ging nang 1st






もしもパンク・ロックがなかったら
世界はきっとつまらない


映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』『少年メリケンサック』を観て以来、銀杏BOYZばかり聴いている。
どちらの映画にも、銀杏BOYZのボーカル峯田和伸が出演していたからだ。
俳優業でのインパクトが強い峯田だが、彼の本業はバンドマンである。

峯田和伸は90年代後半からGOING STEADYというバンドで活動を始め、2003年に解散。
その後GOING STEADYのメンバーを母体とした新たなバンド、銀杏BOYZを結成し、今に至る。
だが、銀杏BOYZ名義で発表されている音源は多くはない。
アルバムは、2005年にリリースされたこの『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』と、
同時発売された『DOOR』の2枚だけだ。
ここ数年はもっぱらシングルばかりリリースしている。

彼らのライヴはめちゃくちゃ激しい。
メンバーはいつも大暴れだし(それでも演奏が乱れないのがスゴイ)、とにかく叫びまくっている。
一番激しいのはボーカルの峯田だ。
彼はステージに立つ時は常に上半身が裸で、盛り上がってくると下も脱いでしまう。
しょっちゅうスッポンポンになるので、これまで何度か公然猥褻で逮捕されている。

そういう経歴やパフォーマンスの激しさばかりが目立つので、
峯田は(というかほとんどのロッカーが、だけど)とんでもなく下品で常識のない人間だと思われがちだ。
確かに初めてライヴを見たときは僕もちょっと怖かった。
だが、彼の作る歌を、1度でもちゃんと聴けば、それが誤解だということがわかるはずだ。
彼はものすごく素直で、ピュアなハートを持っている。
彼のブログなんかを読んでいても「正直な人だなあ」と思う。
こんなに正直だと、きっと生き辛いんじゃないかなあ、と思う。

峯田の書く詞は、いつもなんだか苦しそうだ。実際、苦しそうに歌う。
このアルバムのなかに『駆け抜けて性春』という歌がある。
その詞のなかに以下のような一節がある。

あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら
死んでもかまわない あなたのために

あきれるくらいにストレートな歌詞だ。
「あなたのことが苦しいほど好き」という気持ちが、こぼれ落ちそうなくらいに伝わってくる。
良い詞だなあと思う。
「一緒に生きてくれるのなら」「死んでもかまわない」と、思い切り矛盾したことを言っているのだが、
この矛盾しているところにこそ、ありのままの気持ちの表れを感じる。
やはり峯田は正直な人なのだと思う。
言葉をごちゃごちゃ飾らない。マジメで、いつも本気な人なのだ。

一時期「青春パンク」というジャンルが流行ったことがあった。
でも僕にはどれもつまらなかった。
歌詞もメロディーも全て予定調和の、ああいうゆとり教育的音楽などが「青春」であるはずがない。
青春はもっと惨めで、自意識過剰で、切羽詰っている。
青春というならば「あの娘に1ミリでもちょっかいだしたら殺す」と、
好きな女の子への気持ちを殺意で表現する銀杏BOYZの方が、ずっとずっと青春だ。
青春という言葉を「性春」と表現する彼らの方が、ずっとずっと素敵だ。

僕はパンクというものがずっと苦手だった。
ピストルズもクラッシュも、ダムドもバズコックスも、いろいろ聴いてみたけれど、なかなか馴染めなかった。
単純すぎるギターはダサく思えてたし、
ジョニー・ロットンの声もジョー・ストラマーの声も、好みに合わなかった。

だが、銀杏BOYZを聴いて、パンクの見方が少し変わった。
というよりも、パンクというものを誤解していたことに気付いた。
パンクとは、ただ単に正直なのだ。
「全てのものに対してNO」という初期ロンドンパンクの精神は、その暴力性や衝撃度だけで語られるけれど、
ピストルズもクラッシュもみんな、ただ感じていることをありのままにパフォーマンスしただけなのである。
嘘臭いことを「嘘だ」と言い、好きじゃないことを「嫌いだ」というその精神こそがパンクなのである。
なのに僕はずっと音楽としてパンクを聴いているだけで、一番大事なハートの部分に気付かずにいたのだ。

利口になることを拒否し、上品に収まることを拒否し、適当な言葉でお茶を濁すことを拒否する。
ただただ真っ正直なパンク。
大人になればなるほど、パンクは心に沁みる音楽だ。
パンクのない世の中はきっとつまらないんじゃないかなあと、銀杏BOYZを聴きながら考えている。


<駆け抜けて性春>
ライヴ映像を基にしたPV。後半に一瞬聴こえる女性コーラスはYUKI。