東京の日本橋から京都の三条大橋まで、
旧東海道550kmをガチで走る「東海道ラン」。
前回、府中宿から藤枝宿まで走ったのは2015年8月のこと。
その後、子育てやらなにやらで3年もブランクが空いてしまいましたが、ついに再開します!
うおおお!!
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(23)島田宿へ
2018年11月、久々に東海道新幹線「こだま」に乗って静岡駅へ。
東海道線に乗り継いで、藤枝駅に降りたのは午後1時半。
駅のロータリーから1kmほど北へ向かうと、
前回ゴールした青木交差点が見えてきました。
こないだは写真奥の道を手前に向かって走ってきたのでした。
うおおお!
藤枝よ、私は帰ってきた!

旧東海道ルートは住宅街へ。
ああ、何の変哲もない道を、かつての風景を想像しながら走るこの感じが懐かしい。
ちなみに、写真に映ってる松は旧東海道の風景を再現したものらしいです。

道端に石柱が現れました。
田中藩と掛川藩の境界を示したものです。
ここから先は掛川藩の藩領。

再び石柱出現。
細い道ですけど、これが「古東海道」と呼ばれる、
旧東海道よりもさらに昔の時代の東海道の跡だそうです。

緩やかな坂道になっていますが、ここから先は「瀬戸の山越え」と呼ばれるルートで、
旧東海道が整備されてからも、大井川が溢れたときなどは、
旅人はこっちの道を歩いたようです。
「古東海道」は、4日目の箱根越えのときに、山の中で一瞬交差したことがありました。
軽くネットで検索しただけだと、古東海道に関する体系的な情報はなさそう。
今度腰を据えて調べてみよう。
続いて道端に現れた、ちょっと不思議な生垣(?)。
実はこれ、大井川の洪水による水害を防ぐため、江戸時代に作られた堤防の跡です。

当時は高さ3.6m、幅2.9m、そして長さ360mもある大堤防でした。
このときにかかった費用が1000貫(今でいうと1000万円以上)だったことから、
この堤防は「千貫堤」と呼ばれていました。
まもなく藤枝市から島田市に入ります。
道沿いの田んぼでうちの娘と同じくらいのこどもが遊んでました。
素敵な遊び場所だなあ。
奥にJR東海道線の線路が見えます。

上青島の一里塚跡。日本橋から51番目の一里塚です。
このあたり、松並木が再現されていますが、
昭和30年代までは江戸時代そのままの鬱蒼とした松並木が残っていたそうです。

島田市に入りました。

大津谷川をわたって

島田市街に入ってきました。

う〜む。土曜の午後というのに誰もいない。
かつての島田宿は、静岡では府中に次いで人口の多い宿場町だったのですが。
島田宿の一里塚。宿場のなかに一里塚があるパターン。

到着しました。ここが島田宿の本陣跡。

いまは小さなカフェや雑貨屋が並ぶショッピングストリートになっています。
こじんまりとしてますが、とても雰囲気はよい。
本陣や御陣屋(代官所)跡にきちんと説明板もあって、
史跡の利用の仕方としてはなかなかいいなと思いました。
藤枝からここまでざっと10km。
ちょっと物足りないし、まだ時間もあるので、大井川まで足を伸ばしてみることにしました。
途中で立ち寄ったのが、大井神社。

島田宿の総鎮守で、安産祈願にご利益のあるといわれる神社。
三年に一度開かれる例大祭の「帯祭り」は日本三大奇祭の一つといわれています。
(ただし「帯祭り」をカウントしない説もあり、全国の祭り関係者たちの権益闘争がうかがえます)
んで、境内にある「帯祭り」の像がこれ。

美しい模様の丸帯を太刀にかけて、それを自分の帯に挟んで練り歩くんだそうです。
昔は普通に丸帯を手にもって歩いてただけなのに、
いつの間にかこのいでたちになったんだって。
意味はわからないけどインパクトはある。
さて、大井神社を出てさらに西へ1kmほど進むと、
いかにもなにか歴史がありそうな場所にたどり着きました。

これが、大井川の川越(かわごし)遺跡。
沿道に並ぶ平屋は、川越人足が待機していた「番宿」を再現したもの。

中を覗くと、ちゃんと人足が待機していました。

江戸幕府は、大井川や安倍川、酒匂川などの主要な河川には、
防衛上の理由からあえて橋を作らせませんでした。
旅人は川越人足にお金を払って、担いでもらったり輿に乗ったりして川を越えました。
特に大井川は、たびたび増水が起きて渡河不能になり(川止めといいます)、
旅人は何日も手前の島田宿(反対方向の人は金谷宿)で足止めを食うことがありました。
そのため大井川は、
「越すに越されぬ大井川」と歌われるほどの難所として知られることになったのです。
んで、旅人がいざ川を渡るときに渡し賃を払ったのが、この川会所。
渡し賃と引き換えに「川札」を受け取り、その川札を川岸で待機している人足に渡せば、
金額に応じて肩車されたり輿に乗せられたりして川を渡る、という仕組みでした。
要するに今でいうところの切符売り場ですね。

川会所の隣には島田大堤(おおつつみ)の跡。
たびびた増水する大井川から島田の街を守るため17世紀に造られた、
高さ3.6m、長さ6km弱という巨大な堤防の遺構です。

そしてついに見えてきました。大井川!!

うおおお!でけえ(気がする)!!
箱根と並ぶ東海道の難所であり、旅の前半のハイライトとして、
実は日本橋をスタートしたときから、ここに立つのが夢でした。
うおおお!!
実際に川を渡るのは明日にとっておいて、
せっかくなので川沿いを走ることにしました。

天気がいまいちなのが残念ですが、道も整備されていて走りやすいし、
景色も開けていて気持ちがいいです。
毎年秋にはこのコースを利用した「しまだ大井川マラソン」という大会が開催されています。
4kmほど下流へ向かって走ると、蓬莱橋(ほうらいばし)という橋があります。
下から見上げたところ。

見てもらえばわかるとおり、全部木でできています。
全長は897.4m。木造歩道橋としては世界最長です。
橋のうえに上ってみました。※中学生以上は100円

橋の中央から島田市側に振り返ったところ。

景観がユニークなので、いろんなドラマのロケ場所にも使われています。
NHK大河ドラマ『いだてん』でも、序盤のストックホルム大会の羽田予選で、
金栗四三たちが走るコースの一部として使われてました。
旧東海道のコースからはやや外れるものの、一度来てみたかったんですよね。
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ということで東海道ラン9日目、藤枝宿〜島田宿でした。
島田で一泊して明日10日目は大井川を越えて、掛川宿を目指します。
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旧東海道550kmをガチで走る「東海道ラン」。
前回、府中宿から藤枝宿まで走ったのは2015年8月のこと。
その後、子育てやらなにやらで3年もブランクが空いてしまいましたが、ついに再開します!
うおおお!!
(前回まではこちら)
#0日目:ルールと計画編
#1日目:日本橋〜川崎
#2日目:川崎〜藤沢
#3日目:藤沢〜小田原
#4日目:小田原〜三島
#5日目:三島〜吉原
#6日目:吉原〜江尻
#7日目:江尻〜府中
#8日目:府中〜藤枝
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(23)島田宿へ
2018年11月、久々に東海道新幹線「こだま」に乗って静岡駅へ。
東海道線に乗り継いで、藤枝駅に降りたのは午後1時半。
駅のロータリーから1kmほど北へ向かうと、
前回ゴールした青木交差点が見えてきました。
こないだは写真奥の道を手前に向かって走ってきたのでした。
うおおお!
藤枝よ、私は帰ってきた!

旧東海道ルートは住宅街へ。
ああ、何の変哲もない道を、かつての風景を想像しながら走るこの感じが懐かしい。
ちなみに、写真に映ってる松は旧東海道の風景を再現したものらしいです。

道端に石柱が現れました。
田中藩と掛川藩の境界を示したものです。
ここから先は掛川藩の藩領。

再び石柱出現。
細い道ですけど、これが「古東海道」と呼ばれる、
旧東海道よりもさらに昔の時代の東海道の跡だそうです。

緩やかな坂道になっていますが、ここから先は「瀬戸の山越え」と呼ばれるルートで、
旧東海道が整備されてからも、大井川が溢れたときなどは、
旅人はこっちの道を歩いたようです。
「古東海道」は、4日目の箱根越えのときに、山の中で一瞬交差したことがありました。
軽くネットで検索しただけだと、古東海道に関する体系的な情報はなさそう。
今度腰を据えて調べてみよう。
続いて道端に現れた、ちょっと不思議な生垣(?)。
実はこれ、大井川の洪水による水害を防ぐため、江戸時代に作られた堤防の跡です。

当時は高さ3.6m、幅2.9m、そして長さ360mもある大堤防でした。
このときにかかった費用が1000貫(今でいうと1000万円以上)だったことから、
この堤防は「千貫堤」と呼ばれていました。
まもなく藤枝市から島田市に入ります。
道沿いの田んぼでうちの娘と同じくらいのこどもが遊んでました。
素敵な遊び場所だなあ。
奥にJR東海道線の線路が見えます。

上青島の一里塚跡。日本橋から51番目の一里塚です。
このあたり、松並木が再現されていますが、
昭和30年代までは江戸時代そのままの鬱蒼とした松並木が残っていたそうです。

島田市に入りました。

大津谷川をわたって

島田市街に入ってきました。

う〜む。土曜の午後というのに誰もいない。
かつての島田宿は、静岡では府中に次いで人口の多い宿場町だったのですが。
島田宿の一里塚。宿場のなかに一里塚があるパターン。

到着しました。ここが島田宿の本陣跡。

いまは小さなカフェや雑貨屋が並ぶショッピングストリートになっています。
こじんまりとしてますが、とても雰囲気はよい。
本陣や御陣屋(代官所)跡にきちんと説明板もあって、
史跡の利用の仕方としてはなかなかいいなと思いました。
藤枝からここまでざっと10km。
ちょっと物足りないし、まだ時間もあるので、大井川まで足を伸ばしてみることにしました。
途中で立ち寄ったのが、大井神社。

島田宿の総鎮守で、安産祈願にご利益のあるといわれる神社。
三年に一度開かれる例大祭の「帯祭り」は日本三大奇祭の一つといわれています。
(ただし「帯祭り」をカウントしない説もあり、全国の祭り関係者たちの権益闘争がうかがえます)
んで、境内にある「帯祭り」の像がこれ。

美しい模様の丸帯を太刀にかけて、それを自分の帯に挟んで練り歩くんだそうです。
昔は普通に丸帯を手にもって歩いてただけなのに、
いつの間にかこのいでたちになったんだって。
意味はわからないけどインパクトはある。
さて、大井神社を出てさらに西へ1kmほど進むと、
いかにもなにか歴史がありそうな場所にたどり着きました。

これが、大井川の川越(かわごし)遺跡。
沿道に並ぶ平屋は、川越人足が待機していた「番宿」を再現したもの。

中を覗くと、ちゃんと人足が待機していました。

江戸幕府は、大井川や安倍川、酒匂川などの主要な河川には、
防衛上の理由からあえて橋を作らせませんでした。
旅人は川越人足にお金を払って、担いでもらったり輿に乗ったりして川を越えました。
特に大井川は、たびたび増水が起きて渡河不能になり(川止めといいます)、
旅人は何日も手前の島田宿(反対方向の人は金谷宿)で足止めを食うことがありました。
そのため大井川は、
「越すに越されぬ大井川」と歌われるほどの難所として知られることになったのです。
んで、旅人がいざ川を渡るときに渡し賃を払ったのが、この川会所。
渡し賃と引き換えに「川札」を受け取り、その川札を川岸で待機している人足に渡せば、
金額に応じて肩車されたり輿に乗せられたりして川を渡る、という仕組みでした。
要するに今でいうところの切符売り場ですね。

川会所の隣には島田大堤(おおつつみ)の跡。
たびびた増水する大井川から島田の街を守るため17世紀に造られた、
高さ3.6m、長さ6km弱という巨大な堤防の遺構です。

そしてついに見えてきました。大井川!!

うおおお!でけえ(気がする)!!
箱根と並ぶ東海道の難所であり、旅の前半のハイライトとして、
実は日本橋をスタートしたときから、ここに立つのが夢でした。
うおおお!!
実際に川を渡るのは明日にとっておいて、
せっかくなので川沿いを走ることにしました。

天気がいまいちなのが残念ですが、道も整備されていて走りやすいし、
景色も開けていて気持ちがいいです。
毎年秋にはこのコースを利用した「しまだ大井川マラソン」という大会が開催されています。
4kmほど下流へ向かって走ると、蓬莱橋(ほうらいばし)という橋があります。
下から見上げたところ。

見てもらえばわかるとおり、全部木でできています。
全長は897.4m。木造歩道橋としては世界最長です。
橋のうえに上ってみました。※中学生以上は100円

橋の中央から島田市側に振り返ったところ。

景観がユニークなので、いろんなドラマのロケ場所にも使われています。
NHK大河ドラマ『いだてん』でも、序盤のストックホルム大会の羽田予選で、
金栗四三たちが走るコースの一部として使われてました。
旧東海道のコースからはやや外れるものの、一度来てみたかったんですよね。
--------------------------------------------------
ということで東海道ラン9日目、藤枝宿〜島田宿でした。
島田で一泊して明日10日目は大井川を越えて、掛川宿を目指します。
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