jacket

「80年代生まれ」の
原風景と熱狂


昨年5月に解散を発表した邦ロックバンド、andymori(アンディモリ)。
以前、アルバム『革命』(2011年)を紹介した時にも書いたように、
僕はここ数年、日本の若手バンドを聴く機会が減ってしまっていたのですが、
数少ない例外の一つが、andymoriでした。
ひと昔前のフォークソングのような温かみを感じさせると同時に、
抜き身のナイフのような危うさを併せ持つという、歪んだ魅力に溢れるバンドでした。
ただし、新譜が出たら必ず発売日に買い求めるほど僕が彼らを熱心に聴き続けた理由は、
単なる音楽的な魅力だけではなく、
ソングライター小山田壮平(Vo/Gt)の綴る歌詞に、強い「同世代感」を覚えたからでした。

僕が初めてandymoriを聴いた、彼らの2枚目のアルバム『ファンファーレと熱狂』(10年)。
その1曲目に収録されている<1984>という曲で、
何度も繰り返し歌われるフレーズがあります。

ファンファーレと熱狂 赤い太陽
5時のサイレン 6時の一番星


このフレーズを聴くたびに、僕は胸をかきむしりたくなるくらい、
強烈な懐かしさを覚えます。
まだ小学生に上がるか上がらないかの頃に、
近所の公園にあったジャングルジムのてっぺんから見た、カクテル色の夕焼け空。
半そでシャツから伸びた腕を伝う、夏の終わりの涼しい風。
そしてそこに重なる5時のチャイム。
そんな景色が瞼の裏にハッキリと浮かぶのです。

後から知ったのですが、小山田壮平はこの曲で、
僕らの世代の原風景を歌いたかった」とインタビューで語っていました。
小山田壮平は1984年生まれ。僕は81年生まれ。
公園から見た夕焼けの景色など、年齢に関係なく誰もが一度は目にした景色でしょう。
にもかかわらず、小山田壮平が歌に描いた景色と、
僕の瞼の裏に浮かぶ景色とは同じものなんじゃないかと、なぜか確信するのです。
それは、小山田壮平がインタビューで語ったように、
彼と僕とが「80年代生まれ」という同じ世代にいることが無縁ではないと思うのです。

前述のフレーズは、以下のように続きます。

1984 花に囲まれて生まれた
疑うことばかり覚えたのは戦争映画の見すぎか
親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた
か弱い僕もきっとその後に続いたんだ


80年代の日本って、戦争もないし、経済はなんのかんの言いながら依然右肩上がりだったし、
まさに「花に囲まれ」た時代だったと思います。
少なくとも僕は、明日の食べ物に困ったこともないし、
目に見えるような社会的抑圧を受けたこともありません。

しかし、では、僕は(「僕ら」と同世代全員を括ってしまうのは抵抗があるので、あくまで「僕」は)、
そうした平和な時代に生まれたことを誇りに思っているかというと、すごく微妙だと言わざるをえません。
そんなことを言うと、上の世代から「平和ボケ」だのなんだのと怒られそうだし、
実際ボケているんだろうと思うのですが、どうしても頭の中から拭えない「モヤモヤ」があるのです。
生まれたことを呪うような積極的否定ではないものの、純粋に肯定もできないという、落ち着かなさ。
多分、小山田壮平も同じような感覚を持っているのではないかと想像します。
なぜなら、上記のフレーズに対し、小山田は驚くほど淡々と突き放したように歌うからです。

なぜ、こんなに「モヤモヤ」するのか。

疑うことばかり覚えたのは戦争映画の見すぎか」という歌詞の通り、
現実の暴力とは無縁に育った僕らが負の感情を学んだのは、
学校や家庭ではなく、マンガやアニメや映画といったフィクションでした。
「トラウマ」というと大げさですが、
例えばジブリの『火垂るの墓』に出てきた包帯ぐるぐる巻きのお母さんの映像とか、
ドラゴンボール』のピッコロ編でクリリンや亀仙人らがバッサバッサ殺されていく場面とか、
そういったフィクションによるイメージが、
リアルの体験以上の強烈さで、未だに脳裏に残像を焼きつけています。

そして、「親たちが追いかけた白人たちがロックスターを追いかけた」という歌詞の通り、
何らかのムーブメントというのは、ことごとく僕が生まれたときには時代の彼方に去ってしまっていて、
ウッドストックもパンクも、学生運動もバブル(←生まれてはいましたが年齢的に直接体験はしていない)も、
僕にとっては本やテレビやCDの中の世界のこと(フィクション)で、
仕方なくそういうものの昔話を見たり聞いたりしながら、熱狂の残滓をすするしかありませんでした。

全てが「疑似的」で「後追い」である。
これがおそらく、80年代以降に生まれたことの宿命なのだと思います。
それを不幸であるとは考えたことはありません。
それに、全ての原因を世代に帰結できるとも思っていません(当然、個人の資質という原因だってあるから)。
ただ、何度も言うように、どうしても「おれ(たち)、これでいいのかな?」という
モヤモヤとした自己不信感が拭えないのです。

強烈なリアルな体験も、熱狂的ムーブメントも持たなかったことで、
80年代以降に生まれた世代というのは、
いわばみんなが自然と一緒に熱を注いだ「共通のアウトプット」がありません。
例えば、放映翌日はクラス全員が話題にするテレビ番組や、
昼休みに誰もが参加する人気のスポーツもありませんでした。
いえ、本当はあったのかもしれないのですが、
そもそも、みんなが自然と一緒に何かをするという基盤を持っていないので、
そうした「みんなの熱狂」があったとしても、
それを「自分の熱狂」に落とし込む以外に知らないのです。

いずれにせよ、共通する熱狂の対象を持たなかったことで、
僕も、そしておそらく多くの同世代たちも、
「熱狂の対象は自分で見つけるもの」ということがマナーとして刷り込まれています。
その結果として、同世代同士というのが徹底的にバラバラです。
奇妙な言い方ですが「バラバラである」ということが、共通の世代観なのかもしれません。

そして、「みんなの熱狂」を何一つ持てなかった僕らが
たった一つだけ共有できるものがあるとすれば、
それは、それぞれが自分のいる家や公園から見上げた赤い太陽と、
5時のサイレンと6時の一番星という、
他愛もない風景」なのかもしれないと思うのです。
小山田壮平は、「みんなで一緒に」帰れる原風景として、
<1984>のあの光景を歌っているように思うのです。

繰り返しますが、僕は80年代に生まれたことを不幸だとは思っていません。
同世代同士の連帯感みたいなものが薄いことをさみしいと感じたことはないし、
(僕自身の資質として、そういうものを求めていないということもあります)
過去のいろいろなムーブメントに対しても、憧れこそすれ、
コンプレックスに感じたことはありません。

ただ、事実として、80年代という時代に生まれたことが、
僕の人生、とりわけ感性に対して少なからぬ影響を与えているとは思います。
一方で、そういうことについて誰かと口頭の会話で共有するのは、
話題が深層心理に関わることであるがゆえ、難しい。

そんなときに、andymoriというバンドは、
音楽を介してなんとなく「ああ、そうだよね」という世代的共感を得ることのできる、
「友達」のような存在として僕の前に現れました。
一方的に僕が妄想を押し付けているだけなのだとしても、
他のバンドとはちょっと違う付き合い方ができる存在だっただけに、
未だに解散したことが残念でなりません。

1984


CITY LIGHTS







sassybestcatをフォローしましょう
ランキング参加中!
↓↓よろしければクリックをお願いします

にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ