
なぜ彼らは最後まで
「パンク」でいられたのか
先週、ラモーンズのドキュメンタリー映画『END OF THE CENTURY』のリバイバル上映を見てきました。
オリジナルが公開されたのは2003年。
メンバーや家族、関係者のインタビューを基に、
バンドの結成から解散、そして02年のロックの殿堂入りまでを追った、
ラモーンズそのものに焦点を当てたドキュメンタリーとしては唯一の映像作品です。
そして映画を見終わった直後、僕は自宅の本棚で読まずにとっておいた、
書籍『I Love RAMONES』を手に取りました。
こちらは、ラモーンズ愛が高じてメンバーと友達になり、
ついには日本のラモーンズファンクラブを設立した、
カメラマンの畔柳ユキが2007年に書き下ろしたものです。
バンドのドキュメンタリーというと、
そのバンドが「いかにすごかったか」だけを手放しで褒めまくる作品が多いものですが、
この2作品はラモーンズに対する冷静な(けれど愛のある)批評性があって、
どちらも非常に見ごたえ(読みごたえ)がありました。
映画『END OF THE CENTURY』では、メンバーの不和や解散、「レコードが売れない」といった、
いわばバンドの「負の歴史」を描くことに多くの時間を割いています。
メンバーに対する個別のインタビューで、それぞれが語る言い分が全く異なっていることも、
そのまま映像に収められています。
書籍『I Love RAMONES』は、メンバーと個人的に親交のある著者が、
プライベートやバックステージで実際に体験した出来事を軸に書かれているため、
メンバーの日常をすぐ横で眺めているような臨場感があり、
僕のような後発のファンにとっては、いわゆる記録本や資料本よりも貴重な本でした。
映画を「正史」とすれば、本はちょうど「裏面史」のような位置づけになるでしょうか。
2つの作品を見て(読んで)驚いたことはいくつもあります。
例えば、オリジナルメンバーの中で最も早くバンドを抜けた初代ドラマーのトミーが、
実は結成時はバンドのマネージャー兼プロデューサー兼エンジニア役であり、
ラモーンズ・サウンドの草創期に置いて非常に大きな役割を果たしたこと。
しかし、そのトミーの脱退について「ショックだった」としながらも、
ジョニー(Gt)もディー・ディー(Ba)も、サウンドへの影響は「全くなかった」と答えていること。
特に映画の中でジョニーが語った、
「誰が歌っても誰が演奏してもラモーンズはラモーンズだ」という言葉は、とても意外でした。
また、イギリスではピストルズやクラッシュらの「兄貴分」として、ロンドンパンク・ムーブメントのきっかけをつくり、
アルゼンチンでは7万人収容のスタジアムでのライブをソールドアウトさせたりと、
海外では圧倒的な影響力と人気を誇っていたにもかかわらず、
本国アメリカでは解散間際までストリップ小屋と一緒になった汚いライブハウス回りを続けていたことも、
やはりとても意外でした。
ただ、中でも最もショッキングだったのは、
(おそらく多くの観客・読者もそうだったように)ジョーイ(Vo)とジョニーの関係です。
かつて、ジョーイにはリンダという仲の良いガールフレンドがいました。
しかしリンダはその後、あろうことかジョニーと付き合うことになってしまいます。
ジョニーが奪ったのか、リンダの意志だったのかは定かではありませんが、
いずれにせよ結果的に2人はリンダをめぐって非常にナイーブな関係になってしまうのです。
このエピソード自体は有名な話ですので僕も知ってはいたのですが、
2つの作品、とくに書籍『I Love RAMONES』には、
当時の2人の関係やバンドの空気がどのようなものだったかが、克明に記録されています。
詳しく説明するのは野暮なので書きませんが、
バンドやスタッフにとっても、そして本人たちにとっても、相当ストレスフルな状態だったようです。
で、僕は何に驚いたかというと、
そんなナーバスな状態に陥ったにもかかわらず、バンドが存続し続けたということです。
ジョーイが、リンダとジョニーとの出来事を題材にして作ったといわれる、
<The KKK Took My Baby Away>という曲があります。
「KKKが彼女を奪い去ってしまった。彼女はもう戻ってこない」という歌詞を、
当のKKK=ジョニーを前に堂々と歌うジョーイもすごいですが、
それを平然と弾きこなし、さらにはライブで定番のセットリストに加えてしまうジョニーもすごい。
この曲が発表されたのは1981年ですから、
リンダをめぐる「事件」が起きたのは70年代末から80年代初頭だと推測できます。
そしてラモーンズの解散は96年。
ということはつまり、ラモーンズは10年以上にわたってこのストレスを抱え続けたわけです。
しかも、ツアーを回り、毎日のようにステージに立ち、合間にアルバムを出すという、
超コンスタントな活動をいっさい緩めることなく。
興味深いのは、普段はまったく口を利かないほどギスギスしていたジョーイとジョニーが、
「ラモーンズ」という場所においては、ある種の信頼関係で結ばれていたことです。
普段は口を利かないのに、ステージ上のリハーサル中だけは言葉を交わすこと。
ジョーイの死の翌年、ラモーンズがロックの殿堂入りを果たした際に、
授与式で恒例となっているライブをやるのかと聞かれたジョニーが、
「ジョーイが歌わなきゃラモーンズじゃないから」と断ったこと。
書籍『I Love RAMONES』には、そうしたエピソードが綴られています。
特にジョニーの発言は、
前述の「誰が歌っても誰が演奏してもラモーンズ」という言葉と明らかに矛盾するのですが、
本人はリップサービスなどではなく、本気でそう思っていた節がある。
他の全てはバラバラでも、肝心の音楽で信頼関係があったからこそ、
彼らはバンドを続けられたのでしょうか。
僕も劇団という生産集団をやっていましたが(てゆうか今でも一応やってますが)、
実際、ある生産集団内における人間関係の煩わしさは、
才能や作品と全く関係ないにもかかわらず、それだけで十分、創作への動機をくじきます。
僕がもしジョニーかジョーイの立場だったら、多分辞めてるでしょう。
それが容易に想像つくだけに、僕は彼らのことをすごくプロフェッショナルだなあと思うし、
「それでも辞めない」という情熱に対して(妙な言い方ですが)うらやましいと感じました。
映画も書籍も、ラモーンズの生々しい空気が封じ込められています。
そのことで、確かに意外に感じたり、ショックを受けたりすることはありますが、
だからといって別に幻滅したりはしません。
むしろ、彼らを手放しで称賛するような内容だった方がガッカリしたでしょう。
なぜなら、ドキュメンタリーだからといって取り繕わない姿勢、
あるいは畔柳ユキの目に映った「不完全なバンド」としての彼らの姿に、
評価されなかろうが、仲が悪かろうが、
結局最後までスタイルがブレなかったラモーンズの「頑固さ」と同じものを感じて、
奇妙に安心してしまうからです。
映画『END OF THE CENTURY』予告編
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