週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

The Aislers Set 『How I Learned To Write Backwards』

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「ポップはどこまで成立するのか」を
身体を張って実験する


 メロディはポップで可愛らしいのに、奇妙な楽器の取り合わせや明らかに温度感が異なるリフやリズムを組み合わせ、本来の可愛らしさを隠そうとするのは、単なる照れ隠しなのか、それとも「きれいにまとまろうとすること」への反抗なのか。The Aislers Set(ジ・アイスラーズ・セット)を聴くと、毎回その奇抜なアイデアの豊富さにドキドキします。

 アイスラーズは1997年、Henry's Dressなどのインディーバンドで活動していたエイミー・リントンを中心にサンフランシスコで結成された6ピースバンド。メンバーの一人は日本人のようです。6人という人数の多さが、どんなアイデアでも実現してしまうこのバンドの実行力の背景にもなっています。

 彼らはこれまで『Terrible Things Happen』(98年)、『The Last Match』(2000年)、『How I Learned To Write Backwards』(03年)という3枚のアルバムを発表しています。ここ10年以上新作はリリースしていませんが、バンドは解散してはおらず、14年には初期2作のアルバムが当時と同じレーベル、Slumber Recordsからリイシューされ、久々に人前で演奏もしたそうです。

「奇妙」「不思議」「わけがわからない」という点ではどのアルバムも甲乙つけがたいのですが、僕は3枚目の『How I Learned To Write Backwards』がもっとも、彼らの才能のすごさを表していると思います。

 1枚目2枚目はかろうじてC86あるいはガレージポップというような括り方ができそうなのですが、この3枚目はもはやジャンルのごった煮状態なのです。パンクからバブルガムポップにゴシック、60sポップスやスペクター風サウンドまであり、どこまでも腑分けできそうなマトリョーシカ的わけのわからなさ

 でも、この3枚目に彼らの個性が出ていると感じる一番の根拠は、冒頭に書いた、ポップなメロディと、そのメロディにぶつかっていくような音楽的アイデアとの、組み合わせのエグさです。本作がジャンルレスに聴こえるのも、結局はその表れに過ぎません。

 絵本から飛び出してきたように楽しげなメロディなのに、まるで天国から落ちていくような背徳的な匂いを感じさせる<Catherine Says>。<Emotional Levy>の民族音楽のようなフィーリング。<Paint It Black>を連想させる<Mission Bells>の性急さ。メロディの美しさとは裏腹に、不穏な重低音が絶えず鳴り続ける<Sara's Song>。<Through The Swells>の不規則なドラム。そしてなんといっても、硬いブラスのリフの陰にシュープリームス<I Hear a Symphony>が隠れてる<Melody Not Malaise>。この曲を最初に聴いたときに「うおお!」と叫びそうになりました。

 例えばメロディが「陽」の性質をもっていたら、組み合わされるアレンジは「陰」というように、一つの楽曲のなかに異なる質をもった複数の要素が、時に巧妙に、時に強引に、混ぜこまれています。

 その結果、必然的に楽曲は多面的な表情を持つことになります。イントロを聴いて「優しげな曲だな」という印象を持ったとしても、すぐにその印象を打ち消すような仕掛けが飛び出てきて、イメージが固定されることを頑なに拒否してきます。しかも、こうした「異なる要素のぶつかり合い」は、曲の中だけでなく、曲と曲というレベルでも起きるので、30分強のボリュームにもかかわらず、非常に重層的で情報過多なアルバムです。

 冒頭に「アイスラーズを聴くとドキドキする」と書きました。おそらくそのドキドキとは、彼らの音楽が、ポップと非ポップの境界線ギリギリを攻め続けているせいだと思います。いつガードレールを突き破って、崖の下に落ちてしまうかわからない。しかし、普通なら「ここまで」と線を引いてしまうところを、軽々と乗り越えてもっとギリギリのところまでいってしまうところは、時として常人の目には「自由」と映ります。リリースは少なく、コマーシャル的にも決して成功したとはいえないバンドでありながら、アイスラーズがリスペクトを集めるのは、そういうところなんだろうと思います。








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佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』

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リスナーが待ち望んでいたものが
すべて「そこ」にある


 すげえライブアルバムと出会ってしまいました。佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』です。

 映画『No Damage』に映ってたのが、まさにこのときのライブですよね、たしか。映画を見たときも「かっけえなあ」と思ったんですけど、映像が無い分、かえってこっちのアルバムの方がライブのすさまじさを端的に伝えてくる気がしました。

 じゃあ何がすごいのか。大きく2つあります。

 まずは演奏のエネルギー。佐野元春とザ・ハートランドって、都会的で洗練されてて、汗なんかかきそうにないイメージがありますよね。でもこのライブの彼らはまるで暴走列車。猛烈なエネルギーとスピード感は、ほとんどパンクです。10分超の壮大な<ロックンロールナイト>を終えてからの<悲しきRADIO>の高速イントロは、なんかもう涙が出そうでした。

 ライブ盤の醍醐味の一つに、スタジオ音源とは異なるアレンジやニュアンスを聴くことで、アーティストのその曲に対する解釈や音楽的バックグラウンドを知ることが挙げられます。そういう意味でいうと、このアルバムから感じる佐野元春(とハートランド)は、非常にビートを重視するアーティストだということ。

 ビート、つまりリズムでありリフです。彼の場合は、それをギターではなくピアノとサックスで表現しようとしたところに独自性がありました。日本語ロックのイノベーターとして歌詞が注目される佐野元春ですが、実はその前提として、言葉を乗せるビートへのリテラシーが極めて高い人なんだということを、このアルバムは証明しています。佐野元春とほぼ同時代に、同じく日本語ロックのブレイクスルーを果たした桑田佳祐と初期サザンが、同じく「リズムのグループ」であったことは、必然的な符合なのでしょう。

 もう一つのすごいところは、観客の熱狂です。観客の熱狂と、それを受ける佐野元春とが生み出す会場全体の空気、みたいな風に表現したほうがいいかもしれません。なんていうんでしょう。どんな曲を演奏しても、そのすべてが観客が待ち望んでいたサウンドや歌詞にぴったりとはまるような、無敵の全曲アンセム感

 時代と呼吸してるっていうんでしょうか。メディアによる作られた流行なんかじゃなくて、街のストリートから押し上げられてきた「俺の」「私の」ムーブメントって感じがするんですよね。リスナーと深くコミットしてるからこそのアンセム感だってことがわかるから、余計にグッときます。

 歌詞のところどころには、今の感覚からすると正直古いなって感じるワーディングはあるし、MCのあの話し方なんて何度聞いても笑っちゃいます。そういう意味では、83年当時を生きていた世代だけのテンポラリーなムーブメントではあるわけです。

 にもかかかわらず、2018年の今聴いてもこのアルバムの佐野元春を「かっこいい」と感じることは、改めて考えると不思議です。ライブアルバムって瞬間を切り取るものですが、同時にその場の熱気やアーティストの体温すらも封じ込めるから、かえってスタジオ音源よりも古びないのかもしれません

 でも、このアルバムを聴いてちょっと悲しくなるのは、ロックというフォーマットが今ではもう現実とコミットする力を失い、趣味的で享楽的な音楽に変わってきていることが、逆説的に分かるからです。もちろん、それはアーティストだけの責任ではなく、声を上げなかったリスナーにも責任があるのかもしれません。そういうのをひっくるめて、ロックの役割は終わったといえるのかもしれません。感動が深い分、最後に苦い気持ちになるアルバムでした。








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『The Beach Boys With The Royal Philharmonic Orchestra』

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オーケストラによる
オリジナルの「アップデート」


 買うまいと思ってたけど、結局CD買っちゃいました、『The Beach Boys With The Royal Philharmonic Orchestra』。その名の通り、ビーチボーイズのオリジナルのボーカル音源に、ロンドンのロイヤルフィルによる演奏をミックスした企画盤です。以前、同企画のエルヴィス・プレスリー版について触れたことがありますが、そのシリーズの最新作ですね。

 正直、そこまで期待してませんでした。最初に公開されたプロモーション映像を見たときもピンとこなかったし、「またぞろレコード会社がオールディーズ引っ張り出して、シニア層向けに商売始めやがったな」くらいに思ってました。なので、Spotifyで全曲視聴が始まったときも、半信半疑のまま一度だけのつもりで聴いてみたのですが…予想に反してめちゃくちゃ良かったのです!

 プレスリー版は、音のバランスもアレンジも主役はオーケストラで、プレスリーのボーカルはあくまでモチーフの一つに過ぎませんでした。それゆえ、プレスリーのアイテムとしては企画盤の域を出ない、どこか中途半端な代物でした。

 しかし今回のビーチボーイズ版は、オリジナルの音源を生かすことに重点が置かれており、オーケストラの音はとても控えめです。リアレンジは最小限にとどめられており、オリジナルのアレンジをオーケストラの音に置き換えるという、とてもシンプルな方針でまとめられています。

 その結果どうなったかというと、オリジナルのフィーリングはそのままに、音がよりクリアで分厚くなったのです。特に(意外なことに)リズムが強調された感があり、オリジナルにはなかった迫力が加わりました。楽器編成はクラシックでありながら音源はオリジナルよりもむしろロックっぽいという、面白い逆転現象が起きています。つまり、印象的にはオリジナルの楽器の音を現代の音質・音圧に入れ替える作業が行われており、結果としてこのアルバムは「ビーチボーイズのアップデート」を実現しているのです。


 ブライアン・ウィルソンの「60年代当時から僕らの音楽はオーケストラに合うと思ってたんだ」という言葉が本気なのか後付けのリップサービスなのかはさておき、ビーチボーイズとオーケストラとの親和性が高いのは間違いありません。流麗なメロディやアレンジの妙、そして美しいコーラス。彼らの音楽の核となる要素はどれも、オーケストラと混ざると一層際立ちます。

 逆に言えば、ギターやドラムといったいわゆるロック的なファクターへの依存度が高いバンドであれば、たとえ同じコンセプトでオーケストラと共演しても、「アップデート」にはならなかったはずです。そういう意味で、ビーチボーイズはこのロイヤルフィルシリーズの大本命だったのではないでしょうか。

 それにしても、やっぱビーチボーイズのコーラスは本当にきれいです。今回の作品のボーカル音源はオリジナルのマスターテープにまで遡ってミックスされたため、コーラスの音質が非常にとても良いのですが、このアルバムの最大の聴きどころでありもっともインパクトのあるアップデートは、実は彼らのコーラスワークが高音質で聴けるところかもしれません。

 以前、ビーチボーイズの音楽は演奏者の入れ替えが可能な「型」としたうえで、オリジナルメンバーの存在意義は「コーラスという必殺の武器をブライアンに授けた点にある」と書きましたが、今回のアルバムでは改めてその意を強くしました。








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Pale Waves『My Mind Makes Noises』

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見た目とサウンドの
「ギャップ」がすごい


 英4ピースPale Wavesが昨年9月リリースした1stアルバム『My Mind Makes Noises』は、まさに「満を持して」という感じで登場した作品でした。

 2017年にレーベルDirty Hitから、レーベルメイトであるThe 1975マシュー・ヒーリーによるプロデュースでデビューシングル<There’s A Honey>をリリースして以来、立て続けにシングルを発表しヒットを記録。BBC Sound of 2018にセレクトされたときは「今更?」と思ったくらいでした。

 18年が明けて、いよいよアルバムかと思いきや2月にリリースされたのは4曲入りEPで、そこからは再びシングルの量産体制に。結局、アルバムが形になったのはそこから約半年経った18年9月でした。

 個人的には、アルバムではなくシングルやEPを積極的に切っていくというサブスクリプション時代のマーケティングを、彼らほど実感させられたアーティストはいなかったのですが、ボーカル/ギターのヘザー・バロン・グレイシーは以前から「アルバムでチャート1位を獲りたい」と語るなど、アルバムというパッケージに強いこだわりを見せていました。その宣言通り、1stアルバムはUKインディーチャートで1位を記録(総合でも8位)。フィジカルのセールスでも強さを見せたのでした。



 なぜPale Wavesはこんなにも人気を獲得したのか。僕は、このバンドには王道と異端の両極端の魅力があり、それが同居していることが、彼女たちがリスナーを惹きつける理由なんじゃないかと考えています

 まず「王道」は、サウンドです。低音をカットして高音部を強調し、さらにシンセとビートを利かせた音作りは、清潔な印象を与えると同時に誰もが高揚感を味わえる中毒性をもっています。キャッチーなメロディを作る能力にも長けており、The 1975やWolf Aliceなどトレンドの最前線にいるアーティストを多く擁するDirty Hitのなかでも、もっともスタジアムバンドに近いグループではないでしょうか。

 特筆すべきは、一歩間違えれば「ベタ」に陥りそうなところを、ギリギリのラインで上品さをキープする彼女たちのバランス感覚です。「ベタ」に足を踏み入れてしまえば玄人層からはそっぽを向かれるし、かといって逆方向に振れてしまうとライト層に届かない。どちらにも偏りすぎない、綱渡りのように絶妙なバランス感覚があるからこそ、幅広い支持を集めたのだろうと思います。

 次に「異端」について。これは彼女たちの出で立ちです。僕は彼女たちを知ったとき、最初に思ったのは「見た目と音のギャップがすげえ」ということでした。ヘザーとドラムのキアラのゴスメイクにばかり注目が集まりがちですが、ヒューゴ(Gt)とチャーリー(Ba)の男性2人の存在感も利いています。ゴスメイクした女性2人に、端正な容貌をもつ男性2人がアンドロイドのように無機質な雰囲気で侍るという構図は、ただのゴスメイクだけのグループよりもインパクトが強いはず。

 ビジュアルはものすごくアンダーグラウンドなんだけど、鳴らす音がオーバーグラウンドだから、そのギャップがすごいんですね。見た目怖いけど、話しかけてみると仲良くなれる、みたいな。ゴスメイクという、ある意味レトロなスタイルを忠実に模倣しつつ、サウンドはあくまで「今風」なことで、クラシックとモダンをつなぐという文脈でも捉えられるグループなのかもしれません。

 このバンド、次はどこに行くんでしょうか。今のスタイルは、もはやこのアルバムで完成されちゃったように思います。何かと比較されることの多いThe 1975は1stから2nd、そして大名盤の3rdと着実に変化を続けていますが、Pale Wavesの場合はストライクゾーンをさらに広めにとっている分、この先の変化が予測できません。個人的にはシンセポップではなく、4人の本来のフォーマットに戻ってギターメインの楽曲とか聴いてみたい気がします

 来年2月には初の単独来日公演が行われます。もちろんチケット取りました。








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Say Sue Me『Where We Were Together』

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近づきたいのに
決して近づけない


 インパクトという点では先週紹介したHoney Hahsですが、総合点でいえば2018年のNo.1はこのアルバムでした。韓国の釜山出身の4人組、Say Sue Meの2ndアルバムです。

 曲はもちろんいいし、紅一点のボーカル、チェ・スミの声も素晴らしい。<Let It Begin><But L Like You><Old Town>という冒頭3曲の展開は、何度聴いても心を持っていかれます。<B Lover>のようなフィジカルを感じさせる衝動的な音を出せるところも、このバンドのポテンシャルの高さを感じさせてゾクゾクします。

 しかし、このアルバムで好きなところを一つだけ挙げろと言われたら、僕は音の肌触りと答えます。「音像」と言い換えてもいいでしょう。このアルバムの曲は、どんなタイプのものであっても、特有の色や匂い、感触があります。それが、僕にはとてもフィットするのです。

 では、そのフィーリングは具体的にどういうものなのか。1曲目の<Let It Begin>にもっとも顕著に表れているのですが、街のネオンを窓越しに眺めているような遠さというか、古い8mmフィルムの映像のような温かさというか、そういった温かさと寂しさが同居したような感覚です。「サーフミュージックをルーツにした」「釜山の気候を感じさせる明るくてのどかな」など、陽性なイメージで紹介されることの多いSay Sue Meですが、少なくともこの2ndに関しては、音の核となっているのはもっとパセティックな何かだと思う。



 この、近づきたいけど決して近づけない距離感のようなものは何なんだろうと思っていたのですが、ライナーノーツを読んで納得しました。

 実はこのアルバムの制作前に、初代ドラマーのガン・セミンが転落事故で重い怪我を負い、一時的にバンドを離脱せざるをえなくなったそうです(現在は2代目ドラマーが加入)。そのため、このアルバムは、セミンの不在が大きなテーマになりました。なるほど、『Where We Were Together』というタイトルの意味はそういうことだったのか。

 このような経緯を踏まえると、例えば<Funny And Cute>の「そこに居てはだめ、君の場所じゃない」「寒くなる頃には君を待っているよ 場所はわかるよね 居心地のいいわたしたちのバー」といったフレーズなど、メンバーがセミンへ向けたメッセージとも取れる歌詞が端々にあることに気づきます。

 前述の<Let It Begin>がもそう。締めの「Let it begin Let it all begin Let it all begin again」というフレーズが、決してかなわないと分かっていながら、時間を巻き戻したいと願う祈りの言葉に聴こえてきます。1曲目から「全てをやり直そう、もう一度」というメッセージで始めるのって、考えようによってはなかなか重たい。

 ただ、このアルバムの素晴らしいところは、バンドに起きた出来事を知って歌詞の意味が深まるところではなく、むしろそうした背景を知らなくても、バンドが抱いている感情を、音を通じて共有できるところにあります。もちろん、厳密にいえば彼らの感情そのものであるわけはないのですが、それまでは凪の状態だった聴き手の心の水面を、音だけでブクブクと泡立たせてしまうことがシンプルにすごい。

 特にこのバンドの場合は、映像的に音を聴かせる力に長けていると思います。僕自身も先ほど「ネオン」「8mmフィルム」といった表現を使いましたが、聴いていると頭の中で自分だけの架空のMVが再生し始めるんですよね。その架空のMVのなかには、Say Sue Meのメンバーも離脱したセミンも映りませんが、その代わりに僕自身の痛みが映っているのです

 ちなみにこのアルバム、発売元はイギリスのDamnably Records(おとぼけビ〜バ〜や少年ナイフも所属するレーベル)ですが、日本盤はTugboat Recordsから出ています。このレーベルには昨年、Tashaki MiyakiFazerdazeHazel EnglishThe Drumsとお世話にになりまくったのですが、今年もやっぱりお世話になりました。








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