
「ジブリに未来はない」と
監督は語った
『エンディングノート』で脚光を浴びた映画監督・砂田麻美が、
スタジオジブリを約1年間かけて撮影したドキュメンタリ映画、
『夢と狂気の王国』を見てきました。
とても面白かったです。
面白かったし、とても新鮮でした。
ジブリを題材にしたドキュメンタリというのはこれまでにも何本も作られているので、
企画自体は目新しいものではありません。
(実際、鈴木プロデューサーは当初はこの企画に難色を示したそうです)
ではいったい何が「新鮮」だったのかといえば、
これまでのドキュメンタリのほとんどが「映画制作の舞台裏」を撮影していたのに対して、
この映画は「スタジオジブリの日常」を撮ることに焦点を当てていたからです。
例えば、黙々と机の上で鉛筆を走らせ続けるスタッフや、
うんうんと唸りながら絵コンテを切る宮崎監督といった「よくある光景」は、
この映画にはあまり映りません。
そのかわり、スタッフが仕事の合間にスタジオの屋上の庭園で休憩する風景や、
そこで交わす雑談といった、仕事以外の様子がたくさん映っています。
宮崎監督や鈴木プロデューサーのインタビュー的なシーンも挿入されますが、
話している内容も、例えば鈴木さんが「同僚としての宮崎駿」をどう見ているかだったり、
宮崎監督がスタジオの将来をどう考えているのかといった、
作品論から離れた、より漠然と「仕事」に関する話題が多い。
これまでのドキュメンタリが「創作集団としてのジブリ」を映していたとすれば、
この映画は「職場としてのジブリ」をとらえていると言い換えられるかもしれません。
一つの職場、一つの社会としてのジブリの空気というものを体験できる点が、
『夢と狂気の王国』という映画のもつ新鮮さではないかと思います。
とはいえ、被写体として最も多く画面に映るのは、やはり宮崎駿です。
スタジオの自分の席で、あるいはアトリエの部屋で、
彼はカメラ(砂田監督)を相手にいろいろな話を語るのですが、
その口調も内容も、とにかく常に怒りに溢れ、そして圧倒的に諦めきっているのが印象的です。
「20世紀の人間(自分のこと)は21世紀なんて生きたくないんだよ」
「スタジオ(ジブリのこと)の未来は決まってますよ。先細りで潰れます」
ジブリを描いたドキュメンタリの最高傑作である
「『もののけ姫』はこうして生まれた」が制作されたのは1997年。
当時50代だった宮崎監督も、このドキュメンタリの中でかなり辛辣な言葉を吐いていましたが、
あれから20年近く経って70歳を超えた今、その言葉の鋭さはほとんど抜身の刃のようです
ジブリの作品で育った世代の一人としては、
監督の絶望しきった言葉の一つひとつに冷や水を浴びせられ、突き放される思いがします。
では彼が、そんな諦念の中で一体何に作品づくりの動機を見出しているのか。
そのことについて映画には、鈴木プロデューサーが語る「宮崎駿評」とともに、
一つの答えが映されています。
それが何なのかは実際に映画を見ていただくとして(監督がこれまでもずっと口にしてきたことです)、
僕にはモチベーションそのものよりも、
彼の抱える諦念が深まれば深まるほどそのモチベーションが強くなることに「凄み」を感じました。
跳び箱の踏切板が、下へ沈む力が強いほど反動でより高く飛べるように、
宮崎監督の旺盛な創造力は、実は怒りや絶望といった感情が源泉となっている。
そしてその倒錯した創造力によって支えられたスタジオジブリ。
そこは確かに「夢」だけではなく「狂気」の王国なのかもしれません。
印象的だったのは、宮崎吾朗監督と川上量生プロデューサーのぶつかり合いや、
30代という若さで『かぐや姫の物語』のプロデューサーを務めた西村義明の奮闘といった、
次代のジブリを支えるであろう人物たちの姿でした。
(あるいはここに庵野秀明を含めてもいいかも?)
彼らの姿と、前述の「スタジオの未来はない」という宮崎監督の言葉との対比が、
映画を見終わっても頭の中で緊張感を生み、
スタジオジブリ自体が一つの物語になっていく予感を感じさせました。
<予告編>
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