週刊「歴史とロック」

歴史と音楽、たまに本やランニングのことなど。

新作

スピッツ 『小さな生き物』

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「ライト」と「カルト」の
境界線を飛び越えて


「やっぱり」と言うべきか、
「相変わらず」と言うべきか、
とにもかくにも、今回も良いアルバムです。

2010年『とげまる』以来3年ぶりとなる、
スピッツ通算14作目のアルバム『小さな生き物』がリリースされました。

1曲目<未来コオロギ>から漂う「名盤」感。
アルバム出るたびに思いますが、本当にこの人たちの楽曲は質が高い。
「ベストアルバムか!」と言いたくなるような、スペシャルな風格に満ちています。

また、このバンドのすごいところは、
どの楽曲においても自分たちのカラーというか、
「ああ、スピッツだな」と感じる空気を刻印し続けていることだと思います。
ある意味愚直に。ある意味確信犯的に。
デビュー以来20年以上経ってもクリエイティビティが全くブレないバンドというのは、なかなかいません。
ラモーンズに対してファンが愛をこめて贈る「偉大なる金太郎飴」という称号を、
(バンドのタイプはだいぶ違いますが)僕はスピッツにも贈りたいです。

一つひとつの楽曲のレベルの高さはいつもと同じながらも、
個人的には前作『とげまる』よりも、今回の『小さな生き物』の方が好きです。
理由はアルバムのサイズ感。
全15曲・収録時間約1時間、しかも半分近くがタイアップ曲という『とげまる』は、
その豪華さゆえに、聴いていて途中で「お腹いっぱい」になってしまうアルバムでした。
例えて言えば、前菜もスープもなくメインディッシュがひたすら出てくる感じ。

それに対して今作『小さな生き物』は、全13曲といつものサイズに絞られ、
また、収録曲の中にアルバムだからこそできる「変わった曲」「遊んだ曲」が含まれたことで、
作品がいい意味で軽くなったと思います。
7曲目<野生のポルカ>や9曲目<エンドロールには早すぎる>などは、
まさにそうした“抜け”の曲で、作品のアクセントになっています。
特に<野生のポルカ>はすごく面白い曲ですね。
(フラワーカンパニーズが参加しているらしいのですが、コーラスの部分でしょうか?)


スピッツというバンドは、普段音楽をあまり聴かないライトなリスナーにも波及性を持ちつつ、
純然たるロックバンドとしての「とがり」も失わないという、極めて稀有なバンドだと思います。
スピッツの楽曲は一見するとどれも可愛らしくソフトな雰囲気をまとっていますが、
草野マサムネの歌詞はよくよく聴いていると、ずっと何かへ向かう「意志」を歌っているし、
サウンド面においても、例えば崎山龍男のドラムは時に重く、時にファンキーに、
紛れもないロックバンドとしての響きを持っています。
だから、パンクやハードロックを聴いた直後でも、
スピッツは同じ文脈で聴くことができる。

特にマサムネの歌詞というのは曲によっては相当シュールだし、
時には皮肉屋っぽい毒が含まれていたりもするから、
僕なんかはずっと、スピッツは本当はカルト的な存在のバンドなんだと見てきました。
(こないだ最新のインタビュー見たら、マサムネ自身がまさに
 「一見ファンタジーなんだけど、どこかに『毒』を混ぜたい」と語っていました)
女子高生も子持ちの夫婦も、老若男女が揃ってカルトバンドを聴いているという光景は、
なんだかとてもワクワクするものがあります。

この人たち、もう40代半ばですけど、これからどうなるんですかねえ。
還暦過ぎても<ヒバリのこころ>とか<シロクマ>とか歌ってたら、
それこそ未だ誰も見たことのない地平を開くんじゃないかと期待しています。


<小さな生き物>







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The Strokes 『Comedown Machine』

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過渡期があぶりだした
彼らだけの「ダサかっこよさ」


米ロックバンド、ストロークスの新アルバム
『Comedown Machine』が3月にリリースされました。

ストロークスがデビューアルバム『Is This It?』(2000年)と、続く2枚目『Room On Fire』(03年)で、
アメリカのみならず世界のロックシーンの趨勢を、
「メロコア、ミクスチャー、でなければアンビエント」から
一気に古典的ギターロックに切り替えてしまったのは、もう10年以上前のこと。
その後、2000年代を通じて数々のフォロワーバンドが現れる中で、
ストロークス自身は3枚目『First Impression of Earth』(06年)で
それまで築き上げてきた音楽性を大きく脱皮しようとする、変化の兆しを見せました。
ところが、5年という長い期間を経て制作された4枚目『Angles』(11年)では、その変化はまだ結実せず、
それどころか、過渡期の混乱をそのまま露呈するような作品になってしまいました。

そして、5枚目となる今回の『Comedown Machine』。
不調に終わった前作の汚名をそそぎたいという意志の表れなのか、
わずか2年という(このバンドにしては)短い制作期間を経ての新作リリースとなりました。

で、結果はどうだったのか。
結論としては、前作『Angles』よりも、着実に変化は形になってきています。
前作が、新たなタイプの曲と古いタイプの曲とが混在し、
どこを目指しているのかわからない作品になってしまったことと比べれば、
今作は、進化の目的地をしっかりと見据え、そこに向かって足を運んでいるような、
力のある前進感があります。

ただ、前進しているといっても、それはあくまで「前作に比べて」という上でのこと。
着陸地点は見えてはいるものの、まだ彼らは放物線を描いている途中のようです。
曲の強度も、『Angles』に比べれば格段に復活していますが、
最盛期の彼らのクリエイティビティからすれば、まだまだ足りません。
スケッチ段階のものを強引にパッケージしようとして、手数だけを増やしている。
そんな粗さが全体的に目立ちます。

唯一、曲として十分なフックを持つ2曲目<All The Time>が、
アルバムの中でただ1曲だけ「以前のストロークス」であることがなんともアイロニカルです。
この曲をリードトラックにしているところから予想するに、
多分、アルバムとしての完成度を少しでも補強しようとして、
「着実に点を稼げる」<All The Time>を収録したんだと思いますが、
僕としては、アルバムの完成度を捨ててでも、
<One Way Trigger>や<Welcome To Japan>のような、
「どうしちゃったのストロークス?!」と突っ込みたくなる曲を増やしてほしかったですね。



今作を聴いていてとても興味深かったのは、
過渡期にあることで、
逆に、「ストロークスの根っこ」とも言うべき、
彼らの不変のオリジナリティがあぶり出されたことです。

それは、何なのか。
多分、普通に言うなら「ポップネス」という言葉になるのでしょうが、
僕としてはあえて「ダサかっこよさ」と呼びたいと思います。
「一見ダサい。なのに、かっこよく思える」

前述の<One Way Trigger>の「Take On Me」(a-ha)みたいなリフとか、
<Tap Out>のクインシー・ジョーンズみたいなイントロとか、
時代錯誤感が満載なのに、僕にはなぜかそれがかっこよく感じられます。
ああいう打ち込みっぽい感じはかつてのストロークスには全く見られなかったのに、
むしろそこを聴いて「ああ、ストロークスだなあ」と感じてしまう、不思議な矛盾。

でも、よくよく思い返してみれば、
<Take It Or Leave It>や<12:51>、<The End Has No End>など、
それまでだったら「ダサい」「古い」と思われたかもしれないメロディやギターリフを、
オセロゲームのように一気に「かっこいいもの」に反転させてきたのがストロークスでした。
別のバンドなら「ダサい」へ踏み外してしまうであろうラインを、
彼らは軽々と踏み越えて、それを「今の音」にしてしまう。
ギターロックから大きく変化を遂げようとしている今もなお、
彼らの抜群のセンスは健在なんだと感じます。

僕らの慣れ親しんだストロークスはもう姿を消してしまった。
でも、ストロークスの「魂なるもの」は消えていない。
そこが今作を聴いての一番の感動でした。


こちらが「いわゆるストロークス」の<All The Time>


そしてこっちが<One Way Trigger>







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『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 村上春樹 (文藝春秋)

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君の感じた気持ちは
幻なんかじゃない


村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を早速読みました。
これから読む人もいると思うので、
できるだけネタバレはしないように、なるべく感想だけを書こうと思います。

僕は今回の作品、かなり好きだと思います。
「思います」と中途半端な物言いなのは、
読み終えて間もないので、読後の余韻にどっぷり浸っていて、
まだ冷静ではないから。
でも、今回の余韻はしばらく残りそうです。
それは、中編サイズの、決して長いとは言えない物語にも関わらず、
読んでいる間に次から次へといろんな感情が奔流となって出てきたからです。
村上春樹の本はいつも似たような心地になるのですが、
今回は特にそれが強かったように感じました。
「余韻の量」だけを比較すれば、
僕は前作『1Q84』よりも今回の『色彩を持たない〜』の方が多(強)かったかもしれません。
(もちろん、読んだばかりというバイアスはかかっていますが)

ネットなどでいろんな感想を見ていると、
今回は「わかりやすかった」と感じている人が多いようです。
そのことに、長年のファンの中にはある種のさみしさを感じた人もいるようです。
確かに、『1Q84』や『ねじまき鳥』などの長編のように、
ラストに向かうにつれて、物語が収束するよりもむしろ加速し、
異次元に向かって拡散するようにして終わる作品と比べれば、
今回の『色彩を持たない〜』は物語がしっかりと着地するような感覚があり、
しかもその着地点も比較的輪郭がとらえやすかったと思います。

しかし、そんなこととは関係なく、
僕は読んでいる最中も読み終えた後も、いろんな感情が渦巻くのを感じました。
中でも思い出されたのが、僕が20代の、まだ前半頃のこと。
物語の冒頭で主人公多崎つくるが過去の出来事を回想するのに呼応するかのようにして、
僕自身が当時抱えていた人間関係とか不安で退廃的な気持ちとかが、
泡のように意識の水面に浮かんできました。

普段は忘れている(忘れようと努めている)、
けれど今の自分を作る重要な要素であるヒリヒリした気持ちが、
ボロボロと掘り起こされていくような感覚。
こういう、「感情の棚卸」のような感覚は、
村上春樹を読むと必ずと言っていいほど味わえる感覚です。
(過去記事:『1Q84』村上春樹
特に今回の『色彩を持たない〜』は作品の世界が小さく、身近だったことで、
「棚卸」の感覚がむしろ強まったのかもしれません。
(同じく舞台が身近な『アフターダーク』も、特に好きな一冊に挙げられます)
その意味で、この先、読後の余韻が消えた後でも、
この作品は僕にとって「最も親密な一冊」として残るでしょう。



棚卸ということでいえば、今回の物語そのものが、
それと近いテーマを抱えています。

「記憶に蓋をすることはできる。でも歴史を隠すことはできない」
今作で何度か語られるフレーズです。

いくら忘れようと努めても、過去の事実は決して消えず、
あるとき、その事実と向き合わなければいけない瞬間がくる。
自分の人生から切り分けたはずの記憶を、
再び自分の中に組み入れなければならない瞬間がくる。
だから、16年前に蓋をした「ある記憶」と再び向き合っていく多崎つくるの戦いは、
ヒリヒリした気持ちが否応なしに蘇る僕自身の感覚と相まって、
読んでいてとてもしんどいものがありました。

でも、人生への警句、教訓としての響きをもつ上記のフレーズは、
物語の最後に、希望の言葉としても語られます。
ネタバレになるので具体的には書きませんが、その場面が本当に良かった。
すごく勇気が出ました。



村上春樹の作品は、感想を言葉に直すのがとても難しいですね。
語れるのはせいぜい読後の「気分」であり、
作品を通して味わった本当の気持ちは、なかなか言葉に直せません。
これまでも村上春樹を読むたびに、
「自分の気持ちなのに自分の言葉で語れない」という、妙なストレスを感じてきました。

でも、本当は、これは自然なことなんじゃないかと思います。
言葉に直せない何かがあるからこそ、
作家は物語という形を借りてその「何か」を紡ぐのであり、
だとしたら、受け取り手である読者もまた、
はっきりと手で触れる手ごたえや目に見える形として
その「何か」を感じられるはずはない。
だから、感想をうまく言葉に表せなくても、
それは日本語を知らないとか口下手だとかそんなことではなく、
むしろ極めてまっとうなことなんじゃないかと思うのです。

考えてみれば当たり前のことですが、
日常生活の中でさえ、怒りにしろ悲しみにしろ喜びにしろ、
僕らが感じる深い感情は、到底言葉では追いつけません。
だけど、言葉が溢れ、自在に言葉を扱える人こそが「頭がいい」と思われる
(もちろん、そういう人は実際に「頭のいい人」なんですが)世間では、
「言葉に直せない」「「うまく喋れない」ということは、何かと不利に働いたり、
愚鈍な印象を持たれたりします(というか、そういう自意識が働きます)。
「すべらない話」のように、面白おかしく話ができる友人の陰で、
本当は言いたいことがたくさんあるのに何一つ口に出せず、
劣等感だけを積み重ねていた10代の頃から、
僕にとっては「なんでもかんでも言葉に直さなきゃいけない」ということが、
切実で巨大なプレッシャーでした。
20歳の頃には、「言葉に直せないなら、その感情はウソ(幻)なんじゃないか」という
極端な考えにまで至ったこともあります。

その強迫観念から解放してくれたのが、村上春樹でした。
彼の物語は僕に、
「本当に大事なものは、言葉に直せない(こともある)」ということを教えてくれました。
いくつもの「言葉に直せない気持ち」を抱え、
それらをまるで「負債」のように感じていた僕は、
彼の物語を読むことで、ようやく自分を肯定できるようになったんだと思います。
「言葉(形)に残らなくても、君が感じている気持ちは幻なんかじゃないんだよ」と。
偶然ですがそれは、今回の作品のラストで提示された希望の形と、
どこか似ているような気がします。






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David Bowie 『The Next Day』

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「引退した」なんて
真っ赤なウソだった


デヴィッド・ボウイのニューアルバム、
『The Next Day』が先月リリースされました。

『Reality』(2003)以来、なんと10年ぶりの新作です。
誰もが引退したと思っていた(発表直前にも引退の噂を報じた記事を読みました)矢先、
事前告知一切なしでいきなりアルバムのリリースを発表。
世界中のロックファンが文字通りぶったまげました。

続いて発表されたアルバムジャケットも驚き。
これは、1977年のアルバム『HEROES』のジャケットの、
ボウイの顔の部分に空白を作って、
そこに『The Next Day』というタイトルを載せたものです。
(わざわざ「HEROES」というタイトル部分に打ち消し線まで施しています)

彼のキャリアの中でも1,2を争うくらい有名なアルバムジャケットを、
自ら否定するかのように解体し、
その上に「次の一日」という言葉をかぶせたデザイン。
ずいぶん挑戦的というか、かなり意味深なことをやろうとしているな、という印象を持ちました。
(意味深と言えば『HEROES』のジャケットのボウイのポーズも相当意味深ですが…)

そして、アルバムを聴き終えた今、
このジャケットデザインの意味は、やはり当初の印象通り、
ボウイが過去を乗り越えて新たなフェーズに入ろうとしている「宣言」なのだと感じます。

アルバム1曲目を飾るタイトル曲<The Next Day>の。
エッジの利いたギターとダンサブルなビート、
そして「Here I Am!」というコーラス部分の歌詞。
これらはまさに、10年間のブランクも「引退」の噂も全てを一蹴する、
ボウイの強烈なメッセージに他なりません。

「みんなおれのこと引退したと思っていただろう。
 ところがどっこい(←こんな言い方しないと思うけど)、
 おれはまだまだやる気だぜ」
という感じ。

この「現役宣言」を先頭にして、
ポップだけれどもヒネリの利いた、
ボウイらしいバラエティ豊かな楽曲が次々と続きます。
<Boss Of Me>やラストの<Heat>などは、
耳に馴染むまでは「なんてヘンテコな曲なんだろう」と思いました。

しかしその一方で、
<The Stars [Are Out Tonight]>や<Valentine's Day>といった、
ポップで、しかもパンチのある曲も挟んできます。
特に<Valentine's Day>なんかは、
世界で最も長く「スター」を務めてきた男の風格というか、
キングの余裕すら感じさせる曲だと思います。

どの曲も装飾や仕掛けに富んでいていかにも作り込んでいるようですが、
よくよく聴いていると驚くほどどれも歌メロがキッチリハッキリしていて、
ああ、この人は「シンガー」なんだなあと改めて感じます。

もっとも、「ポップ」といっても、
ボウイのポップさというのは、
例えばビートルズとかラモーンズなんかのポップさとは少し位相が違っていて、
和音でいうとマイナーコードというか、
独特の怪しさや陰の暗さを帯びたポップさだと思います。
歌詞も抽象的で、(少なくとも僕には)なかなか「コレ」というイメージをつかみづらく、
入口の手前で右往左往することもしばしばです。

けれど、「この音楽は何かを訴えようとしている」「この人の歌っていることには何かがある」、
そんな予感だけは濃厚に感じられるから、
結果的にかなり長い時間、その世界に惹きつけられるのです。

ボウイってすごく人気があるけど、
本質的にはすごくカルト的な世界に立っているんだなあと改めて感じました。
そんなカルトスターがメジャー大衆層を飲み込んで、
世界的な支持を集めているというところに、
ボウイの稀有さがあると思います。
村上春樹の本がいくら売れようとも、
彼の作品は常にカウンターカルチャーであることと、
どこか似ている気がします。


<The Stars [Are Out Tonight]>







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