
ノイズという「肉体音」と
あるバンドへの過剰な期待について
今年前半の最大の傑作が、前々回紹介したテンプルズの『サン・ストラクチャーズ』だとしたら、
最大の「問題作」は間違いなくこれです。
今年1月にリリースされた、銀杏BOYZの新作『光のなかに立っていてね』。
前作『DOORS』『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』から、実に9年ぶりとなる新作でした。
衝撃を受け、混乱させられ、なんとか納得したものの、再び迷いの森に叩き込まれる――。
正直に言えば僕は未だにこの作品を、自分なりにつかまえられずにいます。
本当はリリースされた直後に記事を書こうと思ってたのですが、
なかなか言葉にすることができなくて時間がかかってしまいました。
本当は今でもうまく言葉にはできないのですが、
ゴチャゴチャならゴチャゴチャのまま、言葉にしてみます。
このアルバムを聴いたときに何よりも驚いたのは、
全曲にわたって施されたノイズ(打ち込み)の音でした。
もちろん、過去曲のリアレンジであったり、メンバー3人の脱退だったり、
他にもこの作品について語るべきところはありますが、
僕はひとまず「ノイズ」というテーマに絞って書いてみたいと思います。
というのも、やはりノイズ(打ち込み)というものが、
この作品と前2作との最も大きな違いだと思うから。
前2作にもハウリングの音や峯田和伸の叫びといった、広い意味でのノイズはありましたが、
『光のなかに立っていてね』で使われるノイズは「人工的につくられた、ノイズのためのノイズ」です。
そして、汗臭さにむせ返りそうなほど肉体的だった前作のイメージが染みついていた僕にとって、
ノイズという非肉体的な音には当初、すごく違和感を覚えたのです。
そもそも僕は、ノイズというものに対して馴染みがありませんでした。
はっきり言えば、「何がいいのか分からない」。
ノイズが一つの表現であるということは頭では理解できていても、
僕の耳はそれを単なる「不快な音」としてしか捉えられていなかったのです。
そんな中で、一つの記事を読みました。
↓↓↓
※大友良英『題名のない音楽会』でノイズ語る
「当時のスタンダードからするとビートルズはノイズ」(Real Sound)
この中で音楽家・大友良英は、ウッドストックでのジミ・ヘンドリックスを例に引き、
「ノイズというのは『爆音で音を出したい』というプリミティブな衝動の表れ」と語っています。
ノイズは決して何かのメタファーであったり、観念的でひねくれた表現などではなく、
「でかい音を出してえ!」とか「でかい音は気持ちいい!」といった極めて肉体的なものなんだ、というのです。
※『あまちゃん』で広く知られるようになった大友さんですが、元々は知る人ぞ知る、前衛ノイズミュージシャンです
試しに、ウッドストックでのジミヘンの<Star Spangled Banner>を聴き返してみました。
すると、確かに途中からノイズ化し、曲としての原型がどんどん破綻していくものの、
その不快感の中に、いえ、むしろ不快感があるからこそ、
「もっといけ!」みたいな、「やってしまえ!」みたいな、
不思議な恍惚感が湧いてきます(という気がします)。
衝動に身を任せる快感。
ちょっとかっこつけて言えば、「死」を疑似体験する快感。
大友さんも語っていますが、これって要はパンクと同じ感覚です。
ノイズにはこういう聴き方があったのかと、僕としては目からウロコが落ちる思いでした。
(ノイズミュージックを聴く人はこういう感覚で聴いているのかな?)
この体験は、『光のなかに立っていてね』を聴くうえで大きな手助けになりました。
銀杏BOYZは、かつてギターやシャウトでやろうとしていたことを、
今度はノイズと打ち込みでやろうとしているのではないか。
人工的な音であるが、そこに込められたものは限りなく肉体的なものなのではないか。
そう考えると、僕の中での本作との距離感が、ぐっと縮まった気がしました。
そして、ノイズという非自然音であるからこそ、
彼らがほぼ全ての曲に対してノイズを多用している「過剰さ」が感じられ、その過剰さの中に、
狂乱的な絶叫と童貞少年の偏執的妄想に満ちた前作の匂いをかぎとれた気がしました。
では結局、銀杏BOYZは「変わってない」のか。
それともやはり「変わった」のか。
そして、変わってないにしろ変わったにしろ、
それは一体どういう意味があるのか。
どういうメッセージが込められているのか。
……このように、何かにつけ意味やメッセージを読み取ろうと躍起になるのは、
アーティストや作品と付き合う上で、非常につまらないことです。
何も分からないまま、ただそのアーティストや作品に翻弄されている方が、
何かを分かったような気になるよりもずっと「美味しい」だろうと思います。
ただ、その上でやはり何かを解釈したいと思わせる何かが、
銀杏BOYZにはあると僕は感じています。
何か大事なことを言っているのではないか。
聞き逃してはいけない言葉が隠されているのではないか。
こうした過剰な期待を、僕は彼らに対して持っているのです。
ありていに言えばこれは「依存心」のようなもので、
ちょっと歪んでいるなあと思うのですが、
でも多分、各世代に一人(一組)くらいの割合で、
(好きとか嫌いとかそういうのとはまったく別次元で)
こういう存在はいるんじゃないかと思います。
僕にとってはブルーハーツと銀杏BOYZがそれにあたります。
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