週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【本】●●年●月の3冊

2017年5月の3冊 〜ジャイアント馬場と永大産業サッカー部の奇跡〜

『巨人軍の巨人 馬場正平』広尾晃

 ジャイアント馬場はプロレスラーになる前、実は巨人軍のピッチャーだったことは、どのくらい知られているのでしょうか。そんな「“ジャイアント馬場”になる前の馬場」を題材にしたノンフィクション。3月にプロレス関連本を立て続けに読みましたが、そのときはアントニオ猪木&新日系と女子プロレス系の本ばかりだったので、やはり次は全日系、つまりジャイアント馬場を読まずばなるまいと思い手に取ったのですが、いい意味で期待を裏切られました。
 というのは、馬場が巨人に入団したのは長嶋茂雄、王貞治の入団前夜(王貞治の最初の打撃練習で投手を務めたのは馬場だったそうです)。つまり、プロ野球が国民的なスポーツとして爆発的な人気を誇るようになる直前の時代になります。当時の各球団の二軍(馬場は野球選手時代のほとんどを二軍で過ごします)が一軍とは別に興業を組んで全国を廻り、しかもそれなりの人気を誇っていたこと。プロレスという文脈よりも、そうした当時のプロ野球の雰囲気が面白く、戦前のプロ野球の草創期を描いた激熱ノンフィクション『洲崎球場のポール際』を読んだ身としては、その続編のような気分で読みました。





『1964年のジャイアント馬場』柳澤健

 柳澤健のプロレス関連の著書は3月にさんざん読みましたが、なんと彼はジャイアント馬場についても本を書いていました。
 プロレスラーは「アスリートである前にエンターテイナーである」という矛盾を抱えていて、その矛盾の中でもがき続けたのがアントニオ猪木であり、その前提を逆転させてあくまでアスリートであろうとしたレスラーたちの苦闘が日本の総合格闘技の歴史であり、逆にエンターテイナーとして振り切った真の「プロレスラー」であるのが長与千種であり、そしてジャイアント馬場である…というのが僕の解釈。
 んで、僕はなにせ史上最強のキング・オブ・ガチファイトを描いた『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』から格闘技周辺に興味を持ってきた人間なので、心情的には馬場よりは猪木寄り。だからこそ本書で書かれた伝説の「木村政彦VS力道山」戦における木村政彦評(ガチファイトを望んでたくせに、いざ本当にガチファイトを仕掛けられたら日頃の不摂生がたたってボロクソに負けた)を読んで「クソーッ!」という気分になりました。
 でも同時に一連の柳澤本、とりわけ本書中盤に出てくる、1950年代から60年代前半にかけての、アメリカのプロレス界におけるプロモーターやレスラーたちによる激しい興亡記を読んでいると、プロレスラーを「プロフェッショナル」と表現することに納得できるようにもなります。観客の心理を読む洞察力とそれに応える演技力、与えられたキャラクターを演じる冷静さなど、エンターテイナーに徹することは、ある意味ではアスリートであることよりもよっぽど賢明さや忍耐力が必要かもしれません。
 本書は馬場一人の評伝というよりも、馬場の目を通して見る日米プロレスの文化の違いや歴史に主眼が置かれています。これまで読んだ柳澤健の著作もそうだったように、本書もやはり「歴史書」でした。





『歓喜の歌は響くのか』斎藤一九馬

 ジャイアント馬場の余韻のなか、なかなか異なるジャンルの本には移れず、結局次に手に取ったのもスポーツノンフィクションものでした。まったくのゼロから作られた実業団サッカーチームが、創部してからわずか3年で正月の天皇杯決勝戦に進むという、ウソみたいな本当の話。ワンマン社長と熱血コーチの2人がタッグを組んで、強引なまでに上へ上へと上り詰めていく話自体も読み応えがあったのですが、同時に時代の空気のようなものに触れられるという点でも面白い本でした。
 舞台は1970年代。Jリーグが開幕したのは今から四半世紀近くも前のことですが、この本で描かれているのはそこからさらに20年近くも昔の話。Jリーグなんか影も形もない、それこそ実業団の選手レベルなのに練習方法をみんなで本で読んで考えるなんていう時代です。しかし、結局当時の強豪チームがその後のJリーグのチームの母体になったり、主役の永大産業にしても、チーム自体は潰れたものの育った選手たちが地元山口を拠点に子供たちのサッカー指導にあたって後年Jリーガーを輩出したりと、今につながるエピソードの数々には、知られざる歴史を読み解く興奮があります。一方で、社長とコーチの強引なやり方も、今の時代だったら許されないだろうなあという部分がたくさんあって、笑える半面、70年代だからこそ起きた奇跡という風にも思えてちょっと複雑。
 柳澤健のプロレス本にしてもそうでしたが、やはり僕は「それまで知らなかった歴史を知る」ということを読書に対して激しく求めているんだなあと思いました。






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2017年4月の3冊 〜海外在留日本人とストーン・ローゼズとトランプ支持者層〜

『ひとりの記憶 海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち』橋口譲二

 昭和初期、日本の植民地政策や戦争で外国(主にアジア)に赴き、さまざまな事情で日本に戻らずに現地で一生を終えようとする日本人のインタビュー集。
 途中、書かれている内容の重さに何度となく読み進めるのを断念しようかと思いました。けど、ページを繰る手は止まらない。そんな本でした。「重い」といっても、凄惨であるという意味ではありません。日々の生活の営みや将来の夢、そうした人の人生をあまりにも簡単に吹き飛ばしてしまう時代(戦争)というものの重さ。そして、その中で一人の人間が下してきた決断の重さです。
 聞いたことのないような南の島で一生を畑作りに費やした人や、外国人のもとに嫁ぎ、日本人であることを隠しながら生活し、その結果今では日本語を忘れてしまった人。人の人生はなんて重く、同時になんて儚いんだろう。僕は何度もページを繰る手を止めては、胸に迫る何かをやり過ごさなくてはなりませんでした。
 このインタビューが収録されたのは10年も前。おそらく、今ではもう何人もの人が亡くなっているでしょう。




『ザ・ストーン・ローゼズ 自ら激動なバンド人生を選んだ異才ロック・バンドの全軌跡』サイモン・スペンス

 バンド結成前から2011年の再結成までを記録した、ローゼズの最新にして唯一の評伝。上下2段組で全365ページというボリュームもさることながら、メンバー含む100人近くの関係者へのインタビューによって構成された内容は、とにかく“濃い”です。来日公演に合わせて余裕を持って読み始めたのに、1ヶ月くらいかかって読み終えたのは結局公演直前でした。
 邦題サブタイトルは「自ら激動なバンド人生を選んだ異才ロック・バンドの全軌跡」。本を開く前はマユツバだろ?大げさなコピーだな?と思ってたのですが、いざ読んでみると、本当にこのバンドは無茶苦茶でした。
 テレビ出演やアメリカツアーといった、いわゆる「チャンス」を、「えええ?」みたいな理由でことごとくドブに捨ててしまう破天荒ぶり。それでも圧倒的ともいえる支持を得ているのが不思議でもあり、じゃあ90年当時、抜群のコンディションでアメリカに上陸してたらどうなったんだろうという想像も掻き立てられます。
 伝説のあの1stアルバム完成が、本の中ではちょうど全体の半分あたり。猛烈なスピードで向こうからやってきて、あっという間に姿を消してしまう。まさに暴風のようなグループであったことがわかる本です。




『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』J.D.ヴァンス

 米ケンタッキー州の片田舎に育ち、現在は法律家として活躍する著者による自伝的ノンフィクション。といっても、著者J.D.ヴァンスが本書で描きたかったのは、自身のサクセスストーリーではなく、自分が育った故郷の町ジャクソンとそこに住む人々のことでした。ジャクソンは、住民の1/3が貧困状態にあり、離婚や薬物などの問題を抱えているといわれる白人労働者階級の貧しい街です。著者自身も父親がおらず、母親は薬物中毒で何度もリハビリ施設に入所しています。ジャクソンのような、アパラチア山脈周辺の田舎の町に暮らす白人労働者たちは、ヒルビリー(=田舎者)と呼ばれます。
 ジャクソンは、元々は巨大な自動車工場を中心に、そこで働く人々とその家族によって作られた街でした。巨大資本に依存した町は、当然ながらその資本が縮小、撤退すると、途端に苦しくなります。政府の支援によって手厚く守られている黒人系やヒスパニック系と異なり、街を出ていく金も支援もなかったヒルビリーたちは、貧しくなる街に取り残されるしかありませんでした。そうして彼らの中に、厭世的な気分や既存の政府への不信感、自分たちの仕事を奪う外国人たちへの恨みが醸成されていったのです。
 本書の中に明記はされていませんが、読み終わって真っ先に感じるのは、彼らヒルビリーこそトランプ大統領の支持者層なのだろう、ということです。あとがきにも書いてありますが、実際本書は昨年の大統領選後「トランプを支持したのは誰なんだ?」という動機で手に取られ、ベストセラーにまで上りました。ヒルビリーの貧困は社会構造的な背景をもつものですが、著者はその解決には公的な支援だけでは不十分で、ヒルビリー自身の「貧困から抜け出そう」という意思が不可欠だと述べます。ところが、現実には多くのヒルビリーが、その意思(とその基になる平和な家庭や小さな成功体験)を持つことを自ら放棄している。きっと、本書を読んだ人はみんな途方に暮れたんじゃないでしょうか。
 僕自身は、実は本書を一種の「子育て指南書」として読みました。著者が、ヒルビリーの環境に生まれながら薬物中毒にも犯罪者にもならずにすんだ大きな背景には、姉による絶対的な愛情と、祖母による「あんたはやればできる子だ」という絶え間ない励ましがありました。「子供の成長には安心して過ごせる家庭が必要」ということはよく言われることですが、本書を読むと、それを極めて実際的なレベルで痛感できます。







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2017年3月の3冊 〜UWFとアントニオ猪木とクラッシュ・ギャルズ〜

『1984年のUWF』柳澤健

 結末の決まっているプロレスとは違うリアルファイトを標榜し、アントニオ猪木の新日本プロレスから独立した格闘団体UWFのノンフィクション。増田俊也の『七帝柔道記』『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(←この数年で読んだ本の中でNO.1)そして『VTJ前夜の中井祐樹』にハマった身からすると、同じ『VTJ〜』を完結編とするもう1つのサーガを読んだ気がしました。
 10年以上前、当時バイトしてた男性ばかりの職場では、大晦日だけは控室のテレビをつけていいという決まりがあり、そこで毎年みんながチャンネルを合わせていたのが、PRIDEやK-1といった格闘技の大会でした。格闘技に大して興味がなかった僕はそこで初めて「こんなに人気があるんだなあ」と、選手の名前や技術よりも、その人気の高さに興味をもったのでした。
 エンターテインメントであるプロレスとスポーツである総合格闘技。両者はルールも目的もまるで異なるものですが、歴史を紐解けば、実は密接につながっていることがわかります。本書はいわば、僕がバイトの控室で目撃した熱狂が生まれるまでの、日本の格闘技の歩みを記録した「歴史書」です。




『1976年のアントニオ猪木』柳澤健

 前述『1984年のUWF』の前日譚にあたるノンフィクション。プロレスが総合格闘技へと進化を遂げようとする最初の一歩は、1976年にアントニオ猪木が戦った4つの試合にあった、というのが本書のあらすじ。
 なかでももっとも有名であり、決定的な役割を果たしたのが、6月に行われたモハメド・アリとの一戦です。立って構えるアリに対してリングに寝たままの猪木という異様な光景は格闘技に詳しくない僕でも知っている。そして、後に「猪木−アリ状態」という言葉まで生まれたこう着状態は、この試合が華々しい技の応酬と物語で観客に興奮と満足を与えることを目的としたプロレス(エンターテインメント)ではなく、ガチのリアルファイトだったからこそ生じたものでした。
 ところが、現在でこそ、ボクサーとレスラーが戦ったらああいう形でこう着状態に陥ることは合理的だと語られるそうですが、当時は観客もメディアも「つまらない試合」と酷評しました。「プロレスこそ最強である」とリアルでの強さを掲げた猪木が、ジャイアント馬場の全日本プロレスを超えるためにむ切った最大のカードだったアリ戦は、期待したような評価は得られず、猪木がその後プロレスから離れていく大きなきっかけになってしまいます。
 結局、あの試合の当事者は誰一人得をしなかったのですが、猪木がアリ戦で初めて日本にもたらした「異種格闘技戦」という概念と「プロレスこそ最強である」という幻想が、「プロレスから総合格闘技へ」という外国には例を見ない独自の進化を生むことになるのです。ある事件をマクロ的な視点から歴史の中に再定位するという点で、本書もやはり歴史書だと思います。




『1985年のクラッシュ・ギャルズ』柳澤健

 単にプロレスの試合を戦うだけでなく、レコードを出して大ヒットさせ、TVCMにも出演し、ミュージカルまでこなす。試合会場には連日、女子中高生を中心とした熱狂的な「親衛隊」が詰め掛け、涙を流しながらリングに向かってテープを投げる。そんな空前絶後の人気を誇った女子プロレスラー、クラッシュ・ギャルズ(長与千種・ライオネス飛鳥)を題材にしたノンフィクション。クラッシュ2人の評伝が中心ですが、本書には第3の主人公として、クラッシュ全盛期に親衛隊に入り、その熱狂が高じて女子プロレスの編集者・ライターになった伊藤雅奈子が登場し、独白形式で自身の人生とクラッシュとの関わりを語ります。彼女の存在によって、本書は単なる女子プロレスを題材にしたノンフィクションという枠に留まらず、人が何かに熱狂する「青春」とその終わりという普遍的なテーマにまで踏み込んでいます。
 長与千種というと僕にとっては、つかこうへい『リング・リング・リング』の印象なので、舞台の人という印象が強い。ただ、確かに女子プロレスラーがなぜ「つか芝居」をこんなにもモノにしてるのだろうかというのは長年不思議でした。それが、前掲『1984年〜』『1976年〜』と本書によって、プロレスラーにとって重要なのは単なる肉体の「強さ」だけでなく、身体一つで観客の心理をつかんで物語に引き込む、肉体を通じた一種の「演技力」であること、そして女子プロレスにおける最高の天才が長与千種であったことを知り、一気に氷解しました。
 本書は苦い読後感を残します。タイトルになっている1985年、すなわちクラッシュ・ギャルズの全盛期は、実は本書の半分くらいで通り過ぎます。残りの半分は「その後」のクラッシュの2人の話。何らかの成功を遂げた人物の人生を第三者が見ると、あたかも成功の瞬間がその人の人生のゴールであるかのように見えますが、実際にはその人の人生はその後も続いていきます。ましてや、クラッシュのように若い頃に成功した場合は、むしろその後の人生の方が長い。そして、手にした成功が大きいほど、相対的にその後の人生は「陰」になりがちです。当たり前ですが、成功は永遠に続きはしない。90年代、自らが主宰するプロレス団体を立ち上げ後進の育成にあたった長与千種ですが、結局自分を超えるスターを生み出すことはできず、団体は逼迫します。2000年にクラッシュ・ギャルズは復活を果たしますが、それは観客を集めるためにとった窮余の一策であり、自分の理想が崩れたことを意味していました。本書では「時代の流れ」という言葉に込めていますが、抗いようのない何かによって光が徐々に輝きを失っていく様は、無常感の一言です。




 ということでひたすら柳澤健のプロレスノンフィクションをひたすら読んだ3月でした。実はこの後、さらに柳澤氏の『1993年の女子プロレス』、そして『1985年〜』にも登場するノンフィクション作家・井田真木子の大宅賞受賞作『プロレス少女伝説』も読みました。柳澤健は元『Number』のデスクを務めていた人物でスポーツ関連の著作が多いですが、実は僕が初めて読んだのはラジオTBSの伝説の深夜番組を題材にした『1974年のサマークリスマス』でした。この本も最高に面白かったです。











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2017年2月の3冊 〜小池重明とJ-POPの「ヒット曲」と日本人の渡来ルート〜

『真剣師 小池重明』団鬼六

金銭を賭けた将棋で生計を立てる非プロ=アマの棋士「真剣師」。その中でも最強と言われた小池重明の評伝。先月読んだ『赦す人』から、団鬼六つながりで手に取ったんだけど、これはねー、めちゃくちゃ面白かったです。
2年連続アマ名人位を獲得したばかりか、当時将棋連盟の会長を務めていたプロの名人にも完勝してしまうという、無類の将棋の強さ。しかし、棋力とは裏腹に私生活は破滅的。金を盗んで女と逃げること5回(うち3回は人妻)。けれどすぐに生来の酒好きとギャンブル好きが祟って愛想を尽かされる。困り果てた小池を見かねた友人知人が援助の手(金)を差し伸べると、その時は涙を流して「今度こそ生まれ変わる!」というものの、舌の根も乾かないうちに借りた金で再び酒とギャンブルに溺れる…という、読んでて気持ちいいくらいのクズっぷり
将棋の才能がなければ本当にただのダメ人間ですが、しかし小池の破滅っぷりは将棋の才能の代償のようにも見えてきます。すさまじい光はその分深く濃い影を生むように。間違いなく後世にも語り継がれる不世出の天才ですが、本人にとってはあれほどの将棋の才能を持ったことが果たして幸せだったのかはわかりません。一種の寓話のような読後感を味わった一冊でした。




『ヒットの崩壊』柴那典

90年代と違い、今はミリオンセラーの曲といってもほとんどの人がタイトルすら知らない。売上と「流行ってること」がイコールではなくなり、その結果ヒット曲が見えなくなった。じゃあ「今流行ってる音楽」はどこにあるの?というのが本書のあらすじ。今起きている変化を整理して一つひとつ言語化してくれているので「なるほどー」という感じ。いい意味でサラッと読めます。
でも、なんとなく思ったんだけど、みんなが同じ曲を聴いて盛り上がったり、後でその曲を聴いて一緒に懐かしんだりという価値観そのものが今後は消えていくんじゃないかという気がします。個人的にもみんなバラバラの音楽を聴いてる状況の方が好き
本書では、人々の興味が細分化された現代においてもなお「共通体験」になりうるものもの(つまりヒット曲が生まれる基盤)として卒業式や結婚式というイベントを挙げているんだけど、僕は卒業式や結婚式のような極めて個人的なイベントだからこそ、「ヒット曲」なんかに蹂躙されたくないと思う。結婚式に<Butterfly>なんか流されたら、「私だけの大切なイベント」がたちまち他の人と交換可能なありふれたものになっちゃう気がしません?
とりあえず、ヒット曲でもなんでもないのに「これがヒット曲です」というツラをしたり、それが通用しないとなったら過去の(本物の)ヒット曲を引っ張り出して「音楽って素晴らしいですね」と臆面もなく語り始める音楽番組(大晦日のあの番組とかね)とか本当に滅びて欲しいですね




『日本人はどこから来たのか?』海部陽介

タイトルにもなっているこの謎は古典的といってもいいくらいお馴染みのもので、僕もこれまで何冊か同じテーマの本を読んだことがあります。が、その中では本書が最も面白かったです。理由は、とにかくロジカルなこと。国立博物館の博士を務める著者はこの本を書くにあたり「信頼に足る証拠(遺跡や化石)以外は参考にしない」という態度を徹底しています。数ある既存の学説や可能性を、証拠を基に一つひとつ排除していき、最後に残ったのが真実(だろう)という本書の進め方は、推理小説的な興奮があります。なかでも対馬ルートと沖縄ルートがぶつかる奄美大島の石器の話や、井出丸山遺跡(静岡県)から出土した3万7000年前の石器の中から、伊豆七島である神津島産の黒曜石が見つかった話なんかは「おおおう!」と唸りました。人類史や古代史って、一つの発見で簡単に定説が覆るから、歴史時代の研究よりもむしろ日進月歩な分野なんだなあ。
ただ、ひとつ言えるのは、渡来ルートについてはさまざまな説があるにせよ、日本人という民族の大半が大陸から渡ってきたことは明らかです。最近は在日外国人のことを悪く言う人が目立ちますが、日本列島に来たのが早いか遅いかというタイミングの違いがあるだけで、所詮は我々みんな「在日」なわけです。この極めて単純な事実にすら気づかずに聞くに堪えないヘイトをまき散らすああいうアホな輩には心底うんざりします。







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2017年1月の3冊 〜ブータンと脱北者支援と団鬼六〜

『未来国家ブータン』高野秀行

昨年末に『謎の独立国家ソマリランド』を読んで衝撃を受けて、高野秀行による同じ「異国冒険ルポ」というつながりで手に取ったのが本書。ブータンというと経済ではなく国民の「幸福度」で豊かさを測るGNH(国民総幸福)を提唱していることで有名でだけど、ブータンの幸福というのは仏教によって生活も人生の目的も規定され、「あれこれ迷わない安心感」という側面が強く、決して「自由」という意味ではない。また、GNHというアイデアが生まれた背景には、インドと中国という大国に挟まれて、いつ併合されるかわからないから「なんとかブータンのオリジナリティをひねり出さないと」という危機感もあった。…なんて地政学的歴史的なリアルを本書で知って、GNHにロマンを感じてた僕としてはしょっぱい気持ちになっちゃったんだけど、それでもなお、本書で描かれるブータンは魅力的な国に映ります。仏教にせよ、民族の伝統にせよ、その社会の中で合理性をもち、その合理性を住民も信じていて、社会が自己完結してる姿こそ「幸福」なんじゃないか。軽い読み口とは裏腹に「幸せって何なんだろう」という命題について考えさせられる、重い読後感が残る本でした。




『脱北、逃避行』野口孝行

Kindleで積ん読になってた本。著者は脱北者支援のNPOで活動をしている男性。本書の前半は、著者が中国まで赴いて脱北女性を保護し、中国公安の目を逃れながら日本への脱出を目指す、さながらサスペンス小説のような緊迫感のある逃避行劇が書かれる。…が、個人的には本書で面白かったのは前半よりも、中国の公安に捕まった著者が、看守所で拘束されていた1年間の生活が記録された後半。意気軒昂だった著者が、単調で自由のない生活の中で徐々に精神的にしんどくなっていく様子は、吉村昭的なドライな筆致もあって、読んでて辛くなります。でも、同房の中国人犯罪者達と花を育てたり、旧正月はみんなでTVで歌番組を見たり、不思議なユーモアもある。読みながら僕は、(本書のテーマとは外れるけど)中国の田舎ってこんななんだなーと想像しました。




『赦す人 −団鬼六伝−』大崎善生

団鬼六といえば言わずもがな、『花と蛇』に代表されるSM小説のパイオニア。本人もさぞかし背徳的で変態的な「陰」な人物なんじゃないかと思い込んでいたら、本書を読んで驚きました。確かに鬼六はギャンブルもお酒もすごいし女性関係だって派手なんだけど、でも決してジメジメと暗いわけではなく、むしろサービス精神が過剰で周囲に人が絶えない、徹頭徹尾「陽」の人でした。そして、SM小説というジャンルを確立したのも、崇高な何かがあったとかではなくて、「とにかく読者が楽しめればいい」という、これも一種のサービス精神によるものだった。鬼六の生き様を見てると「ああ、俺は人生をまだまだ楽しんでないんだな」なんて気持ちになります。
大崎善生は20歳の頃、夢中になって読んでいた作家でした。でも当時は小説家として。『聖の青春』を機に、まさか10年以上の時を経て、今度はノンフィクション作家として再び付き合うことになるとは。






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