週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

山口冨士夫

『村八分』 山口冨士夫 (K&Bパブリッシャーズ)

yamaguchi

ドラッグよりも酒よりも
ギターを掴みとれ


ギタリストの山口冨士夫が亡くなりました。

日本最古のロックバンドの一つ、村八分のギタリストであり、
村八分以前にはザ・ダイナマイツというバンドで
グループサウンズブームの一角を担い(本人は負の歴史だと語っていますが)、
村八分解散後はTEARDROPSや裸のラリーズで精力的に活動するなど、
まさに日本のロックの歴史そのもののようなアーティストでした。

山口冨士夫のギターについて語るとすれば、
ただただ「かっこいい」の一言に尽きます。
ギザギザの刃で力任せに身体を叩き割られるような、
ハードで粒立ったカッティング。
深い音楽的素養と豊かな引き出しを感じさせる、
官能的でインパクトのあるメロディライン。
僕は、キース・リチャーズよりもアンガス・ヤングよりも、
山口冨士夫こそが「キング・オブ・ギターリフ」だと思います。

そんな山口冨士夫が、村八分時代について語った自伝的回顧録が、
その名も『村八分』という書籍です。

これは本当に貴重な本です。
それはなにも、多数掲載されている豊富な写真や、
中島らもが村八分に触発されて書き下ろした短編小説『ねたのよい』や、
8曲入りの未発表ライヴCD付という、豪華な付録だけが理由ではありません。

残された映像や音源が少なく、「伝説」と称される村八分。
その村八分について、柴田和志(チャー坊)との出会いからバンド解散に至るまでの全てを、
他ならぬ山口冨士夫自身が膨大なページを割いて語っているという、希少な記録という点。
そして、グループサウンズの舞台裏であったり、ドラッグであったり、
京都というカウンターカルチャーの震源地について触れていることで、
期せずして60年代末から70年代前半という文化の混沌期に関する、
一種の「史料」になっている点。
この両面で本書は、村八分という枠を超えて価値のある本だと思います。

ただ、実を言えば読んでいる最中はそんなことよりも、
山口冨士夫の「語り口調」にただただ惹き込まれました。

本書はおそらく、プロのライターがインタビューを書き起こして作ったんだと思うのですが、
あえて読みやすい文章にはまとめずに、
山口冨士夫の口調を(おそらく)ほぼそのまま掲載しています。
おかげで、しょっちゅう話は脱線するし、訳の分からない登場人物が次から次へと出てくるし、
読みにくいことこの上ないのですが、
しかし、だからこそ山口冨士夫の生々しい体温が伝わってきます。
これほどまでに迫力のある独白というものを、僕はこれまで読んだことがありません。
夏の京都に照りつける日差しや草いきれ、むせ返るような畳の匂い。
山口冨士夫の訥々とした語りの中に、極めて村八分的な、
湿度の高く粘っこい空気がゆらゆらと立ち上ります。

ドラッグや、それによる逮捕歴といった、センセーショナルというか、
極めてロック的なエピソードについても、山口冨士夫は臆することなく語っています。
本書の帯はそのことについて「全ての真実を赤裸々に語る」と書いていますが、
僕はむしろ、山口冨士夫はそういうことについて恥ずかしそうに語っている印象を受けました。

「大事なことはそんな些細なことじゃない」
「本当に大事なことは、全ての向こう側にあるんだ」
「それを見るためには、クスリも酒も要らない」

そんな意味の言葉を、山口冨士夫は(これまた訥々と)語っています。
なんか、「もっとハッキリと『コレだ!』と言ってくれよ!」とヤキモキします。
でも、同時に「やっぱりこの人でさえもそれを言葉にはできないんだなあ」とも思います。

そんな「言葉で表せない場所(境地)」へ至るための手段として、
ドラッグでも酒でもなく、なんのかんの言いながら結局最後まで彼は「ロック」を選んだ。
不器用な求道者の七転八倒の試行錯誤が、この本には記されています。


ザ・ダイナマイツ<トンネル天国>
この曲で山口冨士夫が鳴らすギターには、
GSという枠に収まりきらない「ロック」としての響きが感じられます







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村八分 『ライブ+1』

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こんなかっこいいバンドが
40年前の日本にもいたんだ


ステージにメンバーが登場し、観客はそれを拍手で出迎える。
ライブ前のざわざわとした喧騒。
と、そこへいきなり客席から怒号が飛び、女性の悲鳴が響く。
それに対し、メンバーの誰かがマイクで「うるせえ!!」と怒鳴る。
続いてボーカルが「文句があるんだったらここ来たら?」と挑発する。
白けた雰囲気が広がる客席。
そんな中で、つんざくようなギターのリフがイントロを刻み始める――。

なんとも剣呑な雰囲気で始まるこのライブアルバムが、
村八分の『ライブ+1』です。

1960年代の終わりから70年代前半にかけて活動した、
日本のロックバンドの中でおそらく最古の部類に入るであろう伝説のバンド、村八分。
その短い活動期間で残した公式盤は、
1973年に京都大学で行われたライブを収録した、『ライブ』というライブ盤1枚のみ。
2001年、この『ライブ』がリマスターされ、
さらに未発表音源を1曲加えた『ライブ+1』として再リリースされました。

村八分」。もうバンド名からしてたまりません。
アンダーグラウンド感がたっぷりの、
これ以上ないというくらい「ロック!」なバンド名です。

前述のように、村八分はほとんどスタジオ音源を残しませんでした。
彼らはひたすらライブで演奏することを重視していたのです。
音はパッケージするものではなく、体験するものだと考えていたのでしょうか。
そうした刹那的で熱情的なメンタリティを持っていたからこそ、
バンドが短命で終わるのは、ある意味必然だったのかもしれません。
しかし、だからこそ彼らの残した音楽には、
「ながら聴き」など許さない、圧倒的な迫力があります。

バンドの中心は、柴田和志(ボーカル)と山口冨士夫(ギター)。
この2人が大ファンだったというストーンズの影響を強く受けつつも、
村八分はさらに荒々しく乱雑で、
数年後のパンクロックの登場を予言しているかのようです。
特に柴田和志(通称チャー坊)の、まるで呪詛のようなシャウトは強烈です。
ジョン・ライドンはチャー坊の歌い方を真似してるのではないかと勘ぐりたくなります。
しかもチャー坊は、その「歌」というよりも「叫び」に近い声で、
「かたわ」「めくら」「びっこ」といった言葉を矢継ぎ早に畳みかけます。

山口冨士夫の、力でねじ伏せるようなソリッドなギターリフと、
それにねっとりと絡みつく、切羽詰ったチャー坊の「叫び」。
まるで、巨大な蛇が地面を激しくのたうち回っているかのような怨嗟的サウンドは、
聴く者の心を強烈な緊迫感の渦に叩き込みます。
さまざまなアーティストが村八分をカバーしましたが、
そのどれもがオリジナルに決定的に及ばないのは、
この「何かに取り憑かれたような切迫感」が、
彼ら以外には作り出せないからでしょう。
いえ、仮にオリジナルメンバーが再結成をしたとしても、
この『ライブ+1』の空気は再現不能かもしれません。
「今、この瞬間」を切り取っているという意味では、
これ以上の「ライブアルバム」はなかなか見つからないと思います。

こんなかっこいいバンドが、
40年も前の日本にいたなんて。
そんな、なんとも誇らしい気分にしてくれる1枚です。

<夢うつつ>







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