週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

アイスランド

Of Monsters And Men 『My Head Is An Animal』

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北の国のメロディは
心の中の「哀しさ」に触れる


先週に引き続き北欧バンドの紹介。
アイスランドのバンド、Of Monsters And Menです。
2010年に結成。11年にリリース(米・欧では翌年発売)したデビュー作『My Head Is An Animal』が、
全米初登場6位、全英初登場3位にランクインするなど、
北欧バンドの中では今最も注目を集めるグループの一つです。
タイプは異なりますが、同じアイスランド出身のバンド、
シガー・ロス以来のワールドワイドなバンドになるかもしれません。

アイスランドは人口わずか30万人という小国ながら、
ポップ/ロックの歴史に名を残すユニークなアーティストを輩出してきました。
その筆頭に挙げられるのがビョークでしょう。
唯一無比の歌唱力と、尖鋭的でぶっとんだアートセンスで、
バンド時代から数えると約30年もの間、常に新しい音楽世界を開拓してきました。
前述のシガー・ロスにしても、ポストロックの先駆者的存在ですし、
アイスランド出身のアーティストはいわゆる北欧ポップとは少し毛色が異なり、
伝統的にラディカルな創作姿勢をもっていると言えます。

その点からすると、Of Monsters And Menはずっとポップなバンドです。
「いかにも北の国だなあ」と感じさせる切なく美しいメロディを、アコースティックなサウンドに乗せて、
ラグナルナンナという2人の男女ボーカルが囁くように歌います。
(ナンナはビョークの若い頃そっくり。面白い偶然です)
アコーディオンを担当するメンバーがいて、その音がすごくいいアクセントになっています。
生音の温かさとバンドサウンドのダイナミックさをバランスよく併せ持つ感じは、
マムフォード&サンズあたりに近いかもしれません。
北欧ポップ的なユニークさやエッジの立った感じを持ちつつも、
同時にすごく洗練されています。

このバンドについて、僕がすごくいいなあと思うのは、メロディです。
とにかくきれい。聴いていると息が漏れそうになるほど、切なくなってきます。
それに、男女ボーカルだから1曲のピッチの幅がものすごく広いので、
メロディがうねりがもたらす高揚感が、他のバンドとは違います。

前述のように、こういうメロディはいかにも北の国だなあと思います。
もちろん、ハワイアンとか沖縄の音楽とかでも、切なくなるメロディはあるんだけど、
寒い場所で生まれたメロディの切なさというのは、またちょっと違う気がします。
南国のメロディが心の中の「優しさ」に触れて切なくさせるのだとしたら、
北の国のメロディは、心の中の「哀しさ」に触れてくる。
そんな違いがあるように思います。

ふと思ったのですが、
北欧ポップと英国やアメリカのポップ/ロックとの一番の違いは、
「社会化」されているかどうか、という点にあるのかもしれません。
英国やアメリカのポップ/ロック(つまりはいわゆる一般的なポップ・ロック)は、
人間が社会生活を営む中で生まれた音楽です。
ポップミュージックが愛を歌う時は、人間関係の中での愛のことであり、
ロックが夢を歌うときは、社会の中で受けた何らかの抑圧がきっかけになります。
自然の美しさや神への感謝を歌っているわけじゃない。
あくまで人間の社会が生んだ音楽です。

それに対して北欧ポップは、社会ではなく「霊性」をよりどころにしています。
もちろん、歌詞のモチーフは人間関係や社会全般だったりするけれども、
メロディや声や楽器の音色も含めてトータルで見たとき、
そこには自然であったり、あるいは神話であったり、
そういった「人以外の何か」の存在が感じられます。

社会化された音楽は、自然の風景を見ながら聴いても合いません。
山や川を眺めながらストーンズやラモーンズを100年聴いてても、多分永遠にピンとこないでしょう。
しかし、霊性を残した音楽、
例えばクラシックを聴きながら、あるいはケルト音楽や南米のフォルクローレを聴きながら、
見渡す限りの草原や、沈む夕日や、雪をまとった木々といった風景を見ると、
両者は見事にマッチします。
風景は音楽をより深く心に沈ませる手助けをし、音楽は風景に意味を与えます。
北欧ポップは、「ポップミュージック」であるにもかかわらず、
後者に近いと思うのです。











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『Gling-Glo』

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ビョークの歌うジャズ
彼女の声を堪能できる1枚


ビョークが歌うジャズアルバム」と説明するのが一番手っ取り早い。リリースは1990年。
 
正確にはビョーク名義ではない。
ジャケットには小さく「Bjork Guomundsdottir & trio Guomundar Ingolfssonar」と載っているが、
この名義で他にも活動をしているわけではないので、
この『Gling-Glo』というアルバムを作るために集まったメンバーをそう仮称した、
というだけだろう(ほとんどのレコードショップではビョークのコーナーに置いてある)。
ちなみに、定かではないのだけれど、たしかドラムのGuomundar Steingrimssonはビョークの父だったはず。

ビョークがジャズを歌うとどうなるか。
これが不思議と、いやピタリとハマっている。
90年と言えばちょうどシュガーキューブスで活動期と重なっており、
バンドのボーカルという点では脂がのっている時期ではあるのだが、それにしても、まるで最初からジャズ・ボーカリストであったかのようなハマり具合だ。彼女の音楽への素養の広さと深さが窺い知れる。

サウンドは全体的にソフト。
ドラム、ベース、ピアノというシンプルな音に乗せて、全16曲、柔らかいメロディをビョークは歌う。
ただし、しっとりした雰囲気というわけではない。
メロディは丸みを帯びているものの、音符はまるで粒のように飛び跳ねていたり、
わざと上下左右を行き来したりと、非常に元気がいい。
ソフトで柔らかくも、聴いているこちら側を励ましてくれるような逞しさがある。

クークルでは憑かれたシャーマンのような危うさ、
シュガーキューブスではやんちゃな女の子のような可愛らしさと、
さまざまな表情を見せるビョーク。
変幻自在な彼女がこのアルバムで見せるのは、温かく優しい、母性的な一面だ。
特に1曲目に収録されたタイトル曲<Gling-Glo>はまるで子守唄のよう。

収録されている16曲のうち、14曲は彼女の母国語であるアイスランド語で歌われている。
アイスランド語が理解できる人(多分あまりいないでしょう)でなければ、
このアルバムは雰囲気だけを楽しむ他ない。
 
だが、その分ビョークの声だけを心ゆくまで堪能できる1枚でもある。
ところどころ引っ掻いたようにかすれた彼女独特の声色は、歌詞の意味がわからなくても、
充分に“聴く”ことができる。

ビョークというアーティストはクセも強いしアクも強いし、
しかもソロ時代に入ってからの楽曲はかなり“アート”な道に進んでいるので、
なんとなく敷居が高そうなイメージがあるかもしれないけど、
そう感じている人にこそ、この『Gling-Glo』はおすすめ。









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the sugarcubes 『life’s too good』

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ビョークという「楽器」を取り込んだ
洗練されたロックバンド


かつてビョークが10代の頃に組んでいたバンドkukl
2枚のアルバムを出して活動を休止した後、
同じメンバーが母体となって結成されたのがthe sugarcubesだ。
1988年にリリースされた『life’s too good』は彼らのファーストアルバムである。
 
聴いてすぐに驚く。
あのkuklとはまったく違って、ものすごくポップなのだ。
『life’s too good』というアルバムタイトルもなんだかとても前向きだし、
そもそもバンド名からしてポップでかわいらしい。
これが本当にあのkuklと同じ人たちなのか?とにわかには信じがたい。

全体としては、まずギターサウンドが前面に出されたことで、ロックさが増したことが目立つ。
独特の無国籍なグルーヴは健在だ。
相変わらずさまざまな楽器、民族的なフレーズも使われている。
だが、kuklではそれらを破壊的なまでに多用していたのに対し、
sugarcubesではあくまで楽曲を構成するツールのひとつとして、実に垢抜けた使い方をしている。
sugarcubesは、kuklの持っていた呪術性を神秘性へと昇華させた、
洗練されたオルタナティブロックバンドなのだ。


このアルバムは全17曲入り。
そのなかで1曲を選ぶなら、僕は3曲目に収録された、
このバンドのデビューシングルでもある<Birthday>を挙げたい。すばらしい曲だ。

バラードのようにも聴こえるし、ライブでは必ず盛り上がるロックチューンにも聴こえる。
重低音をきかせたドラムのシャッフルに、不思議な音色をした管楽器が乗って、何ともいえない浮遊感がある。
そして、ビョークのボーカルだ。
ささやくように優しく、泣き叫ぶように切なく、魂を揺さぶる。
もし僕に耳がなかったとしても、彼女の歌は聴くことができる気がする。

なんて魅力的で不可思議なアーティストなのだろう。
ビョークは単なるボーカルという概念を超越している。
彼女の歌声は、巧拙という次元を超越した、地上でただ一つしか存在しない楽器のようだ。


アルバムには他に、モッズっぽい<motorcrash>やハードロックな<coldsweat>
ニューエイジっぽい<I want…>など、ロックという大枠のなかでも奥行きがある。
ボーダレスなところは、『Debut』以降のビョークにも見られるが、その質は少し違う。
sugarcubesはやはり「バンド」なのだ。

2006年11月、sugarcubesは一晩だけ再結成をした。
この<Birthday>リリース20周年を記念して、まさにBirthdayを祝福すべく、
ビョークはじめ当時のメンバーが、故郷であるアイスランドのライブハウスに集った。

You Tubeにアップされているその時の映像を見ると、
sugarcubesがビョーク+他のミュージシャンなどではなく、一つのバンドであることが感じられる。

現在の彼女が持つボーダレスさ、縦横無尽さはソロという身軽さが可能にしていることだ。
だがバンドとなればフットワークは鈍る。
彼女の歌声をバンド全体で解釈し、一つの楽器として取り込んでいかなければならないからだ。
しかしその試行錯誤が、ソロでは味わえないビョークの魅力を引き出していることは確かだ。

もし、現在のビョークしか聴いたことがないのなら、このsugarcubesをぜひ一度試していただきたい。








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kukl『The Eye』

The Eye





一度聴いたら呪われる
恐怖のサウンド


kuklと書いてクークルと読む。
『The Eye』はkuklのファーストアルバム。リリースは1984年。

このバンド、ご存知だろうか。
あのビョークが10代の頃に組んでいたバンドだ。
kuklは同年に2枚目のアルバム『Holiday In Europe』を出して活動を休止する。
ビョークはその後、kuklを母体としてthe sugarcubesというバンドを結成。
数年間活動した後、93年にソロ名義で『DEBUT』をリリースする。
※厳密に言えばこのアルバムはソロデビュー作ではない。
 彼女はわずか11歳のときに、すでにソロ名義で『bjork』というアルバムをリリースしている。
その後の活動は周知の通りだ。

ビョークは実にさまざまなジャンルの曲を歌う。
だが、どんなタイプの曲を歌おうが、印象が雑多になったり、存在感が薄まることはない。
逆に、どんなジャンルの音楽も彼女の歌声にかかれば「ビョーク」になってしまうのが、
彼女のすさまじいところだ。

sugarcubes、そしてkuklはそんなビョークのルーツであり、彼女のファンならずとも必聴
・・・と言いたいところだが、このkuklに関しては人に勧めるのを躊躇ってしまう。


この『The Eye』を聴いた時の衝撃をどんな言葉で形容できるのか。

「革新的」「アバンギャルド」などといった評価があることはすでに知ってはいた。
が、そんな“生易しい”言葉で足りるだろうか。
僕のなかにあった「革新的」という水準、「アバンギャルド」という概念をはるかに超えて衝撃的だった。

とにかくまず、何と言うか、呪術的なのだ。
曲という曲に、太鼓や笛といった民族楽器が多用されている。
子供の頃、アフリカやアマゾン奥地の民族、
あるいは日本の地方土着の祭礼を見て、恐れを感じたことはないだろうか。
kuklの霊的な民族楽器の音色は、あの類の本能的な恐怖心を掻き立てる。
さらにそこへドラムやベース、ギター(当然ながら奇妙な音に加工されている)が加わることで、
リズムは混迷し、フレーズは溶け、およそ譜面化できそうもない音楽となる。
一体どうやってこんな曲を作るのだろうか。

さらにこのkukl、メインボーカルはビョークなのだけれど、
もう1人、スキャットともラップとも呼べない、狂言回しのようにリリックを喋る男性ボーカル、アイナーがいる。
ビョークとアイナーの掛け合いが随所に出てくるのだが、とにかくまあ2人が絶叫する。
シャウトではなく、「絶叫」だ。
kuklを聴いた後だと「アナーキー・イン・ザ・UK」なんてちっともアナーキーに聴こえない。
これぞまさにアナーキー。まさにカオス。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』を思い出す。

アルバム全体に漂う呪術性と民族性。
それでいて特定の文化や民族、地域をイメージできない無国籍性。
こんな、独特すぎるほど独特な音楽が、25年以上も前にあったなんてことを、どう解釈すればよいのだろう。

ただ、このkuklという音楽性が、そしてビョークというアーティストが、
アメリカでもイギリスでもなく、アイスランドで生まれたのは納得できるかもしれない。
彼らの音楽には、マジョリティのカルチャーの中からは決して生まれ出ることのない、
マイノリティゆえのアイデンティティの強さが感じられる。

興味ある方は(覚悟のうえで)一聴を。








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