
「面白くないはず」が
実は面白かった
3歳の娘のお供で、人生で初めて劇団四季を見てきました。演目は『キャッツ』。娘は半年ほど前に初めて見に行って以来(そのときは僕は同行せず)この作品にハマってしまい、毎日のようにロンドン版のBlu-Rayを見たり四季のパンフレットを読んだり、あまりにどっぷりと世界に漬かっているので、「じゃあもう1回見に行こう」ということになったのでした。彼女は3歳にして観劇2回目、僕は38歳にして初めて。
たぶん、こういうきっかけでもない限り、劇団四季なんて見なかったと思います。ミュージカルという形式にも、ショービジネス界のど真ん中をいくような一連の作品の華やかな雰囲気にも、僕自身はまったく興味はありませんでした。食わず嫌いという自覚はあったものの、それを克服しようとする強い動機は、少なくとも自発的にはなかったのです。子供がいるといろいろ変わるもんですね。
んで、実際に見てみてどうだったのか。
想像以上でした。めちゃくちゃ面白かったです。ちょっと泣いちゃったもん。もうね、これまででトップ3に入るほどの観劇体験でした。
歌と踊りがいかに雄弁なのかってことをまざまざと見せつけられたし、照明や役者の動きによって演出された客席との一体感も素晴らしかった。ストーリーもキャラクターも歌もほとんど頭に入っていたのですが(なにせ娘と一緒に毎日見てるから)、その確認作業というだけでない、もっとそれ以上の価値がある体験でした。
そして、ある意味では作品以上に圧倒されたのが、「このクオリティの舞台を、劇団四季は毎日、全国複数箇所で上演している」という事実でした。四季が誇るロングランシステムは有名ですが、改めてすさまじいことだなと衝撃を受けました。
まず専用劇場をもっていること。劇団が期限を決めずに長期にわたって公演を打ち続けるのに、一般の貸し劇場を転々としているだけではあまりに無駄が大きいってことはわかりますが、だからといってリアルに自前の劇場(しかもキャパ500〜1000クラス)を建てるってのは、演劇経験者からすると驚異的のひとことです。資金力もすごいし、それでペイできてしまうという動員力もすごい。
そして僕がもっとも唸ったのが、配役の仕組みです。劇団四季は一つの役に対して複数の役者を配役していることはよく知られています。プロ野球チームの1軍と2軍のように、1つのポジション(役)に対して常にバックアップが用意され、1軍選手になにかあればすぐに2軍選手が穴を埋められるような仕組みです。
同じ役者が何か月もステージに立ち続けることは不可能です。怪我や体調不良といった体力的な問題もあるし、人間なので同じ役を延々と繰り返しているとダレるというリスクもあります。なのでロングラン公演を可能にするためには、役を1人の役者に固定せず、常に複数の役者を準備さておくしかありません。もちろん、そのためにはコストも手間もかかります。
ですが、僕が唸ったのはコストや手間に対してではなく、そもそも「役を一人の役者に固定しない」というコンセプトそのものでした。これは、「役者を交換可能にしている」とも言い換えられます。
なぜこのことに唸ったかといえば、僕が考える優れた作品とは「この役者だから感動する」や「この人だから面白い」というように、役者の個性や人間性と物語が深く結びついたものだからです。以前、『朝日のような夕日をつれて』でも書いたように、芝居は舞台に立つ人間そのものの魅力や、相手役者との普段の関係性が如実に反映されるものです。その役者という存在を交換可能とすることは、僕からすれば「面白い」という概念の大前提を放棄しているようにすら見えました。
にもかかわらず『キャッツ』は面白かった。自分がいままで「面白くないはずだ」と思っていたものが、実は面白かったのです。「面白い」ということのあまりの多様さを思い、観劇後僕は心地よい混乱を感じていました。
奇しくも、僕が『キャッツ』を見に行ったのと同じ週に、演劇集団キャラメルボックスの活動休止と、運営会社のネビュラプロジェクトの倒産が発表されました。
キャラメルは80年代半ばに、早稲田大学の演劇サークルを母体にして旗揚げされた劇団で、90年代には年間数万人の動員数を誇る、国内では屈指の人気劇団へと成長しました。
この劇団の大きな特徴は、中学や高校の部活演劇に広く支持されたことです。SFやラブストーリー、時代劇など、エンタメ性の強い戯曲と演出は、部活演劇には取っつきやすく、「キャラメルで演劇に出会った」という人は、いま20〜30代の世代にはものすごく多いはずです。かくいう僕も、高校3年生で初めて演劇というものを体験したのは、やはりキャラメルの作品でした。
僕自身はキャラメルの作品を見なくなって10年以上経ちますが、それでも彼らの活動休止は少なからずショックでした。そして、その同じ週に劇団四季という大成功例を見たことで、僕はあることを考えました。それは「演劇で食う」ことは可能だけど、「劇団で食う」ことは不可能だ、ということでした。
すいません、長くなってきたので次回に続きます。
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