週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

佐野元春

映画 『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』

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ライヴではなく
「体験」を映したロック映画


今から26年前に行われた日本初のオールナイト・ロックコンサート「BEATCHILD」。
その模様を記録した映画『ベイビー大丈夫かっ』を見てきました。

1987年の8月22日。
FUJI ROCKが始まる10年も前の、
まだ「ロックフェス」という言葉も一般的ではなかったであろう時代に、
阿蘇山麓の野外劇場「アスペクタ」には、7万2千人もの観客が詰めかけました。
出演者はブルーハーツ、岡村靖幸、ストリート・スライダーズ、BOOWY、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春ら、
今から見れば信じられないような豪華なミュージシャンばかり。
予定通りにいけば、このコンサートは「日本のウッドストック」として、間違いなく伝説になるはずでした。

いえ、確かに「伝説」にはなったのです。
しかしそれは、豪華出演者が一堂に会した史上最高のコンサートとしてではなく、
「史上最も過酷な環境で行われたコンサート」として記憶されることになったのです。

理由は、雨です。
開場後ほどなくして降り出した雨は、瞬く間に豪雨に、
それもちょっとやそっとのレベルをはるかに超えた記録的な豪雨に変わりました。
この雨は、時折勢いを弱めるものの、結局明け方まで降り続けました。

野外コンサートですから、観客はもちろん雨に打たれ続けるしかありません。
雨はそのまま山の斜面を下り泥の川となって、
スタッフや出演者がいる建物にまで流れ込みます。
滝に打たれる修行僧のように、大粒の雨の中を無言で立ち続ける観客。
くるぶしまで泥に浸かりながら弁当を食べ、仮眠を取るスタッフ。
それどころか、今では考えられないことですが、ステージにも屋根がなかったため、
出演者も雨に打たれ、ずぶぬれになりながらパフォーマンスをするのです。
最も雨が強い時間帯にステージに上がった白井貴子は、
途中、雨に濡れてギターとベースの音が出なくなり、
ドラムとキーボードの音だけで1曲を歌い切ります。
観客もスタッフも出演者も、全てが「壮絶」の一言です。

「音楽が『音を楽しむ』という意味だとするならば、この日の観客は音楽から最も遠い場所にいた」

このナレーションが印象的でした。
「安全」ということに敏感な今の時代であれば、間違いなく中止になっていたでしょう。
(そのくらいの雨だし、おまけに雷まで鳴っているのですから)
しかし、当時は今よりものんびりしていたというべきか、
あるいは主催者側に中止にするノウハウがなかったのか、
結局コンサートは最後までやり遂げられるのです。
それは、ロックコンサートがビジネスになりきっていない、
まだ「アマチュア」だった時代といえるかもしれません。

しかし、逆にいえば、「心意気」だけでなんとかなった時代と捉えることもできます。
主催者の春名源基氏がステージに出て何度も「最後までやり続けます!」と叫ぶ場面がありますが、
観客もスタッフも、あの場にいた人を支えていたのは、
身の安全という理性を凌駕する興奮であり、やけくその意志だったのではないでしょうか。
そしてそれは、ロックの最も根本的な精神ととても近いとも思います。
ほとんど拷問のような環境の中、約12時間もロックを聴き続ける。
それはもはや単なる「コンサート」ではなく、
その人の人生に何がしかの痕跡を残す、一つの「体験」になったんじゃないかと思います。

あの場にいた人は今頃、50歳とかそのくらいの年齢になっているはずです。
今でもロックを聴いてるのかなあとか、
佐野元春やヒロトの歌を聴くと、あの日のことを思い出すのかなあとか、
映画を見ながら僕は、出演者のパフォーマンスに興奮するよりも、
あの場にいた観客のその後の人生に、想像をめぐらせていました。

ほとんど予備知識なく映画館に行ったということもあるのですが、
「単なるライヴ映画」という期待を、見事に裏切ってくれた衝撃的映画でした。


※映画の公開期間は終わりましたが、大晦日に1日だけ、
全国のイオンシネマで特別上映があるそうです。
↓↓↓
1年の締めくくりは伝説のフェス「BEATCHILD」特別上映で(ナタリー)


予告編





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映画 『Film No Damage』

p_motoharusano

まばゆい熱の放射と
雨の日の静けさと


佐野元春の1982〜83年の全国ツアーを記録した映画、
『Film No Damage』がデジタルリマスター化され、期間限定で映画館で公開されています。
初日に見に行ってきました。

佐野元春というと、ひょっとしたら今の10代くらいの子たちには、
・NHK『SONGWRITERS』の司会者の人
・ドラマ『spec』の当麻(戸田恵梨香)のお父さん
・『ガキの使い』の名物企画「500のこと」に登場した天然のおじさん
なんて風にしか思われてないかもしれませんが、
1980年代の佐野元春は、まさにロックスター。
なんてったって、雑誌『Rockin’On Japan』の創刊号(1986年10月)の表紙を飾ったのが、
誰あろう佐野元春でした。

とはいえ、僕自身もリアルタイム世代ではありません。
小学生の時に<約束の橋>で認識したのが初めて。
でも、その後いろんな日本のバンドやアーティストを聴くにつれ、
彼らの多くが「影響を受けたアーティスト」「自分のルーツ」として佐野元春の名前を挙げていたり、
また、彼の音楽が若い頃の自分にいかに影響を与えたかを熱く語る、
40代以上のファンのブログなども何度か目にしたことで、
「いつかは聴かなければいけない人」と思っていました。
今回映画館に足を運んだのは、その熱狂の一端を知りたいと思ったからでした。

『Film No Damage』は90分足らずの短いドキュメンタリーです。
メインはライヴシーンですが、本編はそれだけで構成されているわけではありません。
舞台裏の映像や、彼の新譜のビデオクリップ(CM?)の撮影風景、
佐野本人がジョン・レノンに扮し、有名な「ベッドイン」パフォーマンスを真似ているシーン。
ライヴシーンにおいても、ステージでの演奏を流しながら映像は別の風景を映しているという、
ビデオクリップのような絵画的なシーンも挿入されます。

このように、さまざまなシークエンスがガチャガチャとつなぎ合わされているのですが、
不思議とうるさくなく、むしろ詩的な静けさに包まれています。
ステージは眩しいくらいにエネルギッシュなのに、全体を通して見ると静か。
この、両者の共存というか、ある意味でのアンバランスさは、
僕が思う「佐野元春の音楽」というイメージにピタリとハマります。

その話をする前に、ライヴ本編に触れておくと、ただただ「圧巻」の一言でした。
フェンダーのジャズマスターを手に、細身のスーツを汗に染めながら、
所狭しとステージの上をリズムに合わせて激しく動き回る、27歳の佐野元春。
曲と曲とを細切れにせず、その間を長いインプロでつなぐ高度に練られた構成。
随所でキメてくる、演奏・照明と呼吸を一つにしたアクション(キメポーズ)。
「70年代の日本のロックに対する返歌として、僕は何よりも『パッション』を重視した」と語る佐野元春自身の言葉通り、
そのパフォーマンスは演劇的な刺激と、圧倒的な緊張感に満ちています。
こりゃ確かに人気があるわけだわ!と即座に納得。

また、彼のキャリアを10年以上にわたって支えたバックバンド、
ザ・ハートランドの演奏が素晴らしいです。
佐野元春の特徴である、ピアノやホーンが主体になった都会的で洗練されたサウンドは、
ハートランドのメンバーが彼の元に集まったから成立したものなのでしょう。
佐野本人も、バンドのメンバーも、そしてさらにステージを支える裏方のスタッフたちも、
見たところ皆20代からせいぜい30代中盤くらいと、とても若いチームであることが印象的でした。
観客も含め、ステージ全体が若い人たちだけで作られているということが、
佐野元春が単なるスターという以上に、
当時の時代の空気と呼応した存在だったことの証明であるように思いました。

さて、佐野元春の音楽について「都会的」と書きました。
それは決してサウンドのイメージのことだけでなく、
例えば<SOMEDAY>のイントロのように、車のクラクションや人の足音という具体的な音が入るケースや、
<ガラスのジェネレーション>の「Hello, City Lights」のように、
歌詞の中に都市の光景を映すフレーズが含まれている場合もあり、
彼の(特に初期の)歌には、都市生活者の気配がいつも強く感じられます。

しかし、実際に曲を聴いて感じるのは、都会の喧騒やエネルギーではなく、
そこに暮らす人の愛や葛藤や希望といった内的な世界です。
街のスタイリッシュさや騒がしさが表層にあるからこそ、
その対比で、都市生活者の内面にフォーカスが当たり、
曲全体が雨の日のような静けさをまとうことになります。
このギャップみたいなものが、そのまま映画『Film No Damage』の空気にも当てはまるのです。

この映画で、佐野元春はステージ以外では一言も言葉を発しません。
だからでしょうか。
ステージでは華やかにスポットライトを浴び、激しいパフォーマンスを見せるのに、
そしてまた、さまざまなシーンが組み合わさることで映画自体が一つの「喧騒」に見えるのに、
全体を通して見ると、主人公である佐野元春は寡黙に、孤独に見えてくるのです。
まるで、彼自身が曲の主人公であるかのように。

佐野元春は80年代前半期の自身の音楽について、
「70年代は個人的感情を吐露する私小説的な歌詞が多かった。
 でも僕は、街で起きている彼や彼女の『ストーリー』を歌いたかった」と語っています。
自分自身の感情は一度脇に置いて、どこかにいるはずの誰かの物語を語る、という発想はとても面白いですね。
その言葉を踏まえてみると、
この映画に映る「佐野元春」という人物も、実は曲で歌われている「彼」や「彼女」の一人という、
ある種のフィクショナルな存在であるとも言えます。
そういう、ちょっとイタズラ的で、つかみどころのない存在感は、
実は佐野元春以前も以降も、彼1人にしかなし得ていないものかもしれません。
やっぱり、ものすごく洗練されています。

映画は9/20まで公開されています。
おすすめです。

作品情報

<予告編>





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