
「老いたロッカー」たちは
今、何を歌うのか?
今年の1月28日、音楽評論家の中山康樹さんが亡くなりました。
元々はジャズ専門誌『スイング・ジャーナル』の編集長でしたが、
ロックにも造詣が深く、以前このブログでも紹介した『ビートルズの謎』をはじめ、
ビートルズやビーチボーイズ、ディラン、ストーンズなど、
主に60年代のロック・アーティストに関する書籍を数多く執筆してきました。
多作の人だったので(Amazonで検索するたびに新刊が出ていた印象がある)、
僕はまだすべての著書を読んだわけではないのですが、
自分の音楽観、音楽歴史観を育む上で、この人の影響は少なくありませんでした。
中山さんの書籍を読んだことで「音楽との付き合い方」は間違いなく幅が広がったし、
また、キッパリとした物言いは崩さないものの、
「この音楽を精一杯肯定しよう」という愛情に満ちた姿勢も、とてもリスペクトしていました。
これからも末永く付き合っていきたいと思っていただけに、残念でなりません。
僕がこれまで読んだ中山さんの著書の中で、特に印象に残っているのがこれ。
『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』。
ミック・ジャガー71歳、ポール・マッカートニー72歳、ボブ・ディラン73歳、
ブライアン・ウィルソン72歳……(全て2015年4月現在)
60年代というロックミュージックの草創期を支えたアーティスト達も、
今や続々と古希を迎えています。
本書の主役は、そんな「老いたロッカー」たちです。
全盛期のような曲はもう書けない。歌声も衰えてしまった。
それでも彼らは、今でも精力的に新譜を出し、
ホールやライブハウスに会場をスケールダウンしながら、ステージに立ち続けています。
ザ・フーのロジャー・ダルトリーは、71歳を迎えた今も、
「Hope I die, before get old(老いる前に死にたいぜ)」(<My Generation>)と歌っています。
ロックという音楽は、まだせいぜい60年やそこらの歴史しかありません。
つまり、ロックにとって「老い」というものは、これまで未知の領域だったのです。
だからこそ、「老いたロッカー」たちの歌に耳を傾けることは、
ロックの行く末や可能性を知るためのヒントになると、中山さんは言います。
この本の最大のポイントは、老いたロッカーたちの「今」に焦点を当てている点でしょう。
エリック・バードンやロジャー・マッギンなんていう人たちが今何をしているのかなんて、
よほどのファンか、音楽ニュースを相当丹念に読む人でなければ知らないはずです。
60〜70年代のバンドを取り上げた雑誌や書籍のほとんどが彼らの全盛期、
つまり「過去」にしか焦点を当てようとしない中で、
ここまで丁寧にスターたちの「今」を追跡した本は珍しいのではないでしょうか。
本書を最初に読んだのは今から4〜5年前でした。
当時も「老いたロック」という切り口の斬新さに驚いたのですが、
一昨年から去年にかけて、そんな老いたロッカーたちが立て続けに来日したことで、
僕は彼らの姿を生で見る機会に恵まれました。
(過去記事)
KISS
ポール・マッカートニー
ローリング・ストーンズ
ボブ・ディラン
ウィルコ・ジョンソン
彼らの姿を実際に見て思ったのは、「老いたロッカー」のあり方は、大きく2つに分かれるということ。
一つは、かつての自分のヒット曲をひたすら繰り返し演奏し続ける「懐メロ派」。
もう一つは、今でも精力的に新曲を作り続け、己の音楽を追求し続ける「求道派」。
KISSやストーンズやウィルコは前者。
ディランは間違いなく後者。まだ生で見てませんが、ブライアン・ウィルソンも後者でしょう。
ポールは中間、やや前者寄りでしょうか。
上に挙げた中で最も圧倒されたのは、ディランです。
新曲を作り続けることで、自らの創造力の変遷や興味の移ろいを、
(たとえそれが往年のファンには受け入れられないとしても)
克明にドキュメントし続ける姿勢そのものに、強烈な「凄み」を感じました。
一方の懐メロ派にも、大いに感情移入するところがありました。
KISSやストーンズのように、「同じことをひたすらやり続ける」という
愚直とも呼べるスタイルには、ある意味では求道派以上のストイックさを感じたし、
ポールのように「老いたからこそ歌えるビートルズ」を提示するのも、
一つのあり方だと納得させられるものがありました。
特にポールのステージには、「次世代にビートルズを伝えなきゃ」という、
老いから来る使命感のようなものがあったのが印象的でした。
ただ、どちらのタイプにも共通して言えるのは、
前述のように、ロックが「老い」という領域に足を踏み入れてから日が浅いので(変な言い方だな)、
ミックもポールもディランも、まだ「老いたロック」を模索している最中だということです。
(パイオニアというのは年老いてもまだ「開拓」しなければならない運命なんですね…)
そして当然のことながら、リスナーも「老いたロック」を聴くのは初めてなので、
僕ら自身も彼らの音楽をどう消化していくかを模索する必要があるとも言えます。
僕が思うのは、ロックが「老い」という領域に入ったことで、
ロックという音楽は「ロールモデル」になりつつあるのではないかということ。
最盛期を過ぎ、衰え、さまざまな人生の波を乗り越えながら音楽を続ける。
かつてのロックレジェンドたちがそうした姿を晒すことで、
ロックという音楽は、一過性のファッションやスタイルではなく、
より普遍的でより具体的な、生き方のサンプルになるんじゃないかと思うのです。
社会的にも高齢化が進んでいるこのタイミングで、
彼らレジェンドたちが老いていく姿を見られるというのは、
なんかちょっと不思議な符号という気がします。
中山康樹さんの著書のなかに『愛と勇気のロック50』という本があります。
ディスクレビュー本なんですが、取り上げられているのは「老いたロッカー」たちの最新盤。
つまり、年老いてから作ったアルバムだけを取り上げたレビュー本なのです。
(当然、取り上げられているほとんどのアルバムを知りませんでした)
ちょうど本書の姉妹編のような内容なので、併せて読むと面白いと思います。
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共感しました。
確かにロックの歴史なんてたかが60年そこそこなんですから、「老いとロック・ミュージシャン」の関係も、これからの新たなロック・ミュージシャンにとっての「課題」なのかもしれませんね。
ブルースメンはB.B.キングを始めとして、けっこうな年齢になっても活躍しているみたいですけどね。
チャック・ベリーは最近噂を聞かないけれど、どうなんでしょうか。
私はストーンズ・フリークで、ディランはほとんど聞かない人間なんですけど、ディランの新曲に取り組む姿勢には感心させられます。
また、お邪魔させていただきます。