週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

しばらく不定期更新になります。

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できるだけ高い場所にのぼって
そこからジャンプする


 タイトルのとおりなのですが、本ブログはしばらくのあいだ、更新が不定期になります。

 理由は、劇団です。2015年以来お休みをしていたtheatre project BRIDGEですが、次の公演に向けて準備を始めることにしました。まだ長い長い道のりの入口に立ったばかりで、もしかしたら途中で「やーめた!」となる可能性も十分あるのですが、とりあえずしばらくは劇団のほうに集中したいと思います。

 これまでにも何度か劇団の活動が理由でブログの更新が滞ったことがありました。たかがブログなのですが、台本を書いたり、稽古を始めたりすると、どうしても気持ちが「ブログを更新しよう」という方向に向かなくなってしまうのです。今回もおそらく同じ結果になるので、あらかじめお知らせしておくことにしました。

 これからですが、僕がまずやらなきゃいけないのは、台本を作ることです。僕の場合、1本の芝居(2時間程度)の台本を書くのに、準備も含めてだいたい半年近くかかります。次の作品は、いつもとは少し違う作り方をする予定なので、もっと時間がかかるかもしれません。

 台本が無事に書き終ったら次は稽古です。なにせ5年ぶりの公演なので、ブランクを考慮して今回は最低でも半年間は稽古をすると思います。その他もろもろの準備なんかを考慮すると、完成までに少なくとも1年はかかる見込み。1年後どころか1か月先の生活さえ読めないサラリーマン&子育て真っ盛り集団が、本当に劇場までたどりつけるのか、ぶっちゃけ自信は半分もありません

 ただ、それはそれとして、物語に取り掛かろうとする瞬間というのは、何度経験してもわくわくします。

 作家の高橋源一郎が「小説は1文字目を書き始めようと机の前に向かった瞬間が一番楽しい」というようなことを、以前Twitterで呟いていたことがありました。宇宙を旅することも、太古の時代にタイムスリップすることもできるし、底抜けのお人好しだろうが極悪人だろうが、どんな人にだって会いに行ける。白紙の原稿用紙を前にした究極の自由さに興奮する気持ちは、僕にもわかります。

 一方で僕は、1文字でも書いてしまえば、その瞬間に物語を作るという行為は、不自由との戦いになるようにも感じています。最初に「晴れた日」と書いたとすれば、それは雨や曇りの天気から物語を始める可能性を捨てるという風に言い換えられます。一度ビッグバンが起きてしまえば、世界は物理法則にしたがって粛然と形を固めていくしかないように、物語も最初の1行、最初の1文字によって運命は決まってしまうのです。

 書けば書くほど目減りしていく「自由」というものを、いかに最後まで多くとっておけるかが、面白い物語を作ることの肝なんじゃないかとさえ思います。一度飛び立ってしまえば風や重力に従って飛ぶしかないハングライダーが、できるだけ遠くまで飛ぼうと思ったら、少しでも高いところまで移動して、そこからジャンプするしかありません。だとしたら僕も、「自由」がある今のうちにたくさん夢を膨らませておいて、その力でめいっぱい高い場所からジャンプしてみようと思います。

 ということで、(ものすごく)うまくいけば、2020年の暮れあたりに劇場でお会いできるかもしれません




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【東海道ラン】10日目:島田〜掛川

 東京の日本橋から京都の三条大橋まで、旧東海道550kmをガチで走る「東海道ラン」。

 前日は静岡の島田宿まで走りそのまま一泊。迎えた本日10日目は、掛川宿まで走ります。
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
#4日目:小田原〜三島
#5日目:三島〜吉原
#6日目:吉原〜江尻
#7日目:江尻〜府中
#8日目:府中〜藤枝
#9日目:藤枝〜島田

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(24)金谷宿へ



 朝6時、昨日訪れた大井神社前からスタートです。夜中に雨が降っていました。今はギリギリ止んでいます。
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 まずは1kmほど先の大井川を目指します。次の金谷宿は大井川の対岸にあります。島田宿と金谷宿は、大井川をわたる旅人の警戒と川止め時の逗留場所として東と西の両岸で栄えた、いわば双子の宿場だったんですね。



 道路わきの用水路。
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 神社の境内にある用水路もそうだったんだけど、なぜか水が乳白色をしています。石灰分が多く含まれているせいなんだろうか。



 やってきました、大井川。江戸時代は、川越人足に担がれたり背負われたりして渡るしかなかった大井川ですが、今はこの大井川橋で渡ることができます。
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 かつては、たびたび増水して旅人を足止めさせた難所でしたが、今はどうなんですかね。この日の水量はこんな感じ。きわめて少ない。
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 わたり切りました。ほぼ1km! たぶん、この旅始まって以来最長の橋でした。
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 旧東海道は、県道から1本南側に入った細い道。
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 島田宿と同様に、かつては金谷宿側のこちらにも川越人足たちの待機する番宿があったそうです。
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 大井川鐡道の線路をわたります。
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 と、ここで「模範的」といってもいい蓋暗渠を発見。
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 写真に収めずにはいられませんでした。



 大代川をわたります。ここから2kmほど下流で大井川に合流する小さな川です。
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 もう1本川をわたります。こちらは清水川。橋の手前で2つの小河川が合流しています。水好きにはたまらない光景
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 この先わずか300mほどで、先ほどの大代川に合流する超短命な川ですが、大井川という一級水系に属するので一級河川に指定されています。ちなみに「清水川」という川は全国に50本以上あります。川の世界の「鈴木さん」「佐藤さん」みたいなものか。



 金谷の中心街に入ってきました。旧東海道がそのまま町のメインストリートになっています。早朝なので誰もいないけど、小さな商店が並んでいて、これまでいろんなところで見てきた宿場町独特の雰囲気を確かに感じます。
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 そして到着しました。金谷宿の本陣、柏屋本陣です。メインロードのちょうど真ん中あたりにあって、今はJAの建物になっています。
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 江戸幕府が宿場を整備した当初から本陣を任されていた土地の名家だったそうですが、火事や地震などの天災に何度も苦しめられた歴史があるそうです。

 ということで金谷宿に到着です。

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(25)日坂宿へ



 続いて向かう日坂宿までは、山を一つ越えなくてはなりません。「小夜の中山」と呼ばれる峠は、東海道有数の難所として知られています。金谷宿本陣を過ぎると早くも道はゆるやかな上り坂に。
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 坂を上りきったところにJR東海道本線と大井川鐡道大井川本線の金谷駅があります。その手前にあるのが金谷一里塚。日本橋から53番目の一里塚です。
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 金谷駅には東海道線が停まっていました。大井川鐡道のほうは、この金谷駅が終点になります。
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 金谷駅を後にして、さらに傾斜を増した坂道に挑みます。東海道の難所の一つ「小夜の中山峠」への上り坂は、すでに始まっています。
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 金谷駅からわずか5分でこの高さまで登ってきました。雲間から太陽が。
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 そして出ました!石畳!これが難所として有名な金谷坂です。
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 オリジナルの石畳はわずかしか残っていなかったところを、30年ほど前に地元の人たちの手によって復元されたそう。坂のスタートにはトイレなんかも整備されていて、地元の人の歴史を大事にする姿勢に頭が下がる思いです
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 急な石畳は500mほどでおしまい。上りきるとそこには一面の茶畑が広がっていました。
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 そうか、このあたりはお茶の生産で有名な牧之原台地の一部なんですよね。



 と、ここで諏訪原城跡という史跡と遭遇。ちょっと寄り道してみます。
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 諏訪原城は天正元年(1573年)、武田勝頼が遠江攻略のために家臣・馬場信春に築城させた山城で、曲輪や井戸などの遺構がほぼ完全な形で残っていることから、国指定文化財になっています。

 なかでも圧巻だったのが空堀
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 これは外堀の一部なんだけど、このデカさと深さ!ほとんど谷です。
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 洗練された都市部の城では感じることのできない、人をガチで殺してやろうという意図が生々しく感じられて、背筋がヒヤッとしました。なかなか見ごたえあります、諏訪原城。



 東海道ルートに復帰しました。ここからは一転、下り坂です。
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 菊川坂と呼ばれる坂で、こっちの石畳は江戸時代後期のものが現役で残っています。
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 景色もいい。
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 坂を下りきると、間の宿(あいのしゅく)菊川宿に到着。
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 紛らわしいのですが、この菊川宿は、JRの駅がある静岡県菊川市とは関係ありません。菊川宿は島田市菊川。19世紀の終わりに明治政府が鉄道を敷設する際に、なぜか菊川駅(当時は堀ノ内駅)だけは旧東海道から5kmも離れた場所に作ったため、現在では「菊川」といえばJRの駅のほうを指すようになってしまいました。

 ですが、地名のオリジナルはこっちの菊川宿。『吾妻鏡』の時代から名前が確認できるほど古い歴史があり、鎌倉末期には京都で捕らえられて護送される日野俊基が、この地で歌を残しました。
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 菊川宿を過ぎると、道は再び上り坂に。小夜の中山はまもなくです。
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 沿道は相変わらず茶畑。
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 かなりの傾斜です。
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 坂を上りきったところにあるのが真言宗の久延寺(きゅうえんじ)。
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 このあたりが小夜の中山の頂上付近です。標高は250m程度とたいしたことないのですが、一つひとつの坂が急なのと、上ったり下りたりを何度も繰り返さなくてはならないので、けっこう体力を使います。たしかにこれは難所。



 ところで、小夜の中山といえば有名なのが、この久延寺の境内にある「夜泣き石」。
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 小夜の中山に住んでいた妊婦の魂が宿ったといわれる石で、生まれたばかりの赤子の代わりにこの石が泣き声を出して助けを求めたという伝説が残っています。

 ややこしいのですが、実はこの久延寺にある石は「レプリカ」です。本物の夜泣き石は明治時代に東京に運ばれて見世物にされるのですが、帰ってくる途中にどういうわけか、ここから北へ1kmほどいった国道1号線の沿道に置かれてしまいました。

 

 さて、道はゆるやかな下りへ。小夜の中山を越したのであとは下るだけです。
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 途中、佐夜鹿(さよしか)の一里塚を見かけました。
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 さらに下ると、夜泣き石跡を発見。
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 道が一部谷のようになっていた場所の、その底あたりにありました。先ほども出た夜泣き石ですが、元々はここにあったんですね。



 下り坂は最後は急に。国道1号線の高架をくぐれば、まもなく日坂宿です。
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 日坂宿へ入りました。右に見えるのは秋葉常夜灯
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 日坂宿はこれまでに何度となく火災にあってきました。そのため火除けにご利益があるといわれる秋葉信仰が盛んななんだそうです。



 そしてここが本陣跡。
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扇屋」という屋号をもつこの本陣は、江戸時代が終わってからも地域の小学校として使われていたそうです。

 ということで、25番目の宿場、日坂宿に到着です。

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(26)掛川宿へ



 今日のゴールである掛川宿目指して日坂宿に別れを告げます。ここが宿場町の端っこ。高札場と下木戸がありました。
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 宿場の出入口は防備のため、木戸がもうけられたり道が枡形になっていたりするケースが多いですが、日坂宿の場合はさらに逆川という天然の要害も利用していたようです。
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 宿場を出るとすぐに出会うのが事任八幡宮。「ことのままはちまんぐう」と読みます。遠江国の一宮で、2世紀終わりに建てられたというめちゃくちゃ古い神社です。
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 旧東海道ルートは県道415号線に沿って進みます。先ほど日坂宿の手前で交差した国道1号線の高架を、ここで再びくぐります。
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 1号線を過ぎたところで伊達方(だてがた)の一里塚を発見。
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 ルートはいったん415号線の脇道にそれて、
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 再び415号線に合流。
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 このパターンをしばらく何度か繰り返します。



 でも、それも本村橋の交差点でおしまい。ここからは左の脇道で一気に掛川市内を目指します。
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 ほどなく逆川をわたります。日坂宿の外れでわたったときはまだ山から出てきたばかりの細い渓流だったのに、いつのまにか護岸工事もしてもらえるような立派な都市河川になって…。
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 川の対岸に葛川の一里塚がありました。今回の旅では最後の一里塚です。
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 逆川をわたると、いよいよ掛川の町に入っていきます。実際、江戸時代もこの川が町の境界線であり、渡ったあたりに門があったそうです(そう考えると、逆川というのは日坂宿と掛川宿、2つの宿場の境界線を担っていることになるわけか)。

 んで、川をわたって門(今はありません)をくぐったところに、掛川独自の防備のための仕掛けがありました。それが「七曲り」(看板が見切れててすいません)。
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 文字通り、道を7回曲げています。本来は直線で済むところを、わざと道を曲げることで大軍の侵入を阻む仕掛けは、これまでの宿場でもたくさん見てきましたが、7回というのはさすがに初めてですね。

 では行ってみます。まず1個目の曲がり角。
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 2個目。今は普通の住宅街ですね。
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 3個目。
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 4個目。
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 5個目。ここは小さな枡形になってますね。
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 6個目。
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 そして最後、7個目。かつてはこのあたりに木戸と番所があったそうです。いやあ、七曲りしつこい!
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 城下町に入ってきました。
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 小さな川をわたります。先ほどの逆川が掛川城の南を流れており、そこから分流している無名の川なのですが、雰囲気的にはかつて堀だったように見えます
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 ちなみに逆川は、掛川城の天然の内堀になってます。2つの宿場の境界線として機能し、さらに城の内堀としても働く。逆川、すごいです



 そして見つけました。本陣跡。このあたりにかつて連雀沢野屋という屋号で本陣が構えられていたそうです(掛川宿にはもう1軒本陣があります)。
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 いまは「本陣跡通り」という飲み屋街になっているようです。歴史と現代の生活とを結びつけるこういう利用の仕方、いいですね
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 これでゴールですが、せっかくなので掛川城に上ってみることにしました。
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 天守に上ると掛川の町が一望できます。新幹線で通るたび「こじんまりしたいい町だなあ」と思ってたんですよね。
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 こちらが東側。こっちの方向から延々走ってきました。
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 そしてこっちが西側。つまりこれから走る方角です。ずっと向こうに浜名湖があるんだなあ。
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 ということで掛川宿までたどりつきました。次回(いつできるんだろう…)は浜松宿を目指します。浜松までたどりつけば、長かった静岡県もいよいよ終わりが見えてきます。





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【東海道ラン】9日目:藤枝〜島田

東京の日本橋から京都の三条大橋まで、
旧東海道550kmをガチで走る「東海道ラン」。

前回、府中宿から藤枝宿まで走ったのは2015年8月のこと。
その後、子育てやらなにやらで3年もブランクが空いてしまいましたが、ついに再開します!
うおおお!!

(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
#4日目:小田原〜三島
#5日目:三島〜吉原
#6日目:吉原〜江尻
#7日目:江尻〜府中
#8日目:府中〜藤枝

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(23)島田宿へ



2018年11月、久々に東海道新幹線「こだま」に乗って静岡駅へ。
東海道線に乗り継いで、藤枝駅に降りたのは午後1時半。
駅のロータリーから1kmほど北へ向かうと、
前回ゴールした青木交差点が見えてきました。
こないだは写真奥の道を手前に向かって走ってきたのでした。

うおおお!
藤枝よ、私は帰ってきた!
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旧東海道ルートは住宅街へ。
ああ、何の変哲もない道を、かつての風景を想像しながら走るこの感じが懐かしい。
ちなみに、写真に映ってる松は旧東海道の風景を再現したものらしいです。
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道端に石柱が現れました。
田中藩と掛川藩の境界を示したものです。
ここから先は掛川藩の藩領。
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再び石柱出現。
細い道ですけど、これが「古東海道」と呼ばれる、
旧東海道よりもさらに昔の時代の東海道の跡だそうです。
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緩やかな坂道になっていますが、ここから先は「瀬戸の山越え」と呼ばれるルートで、
旧東海道が整備されてからも、大井川が溢れたときなどは、
旅人はこっちの道を歩いたようです。

古東海道」は、4日目の箱根越えのときに、山の中で一瞬交差したことがありました。
軽くネットで検索しただけだと、古東海道に関する体系的な情報はなさそう。
今度腰を据えて調べてみよう。



続いて道端に現れた、ちょっと不思議な生垣(?)。
実はこれ、大井川の洪水による水害を防ぐため、江戸時代に作られた堤防の跡です。
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当時は高さ3.6m、幅2.9m、そして長さ360mもある大堤防でした。
このときにかかった費用が1000貫(今でいうと1000万円以上)だったことから、
この堤防は「千貫堤」と呼ばれていました。



まもなく藤枝市から島田市に入ります。
道沿いの田んぼでうちの娘と同じくらいのこどもが遊んでました。
素敵な遊び場所だなあ。
奥にJR東海道線の線路が見えます。
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上青島の一里塚跡。日本橋から51番目の一里塚です。
このあたり、松並木が再現されていますが、
昭和30年代までは江戸時代そのままの鬱蒼とした松並木が残っていたそうです。
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島田市に入りました。
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大津谷川をわたって
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島田市街に入ってきました。
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う〜む。土曜の午後というのに誰もいない。
かつての島田宿は、静岡では府中に次いで人口の多い宿場町だったのですが。



島田宿の一里塚。宿場のなかに一里塚があるパターン。
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到着しました。ここが島田宿の本陣跡。
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いまは小さなカフェや雑貨屋が並ぶショッピングストリートになっています。
こじんまりとしてますが、とても雰囲気はよい。
本陣や御陣屋(代官所)跡にきちんと説明板もあって、
史跡の利用の仕方としてはなかなかいいなと思いました。


藤枝からここまでざっと10km。
ちょっと物足りないし、まだ時間もあるので、大井川まで足を伸ばしてみることにしました。
途中で立ち寄ったのが、大井神社
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島田宿の総鎮守で、安産祈願にご利益のあるといわれる神社。
三年に一度開かれる例大祭の「帯祭り」は日本三大奇祭の一つといわれています。
(ただし「帯祭り」をカウントしない説もあり、全国の祭り関係者たちの権益闘争がうかがえます)

んで、境内にある「帯祭り」の像がこれ。
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美しい模様の丸帯を太刀にかけて、それを自分の帯に挟んで練り歩くんだそうです。
昔は普通に丸帯を手にもって歩いてただけなのに、
いつの間にかこのいでたちになったんだって。
意味はわからないけどインパクトはある。


さて、大井神社を出てさらに西へ1kmほど進むと、
いかにもなにか歴史がありそうな場所にたどり着きました。
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これが、大井川の川越(かわごし)遺跡
沿道に並ぶ平屋は、川越人足が待機していた「番宿」を再現したもの。
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中を覗くと、ちゃんと人足が待機していました。
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江戸幕府は、大井川や安倍川、酒匂川などの主要な河川には、
防衛上の理由からあえて橋を作らせませんでした。
旅人は川越人足にお金を払って、担いでもらったり輿に乗ったりして川を越えました。

特に大井川は、たびたび増水が起きて渡河不能になり(川止めといいます)、
旅人は何日も手前の島田宿(反対方向の人は金谷宿)で足止めを食うことがありました。
そのため大井川は、
越すに越されぬ大井川」と歌われるほどの難所として知られることになったのです。

んで、旅人がいざ川を渡るときに渡し賃を払ったのが、この川会所
渡し賃と引き換えに「川札」を受け取り、その川札を川岸で待機している人足に渡せば、
金額に応じて肩車されたり輿に乗せられたりして川を渡る、という仕組みでした。
要するに今でいうところの切符売り場ですね。
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川会所の隣には島田大堤(おおつつみ)の跡。
たびびた増水する大井川から島田の街を守るため17世紀に造られた、
高さ3.6m、長さ6km弱という巨大な堤防の遺構です。
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そしてついに見えてきました。大井川!!
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うおおお!でけえ(気がする)!!
箱根と並ぶ東海道の難所であり、旅の前半のハイライトとして、
実は日本橋をスタートしたときから、ここに立つのが夢でした。
うおおお!!



実際に川を渡るのは明日にとっておいて、
せっかくなので川沿いを走ることにしました。
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天気がいまいちなのが残念ですが、道も整備されていて走りやすいし、
景色も開けていて気持ちがいいです。
毎年秋にはこのコースを利用した「しまだ大井川マラソン」という大会が開催されています。


4kmほど下流へ向かって走ると、蓬莱橋(ほうらいばし)という橋があります。
下から見上げたところ。
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見てもらえばわかるとおり、全部木でできています。
全長は897.4m。木造歩道橋としては世界最長です

橋のうえに上ってみました。※中学生以上は100円
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橋の中央から島田市側に振り返ったところ。
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景観がユニークなので、いろんなドラマのロケ場所にも使われています。
NHK大河ドラマ『いだてん』でも、序盤のストックホルム大会の羽田予選で、
金栗四三たちが走るコースの一部として使われてました。
旧東海道のコースからはやや外れるものの、一度来てみたかったんですよね。



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ということで東海道ラン9日目、藤枝宿〜島田宿でした。
島田で一泊して明日10日目は大井川を越えて、掛川宿を目指します。




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特集「作曲家Jack Kellerの系譜」

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シンプルな楽曲が
豊かな世界を見せる


 3回にわたったニール・セダカ特集から派生して、先週はハワード・グリーンフィールドを取り上げましたが、今週はさらにハワードから派生して作曲家ジャック・ケラーを取り上げてみたいと思います。

 ジャック・ケラー、めちゃくちゃ好きなんですよね。60年代に活躍した作曲家のなかでは、エリー・グリニッチと並んで気に入っている作家です(いかんせん地味ですが)。

 1936年、NYブルックリンで生まれたジャックは、父がバンドマンという音楽一家で育ちました。50年代半ばからブリル・ビルディングに出入りし始め、<Lollipop>で知られる女性ボーカルグループのコーデッツや、大御所ペリー・コモらに曲を提供します。59年には新興の音楽出版社アルドン・ミュージックと契約し、ニール・セダカやハワード・グリーンフィールドとともに同社の第1期スタッフライターになります。

 この時期の作曲家の多くが、特定の作詞家とコンビを組んで活動をしていましたが、ジャックは例外で、そのときどきでさまざまな作詞家と仕事をしました。ただ、そのなかで結果的に多くコンビを組んだのが、前回取り上げたハワード・グリーンフィールドです。60年代初頭、ニール・セダカが歌手活動を本格化しはじめると、余裕ができてしまった相棒ハワードは、たびたびジャックとコンビを組むことになるのです。

 前回紹介したように、このコンビからはコニー・フランシス<Everybody's Somebody's Fool>(60年4月)と<My Heart Has a Mind of Its Own>(60年7月)という、2作連続全米1位という大ヒット曲が生まれています。このコンビの楽曲で僕が好きなのは、ジミー・クラントンが62年に出した<Venus In Blue Jeans>松田聖子<風立ちぬ>の元曲といわれる美しい曲で、全米7位まで上りました。


 この時代に、ハワードと並んでジャックがよくコンビを組んだ作詞家が、ジェリー・ゴフィンです。このコンビも名曲が多いですね。エヴァリー・ブラザーズやクッキーズなどいろいろいますが、僕が好きなのは全米2位のヒットとなったボビー・ヴィー<Run To Him>(61年)。


 ここまで挙げてきた楽曲を聴くと分かる通り、ジャックの楽曲の特徴は、極めてシンプルなところです。ほとんどの楽曲がヴァース&コーラスという基本の二部構成を踏襲しており、一つの楽曲で使われるコードも非常に少ない。前述の<Everybody's Somebody's Fool>なんて、コードは実質3つしか出てきません。にもかかわらず、映る風景を次々に切り替え、ドラマ性を感じさせるメロディを作れるところが、作曲家ジャック・ケラーのすごいところだと僕は思っています。


 さて、63年にアルドン・ミュージックがコロンビアに売却されると、ジャックは『奥さまは魔女』をはじめとするTVシリーズの音楽制作にも携わるようになります。この映像音楽への進出が背景となって生まれた、ジャックにとって60年代後半最大のヒット作が、モンキーズです。アルドンの元オーナーであるドン・カーシュナーの主導で企画されたモンキーズという一大プロジェクトで、ジャックはアルバムのプロデューサーの一人に名を連ねたほか、作曲家としても楽曲をいくつか書き下ろします。


 上に挙げた<Your Auntie Grizelda>の共作者ダイアン・ヒルデブランドはこの時期にジャックがよく組んでいたソングライターで、後にこのコンビからはボビー・シャーマン<Easy Come, Easy Go>という全米9位のヒット曲が生まれています。


 80年代に入るとジャックは拠点をナッシュヴィルに移して、地元のカントリー系の歌手と仕事をするようになります。この時期に彼が作った楽曲は詳細がよくわからないのですが、彼はナッシュヴィルの環境が気に入ったようで、2005年に白血病で亡くなるまで同地に住み続けます。

 ジャックが最終的にカントリーに腰を落ち着けたというのは、とても納得できます。というのも、彼のメロディの大きな特徴は、コニー・フランシスの楽曲に典型的なように、カントリー色が強いところだから。別の言い方をすれば、ロックンロールに近づきすぎなかったところで、この時代の作曲家のなかでは珍しいといえます。

 それを象徴するようなエピソードがWikipediaに載っていました。2013年にリリースされ、当時このブログでも取り上げたビートルズの『On Air - Live at the BBC volume2』に、まったくの未発表音源として<Beautiful Dreamer>が収録されました。この曲の原作者は言わずもがな、スティーヴン・フォスターですが、実はビートルズによるこの曲のカバーには「お手本」があったそうです。

 それが、62年にジャックがジェリー・ゴフィンとのコンビでトニー・オーランドのシングルとして書き下ろした<Beautiful Dreamer>。この曲がリリースされると、ビートルズはすぐさまレパートリーに加えたそうです(へえ、そうだったんだ)。ジャック・ケラーを、白人ポピュラー音楽の父ともいうべきスティーヴン・フォスターの系譜に置いてみると、パズルのピースが次々にはまっていくような納得感があります

 そういえば、大滝詠一もジャック・ケラーを大好きだと言っていました。スティーヴン・フォスター、ジャック・ケラー、さらにそこに大滝詠一を加えてみるのも、面白い風景が見えてきそうです。







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特集「作詞家Howard Greenfieldの粘っこい世界」

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ただの「流行歌」が
60年後の今も胸を打つ


 先週まで3回にわたってニール・セダカの話を書いてきました。そこでもふれましたが、ニールがポップス向きの曲を作り始めるきっかけを作ったのが、近所に住む3歳上の詩人の卵、ハワード・グリーンフィールドとの出会いでした。彼らは作曲家と作詞家としてコンビを組み、やがてアルドン・ミュージックと契約し、コニー・フランシスをはじめ、たくさんの歌手にヒット曲を提供していきます。

 当時、売れっ子作詞家はたくさんいましたが、そのなかでハワードはどちらかというと地味なほうだと思います。ジェリー・ゴフィンのような直截さはないし(「Breaking Up Is Hard To Do」とかなんかちょっとまどろっこしいですよね)、ドク・ポーマスのような年齢からくる渋いレトリックみたいなものもない。でも、僕ハワードの歌詞って大好きなんですよね。いくつか紹介したいと思います。

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<My Heart Has a Mind of Its Own>
Connie Francis



 1960年に、ハワードがジャック・ケラーと組んでコニー・フランシスに提供した曲で、全米1位をとったシングルなんですけど、日本人的な感覚からすると、まずタイトルがスッと頭に入ってこない感じしますよね。でも、この回りくどい感覚こそが、ハワードの売りなのです。実際に歌詞を見てみましょう。

I told this heart of mine
Our love could never be
But then I hear your voice
And something stirs inside of me

Somehow I can't dismiss
The memory of your kiss
Guess my heart has a mind of its own

 どうです。なんだか粘っこいでしょう。要は「別れたあなたのことが忘れられない」というだけの内容なんですけど、それを「私のハートは私とは別の生き物なのだ」と表現するこのセンス。今の感覚からすると、あまりにダイナミックなレトリックですが、僕は嫌いじゃないです。さらに歌詞はこう続きます。

No matter what I do
No matter what I say
No matter how I try
I just can't turn the other way

When I'm with someone new
I always think of you
Guess my heart has a mind of its own

 この「No matter〜」の繰り返しなんてさらに粘っこいですよね。しかもF#→C#→B#と落ちていくメロディーを、コニー・フランシスが情感たっぷりに歌うので、余計に「ああ、辛いんだなあ」と感じてしまいます。


<Everybody's Somebody's Fool>
Connie Francis



 続いてもジャック・ケラーとのコンビでコニー・フランシスに提供した曲。この曲も全米1位をとりました。しかも、この<Everybody's Somebody's Fool>(60年4月)の次のシングルが前述の<My Heart Has a Mind of Its Own>(60年7月)だったので、2作連続の1位ということになります。この時期のコニー、ジャック、ハワードというトリオは非常に勢いがあったんですね。

 が、曲の内容はやっぱり粘っこい系。歌詞を見てみます。

The tears I cried for you could fill an ocean,
But you don't care how many tears I cry
And though you only lead me on and hurt me,
I couldn't bring myself to say goodbye

'Cause everybody's somebody's fool
Everybody's somebody's plaything
And there are no exceptions to the rule
Yes, everybody's somebody's fool

「あなたは私を傷つけることしかしない。私はただ泣くだけ。なのに私はあなたにさよならできない。だって誰かを好きになったが最後、人は誰しも愚か者になるものだから」といったような意味ですが、「頭で分かっていても心がいうこと聞かないの!」という点では<My Heart Has a Mind of Its Own>と通じている気がします。

 ただ、この曲は最後にガラッと風景が変わります。1番、2番は「私」の視点で歌われるのですが、3番になると「あなた」に視点が変わるのです。

Someday you'll find someone you really care for
And if her love should prove to be untrue,
You'll know how much this heart of my is breakin'
You'll cry for her the way I cried for you

Yes, everybody's somebody's fool
Everybody's somebody's plaything
And there are no exceptions to the rule
Yes, everybody's somebody's fool

 さんざん私を傷つけてきた「あなた」も、いつか愛する誰かと出会い、その誰かとの愛が成就しなければ、きっと今の私と同じように泣くでしょう…と歌ってもう一度サビのフレーズを繰り返すわけですが、最後に「あなた」が主人公になることで、「愚か者」であるのは決して「私」だけではなくみんなそうなんだ(everybody's somebody's fool)ということがわかるという仕掛けになっているのです。

 僕、最初にこの歌詞を読んだときに、仏教的な無常感すら感じました。3コードで進むカントリー調のシンプルなメロディで、コニーも実にカラッと軽く歌うのですが、その淡々とした感じが逆に人生の真理めいていてゾッとしちゃうんですよね。名曲です。


<Crying In The Rain>
The Everly Brothers



 1962年に全米6位のヒットとなった曲で、作曲はキャロル・キング。ハワードとキャロルが組んだ唯一の曲です。ちなみに、ハワードとキャロル、そしてジャック・ケラーはみんなアルドンの同期でした。

 タイトルに「Crying」とあることからもわかるように、この曲もまた悲しい曲です。

I'll never let you see
The way my broken heart is hurtin' me
I've got my pride and I know how to hide
All my sorrow and pain

I'll do my cryin' in the rain

 ああ、もう読んでるだけで泣きそう。「君と別れた悲しさに胸が張り裂けそうだけど、君に悲しんでいる姿を見せたくないから雨の中で泣こう」という曲。前述の2曲はどちらかというとヒネったところがありましたが、この曲はもっとシンプルでストレートです。これ、メロディも本当にいいんだよなあ。

 一番グッとくるのはブリッジ。

Rain drops fallin' from Heaven
Could never wash away my misery
But since we're not together
I look for stormy weather
To hide these tears I hope you'll never see

 悲しみを流すためではなく、ただこの涙を隠すために、僕はずっと嵐が来るのを待っている―。ああもうつらいつらい。聴いているだけでつらすぎる。雨をモチーフにした失恋ソングってたくさんあるけど、間違いなく屈指の名曲だと思います。

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 以上、3曲を選んでみました。ハワードが手掛けた楽曲は、もちろん他にたくさんあります。代表曲は60年代が多いですが、70年代以降も活動は衰えませんでした。73年には、盟友ニール・セダカとのコンビで<Love Will Keep Us Together>を発表し、後にカバー版が全米1位になります。亡くなったのは86年。50歳を目前にした早すぎる死でした。

 これはハワードに限らずですが、この時代(60年代前半)の歌詞って、非常にシンプルだったんだなあと改めて感じます。不要なレトリックはなく常に明快で、僕のように特別英語ができるわけじゃない外国人でさえ意味がつかめる。

 おそらくこれは、当時のポップソングが、アートであるよりも前に、10〜20代の若いリスナーに流通することを目的とした「商品」だったからでしょう(ポップソングが芸術たりうると認識され始めるのはもうちょっと後の話)。いっときの流行歌として生まれたはずのポップソングが、半世紀以上経った今の時代にも通用する普遍的な感動をもっていること、しかもそれが当時20歳そこそこの若いライター達によって作られていたことを思うと、なんだかとても熱い気持ちがこみ上げてきます。






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