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作曲者でさえも寄せつけない
完璧で静かな世界


ビーチボーイズブライアン・ウィルソンが、
アルバム『Pet Sounds』のリリース50周年を記念した同作の「完全再現ライブツアー」で来日しました。

この作品についてはずい分前にブログに書きました
評価が高すぎるがゆえに、後追い世代からは
「とりあえず褒めとけば“通”ぶることができる」という、逆に不名誉な評価を受けてしまっている『Pet Sounds』。
でも、僕はこのアルバムはやっぱり特別だと思う。
今回の来日公演はもちろん見に行ったんですけど、
眼前で演奏されたこの作品を聴いて、改めてそう感じました。

ライブは前半がビーチボーイズのヒット曲集、後半が『Pet Sounds』の完全再現という2部構成でした。
後半、再現ライブも佳境を迎えたアルバム12曲目の表題曲<Pet Sounds>が始まると、
舞台袖からタンバリンを手にしたブロンディ・チャップリンが出てきました。
1970年代に一時期ビーチボーイズのメンバーに名を連ねたブロンディは今回のツアーに帯同していて、
第1部の終盤で持ち曲の<Wild Honey>などを披露しました。
ブロンディは66年の『Pet Sounds』には参加していないので本来なら第2部は出る必要ないのですが、
おそらくファンサービスの一つのつもりで出てきたのでしょう。

しかしブロンディがステージに現れた瞬間、僕の隣に座っていた女性が呟きました。
「あ〜あ、あの人また出てきちゃったよ」と。
実は、僕も全くの同意だったのですが、
この呟きにこそ『Pet Sounds』の特別さの一端が表れていると思いました。

第1部で登場したブロンディは、わざとメロディを崩して歌ったり、
ノイジーなほど歪ませたギターで長いソロを弾いたりと、
かなり「自由」にパフォーマンスをしていました。
しかし、ビーチボーイズの音楽、とりわけ『Pet Sounds』というのは、
ブライアンの緻密な計算によって作られ、一部の狂いも許されない完璧で静謐な世界です。
このアルバムをライブで「完全再現」するならば、
作品の世界観から少しでもはみ出したプレイヤーや演奏は、途端に邪魔になってしまう
だから、積極的に客席を煽ったり、最前列の観客と握手したりするワイルドなキャラクターのブロンディは、
いわば「不純物」だと映ってしまったのです。

同じ理由で、表題曲<Pet Sounds>の後半でサックスのインプロが延々続いたのも余計でした。
とにかくこの作品を演奏するなら、音源にあるメロディ以外は鳴らすべきではない。
そして、それは作者であるブライアン自身も例外ではありません
彼の、もはやヨボヨボでかすれきったボーカルは、
『Pet Sounds』には不要であるばかりか、足を引っ張ってすらいました。

もちろん、年をとったアーティストが、声の張りやツヤを失った代わりにしわがれた、深みのある声を手にして、
若い頃とは違う何かを表現してくれる、「老いたロッカー」ならではの表現はあります。
例えばポール・マッカートニーが歌う<Black Bird>のように。
しかし、冷凍保存された標本がほんの少しでも外気に触れたら腐ってしまうように、
このアルバムだけは「老い」というものと無縁な場所に置いておかないと、まるで別な作品になってしまうのです。

「老い」が入り込む余地がないこと。
それは、誰か特定の人間の身体性を必要としていない、
つまりブライアンやビーチボーイズという文脈を必要としていないことと言い換えられます。
それほどまでに『Pet Sounds』という作品は、音楽だけで独立してしまっている。
以前にも書いたけれど、要するにそれは属人性を離れた一種の「型」であり、
演奏者を変えながら演奏され続けるクラシック音楽に近いのだと思います。

だから、ブライアン抜きでも『Pet Sounds』は成立します
作品の世界観にさえ合えば、誰が演奏しようが誰が歌おうが構わない。
実際、第1部の<Don't Warry Baby>で素晴らしいボーカルを聴かせてくれたブライアンのプロンプ、
マット・ジャーディン(アル・ジャーディンの息子)が全編通じてボーカルを取ったとしたら、
素晴らしい完全再現ライブになっていたでしょう。
だから、ブライアンやアルがいなくなっても今回と同じコンセプトでライブはできるし、見てみたいと思う。
聴き手はもちろん、奏者も含めて、永遠に新しい世代へ受け継ぐことができる音楽。
それはもしかしたら、究極のエヴァーグリーンということなのかもしれません。



…とここまで書いておいていきなり真逆のことを言うのですが、
完全に「老人」になってしまったブライアンが歌う『Pet Sounds』は、それはそれで納得感がありました。
というのも、前述の通りライブは第1部がヒット曲集、第2部が『Pet Sounds』完全再現だったのですが、
まるで青春を駆け抜けた後に、その終わりをはっきりと見せつけられたような、
「何かが過ぎ去ってしまったこと」を暗示している構成に思えました。
その落差は、ヨボヨボのブライアンだからこそ感じられたものです。

<Surfin' U.S.A.>や<California Girls>を聴いて溌剌とした気持ちになったところに、
年を取りきって、もはや『Pet Sounds』を再現する力を失ってしまった姿をさらすブライアン。
その彼が「I know perfectly well I'm not where I should be」と歌う。
彼の存在自体が一つの物語のようです。

果たして自分はいま何を見ているのだろうか。
『Pet Sounds』という完結された世界なのか。
それともブライアン・ウィルソンという一人の男のさまよえる魂なのか。
ステージを見ながら、僕の頭の中ではせわしなく考えがループし続けていました。


※次回更新は5/12の予定です




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