旧東海道を東京・日本橋から京都・三条大橋まで走る「東海道ラン」。
5日目の今日は三島宿(静岡県三島市)から吉原宿(同富士市)まで走ります。
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
#4日目:小田原〜三島
前回の4日目には、小田原から箱根の山越えをして三島へ到着し、そのまま三島のホテルにチェックイン。
5日目の今日はその翌日になります。
前日の900m以上に及ぶ山上り&山下りのダメージを負ったままの、初の2日連続東海道ラン。
ある意味では箱根の山越え以上にチャレンジングな1日になりました。
--------------------------------------------------
■ (12)沼津宿へ
山越えから一夜明けて、やはり筋肉痛が……!
痛いのは太ももの前側。しかも鈍い痛みではなく、ビキビキッ!という鋭い痛みです。
これはおそらく山下りのダメージですね。
確かに、下り坂をあんなに長い距離(約10km)にわたって走ったことなんてないもんなあ。
おおお、果たして俺は今日走りきれるのか。
しかも運の悪いことに今日は雨。
昨日までは曇り予報だったのに、今朝になって雨予報に変わってしまいました。
肉体的にも精神的にも「どよ〜ん」とした感じで、
昨日(4日目)にゴールした駿豆線の「三島広小路」駅からスタートします。
現在朝の6時。

今日のコースは、3日目(藤沢〜小田原)と同じようにひたすら県道or国道。
この退屈さも大きな障害になりそうです。

スタートしてすぐに左側にある秋葉神社。

かつてはここが上方見附だったそうです。
つまり「三島宿」はここまで。
そのほぼ向かいには「千貫樋」の説明板。

千貫樋とは、戦国時代に北条氏康が今川氏と和睦した際に建設した樋のこと、らしい。
多分、写真の左奥に見える橋みたいなのがそうだよね?
大正時代にコンクリ製に修復したって書いてありますが、
ってことはそれまではずっとオリジナルが架かってたんでしょうか。すげえな。
さらにその先、右側に常夜灯。

幕末に建てられたものだそうです。
多分、この旅で初めて見た常夜灯になります。
しばらく行くと今度は一里塚を発見。

この「玉井寺一里塚」は昔のまんまだそうです。
ちょっとした古墳くらいのビッグサイズ。

やっぱり「昔のまま」「当時の姿と変わらない」と言われると感激しますね。
「同じものを目にしている」ということで大昔の旅人とつながれたような気がします。
東海道ランの醍醐味ですね。
一里塚からさらに1kmほど走ると右側に見えてくるのが、長沢八幡宮。

この神社の境内には、富士川の戦い(1180年)の際に、
参陣した源義経と兄・頼朝とが対面した際に腰かけた「対面石」というものがあります。

幼くして生き別れた2人は久々の再会に涙を流して喜ぶという、
源平モノで必ず描かれる有名な場面の舞台ってことですね。
ただ、僕はそれよりも、対面する石と石との距離が近いことが気になりました。
仮にも総大将とその弟が、こんなカフェみたいな距離感で対面したんだろうか。
長沢八幡宮を過ぎると間もなく黄瀬川を渡ります。
前述の富士川の戦いで、源氏側が陣を張った場所としてよくこの川の名前も出てきますね。

ちなみにGoogleマップとかで見ると、旧東海道沿いのこの場所には橋は無いことになってるのですが、
つい最近架けられたのか、ご覧の通り橋がありました。
黄瀬川を渡ると沼津市に入ります。
左側の脇道へ入ります。間もなく沼津の市街地。

一里塚がありました。

この北側に日枝神社があるのですが、その参道入り口の脇にあります。
三園橋交差点の歩道橋から。
奥に見えるのが三園橋。流れているのは狩野川です。

再び脇道へ。すぐ隣は狩野川。
「川廓通り」という名前は、この道がちょうど沼津城の城郭と川の間にあることから。

奥に見える木の茂った場所が中央公園。かつての沼津城の本丸があった場所です。

見に行こうかと思ったけど雨が強くてなんかもうスルー。
中心街へ入ってきました。スルガ銀行本店(沼津にあるんだね)の
駐車場の脇に「高田本陣」跡を発見。

沼津宿は元々が城下町だったということもあり、
本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠が55軒という、なかなか大きな宿場町だったそうです。
というわけで沼津宿に到着。三島宿から約6kmでした。
現在朝の7時。雨は止みそうにない……。
--------------------------------------------------
■ (13)原宿へ
実は沼津宿にたどり着いた時点で心は折れかかってました。
「これはひょっとして筋肉痛ではなく故障しているんじゃ?」と思うくらいの太ももの痛みと、
一向に止まない雨のダブルパンチで、
頭の中では「めんどくさい」「痛い」「やめたい」「帰って寝たい」という言葉がグルグルと回ってました。
が、せっかく泊りがけで来ているのに6km走っただけで終えるのはあまりにもったいない!という、
殊勝というか、意地というか、要は貧乏性というか、
まあとりあえずせめて10kmは走ろうと思い直し、再度スタートを切りました。
すげー走りたくねえ、と思いながら沼津本町の端の交差点へ。

東海道はこの交差点を右折して一路西へと進むのですが、
僕は真っ直ぐ行くことに。
実はここで、あえてルートを外れてでも見たい場所がありました。
それが、千本松原。

沼津から富士市の田子の浦まで約10kmにもわたって広がる松林。
若山牧水や井上靖といった作家が愛した場所で、日本百景のひとつにも選ばれています。
沼津宿の本陣跡から1km足らずの距離。
確かにこれは千本くらいあるかも。

東海道の旧道を走る、というルールを破ることになりますが、
しばらくは松林の中を走ることにしました。

きっと雨じゃなかったらもっときれいな景色だったんだろうなあ。
松林のすぐ隣がもう駿河湾です。
3kmほど走って東海道に戻りました。

千本松原よりも1本内陸側を走る県道163号。
この真っ直ぐな道がかつての東海道です。

しばらくはこの県道163号を走ることになります。
右側に見えたJR東海道線の片浜駅。

東海道線をずっと右手に見ながら走ってきましたが、
片浜駅の先で踏切りを渡り、今度は東海道線が左側に移ります。

さらに1km。唐突に道ばたに標柱が現れました。
※「チャーハン」ののぼりの手前の黒い柱

これがかつての原宿の問屋場跡だそうです。
そして、さらにその先に本陣跡を発見。

原宿の本陣である渡邉家は、源頼朝の弟(義経の兄)である阿野全成の子孫なんだそうです。
しっかしなんていうか……ぶっきらぼうというか無愛想というか、
これほど情緒のない宿場町も珍しい。
当時の姿を偲ぶのは、道ばたに無造作に置かれた標柱だけです。
これじゃあ近隣の人でさえ、ここがかつて東海道の宿場町だったということを知らないんじゃないだろうか?
本陣の先には西木戸(上方見附)跡がありました(やっぱり標柱のみ)。

説明板によると、原宿は東西2.2kmあったと書かれていますから、
それなりに大きな宿場町だったはずですが、今ではその気配はまるで感じられません。
というわけで原宿に到着。
沼津宿からここまで7.5kmでした。
--------------------------------------------------
■ (14)吉原宿へ
スタートの三島宿からここまでおよそ15km。
雨は止みましたが、代わりに足がほとんど動かなくなってきました。
ほとんど早歩きと変わらないスピードですが、これが限界。
今朝スタートした時点では太ももの筋肉痛だけだったのですが、
膝から下、ふくらはぎにまで痛みが広がってきました。
おまけに相変わらず背中の荷物が重い!
首から背中にかけてが張ってきているのが分かります。
この時点で、今日予定していたゴールの吉原宿までたどり着くことは諦めました。
代わりに、その手前のJR東海道線の吉原駅を今日のゴールに切り替え。
(吉原宿と吉原駅というのは距離が離れているのです)
「駅」と「宿」の違いはあるけど、とりあえず同じ「吉原」までは頑張って走ろうと。
本心は、原宿のすぐ隣にある東海道線の原駅や、
その隣の東田子の浦駅で電車に乗ってしまいたいのですが、
そうすると次回リスタートをするときにわざわざ移動してくるのが面倒くさい。
その点、吉原駅なら新幹線の新富士駅から近いので、次が楽だろうと。
一応そういう計算もあります。
ということで再びまた県道163号を走ります。
ホント、嫌になるくらい何もない一本道。

東海道線を渡ります。

富士市に入りました。

足を交互に前に出すということだけに集中してます。
原宿から約3.5km。
間の宿(あいのしゅく)である柏原本陣跡を発見しました。

大磯〜小田原間の松屋本陣、小田原〜箱根間の畑宿に続いて、
この旅3か所目の間の宿ですね。
道の向かいにJR東田子の浦駅があります。
田子の浦というと、ちょうど北側に富士山が見える絶好のビュースポットとして有名ですが、
何度も言うようにこの日は雨/曇りなので何も見えません。
つくづく思ったのですが、別に急いでる旅じゃないのだから、
もうちょっと天気のいい日を選んで走った方がいいですね。
次回はそうしよう。
柏原本陣の先、昭和放水路を渡ります。
放水路という名前ですが歴とした一級河川。
橋のたもとに昔は一里塚があったそうです。

「檜」という名前の交差点で脇道へ。
案内板(下写真の左)が順路を示してくれています。

実は、ちょうどこの檜交差点のあたりが、
元々の吉原宿があった場所なんだそうです。
「(元)吉原宿跡」と書かれた小さな標柱が立ってました。

当初は宿場町をこの場所に築いたところ、
海が近いため(現在も400m弱しかない)たびたび高波などの被害に遭ってしまい、
中吉原宿、そして現在の新吉原宿と、内陸へと移転を繰り返したんだそうです。
確かに地図を見ると、ずっと海べりに伸びてきた東海道が、
吉原宿のとこだけ急に内陸に入ってるんですよね。
そういうことだったのか。
ある意味ここも吉原宿ということで、
今日の当初の目標も一応は達せられました(ということにしよう)。
先ほどの元吉原宿から約2km走ってきました。
東海道はこの交差点を渡り、写真奥に見える東海道線の踏切を渡って北へ向かいます。

が、僕が向かうのは吉原駅なのでこのまま直進。
線路沿いを走ります。向こうに吉原駅が見えてきました。

ゴォォォ〜ル!!

あ〜しんどかった。
実はこの後、かなり強めの雨が降ってきました。
欲を出して吉原宿まで走らなくてよかった……。
初めての泊りがけのランでしたが、
やはり箱根の山越えのダメージが想像以上だったことと、
何より日頃のトレーニング不足(今年は正直あまり走れてません)が出たな、という感じです。
まあ先は長いので、昨日今日の2日間こそが今後に向けたトレーニングだと思うようにします。はい。
帰りの新幹線では、新富士駅の売店で買った「富士山弁当」を食べました。

ご飯が富士山の形してる。
ちなみに筋肉痛はこの後3日間続きました。
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5日目の今日は三島宿(静岡県三島市)から吉原宿(同富士市)まで走ります。
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#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
#4日目:小田原〜三島
前回の4日目には、小田原から箱根の山越えをして三島へ到着し、そのまま三島のホテルにチェックイン。
5日目の今日はその翌日になります。
前日の900m以上に及ぶ山上り&山下りのダメージを負ったままの、初の2日連続東海道ラン。
ある意味では箱根の山越え以上にチャレンジングな1日になりました。
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■ (12)沼津宿へ
山越えから一夜明けて、やはり筋肉痛が……!
痛いのは太ももの前側。しかも鈍い痛みではなく、ビキビキッ!という鋭い痛みです。
これはおそらく山下りのダメージですね。
確かに、下り坂をあんなに長い距離(約10km)にわたって走ったことなんてないもんなあ。
おおお、果たして俺は今日走りきれるのか。
しかも運の悪いことに今日は雨。
昨日までは曇り予報だったのに、今朝になって雨予報に変わってしまいました。
肉体的にも精神的にも「どよ〜ん」とした感じで、
昨日(4日目)にゴールした駿豆線の「三島広小路」駅からスタートします。
現在朝の6時。

今日のコースは、3日目(藤沢〜小田原)と同じようにひたすら県道or国道。
この退屈さも大きな障害になりそうです。

スタートしてすぐに左側にある秋葉神社。

かつてはここが上方見附だったそうです。
つまり「三島宿」はここまで。
そのほぼ向かいには「千貫樋」の説明板。

千貫樋とは、戦国時代に北条氏康が今川氏と和睦した際に建設した樋のこと、らしい。
多分、写真の左奥に見える橋みたいなのがそうだよね?
大正時代にコンクリ製に修復したって書いてありますが、
ってことはそれまではずっとオリジナルが架かってたんでしょうか。すげえな。
さらにその先、右側に常夜灯。

幕末に建てられたものだそうです。
多分、この旅で初めて見た常夜灯になります。
しばらく行くと今度は一里塚を発見。

この「玉井寺一里塚」は昔のまんまだそうです。
ちょっとした古墳くらいのビッグサイズ。

やっぱり「昔のまま」「当時の姿と変わらない」と言われると感激しますね。
「同じものを目にしている」ということで大昔の旅人とつながれたような気がします。
東海道ランの醍醐味ですね。
一里塚からさらに1kmほど走ると右側に見えてくるのが、長沢八幡宮。

この神社の境内には、富士川の戦い(1180年)の際に、
参陣した源義経と兄・頼朝とが対面した際に腰かけた「対面石」というものがあります。

幼くして生き別れた2人は久々の再会に涙を流して喜ぶという、
源平モノで必ず描かれる有名な場面の舞台ってことですね。
ただ、僕はそれよりも、対面する石と石との距離が近いことが気になりました。
仮にも総大将とその弟が、こんなカフェみたいな距離感で対面したんだろうか。
長沢八幡宮を過ぎると間もなく黄瀬川を渡ります。
前述の富士川の戦いで、源氏側が陣を張った場所としてよくこの川の名前も出てきますね。

ちなみにGoogleマップとかで見ると、旧東海道沿いのこの場所には橋は無いことになってるのですが、
つい最近架けられたのか、ご覧の通り橋がありました。
黄瀬川を渡ると沼津市に入ります。
左側の脇道へ入ります。間もなく沼津の市街地。

一里塚がありました。

この北側に日枝神社があるのですが、その参道入り口の脇にあります。
三園橋交差点の歩道橋から。
奥に見えるのが三園橋。流れているのは狩野川です。

再び脇道へ。すぐ隣は狩野川。
「川廓通り」という名前は、この道がちょうど沼津城の城郭と川の間にあることから。

奥に見える木の茂った場所が中央公園。かつての沼津城の本丸があった場所です。

見に行こうかと思ったけど雨が強くてなんかもうスルー。
中心街へ入ってきました。スルガ銀行本店(沼津にあるんだね)の
駐車場の脇に「高田本陣」跡を発見。

沼津宿は元々が城下町だったということもあり、
本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠が55軒という、なかなか大きな宿場町だったそうです。
というわけで沼津宿に到着。三島宿から約6kmでした。
現在朝の7時。雨は止みそうにない……。
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■ (13)原宿へ
実は沼津宿にたどり着いた時点で心は折れかかってました。
「これはひょっとして筋肉痛ではなく故障しているんじゃ?」と思うくらいの太ももの痛みと、
一向に止まない雨のダブルパンチで、
頭の中では「めんどくさい」「痛い」「やめたい」「帰って寝たい」という言葉がグルグルと回ってました。
が、せっかく泊りがけで来ているのに6km走っただけで終えるのはあまりにもったいない!という、
殊勝というか、意地というか、要は貧乏性というか、
まあとりあえずせめて10kmは走ろうと思い直し、再度スタートを切りました。
すげー走りたくねえ、と思いながら沼津本町の端の交差点へ。

東海道はこの交差点を右折して一路西へと進むのですが、
僕は真っ直ぐ行くことに。
実はここで、あえてルートを外れてでも見たい場所がありました。
それが、千本松原。

沼津から富士市の田子の浦まで約10kmにもわたって広がる松林。
若山牧水や井上靖といった作家が愛した場所で、日本百景のひとつにも選ばれています。
沼津宿の本陣跡から1km足らずの距離。
確かにこれは千本くらいあるかも。

東海道の旧道を走る、というルールを破ることになりますが、
しばらくは松林の中を走ることにしました。

きっと雨じゃなかったらもっときれいな景色だったんだろうなあ。
松林のすぐ隣がもう駿河湾です。
3kmほど走って東海道に戻りました。

千本松原よりも1本内陸側を走る県道163号。
この真っ直ぐな道がかつての東海道です。

しばらくはこの県道163号を走ることになります。
右側に見えたJR東海道線の片浜駅。

東海道線をずっと右手に見ながら走ってきましたが、
片浜駅の先で踏切りを渡り、今度は東海道線が左側に移ります。

さらに1km。唐突に道ばたに標柱が現れました。
※「チャーハン」ののぼりの手前の黒い柱

これがかつての原宿の問屋場跡だそうです。
そして、さらにその先に本陣跡を発見。

原宿の本陣である渡邉家は、源頼朝の弟(義経の兄)である阿野全成の子孫なんだそうです。
しっかしなんていうか……ぶっきらぼうというか無愛想というか、
これほど情緒のない宿場町も珍しい。
当時の姿を偲ぶのは、道ばたに無造作に置かれた標柱だけです。
これじゃあ近隣の人でさえ、ここがかつて東海道の宿場町だったということを知らないんじゃないだろうか?
本陣の先には西木戸(上方見附)跡がありました(やっぱり標柱のみ)。

説明板によると、原宿は東西2.2kmあったと書かれていますから、
それなりに大きな宿場町だったはずですが、今ではその気配はまるで感じられません。
というわけで原宿に到着。
沼津宿からここまで7.5kmでした。
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■ (14)吉原宿へ
スタートの三島宿からここまでおよそ15km。
雨は止みましたが、代わりに足がほとんど動かなくなってきました。
ほとんど早歩きと変わらないスピードですが、これが限界。
今朝スタートした時点では太ももの筋肉痛だけだったのですが、
膝から下、ふくらはぎにまで痛みが広がってきました。
おまけに相変わらず背中の荷物が重い!
首から背中にかけてが張ってきているのが分かります。
この時点で、今日予定していたゴールの吉原宿までたどり着くことは諦めました。
代わりに、その手前のJR東海道線の吉原駅を今日のゴールに切り替え。
(吉原宿と吉原駅というのは距離が離れているのです)
「駅」と「宿」の違いはあるけど、とりあえず同じ「吉原」までは頑張って走ろうと。
本心は、原宿のすぐ隣にある東海道線の原駅や、
その隣の東田子の浦駅で電車に乗ってしまいたいのですが、
そうすると次回リスタートをするときにわざわざ移動してくるのが面倒くさい。
その点、吉原駅なら新幹線の新富士駅から近いので、次が楽だろうと。
一応そういう計算もあります。
ということで再びまた県道163号を走ります。
ホント、嫌になるくらい何もない一本道。

東海道線を渡ります。

富士市に入りました。

足を交互に前に出すということだけに集中してます。
原宿から約3.5km。
間の宿(あいのしゅく)である柏原本陣跡を発見しました。

大磯〜小田原間の松屋本陣、小田原〜箱根間の畑宿に続いて、
この旅3か所目の間の宿ですね。
道の向かいにJR東田子の浦駅があります。
田子の浦というと、ちょうど北側に富士山が見える絶好のビュースポットとして有名ですが、
何度も言うようにこの日は雨/曇りなので何も見えません。
つくづく思ったのですが、別に急いでる旅じゃないのだから、
もうちょっと天気のいい日を選んで走った方がいいですね。
次回はそうしよう。
柏原本陣の先、昭和放水路を渡ります。
放水路という名前ですが歴とした一級河川。
橋のたもとに昔は一里塚があったそうです。

「檜」という名前の交差点で脇道へ。
案内板(下写真の左)が順路を示してくれています。

実は、ちょうどこの檜交差点のあたりが、
元々の吉原宿があった場所なんだそうです。
「(元)吉原宿跡」と書かれた小さな標柱が立ってました。

当初は宿場町をこの場所に築いたところ、
海が近いため(現在も400m弱しかない)たびたび高波などの被害に遭ってしまい、
中吉原宿、そして現在の新吉原宿と、内陸へと移転を繰り返したんだそうです。
確かに地図を見ると、ずっと海べりに伸びてきた東海道が、
吉原宿のとこだけ急に内陸に入ってるんですよね。
そういうことだったのか。
ある意味ここも吉原宿ということで、
今日の当初の目標も一応は達せられました(ということにしよう)。
先ほどの元吉原宿から約2km走ってきました。
東海道はこの交差点を渡り、写真奥に見える東海道線の踏切を渡って北へ向かいます。

が、僕が向かうのは吉原駅なのでこのまま直進。
線路沿いを走ります。向こうに吉原駅が見えてきました。

ゴォォォ〜ル!!

あ〜しんどかった。
実はこの後、かなり強めの雨が降ってきました。
欲を出して吉原宿まで走らなくてよかった……。
初めての泊りがけのランでしたが、
やはり箱根の山越えのダメージが想像以上だったことと、
何より日頃のトレーニング不足(今年は正直あまり走れてません)が出たな、という感じです。
まあ先は長いので、昨日今日の2日間こそが今後に向けたトレーニングだと思うようにします。はい。
帰りの新幹線では、新富士駅の売店で買った「富士山弁当」を食べました。

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