週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【RUN】走ることについて

2018年の俺のランニング

 2018年も間もなく終わるので今年のランニングを総括しようと思います。完全に個人メモです。

■2017年よりもたくさん走れた

 去年1年間の総走行距離は1,436kmでした。しかし今年は、11月下旬の時点でこの距離を超えました。12/9現在、1,590km。最終的には1,700kmくらいで終えられたらいいなというところです。

 また、アクティビティ数(走った回数)を比較してみても、同じ距離を走るのに要した回数は、去年よりも今年の方が少なくなっていました。つまり、今年の方が1回に走る距離が長くなっているということ。

 トータルの走行距離でいえば、娘が生まれる前とは比ぶべくもないのですが(年間2,000kmは走っていた)、1回に走る距離は今のほうが長いんじゃないだろうか。おかげで、持久力はむしろ今の方が高い気がします。あんま疲れない。


■アクティビティ数が1,000回を超えた

 11年9月に走り始めて以来ずっと使用している記録アプリ「Runkeeper」によると、今年の10月頭にアクティビティ数が1,000回を超えました

 7年間で1,000回なのでいばれるようなペースではないですが、それでもとりあえず、大したブランクもなくコンスタントに1,000回走ったのは誇らしい。

 ただ、前述の「1回に走る距離が長くなっている」という話は、裏を返せば走る回数は減っているということなので、次の1,000回はさらにもっと多くの時間がかかりそうです。


■つなぎの企画「川越街道ラン」をやった

 東海道ランが停滞気味なので、つなぎの企画として「川越街道ラン」をやりました。

 川越街道は、江戸日本橋から川越まで伸びる街道で、整備されたのは江戸時代なんですが、道そのものは太田道灌の時代からあったという歴史のある道です。僕が走ったのは、中山道と分岐する平尾追分(JR板橋駅近く)から川越までの約35km。

 事前にルートを調べて地図アプリに登録し、沿道の史跡を調べ、着替えとかを詰めたザックを背負って走る…という一連の作業を久々にやりましたが、やっぱり超楽しかったです。

 ただ、東海道と比べると残っている史跡は少なく、これといった特徴のある風景にも出会わないので、かえって東海道ランを再開することの飢餓感が募る結果にもなりました

 川越街道ランは後日ブログに書きます。


■「東海道ラン」を3年ぶりに再開した

 今年最大のトピックがこれ。

 11月初旬、川越街道ランがきっかけになって、ついに東海道ランを再開しました前回、藤枝宿(静岡県藤枝市)で中断したのは2015年の8月。なので、3年ぶりになります。娘が生まれてから初の東海道ラン。藤枝駅に降りたときの解放感と武者震いたるや。

 今回は藤枝から島田宿(静岡県島田市)まで走って1泊し、翌朝掛川宿(静岡県掛川市)まで走るという比較的短い行程(40km弱)だったのですが、大井川を渡ったり、金谷〜日坂の峠越えがあったりと、イベント多めのルートでした。特に金谷〜日坂の登りは薩埵峠や宇津ノ谷峠よりもキツくて、「これぞ東海道ラン!」という感じムンムンでした。
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 いやー、控えめにいっても死ぬほど楽しかったです。やっぱ。

 掛川までたどり着いたことで、ついに静岡県の終わりが見えてきました。来年1Qには浜松まで行きたいなあ。そうすれば、いよいよ名古屋が視野に入ってきます。





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「川」こそアナーキーだ

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この「素晴らしい風景」は
俺にしか見えないんだぜ


ランニングを始めて間もないころに直面したのが、
「どこを走るか」という問題でした。

最初は近所の大きな公園を走っていたのですが、
何度も走っていると、次第に飽きてきてしまいました。
それに、だんだん走る距離が伸びてくると、
同じコースをグルグル回ることになり、
まるで学校の校庭でやらされる持久走のようで、うんざりしてきたのです。

仕方なく、近所の大きな国道や幹線道路沿いを走ることにしました。
これなら迷うこともないし、夜も明るい。
ところが、車の排気ガスや騒々しいエンジン音ですぐに嫌になりました。
信号ですぐに足を止めさせられるのもストレスでした。

そこで僕が目をつけたのが、でした。
川沿いなら静かだし、緑もあるし、信号も少ない。
長い距離を確保することも可能です。
東京だと荒川や多摩川といった大型河川沿いがランニングコースとして有名ですが、
僕が選んだのは、神田川や石神井川といった、小規模な都市河川でした。
景色の変化に乏しい大型河川沿いよりも、
商店街や住宅地を縫うようにして流れる小規模河川の方が、
いろいろな生活が垣間見られて面白かったのです。


一方で、走る場所のバリエーションをさらに増やそうと、
ポケット地図帳やGoogleマップを開いては、
自分だけの「マイ・ランニングコース」を探し続けました。
ポイントにしていたのは、幹線道路ではないこと、信号が少ないこと、
できるだけ長い一本道であること。

そういうコースを地図で探して、実際に走りにいくことを繰り返すうちに、
条件に合致する道の多くには、いくつかの共通点があることに気付きました。
やたらと道が細い。やたらと道がくねくねしてる。
車止めによって自動車が入ってこれない作りになっていて、
中は植物やベンチが置かれ、遊歩道のように整備されている。

それが、かつての川筋、つまり「暗渠」であることに気付くまで、
大して時間はかかりませんでした。

「そうか。今まで走ってた道は、元は川だったんだ」
そのことがわかると、目の前の世界が、
それまでと全く違って見えてきました。

自動車が行き交う幹線道路を横切りながら悠々と流れる細い川筋や、
立ち並ぶ住宅によって隠されている浸食崖の傾斜。
スマホの画面をかざすと別の世界が重なって見えるポケモンGOのように、
僕の網膜に特別なレイヤーがかかって、
幾筋もの川が流れていたかつての東京の風景が見えてくるようでした。

でも、ポケモンGOはアプリをインストールすれば誰でも見られるけど、
この風景は僕にしか見えません

古地図や地形図や、実際に走って見つけた微妙な傾斜を頼りに暗渠を探し当て、
「この先はどうなってるんだ?」と暗く細い道を進んでいく、冒険のような昂揚感。
食事の匂いや風呂場のシャンプーの匂いを嗅げるほど人の生活のすぐ真裏で、
そんな冒険をしているんだという、秘密めいた背徳感。
そしてなにより、この感動は僕しか知らないんだという優越感。
全て僕だけのものです。

暗渠との出会いはまるで、秘密の部屋の扉を開けて宝の地図を見つけたような、
そんなグーニーズ的大事件でした。
30歳を過ぎて、まさかこんなにも大きな宝の山にめぐりあえるとは。
早朝5時の苔むした暗渠の上で、汗だくのまま、僕はひっそりとガッツポーズをとったのでした。


よく考えてみれば、暗渠にしろ開渠にしろ、
僕のランニング生活はほとんど川沿いだけで営まれてきたことになります。
今でもほぼ毎週、どこかしらの川を走っています。
このあいだも、地形図を見ながら石神井川系の新しい暗渠を開拓しました。

なぜこんなにも川に惹かれるのでしょうか。
(このあたりからだんだん話は止まらなくなります)

川というのは、はっきりいって存在が地味です。
生活のすぐ隣にある存在なのに、その川がどこから来てどこへ行くのか、
川沿いに住む人すら知らないんじゃないでしょうか
実家に住んでいたころ、すぐそばに川が流れていたのですが、
その川の水源がどこなのかなんて考えたこともありませんでした。

僕はよく川と線路を対比させて考えるのですが(線路沿いもよく走ります)、
鉄道はもともと移動を目的としている分、出発点と目的地が明確です。
それに比べて川は、日常にあまりに溶け込みすぎているせいか、
本来もっているはずの移動性や連続性が抜け落ちて、
固定された風景の一つとして認識されているのかもしれません。

でも、一度でいいから地図を広げて見てほしい。
そうすれば気づくはずです。
近所の川が、いかに長い距離を旅する旅人かということを。
そしてその旅の道筋が、いかにダイナミックなものかということを。

例えば都心のど真ん中を流れる神田川
武蔵野市の井の頭公園で産声を上げ、
ゆったりとしたカーブを描きながら、一路東へと向かいます。
三鷹市、中野区、杉並区、新宿区と、いくつもの行政区域を股にかける様子は、
人間の決めたせせこましい約束事などあざ笑うかのようです。
はじめは子供の腕のようにか細い流れだったのが、
途中で善福寺川や妙正寺川といった旅の仲間との出会いもあり、
後楽園の前を横切るあたりでは、すっかり成熟した大人の川へと成長します。
地図を見ているだけでも感じるこのドラマチックさ。
人の一生や一つの時代を描くドラマを「大河ドラマ」と呼ぶ理由がよくわかります。

さらに地図をよく見てみてください。
注目してほしいのは行政区域の境界線です。
東京都と埼玉県の境の荒川や、東京都と神奈川県の境の多摩川のように、
川が行政区域の境界線として機能していることがよくあります。

しかも開渠とは限りません。
例えば不忍通りから50mほど東側に入ったところに、藍染川の暗渠があります。
大人がようやく一人通れるかどうかというものすごく細い路地なのですが、
実はこの路地が文京区と台東区の境界になっています。
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よく考えてみれば、そんなにも細い流路でありながら、
その上に建物の一つも建てられず、
人間が川筋を今でも道として保たざるをえないのも、痛快な話です。
誰にも見向きもされない小さな暗渠でさえも、
知らず知らずのうちに僕らの生活をコントロールしているのです。

人に関心など払われなくても、淡々とわが道を行く川。
曲がりたいときに曲がるし、近くに仲間(川)がいれば合流するし、
誰にも束縛されずに流れ続ける川。
たとえ暗渠になろうとも、大きな道路や線路やマンションにいくら遮られようが、
健気なほどにしぶとく流路を維持し続ける川。

なんて自由なんでしょう。
なんてアナーキーなんでしょう。


「目指すべき生き方は?」と問われれば、
僕は有名人や偉人の名を挙げるのではなく、ただ一言「川」と答えたい
川の流れに沿って、人生という名の道を敷いてみる。
そしたらそれは、まさに「俺暗渠」と呼べるんじゃないか。
そんな思い付きに「ククク」と暗い笑いを浮かべつつ、いったん記事を締めます。

川と暗渠の話、次回も続きます。




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「ランナー」始めて5年が経った



ランニングは運動ではなく
「哲学」である


この9月でランニングを始めてから丸5年になります。
この5年の間に転職があり、結婚があり、子供が生まれと、
大きなイベントがいくつもあったのですが(あ、劇団の公演も2回あった)、
その間、ひたすらずっと走り続けてきました。

もちろん、長い距離を連続して踏めるような調子のいいときばかりではなく、
走る気力が湧かずに短い距離でごまかしたり、風邪やケガで一時的に走れないときもありました。
それでも、一度として「やめる」ということは考えませんでした

最初に走り始めたときは500mで息が上がりました
でも、それがだんだんと(本当にだんだんと)息が続くようになり、
10km、20kmと走れる距離が延びていきました。
かつて学年で一番足が遅く、持久走の授業では何度も「オエエッ!」とえづいていたことを思うと、
こんなに長い距離を走れるようになったことも、一度もやめようと思わないほど走り続けられていることも、
我ながら(5年経ってもいまだに)つくづく驚いてしまいます。

ランニングの記録用にいつも使っているのが、「Runkeeper」というスマホアプリです。
確か走り始めて2回目とか3回目とか、とにかく間もない頃から、
このアプリで毎回記録をとっています。
今は日本語版がローンチされてるんですが、当時は英語版しかありませんでした。

Runkeeperによると、2011年9月から16年8月までに走った回数は767回
総走行距離は8194kmだそうです。
単純計算で2.38日に1回、1回平均10.6kmを走ってることになります。
ちなみに、これまでに消費した総カロリー数は623,656kcal
体重1kg減らすのに必要なカロリーはざっくり7000kcalだから、
おお、これまで体重89kg分走ったことになるのか。

そして、これまで1回のランニングで走った最長距離や時間、最速ペースなんかも見ることができます。
一部を見てみると、

■一番長く走った距離:40.5km
42.195kmは超えてた気がしたのですが、ギリギリ足りなかったみたいです。
調べてみると、2013年の9月、横浜から池袋まで走ったときのことでした。
国道15号線をひたすら20km北上して、目黒川にぶつかったらそのまま川沿いを上流へ走り、
新宿から明治通りを走る、というコースでした。

9月だったのでまだ気温が暑くて、めちゃくちゃキツかったのは覚えてます。
早稲田あたりで雑司が谷の崖の向こうに池袋サンシャインが見えたときは、
「おおおお…」と声が漏れました。

■一番高く上った標高:1129m
これ、ブログに以前書きました。
東海道ラン4日目に、小田原から三島まで、つまり箱根の山越えをしたときのことです。
(そのときの記事はこちら
実際には石畳が急すぎて半分以上は歩きだったんですが、
それでも1000m以上のぼって30km以上の距離を、しかも真夏の昼間に走るなんて、
我ながら正気の沙汰じゃないですね。
でも、記事にも書いたけど、藪をかき分けながら道なき道を走る「冒険」のようなルートは、
今でも一番楽しかったランとして記憶に残っています。
ちなみにスタートからゴールまで5時間19分という時間も過去最長でした。
(1km平均9:57という、早歩き程度のスピード)

■一番速かったペース:???
キロ3:18という記録がデータ上は残っているのですが、
これは明らかにGPSの不具合。
そんなに速いペースでは走れません。
5年経ってもキロ5分を切れるかな…くらいがせいぜいです。


ランニングは「足を前へ出す」という、たった一つの行為の繰り返しです。
走るという言葉を、そのまま「繰り返す」という言葉に置き換えても成立する気がする。
その半永久的な反復性こそが、ランニングの本質です。
(それが「退屈」だと感じる人の気持ちも、まあわかる)
でも、僕にはこの「ただ繰り返すだけ」ということが、思いのほか肌に合っていたようです。

レースに出て記録を狙うわけでもなく、仲間と一緒にワイワイ走るでもなく、
ただ半永久的な反復性の中に身を置くこと自体が僕には快感であり、走ることの醍醐味なのです。
もちろん、走っている時間が全部で10だとしたら、
気持ちいい時間なんて、せいぜい1か2です。
残りは全部しんどい。
そもそも気持ちいいなんて一度も思えずに、キツイまま走り終わることの方が多いかもしれません。
でも、そういうあてのない一種の探究の時間を、生活の中にコンスタントに設けることは、
実は最高の贅沢なんじゃないかと思うことがあります。

ランニングに向く/向かないを分けるのは、
体力があるかとか、運動が好きかとかではなく、性格なんだと思います。
それがどういう性格なのかといわれると難しいんだけど、とにかく僕は走ることに向いていた。
東海道ランのように旧道を探して歩いたり、東京中の暗渠を探して走ったりと、
歴史や地図、地形といった元々の趣味とランニングとが結びつくという、意外な展開もありました。
そう考えると、あのとき何の気なしに走り始めて、本当にラッキーだったと思います。

走ってるというとよく「ストイックだね」といわれますが、
少なくとも僕はストイックじゃないし、追い込んでもいない。
誰かと一緒に走ったりもしないし、レースにも出ないし、目標もない。
むしろ、「他人との競争」とか「自分の目標」なんていう煩わしいものから、
できるだけ自由になりたくて走っているのだから、
ただ自分の好きな場所を、好きなスピードで、好きな距離だけ走るというのが
唯一の僕のポリシーです。
そのために必要な走力と時間さえあれば、他には何も要らない。
僕にとってランニングとは運動ではなく、哲学なのだなあと思います。

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『おんな飛脚人』 出久根達郎 (講談社文庫)

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江戸の町を駆け抜ける
「スピードランナー」たち


先週まで3回にわたって「ランニング小説まとめ」という企画を掲載してきました。
#第1回:ストイック・アスリート編
#第2回:マラソンは人生編
#第3回:変わりダネ編

ですが、1作だけ、どのカテゴリにも入れられなかった、
けれどめっぽう面白かったランニング小説がありました。
それが、出久根達郎の『おんな飛脚人』

タイトルの通り、江戸時代の郵便屋「飛脚」たちを描いた時代小説です。
主人公は、走ること(作中では「駆けっくら」といいます)が得意な元武士の娘・まどか。
彼女が足の速さを生かして、江戸は日本橋瀬戸物町の飛脚問屋「十六屋」に雇われ、
世にも珍しい「女の飛脚人」として活躍する様子が描かれます。

まどかと同期で雇われた青年・清太郎や、
病気の主人に代わって女手一つで店を切り盛りする女将・おふさをはじめ、
無類の人情家ぞろいの十六屋の面々が、
店に舞い込む事件や難題を機転とチームワークで鮮やかに解決していく様がスカッとしていて、
読んでいて気持ちがいいです。

出久根達郎の時代小説というと、江戸城内で将軍家の膨大な蔵書を管理する下級官僚、
「御書物同心」たちを描いたユニークな作品『御書物同心日記』を読んだことがありますが、
決して極悪人が出てこない、最後は必ずハッピーエンドというパターンは、この『おんな飛脚人』も同じ。
山本周五郎のような超個性的なキャラクターや、藤沢周平のようなヒリヒリするドラマ性はありませんが、
その分、読んでいて心置きなくリラックスできるような安心感があります。

んで、肝心の「ランニング」ですが、
飛脚人の話なので、当然走る場面がたくさん出てきます。
十六屋一番の韋駄天であるまどかは、「息をゆっくり吐きながら」「首を思い切り下げて」走るんだそうです。
「息をゆっくり吐きながら」というのは、血圧や心拍を上げないための呼吸法で、
長距離ランナーはみんな実践している基本の技術です。
「首を思い切り下げて」は、前傾姿勢をとることで重力による推進力を得ようとするものでしょう。
これも実に理に適ってます。
どうですかこの、ランナーならではの読み方

ちなみに、東海道を江戸から京・大阪まで走る飛脚の花形「定飛脚(じょうびきゃく)」は、
江戸〜大阪(約550km)を最短3日(64〜66時間)で走ったと言われています。
単純計算で時速8km強。つまり、キロあたり7分〜7分15秒くらい。
ずっと一人で走るわけではなく、およそ30kmごとに交代するリレー形式だったそうです。

30kmをキロ7分で走ればいいだけですから、一見すると楽そうです。
しかし、この数字はあくまで平均値。
途中の箱根の山越えや大井川の渡しのことを考えれば、
実際には平地でキロ6分、あるいはそれを切るスピードで走っていたんだじゃないでしょうか。
それに、当時の日本人の体格(男性で155cm前後)を考えれば、
飛脚人は選び抜かれたスピードランナーといってよさそうです。

ちなみに飛脚は、都市間の長距離輸送業者だけを指すのではなく、
町の中で手紙や荷物を運ぶ、近距離専門の「町飛脚(まちびきゃく)」もいました。
まどかたち十六屋もこの町飛脚に含まれます。
彼ら町飛脚は担いだ棒の先に鈴をつけていたため、
町の人からは「ちりんちりんの町飛脚」と呼ばれていたそうです。
『おんな飛脚人』では、まどかの同僚・清太郎の発案で、
十六屋がいち早く鈴をつけ始めた、という設定になっています。

大名家や幕府役人などの公的機関が利用した定飛脚と異なり、
町飛脚は庶民にとって身近かつ重要な通信手段でした。
そのため、作中では手紙を携えたまどかや清太郎が、
江戸の町のあちこちを走る場面がたくさん出てきます。

実はこの、「江戸を走る場面」というのが、ランナー的には一番興奮したところでした。
例えばこんな場面が出てきます。
京橋を渡ると、すぐ左手に曲った。川沿いに水谷町、金六町を過ぎ、白魚屋敷前を走る。真福寺橋という橋を渡った。南八丁堀である。

こういう場面になって僕が何をしたかというと、まずいったん本を置いて、
本棚から現代の地図帳と古地図をひっぱり出して日本橋あたりのページを開いて、
しかる後に小説に戻って、まどかや清太郎が走ったルートを地図と古地図で実際に追ってみるのです。

なんていうんだろう。
小説の描写の手助けで、まるで江戸の町を走ってるかのような感覚になり、
さらにGoogleのストリートビューなんかまで活用すると、タイムスリップ感も味わえて、
「街ラン」好き、地図好き、歴史好きには、悶絶級の幸せな時間が訪れます。
これ、同じルートを実際に走ってみるとさらに面白いんだろうなあ。

この『おんな飛脚人』ですが、続編として『世直し大明神』が出ていて、
今後もシリーズが続いていくかもしれません。






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「ランニング小説」まとめ 〜変わりダネ編

ランニング・マラソンを題材にした小説、計37作品を、
内容ごとに分類してまとめて紹介する「ランニング小説」まとめ。
最後となる3回目は、「変わりダネ編」です。
#第1回:ストイック・アスリート編
#第2回:マラソンは人生編

これは、確かに人が走るシーンは出てくるものの、ランニング自体がテーマではなく、
殺人事件を解く推理小説だったり、SFだったり、
ランニング小説だと思って読み始めると面食らう作品群です。
今回読んだ小説の中で、一番当たり外れが激しく、同時に一番読み応えがあったのが、
このカテゴリに属す作品群でした。

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『沈黙の走者』 比嘉正樹
元箱根駅伝のランナーという経歴を持つ諜報員が、国際的な陰謀を防ぐために活躍するというサスペンスアクション小説。あらすじ書くだけでもトンデモ臭がしますが、中身はもっとぶっ飛んでます。電話が鳴る場面を、「電話が鳴った」と地の文で説明するんじゃなくて、この作者の場合「トゥルゥルゥルゥ・・・」と鍵カッコつきで台詞みたいに表現します。斬新!



『強奪 箱根駅伝』 安藤能明
箱根駅伝の直前に神奈川大学駅伝チームの女子マネージャーが誘拐されるという、箱根駅伝を舞台にしたサスペンス小説。警察・テレビ局と誘拐犯との知能戦という物語の主軸よりも、総走行距離200km超という巨大駅伝を中継するテレビ局の舞台裏劇が面白いです。箱根駅伝のマニアックなサブテキストとして読めるかも。犯人の動機が弱すぎるのが玉にキズ。



『激走福岡国際マラソン』 鳥飼否宇
福岡国際マラソンを舞台に、出場するさまざまなランナーが互いの思惑や過去の因縁をぶつけあいながら戦う姿を描いた、サスペンス群像劇。マラソンは、選手が終始無言であるという、いわば沈黙のスポーツですが、本書の、短く区切られた章ごとに異なる選手に視点を移しながら進行するという構成は、選手たちがその沈黙の下でいかにいかに内面に葛藤を抱え、互いの肚を探りあい、し烈な駆け引きをしているかをあぶり出します。話のオチよりも、そうした高い臨場感が魅力の小説です。



『ラン』 森絵都
主人公・環はある日、知り合いにもらった自転車に乗って「あの世」に迷いこんで、事故で亡くなった家族と再会します。しかし、あの世へ行く唯一の交通手段だった自転車はある事情で手放さなくてはいけなくなり、環はあの世への道のり(40km)を自らの足で走るため、地元のランニングクラブに加入してランナーになるという、なかなかぶっとんだ小説です。物語は正直退屈。ランニングという観点でいうと、環がクラブの仲間と一緒に行う練習がけっこう細かく描写されているので、初心者ランナーの成長ストーリーとしてならそれなりに感情移入できるかも。



『彼女の知らない彼女』 里見蘭
多分、今回読んだ全作品のなかでこの小説が一番の変わりダネ。主人公は東京で平凡な暮らしを送る夏子。ある日彼女の元に、村上と名乗る男が現れる。彼は夏子に「君はもう一つの世界ではオリンピックを目指すマラソンランナーなんだ」と告げられ、混乱のままに夏子はデロリアン的マシンに乗ってもう一つの世界へやってくる。そして、ケガをして走れない「もう一人の自分」の影武者として、パラレルワールドでマラソンランナーになる…という、まさかの「SFマラソン小説」です。ランニングのディティールは細かくないので、ランナーとして読むべきところはほとんどありませんが、日本ファンタジーノベル大賞を受賞しただけあって、作品そのものはサラサラッと読むことができます。



『ジェシカが駆け抜けた七年間について』 歌野晶午
「変わりダネ」の中でも最も多かったのが、マラソンを舞台にしたミステリー・推理小説ですが、その中では本書が一番面白かったです。ある出来事をきっかけに命を絶ったはずの女性ランナーが、なぜか死後もあちこちに現れ、事件を巡る人たちを翻弄するという、ドッペルゲンガーをキーにしたミステリー。走るシーンそのものよりも、競技に賭ける選手たちの泥臭い執念が執拗に描かれており、事件のオチに至るまでの展開もスリリングで読みごたえがありました。



『沈黙のアスリート』 吉田直樹
ある若手の実業団女子マラソン選手の不審死をめぐるミステリー。心に傷を抱えた元実業団のエースや、彼の恩師でいわくありげなベテランコーチ、飄々とした実業団の親会社社長に、陰のある美人トレーナー…。いかにも胡散臭い登場人物が次から次へと登場しながら、物語は五輪招致をめぐる日本スポーツ界の水面下での争いにまで発展していくという、まさに王道的なエンターテインメントです。惜しむらくは、王道すぎて逆に読後に印象が残らないこと。なお、実業団が舞台とはいえ選手や試合が主題ではないので、ランナー視点で楽しめる部分は少ないです。



『42.195』 倉阪鬼一郎
無名の男子マラソン選手の息子が誘拐され、「息子を帰してほしかったら次の大会で2時間12分を切れ」という奇妙な脅迫状が届く、というところから始まる推理小説。作中、計2回のマラソンが描かれますが、ランナーやレースの描写に特段目新しいものはなく、また肝心の事件解決のオチも面白くありません。ただ、相当「変わりダネ」であることは確かです。



『ニューヨークシティマラソン』 村上龍
村上龍が1カ月のニューヨーク滞在を機に書いた短編集。ランニングに関係があるのは冒頭に収録された表題作のみになります。人種のるつぼであるマンハッタンの、最底辺に近い場所で暮らす若者が、ニューヨークシティマラソンに挑戦します。それは判で押したように同じ(それも鈍い絶望感に満ちた)毎日の中で、シャツの染み程度ながらも、鮮やかなアクセントになります。景色の描写は多くありませんが、枯葉の舞う秋を感じさせる小説です。ただ、ランニングという観点で言えば、練習の苦しみやレースの駆け引きみたいな描写は皆無なので、「ランニング小説」として括るべき作品ではないかもしれません。



『マラソン・マン』 ウィリアム・ゴールドマン
コロンビア大学で歴史学を学びながらマラソン選手を目指して厳しいトレーニングに明け暮れるリーヴィ。そんなリーヴィの平穏な日常が、ある事件をきっかけに崩れ、得体の知れない組織と関わりを持つことになる、というサスペンス小説です。走るシーンはごくわずかしか出てきませんが、終盤、非常に重要な場面でリーヴィの走る姿が描かれます。



『走る男になりなさい 』 本田直之
小さな出版社を舞台に、ワケあり社員たちが新刊雑誌の創刊に奮闘する、というストーリー。ランニングがどう絡むかというと、例えばチーム全員でランニングを始めたらコミュニケーションが円滑になったとか、運動で脳が活性化するとか、本書におけるランニングはあくまでビジネスにフィードバックするための一つの道具にすぎません。要はランニングをダシにした自己啓発本。著者はコンサルタントで、しかも版元もサンマーク出版だから推して知るべし、ではあります。こういう「ランニングは○○にいい」など、何らかの目的を達成するための手段としてランニングを捉えることは、僕のランニング観とは相容れないのでまったく楽しめなかったです。



『ららのいた夏』 川上健一
一介の女子高生がマラソンの日本記録を破ったり世界記録に迫ったり、しかも美人だからお茶の間の人気者になっちゃって、おまけに恋人だった同級生はドラフトでプロ野球選手になったりして、順風満帆かと思いきや、最後に女の子が不治の病にかかって死んじゃうという、全てが雑で、突っ込みどころ満載の小説。ランニング小説としても、青春小説としても何一つ面白いと感じるところがなく、退屈を通り越して苦痛でした。おすすめできなさすぎて、逆におすすめしたい。みんなでこの本の圧倒的な虚しさについて語ろう。


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これで3つのカテゴリは全て紹介し終えました。
しかし、ここまで紹介したのは36作品。今回僕が呼んだのは全部で37作品。
実は1作品だけ、どのカテゴリにも当てはめられなかったランニング小説があるんです。
次回は最終回としてその作品を紹介します。




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ランニング小説まとめ 〜マラソンは人生編

ランニング・マラソンを題材にした小説、計36作品を、
内容ごとに分類してまとめて紹介する「ランニング小説」まとめ。
2回目は、「マラソンは人生編」です。
#第1回:ストイック・アスリート編

前回は、スポーツとしてのランニング(マラソン)を描いた作品群でしたが、
今回は、ランニングを人生のメタファーとして描いている小説をまとめました。
マラソンは人生に似ている」とはよく言われる言葉ですが、
今回紹介する小説の中では、主人公が走ることを通して成長したり、苦難を乗り越えたりします。
中高生の青春小説ばかりかと思いきや、
中には中年の男性が、走ることで人生を再生していくような物語もあります。

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『遥かなるセントラルパーク』 トマス・マグナブ(全2巻)
今回読んだ全作品のなかでは最も長い距離のレースを描いた小説であり、そして、一番面白かった作品です。舞台は1931年のアメリカ。ロサンゼルスからNYに至る計5000キロ、期間3カ月にも及ぶ途方もない規模の大陸横断マラソンレースに、人生の一発逆転を狙って出場するランナー達と興行主の戦いと友情を描いた群像劇です。一人ひとりのキャラクターがとても魅力的でドラマとして十分に楽しめるだけでなく、肉体の限界に挑むランナー達の孤独と葛藤がしっかりと描かれていて、ランナーの視点からもリアリティたっぷりに読めました。過酷なスポーツを描いたエンターテイメント小説であり、前人未到の旅を描いた冒険小説であり、そして人生の意味を考えさせる哲学小説でもあり、さまざまな魅力にあふれた小説です。著者は元三段跳びの選手で、五輪チームのコーチまで務めたことがあるそう。この作品が処女作で、アメリカではベストセラーになったそうです。



『長距離走者の孤独』 アラン・シリトー
マラソンをテーマにした小説といえば筆頭に挙げられるのはコレでしょう。初めて読んだのは確か10代の頃。自分もランナーになったいま改めて読むと、当時よりも主人公スミスの年齢とは離れてしまったにもかかわらず、心に響くものがありました。「大人への反抗」「システムへの反抗」というような言葉が、この本を語る時に必ず出てくるキーワードだけど、本当はその前に、スミスがそもそも走ることに魅入られていったということが大事だと思う。スミスは走っている間だけは、何物にも束縛されない解放感を感じていた。自分が、他の誰かが用意したわけではない、自分自身の時間を持つことができた。彼は走ることで、「自由」を手に入れてたんじゃないかと思います。だから、感化院なんかのために走ることに彼は我慢ならなかった。走ることは自由であり、同時に孤独でもある。これは、僕自身の実感とも合致します。本書が名作と呼ばれる理由がわかった気がしました。



『フロント・ランナー』 パトリシア・ネル・ウォーレン
これはなかなか読みごたえがありました。生徒を誘惑したという疑惑をかけられた不遇の教師ハーランと、ゲイであることが理由で元いた学校にいられなくなった長距離選手のビリー。2人の男性の恋物語です。この本が最初に出版されたのは1974年。当時の社会のゲイに対する理解度は今よりもずっと低く、2人の恋は決してオープンにはできないものでした。そして、ランニングという競技がもつ禁欲性ともあいまって、2人の恋は実にもどかしく、切なく描写されます。物語はハーランの1人称で語られるのですが、彼のビリーに恋する目線を通して、なんだか僕自身がどんどんビリーに惹かれていくような錯覚を覚えます。アメリカにはLGBTのためのランニング団体があり、本書のタイトルを採って「フロントランナーズ」と名前を付けられているそうです。なお、本書の続編として『ハーランズ・レース』という作品がありますが、そちらは未読。



『チームII』 堂場瞬一
今回読んだ作品の中でも最も新しい作品。2015年の10月に発売された『チーム』シリーズの最新作。ここまで完全無欠のランナーだった山城悟が、「怪我」という初めての危機に見舞われます。その山城の窮地を、現在は母校・城南大学の駅伝部監督となった浦をはじめ、かつての学連選抜チームのメンバーが助ける、という話。これまでで最も山城の感情が濃く描かれていて、過去の登場人物が総登場する展開といいい、シリーズの総決算的な作品です。「友情と絆が孤独な男を救った」というような陽気な話ではなく、むしろそういった定番モノなドラマをもってしても、ジリジリとしか変化しない山城の頑なさがこれまで以上に強くて、やはり「読ませるなあ」という気がします。アスリート・山城ではなく、人間・山城を描いたという印象だったので、前2作は「ストイック・アスリート編」に入れましたが、この作品は「マラソンは人生編」にカウントしました。



『ランナー』 あさのあつこ
長距離ランナーとして将来を嘱望されつつも、家庭の問題で陸上部を退部した少年・碧李(あおい)が、再度ランナーに復帰するまでを描いた小説。碧李は走ることで自分を支え、そしてまた走る中でさまざまな決断を下していきます。10代の少年少女を主人公にしたランニング小説は多いですが、その中でも本書はかなり重たい内容の作品です。しかし、「走るということは何なのか」という根源的な問いの一端に触れる快作だとも思います。劇中で語られる「(走ることは)肉体だけが生み出せる快感だ」という言葉が印象的。



『スパイクス ランナー2』 あさのあつこ
『ランナー』の続編。陸上部に復帰したものの思うように記録が出せないでいる主人公・碧李の、ある試合の一日を描いた作品で、初めて彼のライバル的ランナーが登場します。前作に比べて、より「競技者」シフトの物語になっていますが、かといってストイックさには欠けるし、新しいキャラクターはあまり魅力的とはいえないし、読み応えでは第1作に遥かに及びません。



『レーン ランナー3』 あさのあつこ
『ランナー』『スパイクス』に続くシリーズ第3弾。さらにシリーズは続きそうな予感はあるけど、もういい加減辞めといた方が良さそう。第1弾にあった瑞々しさはもうどこにもありません。



『シティ・マラソンズ』 三浦しをん、あさのあつこ、近藤史恵
ニューヨーク、東京、パリ。世界3都市のシティマラソンを舞台にした3人の作家による短編集。三浦しをんとあさのあつこは既にランニング小説を書いているけど、近藤史恵は未確認。でも、3作の中では近藤による『金色の風』が一番良かったです。「走ることでその街のことを深く知ることができる」というのは僕自身がまさに今身をもって体験しているところ。ランニングが人の精神に与える作用を、簡潔かつ端的に表してるなあと感じました。



『そして、僕らは風になる』 田中渉
春でも夏でも年中サンタクロースの格好をして街を徘徊している元陸上選手が、母校の陸上部に所属する先天性の難病を患った男子生徒のコーチをするというお話。語り口は軽いのですが、2人のキャラクターの設定がユニークなのでけっこう面白かったです。特にサンタは、過去に彼の身に起きた悲しい出来事が理由で年中サンタの格好をしているのだけど、悲劇とサンタの格好というミスマッチが悲しくて印象的です。金栗四三高橋尚子といった歴代の名ランナーたちの名言が随所に散りばめられているのも面白い。



『もういちど走り出そう』 川島誠
かつて400mハードルでインターハイ3位という成績を収めたことのある歯科医師が主人公。高級住宅街で富裕層を相手にした歯科医院を開き、順風満帆だった彼だったが、妻が小説を書いて新人賞を受賞したことから、人生の歯車が狂い始める、というストーリー。不協和音にまみれていく生活の中で、彼は久しぶりにランニングに取り組み始めます。医院でバイトしている女子大生と浮気しまっくたり、彼の背徳っぷりはどうも必要以上に過剰で鼻白むものがありますが、ランニングが生活に一種の規律をもたらしている、という描写は納得できます。



『RUN!RUN!RUN!』 桂望実
天賦の才能を持つものの、チームメイトとの協調性ゼロの独立自尊の学生ランナー岡崎優が、突然の兄の死によって変調をきたし、さらに、自分が「遺伝子操作で生まれた人間かもしれない(=足が速いのは努力のせいではなくそのように「作られた」からだ)」という疑いを持つようになり、競技を続ける意欲を失ってしまう。そのどん底からの再生を描いたストーリー。物語の要素としてはどれも「おっ!」と惹かれるものがありますが、実際に読んでみると、例えば「孤高のランナー」というキャラクターの点では堂場瞬一の『チーム』シリーズの山城に遥かに及ばず、また、走ることで自分自身を再生させるというストーリーの点でも、あさのあつこ『ランナー』の方が優れています。



『マラソン』 笹山薫
マラソンに挑戦する自閉症の少年を描いた物語。韓国の同名映画のノベライズ版で、実話に基づいているそうです。少年の病気に翻弄される家族の話なので、ランニングという観点では読むべきところはほとんどありません。



『17歳のランナー』 草薙渉
これは短距離もの。テニス部に所属し、平凡な高校生活を送っていた主人公ツトムが、体育の授業で100m走を走ってみたら、いきなり9秒台を叩きだして・・・という、かなりぶっ飛んだ設定で幕を開けます(でもまあ桐生祥秀選手みたいな例もあるからありえない話ではないんだよなあ)。仲間との友情や恋など、いわゆる青春小説の定番ネタがたくさん盛り込まれてるんだけど、どのドラマもいまいち盛り上がりに欠けるし、肝心のランナーとしての描写も少ないし、読み終わっても何も残りません。

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次回は、ランニング小説の仮面をかぶったサスペンス、ファンタジー、さらにはSFという、
知らずに読み始めたら度胆を抜く作品群「変わりダネ編」をお送りします。




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ランニング小説まとめ 〜ストイック・アスリート編

一体世の中にはランニング(マラソン)を題材にした小説はどのくらいあるんだろうか
そんなことをふと考えたのは2年ほど前のこと。
以来、細々とランニング・マラソン小説を探し、見つけては買い、計37作品を読破しました。
いずれも今回読むのが初めての作品ばかりです。

驚いたのは、ひと口に「ランニング小説」といっても、内容は多岐にわたることでした。
ストイックな競技者を描いたもの。
ランニングを通して主人公の成長(再生)を描いたもの、
ランニングはあくまでモチーフで、スポーツとは全く異なるジャンルのもの。

そこで、読了した37作品のランニング小説(一部、短距離が題材の作品も含まれています)を、
内容別に3つのカテゴリに分けて感想をまとめてみたいと思います。
3つのカテゴリは、「ストイック・アスリート編」、「マラソンは人生編」、「変わりダネ編」。

なお、自力で探せる限りは読んだつもりですが、
おそらく漏れている作品もあると思いますのでご了承ください(でもかなり読んだぞ!)。
また、「Aの要素もあるけどBの要素もある」というように、本当は複数のカテゴリにまたがるものの、
無理矢理3つのカテゴリのどれかに押し込んだ作品もあります
以上のような点を踏まえたうえで、あくまで「私家版」「暫定版」として読んでいただけると幸いです。

第1回目の今回は「ストイック・アスリート編」です。
文字通り、競技者である主人公を通して、
スポーツとしてのランニング・マラソンを描いた小説群です。

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『チーム』 堂場瞬一
箱根駅伝の学連選抜チームを描いた小説。走れなかったチームメイトの期待を背負って走る選手、競技者としてのプライドや記録挑戦だけを動機に参加する一匹狼な選手。寄り合い所帯ゆえの葛藤や、自校出場の夢が叶わなかった「敗者」としてのコンプレックスを抱えた選手たちのドラマは、とても読み応えがあります。また、本書は走っている最中の選手たちの心理描写が非常に細かく(自分の肉体や他の選手の動きに対する過敏な反応、沿道の景色に見入ったり子供の頃の記憶が不意に浮かんできたりする脈絡のない精神状態etc)、読みながらまるで自分自身が走っているような苦しさを味わえます。今回読んだ本の中では最も迫力がありました。



『ヒート』 堂場瞬一
小説『チーム』に登場した一匹狼の天才ランナー・山城と、目立った記録を残せないまま選手としてのピークを終えようとしていたベテランランナー・甲本の2人を軸に、架空の国際大会「東海道マラソン」の創設を描いた物語。『チーム』の続編といわれていますが、前作よりもさらにハードで男臭く、かなり面白いです。本書では「ペースメーカー」が大きなテーマの一つになっています。「透明の存在」であるペースメーカーが実質的にレースの主導権を握る現代のマラソン。確かに選手の負担は軽減され、結果的に好記録が生まれやすいものの、2013年の東京マラソンやびわ湖マラソンでは、ペースメーカーが設定ペースを保てなかったせいで選手は翻弄され、結果的に記録も見ごたえもない、つまらないレースになりました。ペースメーカーという制度は、マラソンの「競技としての純粋性」を損ねているのではないか。本書はその疑問に鋭く迫ります。



『風が強く吹いている』 三浦しをん
映画化もされた有名作品。陸上初心者だけで結成された大学駅伝チームが、箱根駅伝の出場を目指す、というストーリー。荒唐無稽だけど、とても面白いです。駅伝という競技が持つ独特の湿っぽさ(「仲間のために走る!」みたいなノリ)がなくて、むしろ、初心者のくせに本気で勝ちにいっているあたりに痛快さを感じます。走っている最中の描写(息遣い、筋肉の様子、周囲の風景、地面の感触etc)は、堂場瞬一と並んで一段飛びぬけています。



『一瞬の風になれ』 佐藤多佳子(全3巻)
青春陸上小説No.1」という帯の文句から、なんとなく色眼鏡で見ていたんだけど、めちゃくちゃ面白かった。主人公は、高校に入って陸上を始めた男の子、新二。軽い気持ちで走り始めたものの、部活の仲間や先生と関係を深めるうちに、あるいはライバルとの試合を経験するうちに、徐々に短距離にのめりこんでいく様子が、新二自身の朴訥とした語りで描かれます。舞台は高校の部活ですが、0.1秒を削り出そうとする様は紛れもないアスリートであり、またそこに至るまでのトレーニングやメンタルの描写も細かく、十分「アスリートもの」として読むに耐えます。ちなみに著者の佐藤多佳子はこの本の他に、北京五輪で銅メダルを獲得した男子100m×4リレーの4選手を取材した『夏から夏へ』というインタビュー集も書いてます。そちらも面白かった。



『カゼヲキル』 増田明美(全3巻)
非凡な才能を秘めた田舎の女子中学生が、マラソンの五輪代表になるまでの10年間を描いた小説。作者は、元選手で現在は解説者として知られる増田明美。あとがきに曰く「五輪や世界陸上では選手の『今』しか見えないが、彼らはスタートラインに立つまでに少なくとも10年以上の歳月を準備・練習に費やしてきたことを伝えたかった」。物語はよくあるシンデレラストーリーのようですが、決してご都合主義には映らないのは、まさに著者のいう10年間の準備とステップが必要だったことを読んで納得できるからでしょう。元トップ選手だからこそ書ける小説という感じ。「一流マラソン選手ができるまで」を垣間見れる作品。



『標なき道』 堂場瞬一
才能もある。練習もしている。経験も十分に培った。けれど勝てない。そんな「二流選手」を抜け出せない実業団ランナー・青山の元に、見知らぬ男から「絶対に検出されない薬がある」という電話がかかってくる。「ドーピング」を切り口に、どんな手を使ってでも勝ちたいと望む、競技者の“業”を描いた小説。物語全体がむしむしと暑苦しい湿気に包まれているような、ずっしりとした読み応えのある本です。元々は『キング』というタイトルで、後に改題されたそうです。



『冬の喝采』 黒木亮(全2巻)
元中長距離走者で、早稲田大学時代は瀬古利彦と共に箱根駅伝を走ったこともある著者の自伝小説。ものすごく面白かったです。主人公(著者)は、ランナーとしての才能を発揮し始めた矢先にケガに見舞われ、そこから約4年間にも渡ってケガに悩まされる不遇の時代を過ごし、本書の前半はほとんどがこのケガの時代について紙面を割いています。考えてみれば、「ケガをしたランナー」をここまで延々と描いた作品は珍しい。「成績に残るのは氏名とタイムと順位だけ。どれだけ血のにじむような努力をしても、競技者の人生というものはたった1行に集約される」という、ミもフタもない世界にアスリートたちは生きているのだなあとハッとさせられます。



『神の領域―検事・城戸南』 堂場瞬一
主人公の検事・城戸は、大学時代に箱根駅伝を途中棄権した元ランナー。彼が、大学陸上部の選手の殺人事件の捜査をきっかけに、かつて同期だったある天才ランナーと、陸上競技界を覆う闇を追及する、というストーリー。堂場瞬一は今回何冊も読みましたが、どれも良かったです。本書は『標なき道』と同様に「ドーピング」がテーマになっています。ただ、どちらもそれを単に犯罪としてではなく、競技者や指導者が抱える、勝利への飽くなき欲求という「業」として描いているところに、クライム小説やサスペンスではなく、あくまで「スポーツ小説」であることを感じます。



『19分25秒』 引間徹
陸上競技を題材にした小説の中でもかなり珍しい(と思う)、「競歩」を描いた作品。義足というハンディを持っているにもかかわらず、世界記録を超えるスピードを誇る謎のランナーと出会った主人公の大学生が、自身も競歩を始めて徐々にのめり込んでいく、というストーリー。物語自体は特別印象に残るものではないけど、運動と無縁だった主人公がだんだんと「アスリート」に変貌していく過程がけっこうみっちり描かれているので、ランナーとしてはけっこうリアリティをもって読めると思います。



『メダルと墓標』 外岡立人
3つの作品からなる短編集で、マラソンに関連するのは1つ目の『メダル』という小説。独自のトレーニング理論を研究する大学助教授が、大学の新入生の中に才能のある選手を見出し、自らの理論に基づいたトレーニングを課しながら日本選手権を目指す。だが、その選手は白血病を抱えていて…というお話。著者が現役の医療関係者なので、「遅筋繊維」「大体四頭筋」「グリコーゲン」など、トレーニングに関する場面の描写がやたらと専門的



『800』 川島誠
短距離としては長すぎ、長距離としては短すぎる「800m」という競技に打ち込む高校生男子2人を主人公にした小説。主人公の一人・広瀬の、クールなランニング哲学と理性的な練習方法は、ランナーとして参考になる部分がないわけではないのですが、広瀬も、もう一人の主人公・中沢も、やたらと女の子といちゃいちゃしてばかりいるので、僕は「こんなリア充な高校生は大嫌いだ」とずっと思ってました。


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次回は、マラソンと人生とを重ね合せて、
走ることで苦難を乗り越える姿を描いた作品群、「マラソンは人生編」をお送りします。




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『走る生活』 高部雨市 (現代書館)

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頭で読むんじゃない
「身体」で読むのだ


非常にユニークな本でした。
内容そのものもさることながら、
本全体の流れがアップダウンの起伏に富んでいて、
まるで上級者向けのマラソンコースを走っているかのように、
読む者の体力が問われるような、そんな本でした。

本書の前半は、短いルポの連作で構成されています。
養護学校で陸上部のコーチをしている元ランナー。
病気を抱えながら、走って日本を一周したおじいさん。
ランニングにハマり、仕事を辞めてランナー達のサロンを開いた夫婦。
有名無名のランナー達の、タイトル通りの「走る生活」が、
まるでピッチ走法のように短いリズムで次々と紹介されていきます。

ここまではごく普通の、ランニングをテーマにしたノンフィクション。
しかし、著者自身が主人公として語り始める後半になると、様相が一変します。

いきなり出てくるのが、1971年の三里塚闘争の一幕。
デモに参加していた学生時代の著者が、
成田の農村地帯を、機動隊に追われながら必死になって走る場面が延々と続きます。
それも、「回想録」というような生易しい筆致ではなく、
村上龍の『五分後の世界』の戦闘シーンのような、異様な迫力とテンションで。
ジュラルミンの盾を振りかざして追ってくる機動隊員からなんとか逃げようと、
「私」は走り続けます。
転んでも、服が破れても、仲間が捕まっても、
心臓が破れ、肺が血を吹こうとも、
「私」は、とにかく走って走って走り続けるのです。

唐突に出てきたこの場面に、
おそらく読み手の大半は頭に「?」マークがダダダッと点灯するではないでしょうか。
確かに、「走って」はいる。
でも、競技や趣味、ライフワークとしての「ランニング」ではなく、
「私」が体験したのは、文字通り生死をかけた、
いわば生き物としての原初的な「走り」です。

続いて出てくるのは、
時代は遡って1969年のオーストラリア
(この不思議な時間軸の移動も藪から棒です)
19歳の著者が、オーストラリアの田舎に住む著名なランニングコーチに弟子入りする場面。
コーチの自宅の近所の砂丘で、
著者はマンツーマンの特訓を受けるのですが、
桜木花道と安西先生の夏合宿のように、
19歳の著者は74歳のコーチに、完膚なきまでに叩き伏せられます。

次の章では、もう走る場面すら出てきません。
1983年の初夏(またも時間が飛びます)、
北海道で酪農を営む友人の手伝いに訪れた筆者の、
1カ月間の牛との格闘の日々の記録です。

依然として、頭の中には再び「?」マークが激しく点灯します。
けれども、なぜだかページをめくる手は止まりません。
だんだんと、身体じゅうの筋肉がムズムズしてくるのが感じられます。
まるで、文字が直接、筋肉に刺激を与えてくるようです。

この、「牛の話」のあたりで、徐々に本書の全貌が見えてきます。
著者が語りたいのは、競技、あるいは趣味としての「ランニング」ではなく、
生物としての人間が、肉体を酷使することで見えてくる風景なのです。
「走ること」は、その端的な例にすぎません。

汗を滴らせながらトロッコで牛の糞尿を運ぶ。
1日15時間、ひたすらサイロにたまった牧草を踏み固める。
筋肉はあっという間に強張り、食事と睡眠だけでなんとか肉体を維持する毎日。
「走る」場面こそ出てこないものの、
肉体が悲鳴を上げるごとに世界が少しずつ再構築されていくような感覚は、
「走る」ことが人間に与えるものと同じものなのです。

本書では、「走る」(あるいは「肉体を酷使する」)ことの対極を表す言葉として、
経済効率」という言葉がしばしば出てきます。
著者は、さまざまな人物の言葉を借りて、
競技としてのランニングを「世俗的なもの」と批判します。
「走ること」は本来、もっと自由であり、
内なる魂を解き放つ行為なのだと。
そしてそれは、何もかもが経済に集約され、効率だけが重視される現代社会への、
強烈なアンチテーゼなのだと。

もう2年も前の記事になりますが、
年に1回以上ランニングをした成人の数が1000万人を超えた、というニュースが報じられました。
#ランナーが1000万人突破!“ブーム”を超えた背景は(Number Web)
この記事の時点から時間が経っているとはいえ、
僕自身の実感からいうと、少なくともランナー人口は減ってはいません。

「ランニングブーム」というものは、
もしかしたら著者の訴えるものとは相反するものかもしれません。
しかし、結局のところ、両者が求めるものは、
程度の差こそあれ、本質的には同じなのではないかと思います。

走る時に感じる激しい拍動。
息苦しさ。
ふと訪れる恍惚感。
それらは全て、自分が生きているということの最も強烈な実感であり、
「肉体」という固有のものを通してしか味わえない、
究極の「自分だけ」の感覚です。
経済の規模や効率を追求することの限界に、国全体が直面して約10年。
ブランド品や流行品を消費することではなく、
肉体を動かすことに充実感を覚える人が増えてきたことは、
極めて自然な流れであるように思います。

『走る生活』の初版は1996年。
ですが、ここに書いてあることは、
初版当時よりもむしろ2015年の今の方が、
よりリアリティを感じるかもしれません。






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世界一のランニングコースは(多分)ここだ

今年のGWはアメリカのボストンに1週間ほど滞在してきました。
今回の旅の目的の一つは、ボストンの街を「走る」こと。
実は、ボストンには昔ちょっとだけ住んでたことがあるのですが、
ランニングを始めてから訪れるのは初めてだったので、是非とも走ってみたかったのです。
走ってみると、観光地や名所といった「表側」からは感じられない、
その土地の普段の空気みたいなものに触れられるような気がするので、
ボストンを新鮮に、かつ身近に感じられるようになるんじゃないかと思ったのです。

今回僕が走ったのは、街の真ん中を流れるチャールズ川の川沿いにある遊歩道。
泊まったホテルがちょうどBoston University Bridgeという橋のたもとにあったので、
そこから河口に向かって走って折り返してくる、10km弱のコースです。


逆の上流方向へ向かうとか(1,2km遡るとハーバード大があります)、
街の中を走るとか、他の選択肢もあったのですが、
結局僕は滞在中毎朝このコースを走りました。
というのも、このランニングコースがあまりに素晴らしかったからです。



理由その1:道がフラット

川沿いなんだから当然と言えば当然なのですが、
それにしても徹底的に道が平坦です。
アップダウンがほぼゼロなので、猛烈に走りやすい。
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おまけに道がきれいに整備されています。
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街中の歩道は(向こうは石畳やレンガ敷きなので)場所によってはデコボコしてるのですが、
公園や川沿いの、歩行者やランナー専用の道はかなり手間がかけられています。
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理由その2:信号がない

10km弱のコースの中で、信号はわずか1か所
(しかも向こうは歩行者がガンガン信号無視するので実質ゼロといってもいい)
車道(つまり橋)を横切る場所は他にもあるのですが、
それらは全て歩道が橋の下をくぐる作りになっているので問題なし。
おかげで、信号で止まったり、手前でスピードを調節したりする必要なく、
ひたすら自分のペースで走り続けることができます。

また、そもそも遊歩道と車道とが基本的に離れているので、
自動車の排気ガスや音にも煩わされることがありません。



理由その3:景色がきれい

このコースを気に入った一番の理由がこれ。
景色が本当にきれいでした。


写真中央の背の高いビルがプルデンシャル・ビル
左端のガラス張りの背の高いビルがジョン・ハンコック・タワー
この2つのビルをセットにした光景は、ボストンの絵葉書などでもよく使われます。
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南側の岸から北側を望んだところ。
左奥に見えるドームはマサチューセッツ工科大です。
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木も多くて、ちょうど僕がいたときは、桜が見ごろを迎えていました。
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日本だと川沿いは護岸工事がされていたり、
歩道と岸との間に草が群生していて川面が全く見えなかったりするのですが、
チャールズ川沿いの歩道はほとんどが岸のすぐ横を走ることができます。
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ところどころに桟橋があって、気軽に誰でも降りることができます。
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川の流れを直に感じながらの小休止は、とてもぜいたくです。
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日本でも、川沿いの道であれば理由の1や2を見たす場所はあります。
けれど、いかんせん日本の川沿いのほとんどは、景色がつまらない。
川沿いの広い土地は利用の仕方が限られているので、
団地とか工場とか、パターンが決まっています(しかもどれも景色として面白くない)。
代わり映えのしない景色の中を走ることは、すぐさま「飽き」を生み、
たちまち忍耐苦行的な辛いランニングを余儀なくされるのです。

そして、日本の川沿いの景色がつまらないと感じる最大の原因は、緑が少ないからです。
荒川や多摩川沿いなんて、野放図に伸びきった「草」しか見えません。
神田川や目黒川は桜が植えられていますが、
逆にこれらの中級都市河川は途中に何度も幹線道路に分断されるので、
上記「理由その2」の条件を満たしません。

郊外の大型公園などに足を運べば緑の多いランニングコースもありますが、
こうした場所は1周が2kmとか、せいぜい5kmとかで、
10km以上もの距離のあるぜいたくなコースというのはほとんどありません。
とにかく、日本でこれらの3つの条件を満たすランニングコースを探すのはとても難しい。
僕が知ってる限りだと、京都の鴨川くらいじゃないでしょうか。

チャールズ川のほとりはリスがたくさんいたり、
※真ん中やや左側にリスのモワッとした尻尾が見えます。
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雁が歩いてたり、軽くワイルドです。
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僕が走ってた早朝の時間帯(6時半〜7時半くらい)は、
ボストン大学のボート部が朝練をしていて、とても気持ちよさそうでした。
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にしても、なぜボストンは、市内のど真ん中に、
理想的といってもいいほど素晴らしいランニングコースを持っているのでしょうか。
写真には撮らなかったけど、一定間隔で水飲み場も置いてあって、つくづく手厚いです。
ちなみに、郊外に行くと、あちこちに大きな池(pond)があるんですが、
その周りにも同じように遊歩道が整備されている光景を目にしました。

走る場所にはまったく困らない街、ボストン。
この街が世界最古の市民マラソン大会を持っていることと
やっぱり無縁ではないのでしょうか。

ちなみに、ボストンの早朝ランナーは、ものすごく速かったです。
フツーにキロ4分半くらいのスピードで流しててびっくりしました。
そして、週末になると早朝ランナーの数が激減します。
僕なんかはむしろ週末になると「さあ走るぞ!」と思うんだけど、
こっちの人はランニングも仕事と同じように週末は休むもの、と考えてるんでしょうか。
日本といろいろ勝手が違っていて面白かったです。

走るためだけに行くのでも十分価値があると思います。
というか生きている間に何度でも走りたい街でした、ボストン。
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「わが道をゆくランナー」になりたい

久々にランニングのことを書きます。

■2015年の目標は「コンスタントに走ること」

4月にもなってから前年のことを振り返るのもちょっと間抜けなんですが…
2014年はランニングを始めて以来の「走れない」1年でした。
理由は体調不良とプチ故障が多かったから。
特に前半がひどくて、月間走行距離が100kmに届かない、なんてことさえありました。
当然体力も走力も落ちて、反対に体重は増えて、
全体的にゆるやかに坂を下っていくような1年でした。

なので、2015年の目標は「コンスタントに走り続けること」。
具体的には1週間以上のランオフを空けないこと。
そのために、昨年の反省を踏まえて体調管理とメンテナンスを頑張っています。
月間走行距離は150km強程度なものの、
とりあえず今のところは(そこそこ)安定して走れてます。


■変わり続ける「ランニング環境」

話は変わって。
今年も2月に東京マラソンが開催されました。
相変わらずエントリー倍率は10倍以上。
ランニングブームは一向に収束する気配を見せません。
最近では、サロマ湖100kmマラソンなんていう、
「猛者」しか出られないような上級者向けの大会でさえ、
希望者多数によりエントリーが難しくなってきた、なんていう話も聞きます。
(レース中のタイム制限になぞらえて、エントリーの成否を「第0関門」と呼ぶそうです)

また、今年の東京マラソンではテロ対策で持参できるドリンクが制限されたり、
皇居ランナーと一般歩行者とのトラブルが問題になったり、
国立公園でのトレイルラン大会開催が事実上困難になったりと、
ブームであるがゆえのネガティブな面が、ここ数年で顕在化し始めています。

(参考記事)
トレラン大会、国立公園では開催困難に 環境省が指針
東京マラソン:テロの脅威…厳戒態勢 「世界一安全」へ


■「大会以外」のモチベーションをどう作るか

僕は走り始めてまだ3年半くらいしか経ってないけど、
その短い経験のなかで思うのは、
ランニングのモチベーションを大会やイベントにだけ求めるのは、
止めたほうがいいんじゃないか、ということ。

確かに、大会がランナーにとって最もわかりやすい目標であるのはわかります。
でも、これだけエントリー合戦が過熱し、出場環境も良くはならない中で、
モチベーションを大会で走ることだけに頼っていたら、
ストレスはたまるし(少なくとも減らないし)、
逆にランニングの習慣そのものを止めてしまうリスクにすらなると思います。

かく言う僕も、走り始めた当初はRUNNETに登録して、実際にいくつかの大会を走りました。
でも、今ではもう大会に出るのは止めちゃいました。
実は東京マラソンだけは記念受験的に毎年申し込んでいたのですが、それも次からは止めるつもり。

大会に出るのをやめたきっかけは、
初めてフルマラソンを走る予定だった大会を棄権(DNS)したことでした。
(過去記事)初のフルマラソンを「棄権」した!

大会を目標に何か月も練習してきたので、多少はガッカリしたのですが、
ランニングへのモチベーションは意外なほどに少しも落ちませんでした。
むしろ、早く外に出てランニングを再開したかったくらい。
そのことによって僕は、「記録や競争相手がいなくても、単に走ることそのものが好き」という、
自分自身の走る理由みたいなものを(大げさに言えば)発見したのです。

あえて大会に出なくても、早朝の誰もいない町の中を走ったり、
地図を広げて知らない道を探して探検しながら走ったりするだけで、
僕としては十分ランニングの醍醐味を味わえる。
好きな時に好きな場所を好きなだけ走れるから、
一人で走ったほうが僕にとっては効率的だし、かえって好都合なのです。

そしてそこから東海道ランだったり暗渠や旧道跡を走ったりといった、
自分なりの新しい楽しみ方が次々に見つかりました。
そしてその過程で、大会では走らなかった42.195kmを走ったりもしました。
振り返ってみると、「大会以外のモチベーション」に早い段階で気づけたことが、
結果的に今日までランニングが長続きしている理由になってると感じます。

もちろん、最終的には個々のランナーの好みの問題です。
でも、前述のような現在のランニング環境を考えると、
大会以外の楽しみやモチベーションを見つけることは、
気持ちよく走り続けるうえで、合理的な選択と言えるのではないでしょうか。
ランニングサークルに入って皇居の周りをワイワイ走って、みんなで大会に出て記録を狙うのもいいけれど、
一人きりで自分なりの楽しみ方を追求する「わが道をゆくランナー」についても、
これからはもっと注目されたらいいのになあと思います。


ちなみに僕の東海道ランはというと、
昨年10月に江尻宿(静岡県清水)に到着後、先に進めていません。
(天気が悪かったり、新幹線が止まったりして何度も中止に…)
そして、その後冬シーズンに入ったので一時中断中なのです。
ですが、春になったし、そろそろ再開したくなってきました。
東海道ランのメインは秋シーズンなのですが、
梅雨に入る前に1回くらいは走りたいなあ。

※写真は今年の花見ランで撮ったもの。どちらも石神井川です。
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それでも神野大地が「柏原竜二」を超えられない理由

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今年もガッツリ見ました箱根駅伝。

蓋を開けてみれば、青山学院の初優勝
それも、(参考記録になったとはいえ)12年に東洋が叩き出した10時間51分36秒を
2分も上回る驚異的なタイムでの優勝となりました。
確かに、「大砲」出岐雄大を擁した12年出雲駅伝制覇や、
直近の14年全日本で3位に入るなど、近年は強豪校の一角を担うまでに成長してきた青学ですが、
まさかここまで「ぶっちぎり」の強さを見せるとは思いませんでした。

今回の優勝の立役者になったのは、誰もが認める通り、5区を走った神野大地です。
まさか、あの柏原竜二の記録を抜く人間が、
彼の卒業後わずか3年で、しかも新興の青学から現れるとは思ってもみませんでした。

2012年 柏原竜二(東洋) 1:16:39
2015年 神野大地(青学) 1:16:15

今回から5区は函嶺洞門を迂回するコースに変わったため、柏原が走った時よりも200m短くなっています。
ですから、数字だけでは厳密には比較できません。
しかし、少なくとも神野が柏原に匹敵する記録であることは間違いないでしょう。

ただ、神野大地の驚異的なレースを見て僕が思ったのは、
それでも彼は「柏原竜二」を超えられないだろう、ということでした。
それは、選手として超えられないという意味ではありません。
僕ら観客の頭の中に刷り込まれた、
柏原竜二という記憶」を塗り替えられないだろう、ということです。
なぜなら柏原は強烈な「物語」というものを持っていたからです。

柏原が初めて5区を走った09年、
彼が箱根の山で演じたのは、8校のごぼう抜き4:58差をひっくり返しての逆転優勝という、
鮮烈過ぎるデビュー劇でした。

翌10年大会も、6校のごぼう抜き。
前年に自身が叩き出した区間新記録を10秒も更新してまたしても往路優勝を果たします。

あの急峻な箱根の坂を鬼の形相で上りながら、
次々と前を走る選手を追い抜き、
常識ではありえないような差をひっくり返してしまう柏原という選手は、
誰の目にも鮮やかに映る「物語」を持っていました。

デビューしたのが、まだ入学したての1年生であったことや、
3年生の時にスランプがあって伸び悩んだことも、
彼の「物語」を補強する材料でした。
彼の所属が東洋大という(当時はまだ)新興校だったことも、
ジャイアントキリング的な痛快さを与える一因でした。

そして、初めてトップでタスキを受けた4年生時、
かつてのようなごぼう抜きショーは見られなかったにもかかわらず、
既に物語を強く共有していた観客は、柏原に最高の歓声を送りました。
結果、その期待を裏切らずに彼は区間新記録を大きく更新してゴールします。
柏原がゴール直前に右手の拳を3度突き上げたシーンは、箱根史に残る名シーンになりました。
こうして彼は、箱根史上最大のスターになったのです。

ところが、神野大地には柏原のような強い「物語」というものがありません。
箱根山中でのごぼう抜きも、柏原のような若さも、
神野は持っていませんでした。
ですから、これほど素晴らしい記録を出したにもかかわらず、
5区のランナーとして記憶に残るのは、
これからも結局柏原なのではないかと僕は思ってしまうのです。

もちろん、神野自身には(そしてもちろん柏原にも)なんの責任もありません。
結局、「スター」というものは、単に記録が優れているだけでは生まれ得ず、
何らかの物語を授けられているかどうか、
そしてその物語がどれだけ人に共有されやすいかという「運」も必要なのでしょう。

ただ、「物語」は人為的に作ることはできません。
そんなことがもし可能なのであれば、それは少なくとも僕にとっては“スポーツ”ではない。
村山兄弟の対決を山崎豊子原作ドラマばりに煽ったり、
ある選手が母子家庭に育ったいう、足の速さと全く関係のないプロフィールをアナウンサーが叫んだり、
テレビは物語を付与しようと躍起です。
メディアとして、分かりやすいストーリーを取り入れたりという気持ちは分からなくもないです。
でも、そんな押し付けの物語などには、結局のところ誰も感情移入しません。


今回の箱根が終わった後、柏原はこんなことをTwitterに投稿していました。




ちょっと考えさせられるツイートですね。
僕自身も彼の「物語」に熱狂した一人なので、正直グサッとくるところはあります。
まあ、スポーツなんだし、難しいこと考えなくていいじゃないかとも思うのですが、
彼の指摘するようなことは、頭の片隅に入れといてもいいのかなと思いました。
箱根駅伝はが怪物イベントになったからといって、
選手を我々観客が(ちょっと強い言い方をすれば)勝手に「凌辱」していいわけではないはずです。


今年、まさに「圧勝」というべき優勝劇を演じた青学。
恐るべきは今年の往路のメンバーは神野含めて全員が来年も残るという点です。
ここ数年は総合力でいえば駒澤が他校を圧倒していましたが、
来シーズンはこのバランスも崩れるでしょう。

近年は駒澤・東洋の二強時代が続いていましたが、
ここに明治と青学が加わったことで、まさに「群雄割拠」の時代が本格的に到来したと言えます。
個人的には、若手中心の布陣ながら6位に食い込んだ東海大や、
安定した地力を見せつつある中央学院
そして今回1区で最下位に沈みながらも(そしてオムワンバという「大砲」抜きでも)9位に入った山梨学院など、
下からの突き上げも見逃せないポイントだと思います。

大会は終わったばかりですが、
早くも1年後が待ち遠しいですね。




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ランニング練習日誌 〜2014年春編〜

■ 3月 ランナー向きな性格、不向きな性格

なかなか距離を踏めずにいます。
1月は扁桃腺炎ノロウイルス、2月は2週にわたる大雪で距離を延ばせずじまい。
3月こそは!と思ったら月明け早々に軽い風邪をひいてまたもブレーキです。

ここ半年ほど、ちょいちょい体調を崩すことが多くなりました。
元々は滅多に風邪なんてひかない体質だったのに、なんでだろう…。
TVのCMでやってる「男性は8の倍数の年齢になると体調が変化する」ってやつ?(※32歳なう)。
う〜む、嬉しくない変化だ。

3月の中旬には元の練習ペースに戻せたものの、病み上がりで一度に走る距離はセーブしてたため、
結局3月の走行距離も前月と変わらず130km超程度(目標は200km)。
これを「130kmしか走れなかった…」と考えるか、
130kmも走れたんだから『良し』としよう」と考えるか。
これは性格の分かれるところですね。

言うまでもなくランナーに向いているのは後者のタイプですが、
残念ながら僕は典型的な前者のタイプ。
体調が悪くても大雨が降っても(つまり自分じゃどうしようもない理由で走れなくても)、
ああ、今日も走れなかった…」とウジウジ落ち込み、ストレスをためるタイプです。
このあたりのメンタル面というのはこの先もずっと課題なんだろうなあ。

要は、スパッと諦めちゃえばいいんですよね。
見切りをつけてダラダラ休む「勇気」を持つ、というか。
さしあたり、「これは性格なんだから仕方がない」という諦めから始めてみようと思います。

3月の走行距離:134.8km


■ 4月 3度目の花見ランは目黒川へ

早いもので、ランニングを始めてから桜のシーズンを迎えるのも3度目になりました。
一昨年は石神井川、去年は神田川と、毎年の花見ランは主に川沿いを走ってきましたが、
今年は都内でも有数の桜の名所、目黒川沿いを走ることにしました。

スタートは大崎駅の裏側から。
目黒方面、つまり上流方向へさかのぼります。
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河口が近いため川幅が広く、周囲も高層ビルが多いので、
石神井川や神田川に比べると景色がダイナミックです。

中目黒に到着。
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目黒川沿いの中でも特に桜が多いのがこのあたりですね。
確かにきれい。
IMG_1098

川沿いの建物も雰囲気が良くて、走っていて気持ちいいです。

目黒川は国道246号の池尻大橋付近を境に暗渠化するので、
川沿いを走れるのもここでおしまい。
IMG_1100

大崎からだとだいたい5kmくらいです。

距離的にちょっと物足りないので、
せっかくなのでもう1本、川沿いの花見ランをやることにしました。
池尻大橋から渋谷、代々木、新宿西口と走り、靖国通りから神田川沿いへ。
ここから山手線にぶつかる手前まで走ってみることにしました。
去年走った、明治通りから江戸川橋までの一番メジャーな(?)区間と比べると、
この山手線の西側流域は地味な存在です。しかし……



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桜は見事!

去年、面影橋付近で見た沿岸の桜があまりにきれいだったので、
同じ神田川なんだから西側も期待できるんじゃないかと考えていたのですが、
期待以上の光景が見れました。
いやー、これはすごい。
IMG_1107


川幅が狭いこともあり、桜の木同士が密接していて、
場所によっては空一面が桜の花で覆われているようにも見えます。
住宅の棟と棟がくっつきあった、いかにも新宿的な住宅街の中を流れているので、
川自体が路地のようです。
IMG_1106

川沿いの歩道もいい感じ。
歩行者専用なのがいいですね。
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花見スポットとしては目黒川の方が有名ですが、
個人的には神田川の方が好きだなあ。

特に今回走った山手線の西側は人出もまばらで、穴場スポットかもしれません。
(アクセスが悪いのがやや難点かな?)

4月の走行距離:190.6km


■ 5月 「月間走行距離」というジレンマ

4月は比較的順調でした。
目標の200kmにはわずかに届かなかったものの、走行距離もそこそこ稼げたし、
20km以上のロング走もコンスタントにこなすことができました。
しかし5月はわずか114km……。なかなか安定しません。

最近むくむくと疑問が湧いてきたのが、「月間走行距離」という考え方。
これまでずっとこの数字を目標に、あるいは振り返る際の目安にしてきましたが、
それに縛られすぎるのもどうなんだという、根本的疑問を感じるようになりました。

距離の積み上げという点では、確かに月間走行距離は分かりやすいベンチマークです。
1か月というサイクルも短すぎず長すぎずちょうどいいし、達成感も感じやすい。
しかし半面、数字であるだけにストレスにもなりやすく、
帳尻合わせに月末に無理してドカッと走るという、
数字を満たせばいいんでしょ」的な、営業マンのパワーマネジメント的ランニングをやったことは、
これまで一度や二度ではありません。

それに、そもそも月間走行距離というものにどれほど妥当性があるのかという疑問もあります。
コンスタントに走るというのは鉄則ですが、その一方で、一時的に走れない期間が生じても、
走力は急激に落ちたりしません(人間の身体はヤワじゃない)。
実際、今年1月に体調不良で3週間ものランオフを経た直後の2月、
むしろ以前よりもスピードが上がった、ということがありました。
(確かに筋力は落ちましたが、同時にランオフがちょうどいい休養期間になったようなのです)
こうなると、「毎月○○km」という目標を愚直に守ることが、
必ずしも正しいとは限らない、ということになります。

結局、「臨機応変」というありきたりな結論に落ち着きそうです。
(それができないから苦労してんだよ、という突っ込みがのど元まで出かかりますが)
少なくとも、距離という「量」だけを追求してはいけないんだということは、
1月のランオフにより、期せずして実感し始めています。
だいたい、ランオフになると、理由のいかんにかかわらず焦ったり落ち込んだりするのも、
量ばかりを追求することで休養が「悪」にしか思えないからじゃないかと。
休養もひっくるめた全体のバランス、負荷の上げ下げ。
そういったトータルの「質」にも気を配った方がいいんじゃないかという気がします(←真面目か)。

5月の走行距離:114.6km




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「楽あれば苦あり」を身をもって知る・・・ 【ランニング練習日誌〜2013年冬〜】

■ 12月 60km走は断念!でも久々の200km達成

前回、大晦日には実家への帰省を兼ねて、
東京から神奈川までの「60km走」をやると書きましたが、
服とかお土産とかどうやって運ぶんだとか、そういう諸々の事情で断念(←心弱い)。
そのかわり、60km走に向けたテーパリング(疲労抜き期間)を考えなくてもよくなったので、
12月は「毎週末30km走」をやりました。

基本的には土曜の朝に始発に乗って適当な場所まで移動して、
そこから走って帰ってくる、というパターン。
埼玉からひたすら夜明けの河川敷を走ったり(暗くて怖かった……)、
誰もいない早朝のお台場を走ったり(海浜公園を独り占めしました)、
当初の計画(60km走)とはずいぶん違った形ではあるものの、
これはこれでレアな体験ができて楽しかったです。
12月の後半はけっこう寒い日が多くて辛かったのですが、なんとかやりきりました。

30km走を週イチのインターバルでコンスタントに走るだなんて、
半年前にはほとんどドMの自滅行為でしかありませんでした。
それを考えれば、よくぞ成長したなあと自分の足をなでなでしたい気分です。

大晦日も、実家の近くで30km走を実施。
海沿いで富士山を眺めながら2013年の走り納めをしたのでした。
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【12月の走行距離:215.7km】


■ 1月 過去最低の「月間47km」

楽あれば苦あり。
幸と不幸は同じ数だけやってくる。
ランニングを始めてからこのことを何度となく痛感してきましたが、
この1月ほど身に染みたことはありませんでした。

12月の充実ぶりに喜んだのもつかの間、
正月が明けて少し下頃に扁桃腺炎を発症し、約1週間ダウンしました。
その後、徐々に回復してきてそろそろ走り始めようかなと思っていた矢先、
今度はノロウィルスにかかりました。
まさに踏んだり蹴ったり……。
結局、1月後半の3週間は全く走ることができませんでした。

昨年の7月にプチ故障で走れなくなったり、
11月に風邪と仕事の多忙で走れなかったりと、
ここ1年の間に何度か「強制ランオフ」を経験してきましたが、
さすがにここまで走れないなんてことはありませんでした。
結局、1月の月間走行距離は47.5km。
これだけしか走れなかったのは、ランニングを始めた2011年の秋以来です。

幸い(?)だったのは、身体の状態がどうやってもごまかせないほどに不調だったので、
「走ろう」という気力自体が湧かずに済んだこと。
身体は健康だと「走りたい」という葛藤と戦わなくてはなりませんが、
今回はその苦しみだけは避けることができました。

それにしても、なかなかコンスタントに練習の質と量をキープできません。
「今月はよく練習できた!」と思ったら、翌月は大崩れしてしまったり。
例えば「月間100km走る」という目標があるとして、
先月は50kmしか走れなかったから今月は150km走ろう、
というような「帳尻合わせ」が基本的に無意味なのがランニング。
急激な練習量の増減は疲労を溜め、故障の原因になります。
「イーブンペース」というのは長距離走のイロハのイですが、
練習の組み立てという面においてもペースを守るのが大原則なんですよねえ。

ただ、他の市民ランナーさんのブログを読んでいると、やはりこの点は多くの人が苦しんでいる模様。
「コンスタントに走る」ということが、去年に続いて2014年も課題になりそうです。

【1月の走行距離:47.5km】


■ 2月 懐かしい「筋肉痛」

2月の頭、3週間ぶりに走りました。
わずか7km。今までだったら「短距離」とさえ呼べる距離です。
結果どうなったか。
あっけないくらいに筋肉痛になりました。
ま、そりゃそうだよね。3週間もブランクが空いたら筋力も落ちますわ。
筋肉痛なんて1年くらい体験してない気がする。
なんかもう懐かしさすら感じました。

去年の7月や11月に2週間休んだときは筋肉痛にならなかったということは、
2週間と3週間の間の、この1週間の差が大きいということでしょうか。
いずれにせよ、復帰後初のランニングで筋肉痛になったことで、
2月は欲張らず「筋肉を元に戻す」を目標にすることに決めました。

基本的には短い距離を中心に負荷を調整しつつ、
心肺には刺激を与えるために5分半くらいのスピードは維持しながら走ることにしました。
しばらくそれで様子を見ながら徐々に距離を増やして、
2月の最後らへんに30km走にチャレンジできればいいかなと。
…ところが、例の2週連続の大雪でそんな計画も見事に頓挫。
天候だから諦めもつくかと思いきや、身体は元気なもんだから、
1月の体調不良時よりももっと鬱々としました。
なかなかうまくいきませんなあ。

2月を振り返ってみて面白かったのは、筋肉痛には何度か見舞われたものの、
走りそのものは12月までよりもむしろ楽になったような感覚があったことでした。
特に楽になったのはスピードです。
去年の夏の暑さを体験して以来、実は秋以降もスピードがガタ落ちしたままだったのですが、
ほぼ走れなかった1月を挟んだにもかかわらず、
2月は20kmをサブ4ペース(キロ5分半)で走っても余裕があるくらいの状態に。
なんで?!さっぱりわかりません。
実は年末にかけて身体には疲労がたまっていて、
1月の3週間の強制ランオフが結果的にその重たい疲労を抜く効果を発揮した、とか。
だとすると、体調不良によるランオフというものは、
実は肉体がもつ合理的なメカニズム(「休め!」という命令)だと考えることもできます
うーん、身体は奥が深いです。

【2月の走行距離:140.0km】




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「マラソン嫌い」でも箱根駅伝が楽しめる5つの方法

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今年もガッツリ見ました、箱根駅伝。

今回は駒澤大学が勝つだろうと予想してました。
ここ何年も、毎回優勝候補の一つに数えられながらもあと一歩のところで優勝を逃していた駒澤ですが、
今シーズンは、箱根の前哨戦にあたる出雲駅伝(10月)と全日本大学駅伝(11月)とを連続して制し、
波に乗っていました。
※参考記事:箱根駅伝、優勝候補は「駒澤大だけ」(Sportsnavi)

ところが蓋を開けてみたら、東洋大が駒澤に5分近くの大差をつけての優勝。
それも、柏原竜二在籍時の2012年大会でたたき出した大会記録に1分15秒差にまで迫る、
歴代2位という大記録(10時間52分51秒)での圧勝でした。
柏原という「大砲」抜きでのこの記録ですから、
今回の優勝で東洋は、一部のエースに依存するワンマンチームなどではない、
真の強豪校であることを示したと思います。
※参考記事:東洋大を圧勝Vに導いた“全員駅伝”(Sportsnavi)

印象的だったのは、東洋のアンカー、大津選手です。
鶴見でタスキを受け取った段階で既に2位の駒澤と3分差がありましたから、
ハッキリ言えばのんびり走っても優勝はできたはずです。
それなのに、彼は安全に行くどころか、最初の1kmを3分を大きく割るスピードで突っ込み、
そのままゴールまでほとんどスピードを緩めず走りきり、結果的に区間賞を獲ってしまいました。
セーフティリードを手にしていても最後まで攻めの走りを貫いた大津選手のあの姿勢には、
勝利への執念というか、魂みたいなものを感じてとても好感を持ちました。
金栗賞(MVP)を彼が受賞したのも納得です。
※参考記事:アンカー初MVP!東洋大・大津、復路新の快走劇締めた(SANSPO.COM)


さて、解説の真似事はこのくらいにして、今回の本題です。

こないだあるネットの掲示板で、
「いろんなスポーツ中継があるけどマラソンが一番つまらない」という書き込みを見かけました。
しかも、その意見に対してけっこう多くの人が賛同していました。

まあ、確かに、その気持ちは分かる。
僕も、走るようになった今でこそ夢中で観戦してますが、以前は、
「点が入るわけでも逆転劇が頻繁に起こるわけでもないからつまらん」
「ただ走ってる人を延々映しているだけの画をどう見ればよいのか」
などと思ってましたから。

なので今回は、マラソンへの興味も競技の知識もゼロという状態から、
どうやれば箱根駅伝を楽しむことができるのか。
その方法を僕なりに考えてみたいと思います。

--------------------------------------------------------

方法1:「応援校」を見つける
これが一番手っ取り早いですね。
ひいきのチームが見つかれば自然と感情移入もできるはず。
じゃあどうやって応援校を見つければいいか。
自分の出身校を応援するというのが最も簡単ですが、出場するのはわずか20校ですから、
その中に自分の出身校が含まれている可能性は、普通に考えれば低い。

じゃあ僕はどうしているかというと、「キャンパスが家の近所」ということで、
東洋と帝京、それと大東文化大を応援してます。
(なので今年は東洋が優勝し、帝京・大東もシード権を獲得したので万々歳です)
あくまできっかけなので、自分じゃなくても友達や親戚に卒業生がいるとか、
あるいはもっとシンプルに「ユニフォームが好き」なんていう理由でもいいんじゃないでしょうか。
要は、漫然とレースを眺めるよりも
「視点を一か所に据える」ということをした方が楽しいんじゃないか、ということですね。


方法2:「好みの選手」を追う
1の「応援校を見つける」ということと本質は一緒です。
学校単位ではどうしても気に入ったチームが見つからないというのであれば、
「1区は●●選手、2区は□□選手」という風に気に入った選手を探しながら観戦するのも一つの手です。
いい顔してる選手、好みの顔をしている選手、
あるいは走ってるフォームがかっこいい選手(ちょっとマニアックか)とか、
とにかく第一印象で「この人!」と決めてその選手を追うと、俄然のめり込めます。
その際、1年生、2年生あたりの若い選手を選んだ方が、
来年、再来年も見られる可能性が高いので「お得」かもしれません。

ちなみに、毎年見ている人は分かると思うんですけど、
間違いなく学校によって「顔の系統」ってのがあります。これが不思議なんだよなあ。
例えば今回優勝した東洋は、今風の爽やかな「男子!」という感じの子が多いですね。
それと、最近急速に力をつけ始めている青山学院や、東海大なんかもわりと可愛い感じの子が多い。
逆に駒澤や日体大なんかは、いかにも「運動しか知りません!」みたいな武骨な子が多い。
ちなみに僕はどうしても後者の方に肩入れ(という表現は逆に失礼か)しちゃいます。

んで、話がだんだん脱線してくるんですけど、「BL」ってあるじゃないですか。
「ボーイズラブ」。いわゆる男性同士の恋を描いた漫画とかのことですね。
そんでですね、この学生駅伝っていう世界は、
BL的には極上の素材なんじゃないかと僕はずっと思ってるんですね。
だって、身に付けてるのはランニングと短パンだけだし、
そんな半裸みたいな格好で男の子たちが抱き合って泣いたりするんですよ。
しかも、長距離ってスポーツは、全員が惜しげもなく苦しい表情を晒しちゃう競技じゃないですか。
その苦しくて泣きそうな表情とか、好きな人にはたまらないと思うんだよなあ。


方法3:「小説」から入る
本を読むのが好きな人ならこの方法はアリです。
箱根駅伝を題材にした小説といえば、
堂場瞬一の『チーム』と三浦しをんの『風が強く吹いている』が双璧です。



『チーム』は「寄せ集め」と揶揄される学連選抜が、
『風が強く吹いている』はマラソン素人で結成された即席チームが、
それぞれ箱根駅伝での勝利を目指すというストーリー。
物語そのものもとても面白いのですが、
レース中の描写や選手同士の駆け引きなどは、かなりリアルに描き込まれています。
小説を読んでから実際のレースを見れば、「ただ走ってるだけ」と思っていた駅伝という競技が、
実はとてもドラマチックなものだと感じられるんじゃないでしょうか。

ちなみに、変わりダネとしてこんな小説もあります。

箱根駅伝を舞台にしたサスペンスで、レースを中継するテレビ局や中継車が物語のキーになります。
『チーム』、『風が強く吹いている』が「テレビに映る箱根駅伝」を知るためのものだとしたら、
『強奪 箱根駅伝』は「テレビに映らない箱根駅伝」を描いたものといえるかもしれません。
「イベントとしての箱根駅伝」の、その裏側を垣間見れる作品です。


方法4:「地図」を片手に観戦する
箱根駅伝は往路(108km)、復路(109.9km)合わせて217.9kmという、
駅伝としては他に類を見ない超長距離レースです。
それも、東京〜箱根という、都心も海も山もある、バラエティに富んだ景色の中を移動します。
そこで、箱根駅伝をレースとしてではなく、
選手の位置を追いながら一種の「バーチャル旅行」として楽しむというのが、
ややマニアックながらも、「通」的な観戦方法です。
最近は日テレの公式サイトが、
各選手の位置をリアルタイムで地図上に表示するというサービスを始めているので、
CMなどに邪魔されず東京から箱根までをエンドレスに追うことができます。

また、コースはおおむね東海道を辿るので、
沿道には史跡や名所が少なくありません。
なので、歴史が好きな人にはこの方法はおすすめですね。
※副読本としてこんなのもあります。



方法5:「名物」を楽しむ
最後は、かなりアクロバティックな楽しみ方です。
箱根駅伝というイベントには、本来の趣旨とはまるで関係ない、
けれど毎年期待してしまう「名物」というものがあります。
そうした「名物」を、レースそっちのけで追いかけるというのも、
それはそれで一つの楽しみ方かもしれません。
代表的なものを紹介します。

1. 瀬古利彦の珍解説
毎年第一中継車(先頭ランナーを中継する車)に乗り込みメイン解説を務める瀬古利彦。
自身も早稲田在籍時は花の2区を走り、卒業後も世界を舞台に活躍したレジェンド的ランナーですが、
解説者になると一転、

・母校の早稲田が勝つと上機嫌、負けると不機嫌
・見たまんましか言わない(「口が開いてきました」「汗をかいてますね」etc.)
・謎の発言(「勝負に負けた方が、負けるんです」「速くもないし遅くもないですね(←実際は区間新)」etc.)

などなど、異様な天然ぶりを発揮して、視聴者を混乱のるつぼに叩き込むのです。
twitterではレース開始前から「#瀬古黙れ」「#瀬古寝るな」「#瀬古元気出せよ」といったハッシュタグが現れ、
レース後は毎年まとめサイトに記事が作られます。
(今年もできてました→箱根駅伝の瀬古さん発言集
解説者としてはほとんどアテにならないんだけど、
なぜか憎めない、それどころか毎年何かを期待してしまう、愛すべき箱根の「名物」なのです

2. 二宮のフリーザ様
毎年復路において、二宮の中継ポイントに現れる、
『ドラゴンボール』のフリーザ様の格好をした謎の集団。
中継ポイントは必ずカメラに映るということを逆手に取り、
選手が通過するたびにフレームの端で集団芸を見せるこの「二宮のフリーザ様」は、
今や全国的に有名になりました。
他にも、毎年どこかに映る「○_○」という謎の旗や、函嶺洞門に必ず現れるリラックマなど、
「箱根名物」はいくつもあります。
僕はこういう「映りたがり屋」はあまり好きではないんですが、
二宮のフリーザ様だけは、ばっちり衣装を用意して毎年新ネタを仕込んでくるという、
うっかり「マジメ」と呼びたくなるような熱意(根本的な意味不明感は残りますが)を感じるので、
毎年見ちゃうんですよね。
※参考記事:【画像まとめ】2014年 今年も箱根駅伝にフリーザ様が降臨

3. 最後尾の自転車集団
テレビでは中継されないので、実際に行かないと見れないのですが、こういうのもあります。
※参考記事:【チャリで追走】テレビに映らない箱根駅伝の最後尾が凄い

これ、噂では聞いたことあったんですけど、記事読んだら予想以上にすごいことがわかりました。
自転車乗りにとっても箱根駅伝は一大イベントなんですねえ…。

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ということで5つ挙げてみました。
良かったらどれか試してみてください。
…ってあと1年チャンスはないんだけども。




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ランニング練習日誌 〜2013年秋編〜

2013年秋のランニング練習日誌。
10、11月の成果と反省です。


■ 10月 結局大事なのは「距離耐性」なんじゃないか

10月は台風の影響であんまり距離が稼げませんでした。
9月には4カ月ぶりに月間200kmを達成し
10月からはさらに距離を積み上げようと思っていたのに結局走れたのは180km強。
ま、天気なら仕方ありませんが…。

でも、練習の質という点では、わりと計画通りにいけたかなという感触。
10月は40km走と30km走をそれぞれ1回ずつやりました。
40km走は9月の「横浜〜池袋」に続いて2回目ですが、
涼しくなったこともあり、1回目よりも楽に走れました。

驚いたのは、40km走やった後に30km走をやると、「距離が短い」と感じること。
まあ、「そりゃそうだろ」って話なのですが、
半年くらい前の僕にとっては30kmは「苦しまないと走りきれない長い距離」だったので、
感じ方の変化にかなり驚いたのです。

長い距離のランニングに慣れることを「距離耐性」といいます。
これは、筋力や心肺能力といった物理的な能力だけを指す「持久力」とは少し意味が違って、
長距離を走る上での精神面のコントロール力や、
疲労や痛みといったものへの察知力・回避力といったものも含む、
総合的な「慣れ」のことだと僕は解釈しています。
ま、平たく言えば「経験値」のことですね。

で、僕が40km走った後に30km走ったら楽に感じたのは、
また、1回目の40km走よりも2回目の40km走の方が楽に感じたのは、
筋力や心肺能力がアップしたからというよりも(いや、ちょっとはアップしていて欲しいけども)、
単純に距離耐性=経験値が上がったからなんだろうと思うのです。
特に、長い距離を経験することで、走っている間に起こりうるさまざまな障害(疲労や痛みや飽きetc)を、
ある程度予測できるというのが、とてもデカい。
結局、疲労や痛みは(体調不良や明らかなケガを除いて)、それ自体が問題なのではなく、
それらが全く予想外のタイミングや、何の前兆もなしに襲ってくることが問題だからです。
疲労や痛みの量は同じでも、それを事前に予測できたり、覚悟できたりするだけで、意外と耐えられる。

実際に長い距離を走る前は、持久力アップが目的とだけ考えていたのですが、
いざやってみると、むしろ「距離耐性」という総合的な経験値を得られることの方が、
効果としてはでかいのかなあと思いました。

【10月の走行距離:183.9km】



■ 11月 足首痛と風邪と腰痛と・・・

良いことがあれば悪いこともある…。

距離は踏めなかったものの、それなりに充実した練習ができた10月から一転、
11月は過去2年強のラン歴の中で最も不完全燃焼で終わった1カ月になってしまいました。
10月末に左足首(また左だ!)に加え、
11月に職場の異動が重なってにわかに仕事が忙しくなり、
さらにそれが遠因となって風邪と腰痛を発症し、
11月前半は全部足しても50km強と、ほとんどロクに走れなかったのです。
しかもうち8日間は完全にランオフ。
ここまでインターバルが空いてしまったのは初めてのことでした。

実はこの11月は、かねてからしっかり走り込むことを予定していました。
というのも、12月の大晦日に、実家への帰省がてら、
東京の自宅から神奈川の実家までの「60km走」を計画していたからです。

60km走は、来年の「東海道ラン」に向けた練習の一環という位置づけではあるのですが、
今年の夏あたりからは当面の目先の目標として、
ずっとこの60km走を目指して走ってきたのです。
大晦日に走る、というのも1年を締める最終テストみたいな感じで、
いい具合にモチベーションを高めてくれていました。
前月にあたるこの11月は、そのための最も重要な準備期間だったんですが…。
というような経緯から、走れない間、心中はかなり穏やかならざるものがありました。

とはいえ、できることをやるしかない。理想を追えばキリがありません。
ケガ、病気、突然の仕事。
これらは市民ランナーである以上、これからいくらでもついて回るリスクです。
大事なのはその一つひとつを大仏様のような柔和な顔つきでサラリと受け入れ、
「その時のベストを尽くす」ということに集中することです。
(こうやって書くことで自らに言い聞かせているのです)

それに、今回のランオフも悪いことばかりではありませんでした。
というのは、「休むとどうなるか」という貴重な体験ができたからです。
結論としては「8日間走れないくらいじゃ走力は落ちない」。
厳密に測定すれば違うのかもしれないけど、少なくとも実感ベースでは変わりませんでした。
練習には「走力を伸ばす練習(高負荷)」と「走力を維持する練習(低負荷)」とあって、
ランオフ前後は割り切って後者の練習だけに集中したことも、多少効果があったのかもしれません。
(こうやって書くことで自らを慰めているのです)

幸い、11月終盤にはようやく体調も仕事も元通りになったので、
これから残りの1カ月でどう「60km走れる身体」を作るか、試行錯誤します。

【11月の走行距離:156.6km】




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