」という呼び方こそ、ビートルズ・ストーリーには相応しいと思いました。

なお、ビートルズ・ストーリーについてガイドブックでは「所要時間1時間程度」と書いてありますが、
全ての展示物をしっかり見て、なおかつ音声ガイド(←これは本当に良かったです)をちゃんと聞こうとすると、
おそらく最低でも2時間はかかると思います。

順路のラストは、ダコタハウスのジョンの部屋。
美しいけど悲しさも感じさせる部屋ですね。
P1030561




■世界でたった一つの「ビートルズのスタバ」
ビートルズ・ストーリーにはギフトショップ「Fab 4 Store」が併設されています。
P1030345

マシュー・ストリート界隈にもいくつかギフトショップはあるのですが、
品揃えという点ではこのお店が一番充実していました。

そしてショップの地下には、BGMも内装も全てビートルズという、
(おそらく)世界にたった1店舗しかない「ビートルズをテーマにしたスターバックス」があります。
IMG_0959

ちなみに、「Fab 4 Store」もビートルズのスタバも、
ビートルズ・ストーリーを利用していなくても入店することができます。



■さらばカモメの鳴く街
というわけで、全6回にわたって書いてきた『ビートルズ探訪記』も今回で終わりです。
帰国して1カ月以上が経ちますが、こうして文章を書いたり写真を選んだりしていると、
まるで今でもリバプールの旅が続いているような気がして、とても幸せでした。

ブログを書きながら、僕の耳の中でいつも鳴っていた、ある音があります。
ここでキャヴァーンの音楽、などと言うと美しく締まるのですが、残念ながらそうではなく、
実は、「カモメの鳴き声」なんです。
海が近いリバプールは、街のどこにいても絶えずカモメの鳴き声が聞こえました。
リバプールのどの風景を頭に浮かべても、そこには必ずセットになって、
けたたましいカモメの鳴き声が耳に蘇るのです。

第2回で書いたように、リバプールは「斜陽の街」です。
19世紀から20世紀初頭にかけてはイギリス有数の港湾都市として栄えましたが、
海運業が廃れるとともに街の景気は急速に悪化し、
ビートルズがいた頃は、既に政府から支援を受けなければならないほどの「不良都市」と化していました。
その状況は根本的には今も変わってはおらず、街の建物にも行き交う人にも、疲れた空気が漂っていました。

灰色の街とカモメの鳴き声は、とても対照的でした。
それは、カモメが生き生きとしていたとかそういうことではなく、
カモメの鳴き声が、強烈な旅情を誘うからです。
街に漂う閉塞感と、カモメの鳴き声に感じる「ここではないどこか」への予感が、対照的だったのです。

ジョンは、ポールは、ジョージは、リンゴは、
スチュアート・サトクリフは、ピート・ベストは、ブライアン・エプスタインは、
リバプールという街の中で、どんな思いでカモメの鳴き声を聞いていたのだろうと思います。
もし、彼らが「何者かになりたい」という欲求を人一倍強く抱えていたとしたら、
あるいは、先行きのない街の中で自分の将来に早々と見切りをつけていたとしたら、
旅情誘うカモメの声は、強烈なフラストレーションを植え付けたのではないかと思います。

もっとも、こうした想像をめぐらせるようになったのは、日本に帰ってきた後のことです。
実際にリバプールの街を歩いている最中は、想像よりも感激が勝っていました。
ただ、今にして思うのは、今回の旅で得た一番の収穫は、
単にキャヴァーンへ行った、ペニー・レインを歩いたという体験ではなく、
それらの場所をめぐったことで「生身の人間としてのビートルズ」を初めて意識できたことでした。

だから、月並みですが、やはりもう一度僕はリバプールに行きたい。
そして次は、バスや地下鉄に乗って買い物に行き、
何でもない地元の店で食事をするような、「生活」を送ってみたい。
そんな風に、今度はもう少し静かに過ごしながら、
ビートルズはあの街でどんな風に過ごしていたのかを、
僕が愛する人たちはあの街でどんなことを考えていたのかを、もっと想像してみたいと思います。
P1030520





※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。






sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

【ビートルズ探訪記 5】リバプール:ハードデイズナイト・ホテル

ビートルズの故郷、英国リバプール探訪記の5回目。
今回はキャヴァーン・クラブの裏に建つ「ハードデイズナイト・ホテル」について。
客室の内装もレストランのBGMも全てがビートルズという、
ファンにとっては夢のようなホテルです。
---------------------------------------------------
#第1回「マシュー・ストリート」
#第2回「ジョンとスチュと学生街」
#第3回「マジカルミステリーツアー」
#第4回「キャヴァーン・クラブ」
---------------------------------------------------
■高級だけど「割安」
このホテルの存在を知ったのはテレビがきっかけでした。
名前は忘れてしまいましたが、確か旅番組だったと思います。
とにかく全てがビートルズ」というコンセプトに感動し、
その時以来、いつか行かなければと思っていました。
今回、リバプール行きが決まった際に最初にしたことは、このホテルを予約することでした。

いきなりお金の話をするのもアレですが、
僕が泊まったのはデラックスタイプの部屋(40〜50平米)で、1泊朝食付でひと部屋17500円。(2014年1月時点)
グレードの割には値段は低めの、なかなか割安なホテルかなと思います。
もっとも、リバプールのホテルの相場は大体どこもこのくらいだそうです(H.I.S.談)。
ロンドンなんかだと、同じ値段で部屋の大きさは半分以下ですからね。
ちなみに、『地球の歩き方』によるとこのホテルのグレードは「高級」となっています。
実際、普通のホテルとして見ても、サービスも設備(Wi-Fi入ります)も食事も僕は満足でした。


■場所はキャヴァーンの“真裏”
さて、まず「ハードデイズナイト・ホテル」の場所ですが、ここにあります。

より大きな地図で Hard Days Night Hotel を表示
黄色:ハードデイズナイト・ホテル
ピンク:キャヴァーン・クラブ
マシュー・ストリートのすぐ脇、キャヴァーン・クラブのほぼ真裏にあることが分かると思います。

外観を正面から。窓に4人の写真が飾られているのがわかるでしょうか。
P1030341

本当は建物の全景を撮りたかったのですが、大きすぎて向かいの歩道からは入りきりませんでした。
ちなみに客室は全部で110室もあります。

斜めから撮ったところ。
2階部分の壁に、メンバーの彫像が付いているのが分かるでしょうか。
こっちを向いているのはポールかな?
P1030343

建物の奥に曲がり角が見えるでしょうか。
あそこを曲がれば、そこがもうマシュー・ストリート。
あの角に立てば、ほんの50メートルほど先の右手に「Cavern」の看板が見えるはずです。



■ジョンが見つめるロビー
正面玄関から入るとすぐにロビー。
ジョンが出迎えてくれます。
P1030573

奥がラウンジになってます。
右奥の壁にポールの写真が飾られているのが見えるでしょうか。

エレベーターホールに飾られていた、ホテルによくある世界各国の現在時刻が分かる時計。
「ハードデイズナイト・ホテル」では、なぜかリバプール、ニューヨークと並んで「TOKYO」が。
P1030574

なんか嬉しい!



■ビートルズに“溺れる”レストラン
客室へ行く前にレストランを紹介します。
ホテル内にはレストランが1つ、他にバーが2つ、ラウンジが1つあります。
このうちレストランは朝食を食べられる関係で、泊まれば必ず足を運ぶところ。
IMG_0953

とてもきれいで都会的なレストランなんだけど・・・・写真は全部ビートルズ!
デザートを取るときだって、振り向けばビートルズ!
IMG_1001

写真だけじゃなくて、こんなニクい小物も飾ってあります。
IMG_1002

ちなみに当然のことながら、店内のBGMはずっとビートルズです。
レストランだけじゃなくて、ロビーもラウンジも各階のエレベーターホールも、
朝から晩まで24時間ビートルズしか流れません。
このホテルに泊まったゲストは、
ノイローゼになるくらい、窒息しそうになるくらい、ひたすらビートルズを全身に浴びるのです。

なお、ホテルの朝食はこんな感じ。
P1030309

この他にトーストだとかクロワッサンだとかシリアルだとかを選べます。
けっこうガッツリなのですが、イギリスの朝ごはんってどこもこんな感じみたいですね。
エディンバラでもロンドンでも、移動中の高速列車の中でも、
ほぼ同じメニューが出てきました。

余談ですが、よく「イギリスは食事が不味い」と聞きますけど、
僕の体験に限って言えば、全くそんなことはなかったです。
多少ハズレたかな、ということはあっても(マシュー・ストリートの「グレイプス」みたいに)、概ね満足できました。
特にパンとコーヒー、紅茶の美味しさは素晴らしかったです。
あ、それとビールも。



■ジョージのいる客室
いよいよ客室へ向かいます。
階段には一面ビートルズの写真。
P1030468

ソロ時代のポールの写真も飾ってあります。カバーしてる範囲がなかなか広い。
P1030466

そしていよいよ客室へ。
入ってみると・・・・・




ジョージがいました。
P1030282


ジョージ、すごいこっちを見てきます。
IMG_0948

このジョージは『マジカル・ミステリー・ツアー』の時のものですね。
ハードデイズナイト・ホテルでは、
各客室がジョン、ポール、ジョージ、リンゴという4つのテーマに分かれているそうです。

実は滞在中、一度部屋を移ることになりました。
エアコンの工事をしているとかで、騒音を気にしてくれたホテルが静かな別の部屋を用意してくれたのです。
「2つの部屋を体験できるなんてラッキー!」と思っていざ移動してみると・・・・・





やっぱりジョージでした!
P1030302

これはバングラデシュ・コンサートの時の写真かな?
というわけで、ジョージとの縁を強く感じたハードデイズナイト・ホテル滞在でした。

なお、期待していたアメニティグッズは、残念ながらどれも非ビートルズ品。
ただ、ドアノブにかける「Don't Disturb」の札が、このホテルでは「Let It Be」になっていたり、
客室アンケートの表紙に「Tell Me Why」や「Form Me To You」なんていうフレーズが載っていたりと、
分かる人には分かるシャレがあって面白かったです。

---------------------------------------------------
ハードデイズナイト・ホテルの公式HP
---------------------------------------------------


※次回はいよいよ最終回。ビートルズの博物館「ビートルズ・ストーリー」について書きます

※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

【ビートルズ探訪記 4】リバプール:キャヴァーン・クラブ

ビートルズの故郷、英国リバプールを訪ねた記録の4回目。
今回は伝説のライヴハウス「キャヴァーン・クラブ」について。
ビートルズ旅行でリバプールを訪ねたなら、絶対に外せないのがこの場所です。
第1回のマシュー・ストリート編では前を通り過ぎただけだったので、
ついに今回は中に足を踏み入れます。
---------------------------------------------------
#第1回「マシュー・ストリート」はこちら
#第2回「ジョンとスチュと学生街」はこちら
#第3回「マジカルミステリーツアー」はこちら
---------------------------------------------------
■再建された「2代目キャヴァーン」
ノース・ジョン・ストリート側からマシュー・ストリートに入ると、
すぐに目に飛び込んでくるのがこの看板。
IMG_0951

この場所こそが、ビートルズが1961年から63年にかけて、
計272回もステージに立ったライヴハウス「キャヴァーン・クラブ」です。
レコードデビュー前のホームグラウンドとして彼らの人気を支えたのも、
ブライアン・エプスタインとの出会いの場になったのも、全てはこの場所でした。
リバプール時代のビートルズの象徴と言ってもいい、まさに「聖地」です。
P1030301

キャヴァーン・クラブは1957年、元は地下の果物倉庫だった場所にオープンしました。
当初はジャズクラブとしてスタートしましたが、
その後ロックンロールを演奏するバンドにも門戸を開くようになり、
やがてリバプール中のバンドがこぞって出演するようになります。
(その中にはリンゴがビートルズ加入前に在籍していたロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズもいました)
そして、ビートルズが有名になると、
キャヴァーン・クラブは世界中のロックバンドにとって憧れの場所となったのです。
P1030404

第1回でも書いたように、これまで1800組以上のバンドがキャヴァーンのステージに立ちました。
入り口へと降りる階段の壁のあちこちには、
過去にキャヴァーンに出演したバンドの写真が貼られています。
P1030405

実は現在のキャヴァーンは、再建された2代目
ビートルズが出演していたオリジナルのキャヴァーンは、
1973年に地下に換気口を建設するために取り壊されてしまいました。
その後、83年にかつてのキャヴァーンがあった場所の隣に、
当時と全く同じ設計で再建されたのが、現在の2代目キャヴァーン・クラブなのです。



■ビートルズの「音」を吸ったレンガ
いよいよ中に足を踏み入れます。
P1030414

思っていたよりも狭い!
ステージもものすごく小さいです。4人も乗ったらかなりギュウギュウになりそう。
ちゃんとVOX社のアンプが置いてある!
IMG_0993

キャヴァーンの狭さというと思い出すのが、まだ僕が小学生の頃(だったと思うのですが)に、
たまたまテレビで見たビートルズのドキュメンタリー番組。
その中で、レンガ造りの暗くて狭い空間で演奏するビートルズの映像が流れました。
モノクロの粗い映像と相まって、「有名なバンドのくせにずいぶん汚いところで演奏するんだなあ」と
やけに印象に残ったのを覚えています。
「キャヴァーン」という名前は、僕のビートルズ体験の中でも最も初期に脳裏に刻まれたキーワードになりました。

店内にはビートルズが使ってた楽器一式が飾ってありました。
IMG_0994

本当ならば震えるように感激するべき物のはずですが、
「キャヴァーンにいる」という事実自体がすごすぎて、ほとんどスルーしました。
P1030416

天井が低く、アーチ型になっているのは、かつて倉庫だったことの名残でしょう。
前述のように、2代目キャヴァーンが再建される際には、
初代キャヴァーンの設計が忠実に再現されたと書きました。
実はその際、壁のレンガには初代キャヴァーンの壁に使われていたものが再利用されたのです。
(土の中に眠っていたのを掘り起こしたそうです)
つまり、店内のレンガの一つひとつは、かつて本物のビートルズの音を吸い込んだものなのです。
僕がひたすら撫でまわしたのは言うまでもありません。

ちょっと面白かったので撮っておいたのが、この画像。
IMG_0984

キャヴァーン内はフリーのWi-Fiが利用できるので(!)、試しにiPhoneで接続したところ。
こんなレアなWi-Fiに接続できるチャンスなんて滅多にないだろうと、
記念に画面を撮影しちゃいました。



■ビートルズと子供たち
ここで、この日僕が見た、ある感動的な光景について書きたいと思います。

2代目となったキャヴァーンですが、
今でも週末の夜になるとライヴが行われています。
ジェイク・バグやアークティック・モンキーズら、
10〜20代の若いアーティストによって、かつての熱狂が今も受け継がれているようです。

また、昼間は地元のコピーバンド(アーティスト)によるステージが行われています。
出演者は日替わりで、僕は2日間通ったので2人のステージを見たのですが、
2人ともギター1本の弾き語りにもかかわらずめちゃくちゃ上手かったです。
僕が最初にキャヴァーンを訪れた日は、
ジョン・レノンのそっくりさん(?)のステージでした。
IMG_0982

昼間からビール飲みながら、あのキャヴァーンでビートルズの歌を聴くだなんて、
なんていうかもう夢のような時間です。

ただ、僕が見た「感動的な光景」というのは、このことではないのです。

ジョンさんのステージが始まって2〜3曲歌い終わった頃でしょうか。
突如店内に、大勢の小学生が入ってきたのです。
IMG_0985

先生らしき大人が引率し、「RESERVED」の札がある席についたところを見ると、
どうやら日本で言うところの遠足、もしくは社会科見学のようです。
まだ陽のある時間ではあるものの、仮にもここはアルコールを出す店ですから、
そんな場所に小学生を連れてくるなんて、学校もずい分度量が広いなあと感心していました。

どうやらジョンさんも今日は小学生が見に来ることを承知していたようで、
「ステージの前に来なよ!」と子供たちに呼びかけます。
P1030438

こういうときに女の子の方が積極的なのは日本もイギリスも変わらないようです。
しかしやがて、壁の方でモジモジしていた男の子たちも集まってきました。

んで、何に感動したかというと、みんなビートルズの歌を歌えるんです、普通に。
Please Please Me>ではちゃんとサビの「カモン!」で掛け合いをするし、
Strawberry Fields Forever>なんていう難しい歌までちゃんと歌える。
みんな10歳とかそこらですよ?
どの歌も自分が生まれる半世紀近くも前のものなのに、
みんな当然のように歌詞を知っていて、演奏に合わせて楽しそうに歌っている。
「音楽ってすげえ!」とか、「ちゃんと下の世代に受け継がせようとするイギリスの大人すげえ!」とか、
とにかくいろんな思いが涙と一緒にこみ上げました。

ちなみに、子供たちが一番盛り上がったのは、この曲でした。
動画を撮影しておいたので、現場の雰囲気が伝わるといいな。

なお、この日のラストの1曲が秀逸でした。
ジョンさんが子どもたちへのステージの締めに選んだのは、<Money>。
「僕が欲しいのはお金だけ」と連呼するという曲をあえて子どもたちに向けて歌うあたり、
やはり彼は「ジョン」さんでした。



■キャヴァーン・パブへ
キャヴァーン・クラブの向かいにある「キャヴァーン・パブ」にも足を運んでみました。
P1030461

キャヴァーン・クラブが1994年にオープンした姉妹店で、
こちらはクラブの方とは異なり食事をすることができます。
P1030457

この店の特徴は、過去にキャヴァーンに出演したアーティストの楽器やサインが豊富に展示されている点です。
下の写真の右側に見えるのは、ドノヴァンのギターとアークティック・モンキーズのギター。
そして左側のディスプレイに飾ってあるのは、なんとマイケル・ジャクソンのジャケット。
P1030458

店内にはステージもあり、生演奏を聴くこともできるようです。
IMG_0997

店内には延々とロックが流れています。
僕がいたときは、リバティーンズオアシスストーン・ローゼズといった、
イギリスのロックが爆音でかかっていました。

ビールとロック。
これほど幸せなシチュエーションが他にあるのでしょうか。
P1030450

---------------------------------------------------

※次回は、ロビーもレストランも客室も全てがビートルズという夢のようなホテル、
「ハードデイズナイト・ホテル」について書きます。


(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『Somewhere In The Beatles』福岡耕造(ピエ・ブックス)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

【ビートルズ探訪記 3】リバプール:マジカルミステリーツアー

2014年1月に、ビートルズの故郷、英国リバプールを訪ねてきたので、
そのときの記録を何回かに分けてアップしています。
第3回となる今回は、ビートルズの名所をめぐるバスツアー、
その名も、「マジカルミステリーツアー」について書きました。
いよいよペニー・レイン、そしてストロベリー・フィールズへ赴きます。
---------------------------------------------------
#第1回「マシュー・ストリート」はこちら
#第2回「ジョンとスチュと学生街」はこちら
---------------------------------------------------
これまでは活動初期、そして結成前夜のビートルズの足跡をたどって、
リバプールの街の中を回ってきました。
しかし、さらに時間をさかのぼって4人の子ども時代を振り返るとなると、
郊外へ足を伸ばさなくてはなりません。

市街の中であれば徒歩でも十分回れるのですが、郊外となると交通手段が問題です。
バスは煩雑だし、タクシーは高い。時間が読めないところも面倒です。
そんな悩みを全て解決してくれるのが、ビートルズファンのためのバスツアー、
その名も「マジカルミステリーツアー」です。

あのキャヴァーン・クラブが企画・運営しているツアーで、
毎日2回、1回2時間の行程で、郊外の代表的なビートルズスポットを回ってくれます。
場所によってはバスから降りて写真撮影をする時間も作ってくれるという、
初めてリバプールを訪れたファンにとってはとても便利なツアー。

オンラインでの予約が可能なので(便利!)、僕は渡英前に自宅から予約しました。
※予約ページはこちら
ちなみに、マジカルミステリーツアーのチケットを持ってキャヴァーン・クラブに行くと記念品がもらえ、
さらに併設のキャヴァーン・パブでは飲食代が10%OFFになります。

乗客の集合場所は、リバプールで最も大きな港、アルバート・ドック
乗るのはもちろん、このバスです!
P1030355



■ジョンが育った「メンディップス」
まずは4人が子ども時代に過ごした家を回ります。
最初は、ジョンが育った家「メンディップス」。
P1030389

ジョンはわずか1歳半の時に、母親ジュリアから彼女の姉ミミの元に預けられ、
このメンディップスに引っ越してきます。
以来、結果的にシンシアと結婚するまで約20年もこの家で暮らしました。

ジョンの部屋は2階の左端。
あの窓の中で、少年ジョンは少年ポールと共に曲を作り始めたのかと思うと、震えてきそうです。

この家は何度か他人の手に渡ったのですが、
2002年に売りに出された際にオノ・ヨーコが購入(速攻で買ったそうです)。
そしてメンテナンスをしたのち、ナショナル・トラストに寄付されました。
現在はナショナル・トラスト主催のツアーでのみ中を見ることができます。

ちなみに、有名な話ですが、かのボブ・ディランは、
ナショナル・トラストツアーに参加してジョンの家を見に行ったことがあるそう。
1人の一般客として参加したそうですが、誰もディランだと気付かなかったそうです。



■今も人が住むジョージの生家
続いて訪れたのはジョージの生家。
狭い路地を進んでいった一角、右側の奥から4軒目です。
P1030373

真ん中の、ドアに「12」と書かれた家が、ジョージが生まれた家。
P1030375

周りの家は、もちろん普通に住人がいます。
それどころか、ジョージの生家も今でも人が住んでいます(年配の女性が一人で住んでいるそう)。
ここはバスを降りて家の目の前まで行ったのですが、
ガイドさんには「普通に人が住んでるからくれぐれも静かに」と言われました。
玄関脇に出された古紙の束に生活感が溢れてます。
IMG_0968

「ジョージの家に住む」ってどういう気分なんでしょうか。
僕にとってみれば立派な「史跡」ですが、ビートルズに興味が無い人にとってみればただの家ですもんねえ。
そう考えれば、例えば奈良とかで、古墳の横に普通に人が住んでいるのと同じだよなあ。
なんていうことを考えました。



■少年リンゴの思い出の場所「エンプレス・パブ」
続いて訪れたのは、リンゴの母エルシーが働いていた「エンプレス・パブ」。
P1030363

リンゴが3歳の時に夫と離婚したエルシーは、この店で働きながら息子を育てました。
1970年、リンゴは初のソロアルバム『センチメンタル・ジャーニー』を作るにあたって、
このエンプレス・パブをジャケット写真に選んでいます。

実はこのエンプレス・パブの横の路地沿いに、リンゴが暮らしていた家があります。
バスの中から撮ったので分かりづらいのですが、写真に映るテラスハウス(長屋)の、
真ん中あたりの白い家がリンゴの家。
※写真左端に見切れている建物がエンプレス・パブ
P1030362

このあたりはリバプールの労働者階級の住宅地の中でも特に貧しい地区で、
今もその雰囲気は変わっていません。
明らかにこの周辺だけ家は狭く、道路も荒れていて、
夜中に1人で歩くのはできれば避けたいような雰囲気です。

しかしリンゴは5歳の時からビートルズでデビューしてロンドンに引っ越すまで、
約20年間もこの家で過ごしました。
※ちなみにリンゴの生家もほんの1ブロックほど歩いた場所にあります。
リンゴの青春時代の全てはこの街の、この狭い家に詰まっているのです。



■ポールが育った「フォースリン・ロード20」
続いてポールの家。
ポールはリバプールの中で何度も引っ越しているのですが、
その中で最も長く暮らしたのが、フォースリン・ロードという閑静な住宅街にあるこの家。
P1030396

ポールはこの家に13歳からロンドンに移る21歳の時まで暮らします。
玄関の上の小さな窓の部屋がポールの部屋だったそうです。
小さいながらも庭があって、リンゴの家とはえらい違いです。
72歳の今でもどこか青年っぽくて、育ちの良さを感じさせるポールですが、
この家を見てなんとなく納得できた気がしました。

現在この家は、ジョンのメンディップスと同様にナショナル・トラストに指定されており、
中を見るにはツアーを予約しなければいけません(3〜11月)。
IMG_0976

なので、現在は誰も住んではいないのですが、両隣の家はやっぱり普通に人が住んでいます。
何度も言いますけど、「壁一枚向こうはポールの家」って一体どういう気分なんでしょうかね。



■セント・ピーターズ教会
残念ながらバスの窓からちらっと見るだけだったのですが、
今回の旅で最も見たかった場所の一つがここ。
ジョンとポールが初めて出会った、セント・ピーターズ教会です。

1957年7月6日
友人に連れられてセント・ピーターズ教会のパーティーに参加した15歳の少年ポールは、
教会の庭のステージで、バンジョーを弾きながら歌っていた16歳の少年ジョンと出会います。
正確には、その時はポールが一方的にジョンを見ただけで、
2人が初めて会話を交わしたのはその夜、
教会の向かいにあるホールでのことでした。
既にギターを弾くようになっていたポールはジョンのために<Twenty Flight Rock>を披露。
2人は意気投合し、ジョンはポールを自身のバンド、クオリーメンに引き入れるのです。

この日、この2人が出会わなければ、ビートルズというバンドはこの世に存在せず、
<We Can't Work It Out>も<In My Life>も、他のどの曲も生まれていなかったのです。
「ビートルズの歴史の中で最も重要な1日を選べと言われたら、間違いなく1957年の7月6日だ」
バスガイドさんも、そう熱く語っていました。
奥に立つ建物が、ジョンとポールが初めて会話を交わしたホール。
P1030379

まさに歴史の転換点となった1日。
その舞台が、このセント・ピーターズ教会なのです。



■ペニー・レイン
やって来ました。「ペニー・レイン」です。
ペニー・レインとは、リバプール市街の南東を走る2つの幹線道路、
スミスダウン・ロード(アラートン・ロード)とグリーンバンク・ロードの間を走る道の名前です。
これは南側の端、グリーンバンク・ロード側にあるペニー・レインの標識。
P1030368

ビートルズの歌のタイトルで世界的に有名になりましたが、
道そのものは片側一車線の何の変哲もない道。距離も1km足らずしかありません。

ペニー・レインの北側(上の写真の反対側)の端には環状交差点があり、
たくさんのお店が並ぶスミスダウン・ロードと交わります。
この交差点にはバスターミナルがあり、
学校への通学に毎日バスを使っていたポールは、ここから見た景色を<Penny Lane>の歌詞に綴りました。
その中の一節「On the corner is a banker with a motor car」に出てくる「bank」がこれ。
IMG_0963

ちなみにこの銀行の向かいには、「BISTRO SGT. PEPPERS」というお店があります。
P1030371

世界中からやってくるビートルズファンを見込んだのでしょう。他にもこの手のお店が何軒かありました。
ペニー・レインの住人達はなかなか逞しいです。

ちなみに、この交差点からアラートン・ロードを西側へ(ジョンの家の方へ)進んだところに、
イギリスのメジャーなコーヒーチェーン「COSTA」があります。
滞在中に毎晩COSTAに通っていた僕は(Flat Whiteが美味い!)、
「ここにもCOSTAがあるんだなあ」とバスの窓から眺めていたのですが、
バスガイドさんが言うにはなんと、
「ここはCOSTAができる前からコーヒーハウスで、ジョンの最初の妻シンシア・パウエルがアルバイトしていたんだ」
とのこと!
どこに行っても何かしらのエピソードに遭遇する、まさに歴史の宝庫ともいうべきエリアです。



■ストロベリー・フィールズ
そして、「ストロベリー・フィールズ」です。
P1030383

ジョンの家メンディップス、そしてポールと最初に出会ったセント・ピーターズ教会からは目と鼻の先。
この門の向こうには孤児院があり、少年時代のジョンは何度もこの庭に忍び込んでは空想に耽ったそうです。
ジョンは自分だけのこの場所を、門の赤色のイメージから「ストロベリー・フィールド」と名付けました。
P1030384

今もこの場所には孤児院があり、1979年に建物が建て替えられたときにはジョンが寄付をしたそうです。
この赤い門も今では使われてはいませんが、外から見える草が生い茂った庭には、
ジョンも感じたであろう秘密めいた雰囲気の名残を感じます。

耳をすませば、<Strawberry Fields Forever>の、あのメロトロンの音色が聞こえてくるようです。
心の中で僕は、「ついにここまで来たんだ」と叫びました。

---------------------------------------------------

今回のツアーで回った場所を大まかに地図上に表示してみます。

まずはリバプール全体。ピンクのポイントがライム・ストリート駅です。
ツアーで回った場所のうち、リンゴの家を除けば大体の場所は青の枠の中に入ります(リンゴごめん)。
tour1

拡大してみます。

より大きな地図で リバプール郊外 を表示
:ジョンの家「メンディップス」
黄色:セント・ピーターズ教会
ピンク:ストロベリー・フィールズ
:ジョージの生家
水色:ペニー・レイン
:ポールの家

今回のツアーでは回らなかったのですが、
他にもバンドの前身「クオリーメン」が結成されたジョンの母校「クオリー・バンク・グラマー・スクール」や、
ジョンとジョージが通っていたダブデイル小学校なども上の地図のエリア内にあります。
つくづくみんな「ご近所さん」であることがわかります。

ビートルズという名前はあまりに世界的すぎるのでつい忘れがちなのですが、
この人たちは、元を正せばただの「地元の仲間で組んだバンド」なんですよね。
オーディションによって才能を見極められて組んだわけでも(リンゴだけはやや例外ですが)、
あるいは音楽学校のような素地的な環境がベースになって集まったわけでもありません。
本当に、たまたま、近くに住んでいた単なる音楽好き同士が集まって、
「お前ギター弾けるのか。じゃ一緒にやろう」みたいなノリで始まったバンドに過ぎません。
このことを、実際に回ってみてつくづく実感しました。

だから、ビートルズのことを「天才集団」とする評価は、微妙に的外れであると僕は思います。
確かに4人に才能があったことは事実でしょう。
しかし、彼らはバンドを組む前は、どこにでもいる単なるロックファンであり、
最初から天才性を発揮していたわけではありません。
彼らの才能は、バンド活動を続けていく中で開花していったと言うべきです。
4人は各自各様に天才になったのではなく、「ビートルズ」によって天才に育ったのです。
だから、ビートルズというバンドでまず評価すべきは4人の個々の才能ではなく、
ビートルズという集団そのものなのです。
バンドというものの面白さ、集団というものの面白さを、
これほど感じさせてくれる存在はなかなかいません。

---------------------------------------------------

※次回はマシュー・ストリートに戻り、“聖地”キャヴァーン・クラブの中に入ります。

(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『Somewhere In The Beatles』福岡耕造(ピエ・ブックス)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

【ビートルズ探訪記 2】リバプール:ジョンとスチュと学生街

2014年1月。
僕はビートルズの故郷、英国のリバプールを訪ねました。
「ビートルズ探訪記」と題して、何回かに分けてその時の様子をアップします。

前回はマシュー・ストリートと周辺エリアを紹介しましたが、
2回目となる今回はリバプール市街の、主に南側のエリアの「ビートルズ・スポット」を紹介します。
メンバーが通っていた学校やパブなど、無名時代の彼らの足跡をたどります。
---------------------------------------------------
#第1回「マシュー・ストリート編」はこちら
---------------------------------------------------

かつて海運と造船が盛んだった時代はイギリス有数の港町として栄えたリバプール。
しかし20世紀後半に入り海運業が廃れると途端に不況に陥り、
以来、街に代わりとなる産業は生まれず、今に至るまで状況は大きくは変わっていません。

僕はスコットランドのエディンバラからリバプールに入ったのですが、
街そのものが世界遺産という観光都市であり、長い歴史の中で洗練されてきたエディンバラと比べると、
リバプールの建物や道は薄汚れていて、歩いている人の表情もどこか険しく、
街全体に疲労感が滲んでいるような印象を受けました。
そんなリバプールにとって数少ない「目玉」が、
プレミアリーグの強豪リバプールFCと、そしてビートルズなのです。

実際、前回紹介したマシュー・ストリートを中心に観光地化が進んでいるし、
後日紹介しますが、ジョンやポールの家はナショナル・トラスト(歴史的建造物)に指定されています。
街を歩いていても、例えば下の写真のように、HMVは壁一面をビートルズで飾っていたりと、
至る所で“ビートルズ推し”が目立ちました。
P1030344


ただ、今回紹介するのは、そういった観光地化されたスポットではなく、
案内板も何もない、街の中にひっそりと隠れている「ビートルズ史跡」です。



■ジョンが生まれた病院跡
ライム・ストリート駅の南側に伸びる、オックスフォード・ストリート(マウント・プレザント)という通りを西へ進むと、
ほんの5分ほどで右側に、ジョンが生まれた病院の跡があります。
P1030472

現在はLiverpool Medical Institutionという医療研究機関の建物がある場所に、
かつて「オックスフォード・ストリート産院」という病院がありました。
1940年10月9日、ジョン・レノンはこのオックスフォード・ストリート産院で産声を上げたのです。



■リンゴがドラムを覚えた場所
続いても病院つながり。
メンバーの中で最も病院と縁が深かったのは、リンゴでした。
6歳の時、盲腸から腹膜炎を併発したリンゴは、
リバプール市内の「ロイヤル・リバプール小児病院」に入院します。
治っては悪化を繰り返し、結局リンゴは約1年間もこの病院で過ごすことになりました。
ちなみにリンゴは13歳の時、今度は結核を患い、再びこの病院に担ぎ込まれたそうです。

病院には長期入院している子どものために勉強を教えてくれる病院内学級のようなものがありました。
その中の音楽の授業で、少年リンゴはドラムと出会います。
入院という体験がなければ、リンゴはドラマーになっていなかったのかもしれません。

「ロイヤル・リバプール小児病院」は、今はもうありません。
現在はThe City of Liverpool Collegeという大学の敷地になっています。
P1030480




■ポールとジョージの母校
上の2つの病院跡を見ても分かるように、
ライム・ストリート駅の南側一帯は大学や研究機関が多く、学生街になっています。
マシュー・ストリート近辺と比べるとぐっと静かで落ち着いた雰囲気。
そして、ポールとジョージの母校「リバプール・インスティテュート」も、
この学生街の中にありました。
P1030493

1825年設立という長い歴史をもつ、
街一番のグラマー・スクール(中等教育校)だったリバプール・インスティテュート。
教育に熱心な親たちは皆、子どもをこの学校に入学させたかったといいますから、
ポールとジョージが実はそこそこ「お利口さん」だったことが分かります。
もっとも、2人は勉強よりもバンドに夢中になって途中で退学することになるのですが。
自宅も近所だったポールとジョージは、毎朝同じバスを使って学校に通っていました
年齢は1歳半の違いがありましたが、音楽という共通の趣味があったことで一気に仲良くなったのです。

リバプール・インスティテュートは1985年、街の人口減少に伴って廃校することになってしまいました。
しかし、1996年1月、ある人物の呼びかけによって、
旧リバプール・インスティテュートは音楽や演劇、ダンスなどを学べる芸術大学として生まれ変わります。

その人物こそ、他でもないポール・マッカートニーでした。
生まれ変わった「リバプール・インスティテュート・フォー・パフォーミング・アーツ(LIPA)」では、
ポール自らが教壇に立つこともあるそう。
※「ポール先生」の写真↓(ビートルズ博物館「ビートルズ・ストーリー」蔵)
P1030557


さて、LIPAの前を走るマウント・ストリートのちょっとした広場には、
不思議なオブジェがあります。
(奥に見えるのがLIPAのエントランス)
P1030498

大小たくさんのカバンの彫刻が並んでいます。
P1030501

ギターケースもあります。
よく見ると、「Paul McCartney」という銘板が。
P1030502

実はこれ、リバプール出身の著名人が使っていた(という設定の)カバンを並べることで街の歴史を表現しようと、
LIPAが企画して作ったオブジェなのです。
もちろんビートルズの4人のカバンもあります。
ちなみに、上の写真では上下に二つのギターケースが重なっていますが、
上がポールのもので、下のケースはビートルズの初代ベーシスト、スチュアート・サトクリフのもの。
スチュの話は次の項に続きます。



■ジョンとスチュが通ったアートスクール
上で紹介したポールとジョージの母校(現LIPA)の隣には、
また別の学校が建っていました。
それが、「リバプール・カレッジ・オブ・アート」。
ジョンの母校です。
P1030508

現在はここもLIPAの校舎の一つになっているようですが、
要するにジョンの学校とポール、ジョージの通っていた学校というのは、
全くの隣同士だったわけです。
※前項の写真を再掲。左側奥の建物がLIPAで手前がカレッジ・オブ・アートです
P1030498

ジョンはこの学校で、無二の親友スチュアート・サトクリフと出会います。
画家の卵だったスチュは若き日のジョンにとって大きな影響を受ける存在であり、
2人は共同生活を始めるほど仲の良いライバルになりました。
やがてポールやジョージと共にバンドを始めたジョンは、
ベーシストとしてスチュを引き入れます。
ポールやジョージは、大好きなジョンを取られてしまったと思って、
当時はスチュに嫉妬したと語っています。

1960年、スチュはビートルズとしてドイツのハンブルグに巡業に行った際に、
写真家のアストリッド・キルヒヘルと恋に落ち、そのまま婚約。
翌年、画家としての道を進むためにスチュはビートルズを辞めることになりました。
ポールがベースに転向したのはこのときです。
しかしその2年後、ハンブルグでアストリッドと暮らしていたスチュは突然脳出血を発症し、亡くなってしまうのです。
ビートルズがレコード・デビューを果たす半年前のことでした。

スチュがバンドに在籍したのはわずか1年程度のことでした。
しかし、現在でも使われている「B」と「T」が縦に長い「THE BEATLES」のロゴや、
(「B」と「T」を目立たせたデザインは「BEAT」という言葉を強調させよういう狙いだそう)
初期ビートルズのトレードマークだったマッシュルームカットは、
いずれもスチュが造った(始めた)ことと言われています。
また、恋人のアストリッドも、デビュー前のビートルズの写真を多く撮影し、
それらは『Anthology 1』のブックレットなどで見ることができます。
ビートルズがスターになっていく姿を見ることなくこの世を去ったスチュアート・サトクリフですが、
彼の残した足跡は今もなおビートルズの歴史に残っているのです。

2人が共同生活を送ったアパートは、学校からほんの1ブロック歩いた場所にありました。
写真に映る3階建ての建物が、2人のアパートがあった場所。
現在の建物が当時のアパートそのものかどうかは不明です。
P1030514




■学生時代のジョンの行きつけのパブ
アート・カレッジ時代のジョンやスチュがよく通っていたのが、
学校から通りを1本隔てた場所にあるパブ「イー・クラック」。
P1030486

ジョンはこの店のブラック・ベルベット(黒ビールと果実酒のカクテル)を好んだそうです。
最初の妻シンシア・パウエルを誘ったのもこのお店だったんだとか。
※漫画『僕はビートルズ』でもこのお店が出てきますね。

今でも営業していますが、訪れたときは営業時間外だったので中には入れず。
目の前は細い路地で、住宅街の中にポツンと建つ、素敵な佇まいのお店でした。
P1030489


そしてもう一軒。
ジョンたちのたまり場として、イー・クラックと共に知られるのが「フィルハーモニック・パブ」。
P1030474

庶民的なイー・クラックに比べると、フィルハーモニック・パブはかなりダイナミックな建物です。
こちらも現在も営業しています。
P1030475




■最初のホームグラウンド「ジャカランダ・クラブ」
ビートルズがキャヴァーン・クラブに出演するようになる前にホームグラウンドとしていたのが、
学生街の西側エリアのスレーター・ストリート沿いにある「ジャカランダ・クラブ」です。
P1030526

現在も「THE JACARANDA」という看板は出ているものの、
中は工事中で営業していない様子でした。
オリジナルのジャカランダ・クラブは既に潰れているので、
キャヴァーンと同じように誰かが復活させたのかもしれません。

ビートルズの長編ドキュメンタリー「Anthology」には、
当時のジャカランダの中の様子が映っていますが、
曲がりなりにもステージと客席があるキャヴァーンとは異なり、
狭苦しくてかなり汚い場所だったようです。

しかし、ビートルズ(当時は「シルバー・ビートルズ」)はこのクラブに出演し、
経営者のアラン・ウィリアムズに見込まれたことでハンブルグ巡業のチャンスを手に入れ、
キャヴァーンへの道を切り開くことになるのです。



■リバプール大聖堂
最後に、リバプールのランドマークである「リバプール大聖堂」を紹介。
P1030513

イギリス国教会に属する大聖堂で、タワーの高さは101メートルもあり、イギリス最大の規模を誇ります。
1991年、ポールが作曲したクラシック作品『リバプール・オラトリオ』の初演会場として選ばれたのが、
このリバプール大聖堂だったそうです。

タワーの上からは、リバプールの街を一望できます。
向こうに見えるのがマージー河。
観覧車のあるところがかつての港湾施設で、
現在は再開発によって商業施設やレストランが並ぶ「アルバート・ドック」です。
P1030521

こちらはもう少し北側を向いたところ。
P1030522

中央やや右側に見えるタワーは、中心街に立つ「ラジオ・シティ・タワー」。
写真で言うと、タワーの左下あたりにマシュー・ストリートがあります。

---------------------------------------------------

ビートルズのメンバーは、この街のことをどう思っていたのでしょうか。
彼らがスターになったことで、出身地であるリバプールも注目されましたが、
当の本人たちは、本当はこの街のことは好きじゃなかったんじゃないかと思います。
その証拠に、4人ともリバプールを出てから誰一人として、
再びこの街に住もうとはしませんでした。
リバプール・インスティテュートを再興するなど、ただ一人郷土愛を見せているポールでさえも。

本校の最後にリバプール大聖堂を紹介しましたが、
実はこの街には「大聖堂」と名の付く場所は2つあります。
一つがイギリス国教会に属するリバプール大聖堂。
そしてもう一つがカトリックのメトロポリタン大聖堂。
両者はホープ・ストリートという道1本によってつながっており、
距離は1kmと離れていません。

イギリス国内で、国教会とカトリックの大聖堂が隣接するような距離で並び、
しかも同じような規模を誇る都市は、リバプール以外にはないそうです。
圧倒的に国教会(≒プロテスタント)人口が多いイギリスで、
なぜリバプールだけは伝統的なカトリックの大聖堂が威容を誇っているのか。
それは、この街にはカトリック信者が大半を占めるアイルランド系移民が多く住んでいるからです。

しかし、リバプール社会におけるアイルランド系移民の地位というものは、決して高くはありません。
その多くは港湾労働者や臨時労働者として、下積み仕事を強いられてきました。
もちろん、裕福ではありません。
そしてそこに、冒頭述べた海運業の衰退という時勢が追い打ちをかけました。
リバプールの盛衰を最も敏感に感じてきたのが、アイルランド系の住民たちだったのです。

そして、ビートルズのメンバーのうち、ジョン、ポール、ジョージの3人は、
両親、もしくは片方の親がアイルランド出身者です。
リンゴはスコットランド系。
4人ともマイノリティに属する家系の出なのです。
彼らの音楽にかける情熱というものの背景には、
街の未来に対する閉塞感や、自分自身の将来に対する切実な不安があったのではないかという気がします。

実際に街を歩いてみると、リバプールの状況というのは、
かつてビートルズがいた時代からあまり変化していないように感じました。
あちこちで再開発が進み、見た目はきれいに生まれ変わっているものの、
冒頭述べたように、街にはどこか疲れた空気が漂っていました。
その中でビートルズが「街の目玉」として担がれている事実を、もし若き日のメンバーが知れば、
複雑な思いを抱くことになるのかもしれません。

★MAP★

より大きな地図で リバプール市内 を表示
:ライム・ストリート駅
:旧オックスフォード・ストリート産院
ピンク:旧ロイヤル・リバプール小児病院
水色:フィルハーモニック・パブ
:ジャカランダ・クラブ


より大きな地図で リバプール市内 を表示
:旧リバプール・インスティテュート(現LIPA)
水色:旧リバプール・カレッジ・オブ・アート
:ジョンとスチュの家
:イー・クラック
ピンク:リヴァプール大聖堂

---------------------------------------------------

※次回はリバプール郊外に足を伸ばし、メンバーの子ども時代をたどります。
いよいよストロベリー・フィールズとペニー・レインが出てきます。


(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『二つの大聖堂のある町』高橋哲雄(ちくま学芸文庫)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

【ビートルズ探訪記 1】リバプール:マシュー・ストリート

2014年1月。
イギリスに1週間ほど滞在する機会を得たので、
リバプールを訪ねてきました。
そう、ビートルズの故郷です。
今回から数回に分けて、その時のことをレポートします。

1回目は、リバプール市街の中心にある細い路地、マシュー・ストリート。
ビートルズがホームグラウンドとしたライヴハウス「キャヴァーン」や
メンバーが通ったパブなどが並ぶ、ビートルズ初期の歴史が詰まった場所です。

------------------------------------------------------------------------

まず初めに、そもそもリバプールという街がイギリスのどこにあるのかを確認。

より大きな地図で 英国リバプール を表示

ロンドンから北西に約300km。
アイリッシュ湾に面した港湾都市で、アイルランドとの玄関口であることから、
イギリスの中でもアイリッシュ系の住民が多い街です。

リバプールの街は、マージー川の河口の東岸沿いに広がっています。
liverpool city map

実際歩いてみた印象だと、上の地図の青線で括ったエリアがいわゆる市街地。
せいぜい2〜3km四方に収まるくらいなので、「大都市」という感じではありません。

今回紹介するマシュー・ストリートとその周辺のエリアは、
下の地図の赤い丸で囲ったあたり。
リバプール市街の中でも特に人通りの多い繁華街です。
mathew street map

ピンクのポイントは、ライム・ストリート駅
200年近くに及ぶ歴史を持つ、街で一番大きな鉄道の駅で、
ビートルズのメンバーもロンドンやハンブルグへ移動する際には利用したはずです。
僕もリバプールへは飛行機ではなくあえて鉄道を使いました。

ついにやってきた!
気分はまさに「聖地巡礼」です。
IMG_0946


------------------------------------------------------------------------



■レコードショップ「NEMS」跡
まず最初に訪れたのは、ここ。
P1030336

チャーチ・ストリート(ロード・ストリート)とホワイトチャペルの2つの大きな通りが交わる、
繁華街エリアの中心にある交差点です。
上の写真に映る白いビル。
この場所に、かつてレコードショップ「NEMS」がありました。
ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタインが、まだビートルズと出会う前に経営していたお店です。
正式名称は「North End Music Store」。

1961年、レイモンド・ジョーンズという少年がNEMSにやってきて、
「ビート・ブラザーズ(ビートルズのこと)の『マイ・ボニー』というレコードはありますか?」
と尋ねたことが、ブライアンがビートルズを知るきっかけになり、全てはそこから始まった
・・・という、ビートルズ・ヒストリーの代表的な「伝説」の舞台です。
※詳しくはこちらの記事→『ビートルズの謎』 中山康樹 (講談社現代新書)

NEMSはかなり大きなお店だったそうです。
写真のように、今はFOREVER21の大型店舗になっていて当時の面影はありませんが、
現代消費社会の最前線を行くような立地条件が逆に、
かつてのNEMSの人気の高さを物語っている気がします。



■楽器屋「Hessy's」跡
NEMS跡から少し進むと、「WONGS」という宝石店とホテルが並ぶ一角があります。
P1030333

ここにはかつて、ビートルズのメンバーが楽器を買った「Hessy's(ヘシーズ)」という店があったそうです。
リッケンバッカーもヘフナーも、みんなここで買ったんでしょうか。
なぜメンバーはこの店を選んだかというと、
リバプールの楽器屋の中で「Hessy's」だけは“ツケ”がOKだったんだそうです。
ブライアン・エプスタインがマネジャーに就任してまず初めにやった仕事は、
溜まりに溜まったHessy'sのツケを支払うことだったとか。



■「エリナー・リグビー」像
さらに進むと、ベンチに座った女の子の彫刻が。
P1030324

「エリナー・リグビー」像です。
P1030327

アルバム『リボルバー』に収録された<エリナー・リグビー>にちなんで、
歌の主人公の女の子をモデルに作られたブロンズ像です。
1982年に作られました。
像の後ろの銘板には「All The Lonely People(全ての孤独な人に捧ぐ)」という、
歌詞の一節が刻まれています。

そして、通りを挟んだ向かいにはこんなホテルがありました。
P1030329

エリナー・リグビー・ホテル」。
営業してんのかな…。



■いよいよマシュー・ストリートへ
そして、エリナー・リグビー像のある角を曲がれば、
いよいよそこが「マシュー・ストリート」です。
「The Beatles」の幕が張られています。
P1030323

思ったよりも細く、そしてゴチャッとした通りです。
ストリートというよりも「路地」というニュアンスが近い。
そして、いたるところにビートルズを見つけることができます。
IMG_0956

P1030285

P1030289

こんなお店もありました。オイスター・バー「RUBBER SOUL」。
P1030320




■ジョン・レノン像と「キャヴァーン・クラブ」
さらに進んでいくと、ジョン・レノンの彫像が立っていました。
P1030312

地元のアーティスト、アーサー・ドーリーによって作られたそうです。
よく見ると、ジョンがもたれかかっているレンガの一つひとつにバンドの名前が彫られています。
これはキャヴァーン・クラブに出演した計1801組のバンド名なんだそうです。
中にはローリング・ストーンズクイーンの名前もあるそう。

まるでジョンがマシュー・ストリートを見守っているようにも見えます。
・・・と、向こうに「Cavern」の文字が!
P1030315

ついに発見。伝説のライヴハウス、キャヴァーン・クラブです。
P1030301

おおお・・・。
「ついにここまで来たんだ」という感動が湧いてきます。
ちょっと涙出そう。
※キャヴァーンのレポートはまた改めて書きます。



■パブ「ザ・グレイプス」
キャヴァーン・クラブのはす向かいにある老舗のパブ「ザ・グレイプス」。
P1030298

ここは別名「ビートルズのパブ」と呼ばれている店で、
キャヴァーンのステージを終えたメンバーが足しげく通ったんだそうです。

せっかくなんで入ってみました。
IMG_0952

いわゆる「地元の飲み屋」で、中にいたのは近所のおじさんばかり。
ビートルズファンにとっては聖地のような場所にもかかわらず、
全く観光地化されてないのが感動的です。
でもその分店員さんの対応はものすごく素っ気ないです…。

半端じゃないリバプール訛りの店員さんとなんとか会話して注文しました。
P1030295

フィッシュアンドチップスとサラダとマッシュポテト(&得体の知れないソース)。
味は、ハッキリ言って、不味いです。
(1週間のイギリス滞在で一番不味かったのがこのグレイプスでした…)
しかし、この味をビートルズのメンバーも味わったのかと思えば、
味の良し悪しを超えた感動というものがあります。

------------------------------------------------------------------------

実際に歩いてみたマシュー・ストリートは、
予想していたよりも「暗い」通りでした。
それは、狭い道幅ギリギリにまで建物が迫り、
日が暮れると急に暗くなるという物理的な理由もあるのですが、
ストリート全体の雰囲気がそう感じさせるような気がしました。

イメージ的には、歌舞伎町あたりの裏路地といえばいいでしょうか。
一本隣は写真にもあったような都会的で人通りの多い華やかな通りなのですが、
マシュー・ストリートは、今にも飲んだくれた船乗りが出てきそうな暗く湿った空気が漂っていて、
まるでそこだけ時間が止まっているようでした。
観光地化された今でさえそうなのだから、
ビートルズがいた50年前はきっとさらに猥雑でアンダーグラウンドなエリアだったのでしょう。
そこに、“アイドル”でも“アーティスト”でもない、
一介の若者だったビートルズの生々しい息遣いを感じた思いでした。

★MAP★

より大きな地図で マシュー・ストリート を表示
パープル:NEMS跡
水色:楽器屋Hessy's跡
:エリナー・リグビー像
ピンク:ジョン・レノン像
:ザ・グレイプス

------------------------------------------------------------------------

※次回は、リバプール市街の他のエリアにあるビートルズゆかりの地について書きます。

(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『Somewhere In The Beatles』福岡耕造(ピエ・ブックス)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
記事検索
プロフィール
twitter
読書メーター
ReiKINOSHITAの最近読んだ本
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ