週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

ストーンズ

The Rolling Stones 『Aftermath』

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「ストーンズのリズム」は
ここから生まれた


ストーンズ熱、まだまだ続いています。
今回の来日公演を見て強く感じたのは、
ストーンズはやはり「リズム」のグループだということ。
音がステージからではなく、地面の底から突き上げるよう鳴り、思わず腰が動いてしまう感覚。
耳で聴くのではなく身体全体で音楽を聴いているようなあの感覚は、
ストーンズならではのものだなあと感じました。
(特に<Midnight Rambler>はドームが回転しているかのようで本当に凄かった!)
昨年、同じ東京ドームで聴いたポール・マッカートニーのライヴが、
みんなで一緒に歌う「Sing Along」なものだったので、とても対照的だなあと思いました。
(このあたりがビートルズとストーンズの本質的な違いですね)。

以前、ストーンズのファーストアルバムを紹介したときにも書いたように、
彼らはアメリカの黒人のブルースやロックンロールをストイックに追求するバンドとしてキャリアを始めました。
このことが、ストーンズがリズムやノリといったものに対する鋭敏な感覚を育てたのでしょう。
しかし、彼らが作り上げた「ストーンズのリズム」というものは、決して黒人のノリそのものではありません。
より民族的というか土俗的というか、酒場的というかディスコ的というか、
とにかくもっとハイブリッドなもの、つまりは黒人でも白人でもない「ストーンズ的」としか言いようのないものです。
この、他者が到底真似のできない圧倒的オリジナルな「武器」を手にしたからこそ、
彼らは何十年にもわたって人気を獲得できたのだろうと思います。
そして、ストーンズが「ストーンズのリズム」を獲得するのに非常に大きな役割を果たしたのが、
チャーリー・ワッツ(Dr)と脱退したビル・ワイマン(Ba)、
そして亡くなった初代リーダー、ブライアン・ジョーンズ(Gt)でした。

生で見たチャーリーのドラムは本当に素晴らしかったです。
キースとロンという、年々勝手気ままになっていく2人のギタリストを抱えながら曲が成り立っているのは、
ひとえにチャーリーのドラムが支えているからだということが、よく分かりました。
あの柔和な風貌とあいまって、チャーリーはバンドを包む巨大な「風呂敷」のようでした。
同じような感想を見かけたことはないのですが、
僕にはチャーリーのドラムは「ドダダダッ」と地を這うような音に聴こえます。
しかも、単に重いというのではなく、むしろ軽い。
なのにそれが地面スレスレを進んでいるように聴こえるのがなんとも不思議です。
元々は(というか今も)ジャズドラマーという珍しい出自が関係しているのか、
ファンキーでもなければブリティッシュ・ビートというわけでもないというチャーリーのドラムが、
バンドに与えた影響は大きかったはずです。

ビル・ワイマンの存在感がいかに大きかったかは、
彼の脱退前と後の音源やライヴを聴き比べると分かります。
「ここだ」と指して説明できないのですが、何かが絶対に違う。
なんかこう、「バンド」っぽさが決定的に欠けてしまった気がします。
何かの本で読んだのですが、かのボブ・ディランも、
「ストーンズはビル・ワイマンが抜けてつまらなくなった」というような発言をしていたそうです。
彼の脱退後はダリル・ジョーンズという黒人のベーシストがずっとストーンズのサポートについていますが、
個人的にはビルよりも圧倒的にファンキーなダリルが加入したことで、
「黒でも白でもない」というストーンズのバランスが崩れてしまったように感じます。
テクニシャン!という感じではないのですが、ビル独特の「ネバ〜ッ」としたベースの音は、
やはりストーンズが独自のリズムを作り上げていく上での大きな要素だったと思います。

話はいったん脱線するのですが、ストーンズが1966年にリリースした、
『Aftermath』というアルバムがあります。
僕、ストーンズのアルバムの中でこの作品が一番好きなんですよねえ。
確かに、『Beggars Banquet』(68年)や『Let It Bleed』(69年)、『Sticky Fingers』(71年)といった
一般的にも評価の高い作品と比べると、確かに『Aftermath』は一段落ちます。
初めての全曲オリジナルというせいか、微妙な曲もあるし、全体的に「こなれて」いません。

しかし、冒頭から書いてきた「ストーンズのリズム」の出発点は、
このアルバムにあるんじゃないかと僕は思います。
<Mother’s Little Helper>や<Out Of Time>といった曲に見られるヘロヘロ感やダークでバラけた感じは、
それ以前のストーンズにはなかったものです。
これらの曲にははっきりとオリジナルなフィーリングがあり、
それはそのまま<Happy>や<Gimme Shelter>といった後年の代表曲に直線で繋がります。

そして、同時にこの作品には、「何かを掴みかけたんだけどまだ完ぺきじゃない」という荒削りなところを、
勢いでカバーしてしまおうという熱さがあるのです。
つまり初期の若さと後期のオリジナリティの両方が混ざっているという、分水嶺的なアルバムだと思うのです。
そこが、60年代終盤から70年代前半にかけてのストーンズ黄金期の名盤にはない、
『Aftermath』だけの魅力です。

このアルバムで1曲選べと言えば、間違いなく<Under My Thumb>です。
僕、ストーンズで一番かっこいいのはこの曲だと思います。
全体にピンと張りつめた緊張感。なのに漂ってくる悲哀。素晴らしいです。
そして、この曲を名曲足らしめているマリンバの音を弾いているのが、
他でもないブライアン・ジョーンズです。

彼が「ブルース」というストーンズの出発点を作った人物であることは以前書いた通りですが、
さらに彼はシタールをはじめとする「非バンド楽器」を持ち込んで、
実際にそれをプレイしてみせるというマルチプレーヤー的、アレンジャー的な役割を果たしました。
一体どこから「マリンバ」なんていう楽器を思いついたのでしょうか。
もし<Under My Thumb>にあの哀しげなマリンバの音が欠けていたなら、
この曲はこんなにも胸を打つことはなかったでしょう。
(実際、マリンバ抜きでこの曲を演奏する映像を見たことがありますが、似て非なるものでした)
ブライアンの既存の枠に捉われない楽器選びのセンスやアレンジの発想は、
後にバンドが<無情の世界>や<悪魔を憐れむ歌>といったスケールの大きな楽曲を作る上で、
間違いなく影響を与えていたんじゃないかと思います。

ミック、キースというバンドの「顔」の2人に比べると、
地味な印象を与えるチャーリー、ビル、ブライアンですが、
しかし、彼らのライヴを見て感じたことは、この3人の存在感でした。
特にステージにいないはずのビルとブライアンを感じたというのは、
「52年」という彼らのキャリアの重みなのかもしれません。


<Under My Thumb>
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The Rolling Stones 「14 On Fire Japan Tour」

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「永遠の不良少年」を貫く
崇高なプロフェッショナル精神


ビートルズの話の後にストーンズというのは節操がないようですが、仕方ない。
8年ぶりの来日公演「14 On Fire Japan Tour」を見てきたのですから!

初めて見るストーンズのライブは、「圧倒的」の一言でした。
何万人もの観客を汗だくになるほど煽り踊らせる、ミック・ジャガーのパフォーマンス。
ストーンズの代名詞である、のたうつようなグルーヴとキレ味鋭い演奏。
キラー・チューンの嵐のようなセットリスト。
何より、平均年齢69.5歳ということを感じさせない、2時間ぶっ続けで放射されるあの熱量。

ああ、どう語ろうとしても月並みな言葉しか出てきません。
日本中が羽生結弦くんに萌えている中、
僕はミックとチャーリーという古希を迎えた2人のじいさんがじゃれ合う姿に激しく萌えました。
とにかくめちゃくちゃ楽しかった!

見終わった後に僕の頭の中に浮かんだキーワードは「KING」。
彼らがロックという音楽のオリジナルであり、
結成50年を経た今なおオンリーワンであることを納得するには、十分すぎるステージでした。
今でさえ圧倒的なのだから、60年代後半から70年代にかけての、
ストーンズが本当にヤバかった時代のライブは一体どんなだったのでしょうか。
僕なんかその場にいたら死んじゃうんじゃないかな。

よく言われていることですが、
ストーンズのライブというのはほぼパッケージ化されていて、
セットリストはほぼ固定されています。
ですから、世界のどの会場で見ようとも大きなズレはないはずです。
実際僕も、映像で何度もライブを見ているので、
アンコールで<Satisfaction>が始まった時は、「うおおお〜!」と叫ぶ一方で、
「あ、これで終わりなんだな」という合図として感じている自分がいました。

毎回ベストアルバム的なセットリストしか演奏しないのは、
リハーサル等の手間を減らすという合理的な理由もあるのかもしれませんが、
結局は「観客がそれを望むから」という理由が一番だろうと思います。
ただ、KISSのライブレポートでも書いたように、
「毎回同じことをやり続ける」というのは「毎回違うことをやり続ける」ということよりも、
実はしんどいことなんじゃないかと思います。
少なくとも僕がもし劇団で何十年も同じ演目をやれと言われたら、「無理!」と即答するはずです。
だって絶対にモチベーションが維持できないですもん。

同じ曲を、常に観客が満足するようなクオリティで演奏すること。
そのクオリティを保つためのコンディションをあの年齢でも維持し続けていること。
(70歳のミック・ジャガーはドームの端から端まで全力疾走してました)
何より、マンネリ化のリスクを負ってでも観客の希望に(愚直なほど)応えること。
今回の来日公演について、マスコミでは「永遠の不良少年健在!」などと書いていましたが、
僕が感じたのはむしろ「永遠の不良少年」であることを貫き通す、
彼らの「プロフェッショナル精神」の高さでした。


ストーンズの公式チャンネルに来日公演初日の映像がアップされていました。





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ストーンズよりもフーよりも「ワイルド」

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The Kinks
『singles collection』


「英国4大バンド」というのを知っていますか?
誰が言い出したのかわかりませんが、ロック関係の本やネットの記事で何度も見かけたことがあるので、
多分一般的なものなんだと思います。

肝心の4バンドは何か。
まずはビートルズ。次にローリング・ストーンズ。3つめがフー。
フーあたりになるとロックファン以外には怪しくなってきます。
ちなみにここまでの3バンドで「英国3大バンド」と括ることもあるそうです。

そして最後にくるのが、キンクスです。
順番からもわかるように、日本での知名度は残念ながら一番低い。
しかし楽曲の素晴らしさ、オリジナリティ、後進に与えた影響は他の3バンドに引けを取りません。
数々のトリビュートアルバムも作られていて、
日本でもコレクターズやチバユウスケが参加したアルバムが作られています。
僕の知り合いのイギリス人(僕と同年代)も「キンクスが一番好きだ」と言っていました。

キンクスの魅力は、ジャリッと砂を噛んだような、ワイルドなサウンドです。
彼らのデビュー曲は、リトル・リチャードの<Long Tall Sally>。
ビートルズのカバーが有名ですが、ビートルズ版と聞き比べると、キンクスのキャラクターがよくわかります。
ポール・マッカートニーのようにシャウトはせず、
ボーカルのレイ・デイヴィスはいかにも適当な感じで歌っています。
テンポもビートルズに比べるとだいぶ遅い。
まるで紙くずをゴミ箱に放り投げるような雑な感じがとてもクールです。

ストーンズやフーも相当にワイルドですが、
サウンドだけを見れば、僕はキンクスが一番不良っぽいと思います。
ウソかホントかわからない(ロックにありがちな)「伝説」ですが、
デビュー当時、キンクスはギターの音を歪ませるために、アンプをカミソリでズタズタに切り裂いたそうです。
アンプを切り裂くと本当に音が歪むのか、真偽はさておき、
確かに彼らのロックには、そういうジャリジャリっとした“苦さ”のようなものを感じます。

しかし、彼らの不思議なところは、
そういうデカダンス的なところがありながら、なぜか「品」があるところです。
彼らはキャリアの中期以降、相当に凝ったコンセプチュアルなアルバムばかりを作るようになります。
彼らは音楽的な探究心よりも、シュールな物語やペーソスをいかに音楽に盛り込むかという、
知的な好奇心に満ちたバンドでした。
ワイルドと書きましたが、彼らの場合はマッチョ的なそれではなく、
「毒」「風刺」といったクールなワイルドさです。
4大バンドの中で、僕ら日本人が持つ「イギリス人」というイメージに一番近いのがキンクスかもしれません。

キンクスはアルバム単位で見るとかなりムラがあるので、
最初に聞くならベスト盤から入るのがおすすめです。
中期以降のコンセプトアルバムを最初に聞くと、かなり面食らうかもしれません。
2008年、60年代のシングル曲を全部集めたベスト盤『singles collection』がリリースされました。
レイ・デイヴィス自身がプロデュースをしています。
キンクスの絶頂期の楽曲が20曲以上収録されているというかなりお得な一枚で、
僕はこのアルバムから入りました。


キンクスといえばこれ!
なぜスタジオにコックさんがいるのか(笑)
<You Really Got Me>


こちらも代名詞的な一曲
キンクスは本当にスーツが似合います
<All Day And All Of The Night>


60年代後半の代表曲
素晴らしいメロディセンスです
<Lola>

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THE ROLLING STONES 『ENGLAND’S NEWEST HIT MAKERS』

newest hitmakers






モンスター級超大型エンジンに
最初に火をつけた男


3年前の夏のこと。
僕はある映画を観に近所のシネマコンプレックスのレイトショーへ足を運んだ。
その日はお盆の真っ只中で、深夜にもかかわらず館内はかなり混雑していた。
だが、僕が観た映画だけは例外で、
200人はゆうに入れる客席に観客は僕を含めて5,6人しかいなかった。

映画のタイトルは『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男(原題:STONED)』。
ローリング・ストーンズのオリジナルメンバー、ブライアン・ジョーンズの生涯を描いた映画である。

ストーンズ関連の映画というと、昨年末にマーティン・スコセッシが監督した
ドキュメンタリーフィルム『Shine A Light』が公開されて話題になったが、
それに比べるとこの『ブライアン・ジョーンズ〜』はちっとも注目されずに、
本当にひっそりと公開されていたような印象がある。

確かに「ローリング・ストーンズ」と聞いて、
まずブライアン・ジョーンズの名前を挙げる人はほとんどいないだろう。
だが、ストーンズの音楽を腰を据えて聴こうと思ったら、ブライアン・ジョーンズは絶対に外せない存在だ。
最初期の60年代にストーンズのリーダーだったのはブライアン・ジョーンズであり、
そもそもストーンズというバンド自体が、
ブライアンがミック・ジャガーキース・リチャーズに出会って結成されたものだった。

ブライアンはスライドギターの名手で、ブルースハープもものすごく上手いし、
他にも鍵盤だろうがサックスだろうがパーカッションだろうが、
何でもかんでも演奏できてしまうという多才なミュージシャンだった。
彼のクリエイティビティが初期のストーンズを牽引していたのである。

だが音楽性の相違から次第にバンド内で孤立し、ドラッグに溺れ、やがてバンドを去ることになる。
そして脱退直後、自宅のプールで謎の死を遂げてしまう。27歳という若さだった。

今回紹介する『ENGLAND’S NEWEST HIT MAKERS』は、
1964年にリリースされた、ローリング・ストーンズの記念すべきファーストアルバム。
正確に言えば、これは本国イギリス盤の1ヵ月後にリリースされた米国盤で、
(タイトルにわざわざ「ENGLAND’S」と入っているのはそのため)
オリジナルとは収録曲が1曲だけ異なる。

当時のバンドのデビューアルバムというのは今とは事情が異なり、全曲オリジナルというケースは稀で、
数曲のカヴァー曲を織り交ぜて制作されるのが通例だった。
ビートルズでさえ、全曲オリジナルになるのは3枚目『A Hard Days Night』からである。
当時のリスナーもレコード会社も、どこの誰だかわからない新人バンドのオリジナル曲より、
一定の質を保証してくれるカヴァー曲を求めていたからなのかもしれない。

もちろんストーンズも例外ではない。
それどころか、このデビューアルバムは、全12曲中オリジナルはたった1曲だけ。
ほとんどが黒人R&Bのカヴァーで占められている。

ロック草創期のバンドたちは一様に黒人音楽に憧れて音楽を始めているが、
ストーンズが他のバンドに比べて際立っているのは、R&Bを白人好みのポップミュージックに消化せず、
ブラックなグルーヴそのものをストイックなまでに再現しようとしていたところにある。
そして、そんな初期ストーンズの精神をもっとも担っていたのがブライアン・ジョーンズだった。

彼は本当にブルースが好きだったみたいで、
白人に本場のブルースを知ってもらいたくてストーンズを結成したのだった。
ストーンズの初期のアルバムを聴いていると、スライドギターを弾きまくりブルースハープを吹きまくりと、
夢が叶った少年のように楽しそうに演奏している彼の姿が目に浮かぶ。

だが、白人がいくら黒人音楽を追求し、精度の高い演奏をしても、
所詮は「物真似」「コピー」のそしりを免れ得ない。
ストーンズはキャリアを積んでいくなかで、黒人音楽を解体し、
自分たちオリジナルのフォーマットへと再構築する必要があった。
やがてミックとキースはオリジナル曲を量産し始め、次第にこの2人がバンドのイニシアチブを取り始める。
反対にブライアンの存在感は徐々に薄まり、69年バンドを脱退。そして死を迎えるのである。

実のところこのデビューアルバムは、「ストーンズの1枚目」という以外には語るべきところは少ない。
カヴァー曲ばかりなのもあるが、全体に粗く、まとまりのようなものに欠けている。

だがこのアルバムを聴くことで、彼らが、才能だけで突っ走る天才集団ではなく、
黒人音楽と格闘し試行錯誤を繰り返しながら自らの音楽的センスを磨いてきた、
非常に泥臭い努力家たちであることがわかる。
そのタフネスがあるからこそ半世紀(!)近くもの間現役を貫き通していられるのかもしれない。
そして、この「ローリング・ストーンズ」という名の超大型エンジンを最初に設計し、火を点したのは、
今は亡きブライアン・ジョーンズだったのである。


<NOT FADE AWAY>他2曲を演奏するローリング・ストーンズ。ブルースハープを演奏しているのがブライアン・ジョーンズ

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