Smile

Brian Wilson
『SMILE』


世の中には“天才”と呼ばれるミュージシャンが数多くいますが、
「作曲」というテーマに的を絞って言えば、
ポール・マッカートニーは間違いなくその筆頭に挙げられるでしょう。
他にも優れたメロディメーカーは何人もいますが、
ポールの才能というのはちょっと次元が違います。
おそらく彼がいなかったら、
その後のポップ・ロックシーンは今とはまったく違うものになっていたのではないでしょうか。
メロディメイクのノウハウやコード展開のバリエーションは、
ほとんど彼(ら)が発明したと言っても過言ではありません。
そういう意味では、ポールと他のミュージシャンとはそもそも比べられないとさえ思います。

しかし僕はあえてもう一人、ポールと同じくらい圧倒的な才能を持った作曲家を挙げたいと思います。
――ブライアン・ウィルソン。
以前『ペット・サウンズ』(1966)について書いたときに少し紹介しました。
ビーチボーイズの元リーダーにしてメイン・コンポーザー。
残念ながら知名度はポールに負けますが、作曲家としての才能は引けを取りません。

彼ら2人のメロディに共通しているのは、
“作られたもの”という痕跡が一切ないところです。
初めから決まっていたかのように宿命的な音階、
独創的でありながら作為を微塵も感じさせない和音の流れ。
あまりに自然なので、初めて聴く曲でもずっと前から知っていたかのような錯覚に陥ります。
「神様」という表現は安っぽいかもしれませんが、
僕は彼らのメロディに、そのような人の手の及ばない何かを感じます。

しかし、2人はタイプとしては全く異なります。
ポールは感覚的で、頭に浮かんだメロディをポンッと形にして終わり、みたいな
気分一発な(まさに天才肌な)ところがあります。
一方ブライアンは、陶芸家が焼き上げた皿を何枚も割りながら究極の一枚を作り上げるように、
徹底的に自分のイメージを追い求める頑固一徹な芸術家、といったところでしょうか。
ビートルズのコーラスがいかにも適当な感じでバラけている
(それが絶妙に合っているのがスゴイのですが)のに対し、
ビーチボーイズのコーラスが一分の狂いもなくピチッと整理されているあたりが、
2人のタイプの違いを物語っているように思えます。

ビーチボーイズの音楽的なピークは、
前述の『ペット・サウンズ』とシングル「グッド・バイブレーションズ」をリリースした1966年と言われています。
特に『ペット・サウンズ』は、ビートルズを『サージェント・ペパーズ』制作へと駆り立てる大きな契機ともなった、
ロック史における一つの記念碑的なアルバムです。
ちなみにブライアンはこの時弱冠24歳。いかに早熟だったかがわかります。

しかし、ポールの傍らにはジョンという強烈なライバルがいたのに対して、ブライアンは孤独でした。
楽曲の制作を一手に引き受け、レコーディングではプロデューサー的な役割まで背負っていました。
そのようなプレッシャーと、度重なるツアーの疲労から、
ブライアンは『ペット・サウンズ』を作る段階で既にかなり深刻に精神を病んでいました。
そのためビーチボーイズは、ブライアンとスタジオ・ミュージシャンによる「制作班」と、
他のメンバーによる「ツアー班」とに分かれて活動していました。
明るいパブリックイメージとは裏腹に、
ビーチボーイズの実態はかなり異様なものだったのです。

『ペット・サウンズ』をリリースしたブライアンは、すぐさま次のアルバムの制作に取りかかりました。
実際に何曲かはレコーディングも行われました。
タイトルも決まっていました。――『スマイル』。
それが新作のタイトルでした。
しかし、結局この『スマイル』がリリースされることはありませんでした。

原因はいくつかあるようですが、最大の理由はブライアンの精神状態が極度に悪化したからでした。
彼は重度のドラッグ中毒に冒され、肉体は160キロもの巨体に膨れ上がりました。
彼はスタジオワークからも離れ、廃人同様の生活に迷い込んでしまうのです。

しかし一方で、その“作られるはずだったアルバム”『スマイル』は世間の注目を集めました。
『ペット・サウンズ』の評価が上がるにつれて、
リスナーは「ビーチボーイズ(ブライアン)は次に一体どんなアルバムを作ろうとしていたのか」と
想像を膨らませました。
また、次作に収録予定だった曲の一部が、シングルや海賊盤で出回り、
しかもそれらのレベルがとても高かったことから、
「もし『スマイル』が予定通り出来上がっていたら、一体どれほどの完成度だったのだろう」と
ファンの期待を煽りました。

とはいえ、ブライアンは依然として出口の見えない療養生活を送っており、
バンドもメンバーの死などがあって、70年代の終わりには実質的には解散状態になりました。
こうして『スマイル』は、「ロック史上もっとも有名な未発表アルバム」と呼ばれ、
伝説の一部になったのでした。

・・・ところが、なんと2004年、幻だったはずのアルバム『スマイル』は、現実のものとなるのです。
ブライアンは懸命にリハビリをし、ビーチボーイズを離れ、80年代から細々と音楽活動を再開していました。
そして、当初の予定から37年(!)遅れて、
彼は自らの人生に深く刺さった楔である『スマイル』を完成させたのです。

このことは僕に2つのことを考えさせました。
一つは、伝説は「伝説」であるから良い、ということ。
幻であるからこそ、僕らはその空白を想像力で埋めることができます。
伝説が「伝説」である限り、イメージはどこまでも膨らませることができます。
リスナーとしての勝手な立場から言えば、伝説が現実になった瞬間に、
その際限のない空想は終わってしまうのです。
そして、さらに言ってしまえば、
伝説や幻や「実現不可能」といったものごとが、いざ本当に目の前に現れると、
往々にしてガッカリしてしまうものです。
再結成したバンドのほとんどが、当時の熱さを失ってしまっているように。

この『スマイル』を最初に聴いたときも、軽い失望感があったのは事実です。
個々の楽曲は素晴らしいです。
ブライアンの中に眠る泉は、60歳を超えてもなお枯れてはいないと思いました。
しかし、やはり“僕のイメージしていた『スマイル』”には及ばないのです。
現実の『スマイル』は、僕が想像していたよりもやや冗長気味で、
メロディの美しさは相変わらずな反面、トータルで見るとどこかダイナミズムに欠けていました。
もっとも『ペット・サウンズ』を最初に聴いたときも「なんだこれは?」と思ったので、
今後『スマイル』に対する印象も変化する可能性はありますが。
いずれにせよ、『スマイル』の完成は、ある種の「夢の終わり」ではあったのです。

僕が考えたもう一つのこととは、
ブライアンが『スマイル』を完成させたという事実そのものに対する素直な感動です。
ファンが期待していること。そして『スマイル』を作り上げることで、
逆にその期待を裏切る結果になるかもしれないこと。
すべてブライアンはわかっていたと思います。
それでも彼は挑戦し、作った。そのこと自体がとても感動的です。

下に、ライブの映像を載せてありますが、
それを見てもわかるように、彼はずっとキーボードの前に座ったままです。
他のライブでも、彼が立って歌うことはまずありません。
村上春樹も(彼は筋金入りのビーチボーイズ・マニアです)以前どこかで書いていましたが、
おそらくブライアンの肉体にはかつてのダメージが残っていて、
もはや思うようには動かせないのではないかと思います。
また、ボーカルにしても、彼のトレードマークであったハイトーンがもう出ないんですね。
高音はすぐにかすれてしまう。張りもありません。

そういった“みっともない姿”を晒すことがわかっていながらも、なお自分自身と向き合い、
因縁深い『スマイル』と決着をつけようとするブライアンの姿には、
音楽的なレベルを超えたところで、心を揺さぶられます。
彼は40年近くもずっと戦い続けていたのです。
そしてなおも前へ進もうとしているのです。
完成したアルバム『スマイル』は、一つの夢を終わらせたかわりに、
より大きな何かを僕らに語りかけてくれます。


※つい先日、こんなニュースが発表されました
「元ビーチ・ボーイズ、ブライアン・ウィルソンの半生が映画化」
(映画.com)



 
ライヴ映像。アルバム『スマイル』はこの曲で幕を開けます。
<Heroes And Villains>


同じライヴだと思われます。僕はブライアンの曲のなかでこの曲が一番好きかもしれません。
<Surf’s Up>









sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ