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『海も暮れきる』
吉村昭

(講談社文庫)

 明治から大正にかけて生きた俳人、尾崎放哉。教科書にも名前が載っている有名な人物です。ただし、俳人と言っても、放哉の句はいわゆる「俳句」とは少し異なります。

「咳をしても一人」
「足のうら洗えば白くなる」

 どの句もこんな具合で、五・七・五という基本フォーマットすらありません。季語もありません。「自由律」というのですが、放哉はこの自由律俳句の第一人者として有名な人物です。その放哉の晩年を描いた小説が、吉村昭の『海も暮れきる』。

 尾崎放哉、本名尾崎秀雄は、実はものすごいエリートサラリーマンでした。東大を卒業した後、東洋生命という保険会社に就職し、東京本社の契約課長にまで出世します。在職中から俳句雑誌などに寄稿するなど、俳人としての活動も盛んに行っていました。

 なかなか華々しい経歴ですが、実は放哉には大きな性格的欠点がありました。彼は極度の酒乱だったのです。酒を飲むと誰彼かまわず暴言を吐き、トラブルが絶えませんでした。結局、酒が原因で会社を退職することになります。

 彼はその後、流浪の旅に出ます。あちこちの寺に住み込みながら、俳句を詠んで暮らします。しかし、その間に病を患い、死に場所を求めて小豆島の小さな庵に流れ着きます。『海も暮れきる』は、放哉が小豆島にやってきてから死ぬまでの約1年間を描いています。

 病気が徐々に悪化し、体が弱り、やがて死んでしまう。このような物語が明るいはずがありません。とにかくこの小説は読んでいて苦しいです。日を追うごとに衰えていく放哉の様子もさることながら、それ以上に彼の内面の葛藤が読んでいて辛くなります。

 酒乱の放哉は、島に来ても相変わらずその悪い癖が抜けません。自分自身も酒癖の悪さをわかっているくせに、ついつい酒を口に入れてしまい、島の人々に罵詈雑言を吐きまくる。一晩明けて、「やってしまった」と後悔し、もう飲まないと誓うも、結局その禁を自ら破ってしまう。その繰り返しです。

 放哉はお酒が好きでした。特に病気になってからは、自分の体のことを束の間忘れさせてくれるものとして、単なる嗜好品という以上に酒に救いを求めるようになります。しかし、自分は酒癖が悪い。そのことも痛感している放哉は、「飲んでも不幸、飲まなくても不幸」というような心理に追い込まれていきます。徐々に卑屈になっていく放哉の葛藤が、読んでいて辛い。

 ちなみに、放哉はお金を持っていませんでした。そのため、生活費のほとんどを俳句仲間や近所の寺の住職などから恵んでもらっていました。しかし、そのお金さえもお酒に消えてしまい、結局またお金を無心する始末。

 この破滅的なところはなんとなく太宰っぽいですが、しかし太宰のそのデカダンスな佇まいは、それ自体が一つの「美学」として完結しているのに対し、放哉のそれはただただしょーもない、「ダメ人間」の醜態でしかありません。しかし、ここが不思議なところなのですが、物語が進むにつれて、そんな放哉にどんどん惹かれていくのです。

 他人の情けにすがらなければ生きていけない卑屈さを酒で紛らわしたり、別れた妻への未練が断ち切れず手紙を出すかどうかで激しく逡巡したり、死を目前にしながらもなお「生」に執着する放哉の姿は、あまりにカッコ悪く、けれどそのカッコ悪さにこそ「人間」というものを見出すような気がします。

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