2014年1月に、ビートルズの故郷、英国リバプールを訪ねてきたので、
そのときの記録を何回かに分けてアップしています。
第3回となる今回は、ビートルズの名所をめぐるバスツアー、
その名も、「マジカルミステリーツアー」について書きました。
いよいよペニー・レイン、そしてストロベリー・フィールズへ赴きます。
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#第1回「マシュー・ストリート」はこちら
#第2回「ジョンとスチュと学生街」はこちら
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これまでは活動初期、そして結成前夜のビートルズの足跡をたどって、
リバプールの街の中を回ってきました。
しかし、さらに時間をさかのぼって4人の子ども時代を振り返るとなると、
郊外へ足を伸ばさなくてはなりません。

市街の中であれば徒歩でも十分回れるのですが、郊外となると交通手段が問題です。
バスは煩雑だし、タクシーは高い。時間が読めないところも面倒です。
そんな悩みを全て解決してくれるのが、ビートルズファンのためのバスツアー、
その名も「マジカルミステリーツアー」です。

あのキャヴァーン・クラブが企画・運営しているツアーで、
毎日2回、1回2時間の行程で、郊外の代表的なビートルズスポットを回ってくれます。
場所によってはバスから降りて写真撮影をする時間も作ってくれるという、
初めてリバプールを訪れたファンにとってはとても便利なツアー。

オンラインでの予約が可能なので(便利!)、僕は渡英前に自宅から予約しました。
※予約ページはこちら
ちなみに、マジカルミステリーツアーのチケットを持ってキャヴァーン・クラブに行くと記念品がもらえ、
さらに併設のキャヴァーン・パブでは飲食代が10%OFFになります。

乗客の集合場所は、リバプールで最も大きな港、アルバート・ドック
乗るのはもちろん、このバスです!
P1030355



■ジョンが育った「メンディップス」
まずは4人が子ども時代に過ごした家を回ります。
最初は、ジョンが育った家「メンディップス」。
P1030389

ジョンはわずか1歳半の時に、母親ジュリアから彼女の姉ミミの元に預けられ、
このメンディップスに引っ越してきます。
以来、結果的にシンシアと結婚するまで約20年もこの家で暮らしました。

ジョンの部屋は2階の左端。
あの窓の中で、少年ジョンは少年ポールと共に曲を作り始めたのかと思うと、震えてきそうです。

この家は何度か他人の手に渡ったのですが、
2002年に売りに出された際にオノ・ヨーコが購入(速攻で買ったそうです)。
そしてメンテナンスをしたのち、ナショナル・トラストに寄付されました。
現在はナショナル・トラスト主催のツアーでのみ中を見ることができます。

ちなみに、有名な話ですが、かのボブ・ディランは、
ナショナル・トラストツアーに参加してジョンの家を見に行ったことがあるそう。
1人の一般客として参加したそうですが、誰もディランだと気付かなかったそうです。



■今も人が住むジョージの生家
続いて訪れたのはジョージの生家。
狭い路地を進んでいった一角、右側の奥から4軒目です。
P1030373

真ん中の、ドアに「12」と書かれた家が、ジョージが生まれた家。
P1030375

周りの家は、もちろん普通に住人がいます。
それどころか、ジョージの生家も今でも人が住んでいます(年配の女性が一人で住んでいるそう)。
ここはバスを降りて家の目の前まで行ったのですが、
ガイドさんには「普通に人が住んでるからくれぐれも静かに」と言われました。
玄関脇に出された古紙の束に生活感が溢れてます。
IMG_0968

「ジョージの家に住む」ってどういう気分なんでしょうか。
僕にとってみれば立派な「史跡」ですが、ビートルズに興味が無い人にとってみればただの家ですもんねえ。
そう考えれば、例えば奈良とかで、古墳の横に普通に人が住んでいるのと同じだよなあ。
なんていうことを考えました。



■少年リンゴの思い出の場所「エンプレス・パブ」
続いて訪れたのは、リンゴの母エルシーが働いていた「エンプレス・パブ」。
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リンゴが3歳の時に夫と離婚したエルシーは、この店で働きながら息子を育てました。
1970年、リンゴは初のソロアルバム『センチメンタル・ジャーニー』を作るにあたって、
このエンプレス・パブをジャケット写真に選んでいます。

実はこのエンプレス・パブの横の路地沿いに、リンゴが暮らしていた家があります。
バスの中から撮ったので分かりづらいのですが、写真に映るテラスハウス(長屋)の、
真ん中あたりの白い家がリンゴの家。
※写真左端に見切れている建物がエンプレス・パブ
P1030362

このあたりはリバプールの労働者階級の住宅地の中でも特に貧しい地区で、
今もその雰囲気は変わっていません。
明らかにこの周辺だけ家は狭く、道路も荒れていて、
夜中に1人で歩くのはできれば避けたいような雰囲気です。

しかしリンゴは5歳の時からビートルズでデビューしてロンドンに引っ越すまで、
約20年間もこの家で過ごしました。
※ちなみにリンゴの生家もほんの1ブロックほど歩いた場所にあります。
リンゴの青春時代の全てはこの街の、この狭い家に詰まっているのです。



■ポールが育った「フォースリン・ロード20」
続いてポールの家。
ポールはリバプールの中で何度も引っ越しているのですが、
その中で最も長く暮らしたのが、フォースリン・ロードという閑静な住宅街にあるこの家。
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ポールはこの家に13歳からロンドンに移る21歳の時まで暮らします。
玄関の上の小さな窓の部屋がポールの部屋だったそうです。
小さいながらも庭があって、リンゴの家とはえらい違いです。
72歳の今でもどこか青年っぽくて、育ちの良さを感じさせるポールですが、
この家を見てなんとなく納得できた気がしました。

現在この家は、ジョンのメンディップスと同様にナショナル・トラストに指定されており、
中を見るにはツアーを予約しなければいけません(3〜11月)。
IMG_0976

なので、現在は誰も住んではいないのですが、両隣の家はやっぱり普通に人が住んでいます。
何度も言いますけど、「壁一枚向こうはポールの家」って一体どういう気分なんでしょうかね。



■セント・ピーターズ教会
残念ながらバスの窓からちらっと見るだけだったのですが、
今回の旅で最も見たかった場所の一つがここ。
ジョンとポールが初めて出会った、セント・ピーターズ教会です。

1957年7月6日
友人に連れられてセント・ピーターズ教会のパーティーに参加した15歳の少年ポールは、
教会の庭のステージで、バンジョーを弾きながら歌っていた16歳の少年ジョンと出会います。
正確には、その時はポールが一方的にジョンを見ただけで、
2人が初めて会話を交わしたのはその夜、
教会の向かいにあるホールでのことでした。
既にギターを弾くようになっていたポールはジョンのために<Twenty Flight Rock>を披露。
2人は意気投合し、ジョンはポールを自身のバンド、クオリーメンに引き入れるのです。

この日、この2人が出会わなければ、ビートルズというバンドはこの世に存在せず、
<We Can't Work It Out>も<In My Life>も、他のどの曲も生まれていなかったのです。
「ビートルズの歴史の中で最も重要な1日を選べと言われたら、間違いなく1957年の7月6日だ」
バスガイドさんも、そう熱く語っていました。
奥に立つ建物が、ジョンとポールが初めて会話を交わしたホール。
P1030379

まさに歴史の転換点となった1日。
その舞台が、このセント・ピーターズ教会なのです。



■ペニー・レイン
やって来ました。「ペニー・レイン」です。
ペニー・レインとは、リバプール市街の南東を走る2つの幹線道路、
スミスダウン・ロード(アラートン・ロード)とグリーンバンク・ロードの間を走る道の名前です。
これは南側の端、グリーンバンク・ロード側にあるペニー・レインの標識。
P1030368

ビートルズの歌のタイトルで世界的に有名になりましたが、
道そのものは片側一車線の何の変哲もない道。距離も1km足らずしかありません。

ペニー・レインの北側(上の写真の反対側)の端には環状交差点があり、
たくさんのお店が並ぶスミスダウン・ロードと交わります。
この交差点にはバスターミナルがあり、
学校への通学に毎日バスを使っていたポールは、ここから見た景色を<Penny Lane>の歌詞に綴りました。
その中の一節「On the corner is a banker with a motor car」に出てくる「bank」がこれ。
IMG_0963

ちなみにこの銀行の向かいには、「BISTRO SGT. PEPPERS」というお店があります。
P1030371

世界中からやってくるビートルズファンを見込んだのでしょう。他にもこの手のお店が何軒かありました。
ペニー・レインの住人達はなかなか逞しいです。

ちなみに、この交差点からアラートン・ロードを西側へ(ジョンの家の方へ)進んだところに、
イギリスのメジャーなコーヒーチェーン「COSTA」があります。
滞在中に毎晩COSTAに通っていた僕は(Flat Whiteが美味い!)、
「ここにもCOSTAがあるんだなあ」とバスの窓から眺めていたのですが、
バスガイドさんが言うにはなんと、
「ここはCOSTAができる前からコーヒーハウスで、ジョンの最初の妻シンシア・パウエルがアルバイトしていたんだ」
とのこと!
どこに行っても何かしらのエピソードに遭遇する、まさに歴史の宝庫ともいうべきエリアです。



■ストロベリー・フィールズ
そして、「ストロベリー・フィールズ」です。
P1030383

ジョンの家メンディップス、そしてポールと最初に出会ったセント・ピーターズ教会からは目と鼻の先。
この門の向こうには孤児院があり、少年時代のジョンは何度もこの庭に忍び込んでは空想に耽ったそうです。
ジョンは自分だけのこの場所を、門の赤色のイメージから「ストロベリー・フィールド」と名付けました。
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今もこの場所には孤児院があり、1979年に建物が建て替えられたときにはジョンが寄付をしたそうです。
この赤い門も今では使われてはいませんが、外から見える草が生い茂った庭には、
ジョンも感じたであろう秘密めいた雰囲気の名残を感じます。

耳をすませば、<Strawberry Fields Forever>の、あのメロトロンの音色が聞こえてくるようです。
心の中で僕は、「ついにここまで来たんだ」と叫びました。

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今回のツアーで回った場所を大まかに地図上に表示してみます。

まずはリバプール全体。ピンクのポイントがライム・ストリート駅です。
ツアーで回った場所のうち、リンゴの家を除けば大体の場所は青の枠の中に入ります(リンゴごめん)。
tour1

拡大してみます。

より大きな地図で リバプール郊外 を表示
:ジョンの家「メンディップス」
黄色:セント・ピーターズ教会
ピンク:ストロベリー・フィールズ
:ジョージの生家
水色:ペニー・レイン
:ポールの家

今回のツアーでは回らなかったのですが、
他にもバンドの前身「クオリーメン」が結成されたジョンの母校「クオリー・バンク・グラマー・スクール」や、
ジョンとジョージが通っていたダブデイル小学校なども上の地図のエリア内にあります。
つくづくみんな「ご近所さん」であることがわかります。

ビートルズという名前はあまりに世界的すぎるのでつい忘れがちなのですが、
この人たちは、元を正せばただの「地元の仲間で組んだバンド」なんですよね。
オーディションによって才能を見極められて組んだわけでも(リンゴだけはやや例外ですが)、
あるいは音楽学校のような素地的な環境がベースになって集まったわけでもありません。
本当に、たまたま、近くに住んでいた単なる音楽好き同士が集まって、
「お前ギター弾けるのか。じゃ一緒にやろう」みたいなノリで始まったバンドに過ぎません。
このことを、実際に回ってみてつくづく実感しました。

だから、ビートルズのことを「天才集団」とする評価は、微妙に的外れであると僕は思います。
確かに4人に才能があったことは事実でしょう。
しかし、彼らはバンドを組む前は、どこにでもいる単なるロックファンであり、
最初から天才性を発揮していたわけではありません。
彼らの才能は、バンド活動を続けていく中で開花していったと言うべきです。
4人は各自各様に天才になったのではなく、「ビートルズ」によって天才に育ったのです。
だから、ビートルズというバンドでまず評価すべきは4人の個々の才能ではなく、
ビートルズという集団そのものなのです。
バンドというものの面白さ、集団というものの面白さを、
これほど感じさせてくれる存在はなかなかいません。

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※次回はマシュー・ストリートに戻り、“聖地”キャヴァーン・クラブの中に入ります。

(参考文献)
『ビートルズ 心の旅』ザ・ビートルズ・クラブ(光文社)
『Somewhere In The Beatles』福岡耕造(ピエ・ブックス)






※本記事に掲載された内容は2014年1月現在の情報です。
また、できる限り調べて執筆していますが、個人で調べた範囲のものですので、
詳細な場所等には誤りがある可能性があります。ご了承ください。





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