
気難しいのではなく
「照れくさい」だけなのでは
9月の終わり、モリッシーの来日公演を見てきました。
来日は4年半ぶりだそうです。
その前は10年空いたというから、(彼にしては)短いスパンでの再来日ということになります。
会場の8割が、
・おじさん
・一人で見に来てる
・友達いなさそう
・なのにスミスとモリッシーについて語り始めたらすんごい勢いで喋りそう
・物販で支払うお金は万単位
・つまりめんどくさそう
という、相当ハードコアと見受けられるファンの中で、
生モリッシー初めての僕は開演前までものすごく憂鬱でした。
わりと本気で「帰りてえ…」と思ってたんですけど、
でも、帰らなくて正解でした。
生モリッシー、本当に素晴らしかった。
想像してたよりも100倍良かったです。
スミス時代の曲は、この日(東京2日目)は<How Soon Is Now>の1曲だけ。
ソロ以降はあまり熱心にフォローしてない僕には半分くらい知らない曲だったんだけど、
それでも素晴らしかったと思えたのは、
この日のライブが「体験」として良かったから。
つまり「生で見ないとわからないこと」という収穫がたくさんあったからです。
まず、モリッシーめちゃくちゃ歌上手かったです。
なんですか、あの声の「伸び」。
声量がありすぎて途中マイクの音が割れたりしてましたよ。
ロックなのに歌声に「崩れ」や「抜け」がないという点で、
やっぱりこの人は特異な存在だなあと思いました。
着てたシャツを脱いで客席に投げたり(その10秒後には替えのシャツ着てた)、
最前列の観客に握手したりプレゼント受け取ったり、
観客と積極的にコミュニケーションをとるのも意外でした。
モリッシーってすごく気難しい孤高の人ってイメージありません?
MCでロイヤルファミリーを揶揄する発言なんかも出たんだけど、
それも批判っていうよりも「ジョーク」というようなニュアンスで、
客席には笑いが起きてました。
イメージと違って、この人はとてもユーモラスな人なんだなあというのも発見。
「気難しそうに見えるけど実はそうじゃない」という点でいえば、
主にスミス時代に顕著だった「他人の顔写真を象徴的に使う」という手法についても、
これまでとはだいぶ違った印象を受けました。
今回のライブでは、ステージ後方のスクリーンに、
モノクロのポートレイト風写真が曲ごとに映写されたのですが、
今まで僕は、スミスのアルバムジャケットから続くこの趣向を、
容易には意図が汲み取れない写真を曲と結びつけることで、
作品の核心をはぐらかし、わざと人を突き放そうとする、
「わかる奴だけわかればいい」というようなモリッシーの一種のスノッブさだと思ってました。
ところが、生モリッシーから伝わってくる彼のキャラクターから考えると、
これは一種の「照れ隠し」じゃないかという気がしてきたのです。
つまり、自分自身を出すのが照れくさいから、
あるいは作品のテーマを直接説明するような写真なりなんなりを提示するのは恥ずかしいから、
(アーティストによっては作品をモロに解説するような映像・写真を使ったりします)
代わりにペルソナに語って(背負って)もらおうとしているんじゃないかと。
もちろん、全て単なる僕の思い込みなのかもしれません。
でも、解釈が合っているかどうかという答え合わせよりも、
「生で見たことで初めて感じた」ということが僕には重要で、
やっぱりライブは行けるときに行っとかないといかんのだなあと改めて思いました。
直後の横浜公演が急きょ中止になったことを考えると特に。
ちなみにアンコールはラモーンズの<Judy Is A Punk>でした。
歌が上手すぎてちょっと笑っちゃったのですが、
「これが俺の原点だ!」という決意表明のようでかっこよかったです。
2曲目でいきなりこのキラーチューンでした
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