週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

ポール・マッカートニー

Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」

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中学生の男の子が
全曲完璧に歌ってたという事実


先週、「老いたロッカー」の話を書いた直後、
その代表格の一人のステージを生で見ることができました。
ポール・マッカートニーの「OUT THERE JAPAN TOUR 2015」です。

前回の同名ツアーから2年ぶり。
短いスパンで再来日を果たしたのは、
昨年、ポールにとっては日本初の野外ライブとなるはずだった、
解体前の国立競技場(大阪はヤンマースタジアム長居)公演を、
体調不良によって急きょキャンセルしてしまったことへのリベンジということなのでしょう。
(東京2日目、MCで「(すぐにまた来ると)ヤクソクシタネ。ユウゲンジッコウ(有言実行)!」と言ってました)

同じツアーということで、セットリストも演出も前回とほぼ同じ。
ですが、僕にとっての意味合いは前回と今回とで大きく異なります。

前回の来日公演は僕にとって初めて見る生のポールでした。
「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」の記事はこちら
ドームの3階席だったのでポールは豆粒にしか見えなかったのですが、
今、この場で、ポール本人が歌ってる」という事実が信じられなさ過ぎて、ほぼずっと泣いていました。

そして、その夜のステージがあまりに素晴らしすぎたので、
次の日に旅行代理店に飛び込み、
ビートルズの故郷である英国リバプールへの飛行機とホテルをその場で予約しました。
リバプール滞在レポートはこちら

あの日、ポールのライブを見なければ、
もしかしたらリバプールなんて一生行かなかったかもしれません。
そして、もしリバプールに行かなければ、
ビートルズとの付き合い方も今とはだいぶ違っていたと思います。
キャヴァーン・クラブやストロベリー・フィールズはもちろん、
メンバーの住んでた家や通ってた学校や生まれた病院にまで行ったことで、
彼らは僕の中で「友達」といってもいいくらいの距離にまでリアルな存在になりました。
ポール?知ってるよ。アイツはね…」みたいな。

それに、リバプール旅行は僕にとっては新婚旅行でもありました。
もし全く違う場所を旅行先に選んでいたら、妻との関係も今とは違っていたかもと思います。
このように、2013年のポールの公演は、
具体的かつ物理的なレベルで僕の人生を変えたのです。
だから、2年前に比べるとはるかに身近な存在として、ポールを見ることになりました。


今回、僕は東京ドーム3日間に全て足を運びました(武道館は仕事で泣く泣くあきらめました)。
初日(4/23)は序盤こそキーが辛そうで「大丈夫か?」と心配したものの、
(1曲目に<Magical Mystery Tour>なんていう喉に負担がかかりそうな曲を選ぶから…)
中盤以降は2年前よりもむしろ若々しくエネルギッシュな歌を聞かせてくれました。
2日目はアリーナの7列目というかなり前の席が取れたので、
ポールの表情までを肉眼で見ることができたので感激しました。

個人的にはビートルズ時代の曲よりもウイングスやソロの曲の方が良かったです。
特に『Band On The Run』に収録されている<Nineteen Hundred And Eighty-Five>は、
あのキレ味のあるピアノのリフに何度もゾクゾクしました。


また、最新作『NEW』収録の<Queenie Eye>もすごく良かったですねえ。
2年前にも聴いたはずなのに、今回は「え?こんな曲だったっけ?」と帰ってからCDを聴き直しました。


あ、それと一番新しい曲である<Hope For The Future>
iTunesでDLして聴いたときはイマイチだったのに、生で聴いたらめちゃくちゃ良かったです。


こうした新しい曲が古い曲に負けてないというのは、ポールのキャリアを考えると驚異的です。



確かに、総じて言えば、ポールのライブは基本的には「同窓会」です。
音楽的な斬新さがあるわけではないし、
ライブの空気は既に長年のファンとの間で共有され尽くしているものです。

しかし、そのような「甘さ」を差し引いても、
やっぱり「これらの曲の全部をこの人(とこの人のグループ)が作ったんだ」という
歴史的感動は間違いなくあります。
なんてったって、アンコールでフラッと出てきて、
ギター1本で無造作に歌い始めたのが<Yesterday>なんですから!

そして、たとえ「打率」は下がってしまったとしても、
<New>や<Queenie Eye>のようなかつてと比べても遜色のない曲を書いたり、
<Hope For The Future>のような新たなチャレンジ(ゲーム音楽)をしたりして、
それらをちゃんと最新のライブに含めるポールの姿勢に、僕は好感を持ちます。


初日のことなんですが、僕の斜め前に、兄弟と思しき2人の男の子がいました。
お兄ちゃんはせいぜい中学生、弟はもしかしたら小学生でした。
2人とも『Revolver』と『Yellow Submarine』のかっこいいTシャツを着てました。
横の席でユニオンジャックを掲げてた、いかにも年季の入ったファンの男性がおそらくお父さんなので、
きっとお父さんの影響で2人ともビートルズを聴いていたんだと思います。

とはいえ、2人はお父さんに連れられて嫌々ついてきたというわけではなく、
むしろ時にお父さん以上に歓声を上げるほど、ライブに夢中な様子でした。
2人ともほぼ全ての曲の歌詞を完璧に覚えていて、
<Golden Slumbers>なんていう渋い曲まで歌ってました(僕でさえ歌詞微妙なのに!)。

その光景は、「ポール・マッカートニー」という存在を端的に表しているように、
僕には思えました。







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Paul McCartney 「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」

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ビートルズも僕らの夢も
「The End」では終わらない


さて、何から話せばいいか……。

ポール・マッカートニーの11年ぶりとなる来日公演「OUT THERE JAPAN TOUR 2013」の、
東京ドーム公演2日目に参加してきました。
今年は1月にリンゴの来日公演も見たので、
1年間で生存している「ビートル」全員に会えたことになります。


これまで何度も書いてきましたが、
ビートルズは僕にとって「北極星」でした。
北天で微動だにしないその星が、船乗りにとって最も頼れる道しるべとなったように、
僕にはビートルズこそが音楽という世界を歩く上での地図であり、
そしてアートと自分の人生との間に橋を架けてくれた、最初の存在でした。
落ち込んだ時も、悲しみに身を焦がされそうな時も、
ビートルズの歌を聞けば、真っ暗に塞がっていく心の中にひと筋の光が射し込むようでした。
ビートルズを知らなかったら生きてはいない、
とまでは言わないまでも、
多分、今よりもずっとモノトーンな人生を送っていたんじゃないかと思います。

そんなビートルズ本人をこの目で見られる。
それだけでなく、歌をこの耳で直に聞くことができる。
それは大袈裟ではなく、僕にとっては革命的な出来事でした。

ましてやポールはビートルズのメインコンポーザー。
リンゴよりもさらにビートルズ時代の「持ち歌」を持っています。
ポールが目の前でこの曲を歌ってくれたら、あの曲を歌ってくれたら…。
僕は何日も前から想像だけでウルウルしていました。


1曲目は<Eight Days A Week>から始まりました。
正直、始まった瞬間はドキドキがピークに達していて、
ただ「ワーワー!」と叫んでいるだけでした。

その後、ソロ新作『NEW』の<Save Us>を挟んで<All My Loving>が始まった瞬間、
僕の涙腺は決壊しました。
大好きな歌だから一緒に歌いたかったのに、涙が止まらなくて歌えませんでした。
後はもう、泣き止んでは歌い、また忘れた頃に涙が溢れ、という繰り返しでした。

ポールが目の前でヘフナーのバイオリンベースを弾いている。弾きながら歌っている。
<I Saw Her Standing There>を、<Eleanor Rigby>を、<Lovely Rita>を歌っている。
それはもうなんというか、昔のマンガみたいにほっぺたをつねってみたくなるような、
まさに夢のような時間でした。


でも、トータルで感想を言えば、
「泣いた」「感動した」というよりも、
「楽しかった」という言葉の方が相応しい気がします。

ポールは御年71歳。
にもかかわらず、3時間近くほぼ休憩なしで、
それも初めの2時間は一滴もドリンクを飲まず、
さらには(多分)全て原曲と同じキーで歌い切ったのです。
ビートルズ時代だけでなく、ウイングス時代、ソロ時代、
そして新譜『NEW』の曲をバランスよく配置したセットリストや、
片言の日本語を交えながら一人ひとりに語りかけるようなMC。
彼のプロ精神、半世紀にわたって磨き上げられたショーマンシップには、
ビートルズを聞けたという感激は与えても、
過去を思い出して涙させるような湿っぽさはありません。
だから僕も、時折自分の中の思い入れによって泣くことはあっても、
それよりも「せっかくだからポールと一緒に歌おう!」「楽しもう!」と感じた瞬間の方が
圧倒的に多かったです。


もう一つ、僕が今回良かったなと感じたのは、
ポールの、「ビートルズとしての現在」が見られたことでした。
これまで僕はポールについて、
新譜をコンスタントに発表してあくまで現役ミュージシャンとして活動してはいるものの、
ことライブに関しては、「ビートルズの伝道師」という役割を受け入れ、
一種の懐メロバンドとしてステージに上がっていると思っていました。
(もちろん、だからこそ僕らはエンジョイできるわけですが)
それは世界で今やポールにしかできない役割だし、
ポールもそれを理解しているんだろうなあと思うものの、
精力的に新曲を作りつづける彼の旺盛なクリエイティビティと、
半世紀近く前の曲をプレイし続けることとを、
どう折り合いをつけているのだろうと思っていました。

その答えの一端を、僕は<Blackbird>を歌っている時に、なんとなく想像できた気がしました。
いくら若々しく見えるポールでも、
ギター一本で静かに歌うこの曲では年齢を隠すことはできません。
かつては伸びやかな歌声で歌っていたこの曲を、
ポールはしわがれた「おじいちゃん」の声で歌いました。

しかし、じゃあそれがダメかというと、そんなことはないのです。
むしろ、「今の」ポールの声だからこそ感じる何かがあります。
特にラストのリフレイン部分の歌詞は、
※「You were only waiting for this moment to arise.」
 (ただ立ち上がる時を待っていたんだ)

ホワイトアルバムのオリジナル版と印象がまるで違いました。
オリジナル版では、ポールはこの部分をわりと淡々と歌います。
そのため、「立ち上がる時」を待っていたのはポール以外の誰かで、
その誰かに向けた淡い優しさが前面に出ています。

しかし、今のポールのしわがれた声で歌うと、
「立ち上がる時」を待ち続けたのはポール自身であるように聞こえました。
待ち続け、待ち続け、いつしかこんなにも年を取ってしまった…。
そのような悲哀が漂い、オリジナル版とはまるで違う曲に聞こえたのです。
<Blackbird>ってこういう曲だったのか、という驚きと発見。
これはまさに、今のポールでなければ味わえなかったことです。

ポールはビートルズを「更新」していると僕は思いました。
ポールは決して「あの頃の再現」を目指しているのではなく、
あくまで「今の声で歌うビートルズ」をやろうとしているんだと思いました。
それは、「元ビートルズ」として単に懐メロをプレイするのとは微妙に異なります。
ポールが目指しているのは、いわば「今のビートルズ」なのです。
彼自身も、僕らファンとともに「もしビートルズが今でも活動していたら」という永遠の夢を、
追いかけているのかもしれません。


今回の公演で、一番嬉しかったのは(強いて挙げれば)、
最後の最後に演奏した<Golden Slumbers>〜<Carry That Weight>〜<The End>という、
ラストアルバム『Abbey Road』のエンディングを完全再現してくれたことでした。
ビートルズの歴史を締めくくったこのメドレーを、まさか生で聴けるとは思っていませんでした。

しかし、音楽評論家の中山康樹氏が、著書『ビートルズの謎』で述べているように、
「ビートルズ最後のアルバム『Abbey Road』は、<The End>という曲で“終わらない”」のです。
(その後に約20秒のラストトラック<Her Majesty>が入っているから)
ビートルズの歴史が<The End>で終わらないように、
今回のライヴでも、ポールはこの曲を演奏して舞台を去る際に、
なんと「マタ会イマショウ!」と言ってくれました。

本当に?
今回がきっと最後だと思ってたけど、
そんなこと言うと、信じて待っちゃうよ、ポール?


「OUT THERE TOUR」トレーラー映像







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「37年間」の孤独な戦い

Smile

Brian Wilson
『SMILE』


世の中には“天才”と呼ばれるミュージシャンが数多くいますが、
「作曲」というテーマに的を絞って言えば、
ポール・マッカートニーは間違いなくその筆頭に挙げられるでしょう。
他にも優れたメロディメーカーは何人もいますが、
ポールの才能というのはちょっと次元が違います。
おそらく彼がいなかったら、
その後のポップ・ロックシーンは今とはまったく違うものになっていたのではないでしょうか。
メロディメイクのノウハウやコード展開のバリエーションは、
ほとんど彼(ら)が発明したと言っても過言ではありません。
そういう意味では、ポールと他のミュージシャンとはそもそも比べられないとさえ思います。

しかし僕はあえてもう一人、ポールと同じくらい圧倒的な才能を持った作曲家を挙げたいと思います。
――ブライアン・ウィルソン。
以前『ペット・サウンズ』(1966)について書いたときに少し紹介しました。
ビーチボーイズの元リーダーにしてメイン・コンポーザー。
残念ながら知名度はポールに負けますが、作曲家としての才能は引けを取りません。

彼ら2人のメロディに共通しているのは、
“作られたもの”という痕跡が一切ないところです。
初めから決まっていたかのように宿命的な音階、
独創的でありながら作為を微塵も感じさせない和音の流れ。
あまりに自然なので、初めて聴く曲でもずっと前から知っていたかのような錯覚に陥ります。
「神様」という表現は安っぽいかもしれませんが、
僕は彼らのメロディに、そのような人の手の及ばない何かを感じます。

しかし、2人はタイプとしては全く異なります。
ポールは感覚的で、頭に浮かんだメロディをポンッと形にして終わり、みたいな
気分一発な(まさに天才肌な)ところがあります。
一方ブライアンは、陶芸家が焼き上げた皿を何枚も割りながら究極の一枚を作り上げるように、
徹底的に自分のイメージを追い求める頑固一徹な芸術家、といったところでしょうか。
ビートルズのコーラスがいかにも適当な感じでバラけている
(それが絶妙に合っているのがスゴイのですが)のに対し、
ビーチボーイズのコーラスが一分の狂いもなくピチッと整理されているあたりが、
2人のタイプの違いを物語っているように思えます。

ビーチボーイズの音楽的なピークは、
前述の『ペット・サウンズ』とシングル「グッド・バイブレーションズ」をリリースした1966年と言われています。
特に『ペット・サウンズ』は、ビートルズを『サージェント・ペパーズ』制作へと駆り立てる大きな契機ともなった、
ロック史における一つの記念碑的なアルバムです。
ちなみにブライアンはこの時弱冠24歳。いかに早熟だったかがわかります。

しかし、ポールの傍らにはジョンという強烈なライバルがいたのに対して、ブライアンは孤独でした。
楽曲の制作を一手に引き受け、レコーディングではプロデューサー的な役割まで背負っていました。
そのようなプレッシャーと、度重なるツアーの疲労から、
ブライアンは『ペット・サウンズ』を作る段階で既にかなり深刻に精神を病んでいました。
そのためビーチボーイズは、ブライアンとスタジオ・ミュージシャンによる「制作班」と、
他のメンバーによる「ツアー班」とに分かれて活動していました。
明るいパブリックイメージとは裏腹に、
ビーチボーイズの実態はかなり異様なものだったのです。

『ペット・サウンズ』をリリースしたブライアンは、すぐさま次のアルバムの制作に取りかかりました。
実際に何曲かはレコーディングも行われました。
タイトルも決まっていました。――『スマイル』。
それが新作のタイトルでした。
しかし、結局この『スマイル』がリリースされることはありませんでした。

原因はいくつかあるようですが、最大の理由はブライアンの精神状態が極度に悪化したからでした。
彼は重度のドラッグ中毒に冒され、肉体は160キロもの巨体に膨れ上がりました。
彼はスタジオワークからも離れ、廃人同様の生活に迷い込んでしまうのです。

しかし一方で、その“作られるはずだったアルバム”『スマイル』は世間の注目を集めました。
『ペット・サウンズ』の評価が上がるにつれて、
リスナーは「ビーチボーイズ(ブライアン)は次に一体どんなアルバムを作ろうとしていたのか」と
想像を膨らませました。
また、次作に収録予定だった曲の一部が、シングルや海賊盤で出回り、
しかもそれらのレベルがとても高かったことから、
「もし『スマイル』が予定通り出来上がっていたら、一体どれほどの完成度だったのだろう」と
ファンの期待を煽りました。

とはいえ、ブライアンは依然として出口の見えない療養生活を送っており、
バンドもメンバーの死などがあって、70年代の終わりには実質的には解散状態になりました。
こうして『スマイル』は、「ロック史上もっとも有名な未発表アルバム」と呼ばれ、
伝説の一部になったのでした。

・・・ところが、なんと2004年、幻だったはずのアルバム『スマイル』は、現実のものとなるのです。
ブライアンは懸命にリハビリをし、ビーチボーイズを離れ、80年代から細々と音楽活動を再開していました。
そして、当初の予定から37年(!)遅れて、
彼は自らの人生に深く刺さった楔である『スマイル』を完成させたのです。

このことは僕に2つのことを考えさせました。
一つは、伝説は「伝説」であるから良い、ということ。
幻であるからこそ、僕らはその空白を想像力で埋めることができます。
伝説が「伝説」である限り、イメージはどこまでも膨らませることができます。
リスナーとしての勝手な立場から言えば、伝説が現実になった瞬間に、
その際限のない空想は終わってしまうのです。
そして、さらに言ってしまえば、
伝説や幻や「実現不可能」といったものごとが、いざ本当に目の前に現れると、
往々にしてガッカリしてしまうものです。
再結成したバンドのほとんどが、当時の熱さを失ってしまっているように。

この『スマイル』を最初に聴いたときも、軽い失望感があったのは事実です。
個々の楽曲は素晴らしいです。
ブライアンの中に眠る泉は、60歳を超えてもなお枯れてはいないと思いました。
しかし、やはり“僕のイメージしていた『スマイル』”には及ばないのです。
現実の『スマイル』は、僕が想像していたよりもやや冗長気味で、
メロディの美しさは相変わらずな反面、トータルで見るとどこかダイナミズムに欠けていました。
もっとも『ペット・サウンズ』を最初に聴いたときも「なんだこれは?」と思ったので、
今後『スマイル』に対する印象も変化する可能性はありますが。
いずれにせよ、『スマイル』の完成は、ある種の「夢の終わり」ではあったのです。

僕が考えたもう一つのこととは、
ブライアンが『スマイル』を完成させたという事実そのものに対する素直な感動です。
ファンが期待していること。そして『スマイル』を作り上げることで、
逆にその期待を裏切る結果になるかもしれないこと。
すべてブライアンはわかっていたと思います。
それでも彼は挑戦し、作った。そのこと自体がとても感動的です。

下に、ライブの映像を載せてありますが、
それを見てもわかるように、彼はずっとキーボードの前に座ったままです。
他のライブでも、彼が立って歌うことはまずありません。
村上春樹も(彼は筋金入りのビーチボーイズ・マニアです)以前どこかで書いていましたが、
おそらくブライアンの肉体にはかつてのダメージが残っていて、
もはや思うようには動かせないのではないかと思います。
また、ボーカルにしても、彼のトレードマークであったハイトーンがもう出ないんですね。
高音はすぐにかすれてしまう。張りもありません。

そういった“みっともない姿”を晒すことがわかっていながらも、なお自分自身と向き合い、
因縁深い『スマイル』と決着をつけようとするブライアンの姿には、
音楽的なレベルを超えたところで、心を揺さぶられます。
彼は40年近くもずっと戦い続けていたのです。
そしてなおも前へ進もうとしているのです。
完成したアルバム『スマイル』は、一つの夢を終わらせたかわりに、
より大きな何かを僕らに語りかけてくれます。


※つい先日、こんなニュースが発表されました
「元ビーチ・ボーイズ、ブライアン・ウィルソンの半生が映画化」
(映画.com)



 
ライヴ映像。アルバム『スマイル』はこの曲で幕を開けます。
<Heroes And Villains>


同じライヴだと思われます。僕はブライアンの曲のなかでこの曲が一番好きかもしれません。
<Surf’s Up>









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