週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

【ロック】ライヴ盤

Cyndi Lauper 「The Goonies 'R' Good Enough」

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年をとればお腹は出るものよ
でもいいの、楽しいから!


年末、ふと思い立って映画『グーニーズ』のDVDを借りました。
ものすごく久しぶりに見たけど、セリフも音楽も全部覚えてました。
初めて見たのは確か7歳か8歳の時だったと思います。
TV放送を録画したビデオを、セリフはもちろん、
間に入るCMの順番まで覚えちゃうくらい、繰り返し見てました。

マイキーの家の扉を開ける仕掛けのシーンが大好きで、
真似しようとして(なぜか)家の庭に大きな落とし穴を掘ったら、
帰宅した父が落ちました。ごめんよ、父。

そして、その『グーニーズ』をきっかけに出会ったのが、
主題歌を歌っていたシンディ・ローパーでした。
僕が人生で初めて顔と名前を覚えたアーティストは、
マイケル・ジャクソンと、そしてシンディだったのです。

あれから約25年。
僕は初めて生でシンディの歌を聴きました。
ジャパンツアー最終日の武道館公演に行ってきたのです。

今回のツアーはシンディのデビュー30周年を記念したアニバーサリーツアー。
先行して『She's So Unusual』の特別盤がリリースされたこともあり、
セットリストの大半は、この1stアルバムの曲で構成されていました。
<When You Were Mine>以外は全ての収録曲を演ったんじゃないかな。
バンドも、オリジナルの音に忠実に演奏していて、
シンディの作品の中で最もこのアルバムを聴きこんだ身としては、激しく感激。
特に<All Through The Night>には思わず鼻がツーンとしてしまいました。


シンディも既に61歳という年齢を迎えました
(彼女はデビューが30歳という苦労人なのです)
しかし、パフォーマンスは少しも衰えていません。
30年前の曲を次から次へと、(多分)当時と同じキーで歌い切ります。
年齢を経た分、むしろ歌が上手くなっているとさえ感じました。
ファンサービスの一環で、いかにも軽い感じで披露した<上を向いて歩こう>の、
なんと見事だったことか!

何より驚いたのは、未だ変わらぬシンディのチャーミングさです。
だって、何度も言いますけど、61歳(今年の6月で62歳)ですよ?
デビュー時にはガリガリといっていいほどに細かった身体は、
多くのアメリカ人中年女性の例にもれず、
だいぶ「ダイナミック!」な感じになってきています。
にもかかわらず、彼女のことを思わず「可愛い!」と感じてしまうのです。

以前にも書きましたが、同じく80年代にデビューし、
シンディと並ぶポップアイコンだったマドンナは、
若い頃の体型と美貌を人造人間的なレベルで維持し続けています。
相変わらずモデル並みのスタイルだし、
もうすぐ還暦という今も、まだ「性」というものをアピールできてい(るんだと思い)ます。

それに対してシンディは、ファッションやメイクこそ30年前と変わらないものの、
お腹が出ても髪が薄くなっても、それに対して無理に抵抗せず、
むしろそういう変化を受け入れ、楽しんでいるかのような「自然さ」があります。
年をとればお腹は出るものよ。仕方ないわ。でもいいの、楽しいから!」みたいな。
その姿勢がすごく魅力的だし、彼女の可愛さもそこに起因するんじゃないかと思いました。



そんな素敵なシンディのステージだったのですが、
この日僕が一番心を動かされたのは、実は客席の雰囲気でした。

僕のすぐ前に中年の(おそらくシンディと同世代の)ご夫婦がいたのですが、
<Time After Time>のイントロがかかった瞬間、
奥さんが旦那さんにジャンプして抱きつきました。
何列か前にいた、一人きりで見に来たとおぼしきおじさんは、
同じく<Time After Time>が始まると、おもむろにカバンから、
工事現場サイズのペンライト(というのか?)を取り出して、
そのままアンコールのラストまで一心不乱に振りつづけていました。

オペラグラスを覗きながら激しく踊りまくるという、
ものすごく独特で器用な楽しみ方をするおばさんもいました。
かと思えば、革ジャンをビシッと着た、
どう見ても20代以下の女の子のパンクスの姿も見えました。
こんなに自由で素敵な雰囲気に包まれた客席を見たのは初めてでした。

多分、客席がこういう雰囲気になるのも、
シンディのキャラクターなんだろうなあと思います。
True Colors」という言葉の意味の、その一端を垣間見たような気がしました。


あ、そういえば肝心の<The Goonies ‘R’ Good Enough>は歌ってくれませんでした。
特別盤の国内盤にはこの曲がボーナストラックとして入っていたので、
ひょっとしたら?と期待していたのですが。
生であの歌を聴けなかったことだけが、ちょっと残念だったなあ。


家に帰ってからYouTubeで見つけた<The Goonies〜>のライブ映像。
同じ武道館です。涙が出そうなくらい素晴らしいパフォーマンス。









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Bob Dylan 『Tempest』

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「答え」なんてものはないんだ
それでいいんだ


ボブ・ディランの来日公演を見てきました。
昨年11月のポール・マッカートニー、そして今年3月のローリング・ストーンズと、
ここのところ立て続けにロック・レジェンド達のライブを見てきましたが、ついに「真打ち」の登場です。
なにせレコードデビューはビートルズよりもさらに前(1962年3月)。
僕にとっては、もはや教科書に出てくる「歴史上の人物」といっても過言ではありません。

しかし、そんなレジェンドのなかのレジェンドであるにもかかわらず、
実はディランは(他の大物に比べると)頻繁に来日公演を行っています。
前回の来日は2010年で、その際には東名阪の3都市でライブを行いました。

ディランは80年代後半から「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる世界ツアーを続けていて、
もうすぐ73歳を迎えようという今も、年間100回ものステージを行っているそうです。
しかもすごいのは、会場をスタジアムなどではなく、ライブハウスに限っていること。
ディランほどのアーティストが、若手と同じライブハウスに立ち、
しかも何日もステージをこなすということは(体力とかそういうことではなく)驚異的なことです。

ディランは今でも「現役」なんだと思います。
たとえば、今回のセットリストはほとんどが90年代以降の曲で占められており、
しかも最も多かったのが最新のスタジオアルバム『Tempest』(2012年)の曲でした。
『Tempest』はディランにとって35枚目となるスタジオアルバムです。
52年のキャリアで35枚作っているということは、
単純計算で2年に1枚以上のペースで作品を発表しているということです。
35枚もアルバムを作り続けたということ自体がものすごいことですが、
それをちゃんと(というのも変ですが)ライブで演奏しようと思えるところに、
ディランの圧倒的な「現役感」を感じます。

だって、観客はやっぱり<Like A Rolling Stone>や<Mr. Tambourine Man>といった、
60年代の代表曲を期待しているはずです(もちろん僕もその一人でした)。
ディランもそれを分かっているはずですが、それでも新しい曲を演奏しようとするのは、
彼が「今」を生きている現役のアーティストである証拠です。
だから、ポールやストーンズの公演とディランの公演とは根本的に違うものなのだと思うのです。
60年代の彼の曲を期待していた僕は(最近のディランのセットリストは承知していたので諦めてはいたのですが)、
ほんの少しがっかりしながらも、それ以上に彼の「姿勢」というものに深く感動しました。
ここのところ見てきたロック・レジェンドのライブのなかで、
最も刺激を受けたのは、間違いなく今回のディランのステージでした。

アンコールのラストを飾ったのは、<Like A Rolling Stone>と並ぶディランの代表曲、
風に吹かれて(Blowin' In The Wind)>でした。
(ここらへんはさすがの彼も期待に応えるだけのサービス精神はあるようです)

しかし、なんと、あろうことか、僕は1コーラスが終わるまで、
目の前で演奏されている曲が、あの<風に吹かれて>だとは気付かなかったのです。
というのは、ものすごいアレンジされていたからです。
最近のディランは昔の曲を大幅にアレンジして演奏するので、
長年のファンですら気づかないことがたびたびあるそうですが、
<風に吹かれて>は、もはや原型をとどめないほどに変わっていました。

でも、僕はそのその跡形もない<風に吹かれて>にすごく感動しました。
感動して、そしてすごく納得しました。
60年代中盤にフォークからエレクトリック路線に転向したこと。
その後もカントリーに歩み寄ったり、ゴスペルに歩み寄ったりと、絶えず変化を続けたこと。
ディランは50年間、「自分はこうだ」という決めつけを避け、
一つの場所に安住することを拒み続けてきました。
その結果、以前からのファンが離れたり、理解されなかったりといったことはあったけれど、
それでもディランはずっと自分の感性に従って、絶えず「アップデート」を続けてきたのです。
その彼の姿勢が、原曲とはまるで異なる姿に形を変えた<風に吹かれて>に表されている気がしたのです。

僕はようやく「The answer is blowin’ in the wind」という言葉の意味が分かった気がしました。
答えは風の中にあるーー。
つまりディランは「『答え』なんてものは、はじめからないんだよ」と言いたいんじゃないでしょうか。
少なくとも僕が生で目にしたボブ・ディランという人は、
「答え」や「ゴール」や「完璧さ」なんてものを信じているようには見えませんでした。

「答えやゴールなんて求めずに、完璧さなんて期待せずに、僕は僕の信じるままに行くだけさ」
身もフタもなく、ある種突き放すようなメッセージですが、
今の僕にはとても優しくしみる言葉でした。
思わず涙が出ましたが、周りを見ると、
同じように目元を拭っている人が何人もいました。


アルバム『Tempest』1曲目<Duquesne Whistle>。今回の東京公演でも演奏しました。







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The Rolling Stones 「14 On Fire Japan Tour」

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「永遠の不良少年」を貫く
崇高なプロフェッショナル精神


ビートルズの話の後にストーンズというのは節操がないようですが、仕方ない。
8年ぶりの来日公演「14 On Fire Japan Tour」を見てきたのですから!

初めて見るストーンズのライブは、「圧倒的」の一言でした。
何万人もの観客を汗だくになるほど煽り踊らせる、ミック・ジャガーのパフォーマンス。
ストーンズの代名詞である、のたうつようなグルーヴとキレ味鋭い演奏。
キラー・チューンの嵐のようなセットリスト。
何より、平均年齢69.5歳ということを感じさせない、2時間ぶっ続けで放射されるあの熱量。

ああ、どう語ろうとしても月並みな言葉しか出てきません。
日本中が羽生結弦くんに萌えている中、
僕はミックとチャーリーという古希を迎えた2人のじいさんがじゃれ合う姿に激しく萌えました。
とにかくめちゃくちゃ楽しかった!

見終わった後に僕の頭の中に浮かんだキーワードは「KING」。
彼らがロックという音楽のオリジナルであり、
結成50年を経た今なおオンリーワンであることを納得するには、十分すぎるステージでした。
今でさえ圧倒的なのだから、60年代後半から70年代にかけての、
ストーンズが本当にヤバかった時代のライブは一体どんなだったのでしょうか。
僕なんかその場にいたら死んじゃうんじゃないかな。

よく言われていることですが、
ストーンズのライブというのはほぼパッケージ化されていて、
セットリストはほぼ固定されています。
ですから、世界のどの会場で見ようとも大きなズレはないはずです。
実際僕も、映像で何度もライブを見ているので、
アンコールで<Satisfaction>が始まった時は、「うおおお〜!」と叫ぶ一方で、
「あ、これで終わりなんだな」という合図として感じている自分がいました。

毎回ベストアルバム的なセットリストしか演奏しないのは、
リハーサル等の手間を減らすという合理的な理由もあるのかもしれませんが、
結局は「観客がそれを望むから」という理由が一番だろうと思います。
ただ、KISSのライブレポートでも書いたように、
「毎回同じことをやり続ける」というのは「毎回違うことをやり続ける」ということよりも、
実はしんどいことなんじゃないかと思います。
少なくとも僕がもし劇団で何十年も同じ演目をやれと言われたら、「無理!」と即答するはずです。
だって絶対にモチベーションが維持できないですもん。

同じ曲を、常に観客が満足するようなクオリティで演奏すること。
そのクオリティを保つためのコンディションをあの年齢でも維持し続けていること。
(70歳のミック・ジャガーはドームの端から端まで全力疾走してました)
何より、マンネリ化のリスクを負ってでも観客の希望に(愚直なほど)応えること。
今回の来日公演について、マスコミでは「永遠の不良少年健在!」などと書いていましたが、
僕が感じたのはむしろ「永遠の不良少年」であることを貫き通す、
彼らの「プロフェッショナル精神」の高さでした。


ストーンズの公式チャンネルに来日公演初日の映像がアップされていました。





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映画 『ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987』

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ライヴではなく
「体験」を映したロック映画


今から26年前に行われた日本初のオールナイト・ロックコンサート「BEATCHILD」。
その模様を記録した映画『ベイビー大丈夫かっ』を見てきました。

1987年の8月22日。
FUJI ROCKが始まる10年も前の、
まだ「ロックフェス」という言葉も一般的ではなかったであろう時代に、
阿蘇山麓の野外劇場「アスペクタ」には、7万2千人もの観客が詰めかけました。
出演者はブルーハーツ、岡村靖幸、ストリート・スライダーズ、BOOWY、尾崎豊、渡辺美里、佐野元春ら、
今から見れば信じられないような豪華なミュージシャンばかり。
予定通りにいけば、このコンサートは「日本のウッドストック」として、間違いなく伝説になるはずでした。

いえ、確かに「伝説」にはなったのです。
しかしそれは、豪華出演者が一堂に会した史上最高のコンサートとしてではなく、
「史上最も過酷な環境で行われたコンサート」として記憶されることになったのです。

理由は、雨です。
開場後ほどなくして降り出した雨は、瞬く間に豪雨に、
それもちょっとやそっとのレベルをはるかに超えた記録的な豪雨に変わりました。
この雨は、時折勢いを弱めるものの、結局明け方まで降り続けました。

野外コンサートですから、観客はもちろん雨に打たれ続けるしかありません。
雨はそのまま山の斜面を下り泥の川となって、
スタッフや出演者がいる建物にまで流れ込みます。
滝に打たれる修行僧のように、大粒の雨の中を無言で立ち続ける観客。
くるぶしまで泥に浸かりながら弁当を食べ、仮眠を取るスタッフ。
それどころか、今では考えられないことですが、ステージにも屋根がなかったため、
出演者も雨に打たれ、ずぶぬれになりながらパフォーマンスをするのです。
最も雨が強い時間帯にステージに上がった白井貴子は、
途中、雨に濡れてギターとベースの音が出なくなり、
ドラムとキーボードの音だけで1曲を歌い切ります。
観客もスタッフも出演者も、全てが「壮絶」の一言です。

「音楽が『音を楽しむ』という意味だとするならば、この日の観客は音楽から最も遠い場所にいた」

このナレーションが印象的でした。
「安全」ということに敏感な今の時代であれば、間違いなく中止になっていたでしょう。
(そのくらいの雨だし、おまけに雷まで鳴っているのですから)
しかし、当時は今よりものんびりしていたというべきか、
あるいは主催者側に中止にするノウハウがなかったのか、
結局コンサートは最後までやり遂げられるのです。
それは、ロックコンサートがビジネスになりきっていない、
まだ「アマチュア」だった時代といえるかもしれません。

しかし、逆にいえば、「心意気」だけでなんとかなった時代と捉えることもできます。
主催者の春名源基氏がステージに出て何度も「最後までやり続けます!」と叫ぶ場面がありますが、
観客もスタッフも、あの場にいた人を支えていたのは、
身の安全という理性を凌駕する興奮であり、やけくその意志だったのではないでしょうか。
そしてそれは、ロックの最も根本的な精神ととても近いとも思います。
ほとんど拷問のような環境の中、約12時間もロックを聴き続ける。
それはもはや単なる「コンサート」ではなく、
その人の人生に何がしかの痕跡を残す、一つの「体験」になったんじゃないかと思います。

あの場にいた人は今頃、50歳とかそのくらいの年齢になっているはずです。
今でもロックを聴いてるのかなあとか、
佐野元春やヒロトの歌を聴くと、あの日のことを思い出すのかなあとか、
映画を見ながら僕は、出演者のパフォーマンスに興奮するよりも、
あの場にいた観客のその後の人生に、想像をめぐらせていました。

ほとんど予備知識なく映画館に行ったということもあるのですが、
「単なるライヴ映画」という期待を、見事に裏切ってくれた衝撃的映画でした。


※映画の公開期間は終わりましたが、大晦日に1日だけ、
全国のイオンシネマで特別上映があるそうです。
↓↓↓
1年の締めくくりは伝説のフェス「BEATCHILD」特別上映で(ナタリー)


予告編





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Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」

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ビートルズも僕らの夢も
「The End」では終わらない


さて、何から話せばいいか……。

ポール・マッカートニーの11年ぶりとなる来日公演「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」の、
東京ドーム公演2日目に参加してきました。
今年は1月にリンゴの来日公演も見たので、
1年間で生存している「ビートル」全員に会えたことになります。


これまで何度も書いてきましたが、
ビートルズは僕にとって「北極星」でした。
北天で微動だにしないその星が、船乗りにとって最も頼れる道しるべとなったように、
僕にはビートルズこそが音楽という世界を歩く上での地図であり、
そしてアートと自分の人生との間に橋を架けてくれた、最初の存在でした。
落ち込んだ時も、悲しみに身を焦がされそうな時も、
ビートルズの歌を聞けば、真っ暗に塞がっていく心の中にひと筋の光が射し込むようでした。
ビートルズを知らなかったら生きてはいない、
とまでは言わないまでも、
多分、今よりもずっとモノトーンな人生を送っていたんじゃないかと思います。

そんなビートルズ本人をこの目で見られる。
それだけでなく、歌をこの耳で直に聞くことができる。
それは大袈裟ではなく、僕にとっては革命的な出来事でした。

ましてやポールはビートルズのメインコンポーザー。
リンゴよりもさらにビートルズ時代の「持ち歌」を持っています。
ポールが目の前でこの曲を歌ってくれたら、あの曲を歌ってくれたら…。
僕は何日も前から想像だけでウルウルしていました。


1曲目は<Eight Days A Week>から始まりました。
正直、始まった瞬間はドキドキがピークに達していて、
ただ「ワーワー!」と叫んでいるだけでした。

その後、ソロ新作『NEW』の<Save Us>を挟んで<All My Loving>が始まった瞬間、
僕の涙腺は決壊しました。
大好きな歌だから一緒に歌いたかったのに、涙が止まらなくて歌えませんでした。
後はもう、泣き止んでは歌い、また忘れた頃に涙が溢れ、という繰り返しでした。

ポールが目の前でヘフナーのバイオリンベースを弾いている。弾きながら歌っている。
<I Saw Her Standing There>を、<Eleanor Rigby>を、<Lovely Rita>を歌っている。
それはもうなんというか、昔のマンガみたいにほっぺたをつねってみたくなるような、
まさに夢のような時間でした。


でも、トータルで感想を言えば、
「泣いた」「感動した」というよりも、
「楽しかった」という言葉の方が相応しい気がします。

ポールは御年71歳。
にもかかわらず、3時間近くほぼ休憩なしで、
それも初めの2時間は一滴もドリンクを飲まず、
さらには(多分)全て原曲と同じキーで歌い切ったのです。
ビートルズ時代だけでなく、ウイングス時代、ソロ時代、
そして新譜『NEW』の曲をバランスよく配置したセットリストや、
片言の日本語を交えながら一人ひとりに語りかけるようなMC。
彼のプロ精神、半世紀にわたって磨き上げられたショーマンシップには、
ビートルズを聞けたという感激は与えても、
過去を思い出して涙させるような湿っぽさはありません。
だから僕も、時折自分の中の思い入れによって泣くことはあっても、
それよりも「せっかくだからポールと一緒に歌おう!」「楽しもう!」と感じた瞬間の方が
圧倒的に多かったです。


もう一つ、僕が今回良かったなと感じたのは、
ポールの、「ビートルズとしての現在」が見られたことでした。
これまで僕はポールについて、
新譜をコンスタントに発表してあくまで現役ミュージシャンとして活動してはいるものの、
ことライブに関しては、「ビートルズの伝道師」という役割を受け入れ、
一種の懐メロバンドとしてステージに上がっていると思っていました。
(もちろん、だからこそ僕らはエンジョイできるわけですが)
それは世界で今やポールにしかできない役割だし、
ポールもそれを理解しているんだろうなあと思うものの、
精力的に新曲を作りつづける彼の旺盛なクリエイティビティと、
半世紀近く前の曲をプレイし続けることとを、
どう折り合いをつけているのだろうと思っていました。

その答えの一端を、僕は<Blackbird>を歌っている時に、なんとなく想像できた気がしました。
いくら若々しく見えるポールでも、
ギター一本で静かに歌うこの曲では年齢を隠すことはできません。
かつては伸びやかな歌声で歌っていたこの曲を、
ポールはしわがれた「おじいちゃん」の声で歌いました。

しかし、じゃあそれがダメかというと、そんなことはないのです。
むしろ、「今の」ポールの声だからこそ感じる何かがあります。
特にラストのリフレイン部分の歌詞は、
※「You were only waiting for this moment to arise.」
 (ただ立ち上がる時を待っていたんだ)

ホワイトアルバムのオリジナル版と印象がまるで違いました。
オリジナル版では、ポールはこの部分をわりと淡々と歌います。
そのため、「立ち上がる時」を待っていたのはポール以外の誰かで、
その誰かに向けた淡い優しさが前面に出ています。

しかし、今のポールのしわがれた声で歌うと、
「立ち上がる時」を待ち続けたのはポール自身であるように聞こえました。
待ち続け、待ち続け、いつしかこんなにも年を取ってしまった…。
そのような悲哀が漂い、オリジナル版とはまるで違う曲に聞こえたのです。
<Blackbird>ってこういう曲だったのか、という驚きと発見。
これはまさに、今のポールでなければ味わえなかったことです。

ポールはビートルズを「更新」していると僕は思いました。
ポールは決して「あの頃の再現」を目指しているのではなく、
あくまで「今の声で歌うビートルズ」をやろうとしているんだと思いました。
それは、「元ビートルズ」として単に懐メロをプレイするのとは微妙に異なります。
ポールが目指しているのは、いわば「今のビートルズ」なのです。
彼自身も、僕らファンとともに「もしビートルズが今でも活動していたら」という永遠の夢を、
追いかけているのかもしれません。


今回の公演で、一番嬉しかったのは(強いて挙げれば)、
最後の最後に演奏した<Golden Slumbers>〜<Carry That Weight>〜<The End>という、
ラストアルバム『Abbey Road』のエンディングを完全再現してくれたことでした。
ビートルズの歴史を締めくくったこのメドレーを、まさか生で聴けるとは思っていませんでした。

しかし、音楽評論家の中山康樹氏が、著書『ビートルズの謎』で述べているように、
「ビートルズ最後のアルバム『Abbey Road』は、<The End>という曲で“終わらない”」のです。
(その後に約20秒のラストトラック<Her Majesty>が入っているから)
ビートルズの歴史が<The End>で終わらないように、
今回のライヴでも、ポールはこの曲を演奏して舞台を去る際に、
なんと「マタ会イマショウ!」と言ってくれました。

本当に?
今回がきっと最後だと思ってたけど、
そんなこと言うと、信じて待っちゃうよ、ポール?


「OUT THERE TOUR」トレーラー映像







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The Beatles 『On Air - Live at the BBC Volume 2』

The Beatles On Air- Live At The BBC Volume 2

未発表曲が2曲収録
正真正銘の「新作」だ


ビートルズが1960年代前半に英BBCラジオで収録した大量のライヴ音源を厳選し、
2枚組にまとめてアルバム『Live at the BBC』としてリリースしたのは、1994年のこと。
あれから約20年、なんとその続編がリリースされました。
タイトルは『On Air - Live at the BBC Volume 2』。

最初にニュースを聞いた時は、前作『Live at the BBC』の再編集盤になるのかと思っていましたが、
蓋を開けてみれば、番組司会者との会話やインタビューを除く全40トラックのうち、
既発表音源はわずか3曲。
つまりほとんどが、未発表音源で占められています。
しかも、うち2曲が全くの未発表曲(カバー)である、
<I'M TALKING ABOUT YOU>と<BEAUTIFUL DREAMER>。
いやあ、素晴らしいです。
正真正銘、ビートルズの「新作」と呼んでいい内容だと思います。


この『On Air』がリリースされたことの意義は大きく二つあります。

一つは、ビートルズの希少な「ライヴアルバム」が増えたこと。
ビートルズは活動初期のほとんどをライヴに費やしましたが、
録音技術などの関係で、当時の演奏はほとんど音源化されませんでした。
その点、放送局のスタジオという絶好の環境で収録されたBBC音源は、
現在聴くことのできる数少ないビートルズのライヴ音源として価値が高かったのです。
これまでは前作『Live at the BBC』しかありませんでしたが、
(といってもこの作品は2枚組で69トラックもあるのですが)
今回『On Air』がリリースされたことで、例えば<Money>や<Twist And Shout>など、
前作には収録されなかった楽曲が加わり、
「ビートルズのライヴ音源」のバラエティが一気に広がりました。

ちなみに、スタジオでありながら「ライヴ」であるという根拠は、
ほぼ全ての楽曲がオーヴァーダブなしの一発録りだったという点にあります。
「観客がいない」ということ以外は、まるきりステージそのものだったのです。

それに、メンバー4人にとって観客は「いた」のです。
それは、ラジオに耳を澄ませているリスナーでした。

ビートルズがBBCに最初に出演したのは1962年の3月。
<Love Me Do>でレコードデビューする半年以上前のことです。
全国放送の電波で自分たちの曲を流すことは、
当時の彼らにとってまたとないチャンスでした。
ポールは当時を振り返り、
「僕らは何の手加減もせず、一世一代の演奏をしようと懸命に頑張った」
と語っています。

実際、このアルバムの楽曲には、
スタジオ盤よりもはるかに速いリズムで演奏したり、
多少失敗してもシャウトでごまかしてそのまま突き進んだりといった、
狂暴とさえ言えるほどの荒々しいエネルギーに満ちていて、
オリジナルアルバムとは印象の異なるビートルズを感じることができます。


『On Air』がリリースされた意義の二つめは、
カバー楽曲のバリエーションが増えたことです。

ビートルズがBBCで演奏した楽曲は、のべ275曲にものぼりますが、
その中にはチャック・ベリーやリトル・リチャードをはじめとする、
彼らがデビュー前から演奏してきたものの公式音源化はされてこなかった、
カバー楽曲が大量に含まれていました。

例えば『Live at the BBC』には<Johnny B. Goode>や<Keep Your Hands off My Baby>といった、
スタジオ盤では聴くことのできないカバーが多数収録されています。
『On Air』では前述のように未発表の2曲が収録されました。
特にチャック・ベリーの<I'M TALKING ABOUT YOU>は、
音質の悪さが逆にジョンのワイルドなボーカルを際立たせていて非常にかっこいいです。

カバーの面白さは、他人の楽曲を演奏することで、
逆にそのバンドのオリジナリティが浮き彫りになる、というところにあります。
ビートルズのカバーを聴いて感じるのは、なんといってもジョンとポールの「声」の魅力です。
特にジョンは、それが誰の曲だろうが、歌っているのが男性だろうが女性だろうが、
歌った途端に「自分の歌」にしてしまう、強烈な個性があります。
その個性を感じられる機会が増えたという点で、
カバー曲の新収録は、単なる未発表音源という以上の価値があるのです。

ちなみに、前作『Live at the BBC』は、ややマニアックな存在ではあるものの、
個人的にはビートルズのアルバムの中で1、2を争うくらいにお気に入りの作品でした。
ライヴ音源ということで、スピーカーのすぐ向こうに4人の息遣いを感じられるところがたまりません。
音質が悪いトラックもありますが、臨場感があってむしろ煽られます。
だから、そういう思い入れの点でも、今回の『On Air』のリリースは、かなり嬉しい出来事でした。

10月のポールのソロ新作『NEW』のリリース、
11月のポール来日(来週ライヴレポート書きます!)、
そしてこの『On Air』のリリースと、にわかにビートルズ周辺が騒がしくなっています。
解散後40年経ってもまだ未発表曲が出てくるんだから、
いずれ「214番目のオリジナル曲」も発掘されるんじゃないかと期待してます。
きっと他のファンのみんなもそうでしょう?

『On Air』のトレーラー映像
1分40秒あたりに<I'M TALKING ABOUT YOU>が流れます


アルバム1曲目を飾る<Words Of Love>のPVが、
『On Air』発売を記念して公開。
この曲を頭にもってくるセンスがニクイ!!







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The Roosters 『eating house』

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みっともなくて無様な
「今」をさらけ出す


ザ・ルースターズの再結成ライヴのDVD『eating house』を見ました。

ルースターズは1980年にデビューした、ひと世代前のバンドです。
しかし、チバユウスケや浅井健一をはじめ、
名だたるミュージシャンたちがこぞって彼らへのリスペクトを口にするなど、
現在の日本のロックシーンに対して大きな影響を与えました。
僕自身は完全に後発のリスナーですが、そのような客観的立場から聴いても、
ルースターズに対する評価が決して大げさでないことは分かります。
スピーカーから漏れ出してきそうなほど圧倒的な熱量。
しかし、その熱をそのまま叩きつけるのではなく、
3コードを基調にしたトラディショナルなサウンドに落とし込む高い理性。
両方が高い次元で融合しているという点で、
ルースターズの音楽、とりわけ大江慎也(Vo&Gt)が病気で脱退するまでの前期ルースターズの音楽は、
ロックの一つの完成形といっても過言ではないと思います。

ルースターズは2004年、フジロックフェスティバルのステージで、
音楽活動自体から長らく離れていた大江慎也を含む、
オリジナルメンバー4人によって正式に解散が宣言されるのですが、
ここ数年、散発的ではあるものの、
4人が再び集まりルースターズとしてライヴを行う機会が増えているようです。
そんな中で、2013年2月、地元福岡でこれまでで最も規模の大きな再結成ライヴが行われました。
その映像を収録したのが、この『eating house』です。

一言で言えば、「傷だらけ」のライヴでした。
いえ、演奏は素晴らしいです。
バンドに再合流した井上富雄(Ba)と池畑潤二(Dr)、
そして結成以来ずっとルースターズという屋号を支えていた花田裕之(Gt)の3人は、
ベテランの円熟と変わらぬ熱さとを感じさせる、質の高い演奏を聞かせてくれます。

傷を負っているのは他でもない、バンドの顔である大江慎也です。
かつての、ちょっと甲高くて気だるさを漂わせていたあの「声」は、もうどこにもいません。
歌詞は聞き取れない、ピッチは合わない、リズムは外れる。
サイドギタリストとしてはなんとか形になっているものの、
ボーカリストとしては、ハッキリ言えば「無残」としか呼べません。

大江慎也は長らく健康を損なっていました。
80年代半ばに精神を患いバンドを長期離脱、
ようやく治ったと思った矢先の2000年、
大腸に潰瘍が見つかり、全摘出という大手術を受けました。
長年にわたって蓄積した心身へのダメージは、
大江慎也からボーカリストとして決定的な何かを失わせてしまったのではないかと思います。

しかし、そのような無残な姿を晒す大江慎也を、観客は熱狂的に迎えます。
メンバーの3人も、何よりもまず「大江をサポートする」という一点に集中しているように見えます。
(<恋をしようよ>でリズムを外して歌えなくなった大江を、
他の3人が同じシークエンスを繰り返しながら大江が再び歌うのをじっと待っている姿は印象的でした)
まるで、会場全体が大江慎也というガラス細工を、大事に大事に包んでいるようです。

僕は映像を見ながら、ルースターズは音楽ではなく、「物語」なのだと感じました。
大江慎也が再びギターを手にし、マイクの前に立ったこと。
それをオリジナルメンバーの3人が迎えたこと。
30年間待ち続けた奇跡が、今まさに目の前で起きているという感激と、
しかし、いつまたこの夢が覚めてしまうかわからないという緊張の中で、
観客は、目の前で鳴っている音楽そのものよりも、
それぞれの頭の中で醸成されたルースターズという「物語」に対して、
熱狂しているんじゃないかと思いました。

音楽が「物語」を生むこと。
このこと自体は、僕はロックという音楽がもつ最も素敵な副次的効果の一つだと思います。
僕だって、ロックが物語を生みださなければ、
ビートルズやビーチボーイズにこんなにも夢中にならなかったかもしれません。

しかし、同時に思うのは、
それはやっぱり、あくまでまず音楽ありきだろうということです。
仮に年老いて、若い頃と同じパフォーマンスができなくなっても、
そのぶん歌の円熟味やバンドのアンサンブルの奥深さといった新たな発見がなければ、
「物語」が更新されるはずがありません。
その点で言うと、『eating house』のルースターズ(大江慎也)は、
僕の中では「音楽ありき」を満たす演奏水準ではなかったのです。

にもかかわらず、なぜ観客は熱狂しているのか。
そして、なぜ、大江慎也はそんなコンディションにもかかわらず、
「醜態をさらすこと」をわかっていながら、それでもステージに立ったのか。
僕は首をかしげながら、『eating house』を見続けました。


すると、ライヴも中盤を過ぎたあたりから、
徐々に大江慎也を見る目が変わってきました。
歌は相変わらずです。
声はますますくぐもって、かすれてよじれ、ほとんどメロディーを追えてません。
しかし、それでもなおマイクに向かい続ける大江。
その姿に、僕はだんだんと鬼気迫るものを感じるようになりました。

もし彼が歌わなければ、バンドにカムバックしなければ、
ルースターズというバンドは「伝説」のままでいられたかもしれません。
それなのに、その伝説を自ら壊すことを承知でマイクの前に立つ大江慎也は、
「伝説のルースターズ」を守ろうとしているのではなく、
「今のルースターズ」を生み出そうともがいているのだろうと思うのです。

みっともない姿だけど、惨めな姿だけど、
それこそが「今のルースターズ」なのだと、彼は全身を通して伝えてきます。
そこには、過去に安住することを拒否した、
「今を生きる者」だけが放つ強烈な緊張感があります。
何もかもをさらけ出していく大江慎也の姿に、
(伝説の続きという)「物語」を期待していたのは僕の方だったのだと、
冷や水を浴びせられたような気持ちになりました。

もちろん、「今のルースターズを生み出そうともがく大江慎也」というのも、
ある意味では「物語」です。
しかし、同時にこれは「ドキュメント」でもあります。
「今」をさらけ出すことが、時にパフォーマンスそのもの以上に心を揺さぶることがあり、
そしてそれが新たな「物語」を生む。
「物語」と「ドキュメント」という相反する二つの要素がつながる点に、
ロックという音楽の奥深さがあるように思います。

『eating house』を見ながら僕は、
ロックはアートというよりも「スポーツ」に近いかもしれないと考えていました。
ステージに注がれる観客の熱狂はまるで、
何度もリングに沈められながらも立ち上がろうとするボクサーに送られる、
「エール」のように見えました。






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KISS 『ALIVE!』

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最高の「地獄」を
見てきたぞ!


中学・高校の頃、MTVの「Classic MTV」という番組をよく見ていました。
60〜80年代の古いヒット曲のビデオばかりを流す30分番組で、
YouTubeなどなかった当時、
僕にとってはロック/ポップスの歴史を知ることのできる貴重な情報源だったのですが、
中でも強烈に印象的だったのが、Devoの「Satisfaction」とPoliceの「I Can't Stand Losing You」、
そしてKISSの「I was made for Lovin' You」でした。

白塗りのメイクにギラギラの衣装、電飾が埋め込まれたレスポール。
ボヤッとした古い映像の質感と相まって強烈な「キワモノ感」が画面全体から漂ってくるのですが、
曲そのものは耽美というかすごくポップで、
ボーカルもがなったり叫んだりせず、思い切りロマンティックに歌う。
「すごいヘンだけど気になるバンド」というのが、僕のKISSの第一印象でした。

あれから約20年。
僕は生まれて初めて生のKISSのステージを見に行きました。
「KISS MONSTER JAPAN TOUR」と題された武道館公演初日です。

正直、「7年ぶりの来日だし、次いつ来るかわからないから記念に見ておく」
という動機だけでチケットを買ったのですが、
いざ見終わった後は、ほとんどボーゼンとした足取りで武道館を出ました。
もうね、めちゃくちゃ楽しかったです。最高でした。

宙づり(!)の巨大スピーカーから放たれる爆音。
そしてその音に合わせて何度も上がる火花。
巨大な舞台装置を使って宙を舞うメンバー。
冒頭からアンコールまで、ド派手な仕掛けが「これでもか!」というくらいに続きます。
かつて僕が「Classic MTV」で度胆を抜かれたように、
もともとKISSというバンド自体が「地獄」や「悪魔」といった演劇的・ショー的な世界観を持っていますが、
ライヴはさらにそれを拡大した、エンターテインメントの極致と呼べるものでした。

しかも彼らは今年で結成40周年。
40年間(おそらく)同じようなことをやっているのでしょうから、
一つひとつのアクションや演出が、これ以上ないというほど完成されています。
ジーン・シモンズ(Ba)の火吹きや血吐きなんて、
もはや一種の「芸」と呼ぶべき域に達しています(実際「芸」なんですけどね…)。

しかしそうした派手な演出の一方で、例えばジーン・シモンズは血を吐いた後、
日本語で「チョットマッテネ」と言って水を飲んだり、
ポール・スタンレー(Vo)がいきなりアカペラで「上を向いて歩こう」を歌いだしたりと、
あえて「抜け」を作るような構成や間の取り方も実に上手い。

何より素晴らしいなあと思ったのは、
40年間もやっていながらマンネリになっていないことです。
セットリストも演出も、全ては定番化・パッケージ化しているはずなのに、
メンバーは未だにそれを楽しんでいるように見えました。
客席も、おそらくこれまで何度もKISSを見てきたであろう年齢層の高い「ベテラン」揃いなのに、
(僕の隣はトミー(Gt)のフェイスメイクをした外人のおばさんでした!)
むしろその定番化した世界観を積極的に楽しんでいる。
そうした客席との一体感も含めて、全てが完成されているなあと感動しました。


さて、そんなKISSですが、デビュー当初は思うようにセールスが伸びず、
(意外にも)苦労時代が続きました。
そんな状況を打破した出世作が、75年にリリースされた2枚組のライヴアルバム『ALIVE!』です。
最初にヒットしたのがライヴアルバムだったというところが、
KISSというバンドの本質を表しているようで、とても象徴的ですね。
ただ、実際にライヴを見終わった今、このアルバムを聴いても、なんだか物足りません。
いかにKISSのライヴが、聴覚だけではなく全身をフルに使って味わう「ショー」だったのかを実感します。

ライヴの途中、ポール・スタンレーが「来年も来るよ!」と言ってたんですけど、ホントなのかな。
当初は「記念に見とく」だけのつもりだったのに、
今では「来年も絶対行く!」と考えている自分がいます。


↓↓↓↓↓
アンコールの<Detroit Rock City>、<I was made for Lovin' You>、そして<Rock And Roll All Nite>という流れは、
分かっていながらもエキサイトして大声で歌っちゃいました。












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映画 『Film No Damage』

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まばゆい熱の放射と
雨の日の静けさと


佐野元春の1982〜83年の全国ツアーを記録した映画、
『Film No Damage』がデジタルリマスター化され、期間限定で映画館で公開されています。
初日に見に行ってきました。

佐野元春というと、ひょっとしたら今の10代くらいの子たちには、
・NHK『SONGWRITERS』の司会者の人
・ドラマ『spec』の当麻(戸田恵梨香)のお父さん
・『ガキの使い』の名物企画「500のこと」に登場した天然のおじさん
なんて風にしか思われてないかもしれませんが、
1980年代の佐野元春は、まさにロックスター。
なんてったって、雑誌『Rockin’On Japan』の創刊号(1986年10月)の表紙を飾ったのが、
誰あろう佐野元春でした。

とはいえ、僕自身もリアルタイム世代ではありません。
小学生の時に<約束の橋>で認識したのが初めて。
でも、その後いろんな日本のバンドやアーティストを聴くにつれ、
彼らの多くが「影響を受けたアーティスト」「自分のルーツ」として佐野元春の名前を挙げていたり、
また、彼の音楽が若い頃の自分にいかに影響を与えたかを熱く語る、
40代以上のファンのブログなども何度か目にしたことで、
「いつかは聴かなければいけない人」と思っていました。
今回映画館に足を運んだのは、その熱狂の一端を知りたいと思ったからでした。

『Film No Damage』は90分足らずの短いドキュメンタリーです。
メインはライヴシーンですが、本編はそれだけで構成されているわけではありません。
舞台裏の映像や、彼の新譜のビデオクリップ(CM?)の撮影風景、
佐野本人がジョン・レノンに扮し、有名な「ベッドイン」パフォーマンスを真似ているシーン。
ライヴシーンにおいても、ステージでの演奏を流しながら映像は別の風景を映しているという、
ビデオクリップのような絵画的なシーンも挿入されます。

このように、さまざまなシークエンスがガチャガチャとつなぎ合わされているのですが、
不思議とうるさくなく、むしろ詩的な静けさに包まれています。
ステージは眩しいくらいにエネルギッシュなのに、全体を通して見ると静か。
この、両者の共存というか、ある意味でのアンバランスさは、
僕が思う「佐野元春の音楽」というイメージにピタリとハマります。

その話をする前に、ライヴ本編に触れておくと、ただただ「圧巻」の一言でした。
フェンダーのジャズマスターを手に、細身のスーツを汗に染めながら、
所狭しとステージの上をリズムに合わせて激しく動き回る、27歳の佐野元春。
曲と曲とを細切れにせず、その間を長いインプロでつなぐ高度に練られた構成。
随所でキメてくる、演奏・照明と呼吸を一つにしたアクション(キメポーズ)。
「70年代の日本のロックに対する返歌として、僕は何よりも『パッション』を重視した」と語る佐野元春自身の言葉通り、
そのパフォーマンスは演劇的な刺激と、圧倒的な緊張感に満ちています。
こりゃ確かに人気があるわけだわ!と即座に納得。

また、彼のキャリアを10年以上にわたって支えたバックバンド、
ザ・ハートランドの演奏が素晴らしいです。
佐野元春の特徴である、ピアノやホーンが主体になった都会的で洗練されたサウンドは、
ハートランドのメンバーが彼の元に集まったから成立したものなのでしょう。
佐野本人も、バンドのメンバーも、そしてさらにステージを支える裏方のスタッフたちも、
見たところ皆20代からせいぜい30代中盤くらいと、とても若いチームであることが印象的でした。
観客も含め、ステージ全体が若い人たちだけで作られているということが、
佐野元春が単なるスターという以上に、
当時の時代の空気と呼応した存在だったことの証明であるように思いました。

さて、佐野元春の音楽について「都会的」と書きました。
それは決してサウンドのイメージのことだけでなく、
例えば<SOMEDAY>のイントロのように、車のクラクションや人の足音という具体的な音が入るケースや、
<ガラスのジェネレーション>の「Hello, City Lights」のように、
歌詞の中に都市の光景を映すフレーズが含まれている場合もあり、
彼の(特に初期の)歌には、都市生活者の気配がいつも強く感じられます。

しかし、実際に曲を聴いて感じるのは、都会の喧騒やエネルギーではなく、
そこに暮らす人の愛や葛藤や希望といった内的な世界です。
街のスタイリッシュさや騒がしさが表層にあるからこそ、
その対比で、都市生活者の内面にフォーカスが当たり、
曲全体が雨の日のような静けさをまとうことになります。
このギャップみたいなものが、そのまま映画『Film No Damage』の空気にも当てはまるのです。

この映画で、佐野元春はステージ以外では一言も言葉を発しません。
だからでしょうか。
ステージでは華やかにスポットライトを浴び、激しいパフォーマンスを見せるのに、
そしてまた、さまざまなシーンが組み合わさることで映画自体が一つの「喧騒」に見えるのに、
全体を通して見ると、主人公である佐野元春は寡黙に、孤独に見えてくるのです。
まるで、彼自身が曲の主人公であるかのように。

佐野元春は80年代前半期の自身の音楽について、
「70年代は個人的感情を吐露する私小説的な歌詞が多かった。
 でも僕は、街で起きている彼や彼女の『ストーリー』を歌いたかった」と語っています。
自分自身の感情は一度脇に置いて、どこかにいるはずの誰かの物語を語る、という発想はとても面白いですね。
その言葉を踏まえてみると、
この映画に映る「佐野元春」という人物も、実は曲で歌われている「彼」や「彼女」の一人という、
ある種のフィクショナルな存在であるとも言えます。
そういう、ちょっとイタズラ的で、つかみどころのない存在感は、
実は佐野元春以前も以降も、彼1人にしかなし得ていないものかもしれません。
やっぱり、ものすごく洗練されています。

映画は9/20まで公開されています。
おすすめです。

作品情報

<予告編>





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RAMONES 『It's Alive 1974-1996』

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ラモーンズへの愛は
「ロックへの愛」だ!


ラモーンズの映像集の決定版というべき、2枚組ライヴDVD。
「1974-1996」とある通り、
結成から解散までに残した数々のライヴ、TV出演映像から、
なんと約120曲もの演奏シーンを詰め込んだという、
過剰というか単純すぎるというか、このDVDのコンセプト自体がラモーンズそのものです。
見終わった直後は、お腹いっぱいで間違いなくぐったりします。

基本的にはほぼ時系列に沿って映像が収録されています。
冒頭に収められているのは、
1974年のバンド結成直後に行った、NYのCBGBでのステージ映像。
ジョニーとディー・ディーの立ち位置が逆だったり、
ジョーイの雰囲気も妙にゆるかったり(後年の前のめりスタイルとは真逆)と、
ファン的にはとても史料的価値の高い映像です。
何より驚くのは、4人ともステージに慣れてない(笑)!
ディー・ディーのカウントが演奏とうまくかみ合わなかったり、妙に間延びしていたり、
素人臭さが残る、初々しい4人を拝むことができます。

続く76年のレコードデビュー前後の映像では、
既に僕らの知っている「ラモーンズ」としてのスタイルが確立されているのが分かります。
ここからはもう、怒涛のステージの連続。
トミーがドラムを担当していた70年代を経て、
新たにマーキーを迎えた80年前後の黄金期へ。
ライヴを行う場所も、本国アメリカやイギリスだけでなく、
ドイツやイタリア、さらにはフィンランド、スウェーデン、スペイン、アルゼンチンにまで遠征していきます。

ただ、ラモーンズは少しも変わりません。
メンバーが変わろうが、どの国に行こうが、徹頭徹尾ひたすら同じスタイルを貫きます。
1曲の演奏が終わると、間髪入れずにディー・ディーが「1234!」とカウントを入れて次の曲が始まる。
曲のスピードはアルバムよりも圧倒的に速いです。
なのに、ジョニーもディー・ディーもひたすらダウンピッキング。
見てるだけで腕が攣りそうです。
「ちょっとくらい休憩しなよ」と思わず声をかけたくなりますが、
それでも再び「1234!」。
まるで全力ダッシュをひたすら繰り返すような、
刹那的で激情的な演奏が果てもなく続きます。

彼らは解散までに計2000回以上のライヴを行いました。
このDVDに収録されていない、他の大多数のステージでも、
彼らはきっとこのスタイルを崩さなかったのだろうと思います。
以前ラストアルバムの『Adios Amigos』を紹介したときにも書いたように、
僕はラモーンズのあのブレなさ、愚直さに圧倒的な信頼を寄せます。
そして、その姿勢をそのまま封じ込めたような曲の数々。
イントロだけ聴いただけではどれがどれだか分かんないほど似通った曲の数々を、僕は猛烈に愛します。

やっぱりラモーンズは素晴らしいです。
ロックの夢、ロックの力、ロックの魂。
ロックにまつわるあらゆるものが、彼らのステージにはギュッと凝縮されています。

ラモーンズを愛することは、ロックを愛することである。
そんな風にさえ思えるほど、彼らは素敵なバンドです。
「この世にロックがあって良かった!」と拳を突き上げたくなるような珠玉の映像集。
これは家宝です。



『It's Alive 1974-1996』Disc2より、1978年のドイツでのスタジオライヴ。
24分間に11曲を演奏するというめちゃくちゃなスピード。
圧巻です。







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Led Zeppelin 『Celebration Day/祭典の日(奇跡のライヴ)』

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好きも嫌いも突き抜ける
「絶対的かっこよさ」


レッド・ツェッペリンがロンドンのO2アリーナで、
1晩だけの再結成ライヴを開いたのは2007年12月のこと。
ジミー・ペイジ(Gt)、ジョン・ポール・ジョーンズ(Ba)、ロバート・プラント(Vo)の3人に、
ドラムにジョン・ボーナムの息子、ジェイソン・ボーナムを加えた、
(ほぼ)オリジナルのメンバーが集まったこの夜のライヴは、
当然のことながら世界中の注目を集めました。

あれから5年、2012年11月になってようやくその公式映像がパッケージ化されました。
それがこの『Celebration Day/祭典の日(奇跡のライヴ)』
当日演奏された全16曲のステージとリハーサル風景を収めた特典映像、
さらに、本番のステージをそのまま音源化した2枚組のライヴアルバムという、
4枚組で構成されているゴージャスなCD&DVDボックスです。

発売時にはメンバーがわざわざプロモーションで来日したり、
上映イベントが開かれたりとかなり盛り上がりました。
解散後30年近く経っても未だにムーブメントを起こすツェッペリンというバンドは、
やはり別格中の別格なんだなあと思った記憶があります。

しかし、なんでまた半年も前にリリースされたアイテムを、
わざわざ今になって紹介しているかというと、
実は僕、つい先週になってようやくこのDVDを見終えたんです。

いえ、ちゃんと予約までしてリリース初日に買ったんです。
ところが、冒頭だけ見たまま何かの拍子で途中で止めてしまい、
気づけば半年間も放置という…。

ここで懺悔しますが、正直に言うと僕、
レッド・ツェッペリンのこと、そこまで好きではないんです。

嫌いというわけではなく、
むしろ「好きになりたい」という気持ちは満々なのですが、
なかなか身体がついてこないというか、
気持ちにしっくりハマらないというか、
未だにツェッペリンはどこか遠いんですよねえ。

この「溝」を埋めたいと思っているから、
アルバムも持ってるし、ちゃんとiPhoneに入れて聴いてるし、
有名どころの曲はギターでコピーまでしてるし、
今回のDVDだってわざわざ予約までして買うんだけど、
結局半年も放置してしまうという矛盾。
かれこれ10年以上、僕はツェッペリンと、
愛よりも義務感で連れ添っている夫婦」みたいな関係を送っているのです。


で、『Celebration Day』を全部見てみてどうだったのか。
結論から言うと……めちゃくちゃかっこよかったんですねえ。

再結成って基本的には「イベント」だから、
音楽的な部分に期待するのは野暮というか、
「みんなで当時を懐かしみましょう」というのが暗黙のルールですよね。

でも、この夜のツェッペリンは違いました。
なんなんですか、あのキレキレ感
バリバリの現役バンドじゃないですか。
「もう一度みんなで集まりました」という牧歌的な雰囲気は露ほどもなく、
めっちゃくちゃ作りこんできたな!という、
4人の並々ならぬ気合いを感じました。

当日O2アリーナでステージを目撃したロッキンオンの社長・渋谷陽一氏は、
開幕前は「死に水を取りに来た…」と、
4人が無残な姿を晒すことを覚悟していたそうですが、
いざステージが始まると、「ん?これはひょっとしたらイイんじゃないか?」となり、
見終わってみると「すごいものを見たぞ」となったそうです。
確かに、これほど熱を持った再結成ライヴというのは、
そうそう他にはないと思います。

以下は僕の勝手な想像。
ツェッペリンは、かつて1985年のライヴ・エイドで、
ものすごくヒドい再結成ライヴをやったことがあります。
(多分YouTubeで見れます)
その時に散々バッシングされて、
メンバーは初めて「ツェッペリンであること」を自覚したんじゃないでしょうか。
つまり、自分たちが再び「レッド・ツェッペリン」を名乗る時は、
ハンパじゃない覚悟をもって、現役時に劣らぬプレイをしなければいけないんだ、と。
「レッド・ツェッペリン」という名前は、
メンバー自身でさえも軽い気持ちで扱えないほど重いものなのだ、と。

85年のステージが最初の再結成(←妙な言い方)ですから、
そこでいきなり大失敗したという「負の実績」が、
07年の夜につながったんじゃないかと思うんですね。
じゃないと、あの鬼気迫る完成度(だってみんなもうすぐ70歳ですよ?)は
説明できないんじゃないかと思います。

ジミー・ペイジの脳味噌が絞り上げられるようなギターリフ、
ジョンジーの分厚い土壁のようなベース&ピアノ、
ジェイソンの高速列車のような重量級ドラムと、
楽器はいずれも、音という名の重火器を浴びせてくるかのよう。

そして何より素晴らしかったのが、ロバート・プラントです。
バンド後期よりもさらにキーは下がったように思いますが、
それを補って余りあるほど、巧い
ボーカルはバンドの中で最も「老い」が表に出やすいパートだと思いますが、
(特にツェッペリンのようにハードな音楽の場合はそれが目立ちそうです)
ロバートは失われたパワーと高音を「色気」というもので代替し、
観客に付け入るスキを与えていません。
ツェッペリン(ロバート)は元々、声すらも一つの楽器のように扱うのが特色でしたが、
今回の再結成ライヴでは初めて、ツェッペリンが「歌」に聞こえました。
(それ故に、もはや彼が「ツェッペリンのボーカリストではない」と言うことも可能ですが)
メンバーの中でただ一人、最後まで再結成に渋っていた(と言われる)ロバートですが、
他の3人のヘビー級の音を向こうに回し、見事に歌い倒しています。

で、結局のところ『Celebration Day』を見て、
僕はツェッペリンを好きになったのかというと、
…う〜ん、まだ微妙(笑)。
ラモーンズを敬愛する人間としては、
あの重厚長大さはやっぱりカロリー過多なんだよなあ。

ただ、間違いなく言えることは、
そんなネガティブな気持ちを差し引いても、
いえ、こちらがどんなモチベーションだろうがそんなこと関係ないくらい、
レッド・ツェッペリンというバンドは問答無用でかっこいいということです。
1億人が見たら1億人全員が「かっこいい」と思うんじゃないか、
そのくらい、絶対的なレベルでかっこいい。

好きではないのに、めちゃくちゃかっこいい」。
そんな気持ちになったのは初めての体験でした。

<Black Dog>







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「神様の一人」に会った夜

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「全てはきっとうまくいくさ」と
リンゴは僕らに歌ってくれた


リンゴ・スターが、彼のミュージシャン仲間と共に
「RINGO STARR & HIS ALL STARR(この綴りに注目!) BAND」として、
18年ぶりに日本のステージに立ちました。
2/25(月)のZepp Tokyo。
僕は、「神様の一人」に会いにいきました。

身悶えするくらい、僕はビートルズが好きです。
ラモーンズもR.E.M.もフーもリバティーンズも、
心から好きなバンドはたくさんあるけれど、
それでもビートルズだけは別格です。
大昔の船乗りにとって、北極星が唯一の旅の道しるべであったように
僕にとっては、ビートルズこそが世界の重力の中心なのです。
あの4人は僕にとって、「愛すべき神様たち」なのです。

19時過ぎ。
前座もなしにリンゴとオールスターバンドが登場しました。
リンゴはハンドマイクで、いきなり<Matchbox>を歌ってくれました。
アレンジも、演奏のノリも、ビートルズのものとは違うけど、
それでも今、僕の目の前で、リンゴが<Matchbox>を歌っています。
「生きてて良かった!」と思うには十分すぎるほどの光景です。
僕は早くも、鼻の奥がツーンとしました。

リンゴ&オールスターバンドのライブは、
リンゴの曲と共に、バンドのメンバーの曲もセットリストに組まれています。
オールスターバンドはただのバックバンドではなく、
ギターにトッド・ラングレンとスティーブ・ルカサ(元TOTO)、
キーボードにグレッグ・ローリー(元サンタナ、ジャーニー)など、
一人でも十分お客さんが呼べるような、まさに「オールスター」なメンツばかり。
みんなだいぶ年をとっていますが(笑)、演奏と歌は超一流。
中でも今回、スティーブ・ルカサのギター&ボーカルで
TOTOの<Rosanna>と<Africa>を聴けたのは、思わぬ「儲けもの」でした。
(TOTOの曲でドラムを叩くリンゴ、というのもなかなかしみじみするものがありました)

でも、主役はやっぱりリンゴでした。
ステージには、リンゴよりも上手いシンガーやプレイヤーがゴロゴロいるし、
体つきだって、マッチョなトッド・ラングレンなんかと比べると、
小柄なリンゴはずいぶん貧相なのに、
リンゴが一番輝いていました。
というのも、お客さんも含め、あの空間で一番音楽を楽しんでいるのが、
他ならぬリンゴだったからだと思います。

リンゴは本当に、すごく楽しそうでした。
歌いながら、ドラムを叩きながら、左右にゆったりリズムをとりながら、
いつもニコニコしていました。
音程を外してもやっぱりニコニコしていました。
そして、絶えず僕らに「Enjoy!」「I love you!」と呼びかけました。
なんともゆるい(笑)。

でも、この雰囲気は、ジョンでもポールでもジョージでもなく、
リンゴだからこそ醸せる、この上なくステキな「ゆるさ」です。
<Yellow Submarine>や<Act Naturally>をリンゴと一緒に歌っていると、
まるでお風呂に入っているような、なんとも温かい気分になってきます。

ボブ・ディランのように、誰も見たことのないクリエイティブの高みを目指すでもなく、
ミック・ジャガーのように、パフォーマンスのクオリティを異常なまでに追求するでもなく、
「とりあえず楽しもうよ」というリンゴのゆるい姿勢。
そこには、未知の世界へと導かれるドキドキ感はないかもしれませんが、
かわりにリンゴ自らが僕らの目線まで降りてきて、
すぐ隣で語りかけてくれるような親密さがあります。
「年をとっても人生は楽しめるよ」「大丈夫、君は君のままでいいんだよ」と。

ライブのラストは<with a little help from my friends>でした。
ビートルズの曲の中でも、僕が大好きな曲です。
この曲の中で、リンゴは何度も
「みんなの力をちょっとずつ集めれば、全てはきっとうまくいくさ」と歌うのです。
僕は泣きながら、「サンキュー、リンゴ。サンキュー」と何度も呟きました。
リンゴはやっぱり、
僕の愛する神様でした。




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村八分 『ライブ+1』

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こんなかっこいいバンドが
40年前の日本にもいたんだ


ステージにメンバーが登場し、観客はそれを拍手で出迎える。
ライブ前のざわざわとした喧騒。
と、そこへいきなり客席から怒号が飛び、女性の悲鳴が響く。
それに対し、メンバーの誰かがマイクで「うるせえ!!」と怒鳴る。
続いてボーカルが「文句があるんだったらここ来たら?」と挑発する。
白けた雰囲気が広がる客席。
そんな中で、つんざくようなギターのリフがイントロを刻み始める――。

なんとも剣呑な雰囲気で始まるこのライブアルバムが、
村八分の『ライブ+1』です。

1960年代の終わりから70年代前半にかけて活動した、
日本のロックバンドの中でおそらく最古の部類に入るであろう伝説のバンド、村八分。
その短い活動期間で残した公式盤は、
1973年に京都大学で行われたライブを収録した、『ライブ』というライブ盤1枚のみ。
2001年、この『ライブ』がリマスターされ、
さらに未発表音源を1曲加えた『ライブ+1』として再リリースされました。

村八分」。もうバンド名からしてたまりません。
アンダーグラウンド感がたっぷりの、
これ以上ないというくらい「ロック!」なバンド名です。

前述のように、村八分はほとんどスタジオ音源を残しませんでした。
彼らはひたすらライブで演奏することを重視していたのです。
音はパッケージするものではなく、体験するものだと考えていたのでしょうか。
そうした刹那的で熱情的なメンタリティを持っていたからこそ、
バンドが短命で終わるのは、ある意味必然だったのかもしれません。
しかし、だからこそ彼らの残した音楽には、
「ながら聴き」など許さない、圧倒的な迫力があります。

バンドの中心は、柴田和志(ボーカル)と山口冨士夫(ギター)。
この2人が大ファンだったというストーンズの影響を強く受けつつも、
村八分はさらに荒々しく乱雑で、
数年後のパンクロックの登場を予言しているかのようです。
特に柴田和志(通称チャー坊)の、まるで呪詛のようなシャウトは強烈です。
ジョン・ライドンはチャー坊の歌い方を真似してるのではないかと勘ぐりたくなります。
しかもチャー坊は、その「歌」というよりも「叫び」に近い声で、
「かたわ」「めくら」「びっこ」といった言葉を矢継ぎ早に畳みかけます。

山口冨士夫の、力でねじ伏せるようなソリッドなギターリフと、
それにねっとりと絡みつく、切羽詰ったチャー坊の「叫び」。
まるで、巨大な蛇が地面を激しくのたうち回っているかのような怨嗟的サウンドは、
聴く者の心を強烈な緊迫感の渦に叩き込みます。
さまざまなアーティストが村八分をカバーしましたが、
そのどれもがオリジナルに決定的に及ばないのは、
この「何かに取り憑かれたような切迫感」が、
彼ら以外には作り出せないからでしょう。
いえ、仮にオリジナルメンバーが再結成をしたとしても、
この『ライブ+1』の空気は再現不能かもしれません。
「今、この瞬間」を切り取っているという意味では、
これ以上の「ライブアルバム」はなかなか見つからないと思います。

こんなかっこいいバンドが、
40年も前の日本にいたなんて。
そんな、なんとも誇らしい気分にしてくれる1枚です。

<夢うつつ>







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the pillows 『LOSTMAN GO TO BUDOKAN』

lostman budokan






「もうひとりじゃない」
君はそう歌った


このブログでたびたび紹介してきた邦ロックバンド、ピロウズ。『Please Mr. Lostman』でも書いたように、
彼らは結成20周年の記念日である2009年9月16日に、初の日本武道館ワンマン・ライヴを行った。
その模様を完全収録したのが、先週リリースされたこのライヴDVD『LOSTMAN GO TO BUDOKAN』である。

あろうことか、僕はこの日のチケットを逃してしまったので(発売後10分で完売したらしい)、
このDVDがリリースされると聞いたときは、嬉しいというよりもまずホッとしてしまった。
というわけで、4ヶ月遅れとなってしまったが、
なんとか僕も無事にピロウズの歴史的一夜を目撃できたのである。

この日ピロウズが演奏したのは全部で28曲。
人気の楽曲が目白押しなのはもちろんだが、
<90’s MY LIFE>や<ぼくはかけら>といった昔の曲がチョイスされているのも
アニバーサリー・ライヴならでは。
アンコールはトリプルまでかかり、総収録時間は140分にまで及んでいる。
04年にSHIBUYA-AXで行われた15周年ライヴも相当長かったが、
今回はそれをさらに上回るボリュームだ。特別な節目に相応しい質と量を誇っている。

だが、ライヴそのものはというと(もちろん画面を通しての印象だが)、なんだか静かな雰囲気に包まれていた。
メンバーは淡々と演奏し、オーディエンスはそれをじっくり丹念に聴く、という具合で、
会場全体の呼吸はいつものライヴよりもむしろ落ち着いているように見える。
さぞかしお祭騒ぎ的ライヴだったのだろうと予想していた僕は拍子抜けしたのだが、
やがてライヴが進むうちに、この一見クールな空気こそが、「ピロウズの20周年」なのだと思うようになった。

昔も今も、ピロウズはいつも“勇気”を歌ってきた。
だがその勇気とは、「いつも隣には僕がいるよ」というような明快な応援メッセージとしてではなく、
ボーカル山中さわお個人の呟き、あるいは叫びとして表現されてきた。
自分たちの音楽に対する絶対の自信と、望むような評価が得られないという現実。
そのはざ間で山中は自分に言い聞かせるようにして決意を語ってきたのだった。
それは、孤立することを恐れない勇気であり、周囲に馴染めない自分を恥じない勇気だった。

ピロウズを聴くということはつまり、山中のパーソナリティーに触れるということなのである。
それゆえ、聴く者を選んでしまう音楽でもある。
曲が耳に引っ掛かるのを待つのではなく、リスナーの方から積極的に歩み寄らねば、
ピロウズの音楽は耳を通り過ぎるだけで終わってしまう。
だが、ひとたび彼のパーソナルを受け入れることができれば、
そこで歌われている勇気は自分自身のものとして、深く深く心の奥に根付くのである。
ピロウズのファンになるということは、彼らの歌が“自分の歌”になることなのだ。

樹木が少しずつ年輪を重ね幹を太くするようにして、ゆっくりと理解者の輪を広げていく。
それがピロウズの20年だった。
そしてその目に見えない輪が、これまでになく大きく広がったことを証明したのが、
武道館という場所だったのである。
僕がピロウズを聴き始めたのは10年前だったが、その当時彼らがいつか武道館に立つことなど、
ファンであっても誰一人として予想してはいなかったと思う。
武道館はそれくらい象徴的な出来事なのだ。

だが会場の奇妙な静けさは、単なる目標達成の感慨深さによるものではない。
あの日、1万人のファンは、ピロウズの歌のなかに新しい、
そしてこれまでよりもちょっとだけ前向きな勇気を見つけたのである。
その感動が静けさを生んだのだ。
武道館のステージでピロウズが歌ったのは、「僕はひとりじゃない」という勇気である。







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THE WHO 『LIVE AT LEEDS』

live at leeds





彼らが一番輝くのは
ライヴ・ステージの上


約1年ぶりの登場、ザ・フーです。

前回『マイ・ジェネレイション』『セル・アウト』を紹介したときにも書いたけど、
このフーというバンドのおもしろさは、
レコーディングではスタジオに籠もりあらん限りの音楽的アイディアを実験する
マッド・サイエンティストばりの“オタク”な面を見せ、
片やライヴになると、聴覚が狂うほどの大爆音を放ち、
(かつてギネスに「もっとも大きな音を出すバンド」として認定されたこともある)
機材を片っ端から破壊してしまう超肉体系に打って変わるという、この極端な触れ幅にある。

だがフー自身がどちらを本当の自分たちだと考えていたかというと、
少なくとも70年代初頭まではライヴであった。
キース・ムーン(ドラム)は
「最高のレコードを作るのではなく、最高のライヴをやって、それをレコードに詰め込むんだ」
と語っている。
実際、ライヴから彼らは人気を広げていったのであり、
あの圧倒的なパフォーマンスはフーというバンドのパブリック・イメージを作った。

そのフーのすさまじいライヴを録音したのが、この『ライヴ・アット・リーズ』
彼らが残した唯一のライヴ盤というだけでなく、
ロックのライヴ・アルバムの歴史のなかでもとりわけ評価の高い1枚である。

収録日時は1970年2月14日。
場所は英ウェスト・ヨークシャー州にあるリーズ大学。
大学というアカデミックな場所で、フーという大物の、
それもお世辞にも行儀が良いとはいえないバンドがライヴをしたなどとは妙なことに感じるが、
欧米では珍しいことではないようだ(リーズ大学では翌71年にローリング・ストーンズもライヴを行っている)。
写真を見るとかなり小規模な会場だったようで、その環境のせいか、録音状態が非常によく、
40年前という遠さを感じさせない。

選曲も非常に良い。
発売当初の収録曲はわずか6曲のみだったのだが、
95年にリリースされた「25周年エディション」では、新たに9曲が追加収録された。
カバー曲が中心だったオリジナル版よりも、オリジナルのヒット曲が増えたことで、
ベスト盤と呼んでもいいような内容になっている。
合計時間も70分超という大ボリュームになった。

あえて難を言えば、演奏のテンションが高すぎて、70分丸まる聴くと疲れる、ということだろうか。
とにかく圧倒的な音の圧力である。これ本当に3人だけで演奏しているのか?と思う。
ピート・タウンゼント(ギター)もジョン・エントウィッスル(ベース)も激しくエネルギッシュだし、
キースにいたっては、スタジオ盤とは比べ物にならないほど荒れ狂っている。

だが、それぞれがインプロを繰り広げているように見えて、その実一定の範囲を超えてバラけることがなく、
むしろ全体的にタイトな印象を持つのが不思議。
このしたたかさはいかにもフーらしい。
バカはバカでも、ただのバカじゃないのである。
セカンドに収録された、8分を超える大作<クイック・ワン>を、ステージ上で再現しているのもすごい。

ライヴ・アルバムというのは、本来生で体感すべきものを半ば強引に音源化したもので、
所詮は企画モノの一種であり、マニア向けのアイテムである。
だがこのフーというバンドは、スタジオよりもステージの方が演奏がキレるという稀有なバンドだ。
こと彼らに関しては、ライヴ盤であってもスタジオ盤と同等の、あるいはそれ以上の価値を持ってしまうのだ。

フーはリーズ大学以外でも、モンタレー・ポップ・フェスティバルウッドストックワイト島フェスティバルなど、
あちこちで強烈なライヴを残している。
特にワイト島フェスティバルでのライヴは映像化されており入手可能だ。
現在僕がもっとも欲しいDVDの1枚である。


リーズ大学でのライヴの映像は残っていないようなので、かわりにワイト島フェスティバルの映像から2曲。
<Heaven And Hell>


<PINBALL WIZARD>(邦題:ピンボールの魔術師)







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