週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】日本のロック

Family Basik『A False Dawn And Posthumous Notoriety』

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秘密の場所で作り続けた
自分だけの「最終兵器」


 10代の頃、僕にはいくつかの「好きなもの」がありました。ギターだったり、アニメだったり、特撮だったり、そのときどきで対象は変わったのですが、共通していたのは、どれも「一人で楽しむもの」だった点でした、クラスには他にもアニメが好きな友達はいたし、バンドを組んだりもしたけど、その対象に情熱を注いでいる時間の大半は、一人でした。

 だから、僕が世界で一番好きな場所は、学校でも放課後の街でもなく、自分の部屋でした。家に帰って部屋に入りドアを閉めた瞬間が、楽園の時間の始まりでした。エヴァの第13話『使徒侵入』を1日に何回も繰り返し見たり、マクロスの<愛・おぼえていますか>を流しながら朝までギターとキーボードで耳コピしたり、部屋は僕にとってまさに秘密基地であり、どこまでも自由な場所でした。

 加藤遊加藤りまによる兄妹デュオFamily Basikが、2014年にリリースした1stアルバム『A False Dawn And Posthumous Notoriety』を聴いて最初に思い浮かんだのは、一人部屋で過ごしたそんな時間のことでした。

 古ぼけたラジオから記憶のトンネルをくぐりぬけて聴こえてくるような遠い音。誰にも向けられていない独り言のようなボーカル。自己主張が少ない、パステルカラーのように淡いメロディ。このアルバムにはどこにも「他者」の存在が感じられません。そのような閉鎖性と、閉じているからこその甘美さが、部屋で過ごしていた時間にそっくりなのです。

 メインコンポーザーは兄の加藤遊ですが、妹りまが以前組んでいたフォークデュオ、ストロオズや、後にソロで出したアルバム『Faintly Lit』(←素晴らしいアルバムです)を聴いていると、彼女の影響も非常に大きいように感じます。ちなみに、2人の父親は村八分でベースを弾いていた加藤義明だそうです。サウンドの表層はだいぶ違いますが、インディースピリットみたいなものは父子でそっくりですね。

 Family Basikは18年に2枚目のアルバム『Golem Effect』をリリースしましたが、世界から隔絶された場所で誰にも知られずに作っていた最終兵器のような1stに比べると、2ndは外の世界に開かれた作品になっています。僕は断然1stのほうが好き。

 でも、僕が1stのほうに惹きつけられるのは、「ベッドルームポップ」という言葉の極致のような閉鎖性(とそこから生まれる甘美さ)だけではありません。その甘美さと背中合わせで、「孤独」や「さみしさ」といった感情も一緒に含まれているからです

 誰にも干渉されない自分だけの世界。誰も知らない自分だけの秘密の楽しみ。それは裏を返せば、誰とも共有できないということでもあります。「好き」を追求すればするほど、誰かとその「好き」を分かち合うことからはどんどん離れていきました。そういう痛みの感覚もまた、このアルバムの音には込められているように思います。

 いま大人になってみると、そんなほろ苦さをひっくるめて、すべてを懐かしく感じます。「ほろ苦い」などと使い古された表現で茶化してしまえるほど、今の自分はさみしさや孤独といったものに鈍くなってしまいました。いま、僕が痛みを感じるとしたら、10代の頃からずいぶんと遠いところまできてしまった、その距離に対してかもしれません。








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佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』

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リスナーが待ち望んでいたものが
すべて「そこ」にある


 すげえライブアルバムと出会ってしまいました。佐野元春『Rock & Roll Night Live At The Sunplaza 1983』です。

 映画『No Damage』に映ってたのが、まさにこのときのライブですよね、たしか。映画を見たときも「かっけえなあ」と思ったんですけど、映像が無い分、かえってこっちのアルバムの方がライブのすさまじさを端的に伝えてくる気がしました。

 じゃあ何がすごいのか。大きく2つあります。

 まずは演奏のエネルギー。佐野元春とザ・ハートランドって、都会的で洗練されてて、汗なんかかきそうにないイメージがありますよね。でもこのライブの彼らはまるで暴走列車。猛烈なエネルギーとスピード感は、ほとんどパンクです。10分超の壮大な<ロックンロールナイト>を終えてからの<悲しきRADIO>の高速イントロは、なんかもう涙が出そうでした。

 ライブ盤の醍醐味の一つに、スタジオ音源とは異なるアレンジやニュアンスを聴くことで、アーティストのその曲に対する解釈や音楽的バックグラウンドを知ることが挙げられます。そういう意味でいうと、このアルバムから感じる佐野元春(とハートランド)は、非常にビートを重視するアーティストだということ。

 ビート、つまりリズムでありリフです。彼の場合は、それをギターではなくピアノとサックスで表現しようとしたところに独自性がありました。日本語ロックのイノベーターとして歌詞が注目される佐野元春ですが、実はその前提として、言葉を乗せるビートへのリテラシーが極めて高い人なんだということを、このアルバムは証明しています。佐野元春とほぼ同時代に、同じく日本語ロックのブレイクスルーを果たした桑田佳祐と初期サザンが、同じく「リズムのグループ」であったことは、必然的な符合なのでしょう。

 もう一つのすごいところは、観客の熱狂です。観客の熱狂と、それを受ける佐野元春とが生み出す会場全体の空気、みたいな風に表現したほうがいいかもしれません。なんていうんでしょう。どんな曲を演奏しても、そのすべてが観客が待ち望んでいたサウンドや歌詞にぴったりとはまるような、無敵の全曲アンセム感

 時代と呼吸してるっていうんでしょうか。メディアによる作られた流行なんかじゃなくて、街のストリートから押し上げられてきた「俺の」「私の」ムーブメントって感じがするんですよね。リスナーと深くコミットしてるからこそのアンセム感だってことがわかるから、余計にグッときます。

 歌詞のところどころには、今の感覚からすると正直古いなって感じるワーディングはあるし、MCのあの話し方なんて何度聞いても笑っちゃいます。そういう意味では、83年当時を生きていた世代だけのテンポラリーなムーブメントではあるわけです。

 にもかかかわらず、2018年の今聴いてもこのアルバムの佐野元春を「かっこいい」と感じることは、改めて考えると不思議です。ライブアルバムって瞬間を切り取るものですが、同時にその場の熱気やアーティストの体温すらも封じ込めるから、かえってスタジオ音源よりも古びないのかもしれません

 でも、このアルバムを聴いてちょっと悲しくなるのは、ロックというフォーマットが今ではもう現実とコミットする力を失い、趣味的で享楽的な音楽に変わってきていることが、逆説的に分かるからです。もちろん、それはアーティストだけの責任ではなく、声を上げなかったリスナーにも責任があるのかもしれません。そういうのをひっくるめて、ロックの役割は終わったといえるのかもしれません。感動が深い分、最後に苦い気持ちになるアルバムでした。








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薬師丸ひろ子『Best Songs 1981-2017〜Live in 春日大社〜』

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一緒に年を取るという
「器」のあり方


 80年代アイドルの歌、それもデビュー曲やキャリア初期の歌を2018年の今聴きなおしてみると、あまりの「アイドル然」「女の子然」とした世界観に気恥ずかしさを覚えることがあります。そのなかにあって、薬師丸ひろ子<セーラー服と機関銃>は異質な響きをもっています。別れを予感させる歌詞とシリアスな曲調、当時17歳の瑞々しく生硬な彼女の声は、アイドルという瞬間性を真空パックした存在とは真逆の、普遍的な何かを感じさせます。

 多くのアイドルがオーディションなどを通じて、あくまで歌手としてデビューしたのに対し、薬師丸ひろ子は映画女優としてキャリアをスタートしました。歌手デビューした後もしばらくの間は、シングルは全て自身が主演する映画の主題歌でした。それらの歌に投影されるのは薬師丸ひろ子自身ではなく、彼女が演じる役であり映画の世界観でした。いってみれば、薬師丸ひろ子は歌という水を注ぐための「器」に徹していたのです

 実際、彼女自身も「歌を歌うときは、リスナーの記憶や作り手の思いをできるだけ損なわないように、なるべく当時のまま歌いたい」と語っています。歌が歌手のキャラクターとは切り離され、独立を守っているところがアイドルとしては異質であり、だからこそ、今聴いてもハッとする普遍性をもっているんだろうと思います。

 2016年に奈良の春日大社で行われた初の野外ライブを収録した『Best Songs 1981-2017〜Live in 春日大社〜』というアルバムがあります。実はこのアルバム、ライブ本編で歌われた曲順のままではなく、<セーラー服と機関銃>から、ほぼリリース順に沿って曲を並べ直して収録されています。つまり、当時を知る人は思い出をトレースできるような仕掛けになっているわけです。これは間違いなく「リスナーの記憶を大事にする」という彼女の意向なんだろうと思います。

 じゃあ肝心の歌は「当時のまま」なのか。もちろん、そんなことはありません。(多分)キーは当時と同じですが、声質はそれなりに年齢の変化を感じさせ幾分低くなった印象です。一方で、30年以上のキャリアの積み重ねによって、圧倒的に歌は上手くなっています。そして、当然ながら歌い手の変化は、歌そのものの印象も大きく変えます。それがもっとも端的に表れているのが、1stアルバム『古今集』の1曲目であり、竹内まりやのセルフカバーでも有名な<元気を出して>

 薬師丸ひろ子がまだ10代だったオリジナル版は、若い主人公が失恋した同世代の友人を励ますという、まさに歌詞の通りの、牧歌的で他愛のない「励ましソング」でした。ところが、50代半ばを迎えた現在の彼女の声には、かつてはなかった母性的な包容力や一つひとつの言葉への説得力があります。そのためこの曲は、失恋だけでなくあらゆる悲しみを射程に捉えた「人生の励ましソング」に聴こえます。


 2曲目の<探偵物語>も、オリジナルとは印象ががらりと変わった曲です。例えば2コーラス目サビ前の「昨日からはみ出した私がいる」という部分。これ、オリジナルだと少女から大人へ一歩を踏み出した心情を歌っているように聴こえますが、現在の薬師丸ひろ子が歌うと「戻れない一線を越えてしまった」という、道ならぬ恋への抗いがたい情熱を表現しているように感じるのです(それでもいやらしさをまったく感じさせない彼女の透明感がすごい)。

 以前、70歳を超えたポール・マッカートニーが歌う<Blackbird>について書いたことがあります。歌い手の変化とともに歌そのものも変化し、それまでとはまったく違う世界が見られるようになること。それはまるで、終わったと思っていた物語にまだ続きがあることを発見したような気分になります。

 そしてもう一つ、今回このライブ盤を聴いて思ったのは、歌が「年をとる」ことで、その変化のなかに聴き手は自分自身の人生の経過をも重ねあわせられるということ。<元気を出して>のなかに「人生はあなたが思うほど悪くない」というフレーズがありますが、このアルバムで聴くと、なんだか自分のこれまでの人生を肯定されたような気持ちになるんですよね。言うまでもなくこれは、現在の薬師丸ひろ子の声で、しかも僕自身も大人になった今(初めてこの曲を聴いたのは確か中学生の頃でした)聴くからこその感慨です。

 時間の経過を感じさせない「当時のまま」のパフォーマンス(たとえばマドンナのような)もいいけれど、歌い手が年齢を重ね、それに伴って歌の聴こえ方も変わり、その聴こえ方の変化のなかにリスナー自身の物語も重なること。いわば、歌手と歌とリスナーがみんなで一緒に年をとっていくこと。それはそれで、とても素敵なことじゃないかと思います。そして、それもまた「器」の一つのあり方なんじゃないかとも思います。








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松田聖子『Candy』

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「古くない」という感覚の理由は
“彼”の存在にあるのではないか


 前回、まったくといっていいほど興味がなかった(どちらかというとネガティブな印象すらもっていた)松田聖子を、大滝詠一というハブ(結節点)を経由することで聴くようになったという話を書きました。

 大滝詠一が松田聖子に書き下ろした曲は他に2曲あります。それが1982年にリリースされた6枚目のアルバム『Candy』に収録された<四月のラブレター>と<Rock’n’Roll Good-bye>。どちらも『風立ちぬ』A面に負けず劣らずナイアガラサウンドで、あえてなぞらえるなら<四月のラブレターは>は<A面で恋をして>、<Rock’n’Roll Good-bye>は<恋のナックルボール>…でしょうか。<Rock’n’Roll Good-bye>の間奏で<むすんでひらいて>のメロディがチラッと載ってくるところなんかはいかにも大滝詠一っぽいなあと感じます。

 しかし『風立ちぬ』というアルバムは、僕の中で大滝詠一が手掛けたA面だけで完結しているのに対し、『Candy』というアルバムは大滝楽曲以外の8曲のほうにこそハイライトがありました

 理由は大村雅朗。このアルバムで大滝詠一の2曲以外の全ての曲でアレンジを手掛けたのが大村です。彼の名前は知ってはいたけど、本当にすさまじいアレンジャーだったということを、僕はこのアルバムでまざまざと知りました。

 例えば<星空のドライブ>におけるあのリフ。イントロからサビ、アウトロまで音色を変えながら繰り返されるあのリフは、メロディや歌詞以上にこの曲の「顔」になっています。<黄色いカーディガン>のあのイントロもそう。この曲の力強さと繊細さの両方を併せ持つ見事な幕開けは、2年後の大沢誉志幸<そして僕は途方に暮れる>を予言しているかのようです。そしてアルバムラストには、大村雅朗自身の作曲による<真冬の恋人たち>という、大村と松田聖子の両者にとっての代表曲となった<Sweet Memories>の姉妹編ともいえる名曲が控えています。

 中でも僕がうなったのは3曲目<未来の花嫁>です。友人たちが結婚していくなかで自分だけが取り残されている。隣にいる彼はプロポーズしてくれる気配もない。あなたの未来の花嫁はここにいるのに…。歌詞だけを取り出してみると、結婚を人生のゴールと捉えているこの曲の女性像は、正直2018年の今聴くとかなり古臭く感じます。

 しかし完成された曲として聴くと、決して古臭いという印象は抱きません。なぜなら、大村雅朗が仕立てたファンキーで軽快なアレンジによって、この歌の主役の女性は、口では「結婚したい」といいつつも、「それならそれでいい」「結婚なんて選択肢の一つだもんね」と、どこか今の自分の状況を楽しんでさえいるような、たくましい人物像へと変わるからです

 そこには松田聖子の、情緒を後ろに残さないカラッと乾いた歌い方の効果もあると思います。このアルバムを聴く限り、松田聖子のもつキャラクターと相性がよかったのは、松本隆よりも大村雅朗であると感じます。



 このアルバムにおける大村雅朗の何が素晴らしいかといえば、彼のアレンジがアルバム全体のカラーを決定している点です。『風立ちぬ』は「大滝詠一のアルバム」ではないけれど、『Candy』は「大村雅朗のアルバム」といっていいと思います。そのくらい、この作品における彼の寄与度は高い。

『作編曲家・大村雅朗の軌跡』を読むと、彼の仕事の姿勢はあくまで「アーティスト(レコード会社)がどうしたいか」を重視する職業編曲家だったと語られています。しかし、『Candy』を聴く限り、彼は「このアルバムはこう聴いてほしい」「このアルバムを通じてアーティストのこういう面を出したい」といったプロデューサー的な視点を持っていたことは明らかです。そうした姿勢は、彼が晩年、フリーからレーベル所属となって、宣伝や育成まで含めたトータルのプロデューサーを目指していたことにも端的に表れています。同書のなかで「もし存命なら今頃誰と組んでいたか?」というインタビュアーの質問に対し、生前の彼を知る多くの人が「宇多田ヒカル」と答えていたのはゾクッとしました。



 にしても、これまでにもR.E.M.スミスなど、自分のなかの「古い/古くない」の分水嶺に位置するアーティストについて考える機会がありましたが、まさかそこに、30年近く「懐メロ歌手」「過去の人」と感じていた松田聖子が加わることになるとは思いもよりませんでした。








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松田聖子『風立ちぬ』

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81年生まれが感じる
「こちら側」の声


 まず初めに言っておくと、僕は松田聖子というアーティストに特別興味はありません。僕がテレビの音楽番組やヒットチャートを見るようになったのは1990年代初頭でした。松田聖子が歌手デビューしたのは80年ですので、その時点で10年ほどのキャリアがあったことになります。アーティスト寿命が長寿化した現在では、10年選手などせいぜい中堅扱いですが、当時はベテラン歌手の一人といった印象でした。なので、(当時バリバリ新曲を出していて第2の全盛期を迎えようとしていましたが)僕の中では「懐メロ歌手」「大人が聴くもの」といったネガティブなイメージしか持てませんでした。そのまま今に至っています。

 それなのに、なぜ今僕は松田聖子の『風立ちぬ』を聴いているのか。理由は単純。大滝詠一です。81年10月にリリースされたこの4枚目のアルバムは、表題曲含むA面5曲全てを大滝詠一が作曲・編曲を担当しているのです。

 大滝詠一がアルバム『A Long Vacation』をリリースしたのは81年3月ですが、時期的な面だけでなく、サウンドから受ける印象という面でも、『風立ちぬ』はまるで『ロンバケ』の姉妹編のようです。実際、大滝詠一本人も「“女性版ナイアガラ”を意識した」と語っています。曰く、<冬の妖精>=<君は天然色>、<ガラスの入江>=<雨のウェンズデイ>、<千秒一秒物語>=<恋するカレン>、<いちご畑でつかまえて>=<FUN×4>、<風立ちぬ>=<カナリア諸島にて>。

 ナイアガラサウンドというと音の分厚さやゴージャスさ、スケールの大きさがよく語られますが、僕はそれらのアレンジがメロディと高次元で結びついているところこそが最大の聴きどころだと思っています。<千秒一秒物語>のあのセンチメンタルさ、<いちご畑でつかまえて>のつかみどころのなさ、そして<風立ちぬ>の大河の流れのような官能性。メロディが先にあったのか、それともアレンジが先にあってメロディが生まれたのか、まったくわからないほどに両者は同じ方向を向き、曲の中で自然に溶け合っています。そういう曲としての密度の濃さみたいなものに、僕はナイアガラを感じます。



 んで、大滝詠一という軸でこのアルバムを何度もリピートしていたのですが、しばらくするうちにあることに気づきました。かつて「古臭いもの」と思い込んでいた松田聖子が、実際には決して古くなどないということに

 このアルバムを聴く直前、僕は山口百恵を聴いていました。実は山口百恵は「古い」と感じたのです。でも、松田聖子は古くはなかった。ちなみに「古い」というのは「嫌い」という意味ではありません。わかる/わからない、近い/遠いといった、好悪とは別なところで感じる直感的な距離感のようなものです。

 正確に言えば、松田聖子でも<青い珊瑚礁>は古いと感じます。じゃあ境目はどこなのか。アルバムでいえば、まさに『風立ちぬ』がそれにあたります。

 じゃあ『風立ちぬ』と3枚目『シルエット』とは何が違うのか。それは、松本隆が登板しているところです。厳密には彼は『シルエット』期から参加してますが、当時はまだレコード会社に指名され、純粋に職業作詞家としてかかわったにすぎませんでした。それが、プロデューサー的な立ち位置で、より能動的に松田聖子というプロジェクトに関わり始めた最初のアルバムが『風立ちぬ』だったのです。そして、彼が自分の人脈から引っ張ってきた最初のメロディメーカーが、かつてのバンドメンバーである大滝詠一でした。…というのは知っている人には今更すぎるネタではあります。

 初期の三浦徳子・小田裕一郎時代は、僕には古いと感じます。どこか70年代の時代がかったアイドル像を引きずってる気がするのです。でも、大滝詠一や南佳孝、財津和夫、来生たかお、そして呉田軽穂(松任谷由実)。このあたりの、当時の言葉でいえばニューミュージック出身の作曲家たちが参加し始めた以降の曲はまったく古さを感じません。完全に「こちら側」という感じがします。

 実は、三浦徳子も小田裕一郎も古い作家ではありません。世代としてはニューミュージック勢と変わらない。でも、三浦・小田ペアがどこか70年代に規定された「アイドル」という枠の中で仕事をしていた(職業作家として仕事をしていた)のに対し、その枠を壊してアイドル像というものを80年代型へとアップデートしようとしたのが松本隆だったのではないかと思います

 ただ、ここで一つ強調したいのは、僕が「古くない」と感じる根拠は松本隆の歌詞ではない、ということです。むしろ、言葉の意味や使われ方は時代の影響をモロに受けるので、ニューミュージック勢の作るメロディに比べて当の松本隆の歌詞は(距離感ではなく、文字通り「今の時代とは違う」という意味で)古いと感じます。

 では何が「古くない」のか。中川右介は著書で、松本隆の功績の一つに、日本の歌謡曲から「情緒」や「説明」を排除したことを挙げています。そうした志向をもっていた彼が松田聖子を選んだのは、彼女の圧倒的な声量とカラッと乾いた声質なら、それができると考えたからでした。松田聖子の歌の上手さに注目した人はそれまでにもたくさんいましたが、彼女の声に時代を見出して、それを歌詞という方法でプロデュースしようとしたのは松本隆が初めてだったんだろうと思います。つまり、僕が松田聖子を「古くない」と感じた一番の理由は、彼女の「声」だったのです

 彼女の声に時代の変化を見出した松本隆。その彼が積極的にイニシアチブを取り始めた『風立ちぬ』プロジェクト。そこに、81年生まれの僕が「古い」「古くない」の分水嶺を感じることは、決して偶然ではないと思います。








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The Full Teenz 『ハローとグッバイのマーチ』

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「あの頃の自分の声」を
ハァハァせずには聞き返せない


 HomecomingsだったりHAPPYだったりAnd Summer ClubだったりHearsaysだったり、最近だとNum Contenaだったり、そのあたりの、つながってるんだかいないんだかよくわからない西日本のインディシーンを、ここ数年僕はよく聴いているのですが、その中で「この人たちは毛色が違うな」と感じるバンドがいます。京都の3ピース、The Full Teenzです。

 彼らの楽曲を聴いてまず真っ先に思ったのは、「この人たちの曲を『嫌い』っていう人いるのかな?」ということ。最初に音源化されたEPは非常に実験的だったそうですが、少なくとも2016年にリリースされた彼らの1stアルバム、『ハローとグッバイのマーチ』に詰まっているのは超陽性のメロディに平易な言葉で綴られる歌詞、バンド名のteen=10代の甘酸っぱさをそのまま封じ込めたような普遍的世界観。とにかく、このバンドのポップネスというのは、こちらが思わず恥ずかしくなってしまうくらいの“ど”ポップです。



 レーベル(Second Royal)メイトであるHomecomingsや、メンバーがMV出演しているAnd Summer Clubももちろんポップですが、彼らが英語詞であるのに対してThe Full Teenzは日本語詞である点に象徴されるように、どこかツウ好みっぽさを残すホムカミ、アンサマに比べると、The Full Teenzはごく一般のリスナー層にまで届きそうな波及性を備えています。一体どこからこのバンドは紛れ込んできたのでしょうか。

 ただし、サウンドは決して軽くはありません。僕が彼らを知ったのも、Second Royal経由ではなく、Kili Kili Villa所属のCAR 10NOT WONKといったパンクバンド経由でした。そういったバンドに通じるハードなサウンドと、彼ら自身のキャラクターや青臭いほどにポップな世界観とが不思議と融合しているのが、The Full Teenzというバンドの大きな個性になっています。

 でも、このバンドの魅力として僕が一番に挙げたいのは、ボーカル伊藤祐樹の声です。

 伝わるかどうかわからないんですけど、10代の頃、僕の頭の中に響いていた僕自身の声は、多分彼の声だった気がするのです。「生きる意味とはなんだ?」という哲学という名の遊びに耽り、「●●とキスしてええ!(←だいぶソフトに表現しています)」と性欲をたぎらせる。そんな脂臭い脳内ボイスに、もしアフレコするのであれば、それは僕自身の声よりも、伊藤祐樹の声の方が近いような感じがするのです。

 そしてさらにいえば、伊藤とボーカルを分け合う(時にメインボーカルを務める)ドラムの佐生千夏の声もまた、10代の頃に脳内プレイしていた「好きな子」の声だった気がするのです(この点についてはラブリーサマーちゃんもホムカミ畳野彩加もみんなそうですけど)。要するに、彼らの声を耳にするだけで、僕は10代の頃にタイムスリップするような気がしてハァハァしてくるのです。

 アルバムラストに収録された<ビートハプニング>の、「自分が誰かに影響するなんて思ってもいなかった」という歌詞なんて、最高ですね。ちょっと舌足らずで、日本語としてあか抜けない言い回しが逆にリアル。価値がないと思い込んでた自分が、思いがけず誰かの役に立った。そのときのうれしいような恥ずかしいような気持ちが蘇ってくるようで、このフレーズを聴くたびにくすぐったくなります。

 でも、この「あか抜けないフィーリング」を、楽曲という「あか抜けた表現」へと昇華させていくのって、めちゃくちゃすごいことなんじゃないかと思います。








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シャネルズ『ダンス!ダンス!ダンス!』

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「カバーに寄せたオリジナル曲」で
最後にルーツ愛をもう一度


 先週に続いてシャネルズです。

 前回、シャネルズとラッツ&スターの違いを「ルーツへのこだわり」と書きました。そしてルーツであるドゥーワップやR&Bへの愛が爆発した作品として、1981年の『Live At "Wisky A Go Go"』を紹介しました。ただ、もしシンプルに「シャネルズとしての最高傑作は何か」と聞かれたら、僕は82年にリリースされた6th『ダンス!ダンス!ダンス!』と答えます。

 このアルバムは半分がカバー曲です。2nd『Heart & Soul』以降、スタジオアルバムは全曲オリジナルで統一していたので、久しぶりにカバーを取り入れた形です。とはいえ、オリジナルとカバーをA面、B面で区切った1st『Mr.ブラック』や、ほぼ全曲カバーといっていい『Live At "Wisky A Go Go"』とこのアルバムは大きく異なります。

 それは、カバー曲よりもむしろオリジナル曲の方に注目するとわかります。例えば2曲目の<週末ダイナマイト>。アルバムの実質的な幕開けを飾る派手なナンバーですが、この曲を流して聴いていると「あれっ?」と思うはずです。理由は、いつの間にか次の3曲目<Peppermint Twist>に移っているから。曲間が極端に短く、サウンドの感触も似ているのでじっと聴いていないと、曲が切り替わった瞬間がわからないのです。

 もっと顕著なのは、4曲目の表題曲<ダンス!ダンス!ダンス!>。この曲は明らかに5曲目の<Boogie Woogie Teenage>と、「つなげて1曲に聴こえるように」という意図をもって作られています。

<Peppermint Twist>も<Boogie Woogie Teenage>もカバー曲です(前者のオリジナルはJoey Lee & The Starliters、後者はDon Julian & The Meadowlarks)。つなげる2曲のうち片方がカバー曲ということはつまり、オリジナルの方をそのカバー曲に寄せて(合わせて)意識的に作っているということです

 このアルバムではほかにも、<Do You Wanna Dance>(オリジナルはBobby Freeman)に対する<Yeah!Yeah!Yeah!>や、<Lovers Never Say Good-bye>(オリジナルはThe Flamingos)に対する<星くずのダンス・ホール>など、1つ隣のカバー曲に寄せたと思われるオリジナル曲が見受けられます。

 オリジナルすらもカバー曲に合わせて作られている、いわば支配下にあるという点において、このアルバムは実質的には全曲カバーアルバムといえます。単にカバーするだけではなく、そのカバーに合わせて自分たちのオリジナル曲を作って組み合わせることで、カバーとオリジナルの垣根をなくす。この創造性とドラスティックさが、『Mr.ブラック』や『Live At "Wisky A Go Go"』との違いです(繰り返しますが、このような曲作りができる田代まさしと鈴木雅之のソングライティングチームはもっと評価されるべきだと思います)。



 ただ、一方で興味深いのは<ダンス!ダンス!ダンス!>の冒頭にあるコント(?)では、メンバーは明らかに黒人をパロディ化している点です。鈴木雅之らが演じる黒人のモノマネを聴く限り、彼らは決して原理主義的ではなく、盗むのはあくまで音楽だけというような割り切ったスタンスが垣間見えます。

 時系列で見ると、1つ前のアルバム『Soul Shadows』でシャネルズは「ドゥーワップの雰囲気を残しつつポップミュージックの一般性も追求する」という試みに一定の成果を上げました。<憧れのスレンダー・ガール>や<もしかしてI Love You>、<渚のスーベニール>といった楽曲は、ラッツ&スターの音楽スタイルのヒントになったはずです。

 そして、『Soul Shadows』で次のステップに進める自信を得たシャネルズが、その前にもう一度だけ原点である黒人音楽に向き合って、「過去の名曲に合わせてオリジナルを作る」という方法論で自分たちなりのリスペクトを示したのが『ダンス!ダンス!ダンス!』だったのではないか…というのが僕の想像なのです。

 このアルバムでは鈴木雅之だけでなく、田代まさし、佐藤善雄、久保木博之、桑野信義、新保清孝という、グループの全ボーカリストがリードをとる曲が収録されています。6人全員のリード曲が1枚に収録されているのはこのアルバムだけです

 特に素晴らしいのは田代まさし。<Peppermint Twist>の鼻にかかったボーカルを聴かせ、<Boogie Woogie Teenage>で後半から入ってくるところなどは、グループの誰よりも色気があります。もちろん作品全体のポイントを締めるのは鈴木雅之なのですが、他のボーカリストの活躍により、このアルバムでは彼の存在感は相対的に後ろに下がっています。この「全員参加」なところも、グループとしての総決算であることを感じさせます。









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シャネルズ『Live At "Wisky A Go Go"』

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豊かな「カバー文化」が
かつて日本にもあったんだ


 最近どっぷりと聴いているのがシャネルズです。ご存知、鈴木雅之や田代まさし、桑野信義らを擁する、主に1980年代に活動していたグループですね。

 なんで今更シャネルズなのかという理由を一言で説明するのは難しいのですが、例えば去年からゴフィン&キングをはじめとする50年代後半〜60年代初頭のソングライターたちを横断的に聴いていて、そこからリーバー&ストーラー→コースターズ/ドリフターズというドゥーワップへの流れがあったり、一方で数年来続く大滝詠一への傾倒があったり、とにかく自分の中では必然的な帰結としてシャネルズがあったのです。

 ちなみに僕が聴いているのは基本的にはラッツ&スターに改名した後期の時代ではなく、前期のシャネルズ名義の時代。何が違うかっていうと、ルーツへのこだわりです。多様なジャンルを取り込んで最大公約数的なポップスを歌うようになったラッツ時代に比べ、シャネルズ時代はグループのルーツであるドゥーワップやR&Bへの強いこだわりが感じられます。

 ある意味ラッツはプロフェッショナルで、シャネルズはアマチュアともいえるかもしれません。「お前らもドゥーワップばっかりやってないでそろそろこういう大人な曲を歌え」という意味を込めて大滝詠一が<Tシャツに口紅>を書き下ろし、そのままラッツ名義での最初のアルバム『Soul Vacation』をプロデュースしたって話は象徴的な気がします。

 ただ、僕はあくまでドゥーワップという文脈で入った身なので(それはもちろん、ああいう古い音楽が好きだからなので)、頑なに原点に固執するシャネルズの方にシンパシーを覚えます。そして、ある意味武骨とすらいえるようなシャネルズのルーツ愛がもっとも爆発しているのが、81年7月にリリースされたアルバム『Live At "Wisky A Go Go"』です。

 タイトルのとおり、米LAにあるライブハウス「Whisky A Go Go」にシャネルズが出演したときのステージを収録したライブアルバム。出演日の情報がないのですが、YouTubeに残ってる映像を信じるのであれば、81年の5月28日のようです(だとするとわずか1か月でアルバム化して発売したってことになりますが)。いくらデビューシングル<Runaway>が大ヒットし、1st、2ndアルバムがともにオリコン1位を獲得していたとはいえ、デビューしてわずか1年の、それも日本から来た無名のアーティストが「Whisky A Go Go」のステージに立てるのは、80年代日本のオラついたエネルギッシュさゆえなのでしょうか。

 それはさておき、名門ライブハウスへの出演、しかもゲストには超大物コースターズということで、シャネルズの面々の気合の入りっぷりは、ありありとアルバムから伝わってきます

 収録曲のうちオリジナル曲は<Runaway>と<Hurricane>のみ(しかも前者は英語詞)であとは全部カバー。ドリフターズの<Fools Fallin’ Love>(桑野信義のボーカルが素晴らしい)やヴェルヴェッツの<Tonight (Could Be The Night)>、ジャクソン5の<Going Back To Indiana>といった真っ黒な名曲を、猛烈な熱量で演奏しまくります。名門ライブハウスにオリジナル曲ではなく、あくまで古いアメリカンポップスで臨むところに、シャネルズというグループがなんたるかが端的に表れているように思います。



 シャネルズは1stアルバム『Mr.ブラック』でB面全曲カバー、この3枚目で9割近くがカバーという荒業をやってのけます。そしてシャネルズ名義として最後のアルバムである6枚目『ダンス!ダンス!ダンス!』では、オリジナルとカバーを(ほぼ)交互に挟みつつ、カバーとつなげて違和感がないように“カバーっぽいオリジナル”を量産して「実質的には完全なカバーアルバム」をつくり、グループのもつアマチュアリズムの総決算を図りました(そういう曲作りができる田代まさしと鈴木雅之のソングライティングチームはもっと評価されるべきだと思います)。

 驚くべきは、最初の3枚のアルバムが全てオリコン1位を獲得している点です。繰り返しますが、1枚目はB面全部がカバー、3枚目は9割がカバー(しかもライブ盤)です。なんていい時代なんでしょうか。シャネルズももちろんすごいですが、それを受け入れていた世の中の感性もすごい。

 伊福部昭の『音楽入門』のなかに、15世紀前後のフランダース(フランドル)楽派の時代には、作曲家とは実質的には「編曲家」を指し、音楽において素材(=曲)に芸術的価値が置かれなかった、という話がありました。僕がこれを読んで連想したのは、50年代や60年代の欧米ポップスの「カバー文化」でした

 プレスリーの<Hound Dog>とかビートルズの<Please Mr. Postman>とか、かつてのポップスシーンにはオリジナルよりもカバーのほうが有名になったケースが山ほどあります。そこでは、いかにオリジナルよりもインパクトを与えるかというアーティストやアレンジャーの試行錯誤があり、同時にリスナーとしてはオリジナルを辿ったり他のカバーを探したりすること自体が一つの楽しみになります。

 伊福部昭は「音楽を単なる技巧と見なしている」として、フランダース楽派時代のマインドを批判的な立場で書いているのですが、これを欧米の「カバー文化」に置き換えて考えてみると、僕は意外と本質を捉えているんじゃないかという気になりました

 今の日本の音楽シーンでは、カバーというともっぱら、一番CDがバカ売れしてた90年代のヒット曲を今のアーティストにカバーさせて30代40代の中年にもう一度CD買わせようぜ!というような、マーケティング的発想で作られたものを指します。しかし、そういう“プロ目線”ではなく、「ドゥーワップってかっこ良くない?」「俺たちR&B大好きなんだけど、君も聴いてみない?」というようなアマチュアリズムを感じるカバー文化がもうちょっとあってもいいのにと、シャネルズを聴いてて思わずにはいられませんでした。






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SOLEIL『My Name Is SOLEIL』

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ポップミュージックが
まだ「14歳」だった頃


 先週紹介したThe Yearningは、50〜60年代ポップスの影響を色濃く感じさせる、レトロなスピリットにあふれたグループでした。日本でもつい最近、似たコンセプトをもったグループがデビューアルバムをリリースしました。男性ベテランミュージシャン2人と14歳の現役女子中学生という異色の顔合わせによる3ピースバンド、SOLEIL(ソレイユ)です。

 メンバーは、「ネオGS」と呼ばれたザ・ファントムギフトのベーシスト、サリー久保田。ヒックスヴィルやましまろで活動するギタリスト、中森泰弘。そして、女子中学生ポップデュオ「たんきゅんデモクラシー」の元メンバー、それいゆの3人。2017年9月に1stシングル『Pinky Fluffy』、そして今年3月に初のフルアルバム『My Name Is SOLEIL』をリリースしました。

 このバンドのコンセプトは「1962年」。ガールズポップが全盛期を迎え、マージービートがいよいよステージ中央に躍り出ようとしていた時代の音楽的意匠がふんだんにこらされたサウンドです。アルバムには真島昌利や近田春夫、カジヒデキ、かせきさいだぁといった濃い面子が曲を提供しているのですが、彼らの作家性よりも「1962年サウンド」の方が前面に出ているので、バラバラ感はありません。全曲モノラル録音というラディカルぶりも相まって、非常にコンセプチュアルな作品という印象を受けます。



 The Yearningが、ジョー・ムーアというコンポーザーの考える世界観がまずあって、それを体現するためのいわば「出演者」としてボーカルのマディー・ドビーが存在していたように、SOLEILのサリー久保田とそれいゆの関係もまた演出家と役者のように見えます。結成当時のマディーとそれいゆが共に14歳というのも不思議な符合。

 サリー久保田はインタビューで「13歳だとまだ子供だけど、15歳だともう大人の感じが出てくる。14歳という年齢はそのどちらでもないから面白い」と語っています。

 一つのカラーに染まりきっていない。アンバランス。狭間。そのような意味でいうと、両者が志向している50年代末から60年代初頭の音楽もまた、混沌とした時期であるともいえます。50年代中盤はロックンロール誕生のムーブメントがあり、60年代も半ばになるとビートルズが現れてポップスの重心がロックへと傾倒し始めます。そのために従来は、この50年代末〜60年代初頭は音楽的には見るべきもののない退屈な時代と見られていました。

 確かに爆発的なムーブメントや誰もが知る天才的なアーティストは、この時期に見当たらないかもしれません。けれど実際には、ツイストやファンクなど新しいリズムの発明やフォークミュージックの誕生、黒人歌手や女性歌手のメインストリームへの登場など、後の音楽シーンに決定的な影響を与える出来事が起きたのはまさにこの50年代末〜60年代初頭だった…というのは大和田俊之『アメリカ音楽史』の論ですが、この時期の音楽にはそうしたプリミティブな魅力にあふれています。

 この時期のポップスをよく「キラキラした」と表現することがあります。僕もそのように実感することがあるのですが、この「キラキラ」は、あか抜けて洗練されたことによる輝きというよりも、ありったけのアイディアや生まれたてのエネルギーが詰まった、未成熟という名の眩しさなんじゃないかと思います。そう考えると、The YearningのマディーとSOLEILのそれいゆが共に「14歳」という年齢であることが、とても面白い偶然に思えてくるのです








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For Tracy Hyde『he(r)art』

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「明けない夜はない」という
儚さと希望と


 村上春樹の小説で一番好きなのは『羊をめぐる冒険』でも『ノルウェイの森』でもなく、実は『アフターダーク』なんですが、For Tracy Hyde(フォトハイ)の2ndアルバム『he(r)art』の印象は、この小説を初めて読んだときのそれと重なりました。

 どちらも舞台は東京で、時間帯は夜。『アフターダーク』は東京の渋谷のレストランやラブホテルで起きたある一晩の出来事を、深夜から日が昇るまで時系列を追って描いた作品ですが、『he(r)art』のほうも、明示はされていないものの、ある夜に東京のあちこちで起きるドラマを1曲1曲にしてつなげた、連作小説的なアルバムです

 ただ、僕が両者を似ていると感じたのは、単に作品の構成や舞台設定だけが理由ではありません。

 夜の電車に乗ると、オフィスやマンションから洩れる無数の光が次から次へと窓の外に流れていきます。その一つひとつの光のなかに誰かの人生とそれに伴うドラマがあって、しかもそのほとんどはお互いに関わり合うことがなく別々に存在しているんだと思うと、密度の濃さみたいなものに思わず眩暈がしそうになります。そして、無数に輝く星も太陽が昇れば消えてしまうように、東京の窓の明かりも朝が来ると全て消えて、夜の間にその明かりのなかで起きたさまざまなドラマなんてまるでなかったかのように、また1日が始まる。

 永遠に続けばいいのにと思うような夜も、朝日が昇れば瞬く間に消えてしまうのは、残酷で虚しいことかもしれません。でも、逆に言えばどんなに悲しい出来事があっても、朝が来ればとりあえず一旦リセットすることができるわけで、その意味では夜の終わりはある種の救いでもあります。儚いけれど、その儚さの中にこそ希望がある。『アフターダーク』と『he(r)art』が似ているのは、都会の夜がもつそうした二面性が、作品のなかに封じ込められているからです。



 先ほど「連作小説的」と表現しました。EP『Born To Be Breathtaken』のときにも書いたように、このバンドの楽曲はフィクショナルで情景描写的なところが大きな特徴ですが、今回のアルバムはその強みと作品のコンセプトの親和性が過去の作品以上に高かったと思います。

 彼らのそうしたストーリーテラー性について、これまでは歌詞がファクターとして大きいと思ってたのですが、今回の作品を聴いていると、メロディの影響も大きいのではないかと思うようになりました。理由は「Bメロ」

 フォトハイの楽曲は元々Bメロが多いのですが、今回のアルバムの楽曲ではそのBメロが非常に効いているなあという印象があります。ヴァース(Aメロ)とコーラス(サビ)をダイレクトにつなぐのではなく、その間に別種のメロディを置くことでサビへと向かう緊張感が生まれ、楽曲のドラマ性を強めるのがBメロの効果だとすれば、<Echo Park>や<Leica Daydream>はその見本のようです。これらの楽曲の、サビに入ったときに視界がバッと開けるようなドラマチックさは、直前のBメロがまるでサビへのジャンプ台のような役割を果たしているからでしょう

 蛇足ながら、欧米のポップソングはヴァース(Aメロ)からいきなりコーラス(サビ)へと移るのが圧倒的に多いので、Bメロは日本のポップソングの大きな特徴だともいえますが、フォトハイが「J-POPのお作法と海外インディーの感性との邂逅」とよく言われる理由は、実はこの「Bメロ」にあるんじゃないかと思ったりもします。



 最後にもう一度「東京の夜」に話題を戻します。

 僕がこのアルバムを聴いて最初に東京の夜と『アフターダーク』を思い出したのは、6曲目の<Dedication>でした。どちらかというと地味で、アルバム全体からみるとつなぎのような(まさにBメロ的な)ポジションの楽曲ですが、僕はこの<Dedication>が一番好き。

 他の曲がいずれも特定の誰かや場所にフォーカスしながら一人称的視点で作られているのに対し、この曲だけは三人称的で、淡くゆったりとしたサウンドとも相まって、まるで雲の上から街全体を見下ろしているような感覚があります。東京という街そのものが端的に表れているのは、実は控えめな存在のこの曲だと思うのです。

 eurekaのボーカルも非常に効いています。前代のボーカルであるラブリーサマーちゃんが、不完全さや傷つきやすさをさらけ出す人間臭いボーカルだったのに対し、eurekaの声は中性的で俯瞰的で、適度な距離感をとりながら、歌全体を俯瞰してみてるような響きをもっています。まるで都会の夜に生きる無数の主人公たちを空から見守る天使のような彼女の声は、<Dedication>のみならず、アルバムのコンセプト自体と非常にマッチしていると思います。

「シティポップ」というと先鋭的で享楽的なサウンドの代名詞のように捉えらがちですが、字義どおりに「都市」というものをテーマに据えた音楽と解釈するのであれば、このアルバムのような音楽こそ「シティポップ」と呼ぶべきでしょう








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Luby Sparks 『Luby Sparks』

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「ペインズ」という名の
夢の続き


 当初は、昨年の秋に出ると言われていた1stアルバムですが、2度ほどの発売延期を経て、ようやくこの1月にリリースされました。東京出身の5ピース、Luby Sparks。2016年に、現役の大学生男女5人で結成されたバンドで、僕にとってはフルアルバムのリリースをもっとも心待ちにしていたアーティストの一組でした。

 最初に聴いたのは、確かSoundCloudにアップされた<Hateful Summer>だったと思います。

 光の乱反射のようにキラキラしたギターのノイズ、細い糸を縫うような繊細なメロディ、遠くから聴こえてくる蜃気楼のような男女混声ボーカル。全ての要素が僕のハートを鷲掴みにして完璧なキムラロックを決めたのでした。そしてこの完璧ぶりに対して、僕は心の中でこう呟きました。「ペインズはここにいたのか」と。

 NYブルックリン出身のバンド、The Pains Of Being Pure At Heart。09年に出たセルフタイトルのデビューアルバムは、ひと言でいうなら「100点満点」のアルバムでした。この10年でもっとも影響を受けたアルバムを1枚選べと言われたら、僕はおそらくペインズの1stを選ぶと思います。特にここ数年は、自分が音楽を選ぶ基準に対し、ペインズの影響がいかに大きかったかを自覚する機会が増えました。And Summer ClubHomecomingsも、AlvvaysThe History Of Apple Pieも、ペインズがいなきゃ聴いてなかったと思います。

 ただし、ここでいうペインズは、あくまで2nd『Belong』まで。僕は何よりもバンドとしてのペインズのサウンドが好きだったので、フロントマンであるキップ・バーマンの実質ソロプロジェクトになった3rd『Days Of Abandon』以降は、少し距離を置いて眺めていました。(今思うと3rdがリリースされたのと同じ14年に、ホムカミ『Homecoming With Me?』とAlvvaysの1stと出会っているのは象徴的だなあ)

 僕はある意味では、ペインズ(の1stと2nd)という名の夢の続きをずっと探していたのだと思います。そして、1stから10年近く経ってようやく見つけた「夢の続き」が、Luby Sparksだったのです(他のアーティストに重ねあわせられるのは、本人たちにとっては不本意なことかもしれませんが、僕にとっては最大級の賛辞のつもり)。

 今回リリースされた1stは、想像に反してとてもフレッシュな印象のアルバムでした。というのも、これまでの音源から、僕は彼らに対してセピア色で、晴れよりも曇り空が似合うようなイメージを持っていたからです(Camera Obscureをカバーしてたのも理由の一つ)。ところが今回のアルバムは瑞々しい躍動感があってバンドの印象が変わりました。

 1曲だけ挙げるなら、10曲目の<Teenage Squash>。ガラス細工のようなヴァースと一気に加速するコーラスとを繰り返す激しい二面性を持つこの曲は、その構成自体が若い頃の気持ちのありようを表しているようです。世界の美しさに涙する心と、その美しさの前で自分はなんて醜いんだという激しい怒り。聴いていると、胸が引き裂かれそうな気持ちになります。

 実はこの曲、最初に聴いたのはアルバムではなく、ライブでした。そのライブというのは、1月末に行われた、他ならぬペインズの来日公演。Luby Sparksは東京のステージでサポートアクトに選ばれたのです。サポートアクトはチケット発売時には発表されてなかったので「Luby Sparksだといいなあ」とは思っていたんですが、まさか本当に実現するとは。

 ペインズということで元々チケットを押さえてはいたものの、そこにLuby Sparksが登場したことで、僕の中ではこの日のステージが世代交代の象徴になるのではという予感が湧いてきました。事実、当日のLuby Sparksのステージは「09年の頃のペインズはきっとこうだったんじゃないか」と思わせる繊細さと緊張感がありました。「貴重なバトンタッチの儀式を見たなあ」と、ペインズが登場する前の時点ですでに僕は何かを見終えたような気分になっていたのです。

…ところが、その10分後、実際にはまったく「世代交代」でも「バトンタッチ」でもなかったことを僕は目撃するのですが、その話は次回。








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JINTANA & Emeralds 『Destiny』

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心にいつも「横浜」を

 スティールギタリストのJINTANAが、シンガーの一十三十一(ひとみとい)やギタリストのKashiffらとともに結成した6人組のドリームチーム的グループ、JINTANA&Emeralds。2014年にリリースされた彼らの1stアルバム『Destiny』は、ミュージックマガジンの2014年歌謡曲/J-POP部門で1位を獲得したばかりか、同誌の選ぶ2010年代の邦楽ベストアルバム部門でも7位を獲得するなど、非常に評価の高い作品です。

「ネオ・ドゥーワップ」と呼ばれる彼らの音楽は、その濃いビジュアルからもなんとなく想像つく通り、50年代のアメリカンポップスからフィル・スペクター大滝詠一までつながる、濃厚且つ涼やかなレイドバックサウンド。<Emerald Lover>なんて、イントロを聴いただけで僕はムフムフしてしまいました。買ってからだいぶ経つのですが、未だにかなりの頻度で聴き返すアルバムです。



 ただ、僕がこのアルバムをヘビロテする理由は、サウンドが好みというだけはありません。もう一つ、サウンド以上に重要な、そして個人的な理由があります。



 朝、自宅の最寄り駅から会社とは逆方向の電車に乗り込んで、1日だけの現実逃避を楽しむ―。世にいう「逆向き列車」というやつですが、僕の場合、この逆向き列車に乗って行きたい場所ベスト3に常にランクインする不動の「ザ・現実逃避な場所」が、横浜です。

 横浜というと、一般的には都心に近い観光地というような位置付けなのでしょうか。しかし、神奈川県南部で育った僕からすると、横浜は観光地というよりもまず「都会」というイメージになります。神奈川の南から都会へ向かおうとすると(だいたい東海道線です)、東京にたどり着く前にデーンと控えているのが横浜なのです。

 高いビルもあるし駅は大きい。もちろん人もたくさんいる。迷子になりそうな複雑さと規模感は、子供の頃の僕にとってはまさに「都会」のイメージそのものでした。中華街や元町といった、おそらく他の地域の人からするとザ・観光地に見えるであろう特別な景観も、僕には「都会はやっぱりいろんな場所があるんだな」と、都会であることの証明として見ていました。

 街が巨大であるがゆえの迫力や多様さ、大人の世界を垣間見るようなドキドキ感。そのようなものを最初に体験したのが、横浜だったのです。

 普通なら大人になるにつれて、かつては巨大に感じていた街も、訪れるごとに身の丈に合っていくはずですが、僕の場合は自分でお金を稼ぐようになったときにはすでに東京に出てきていたので、横浜の街をきちんと(というのも変ですが)体験しないまま今日まで来てしまいました。その中途半端さが逆に良かったのか、すっかり日常の風景になってしまった「地元・東京」に比べて、横浜は今でも僕の目には「非日常な大都会」として映っているのです(だからこそ逆向き列車の行先として魅力的なのです)。



 ここでようやく話はJINTANA & Emeraldsに戻ります。僕が彼らに惹かれる一番の理由は、彼らの音楽が、横浜を強烈にイメージさせるからなのです。

 彼らの音楽が醸し出すレイドバック感が、横浜のレトロできらびやかな様子を思い起こさせるから。もちろんそれもあります。しかしそれ以上に決め手になったのは、彼らの所属するレーベルが、Pan Pacific Playaという横浜のレーベルだったことでした。

「横浜のレーベルの音楽だから、聴いていると横浜の風景が浮かんでくる」だなんて、単純すぎるというか、ほとんど「思い込み」「気のせい」のレベルですが、浮かんでくるんだからしかたない。

 夜中に埠頭に忍び込んで眺めた対岸のみなとみらいや、元町から外人墓地へ向かう急な坂道、ビルや高速道路の間から覗くように見上げた横浜駅前の空。JINTANA & Emeraldsを聴いていると、記憶の片隅に引っかかっていた景色が次々と蘇り、胸の奥を締めつけてきます。彼らの音楽と横浜との連想が気のせいだとしても、この切なくもうっとりとしたこの感じは、紛れもなくリアルです

 所属レーベルの所在地という、音楽の本質とは関係のないはずの「周辺情報」が、作品の受け取り方を左右すること。人によってはそれを邪道と感じるのかもしれませんが、僕はむしろそういうところが面白いと肯定的に見ています。逆向き列車にはそうそう頻繁には乗れないぶん、その代わりにJINTANA & Emeraldsを聴いて、積極的に「気のせい」に身を委ねてやろうと思います。








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ハラフロムヘル 『みのほど』

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ナンセンスから神話まで

 2011年に千葉で結成された5ピース、ハラフロムヘル。名前からしてなかなか強烈ですが、サウンドの方も名前に負けず相当に個性的です。16年末にリリースされたフルアルバム『みのほど』は、ファーストアルバムに相応しく、彼らのキャラクターがこれでもかと詰め込まれた名刺代わりの1枚です。

 このアルバムについて語るために、話を3つのポイントに分けて進めます。歌詞メロディ、そして紅一点のボーカル、タテジマヨーコの声です。

 まずは歌詞から。これは読んでもらった方が早い。
横目いっぱい君の生存確認
星のマークをつけてきたんだ
うって変わってアマゾンデビュー
死んだと思った兄がいきてた映画
みたいな展開が続くのかい

<食べる人>

宝くじを買いましょう
3億円当てましょう ねえ3億円だよ?
3億円あったらどうする?

<宝くじ高い>

 特にインパクトの強い部分だけを引っ張ってきましたが、基本的にはどの曲の歌詞もこういう具合にシュールでナンセンス。「作者の言いたいことを述べなさい」という問題が出されたら、採点者も回答者もみんなが頭を抱えるでしょう。この独特な世界観が、ハラフロムヘルの個性の一つめです。

 次にメロディです。メロディは非常にドラマチックです。ヴァース、ブリッジ、コーラスと各パーツの境界線は明確で、それぞれがフックの強いメロディを持っているため、先へ先へと展開していく前進力があります。彼らの音楽が「ミュージカルのようだ」といわれる所以がここにあります。

 同時に、80年代から90年代はじめあたりのJ-POPに見られる、職業作曲家の手によるメロディのような情感もあって、僕なんかには懐かしい感じもします。玉置浩二の、日本っぽいんだけどカラッとしてる感じとか近いと思う。

 最後に、ボーカル・タテジマヨーコです。このバンドの一番の「顔」は、間違いなく彼女の声です。声量があって線が太い彼女の声は、最近のバンドの女性ボーカルでは珍しいタイプで、それゆえ非常にインパクトがあります。僕はCoccoとか安藤裕子とか、ナチュラル系SSWの系譜を継ぐボーカルだと見ているのですが、そんな彼女のオーガニックな声を手数の多いバンドの音で聴けることに、僕は「お得感」を感じます。

 んで。

 シュールな歌詞とドラマチックなメロディ、そしてタテジマヨーコの声が合わさると、結果としてどうなるのか。

 例えば前述の<宝くじ高い>のようなナンセンスな歌詞が、異様に高低差のあるメロディに乗っかり、さらにタテジマヨーコの声量で歌われると、まるで何らかの人生の真理を歌っているかのように思えてくるのです。「みんな当たり前のように口にしているが、宝くじって一体なんだ。俺は本当の宝くじを知っているんだろうか」と。

 シュールな歌詞が意味を持ち始めるということ自体がシュールで、まるで「シュールの入れ子」「メタシュール」みたいになってきて頭がおかしくなってくるのですが、一方で<パンツヒル>や<れない>といった抒情詩については、メロディとボーカルが言葉の抽象性を何倍にも増幅し、リスナーがどのようにも解釈できる余地を与えており、特に<パンツヒル>なんて、知らない国の神話かと錯覚してしまいそうなスケール感です。

 このように、メロディは物語性を、タテジマヨーコの声は説得力をもたらしているのですが、組み合わされる歌詞が抽象的でクセが強いぶん、シュールになったり神話のようなスケールになったりと、予測不能な化け方をします。自分たちの個性をそのままアウトプットするとそれぞれが化学反応を起こして、不安定でカオスになるというのは、ある種の宿業といえますが、同時にそれ自体がものすごい個性だなあとも思います。

 ただ、個性が強烈なぶん、それを余すところなく出した『みのほど』は、ある意味では最高到達点であり、このまま同じやり方で2枚目3枚目を作っても陳腐になっていく可能性を孕んでいます。ハラフロムヘルは「次の作品に向けたバンドの再構築のために制作期間をもうけること」を理由に、17年3月いっぱいでライブ活動を休止しているのですが、僕はこの判断をリスペクトするし、休止するからこそ次回作への期待も高まりました。








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CHAI 『PINK』

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「ガールズバンド」
という括りはもう古い


 揃いのピンクのステージ衣装をまとった強烈なビジュアル(90年代育ちにはオ○ム真理教を彷彿としてしまうのでよけいに強烈)、歌とラップを自由自在に行き来するフリーダムなマナとカナのボーカル、「どこの腕利きおっさんミュージシャンだよ?」と突っ込みたくなるような、ユウキとユナの2人によるエッジ利きまくりのグルーヴ(これは本当にすごい)。

 このバンドは一つひとつのキャラクターがとにかく濃厚で、一発で依存症になるような猛烈な中毒性があります。このアルバム聴いた直後は、頭の中で「YOU!ARE!SO!CUTE!NICE!FACE!COME ON YEAH!」ってコーラスがずーっと鳴り響いてました。

 いやー、すごすぎてため息が出ますね、CHAI『PINK』。リリースされたのは去年の秋ですし、既にあちこちで激賞されているので今更ではあるのですが、僕も彼女たちのこの1stアルバムには、めまいを起こしそうなほどの衝撃を食らいました。

 正直CHAIを聴いてしまうと、他のガールズバンドが急に「過去のもの」に見えてきてしまうのを否定できません。もちろん、冒頭に挙げた彼女たちの強烈なキャラクターもその理由の一つではあるのですが、CHAIと他のガールズバンドと決定的に違うのは、彼女たちのスタイルや楽曲には「男の存在」が欠けていることです

 例えば<ボーイズ・セコ・メン>という曲で、「わたしはあなたを守りぬくわ」というフレーズが出てきます。ここでいう「あなた」は男性なんだけど、そこに恋とか愛とかいう文脈はありません。あるのは「私の方が強いからあなたを守ってあげる」という、純粋に物理的な力関係だけです

 もちろん、女性が男性を守るという歌詞は過去にもたくさんあるんだけど、程度の差こそあれ、そのほとんどは「本来は男性が女性を守るべきところを女性の私の方が男性を守る」というような、男性の存在を前提にしたうえでの価値観がベースにあったと思います。でもCHAIには「男性だから」という前提も、「女性だけど」という気負いもありません。「私の方が強いから守る」という、ただそれだけなのです。

 CHAIは「NEOかわいい」(NEOはニュー・エキサイト・オンナバンドの略)という造語をバンドのテーマに掲げていますが、ここで使われている「かわいい」も、「男性から見てかわいい」でもなければ、その反発としての「男性の価値観なんかに縛らない、女性自身が評価するかわいい」でもありません(後者も結局は男性が出発点であることは変わりがないから)。

 CHAIのいう「かわいい」は、<sayonara complex>で「どんなにファンデーションを塗ってもムダ毛を処理してもコンプレックスはなくならないよ(だから受け入れていこう)」と歌っていることに表れているように、「その人が本来持つ性質こそが一番かわいい」という意味なのでしょう。

 そういう意味では、CHAIのいう「かわいい」は男性にも当てはまります。つまり、「男性(女性)から見た女性(男性)」であれ「男性(女性)の存在から自由な女性(男性)」であれ、今まで歌われてきたのがそうした「異性との対比の中で位置づけられる相対的な女性(男性)」だとしたら、CHAIが歌っているのは性別という属性と分離された、純粋な「個人」だといえます

 そしてさらに言えば、冒頭に述べたような、いわゆる(従来的な意味での)「女性らしさ」とは一線を画すあの衣装も、あまりにフリーダムな音楽性も、そのようなCHAIの姿勢の表れだと僕には思えます(狙ってやってるわけではないでしょうが)。

 だから、本当は他のガールズバンドと比べることがおかしいし、そもそも「ガールズバンド(男じゃないバンド)」という括り方も実はおかしいんだと思わざるをえません。男性社会的な文脈や価値観を、ラディカルな形ではなくあくまでポップな音楽で軽やかに超えていくCHAI。どんなに誉めても足りないくらいめちゃくちゃ眩しいし、めちゃくちゃ素敵です。







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DYGL 『Say Goodbye To Memory Den』

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あえて今の時代に
「ギターロック」を選ぶ痛快さ


 先週に続いて今週も2017年の良かったアルバム(17年が終わってから紹介するのも間の抜けた話なのですが)。DYGLの1stアルバム『Say Goodbye To Memory Den』です。

 DYGLと書いて「デイグロー」と読みます。メンバーは4人。日本のバンドです。

 が、僕は最初、海外のバンドだと勘違いしました。元スーパーカーのナカコー(中村弘二)が以前、「最初の1音だけで日本のアーティストか海外のアーティストかわかる(それくらい明確な違いがある)」というようなことを呟いていましたが、僕はDYGLがロンドンのバンドと言われても信じちゃうと思う。そのくらい、サウンドにも英語の発音にも日本人ぽさが感じられません

 着古してあちこちほつれたり色が落ちたりした洋服なのに、その無造作感や自然さが新品の服よりもむしろ素敵に映ることがありますが、DYGLの音楽にもそれと同じような魅力を感じます。2本のギターの絡み方や、タイトなんだけど荒々しく聴こえるドラム、ボーカルとコーラスの重なり方。僕はかつてのリバティーンズを思い出しました。

 レコーディングの技なのかミックスの妙なのか僕にはわからないんですが、全体が1枚の薄皮に包まれてるようなデッド感のある音(イヤホンで聴くと強く感じます)もかっこいい。そう、このバンドに関してはとにかく「かっこいい」という言葉しか出てきません。こういうシンプルかつピュアな「これぞギターロック!」と呼びたいバンドが日本から出てきたことがめちゃくちゃ嬉しいです。

 実はDYGLのメンバー4人のうち、3人はYkiki Beatという別のバンドにも在籍していました(Ykikiは16年に活動休止)。Ykikiの結成が10年でDYGLが13年なので、丸3年は両方の活動が被ってたってことになります。

 ちなみに、ボーカル/ギターの秋山信樹とベースの加地洋太朗はどちらのバンドでも担当楽器は同じなのですが、嘉本康平はYkikiではギター、DYGLではドラムと担当が異なります。初期のDYGLではメンバーの担当楽器は流動的だったそうなので、その名残なんでしょうが、それにしても器用すぎてすげえ

 Ykiki Beatはどういうバンドだったかというと、シンセ担当のメンバーがいることに表れているように、カラフルで都会的でダンサブルで、一言でいえば「陽」な音楽を鳴らすバンドでした。僕はYkikiの方は前から知ってたのですが、DYGLはあまりにサウンドが違うので、まさか同じメンバーだとは思いませんでした。

 んで、僕が面白いなあと思うのは、地上波テレビのEDテーマに選ばれるほど「今風」なYkikiから、今や「古典的」といってもいいほどクラシックなスタイルとなった4ピースのギターロックまでカバーする、彼らの懐の深さ、レンジの広さです。偏見かもしれないですけど、今の時代ギターロックをやろうとする人間って、保守的で固陋なイメージないですか?

 個人的には、Ykikiのようなところから、オーソドックスなガレージやパンクの匂いを感じさせるDYGLへと、まるで時代と逆行するように変化した彼らの意志が頼もしく感じます。その一方で、Ykikiがなくなったことで「Ykiki的な何か」が今後DYGLにもフィードバックされてスタイルが変化するとしても、それはそれで楽しみ。

 彼らは日本と海外を行き来しながら活動を続けてるらしいので、そんな感じで国内シーンと適度に距離を取りながら、屹立した存在として今後も突っ走ってほしいですね。

 最後に、音楽とは全然関係ないんだけど、DYGLのボーカルの秋山信樹って、菅田将暉に似てません?『直虎』見ながらずっと頭にDYGLがちらついて仕方なかった…。







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